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2008年9月30日火曜日

文化大革命とは~その十一、現在の中国の評価~

 前回までで文化大革命の通史の解説は終わりです。今回からは文革の影響や周辺事項など抽象的な話を中心にまだしばらくやってこうと思います。まずやるのはほかならぬ当該者である中国の、現在の文革への評価です。

 結論から言って、現中国共産党および中国人はこの文化大革命を明らかな失敗、悲劇の時代だったと認めています。餃子に毒が入っていようが遊園地にドラえもんがいようが決して自分たちが悪いとは言わず、下手したらガチャピンの中に人は絶対入っていないとまで言い出しそうな頭の固い中国共産党にとって、こうはっきりと失敗を認めるというのはとてつもなく異例です。

 前回の記事でも最後の方に書きましたが、毛沢東の死後に華国鋒などはまだ失敗だったと認めようとはしませんでしたが、鄧小平ははっきりとこれを失敗と認めました。これは政治的な駆け引きでもあるのですが、鄧小平としては最低限の市場経済的要素を必ず中国にも導入せねばならないと考えており、そのためには国内、ひいては共産党のこれまでの価値観を変える必要がありました。
 そこで、最も共産党らしく平等主義が謳われた中で行われたこの文化大革命をはっきりと失敗、悪い政治の見本として置く事によって、この文化大革命と真逆の政策である、彼の言によると、「共産主義にも、市場経済があってもいいじゃないか。ないなら我々で新しく社会主義市場経済を作ろうじゃないか」と訴えることによって、自らの正当性を中国全土にアピールしました。

 この鄧小平の目論見は見事に当たり、恐らく文革の混乱に国民が疲れきっていたというのもあるでしょうが、中国全土で鄧小平への支持が集まるようになりました。
 とはいっても、鄧小平個人で見るなら学者たちの見方としてはやはり彼は生粋の共産主義者であったという声が非常に強いです。というのも鄧小平は急激な市場経済への傾倒は中国で大混乱を引き起こし、ひいては国を滅ぼすと考えており、市場経済を完璧に認める「経済特区」を当初は中央から遠く離れた、香港と接するシンセンから行い、あくまで限定的に徐々に徐々に市場経済へと移行してきました。そしてこの際一挙に市場経済の波に乗って政治も民主化すべきだと立ち上がった学生たちに対しては、第二次天安門事件で容赦なく叩き伏せ、鎮圧しています。これもいつか解説しないといけませんが、この事件の際に鄧小平は天安門に戦車を繰り出し、学生たちを情けなく踏み潰しています。これに対して「ワイルドスワン」の作者のユン・チアンは、あの地獄の時代を終わらせてくれた鄧小平がこんな残酷なことをするなんてとても信じられなかったと述べています。

 話は戻りますが中国のように広い国ではスローガンというか大きな政策目標くらいしか全国へ回らないために、こうした言葉が非常に政権維持にとって重要になってきます。第二回でも確か少し触れていますが、鄧小平は日本の小泉元首相のように文革=悪、市場経済=善と二項対立を国民に謳って、彼の政策を推し進めていきました。まぁ結果論から言えば、文革は明らかに悪でそれ以外だったらなんだって善になりそうなんだけどね。
 今の胡錦濤政権も基本的にこの路線を引き継いでおり、「市場主義は守っていくべき。でも共産党が政治を見ることも中国にとって大事」という風にやっています。私が最初に文化大革命を否定することで現在の共産党政権の存在意義が成り立っていると言ったのは、こういうことです。

 ついでに書くと中国研究家の高島俊夫氏などは著書にて、中世に長い間政権を保った明は建国者の朱元璋(農民出身で毛沢東は大好きだった)の後に帝位継承争いが起こり、見事勝利して即位した次の永楽帝は首都を南京から北京に移したり、政策も根本からすべて改めたことを例に取り、現在の中国も毛沢東が国を興して次の鄧小平がすべてひっくり返したから意外と長期政権となるのではと言っていますが、なかなか含蓄のある意見です。

 次にこの政府の見方に対し、中国国民は文革をどう見ているのかですが、基本的には政府と同じで悲劇の時代だったと総括しているようです。ただ少し気になる点として、私が以前に知り合った中国人の方が毛沢東についてこんな風に言っていました。

「彼は最後の方は腹心に騙されて変なこと(文化大革命)をしてしまったけど、やっぱり偉大な人物であることに間違いないわ。私の両親も今でも大好きよ」

 もしこれが対話だったら今の会話文のどこに気になる点があるか相手に答えさせて、それで相手の洞察力や知力を測るのですが、まぁここでやってもねぇ。友人からはもうこういう風に相手を値踏みするなと毎回怒られているのですが……。

 それで今の会話ですが、重要な部分というのは「最後の方は腹心に騙されて」のところです。これははっきりと断言はできないのですが、恐らく中国共産党としてはこの文革の責任を毛沢東に負わせずに、彼の周りの腹心、彼の妻である江青を含む「四人組」と呼ばれた人間が彼をそそのかして起こしたのだと国民に教えているのだと思います。つまり毛沢東自身は率先して文革を行わず、毛沢東の威を借りた狐である四人組が起こしたのだとして、毛沢東の権威を現在も保持、利用し続けているのではないかと私は思います。

 実際に地方などでは今でも毛沢東の支持者は非常に多く、彼らを取り込むために毛沢東の権威を守る必要があったのは想像に難くありません。前回でも言ったように鄧小平も「七割が功績、三割が失政」と言って、徹底的に毛沢東を否定することはありませんでした。
 しかし歴史的に見るのなら文化大革命はやはり毛沢東が明確な意図を持って推し進めた混乱で、その責任も毛沢東が最も大きいと私は断言できます。しかし現共産党幹部の苦労も知っているので、彼らがこのような姿勢をとるということにはしょうがないと強く理解できます。

 幸いというか、現在ではかつてほど毛沢東の強い神格化や崇拝の強制は行われなくなり、現代の中国の若者は文化大革命について知らない人間が増える一方、上の世代ほど毛沢東へ強い意識を持たなくなったと言われています。恐らく中国共産党としては、第二次天安門事件同様に早く全部忘れてもらいたいというのが本音だと思います。

早稲田大学のつくば市風車裁判の判決

 多分普通の人は全く気にしていない事件でしょうが、問題が起きた当初から私はこの裁判を一人で延々と続報を追っていました。

つくばの風車損賠訴訟:早大に賠償命令(毎日jp)

 内容はリンクに貼った先のページを見てもらえばわかると思いますが、以前つくば市がクリーンエネルギーの導入の一環として早稲田大学に事業を委託し、三億円をかけて小学校などに風車を設置しました。しかしいざ実際に風車を回してみると電気を発電するどころか全然回らず、早稲田側が主張していた発電量に全然遠く及ばなかったためにつくば市が金を返せと主張して裁判にとなりました。

 結論から言うとこの裁判では早稲田側が敗訴して、二億円を越える賠償金額をつくば市に払うように言い渡されました。この判決に対する私の意見はというと、非常に良い判決だったのではないかと思います。
 というのも、この風車が回らない事態が起こった当初の早稲田の言い分があまりにあれでしたからです。

「試算された発電量は、作られた風車の三倍の大きさのものだ」

 なら言えよ、というのが私の感想です。早稲田側は作られる風車が計画より小さくて発電量が少ないということを市側も知っていたと主張していますが、それだったら何故作っている最中に自分たちで計画を止めなかったのかとか、知っておきながらちゃっかり三億円ももらっているという点がはなはだ疑問です。第一、できた風車だって直径5メートルもある代物なのですから三倍といったら15メートルです。そんなむちゃくちゃでかい風車でそもそも試算するというのはちょっと現実離れし過ぎです。

 恐らく、早稲田としては回らなかったのは本当に予想外の事態だったんでしょう。裁判中に和解を申し出てますし、適当に言い訳するために三倍とかいう数字を出してきたのだと思います。往生際が悪いというかなんというか。

2008年9月29日月曜日

アメリカの金融不安と日本のメガバンクについて

 本日友人からリクエストをもらったので、この前のリーマンブラザーズ社破綻以降続いている世界的な金融不安とそれに対する日本のメガバンクについて手持ちの情報と解説をやろうと思います。

 先ほどのNHKのニュースによると、何でもベルギーの銀行が信用不安から取り付け騒ぎに生じかねないとのことでベルギー政府が公的資金の注入を発表したようなのですが、このベルギーの信用不安も明らかにアメリカの金融不安が原因です。このアメリカの金融不安についてアメリカ嫌いの経済学者などは去年辺りからいつかボロが出るなどと警鐘を鳴らし続けていましたが、連中は今のようになったらかつての大恐慌のような世界的経済混乱が起こると予想していましたが、結論から言って現時点でもその可能性は非常に高いと思います。

 なぜならアメリカの通貨がドルだからです。基本的に貿易の世界ではドル決済といって、商品の売買はドルでお互いに支払った後に自国通貨に換えます。何故これがドルなのかというと、それはやはり安定しているのが理由です。たとえば昨日まで1ゴールド=100円だったのが次の日には1ゴールド=500円になったりすると、日本人で前日に500ゴールドで商品を買うと約束していた人は5000円で済む支払いが25000円にまで膨れ上がってしまいます。貿易というのは輸送や送金に時間がかかるためこうしたリスクを常に計算しなければなりませんが、この変動が小さければ小さいほど貿易の人間にとっては取引が安全ということで、これまで決済通貨にドルが使われてきました。

 その結果、ドルは世界中でばら撒かれ基軸通貨としての地位を得ましたが、今回のこの金融不安で急激に変動が起きた場合、たとえば銀行のローンだと毎年1000ドル返済する予定がドルの価値がその国の通貨で三分の二に落ちてしまった場合、単純に収入も三分の二に落ち込んでしまいます。このようなことが今後世界中で起こることが予想されるので、まぁ確かにかつての大恐慌のようなことになるというのもうなずけます。

 それに対して我らが日本の銀行はどうなのでしょうか。実を言うと、今の状況は日本の銀行にとっては願ったり叶ったりの状況であると私は考えています。
 というのも日本は私も以前にくどいくらい「竹中平蔵の功罪」の記事の中で解説しましたが、竹中平蔵氏が指揮した小泉改革の中で徹底的に不良債権を洗い出して自己資本比率、要するに自由に使える銀行自身の手持ちのお金を可能な限り貯めさせたのもあって、恐らく他国と比べて今回の金融不安で受ける損失は著しく低いと考えられます。また自己資本比率が多いということは、今回の混乱で他国の銀行が損失の補填やら運転資金やらに回すのに手持ち金が不足するような事態に陥っているのに対して新たな投資を行えるくらい余裕があるということを表しています。

 その結果の証拠というか、先週末に経済紙の一面を騒がせましたが三井住友銀行の米証券会社一のゴールドマンサックスへの出資と、野村証券のリーマンブラザーズのアジア部門買収がありました。これは運転資金にすら困る連中に対して、いかに邦銀が資金に余裕があるのを見せ付けた事件でした。
 かつて日本が不況だった折には散々公的資金を投入して立ち直らせた新生銀行があっさりとアメリカの投資家たちに買われていったのときれいに逆転し、今度は日本の銀行がアメリカの会社を買うようになったなんて、不謹慎ですがすこし小気味よく感じます。たとえるなら、散々四番バッターを奪っていった阪神に広島がありえないくらい勝ち越すような気分です。

 かといって、日本の銀行を私は手放しで賞賛するつもりはありません。なぜなら彼らがそれだけの資金を持っているのにはやはり悪いことをしているからです。その悪いことというのも、ずばり金利です。
 通常、個人が銀行に預金をしているとその額に対して利子がついて増えていきます。しかし日本はかつての不況以来延々と0金利政策を日本銀行が取っているため、普通の銀行である民間銀行も延々と金利を据え置いて、確か利率1%をまだ切っているんじゃなかったでしたっけ。

 本来、銀行は個人から預かるお金に応じて利子を払わねばならないので、その分企業などにお金を貸して自分らで利子を取ってお金を増やすという資金運転をしなければなりません。しかし今の0金利政策下だと人からお金を借りても払う利子が極端に少ないので、別に無理して企業にお金を貸す必要もありません。

 その結果起きたのが、私の見たところあまり経済誌なども取り上げておらず、唯一私と私の親父だけが道頓堀に飛び込まんばかりに怒っている銀行の貸し渋りです。かつての貸し渋りは資金の余裕のなさから起こったものですが、今は資金に余裕があるばかりか、どの銀行も過去最高利益を更新し続けるほど儲けているのに企業への資金の貸付を顕著に減らしています。これは支払う利子が少ないために資金を溜め込むリスクが少ないため、確実に利息が返ってくる優良企業にのみ商売をやって、中小企業を相手にしなくなったというのが問題の構造でしょう。その結果何が起きたかというと、うちの親父曰くアーバンコーポレーションや創建といった、そこそこ名のある企業の破綻です。特にアーバンなんて経営上うまくいっているのに運転資金が足りずの破綻、つまり黒字破綻です。

 本当に皮肉な話ですが、今日本で最も資金の流通を妨げているのは間違いなく銀行でしょう。新規の産業には一切金を出さないどころか、個人への利子も全く払おうとしません。確か去年の記事ですが、この銀行の不作為によって日本人が失った本来受け取るべき利子は数兆円にも上ると分析されています。

 今、邦銀はそのようにして貯めたお金を使って弱っているアメリカの金融機関などの買収に乗り出していますが、別に買収が悪いことだと言うつもりはありませんが、それより先にもっとやるべきこと、金利の引き上げと企業への貸付の増加があると私は思います。

2008年9月28日日曜日

文化大革命とは~その十、毛沢東の死と文革の終わり~

 いよいよ文化大革命の通史の大詰めです。この後は文革についてその後の影響や思想について書くので連載はまだ続きますが、ひとまず今回で大まかな話は終わります。

 さて前回では周恩来が死んだ時期について解説しましたが、よく周恩来と毛沢東はセットで語られることが多いのですが、彼ら二人が建国以後文字通り二人三脚で中国を背負っていたということはもちろん、こうして同じ年に死んだこともそのように語られている原因だと思います。

 1976年、周恩来の死から八ヵ月後についに毛沢東も病気で死亡します。その臨終の様については諸説入り乱れており、中には「日本の三木首相の選挙のことを心配していた」とかいうとんでもない話まであり、どれが本当かはまだ研究する時間を待たねばなりません。しかし約半世紀にわたって中国を引っ張り続けた彼の死はそれはもう大きな影響を後に残しました。

 毛沢東は死の間際、数年前から中央指導部に引っ張り側近に取り立てた華国鋒を次の後継者として指名していました。何故この華国鋒が毛沢東によって突然の抜擢を受けたかというと、それも今のところよくわかっていません。ただ中央指導部に抜擢されたのは派閥人事のなかでバランスを取るためだといわれており、事実この人はどうにもキャラが薄く、これというはっきりした政策案とか色を持っていなかったようです。

 それがために死後に混乱を恐れた毛沢東が、どこにも派閥に属していないという理由だけで華国鋒を取り上げたのかもしれませんが、毛沢東の死後、残った華国鋒はたまったもんじゃなかったと思います。というのも権謀術数渦巻く中央政界において何の後ろ盾も持たない自分だけが形だけの最高権力者として放り込まれ、案の定毛沢東の側近として文革を推し進めた「四人組」がより大きな権力を求め(四人組の中の一人である毛沢東の妻の江青は国家主席の地位をねらってたと言われている)、華国鋒の追放を画策し始めてきました。

 そんな状況下で、華国鋒には恐らく二つ選択肢があったと思います。一つは四人組に従い、国家主席の地位を投げ出すか、四人組に唯一対抗できる「猛虎」を自分の下へ引っ張り込むかという選択肢です。結果から言うと、彼は後者の選択肢を選び、第一次天安門事件にて再び追放された鄧小平を招聘するに至るのです。

 ちょっとややこしいことを先に書いちゃいましたが、時系列的には華国鋒は先に四人組を軍隊の幹部である葉剣英と組んで毛沢東の死から一ヵ月後に電撃的に逮捕、死刑宣告を行って一掃し、その後に鄧小平を中央指導部へ招聘しています。恐らく彼は鄧小平の力を借りながら自らの地位を守っていこうと考えたのだと思いますが、虎はやはり虎で、案の定自ら招聘した鄧小平によって失脚させられます。

 事の次第はこうです。四人組の逮捕後、恐らく鄧小平への牽制として華国鋒は自分の新たなスローガン、その名も「二つのすべて」を発表します。これは単純に言って、「毛沢東の言ったこと、やったことは何一つ間違いがない」という内容で、要するに毛沢東の目指した路線を守っていこうという政治信条で、これを発表することによって毛沢東の支持層を取り込もうと考えたのだと思います。しかしこれに対して毛沢東がいなくなって怖いものがなくなった鄧小平は猛然と真っ向から否定し、こう言いました。

「毛沢東の言ったことにも、中には間違いもある」

 華国鋒はあくまで毛沢東路線を引き継ごうとしたのに対し、鄧小平ははっきりと毛沢東の後年に行った文化大革命などの一連の政策は間違いだったと主張したのです。しかしここが鄧小平のうまいところで、彼はそれに加えて、「毛首席は確かに間違ったことをした。しかしそれでも功績七割、失政三割で、やはり彼は偉大な指導者であった」と毛沢東を全否定せずに文革のみを否定し、毛沢東の支持層を含めて民衆を大きく取り込んだのです。

 この論争は民衆の感覚をどう捉えていたかの両者の違いがはっきり出ています。華国鋒も鄧小平も文革の混乱をどうにかせねばと考えていたのは間違いありませんが、民衆がどれだけ毛沢東に傾倒しているか、文化大革命にどれだけ憎悪を燃やしているかを華国鋒よりも鄧小平の方がしっかりと計算できていたようです。「ワイルドスワン」のユン・チアンもこの鄧小平の打ち出した路線を知った時に、地獄に仏のように思ったとつづり、だからこそ後年の第二次天安門事件で虐殺を行ったとは信じられなかったと述べています。

 その後、華国鋒は鄧小平の批判を受けて次第に権力がなくなり、最終的に指導部からかなり早くに追い出されることになりました。しかし文革期のように集団リンチを受けたり強制労働をされるわけでもなく、一定の地位と収入をもらって余生を過ごしていたようです。その一つの証拠として、この華国鋒は87歳で、つい先月の八月二十日に天寿を全うして亡くなっています。

 実はこの連載を始めるきっかけというのが、この華国鋒の死でした。これによって文化大革命中の中心人物はほぼすべて世を去ったことになり、当事者たちがいなくなったことによって、これから恐らくこの時代についての様々な史料が公開されることだろうと思いますが、その前に中国の今の若者にとってもそうですが、隣国でこれほどの大事件が起きていたことを知らない日本の若者が多いということを改めて痛感し、私自身もまだ未熟な理解ではありますが中国を理解するうえで決して外せないだけに、何かしら役に立てないかと思って連載を書くことにしました。

 長くはなるだろうとは思っていましたが、十回を越えてまだなお書く記事があるというのは我ながら予想だにしませんでした。もっと簡潔に書くべきだったかもとは思いますが、第二回に既に概要は書いてあるので、むしろここまで細かく書いておいたほうがよいのかもしれません。今までのどの回も呆れるくらいに長い記事となっていますが、きちんと読んでいる方がおられれば、この場を借りて深くお礼を言わせてもらいます。ありがとうございました。

文化大革命とは~その九、周恩来の死~

 前回の林彪事件の記事は私自身あまり詳しくないのもあって、どうも後から読んでみるとやっぱり文章のリズムがよくありませんでした。まぁ今回の周恩来はいろいろあるからそんなことはないと思うけど。

 さてこの周恩来、日本からすると田中角栄との日中共同声明に調印した人物として有名ですが、何気に戦前には台湾の李登輝元大統領と同じように京都大学に留学に来ており、帰国の際に嵐山に立ちよって詩を詠んだ事から現地に記念碑ができており、京都にくる中国人の観光スポットとしてそこが有名になっています。
 実は中国人からすると、この周恩来は今でも非常に人気のある人物です。毛沢東に対しては畏敬の対象として恐れ多いもの、なんと言うか天皇に対する右翼の態度みたいなものですが、周恩来へは日本人の萩元欽一氏への態度みたいに誰からにでも好かれています。私の友人の中国人(♀)なんて日本人だと玉木宏、中国人だと周恩来が一番好きだといって豪語してやみません。

 その周恩来、数々の建国時の元勲までもが追放された文革期において一度として毛沢東から迫害を受けませんでした。周恩来は建国以後ずっと政務院総理(現在の国務院総理)という行政の長、日本で言う内閣総理大臣の職に位置しました。何故彼だけが毛沢東に目をつけられなかったかというと、この職位が関係しているといわれています。
 どういう意味かというと、毛沢東自身も恐らくは大躍進政策の失敗から行政政策を執り行う能力が自分にないということを自認していた節があります。なので、どうしても外すことのできないこの職に限っては専門家、つまり行政手腕に長けた人材を囲っておかねばならないという必要性から、周恩来を追放しなかったのだと言われています。

 では、同じように行政手腕に長けた劉少奇と鄧小平ではなく、何故周恩来だったのかというと、それは恐らく先の二人に比べて毛沢東の意のままに従う人物であったからだと私は思います。もともと毛沢東が抗日戦争の最中に党内部で権力を掌握するに至った遵義会議にてこれまでの幹部を裏切り毛沢東についたという経緯があり、また文革初期に至っても先の国家主席の劉少奇に対してスパイ容疑を出して、迫害に至る決定的な一打をぶつけています。その後も文革期は一貫として毛沢東の指示に従い続けました。

 しかし、こうした彼の行動については追放された鄧小平自身も理解を示しています。鄧小平に言わせると、あの時代は毛沢東に逆らえばどうしようもなかった時代で、敢えて毛沢東に従いながら文化大革命の被害を最低限に抑えようと実務面で周恩来は努力したのだと評価しています。実際に、あの文革期に国内の政務を一手に取り仕切っていたというのは実務家として大した手腕だと私も評価しており、取り仕切れるのが自分しかいないと自覚していたが故の行動だったのではないかと、好意的にみております。

 その周恩来ですが、とうとう1976年に死去することになります。ちょっと前に発売した「毛沢東秘録」という本によると、毛沢東は病気となった周恩来に対してわざと医者に診させないように手配して、暗に周恩来を死なせようと仕向けたと書かれています。それが本当かどうかはわかりませんが、この周恩来の死は当時の中国人も大いに悲しみ、その悲しみが第一次天安門事件につながることとなりました。

 日本人は「天安門事件」というと1989年に起きた民主化デモを中国政府が軍隊を使って押しつぶした「六四天安門事件」、私は「第二次天安門事件」と呼んでいますが、こっちの方しか思い浮かばないと思いますが、実は天安門事件は二つあって、一般に知られているほうが後で、最初のはこの周恩来の死の直後に起きています。

 その第一次天安門事件ですが、これは天安門広場前に民衆が死去した周恩来へ向けて花輪を捧げたところ、北京市当局によって即撤去されたことから起きた事件です。それ以前から文革を主導してきた毛沢東の腹心四人、通称「四人組」への批判が高まっており、周恩来の死によってますます彼らの専横が広がると考えた民衆らが花輪事件を契機に政府に対して四人組を批判するデモを大々的に行ったところ、これを危険視した政府によってその後の天安門事件同様に軍隊を使って強圧的に運動を押さえつけられました。

 その後、この事件の責任が問われ、林彪事件失脚後に復帰していた鄧小平がまたも失脚することになります。なお「ワイルドスワン」の作者のユン・チアンによると、毛沢東が劉少奇を殺して鄧小平は追放はしても殺しまではしなかったのは、最低限周恩来の代わりになる政治実務の担当者を用意しておく必要があったからだと分析しており、私もこの説に同意します。まぁ皮肉なことにいざ必要になったところでまた追放されちゃったんだけど。

 しかし、この鄧小平の追放は今度のは比較的短期に終わりました。何故かというとそれから八ヵ月後、彼を追放した張本人がいなくなったからです。もはや隠すまでもありません、文化大革命の主人公、毛沢東がこの世を去ったからです。

