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2009年4月30日木曜日

何がいいマンガなのか

 今もCDを流して作中で使用された「Crazy for your love」という曲を聴いていますが、私はしげの秀一氏の「頭文字D」というマンガが大好きで単行本も集めて持っております。このマンガにハマった理由を話せばいろいろと笑えるのですが、中国の留学中にやけにあちこちでこのマンガのアニメDVDが正規版、海賊版を問わずどこでも売られているのを見て、なんで中国人がこのマンガにハマるのかと試しに日本に帰ってきてから読んでみたところ中国的な要素が強い私もすっかりハマってしまったというわけです。

 その後うちの親父にもこのマンガを薦めてみたところ一緒になってハマり、二人で買うんだったらランエボかコペンかとまで話し合うくらいになったのですが、親父はこの「頭文字D」よりも同じ作者のこれ以前の作品である「バリバリ伝説」を若い頃読んでいて、今回「頭文字D」を読んであの時の興奮を思い出し、お袋に内緒で(すぐにばれたけど)オートバイクを購入して現在も広島で乗り回しているそうです。もっともちょっと前にバイクからすっ転んで鎖骨を折り、ソニー損保が思ってた以上に保険金くれたからお袋は「もう一本折って来い」と親父は言われてたけど。

 しかし改めて考えてみると自分と親父で年齢差は三十年以上あるのに、同じマンガにハマるというのもなかなか珍しいものです。ただ「頭文字D」は舞台設定がスタート時は90年代中盤だったということから読者層は比較的年齢が高い層が主らしいですが、自分の周りの同年代の友人も読んでいる奴は読んでいるのでストライクゾーンが広いマンガといえばそんな気がします。ちなみに友人と私はエボⅢを操る須藤京一が一番好きです。

 実はこの読者の年齢層ですが、私はこれがマンガの良し悪しを見極めるのに非常に大きな指標だと前から感じています。よく何がいいマンガかどうかを決めるのかという議論があり、作品の内容だとか面白さ、もしくは画力だとかいろいろと挙げられますが、私は一言で言えば、「どれだけの範囲の読者を引き込んだか」というのが単純で最も重要だと思います。
 例えば誰もが高く評価してやまないマンガの神様である手塚治虫のマンガ郡ですが、「鉄腕アトム」や「ブラックジャック」といった作品は私が子供だった頃に読んでも面白かったですが、成人した今になって読み返してみると子供だった頃とは違った読み方が出来て、あの時とは別の感覚での面白さを覚えました。

 このほか近年の作品だと「ドラゴンボール」や「クレヨンしんちゃん」(こっちは特に映画版が)など、子供から大人まで幅広く愛されるマンガは間違いなく名作だとして高く評価されます。この読者を選ばない魅力というのが、私はマンガの作品としての質を測る上で最も重要だと考えています。逆を言えばどれだけ一部の層から熱烈に評価されても、非常に限られた狭い層にしか評価されないというマンガはやっぱり全体的な評価としては低く見積もるしかないんじゃないかと思います。実際、そうしたマンガというのは忘れ去られるのも早い気がするし。
 でもそれを言ったら、「究極、変体仮面」は今もアスキーアートが作られるくらいだけどなぁ。

大衆消費社会の復権はあるのか

 もうすでにこのブログも解説から一年半くらい経ち、検索ヒットワードを調べてみるとそれこそいろんな言葉が入っていて自分で見ていてもそこそこ楽しいのですが、中には自分が全く意図していなかった言葉が検索数で上位に入っていてしばしば驚かされます。そうした検索ワードの中の一つに、「トリクルダウン」という言葉が入っており、これはそのままの題となっている「トリクルダウン」の記事がヒットするのだと思うのですが、自分としてはこの記事はそれほど意識して書いた記事ではなく、ほかでもこの経済学用語をもっと詳しく解説しているサイトも多いのになんでもって自分のサイトに来るのかといろいろと不思議に感じています。

 そんなトリクルダウン、意味は件の記事でも書いている通りに今は亡きミルトン・フリードマンが生前に唱えた経済論で、要は金持ちをもっと金持ちにすれば経済全体のパイが大きくなって所得の低い人もその恩恵を受けることでみんなで所得が増えていくという主張ですが、この政策を強烈に推し進めてきたブッシュ政権が終わった挙句にこの時のしわ寄せで今大不況となってしまったことから、このところ一挙に死語と化しつつあります。

 その一方で、かつての高度経済成長期に金科玉条とされた経済政策の「大衆消費社会論」は復権するのかといったら、経済誌やテレビでの言論を見ている限りまだあまり大きな動きにはなっていないように私見には感じます。この大衆消費社会論というのは変な横文字のトリクルダウンと違ってわかりやすく、文字通り所得の低い層にお金を使って消費力を高めて中間層を増やすことにより、経済全体のパイを大きくなるという経済原論のことです。
 敢えて比較するとしたら、トリクルダウンは積み上げていって大きくするのに対し、大衆消費社会論は底上げをして経済規模を大きくするというような具合です。

 前回の記事でも書きましたがトリクルダウンは主に南米諸国で政策的に誘導が行われたものの、現象としては実体を伴った経済成長は一度も起こったことはありませんでした。それに対して大衆消費社会論は高度成長期の日本を始め、今現在のお隣の中国を含めて世界各国で経済成長を達成しております。
 もっともこの大衆消費社会による経済成長には限界があるとしてトリクルダウンが提唱された背景があるだけに、これが万能な経済政策だとは私は思いません。しかし現在の日本を見ると若者の失業率が依然と高いままで、また最低限度の生活も保障されずに派遣労働をして食いつないでいる姿を見ると、今であればこの大衆消費社会を誘導するような政策は効果を出せるのではないかと考えております。

 では具体的にどんな政策をすればいいの、かつての高度経済成長期のように政府が税金をばら撒けばいいの、それだったら今度の麻生政権の補正予算は税金使って大盤振る舞いだからいいんじゃないの、という風に考える方もいるかもしれませんが、私は今度の補正予算案は高度経済成長期とは全然逆の志向を持つ、むしろトリクルダウン的な要素の方が強い内容だと思います。というのもハイブリッド車を購入すれば最大二十万円還付されるとか、ETCをつければ高速道路が千円で乗り放題とか、エコ家電を買えばエコポイントが付くなど、どれもそうした自動車や家電を購入できる層にしか恩恵が来ない内容だからです。そうしたものを消費する余裕がない層や、本格的に費用がかかりだしてくる中学生、高校生の子供を持つ世帯ではなく三~五歳の子供を持つ世帯に三万六千円を配るなど、どこかピントがずれた内容にしか思えません。

 格差がどうのこうのと言うつもりはありませんが、一体どんな社会を目指してどんな政策を取るのか、そうした姿が見えてこない今の法案については私は徹底的に反対です。

2009年4月29日水曜日

豚インフルエンザの感染拡大について

 今日友人より久々にリクエストが来て、今話題の豚インフルエンザについてコメントを求められました。実は知り合いに新型インフルエンザ対策のビジネスに関わっている方がいるので、その人の話をここで紹介しようと思います。

 その方は日本の商社社員なのですが去年の六月の段階で新型インフルエンザの流行、それも今回の豚インフルエンザのように日本ではなく海外で大流行した場合に備えて保健衛生用品を、海外に複数の事業所を持つ大メーカーを中心に販売拡充に務めていました。実は私もその人の仕事を一時期に簡単に手伝い、海外に事業所を複数持つメーカーを調べたり、見積書作成のベースとなる原価表を自動計算できるようエクセル上で作成したりしたのですが、主に販売するのは防護用の使い捨てマスクや手袋、果てには帽子や保険衣みたいなコートでした。

 その知り合いを傍目で見ていた限り、そうした衛星用品の売れ行きはあまり芳しくなかったようで最近では全然別の商品の拡充に努めていたのですが、昨日に様子を尋ねたらなんでも一日中問い合わせの電話が鳴りっぱなしだったそうです。ただこの知り合いに限らなくとも、インフルエンザの専門家はいつ新型のインフルエンザが流行してもおかしくないとの認識を数年前より持っていたそうで、そうした候補としてこれまで鳥インフルエンザがいつ人間の間でも爆発的に伝染するかに注目が集まっていました。
 しかし今回、全くの搦め手というべきか、これまであまり話題にならなかった豚からの感染経路による新型インフルエンザが大流行の兆しを見せており、WHOも対応の遅れなどを自ら認めております。

 この豚インフルエンザですが、報道もされている通り現在まだその詳細ははっきりしておりません。これまで豚から人へ伝染していたものが人から人へ伝染するように感染力が変異によって高まったというのは事実だそうですが、毒性については意見が二つに分かれます。これはまだ確定ではありませんが一応の発信源とされるメキシコでは死者が百人を超すほどの猛威を振るっていますが、メキシコ以外の他国の感染者はどれも病状は軽く、現在は皆通常の容態に戻っているそうです。病理学の専門家ではないのではっきりとは言えませんがインフルエンザウィルスの型は固定しているので、メキシコとそれ以外の国では別のウィルスというような話はまずありえないと思いますが、同じウィルスでこれほどまでに毒性が変わるものかと多分私だけでなくいろんな方が疑問に思っているかと思います。これについては今後の研究、調査を待たなければなりません。

