2008年1月31日木曜日

日本版、ネオコンの逆襲?

 報道ステーションの癖に、今日は凄い特ダネを持ってきやがった。

 なんでも、このまえあるゴルフ場にて安倍信三、麻生太郎、菅義偉が会っていたという。そこでは早くも、福田の後釜について話されたのではないかと伝えていたが、恐らくその通りでしょう。
 これは既に各雑誌やメディアなどで評論家が言っていますが、恐らく解散総選挙後に政界再編が起こるのではないかと噂されています。では再編の結果、どのようになるかと言うと、まず現在の福田首相に代表される旧来の自民党勢力。そして、それに対抗するために、日本版ネオコンこと新保守主義の勢力と、言い方が悪いですが、余った残りの左翼勢力というように、この三つが有力です。

 特に二番目の新保守主義の勢力には私自身期待しています。この勢力の指導者と目されているのは前述の三人に加え、平沼赳夫などもおり、場合によっては民主党の前原誠司や原口一博といった若手議員も参加するのではないのかといわれています。逆にこの場合、民主党の現指導者層は若手の反乱から前回の大連立へと本気で舵を取り、そもまま旧来の自民党に合流すると考えられています。ま、元々連中は根っからの自民党だしね。

 私の予想ではこれが完璧に当らないまでも、部分部分でこのような動きが起こる可能性は高いと思います。たとえば、現在の福田政権にて解散総選挙になり、前回の安倍首相同様、責任問題が浮上して次の代表選びで自民党が真っ二つに分かれるというシナリオ。
 民主党が選挙にて与党となったところで、では誰が首相を行うのかということで、小沢勢力と反小沢勢力が激突というシナリオ。
 そして極めつけは自民も民主も単独過半数に至らず、今度こそ大連立。そしてそれに反抗して出て行く議員が別勢力を作るなどなど。

 そしてこの再編のトリックスターになりうるのは、前小泉首相という噂もあります。政治が混乱し、最登板が待望される中で、先ほどの新保守主義勢力となりうる議員が結集するという小泉新党説です。実際に、小泉氏が自民党を出て新党を作る場合、まず小泉チルドレン(+小池百合子)と安倍氏の取り巻きが集まる事は確実で、これだけでも相当な勢力を瞬時に作る事が出来ます。ただ、その一方で小泉氏は次回の選挙公布時に政界を引退するという説もあります。というのも、この前に懐刀であった飯島勲秘書官が辞任した際、かわりに小泉氏の三男が今、秘書をやっているからです。次回の選挙ではこの三男に地盤を継がせるのではないかとも言われており、非常に動向の怪しい状態ではあります。

 今回書いたことは最初以外は全部予想ですが、頭に入れておくとそれなりに有利になれると思います。

中国の餃子騒動、及び隠れてしまったニュースについて

 今日は今隣でニュースをやっている、中国餃子の中毒事件についてです。

 久々に中国ネタが来たなぁと思ってみていますが、思っていた以上に大きく扱われているようです。一部のサイトでは中国側はこの問題を全く報道していないと非難しているのもあるようですが、早速、「中国 日本 饺子 中毒」で、ぐぐって見たところ、どうも中国人向け日本情報サイトなどでは取り扱っているようですが、直接「人民网」とか、よく行く「新京報」のサイトへ行ってみると、確かにトップページでは取り扱っていません。もちろん、中国語版のホームページですよ。

 まぁこれは向こうのメディアが日本に特派員とかあまり置いていないせいだと思います。中国も食中毒に対して決して問題意識が低くない事だけは言明しておきます。最近は中国国内でも食の安全が取りざたされており、向こうでもあれこれ日本のミートホープのような事件が起こっています。今回のケースについても、恐らく中国側と日本側の利害は一致すると思うので、もうしばらくしたら向こう側でも動きがあると考えています。

 それにしても、相変わらず食中毒に対しては異様に日本人は敏感だと私は感じます。もちろん、この問題を軽視してはいけませんが、さっきのNHKの九時ニュースを見ていると、なんと冒頭から延々30分もこの問題に費やしていました。今日はもっとわくわくするニュースがあったのに、多分取り上げられなかったんじゃないかなぁ。
 そのニュースというのも、人材派遣会社グッドウィルに対して強制捜査が行われた事です。グッドウィルは現在違法業務の罰則として業務停止命令を受けていますが、今回は二重派遣の違法性の門でまた入られていました。このグッドウィルの騒動についてもっと解説がなされるべきなのですが、ニュース自体が隠れてしまってはどうしようもありません。また、今国会で紛糾しているガソリン税問題に対しても、つなぎ法案がお流れになったことも、どうも取り扱いが低い気がします。

 ここら辺のニュースコントロールについてはまた今度に詳しくやりますが、今日に限って言えばもう少し時間を区切り、必要なニュースはきちんと放映すべきだという提言をして、簡単に終えちゃいます。

2008年1月30日水曜日

学術用語の変遷

 最近、経済学術誌などでは「ネオリベラリズム」という言葉がよく踊っています。言葉の内容自体はサッチャー政権移行に各国で行われた、アメリカのミルトン・フリードマンの学説に拠った政策のことです。ただ自分がこの言葉ことネオリベラリズム、日本語では新自由主義ですがこれを見るたびに、新古典派とは言わないのかなとよく思います。
 なのでちょっと専門の方にあれこれ聞いてみたのですが、この「新自由主義」というのはどちらかと言うと、社会学上の言葉で、経済学用語ではやっぱり「新古典派」というそうです。さらに政治学用語で言うと、ネオコンこと「新保守主義」という言葉になって、どうも各所で混在して使われているのが私の混乱の原因とのことです。

 この今挙げた新自由主義、新古典派、新保守主義は言ってしまえば同じ存在、現在のアメリカの政権であり、日本の小泉、安倍政権のことを指しています。それにしてもこのところは学術用語もめまぐるしく変わって、それまで新資本主義といわれていたのは「ケインズ経済」と呼ばれた政策ですが、これは今なんていうんだろう。敢えて言葉にするなら「統制主義」とも言うべきですが、案外こっちもまた復興してきたら、「新ケインズ派」とかいう名前になるのかな。共産主義も同様に、「ネオコミュ」と呼ばれるのだろうか。あまり中身に大差ないんだから、いちいち「新」とかつけないで欲しいんだけど。

2008年1月29日火曜日

サブプライム問題と日銀

 今日はちょっと、やや専門的な話をします。といっても、高校の政経レベルの知識があれば事足りるけど。
 そんな今日のお題は一段落したのもあるので、サブプライム問題についてです。このサブプライム問題の発端なんかはどこでもやっているので省略し、今回明らかになった日銀と、久しぶりに姿を現した「奴」を中心にやってきます。

 現在のところ、アメリカが中央銀行だかFRBだかが利下げなどに踏み切ったおかげか、一時的かもしれないけど、一応は株価は下げ止まりました。なんでも今回の株価の下落率では日本は世界二位だったらしいのですが、それ以上に海外に流れたニュースは、日本は何らこの問題に対策を行わなかったという事実の方かもしれません。
 他の国はどうだか知りませんが、日本は今回、アメリカのような金融対策を何も取りませんでした、というより、取れなかったというのが実情かもしれません。それは何故かと言うと、現在の日銀の公定歩合がこれまでのゼロ金利政策の影響で0.75%しかなく、これ以上下げても何の効果もない事が明白だったからです。これは逆に言うならば、今後再び金融界で問題が起こっても、日銀は何の対応も出来ないという事です。

 公定歩合は現在、世界中の中央銀行が持つ、景気コントロールの最大最強の舵です。利率を下げる事によってデフレを防ぎ、上げる事によってインフレを防ぐといった、非常に重要な武器なのですが、現在の日本は既に言ったとおり下げるとこまで下げているので、動かす事ができない状況にあるといっていいでしょう。本来、この公定歩合は1~5%ぐらいを動かして効果があるのですが、上げるならまだしも、現在の0.75ではほんの1%も下げる事が出来ません。これでは片側にしか曲がれない車と一緒です。

 もちろんこのような問題があることは早くから言われていました。株価が急激に上がり始めた05年くらいには、多少景気を失速させてでも今のうちに上げておくべきだという声もあったのですが、現日銀の福井総裁は政府の再三の要求にとうとう首を縦に振らず、今回自らの首が回らなくなるという事態を招いています。
 実はその時、最も強硬に上げるべきだ、というより、ゼロ金利政策を大幅に改めろと言っていたのが「奴」こと、元総務大臣竹中平蔵氏です。彼についての評価はまた今度にあれこれやりますが、少なくとも今回の件に限って言えば、彼の指摘は非常に正しかったと思います。本人も今回の事態を見て、「それ見たことか」と思ったのか、確か先週辺りに海外特派員の前で、日銀の責任は重いと強く非難していました。ちなみにその時しゃべっていたのは英語でしたが、あまりにも流暢だったので非常にビックリしました。そりゃまぁアメリカの大学で教鞭とるくらいなんだからそうだろうけど、あの犬顔であんなに上手いとねぇ……。あと、最近再帰をはかっているのか、急に露出が増えてきたなぁ彼。

 私自身、日銀の福井総裁の今回の問題を招いた責任は大きいと思います。元々彼は非常に問題のある人物なので、少し陰口臭くなるけど、この際断罪を込めて彼の黒い経歴を書き記しておきます。一般には「村上ファンド」に出資していたという事は知られていますが、それ以前に旧大蔵省で起こった接待事件、いわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ」に関わっていた事でその昇進に一時ストップがかかっており、さらに、これからは若いうちから投資について教えなければならないとして、小学生相手に株式投資の講座なんて物も開いた事があります。その時に言った言葉が、「皆さん、大切なものはお金に替えてください。お金に替えておけば、いつでもその価値を保存できます」という、非常に呆れた発言までしています。ちなみにこの講座には先の竹中平蔵氏も関わっており、表面上は中が悪そうだけど、案外馬が合う二人なのかもしれない。

 さらに補足。私自身は、やはりもっと公定歩合を高める必要が強いと思います。なにせそうしないと民間銀行が全然金利を上げないので、ケツを叩く意味でやるべきでしょう。にしても、ほんと銀行どもも呆れた事をやる。

昨今の海外情報について

 専門が国際政治なだけに、自分は海外ニュースなどは割とよくチェックしている方です。情報の入手方法は一番いいのは言うまでもなく、現地情報を当地の言語で見ることですが、そんなのよっぽど凄い人じゃないと無理です。なので基本はやはり、既存のマスメディアの海外報道やニュースなどを見ています。一番参考になるのはNHKの海外ネットワークと、土曜の夕方にやっている各テレビ局ニュースの特集じゃないでしょうか。

 とまぁそんな風にメディアに頼るもんだから、あまり取り上げられない国とかだと情報もなかなか手に入りません。自分が当初、一番苦労した国はロシアでした。02年頃から注目していたのですが、当時はほとんど情報がなく、ネットでホームページなどを探して調べていました。このロシアですが、どうも05年あたりから経済が好調なのもあり、一般メディアでも取り上げられるようになりましたが、昔を思い出すと本当に楽になったと思えます。
 
 同じく、近年になって急激に情報量が増したのはお隣の中国です。こちらは02年あたりから急激に増えだして、現在に至ってもビジネス紙で中国の名が載らない日はないほどです。しかし情報量が多い分、あからさまに事実と異なる情報もいくつか見受けられます。特に多いのは、現地の新聞記事をそのまま翻訳した丸写しが多い事です。中国のメディアほど信じられないものはないのに、ちょっとこれはどうかと思います。なので、情報の扱いに注意がいる国です。

 中国と同様に扱いに注意がいる国はアメリカです。これは中国と違って私の私見ですが、どうもアメリカの情報ほど歪められて伝えられているものはない気がします。これは恐らく、アメリカに対する嘘知識が多いのも原因だと思いますが、どう考えても実態からかけ離れた情報とか、変に一部に偏った報道ばかりが目立ちます。まぁこういう事が起こる理由は大体わかっているのですが、それは今回は省く事にします。

2008年1月28日月曜日

万波医師の表彰

 今日は熱に浮かれれややフィーバー気味なので、えらく文章が進みます。本当はもう今日はやめておこうと思ってましたが、ちょっと凄い速報が入ったので忘れないうちに書いておきます。