面白いゲームの条件

 前々から書こうと思っていたネタですが、私がコンピューターゲームの数ある条件の中で何がそのゲームを面白くさせるのかと思う最大の条件とは、ずばり「成長する要素」だと思います。

 さてこの成長する要素、RPGなどは至って簡単でレベルが上がるということでキャラクターは成長していきます。これがどう面白さにつながるのかというと、やっぱりやっていてゲームをやっている、積み上げているという実感が湧いて来ます。またキャラクターが成長することによってこれまで進めなかった場所にまでゲームを進められるようになったり、倒せなかった強敵が倒せるようになったりすると非常に爽快感がこみ上げてきます。
 私などはRPGゲーム全盛期の90年代中盤の育ちですから特にその傾向が強いのかもしれません。ちなみにその頃は、「RPGにあらずばゲームにあらず」と言わんくらいにこのジャンルが流行り、多分その頃からもそうでしたが一番多いゲームのジャンルというのは今は「アクションゲーム」なのですが、このアクションに対するRPGの割合は当時はずっと高かったと思います。

 私がこの成長する要素に初めて着目したのはレースゲームの「グランツーリスモ4」でした。このゲームで開始当初は所持金が少なくてしょぼい車しか(何気にAE86、「ハチロク」を最初に買った)買えなかったものの、下位のレースで勝ち続けて賞金を集め、集めた賞金で新しい車を買ったり今もっている車を改造することによってより上位のレースに挑戦できるようになるのが当初、非常に面白かったものです。またこのゲームだとクラスのレースをすべて勝つことによってプレゼントカーというものが無条件でもらえ、その車がまたいい車だとこれまたうれしく、わざわざその車を使って次のレースに挑んだりということもして遊んでいました。
 もっとも、このゲームは最初に「AE86」なんか買わずに「R32スカイラインGTR」を買えば序盤からかなり余裕で勝てるんだけどね。反則なくらいに速い車だし……。

 このように、「挑戦できなかったものに挑戦できるようになる」、「自分の技術、ゲーム内のキャラクターの実力が成長する」という要素こそ、ゲームの面白味を引き出す最大の条件なのではないかと思うようになってきました。今流行っている「モンスターハンターシリーズ」も、様々な武器防具を集めてきた材料で作り出すことによって手に入れ、それを装備することによってより上位のクエストに挑戦できるようになるという要素がここまでの人気を生んでいるのだと思います。格闘ゲームなどもそうで、自分の技術が上達するというのが目に見えれば見えるほどのめりこんでいったように思えますし、システムが複雑になって成長が逆に見えづらくなった90年代末期の格闘ゲームが衰退したのは自明な気がします。

 このようにゲームにおける「成長」という要素が、その面白さを左右する最大の条件だと私は思っています。考えてみると子供の成長から勉強まで、成長や上達が目に見えれば見えるほど人間というのは喜びや興味を感じるように思えます。これなんかは昔に私があれこれ考えていた話ですが、基本的に人間は適度な変化が目に見えなければ不安に陥りやすく、また急激な変化が起こるとこれまた不安に陥ると考え、「徐々に変化する」というのが目に見える「成長」というのが一番具合がいいのかもしれません。

 だからもし私でゲームを作り出すというのなら、アドベンチャーゲームではどれもついていますけど「達成度」という指標を必ず入れると思います。「現在の所持ポケモン数/150」とかいうような感じで。
 個人的にこういった要素を入れて一番やってみたいゲームというのがガンダムのゲームです。たとえば最初はジムしか使えず簡単なミッションしかできないのが、徐々にガンキャノン、ガンダム、Zガンダムとか選べるようになって難しいミッションもできるようになるというのが理想的です。一応、「機動戦士ガンダム戦記 Lost War Chronicles」というPS2のゲームがまさにこれなんですけど、残念なことに機体がファーストのものだけで、また数も少し少ないというのが残念でした。それでも100時間以上は遊んでいると思いますけど。私以外の人も言っていますが、余計な要素はいらないからこの作品の続編を、機体数だけ増やして出してほしいと私も願っています。できればZが舞台の奴で、そしたら私は愛するマラサイでカミーユを撃墜してやりますよ。あの甲殻類を思わせるフォルムが一番好きです(n‘∀‘)η

ゲーム会社のアトラスについて思うこと

 前回、「ゲーム「ペルソナシリーズ」についておもうこと」にてペルソナ3について簡単にレビューをしましたが、その後しばらくゲームを続けていて、なんというか「またか」というような感情を覚えてきました。というのもこのゲーム、RPGの癖に主人公が戦闘で死亡すると即ゲームオーバーになってしまうのです。もちろんザコ敵との戦闘でもです。

 このシリーズのほかのゲームではそんなことはないのですが、この3では何故だかそんな仕様になっているもんだから本来余裕のはずの相手にすらいきなり即ゲームオーバーにされる確率が非常に高くなっています。しかもこのゲーム、アホだから即死魔法がやけに多くて、こっちが使っても10%くらいしか効果がないのに敵が使うとなんだか50%くらいで食らいます。なわけで先ほどもザコ的の戦闘でいきなり即死魔法をパーティ全体に使われて、HP満タンの主人公一人だけが食らってゲームオーバーになりました。このシステム作った奴、首でも吊れってんだ。死亡状態から回復する魔法もあるけど、存在価値あるのかよ。

 おまけにこのゲーム、AIがこの時期のゲームにしては非常に稚拙です。戦闘時にいくらか仲間に大まかな戦略を指示することができますが、基本的に仲間キャラの行動は操作ができないのでAI任せになるのですが、何も気絶している相手を毎回叩き起こす必要はないのでは、もっと優先して叩く敵がいるのにと毎回思わずにはいられません。先ほども行った戦闘指示ですが、これなんかも一回の戦闘ごとにいちいちコマンドしなくてはならず、明らかにこのゲームの欠陥と言えると思います。

 実は最近、このアトラスが運営しているゲームセンターで大負けこいたのでイライラも手伝ってこの際文句をあれこれ続けさせてもらいます。それにしても、ゲームセンターのスロットで16連続でリーチが外れるってありえないだろ……。ゲーム台に殴りかかった私も悪いけどさ。

 このアトラスという会社は一般にはプリント倶楽部、通称プリクラを作った会社として認知されていますが、かなり昔からゲームを作っており今に至る女神転生から様々な種類のゲームを世に出しています。しかし、この会社が何故RPGの本舗ことスクウェアエニックス社の後塵を拝したかというと、私に言わせるとどのゲームも作り込みが甘いことが原因だと思います。なんというかユーザーのことを考えていないというか、ほんの少し改善するだけでぐっとやりやすくなるところに限ってこの会社は放置し、また難易度についても、これは昔からのユーザーにとってすれば今のゲームがぬるいだけと言われるかもしれませんが、なんというか致命的なところを調節しておかないために、ゲーム全体のバランスを毎回のように崩しているところがあると思います。

 一つ例を挙げると、「女神異聞録ペルソナ」ではいろんなペルソナ、ていうかスタンドを装備して戦闘しますが、ペルソナの中で入手も簡単なある種類のペルソナを装備していると敵キャラの魔法をほぼすべて反射してしまうために、魔法攻撃しかしてこないラスボスなんかだと余裕でノーダメージで勝てたりします。かと思えば十分にレベルを上げて余裕でザコ敵もなぎ倒せるくらいで次のステージに進んだら、いきなりわけのわからないくらいに強い敵が続出してなかなか前に進めなくなる、って言うのも結構ざらでした。個人的にこれが一番ひどいと思ったのは「真女神転生2」かな。

 もうすこしこういったところ直して一般ユーザーももっと遊びやすいように設計していれば、プレイしているユーザーは皆コアなファンになっていることから、DQやFFと並ぶ三大RPGの座に並べたと思います。ちなみに過去の三大RPGはDQこと「ドラゴンクエスト」、FFこと「ファイナルファンタジー」と「ロマンシングサガ」の三シリーズです。このうちロマサガは最近続編がほとんど出ていないからもう除外されていると考えると、今じゃその位置に「テイルズシリーズ」が来るのかな。

 今回のペルソナ3は一般ユーザー向けにこれまでのシリーズから非常に難易度を下げていますが、最初に言った主人公一人戦闘で死んだら問答無用でゲームオーバーというシステムは常軌を逸しているとしか思えません。ようやくまともなゲームになったかと思った矢先にこれですから、今後もアトラスにはあまり期待が持てなくなりました。

2008年9月27日土曜日

文化大革命とは~その八、林彪事件~

 前回までは文化大革命に翻弄される国民目線の解説でしたが、今回から指導者たちの権力争いについての解説になります。文革期の後半に至ると、なにもこの文化大革命のみならず建国時からの元勲たちが次々と世を去っていくことになりました。

 文化大革命初期に、これら元勲メンバーの中でいち早く毛沢東支持を表明したのが林彪でした。彼は抗日戦争の頃から活躍した将軍でしたが、年が他の元勲より若いということもあってこの時期には軍隊内で元帥とは言っても最高権力者にはなれずにいました。そんな時、毛沢東が文化大革命を引き起こし、それに乗ずる形で毛沢東に接近し、彼の威光を使うことによってライバルたちを次々と引きずりおろして軍隊内での地位を固めていきました。
 毛沢東が何故文化大革命を引き起こせたのか、その最大の要因となったのは軍隊、この林彪が毛沢東の行動を支持、協力したのが大きいといわれています。そのせいか毛沢東の林彪への信任は厚く、生前にははっきりと自分の後継者だと明言しております。

 そんな林彪が、文革末期の1971年に突然亡くなります。しかも、暗殺でです。事の起こりはこうです。この年のある日、中国とソ連の国境付近で飛行機が墜落しました。墜落現場をソ連の調査団が調べたところ、現場にある焼死体のうちの一つが林彪のものだと確認されたのです。
 この事件が発覚した際は各所で大きく事件が取り上げられました。何故毛沢東の後継者とまで呼ばれている林彪が墜落死したのか。しかも墜落したのが中ソの国境付近ということから林彪ががソ連への亡命を行おうとしていたことがわかります。

 この事件の最大の謎は、毛沢東の後継者として思われていた林彪が何故ソ連へと亡命を謀ったのかです。それについては諸説あり、まず一つが毛沢東の暗殺を謀ったためという説が今現在で最も強いです。毛沢東との関係は非常に深かったものの、猜疑心の強い毛沢東に次第に疑われこのままでは遅かれ早かれ他の幹部のように殺されると考えた林彪が、逆に相手を討ち取れとばかりに暗殺計画を練ったのが毛沢東にばれ、亡命を図ったもののその途中で毛沢東の追っ手によって飛行機が打ち落とされたというのがこの説です。また林彪自身は暗殺を計画しなかったまでも、息子の林立果が計画し、それが漏れたという説もあります。

 この説に対する対論として、暗殺を謀ったのが林彪ではなく毛沢東だったという説があります。なぜなら林彪は既に毛沢東の後継者として指名されてあるので、遅かれ早かれ何もしなければ最高権力者につけるはずなので、毛沢東の暗殺を謀るのは矛盾しているという説に立ち、一方的に猜疑心の強い毛沢東が林彪に対して暗殺を謀り、それから逃亡しようとしたところを結局打ち落とされてしまった、という説です。

 この事件については現状でもまだまだ明らかになっていない事実が多く、真相が明らかになるにはまだまだ時間がかかると思います。ただ一つ明らかなのは、この事件がきっかけで毛沢東はその後急速に方針を転換するに至っています。
 残っている記録によるとこの事件は毛沢東にとっても相当ショックだったようです。真偽はどうだかわかりませんが林彪機墜落の報を受けて毛沢東は、「逃げなければ殺さなかったものの」とつぶやいたという話があります。
 恐らく、毛沢東としては文化大革命の初期からの自分の支持者だった林彪の、少なくとも亡命にまで至る裏切りは相当堪えたようです。またこれまでの自分の採ってきた政策にも疑問を持ったのか、一度は自らの手で追放した実務派の鄧小平をわざわざ復権させて政務を取らせるようになっています。

 私の考えを述べさせてもらえば、その後の毛沢東の慌てぶりを見ると彼が率先して林彪を殺害しようとしたとは思いづらいです。とはいえ林彪を廃した後、毛沢東は急速にアメリカ、ひいては日本と急接近するなど外交路線でも大きな転換をしており、この事件が彼の政策を転換するに至る象徴的な事件であることは間違いありません。
 文化大革命全体を通しても、この事件が果たした役割は非常に大きいといわれております。しかしながら先ほどにも述べたようにこの事件にはまだまだ明らかになっていな事実が数多いため、具体的な分析に至れないのが現状というところでしょう。

2008年9月26日金曜日

文化大革命とは~その七、下放~

 前回、自分の権力奪還のために散々若者を煽り、あまりに運動に熱を帯びて毛沢東も危機感を感じ始めたところまで解説しました。聞くところによると田中角栄が日中共同声明のために北京に来た際、会見場には厳戒警備をしいていたそうらしいです。あれほど崇拝された毛沢東ですら、この時期にあまりにも熱を持ってしまった若者を自分の権勢だけで押さえつけられる自信はなく、散々若者に敵視させた日本の首相と会う際には慎重にならざるを得なかったそうです。
 そんな具合で紅衛兵に代表される若者が邪魔になってきた毛沢東は、ある政策でこの問題に片をつけようとしました。その政策というのも「上山下郷運動」、通称「下放」です。

 ある日、毛沢東はこんな声明を発表しました。
「若者は直に地方の農村で働き、農民の生活を直接学び革命に役立てるべきである」
 もともと毛沢東は自分の権力の基盤を常に農民においており、日本の安藤昌益のように「万人直耕」みたいなことを昔から言っていました。何もこの文革の前から農村で学び、考えることの重要性を訴えていたので政策自体は突然ぱっと出したものではないと私は思っています。

 しかし、この下放には明らかに別の意図がありました。この時代ごろから今の中国にとっても最大の懸案である人口問題が起こり出し、都市部の人口密度が桁外れなものにまで膨れ上がってきていました。こうした人口を外に分散させるとともに、手を焼かせる若者を一挙に片付ける一石二鳥の策としてこの下放が実行されたのです。若者も、毛沢東の言葉と新たな大地を自分が拓くのだという強い意欲とともに、この下放政策を受け入れ率先して地方へと下って行ったようです。

 さて農村で働くといって、日本の田園風景の中でのどかな生活を送る、みたいなのは想像してはいけません。日本でも最近になって問題化してきましたが、基本的に日本の農家は世界的にも裕福な方です。中国や韓国の農村は日本とは比べ物にならないほど貧困が激しく、以前の時代ならばなおさらのことです。なのでこの下放もイメージ的にはシベリア抑留みたいなものの方が近いと思います。都市部の近くの農村に行けた者は幸運だったらしく、大半は西南の密林地域や、東北の極寒地域に放り込まれていったそうです。

 資料に使っている「私の紅衛兵時代」の作者である陳凱歌は雲南省の密林地帯へと十六歳の頃に行き、そこで七年も過ごしたそうです。行った先にはもちろん電気などなく、鍬と鉈と毛沢東選集だけを現地の事務所で受け取り、掘っ立て小屋にて他の下放者と一緒に暮らし、毎日延々と密林の木を切り倒していたそうです。
 この本によると、下放者の中には過酷な労働で病気になる者も多く、作業中に木に潰されて亡くなった者も数多くおり、そして発狂する者までもいたそうです。
 下放されたのは何も男子だけでなく、たくさんの女子も同じように下放されています。資料ではある女子の発狂するに至る過程が描かれていますが、あまりの生々しさにここでは紹介することを遠慮させてもらいます。

 陳氏はこの下放を振り返り、何が一番印象的だったかというと木を切り倒したことだと述べています。結局、自分たちは大いなる自然に対して一方的に攻撃を加えていただけなのではと、成人後に現地へ赴いた際に強く思ったそうです。なにも木を切り倒すだけでなく焼き畑も数多く行い、あれだけあった密林もほとんどなくなってしまったことに強い後悔の念を抱いております。

 もう一つの資料の「ワイルドスワン」に至っては、この下放についてより生々しく描かれています。作者のユン・チアンも南方の密林地域に下放されたのですが、現地の農民とは言葉が全く違っていて何も会話することができず、これまで農作業など全くやってきていないのに突然農村へ放り込まれ、慣れない作業に体を何度も壊したり、病気になる過程が事細かに書かれています。
 その上でユン氏は、資本主義の国ではブルジョアとプロレタリアートの間で格差が広がり地獄のような世界が広がっていると教えられてきたが、果たしてそれは本当なのか。それよりも、この国の現状以上の地獄があるのだろうかなどと、これまで教えられてきたことや自分が紅衛兵として行ってきた事に対して疑問を持ち始めたと述べています。しかしそれでも、ユン氏も強調していますがそれまでの教育の成果というべきか、とうとうこの時代には毛沢東を疑うことはなかったそうです。

 前回の記事で、この下放こそが文化大革命の最大の悲劇と私は評しましたが、実はこの下放問題は現在進行で未だに続いている問題なのです。どういうことかというと、この後に文革は終了するのですが、下放された若者たちは下放された時点で都市戸籍から農村戸籍へと変更されてしまい、故郷へ帰ろうと思っても帰ることができなかくなった者が続出したのです。

 ちょっと簡単に説明すると、中国では「都市戸籍」と「農村戸籍」と分けられ、都市の人口をむやみに増やさないためにも農村戸籍の人間は都市に引っ越すことができないようになっています。つまり先ほどの下放された若者らは、事実上この時期に都市から追い出されて二度と故郷に住むことができなくなったのです(短期滞在は可能)。

 先ほどの両氏によると、無事故郷に戻ることができた人間は非常に幸運だったそうです。下放された者の中には現地で死亡した者も多く、また下放者同士で子供を作ってしまった者はそれがネックになって帰郷が許されなかったり、それがために子供を現地に置いて帰郷するものもいたりなどと。
 現在でも、この時期に下放された人の多くが地方に取り残されたままでいるそうです。
 陳氏などは軍隊に入ることで帰郷が叶ったそうですが、彼の友人などは東北部で凍死したなどと書かれています。それがため、この時代に若者だった中国人の大半は世にも凄惨な歴史に翻弄されて今に至ります。

 これほど多くの被害者が出た文化大革命ですが、その後半には急転直下とも言える政治事件が続発し、大きく情勢が動くことになります。今までの解説は国民目線のが多かったのですが、次回からは政治の中枢にいた、いわゆる文革の役者たちの解説になります。そういうわけで次回は、二十世紀中国史最大の謎と言われる、「林彪事件」を解説します。

2008年9月25日木曜日

麻生新内閣について

 本来ならこのブログで真っ先に取り上げないといけないネタだと思うのですが、どうにも総裁選の途中から見ていて面白みがなくなってきて、この種の政界ネタがこのところは少なくなってきていました。与謝野が受かるという予想も外れたし……。
 さすがに閣僚も決まったので何かしらコメントしなければと思っていたので、多分他のメディアがあまり突っ込まない点に対していくつか私の意見を述べさせてもらおうと思います。

 まず今回の内閣を見る上で一番重要なポイントは、もし解散総選挙に打って出て勝利したとしても、この内閣で政権運営を続けていくかどうかです。このところの内閣は選挙が終わるたびに内閣改造を行っており、選挙後の改造が半ば慣行化しているところもあります。しかし今度の選挙では自民党は本気で民主党に議席で負けるのではと噂されるほど劣勢に立たされており、今回の麻生内閣の顔ぶれは小渕優子がマスコット大臣とはいえ最年少で入閣させるなど、選挙で優位に立つための布陣を敷いているのは明らかです。この小渕優子に限らず同じく総裁選で戦った与謝野氏を残留させたのも、党内の対立を抑えかつ自民党が一丸であるということを外に見せるためでしょう。

 まぁ国会議員なんてものは選挙に勝ってなんぼなのですから、この内閣の布陣が悪いというわけではありません。もし噂されているように年内に解散するというのなら誰がなっても同じことなので、この際大臣に資質を求めるつもりもありません。しかし、この一度作った内閣で選挙に勝った場合、選挙をにらんで作ったこの布陣でそれ以降の政局もやり続けていけるかどうかとなると、先ほど求めないといった大臣の資質は無条件ではといかなくなります。

 私が気にしているのは与謝野氏が経済財政大臣に入っていることです。はっきり言って麻生首相と与謝野氏の経済政策の考え方は真逆といっていいほど違います。そこへ麻生氏に近い中川昭一氏が財務、金融大臣でいるのですから、果たして今の布陣で大臣同士一致した政策をやっていけるのかと思うとすこし不安です。まぁいざとなればかつての田中眞紀子みたいにどっちかを切るだけってのもありなんだけどね。

 もう一つこの内閣を見ていて気になったのが、中曽根弘文の外務大臣への入閣です。「JAPAN TIMES」(影で私は省略して「ジャップタイムス」と呼んでる。他意はない)の記事によると、この人は外交経験がほとんどないので恐らく外交は麻生首相が自ら行っていくのだろうと書いていましたが、そんなことより入閣自体に私は違和感を覚えました。というのもかつての郵政国会の最中、衆議院をギリギリで通過した郵政民営化法案が参議院に送られる前に、早々に反対票を投じるとこの中曽根が発言し、それに呼応するかのように自民党内で造反者が相次ぐ結果となりました。

 事実上、参議院で民営化法案が流れた原因の一つとも言える人間で、そんな人間でありながら選挙で小泉元首相が圧勝するや、「民意に答える」とか抜かしてあっさりと次の決議では賛成票を投じています。こんな人間のために衆議院の造反組、特に野田聖子のように一回目に反対して郵政選挙では民営化反対を訴えておきながら中曽根と同じく次の決議では賛成票を投じた今の復党組ではなく、郵政選挙で負けた人たち(静岡の城内実氏など)は苦汁をなめることになったと思うと、なんとも言えない気持ちになります。

 この中曽根が入閣したということは、恐らく麻生首相は本格的に小泉、安倍と続いた改革路線を否定するつもりなのだと私はにらんでいます。その根拠としてもう一つ、同じく郵政論争でこちらは棄権でしたが、賛成ではなかった小渕優子も入閣しております。第一、麻生首相は昔から小泉氏の路線とは真逆の経済政策ばかり言っており、一時は小泉内閣に閣僚入りしたものの、やはり本心では持っている政策が違ったのだと思います。
 別に誰がどのような政策を持とうがそれは悪いことではありませんが、私としては小泉、安倍路線も麻生路線の政策も、どちらも国民にとっては毒となる政策だと思います。しかし前者は毒が苦しくとも長く生きることができ、後者は一時的に快感を得るもすぐに死んでしまう毒だと考えており、同じ毒なら私は前者の毒を飲みたいのが本音です。

 なんというか皮肉なことに、小泉元首相が次の選挙で政界を引退するというニュースが先ほど入ってきました。これは以前に私も取り上げていましたが、やはり噂どおりに次男に自分の地盤を引き継がせて本人はとっとと隠遁生活に入るようです。今後自民党が勝つとしても民主党が勝つとしても、恐らく彼の政策は根本から否定されるか覆されるかと思いますが、なんとも皮肉な時期の引退発表です。

 思ったより長くなったので最後にさらりと書きますが、今回の大臣の中で親が地方を含めて議員でないという、要するに二世議員でない人はどれだけいるのでしょうか。このような二世議員というのは生まれた頃から国民の税金を逆にもらって生活している人間、いうなれば年金生活者ならぬ税金生活者たちですが、そんな人間らに国民の生活感覚がわかるのかと思うと、やっぱり私は疑問です。資質があるのなら二世議員でもなにも問題はありません。資質がない二世議員ばかりだから問題なのだと一言付け加えてこの解説を終えます。

恭しい言葉ってなに?

