2008年2月29日金曜日

生きる気力が湧かないのは その二

 昨日の続き。前回はただ自分の趣味を語っただけで終わっちゃいましたが、今回はちゃんとまとめます。

 それでいきなり結論ですが、現代の子供から若者まで生きる気力が少ないのは、どうも生死の生の部分しか説明されてないからだと、個人的に思います。
 これは自分が一番よく使う持論ですが、基本的に人間は比較対象がなければ対象を認知することは出来ません。たとえば今回の例だと、子供にひたすら生きることの楽しさ、素晴らしさだけを教えても、素晴らしいという「生きる」ことと比較する何かが語られないため、結局は理解に至らないということです。

 もひとつ例を出すと、たとえばおいしいりんごとまずいりんごがあるとします。今まで一度もりんごを食べたことのない人にこのうち片方だけ食べさせても、そのりんごがりんごとしておいしいかどうかは解らないでしょう。先においしいりんごを食べていたとしたら、もう一つのまずいりんごを食べて初めて、先に食べたりんごはおいしいりんごなのだとわかるはずです。私なんか実際に、毎回バカ高い紅茶を友人に飲ませていてもその味がわからないというから、わざわざ市販されている安物の紅茶を飲ませて普段の紅茶が如何に良い物かを教えたことがあります。

 とまぁこんな感じで、片っ方に偏って物事を教えても結局はわからないんじゃないのかというのが私の意見です。それこそ昔の人なんかは戦争の体験や、今ほど医療技術のなかった時代で、今の時代よりは死がまだ身近にあったのだと思います。実際に昭和中期のエッセイなどを読むと、病死した死体を野焼きしてその匂いに辟易するという話や、急な落盤で炭坑夫が一度に多くなくなる話など、今と比べるとサバイバルな時代だったように思えます。それが一転して飢えがなくなり寿命も長くなり、平和になった日本で生きることの理由だけを話して、死ぬことについてはまるで忌避するかのように誰も触れたがらない世界じゃ、生きてるありがたみなんて誰もわかりっこないでしょう。それが生きる気力のない状態を作っている主要因だと、私は考えています。

 じゃあどうすればいいかというと、言っては何ですが人が死ぬエピソードをバンバン教えるのが手っ取り早いんじゃないかと思います。もしくは二日くらいメシを抜いて、ただ食べて生きることがどれだけ大変なことかを教えたりするのが効果的だとは思いますが、まぁ本気でやる人はほとんどいないでしょうね。
 唯一、子供相手にも出来るのは怪談だと思います。あれなら人が死んだり苦しんだりする話でも問題ないし、なかなかにリアルな話なんかはいい教育になると思います。というよりも、私自身怪談話が小学生の自分から好きな性質でしたが、それはやっぱりこういったことが関係していたのかもしれないとも思います。

 以前に友人がこんなことを話していたのですが、子供時代、どんな美辞麗句を並べ立てた美しい物語よりも、誰かが死ぬような悲劇的な話の方が今も強く心に残っていると言ってましたが、私も同感です、今の時代、喜劇よりも悲劇の方が価値は重要なのかもしれません。

2008年2月28日木曜日

生きる気力が湧かないのは その一

 近年、日本の義務教育家では自立して生きる力を養うために「総合学習」という科目まで設けてやっていますが、それにも関わらず自殺してしまう若い子はなくなってません。それどころか、このところは「ゆとり世代」と一部の若者のあほな行動がよく取り上げられるようになり、本当に教育の効果が現れているのか疑問視されています。
 またそれと同様にいわゆるニートやひきこもりなど社会に適合できない若者も増加し、今回のお題のように近頃の若者は生きる気力が少ないと一部の専門家に言われてます。

 私自身、この意見には賛成です。やはり昔の世代と比べて歯を食いしばってでも生きようとする人間は減ったように思えます。それも、ここ十年くらいで。では、一体なぜこのようになってしまったのでしょうか。
 実はここで明らかにしますが、自分はごく普通に尋ねられた際に趣味は散歩だとかサイクリングだとか答えていますが、その裏で一部、ネクロフィリアな所もあります。どうも昔っから虫や動物の死骸がおっかなくて怖いくせに、やけに興味を持ってしげしげ見る癖があり、大抵眺めたその晩は夢にうなされていました。これはちょっと後付なのかもしれませんが、今思うとなぜあんなに興味を持ってみていたのかというと、世界中のどの世界よりリアルな描写がそこにあったからだと思います。

 あまり外来語に頼りたくはないのですが、どうも現実と仮想というよりはリアルとヴァーチャルの方が今回の意味に近いと思うので敢えて使いますが、私から見て一般に社会や言論の中で言われていることは、そのほとんどがヴァーチャルな内容だと思います。ニュースなどでとりあげらる世界も、それこそ上位階級の関心事だけで、実際に下々の苦しい生活をしている人々などはほとんど取り上げられず、視聴率が取れるということだけでホームレス特集を定期的に組むなど、リアルな世界からは乖離しているように私は思います。私が思うに、現実は生よりも死に満ち溢れているのに、社会の中では死はタブー視されて、ほとんど表に出てきません。それゆえに、死の中に私はリアルを感じたのだといまさらながら思います。まぁ死骸はリアルというか、グロテスクだけど。ちなみにグロテスクの和訳は「生々しい」です。

 ちょっと時間がないので、続きはまた明日。

今日のお買い物

 古本屋にてケロロ軍曹の4巻を350円で、あと中古ゲーム屋で、前からほしかったいまさらながらプレイステーションソフトの「ダブルキャスト」を300円で。値段の差に少しさびしさを感じたよう。

2008年2月27日水曜日

今日のニュースについてあれこれ

 あぁ、なんかやたらと今日はニュースが入ったからまた書かないと。この手のものって、二、三日したら本当に意味なくなるし。

 今日も相変わらず暇人な生活をしていてニュースを細々チェックしてましたが、テレビ朝日が独占スクープを夕方に流してきました。その内容というのも、小泉純一郎前首相とその取り巻き(山崎拓とかだって)が、民主党の小沢一郎氏としっくりいかない前原誠二氏とその取り巻きたちと会食を持とうとしたらしいです。もっとも、この会食自体は情報がマスコミに漏れたことから前原側からキャンセルがあったらしいのですが、ことの事実を小泉氏にテレビ朝日がたずねると、いつものように笑うだけでかわしていきました。こりゃ多分、あたりでしょう。
 まぁ小さいといえば小さい事件なので、これがこれから大きな動きになるかはまだわかりません。個人的にはなかったことになる可能性のが高いと思います。しかし一つの考え方として、これを自民党からの切り崩しと見るか、民主党からの切り崩しと見るかでなかなか判断が分かれるでしょう。やり方によれば、自民党、というより小泉氏の側にイニシアチブがあるように見えます。

 でもって次のニュース。自分が大好きな北稜クリニック筋弛緩剤投入事件の最終判決が出ました。結果は守被告の無期懲役が決まって終わりです。
 まぁ自分も細かく裁判を傍聴しているわけでもないしえらそうなことはいえないのですが、個人的にはこの事件も冤罪じゃないかと事件が起こった当初より思っています。というのも、この事件は証拠がないのです。今回の裁判でも争点に生ったらしいのですが、患者の体から筋弛緩剤が検出されたといいますが、弁護側はこの鑑定結果は捏造だといいます。実際にこの筋弛緩剤は検出が難しく、また使ったのならば一体どこから、病院内から使われたのか、その病院内で減った証拠はというと出てきませんし、もう少し煮詰める必要のある事件だと思うのですが、それにしても事件が起こってから八年です。ここで無罪となったとしても被告も報われないでしょう。

 さー最後のニュース。なんでも女子高生がグラビアアイドルとして活動をしたら、卒業まで半年なのに高校を退学になってしまい、それを不服として裁判やったら高校側が勝っちゃったというニュースです。まぁ司法が正しい判決をしたんじゃないかな。
 というのも、高校側は前もって芸能活動をやるなと生徒全員に言っていたらしく、それにもかかわらずやったんだから自業自得でしょう。更に更にプロモのビデオのサブタイトル、というより売り文句が「現役女子高生」なんだから、そりゃあ学校側もいい迷惑だ。本人は復学させてもらえるならすぐ芸能活動をやめるといっていますが、現時点でやめていないのならまだ反省が足りないんじゃないかと個人的には思ってます。
 さらに言うと、自分の周りにはそれこそこんなのよりずっと深刻な理由で高校にいけなかったがきちんと自分で勉強して大検を受かって大学にまで上がってきたのが何人かおり、彼らのことを考えるとこのアイドルは自らがまいた種でこうなったのをさも被害者ぶるというのに腹が立ちます。マスコミもマスコミで、ほぼどの局もアイドル側を擁護するような報道が目立ちました。

受益者負担という言葉について

 どうもこのところは中国の餃子報道やら自衛隊のイージス間衝突事件などで会期中の国会議論に関するニュースが減っていますが、言うまでもなく今国会の最大のテーマは道路特定財源です。
 もっともこの議論は国会だけでなく各討論番組から宮崎県の東国原知事などがあれこれアピールしており、決して議論不足というわけではないのですがその議論の最中に必ず出てくる今日のお題の「受益者負担」という言葉についてほとんど誰も突っ込まないので、差し出がましいのですがまた今日も私が突っ込んでおきます。

 この受益者負担という言葉は単純に言うと、税金を払っている人間がその集められた税金の使途対象となるべきという税金の使い道に対する一つの考え方です。たとえば現在の穴だらけの年金制度は厚生年金と国民年金で集められた税金に他の税金を加えることで支出を賄っております。このように支出する目的ごとに税金を集めて使用する、税金を払った人に税金の支出として返すというのが基本的な題目です。この方針だと集められる税金の使途があらかじめ定められているので、あまりむやみやたらな使われ方、言い換えるなら無駄遣いはされないだろうとされています。
 しかし、のっけからですがこの説明には明らかな不備があります。というのも税金というのは本来みんなでお金を出し合い、優先順位の高い方面にお金を使うという目的が大前提のはずです。ところがこの受益者負担の考え方では使われ方が固定されるために、この優先順位、たとえば目下の所年金制度も相当火を噴いてはいますが、普通に考えるならより重要度の高い教育や医療分野といった方面には集められた年金が使われないどころか、「わたしの仕事館」みたいな変な方面に使われている始末です。