 徳州会病院の万波医師を覚えている方はいるでしょうか。詳しい内容はどっかのニュースの過去記事に任せますが、要するに病気腎として摘出した腎臓を腎不全のほかの患者に移植していた医師です。当時、彼のこの移植の事実が報じられるや常軌を逸した行動として、まぁ大体が非難を行いました。ただ、私も注意深くこの報道を見守っていたと自負しますが、やはりなかには一部で、一般的には認められない行為ながらもやはり優れた技術だ、逆に彼のこの行動を医学的に認めるべきではないか、というような報道も見受けられました。

 そして報道で見る限り、移植を受けた患者らは皆万波医師に感謝の意識を持ち、恐らくマスコミの取材を考えると彼に対して不信感を持つ患者はいなかったと思います。被害者とも言うべき人間がいないにも関わらず、一方的に叩かれるだけの万波医師に当時から私は同情の気持ちがありました。

 そこで今日の速報ですが、夜11時のニュースZERO内にて、どうやら今回、アメリカの学会で、彼のこの病気腎移植の論文が優れたものとしてトップテンに入る入賞を果たしたそうです。今後、日本医師会がどのような反応を示すか興味深いですが、個人的にはただ医療倫理的に認められないからといって切り捨てるのではなく、より研究を深めて可能性を広げて欲しいです。

実体のない管理職について

 本日、東京地裁にて日本マクドナルド社が敗訴しました。訴訟はマクドナルドの現在も店長を務めるある従業員によって起こされ、賠償金は確か、750万円くらいだったかな。

 訴訟内容は最近になって偽装請負と共に明らかになってきた、実態のない管理職という奴です。これは、実際には管理職とは呼べない下っ端であるにも関わらず、従業員を管理職に無理やり祭り上げることによって、残業代などをカットするのが目的で、表に出ていないだけで外食チェーンなどでは現在、ほとんど一般化しているとも言われています。
 実はこのような裁判はこれが初めてでなく、確か去年に紳士服の青山も同様に自分のところの店長に訴えられ、未払いの残業代などを払う事、従業員を管理職に無理やり上げる事をやめるということで和解に至った例があります。

 近年、就職状況はよくなり、少なくとも大学新卒については正社員比率が上がっているとも言われていますが、その一方でこれまで以上に残業代のいらない中間管理職の仕事の比重が高まっているとも聞きます。私の友人のいる企業でも、彼の同期が入った職場では社員の半分が管理職で、もちろんそんなんだから、中には部下が一人もいなくて権限も何もない社員もゴロゴロいるそうです。
 以前に政府が提唱した「ホワイトカラーエグゼンプション」という制度は仕事を自己管理させるという名の元に、残業代を無理やりカットする法律だと反対が起こり、廃止に追い込まれた経緯がありますが、うちの親父に至っては、なにも今更法制化しなくとも、どこの企業でも既にやっていると言っていましたが、まさにその通りだと思います。むしろ、名ばかりの管理職にされて、本来受け取るべき対価を受け取っていない従業員が蔓延しているのが現状でしょう。そういった従業員を保護する法律こそ今、最も必要とされているのではないでしょう。

 ホワイトカラーエグゼンプションについて、少し補足しておきます。
 私見ですが、これが前回の安倍内閣が破綻した最大原因でないかと、今になって思います。もしこれさえなければ、いくらとんちんかんなことばかりやっていても、官僚との対決姿勢をだせばまだ国民はいくらか支持したのではないでしょうか。しかしこんなの言い出しちゃったばかりに、国民は一気に安倍元首相から離れてしまい、二度とその支持は戻らなかったのだと思います。

Drマシリトへの弁護

 さて、今の若い人はDrマシリトといってすぐわかるかな。これは「Drスランプアラレちゃん」という漫画に出てくるキャラクターの名前ですが、モデルは名前を入れ替えた、週間少年ジャンプ鬼の編集者と呼ばれた鳥嶋和彦氏のことです。
 大体90年代末期でしょうか、当時にジャンプは売上が大きく落ち込み、ライバル紙の週間少年マガジンに販売部数で97年にはとうとう追い抜かれ、少年漫画雑誌一位の座を明け渡しています。当時、このジャンプの零落ぶりにあちこちでこの鳥嶋元編集長への批判が起こり、元編集者だったという人間なんか本まで出して鳥嶋氏がすべての元凶だとまでいっていました。
 そこで今日は当時、本当に鳥嶋氏がよくなかったのか、その辺を検証してみます。

 参考に使うデータはいつものようにウィキペディアで、これで見てみると、ジャンプの最盛期は95年で、この時に一週間平均で約653万部と、新聞を越えるとまで言われた驚異的な発行部数を出しています。ただこの年、メイン連載であったドラゴンボールが連載終了し、その後はずんずん下がり、マガジンに追い抜かれた97年は約405万部、そして……これは多分、最新のデータだと思うけど、それだと 2,778,750部とのこと。実に、ピーク時の半分以下です。

 このような低落振りの原因は一般に、それまで三本柱と呼ばれた連載の終了にあります。実際に、「ジャンプ第一次黄金期」と呼ばれた時期の最後は先ほどの「ドラゴンボール」、「スラムダンク」、「幽々白書」が一度に連載が終わり、その影響が一番強いと言われています。しかし、このことに関して言うと、鳥嶋氏は96年から01年まで編集長をやっており、確かにこの時期にいくらか連載が終わっていますが、これをもって鳥嶋氏の采配が悪いというのはややこじつけな気もします。
 実際に、先ほどの漫画はどれも無理やり連載期間を延ばされていたと作者達が証言しており、あれ以上続けても作品の価値を下げるだけでなく、人気もそこまで続かなかったと私は考えています。

 また、この鳥嶋氏の期間中に連載が始まった漫画を見てみると、「遊☆戯☆王」、「封神演義」、「ONE PIECE」、「ヒカルの碁」、「テニスの王子様」、少し問題はあるが「HUNTER×HUNTER」といった、当時だけでなく現在も絶賛連載中の漫画が連載を開始しておりますし、充実した連載ラインナップを鳥嶋氏が崩したとは少し思いづらいです。なお、98年から00年の間を私は便宜的に「ジャンプ第二次黄金期」と読んでいますが、この頃は文字通り、毎週新号が出るのが非常に楽しみな時期でした。当時に好きだったのは「ヒカルの碁」、「HUNTER×HUNTER」、「ONE PIECE」で、当時が私の青春期でもあったからでしょうが、今でもジャンプはこの時期が一番面白かったと私は思っています。

 こうしてみると、現在のジャンプの主力作品を作り、また海外にも展開しだした漫画、なんでも「ヒカルの碁」は現在ロシアで大ブレイクしているというらしいですが、そのような海外にも受ける漫画を作ったことを考えると、決して鳥嶋氏の功績は低くないのではないかと思います。一時期にマガジンに追い抜かれたとはいえ、02年にはまた追い抜き返していますし、95年までが異常だったと考えるべきではないでしょうか。
 それに、近年は少子化で漫画を買う子供の数が単純に減っているのもあり、また発行部数は落ちていながらも、05年にはコミック単行本の売上は過去最高記録を作っているという、購読者ニーズの変化が起きた事を考えれば、このような低落の仕方はむしろ自然な事だと思います。

 そして、鳥嶋氏がもっとも批判される、気に入らない作品は次々と蹴落とすという噂ですが、期間ごとに短期集中連載を除く、連載が一年未満で打ち切られた数を数えてみたところ、90年から94年では40本、鳥嶋氏が編集長だった95年から99年は37本と、あまり大差ありません。ちなみにこの数字はくらくらしている時に数えたので、多少の狂いはあると思います。それにしても、やっぱジャンプって打ち切り多いな……。

 と、このように私は考えています。まぁここまで書いといてなんだけど、うちの親父が仕事でこの鳥嶋氏と大喧嘩を起こしたこともあるので、ぶっちゃけ私もあまり好きじゃないんだけどね、彼。ただ、「ジャンプ第二次黄金期」の功績があまり評価されてないのは少し可哀相だと思ったので、こんなん書いてみました。

古紙配合率偽装問題とカルテルの疑惑

 本来なら、今回のネタは私はあまり書きたくなかったのが本音です。どこかのマスコミがこの点を追究していてくれたならばそっちに任そうとの思いがありましたが、フセインについての記事同様、ほかがやっていないので私が取り挙げる事にします。まぁ週刊誌から新聞まで全部チェックしていないから、もしかしたらどこかやっててくれたかもしれないけどね。

 先週になり、日本製紙が年賀状に使われた再生紙の古紙配合率をごまかしていたという事が明らかになりました。そしたら続けざまにどこの製紙会社もノートや封筒に使われている再生紙の配合率を実際より多く表示していたことが明らかになりました。連中は環境に配慮している事をアピールする必要があるにも関わらず、古紙の価格が上昇しておりコストが高くなったのと、見栄えが悪くなるとのことでこのような行為を行ったといってましたが、はっきり言っていらんことやって馬鹿を見せただけでしょう。要望に答えられないなら、初めからそう言えばいいのに。

 と、この辺の事実報道なら多分誰でも知っているでしょう。問題はこの後です。恐らく、同じ業界にいて同じ業種に関わっている人間同士なら、ライバル会社の再生紙の古紙配合率はまがい物だと普通は見抜けるでしょう。後出しじゃんけんみたいでちょっとかっこ悪いですが、私自身も巷に出回っている再生紙を使ったノートを見て、果たしてこれほどまできれいに作れるものかと、素人目ながらに疑問に感じていました。昔の再生紙ノートはもっとざらざらしていて鉛筆書きにちょうどよかったのに、最近はつるつるして嫌だなと思いつつ、技術が進歩したとはいえここまでなるものかな、というような感じで。

 私の予想だと、恐らく製紙業界関係者はお互いに古紙配合率を上乗せし合っているという事実がわかっていたんじゃないかと思います。でなければ今回のように製紙会社が揃って謝罪するという現実には合いません。無論、これだけでも十分非難の対象になります。いくらライバル会社とはいえ不正を知っておきながら黙っているのは、社会倫理上許されない行為でしょう。ですが私が考えるに、製紙会社らは黙認し合っていただけでなく、カルテル行為、いわゆる談合を行っていたのではないかと疑問に思っています。お互いに古紙配合率を実際より数割上乗せし合い、環境PRを邪魔し合わない、というように。

 これも無論、根拠となる事実は今のところ私の手元の情報にはありません。しかし状況から察するに、こういった予想もこの機にしておかねばならないと私は思います。これは特にマスコミの人に言いたいです。今回の事件で日本製紙のトップは辞任をするようですが、他の製紙会社のトップも一緒に辞任しないとするならば、カルテルがあった場合にまたこういった事件が起こる可能性があります。そのために疑惑は推論でも徹底的に追及するのがマスコミの役割だと思いますが、多分例によって広告費や新聞紙に使う紙代とかの関係で、あまり大手メディアはやらないんだろうな。

2008年1月27日日曜日

大阪府知事選と地方政治について

 今日は今朝から頭痛で寝込んでました。でもってテレビ漬け。なので一日中テレビを見ていたので、今回の大阪府知事選の速報も、大体九時前くらいに出ていたのもチェックしてました。まぁ予想の通り、橋本氏が受かりましたが。

 今回の府知事選を私から言わせてもらうと、非常に争点のない争いでした。
 現在の大阪府が真っ先に対処しなければならない問題はまずは財政再建、次に市政改革です。前者は言うまでもなく、通産省出身で鳴り物入りで知事になった太田房江は借金を増やすだけ増やして無策のままやめていきました。結果、大阪府は経済力でも生産高計算で2005年から愛知県に抜かれ、人口でもこの前に神奈川県に抜かれています。文字通り、両方の意味で第三の都市となり、このまま地方都市へと成り下がるか否かの瀬戸際でありますが、選挙中にも関西ローカルの番組などで選挙の報道を見ていましたが、どう見ても財政対策への具体的な方策がどの候補にも見えてきませんでした。言ってはなんですが、選挙に不利になるとはいえ大阪府、市を合わせた職員の全給料のうち△%をカットするなどの具体的な数字を出してもらいたかったものです。