 最近真面目なのばっか書いているので、たまには馬鹿馬鹿しい話でも書こうと思います。

 以前に私はこのブログにて、日本語の敬語は私はあまり好きではないということを書きました。その理由というのも、現代の敬語は元の意味から離れた誤用と援用、マクドナルドの「一万円お預かりします」などと、かなりトンチンカンなものになっている言葉が多く、また日常であまり使わないので敬語を使うと会話の回転が鈍ったり、また敬語ができていないと年下の人間をいじめる手段などに使われていることのほうが多いように思えるからです。だからといって全く使うなというつもりはありません。私が主張したいのは過度な敬語表現を相手に期待するの、自分が無理して使用するのがよくないと思うのです。なにも一から十まで形式に則った敬語を使わなくとも、ほんのちょっと言葉を丁寧にするだけでこっちに気を使ってくれているという表現なんてできるので、その辺で皆妥協すべきだというのが私の意見です。

 というように前回には書きましたが、前回でも言っているように実際に相手からすごい形式に則った敬語を使われても、私なんかは京都で結構長く生活したもんだから相手から敬われていると素直にあまり感じません。京都では敬語とか京言葉は皮肉を言うときに使われるものなのでそうなったのかもしれませんが、あまり聞き慣れない言葉を聞いても気持ちよく感じるというのはあまりないかと思います。そういいつつも、実は私はある種の言葉なら聞いてて非常に気持ちのよくなるものがあります。何を隠そう、侍言葉です。

 要するに時代劇で使われる言葉ですが、「ありがとうございます」のかわりに「かたじけない」とか、「すいません」のかわりに「面目ない」とか言われたりすると結構心が動かされます。語尾につける「です」も、どっちかといえば「ござる」のほうがいいと思うし、オリジナリティもあって日本人は言葉を先祖帰りさせるべきだと私は思います。
 マクドナルドとかでも、「よくぞ参られた。ハンバーガーとマックポテトのS寸が所望であるな、然らば代金は210円でござる。一万円を承るでござる」とかだったら、私は毎日でも通いますよ。

 こんな感じで以前に友人と話していたら、当時はメイド喫茶がブームになりだした頃だったので、対抗して自分らで「戦国喫茶」というのを出そうかという話になりました。そっちも大体さっきのマクドナルドと同じ感じで、
「よくぞ参られた。ささ、こちらの席へ。何が所望じゃ。なんと、冷やし珈琲とな。二言はないな(注文の確認)。されば、しばし待たれよ」
 というような感じの喫茶店です。今、ゲームの「戦国BASARA」がきっかけで女性に戦国ブームが来ているらしいから、そこそこいけるんじゃないかと思う。

 こんな風に暇さえあれば侍言葉を使うシチュエーションを考えているのですが、さすがに実生活で使うにはすっとんきょんな言葉ですから自重しているのですが、この前人にFAXを送るとき文面で本来なら、「~の書類は後日に送付いたしますので~」と書くところを、「~の書類は後日に送付いたすので~」って、普通に書いてしまいました。シャレや冗談じゃなくて実話で。
 ちょっと、自重が足りなかったのかもしれません。

2008年9月24日水曜日

今連載中の凄い漫画

 普通に文化大革命の記事を書き終えて、今へとへとです。昔、学校の先生がこれを取り扱ったら一年授業があっても足りないといってた意味がよくわかりました。私の記事でも可能な限り情報量は多くとも短く、わかりやすくを心がけているのですが、それでもまだまだ長いし……。
 なので気分転換にまた漫画の話をします。どんな話かというと、今連載中の漫画で何が凄いかです。

 まず最初に、単純に今連載中でもっとも優れている漫画はというのなら、私は迷うことなく「鋼の錬金術師」を挙げます。ストーリーの一貫性もさながら、表現描写からキャラクターの書き分けまですべての点でこの作者の荒川弘氏はトップクラスです。この人の師匠の「魔方陣グルグル」の衛藤ヒロユキ氏はころころ絵柄が変わってたのに、荒川氏は連載開始当初から少ない変化で安定しているのは特筆に価します。

 ちょっとこの「ハガレン」について懐かしい話をすると、確か四年前の雑誌「創」のインタビューで荒川氏は、初期の話で主人公兄弟が下宿させてもらっていた家の女の子が、実の父親によって犬と合成させられ、最後には殺されてしまうという話を書いた時点で、もう連載は終わるだろうと考えていたそうです。こんなハードな表現を書いたらきっと公序良俗とやらで駄目だろうと思ったのかもしれませんが、実際にはこの話以降急激に読者数が増えていき、当時お家騒動で発行部数が激減していた漫画雑誌「ガンガン」は「ハガレン」以前と以後で、なんと一ヶ月の発行部数が四倍にまでアップしたそうです。逆に言うと、あと二、三年くらいで「ハガレン」も終わりそうだから、そうなったときが「ガンガン」の廃刊日だってことだけど。

 次に凄い漫画と言われれば、こっちは「ジャンプ」で絶賛連載中の「アイシールド21」です。このところ全然ヒットのなかったスポーツ漫画でこれだけの作品を出してくるとは世の中まだまだ捨てたものではありません。この作者も見せ場とも言えるシーンはしっかりと書き、ギャグパートのところときっかり書き分けられるのは現代の漫画家としては高い技術です。あともう一つこの作品の良いところを挙げるのなら、それはやはりテンポだと思います。

 近頃は長期連載の漫画が非常に増えてしまい、スポーツ物なら一試合が延々と単行本五巻、連載期間だと一年くらい続くものも珍しくなくなりました。それに対してこの「アイシールド21」では、一試合辺り大体1.5巻、さすがに後半となってきた今では2巻くらい続きますが、それでも他の漫画と比べたらテンポがよく、読んでる側も非常に読後感が良いです。他の漫画ももう少し見習って、連載ペースを考えればいいのに。

 他にもいくつか紹介したいのがありますけど、今日はこの辺で風呂入って、スポーツニュースを見なくちゃいけないのでやめときます。最後に同じく「ジャンプ」の「銀魂」ですが、なんかまたこの漫画は猛烈につまらなくなってきました。一話完結がこの漫画の良いところだったのに、何で最近はこうも中途半端に長い話を書くかなぁ。とっとと連載終えて、また新しい連作作品を作ったほうがいいよこの作者は。

文化大革命とは~その六、紅衛兵~

 いよいよくるところまで来ちゃったかなというのが正直な感想です。当初は軽い気持ちで書いていましたけど、改めて資料などを読み返すと、この時代の中国の激動さについて日本人はしっかりと見つめなおすべきだと思うようになり、書く方も気合が入って来ました。

 さて前回では毛沢東思想について軽く解説しましたが、二つ前の本解説では毛沢東が若者を煽動して自身の権力奪還に利用したところまで説明しました。その際に毛沢東は、共産党内部に修正主義に走った裏切り者がいると発言し、中国全土でまだ何の悪い教育に染まっていない末端の人間らに下克上を促しました。
 その中で最も狂信的に毛沢東を支持したのが、今回のお題となっている「紅衛兵」でした。これは都市部の中学校かから大学に至るまでの各学校ごとに、少年少女らが自発的に組織した団体のことを指します。

 彼らは「孤立無援の毛首席を救え」とばかりに、片っ端からこれという大人を攻撃し始めました。具体的にどんな風に攻撃するかというと、文字通り殴る蹴るのリンチです。いちおう名目は自分の間違いを改めさせることですから「反省大会」と称し、攻撃対象を大衆の前まで無理やり引っ張ってきて、額から血が出るまで地面に頭をこすり付けたりさせることもざらだったようです。
 何故こんなことが十代の少年少女らにできたかというと、まずは最初にも言っているように毛沢東のお墨付きがあったことと、本来このような混乱から治安を守るべき軍隊が逆にこの動きを後押ししたからです。

 何故軍がこれら紅衛兵の活動を後押ししたかというと、この時に一挙に軍隊内で地位を向上させた林彪の存在が原因でした。彼は文革当初は軍隊内でも中途半端な位置にいたのですが、いち早く毛沢東への支持を表明することによって軍隊内のライバルを裏切り者だと密告することによって根こそぎ追放し、最終的には最高位の元帥にまで昇進しています。林彪自身が毛沢東の強烈な支持者で毛沢東の権勢を利用して下克上を実行したのもあり、軍隊は紅衛兵の活動を逆に応援するようになったのです。

 こうして、無茶なことやら法律を守っても軍や警察がなにもしないとわかるや紅衛兵はますますその行動をエスカレートしていきました。彼ら紅衛兵は具体的にどんな大人を対象に攻撃していたかですが、単純に言って明確な基準は一切ありませんでした。言ってしまえば、「あいつは反革命的なことを言っていた」とか、毛沢東選集の中に入っている毛沢東の言葉と何かしら矛盾した発言(行動)をあげつらうか、それでも見つからないなら適当なレッテルを貼り付ければいいだけです。後は反撃できないように集団で取り囲むだけで舞台は整います。ようは気に入らない人間がいれば、好きなだけ集団で攻撃できたということです。

 私が今回資料としている陳凱歌氏の「私の紅衛兵時代」によると、彼のいた中学校でも紅衛兵が組織され、真っ先にターゲットにされたのは嫌われていた担任の教師だったそうです。その学校の中学生たちは教師を無理やり教室の一番前に立たせると、
「貴様は毛首席の指導と別の指導を生徒に行っていただろ!」
「この場で俺たちに謝れ!」
「思想を洗い直し、真っ当な人間へなるのを俺たちが手伝ってやる!」
 といったように、激しい言葉で糾弾されたと書かれています。前回の記事でも書きましたが、毛沢東は若者らを煽動する際に、「知識のある人間は間違った教育に毒されている。何も教育を受けていない君たち若者らが思うことこそが正しいのだ」と吹き込んでいるので、一見無茶苦茶とも思えるこれらの発言が出てくるのです。

 それにしても、なんていうか少々不謹慎ですが、もし私がこの場にいたらどれだけ気持ちがいいのだろうかと考えずにはおれません。私も、一人や二人はこれくらいの年齢の頃には嫌いな教師が学校にいました。そうした人間に反論を許さず一方的になじり、ののしり、吊るし上げられるのであれば、見境がない反抗期だった頃の自分だったら嬉々としてやったと思います。恐らく紅衛兵たちも、同じような感情だったのではないかと思います。先ほどの毛沢東の言葉である、「大人は間違っている、君たちこそ正しいのだ」というようなことを反抗期の中学生なんかに聞かせたら、尾崎豊じゃないけどそりゃあ崇拝するようにもなると思います。

 この吊るし上げは徐々にエスカレートしていき、先ほども言ったように取り締まる人間がいないために法律は事実上機能しなくなり、証拠もなくともレッテルを貼る、つまり密告さえすれば誰でも集団で攻撃することができるので、当初からそうでしたが次第に本来の目的とはかけ離れた感情の捌け口だけのものへと固定されていきました。
 もう一つの資料の「ワイルドスワン」の作者のユン・チアン氏の作者の父も、共産党の地方幹部であったために紅衛兵らから激しく攻撃されたと書かれています。この時代は何度も書いているように下克上が学校から職場、果てには共産党や軍隊内部でも奨励され、基本的に階級の高い人間ほど密告の対象になりやすく、一方的に攻撃を受けました。それは建国の元勲からほんの少し前までの最高権力者でも変わりがなく、抗日戦争から国民党との戦争にて共産党を勝利に導いた彭徳壊、と毛沢東の後に国家主席となっていた劉少奇の二人は、紅衛兵から激しい身体麻痺に至るまで暴行を受け、医者にもかからせてもらえず粗悪な部屋で死に絶えています。二人とも毛沢東にひどく嫌われていたのが原因です。

 この一連の吊るし上げは、恐らく言語に絶するまでに激しかったというべきでしょう。延々と自分の子供くらいの十代の若者に殴られ、「謝れ!」とか「自分がろくでなしであることを認めろ!」などと言われ続け、自分が間違っていたと言葉に出しても暴行され続けるのですから、考えるだに絶望する気持ちがします。リンチで死んだとしても、殺人として扱われないのですからやりたい放題だったのでしょう。
 またこの時代の知識人はその属性ゆえに粛清対象に選ばれやすく、一流の学者でありながら自殺した人間も数多くいました。有名な作家の老舎もその一人です。

 これは全体の解説が一段落ついた後で独立して解説しますが、これら紅衛兵の一連の行動は日本で言うとあの「浅間山荘事件」に酷似しています。何故酷似したのかというと、それは言うまでもなく密告合戦の上にリンチになるのが共産党のお家芸だからです。ですからこの後に起こる紅衛兵となった若者らの運命も、「浅間山荘事件」と同じ末路となったことに私は疑問を感じません。その末路というのも、いわゆる内ゲバです。

 またまた「私の紅衛兵時代」の記述を引用しますが、紅衛兵をやっていた陳凱歌氏も、同じ学校の生徒に密告されたためにある日突然多勢の紅衛兵に自宅に押しかけられ、昨日まで仲のよかった同級生らに反革命的だという理由の下に片っ端から家の中の本を焼かれ、家具なども滅茶苦茶に壊されたと書いています。陳氏はそうやって密告しあったり、仲の良かった同士で暴行しあった行動に何故自分も加担したのかというと、加担しなければ自分が仲間はずれに遭うという脅迫感があったからだと述べています。いうなればいじめと一緒で、一緒にやらなければ自分が攻撃の対象に遭うというのが、こんな密告社会を生んだ理由だと私は考えています。

 こうして片っ端から年齢を問わずに中国では攻撃し合い、知人を含めて全員無事でいるものなど誰もいないほどに中国人は互いに傷つけ合いました。大人に至っては思想改造をするために家族を置いて僻地の労働作業場へと無理やり送られ、死ぬ間際になるまで酷使されるかそのまま衰弱死に追い込まれる者が多く、ユン・チアン氏の父親も陳氏の父親も、ボロボロの状態になって帰ってきて、前者はそのまま息絶えることとなりました。

 しかし、こうした混乱をよしとしない者が現れました。何を隠そう、この混乱によって自らの権力を奪回した毛沢東でした。
 若者から絶対的な崇拝を受けていた毛沢東でしたが、これら暴力的な若者たちがいつ自分へと牙を剥くか、またその際に攻撃を防ぎきることができるかと次第に不安に感じたようで、途中からは逆に紅衛兵の解散を自ら説得するように活動し始めました。実際に派閥抗争といった内ゲバが激しくなり、この時の北京は事実上無政府状態と言っていい状態だったので、毛沢東が不安に感じた気持ちも良くわかります。

 そうして、最終的に毛沢東はある名案を思いつくに至ったのです。こうした若者を思想改造の名の下に農村へ追い出すという、文化大革命の中で最大の悲劇となる「上山下郷運動」、通称「下放」を推し進めるに至るのです。続きは次回にて。

2008年9月22日月曜日

文化大革命とは~その五、毛沢東思想~

 今回は本筋の話から少し外れて毛沢東思想、通称マオイズムについて解説しようと思います。本当はこの辺りの解説は最後まで連載を終わらせてから追記のような形で書こうと思っていたのですが、これから本格的に文化大革命の経過について解説するにはやはり最初に説明していたほうがよいだろうと判断し、こうして書くことを決めました。

 最初に言っておきますが、私はこの毛沢東思想については専門的に勉強したことはありません。毛沢東語録も読んだことはありませんし、何かしら取り上げる授業すら受けたこともありません。いいわけじみたことを言いますが、恐らく日本で毛沢東思想の教育なんてする場所なんてまずありませんし、解説する人も少ないと思います。そんなのしてたら変な人みたいに思われるし。
 なので、今回書く話は正当な解釈ではなくあくまで私の解釈と前提してください。私が聞く限り、理解する限りの毛沢東思想なので、くれぐれも他人にこの情報を分ける場合は最初に今の注意を行ってから伝えてください。それなら最初からいい加減なことを書かなければいいじゃないかという人もおられるかもしれませんが、自分の理解を確かめる、まとめるという意味で本音では書いてみたいというのが素直な気持ちなので、どうかご勘弁ください。

 さてそれでは早速本解説に移りますが、まず基本的に毛沢東は反骨の士でした。これはどの評論家からも、この文革の時代を生きた人間の目にも共通した認識です。とにかく何かあったら何でもいいから反抗したい、まるで反抗期の中学生がそのまま大人になったような人間でした。

 特に彼が生涯強く反抗し続けた代表的な対象というのが、知識人でした。これは彼の学歴コンプレックスが影響しているといわれており、なんか今詳しく確認できないのですが、毛沢東は若い頃に北京にて滞在した際にどうもどっかの大学(確か北京大学)の入学試験の面接に受からなかったそうなのです。かといって全く勉強ができなかったというわけではなく、読書量や詩の創作技術では歴代中国君主の中でもトップクラスと、「中国の大盗賊」という本の著者で中国研究家の高島俊夫氏は評しております。
 できたばかりの中国共産党に入党した後も、当初の指導部はソ連からの留学帰国組によって幹部席が占められたのを恨めしく思ってたらしく、抗日戦争の最中に自分が主導権を握ってくると、最終的に周恩来を除いて留学組をほぼすべて指導部から追い出しております。ちなみに周恩来は言い方は悪いですが、毎回絶妙のところで味方を裏切り毛沢東に従っております。だから長生きしたんだけどね。

 このように、毛沢東は徹底的に知識人を否定し、それが毛沢東思想の大綱となっている「実事求是」につながっています。この実事求是というのは、「現実から理論を作れ」という意味で、机上で理論を組み立てても現実には適用できない理論が出来上がるので、それよりも実際に自ら農場や工場で働いて物事の実感を積んで正しい理論を作るべきだという主張で、大学等にいる知識人は手を動かさないで労働者をこき使っているから悪だと、文革時に効力を発揮した大綱です。

 私の解釈だと、毛沢東は個人的な感情で知識人の締め出しを行ったのでしょうが、この主張を正当化した言い訳というのはいくつかあり、まず一つは先ほども言ったとおりに手を動かさずに頭だけ働かすというのは現実から乖離した理論を作ってしまい誤りを犯すというもので、もう一つがこの次に説明する永久革命の必要性からだと考えています。

 この「永久革命」という考え方が、ある意味毛沢東思想の最も危険な箇所です。毛沢東は生前にも前漢の劉邦や明の朱元璋といった、一農民という出身から才気一つで中国を支配した君主を誉めそやしており、世の中というのは常に古い既成概念に対して新しい改革的思想が打ち破ることによって徐々によくなるというようなことを主張していました。この概念を応用し毛沢東は、知識人というのは基本的に既成概念を守る保守主義者であって、新たな時代を作るのはかえって古い既成概念に染まっていない無学の意欲ある徒、つまり農民であると説明したのです。なので、劉邦や朱元璋が天下を取ったのは自明であるとまで説いたのです。

 この考え方を毛沢東はさらにさらに援用し、共産主義思想では労働者VS資本家という二項対立の構図で物をすべて考えますが、これを農民VS知識人にすげ替え、労働者が資本家を打ち倒すことで理想の共産社会(ユートピア)が達成されるという理論を先ほどの劉邦、朱元璋の例を持ち出してやはり正しいのだと証明された……的なことを言っているのだと私は思います。正直、この辺は書いてて結構きわどいのですけど。

 なので、世の中というのはザリガニの脱皮みたく農民(労働者)による革命を繰り返すごとにどんどんよくなるという、「永久革命」を維持することが社会の発展につながると主張したのです。通常の共産主義思想でも確かに「労働者による社会主義革命」の必要性が強く叫ばれていますが、基本的に革命が成功した後はもうそれで万々歳、後は他の国へも革命を支援せよ言っているくらいで、「革命で作ったものをまた新たな革命でぶっ潰せ!」みたいなこの毛沢東思想ほど過激ではありません。

 こうして自分で書いててなんですけど、一見、筋は通っているように見えないこともありません。とまぁこんな具合に毛沢東は教育をあまり受けていない農民や中高生のやろうとしていること、考えていることの方が下手な知識人、果てには既に教育を受けてしまった大人より正しいのだと後押ししたのです。その結果が、次に詳しく説明する紅衛兵などの悲劇歴史を生んでしまうのです。ちなみにこういった考えは、今のフランスの教育制度における積極的自由論にもなんだか近い気がします。シュルレアリスムとでも言うべきか。

 ここで終わるとまるで毛沢東思想の礼賛者っぽくみられそうなので最後にケチをいくつかつけておきますが、私に言わせると毛沢東の思想の最大の欠陥は劉邦と朱元璋を過大に見たという点にあると思います。朱元璋はあまり詳しくありませんが、劉邦の場合は確かに彼自身は特に教育を受けたわけじゃなく無学でありましたが、彼の傍には軍師の張良や策士家と呼ばれた陳平、そして国士無双と謳われた韓信が控えておりました。また三国時代の劉備もまた農民出身ではありましたが、諸葛亮や法正といった知識人を保護し、活用しております。このように、知識人というのは確かにそれだけだと古今東西の官僚制度のように腐敗する恐れもありますが、全くいないというのもまた問題なのです。この知識人の軽視がこの思想の欠陥、ひいては文化大革命やカンボジアのポルポト派による虐殺という悲劇を引き起こしてしまったのだと、私は解釈しております。

 さて、次回からいよいよ文革の本番だ(*゚∀゚)=3

2008年9月21日日曜日

海外放送局の新規参入について

 この記事は一つ前の記事の続きです。まだ読んでいない方はそちらを読んでからこっちをお読みください。

 さて前回の記事の最後に、実は日本の放送業界への新規参入を一番ねらっているのはインターネット会社ではなく、アメリカの放送局ではないかと私は主張しました。その理由というのも、IT会社の放送局買収事件のバックに、常にアメリカさんが控えていらっしゃるからです。

 ソフトバンクの孫正義氏がテレビ朝日を買収しようとした時はアメリカのメディア王であるルパード・マードックと一緒でしたし、ホリエモンがニッポン放送を買収しようとした時は……なんていうか、今こうして記事を書いていてすごい皮肉を感じるのですが、株式の買占めを行った際の資金をライブドアに提供したのは今は亡きリーマン・ブラザーズ社でした。楽天のTBS株買占めは詳しく知りませんけど、前の二社の場合にはアメリカの会社が放送局の買収を応援しているという構図がはっきり見えます。

 ここではっきり言いますが、日本のコンテンツ産業というのは実はそれほど強くないと言われています。というのも前回の記事でも書いたようにケーブルテレビ局がアメリカのテレビドラマを放送した際は非常に加入者が増え、過去にも「Xファイル」が地上波で放送された際は高い視聴率を記録しています。これは私の勝手な想像ですが、アメリカの放送局としては日本でも自分らの番組を放送すれば、結構もうかるんじゃないのとか思っているんだと思います。日本の放送局側としてもそんなことは百も承知なので、可能な限り連中を締め出そうとしていたのかもしれません。
 今ですらNHKの大リーグ中継はあの時間帯の割にそこそこ視聴率が取れたりするので、もしアメリカの放送局が日本の地上波で大リーグの全試合とか自前のドラマをバンバン流したら、日本のテレビ局は本当に終わってしまうかもしれません。だからこそ、ソフトバンクやライブドアを彼らは応援したのだと私は思います。

 そこで地デジ化以降の新規参入の話です。それこそもしチャンネル数の増加とともに海外の放送局が日本に入ってきたら、まぁいろんな意味で日本のテレビ界は完璧に駄目になるでしょうね。もし入ってこないとしても今ですら減収の一途ですから、どちらにしろ何もしなければ駄目になるでしょうけど。

 ちょっと本筋の話から脱線しますが、私は日本のテレビ会社が潰れてくれたら手を叩いて喜びます。というのも彼らの中間搾取ほどひどいものはないからです。
 大半のテレビ番組はテレビ会社とは別の、テレビ製作会社がテレビ局から受注して作っています。テレビ局はそうして製作会社が作った番組にCMを入れるだけで、あれだけの収入をもらっています。そして製作会社というのは実際にはほとんど予算を与えてもらえず、自分たちの給料すらままならないまま働いているそうです。
 こういうのは最近になってからの話かなと今まで思ってたんですが、昔に製作会社にいた今は芸能人やっているテリー伊藤氏の話によると、彼の時代でも給料が三ヶ月も遅配があったと言っていました。

 テレビ局は何もせずに大量の収入を得て、実際に作っている製作会社は飲まず食わずで働いている。こんなことをやっているテレビ会社が潰れたところで私は同情する気にもなりませんし、いっそ買収されて生まれ変われとすら思います。まぁアメリカでも状況は同じらしいけど。