 これがガソリン税から自動車重量税などで集められる道路特定財源の場合、自動車に乗る人間が払う税金ということなのでその使途も自動車に乗る人間に還元されるような使われ方にしなければならないと自民党議員に主張されてます。ですがこれは東大名誉教授の宇沢弘文氏も述べていますが、自動車は人をはねたり排気ガスで環境を汚染したり、便利さの一方で多方面に社会的コストを与える存在なのですが、この道路特定財源はそうした社会的コストの被害者に対しては一切使われていないようなのです。言い換えると、道路の近隣住民は一方的にコストを支払うだけで受益者となれません。
 また報道もされているようにこの道路特定財源はマッサージチェアなど関係のない支出にも使われており、受益者負担とはかけ離れた使われ方もしており、未だにこの聖域を守ろうとする族議員が刺されないのか私自身は不思議でしょうがないです。

 ここでとどめの一発というのもなんですが、そもそも受益者負担で税金の運用をすべて決めようものならば、税金を多く払っている金持ち優遇の政策ばかりとられかねなくなってしまいます。昔の年貢ならともかく、税金というのはやはり弱きを助け強気をくじくという前提なくして成り立たないもので、そういう意味で受益者負担という考えはたとえ一部の税金に限ろうとも、民主国家においてはあってはならない原則だと思います。

2008年2月26日火曜日

ミッシングリンク

 いきなりなんですが、このミッシングリンクという言葉を知っていますか。単純な意味だと、本来あるべき中間を埋める輪がない状態の事を指していますが、生物学上では種類の分化の過程にあるはずの種を指しています。
 たとえば犬と猫は同じ四足歩行の哺乳類ですが、ダーウィンの進化論に基づくならば、元々はある哺乳類動物から分化したはずです。それならば進化の過程で、犬とも猫ともとれる動物があるはずなのですが、恐竜の化石はいっぱいあるのに、この中間の動物がなぜかなかなか化石が見つからない。こういった、分化の過程を考えるならば、あるはずであるのにない、化石などの痕跡が見つからない生物をミッシングリンクと呼んでいます。でも、たしか犬猫の中間は見つかってるんだっけな?

 このミッシングリンクが顕著なのは実は人間です。ダーウィン風に言うならば形状や特徴の近い猿から人間が進化したということになり、この人間と猿の間を類人猿としてまぁそこそこ研究が続けられていますが、不思議なことに確かにいくつか類人猿の痕跡、北京原人(日本軍がなくしちゃったけど)とかアウストラロピテクスなどは見つかって入るのですが、どうも両者の中間というには決め手に欠け、また予想される個体数に比べては発見される量が少ないとこれまでに指摘されています。はっきり言ってしまえば、猿が人間に徐々に進化したという証拠はまだないのです。

 では、なぜこのようにミッシングリンクが発生するのか。いくつか説があるのですが、割と私が支持しているのがウィルス飛来説です。これは原始昆虫に顕著なのですが、大昔のある時期を境に、昆虫は急激に種類数が増加するそうです。なぜそうなったのかというと、隕石が原因なのではないかというのがこの節です。
 まず、宇宙から放射線などを浴びた隕石が地球に落ち、その影響で周囲が放射線、または宇宙にある未知の遺伝子によって汚染し、その影響を受けた生物らは急激に進化を遂げる。そのため、進化というよりは突然変異が一気に起こり、種類は分化するが中間は存在しないという説です。
 一般に、進化論の穴とも言ういくつかの問題点はこの説ならばある程度補足できます。そのためなかなかに説得力があるのですが、実はこれとはもう一つ、最近になって知った説があります。

 元ネタから挙げると、「魔人探偵脳噛ネウロ」、例によって漫画からです。この作品について簡単に説明すると、まず作者も認めている荒唐無稽な推理漫画で、あらゆる設定を無視する漫画らしい漫画です。私がこのマンガの作者を評価している点を挙げるならば、現代のほかのどの漫画家よりも空間の配置がうまく、上下左右遠近を複雑に構築した絵柄が特徴的です。地味だけど、漫画家にとって意外に重要なポイントなんだよねこの能力。

 それでミッシングリンクについてですが、今現在の最新刊の単行本の中でこの漫画のキャラクターが、「猿は愚かだから人間に生かされた。人間に近く、賢い類人猿はその知能の高さを恐れた人間によって抹殺されたのだ。言うなれば、自らに近い種ほど殺されるがためにミッシングリンクが生まれるのだ」的な内容の言葉を言っていました。
 この台詞は私にとって、とても含蓄のある言葉でした。確かに、同じ人間という種についても「同属嫌悪」という言葉があるように、生物というのは自分からかけ離れた種よりも、意外に近い種に対して攻撃性を持つということはよく聞きます。そして進化論の根底にあるのは「淘汰」です。それこそ、自分らより一段低い種に対しては徹底的な弾圧を行うことが義務付けられています。そういう点で見るならば、この節にも一理あるかと思い、敢えて説明を簡略にしてお送りしました。

最近読んだマンガの最新刊

 ちょっと引越しのごたごたで投稿が滞ってしまいました。今日からまたバリバリ書かないと。

 そんなのでまずは短いやつから一本ということで、最近読んだマンガについてです。読んだのは二冊で、一冊は今流行りの「もやしもん」。これは自分が買ってきたわけじゃなく、姉貴が買っていたので読んでみました。なにもこの最新刊に限るわけじゃないですが、この漫画の作者は最近の漫画家にしては珍しく、ベタとケズリなどの効果で非常にうまく絵を書いています。最近は萌え系ブームのせいでとにもかくにもトーンを貼り付ける作家が多く、その中でこれほど深く細かい書き込みを行っているこの作家はたいしたものでしょう。この手の絵柄の系列に属すのは、「ジャングルの王者ターちゃん」で有名な徳弘正也で、彼なんか髪の毛の一本一本まで細かく書く絵柄のせいで、アニメ化の際にはなかなか問題になったと聞きます。

 しかしこの「もやしもん」、何も私に限るわけじゃないですが、非常に展開の悪いマンガといわざるを得ません。今回の話も本来ならば単行本半分程度に収まる話で、それをここまで引っ張るというのは個人的には残念です。またこれまでの話の中でも、明らかに話を削ったところで本筋に影響するわけでない話も多く、こういうところをこれから何とかしないと、次第に読者も離れていくのではないかと危惧しています。

 と、一通り批評したところで二冊目、これはマイナーな出版社から出ている「ぼくらの」です、これは自分で買ってきました。なぜ自分で買ってきたのかというと、実は資金節約のために大抵のメジャーな漫画は漫画喫茶で済ませるのですが、この「ぼくらの」は作品自体はアニメ化もしたのでメジャーで素が、出版社がいかんせんコーナーを作るほど大きなものではないせいか、なんかどこ行っても置いてないのです。まぁいい作品なので新品で買っても惜しくないのですが、かえってこういったマイナーな作品ほど私のように新品を買う必要があるため、売上げ上ではいいのかもしれません。

 で、肝心の中身ですが今回も期待を裏切らない面白さでした。最近、日本の漫画家はSF漫画をまともに書く人間が不足している中、このマンガの作者はなかなかに検討している方でしょう。それこそ昔は鉄腕アトムとか宇宙戦艦ヤマトなどえらく未来をよんだ漫画がたくさんあったのに、日本人の想像力は低下してしまったのかな。
 それはともかくこのマンガについて簡単に評論すると、他のマンガと違い、主人公が話ごとに違うという点が評価できるでしょう。個人的に一番好きだったのはダイチでした、男だよ彼は。ついでに言うなら、これからはマチに気をつけなきゃいけません。

 更に追加で補足です。近年は出版不況と呼ばれて久しいですが、前回にも書いたようにコミックスの売り上げは古本屋が増えているにもかかわらず増加傾向にあります。それにもかかわらず、各漫画出版社は苦しんでいるというのは、少し疑問に感じます。売り上げの低迷は言うまでもなく本体のマンガ雑誌の販売数の低下にありますが、私が小学生だった頃、「週刊少年ジャンプ」は一冊200円でした。それが現在では240円になるらしく、一ヶ月四週間で考えるならば160円も昔より余分に払わねばなりません。そのくせページ数は増えておらず(マガジンに至っては減っている)、それで漫画界の危機だといわれても、自業自得な気がしてなりません。2000年以降、国民全般の消費生活はデフレ傾向にあり、大抵の物価は下がっているにもかかわらず、マンガ雑誌をはじめとして書籍の値段はどれも上がっています。
 先日に石油卸会社が石油価格を上げましたが、私は彼らがどれだけ苦労して価格安定に取り組んでいるかは前から聞いていたので、今回の値上げをしょうがないと判断し、むしろこれまでがんばってきた石油会社に敬意を抱きましたが、出版社についてはさしたる理由もなく、作家をこれまで使い捨てにしておきながらこれほどの価格アップを行ってきたという企業努力のなさに怒りすら覚えます。

 短く終えるつもりだったのに(ノД`)

2008年2月20日水曜日

自衛隊艦船事故について

 もうあちこちでも取り上げられていますが、昨日に自衛隊の艦船が漁船とぶつかった話です。まあぶっちゃけ今は風呂掃除に熱中しすぎて右手小指を深く切って、右手が使えない事の方が私にとって重要なんですけど。キーボードも左手一本で叩いてるし、にしても神経傷つけないでほんとよかった。

 さてこの事件、マスコミはともかく現段階ではまだあれこれ詮索する事はしない方がいいでしょう。なんにしても情報が不足しています、自衛隊もまだなんか隠しているようですし。私の主な疑問点は一つ、衝突直後に救助活動が行われたか否かです。事故後すぐに海上保安庁が航海日誌などの資料を舟から押収していますし、供述が二転三転しているので、ここを結構怪しんでいます。

 とまぁ、この程度ならわざわざ記事を書くことはないんですが、一部今回の事故と付随して語られている、二十年位前に起こった観光船と自衛隊潜水艦の事故について、自分が記憶している話を書きます。この事故を私は十年位前にやってた深夜番組で見たのですが、30人くらいの人がなくなられたそうです。
 事故の経過を簡単に話すと、当初、両方の舟はお互いに接近しあっていると早くから認識していたそうです。ですが自衛隊の潜水艦が、今度の事故でも言われていますが、航海上、相手の舟を左手に見ている方を優先航路として、右手に見ている船は道を譲らなくてはいけないらしいです。今回の事故でも、過去の事故でも自衛隊の船は道を譲る立場にいますが、過去の事故の場合はこのままの速度ならぶつかる前に観光船の前を通り過ぎれると考えて譲りませんでした。実際、そのままなら衝突はなかったようですが、道を譲らないのに観光船が驚き、針路を確か変えたのだったと思います。そしたら潜水艦の方も驚き、速度を落とすとか針路を変えるとか互いにまごまごしているうちに衝突してしまったらしいです。