 そして今回当選した橋本徹氏ですが、やはり私自身は疑問を感じる人物です。今回の府知事選の際に、過去の「横山ノック」知事についてはあまり触れられず、恐らくまた大阪府民は知名度だけで選ぶだろうとは思ってはいましたが案の定そうなりました。
 一応言っとくと、橋本氏という人物を私は決して評価していないわけではありません。ただ私が言うまでもなく彼の最大の武器は歯に衣着せぬ物言いで、出来る事なら弁護士であり芸能人という立場から日本の問題を抱えまくっている司法について、これからも問題点を追究していってもらいたかったです。ですがこれが知事という公人の立場だと、滅多な発言はできなくなります。それどころか、この彼の武器は反転し、失言癖となって非常にマイナスな特徴にまでなってしまいます。
 さらに言えば、今回橋本氏は無所属で出てはいますが、自民、公明の推薦を受けている事も問題です。はっきり言いますが、大阪府議会議員は無能の集団です。2004年以降に次々と明らかになった大阪市職員の問題は、本来ならば彼ら府議員などが暴かなければならないところを、結局MBSが単独で暴いていますし、また市民団体からなんども注意を受けているにも関わらず、政務調査費といっては府から金をむしり取っているだけで、やはり知事となるからには、対決姿勢を多少出さねば大阪で改革は何も起こせないでしょう。

 とはいっても、今回の候補は自分から見て、改革力や実行力ではほとんど差のない人間達ばかりであった事を考えれば、誰がなったところで大きな変化はないのかもしれません。しかし橋本氏の失言癖と、テレビにあれだけ露出しているくせに弁護士としての仕事を本当にやっているのか、実際は西村慎吾前民主党衆議院のように、弁護士資格の名義貸しをやっているのではないかという疑惑を考えると、熊谷氏の方が個人的にはよかったと思います。ま、彼も民主の推薦を受けているからあまり意味ないだけど。

 あかん、文章のノリが悪いわぁ。自分、大阪府民ちゃうのになぁ。

2008年1月26日土曜日

サイバー犯罪と京都府警

 先日、大阪電気通信大学に通う学生がネット上にプログラムを破壊するウィルスをばら撒いたとして、京都府警に逮捕されました。さてこの京都府警、一部のネットユーザーからはとにもかくにも嫌われる警察組織です。というのも2004年にわざわざ東京くんだりまで行って、当時の東大助手であったファイル交換ソフト「winny」の作者を逮捕しています。

 前回の事件といい今回の事件といい、京都府警はネット犯罪に対してやや刑法を高飛びさせるような行動をとっています。果たして、組織内にそういったものを専門的に扱う部署でもあるのかとホームページを見てみると、「京都府警察ハイテク犯罪対策室」というのがあり、恐らくこの中に相当ネット犯罪に対して相当見識のある人間がいるのではないかと思います。

 先に言っておくと、私は京都府警を評価しています。確かに日本の法体系はネット犯罪に対して今だ整備が出来ておらず、しかも規制を強くしようという声すらほとんど上がっていません。今回の事件で明るみになったのは犯罪者が一大学生だったというプロフィールではなく、ウィルスの作成者を取り締まる法律すらないという日本の現状でしょう。詳しくは知りませんが、確かスパムメールを送る人間に対しても処罰する法律がなかったんじゃないかな。そういった意味で、問題提起を行ったこの京都府警は賞賛されるに値するでしょう。
 でも私が一番言いたいのは、政府はせめて普通の国並にこういった犯罪を防ぐ法体系を早く作って欲しいという事です。どっちの事件も犯人は大学に在籍している人間で、倫理観も非常に問われる問題だと思います。確か、前の官房長官の与謝野馨はパーツの開封から完成まで2時間でやってのけるという自作パソコンマニアだって言うから、彼あたりにそこら辺を作らせればいいのに。

2008年1月24日木曜日

英語における「自由」

 前回に続いて言葉の話です。なんでこんなのばっかやってるんだろう……。

 さてこの前は宣教師が「愛」という言葉の意味を変えたと書きましたが、今日は「自由」という言葉について考えてみます。早速この自由という言葉を自分の持っている電子辞書で英訳を見てみましたが、主なもので三つ、「free」、「independent」、「liberal」の三系統に大別されます。これをみて、結構不思議に思いませんか? 日本語の自由という言葉を英語圏、というより欧米では三種類も分けています。

 私は昨日も書いたように別に言語学をやっているわけじゃないので詳しくはわかりませんが、イメージ的には「free」は「自由に選択できる状態」、「independent」は「何にも依存していない状態」、「liberal」は「何の束縛もない状態」という風に感じています。

 自分から見て欧米人はやはり、自由に対する意識は高いと思います。これは以前に友人から聞いた話ですが、日本はアメリカのマッカーサーから自由をただでもらった国だから、革命を起こしたフランスや、学生運動で独裁を倒した韓国と比べて自由を守るという意識が希薄なんじゃないかと言われましたが、まさにそのとおりだと思います。ですから逆に、欧米の概念を理解する際、自由には数種類の意味が付与されているという事を念頭におかないと、連中の思想や価値観を読み違えるのではないかとも思います。

 私がわずかに知っている欧米の自由の概念ですが、大きく大別すると二種類あり、「積極的自由論」と「消極的自由論」と分かれているようです。前者は、人間は自らの理性に従って生きる事が正しいのだから、自由な理性を阻む社会上のあらゆる束縛や概念から逃れていなければならないという考え方で、後者は人間を束縛するものがまずあり、それから初めて対極概念として自由が生まれるという考え方です。
 この話を聞いて私が思い出したのはフランスの教育制度です。フランスでは以前、宗教的な影響を与えてはいけないということで、教師も生徒も含めて学校にイスラム教の女性が被るスカーフを被ってはならないという法律が出てあれこれもめましたが、これはさきほどの「積極的自由論」に従った、教育段階で概念の押し付けをやってはならないという考え方からきたのではないかと思いました。

 結論から言えば、概念を徹底的に排除する事は出来ないと思うし、果たしてそれが本当に人間が正しく生きる方法とは思えないので、日本人らしく私は「消極的自由論」を推します。
 なお、今回の話のネタは間宮陽介氏の本、「ケインズとハイエク」からもってきています。興味があれば一読をするのもいいかもしれません。あまりにも難しくて私は途中で投げましたが……この間宮さんは遠目に見かけたこともあるのにな。

2008年1月23日水曜日

愛という言葉について

 いきなり臭いタイトルですが、自分はこの「愛」という言葉にある由来があるのではないかと思っていました。自分は高校時代は完璧な古語マニアで、あれこれ自分でも漢文やら古語を見ていましたが、どうも見ていると古語の中の「愛」というのは「愛い」(うい)という形で、現代の「可愛い」という意味で使われている事に気がつきました。で、現代の「愛」の意味に近いのはどちらかと言うと「恋」の漢字で、まぁわかるでしょうけど、現代では「恋愛」といってセットで使われますがその感情の比重は昔と逆転し、「恋」はどちらかというと若い時分の幼い感情みたいな意味で、「愛」は大人な成熟した感情みたいな感じで使われています。

 一体、いつ頃にこのような変化が起こったのだろうか、ある日突然考えた(昔あったな、こんな歌詞)。そこで、ある一つの仮説が出てきました。もしかしら、キリスト教が変えたのかもしれないと。

 言わずもがなにキリスト教は室町時代後半にやってきて、結構当時の文献とかでもこのキリスト教の「愛」という概念がよく出てきます。自分が考えるに恐らく、キリスト教の宣教師達は男女間が惹かれあう感情とは別な意味の、いわゆる隣人愛を説くために、この「愛」という文字を使って布教活動をしたのではないでしょうか。このあたりから「愛」の比重が高まり、いつのまにか「恋」を追い抜いてしまったのではないかと思います。

 とまぁこんな風に想像してたら、さっきウィキペディアを見たらどうもそれに近いことかいてあって、ますます自信がついて調子乗って今日のネタにしました。ちなみに、直江兼続はとリビアの泉でもやってましたが、領民を愛するという意味で、「愛」の文字をかたどった兜を被ってたようです。

 ちなみに、外来語と日本語の関係は結構複雑で、いくつかの概念についてはきちんと西洋の概念を日本語化できていない例もあります。今度はその代表格とも言うべき、「自由」をちょっと解説します。

2008年1月22日火曜日

日本語の「懐かしい」の価値

 今日からブログの自己紹介欄を、「専門は国際政治」から「専門は国際政治と中国語」に変えました。別に外語大は出ていないけどね。
 そんなわけで中国語ネタも一発かましておこうかと思い、この「懐かしい」を取り上げます。

 実はこれは自分のエピソードですが、中国語で「あ、この番組懐かしいっ」って言おうとした時、言葉が出てきませんでした。普通、懐かしいってよく使う言葉なんだからなんで自分って知らないんだろうと思いつつ、辞書で「懐かしい」をひいたところ、「懐念(フォワイニエン)」という文字が出てきました。他の候補はないかとみましたが、どうもこれだけのようです。最初これを見たとき、ちょっと自分はおかしいなと思いました。何故かと言うと、非常に堅い表現で、実生活上でこの言葉を中国人から聞いた事がなかったからです。そこで、日本語の出来る中国人の友人に改めて聞いてみたところ、面白い回答が帰ってきました。
「日本語の懐かしいにあたるのはあえて言うなら懐念だけど、実際はないと思う。日本語はとにもかくにも感情に関する言葉が多すぎる」
 と、いうように、厳密にいえば中国語で「懐かしい」にあたる単語はないそうです。
 考えてみると、英語にもないような気がします。強いてあげるなら、「remindable」といって、「思い出させる、想起させる」という言葉しかなく、どうも日本語の「懐かしい」にマッチする言葉は見当たりません。

 この「懐かしい」は恐らく、「懐く」という「心引かれる、おもしろい」というような意味の古語からきていると思います。そうするとかなり前から日本人が使っている言葉になるのですが、この「懐かしい」という言葉を改めて考えてみると、日本人はやけに「懐かしい」ものが大好きな気もしないでもありません。
 最近ヒットした「ALWAIYS 三丁目の夕日」とか、今度やる「母べえ」(間に「げえ」は入らないのかな)もこの部類ですし、アニメ作品にも多数懐かしさを呼び起こす映画が大ヒットしています。代表的のは、クレヨンしんちゃんの映画版「モーレツ大人帝国の逆襲」でしょう。「MEMORYS」もこれに当るかな。

 どうも、自分はこの「懐かしい」という表現は日本人の感性を代表するのではないかとも思っています。まぁ自分がそう思うのは、未来がお先真っ暗な時代に生きているせいかもしれませんけど。書き終わってからなんだけど、あまり中国語は関係ないね。

楠正成の評価の転換

 楠正成と言うと、戦前は尽忠報国の士として道徳(当時は修身だっけ?)の教科書でも何度も取り上げられた武将です。しかし戦後になると、非常に不幸な事にその扱いが変わってしまいました。これは非常に惜しい事だと思いますので、簡単に彼の事を解説します。

 まず、楠正成は河内出身の悪党、まぁ大阪のヤンキーみたいな輩だったらしいですが、後醍醐天皇に付き従い、鎌幕府倉崩壊期から建武期に至る中世時代に大活躍した武将です。彼の戦術を一言で言うと、非常にトリッキーなゲリラ戦をよくすることです。関西地方の千早城や笠置山城の篭城戦においてはお湯を敵にかけ回ったり、あぶないと思うやすぐに逃げるなど、チェ・ゲパラみたいな戦い方をしていました。
 その後、鎌倉幕府が倒れて建武期に入り、最終的には足利尊氏との湊川の戦で敗死しますが、楠正成について敵方の尊氏も常に尊敬の念を持っていたというようです。
 実はこの戦い、確か新田義貞は二万くらいの兵隊を指揮したらしいですが、正成はわずか八百ほどの兵しか指揮していなかったらしいです。何故こんなにも差があるのかと言うと、当時はまだ身分の差が強く、悪党出身の正成にはそれほど兵が分配されなかった、もしくは旗下に集まらなかったらしいです。逆を言えば、この時正成が数万の兵隊を率いていたらどうなっていたか、なかなか面白いです。