またテレビ業界についてあれこれ

 以前に書いたテレビ業界についての記事(テレビを守る規制)にていくつか質問を受けたので、今回はそれに答える形で私の私見をいくつか述べさせてもらいます。

 まず、2011年以後に実施される知デジ化以降に新たにテレビ局の新規参入、放送権の許可はありうるのかという質問ですが、前回の記事でも書いたように、私個人の見方だと最大の後ろ盾であった郵政族が自民党から片っ端から追い出された今だとありうるんじゃないかと思います。地デジ化するとチャンネル数は飛躍的に増え、現状でも一つの放送局が複数のチャンネルを流しているくらいですし、どっちにしろ視聴率のパイは減るので前ほど頑なに規制で守るなんて事はしないんじゃないかと思います。

 もっともこれは私の主観なので、実際には地デジ化した後もこれまで通りにぎっしり守られる可能性のほうが現状では高い気がします。もっとも、守るべき放送局のほうが先にパンクしそうなんだけど。
 というのも、タダでさえ視聴率が落ちてどの放送局も収入が減っている現状で、地デジ移行に対応するために今、すべての放送局でデジタル放送のための設備投資に非常にお金がかかっています。これは二年前の情報ですが関西の毎日放送なんて比叡山の上に放送装置を持っているもんだから工事費用をどこから捻出するんだとえらく頭を抱えているという話を聞いております。同様に地方テレビ局はほぼすべてそのような設備投資費用を持っておらず、地デジかすると事実上廃業するとまで言われております。

 そうして既存のテレビ局が潰れていくので、チャンネル合わせに新規参入もあるんじゃないかなぁというのが私の予想ですが、その場合質問では「アクトビラ」、これはソニーなどの複数の会社でやっているインターネットなどを利用した番組配信サービスらしいですが、こういったIT系のコンテンツ会社が参入するのかと聞かれましたが、私自身このアクトビラなどに詳しくなく(名前すら聞いたことがなかった)、あまりよくわからないというのが正直な感想です。

 ただコンテンツを持つメディア会社で言うとやっぱり勢いがあるのはインターネット会社ですし、新規参入があるとしたらこういったところのような気もします。というのも、今漫画業界などもそうですが、大衆のニーズは個人個人ばらばらで、好きなものだけを見たいという人が非常に増えており、動画コンテンツではニコニコ動画やYouTubeなどの利用者が増えており、将来的には見たい番組を指定して配信を受けるというような視聴形態に移っていくのかと思い、そうなるとしたらインターネット会社化という風になるからです。

 しかしそう思う一方、すでにUSENがネット上で「GYAO」という無料番組配信サービスをやってますが、始めた当初は多少話題になったものの、その後はこれという話題も聞かず、今でもやっているのかわからない状態です。前述のニコニコ動画もこの前広告収入で伸び悩んでいるというニュースがありましたし、ネット配信だと簡単にコピーされてしまうという弱点もあるので、なかなか頭の痛いところです。結論から言っちゃうと、これまでみたいなコンテンツ産業はなりたたないという風になっちゃうのかな。

 こういった新規参入についてともう一つ、ケーブルテレビ界についても質問を受けましたが、これについてはいくつか思うところが前からありました。もともとケーブルテレビというのは電波が届かない地域にも番組を提供できるようにと始められたものだったのですが、いつのまにかケーブルテレビ会社が独自に海外ドラマなどをバンバン流すようになり、かえって都市部でばかり加入者が増えて設備が整えられる一方、地方はほったらかしになるという本末転倒な状況になりました。

 しかし最近のケーブルテレビ業界はというと、どうも噂などで聞くと加入者数が伸び悩んでいるそうです。実際に4、5年なんかは前述の海外ドラマの独占放送などですごい話題になったりしましたが、その後は全く話は聞きません。まぁ実際、一過性のような気はしてたけどね。

 ただこの一時のケーブルテレビの流行は海外ドラマの放送にあるのが個人的には気になりました。というのも、話せば長くなるので記事を分割しますが、日本のテレビ業界へ最も新規参入を従っているのは実はアメリカなんじゃないかと私が疑っているからです。続きは次回に。

2008年9月20日土曜日

文化大革命とは~その四、始まり~

 前回では毛沢東が一時政治的に失脚するところまで解説しました。失脚後、毛沢東は南方で趣味の釣りにいそしんでいると言われ、毛沢東のかわりに実権を握った劉少奇と鄧小平が実質的に中国の指導者となりました。彼らちゃんとやり方のわかっている指導者の行政手腕により、大飢饉によって混乱した中国経済は徐々にではありますが立て直されていきました。

 しかしそうして経済が立て直っていく一方、ある言論がまことしやかに全土で語られるようになってきました。その言論というのも、「今の共産党指導部は修正主義者たちに乗っ取られている」という、今見ても不穏当な言論でした。
 この時期、ソ連はスターリンからフルシチョフの時代を経て、中国との蜜月関係も終わりを告げていました。中国共産党はこのフルシチョフによるソ連の第一次デタント(雪解け)といわれる、西側国家との協調路線を打ち出す外交政策を共産主義の精神を根幹から覆す愚挙だとして「走資派」や「修正主義者」と呼んで激しく非難しました。

 恐らく当時の考え方としては、共産主義国家の建設は非常に困難が伴うものであるため、この困難から抜け出すためとか、自分だけいい思いをしようと安易に資本主義に走る卑怯な輩がいるという具合で憎悪をたぎらせたのだと思います。この「修正主義者」という言葉が、1960年代の中国の流行語であったのは間違いないでしょう。

 当時、中国に流布したのはこうしたソ連の輩のような裏切り者が中国共産党内部、それもかなりの上位階級に潜りこんでいるという言質でした。彼ら修正主義者は謀略をめぐらし、偉大なる指導者である毛沢東を追放したのだ、と毛沢東の政治失脚は彼らに原因があるというような言葉が共産党の機関紙である「人民日報」などのメディアで激しく展開されていきました。
 もちろん劉少奇を初めとする指導部はそんなはずはないと否定しつつ、このようなデマがどこから出ているのかなどと調べたそうですが、一向に確たる根源が見つからずにいました。元ネタを一気に明らかにすると、このような言論を広めたのは毛沢東の指示で動いていた彼の腹心たちで、後に四人組と呼ばれる幹部たちでした。皮肉なことに、内からの敵に当時の指導部は気づかなかったのです。

 こうした言論を一番真に受けたのは当時の大学生たちでした。北京大学では壁新聞が張られて公然と指導部が批判され、精華大学では孤立無援の毛沢東閣下を救えとばかりに、後に中国全土で猛威を奮い、この文化大革命の代名詞となる「紅衛兵」という、青年たちによる私兵団が全国で初めて組織されました。
 
 こうした中、これは出所が明らかでなくちょっと確証に欠けるどこかで聞いた話ですが、何でも劉少奇らが北京にてこうした動きに対し、自分たちは決して修正主義者ではないということを説明する一般人を交えた会合を開いて弁舌をしている最中に、なんとその場に南方にいるはずの毛沢東が予告なしで突然現れたそうです。このような演出はこれだけでなく、これは陳凱歌の「私の紅衛兵時代」で書かれていますが、北京四中での会合の際も、毛沢東は劉少奇が弁舌を終えていないにもかかわらず突然壇上に出てきたそうです。そうなってしまうと観衆は大喝采してしまいますので、まだ弁舌を終えていない劉少奇はどうすることもなく、かといってそそくさと壇から降りるわけにも行かなくなり、このように毛沢東は相手を追いつめる演出が非常にうまかったと陳凱歌は評しています。

 そのうち毛沢東も公然と、「共産党の指導部内に裏切り者がいる」と主張するようになり、先ほどの紅衛兵という少年少女らで組織される私兵団も毛沢東の応援を受けて各学校ごとに作られて増加の一途を辿り、自体は徐々に深刻化していきました。

 今回はちょっと短いですが、ここで終わりです。なぜなら書いててそろそろ、毛沢東思想の解説を始めないとまずいなと思い始めたからです。私なども全然毛沢東思想を勉強していませんが、多少なりともこの思想の骨組みがなければこの文化大革命はただの騒動で終わってしまうので、次の回ではつたないながらも毛沢東思想をやります。せっかく話が盛り上がってきたところなんだけど。

2008年9月19日金曜日

中国粉ミルク問題についてのおまけ情報

 報道によると、何でも中国にて人体にとって有害なメラミンが含まれた粉ミルクが大量に流通し、それを服用した幼児が死亡したりするなど大きな問題になっているようです。なんていうかこういうニュースを見ると日本の事故米なんて問題なんてどうでもよくなるくらい大きな食中毒事件が頻発する中国ですが、こういうニュースは報道するくせに、何でアレにはノータッチなんだろうといつも思うことがあります。

 これは最近解説ばっかでめっきり少なくなった私オリジナルの情報ですが、私が中国に留学中、いつものようにスーパーを歩いていた時でした。私は当時スーパーでよく買っていたのは、まずは朝食用の食パンです。何故だかプレーンな味にこだわろうとして滞在中は常にバターもジャムも何もつけずに食べていました。次に飲料。向こうは一年を通して日本より乾燥しているので、とにかくよくのどが渇くので大きいサイズのペットボトルの水をよく買いました。そして、夜に楽しむためのお菓子。いろいろありますがどれも中国テイストで一部の味が濃いものばかりなので、無難に万国共通の味であるプリッツが多かったのですが、留学の後半は飲むヨーグルトもよく買ってました。

 そんな具合にいつものようにスーパーをまわっている時、ちょうど今問題になっている粉ミルクなど何かに溶かして飲むような栄養剤や粉末状の食品を回っているコーナーで、それを見つけました。

Σ (゚Д゚;)<肉骨粉!?

 そう、例のBSEの発端となったアレです。なんかの見間違いなんじゃないかと思ったり、中国語の意味と日本語の意味が違うのじゃないかといろいろパッケージを見てみましたが、表面にはもろに牛の絵が描かれているし、裏面にはきちんと牛のホルモンなどを粉末状にしたものだと説明され、水に溶かして飲む滋養強壮剤として売られていることがきちんと書かれてました。
 さすがに、イギリスのように狂牛病となった牛とか使ってないよなとか考えましたが、中国にそんなことを期待するのが間違っていると、すぐに考えを改めました。
 
 狂牛病というのは、アスベストを原因とする肺気腫のようにすぐさま症候がでる病気ではありません。なので後十何年もしたら、中国でなにかしら問題が明らかになってくるかもしれません。もちろん、当時の私の中国語が未熟で読み間違っているとか、安全な牛が使われたものだと信じたいのですが……。

太田農水相辞任について

 帰宅が遅い日に限って、あれこれ書く話題が多いというのも因果なものです。しかし今日は私が今最も熱中して読んでいる「ノノノノ」の単行本三巻が発売されて、先ほど読み終わったところで非常に気合が入っているので、調子よくバンバン書いていけそうです。昨日なんか結構難しい話題とはいえ、非常に表現が悪かったし……。

 それで早速本題です。いちいちリンクを貼るまでもないのでこのまま解説に入りますが、本日太田誠一現農水大臣が辞任を発表しました。辞任理由は自己米問題で消費者を混乱させたためと述べていますが、結論から言うと私は絶対にこいつの辞任を認めません。

 既にいくつかの解説でも書かれていますが、今回辞任したのは明らかに世間の批判から自分の身を守るためでしょう。事故米問題が起こり、保身のために農水省が行った流通業者リストを公開によってで批判から身をかわすどころか逆批判が起こり、恐らくその反応を見て怖くなって辞任したというのが本音でしょう。福田首相が辞任して事実上内閣が機能していない現在、この段階で職務放棄するなんて呆れて物が言えません。また農水省の不手際の責任を取っての辞任といっておきながら、その同じ会見で農水省の役人は頑張って働いているなどと彼らを弁護するあべこべの発言もしており、それだけ頑張りを認めているのなら貴様もしっかりと働けと言いたいものです。

 自民党にとっても、この辞任は毒薬のように悪影響を強く残すでしょう。せっかく総裁選が盛り上がって福田首相の突然の辞任の悪いイメージが払拭してきたこの中でまた問題を起こしての辞任ですから、もし十月に総選挙が行われるとしたら今回のニュースも必ず影響してくるでしょう。

 物事の責任の取り方というのはその状況次第にあると思います。たとえば大きな失敗をしてしまい、その失敗を取り返すのに他によい人材がいるなかでその人材に後を任せるというのは正しい責任の取り方です。しかし大きな問題が起こり、自分は知らないよとばかりにすぐさま身を隠すのは責任を取るのではなくただの逃避です。今回の太田農水相の行動は後者です。絶対にやめること認めず、世間の批判を存分に受けるくらいの仕事は無能でもできるんですから、しっかりとお役目を果たすべきでしょう。

2008年9月18日木曜日

文化大革命とは~その三、革命前夜~

 文化大革命についての三回目の連載です。そろそろ書いててしんどくなってくるところです。
 さて今回は文化大革命が起こる前の、中国が置かれていた状況について解説します。

 まず第二次大戦後、現中国を支配している中国共産党と現在台湾を支配している国民党との間で戦闘が始まりました。当初は双方共同で国を治めようという話もあったのですが、もともと戦闘しあっていた者同士で、目下の敵の日本軍がいなくなるやすぐさま内戦を始めました。因みに、その際の戦闘に使われた兵器の大半は日本軍が置いていった兵器だったようです。北京にある軍事博物館によると、中国で初の戦車は日本軍からの分捕り品だったくらいですし。

 そうして戦い合う中、恐らく組織戦としては相当早い段階でゲリラ戦を確立した共産党の人民解放軍が徐々に勝利していき、最終的に国民党を台湾へ追い出して1949年に現在の中華人民共和国が成立します。戦争に勝利後、文化大革命の主役である毛沢東は天安門広場にて「中華人民共和国、成立了!」と宣言して、この時を持って正式にこの国は建国されたとされます。 
 もっとも建国直後に朝鮮戦争が勃発し、当初はソ連一辺倒ではなくアメリカとも交流を続けようと考えていた指導部は悩んだ末に北朝鮮に味方してアメリカと袂を分かつ羽目になるなど、いろいろと困難もありましたが、当初は共産党内部の高い士気とともにそこそこうまくやっていきました。この歯車がおかしくなり始めるのは1950年代の後半からです。

 この時期から中国はソ連の「五ヵ年計画」を真似た、あの悪名高き「大躍進政策」を行い始めます。これはその名の通り、数年の期間内に農業や工業の分野で一気に先進国に追いつくという国家政策のことです。ソ連の五ヵ年計画も内実は結構ひどかったらしいですが、一応は工業面で大幅な前進が見られて二次大戦でドイツと戦うだけの土台ができたのに対して、中国のこの大躍進政策は破壊と荒廃しかもたらしませんでした。
 ソ連では「コルホーズ」といって、農民を一箇所に集めて強制的に作業をさせる集団農場を作りましたが、それに対して中国では「人民公社」といって、事実上個人の自由を奪う集団体制へと国を整えていきました。

 この大躍進政策の中で工業政策では鉄鋼の生産量でイギリスを追い抜くという目標があったのですが、各地域の責任者には目標生産高の達成が義務付けられたため、実際には鉄を作ろうにも鉄鉱石が不足するもんだから、片っ端からまだ使える鉄製の農具などを溶かして粗鋼を作っていき、確かにイギリスの鉄鋼生産量を追い抜いたものの、その作られた鉄のほとんどは役に立たないくず鉄ばかりだったそうです。更に鉄の精製技術も低いものだから延々と土方高炉という、原始的な精製方法でその燃料として木材を燃やし続けたため、今に至る中国の水不足、環境破壊という問題を作る羽目となりました。

 農業政策でも、なんと言うか今の北朝鮮のように明らかに農業について知識がないにもかかわらず、素人の浅知恵のような政策が強行されてしまった例があります。最も有名なのは雀の駆除で、雀は稲穂をついばむから害鳥だといって毛沢東の指示の元、中国全土で一大雀駆除キャンペーンがこの時期に行われました。これなんか私も中国の博物館で見たことがあるのですが、雀を驚かしたり追い詰めたりするわけのわからない器具が全国に配られ、結果的に雀の大幅な駆除に成功するのですが、その代わりに雀が食べていた害虫が異常繁殖してしまい、収穫期になるとすべての作物が大不作になるという事態を引き起こしてしまいました。

 一説によると、この時の大飢饉で数千万の人間が餓死したと言われています。昔読んだ記事によると、誰だか名前を忘れましたが、確か李鵬だったけな、子供の頃は夢の中で満腹になるまでものを食べては目を覚ますという事がこの時期何度もあったと言ってました。
 「ワイルドスワン」の作者によると、当時の人間でもこの大飢饉が天災によるものではなく、明らかに人災によるものだとわかっていたそうです。それでも共産党政権の転覆、そこまでいかなくとも民衆の反乱が起こらなかったのは先ほどの作者によると、この飢饉の時期には共産党員も一般民衆同様に飢えていたからだと分析しています。

 なんでも、国民党がブイブイ言わせていた時代は飢饉だろうと何だろうと、国民党の人間は毎日大量のご馳走を食べて贅沢な暮らしをしていたそうです。それに対してこの時期の共産党は先ほども言ったとおりに士気は高かったらしく、横領や独占が非常に少なかったそうです。もしかしたらそんなことをするほどの食料すらなかったのかもしれませんが、今の共産党からするととても信じられない話ですがそうらしいです。

 このようにシャレにならないほどの政策の大失敗を犯してしまい、さすがの毛沢東もしょげていたそうです。自身の食事にも国民が飢えているのだからといって豚肉の量を減らしたそうですが、これは確かアメリカの記者の評論ですが、国民が飢える中で毛沢東は個人的なダイエットをしていたと、何の問題の解決になっていないことを指摘されていました。
 そして共産党の幹部も、この惨状に対して毛沢東を追及するに至りました。これは先ほどウィキペディアを見ていて私も始めて知ったのですが、後に実権派として名を馳せる劉少奇が、この時に毛沢東に対して、
「地方では人肉を食べて飢えをしのぐ者まで現れたことを記録に残せ」と詰め寄ったらしいです。

 こうして毛沢東は実権を追われることになり、その代わりに経済政策などに実績のある劉少奇と鄧小平が政権の中枢に立つことになりました。彼ら二人のコンビの活躍もあり、大飢饉の後は穏やかではありますが、比較的政治的にも社会的に安定した時期が過ぎていったのですが、それを毛沢東が快く思うわけありません。
 これは陳凱歌やその他大勢の人間が評していますが、毛沢東というのは生まれながらの反逆児で、常に何かに抵抗しなければ気がすまない性格だったそうです。歴史的に見ても、最初は両親、次に初期共産党内のリーダー、そして日本、国民党と抵抗相手を変えていき、最後には自らが関わった共産党を抵抗相手に選んだと見るべきでしょう。

 この時期、毛沢東は政界を引退して中国の南方で優雅な年金生活のようなものを表面上は送っていました。しかしその間、未だ中央に残る腹心を使って徐々に、それも目立たずに工作を続けていました。続きはまた次回に。

  追記
 本文中で「雀」と書いてある箇所をアップロード時は「燕」と間違えて書いてしまっており、コメントでの指摘を受けて修正してあります。なんで間違っちゃったんだろう……。

2008年9月17日水曜日

事故米自殺事件に見る農水省の無自覚

 まだ民放などは細かくチェックするに至っていませんが、今日は昨日に引き続きリーマンブラザーズ社やAIG社のニュースばかり取り上げられ、ここで紹介するニュースの扱いが非常に小さい気がします。なので、ここで私が思いの限り文章に起こすことにしました。

「事故米」流通先社長が自殺…奈良(YOMIURI ONLINE)

 リンク先の記事によると、すでに私も「三笠フーズ事件の再考」の記事の中で取り上げている事故米事件において、事故米の流通先として農水省によって公表された奈良県の食品販売会社社長が自殺に追い込まれてしまったようです。この事件について私の感想を素直に述べると、農水省への怒りで何も言えないというのが本音です。

 政府は先週頃から、今回の事故米事件で三笠フーズが事故米を流出させた業者を次々と公表していきました。何故政府、というよりもこの場合は農水省ですが、彼らは業者名を公表するに至ったのかと言うと、あまり他のメディアなどでは言及されていませんが、まず間違いなく自分たちの保身のためでしょう。

 どういうことかというと、今回の事故米事件において前回の私の記事でも既に言及して、先週末によってメディアによって明らかになったように、案の定農水省にて本来これらの流通を監督する部署にいた元課長が三笠フーズから接待を受けていたことが明らかになりました。本人は安い食事をしただけだと言っていましたが、公務員服務規程によって一般人から食事等の接待を受けることは割り勘を含めて基本的に禁止されており、外務省にいた際に佐藤優氏などはこの規定によって人との夕食では自分が毎回おごる羽目になったと言っているくらいなので、職務に関係する企業ともなれば言語道断ともいえる行動です。

 恐らく、この事件が業者名の公表に至った一つの契機であったと私は見ています。なぜなら、事故米を使用したなどと衝撃的な言葉とともにこれらの業者名を上げることによって世間の耳目をそらし、この事件による農水省への批判をそらすのが連中の目的だからです。この農水省のもくろみは見事に当たったのか、今日になるとこの農水省の元課長のニュースはほとんど上がってきません。しかしその代わり、本来農水省が職務を果たさなかったばかりに流通することとなった事故米をつかまされて、被害者であるはずなのに名前を挙げられた業者の方々は風評被害によって大きな打撃を受けることになりました。マスコミもマスコミで、さっきもNHKが、「有名なお店でも使われてた」、などとくだらないことを報道しています。

 しかも、この業者名公表は相当に急いで行われたという事実も明らかになりました。

業者名公表めぐり混乱=事故米転売問題で農水省(時事ドットコム) 

 リンク先に貼ったニュースによると、なんと農水省が最初に発表した業者名のリストは九十箇所以上も間違いがあり、中には実際には流通していない企業名まで含まれていたそうです。もしこれが民間の報道機関であれば、風評被害を与えたとして社長以下役員が記者会見で頭を下げて謝罪をしなければならないほどの大問題です。何故こんなに間違いがあったのか、それは私が予想するように農水省がなんとしても批判の矛先をかわすためでしょう。

 思えば農水省は昔からこういうことをしょっちゅうやらかしています。かつてBSE問題が発生した際も、牛の全頭検査をやる傍から感染牛が見つかった場所を大々的に公表し、そのあまりの報道の過熱振りに感染牛を割り出した何の罪もない検査者が自殺に追い込まれています。

 こういった健康被害に関する情報を隠すのは間違いです。しかし、報道があまりに過熱する可能性があるような情報の場合、誤解を与えずにかつ正確な情報で公表することが大前提です。何も難しいことを言っているわけじゃありません。普通に考えて、公表すべきものを公表し、公表すべきでないものは公表しなけりゃいいだけです。そういった目で見るならば、今回の業者名公表は明らかに公表すべき問題ではありませんでした。なぜなら風評被害が確実に起こることが目に見えており、またその事故米は農水省側の不手際によって流通してしまったからです。第一、農水省側の発表では、この事故米を食べても健康被害はないというのだから、なおさら業者名を公表する理由がわかりません。

 それでも公表に至ったのですから、ここは是非農水省の側も今回の公表を決めた課長級以上の関連する人物名をはっきりと公表するべきでしょう。同様に、最初に三笠フーズから接待を受けていた元課長の名前と現在の部署もです。このブログでハンドルネームを使っておきながら私もこんなえらそうなことを言うべきではないかもしれませんが、批判を恐れて名前を隠すなら発言自体するべきではありません。私は中間をとって、メールアドレスは公開してますが。

米FRB、AIG救済について

 本当は昨日こっきりのサブプライム話でしたが、なんか大いに盛り上がっているので続きを書きます。

 さて昨日は風評だからあまり信じちゃいけないけど今じゃ信じられないことすらも起きちゃうからねと言っていた米保険業界大手のAIG社について、本日、案の定滅茶苦茶に株が売られて下がるところまで株価が下がったところ(一時一ドル台まで落ち込んだ)で、アメリカのFRBがなんと日本円にして約九兆円もの融資をして救済すること発表しました。