 この潜水艦の事故を紹介したその番組内では、最後のルビコンとも言うべき場面をこう分析していました。
 お互いの舟が異常に接近し合う中、潜水艦内では司令室で確か針路変更か運転停止を操舵室に伝えようと伝声管で命令をしたその瞬間、全く同時に操舵室側から伝声管を通して先の指示行動完了の報告が入ったようです。お互いの声が重なり合い、一瞬、はっと立ち止まってしまい、その際のタイムラグが最期の命取りになってしまったようです。

 今回のはどうかはわかりませんが、潜水艦の方をなかなかにありうるヒューマンエラーの好例だと思ってこの事件を私は記憶していました。結果論から言えば、最初の優先航路の原則を守っていれば問題なく回避できた事例で、そういう意味ではそれを無視した自衛隊の風土に原因があったとも思える事件です。今回も優先航路の原則が守られていたか疑問な点があり、この点に着目して今後を見守っていこうと思います。

 うわ、書くのに30分かかったよ。左手だけだと手書きで書いてるような気分だなぁ。

多神教としてのキリスト教の背景

 以前の記事に書いた「多神教と一神教の違い」について友人から、
「でも、キリスト教も多神教的なところもあるよね」
 と指摘されたので、今回はその辺のところをちょこっと扱います。ダビンチコードも読んだばっかだし。

 実を言うと、私自身もキリスト教、ひいてはイスラム教は多神教と見ております。ただ教義としての分け方としては仏教やヒンドゥー教徒は一線を画すので、前回は一神教と書きましたが、厳密に言うならキリスト教は多神教でしょう。
 たとえば、仏教では主神は一応のところ「大日如来」となっていますが、その下に千手観音やら不動明王、そしてそれに使える四天王、ひいては風神雷神様も日本人は神様として慕っていますが、これをキリスト教に当てはめるなら、「GOD」の下には聖ガブリエルから聖ラグエルなど数多の天使がおり、そして邪神とも言うべきサタンやベルゼブブなどもいます。これらを神性を持った天使らの存在を日本人らしく一つの神様と見るならば、やっぱり多神教になるんじゃないでしょうか。

 と、ここまでの内容だったら世間話程度、せっかくの陽月秘話がこの程度で終わったら名が泣きます。そこで、今日はさらにキリスト教の吸収の歴史も紹介します。
 さてさっきに挙げた「サタン」。それこそ悪魔信奉者を「サタニスト」と呼んだり、悪魔の代名詞となっていますが、この名には実は語元があります。それなにかと言うと、実はエジプト神話の中の「セト神」、例の海馬瀬人の元になった、確か洪水を引き起こす神様かな、これが元らしいです。
 もう一度よく名前を見てみましょう、セトとサタン、よく見てみると似ているでしょう。詳しいつづりはわかりませんが、古代の中東で使われていた言葉には現代のアラブ語のように母音記号がなかったので、「マホメット」、「メフメト」、「マハマット」というように、呼び方に数種類あったようで、これもそのバリエーションの一つらしいです。

 さてこのセトとサタン、この二つの神は名前が同じなだけでなく実はまんま同じ神様です。なぜかというと、当時の宗教というのはまさに作られる物語で、固定された話ではなかったのです。基本的には為政者が支配民に対してその支配の正当性を認めさせるために、利用されていたのが実情です。そのため、ある民族が他の民族、この際部族でもいいですがそれを征服した際、征服された民族の神様を邪神として、征服した民族の神が正義の神だったというように神話を作り、そしてそれを流布する事によって正当性を作っていたようです。そのため、言語学のように宗教上の神話は一つ一つに征服や習合の痕跡があり、それを辿る事によってその経過を探る事が出来ます。

 このように、キリスト教の神話の中にも習合の歴史が垣間見えます。このサタンのみではなく、たとえばオリエント地方の神話上で豊穣の神である「バール」、これもちょっと言葉をつけて「ベル(バール)ゼブブ」と、多分後ろのゼブブは悪い意味でしょうね。これはオカルトマニアならすぐわかる、ハエの王で旱魃をもたらす悪魔とされています。もちろんキリスト教に限らず、日本の仏教やらにもこういった特徴は見受けられます。まぁ日本は仏教神話より古事記の中の「土蜘蛛」や「酒点童子」などがこういったものの代表ですが。

 こういった点に着目し、様々な仮説を作るのがそれこそさっきのダビンチコードの作者のようなオカルトマニア達です。恐らく私もその部類に入ると思いますが、まぁ見ていて面白いし、話していても面白いないようだと思います。けどやっぱり本筋の人たちからすると相当頭に来る話もあるらしくて、先ほどのキリスト教だと、一つ一つの天子の名前や悪魔の名前をびっしり書いた「エノク書」という文献がバチカンから偽典と銘打たれています。しょうがないだろね。

 ただこの話でわかってもらいたいのは、神話や物語は基本的には征服する側のお話であって、真実とは限らない事です。前回の日本古代史の話でも少し書きましたが、様々に想像を張り巡らせ、真実にのみ向き合うのが唯一にして正しい姿勢だと思います。そう言いつつ、現代の神話は民主主義なのかと思って今日はお終いです。

2008年2月19日火曜日

構成員の条件

 前回に引き続き組織論の話で、今回は組織を構成する構成員の条件です。

 条件なんかといっていますが、実際のところこれはあまり画一された基準はないと思います。むしろ、その調査対象の集団において、どのような役割が求められているのか、どのような人材が不足しているのかを検証するすることのほうが重要でしょう。
 好例をだすなら、三国志の中の劉備と水鏡先生の中の会話があります。ある日水鏡先生と劉備が出会い、その際に水鏡先生から劉備の組織は力不足だと言われ、それに対して劉備は張飛や関羽といった武辺者に、孫乾やビジクといった文士と不足はないと反論しますが、張飛や関羽は非常に優秀な武将だが、彼らを上手く運用するような参謀に不足があると指摘され、これに劉備はドキッとします。そしてその指摘の通り、彼らを上手く運用する参謀こと、諸葛亮孔明を手に入れて劉備勢力は躍進する事になります。


 このように、集団ごとに対症療法は違うのですが、それでもあえて小集団の中で見るとするならば、いくつか必要とされる役割を挙げていくと、まず必要なのは率先的に動く、行動力のある人材です。それこそ勇気と無謀をごっちゃに考えるような人間で、この手の人材がいると、たとえば決断が難しい局面や誰かがババを引く事になりそうな場面で状況が硬直することなく、集団の行動力がぐんと広がるので、私は非常に重視していると共に今の日本でかなり不足している人材だと思っています。
 次に必要なのは、先ほどの人材に、「ちょっと待った」と言う、セーブ役です。歴史的な人物で挙げるなら、名筆家でも有名な唐の太宗の家臣、魏微がおり、この人は太宗の言う事にいちいち、「いや、それはダメです」と言ったそうですが、太宗はそれを聞き、本当にたった今決断した内容は正しかったのかと再考し、その上で採用する意見もあれば、却下した事もあったそうです。このように、一歩前に出た意見を押し止め、再考する機会を作る人材も一人は欲しいです。一見すると、この手の人材は日本人には多いように見えますが、実際には少ないと私は見ています。

 この他、いくつか個人的に組織論をまとめていて必要な人材などまだまだいますが今回はそれは割愛して、最後に最も優秀な人材を挙げます。それは何かと言うと、何にでもなれる人材です。
 前回の記事でも少し書いた官僚制ですが、基本的に強い組織というのは、構成員が何かの拍子で一人二人いなくなったとしても、すぐに代替できる事が前提にあります。そういう意味で何にでもなれる人材というのは、その時期その時期に組織が必要とする人材に自らを変化させられる人材という意味で、たとえばある時期には率先型の人材、ある時期にはそれを押し留める人材、またあるときには組織のリーダーにもなれるというような人材です。地味ですが、この手の人材ほど重宝する者はないでしょう。たとえそれぞれの人材としての能力が不足していても、いざというときのために一人は欲しい人材です。

2008年2月17日日曜日

リーダーの条件

 この時期ともなると、都会に行けば就職活動中の学生がちらほら見えますが、よく企業がこうした学生相手の募集広告には、「リーダーシップのある人材を求む」などと書いてありますが、そもそもリーダーシップとはなんなのでしょうか。そのまま言うならば、リーダーとして率なく集団を率いられる能力の事を指すと思いますが、そんなの言ったら集団の種類ごとに違うのではないかと、社会学の一学士として疑問に思います。

 たとえば、これなんか社会学の初歩でやる内容ですが、逸脱論の中で刑務所内の格付けというものがあります。一般に前科というものは娑婆の世界では目を背けられるものですが、刑務所内では逆に、その前科がどれだけ大きいかで格付けが決まるといいます。たとえば、窃盗で捕まった人間よりも、強盗を働いた人間の方が牢名主になるというような、不思議な事に割と世界中でこれは共通しているらしいです。
 また企業の社長や会長でも、ベンチャー企業などではとかく企業家自身の行動力が重要となってきますが、複合企業などではグループ内の連帯を保つため、権力や調整力が必要になってきます。それを一まとめにリーダーシップと言っても、やはり認知の齟齬が生まれるのではないかと思います。そこで今日は広く使えるような、一般的なリーダーの条件について書きます。

 まず、どういった能力が求められるかです。リーダーというと普通の概念では決断を下すような人物として捉えられがちですが、それは独裁体制やライン&スタッフ型に強く当てはめられた組織のみだと思います。もしその集団がある程度機能分担が行えていたというのならば、トップがわざわざ決断を下さなくとも専門の担当部署で決断が行えるはずでしょう。実際に、アメリカの企業では現在、下位の部署に権限委譲がよく行われていると聞きます。また、非常に決断力が高い人間がトップの横にいるのならば、そいつに任せればいいだけの話だし。

 では、単純に行動力や遂行能力は必要でしょうか。これも私は疑問です。行動力が必要とされる先ほどのベンチャー企業などならともかく、いくらトップとはいえ、組織が個人の能力で作業効率が変動するようでは機能分担が行われていないも同然で、それではたいした組織とは言えないでしょう。昔の人も、「たった一機のオーラバトラーで戦況を変えられるとつけあがるな」と格言を残しています。確かにあるに越した事はないのですが、必ずしも必要とは言えないと思います。同様に、遂行能力もありすぎては困りものです。遂行能力がやけに高いトップがいる組織でそれこそ突然トップが変更する事態になれば、途端に機能不全に陥りやすくなります。官僚制を多少勉強すればわかりますが、組織は構成員の代替が行えなくては一人前とは言えないでしょう。