 ちなみにこのインフルエンザですが、一説によると毎年流行するウィルスは中国南部の地域、それも今回のように豚を介して発生していると言われております。中国の南部の地域は環境も悪く、人と豚が集住して暮らしているために人と豚の間でウィルスがそれこそめまぐるしく伝染し合い、その過程でこれまでとはちょっと型の違うウィルスに変異することによって毎年世界中に流行するという話を以前に聞いたことがあります。そのため医療機関によってはこの地域にスタッフを専従させ、ウィルスについてリアルタイムで事細かに調べさせて毎年の対策に備えさせていると聞きます。

 今回の豚インフルエンザのニュースを受けて真っ先に思い出したのが上記のニュースですが、ここから私が何を言いたいのかというと、ある意味豚インフルエンザの本場である中国は今どんな感じなのかという疑問です。今回のメキシコの例でもそうですしかつてのSARS騒動の時の中国も、病気の大流行が発生した当初はその詳細をあまり表に出さず、むしろ隠蔽しようとしてかえって被害の拡大を起こしてしまいました。今回のメキシコも第一報の時点で死者が百人を超していたことから、政府の対応が遅かったというよりほかがありません。
 つまりここで私が何を言いたいのかというと、感染者が出ていないからといってその国が安心だとは限らないことです。それは海外旅行に行くなというより、既に五月に入ろうかというこの時期ですが日本国内においても手洗いうがいの徹底などをするべきということです。やらないよりはマシだし。

 ただこの豚インフルエンザは本格的に流行するとしたら今年の秋以降だとも言われ、それまでにはしっかりと世界中で対策を練って実行するべきでしょう。これがかつてのスペイン風邪の流行のように大きな事件となるかはまだ未知数ですが、今後の対策に私は期待することにします。

2009年4月28日火曜日

二重の革命であった明治維新

 ちょっと前に書いた鳥取の記事の中で私と叔父が一緒に海水浴に行ったことを書きましたが、その旅行中のある夜、叔父からこんなことを聞かれました。

「ところで、君はなんで明治維新は成功したと思っとる。君の得意な中国なんか何度も改革をやろうとしては失敗しておって、それと比べると日本の明治維新は出来すぎる位に大成功やったと思うんだが」
「そうですね。敢えて言うとしたら旧弊こと、幕府の老臣を一挙に排除して若くて実力のある薩長の功臣が武功によって政治の実権を握ったからじゃないでしょうか。改革が失敗する原因というのは決まって、守旧派の巻き返しによるものですし」
「そうやろなぁ。普通に考えとったらあれだけ人事が変わることなんてありえんしのぉ」

 この会話で叔父が言った通りに、日本の明治維新は世界史上でも文句なしに大成功といえる革命劇という評価でいます。そしてその原動力はなんだったのかというと、上の会話でも言っているように後腐れを完膚なきまで排除した維新の方法、薩長による旧政権の親玉である徳川幕府の倒幕があったことからだと私は見ています。

 今でもこの自分の意見に大きな間違いはないだろうと考えていますが、私もファンである歴史学者の半藤一利氏が今月の文芸春秋に「明治維新は非常の改革だった」という題の記事を寄せてあるのを読んで、明治維新にはまだこんな見方があったのかと、いつもながら思いもよらぬ所からの着眼点に文字通り目からうろこが落ちました。特に今回の記事で一番なるほどと思わせられたのが下記の引用箇所です。

「私は明治維新とは二重の革命だったのだと考えます。一つは薩長の倒幕による権力奪取。そしてもう一つは、下級武士隊殿様、上級武士の身分闘争です」

 言われることまさにその通りで、歴史に詳しい方ならわかると思いますが明治維新で活躍した偉人はほぼすべてと言ってもいいくらい下級武士の出身で、平時であれば武士の中でも同じ武士として認められない、たとえて言うなら行政上は京都市の一部なのに上京区、中京区を中心とした住民から京都市民とは認められない伏見区の住民みたいな人たちでした。ちょっとたとえが複雑すぎるかな。

 薩摩藩の西郷と大久保は二人ともその日を食うや食わずやで過ごしてきたほど貧乏な家の出身で、母親が豪商の出身だったために家は裕福ではあったもののやはり下級武士だった坂本龍馬、そして長州藩の桂、高杉、伊藤、山縣に至ってはどん底もいいところというほどの下級武士でした。ついでに言えば、幕府の側も勝海舟や福沢諭吉は下級武士出身でした。

 彼ら維新の功臣たちは明治に入るや版籍奉還や廃藩置県によって、かつて自らが率いて維新を起こした藩とその藩主たちを事実上行政の長から無理やり引きずりおろし、日本全体の実権を自らの手にすべて集めてしまいました。一部の歴史の教科書では明治維新は武士間の一種の政権闘争で、被支配層である農民を始めとした一般民衆は変わらずに支配層だけが変わっただけので革命とは呼べないとする説を主張するものもありますが、私は江戸時代の階級制度を考えると彼ら下級武士の台頭は十分に革命と呼べるほどのインパクトがあったと思え、そういう意味で半藤氏の言う二重の革命とは非常に適切な表現だと感心させられました。

 さらに半藤氏は彼ら功臣が下級武士出身者だったからこそ士族への共感が薄く後の徴兵令による士族の完全な解体も行えたとして、特に徴兵令についてはこれを主導した山縣有朋は幼少時に身分の低さから散々に同じ武士からいじめられた体験が大きかったのではないかとも述べています。
 私から付け加えると、功臣の中でも西南戦争を起こした西郷隆盛を始めとした一部の人間は士族への共感が強かったとも思えますが、歴史的に見るなら冷徹にあの時代のうちに士族を切った大久保を始めとした政府幹部の決断と実行力は後の発展の大きく寄与したでしょう。そして士族に共感した西郷や萩の乱を起こした前原一誠らの反乱は皮肉にも、徴兵令によって作られた明治軍隊に鎮圧されたことで真の意味での維新の完成を促したとも見ることが出来ます。

 半藤氏も西郷の死で維新は完成したとまとめており、革命には冷徹な非情さが必要という具合に筆をまとめており、近年の改革の成否やナポレオンのエジプト遠征時の兵士置き去り事件を思うにつけまさにその通りだと私も思います。

2009年4月27日月曜日

外国人が互いに持つイメージ

 最近また堅い内容の記事ばかり書いているので、久々に肩の力が抜けるような記事でも書こうと思います。

 さて私はこのブログでも何度も書いているように中国に留学した経験があります。向こうでは外語大学にいたのであまり中国人とは付き合うことは多くなかったのですが、その分いろんな国の人間と授業を一緒にしたりするなど交流がもてました。
 やっぱり会って話してみると国ごとにいろいろと特徴があり、ドイツ人はやっぱり皆真面目そうで日本人からしたら付き合いやすい人が多かった気がします。私と同じクラスだったクォシャオレイという中国名のドイツ人などは話し方も知的で、喫茶店にて二人きりでゆっくり話をした際にドイツの徴兵制度について直接聞けたのは幸運でした。意外と知らない人が多いですが、ドイツやフランスは今でも徴兵制度があって韓国ほど長くはありませんが男子には兵役が課せられています。

 このほかマイナーな国ではアフリカのルワンダから来ている方もいたのですが、ある授業中にその方が、

「他の国の人たちはアフリカ人は皆足が速いと思うらしいけど、俺、速くないし……(´Д`)ハァ」

 と言ったことがありましたが、別にアフリカの人に限らずどの国もイメージというのは皆いろいろと持っていました。その中で大筋で間違いじゃなかったと私が思ったのは、「ロシア人は酒飲み」というイメージで、実際にロシア人とウクライナ人と一緒にBARに行きましたが連中は飲むわ飲むわで、この時初めて私もウォッカを飲みました。悪酔いしない酒というだけあって、それほどキツイお酒だとは思いませんでしたが。

 逆にイメージと違った、というよりいい意味で引っくり返されたのはカザフスタン人でした。そのカザフスタン人は私の同級生で授業中は常に真面目で口数少なく、身長は185センチくらいもある巨体なのに行動はすこぶる穏やかで陰ながら一目置いていた人物でした。
 そのカザフスタン人の彼ですが、ある日のクラスでの飲み会で酒を飲むや豹変、とまでは行かないまでも恐ろしく性格が変わったのに驚かされました。普段は物静かなくせにやけに周りに絡むようになり、「俺の酒が飲めないのか!?」といって人のグラスに次ぐわ次ぐわで、非常に場を盛り上げてくれました。背が高いもんだから目立つのなんの……。

 そういう私こと日本人の周囲からのイメージですが、ある日授業中にフランス人の女性が、

「あなた(私)はまだまともな落ち着いた格好をしているけど、日本人や韓国人は理解できないような変な服装をいつもしているわね」

 と言われた事があります。具体的にどんな服装かというと恐らくこの人が言いたかったのは、日本人女性が来ていたような「派手すぎる普段着」なんじゃないかと思います。実際に私も、中国まで来て変な格好をしているなと思ったし。

2009年4月26日日曜日

今後の社会のあり方

 前回の記事の続きになりますが、私は今後の日本社会で個人はますます流動性を増さざるを得ないため、国の制度などもそうしたものに抜本的に変えていくべきだと考えています。