 先日のリーマンブラザーズ社はFRBに同じく融資を申し込んでいたにも関わらず拒否されて、今回AIG社は逆に救済されました。簡単にネットで検索をかけてみましたが、まだあまり日本の報道社などはリーマンブラザーズ社と違って情報を集めきっていないようでやや情報不足ですが、その中でもいくつかこの対応についてコメントしている記事を読んでみると、やはり証券会社と比べて保険会社は公益性が高く、その影響が大きく広がることを懸念したためだという風に書かれていました。

 実を言うと、私も三年前にこのAIG社の保険に加入しておりました。どんな保険かというと、留学生保険です。
 外国に留学している間というのは日本国内のように健康保険が適用されず、ちょっとでも病気をしようものなら現地でものすごい額の治療費が必要になってきます。私が加入したのはそのような場合を想定して、何かあった場合にその分の費用を補填してくれるという保険でした。もっとも先々週に突然倒れて意識を失った私ですが留学中にはこれといって病気をすることはなく、この保険は一回も活用することなく満期終了に至ることになりましたが。
 しかし後から調べてみると、中国では企業などの雇用先が病院等を経営していることが多く、そうした雇用先に属していない人間が治療を受ける場合は相当な治療費が必要になるそうなのです。何も病気せずに保険代を無駄にしたかなと思っていましたが、そんなリスクを改めて考慮するとこの保険は無駄ではなかったと思うようになりました。

 昨日、AIG社が相当やばいという話を聞いた時、すぐさまこの際の保険のことを思い出しました。それこそAIG社が破綻したら、加入している保険も恐らくは有名無実化されていたでしょう。そんな時、私のように留学生保険をかけている留学生などは大きな被害を被るでしょうし、ましてや中国で非常に多い交通事故にそんなときにででもあったら、本当にえらいことになるのではないのかと思ったので、今回のFRBの対応もまぁ確かにわかる気がします。

 今横でやっているNHKのニュースでも、救済された理由は影響力の大きさとコメントしています。私なんかは疑り深い性格をしているので、単純に国への献金額が多かったからではないかとすら類推してしまいます。どちらにしろ、今回の救済は決して安いものではないことです。

 なにしろ本来市場に出回るはずのなかったお金が九兆円もばら撒かれるのです。今後ドル価格はどんどん下がり、昨日の私みたいにユーロや人民元が買いだという人間がこれから続出すると思います。日本としては唯一利益を上げている輸出産業が打撃を食らうので、巻き添えを食うことは間違いないでしょう。まぁその分、原材料コストは下がってくるかもしれませんが。

 そしてもう一つの懸念が、救済はまだ続くかということです。恐らく、FRBとしては先週の政府系銀行の救済で締め切って、後はリーマンブラザーズ社のように見捨てていくというシナリオだったはずでしょうが、今回のAIG社でそう行かなくなりました。今後も救済を続けるのか、それとも後は市場に任せるのか。日本の過去の経歴だと、大枚をはたいておきながら実質ほとんど効果のなかった日本長期信用銀行などの例があり、見切りをつける時期が今後の一つのポイントとなると思います。

2008年9月16日火曜日

文化大革命とは~その二、概略~

 のびのびになっていましたが、連載二回目です。

 早速文化大革命についてあれこれ書いていこうと思いますが、前回の記事でも書いたように、この文化大革命は本当に複雑な事件なのです。私も今こうしてウィキペディアの記事を読み返していますが、何度も読んだはずなのになんかいまいちピンとこれずにいます。
 そこで今回は最初の方ということもあり、文化大革命の概略とその流れについて書いてみようと思います。今後の連載でも恐らく読んでいる方は何度もわけがわからなくなると思いますが、そのたびにこの記事を読み返してくれればというつもりで書きます。

 まずこの文化大革命は誰によって起こされたのかというと、それは間違いなく毛沢東です。こんなことを言うと中国では捕まるんじゃないか、という思われる方も多いでしょうが、今じゃちょっとわからなくなりましたがちょっと前だったらニュアンス的には間違っていないんじゃないというように、中国人にもちゃんと受け取ってもらえたと思います。ここで書いておきますが、日本の方は中国人を必ずしも侮らないように。きちんと彼らも隠し様のない事実くらいは理解しております。

 日本の歴史教育だと毛沢東は中華人民共和国が成立して以降、一貫して権力者であったかのように誤解されがちなのですが、実際には彼は一度失脚しています。何故失脚したかというと、農業政策や社会政策などで明らかな失政を犯してしまい、一度鄧小平といった経済政策などに明るい政治家らに引退を迫られ、一旦は政権の中枢から降りています。しかし彼自身は未だ引退する気はさらさらなく、表面上は穏やかに政権の座を譲ったかのように見えましたが、その後自らは隠遁したふりを見せ、未だ政権に残っている自らの腹心を使い徐々に世論を誘導して、「鄧小平らは毛沢東を騙して政権から追い出した」、というような世論を作っていきました。

 以前に大学の授業にて中国政治の先生がこの文化大革命のことを、毛沢東が権力を奪回させるために敢えて社会を混乱させたところ、終いには自分にも手がつけられなくなったと評しましたが、まさに的確な表現でしょう。毛沢東は民衆、特に精神的に純粋な十代の少年少女らを使い、自らを神格化させることによって見事鄧小平を追放し、政権の奪回に成功します。しかし少年少女らを扇動する際に毛沢東は、

「お前たちが正しい。しかし大人は間違っているから、お前たちが修正してやらなければならない」

 といったような言葉で動員し、この言葉を真に受けた若者たちは一切権威を信じず、自ららが組織した団体の決定を強引に推し進め、更には本来それを取り締まる警察や軍隊は毛沢東らの中央政府の命令によって鎮圧ができずに静観するだけという、悪循環な環境を生んでいくことになります。
 この時代について私に中国語を教えてくれた中国人教師の方などは、当時は軍隊が全く機能しておらず、子供だった先生は勝手に基地の中に忍び込んでは手榴弾を取ってきて投げて遊んでいたというくらいですから、その混乱振りがうかがえます。
 このように、ごくごく一般の社会機能がほぼすべて失われ、当時の中国はさながら無政府状態のように、殺人があっても誰も気に留めず、また好き勝手に泥棒や強奪が頻発したらしいです。

 毛沢東も途中からはこうした暴徒と化した若者を押さえにかかり、あの悪名高き農村への下放を推し進めていくのですが、それでも彼の存命中はこの混乱が収まることはありませんでした。
 しかし毛沢東が死んで鄧小平が復権すると、やはり中国の民衆は当時の状態が間違っているということはきちんとわかっていたのか、鄧小平の指示の元に一気に体勢を立て直していくに至りました。

 一説によると、この文化大革命の死者は1000万人を越し、生きていても社会的に大きな打撃を受けた者となると当時の中国人の半数以上とまで言われています。私の日本人の中国語の恩師は60歳を少し過ぎた年齢ですが、先生によると、中国には先生と同じ年代の学者はいないそうです。文化大革命中、少しでも学識のある人間は「知識分子」と呼ばれ、激しい批判や暴力を受けて社会的にほぼすべてが抹殺されたと言われ、ちょうどこの年代に当たる知識人層が何十年も立った今でもすっぽりと抜けているということを知った時、寒気にも似た気持ちを覚えました。

リーマンブラザーズ破綻について

 三年前のある日、後輩にこんなことを聞かれました。

「先輩、今一体どんな業種の会社が調子いいんですかね?」
「そうだなぁ。調子がいいと言えば自動車会社だろうけど、伸びているという意味では不動産証券化業界じゃないかな」

 この話を思い出すにつれ、この時自分はちゃんと勉強していたんだなぁと我ながら感心しています。当時、確かにこの業界は非常に伸びて、伸びて、そして去年になって一気に縮んじゃいました。不動産証券化業界というのは日本語で、英語にするならば即ち、サブプライムと呼ばれる業界です。

 今日は友人からリクエストがあったので、先日に破綻して今日はもう大騒ぎになっているリーマンブラザーズ社について書きます。本当は私などより別の友人のほうがこの問題にも詳しいのですが、まぁ情報を整理する意味合いで持てる情報と予測を書いてみようと思います。

 まずこのリーマンブラザーズ社ですが、テレビなどでも昨日から散々報道されていますが、かつてはライブドアによるニッポン放送買収事件の資金源となるほどこの世の春を謳歌したアメリカの巨大ヘッジファンドでしたが、同様にサブプライムローンの総元締めでもあったために去年のサブプラムローン破綻でとんでもない額の損失を出し、この度アメリカ政府に対して破産申告をするにいたりました。順位的に言うならこのリーマンブラザーズ社はアメリカの証券会社の中で四位に位置し、敢えて卑近な例で比較するなら、かつて野村、大和、日興と並んで四大証券会社と呼ばれた山一證券の位置に属し、山一證券同様に破綻したという構図になります。何気に、破綻理由が実体のない不動産価格上昇に乗ってしまった故の損失という点でも一緒です。

 次に破綻のきっかけになった理由ですが、報道されているのを見る限りアメリカの連邦準備理事会、通称FRBがリーマンブラザーズ社が公的資金の注入、いうなれば資金の救済を願い出たのを断り、また引き受け先としてリーマンブラザーズ社の買収を協議していた別の金融会社が救済をあきらめたという情報が入り、株価が下げとどまらなかったことが止めを刺したようです。
 それでこのFRBなのですが先週に、同じくサブプライムで大損失を食らった別の銀行会社複数には公的資金を注入しております。先週に銀行を保護したことから当初、市場関係者らは今回もリーマンブラザーズ社は救済されるだろうと見ていたようなのですが、現実はさにあらず見事に袖にされてしまったようです。この対応の違いについて確か日経新聞が書いていましたが、FRBはこれ以上公的資金の注入を行うことによるドルの下落を恐れたというのが原因ではないかと予想していました。確かにただでさえ下がっているドル価格なのですから、これ以上流すと下がることは必定でしょう。

 またまたこのFRB関連の情報ですが、やはりFRBとしてはこれ以上自前で金を出したくないようです。そこでFRBは米証券業界の一位と二位であるゴールドマンサックス社とJPモルガン社に対して他社を救済せよとハッパをかけているようです。それで早くも風評が飛び交っていますが、本当は書くべきじゃないんだけどこの次は米保険業界の大手であるAIGが破産する、もしくは買収されると言われております。風評を簡単に信じ込むのはどうかと思いますが、今回のリーマンブラザーズ社も先月辺りから危ない危ないと言われ続けてきているので、風評といえども今の状態では見逃すことはできません。
 また救済をするようにと言われているゴールドマンサックス社とJPモルガン社はまだ今期の営業成績を発表しておらず、実際にはこの二社も相当な損失額を計上するのではないかとも言われています。さすがにゴールドマンサック社は……と思うのですが、仮にこの二社までとんでもない損失額を計上していたらアメリカ経済はえらいことになりますよ。

 では、今回のこのリーマンブラザーズ社の破綻による日本への影響ですが、まさに太平洋を挟んでるからといって対岸の火と見てはいけないのではないかと思います。なぜなら、既に一部で報道されていますがあおぞら銀行を筆頭にいくつかの邦銀が相当額のリーマンブラザーズ社の社債を保持しており破綻のあおりを受けて損害を受けることが予想されています。また現在の日本企業で利益を上げている企業というのはすべて海外での取引によって儲け、国内では赤字という企業ばかりです。代表的なのはトヨタなどの自動車業界ですが、今後もアメリカ金融市場が混乱することによってドル価格は下落し、その分円高になるので輸出による儲けは全体的に落ち込むことは明白でしょう。
 どうでもいいけど、今年の五月くらいに日本の自動車業界で唯一マツダの株価が上がりました。なぜかというと、調子の悪いアメリカへの輸出が最も少ない日本の自動車会社だから(その分ヨーロッパへの輸出でマツダは成り立っている)というだけで、市場がどれだけアメリカに対して警戒感を持っていたかというのがわかります。

 私は今年の景気はオリンピック景気が終わることによる世界の工場たる中国の成長が止まり、中国を発端にして景気は後退するのかと思っていましたが、実際には逆でアメリカが原因で後退するに至りました。せっかく一時期は1バレル150ドルを超えていた石油価格が100ドル台、つまり三分の二まで戻ったのに、こんな風に景気が混乱するというのはなかなかに皮肉な結果です。アメリカ企業への投資はもう駄目だから再び金や石油に投資が集まるだろうという予測がありますが、私なんかはかえってこのタイミングで人民元とか買ってみたら面白いと思います。それにしても人民元も、四年前だったら日本で買うことできなかったのに時代は変わるもんだなぁ。

2008年9月15日月曜日

ゲーム「ペルソナシリーズ」のレビュー

 ちょっとまだ体がだるいので、気を抜くがてらにゲームのレビューです。今日やるのはアトラスから出ている「ペルソナシリーズ」です。

 もともとこのシリーズはアトラスの人気シリーズである「女神転生シリーズ」から派生した作品でしたが、本家よりいつの間にかこっちのほうが人気が出てしまい、現在では一シリーズとして独立しています。
 私がこのゲームをやりだしたのは最初の作品である「女神異聞録ペルソナ」が中古で安かったのと、同じくアトラスから出ている「グローランサー」というゲームをやったついでにという形で入りました。

 これは多分私だけではないでしょうが、このシリーズの最高傑作と呼べるのはこの初代ペルソナでしょう。はっきり言ってゲームバランスは他のアトラスのRPG作品同様に崩れまくっており、この作品もご多分に漏れずレベルはなかなか上がらないわ、敵はむやみやたらに強いわでなんど放り投げかけたか。しかもレベルがかなり上がらないと使えないペルソナ……説明し忘れましたが、このゲーム、漫画「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくる「スタンド」とまんま同じな「ペルソナ」というものを使って悪魔と戦うゲームです。このペルソナはいろいろ種類があってレベルがそのペルソナに設定されたものに達しないと使うことができないのですが、タダでさえレベルが上がりづらいのに普通にレベル80は行かないと使えないものがごろごろしていて、どれだけユーザーをなめているのかと何度思ったことか。

 それでもこのシリーズが人気が出たのはやはり練りこまれたシナリオでした。漫画版も私は全部そろえましたし、なんかあちこちで評判を見ていると今でも高く評価されており、PS2でのリメイクも期待されています。そんなわけでいちおうクリアできて、また面白かったということもあって続編の「ペルソナ2 罪」が出たときはすぐに買ってやったのですが、なんと言うかこっちの終わった感想は非常に消化不足な感しか残りませんでした。一応前作の続編ということで、前作のキャラクターたちも出てくるのですが、これがまた申し訳程度で全然ストーリーに絡みはしないわ、新キャラクターは新キャラクターで、主人公からヒロインを含めて有名な声優は使ってはいるのですが、あからさまなミスキャストでゲームをプレイするたびに萎えさせるボイスでした。

 更に致命的だったのは、この頃辺りから当時のアトラス作品のメインイラストレーターであった金子一馬氏の衰えが目立ち始めてきました。金子氏は悪魔を描かせたら日本一と言われるだけ世界中の神話のキャラクター達をこれまで写実化してきた偉大な人物ではありますが、それまでの作品では非常に癖のある絵でしたが、彼が描く人間のキャラクターには不思議な魅力があり、悪魔同様に大きな存在感がありました。しかしこの「ペルソナ2」の辺りからは非常に癖のある画風はそのままで、存在感だけがすっぽりと抜け落ちてきたように見えました。特にひどいのは人物画の配色です。各部位の色は基本一色で塗りたくり、なんというか全体的にのっぺりとした絵になってしまいました。「ペルソナ2」の主人公なんか、髪の毛を原色に近い茶色一色で塗りたくっているから、ヘルメットかカツラを被っているようにしか見えないし。

 そしてこの作品の最大の失敗は、このシリーズの戦闘における最大の醍醐味である、悪魔との交渉が非常にめんどくさく面白みのないものとしてしまったことです。これは他のRPGにもいえますが、基本的にザコ敵との戦闘は一分以内に終わるものがベストです。一回の戦闘に三分以上かかるとレベル上げの作業が非常に面倒になるだけでなく、ゲーム全体のプレイ時間、テンポに大きく影響させてしまいます。ドラクエ、FFシリーズなどはどれも短く終わるように設計されており、逆に駄目なRPGほど戦闘時間は長いものが多いような気がします。

 それでこのペルソナシリーズですが、大体一回五分くらいかかるのがざらです。なぜならこのゲームはドラクエ5以前に悪魔と交渉して敵を仲間にするシステムを導入しているため、戦闘中にあれこれ選択肢を選ぶように作られています。これが「ペルソナ1」の頃なんかは面倒と思うこともありましたがなかなか面白く、各キャラクターごとに「歌を歌う」とか「おだてる」などと交渉コマンドが決められており、キャラクターの個性化に成功したのですが、「ペルソナ2」になるとこの交渉がただただ面倒な作業になり果て、しかも交渉の結果得られるものが明らかに前作より少なく、前作以上にこの交渉を多くしなければならなくなるという不手際を犯してしまいました。

 こんな感じでもうどうしようもなかったのですが、多分そうだろうなぁと思っていたら悪乗りして「ペルソナ2 罰」という作品まで作ってしまいました。しょうがないからやりましたけど、これもまた面倒なだけの作品で、「ペルソナ1」でよかったシナリオはどこ行ったのかと思うようなくだらない自己完結作品でした。またこれは「ペルソナ2」全体に言える事ですが、確かに「ペルソナ1」ほど不条理に満ちたゲームバランスではなくなり難易度も落とされているのですが、前作は難しいなりに、ボス戦などには抵抗属性などを用いた対策が非常によく効き、戦闘に戦略を持ち込むことができたのに対して「ペルソナ2」は全くそういったものがありませんでした。まぁ、「ペルソナ1」の場合は対策が効き過ぎて、私の場合ラスボス戦がノーダメージで終えられたというのがありますけど。

 そんなわけで多分今後もこのシリーズは駄目だろうと、その後にアトラスは「女神転生Ⅲ」とか出しましたけど、私は一切手を出しませんでした。しかし全然知らなかったのですが一昨年に「ペルソナ2」の発売から七年も経過して、いつの間にやら「ペルソナ3」を出していたことをちょっと前に知りました。そしてあれこれレビューを見てみると非常に高評価だったので、ちょうど手持ち無沙汰だったのもあってつい最近に購入してやってみました。結論から言うと、前作よりは大分マシになっています。

 まず悪魔のイラストはこれまでどおりに金子一馬氏ですが、キャラクターのイラストを副島成記に変えており、これは高く評価できます。私に限る話ですが、キャラクターに対して前作にはできなかった感情移入が非常にしやすいデザインとなっており、また声優陣もどれもキャラクターにあった人を選んでいます。
 肝心のゲーム内容も、今作は「弱点システム」というのが搭載され、非常に戦略性が重視されるものになっており、現段階でなかなか評価できます。

 まだやり始めている途中ですが、この作品はまだ人にも薦められる内容です。でもこれをやるよりも、やっぱり一作目をやったほうが全然いいと思ってしまいます。何もゲームに限るわけじゃないけど、早くに作品として完成させてしまうと、続編を作り続けるのが非常に難しくなってしまいます。同じような例だと、KOEIの「三国無双2」とかかな。これなんて2で完成しちゃったもんだから、その後はどんどんつまらなくなっていくし。特に「戦国無双シリーズ」の一作目に、本田忠勝を使用キャラに選ばなかったときはKOEIは頭がおかしくなったのかとすら私は疑いました。

2008年9月14日日曜日

文化大革命とは~その一~

 私が中国に留学中、授業時間が余ったのである程度中国での生活を過ごしてきた私たち外国人学生に対して、中国人の先生がある日、「あなたたちから見て、中国人はどんな風に映る?」と尋ねてきました。すると一人の学生が「行列に並ばない」、とお決まりのセリフを言いました。それに対し、他の数人の学生もうんうんと無言でうなずきました。
 先生も苦笑しながらその通りねと言いながら続けて、「何で中国人は行列に並ばないのかしらね」と、逆に聞いてきました。すると間髪をいれずにドイツ人の学生(チャイニーズネームなら「郭焼磊」)が、「並んだところで、目当ての物が手に入らないことがわかっているからだ」と答え、先生も再びその通りと頷きました。
 ここまで話すと先生は改めて私たち学生に向かって、こう話しました。

「少し前の中国は文化大革命といって、非常に社会が混乱した時期がありました。その頃は今言ったように、お金を持って並んでも何も手に入らない生活を中国人は強いられ、その時の体験から中国人は行列に並ばなくなったのだと、私は思っています」

 この先生の言ったことは間違いなく正しいと私も考えています。よく中国人が行列に並ばなかったり信号を守らなかったり、果てには商取引上の約束を守らないことを中国人の大昔からの民族性だと言う人もいますが、日本人が古くから民族性と思っている習慣や行動形式の大半というのは、案外歴史が意外に浅かったりします。
 たとえば日本人は逆によく自分たちは行列好きと自認している節がありますが、これもあれこれ調べてみたところ、どうも戦中の配給制で行列を作ることを強いられたことから始まったようです。イギリス人も全く同じですし。

 このように、思考方法や行動形式はそれほど大きく歴史を掘り下げなくとも、割と近現代史をみることによって形成過程を追うことができます。そこで中国の場合ですが、現在の中国人に最も影響を与えたのはほかならぬ、これから連載して解説していくこの文化大革命に間違いありません。行列を守らないことから相手の意見に対する反応など、さらには現中国の国家体制からその存在意義もこの文化大革命を否定することで成り立っています。それほどまでに、文化大革命が中国に与えた影響は計り知れないのです。

 それほど現代中国に大きな影響を与えた文化大革命ですが、その内実を詳しく知っている日本人というのは非常に少ないと私は思っています。私は留学中、中国に来た日本人の多くが中国に対する知識をほとんど持っておらず、中には満州事変すら何のことだかわからない日本人がいた事に怒りすら感じましたが、この文化大革命についてはわからなくてもしょうがないと納得します。何故そんな風に思うのかというと、それほどまでにこの文化大革命は問題が複雑で、大まかな流れだけでも政治学、歴史学、私の専門とする社会学のそれぞれの見地からで全然構造が変わってきてしまうからです。大学のある中国政治に関する授業においても講師が、もしこの文化大革命を取り上げるならば授業時間が一年あっても足りないと言うくらい、非常に理解が難しい問題であります。

 実際のところ、私もどこまでこの問題を理解しているか自分でも疑問です。しかし中国との関わりが増えていく中、日本人でもこの文化大革命の知識を持つことは非常に重要になってきますし、また解説サイトはいくつか見受けられますが、やはり非常に読みづらいし理解し辛いものが多いので、自分の表現力で可能な限りわかりやすくできるように挑戦してみようと思います。

 解説は基本、私の専門とする社会学的な見地で進めていきます。私の理解でも、この文化大革命は一大政治事件というよりは人類史上最高のモラルパニックというように見ております。参考資料はまたも安直にウィキペディアの「文化大革命」の解説ページと、現在も活動なされている中国人映画監督の陳凱歌氏の著作「私の紅衛兵時代」と、同じくこの時期に青春時代をすごしたユン・チアン氏のベストセラー作の「ワイルド・スワン」に拠ります。特に「ワイルド・スワン」は文化大革命の資料としては簡単に手に入れることができ、内容も一級品といってよい作品なので、もし本格的に調べたい方などがおられれば手にとることをお薦めします。

 皮肉な話ですが、この連載は日本に来ている中国人留学生の方々に一番読んでもらいたいです。先ほども行った通りに現中国政権はこの文化大革命を否定することで成り立っており、比較的国内でも検証が進んでいるのですが、それでも聞くところによると、現代の中国の若者はこの辺の知識が全くないと言われています。個人的な見解ですが、やはり文革を経験した方からするとこの歴史は口をつぐみたくなる内容だからなじゃないからだと思います。また先ほどに挙げた「ワイルド・スワン」は世界中で売られていますが、中国語版は未だ出版されていません。なので一つの礎石という具合に、私のブログを活用していただければと思います。