 じゃあリーダーシップとは何ぞやですが、私が一番必要とされるリーダーの能力はやはり「夢を見させる能力」だと思います。これは確か、経営家でもあり社会学者でもあったドラッカーが述べた内容ですが、企業などの組織のトップは、如何に組織の構成員の意識を、組織の行動目的に近づけさせるかに心血を注ぐべきだと言っています。例を出すと、企業内で労働者に対し社長が、「私がいい暮らしができるように、みんな頑張ってくれ」と、言うのより、「会社の業績をみんなであげれば、みんなの給料も上がるから頑張ろう」といった方が効果があるようなことを指します。要するに、組織の行動目的と構成員の行動動機を合致させるように理由付けを行うということです。

 ある意味で、日本の天皇制などはこれに当ると思います。天皇という象徴を守る事が国を、ひいては自らの家族を守る事になると戦前で教育した結果、日本軍は果てしない逆境にも関わらず強い士気を保ったといいます。このように、組織のトップは自らが象徴となったり、構成員のやる気を引き出す事が唯一に求めれる仕事だと、ドラッカーは主張しました。このドラッカーの意見に私も同意します。組織のトップ自身が有能であるに越した事はないのですが、やはり一番に求められる能力はシンボリックで、構成員の結束を強めさせる能力だと思います。言ってしまえば、遂行能力やら決断力はトップになくとも組織は何とか回ると思いますが、これだけはトップでしか執り行えなとと考えています。
 最近の日本では前のトヨタ会長の奥田碩氏がこれを非常に重視していたような気がします。彼なんか社長時代の口癖が、「大企業病になるな」、「国内シェア一位に甘んじるな」などと、社員に対して非常に危機感を煽っていました。大抵、大組織の綻びは慢心から起こるので、トヨタという企業に対してこれらの激は効果的だったと私は思います。

 なんか話が途中から組織論になったし、次は構成員に求められる能力でもやろうかな。

2008年2月13日水曜日

日本人の欠点

 前回、というよりたった今、日本人の民族性について書きましたが、今度は真面目な話で日本人の欠点について書きます。意味としては、日本人としてマイナスな特徴であるにも関わらず全く改善が出来ない点ですが、過去この点について様々な人が議論しています。

 私が知っている中で作家の司馬遼太郎、彼の出身大学はこの前吸収合併受けたけど、彼は日本の歴史を見て、どうも日本人は優秀な人材が表に出てくると、周りがその人に嫉妬して引きずり下ろしてしまうというのを嘆いていましたが、私に言わせるとこんなの、どこの国でもあることだと思います。
 中国の歴史書の史記に至ってはこんな話のオンパレードで、むしろ最後まで大成した人の方が珍しい。同様に、西洋でもダーウィンやらガリレオなども憂き目にあっているし、今更な事を言っているような気がします。

 では私の意見はどうかと言うと、日本人の民族としての最大の欠点はその暴力性にあると思います。暴力性自体はどこにもあるものですが、日本人の場合に怖いのは、自分の立場が相手より上だとわかると、猛然と暴力を振るう点にあります。古くは、二次大戦中の陸軍などの体罰です。これは各証言者達、現在でも声高に主張しているのは漫画家の水木しげる氏くらいになりましたが、その誰もが陸軍内でのリンチの凄惨さについて語っています。無論海軍でも同様だと思いますが、本来不必要であるにも関わらず理由なくビンタの嵐が飛んでいたと証言しています。

 そして皮肉な話に、これがそのまま戦後にも続いて、この前起こった時津風部屋でのリンチ殺人など、体育会系では「しごき」と呼ばれるむやみやたらな暴力がまだ続いているようです。それでスポーツの試合に勝てるのならともかく、実際にこのようなしごきは運動生理学上で何の効果も表さないといいます。代表的なのは、足腰が強くなるという理由で70年代から80年代に広く行われた「うさぎ跳び」です。これで何人の若者の脚をダメにしたか。

 まぁこういうのが残っているのはそういう場所だけ、と思っていたら大間違いです。実は他国にはなくて、日本にだけ異常に多い暴力事件があります。何を隠そう、駅員への暴力です。
 私の友人がある私鉄でバイトしていた時、電車が遅延するなど何かしら問題が起こると大抵駅員などが文字通り殴られていたようです。その友人は発車確認をするバイトだったのですが、列車の発車時間を聞かれた際に戸惑うと、彼の友人らはすぐに殴られていたと言っていました。その私の友人自体は背が非常に小さかったのもあり、あまり殴られなかったようですけど。
 なにもこのようなバイトたちだけでなく、日本人の駅員への暴力は突出して多いです。またクレーム対応の係員もよく暴力を受けるという話を聞きます。このように、相手が自分に逆らえない力関係にあるとわかるや、普段は大人しいくせに日本人は異様に暴力的に変わる気がします。その代表的なものは言うまでもなく、学校や社内でのいじめになるでしょう。もっとも、これはアジア圏内でも多少同じような傾向があるようです。韓国でも軍隊内のいじめ問題は根深く、また中国でも一部学校内でそのような問題が起こっていると聞きます。

 しかしこれは非常に卑屈としか言いようがありません。アメリカ人にはぺこぺこするくせに、同じ日本人同士だと無茶な要求やら暴力をふるうという。しかも、私が見ている限り自覚症状があまりないように見えます。私自身も中学高校の部活動の最中に、そのような無用な権力を振りかざして変なことを言う先輩に会った覚えがあります、その部活はすぐ辞めたけど。
 こうして年を食ってみると、なぜあの時の部活で、十四のガキが十三の後輩に対してあんな偉そうな態度が取れたのだろうかと疑問に思います。たかだか学年の関係で上にいるだけで、あれだけ偉そうに何でも言いつけるというのは馬鹿馬鹿しい気がします。逆に、学年が上でありながら自分たちと同じ目線に立ってくれた先輩に対しては今でも折に触れて懐かしく思う事が多いです。

 はっきり言って、このような暴力性はすぐに改善させるべきでしょう。一番手に負えないのは、このことを自覚していない日本人が多い点です。なのでこれ読んでる皆さん、嫌な上司に会ったらさりげなくこのブログを紹介してみてくださいね。

日本人の民族性

 恐らく、私は一般の日本人と比べては海外に滞在した経験が長い方だと思います。初めて海外に行ったのは5歳の頃でハワイに行ったのを皮切りに、、ワシントンに一ヶ月、ロンドンに一ヶ月、北京に一年と長い滞在も経験しています。その際には言うに及ばず現地の人間と幾分か交流しますが、大抵よく聞かれるのは日本人の民族性についてです。

 なにもこんな民族性とか堅い言い方でなく、日本人はどんな生活しているのというような聞かれ方をします。この際、大抵一緒にいる人間は「無宗教だ」とか言いますが、個人的にこれは間違いだと思います。現在ですら元旦には日本人の九割が初詣に行くというので、多かれ少なかれ仏教なり神道なりが混ざった状態で信仰と呼べると思います。
 この他、日本人は行列によく並ぶともよく周囲で言っている人はいますが、まぁ間違いではないですが、自分の経験からするとイギリス人には遠く及ばない気がします。連中、本当にきしっと並ぶし。

 ただ、この行列の仕方を民族性やら、日本人の全体のルールを守る精神性に結びつけるのはまた間違いだと思います。一説によると、日本人が行列にきちんと並ぶようになったのは戦中期以降で、その時の配給制からこの並ぶ癖がついたようです。さらに調べてみると、どうやらイギリスでも同様で、配給制が原因との事。
 意外と、こういう習慣というのは古くからのものではなく、割合に新しく作られたものが多いような気がします。先ほどの行列と同様に、日本人は地域社会が強いとも言いますが、これも戦中の隣組制度が影響しているのではないかと思います。農村などでは話は違いますが、都市部ではそうなんじゃないかな。最近は弱っているけど。

 では、真の日本人の民族性とも言うべきものはなんでしょうか。私が外国人にこう聞かれた際に答えるのは清潔性です。
 自分から見て、これほど臭いやら汚れに気を使う民族は見た事がありません。海外に行けばわかると思いますが、他の国では多かれ少なかれ体臭などがあり、それをかき消すために香料やらなんやらを使っているので何かしら、街中で匂いがします。ところが日本では本当に無味無臭。おまけによく風呂に入る。毎日入るというのだから相当なものです。

 これは日本が温暖多湿の気候にあり、湯水に事欠かなかったのと、湿気のために一度汚れると非常に臭いを放つ事が原因だと思います。そのため、私は日本人としての感覚は清潔すぎるのだから、海外では多少他の人の臭いなどが気になっても口に出さないようにしています。また、乾燥した北京ではシャワーは二日に一回に切り替えたり、なるべく現地にあわせようと努力していました。まぁ向こうは乾燥してるから、実際におわないけどね。

2008年2月12日火曜日

日本が核兵器を持てない理由

 大阪の橋本府知事はこの前の選挙戦の際に、「日本も核兵器を持つべきだと発言した事がある」と書かれたビラが選挙地域内で撒かれたそうです。ま、結果はというとあちこちで言われていますが逆効果だったようです。どうも日本人はネガティブキャンペーンをすると逆効果になりやすいな。

 それはともかくですが、この核武装論は若い世代を中心に結構熱が高まってきています。それこそ昔は政治家がこの手の事を言い出すとそっ首が飛ぶくらいのタブーだったのですが、随分とそのタブー性も薄れたと思います。私はこれ自体はとてもいいことだと考え、やはりあれこれ自由に議論を行うべきだとも思っております。一部の政治家も、「持たないのではなく、持とうと思えば持てるが敢えて持たないという立場が大事なのだ」と主張していますが、なかなかに一理ある言葉だとは思います。

 しかしっ、はっきり言わせてもらうと日本は未来永劫、とまでは言いすぎですが、実際には核兵器を持つ事が不可能な状態にあるといわざるを得ません。というのも、ぱぱっというと、もし日本が核兵器を持つと、核兵器不拡散条約、通称IAEAから脱退しなければなりません。そうすると何が起こるかと言うと、核技術を平和利用にしか使わないという限定の上でこのIAEAに加盟し、日本は原子力発電に使うウランの海外からの輸入が許可されています。そのため脱退すると当然、ウランの輸入は禁止されて現在も日本の電力事業の一角を担う原子量発電所はすべて停止に追いやられる事になります。日本国内じゃウランは採れないし。
 ま、ここまで言えばわかるでしょうが、そうすると日本なんてすぐにパンクします。つまり物理上、日本は核兵器を持てないということになります。これはどっかで読んだ本にかかれていた内容ですが、日本の核武装論について私にとって最も説得力に満ちた内容でした。