 まずこれまでとどう変わっていくのかというと、一番大きなものは終身雇用制がなくなるということです。この終身雇用制を日本社会に方向付けたのは占領下のGHQの政策委員で、日本以上に職業上の保障が整った国は他にないと本人が自負するまでにこの制度の完成度は高かったです。しかしグローバル化、また企業の方針転換などによって今では一つの会社にずっと定年まで居続けるというのは実質難しくなっております。
 参考までにこれまでの日本人男性の典型的なライフコースを説明すると、まず高校か大学まで教育期間を設けてその卒業後に就職、就職後はほとんど転職をせず(グループ会社などにはあり)そのまま定年まで勤め上げて退職後は年金で生活、というのが一応の理想のライフコースだったと言うべきでしょうか。

 しかし前回の記事で書いたようにかつては三十年持った一つのビジネスモデルがいまや三年も持たないほど社会の変化が激しくなったこの時代で、一つの会社に居続けるというのはそれだけでも至難の業です。また転職に限らなくとも再教育についても今後増えることが予想され、一旦就職してお金を貯めた後に海外に留学したり大学院に入りなおし、知識を身につけてから再び就職するというようなライフパターンも増えていくだろうし、またそうした就職後教育が今後ますます必要になってくると思います。

 しかるに日本の制度はこれほど流動性が高くなっているにも関わらず、未だ終身雇用のライフコースから外れると個人は再復帰がしづらい制度のままです。いくつか例を挙げると教育期間の終了後にすぐに就職できなかった就職氷河期の若者がニートやフリーターとして厳しい生活に追いやられ続けていたり、ブラック会社に就職してしまったので離職をしたら履歴の離職暦が再就職の足かせとなったり、果てには失業保険や生活保護費が全然行き渡らなかったりと。

 では具体的にどういう風に今後制度を私が変えて行きたいのかというと、大まかに二つに絞ると社会保障制度と税制をこれまでの制度から抜本的に入れ替えたいと考えています。
 社会保障制度は現在のところ年金、健康保険、失業保険などの支払い費用が企業に勤めている正社員であれば企業との折半いった形で支払われるので、正社員でない方の支払い費用と比べると格段に少なくて済みます。私はこれ自体が自営業者たちへの差別につながるので早くに支払い費用については統一化し、その上で本予算でないために監視が行き届かず散々不良債権を作って問題化した年金特別会計のように、こうした保険料の予算は本予算に組み込んで他の税金と合わせて使い道を決めていくべきだと思います。ま、年金については今年から霞ヶ関埋蔵金で補填してるのだからそうしないと即破綻するのだけど。
 その上で年金についてはあまりにも長すぎる加入期間を撤廃し、出来れば十年、無理なら十五年くらいで受給資格年齢に変えて行きたいです。やっぱりこの年金の受給資格が得られるまではなかなか転職に踏み切れないという人が多いというし。

 そして税制ですが、これは前から私が主張しているように現在の所得税に代表される直接税を主にする税収方法を消費税に代表される間接税を主にする方法がいいと思います。これによってどんなメリットがあるのかというと、まず直接国税だと一人一人細かく給与額を査定して税額を決めなければならないために人員と手間が多くかかります。それが消費税であれば事業者のみの査定で済むので、大胆な話年収五百万円、もしくは一千万円以下の世帯は所得税を廃止してもいいと思います。
 これがどう社会の流動性に影響するかですが、私はこうすることで企業側が人員を雇用する際に必要なコストが大きく削減されて雇いやすくするというのを狙っています。今大卒の初任給はひと月約二十万円ですが、これは本人の収入だけで実際のところ企業はこれに加えて国や自治体に払う必要のあるいろいろな費用が発生するため、アルバイトを雇う感覚でほいほいと雇えないと言われています。こうした部分を無税とする代わりに個人が生活していくうちに自然と払われる消費税を増やすことによって、企業としても試しにいろいろと人を雇いやすくなるのではないかと期待しています。

 こんな具合にいくつか腹案はありますが、要するに私はもっと転職や離職、再就職のしやすい制度に変えていくべきだと考えています。以前にも一回自分で書いて「我ながらうまいこと言うやんけ」と思った一節に、

「昔は社会流動性が低くまた決まったライフコースからこぼれ辛かったが、今は社会流動性が低いままでライフコースからこぼれやすくなった」

 と書いたことがありますが、今でも現実はこの言葉の通りだと私は思います。時代と共に周囲の環境は動くので制度は変えていかねばならず、それでも制度を何が何でも維持しようというのならかつての江戸時代のように鎖国をして時を止めるしかないでしょう。

2009年4月25日土曜日

日本の社会保障制度による固定性

 FC2ブログでやっている「陽月秘話 出張所」の方では前にも言いましたが拍手コメントといって、クリックするだけでその記事を評価するボタンがあります。管理者側はこの拍手に対して一ヶ月内の記録を全部見ることが出来るのですが、やっぱなんだかんだいって今まで書いた記事の中でも自分が力を入れた記事にはよく拍手が集まる傾向があり、公開してから月日が経っても思い出したかのように拍手が来ることがあります。

 そうした今でも拍手がたまに来る記事の中で、去年の十二月に書いた「日本で何故レイオフが行われないのか」はすこし自分でも注目しています。実はこの記事は野球で言うなら内角高目のストレートを打てるもんなら打ってみろとばかりに投げたような記事で、コメント欄に敢えてどんな返答が返って来るのかを見極めてから続編の記事を書こうとしたところ、生憎sophieさんしか返答をくれなかったのでそのまま放置したのですが、今月にもFC2の方で拍手が来て、やっぱり見てる人は見てるんだなと思い直してちょっと今日のこの記事で補足しようと思うに至りました。

 まず前回の記事ではこうした不況下などにコスト削減のために給料の数割を支給するかわりに人員を解雇、もしくは帰郷(自宅待機)させ、好況時にはまた優先的に再雇用させるというレイオフという制度に触れ、普段忙し過ぎて旅行や留学にいけない個人にとっても、景気が回復した際に業務に習熟した人員を素早く揃えなおせるという点から企業にとっても決して無意味でない制度だと思うにもかからずほとんど実施されないという現状について解説しました。前回の記事では最後の部分にて「どうして?」と敢えて読者に聞いたのですが、実は何故レイオフが日本であまり実施されないのかという理由は私の中である程度わかっていました。その理由というのも、今問題となっている年金を初めとした社会保障の制度からです。

 私が一番レイオフを阻害させている最大の原因と見ているのは日本の年金制度です。タダでさえ問題の多いこの年金制度ですが、諸外国と比べて格段に問題性が高いと感じる点はあまりにも長すぎる受給資格期間です。
 アメリカ、あと確かイギリスでも年金を受給する資格を得るには約10年間年金基金を支払えばよいのですがこれが日本だとなんと25年間という普通に考えたってあまりにも長すぎる期間で、しかも25年間払いきったところでもらえる額は生活するにはやや不足する額だといわれており、実質的にはその後も上乗せ分のために支払い続けるのが一般的です。

 この長すぎる支払い期間のためにうかつに転職、もしくは一時的とはいえ離職する事によって個人が受ける影響は大きく、しかもしっかりしない社会保険庁のため一旦離職して再就職して年金の申請もしっかり行っていたとしても現在も問題が一向に解決されない記録の紛失や削除が行われる可能性が非常に高いです。更には医療保険や失業保険なども普通に生きてる一般市民からすれば複雑怪奇な代物で、ひとことで転職をしようにもこうした制度の更新に膨大な労力がかかってきます。

 ここで話はレイオフに戻りますがもし仮に企業がこれを実行しようとしてもこうした日本の諸制度が全く対応していないため、企業としても社員管理などの面で実行すること自体が不可能なのではないかと私はにらんでいます。こうした保険、保障制度は専門外なので断言こそ出来ませんが、元々日本の雇用、社会保障制度は終身雇用を前提にしているためにこうした弊害が出てくるのではないかと思います。

 確かに終身雇用でずっとやり続けられるのに越したことはありませんが、これはうちの親父がよく言う言葉ですが、かつては一つのビジネスモデルが三十年続けられたのに対して現代は三年も持たないと、グローバル化などのもろもろの影響から日本の社会も流動性が強くならざるを得ないと現代について私は思います。そうした世の中の変化に対していくら昔みたいに固定した制度を保とうとしても無理があり、むしろ社会流動性が高くなった現実に合わせてこうした制度などを抜本的に改正し、最低限の保障が出来る社会に持っていくべきだと思います。この辺の詳しい内容についてはまた次回にて。

2009年4月24日金曜日

SMAP草彅剛氏の逮捕について

 あまり書くネタもないので、短く簡単にこのニュースについて書こうと思います。
 さて皆さんも知っての通りだと思いますが、昨日未明にSMAPの草彅氏が公然わいせつ罪で逮捕されました。この件について私の感想はというと、何故こうも警察が強権的な行動を取ったのかいろんな意味で腹が立ちました。