三笠フーズの事件の再考

 なんか昨日今日とやけにだるいです。昨日友人と夜まであれこれ話していたからかなぁ。

 そんなこんだでまた三笠フーズの汚染米事件についてです。時間の経過とともにだんだんとこの事件の背景も明らかになってきましたが、まず三笠フーズ側ですが社長を除き従業員を解雇し、今後は事件の後始末だけをするために活動を続けるようです。偽装をしたきっかけはやはり利益確保のためだったようです。

 今回新たに明らかとなった事実の中で見逃せないのが、どうやら農水省側はかなり早い段階でこの偽装の事実を知っていたという事実で、私自身そうであってもおかしくはないと考えています。というのもかつての牛肉ミンチ偽装事件があったミートホープの例でも、内部通報者が農水省の監督部署に何度も連絡していたにもかかわらず、農水省側は全く調査に入らないどころかミーとホープの経営者側に内部通報があったという事実を逆に伝えていました。なので今回も発覚するかなり以前から農水省側が偽装の事実を知っていた可能性は高いでしょう。

 そう考えれば、今農水省が必死で汚染米を摂取した場合の危険性が少ないと喧伝しているということも理解できます。なぜなら、もし実際に危険性が高いとしたら農水省の責任が大きくなり、今後省内で処分者を出さざるを得なくなるからです。こうした前後関係を考えれば考えるほど、仮に発覚以前に偽装を知らなかったといっても、偽装をした会社はもとより農水省の事件への責任も非常に重いということがわかってきます。

 インターネットの掲示板でも指摘されていましたが、現農水大臣の太田誠一は今回の事件を以前に起きた中国餃子事件と比べ、あの餃子より残留していたメタミドホスの濃度は低いと発言しましたが、そんな農薬の量なんて比べる問題でもないし、また安全性がどうとかこうとかこの期に及んで弁明すべきではないでしょう。それだけ安全だと言いたいのなら、農水省の役人共々この汚染米を一年くらい食べ続けて自分の体で証明して見せたらいかがでしょうか。第一、福田首相辞任ですっかり追求報道がなくなってしまいましたが、この大田農水大臣は事務所の不正経理の疑いがもたれている中にありますし、この偽装事件はもとより、自分の事務所費でももっと国民が聞いて納得のできる回答を早くすべきでしょう。全く、パーなんだから。

 それにしてもこう何度も食料の偽装事件が連続しますが、思い起こすと農水省は昔からこういう無様な対応ばかり見せております。かつては私の憎悪してやまない小渕政権時にO-157の事件の際、大した確証もないのにもかかわらず感染源をカイワレ大根と疑い大きな風評被害を起こしていますし、その頃から対して組織は変わっていない、何の反省もしていないのではないかと呆れるばかりです。

 更に言うと、私の目からみてこうした明らかになった食品偽装はまだまだ氷山の一角だと思います。先日も自分の家で鹿児島産と銘打たれたうなぎを食べましたが、明らかに日本産とは味が違いました。何故こんなことを自信満々に言えるのかというと、私の場合は中国に一年行ってた位ですから汚染食品なんて何のそのとばかりに、うなぎはいつも決まって安い中国産しか食べないからです。たまたまうちのお袋が大そうな国産うなぎを買ってきたかと思ったら、どう噛んでも中国産の味しかしないし。しかもパックに入っていたもう一尾は全然違う味、こっちはちゃんとした国産の味をしてました。

 牛肉の偽装もまた然りです。素人目、といわれてもしょうがないのですが、国産牛と書かれている牛肉でも明らかにそうと思えない形質をした肉がパックにされてよくスーパーに並んでいるのを目にします。まぁその分確かに値段も安いんだから文句は言えないんだけどね。

 本当はこれに繊維業界の外国人研修生の問題と絡めてあれこれ書こうと思ってましたが、思ってた以上に長くなってきたのでそろそろ切ります。結論として私がこれらの問題に対して言いたいことは、処罰と監視をもっと厳格にすべきだということです。結局のところ真面目にやっているところはこのところのコスト高でどんどんと潰れていく一方で、こうした小賢しいインチキを行っているところは延々と儲け続けるなんて、そんな社会だったら潰してしまったほうがマシでしょう。

2008年9月12日金曜日

人の痛みを我が物とする人たち~後編~

 昨日今日と延々データ入力作業をやってて正直しんどい上に、気合のいる記事の執筆なので、ちょっとYoutubeでスパロボの曲とか聞いてます。結構元気になるもんだ。
 そんなどうでもいいことはほっといて、早速昨日の続きです。まず最初に私の経験を話します。

 これは私の友人の話ですが、彼はインターネットのヘビーユーザーに分類されるくらい毎日ネットをして生活しており、話す話題も大体ネットで流れている情報ばかりです。そんな彼と話をしていたある日、なんかの拍子で現実に存在する某利権団体の話題になった際、その友人は非常に感情的になって激しい言葉でその団体に対する批判をまくし立て始めました。そこで一通り彼の意見を聞き終えた後、私は彼に対してこう尋ねました。

「ところで、君はその団体から直接的な被害を被った事はあるのかい?」

 別に隠す必要もないのでその団体名もこの際挙げますが、その友人が批判していたのは音楽著作権管理団体のJASRACです。友人はJASRACが汚い手段で金を儲け、アーティストなどを圧迫させているし多くの一般人を困らせているなどとあれこれ例を挙げて言うのですが、私の目からするとまるで路上で誰かによって突然殴られたかのようなほどの激しい剣幕で怒るのに奇妙さを感じ、改めてこう言いました。

「君がJASRACに怒りを覚えているのはよくわかった。しかし私にそんなことを伝えたところでどうにもならないし、具体的に君がどうしたいのかがいくら聞いても見えてこない」

 私がその友人に一番奇妙さを感じたのは、まるでその友人自体がJASRACによって被害を被っているかのように話す点でした。これはその友人に限るわけじゃないのですが、一般的に人間は、何かしらの攻撃に対する抵抗であれば、どんなことをしてもいいという前提があるような気がします。大きな例だと9.11後のアメリカの中東世界への対応、卑近な例だとモンスターペアレントに代表されるクレーマーですが、被害者という立場を得ると人はまるで免罪符を得たかのように途端に攻撃的になる気がします。

 今後はどうなるかはまだわかりませんが、少なくとも現段階でそういった感情を持つことは別におかしくはないように私は思いますし、世間も被害を受けての抵抗ならば何をしてもしょうがないというような認識を持っているように思えます。
 しかし、それが許されるはあくまで当事者の場合です。今に始まったことではありませんが、当事者でないにも関わらず、社会事件などに激しく批判する人間というのは本質的に邪悪だと私は考えています。

 特に一番それが顕著に現れたのが姉歯元建築士による強度偽装事件でした。事件が発覚するや実際に強度が偽装されたマンションに住んでいた方々などは非常に不憫でしたし、事件の関係者に対して怒る気持ちもよくわかるのですが、連日の報道ではまるで知った風な口調でコメンテーターなどが事件の関係者を非難し、またネット上でも激しい暴力的な批判が毎日のように並びたてられました。

 しかし、こうした批判が行われた結果はどうだったのでしょうか。そういった世間の批判に答える形で改正された建築基準法によって今度はなかなか建築許可が下りなくなり、土建屋を中心とした経済活動などでは目に見える形で悪影響を受けました。私は土建屋やゼネコンに対して談合問題などがあった背景から批判的ではありますが、この制度改正によって真面目に仕事を行ってきた土建屋の方々はどうなったのかと思うとこれもまた不憫に思います。
 そしてなにより、この事件では明らかに連日のパッシングが原因で姉歯元建築士の夫人は自殺に追い込まれています。

 これもちょっと以前にコメント欄などで話をしましたが、社会事件などで激しい批判が行われるために、何の罪もない犯人の近親者が学校の転校を迫られたり、仕事を退職せざるを得なくなったりと、いわゆる報道被害というものがよく発生します。特に最近だとインターネットを通して根も葉もない情報から大きな被害を被る方も現れ、問題の重大性が拡大しているようにも思えます。

 こうした背景にある心理として、「犯罪者になら何をしても許される」というような前提があるのも一つの要因ではないでしょうか。しかし昔から罪を憎んで人を憎まずという言葉があるように、社会悪などに対して個人的な怒りの感情をぶつけるべきではなく、何をどうすればその問題の対策になるのか、純粋にどの行為に対して怒りを持つのかと、私なりに言えば冷静な怒りが要求されると思います。

 そこで最初の話です。人間は一旦自分が被害者だと思うと、非常に攻撃的になります。これは数十年かそこらでは恐らく絶対に変わりっこない前提です。にもかかわらず今じゃ社会事件などに対するテレビの報道などでは明らかに視聴者に対して被害者意識を煽りたてるような報道ばかりします。今の三笠フーズの事件だって、焼酎を飲んで病気になったのはこいつらのせいだと言わんばかりの報道です。

 私が言いたいのは、部外者であればあくまで部外者という立場を認識して事態を見つめるべきだということです。決して報道に乗らず、自分も被害者であるように思い込んで問題の本質を外した批判を行うべきではありません。真にそういった社会問題を解決する手段は一時の激昂ではなく、継続した批判であると私は思います。なので今でも解決されない問題を常に忘れないよう、障害者自立支援法やトービン税などの問題を機会あるごとに取り上げていき、周りにも喚起していくつもりです。

 人に同情することは別に悪いことではありません。しかしあまりにも同情するあまり、自分も被害者だと思い込むようになったら話は別です。今、アメリカがアフガニスタンとイラクで苦しんでいるのはまさにこれが原因であると思います。
 こんなえらそうなことを言ってはいますが、私自身もかつてはそんな人間でありましたし、今でも完璧に切り分けられる自信はありません。しかしできないまでも心に深く刻み、忘れない心がけとして持って、明日もまた社会批判を行っていくつもりです。

2008年9月11日木曜日

人の痛みを我が物とする人たち~前編~

 前々から何度か書こうとしては匂わせるだけで終わらせてきたこのネタですが、今日あたり腹をくくって書くことにします。まず結論から言うと、被害者意識ほど暴力的な感情はないということです。

 よくインターネットを見ていると、社会悪や政治的問題などに対して義憤や公憤を通り越して、自らの私憤を吐き出すかのような強い口調で批判する記述が多く見られます。しかしそれらの記述を見る限り、どう考えてもその記述をしている人間が怒りの対象から直接的な被害を被っているようには見えませんし、怒っているのはわかるが、果たしてその怒りの対象にどうなってもらいたいのかというのもよく見えてきません。

 こういった例に一番代表的なのは中国や韓国への罵倒です。確かに私自身も政治的問題などでこの二カ国に対して腹の立つことがよくありますし、過去に書いた「東シナ海ガス田問題における日中の駆け引き」の記事のように批判したりもします。
 しかし、この二カ国へのネット上の批判は八つ当たりに近いものも多く、中には事実のはっきりしない情報を元に滅茶苦茶なくらいにこの二カ国を見下げたり、罵倒したりするものもあれば、呆れるくらいにお粗末なことを言い出したりする人までいます。

 最近に私が一番呆れたのは、北京オリンピックを前にして景観をよくするために中国は枯れた芝などに緑のペンキを撒いている、中国人はなんて遅れた連中なのだ……という記事が今年の三月だか四月くらいにあちこちで流布されていましたが、知らない人のために言っておきますが、こんなの日本でもあちこちで行われています。特に行われているのはゴルフ場などで、冬でも芝がきれいな緑色なのはこれが理由です。中国を馬鹿にした人間は、一体どんな神経をして言っているのか不思議でしょうがなかったです。

 それに続いて流布されたのは、中国で風水のために山を黄色のペンキで染めたという記事でも中国を嘲笑する記事が多く目立ちましたが、あれこれ調べてみたところ、現地の人間もペンキで山を染めた人間に呆れており、現地警察などは染めた人物を取り締まったという情報もあったので、このニュースでもって中国人全体を嘲笑するべきではない事件だと私は思いました。もしこれでいちいち馬鹿にしていたら、スイカが腐ってたか腐ってなかったかで裁判になり、八百屋へ賠償金額800円(たしかこれくらい)が申し渡された事例を元に、日本も馬鹿な国だと言われてもしょうがないじゃないですか。

 ちょっと話が脱線しましたが、このようにネット上、果てには通常の世界でも社会悪や政治問題に対して、まるで自らが実害を被っているかのような、当事者のようなやや感情的とも取れる怒りの発言がこのところ目立つようになってきたと私は思っています。
 しかし韓国を批判する人、中国を批判する人たちはなにか実際にそれらの国の人にひどい目に遭わされているのでしょうか。私の想像だと、恐らくネット上で批判している人の大半はほとんど接触らしい接触を、私のように中国人に実際にハニートラップを喰らわされた経験を持つ人なんていないでしょう。にもかかわらず、彼らはこの二カ国を憎んでいる。この構図、なにか見覚えはないでしょうか?

 勘のいい人ならすぐ理解できると思いますが、これは伝え聞くところの韓国や中国の人が日本を憎むという構図と似ているように私は思います。この二カ国の人、この際若者と言った方がいいですが、自分たちが直接日本との戦争体験をしたわけでもないのにも関わらず、過去の戦争の門で日本を激しく責める、憎むという構図です。自分たちは何も日本人に銃を持って追いかけられたというわけでもないのに、軍国主義日本は悪だという認識を持ち続ける、自分たちが日本との戦争の被害者だと思い続ける。

 こうして考えると不思議なものです。日本と中国、韓国の人間はお互いに接触がないのに、何故だか互いに憎み合う。しかもそのどれもが被害者意識を持ち、やれ政治的に圧迫をかけられただの、相手国の犯罪者が日本でひどいことをしているなど、どれも抽象的で自らの体験による具体的な例がどれも欠けます。
 こうした事を言うと、じゃあお前は中国や韓国に日本が好き放題にやられても黙ってろと言いたいのか、とか、同胞がひどい目に遭わされているのに同情するなと言いたいのか、と言われそうですが、それでも敢えて私はこうした批判をする人間に対して批判を行います。

 私は何も、社会悪や政治的な問題に対して怒りを持つな、同情するなと言いたいわけではありません。しかし最初に言った通りに、怒りにはそれぞれ正しい持ち方があり、特にこうした社会的な問題に対しては被害者に同情するあまり、感情的な怒りを持つのは非常によくなく、またそれ自体がひどい暴力性を持ってしまうことに対して警告がしたいのです。
 自分とてこのブログで結構きつい表現で何かを批判することがあり、必ずしもこうして自分が言っているようにできていない所もありますが、それでも冷静に社会悪に対して怒るよう心がけています。

 多分今晩一晩、何気に帰宅したのが九時を過ぎていたので無理だろうと考えていましたが、案の定書ききれなかったので、何故この過度な被害者意識を持つことが危険なのかについては、また明日に細かく書きます。

2008年9月10日水曜日

森喜郎の変節

 このところ毎日総裁選の記事を書いていますが、今日のところでようやくひと段落つけそうです。今日は自民党総裁選の公示日に当たり、立候補者がようやく固まりました。結局最初に立候補した七人のうち、棚橋氏と山本氏は推薦人が確保できなかったのか降りることになりました。山本氏なんて総裁になった時点ですぐに選挙を行うことを約束すると言っていましたし、過去には安倍政権時に郵政選挙で離党した議員が復党する際に、この人は安倍元首相べったりかと思ったら堂々と、「今度の復党は私が考えていたものとは大きく異なります」と、はっきり安倍元首相を批判していたので、なかなか見直していた矢先だったので残念です。

 もう少し深く書くと、人によっては山本氏をテレビばっかり出てパフォーマンスばっかの人間だと批判する方もおられるようですが、私は政治家たるもの自分の考える政策を常に有権者に訴え、説明してなんぼだと思います。テレビにも取材にも出ず、じっと黙っているというのが理想の政治家像というのはどう考えても間違っているし、そんな人間らよりきちんとテレビなどに率先して出て、自分の政策を訴える政治家の方を私はずっと評価します。第一、政治活動自体一つのパフォーマンスなんだし。

 それで話は変わりますが、実はこの七人のほかにも、立候補者に名を連ねかけた人物がもう一人いたそうです。何を隠そう、野田聖子です。

野田消費者相、森氏の出馬要請を断る(YAHOOニュース)

 リンクに貼ったニュース記事によると、福田首相の辞任会見の翌日に森喜郎が野田聖子に総裁選への立候補を促していたそうです。もっとも野田聖子は修行不足を理由に断ったそうですが、はっきり言ってこの森喜郎の行動に激しい怒りと呆れを私は強く感じました。というのも、先ほどにも少し触れましたが野田聖子は郵政復党組です。こんな人間が総裁選に立候補するなんて、それこそ旧利権を断ち切るために行ったあの郵政選挙とその後に行われた改革をすべて無にするような愚考です。さらに言えば、もし森喜郎が野田聖子を応援していたのならば、まず間違いなく森喜郎のいる町村派は上げ潮派の中川秀直氏が小池百合子氏らとともに派閥を出て、町村派は分裂を起こしていたでしょう。それくらい野田聖子の立候補は強いアレルギーを含んでいます。

 その森喜郎は今じゃ素知らぬ顔で麻生氏支持を表明しています。政策的に麻生氏と野田聖子は真逆ではありませんが、かといって重なるものもないでしょう。何故こうもころころと適当な支持を見せるのか、またなんで何の考えも持たずに分けのわからない行動を取るのか全く理解できません。それほど発言力が強い人間ではありませんが、今じゃ立派な自民党の老害となっています。そういえばもう一人の老害、参議院の青木氏はなんかすっかり影が薄くなったなぁ。

矢野浩二氏について

 最近中国ネタを書いてなかったので、近々またでかい連載でも始めようかと考えていた矢先、個人的に非常に興味の持てる記事に本日巡り合えました。その記事というのは今日発売の文芸春秋の最初のエッセイに、題に書いてある矢野浩二氏が寄稿している記事のことです。

 この矢野浩二氏については私は前々から知っており、その活躍に陰ながら心躍らせていた一人でした。この人の職業は俳優で、単身中国にわたっていわゆる反日ドラマ、悪い日本の軍人が中国人をいじめて最後に中国人に倒されるというドラマにおいて、日本の悪い軍人役などをやり続けている方です。

 ここで軽く解説しますが、向こうでは本当にこれでもかというくらい反日ドラマのレパートリーが豊富です。よくもまぁこんな作ったもんだと思える量に飽き足らず、本当に毎日、昼ごろとかゴールデンタイムには何かしらが放映されて、しかもよく見ると延々と再放送が繰り返されたりしてます。

 それで話は戻るのですが、この矢野氏は日本で売れなかったために中国に渡り、比較的役にも恵まれて演技活動を行ってきていたようなのですが、やはりひたすら悪い日本人の役をやり続けることに呵責を感じていたようで、あるドラマ(烈火金剛)の撮影において、自分が演じる悪い日本兵が中国兵に撃ち殺されるシーンにてアドリブ、というより自然に涙が流れたそうです。

 矢野氏が言うには日本兵も一人の人間で、異国で死ななければならないという不条理を考えたら自然に涙が出てきたそうなのですが、このドラマが実際に放映されるや、ドラマを見た中国人も日本兵も自分たちと同じ人間なのだ、家族もいれば守るものもある、そして同じように命を失うのだ、といった具合に受け止められたらしく、矢野氏のこの演技が高く評価されたそうです。
 その後は矢野氏が言うには相当に顔が売れたらしく、「君はあの恐ろしい日本兵役の人じゃないか。すごい演技だったぞ」とか「君はあの日本鬼子か」などと、タクシーなどに乗るたびに声をかけられるようになったそうです。

 この今出てきた「日本鬼子」というのは中国語における日本人への蔑称ですが、日本のホームページの中にはこの言葉を未だに中国人が日本を見下している言葉だなどと説明する人もいますが、私自身の実感だと、確かに蔑称から生まれてきた言葉ですが、今じゃ半ば冗談をやり合う際の言葉として使う方が断トツに多い気がします。私自身、中国で教室に入る際に「日本鬼子来了!(日本鬼子が来たぞっ!)」などと言ったりしましたし、さらに言えばタイでもこのような日本人の蔑称があるそうです。

 矢野氏自身も同じようで、街中で日本鬼子とよく言われるそうですが、彼自身の演技で日本兵のイメージが変わるのならば、「全然気にしていません」と答えるようにしているようです。

 よく両国における相手のイメージというのは歴史的なものからくるのは固定的で、一生変えることができないという人もいますが、韓国のヨン様の件もありますし、昔ならともかく今の時代なら結構くだらないことで好転したりすることも私はありうると思います。そう思うからこそ、外国人に会った際はなるべく丁寧にしていいイメージを持ってもらうようにと、私はいつも心がけています。

2008年9月9日火曜日

三笠フーズの事件について

 既にニュースなどで取り上げられていますが、食品卸売り販売会社の三笠フーズが農薬などに汚染されのりの製造といった工業用にしか本来使用が許されない「事故米」を、酒造会社などに販売していたそうです。そのおかげで今、どこの酒販売店でもリコールの嵐になってるそうですが、鹿児島県生まれのうちのお袋に言わせると、鹿児島の人間なら事故米の酒だろうと捨てるならくれと言い出すだろう、とのことです。実際、親戚見ていてそんな気がします。

 今回のニュースに始まるわけじゃないですが、こうした食品関係のはちゃめちゃっぷりは昔からだそうです。今回表に出たのも氷山の一角と言いますし、慌てるだけ損、どうせ日本人はただでさえ長命なんだから、そんなに大きく気にしてはいけないと思います。もちろんこんな不正をしている会社を許してはいけませんが、だからといって消費者が過剰に怒りを持つのはかえって危険な気がします。それこそ以前に書いた「韓国BSE騒動について」で触れているように、途中からわけのわからないほうにその怒りが向けられる可能性があります。実際、日本でもBSE騒動の際はその兆候がありました。

 ここでちょっと書きますが、私は単純に被害者意識ほど危険で手に負えない感情はないと思います。以前に教わっていた人の受け売りですが、戦争と平和というのは必ずしも対立関係にあるわけでないそうです。というのも、国や家族を守るために戦争をする、というような理由立てで戦争が引き起こされることも珍しくないそうです。実際、戦争というのはかつての日本や今の北朝鮮のように貧しい側から引き起こされることの可能性が高く、その際には富める国に対して、「あいつらのせいで自分たちが苦労しているんだ」というように、被害者意識を為政者は掻き立てて戦争にします。

 また今度にこれについて深く書きますが、くれぐれも言っておくことは被害者意識はないに越したことはないということです。社会での不正や悪巧みに対して怒りは必要です。しかし、冷静さを失った怒りというのもまた悪だということです。

首相辞任劇の政治風刺について

ロンドンの甃 「首相11号」の辞任(MSNニュース)

 リンクに貼ったニュースによると、英紙「フィナンシャルタイムズ」では日本の首相はころころと変わることから、唯一任期の長かった小泉元首相を除いて90年以後からは番号で呼ばれていたようで、今回の福田首相辞任劇も福田首相のことを「首相11号」と呼んで、
「鳥だ! 飛行機だ! いや、奈落に落ちていくのは日本の首相だ!」
 という風に書かれたそうです。表現的に非常にうまいですし、いい意味で政治風刺になっていると思います。こうした政治風刺表現は昔はそうでもなかったのですが、今じゃ日本にはまともなジャーナリストはいないのか、こうしたシニカルで面白みのある政治風刺はほとんど見られなくなりました。

 今回の辞任劇でも、辞任会見の際に福田氏が言った「あなたとは違うんです」という、中国新聞記者の質問に対して言った言葉が評判になってますが、これは言葉自体がネタにされているだけで別にジャーナリストが自ら作った表現でもなく、現段階で今回の辞任劇を言い表すうまい表現というものは未だに出てきておりません。

 さてそんな風に政治風刺のことを考えていた時、突然ちょうど一年前の出来事を思い出しました。その一年前の出来事というのも、安倍前首相の辞任劇です。
 今回の福田首相同様に臨時国会の開会直前の突然の辞任劇に当時もマスコミはあれこれ安倍氏(どうでもいいけど、テレビで見てて毎回「あべし」と、北斗の拳っぽく聞こえていたが誰も突っ込まなかったなぁ)を非難する報道ばかりで、最初に紹介したような思わずうならせるような政治風刺表現はあまり見受けられませんでした。