アメリカの大統領選について

 ちょっと情報を貯めていたので、結構盛り上がっている最中を通り越しての投稿です。

 さてアメリカの大統領選ですが、オバマ対ヒラリーでそこそこ盛り上がっています。友人などとも何度かメールしていますが、今回の選挙ほど有色人種層が取り上げられた選挙はなかったでしょう。黒人層はオバマを支持し、ヒスパニック層はヒラリーをと、同じ有色人種層でもこれまでのようにアメリカの下層階層として一枚岩で語られているわけではありません。なんとなく、江戸時代の日本のえた、ひにんのような感じもします……ってか、えたもひにんも自動で漢字に変換しねぇし。

 それはともかくとして、やはり見ているとヒスパニックよりは黒人層の方がまだ裕福そうに見えます。人間、どうしても生活していると視野が狭くなってくるもので、大きな違いよりも小さな違いの方が憎悪は高まりやすいといいます。それが今回の選挙に反映されているかどうかまではわかりませんが、今後のアメリカの選挙は今回以上にこれら各有色人種層対策がとられるようになるでしょう。以前の投稿でも書きましたが、後十年もすればアメリカの人口比は白人層を有色人種層が追い抜きますし。

 恐らく、このまま行けばオバマが勝つでしょう。これは関西ローカルのワイドショーにて青山繁晴氏が語っていましたが、この前のスーパーチューズデーまで、当初は圧倒的な支持のあったヒラリーに対してオバマが猛追してきてその日の選挙に引き分けるまで持ってきた。この追い上げは現在進行形で続いており、以降の選挙もオバマが勝つだろうと予想していましたが、見事にそれは的中し、昨日も四つの州でオバマが非常に有利な結果で勝ちました。それに対してヒラリー陣営は選挙対策委員長を取り替えたり、また資金不足からヒラリー自身のポケットマネー五億円が追加投入されるなどと、あまり景気のよくないニュースが続いています。

 いちいち書く事が断片的になっているのですが、やはりアメリカの保守層、特に力の強い退役軍人層は軍の最高責任者である大統領に女性がなるのはどうしても我慢ならないと聞きます。かといっても黒人なら大丈夫なのかと心配していましたが、やはり女性よりは男、それなら黒人でもいいというような情勢でしょうか。確固とした自信がありませんが。

 ではもう一つの共和党はと言うと、どうもこのままマケイン氏に候補は決まりそうです。確かに早くに決まれば本番の大統領選挙戦は有利になりますが、どうもこの人だと個性がないというか、なんせ今年で72歳にもなる長老でオバマが47歳と考えるとやはり見劣りします。そしてアメリカの情報でも次の大統領は閉塞感を打開するようなリーダーシップのある人物を求めているようですし、対抗馬としては力不足なんじゃないでしょうか。まぁ私の勝手な予想だと、オバマがなった後で暗殺されて、また伝説を作った後でアメリカは元通りになるんじゃないかと思ってます。

 そして最後にこの大統領選の日本の反応ですが、どうも日本のメディアは各候補が対日外交にどう影響するのかをあまり報道していません。ヒラリーは中国に対して肩入れが強いからオバマの方が日本にはいいだろうとは断片的に言っていますが、これも果たして確証があるかどうかは非常に疑わしいです。大体、伝統的にアメリカのアジア外交は民主党は中国寄り、共和党は日本寄りですし。あとあと、福井県の小浜市で「オバマ候補を勝手に応援する会」というのが出来たそうです。ここまで激しい便乗商法は見た事がありませんが、まぁ見ていて面白いのでありなんじゃないかと思います。ちなみに、オバマ氏と今回書かなかったのはこの小浜市と変換を混ぜないためです。
 
  追伸
 今、Caramelldansenにはまってます。

経済指標の不透明性

 毎年年末になると「今年の経済成長率は~」ってな感じでGDPについて何かしら語られます。このGDPはこれ以前のGNPにかわる指標とし、て恐らく世界で最も使われる国力の指標でしょう。
 しかし、私自身はこの指標について非常に疑問を持ちます。いきなり例証から行きますが、たとえば現在の日本はこのGDPに照らしてみると、神武景気を越えるほどの戦後最長の経済成長の真っ只中にいるはずですが、実際はというと失業率は増加し、格差問題も表面化しています。実際に、各ニュースなどでは「蜃気楼景気」や「実体の見えない経済成長」と評されており、その景気のよさを実感している人はほとんどいないでしょう。またお隣の韓国も、GDPの経済成長率で見るならば日本以上ですが、どうも留学生などから伝え聞く状況を聞いていると、日本以上に貧しい暮らしを庶民は強いられているような気がします。

 言ってしまえばこのGDP、一般民衆から搾取をすればするほど上がる仕組みになっています。たとえば、ある製品がその価値が1000円あるとして、そのうち人件費が500円いるとします。この段階だとこの製品の付加価値は500円ですが、人件費が100円に下がると、その価値は900円にまで跳ね上がり、GDPにも反映されます。
 そんなあほな、と言いたい話ですが、今実際に日本で起こっている経済成長というのはこれが実態でしょう。一般労働者の平均給与は下がりつづけ、その分コストが減って製造効率が上がったと見なされ、結果的にGDPに反映されていきます。この状態を見据えてか、去年にEUは日本の経済成長について、実際の生産力はなにも変わっていないと評していますがまさにその通りでしょう。

 ですが国家や経団連のお偉方はこのGDPを指標に使い、自らの成果を強調しています。はっきり言わせてもらうと、「私はこれだけ労働者らが本来受け取るべき報酬を奪い取った」と言っているのと同義でしょう。厚顔極まりない発言です。
 では一人当りGDPで見るとどうでしょうか。これも自分は指標としては不適格だと思います。これも高所得者層が現在の日本のように増えていってしまうと、どうしても数字が偏り全体の構図が見えづらくなります。まぁ労働分配率などで多少弄くればまだ見れたものにはなるかもしれませんが。

 まだマシなものとして、国連開発計画ではHDIという指標を使っているようです。これは、
  ①基礎医療の充実度を測る出生平均余命
  ②基礎教育の充実度を測る成人識字率と高等教育就学率、
  ③物価の違いを考慮に入れた実質購買力である実質所得
 の三つを計算した数値の事です。ちなみにこれの1位はノルウェーで、日本は13位に入ってます。

 何もこれに今すぐ変えろとはいいませんが、少なくともGDPで成果を現したり、なんでもかんでもの指標に使うのはやめて欲しいです。指標というのは重要で、問題を分析するのも改善するのもこの指標自体ともいえます。自分で言っていてなんですが、何故こんな当たり前の事を素人の私が言わねばならないのかが不思議です。

2008年2月11日月曜日

漫画の話

 三日ぶりの投稿だ。内輪ネタですが、先週の水曜から土曜日まで友人がうちに泊まりにきていて、でもって出てったその日からは今度は親父が遊びに来て、やっと今日になって一人で過ごす夜となった。別に寂しくなんかないもん。

 それはそうと、私は自他共に認める漫画マニアです。雑誌などをそれこそ麻生太郎氏ほど勝ってチェックしているわけではないですが、この年代にしてはそこそこ以前の漫画を見ているので、上の世代から下の世代まで漫画の話をあわせられる自信もあります。
 一番好きな漫画、というより影響を受けたのは横山光輝氏の「三国志」で、今連載中の漫画で好きなのは岩明均氏の「ヒストリエ」としげの秀一氏の「頭文字D」。あと個人的にバイブルとして使っているのは水木しげる氏の自伝「水木しげる伝」です。ちなみに、鳥取の小学校で使われている教科書には地元出身の有名人として「名探偵コナン」の青山剛晶が紹介されているらしいです。さらについでに言うと、自分の労働経済学の師は鳥取の境港出身で、その先生の路線に当る大御所は東大名誉教授の宇沢弘文氏で、この人も鳥取出身。この他にも何かと、自分の周りは鳥取出身者がやけに多い気がします。自動車免許を合宿で取ったのも鳥取だし……。

 それはともかく、今や日本の文化を代表する漫画ですが、やはり往年と比べるとややその価値が下がった気がします。名前は忘れましたが、アメリカの日本文化研究者の女性学者が日本の漫画の特徴について、「何気ない日常が終わりなく続いていくストーリー」と述べていますが、非常に的確な分析でしょう。
 この手の漫画作品の大家と来れば「らんま1/2」、「犬夜叉」の高橋留美子氏でしょう。何も高橋氏だけでなく、これまでに出ている傑作作品の「ブラックジャック」や「ゲゲゲの鬼太郎」もこれに当てはまります。基本、アメリカなどでの文化作品というのは初めから終わりまで一本のストーリーがあり、途中で話が膨らむことはあっても、普通は一直線に話が進んでいきます。これに対して日本の漫画は延々と日常が繰り返され、物語の終盤になってようやく止まっていた時が動き出すかのような話が非常に多いです。

 これは言うまでもなく作品の長期連載に繋がります。「こち亀」などもこの例で延々と話が続いていますし、また「美味しんぼ」やさっき挙げた「名探偵コナン」のように、まとまったひとくくりの話が連続するというものもあります。これらの日本の漫画の特徴は確かによく出来たものだと思いますし、日本人の精神性も表しているのではないかと私は考えています。そして、このような話の形態を逆手に取った、傑作とも言うべきアニメ作品もあり、名前を出すと「うる星やつら」の映画版「ビューティフルドリーマー」という作品があります。監督は「攻殻機動隊」の映画版で今をときめく押井守で、素晴らしい出来です。ぜひ一見してもらいたい作品です。

 しかし、残念ながら近年ではこのような形態の漫画は非常に少なくなっています。自分が確認する中では、週間少年ジャンプでやっている「銀魂」くらいしかこの形態で成功している作品はないのではないかと思っています。近年はやはりアメリカ同様、一本筋道の通った話が人気になりやすいのかもしれません……「ワンピース」はどっちになるかなぁ、もう延々とやっているけど。

2008年2月8日金曜日

派遣業界について

 ちょっと古い話ですが、先日に人材派遣会社大手のグッドウィルが前店舗二ヶ月の業務停止命令を受けました。これ以前にも同じく大手のフルキャストが一部の支店で業務停止命令を受けていましたが、どうも見ていて愉快なので、ちょっと解説もかねて話します。

 まずどちらも業務停止命令を受けた理由ですが、なんでも「二重派遣をやってはならない」、「製造現場へ派遣してはならない」といった法令を破ったせいと公式に官庁が発表していますが、多分これには「何を今更(笑)」と思った方も多かったのではないかと思います。
 派遣会社が急速に増え、一般のアルバイトなどにも進出してきたのは私が記憶する限りだと2003年前後からですが、その当時から先の二つの法令はなきに等しかったものです。というのも、私自身、明らかに二重派遣で突然労働現場を派遣直前でとっかえられたこともありますし、今回の摘発が起こるまでは二重派遣はおろか、三重四重と、派遣会社同士で協定を結び、お互いに足りない現場人員を補い合うという協定まで公に結ばれていましたし。