 別に私はSMAPのファンというわけではありませんが、今回の事件は深夜に草彅氏酔っ払って全裸になったところを捕まったという報道がされており、言ってはなんですがこんなことくらい週末になるとたくさんの酔っ払いが年がら年中よくやっていることで、警察が出てきて補導する事はあっても逮捕するということはまずないケースだと思います。しかも今回の草彅氏のケースの場合、逮捕後に草彅氏の自宅を麻薬があるかどうかを調べるために家宅捜査までした上に今日の釈放時の警察発表に至っては「逃亡、証拠隠滅の恐れがない」と、こんな事件に証拠隠滅もクソもないだろうと突っ込んだのはうちのお袋以外にもたくさんいるでしょう。

 多分こんな風に容疑内容に比べて拘束等が厳しすぎるという批判が警察に行くと、「被疑者は非常に有名な人間ゆえ社会的影響を鑑みた」などと言い訳をすると思いますが、それを考慮しても今回の警察の行動は異常なまでに厳しすぎるとしか言いようがありません。そりゃ確かに酔っ払って周囲に迷惑をかけたというのはわかりますが別に何か器物破損をしたわけでもないし、何故か外人がインタビューに答えるくらい目撃者も少なかったのだから逮捕、拘留まで行う理由なんて私にはどこにも見当たりません。一体いつから日本の警察はこうも簡単に一般市民をしょっ引くようになったのか、草彅氏の行動よりも私は今回の事件の警察の対応の方が癇に障りました。
 ついでに言えば逮捕直後に「最低の人間だ」とまで非難した上にファンから「言いすぎだ」と抗議されてあっさり発言を引っ込めた鳩山総務相についても、少なくとも「アルカイダの友達が友達だ」などと責任ある立場でありながら発言した人間よりはまだ草彅氏の方が人間的にも社会的にもマシな気がします。

 最後にもうワイドショーのコメンテーターがあちこちで言っていますが、これが芸人であればここまで騒がれることもなければ大事にならなかったと私も思います。第一、こんなことで毎回逮捕されていたら江頭2:50や小島よしおの立場はどうなるんだということになりますし、草彅氏も今回の件はあまり気にせず「こんなのかんけーねー!」とまた来週からこれまで通りに芸能活動を続けてくれればと思います。

2009年4月23日木曜日

私と鳥取

「今度、わしと鳥取行かへんか?」
「いやおじさん、俺、今度行くんですけど」

 思えば、これが私と鳥取県が関わるはじめの一歩でした。
 ある年の夏、当時京都に住んでいた私に兵庫の叔父から電話が来て、次の連休に鳥取県の海に素潜りに行くから一緒に来ないかと誘われた際のやり取りが上記の会話文です。一体何故叔父の誘いにこんな返し方をしたのかというと実はこの電話が来る約一週間前に、自動車の免許合宿先に鳥取県にある「日本海自動車学校」を選んですでに申し込みをしていたからです。そういうわけで約一ヵ月後に鳥取に行くことが決まっていた矢先の叔父からの誘いで、この時には何かとこの夏は鳥取に行くことが多いなとは思いましたが、まさかそれが今にまで続くとはこの時は全く思いもしませんでした。

 そんなわけで叔父の電話があってからしばらくしてから私は叔父の自慢のベンツ(安く買い叩いたらしいけど)に乗って鳥取に行き、民宿に泊まりながら近くの海で泳いだりサザエを取ったりして楽しく過ごしました。なおこの時スイムウェアを叔父から借りて一応着て潜ったのですが、まだ七月の中ごろだった上に体脂肪率が現在も続く10%強の体ゆえ、海に入ってもすぐに体を冷やしてどっちかって言うと海辺で日に当たっていることのが多かったです。

 この叔父との旅行から数週間後に今度は免許合宿のために鳥取の日本海自動車学校に行ったわけですが、よく教習所というと教官の不遜な態度などでストレスを溜めやすい場所とは言われていますが、この日本海自動車学校は「笑顔日本一」というのを売りにしているだけあって教官らの態度は常に良く、また教え方も非常に上手で一瞬たりとも不快な気持ちになったことはありませんでした。路上教習中も私の教習原簿を見てはよく話しかけてくれ、

「君、関東出身だとしたら鳥取は初めてじゃないの?」
「いや、実は先月に叔父と海に潜りに来てるんですよ。まさかひと夏に二回も来るとは思っていませんでしたけど」
「そうだろうなぁ。一生に一回来るか来ないかだろうな、君だったら」

 というような会話をしたりして、終始なごやかに教習を続けました。なおこの時AT限定で免許を取ったので路上教習ではよく女の子と一緒になったりしたのですが、何度か一緒になった地元の女の子が何故か運転中にカーブを曲がる際、必ず片手を一旦離してなにやら手を動かしているのを見て、

「あのさ、左右の方向をはしを持つ手で必ず確認しているでしょ」
「うるさいっ(`Д´) ムキー!」

 という風に怒られました。教官もえらい笑ってたけど。

 こうしてひと夏に二回も鳥取に行き、さすがにもうこれからはあまり訪れることがないと思っていたらその次の年の二月、ひょんなことから鳥取県出身の人間と突然友人になり、しかも同時期に日本海自動車学校に通っていたと聞いて一挙に意気投合して今でも交流が続いています。しかも当時に師事し始めてこれまた現在も交流が続いているK先生も鳥取出身だとわかり、自分はなにか鳥取と縁があるなとこの頃から意識し始めました。

 そしてそれから中国留学を経て京都に戻った際、新しく借りた下宿の近くの本屋にてついに私が出会ったのが水木しげるでした。
 その本屋は京都の本屋らしく狭いながらも商品が精選されていて当時によく通った本屋だったのですが、何故か漫画本のコーナーにはこれでもかと言うくらいに水木しげる氏の著作が常に置かれていたのを見て、少し高いが手にとってみようと買ったのが「水木しげる伝」こと水木氏の自伝漫画でした。この「水木しげる伝」から猛烈に水木氏の著作にハマりだして、水木氏が幼少の頃に住んでいた鳥取県境港市(生まれたのは実は大阪)にも興味を持ってこれまたある年の夏、今度は親父とレンタカーを借りて山陰地方を回った際に境港にも寄ってあの水木しげるロードも訪れました。

 率直な感想を言うと水木しげるロードは確かに妖怪のブロンズ像が並んでいたりして楽しかったのですが、まだ境港の持つコンテンツを完全に生かしきれていないように思いました。どっちかというと同時期ではひこにゃん擁する彦根城の周辺の方が雅な茶店や庭園があったりして、街全体の雰囲気では上だった気がします。
 とはいえ私の水木氏への情熱はこれだけで満足することはなく、境港も一度立ち寄っただけなので是非いつかは一週間くらいかけてじっくりと滞在してみたいものです。そんな風に思っていたら、何でも来年のNHKの朝ドラの原作が水木氏の奥さんの自伝小説、「ゲゲゲの女房」に決まったそうです。

 私もこの本は発売してすぐに買って書評まで書いていますが、もし境港で撮影などがあるのなら見学を兼ねてまた行ってみようかなと計画中です。私は鹿児島で生まれて物心ついてからずっと千葉で育っていますが、将来的には鳥取県か奈良県で骨をうずめたいとこの頃は思うようになりました。鳥取に埋まれば、なんとなく妖怪になって化けて出れそうだし。
 少なくとも千葉県に関しては、他の千葉県民同様にあまり郷土意識は持てません。なんで郷土意識が持てないのか研究してみたら面白そうだけど。

2009年4月22日水曜日

死の前の平等

 昨日に死刑制度について書いたばかりでSophieさんからもコメントを戴き、ちょっと思い出した面白い話があるのでここで紹介してみようと思います。その話というのも、「死神の名付け親」です。

 昔ある夫婦の下に子供が生まれたところ、その父親は公平なことが大好きな父親だったのでこの世で最も平等な人に子供の名前をつけてもらおうと考えました。すると父親の元にまず悪魔が現れて名付け親になろうと申し出たのですが、
「いや、あんたは人によって与える不幸の度合いが違うから平等じゃない」
 といって断ったところ、今度は神様が現れて同じように名付け親になろうと申し出たのですがその父親はまたしても、
「いや、あんたは全ての人間に平等に幸福を与えていないじゃないか」
 といってまたも断ったところ、今度は死神が現れて名付け親になろうと申し出てきました。すると父親は、
「あんたはどの人間にも平等に死を与える。あんたほどの平等な奴はいないから是非名付け親になってもらおう」
 こうして、その子供は死神に名前をもらったそうです。

 こんなお話ですが初めて聞いたときはなかなか含蓄の深い話だと思い、書かれている通りに人間は生きてる限りはいつかは必ず死ぬので、死という行為の前では死に至る過程は別とすると確かに皆平等なように私は思えました。
 そして実際に、このお話のように死という行為が世界に強烈に平等というものを見せ付けた歴史が過去にありました。何を隠そうそれはフランス革命で、恐らく世界で最も有名なシャルル=アンリ・サンソンの死刑執行です。

 詳しくはリンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、フランスでは死刑執行人は世襲によって決められており、このシャルル=アンリ・サンソンはギロチンの音が鳴り響いたあのフランス革命時の執行人でした。
 彼の最大の不幸はなんといっても、フランス革命によって自身が強く信奉していたルイ16世の処刑を実行しなくてはならなくなったことでしょう。彼自身は熱心な王党派で国王に対しても並々ならぬ感情を持っていたようなのですが、歴史の皮肉というべきかその敬愛していた国王に対して自らの手でギロチンにかけることとなり、また執行人に対する世間の冷たい視線を感じてか死刑の廃止論者でもあったのですが時は折しも死刑の吹き荒れたフランス革命期で、恐怖政治を行ったロベスピエールによって次々と送られてくる被処刑者をサンソンは手にかけねばなりませんでした。