 とまぁこんな出自ですから、自分でもさっき大阪のヤンキーみたいなといっておきながらなんですが、結構ダーティなイメージが強い人です。しかし実際は非常に礼儀正しく、先ほどの湊川の戦でも、敗北する事がわかっていながら後醍醐天皇の忠誠のために出陣したというほど勇ましい人物のようだったらしいです。そして軍人かと思いきや、政治や戦略面についても非常に明るかったというエピソードも数多くあります。その中で紹介したいのは、足利尊氏が反旗を翻したものの京都から追い払われ、さてこれからどう追撃するかという後醍醐天皇側の軍議の最中に正成は、
「まず新田義貞の首を取り、その首を持って尊氏に和議を申し込まねばなりません」
 と、味方である新田義貞も同席している前でこんな事をいきなり言い出したらしいです。義貞もこんなこといわれりゃびびるよなぁ。
 正成は尊氏の反乱は個人の野心というよりも、自分と同じく不満をもった武士たちに無理やり担ぎ出されただけに過ぎなく、天皇への忠誠は今だ強いと見ていたそうです。実際に尊氏の行動を見ていると、最初に反乱を起こした際は弟の直義が勝手におっぱじめたが、本人は最初は黙って黙認しており、後醍醐天皇が負けた後に吉野へ逃亡した際は追撃を出していないので、この読みは私も正しいと思います。

 このように非常にバランスが取れ、名実共に名将に相応しいのですが、やはり戦前の教育に用いられた背景から、戦後の現代に至るまであまり教育現場では扱われていないような気がします。しょうがないといえばしょうがないのですが、これに付随して、どうも私から見てこの時期の歴史的検証は少ない気がします。太平記などを読めばわかりますが、この時代はこの時代で結構面白いのですが、どうもあまり取り上げられないというか、もったいないというか。この正成以外にも、北畠顕家や赤松則祐など、面白い武将がたくさんいるのに……。

織田信長の歴史的評価の転換

 たしかカントあたりでしたと思いますが、理性や伝統などよりも歴史がもっとも正しい判断を下すというような事をいったのは。私などは歴史といわず、「時代」といって、要するに時代に迎合するのがもっとも正しい生き方みたいなことを周りに話し、「自分はジェダイの騎士になるんだ」などと、話をとんでもない方向へとよく持っていきます。
 しかし歴史学を専門にやっている人ならわかるでしょうが、歴史的評価というのもしばしば時代によって変わる事があります。ちょっと歴史の投稿が少ないので、補充分とばかりにこの手のシリーズをちょっと書いときます。

 日本において歴史的評価の転換が起こったのはいうまでもなく戦後の転換期です。それまでは皇国史観とも言うべき、天皇を中心とした歴史的分析が主だったのが戦後、それぞれの時代ごとに評価が行われるようになりました。その中で最もとはいえませんが、案外大きく評価が変わったのが織田信長だと私は思っています。
 現代でこそ時代の変革者、天下統一の礎を築いた武将として評価の高い信長ですが、私が聞く限り戦前はどうもそうじゃなかったようです。天下統一を成し遂げたのはやはり秀吉で、信長はその秀吉を雇っていた軍閥の主みたいな評価だったと、時々聞きます。それで信長の評価はと言うと、実は当時に天皇を保護した尊王の武将として評価されていたようです。

 少なくとも尊王の武将と言う事実には間違いはありません。応仁の乱以後、天皇家もえらく貧乏な生活を余儀なくされて、なんでも路上で自分で読んだ和歌を部下に売らせて生計を立てていたくらいらしいです。その後信長が京都に入場した後は天皇家を非常に援助し、それが評価されて皇族にしか拝領が許されなかった香木の「蘭奢待」(漢字あっているかな?)も信長に下賜されています。
 そのような意味合いから先ほどの評価につながったのだと思いますが、現代の目からすると非常に面白い評価だと思います。なお、実際には信長は天皇家を取り潰す……までも行かなくとも、京都から居城の安土へと連れて来て、どうにかするつもりだったらしいです。自分も安土城跡へ行き、天皇を引き込む屋敷跡を見てきました。
 そういう風な意味合いで見ると、この戦前の評価は非常に皮肉な評価だと思います。次回は最も評価が変わった楠正成をやります。

2008年1月21日月曜日

若い人に知ってもらいたい「西山事件」

 去年の11月くらいに少し報じられましたが、この毎日新聞社を倒産寸前にまで追い込んだこの「西山事件」は、自分と同年代の20代くらいの若者には知ってもらいたい事件です。
 詳しい内容は「http://ja.wikipedia.org/wiki/西山事件」で見てくれればいいですが、この事件がきっかけで日本のマスコミはその報道姿勢が大きく変わったとも言います。

 簡単に内容を説明すると、佐藤内閣の終盤、沖縄返還時にアメリカ軍基地として使っていた用地も一部返還される事になりました。そしてその返還の際には元のさら地に復元して返還するとのことで、その費用はアメリカが負うと公式に発表されたにも関わらず、実際は迂回献金のように日本側がその費用を肩代わりしていたのです。なお、この事実は去年の11月、アメリカ公文書館にてその際の外交文書が公開されて名実共に実証され、アメリカ側も認めている事実ですが、日本の政府、外務省は未だに認めていません。当時の外務省責任者まで認めているのにね。

 この肩代わりについては前々から噂されていたのですが、毎日新聞の記者がこの事実を示す外交文書を入手して報道したのですが、その報道の過程で情報提供者がわかってしまった……というよりは、ばれてしまったといいますかね、その情報提供者の外務省職員が解職に追い込まれたり、プライバシーやらなんやらがあれこれ公開されてしまい、総スカンを食らった毎日新聞も困ってしまったというのがこの事件の顛末です。
 ウィキペディアでもかかれているように、この事件はアメリカの「ディープスロート事件」とよく比較されます。まぁ詳しい解説は向こうにやってもらいます。

 自分がこの事件を知ったのは文芸春秋で山崎豊子が「運命の人」という、この事件を元にした小説を連載していたのを見たことからです。調べてみると、山崎豊子は毎日新聞に勤務していた時期があったようなので、だから書いたのかもしれません。

キャノン、御手洗会長の報道について

 なかなか表に出てこない情報なので、ここで広報を兼ねて今回は解説します。

 ここ最近のNHKの報道によると、国の公社の建設工事に際し、現経団連会長でありキャノンの御手洗富士夫会長が講じの責任者に、随意契約で鹿島建設に落札させるように迫ったとのことです。この情報を最初に入手したのは確か12月の前半でしたが、今日の夕方七時のニュースでも再びNHKが報じました。この間、ほかの民法各社はきれいにスルーをしています。

 さてこの御手洗富士夫、以前にキャノンの社員とも会って話を聞きましたが、「見ると聞くとじゃ大違い」との評価でした。先に言っておくと、この会長は私の中で今一番社会から排除させたい人間NO.1です。
 その理由はと言うと、なによりもその言行不一致にあります。今、ウィキペディアで見てもみたけど、えらく点線の多い記事で、多分あれこれ修正合戦やっているのかもしれない。まぁ彼についてはその他のホームページでもあれこれ特集が組まれているから、ほかで概略を見たほうがいいかもしれない。
 それでその言行不一致ですが、外には「キャノンやトヨタは終身雇用を守っている」とか、「社員は家族だ、アメリカの企業と日本企業は違うんだ」などといっていますが、彼が会長に就任してから独身社員寮とか廃止しています。そして何より非難すべきなのは、意外と立派な日本語化した「偽装請負」をやっていた事です。
 偽装請負の中身についてはほかで見てください。まぁ派遣以下で労働者を買い叩いているということです。その会長の発言と違い、私に言わせればキャノンはアメリカの企業以上にアメリカナイズされた企業でしょう。彼はアメリカに駐在経験があり、その時にロックフェラー財閥とかに日本企業を骨抜きにしろとの指令を受けたとの、冗談とも取れない噂すらあります。確かに、現状で公開株式の過半数は外国人投資家の手にあるので、本当っぽいけど。

 そこで本題に戻り、今回報道された内容です。現在キャノンは報道各社に対して、ものすごい宣伝費を払っており、キャノンを批判しようものならば一気にその広告費がひきあがる事が予想され、NHKのみが今回の越権行為ともいう汚職事件を報道しています。よくNHKはあちこちで、特に最近はカッパクリエイトの話で叩かれていますが、やはり一番しっかりしたマスコミというのならここでしょう。今回も花まる級の報道です。

 ここで少し脱線しますが、これも以前から書かなければいけないと考えていた内容なのでついでにやっときます。
 実はこれ以前にキャノンを批判した会社がありました。朝日新聞です。2006年7月にキャノン、松下の偽装請負の実態を真っ先に報道したのはこの朝日新聞でした。その後しばらく私はテレビや雑誌、他の新聞などを気合をいれてチェックしていましたが、どこもこの報道に続きませんでした。NHKが「ワーキングプア」の報道を始めてからは流石に社会で一般化したのもあり、他のメディアも現在のように扱うようにはなりましたが。
 この朝日新聞の報道は、非常に誉められる報道でした。しかしその代償は大きく、その後キャノン、松下は仕返しとばかりに朝日新聞から一切の広告を引き上げ、しばらく経営で苦しんだそうです。こうなる事は予想できたにも関わらず、自腹を切るようなこの報道は天晴れとしか言いようがないでしょう。

 ちなみにこの話には続きがあり、当時、かなり2ちゃんねるにどっぷりはまっていた後輩が、その影響から朝日新聞を批判しだしたので、「お前はこの偽装請負の報道を知っているか?」と聞いたら案の定、知りませんでした。
 続いて叱るのも兼ねてこういいました。

「お前は朝日新聞が問題だというが、朝日の問題だといわれる部分にしか目をやらず、本来評価するべきところは全く見ていないんじゃないか。俺にはお前は朝日の悪いところを必死に探そうとしているようにしか見えない」

 これは同様に2ちゃんねるの言論についてもいえます。まぁ私も朝日は大嫌いですが、一面を持って全体を評価するような事をすれば、自らを貶めるだけなのでやりません。中にはいい報道もあるので、叩いてばかりじゃなくこの偽装請負の報道くらいは2ちゃんねるの人も朝日の記者を誉めてやって欲しいです。

2008年1月20日日曜日

韓国新大統領の報道について

 先月の韓国大統領選挙の結果、李明薄氏が次の大統領に成る事が決まりました。
 彼は元ソウル市長をやっており、日本のメディアでも報道されていたように、かつて暗渠にしていた市内を流れる川を再び掘削し、水を流した当時業を市長時代に行っています。この情報は数年前から手にしており、周辺の商店関係者などは人の通行が減り、商売は苦しくなるがきっと市民は喜ぶだろうと、合い半ばといった感想を洩らしているようです。

 さてこの李明薄氏ですが、日本での報道振りを見ていると、「サムソン財閥出身」、「経済に強い」などと言ったイメージを盛んに流していました。これらの報道に付随して、韓国ではGDPの経済成長は続いていながらも、若者の失業率は増加しており、その背景が経済に強い彼の指示に繋がったのではないかというような解説が何度もありました。さて、この辺で変だなと思ってくれなきゃ、私の出番です。

 はっきり言って、説明の中に激しい矛盾があります。まず韓国で若年層の失業率は日本の数倍とも言うほどひどい事は確かですが、その原因は一部の財閥企業による産業独占による一極集中が原因というのが通説です。簡単に言えば一つの企業が強すぎて競合する企業が生まれず、必然的に労働力が余るといった構造です。
 そこで李明薄氏、彼は確かに若くしてサムソンの建設部の社長までしましたが、あくまでサムソン、財閥出身者です。財閥出身者の彼が、どうして若年層の失業問題を解決する手腕を持っているのでしょうか。むしろその背景ゆえに、今後は余計に財閥に偏る可能性もあります。

 こんな感じに分析しており、前から変だなと思っていましたが、今回きちんと裏が取れたので紹介しました。日本での報道はやはり先ほどのようで、はっきりとはいいませんでしたが若者の支持があるような表現でしたが、実際に韓国の若者は彼を全く支持していないようです。理由は以上のようなものからで。情報のソースは日本にきている韓国人からで、彼を含め彼の友人らの中で李明薄氏を支持している人はいないらしいです。
 この韓国人の知り合いはなかなかに学識のある人で、現大統領のノムヒョン氏についても面白い話が聞けたので、今度また紹介します。

2008年1月19日土曜日

魂の価値

 最近になってギリシャ哲学とか見始めましたが、現代にまで通用する原子論を最初に唱えたデモクリトスは、物質を構成する最小単位を原子と考えましたが、なにもマテリアルな存在(日本語が思い浮かばない)に限らず、魂までもそれを構成する原子があると考えていたようです。
 彼曰く、魂も他の物質同様、消失した際に構成する原子はなくならず、くっついたり離れたりして、再びまた元の魂になったり、別の物質の構成要素になると考えたようです。自分は何度も書いていますが、肉体と精神の二元論を唱えていますが、この論にはなかなか後ろ髪の引かれる思いがします。