 と、ここまで書いといて、あまり書きたくはなかったのですが無理があると思ってきたので、そもそもの派遣労働について説明します。ふぅ、今日も長くなりそうだ。

 まず、派遣労働は90年代初頭に一部の専門職において認められた労働形態です。当時、この派遣労働が許されたのはコンピューターでプログラムを組むシステムエンジニアや、タイピストなど、主にIT業界だけでした。というのも、当時は今ほどIT関係の人材が豊富ではなく、一部のIT会社、NTTや富士通などにしか人材がおらず、その限られた人材を幅広く、いろんな業界にばら撒くという意味合いで作られました。ただ、当時よりこの派遣労働が広がれば労働者の権利が低下するのではないかと懸念され、この派遣労働に従事する人間は通常雇用よりも高い給料を受け取るなど、様々な既定が存在していました。

 しかしその後にバブル崩壊に続く長い不況を受け、リクルートが「フリーター」という言葉を作りだすなど、アルバイトを専業とする労働人口も増え、業界の要望を受け徐々にこの派遣労働の行える枠は広げられ、規制も緩和され、そして小泉改革に至ってはそれまでは直接雇用が義務付けられた工場などで作業をする製造現場にも、表向きは禁止していたのですが、法の裏道とも言うべき条文を盛り込んでとうとう解放してしまいました。
 その結果はいちいち言うまでもなく、雇用が非常に流動的になり、また労働者全体の収入低下、健康悪化につながり、現在のように若者就業問題の中でも最も大きな問題となっています。

 今回のグッドウィルの違反についてはまさに後だしじゃんけんとも言うべき、やっていいよといっておきがら実はダメっ、っていって罰ゲームを与えるかのように容赦ないやり方でしょう。もちろん、これまで散々労働者をカモにしてきたグッドウィルやらフルキャストに対しては「ざまあみろ!」という気持ちが私自身強いですが、それ以上になぜこれまで規制を緩和しつづけた政府が反転とも言うべき行動を取ったかが気になります。

 いくつか考えられる推論として、まず格差社会と呼ばれている現在、正直このまま放っといたらいくら穏やかな日本人でも、怒ってスーパーサイヤ人みたいに反乱を起こすのではないかという危機感から、その息抜きとばかりに、雇用環境の改善を行おうと政府がようやく重い腰を挙げたのではないかという説です。ま、確かに去年あたりから派遣労働の違法性やら問題性があちこちでも取り上げられるようになり、私もこの説が最も可能性が高いと思います。ただ、この説に付随して、もう一つの動機が政府にあったのではないかとも思います。というのも、ホリエモンと同じく狙われたのではないかという説です。

 まぁこの説はまだ整理がついていないのでここで説明しませんが、やはりホリエモンの捜査と何らかの関連性があるのではないかと考えています。しかしこの派遣労働というのは昔から「ピンはね」と呼ばれ、非常に悪質な商法だと非難されてきましたが、まさにその通りでしょう。それこそアメリカの制度ならばまだ理解できなくはないのですが、日本の制度ではまさに人間が奴隷のように扱われるやり方で、今すぐにでもこれら人材派遣会社は潰されるべきです。連中もあちこちで連言い訳を言っていますが、「自分たちが仕事を紹介する事で雇用が増える」という言い訳に対しては、お前らがいなくともハローワークという公共の施設があるという反論だけで十分でしょう。どう贔屓目に見ても、連中が存在する価値はありません。ついでに言うなら、リクルートもくたばってくれれば学生の青田刈りも行われなくなるので、今日も連中が死に絶える事を星に祈って眠る事にします。

時津風親方逮捕について

 昨日、大相撲の親方でもあった前時津風親方が逮捕されました。この事件は起こった当初より死に方に不審があるのではないかと各所で騒がれましたが、どうもその議論は一時的ですぐしぼんでしまい、事件から二ヵ月位した後に再び盛り上がり、今回の逮捕に至るようになりました。逆に、二度目の盛り上がりがなければ、事件は闇に葬られた可能性が非常に高かった事件といえます。

 この事件で最も重要な役割をしたのは「週刊現代」です。去年あたりから毎号に載せていた女性のヌード写真の掲載も止め、非常に紙面も良くなっていた中で今回の殊勲賞ばりの活躍は高く評価されるべきでしょう。まぁ、もう一つの大相撲八百長問題はどうも自分が見ていて現代側がすこしきな臭いですが。
 他のメディアが今回の事件を黙殺していく中、現代だけはずっとこの問題を追い、ここまで大きくなった事は事実なのですが、それ以前に問題なのは、なぜ警察が今回、そのようなマスコミの報道を受けてから行動したのかでしょう。

 死体のスケッチ上からも異常な死に方であったにも関わらず、当初、警察では死体の解剖は行われませんでした。それどころか、特にキャリアなどがないにも関わらず虚血性心因障害というわけのわからない病名までつけ、挙句に当時のカルテから外因性ショック死に死因を改めるなど、お粗末な行動ばかり目立ちます。
 何もこれに限りませんが、日本は以前より死体の死因解剖がほとんど行われていないようです。そのため、明らかに不審な死に方に対しても自殺と断定したり、捜査が打ち切られるなど問題視されています。しかしその一方で、どうもどこの警察署でも解剖医が不足しているとも聞きます。そりゃ医者だって死体の解剖なんてそうそうやりたがらないのはわかりますが、いくらなんでも手抜きしすぎではないでしょうか。

 最近の事件だと、ライブドア事件の際に沖縄で自殺したと言われる役員が疑問視されています。そもそも、なぜ沖縄で自殺という点もあまり追及されませんでしたし、事件の背景からやはり陰謀めいたものも感じます。

  追伸
 今回の親方の逮捕に絡めて、場所後にモンゴルに帰国していた朝青龍に対してまで不謹慎だ、相撲会はどうなっていると批判するメディアがいくつかありましたが、これくらい大目に見てやれよという気がします。散々叩いて望郷心を芽生えさせたのはお前らなんだから。

2008年2月7日木曜日

餃子について

 今やっているNHKニュースによると、餃子の皮が通常の1.5倍くらい売れいているらしいです。例の冷凍餃子の忌避反応からの影響らしく、ひき肉の売上も伸びているようです。

 ちなみに、実は私は外で餃子が食べられません。別に衛生が悪いとかじゃなくて、うちの家の餃子が明らかに他のと味が違いすぎて、そのギャップになれず、どうも口に入れられないのです。こう言うとなんかちんぷんかんぷんに思う人もいそうですが、本当に味が全然違う。なんで外の餃子ってあんなまずいんだろうって思うくらい違う。

 それはともかく、一般に日本で出回っている餃子は中国ではあまり食べられていません。これは結構知っている人も多いでしょうが、向こうの一般の餃子はゆでて食べる水餃子です。また日本同様に揚げ餃子もあるようですが、私は向こうであまり見たことはありません。で、日本で食べられている餃子ですが、これは向こうでは「鍋底餃子」と書いて、一度料理したんだけど、ちょっと日が経ったからもう一回加熱処理して食べる、チャーハンみたいな食べられ方をしている餃子です。にしても、鍋底というのは言いえて妙だ。

 ちなみに、向こうでは餃子の中の具材バリエーションは豊富で、私が好きでよく食べていたのは「西紅柿餃子」と書く、トマト餃子でした……いやいやいや、決してゲテモノ料理じゃないって、本当においしいよ。
 ほかにもいろんな野菜とか入っていたりしてそこそこおいしいです。あと中国料理だと、北京ダックは向こうだと100元(1600円)もあれば相当おなか一杯食べられます。日本はいくらなんでも高すぎるだろうあれ。

中学、高校での社会科目について

 私が中学生の頃、そこの社会の先生がある日こう言いました。

「この社会という科目は、常に動いている実世界を紹介する科目なので、言ってしまえば時間が経てば変わってしまうものも少なくありません。たとえば、十数年前だとロシアはソ連でしたし、法律制度も改正されたらそれまでです。なので、皆さんが大人になる頃には最も役に立たない科目とも言えるかもしれません」

 この先生の言う通り、社会という科目は常々内容が変動するものです。私の時代などでは、「中国では生産責任制が導入されて以後、万元戸と呼ばれる年収が一万元を越える富裕層が現れた」と習いましたが、今更一万元では向こうでも小金持ち程度です。また郵政の財政投融資についても、この前の郵政民営化の影響で現在の指導内容は恐らく変わっていると思います。

 ならば、社会という科目は本当に不必要なものなのでしょうか。先生はその必要性にまでは語りませんでしたが、私が代弁すると、これからの時代の変化を知るため、対応するために、まず現在を学ぶ学問だと考えています。
 これはなにも社会科だけに限るわけではありませんが、いくら最先端の学問分野を教えても、それまでの積み重ねがなければその後の応用、発展がありません。言うなれば、基礎がなければ応用がないのと一緒です。
 私などは歴史が非常に好きですが、やはり歴史を知っていると何故現代がこのような仕組みになっているのか、フランス革命などの民主主義の成立過程などを知っていると現在の制度が非常にわかりやすく、また人に説明もしやすいです。そして未来を予測する際は、現代の仕組み、背景がどのようになっているのかをまず見極めなければ何も始まりません。一言で言うならば、現在を知るためには過去を知らなければならず、また未来を知るためには現在を知る事が不可欠と思っています。

 そのため、たとえ数年の経過によって社会事情が変化していようとも、以前に学んだ社会科の内容は当事者にとって生きてくると考えています。新ためて振り返ると、私自身あの頃の勉強が現在を分析する上で必要不可欠なくらいに重要なものとなっています。、

2008年2月5日火曜日

佐藤優と精神的なタフさについて

 先日に書いた田中森一の記事ですが、書き終わった後で冷静に考えてみると、検察に捕まっても、けろっとしている方が異常なような気がしました。田中氏もそうですが、これからどうやって社会でやっていこうとか、家族はどうなる、自分の子供は犯罪者の子供と呼ばれないかと心配していますが、捕まっておきながらこういう心配がない方がやっぱり変でしょう。というわけで、前回の記事で田中氏が無罪になると信じ込んでいたのは迂闊だったという私の発言は撤回します。そりゃ誰だって辛いし信じたくなるよね。