 このサンソンは彼自身の思想と生きた時代ゆえか様々な文物によって取り上げられていますが、私が見た中で絶妙であったのは今も連載中の漫画、「ナポレオン -獅子の時代-」(長谷川哲也)での描かれ方で、国王を処刑してサンソンが後悔の念をにじませるシーンの後、その国王を断頭台に送ったロベスピエールが今度はクーデターを受けて断頭台に送られてきた際に耳元で、
「ロベスピエール、私はあなたを断頭台にかけるのに国王程の憐憫を覚えません」
 と囁くと、顎を打ち抜かれていて声が出せないロベスピエールが心中にて、
「ああサンソンよ、私が夢見た世界というのは私と君とルイが同じテーブルを囲んで談笑する世界だったのに」
 と、声にならないロベスピエールの言葉とサンソンの執行人として立場が、「平等」という軸を間に見事に対称されて描かれていたのには舌を巻きました。

 このサンソンは後世の歴史家から「国王も革命家も皆一緒くたにギロチンにかけた」として、はからずも最初に私が引用したお話のように死の前で人間は平等ということをある意味体現したという評価を受けています。

2009年4月21日火曜日

死刑制度について

 別に狙ってたわけじゃなかったけど、結構タイムリーな時期にこの記事を書くことになりました。
 さて日本は先進国が次々と死刑制度を廃止している中で死刑制度を保持し、また去年には鳩山法務相(当時)が死刑囚の執行を次々と認めたことから朝日新聞が「死神」呼ばわりして物議をかもしました。私はこの死刑制度についてどう思っているかと結論から言えば反対で、未だ迷いはするものの廃止論者だと自認しています。

 私が何故死刑制度に対して反対しているのかというといくつか理由はありますが、まず第一の理由として人間が人間の生死を決めるのはおこがましいからという単純な理由があります。これなんか私の宗教的バックグラウンドが大きく影響していると思うのですが、戦争や諍いによる突発的な殺人ではなく裁判という過程を通じ、その被告の生死を制度として集団が決めるというのは直感的に如何なものかと思っています。言ってしまえば人間の倫理観で絶対的に正しいことや間違っていることを判別できるわけなく、そんな拙い判断力が裁判を通したからといって人間の尊厳に深く関わる生死まで決めるというのは神様への冒涜なのではないかと考えるからです。

 第二の理由は、死刑執行者のあまりにも大きな負担です。これだけ技術が発達した今の世の中でも死刑が決まった死刑囚を自動的に機械が殺してくれるわけではなく、ある段階で刑務官などの執行者がその死刑囚の殺人に関わらなければなりません。昔に聞いた話だと死刑執行に立ち会う、実行する刑務官には執行後に国から手当てが出されるそうですが、果たしてそんなもので彼らの心的負担が補償されるとは思えず、これまた十年以上前に見た執行を行った刑務官の匿名のインタビューでは、家族に対して自分の行ったことは言えず、また自分の仕事と言っても割り切ることの出来ないという話を読んだことがあります。
 この辺なんかを何故もっと死刑を増やさないのだと主張する人たちに強く言いたいのですが、死刑にはどこかで刑を執行する人間が必ずおり、自分は執行に関わりたくないがもっと増やせという意見であればあまりに軽薄すぎるとしか言えません。少なくとも、もし誰もやらないのなら自分が執行してもよいという覚悟を持った人以外はこのような意見を持つべきではないでしょう。

 他にもいくつかありますが、私が死刑制度に反対する大体の理由は以上の通りです。まず勘違いしてもらいたくない点として、私は裁判自体を否定するつもりはありませんし犯罪者を一般社会から隔離する懲役刑も社会の安定性を維持する上で必要であると考えています。
 最初の理由で述べたとおりに、私は人間の倫理観というのをあまり信用していません。それこそ過去には魔女狩りなどと今じゃとうてい理解できない瑣末なことが犯罪とされて社会によって処罰されており、そんな信用のない倫理観に照らして犯罪者かそうでないかをどうして区別するのかといったら、その社会の多数派が持つ認識を一致させてその社会を安定させるということに尽きます。これまた言ってしまえば、我々の社会で犯罪者とされる人だけが住む国が作られたりしたらそこでは盗難も合法となるのかもしれないんだし。

 私だって犯罪を行う人間は憎いと思いますが、刑を行うというのは俯瞰的に言えば多数派が少数派に自分たちのルールを押し付ける行為とも取れると思います。よく死刑を廃止して終身刑を最高刑にすると犯罪者が自然死するまでの食事などに税金を使わなくてはならなって無駄だという意見がありますが、私は懲役刑の受刑者を含めてそれらの税金は自分たちの社会を安定させるためのコストだと割り切るべきだと考えており、我々の社会から少数派を締め出す代わりに彼らに与える最低限の補償だとも思います。
 ここまで言えばわかる通りに、私は死刑を廃止して再審で覆らない代わりはどうあがいても釈放されない終身刑こそが最高刑として相応しいと考えています。

 これはあくまで私のおこがましい一意見ですが、果たして殺人を犯して死刑になった犯罪者を死刑で殺し、それが遺族にとって本当に慰めになるのかという疑問があります。もちろんニュースを見ているとそれでも死刑を執行してほしいと訴える遺族もいるのは知っていますが、報復からは何も生まれてこないのではなかいかと個人的に思います。
 その一方でここまで死刑に反対だといいながらも、池田小事件の宅間守のように死刑以外にどうやって納得すればいいのかと思うような猟奇的な事件がこの頃起きており、何の慰めにもならないかもしれないがこんな犯人らを生かしておくことだけは絶対に許せないと思うことが私の中でも増えてきており、何が何でも死刑は廃止するべきと他人にまで強く主張することはできずにいます。

 こういった理由から、あくまで廃止論者ではあるものの私自身も死刑制度の存続について今も悩んでいるのですがそんな中、ここでいちいち私が言うまでもなく本日また新たな死刑確定囚が生まれました。

和歌山カレー事件 真須美被告の上告棄却 死刑確定(YAHOOニュース)

 詳しく経緯を調べておらずにこんなことを言うのもおこがましいのですが、私はこの事件は有罪にはしても死刑にするべきではないと前々から考えていました。というのもこの事件は犯人の自白もなくまた確たる証拠もない中で状況証拠のみで裁判にて犯罪が認定されており、「疑わしきは罰せず」、「たとえ百人の犯罪者を逃しても一人の無辜の人間を罰するなかれ」の原則を堅持するために、容疑者が過去の経歴から言っても非常に怪しい人物だからとはいえ死刑にはせず、無期懲役刑に止めるべきだと考えていました。もちろん遺族の方の感情を考えれば自分が部外者でありながらどれだけ愚かなことを述べているのかは重々承知ですが、それでも言わずにはおれないというニュースが本日入ってきました。

足利事件、DNA型一致せず 東京高裁再鑑定、再審の公算(47NEWS)

 この事件は発生当時からも捜査に問題があるといわれつつも容疑者であった男性に無期懲役刑が判決された事件ですが、リンクに貼ったニュース内容にこれまでの捜査を根本から覆す証拠が出てきて再審の公算が高まったのですが、仮にこれが本当に冤罪であったとすればこれまで刑務所につなぎおかれたこの男性の人生はどうしてここまでされなければならなかったのかと、激しい同情と共に怒りを覚えます。
 ちょっと蛇足かもしれませんが、前の小沢氏の秘書逮捕事件の際に、「検察が動いたんだから絶対に小沢はクロだろ」という意見を何度か聞きましたが、どうしてそこまで検察に信頼があるのかが私にとっては不思議でした。この事件といい、私は日本の警察や検察はあながち強権で知られる中国を笑ってられないほど問題があると考えており、そんな組織から一般市民を最低限守るためにも、証拠なしで死刑を判決してはならないし、もし冤罪だったとしても後年にまだ再審の出来る終身刑を最高刑にすえるべきだと思います。

2009年4月20日月曜日

政党交付金制度による世襲議員の促進

 昨日は神宮球場に友人とヤクルトVS広島戦を見に行ったので、金曜に引き続きまたブログを休んでしまいました。それにしてもアウェーでありながら明らかに広島ファンの数のが多かったのは不思議でした。

政党交付金、7党に支給(YAHOOニュース)

 そんなわけで二日ぶりのこのブログですが、今また頭痛を起こしていて今日も休もうかとも思ったのですがさすがにサボりすぎなので短くまとめようと政党交付金について解説します。
 この政党交付金というのは政界汚職が吹き荒れた55年体制末期こと平成初期に、非自民連立内閣の細川政権時に成立し現在まで施行されている制度です。この制度の具体的な内容というのは政治家が日々の活動のために使う政治資金を国から政党へと税金を使ってそのまま交付するという内容で、多分見る人から見たら噴飯ものの制度だと思います。