 私自身、以前にこれに近いような考えをもった事があります。というのも、地球上に存在する魂、というより霊魂の数には限りがあると考えました。人間、動物、植物など、それぞれに霊魂は宿っているが、それぞれに霊魂の重さというか、個体差はある。しかしながら地球上の総量には変わりがない……といったような。
 そうして何がいいたいのかと言うと、要するにこの地球上に人間は増加しているが、その背後にはおびただしい数の生物を絶滅に追いやっている。そうして絶滅させられた魂はどこへ行くかというと、人間になっているのではないか。こんな事を、たしか高校三年生くらいの頃に考えたのかな。何も食物連鎖などで説明するまでもなく、魂の上でも生物体系が壊れているのではと当時に主張しました。ちなみに、私の計算だと牛24頭あたりが人間一人の魂です。

 更に言うなれば、最近まやかしものの地球環境保護者が跋扈していますが。単純な話し、人間すべてが絶滅するほど地球にやさしい事はありません。たまにそういう主張をしている人も見かけますが、そういう人間を自分は「ガイア主義者」と読んでいます。ガイアは言うまでもなくギリシャ神話の地母神です。結構勘違いしている人が多いと思うので書いておきますが、ガイアは決して人間の味方ではありません。ギリシャ神話を読めばわかりますが、そういう意味合いをも込めての先ほどの名称です。

2008年1月18日金曜日

野田聖子の公認

 たった今のニュースで、次の選挙では岐阜選挙区の公認候補は野田聖子に決まったようです。もっとも佐藤ゆかりも活躍を認められたのか東京の選挙区で公認がもらえるらしいですが、私としては腹が立つ限りです。

 なにも佐藤ゆかりが好きな熟女好みなわけじゃないのですが、野田聖子は前回の郵政選挙、郵政民営化に反対して選挙戦を戦ったにも関わらず、選挙後の民営化の投票において賛成票を投じたことから心底見損ないました。当時、民意が民営化を選んだのは選挙の結果からわかる事ですが、だからといって大勝した自民党がその数を使って賛成票が過半数を上回る事は確実であったにも関わらず賛成を投じたのは、間違いなくその後に自民党に復党するという目算があっての行動でしょう。
 まぁそれは確かに議員の勝手でしょう。しかしだとしたら民営化反対にひかれて野田聖子に投票した有権者はどうなるのでしょうか。彼らは民営化に反対するから表を入れたにも関わらず、野田聖子は復党したいという自己の都合で賛成票を投じたのは、議員の資質として非常に疑わしいものです。

 平沼赳夫氏などは筋を通して反対票を出しましたが、私は民営化賛成派でしたがその男っぷりに非常に感心したものです。本来、平沼赳夫氏のように筋を通す人間こそが与党に復党すべきであるにも関わらず、根性の曲がった野田聖子ら造反組だけが復党したのも、また平沼氏を差し置いてその条件を受け入れるという神経のなさに怒りを通して呆れすらします。

 元々、野田聖子は小渕内閣で郵政大臣を担当したことから民営化論争の際もさも現場経験があるような口ぶりで表に出ていましたが、はっきりいいますがその時に話していた内容は実態からかけ離れた、論点のずれた事ばかり言っていました。これは何も野田聖子に限りませんが、自分はマスコットにしか過ぎないとわかっていない人間ほど愚かな人間はいないでしょう。このように、順を追って野田聖子を批判する声が聞こえないので、佐藤栄作に続いて批判しておきます。

2008年1月17日木曜日

ネヴィル・チェンバレンと佐藤栄作

 イギリス人は歴史に対してやはり優れた感覚を持っていると思う。
 毎年何がしかのイギリスの新聞にて組まれる特集に、「誇りに思うイギリス人、恥に思うイギリス人」の特集がある。その恥に思うイギリス人の中に、毎回といっていいほど出てくるのがこのネヴィル・チェンバレンだ。

 手っ取り早く知ってもらうにはウィキペディアの彼の項目を見てもらったほうがいい。結論を言えば、彼はノーベル平和賞を受賞したが、その受賞理由となった外交政策は、結果的にヒトラーのナチスドイツを助長させるきっかけとなってしまった。いわば、偽りのノーベル平和賞ともいえる。

 同じようなのがもう一人、日本に佐藤栄作がいる。私は日本人の歴史への感覚はイギリス人へ遠く及ばないと思う。なぜなら、非核三原則を唱えてノーベル平和賞を受け取った佐藤栄作は、沖縄返還に際して核ミサイルの基地装備を容認していたという。現在ですら国内で疑問視されているが、恐らく海外ではイスラエルの核保時と同様に確実視されていると思う。しかし、彼は表立って非難はされていない。受け取ったノーベル平和賞についても不当という評価は聞かない。
 自分は公正な歴史に従いたい。だれも彼を非難しないのならば、この場を使って私だけでも非難しておく。

日本版サブプライム問題

 今回は元ネタがあるので、興味が向いた方はそっちを手にとってください。

 今月の文芸春秋に今回のお題の日本版サブプライムローン問題をり扱った記事があります。タイトルは「日本版サブプライム破綻の日」というタイトルで、経済ジャーナリスの荻原博子氏が書いています。
 細かい内容は本文に譲るとして、大まかな内容は90年代後半の不況期に、消費を促すためと減らした公共事業の穴埋めとばかりに建設業者を救うためにかなり大々的な建築に際しての基準緩和、住宅税の引き下げが行われました。また住宅金融公庫が1998年にそれまでの常識を破る金利2%の「ゆとりローン」といわれる住宅ローンが作り、専門家じゃないとわかりづらいですが、この時期は不況でどこも売上が伸びない中、住宅市場のみは非常に活気であった時期でした。

 しかし結果はというと緩められた基準によって強度偽装事件が起こるなど、様々な問題を引き起こしました。荻原氏によると、この問題は現状に留まらず、金利2%でゆとりローンを組んだ人は、アメリカのサブプライムローン同様に10年間は金利据え置きの返済額のところが、98年から10年経った今年から基準金利が2%から4%へと上がり、返済額が急激に増える事を指摘しています。アメリカの場合、五年間は元本返済だけのところが五年目以降に金利分が月々の返済額に上乗せされて、返済できなくなった人が続出した結果、今回のような問題になったといいます。はっきりいいますが、日本と同じ構造です。

 しかも近年日本は配偶者控除など増税を行っており、また平均給与も下がっている中で無事に返済できる人間は少ないだろうとも荻原氏は予想しています。私から付け加えるなら、あの強度事件が起こって急激に建築認可が厳しくなり、建設業者はどこもひぃひぃ言っていると聞きます。この上でローンの返済が滞ったりしたり、更なる住宅不安が広がるものなら金融に留まらず、ゼネコンの倒産にまで繋がりかねない問題じゃないかと思います。
 知ってる人は知ってますが、先ほどの90年代年末は住宅バブルとも言うような時期で、それこそベンチャーの不動産会社まで出てきた時代なので、まぁなんというか、黒い噂がたえません。結論として、しばらく日本では持ち家は持たないほうがよさそうです。

2008年1月15日火曜日

ナポリゴミ問題と京都市のゴミ行政

 昨今ニュースにてイタリアのナポリでゴミ問題が発生しているとよく聞きます。
 その内容とはこれまで埋めていたゴミが埋立地が使えなくなり、焼却炉を作ろうとしたらマフィアに邪魔されてしまい、街中に処理しきれないゴミが溢れ返っているというものです。大体どこのメディアでも批判的に書きつつ、せっかくの観光都市がもったいないというような報道の仕方です。

 じつはまぁ、これを聞いててすぐに京都市が私には浮かんできました。実は京都市も似たような問題を抱えています。 信じられない事ですが、京都市は去年になるまで燃えるゴミとプラスチックゴミを分けていませんでした。それどころか、現在進行形で地域のゴミ集積所というものはなく、みんなゴミ回収の日に家の前に袋を置いていき、それをいちいち回収する現状です。
 更にちょっと昔に戻ると、2005年、つまり一昨年になるまで本当にルールのない無法状態で、袋に何でも入れて出すだけでした。その年になってようやく家庭ゴミ(プラスチックを含む燃えるゴミ)と缶やビン、ペットボトルと金属類を分けるようになったのです。ちなみに、家の前にゴミ袋を置くのはずっと以前から続いています。
 私などは最初、京都に来た時は非常に驚いたものです。既に分別回収になれていた性もあって、プラスチックを燃えるゴミに一緒に入れて出す事に非常に戸惑いつつやったのを昨日のように覚えています。おまけに、現在でも続いていますが、他の地域がやっているような新聞や紙類を回収する資源回収はありません。京都市がいうには、「古紙回収業者に勝手に渡せ」です。渡せないなら燃えるゴミに混ぜろとも言っています。

 この何から何まで呆れるゴミ行政が、なぜ日本一の観光都市京都で続いているのかこれまでずっと疑問でした。なんせ朝の早くに道を歩くと、各家の前にゴミ袋がでんと座ってるのです。もう少し考えたらと思っていたら、今度は訳のわからない分別方法になったし……。
 察しのいい人にはわかると思いますが、このみょうちきりんなゴミ行政の背後には京都市の闇権力とも言うべき、日本版マフィアともいえる部落団体が背後にいるそうです。一昨年頃から全国ニュースでも取り上げられるようになりましたが、京都市の職員にはその手の人間が数多くいて、まともな人間ならともかく、事件化したように麻薬をやってたり、無免許で何十年も車を運転したりと、不祥事には事欠きません。また組織ぐるみでもいわゆる「中抜け」といわれる、ゴミを午前中に回収した後、昼休みから自宅に戻って働かないという実態も報告されています。

 京都市ではこの団体が非常に強く、面倒くさい分別回収などにずっと消極的で反対活動をしていたようです。特にこれまで国政で高い権力に居座りつづけた、野中広務が団体を後押しし続けたのが大きかったのもあると思います。一説によると、前述の京都市職員の問題が発覚した背景には、この野中広務が政界から失脚したのが原因とも言う声もあります。

 とまぁ、実態的には京都市もナポリも変わらないということです。まぁこれを言い出したら日本の地方行政はどこもかしこも似たようなものらしいですが。
 ただ噂によると、警察や市職員というのはこのような不正が非常に多いらしいのですが、消防職員やレスキュー隊などでは全くといいほど不正がないと聞きます。というのも、不正をやるような根性の曲がった連中じゃ絶えられないほどの体力のいる激務なので、真面目で志の強い人間が集まるかららしいです。また、忙しすぎて不正をやる方へと頭が回らないとも、冗談のような話まであります。
 実際に彼らの激務は漏れ聞く限りでも非常に大変だと聞きます。冬山のレスキューなどそれこそ命がけでしょう。メディアに対してもう少し、彼らの地位向上に繋がるような報道を願う限りです。

2008年1月14日月曜日

国家の目的

 先日、NHKの「クローズアップ現代」にてサブプライムローン問題を扱った際、本題より面白い内容があったので軽く特集します。

 その言葉が出てきたのはアメリカのドル体制の説明の最中で、「このようにアメリカは国家を挙げてドルを世界で基軸通貨にしようとしていて、まさに国家資本主義とも言うべきやり方だ」と、ゲストの誰かが言ってました。
 今まで「国家社会主義」というのは散々私自身もやってましたが、「国家資本主義」というのはこの時初めて聞きました。ためしにぐぐって見ると、第一候補にはいきなりソ連が出てきましたが、実際にはこの言葉はアメリカをうまく表現していると思います。他の国に規制緩和を力ずくで行わせ、ドルが出回っていない中東に戦争を吹っかけて新自由主義経済を押し付けたりするなど、言いえて妙です。

 とまぁこの言葉の説明だけでも多分友人とは5、6時間は話せるネタですが、まだうちの親父としかこの話題をやってないのでその辺はまた今度にして、ちょっと今回は国家について考えてみようと思います。
 政治学上の国家については専門書に譲りますが、自分はここで国家の目的について考えてみます。基本、どの宗教もその信者の拡大を教是にしています。そのため宗教学上では「宗教的慣用性」というものがあり、たとえ不快に感じても、暴力などの物理的な弊害を受けない限りは他の宗教者の勧誘活動をある程度聞かなければならないという暗黙の了解があるそうです。まぁどの宗教も大体、世界中の人をその宗教を信仰させるのを目的としています。