 しかしそうなると、このところ連続で書いているあの佐藤優氏は一体どうなるのだろうか。彼なんか検察に逮捕、捜査されている最中に、「自分は人見知りする性格で、これまで外務省では嫌々働いていたのだがこれで解放される。今は非常にせいせいしているよ」と話し、聞いている検事も「追い立てる自分が言うのもなんだが、早く自分のやったことを罪だと認めて、学者なり評論家なりで社会に復帰してくれ。僕個人として、君にもっと自分を大事にして欲しい」と、一体どっちがどっちを責め落とそうとしているのかわからない会話まであります。やっぱり、田中氏ではなく、こっちが異常と考えるべきでした。

 そして拘留中の記述も見比べると、実に佐藤氏の方はけろっとしているようにみえます。もっともそれは文章中だけのことで、実際はそうじゃないかもしれませんが、拘置所内でのうまくて豪華な食事やら刑務菅の態度や行動など事細かに記録しており、出所後は拘留中のホリエモンと接見し、「あのメロンの缶詰はまずい」と、お互いに納得しあっているところを見ていると、やはり相当にタフな印象を受けます。

 この佐藤氏のタフさについては、自身の著作の中で、「ソ連崩壊からしばらく続いた混乱期に、自分はたくさんのロシア人エリートの浮き沈みを見てきた。それこそ一寸先は闇のような世界で、人間が起こす悲喜劇すべてを凝縮したような世界だった。そのような世界に比べるなら、自分に起こった事など本当に些細な事にしか思えない」と述べており、その自らが見てきた経験がこのような落ち着きというか、タフさに繋がっていると示唆しています。実際、私から見ても佐藤氏のソ連崩壊時の経験が彼を特異な存在にしている主要因だと思いますが、それと共に思うのは、やはり彼がキリスト教の信仰を持ち、神学や哲学に造詣が深い事も関連しているように思えます。

 そういう風に考えていたら、以前に友人と、確か2004年に話した会話を思い出したので、そのときのログを書いておきます。

花園「自分が思うに、仏教なりキリスト教なり信仰を持っている人はちょっとやそっとじゃへこたれないような気がする。というのも、彼らは人の生死やら人生について常に深く考えていて、困難に直面した際に悩むべき問題を既に悩み、それなりの解答を出しているからだと思う」
友人「なるほどね。でもそういう風に人生について悩み抜いて、作家とか哲学家とかで自殺する人もいるけど、それはどうなのかな」
花園「うん、自分もそう思う。確かにこういったことを考えていると、やっぱり目の前が暗くなっていくようで、自分も自殺を考えたりする事もあったりする。そこでつまづいて自殺する人もいるけど、その分こういった悩みを乗り越えた後、自分は確実に精神的に強くなっている気がする。逆に、ずっと人生上がり調子で来ていて、何も悩まなかった人ほど突然のショックで自殺に走るケースのが多いんじゃないかな」
友人「そうかぁ。つまり人生に悩むと自殺するリスクは上がるけど、将来のショックには悩まなかった人より強くなるんだね。ちょっと矛盾しているようだけど、わかる気がするよ」
花園「そう。だから君もキリスト教をやろうよ」
友人「いや、何でそうなる?」

 というような会話がありました。この頃はやばいくらいキリスト教の信仰を持っていたからなぁ。
 佐藤氏は自らが大学は神学部で学び、牧師の資格をも持っており、その著作の中でも非常にこの分野において見識が広いという事が伺えます。だからこそ、このような事件に巻き込まれても非常に落ち着いており、淡々としていられるのだと思います。
 なお、今回鉤括弧でくくった引用や会話は、記憶を頼りに内容を重視して書き起こしているので、書籍中の文章や言葉をそのまま使ったわけではないのでご了解を、あしがらず。

2008年2月4日月曜日

考古学の邪馬台国の現在

 これも専門じゃないし適当な事を書いていると思うのですが、みていてどうも最近の考古学は以前とステージが変わった気がします。というのも、邪馬台国についてです。
 昔から邪馬台国のあった場所は近畿説と北九州説の二つがあり、そのまま京大学派と東大学派が言い争い、文字通り日本一の歴史論争として名高いものでした。ですが、新書などでいろいろ読んでみると、最近ではもうほとんど近畿説が一般化しており、論争はその前後へと向けられているような気がします。

 その前に何故近畿説が強くなったかですが、ここ数年で近畿の遺跡から大量に「三角縁神獣鏡」が見つかり、これが魏志倭人伝に書く、魏が卑弥呼へ送った鏡だと言われ、近畿説の根拠となっているからです。古来より文献では近畿、地理的には北九州説が当てはまるといわれ、今回も文献での根拠となっています。
 この説から発展し、現在の考古学会ではどうも、「邪馬台国から大和朝廷はどう繋がったのか?」というのが論争の的となっているようです。言うまでもなく、邪馬台国も初期大和朝廷もどちらも近畿にあるならば、邪馬台国からそのまま大和朝廷へと政権は続いたのか、それとも邪馬台国を滅ぼして、新たに大和朝廷が近畿で台頭したのかと言う風に、その連関がどうなったのかという点について、古事記や日本書紀の記述と比較されるようになっています。

 もちろんこの論争に北九州が全く無関係というわけではありません。北九州説の邪馬台国は元々、後漢から金印を受けた奴国に当るのか、それならば大和朝廷は邪馬台国とは関連がなく、後から朝鮮半島などからきた連中に潰され、大和朝廷になったのかというように、やはりその前後に論争が起こっています。ちなみに、私の親戚は福岡県に滞在している際、やはり邪馬台国は北九州だと地理的に感じたらしいです。

 私の意見だと、まず最初の「三角縁神獣鏡」ですが、これだけで一気に近畿説につなげるにはまだ無理があると思います。言ってしまえば、その鏡は送られたのではなく強奪されたのなら……北九州から近畿に運ばれても無理はないと思います。
 そしてこの論争にケリをつけるやり方ですが、DNA鑑定なんか面白いと思います。縄文、弥生、大和時代それぞれの死体の骨からDNAを取り、どの段階でどのように人種が変わってくるのかを調べれば、征服が行われた年代なんかはかなり正確に求められるのではないでしょうか。

 実を言うと考古学にはある思い出があり、小学生の頃に読んだ論文で、
「古事記の中にあるスサノオのヤマタノオロチ退治の話で、スサノオが川を歩いていると川上から箸が流れてくる描写があるが、箸は中国で2世紀に発明されたものなので、少なくともこの伝説が成立したのは2世紀以後ということになる。このように考古学をやる上では、考古学だけにとらわれない幅広い知識が必要になる」
 と書かれており、この話を真に受けて分野を問わずに知識をやたらと求めたがる、今の私の性格が出来た気もします。

2008年2月3日日曜日

憲法改正について

 最近は大連立騒動とかの影響下、安倍政権の下で主要な話題となっていた憲法改正論議も下火です。この前友人から、「お前は憲法についてどう思ってるのか?」と聞かれたので、自分なりの意見をここで書かせてもらいます。

 まず、私は憲法改正派です。現行の憲法はやはり時代遅れとしか言いようがないので、すぐにでも改正したいと思っています。そして9条、戦争放棄の条項ですが、これについては瑣末な問題でしかないとしか思えません。
 9条自体の意義は非常に崇高なものだと思っています。しかし、この9条の解釈について肝心の日本の司法が常に曖昧な態度を取りつづけており、それが結果的に現在のように自衛隊の拡充やらMD構想へと繋がっているのかと思います。別に今の二つが悪いというわけじゃないですが、この解釈をめぐる論議こと、日本の司法の体制に非常に問題があると考えており、その点を早急に改正すべきだと思っています。

 実は文系学問のうち最も苦手なのはこの法学で、あまり詳しくなくて適当な事を言っていると思うのですがそれでも言わせてもらうと、日本の裁判官は基本、内閣こと行政の任命制で、そのせいか行政の方針に逆らう事ができないといいます。また総理大臣にもなった佐藤栄作がなんかの大臣をやっている最中に政界疑惑が起こり、彼の逮捕を直前に控えた頃、検察トップが上からとっかえられて、捜査が中断したということもあり、日本の司法は他の二権に比べて非常に惰弱だと言われています。実際に、最高裁が持っている違憲判断はほとんど行われず、自衛隊に対してもなし崩し的にその存在が認められている状況です。ま、自衛隊は確かにいると思うけど。

 そしてこれは以前にも記事にしましたが、憲法の中にはっきりと赤字予算を組んではならないとかかれているにも関わらず、現在のように国債を発行しつづけている状況に対し、司法は何の判断も下してはいません。
 古来から中国では、「政治を行う」というのは、裁判を行うという意味合いで使われていました。それほど政治を行う上で司法は重要であったのですが、どうも日本は欧米と比べて司法に重要性を感じていないように見えます。中国はもっとひどいが。

 このように惰弱な司法を、真に三権分立といえるような状態に強化する事が、今、もっとも憲法改正に求められるべき課題だと私は考えています。同様に、最近もめている少年犯罪等に対しても、成人年齢が現行の20歳というのは既に時代遅れで、これを一気に18歳に下ろし、18から選挙権、被選挙権も与えるべきでしょう。この選挙権も考えてみればおかしな話で、投票する権利はあるのに票を受ける権利がないというのは明らかな間違いです。現在、投票権は20歳からですが、衆議院では25歳から、参議院では30歳から被選挙権を手に入れます。いっちゃなんですが、なんの論拠もない無駄な既定でしょう。実際、他の国では選挙権と被選挙権はほとんど同時に手に入れてますし。

 結論を言うと、9条はこれからもまだまだ議論がいる内容で、その議論を正常に行えるよう、ひとまず9条の是非はおいといて司法権を独立させようというのが私の考えです。

2008年2月2日土曜日

続、佐藤優について

 前回に続いてまた佐藤優氏についてです。前回といっても、前の記事書き終えてからまだ一分も経ってないけど。

 この佐藤優の出自を時系列で追うと、まず沖縄戦を経験した彼の母親と関東にいた彼の父親との間に埼玉県で生まれています。高校は県内の浦和高校で、ここで労農派マルクス主義の思想に惹かれて文芸部の活動と共に、どっかのセクトの地方組織に加入していたようです。
 その後、一年の浪人の後に同志社大学の神学部に入学しています。なお、このときに合格したのは同志社の神学部のほかに、沖縄大学にも合格していたようですが、左派意識の強い大学だと周囲から思われ、こちらの入学には親戚から反対されたらしいです。この頃から反骨精神が強かったのか、「逆にそっちに入ってやろうかとも思った」と本人は述べています。