 何故こんな制度が出来たのかというと、今も昔も政治家が政治活動を行うのに先立つものとしてたくさんのお金が必要ということに変わりはありませんでした。そのため資金力に余裕のある政治家ほど選挙や党内で有利になる傾向が強くなるため、資金力を確保するためにいろんな企業との癒着や汚職行為によって企業献金を集める政治家が後を絶たず、成立当時は佐川急便事件などそれが表に出てきて国民からの批判が一斉に集まった時期でした。こうした企業との癒着をなくすためにはどうすればいいかということで、なら政治活動に必要なお金は国が出そうと、国会内の議員数に応じた分の交付金を政党に交付するこの制度が生まれたのです。
 確かにこの制度を作るにあたり言わんとすることはよくわかり、現役の議員の方などの話を聞いているこの交付金がなければ何も活動することが出来ず、日々の資金を企業からの献金に頼る割合が強くなってしまうという方もたくさんいます。しかし私は現状のこの制度を見ているとやはり順効果に対する逆効果の方が強すぎるため、即刻とまでは言わずとも改正するべきではないかと考えています。

 ではこの制度の何が問題なのかということですが、結論から言って政治家に対して政党という組織が強くなり過ぎる傾向があるからです。
 この交付金は政治家一人一人に均等に配られるわけではなく所属する国会議員数に比例して政党に配られるため、政党に属していない無所属の議員と所属議員が五人未満の小会派は一銭たりとももらえず、これだけで政党に属す議員に対して彼らは資金力に差が生じてしまいます。さらには政党所属の議員たちにとっても内心では党幹部の方針を快く思っていなくとも政党を離脱してはこの交付金を得ることが出来なくなるため、心ならずも政党に従わざるを得なくなると言われています。

 そしてこの制度で一番問題なのは、これは全くの私の持論ですが世襲議員を増やしてしまう効果があるのではないかと思っています。
 理屈はこうです。何度も言いますが政治活動、ひいては選挙において政治家はたくさんお金が必要です。そうした選挙にかかる費用をこの政党交付金がまかなっている部分も少なくないのですが、先にも述べたとおりに無所属議員は一銭たりともこの交付金を受けることが出来ず自弁でやるしかなく、必然的に選挙時には交付金のある政党所属議員の方が有利になってしまいます。その政党はというと近年特にこの傾向が強くなってきたのですが各選挙区の候補を決める際、政治家としての資質そっちのけでかつてその選挙区出身の議員の子弟こといわゆる世襲候補を政党の公認候補として指名する傾向が強くなっています。

 世襲議員は自民党では今の少子化大臣の小渕優子議員を始めとして今度の選挙では小泉元首相の子供も立候補するそうですが、対する民主党も私の以前にやった調査では自民党には劣るものの世襲議員が数多くおります。こうなるのも政党が候補者を指名するという関係上、どうしてもOBの子弟を優遇する傾向になってしまうことからですが、この政党交付金制度で政党が組織として選挙に強くなる一方で政党に属さない無所属議員や小会派が資金力に差がつけられて選挙で戦いづらくなり、これが続けばますます世襲議員が増えていくのではないかと私は予想しています。

 ここで言ってしまいますがどんな選挙制度がいい選挙制度なのかといえば、それはやっぱり能力や志の高い人間ほど当選しやすくなるという制度に尽きます。しかし前にも書いたようにここ数年の世襲出身の議員や首相はどれもぱっとせずなんでこんなのが当選してしまうのかと思ってしまうような議員ばかりの一方、政党からの指名を受けられないために自民ではなく民主から当選した議員らの活躍ぶりを見るにつけもっといい選挙制度はないのかと頭を悩ませてしまいます。
 世襲議員というその属性だけでなんでもかんでも良くないとは言うつもりはありませんが、真に実力のある候補者をどう当選させて国会に送り込むか、そうしたことを考える上でこの政党交付金制度はまだ再考の余地があると考えています。

2009年4月18日土曜日

壊し屋の存在意義

 先ほどのニュースにてこの前のSFCGこと事業者金融会社の商工ファンド破綻の特集が組まれていました。この商工ファンドですが過去に貸し剥がしなど度々問題を起こしている会社で私も個人的にはあまり好きでない企業だったのですが、その特集の中でここに内定が決まっていた学生のインタビューがあり、そうした問題について認識はあったのかという質問に全く知らなかったと答え、

「仮にそういう問題があるのなら内部から徐々に変えていけばいいと思うし、自分のような(新しく入るであろう)人間がそういう風に変えていくべき役割だと思う」

 と、話していましたが、まぁ正直随分と虫のいい話だと思います。貸し剥がしの事実も今まで知らないでいてどうやってその体質を変えていくのか、変えた後どうするのかという目算も何もないまま入ったとして、ミイラ取りがミイラになるように逆に組織に染まっていく可能性の方が高い気がします。そして何より、そうやって体質を変えるまで問題な事業の片棒を担ぐことになるのを何とも思わないのかと疑問に感じました。

 まぁこの学生の言うことに対して私も厳しすぎるんじゃないかと自分でも思うのですが、こういう風に考えるのも私が壊す側の人間だからだと思います。世の中に問題のある組織や人間がいる際に私はそうした存在を改善などによって立て直すことよりも、まず完全に破壊してまた一から別の組織や体制を作る方へ物事を持っていこうとします。だからといって、なんでもかんでも壊してしまえばいいと考えるテロリストほどとまでは行きませんが。

 実は政治家にもこの類型は当てはまり、大まかに言って創造型と破壊型の二種類に分かれると言われています。言うなれば制度を作る政治家と制度を壊す政治家で、言い方こそ「壊す」といってあまりいい印象ではなさそうですが、実際には壊す側の政治家ほど歴史には名前が残りやすいのです。
 まず近年の破壊型の政治家の代表格はなんと言っても小泉純一郎元首相です。郵政や道路公団といったそれまで自民党内で聖域とされてきた場所に悉くメスを入れて解体、弱体化させ、果てには彼以上に破壊型的性格の強い田中眞紀子氏を使って外務省も徹底的に破壊しました。その一方で実は小泉元首相はなにかしら新しい制度や法律といったものはあまり作っておらず、そうした面への功績で言うと任期こそ一年でしたが国民投票法等を作った安倍元首相の方が大きい可能性すらあります。

 また近代で言えば織田信長も破壊型の人物で仏教などといった当時の慣習を打ち破って破壊しつくし、その後の秩序は太閤検地や刀狩などで豊臣秀吉が作っているのですが人気で言えばやっぱり信長の方が上です。
 このように見た目の派手さもあることからか、歴史上は破壊型の人間に人気が集まりやすい傾向にあります。だからといって破壊型の政治家が優れているというわけではなく、要は時代時代に合わせてそれぞれが役割をこなすことが大事で、タイプによる差はあれどもそれが能力や功績に直結することはないと考えています。

 そういう意味で吉田茂と岸信介なんか好例だと思うのですが、戦前の体制をGHQの指導の下で引っくり返した人気な吉田に対し、日米安保条約を自らの退陣と引き換えに通すことでその後現在にまで続く外交体制を作った不人気な岸という具合に、私はこの二人の功績は互いに負けないほど大きいと見ていますが人気や評判においては大分解消されてきたけどまだ差が残っています。あとこれは私の私見ですが、このところどうも吉田の人気は下降気味でかわりに岸の人気が上昇中な気がします、二人とも孫が首相になったんだけど。

 そこで話は私に戻りますが、私は典型的な破壊型の人間だと自認しています。今後何を破壊するのか、それともこの性格が何も活躍しないまま終わるのか、少なくともこのブログにおいては何かを攻撃的に批判するものが多いのは今後も変わらないでしょう。

 今日600円も出して喫茶店でクリームみつ豆食べてきたのに、なんか今は疲れてて文章も荒れ気味です。午前中に洗濯(二週間分)、大掃除したのが原因だろうか……。

2009年4月16日木曜日

若者の政治離れの連鎖現象

 このところNHKの番組を引用してばっかで今日もそうなのですが、一昨日のクローズアップ現代にて若者の政治離れが取り上げられていました。私もいちおう若者に属す側なので、他人事ではないということでひとつ黙って見てみました。

 まずその番組でなるほどと思ったのが、ゲストに来ていた片山善博慶応大教授の発言でした。その発言というのも、このところ若者が政治から離れて投票に行かないことで、政治家らも自分の票に結びつかないことから若者対策の政策を打ち出さなくなってきており、さらに若者の側もそうした政治家の行動から政治から何の恩恵も得られないと感じてますます政治から離れるという、まさに一種の負の連鎖現象が起きているという内容でしたが、なかなか言われることごもっともです。

 ちょっと詳しいデータが手元にありませんが、選挙における若者の投票率は毎回壮年層、老年層と比べて非常に低くなる傾向があると言われております。そうした若者らは決まった政治思想を持たない浮動票であることが多いため、これまで得票を期待して若者に対して選挙で強くアピールする政治家もいましたがそのどれもが最終的には敗北しています。私がはっきりとこの目で見てきたそのような例は大分前の大阪府知事選に出馬した江本猛紀氏の例で、江本氏はこれという地盤を持たなかったために浮動票を狙って若者らに強くアピールして街頭でもよく握手とかしていましたが結果は太田房江氏に大敗し、政治評論家たちも若者を中心に支持者を取り込もうとしたことが一つの敗因だったと指摘していました。