 では、国家の目的とはなんなのでしょうか。言ってしまえば、帝国主義時代ならば宗教と同じく、領土の拡張、世界制覇が目的だったといっても過言ではありません。一応世界大戦が起こってない今では、じゃあその目的はなんになるのでしょうか。
 ひとつに、経済戦争に勝つ事。ひとつに、自国家の保持。ひとつに、他国からの干渉の排除。
 数え上げたら切りがありませんが、基本的には二番目の国家の保持がどこの国でも目的としているでしょう。しかしそれならば、国家の目的の前には国民はどうなるのでしょうか。保持するためには、犠牲になるべきなのでしょうか。改めてこのような基本的なことを考えてみると、国家とは何のための集団なのかと考えさせられます。
 自分は今回のにも書いた国家社会主義者を自認しており、国民の福祉の繁栄を主是としています。しかし言っててなんですが、それが達成された今の日本では自分で言ってて空々しいです。まぁそれ以外にもあれこれ国家でやりたいこともありますが、その辺はまだまだ秘密にしておきます。

ブログタイトルについて

 よくこのブログ名がなんで「陽月秘話」と聞かれますので、今回ささっと説明します。

 もともと、自分が若い頃に使っていた号が「葉」という、私が最も好きな漢字を使っていたので当初はこれを使った言葉にしようと思っていたのですが、少し芸がないなと思い、同じ音の「陽」を当て、それに合う、音と意味の合う漢字の「月」を当て、読まなくてもいいけど、読んだら得するよという意味で「秘話」を当てて「陽月秘話」になりました。おしまい

 ……ををっ、稀勢之里が朝青龍に勝ちやがったΣ (゚Д゚;)

テレビの面白さ

 私は普段からあまりテレビ番組は見ない方です。理由はいたって簡単で、落ち着かない性格なのかどうもじっと一つのものを見る事が出来ないからです。そんな自分でも毎週見る番組はいくつかあり、「NHKニュース」とクリステルの出ている「ニュースJAPAN」を除くと、まず週末にある「動物奇想天外」や「天才志村動物園」など動物番組、そして期間中の相撲中継、あと「TVタックル」と関西ローカルでやっている「たかじんのそこまで言って委員会」などの政治番組です。

 先日、新年一発目という事で「たかじんの~委員会」が去年の総集編とばかりにスペシャル放映されてました。まぁ実際の理由は多分、レギュラーゲストの橋下徹が選挙に出るんで、撮りためた内容が使えなかっただけだと思いますが。
 その番組の中の最後で、やしきたかじん、辛坊二郎、三宅久幸、田嶋陽子の四人の対談があり、そのなかでたかじんがこの番組の視聴率が非常にいい事について、「多分、作ってないからいいんとちゃう」と言っていました。作っているとは文字通り、台本などで番組進行をあらかじめ作っておくという意味で、極端なものは「やらせ」と呼ばれる奴です。まぁ番組見ている人ならわかると思いますけど、この番組はそれこそ毎回ゲスト同士が激しく怒号を交わし、ケンカしあっているような討論番組です。司会のたかじんも他の番組ではずっとしゃべっていますが、この番組では締めの一言を言うだけです。
 たかじんが続けて言うには、みんな本音であれこれ語り合うのが、かえってこの時代に視聴者に受けているのではないかと言っていました。言われてみるとなるほど、自分の見ている番組はそんなのばかりだと思いました。同じ系列の「TVタックル」はもとより、動物番組なんて野生の本能むき出しで大好きです。そんでもって、やらせ臭いナインティナインの番組とか、「鉄腕DASH」は大嫌いです。

 以前に読んだ、というより途中で腹立って投げ捨てた北田暁大の「わらう日本のナショナリズム」という本によると、このようなやらせ……というよりはソフトに「演出」がテレビ番組に出始めたのは80年代以降で、「天才・たけしの元気が出るテレビ」からだといいます。この番組以降、視聴者は番組内容がやらせとわかっていつつも、それを考慮した上で見るようになったと北田は主張しています。これを皮肉、アイロニーの笑いといい、日本はずっとそのような価値観をもっていたとも北田は言いますが、そんなの関係ねぇ。まぁ、皮肉の笑いというのはいい点を突いていると思うけど。
 でまぁこの流れが行き着くとこまで行ってしまったのが、この前の関西テレビの「あるある大辞典」なのだと思いますが、ここに来て視聴者の回帰現象とも取れる動きが、前述のたかじんの言葉だと思います。ドラマでもトレンディドラマのように浮世離れしたものが受けなくなったりしているのも同じものだと思ってます。逆に、今なんかはドラマだと青春熱血物とかが受けるんじゃないかな。ちょっと、オチが弱いなぁ今回のネタは。

学問の価値は~その二~

 前回は途中で哲学関係の事はなしてたら脱線したので、本論に戻って今日は解説します。

 さて前回は日本のアカデミズムの中では西洋の学問体系が東洋より上だという前提があるのが問題だと書きましたが、その上で前回でも示唆しましたがその学問の流行り廃りから経済的価値に左右されるのも問題だという事を書きます。

 これは特に経済学の上で顕著ですが、やはり教える内容の流行り廃りというか、その学問がどれだけ金になるのかで評価が決まりやすい傾向があります。たとえば90年代末期などではIT革命が叫ばれ、ほとんどの経済学者がIT関係に投資すべきだといって、2000年ごろにITバブルははじけました。あの時に散々適当なこといっていた学者達には首を吊ってもらいたいものです。ま、中にはまともな意見も少なくありませんでしたが。

 しかしこれなんかは一過性の流行で終わりましたが、自分が非常にもったいないと思っているのはマルクス経済学です。最近になって自分も勉強し始めたのですが、やはりなかなか奥深いものですし、哲学分野にまで新出する疎外論などは現代においても価値の高い学問だと思います。しかし全共闘の反省やらソ連の崩壊という影響を受けて、恐らく専門的にこれを学ぼうとする学部生はほとんどいなくなったと思います。実際に大学の講義でも非常に扱いの小さいものになっているのは個人的に残念ですし、私が現在苦労しているように、一般の書籍でもこれを扱った本がほとんど作られないので、えらく古い日本語と格闘しなきゃいけないのがその動きを加速させている気がします。

 そして次に信念の問題というか、まぁ森永卓郎の話です。
 元神戸新聞の記者で、NHKのワーキングプアーにも度々出演している内橋克人が誰かとの対談で語った内容ですが、ある日出版社から複数人の論文をまとめて、この格差社会でどう行き抜くかという本を出すので書いてみないかと誘われたようです。しかし内橋氏は自分はこの格差社会を批判し、是正すべきだと主張しているのに、どうしてその社会の現実を甘んじて受けるような内容が書けるかといって断ったらしいのですが、出版された本を見てみると、普段内橋氏のように格差社会を批判している学者や知識人が書いていて驚いたそうです。
 その上で、この格差自体が学者達にとっては金になる材料となっている事を指摘して、内橋氏曰く「商品化される貧困」に文字通り、学者達が一役買っていることを嘆いたそうです。

 いきなりでなんですが、森永卓郎なんてこの典型です。なにもこのようなものは経済学に限らず、政治学やら理工学においても度々あります。政治学では外交問題を書籍やテレビなどで提起して大衆の無用な不安を煽り、講演回数を増やすといった方法があり、また異論派を叩き潰したり、問題をこじれさせたりしても解説の場所を増やす事も出来ます。佐藤優などはその著作で、裁判で自分の言葉を翻した青山学院大学の袴田茂樹教授(ロシア政治専門)をよっぽど腹に据えかねているのか、自身の著作で皮肉たっぷりに「商売がうまい」と評しています。

 理工学でも韓国で起こったES細胞研究捏造などで研究費を騙し取るなどありますが、このようにして学問の価値評価というのは往々にして捻じ曲げられやすいものです。確かに評価の難しいのはわかりますが、今回私が指摘した点を留意するだけでも結構物事は変わってくるのではないかと思います。

2008年1月12日土曜日

学問の価値とは その一

 基本、自分は反権力志向です。ちっちゃな頃から反抗ばっかして、現在は自分では少し丸くなったと思っていますが、周りからはそうは思われていないらしいです。
 そこで今回はいつもマスコミばっかり叩いているから、たまにはアカデミズムを叩こうと思います。実際、腹立つ事多いし。

 これは知り合いの先生、確か関東学院でやっていたらしいですが、その先生から聞いた話です。

「やはり日本の学術会では西欧の価値観や概念の方が上だという前提が強く、戦前の時代は西欧で流行り始めた社会主義思想が最先端の学問として、当時の学者は競うように学んだそうです。もちろん凄い人たちも学んで、あらかじめ日本の概念なども全部学ぶという下積みの上でこれが一番いいとして社会主義思想を持つのですから、その後の若い人間と違って立場を改めるという事は絶対にしませんでした」

 後半はおまけでつけただけで今回の内容とあまり関係はありません。肝心なのは前半部で、西欧の価値や概念が上っていうことです。考えてみると日本で哲学を教えようとする場合、必ず最初にソクラテスなどのギリシャ哲学から教えられています。それこそ自分らにちかい、というよりも東洋の孔子の儒学思想からやってもいいような気がするのですが、大体がキリスト教を終わった辺りから教えられます。また孔子はまだ教えられるだけいいですが、老子になるとそれこそ名前だけ覚えておけといわれるくらいで、無為自然とかその中身はやりませんし、後年の儒学、朱子学や陽明学なんて多分名前すら普通の高校生は哲学の時間には学ばないでしょう。そのくせ、デカルトとかフロイトはやらされるのに。

 なにも私は東洋至上主義ではないのですが、やはり日本のアカデミズムには西上東下の価値観に包まれているような気がします。多分こういったら学者連中から猛反発食らうだろうけど、それでも敢えて言わせてもらうなら、日本の学者どもは西洋の犬でしかない。
 何もこういった傾向は哲学上のみならず、経済学にまで深く浸透しています。最近流行りのアメリカの大学のMBAに始まり新自由主義経済学など、明らかに実態からかけ離れた教育が日本の大学経済学部にて行われています。その上で日本の優秀な研究者などはほとんど評価されず、ノーベル賞を取ったという事で、それまで何の賞も受けていなかった田中耕一さんがその後続々と日本で賞されたのも、彼の研究が素晴らしかったのではなく、西欧の研究者に認められたからだと言っても過言じゃないと思います。

 話は哲学に戻しますが、自分は東洋思想も決して捨てたものではないと思います。これは日ごろから言っていますが、西洋哲学は基本的に強い二項対立で語られている事が多いと思います。これはキリスト教が善と悪の二つの概念の対立を強く出しているせいだと思いますが、わかりやすい文、すこし物足りなさを感じる内容が多いです。ちょっと詳しく書くと、西欧の時間の概念は左から右へ一直線で、文明は進化しつづける事が前提です。これに対して東洋思想を代表する仏教やヒンドゥー教は時計と同じ円の循環の概念で、しばらくすればまた世界は初めからやり直すみたいに、非常に複雑でわかりにくいですが、その分深いです。
 たしか明治の誰かも西欧に行った際、その思想の浅さに呆れて、和魂洋才とばかりに技術は認めても哲学は譲るなと主張していたはずです。西洋の思想でも確かに優れたものも多く、私自身キリスト教に非常に強く影響されていますが、それをもって東洋思想を捨てるのは大間違いです。

 また日本国内にも非常に面白い考え方を持った人もいっぱいいました。たとえば江戸時代の山片蟠桃なんかはその著書の「夢の代」にて、歴史は事件が起こるその当時よりも、後年になってから明らかになる事が多いと主張しています。ダイアナさんの事故とか、ライブドア事件もそうなるのかな。

患者のたらい回しという言葉の欠陥

 今回のネタは、以前に知り合いの医者から聞いた話です。

 何もその人に限らないのですが、大抵の医者はマスコミの事を嫌っています。というのも、昨今になってようやく明らかになってきましたが、医療現場の苛酷な労働はほとんど報道しないくせに、ほんの少しの医療ミスについてはしつこいくらい報道するからです。
 私の知り合いのその医者はもう60代の歯科医ですが、他の医者の話で、なんでも完全に事実無効な医療ミスが報じられたので新聞社に文句を言いに行ったところ、その新聞社の社員は、「我々はあなた方医者より、圧倒的大多数の大衆の側につきます。だからあなた方を敵にしても怖いとは思いません」といい、一切謝罪はしなかったらしいです。