 なお、この受験時のエピソードでは他にも面白いものもあり、当時の同志社には筆記試験の後に面接があったようですが、その際に受験理由を尋ねられたところ、「無神論を勉強したいからです」と言ったらしい。どこの世界に神を否定する論理の無神論をやりたがっている学生をわざわざ受け入れる神学部があるのやら。本人もこの時は、「しまった」と思ったらしいですが、面接が終わった後に面接官の神学部教授は「ほかに受かってもぜひうちに来てくれ」と言ったらしいです、さすが同志社……。別にこれに限るわけじゃないですが、やっぱあそこはアナ-キーな空気で充満していると思います。

 そこで神学を学ぶ傍ら、当時より語学のセンスが非常に高かったのか数ヶ国語を勉強し、卒業前に最も興味をひかれていたチェコ神学を勉強したいがために、当時は日本からの渡航が難しかったチェコに行くために、外務省にノンキャリア職員として入省したようです。しかし希望はきれいには通らず、ソ連課へと人事で回されて、こうして現在のようにロシア関係の専門家となっていったようです。
 ロシアの駐在時代からその異能ぶりは認められ、ロシアロビー内に深く入り込む人脈を作り上げたほか、一般に言うスパイ活動の諜報活動にも従事し、彼が挙げた最も大きな功績は、ソ連崩壊のきっかけとなったゴルバチョフ政権時に起こったクーデターの際、監禁されて殺されたのではないかと生存の安否が心配されていたゴルバチョフ元大統領の生存情報を、西側の諜報員の中で最も早く掴んだという実績があります。

 その後、日本へ帰国した後もその能力の高さから彼のためだけに作られたと言われる「主任分析官」という役職につき、橋本、小渕、森と、三代の総理大臣に直接会ってレクチャーを行うなど、政権へと深く結びついていきました。その結果、彼の思惑とは遠く離れたところにありながらも政権抗争に巻き込まれ、前回説明したように国策捜査の対象となってしまったようです。

 まだまだ彼について書きたいことはいっぱいあるのですが、それはまた今度にして最後に私自身の彼への評価を書いておきます。
 佐藤優氏は鈴木宗男氏について、「非常に周りに対してこまめに世話を焼く性格で、そしてその能力の高さから本人が知らず知らずのうちに周囲は彼なしでやっていけなくなる。これに一部の人間は嫉妬するのだが、本人はその無欲さから他人の嫉妬に気が付かない」と、評しておりますが、これはそっくりそのまま佐藤優氏に当てはまります。彼自身もこのことに恐らく気がついているでしょうが、やはり能力が周囲を大きく巻き込むほどに高いため、また自分を全く大事にせず、犠牲的な行動ばかり取って周囲から嫉妬や妨害を受けても、身の保全を全く図ろうとしなかったために国策捜査に巻き込まれた感があります。

 実は一部、友人からよく「君は佐藤優に似ている」とよく言われます。これは恐らく先の「犠牲的な行動ばかり取る」という点が共通しているせいだと思っており、同時に「もっと自分を大事にしろ」ともよく言われます。この手のタイプは鈴木宗男氏曰く、「だます側よりだまされる側でいたい」という人間で、ご多分に漏れず私自身はやはりそうです。しかし、憧れの佐藤優氏に似ていると言われるだけでも非常に誇りだとも思っています。

佐藤優について

 友人からのリクエストもあり、今日は自分がファンである佐藤優氏について書きます。

 現在の彼の肩書きは「起訴休職外交官」です。さすがに最近は「作家」とも書くようにもなりましたが、なんでもってこんな堅苦しい肩書きなのかと言うと、言うまでもなく彼の経歴によるものです。
 恐らく、佐藤優という名前だけだとピンとこない方も、「外務省のラスプーチン」といえばまだ思い出す方もいるかもしれません。小泉政権初期、田中真紀子元外相と激しいバトルを繰り広げた鈴木宗男の秘書をやっているようなくらいべったりと行動を共にし、外務省内で専横を振るったとして、ムネオハウスのバッシングと共に非難された外交官です。この「ラスプーチン」というあだ名は外務省内で言われた彼の異名ともあだ名とも取れる名前ですが、元はロシアロマノフ朝にて専横を振るったとして批判の高かった僧侶の名前から来ています。

 現在、一応は外務省職員として籍は残しています。もっとも、外務省側としては早くに辞職してもらいたいようですが、本人も嫌がらせのつもりで「公判途中」ということで粘っています。いっちゃなんですが、人が嫌がることをすすんでやるタイプでしょう、この人。まぁ彼の起訴理由から考えると、私もこの行動を支持します。

 佐藤優氏は2002年、鈴木宗男へ連なる重要人物と見られ、鈴木氏の起訴理由を作るためだけに検察によって逮捕されています。この事実は彼を担当した検事も認めており、このように、国家の権威や政策の転換時に行われる一連の捜査を「国策捜査」と彼は呼び、その国家の暴力性について現在は批判的な立場で論評を各所で行っています。この「国策捜査」の具体的な内容は、彼の処女作である「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」に詳しく書かれてあるので、個人的にも皆で読むことをおすすめします。この「国策捜査」の実態には各論人も非常に衝撃を受けているようで、私が確認する限り、「国家の品格」の藤原正彦氏や田中森一氏など、様々な人間がこの言葉に対して言及しています。

 とまぁ、こんな感じで検察に逮捕拘留された佐藤優氏は、本人曰く「充実した牢獄生活」を満喫したのか、なんと鈴木宗男氏の公判が一段らくするまで約二年半もの間、拘置所に滞在していました。これは一言で言って異常です。通常、公判に必要な捜査調書が出来た段階で、保釈金を払う事で拘置所から容疑者は出所できるのですが、彼は今回の事件で、外務省の内部抗争から鈴木宗男氏を逮捕させてしまったという責任を感じて、敢えて鈴木氏の裁判が終わるまではと拘置所に残りました。ちなみに、その間にラテン語の復習、韓国語の習得を行っていたようです。

 そうして出所した後、かねてよりその能力の高さが注目されていた人物なだけに、この騒動の顛末を本にするという依頼で、「国家の罠」を出しました。確か発売から三ヶ月でこの本は70万部も発行されるという、ノンフィクションのハードカバー本としては異例の大ヒットでした。通常、この手の本は10万部も売れれば相当な収益になること考えると、どれだけ売れたかがわかるでしょう。その後も次々と本を出し、最初の五冊くらいは私もきちんとチェックしていたのですが、今現在、数冊をまだ手につけていません……。

 彼の本の特徴を言うと、まず文体が非常に恐ろしい書き方をしています。恐ろしいというよりは迫力に富んだ、重みのある言葉で、不思議な説得力がもとより備わっています。そんなんだから、時たま、真面目に言っているのかギャグで言っているのかが読んでてわからなくなる事が多いです。本人も述べていますが、結構サービス精神が豊富な性格なので、しょっちゅう文章の中にギャグを織り交ぜてきます、堅い文体で。
 自分が読んだ中でおすすめするものは、まずは処女作の「国家の罠」、そしてA級戦犯の大川周明を書いた「日米開戦の真実」の二作品です。ほかの一部の作品は何度か読んでいると、一部内容が重複しているものもあるので、なるべく新しいものから買った方がいいかもしれません。

 ああ、やっぱり書き切れん……。一旦ここで区切って、次回に続きます。

2008年2月1日金曜日

ニュースコントロール

 時期も時期なので、そろそろこの「ニュースコントロール」について解説します。

 この名称は便宜上、私がつけただけであった、本来はちゃんとした名前があるのかもしれません。これは一般に言われる情報操作と違い、公のマスメディアを使って世間での情報を捜査する手法の事です。
 これを最も使用したのは、前アメリカ大統領のビル・クリントンといわれており、具体的にどのようなことをやるのかと言うと、たとえば身内の民主党から不祥事が明るみになるとします。もちろんテレビや新聞はこの不祥事をバンバン報道するのですが、そこで前もって握っていた対抗馬の共和党の不祥事の事実をどこかしかのメディアに流します。すると、最初の不祥事はまるでなかったかのように大衆やマスメディアは後に出た不祥事に関心が移っていき、そのうち最初の不祥事がうやむやになっていく……というような手法です。
 まぁこの程度の泥仕合だったらどこでもやっているよと言われそうですが、クリントンの場合、これの応用をやってのけています。たとえば、政府の政策欠陥を、共和党が的を得た言葉で糾弾するとします。そして議論や政府への批判が紛糾していく中で、なにか別の社会的事件、一般に多いのは企業不正などの事実を公表、もしくは捜査するのです。これも先ほど同様に、最初の議論はすぐに忘れられ、後のニュースの方に民衆は関心が移っていき、結果的には政権への批判がなし崩しになっていくのです。

 この手法はクリントンのほかに、イギリスのトニー・ブレアもよく使ったと言いますが、もちろん日本でも使い手はいます。その人物というのも、小泉純一郎氏の元秘書であった飯島勲です。
 自分が観察している中で、飯島氏が確信犯的にこのニュースコントロールを行っていたた事例は2004年、福田康夫辞任劇だったと考えています。それまでの記録を抜き、内閣官房長官として最長の任期を務めていた現首相の福田康夫がこの年に前触れもなく、突然辞任しました。その結果、次の日の新聞はどこも一面で「福田辞任」と一番大きく書き、次々と年金未納が発覚した民主党で、とうとう小沢一郎が党首になるというニュースは脇に追いやられていました。
 恐らく、これ以前から小泉氏と福田氏の仲はしっくり言っていないという噂があり、双方とも、辞め時を見計らっていたというのは間違いないと思います。そこに、論戦の相手としては手ごわい小沢一郎が鳩山、菅がどちらも年金未納で代表を務まらないということで、最終的に白羽の矢が立ち、就任を了承したというニュースが入ってきました。当時は小沢が出たら何か起こるという、期待感とも不安感とも言えぬ空気が流れており、少なくとも前々から噂されていた内容でした。そしてそれが現実になると、それこそ世間の関心が民主党の動きに乗りかねない事から、このニュースを封殺する必要がある……そうして、隠し持っていたカードとも言うべき「福田辞任」を切ったのではないかと考えています。ま、結果的にこの時は、小沢も未納で岡田になりましたけど。

 その後も飯島勲氏は私から見て、この手法を幾度か用いているようにみえました。まぁここではいちいち挙げませんが、今、私が気にしているのは餃子のニュースです。
 どうも、あまりチェックしていないからかもしれませんが、なぜこの餃子の中毒事件が発覚したのかがなかなか掴めません。JTフーズが隠していたといえばそれまでですが、それ以上に、現在国会にてガソリン税問題が紛糾している事を考えると、すこしきな臭さを覚えます。もしかしたら、このガソリン税問題の綱引きで、支持率の低下を防ぐために情報を貯めていたのではないかと、すこし疑り深い気もしますが、そんな風に思ってます。少なくとも、ガソリン税のニュースはなりを潜めましたね。