 しかしそんな中、唯一ある全国紙の新聞が冒険をしてきました。何を隠そう、朝日新聞です。

「近頃OLたちの間で、『アベする』という言葉が流行っている」

 とか言うような書き出しだったかな。
 一年前、朝日新聞は自紙の社説にて、突然予定をキャンセルする、責任を果たさないということを安倍前首相の突然の辞任劇に喩えて「アベする」という言葉が出来、この言葉がこのところあちこちで流行っているという社説を書いてきました。
 もちろん私個人の実感でもこんな「アベする」という言葉は一度も聞いたことがなく、お世辞にも流行っているとはとても言えない状況で、まず間違いなくこの社説を書いた人が自分が作った表現を大げさに書いたに過ぎないものでした。しかし朝日新聞に対して反感の強い「2ちゃんねる」などではこの社説が出るや、やれ捏造癖が出ただの、いやらしい表現だの、果てには今年のネット流行語は捏造を行うという意味の「アサヒる」だとあれこれ騒ぎになりました。

 私としては確かに表現に行き過ぎはあったものの、朝日新聞は他のジャーナリストが安倍首相の辞任劇を風刺する表現を一切行わない中で唯一挑戦してきたので、その点を考えると、表現に挑戦してこなかった他紙よりはずっと立派だと思う……一方で、確かにくだらない表現だなぁとも思っちゃいます。まぁ頑張ったけど努力が足らなかったんだねというような評価です。

 しかしこの問題は、その後何故だか場外乱闘にまで発展する事態になっていきます。
 私が憎んでやまず、毎夜北斗七星に向かって呪いを送り続ける中日新聞がこちらも社説にて、

「いや、朝日の言うとおり確かに『アベする』という言葉は流行っているぞ」

 とか言い出してきました。こちらも2ちゃんねるの方々から嫌われているだけあって、こんなこと言い出してまたあれこれ叩かれました。はっきり言って私も、だったらきちんとRODでもいいから統計調査した結果を出してみろよとか思いましたよ。朝日は行き過ぎがありましたがあくまで事態を表現しているのにとどまっているのに対して、中日は主観で分けのわからないことを言い出してきた辺り、余計始末に置けない気がします。ほんと、この新聞社は早く潰れてくれないかな。今日もまた呪おう。

 さて、何故私がこんなことを今日になって思い出したのかというと、今の状況こそまさに、朝日新聞の言う「アベする」という状況なんじゃないかなぁ、と思ったからです。首相の突然の責任放棄による辞任、状況から主役まで全く一緒なんですし、せっかく作った表現なんだから朝日新聞も再利用して、

「去年に引き続き、OLたちの間で『アベする』という言葉が流行っている」

 という風にまた社説を書いてきたら、捏造とはいえその熱意だけは認めてもいいのではと思いました。しかし一応やめるのは福田首相なのですから、

「去年の『アベする』に引き続き、OLたちの間で今年は『フクダる』という言葉が流行っている」

 という風にでもなるのでしょうか。にしても、OLばっかじゃなくてたまにはOG(オフィスジェントルマン)の間で流行ってもいい気がします。それと、「フクダる」と書くとなんとなく、「突然キャンセルする」という意味より、「オランウータンに似てくる」というような意味合いに聞こえてきそうです。もしくは、「あなたとは違うんです」と、自分を客観的に見られる人間になってきたというような意味合いでしょうか。どっちにしろ、こんな言葉が流行ることは永遠にありえないでしょう。

2008年9月8日月曜日

韓国経済ニュースについて

韓国ウォンが過去10年余りで最大の上げ、当局が介入実施のもよう(YAHOOニュース)

 前々から韓国の通貨「ウォン」が大幅に下落して、第二のアジア通貨危機が起こるのではないかと噂が流れていましたが、このニュースによるとどうやら危機感は一時的に解消され、ウォンの価格も値上がっているようです。今日の日経平均株価も先週に一気に400円位下がり、景気の先行きに不透明感が広がっていましたが今日は一転400円以上の値上がりを見せています。

 あまりこれらの激しい変動の背景などを把握はしていませんが、中国もオリンピックが終わってそろそろ世界的にも景気後退期に入るのではないかと思っているので、何かしら情報があればご提供ください。

2008年9月7日日曜日

自民党総裁選予想

 今朝のテレビ番組サンデープロジェクトにて与謝野、麻生を除く残り五人の自民党総裁選立候補者が出演し、意見を知る機会がありました。昨夜に友人から今度の総裁選で誰が勝つのだろうかと尋ねられたので、予想を含めて各人の意見などを現段階で簡単にまとめます。

 まず、結論から言って現在の本命候補は与謝野氏でしょう。麻生氏ではないのかという意見もあるでしょうが、彼の場合早くにマスコミに注目されたこともあり、またよくテレビなどに映し出されることから他候補としては彼を批判すれば政策などで独自性が出しやすくなるので、今後も集中攻撃を受けることが予想されます。そういったことを考慮すれば、現時点で麻生氏の線は相当低いのではないかと私は予想します。

 では残りの候補はどうかというと、これは前の記事でも書きましたが石原氏を除く他の若手候補者は皆支持議員が被っており、推薦人確保すらはっきりしない現状です。早くも山本一太氏と棚橋泰文氏がどちらか候補を一本化することを協議したらしく、小池氏、石破氏も今後同様の動きを見せるのではないかと思います。

 今回の候補者のうち、棚橋氏はこれまで私はデータを持っていなかったのですが、今朝のサンデープロジェクトを見て思想や政策ビジョンなどを簡単に知ることができました。まず私の第一印象を言わせてもらうと、彼は非常に四角い価値観の持ち主で、あまり融通の利かなそうなタイプに見えました。政策ビジョンとしては小泉改革の継続ということで、山本氏と基本路線は大きく違いがなさそうです。にしても、田原氏はこの人嫌いだったのかな、やけに質問が厳しかったけど。

 さて今朝のサンデープロジェクト内でも少し議論になりましたが、マスコミの方があまり質問しないので代わりに私がここで提言させてもらいますが、候補者たちが次の総選挙で優勢復党組、落選組、小泉チルドレンの処遇をどうするのかということが一番気になります。
 はっきり言いますが、この問題は自民党にとってのどに刺さった魚の骨です。山本氏なんて自分が総裁になったら即解散すると言っていましたが、この問題に対して各候補がどのように対処するのかがある意味政策以上に自民党、ひいては国政にとって大きなポイントになると私は考えています。マスコミの方にも少し苦言を言わせてもらいますが、何故誰もこの質問を出さないのか非常に私は呆れます。この問題の対処の仕方、それこそ復党組を優先するのか小泉チルドレンを優先するのかという態度だけでもその候補がどのような政策を続けようとするのかという姿勢がすぐにわかるというのに。

 それで一気に結論ですが、何だかんだ言ってこれらの候補の中で一番無難そうなのは与謝野氏で、大きな番狂わせがない限りこの人に決まると私は思います。それこそ小泉氏が始めて総裁選で勝利した際の田中眞紀子旋風のように、国民から熱烈な支持が誰かに集まるなどというのがその番狂わせですが、恐らくよっぽどのことがない限りそれは起こらず(選挙期間が短いため)、党内の覚えがめでたい与謝野氏に行くというのがその根拠です。

 私としては若手の候補者の中で石原氏は国土国通大臣をやってた際に藤井治芳にいい様に振り回されたりして頼りなく、山本氏、棚橋氏も未知数で、石破氏は専門性の高い場所では活躍しそうだけど総理大臣には……と思うと、まぁ与謝野氏でいいんじゃないかと思います。まぁこの人は以前に民主党の長妻昭氏に明らかに論戦で負けてたけどこの人。
 小池氏も未知数ではありますが、前回の記事同様に就任後すぐに民主党に負けることが折込詰みなら一番いいと思います。詳しくは前の記事を読んでください。

 と、ここまであれこれ理由は挙げていますが、私が一番今回の選挙で望んでいないのは麻生氏が勝つことです。ここではっきり言いますが、この人は経済政策のことを何も理解しておりません。理解しているとしても、それは高度経済成長時代の手法だけで、今の時代には何の役に立たず、かえって日本を駄目にさせるだけです。つまるところ、麻生氏以外なら誰でもよいというのが私の立場です。

野球の今シーズン終盤について

 ちょっと息抜きに趣味の話でもしようと思います。

 恐らく自分だけじゃないでしょうが、今セパ両リーグで野球がめちゃくちゃ面白いことになっています。パリーグではシーズン前にぶっちぎりで最下位予想が高く、またシーズン中に監督が交代してやっぱり今年も駄目かと思われていたオリックスがここに来て脅威の連勝劇を見せ、いつの間にやら首位西武を追いかけて二位に張り付いているじゃないですか。シーズン前にカブレラを取って、またロートルを取っちゃってと思ってたらローズと一緒に打つわ打つわ。ピッチャーは前からいいのがいたからこの結果にもなんとなく納得できるけど。

 同じパリーグだと首位争いだけじゃなくプレーオフ争いも今熾烈で、ソフトバンク、日ハム、ロッテでこっちも熾烈な争いを繰り広げているのが面白いです。さすがに楽天は大分交代しちゃったけど、個人成績で岩隈が今シーズン20勝達成なるかが気になります。

 セリーグはオリンピック前まで阪神のぶっちぎりの独走かと思われましたが、星野が新井を故障させてくれたおかげで一気に負けが越してきて、一昨日なんか一時マジックが消滅するし。こっちも三位争いが激しくなってきて、中日と広島が激しく争っています。
 ちなみにうちの親父は今広島にいるのですが、なんでもオリンピック期間中に広島はえらいことになっていたようです。全くニュースなどで報道されていない期間中にえらく勝ち越し今のように中日と順位を争うところまで来て、広島県民は狂喜乱舞していたそうです。私としても広島が好きなわけじゃないですが中日が大嫌いなのでひどく溜飲の下がる思いをします。

 さて今後の終盤戦ですが、個人成績もさることながらプレーオフが楽しみです。私の贔屓にしている球団はソフトバンク、阪神なので、この二チームにはぜひともプレーオフに進んでもらいたいです。それにしても、オリンピックがなければ阪神の藤川はシーズン最多セーブ記録を更新できのになぁ。

孤独に強くあれ日本人

 これも昨日の友人との会話に出てきた話ですが、

私「この前にブログに書いた『情報社会論』の記事は結構好評だった」
友「ああ、あの話ね。確かに花園君の言うとおりに社交的な人間なら故郷だろうが家族だろうが切り離されても平気だろうけど、みんながみんな人間的に強いわけじゃないしね」
私「そこなんだけど、前回の続きになるが私は以前から日本の人付き合いに関する教育に問題があると思う」
友「どんなところにさ?」
私「日本は集団性を重んじるあまりに、友人が少ない人間は人としての価値がないとばかりに、脅迫的に教え込むところがある気がするんだ」
友「花園君のこれまでの経験からなら、そう言えるだろうね」

 この友人は高校時代からの知り合いなので、割合に話が早いです。勘のいい人はここまででわかると思いますが、高校時代に私はかなり孤立していました。
 私が言いたい結論を先に言うと、日本は何が何でも友人を作れ、友人のいない人間は没価値だと日頃から信じ込み、逆に孤独に対して非常に弱い人間を作ってしまっていると私は考えています。

 恐らくこれは日本人ならまず間違いなく教え込まれているでしょうが、友達はたくさん作れ、なるべく一人でいるなと小学生の頃から教師や親に言い含められます。別にこれらの意見自体が間違っているわけではなく、確かに友人たちとの交流から人間は数多くのことを学んでいきます。ですが私が見る限り、この友人の必要性に対して日本の教育は極端に行き過ぎていて、何事も集団と同じ行動を取らねばいけない、枠からはみ出るなと半ば脅迫的に暗示させているような気がします。

 その結果が、友人のいない、少ない人間に対する印象です。多分こういった人間にどんな印象を持つかと言う調査を行ったら、八割以上の人間が「暗い」、「陰気」、「つまらない」というネガティブな印象にまとめられるでしょう。ちょっと違う見方をすると、友人は少ないけどその少ない友人を大事にする人間とか、一人でも落ち着いて行動のできる人間といった人間像であってもおかしくはないはずです。ですが実際にそういった数少ない友人を大事にする人間は間違いなく周りからは暗い奴と呼ばれてしまいます。

 この友人の必要性に対する教育が行き過ぎている一つの事例として、日本人にのみ起こるという「ランチタイム症候群」というのがあります。これは会社内で昼ごはんを一緒に食べる人間がいなく、寂しいために会社をやめてしまうというような人のことを指しますが、冷静に考えるならば本当にくだらない理由な気がします。ですが日本人の場合、誰かと一緒にいなければならないという強迫観念が強過ぎるために、孤独な環境(実際にはそれほど孤独でもないでしょうが)におかれると極端に不安が強くなり、ひどい場合などは自分で自分を貶めるようにもなって行きます。

 アメリカなどの場合、伝え聞くところでは逆に孤独に強い人間像を教育上重視するらしいです。その分他国の人間と比べて協調性のない人間ができてしまいますが、それはそれで、日本人にもそういった教育が少しは必要なんじゃないかとこのところ私は思っています。以前にも少し取り上げましたが近年、せっかく大学に入学しても友達ができない、環境に合わないといって大学を辞めていく若者が増えているそうですが、そういった若者が増えている背景に、孤独に対する訓練や教育が全くなされず、それどころか余計に弱くさせているのではないかと私は考えています。

 実際に私が大学生時代だった頃、友人の友人が朝から晩までサークルの部室に入り浸ってたらしく、常にサークルの仲間と一緒にいないと寂しいと言っていたそうです。なおそれを教えてくれたその高知出身の友人は逆に、常に人といて頭がおかしくならないのか、自分はむしろ一人の時間の方がほしいと言うような、田舎者の癖に孤独に強い奴でした。

 再び私の意見をまとめると、日本人は十分協調性が高いのだから、むしろバランスを取るくらいの勢いでもっと孤独に対して強くなるべきだと思います。それこそ一週間誰とも口を聞かなくても平気でいられるとか、孤立無援の敵の中でも平静を保っていられるというような理想の人間像を持つべきだと思います。よく日本人は独創性が足りない、これから育てねばならないといっている傍で、こういった人間像を持たないというのは致命的な気がします。

  おまけ
 私の場合は中高一貫の私立学校に通っており、周りの人間の考え方や行動が年を経るに連れて非常に限定的、閉鎖的になっていくのを見て、こんな人間らと関わるべきじゃないと考えて孤高を保ちました。そしたら別になんら接点を持たない人間らから影で暗いだのなんだの、一度も話したこともない人間らから悪し様に陰口を叩かれるのをみて、自分の判断は間違っていなかったと再確認しました。

2008年9月6日土曜日

20年後の今の若者の未来

 この記事は私独自の持論であって特に誰かの意見とかを採用したり、厳密な根拠があるわけではありませんのでご注意ください。

 これまで私のブログでも何度か触れていますが、率直に言って現在の日本の若者の未来と言うのは言われているほどひどくない、というより結構明るいのではないかとみております。

 その理由というのは単純に世代別人口比です。現在60~63歳までのいわゆる「団塊の世代」が日本の人口上で大きな幅を取っており、人口構成比をおかしくしている最大の原因に間違いはありません。しかしこれを現在の日本人の平均寿命から逆算すると、今は男女合わせて約80歳ですから、単純計算でこれから20年後に団塊の世代に当たる高齢者の大半が逝去されることとなります。これが何を意味するかと言うと、今後20年間は確かに社会保障費の支出が恐らく歴史上最高になるでしょうが、この20年間をどうにかして乗り越えさえすれば、それ以降の社会保障支出も年々減ってゆき、世代別人口比のバランスも劇的に回復することが見込まれます。

 さらに言うと、これは現在年齢が20代の若者にとってですが、今日本の企業ではどこも30代の社員が丸々抜けております。その理由は他でもなく、90年代の社会的不況と就職難から、この世代の採用が徹底的に絞られてきたからです。現在はようやく企業に余裕が出てきた頃なので中途採用などでどの企業もこの穴を埋めるためにこの世代の人材獲得に熱心ではありますが、それでも近年の大量に雇用された(される)新卒と比べると、今後も人数に圧倒的な差が残ることは確実です。

 これが何を意味するかというと、今、どの企業でも社内世代別人口が一番膨れているのはバブル期に大量採用された40歳過ぎくらいの社員たちでしょう。この社員たちは先ほどに社会保障がひとまずの目途がつく20年後になるとほぼ全員が定年を迎え、企業を退職することになります。その際、現在20代の若者(その頃は40過ぎになっているが)は上の年代がぽっかりと抜けているので、ちょっと汚い事を言うと、社内ポストに大幅な空きが見込まれます。つまり、今後20年間は確かに大変かもしれませんが、逆にそれを乗り越えれば今の若者が社内で最も世代別人口が大きくなり、また上の年代が存在しないために自分たちで会社を好き勝手運営していくことができるようになるのです。

 もちろんこの20年の間に会社が倒産したり、日本全体が駄目になったりしたらどうしようもないのですが、現状の企業風土になじめない方や、自分の思い通りに企業を動かして生きたいと考えている方にとっては必ずそのチャンスが巡ってくることが予想されます。まぁこれは正社員の人間に限ることなのですが、敢えて都合よく解釈すれば、現状でもほとんどの企業で人員が足りていないと言われているので、今不安定な職業についている方でもチャンスは巡ってくると思います。

 よく現代の若者は不幸だとか、若者自身も嫌な時代だと愚痴る現代の風潮ですが、世代別人口に着目して考えるならば現代の若者は割合にチャンスが多い世代だと思います。もっともそれは私自身も現在20代の若者であり、知らず知らず自分に都合よく物事を捉えているからかもしれませんが。

 今まではこの考え方は自分に都合よく考えているだけなのではと思ってはっきりと主張しませんでしたが、もうこのブログでも何度も取り上げている田原総一朗氏とさいとう健氏の討論会にて、田原氏が最初にあげた今後20年間我慢すれば社会保障は目途がつくとおっしゃられており、私と同じ考えを持つ人間がいたことがわかって自信を持つようになり、今回発表するに至りました。

 結びとして再度言いたいのは、今新卒社員は三年以内に退職すると言われております。理由は様々でしょうし、実際に退職した私の知り合いのように、不動産業界の会社にいたがその会社が法律違反を繰り返していたとかそういう理由ならともかく、なんとなく社風に合わない、労働がきついとかいう理由でしたら、今後20年間を我慢すればその分の苦労は報われる可能性が非常に高いです。ですから、苦しくとも希望を捨てず、やけっぱちにならずに同じ若者同士で頑張っていきましょう。

続、韓国BSE騒動について

 FC2の出張所の方では中国語の簡体字が表示できるようになったというので、この記事を中国語で書いています。どうせハッタリだろうと思ってましたが、案の定私のパソコンで確認する限りその中国語の記事は文字化けしてました。まぁ最初からそんなことだろうと思って日本語訳をつけていたのだけど。で、以下がその日本語版の記事です。

 今朝の朝日新聞に韓国のBSE騒動の記事が載っていました。それによると、最近ソウル市民が韓国の国営放送局を裁判に訴えたそうです。
 この韓国のBSE騒動については以前にも私の韓国BSE騒動について」の記事でも取り上げましたが、韓国国営放送はPT手帳という報告書を使い、BSEの汚染牛を食べると韓国人は98%がBSEに感染するという衝撃的な主張を行いました。

 もちろんそんな事実はあるわけないのですが、この放送がなされるや韓国人は大パニックに陥り、先月の反大統領デモもこの放送が大きな発端となりました。
 どうやら韓国人もこのところは落ち着いてきたようで、その矛先が大統領から放送局へと変わったみたいです。デマゴーグした因果応報かな。

田原総一朗氏の予言

 今でこそ言えますが、このブログでも紹介した田原総一朗氏とさいとう健氏の討論会の際、実は田原氏が、

「ここで公務員改革を徹底的にやらねばいけない。もし福田首相がこれを投げると言うのならば、私はもう彼を見捨てますよ」

 と、言っていました。公務員改革を行ってきた渡辺喜美前行革担当大臣を外し、逆に公務員改革に反対的だった町村信孝氏を官房長官に残留させる内閣改造を行った矢先の辞任劇だったので、もしかして……と思っちゃいました。そしたら案の定、一緒に見に行った友人も同じだったようです。

 実は今月末に、田原氏は来ませんがまたさいとう健氏が著名人を招いて討論会をやる予定があります。場所がちょっと離れた場所にあるので今回はいいかなとか思っていたのですが、選挙も本気で近そうですし、また行こうかなと現在検討中です。

 ついでにちょこっと応援を書いておくと、この何度も出ているさいとう健氏は元通産省の役人で、江田憲二衆議院議員も所属している脱藩官僚の会に入っております。官僚に騙されないためには官僚の手法をよくわかった我らがいるぞと主張するこの団体ですが、個人的にも期待する部分も多く、私はさいとう健氏も是非次に選挙があるのならば当選していただき、中央政界で活躍していただきたいと考えております。
 もし次に選挙があるとしたら、また武部氏が応援に来るのかな。「最初はグー、さいとう健」ってな感じで。

2008年9月5日金曜日

力士大麻疑惑について

 このところ毎日放送されているように、大相撲の幕内、十両力士である露鵬と白露山の兄弟力士に対して大麻吸引疑惑が持ち上がっています。一相撲ファンの私としても、このニュースは非常に気になります。

 まず今回の件、発端は同じくロシア出身の幕内力士の若ノ鵬が大麻を所持していたことからでした。相撲を知らない人のために解説すると、この若ノ鵬はつい最近幕内入りしてから急激に格付けを伸ばし、実質今年の出世頭だった力士です。それだけにこの事件は非常に私を落胆させました。

 そうしたすったもんだがあったので力士全員に尿検査をやってみたら、なんと若ノ鵬と同じくロシア出身の露鵬と白露山までもが検査に引っかかってしまったのです、しかも兄弟同時に。
 これだけみると露骨に怪しいですが、今日のニュースによると若ノ鵬は彼ら兄弟と大麻を吸引したことはないと証言しており、当事者の二人も絶対に吸っていないと主張しています。

 力士と言うのは基本、正直な性格をしているそうです。甘いと言われるかもしれませんが、私は露鵬、白露山の両力士を信じてあげたいと思っております。痛め止めの薬が反応したとかあれこれ言われていますが、本人が吸ってないというのだから吸ってないのだと私は信じております。そういうわけで、秋場所をもしかしたら見に行くかもしれません。

自民党総裁選の行方

 今週は火曜からずっと自宅謹慎だったので、かなり暇でした。一応体調不良ということでの謹慎なので、あんまりはっちゃけることもできないし。

 そんな私のどうでもいい近況はいいとして、自民党内では次の総裁選に向けて本日になって次々と立候補者が現れました。出馬表明(またはにおわせた)をした順に列記していくと、

1、麻生太郎 2、与謝野馨 3、石原伸晃 4、小池百合子 5、山本一太
6、石破茂  7、棚橋泰文

 というような具合です。これからもまだ他の候補が出てくる可能性はありますが、予想以上の盛り上がりぶりと報道の過熱振りに、辞任した福田首相としてはうれしい誤算だったと思います。このまま政策論争が自民党内でなされれば政党支持率も上がるでしょうし、国民の側もどの候補がどのような考えを持っているのかが理解でき、今後の政界予想などの手がかりとなることでしょう。

 さてこれだけ候補が乱立した総裁選と言うのは、恐らく過去に一度としてなかったと思います。何故これだけ今回候補が乱立したかと言う理由ですが、それは本命不在というのが最大の原因だと私は見ています。
 基本的に、過去の総裁選では派閥の長しか立候補する権利はなく、また集まる票も基本的にその所属派閥、応援派閥の票がそのままその候補に注がれてきました。
 それが小泉改革によって自民党内の派閥はほぼ完全に細切れ化し、また前回の郵政選挙では現状で最大の浮動票層とされる「小泉チルドレン」と呼ばれる派閥に染まりづらい一年生議員が大量に生まれ、むしろ派閥で凝り固まることによって返ってこういった浮動票が取り込めなくなり、不利になっていくという状態にすらなっています。