 そこで今回の話ですが、もしホテルで客室が満室だった時に新たな客が来て、しょうがないから帰ってもらったときにたらい回しという言葉はまず使われないでしょう。にも関わらず、最近問題になっている急患の病院受け入れがなかなかうまく行かないのを、何故もってたらい回しと表現するのだと、非常にその人は怒っていました。
 実際問題、夜間に急患が運ばれてきても肝心の医者自体がほとんどいません。また実際にベッドがすべて埋まっている事もほとんどざらです。そうした、病院が対応しきれない患者を断る事がどうしてたらい回しといわれて非難されるのか、これは以前から私も気にかかっていた問題でした。

 そもそもこの問題が注目されるきっかけになった妊婦の緊急搬送についても非常に問題のある報道の仕方がなされています。ごくごく一部では報じられていますが、そのような緊急搬送を受けた人間のほとんどは、出産前に行く定期検診に言っていなかったようです。定期検診とはその名の通り、妊娠の状態を見る検査の事で、この検査を通して出産予定日などを決めるのです。そして決められた出産予定日が近づくと、まぁ普通の人間なら大事に備えて入院するでしょう。
 このように、患者の側にも準備してもらわなければ産婦人科医も予定が立てられないのです。なのに急にお産だといっても、それこそ他の妊婦に構っている医者は対応できるはずがありません。ほとんどのマスコミはこの点を追究せず、緊急体勢を取っていないといっては病院を責めつづけているのが個人的にも腹立たしいです。もしそんな緊急体勢を取ったら、労働時間は飛躍的に伸び、医者が休む時間がなくなるのは明白でしょう。

 本当はあまり使うべきでない流行語ですが、このような急に病院に駆け込もうとして流産になったのはやはり一部自己責任があるでしょう。もし入院するお金がなかったというのなら、確かに問題ですが。
 だからこそこの問題を解決するには、病院の緊急受け入れ態勢の拡充や、受け入れ先を探すコーディネーターの配置よりも、妊婦への定期検診の徹底や出産前入院の費用補助の方がよっぽど安上がりで効果的であるとはっきり断言できます。

 以後は私の完全な妄想ですが、マスコミがこのような手段を紹介せずひたすらに医者の勤労に期待する方法を紹介したり、前述のように医療ミスばかりあげつらって報道するのは、ひとえに日本政府と結託しているせいかもしれません。日本政府としてはこれ以上医療費負担を大きくさせまいと2005年前後に行われた構造改革会議にて散々に医療関係の支出を抑えてきました。それによって医療現場が荒廃するのは目に見えていたのですが……いやまぁ、当時は私もそりゃ乗せられてましたよ。医者は高給で医療ミスもよく報道されているのだから、この医療費削減への反対を日本医師会がするのはどうかなぁと思ってました。
 現場の医者、前述の歯科医の方以外に私が講演を聴いた川崎市立川崎病院の医師である鈴木厚氏などはこの動きに早くから問題だと感じていたようですが、多分私以外もマスコミの医療ミス報道に乗せられて問題視しなかった人は多いのではないかと思います。逆を言えば、マスコミが医師を叩いてくれたおかげで、日本政府は大した反対運動を起こさずに費用を削減できたというわけです。

 ま、政府がマスコミの動きに乗ったか、マスコミが政府に踊らされたかはわかりません。でも一番ありそうなのは、二人揃って医者を叩こうとした、この構図が一番わかりやすいし、結果的にはそうなっています。

 最後に、医療問題がわかりやすくなる本として前述の鈴木厚氏の本を紹介します。秀和システムから出ている本で、「崩壊する日本の医療」という本です。でも本よりこの人は講演の方が絶対に面白いと思う。正直、医者より漫才師の方が向いてるくらい話がうまいし。

麻生太郎のブームについて

 文章の敬体に疲れてきたので、今日あたりからフランクな文面で送ります。

 今朝関西ローカルでやっていた番組の中で青山繁晴が、「外務大臣の頃にライス国務長官とアメリカで会った際、麻生太郎は日中関係が悪くなって問題が起きないかと言われ、大丈夫、日中は1500年前から関係が悪いんだと答えた」と言って、この一件で彼は麻生の事が好きになったらしい。

 この麻生太郎はよく2ちゃんねるでも漫画の「ローゼンメイデン」を読んでいたと言われたり、漫画好きである事からすこぶる人気が高く、去年に行われた自民党総裁選でもネット上で大きな人気を呼んだことは記憶にも新しいでしょう。
 実際、私の回りでも当時に麻生氏を押す声が大きかったのだが、肝心要の私はと言うとそれほど麻生氏を現在でも評価していない。というのも、これまで様々な場所でインタビューや記事が伝えられているが、どれを見ても具体的な政策案が見えてこない。唯一言えば、文芸春秋にて相続税について一度述べた内容がなかなか面白かった程度である。

 まぁそんな評価はおいといて、一体何故麻生氏がこれほどの人気を誇るのだろうか。オタクな趣味という点では、前の官房長官の与謝野馨氏などはパソコン自作オタクで、こっちも面白いと思うのだが生憎人気は出てきていない。
 結論からぱっぱと言ってしまうと、彼なりのべらんめぇ口調のキャラクターが漫画好きという属性と相まって人気だと思われる。何も彼に限らず、2ちゃんねる内では自分たちに近い人間像の相手をやたらと好評価したがる傾向があるが、それについて以前に呼んだ記事で(確かこれも文芸春秋)、「彼らは自らを弱い存在と規定しており、強い権力者が自分らに近い人間像だと強い親近感を表す傾向にある」と述べられており、非常に特徴を掴んだ分析だったと覚えている。それゆえに、いくら漫画好きだろうと社会的に弱い存在だとあまり相手にされないのか、ゲーム関係者のオタク趣味は叩かれる傾向にある気がする。

 なんか、今日は文章にノリがないなぁ。

2008年1月10日木曜日

内閣改造が見送られた件について

 少し古いニュースですが、今年の念頭に当初は予定されていた内閣改造を見送るという福田総理の発言が報じられました。今後の国会を見る上で、この見送りには何が含まれているのか考えてみたいと思います。

 まず、当初の改造ではどのような改造が予想されていたのでしょうか。私の予想だとまず法務大臣の鳩山邦夫はとっかえられたでしょう、アルカイダの友達の友達なんだし。次に予想されるのは、行革大臣の渡辺嘉美と厚生大臣の枡添要一が挙がってきます。まず前者は行政法人の廃止を訴えてきましたが、各省庁では無回答が続出し、本来後押しするべき福田総理もこの時はまったく動きませんでした。これと薬害肝炎の問題から見ても、現在の福田総理は官僚寄りの総理とも見れる行動が続いているので、ここらで切られるかと思っていました。同様に、枡添要一も去年の公約問題でやらかしたので、意趣返しでやられるかと思っていたのですが、改造自体なくなりました。

 その他の大臣はというと可もなく不可もなくで、また次に大臣をやりたがっている議員もあまり見当たらなかったので特に予想は作りませんんでしたが、今回改造を見送ったのはやはり、支持率が関与しているのではないかと思います。
 小泉政権以降、内閣改造は党内のコントロールと支持率回復に使われるようになりましたが、今回の状況では改造しても支持率の上昇が見込めなかったのが見送られた原因だと見ています。これは書く評論かも言っていましたが、福田総理は国民が民主党がテロ特措法でごねるのを見て支持率が回復すると呼んでいたのが、肝炎問題で逆に下がるという状況に慌てたと言われています。見たところ党内の制御には困ってなさそうですし、場当たり的にやってもしょうがないということから見送られたのだと思います。

一神教と多神教の宗教観

 最近になって遅ればせながら「ソフィーの世界」を読み始めました。長いのでしんどいですがそれでも読んでます。
 まぁ詳しい内容はいちいちここで書くことなどないのですが、この本の中で少し面白い考え方があったので少し紹介します。その考え方というのも、今回の御代の一神教と多神教の宗教観です。

 すぐに結論から言うと、一神教というのは「聞く」宗教で、多神教というのは「見る」宗教とのことです。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はどれも偶像崇拝は禁止され、その教義は経典にゆだねられて教えを忠実に実行することが叫ばれています。キリスト教は今でこそ偶像崇拝が行われていますが、知ってる人なんか知ってるように昔はバリバリに禁止されていました。それが縁でギリシャ正教もできたんだし。
 逆に多神教というのは「見る」宗教で、仏教や古代のギリシャ神話、ヒンドゥー教などは偶像崇拝が実際に盛んです。また神々の物語も非常に多く作られ、それを悲喜劇にして講談にするということも行われています。

 具体的にだからどうだというわけではないのですが、読んでいて面白いと思ったのでこうして記録しておきます。オチは特にありません。

2008年1月9日水曜日

炭酸飲料の思い出

 いきなり時事ネタですが、昨年に西武を退団したカブレラ選手をオリックスが獲得する事になったそうです。オリックスは去年、トレードをするそばから放出した選手が一軍で活躍して(ロッテの早川、中日の中村選手など)、フロントはどうかしているのではないかと思ってましたが、今年はどうなるのか早くも楽しみです。

 さて今回のお題ですが、本題に入る前にまずレア情報。なんでも、現在東欧を中心にヨーロッパでコーラ、スプライトに続く第三の炭酸飲料が売れに売れているらしいです。日本での上陸はいつ頃かと、去年の年末にちょっとニュースを得たのですが、その後はあまり続報がありません。今日話した友人によると、コカコーラ社がその飲料の販売権を買おうとしたところ、販売元から拒否されたというからなかなか楽しみです。私は知る人ぞ知る嗜好飲料マニアで、海外に行くたびにバニラ味のコーラを飲んだりするほどで、新しいものにはちょっと弱いです。

 でまぁそんな風に友人と話してたら、その後炭酸飲料の話に移っていったので、今回書く話はそのときの会話がメインです。まず先ほどのコーラやスプライトはそれこそ世界中、中国にだって売ってあるほどの世界的炭酸飲料ですが、日本にはもう一つ、ポピュラーな炭酸飲料としてファンタがあります。このファンタもなんでも今度から以前に売り出した味の復刻版を出すらしく、自分が好きだったグレープフルーツ味も出るらしいのですが、このところ何故だか巷でファンタを見る機会が少なくなった気もします。多分、ペットボトルであんま販売してないからだと思いますが、実際のところどうなんだろ。前はマクドナルドでも売ってたのに。

 あともう一つ、日本で炭酸飲料ときたら戦前からあるサイダーですが、実は最近、自分はこのサイダーが飲めなくなってきました。どうも味が合わなくなったというか、コーラはよく飲むのに本当に駄目になった。友人はビール以外の炭酸飲料を飲まなくなったらしいですが。
 他にも炭酸飲料ってあるっけと話してたら、都会にはないけど田舎にはよくある「チェリオ」が挙がって来ました。これなんか知る人ぞ知る炭酸飲料で、何故だかペットボトルの「クリームソーダ」とセットで売ってある事が多い飲み物です。たまに度胸試しでまだ飲むことあるけど、なんで田舎にしかないんだろう。

 そのチェリオは味はまぁいうまでもなくクセのあるもので飲む人を選びますが、友人は「ドクターペッパー」がどうしてもだめらしいです。このドクターペッパーは自分なんかは結構好きで、見かけるとよく買って飲んだりするのですが、飲んでて確かに大衆受けはしないと思います。じゃあ逆に万人受けする炭酸飲料はあったっけと話してたら、昔あった「はちみつレモンサイダー」は好きだったと一致しました。何もサイダーじゃなくとも「はちみつレモン」だけでもそこそこおいしかったのですが、今では既になくなっています。「CCレモン」や「キリンレモン」に負けちゃったからかな。

 こうしていろいろ挙げてみると、いろんな飲料があったもんだと思います。やはりこの手の飲み物は出た時は真新しくてよく飲みますが、しばらく時間がたつとすぐに飽きてしまったものばかりです。で、珍しいチェリオやドクターペッパーだったら見かけたときに飲みますが、常に飲むとしたら、やはりコーラになってきます。多分、こういったものってのはイメージ戦略かなんかの差で、味じゃないんだと思います。そういう意味で、ほんと飲料業界って弱肉強食だなぁ。
 あ、オロナミンCを忘れてた。