 では何故若者は上の世代と比べて投票に行かないのでしょうか。これは私の例ですが、実は私は現在20代の半ばですが今年になって初めて地方選挙の投票に行ってきました。別にこの一年で急激に政治に目覚めたわけでなければ(14歳の頃から政治に興味はあった)投票にもこれまで何度も早く行きたいと考えていたものの、これまでは大学に通うために住民票がある実家から離れて下宿で生活していたので、学期間中に選挙が行われる際には投票することが出来ずにいました。そんでもって夏休みに選挙があるからこれで投票できると思っていたら、選挙日の前に中国留学へ出発したし……。
 都市部ならともかく、地方出身の学生はこういうパターンの人がそれなりにいるでしょう。

 ただこうした物理的な面より周りの同年代の人間を見ていると、やっぱり候補者の履歴や打ち出している政策が全くわからないという、政治的無関心というよりは政治的無知によるものが投票に行かない一番大きな理由だと思います。これなんか何度かこのブログで書いているのですが、やっぱり後輩などの話を聞いていると政治がどんな風に行われ今何が必要で何が議論されているのかがわからず、興味はあるもののどのように投票したり行動すればいいのかがわからないというのが非常に多いです。
 実際に政治はある程度基礎的な知識を身につけなければ入り込みづらい領域であるため、こうした若者が出てくるのはある程度仕方が無いとは思います。そんな若者たちに一定の知識や解説を行うという目的を含んでこのブログと全然更新していない「陽月旦」私は立ち上げたのですが、やはり文字だけで教えるよりはマンツーマンであれこれ細かく教えた方が効率がいいのかもと思う時もあります。

 とはいえ現在の若者が置かれている現状は不安定な雇用や多大な社会保障負担などと、ここ数十年で最もといっていい位に厳しい状況下にある世代だと言えます。この状況下で若者が投票に行かず上の世代だけが投票に行くとしたら、ますます若者へと負担が押し付けられる政策が通りやすくなるのは予想に難くありません。まぁ私としたら投票に行かない人間よりは投票に行く人間が政治的に厚遇されて然るべきだと思っているのでそれはそれでありだと思いますが、不平不満を言ったりヤケ起こして犯罪を行うくらいであればもっと若者らも投票行動を起こし、強く自分らの主張を訴えるべきでしょう。
 しかし投票に行くにしてもどの政治家が自分らの味方になるのか、どんな政策を支持すれば自分たちにも日が当たるのかがわからないと、下手をすれば自分たちの敵となる人間を議場へ送ってしまうこともあるやもしれません。

 そうしたことを考慮して私は差し当たり、若者内である程度の投票集団を組織することが手っ取り早くて効果が見込めると考えています。これは思想信条が合う者同士で集まってその中から政治について学んでいたりある程度知識のある人をリーダーに決め、選挙時にそのリーダーの指示する政党や候補者に投票する一種の組織票集団を作ることにより、組織票として政治家達にも強い主張を行えるようになるし集団内で政治について教えあうことで知識の向上を図ることがねらいですが、大体100人ほどの集団になればそれなりにいろいろなことができると思います。ま、自分で言うのなんだけど自分らの世代ってまとまりが無いからむずかしいだろうけどね。

  おまけ
 仮に若者が投票に行くようになっても世代別人口では上の世代の方が多いから政策に結びつかないのではとこれまで私は考えていたのですが、総務省の平成17年のデータで調べてみたら以下のような人口比でした。

・20~39歳:34,121,285人
・40~59歳:34,858,120人
・60~80歳:27,877,537人


 という結果で、確かに40~80歳と比べると若者層と私が見ている20~39歳層は人数で見劣りしますが、思ったよりは少なくありませんでした。これだったらきちんと投票行動を行えばいろいろ反映できるとは思うのですが。

2009年4月15日水曜日

赤報隊事件手記、週刊新潮の降伏

【新潮誤報 編集長インタビュー(上)】掲載理由の一つは「証明できないが、否定もできなかったから」(YAHOOニュース) 
 上記にリンクに貼った記事に書かれているように、とうとう週間新潮が私も長らく記事を書いてきた赤報隊事件の犯人手記が誤報であったと認めました。今日の発表を受けてSophieさんなんてすぐに祝電送ってくれましたが、私としても自分の見立てが間違っていなかったとニュースを見るなり手を叩いて喜びました。
 それでこの新潮の降伏についての私の意見ですが、結論から言えば新潮がこのくだらない茶番に見切りをつけるのも遅かったし、今回の騒動についての編集長のインタビューを聞いててやはり恥の上塗りにしかなっていないと思います。

 まず折角書いたのだからこれまで私がこの赤報隊事件手記について疑義を呈してきた記事をまとめて紹介します。

週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について
週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その二
週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その三
週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その四

 実は先週の段階で、この手記の主人公ともいえる赤報隊事件の犯人だと名乗り出てきた島村氏が新潮の口車に乗せられてしまったと、なんと当事者である朝日新聞に対しての謝罪を載せた記事が朝日新聞に島村氏の顔写真つきで載せられていました。もうその段階で今回のこの新潮の連載記事は真っ赤な偽物だということははっきりしていたので後はいつ新潮が認めるものかと待ち構えていましたが、意外と粘ってようやく今日になって記事は誤報であったと認めました。
 恐らく、今回の新潮の降伏には会社上層部からによる強い指示があったと思います。というのも今の週刊新潮の編集者は先週の段階で既に更迭が決まっており、新潮社側は今回の記事と更迭は関係ないとは言ってはいたもののリンクに貼った記事でその編集長が未練たらたらに言い訳しているのを見るとこの編集長がなかなか取材ミスを認めなかったために会社が直接手を下したのだと思います。

 そんな編集長の言い訳ですがリンクに貼った記事の見出しにも書かれているように、「証明できないが、否定もできなかったから」と、聞いてるこっちが呆れてくるようなことを言っています。本来マスメディアというのはその影響力の強さから細心に細心を重ねて取材を行いながら徹底して事実を確かめた上で報道しなければならないというのに、「否定もできなかったから」というのを逃げ道にして誤報を流してしまったというのであれば言論人はおろか一般人としての風上にもおけないでしょう。

 またこのリンクに貼ったインタビュー内で言っている編集長の言い訳も、私からしたらとても信じられないくらいにひどい内容です。まず島村氏の証言にブレが無くリアリティがあったから信じてしまったと言っていますが、連載されている記事を読む限りアメリカ大使館員が犯行の指示犯というとてつもなく荒唐無稽な内容の上、事件当時の状況についても警察で公開されている情報との比較すら行っておらず(見事に証言とは矛盾している)、とてもじゃないですが情報の真偽を確かめた跡がまるで見当たりません。
 その上証言者の島村氏は新潮側から90万円を受け取ったことを明かし、「向こうの作った話に乗せられた」と話しており、島村氏に騙されたという新潮側の証言と食い違っている点について何の言及もないのが非常に疑問です。まだ新潮が自分たちが正しいと主張していた頃に記事に信憑性はないと言う朝日新聞に対し、「こっちには取材中の会話を録音したテープがあるんだぞ」と、それが何の証拠になるんだよと言いたくなる様な反論を何度も繰り返していたのだから、新潮と島村氏のどっちが嘘をついているのか白黒つけるためにネット上にでもそのテープを早く公開してもらいたいものです。

 今日のNHKニュースではこの事件について、今ちょっと私の中で急速に株を挙げて佐藤優氏に次ぐ位置にまで昇ってきている佐野眞一氏がインタビューに答えていましたが、新潮側は証言者の生い立ちや人生を調べることもせずやはり私同様に裏づけ取材はしてないだろうと見て、今回のこの新潮の報道はジャーナリズムの自殺だと強く非難していました。その上で新潮は明日発売の号での謝罪記事上で、自分たちは島村氏に騙されてしまったとだけしか書いておらず、読者への謝罪や反省の言葉がないとこれまた強い口調で非難していました。

 一応念のために今回の新潮の連載が載った記事は今でも保管していますが、明日発売の記事ははてどうするものかとは思うものの、これ以上新潮に乗ってはならないと思うのでどっかの喫茶店にでも読みに行こうと思います。それにしても、こんなパーでも編集長ってやれるんだな……。

2009年4月14日火曜日

発展途上国への支援のあり方

 確か小学生くらいの頃に読んだ評論にて、栄養不足ゆえにアフリカで子供が次々と死んでいくのを防ぐために、アメリカの食品会社がある時に粉ミルクを大量に送ったという話が紹介されていました。粉ミルクであれば栄養価は文句無く、また水の少ない土地でも摂取しやすくその上腐る心配も無いということでまさにうってつけとの触れ込みで援助を行ったのですが、結果というや惨憺たるものでした。
 というのも援助を行ったアフリカの地域では水が貴重なため食器を洗うという習慣が無く、粉ミルクを使用した容器が洗われないまま流用されたことで細菌を発生させてしまい、援助を行う以前より子供の死亡率が上がってしまったという皮肉な結果を生んでしまったのです。