 この環境をフルに使ったのが言うまでもなく小泉元首相で、この人は初めて総裁に選ばれた選挙で国民の人気をバックに派閥横断的に票を集めたとことにより、自身の党内基盤を確固たるものにしました。そしてその小泉氏の推薦を受けた後釜の安倍前首相も同様でしたが、前回の福田首相の際は一見派閥型の総裁選に見えましたが、麻生派以外が大連立していたことを考えると、やっぱり派閥横断と見るべきなのではないかと思います。

 以上のように立候補に必要な国会議員の推薦人20人を集めるのに、これまでは派閥単位だったのが派閥横断的になって容易になったのが今回の乱立の一原因でしょう。こうした背景に加え、先ほどに述べた「本命不在」ですが、これまでの総裁選では派閥横断的に投票が行われていながらも、なんとはなしに必ず勝つだろうという候補がいました。小泉元首相に始まり、安倍前首相、福田首相と、下馬評通りにこれらの首相は皆過去の総裁選でほぼ圧倒的な大差を見せつけ勝っております。

 それに対して今回の総裁選では麻生太郎氏が本命候補と言われつつも、麻生氏はこれまでにすでに三度も総裁選で敗れており、メディアで騒ぐほど実際には人気はないと私のブログでも何度か触れておりますが、これまでの総裁選と比べると本命度が格段に低い本命候補でしょう。おまけに彼の場合は失言が多く、他候補からすれば攻撃材料にも事欠かず、もしかしたら勝てるかも、と期待ができるような候補ということがこの乱立を生んだと分析しています。

 あと、実際にはこれは違うかもしれませんが、このところの総裁選ではいわゆる反対候補を応援した議員に対する報復人事の色が薄くなっており、逆に応援したからと言って必ずしも論功ポストがもらえるわけじゃなくなったのも、こうして堂々と立候補できる環境に一役買っているかもしれません。まぁ安倍内閣ではこれが露骨だったけど。

 さてそんなもんで乱立するもんだから、現状の候補にとって最大の懸念は推薦人20人をどう確保するかです。特に石原、小池、山本、棚橋ら四候補は政策なども被りやすく、また支持母体も同じ小泉チルドレンたちなので文字通り、推薦人を食い合う状況になっていくことでしょう。唯一この中で頭一つ抜きん出ているのは石原氏で、この人は山崎派に属しているので最低でも山崎派議員の分の推薦人は確保できます。

 恐らく、今後の展開としてはこれら小泉チルドレンをバックに持つ候補者同士で予備選挙を行い(もしくは地方選挙の途中で)、最終的にはこれらの候補の中から一人に絞り込んで対麻生、与謝野連合が作られると思います。逆に言えば、麻生、与謝野両候補はこの現状を維持して彼ら中間上げ潮派の票を分散させねば勝つことが難しくなってくるのではないかと考えております。

 現状で、もしこの中で誰か意中の候補はいるのかと聞かれたならば、私としては敢えて小池百合子氏を推します。何故かというと、恐らく次の内閣はよっぽどの挽回策が取れない限りは民主党に総選挙で与党の座を奪われることが確実だからです。その橋渡し役、いうなれば汚れ役ですが、皮肉っぽく聞こえるかもしれませんがこれまでも政党を渡り歩いてきている小池氏がそういった役には適任なのではないかと思います。また短い期間とはいえ、この時期に日本にて女性初の総理大臣を生んでおくことが、後々の日本のためにもいい影響を生むのかと思います。

 逆にその見事な挽回策を行って政権が存続できたとするならば、それはそれでその手腕を評価し、2、3年くらいは政権を運営していってもらいたいものです。とにもかくにも、就任してすぐ辞めるような首相だけはもうこりごりですね。

  追伸
 谷垣貞一氏はどうするんだろう、今回を逃せば多分もう一生日の目が浴びないんじゃないかな、と、一人で心配しています。私はこの人嫌いだけど。

2008年9月4日木曜日

福田康夫の通信簿

 私を知っている人ならすでにご存知でしょうが、私は雑誌「文芸春秋」の愛読者です。この文芸春秋を手にとるきっかけとなったのは私が高校生の頃に特集された、「小泉首相の通信簿」という、各界の評論家たちが当時の小泉元首相に対して項目ごとに評価した値をまとめた記事があり、それを見て面白かったのが今も購読するようになったきっかけとなりました。

 そこで今回、暇をもてあましているのもあるので、先日に辞任会見を行った福田首相の業績に対して私個人で十段階評価の通信簿を作成しようと思います。あくまで私の私見なので、参考にする程度でお読みください。

1、決断力 4
 本当はもう少し低くてもいいのではないかとも思いましたが、ねじれ国会という不利な状況を加味して4にしました。その根拠は前回の安倍前首相が余りにも決断が遅かったり鈍かったりしたので、そういった比較的な面もあります。まぁ、小泉元首相が歴代の総理大臣の中でも決断力がひときわ高かった方なので、総理大臣平均としては福田首相はこの程度なのではないでしょうか。 

2、実行力 2
 これは1でもいいとすら思ってます。その根拠は自分が行おうとしている政策目標すらろくに明かさず、最後のほうになって強く主張するようになった消費者庁の創設についても餃子問題を隠していたという事実もあり、具体的に総理在任中に何か新しいものを残したと言うものはほとんどないため、2にすることにしました。

3、党内調整力 7
 これなんかは官房長官時代からの福田首相の専売特許ともいえる項目で、やや贔屓も入れて高く7にしてあります。その根拠は福田時代に自民党内の内部抗争や意見を違える議員をしっかり抑えていた点にあります。安部前首相時代なんかは党内にも公然と別意見を主張する人間も出ており、それと比べるなら年の甲と言うものがあるでしょうがひとまずこの点をつけておきます。

4、野党調整力 4
 正直ちょっと悩むのがこの項目です。安倍時代よりはマシ、と思いたいのですがガソリン税問題の四月には確か野党に審議拒否をされているし、衆議院議席三分の二による強行採決も安倍時代に負けず劣らずやっているしなぁ。別の意味で民主党の小沢代表と大連立構想をやったと言うことからここのポイントを高く上げてもいいんだけど、それじゃなんか皮肉だしね。

5、公約達成度 1
 公約達成とか言いますが、福田首相は具体的にどんな政策を実現するかなどの国民への約束はほぼ何もしていないでしょう。にも関わらずこの項目を1に据えたのは、ガソリン税問題の件があるからです。福田首相はガソリン税を一般財源化して環境保全などの費用に使うと今年に発表しましたが、今のところ全くその用途の目途はついておらず、結局費用の付け替えだけ行われ、不明確な支出が続くことが現状では予想されます。また先に言及した消費者庁構想も結局大臣に据えた野田聖子を冷やかしただけに終わり、全く実現に向けて動かしていません。私は野田聖子が大嫌いですが、餃子問題を隠されていたなど、この件では深く同情します。

6、外交 1
 ちょっとこの外交面では厳しくつけさせてもらいました。と言うのも、欧米との外交ではこれと言って目立った活躍はなかったものの、中国との間では劇的に福田首相は関係を回復させています。しかし、これは日本側の努力というよりも、「靖国にさえ触れなければ後は何とかする」という、中国側の努力の結果で、別に福田首相じゃなくとも小泉元首相じゃなければ誰でも達成できたことだと私は思っています。まぁこの背景には五輪前に揉め事を作りたくない中国の内部事情もありますが。
 さらに言うと、中国のチベット問題を大きく取り上げなかったり、アメリカが北朝鮮にテロ支援国指定解除を行おうとするのを引き止めようとしなかったり(結局北朝鮮は核研究を今日再開したようだから、あの時アメリカを引き止めておけば今の世界の日本を見る目が大きく違っていたと思う)、外交的不作為が非常に目立ちます。総裁選の際は拉致問題を自分の代で解決して見せるとか抜かしてたくせに。

7、経済政策 3
 これは原油高騰などの不可抗力もありますが、悪化していく経済環境に対して何の対策も打ち出さなかったというのを考慮した上での点数です。それこそ今公明党が主張している減税や、ガソリンの暫定税率に対して税率を緩めるなどいろいろ取れる対策があったと思えるのですが、見事なくらいにノータッチでした。
 そして何より、姉歯事件によってめちゃくちゃにされた建設行政に対しても素早い対応が取れず、今ばたばたと建設業界の会社が倒産しています。中には自業自得なところもありますが、この問題に対してどう対応するかという討論を、私は一切聞いたことがありません。公共事業を復活させるのは以ってのほかだけど。

8、行政改革 1
 これははっきりと最低点をつけさせてもらいます。明らかに無駄な支出を食っている「私のしごと館」といった官僚の無駄な天下り先やタクシー券問題に対して、一貫して福田首相は官僚を守る側に立っていました。挙句の果てにはこの公務員改革を行ってきた渡辺喜美元行革大臣を更迭するなど、国民のニーズと逆行するこの人事にはほとほとあきれました。私個人的な見方ですが、ほかのことはやらずにこうした行政改革だけをやっていれば十分に支持率は回復でき、選挙でも戦えたと思います。

 以上、様々な点について得点評価を行ってきました。全体的に悪口が多かったので最後に評価すべき事例をいくつか紹介すると、まず「C型肝炎問題」に一区切りをつけたのは評価できます。しかしこれも、小泉元首相の「ハンセン病訴訟」と比べると世論や桝添厚生大臣に押されたという形で、福田首相が率先したものではないので敢えて実行力の項目には入れませんでした。

 全体的に言うと、福田首相の評価は以前に菅直人氏が述べていたように、
「小泉時代のように脇に立って補佐する立場だと手ごわいが、表に立ってくるとそうでもない」
 という評価の通りの人物だったと思います。自分の分をわきまえ、首相にはなるべき人材ではなかったと言うのが私の評価であります。

今後の政局

 倒れたことによる病院の検査費、現在までにもう20000円。結構痛い出費です……。今日なんか心臓の鼓動を測る器具をつけられて、明日までこれをはずすことができません。不整脈かどうかを調べるらしいけどさ。

 さて今後の政局ですが、ここで話題に上げるのは自民党総裁が決まったあと、つまり次の首相が決まった後の政局です。
 新聞各紙やテレビなどのマスメディアの中には即解散、という声も一部にはありますが、これはまずありえないと私は思います。確かに総裁選の熱気覚めやらぬ中で解散に打って出ればまだ自民党にも議席を取る可能性が出てきますが、その前にまず「インド洋給油延長法案」だけは何が何でも自民党は通してくるでしょう。

 この法案は文字通りインド洋にいるアメリカ軍に対して石油を供与する時限立法ですが、前回の延長時は安倍前首相が期限ギリギリでやめてしまったため、一旦日本に帰国せざるを得なくなった経緯があるので、同じ轍は踏まないでしょう。しかし逆に言うならこれさえ通してしまえば、後は福田首相がこだわっていた、定額減税を織り込んだ補正予算案くらいしか臨時国会のネタはないので、この時点で補正予算案をあきらめて解散に撃って出る、「年内解散」という説には私もまだ一理あると思います。

 では逆に次の内閣がギリギリまで衆議院を解散しないとしたらという話ですが、その場合はやはり期限ギリギリの来年四月まで解散をしないというのが有力でしょう。自分たちの都合に合わせた予算案を通し、四月になって解散するというのが、この場合のシナリオです。
 ただこちらの場合はタダでさえ劣勢の自民党がこの間にさらに野党から攻撃を受けるという可能性が高く、お世辞にもいい戦法とはいえないでしょう。また福田政権同様、今度の組閣も各大臣の身体検査が不十分なままで望まざるを得ず、時間が経てば経つほど不利になると言う可能性が高いともいえます。

 ただ今回の騒動で自民党にとって幸いだったのは、疑惑がかけられた農水大臣の問題がきれいさっぱり忘れ去られたことです。福田首相は小沢民主党代表の三選報道に合わせて辞任を発表したと言っていましたが、効果的にはこっちの問題をもみ消したことの方が大きかったでしょう。

テクモお家騒動について

 今まで散々、「ゲーム会社栄枯盛衰、主にテクモ」などの過去の記事でネタにしてきたテクモですが、前からもいくつか出ていましたが、今日になってまた新たなニュースが飛び込んできました。

速報! 急転直下、テクモとコーエー、経営統合へ向けた協議を開始(YAHOOニュース)

 ことの経過はこうです。

1、テクモで「デッドオアアラブ」などの人気シリーズを手がけたプロデューサーが、約束されていた報酬を経営側(社長)に反故にされる。
  ↓↓↓
2、半ば会社を追い出される形でやめたプロデューサーが証拠テープとともに会社を提訴する。
  ↓↓↓
3、人気プロデューサーの裁判ともあり、口コミもあってテクモの株が急落する。
  ↓↓↓
4、スクウェアエニックスがテクモに対して友好的TOBを持ちかける。
  ↓↓↓
5、テクモはスクエニを相手にせず、コーエーと経営統合を話し始める

 と言うような経過となっています。好きなゲーム会社なだけに、このお家騒動は私個人にとっては非常に残念です。因みに合併ネタだと、バンダイと言う会社はこれまでセガとかと何度も合併を話し合いましたがすべて破談になり、最後に今のナムコといい関係になっています。

2008年9月3日水曜日

西山事件最終判決

 かなり昔に取り上げた「若い人に知ってもらいたい西山事件」について、今日続報がありました。最高裁は西山元毎日新聞記者の控訴を棄却し、前回の判決を支持するとのことで、事実上、西山氏の敗訴がこれで確定されました。

 それにしてもこの裁判、証拠など周辺状況を見れば明らかにおかしな点が出てきます。まず、日本政府からお金を受け取っていたとされるアメリカ政府ですが、アメリカの公文書館が秘密保持期限が過ぎたとしてこの沖縄密約の書類を去年に公開し、それによると「確かにもらったよ」って書いてあります。また当時の外務省の対米責任者の方は現在も生存しており、この密約の存在を認めています。このように、密約の当事者たちは認めてみるいるのに、裁判では何故かなかったことにされると言う、不可解な判決となりました。別に今に始まったことじゃないけど。

近況

 こんなことわざわざ書く必要もないのですが、

 倒れました( ゚Д゚)

 気がついたら病院のベッドの上で、何でも、突然椅子の上から卒倒して、横にいた人がすばやく頭を支えて救急車を呼んでくれたそうです。人間、こういう風になると本当に記憶が飛ぶと言うのか、この前後関係の記憶が全くないのが私でも不思議です。おぼろげに覚えている記憶は、酸素吸引機を取り付けられるのですが、なんか酸素を吸うとどんどん気持ち悪くなるので、必死でそれを取り外そうとしていたのはまだ覚えています。

 そんなこんなあり、今週一週間は検査のため病院に通う以外は自宅療養を言いつけられました。今まで自分で言うのもなんですが健康優良児だったので、今の状況に激しく戸惑っています。
 ここで言っておきますが、決してハードワークをやっていたわけじゃなく、ただ単にその日は朝から吐き気を催すなど、体調が悪かったのが原因だと思います。このまま体調が悪ければその日は早退しようと考えていたくらいなので、こんなになるなら休んでおけばよかったかなとも思います。

 それにしてもいざ自由な時間をもらうと返ってやることがありません。ブログのネタもなんとなく浮かびづらい気がします。ちゃんと勉強でもしていようかなぁ。

2008年9月2日火曜日

福田首相辞任について

 昨日の夜、突然福田首相が辞任を発表しました。会見の内容などは報道に譲るとして、ここではいくつかその前後関係についてあれこれ推論を書いてみようかと思います。

 まず福田首相が辞任を決意した時期ですが、これはほぼ間違いなくここ一週間のうちでしょう。その理由とも、臨時国会を本来なら九月十二日に開く予定をすでに発表しており、辞任を決意した段階ではこのような日程を決めることがないというのが理由です。

 では時期がわかったとすると、この一週間で何が決め手となって辞任を決意するようになったのかですが、福田首相は民主党などの野党の審議に応じないなどの抵抗があり、国会運営に支障をきたさない現段階でより自民党を引っ張り議論のできる人材に首相の座を譲るためと言っていますが、私はこれが本当の理由には思えません。
 というのも野党の反対と言うなら何故国会の休会している今なのかと言うことになります。それも福田首相にとっては国会運営に支障がないからだと言われそうですが、私はそれ以上に、農相の不正支出問題や餃子事件などで逆風が強く吹き、その上小沢民主党代表の続投が決まったことの方が決断した理由なのではないかと思います。

 そういったここの事例を踏み、このままでは選挙に負けて自民党が政権から引きずり下ろされた時の首相として名が残るのを意図的に避けた、と言うのが本音ではないかと思います。あとはただ単にもうこれ以上運営していくやる気がなくなった、父親の悲願であったサミットが終わったからといった辺りでしょうか。

 それでは今後、誰が自民党総裁、ひいては首相になるかでしょうが、現時点での最有力候補は幹事長の麻生太郎氏でしょう。それにしてこの人、幹事長に就任するたびに首相が辞任するんだけど、何か疫病神的なものを持っているんじゃないかなぁ。
 ぶっちゃけ私はこの人は嫌いです。また政権運営についても、国民に人気があると言いますが彼を支持する人間と言うのはミーハー的な(麻生氏が漫画好きだからというだけ)もので、いざ選挙とかになると投票に結びつくのか甚だ疑問です。

【民主党を問う】渡部恒三最高顧問に聞く(YAHOOニュース)

 これは昨日の民主党最高顧問である渡辺恒三氏の福田首相辞任前のインタビューですが、なかなかに時局をよく見極めた内容だと思います。
 このインタビューの中でも言われていますが、私も次の首相には総選挙に勝つことが目的であるというのなら、小池百合子氏が一番インパクトもあり、現在の自民党の窮地から大逆転がねらえると思います。

 総裁選には今日の時点で麻生氏が立候補を表明していますが、もし現官房長官である町村信行氏が立候補したら、派閥の力関係によって間違いなく町村氏に決まるでしょう。しかし町村派(元森派)は小泉、安倍、福田と、三人連続で首相を輩出しており、森元首相もまたここから出すのにはあまり乗り気ではないので、恐らく町村氏は出馬しないと思います。

 となると他に誰が出るかですが、これまた町村派ですが、上げ潮派の首魁である中川秀直氏などは何度かねらっており、もしかしたら今回このタイミングで出てくるかもしれません。もしくは、中川秀直氏などが後ろについて小池百合子氏を担ぎ上げると言うことも考えられます。
 あと、影がちょっと薄いけど谷垣貞一国土交通大臣も、安倍氏で決まった総裁選の時も出ていますし、古河派とも連携を強めているので、また出るんじゃないかな。麻生氏同様嫌いだけど。

2008年9月1日月曜日

権威の失墜と自意識の向上

 かなり前に、「モンスターペアレントはどこから生まれたのか」という記事を書きましたが、この記事の中で取り上げている「自意識の向上」というのは、実は非常に大きな問題なのではないかとこのところよく思うようになりました。

 この問題の背後にあるのは間違いなく「権威の失墜」でしょう。私が子供だった頃と比べると、警察や教師に対する社会の信用というものが数々の不祥事の発覚とともに明らかに低下しているように思えます。
 その結果が私の主張する自意識の向上につながっていると思います。というのも、昔はなんとなく自分じゃ違う気がしていても、権威のある人間が言うのだから正しいのだろうというように納得できたものが、このところは専門家の意見に対しても、「自分たちの考える意見が正しい」などと主張するようになって来ました。

 だからといって、私は警察や教師といった人間の権威を守るために、不祥事は明るみにするなとは言うつもりはありません。確かにこれまで閉鎖的に情報が閉ざされていた結果、冤罪事件や教師の不正採用など数々の悪事が隠されてきてしまい、そういった問題が発覚するようになったのは感激すべきでしょう。しかし、一部の小悪人の行動が全体の行動を代表しているかのように考えるのはやはり良くない気がします。

 特にそれが顕著なのは医師です。ほんの1%にも満たない人間の悪事によって医師全体の国民の信頼が薄れ、この前に書いた「医療裁判事件の無罪判決について」のように、必死で行われた処置を間違っているのではないかと疑うのは医師患者双方にとってとても不幸なことだと思います。

 ではどうすればいいのかということですが、これは単純にいって、相手を集団で見ないことです。警察だから、政治家だから、自民党だからというように、所属する組織や団体で相手の性格や行動を考えず、相手個人をしっかりと見つめることです。なんか擁護するような形になりますが、毎日新聞の問題にしろ、私は明らかに毎日新聞社の経営側職員の不手際がこの前の問題を引き起こし、スクープを多く拾い(最近あまり見ないけど)、現場で活躍する毎日新聞社の記者が毎日だからという形で批判されるとのは少し可哀そうな気がします。

 そして何よりいいたいことですが、自分の意見と相手の意見のどちらが正しいのか、それははっきりと基準となるものはありませんが、じっくり自分で意見を比べ合い、考えることが最善の選択を得る唯一にして最大の手段であると思います。一概に自分の意見が正しいと、慢心するのはよくない……と言いたいんだけど、私が一番人の意見を聞かない性格してるからなぁ……。

人の意見を自分の物とする者

 以前、というか今でもそうですが、私があれこれ政治談議を若い人間にしていると、

「花園さんの話とか聞いているとためになるのですが、一体こういった問題だと、誰の話を信用したらいいのかわからないのです」

 という風に言われることが非常に多いです。 
 確かに、政治政策などの問題だと複雑であるし、何が実際に効果があるのかといったことは非常にわかり辛いということはあります。しかしそれにしても、何が良いか悪いかはじっくりその人の意見、果てには対抗意見をよく聞いて、その上で自分で考えろ、人の意見を鵜呑みにするなと叱り飛ばしてやりたいのが本音ですが、最近だとこういう人間の方がマシだったと思うようになりました。

 というのも、最近だとろくすっぽ知識もないくせに、人の意見は聞かずに根拠なく自分の意見が正しいという人間が増えてきました。それこそネットの意見をそのままなぞるだけなので、「それはどこそこのサイトの○日の記事だね」といって私はそういった人間を黙らせているのですが、その際にはいつも異様な不気味さを感じます。何故かというと、確かに人の意見を参考にしてそれに同意するというのはわかるのですが、そういった人は他人の言った意見をまるで自分が考えて出した意見のように言うからです。

 私は問題意識を持たずに考えない人間よりあれこれ物事を考える人間の方を評価します。しかし、わからないことをわからないという人間はソクラテスの「無知の知」ではないですが、先ほどのセリフを言った人間のようにそれはそれでまだ素直さもあり、まともな人間だと思えます。できれば考えてほしいけど。
 ですが、人の意見を自分の意見かのように言う人間は言語道断です。さらにその問題について自分から対抗意見や掘り下げたりもせず、漫然とその意見の正当性を主張するなんて持っての外でしょう。

 引用なら引用だとあらかじめ言い、その意見に賛同しているというならそう言えばいいだけです。別にこれは恥ずかしいことではなく、その意見に対して同意か不同意か、何故そう考えるに至ったのかという過程は非常に重要ですし、曲がりなりにも問題を考えているといえます。ですがこのところ私が出会う変な人たちはそういった過程を一切経ずに、最初に目に入った意見だけをひたすら盲信する傾向が特に強いです。
 そういった人たちのもう一つの特徴を言うと、最初の意見を盲信するあまり、どれだけ別の意見の有効性を訴えたところで考えを変えないというところもあります。どうも考え方を変えるのは、自分が負けると勘違いしているのかもしれませんが、そういうことは全くないのですし、こっちとしても勝ち負けにこだわっているわけじゃありません。

 やや散文的に内容がばらばらになりましたが、こういった人間らが増えるということは社会にとって大きなマイナスです。人の言葉や姿だけを取り込むしかできない「カオナシ」という妖怪が千と千尋で出てきますが、一人や二人ならともかく、こんなのがそこら中にいる社会は私はごめんです。