2008年1月7日月曜日

日本の国債は憲法違反

 日本政府は毎年予算を決める際に、皆さんも知ってのとおり借金こと国債を発行しております。大体30兆円台が毎年組まれますが、実はこれ、毎年予算を決める度に法律を審議されているのをご存知でしょうか。

 実を言うと、日本は憲法上、国債を発行するのは違反しているのです。何条かは忘れたのですが予算を組む際に借金を作らないと明記されています。実際、戦後十数年は一度も国債が発行された事はありません。
 なぜ憲法にこのような条文が載っているのかと言うと、言うまでもなく戦前に国債を日本政府が乱発し、軍事費に使っていたという経緯の反省からです。最近になって日本国憲法を勉強しだしましたが、アメリカの相当学識のある人たちが作ったというだけあって、よく出来た憲法だと思っています。

 しかし憲法違反といわれつつも実際に発行しているじゃないかと言われますが、実は抜け道的な法律があって、どうしても必要な場合、国会の審議を通過した場合にのみ発行が許されているのです。そのため他の予算と違い、国債は毎年その内容と発行高が国会にて審議されているのです。
 はっきり言いますが、これは明確な憲法違反でしょう。司法の立場にある最高裁がこの状況下で違憲判断を下さないのは今に始まった事ではありませんが、司法にとって非常に問題のある態度でしょう。本来一年次限りで許されている法律を毎年作られ、事実上恒久法のように扱われている事に国民の側も慣れてしまったのか、あまり議論にはなりません。

 少し歴史の経緯を話すと、この国債が戦後初めて発行されたのは60年代中盤で、オリンピックを控えて道路工事などの費用を捻出するために初めて組まれました。しかし一度なめたアメの味は忘れられないというか、その後も延々と国債は発行され、現在に至るように借金大国化してしまったのです。中曽根氏が首相だった時代は好景気もあり、発行高より償却高が上回った事もあるのですが、基本は雪だるま式に増え続けています。

 もっとも、今すぐに違憲だといっても、それを言ったら国家経営は一気に破綻します。しかしまだ若者と言われる身分の私ですが、出来る事なら下の世代にバトンタッチする頃には、泥水をすすることとなってもこの借金を返していたいものです。

睡眠は肉体の休息? 精神の休息?

 先に前提を話すと、私はもろにキリスト教思想の影響を食らっているので、基本的に肉体と精神は別々のものだと思っています。その上で、霊魂もUFOもインド人も信じています。
 そこで今回のお題ですが、睡眠は一般的に休息活動と捉えられていますが、それは肉体か精神か、どちらの休息なのでしょうか? 今回は読んでいる方にもぜひコメントを頂きたい内容です。

 先に私の考えを披露すると、よく薬の効果のほとんどはプラシーボ効果、つまり心理的に薬を飲んだからもう大丈夫という意識が病気を治させているといわれています。また逆に、精神的に落ち込んでいる時の方が病気にもかかりやすいとも言われています。私は先ほども言ったように、精神と肉体は別々だと考えており、精神が病んだ、つまり気分が落ち込んだりショックな体験をすると、精神の宿っている肉体に対してマイナスの影響が起こり、結果的に体調を崩すと考えています。また逆に、肉体の方も知らず知らず病原菌を入れたり、怪我などを負ってしまうと、その影響が精神にも及ぼし、気分が落ち込んだりうつ病に繋がったりするというようにも考えています。
 このように肉体と精神は相互作用が常に起こっており、片っ方のバランスが崩れるともう片方にも影響が起こると日ごろから思っています。

 そこで本題の睡眠ですが、これは現在でも具体的にどのようなものなのかまだはっきりわかっていないらしいです。もちろん睡眠を取らない人間などいないので、生存活動に必須の行動である事ははっきりしているのですが、それがどのように作用するのかまだまだ研究が必要な課題です。
 考えてみると不思議なものです。睡眠は毎日絶対必要といわれつつも、寝貯め、つまり寝すぎは良くないとも言われます。実際に睡眠薬の過剰摂取は死にも至りますし、一日12時間も寝るとまず体が痛くなります。
 さらに考えてみると、肉体を休ませるだけなら体を動かさないだけでも十分なようにも思います。となると睡眠は精神的な休息になるのでしょうか? それも少しおかしな気もします。睡眠をしなければ明らかに肉体の運動能力は低下していきます。
 ほかにも、夜寝ようと思ってもなかなか寝れないと、凄くイライラする経験は誰にでもあるでしょう。これなんかも精神的な要素ですが、さきほどの私の精神と肉体の相互作用の考え方を援用すると、それは単に体の疲れが取れない事からのイライラかもしれません。かといって寝ると精神的な問題はみんな解決するのかと言うと、恋の病とか仕事の悩みといった話題はちょっとやそっとの間にふて寝したくらいじゃ晴れませんし、そうなると肉体なのか……。

 とまぁ考えれば考えるほどド壺にはまる内容ですが、普通に考えるのならば、精神と肉体を繋ぐ、神経の休息と捉えるべきでしょう。まぁ医者じゃないので詳しくわかりませんが、睡眠はやはり神経の緊張をやわらげる活動で、肉体、精神の両方に作用するのではないでしょうか。これだったら丸く収まります。
 神経を張るということで、ねこなんかは起きている時に非常に周囲に警戒を行っているので、人間より眠る時間が長いという話を聞きますし、実際に何かに集中した後は私もよく眠くなります。

 と、場当たり的に特にまとめずぼんぼん書いていきましたが、私の結論を言うと神経の休息であるのは多分間違いないとして、肉体と精神とで比べると、その重要度は精神の方が重いのでないかと思います。というのも、先ほども書いたように、寝すぎると返って肉体には負荷がかかります。寝たきりの病人は途中で体勢を変えないといけませんし、先ほども言ったように寝過ぎは体に毒です。そして以前に眠れなくなったある男性の話を聞きましたが、その人は次第に意識が朦朧とし、末期に至っては会話や反応すらできなくなったという話です。確か、眠れなくなって一年後になくなられたと思います。

 もちろん逆説的に、寝すぎると頭がボーっとするといった精神への影響も挙げられます。もしかしたら個人差がある内容かもしれませんし、その辺はこれから個人的に勉強していくので、また何かあったら続きを書きます。

今年の景気

 先週の金曜日に600円以上も日経平均株価が下がった事から、今朝のニュースは経済関係のものが多かった気がします。明けて今日の夕方になると、案の定というか今日も150円下がったといいますから、自分の友人みたいに新年早々株ですった人も多いと思います。

 番組名は忘れましたが、昼のワイドショーでは各経済評論かを呼んで今年の景気予想をやらせていましたが、まぁ大体が似たり寄ったりで、予想の根拠すら当てにならないものばかりでした。また財界人へのインタビューでは、どれも新年早々ということで、序盤は下がるものの年間を通して乱高下はないというような、強気な発言が多かったです。

 そんな状況を踏まえて、私なりの今年の景気予想をさせてもらうと、二つのファクターが大きく左右すると思います。まず一つ目は現在進行形のアメリカで行われている大統領選挙です。次の大統領に誰がなるのか、イラク戦争の後始末をどのようにやるのかで、景気が大きく左右される事でしょう。もっとも、大統領選自体は11月に行われるので、今年よりは来年に影響するファクターかもしれません。
 そしてもう一つのファクター、これなんか私が自慢げに話す持論ですが、中国で行われる北京オリンピックです。言うまでもなく世界経済を引っ張っているのは中国であるのは間違いなく、目下のところ向こうではバブル経済が謳歌され、一般人も個人で借金をしてまで株式投資を行っているほどです。かつての日本がそうでしたが、この手のものというのはある転換点を迎えると急激に熱が冷めます。実際に日本でも東京オリンピックが終わった後に深刻な不況に入り始めます、日本でその要因となったのもオリンピック準備のために発行しだした国債が少し絡んでいます。

 中国でもこの現象が起こる事が予想されています。私なんかは去年も持つかどうか怪しんでいましたが、案外無事に年を越して、さて今年はどうなるかと考えているところですが、中国株投資をやっている人には早めに利益確保をする事おすすめします。

2008年1月6日日曜日

人力車は飲酒運転になりうるのか?

 最近堅い内容ばかり書いているので、たまにはゆるい内容でいきたいと思います。

 これは結構知らない人も多いのですが、アルコールを摂取した状態で自転車に乗るのも、一応飲酒運転として検挙対象になります。何故かと言うと、そこら辺は法学の専門家に言わせると自転車も「車両」扱いになるので、それの運転、操縦は自動車と同じように扱われるかららしいです。
 そこで一つの疑問ですが、アルコールを摂取した状態で人力車を引くとこれも飲酒運転になるでしょうか?

 そもそも人力車は「車両」扱いになるのでしょうか。見た目で言うと自転車なんかよりよっぽど自動車に近いですが、自転車と違い、運転というよりは引くという動作になります。まぁ普通に考えたら酔った状態で引くなら、自転車の運転なんかよりよっぽど危険な気がしますが。

 あと、最近検挙率が上がってきているという、運転手が酔った状態だと知っている同乗者にも罰金がかかるあれですが、これも人力車だとどうなるのだろう。この場合同乗者はお客になるが、そもそも酔った車夫の人力車に乗るお客というのも豪気な客だ。更に追究するなら、危険運転致死傷罪なども適用されるのだろうか? 確か、バイクでの事故は現在ケースバイケースで、司法でも判断が分かれているという話は聞いた事がありますが。

2008年1月2日水曜日

時間に対する一つの概念

 基本、このブログでは日常では役に立たないけども、覚えておくと物事を考える足しになるような、普遍的かつ抽象的な概念をよく紹介しています。何故こういうことをやるのかというと、やはり自分の周囲の若者が知識こそ覚えているものの、物事を考えることができないという状況に辟易しており、実際にこういった概念を教える機関が少ないとも感じることから、一種の使命感を感じてやっています。

 そこで、今回は多分今までの中でもかなりスタンダードとなり得る概念を紹介します。結論から言って、文明は時間とともに必ずしも進化しないという概念です。

 いきなり例から出しますが、これは藤原正彦氏が以前に言っていた事ですが、10世紀のヨーロッパの数学のレベルは紀元前の古代ギリシャ時代に劣るらしいです。そこで藤原氏は、「時間の経過とともに何でもかんでも文明は進化することはない、むしろ退化することすらある」と言っております。
 私の周りだけかもしれませんが、やはりこの概念とは真逆の概念を支配的なまでに持っている人が多いような気がします。子供の頃より大人の考え方、昔より今のやり方、前の人より今の人など、例をあげれば枚挙に暇がありません。

 特に、科学の世界ではこれが顕著に思います。私が子供の頃、私の母はみかんの背にある食物繊維を消化されないものだからといっていちいちはがしてみかんを食べていました。実際、食物繊維は消化されずに体から排出されます。当時、消化されないものは体に害をなさないまでも、摂るべきではないという考え方が少なからずあったような気がします。時代は下って現在、食物繊維はそれ自体は消化されないまでも、他の食物の消化を助ける効果が発券され、転じてダイエットの目玉ともなる栄養素として現在の地位を築いています。

 この例でもわかるように、下手な科学の裏付けがなかった頃には気にせず摂っていたものを、消化されないという科学的な裏付けによって、体にとって有益な食物を摂らなくなるといった歴史がここ数十年の間にたくさんありました。何も食物に限らず、人間にとって本来は有益であるものが、新しく入ってきた概念によって次々と潰されて行ったのが、19世紀以降の歴史だと私は思っています。

 このように、科学は中立かつ絶対的な価値観というのは基本的には間違いです。その概念を主張するのならば、科学が完全に解明されてあるという前提がなければなりません。逆に温故知新のような、以前は風習、迷信と呼ばれていた行為も有益なものであったという可能性があるのです。
 もっとも、その風習や迷信の中には明らかに不条理なものも少なくありません。平安時代にあった、女性は顔を見られたらその男性と結婚するなどや、生贄を捧ぐといったものなどは現在のように廃止されてしかるべきでしょう。一番肝心なのは、その行為や考え方が本当に有益なのか、必要なのかを自らで考えることです。そして無益だからといって、無害なものをとやかく捨てるべきでもないと、やや保守主義的な自分の主張をしておいて、新年一発目の投稿を終えます。