 この事実について評論を書いた作者(さすがに作者名は忘れた)は援助を行ったアメリカの食品会社の意志は崇高で立派ではあると認めるものの、自分たちの視点だけで粉ミルクが援助物資として最適として選んだりせず、当該地域の状況や環境を考えてこうした支援を行わねばまれに逆の結果を生んでしまうこともあるとして、よくよく現地からの視点というものを持って援助を行う重要性を唱えて結論をまとめていました。
 小学生当時にもなるほどと思わせられた評論だったゆえに未だに覚えているのですが、先日に実はここで紹介されているアメリカの食品会社の例に近い話を聞いたので、私からはその例を紹介しようと思います。その話の舞台というのは東南アジアのカンボジアで、長い内戦からひどく荒廃したこの国には日本を含めて各国から様々なボランティアたちによる援助が行われています。

 そうしたボランティアたちの活動の中で、日本のボランティアたちが特によく行っている援助に井戸掘りがります。他の発展途上国同様に水が不足しがちで、また水源となっている川もそれほどきれいでないことから美味しい水を飲ませてあげようと、この十年間だけでもカンボジア各地にたくさんの井戸が日本人らの援助によって掘りぬかれたそうです。
 しかしここまで言えばわかると思いますが、この井戸掘りは現地の住民らに思わぬ問題を生んでしまいました。というのもカンボジアは地下水が砒素に汚染されている地域が多く、その地下水を汲み取る井戸から井戸水を摂取した住民らが次々と砒素中毒に罹り、死亡者もたくさん生んでしまったのです。

 井戸水に含まれる砒素というのは摂取していくことで徐々に蓄積されて砒素中毒が発症するため、当初は次々と病人が生まれる原因がわからず被害の拡大をなかなか防ぐことが出来なかったそうです。現在では地域によってはそうして日本人の手によって掘られた井戸の使用が禁止されるなど対策が取られているようですが、この事実を報じたNHKの番組内では砒素中毒によって子供を失った母親のインタビューがあり、何度も井戸水が怪しいと言ったが誰も取り合ってくれなかったと嘆いていたのを見て胸が痛みました。また砒素中毒によって体に麻痺が現れ寝たきりとなった男性は、働けずに家族の負担にしかなっていないのが苦しいと漏らしていました。

 ここで私がわざわざ文字にして書かなくとも言いたいことは既に伝わっていると思いますが、発展途上国などに援助を行うにあたり善意で行えばなんでもいいというわけではなく、時にはその善意が逆の結果を生んでしまうということもあるということです。こうした事態を避けるためにもこの問題を報じた番組内でゲストの専門家も、あらかじめ水質検査を行うなど日本とは違った国ゆえ考えうる限りの万全の体制を敷いて援助を行わなければならないと述べていましたが、まさにその通りでしょう。
 たまに日本では結果がつかなくともその過程がしっかりしていればいいというような言質があり、善意で行ったのだから深く責めるべきでないという風にまとめられる事例もあります。ですがそんなものでは片付かないものももちろんあり、善意であろうとなんであろうと片付けようのない事例もあります。そうした悲劇を生み出さないためにも、周到な準備と調査はどの方面においても重要であると付け加えて私の結論とさせていただきます。

2009年4月13日月曜日

今後の株価について

 このところ毎日のように知り合いの上海人から株価予想を聞かれ続けていたら別の友人からもこの株価について記事を書いてほしいとのリクエストが来たので、現状で私が今後の景気と株価を判断する材料をここで一挙に放出しようと思います。まず結論から言って、私はまだまだ景気も株価も暗い状態が続くと考えています。

 別に景気判断に限るわけじゃないですが、予想というのは数ある情報の中からどれが最も強い影響を持っている情報なのかを探し出すというのが一番肝心です。ですが現在の景気判断においては逆説的ですが、私はどこをどう探しても良くなる条件が見つからないばかりか今後も悪化していくのではないかとうかがわせるような情報しか見当たりません。そういうわけなので、順番に注目している情報を挙げていきます。


1、ビッグスリーの破綻
 現在アメリカの自動車ビッグスリーのフォード、クライスラー、GMは自分では取引先への支払いはおろか従業員へ払う給料すらも自前では用意できず、これらの支払いに使う資金の大半をアメリカ政府に肩代わりしてもらっております。何故これほどまでこの三社が優遇されるかといえばアメリカ国内においてこの三社が雇用している人数が非常に大きく、倒産させては一挙に失業者が街に溢れることになるからです。
 とはいえこの三社の製品は国際的にお世辞にも競争力は強くなく、税金を投入してまで行き永らえさせても結局は一時しのぎにしかならず最後には倒産して無駄金に消えるのではないかと国内でも強い批判がされており、そのため政府としてもタダでとはいわず、過剰な従業員の待遇廃止やリストラといった具体的な再建策を融資条件にしているのですが現時点で三社はまだ思い切った再建策を出しておりません。

 そうした中、あるタイムリミットが実は目前にまで迫ってきています。そのタイムリミットというのもクライスラーへの追加融資条件のことで、イタリアの自動車会社フィアットとの資本提携です。
 国際的にも競争力もあり(アルファロメオは私も好き)、アメリカに強い販路を持っていないフィアットとの資本提携をまとめることをクライスラーは政府から融資条件として与えられていますが、一時は話がいいとこまで進んだらしいですがここに来てフィアットの方が落ち目のクライスラーを救うどころか一緒に引きずり込まれるのではという懸念が強まり、どうも交渉は暗礁に乗り始めているそうです。しかも今回の融資条件は期限が区切られていて、その期限は昨日の朝日新聞によると二十日を切っているそうです。

 仮にこの話がまとまったとしても私はアメリカのビッグスリー三社が今後も生き残ることはありえないと思いますし、それを無理やり生き永らえさせても百害あって一利なしだとまで思います。言ってしまえばすでに経営的には破綻しているのだから、ビッグスリーのうち一社だけでも去年のうちにリーマンブラザーズ同様倒産させるか別の二社に吸収させるべきだったでしょう。
 アメリカ政府がそこまで腹を決められるかですが、私は最低でも今年中にビッグスリーのどれかの管理機構入りの破綻は確実だと考えており、その際に大きく株価が下がることが予想されます。逆を言えば、その時が買いなんだけど。


2、政治的混乱
 今度は日本の話ですが、どれだけ先延ばしにしても今年中に総選挙が行われます。この選挙の後に起こる可能性については大分前に一回記事にしていますが、現状ではその時に挙げた最悪のシナリオこと、自民も民主もどちらも単独過半数が取れないという趨勢になりつつあります。
 どっちかが過半数を取るならともかくどっちも単独過半数を割る、もしくは自民党が議席の三分の二を割るだけでも政権を取った与党にとって国会運営は非常に困難をきたすようになり、そうした政治的混乱が市場に与える悪影響は計り知れません。この前までは民主党が非常に優勢だったので何とか民主が勝ってくれるという希望があったのですが例の小沢代表の秘書逮捕を受けて、かといって自民党も相変わらず人気が上がらず、このままでは次の選挙は勝者なき選挙で終わってしまう可能性が高いです。

 言うなればこの際どっちでもいいから選挙で大勝して安定した政権を作ることが一番大事なのですが、検察が余計なことをするもんだから日本にとっての危機は増大したでしょう。またどちらも中途半端に終わって政界再編がスムーズに行われるというのであれば話は別ですが、そんなにうまくいけば誰も苦労はしません。渡辺喜美議員も飛び出したはいいけど、見事に誰も付いてこなかったし。


3、政策的失敗
 ちょうど昨日に書きましたが、今の政府の景気対策の中身に私は非常に疑問を持っています。確かにお金を積めば今みたいに一時的に株価は上げることは可能ですが、それらのお金は突然降って湧いたものではなく将来返さなければならない借金です。今年の間はともかく来年度以降は徐々にその軋みが現実にも及ぼすようになり、金融総理こと与謝野大臣も明言している通りに2011年には消費税の増税も織り込み済みで、将来の増税が目に見えている資本投入で市場が刺激されるとは思えません。

 そしてなにより、今の日本の経済上の問題点がどこにあるのか、何をすればいいのかという現状分析がきちんとなされないままの今回のように資本投入されてしまうことに苛立ちを覚えます。私は今の日本が抱える最大の問題点は二十代の失業率が10%を越えるまでの若者の不安定な雇用環境と内需の決定的な不足、そして外需に丸頼みの輸出依存型の経済体制だと考えています。これらの問題点をどう克服するか、どれだけ力を入れればいいのかという議論なしで今後の経済成長はまずありえないと考えます。


4、オバマ政権の顔ぶれ
 これは今朝読んだ文芸春秋の「強欲国家米国が破産する日」(神谷秀樹著)に書かれていますが、今のオバマ政権の経済政策官僚のラリー・サマーズ国家経済会議委員長とティム・ガイトナー財務長官というのは、なんでもクリントン政権時の財務長官であるボブ・ルービンの門下生だそうです。この人の経歴というのも元ゴールドマン・サックス会長、シティグループ上級アドバイザーといった見事な経歴で、まさに今回の金融危機の元凶を作り出した一派の親玉みたいな人で、彼らを批判していた側の人間でなくまさに危機の元凶を作った一派の人間を政権に引き入れて果たして今の問題を解決へと導けるのかと神谷氏も言っていますが、言われることごもっともです。


 こうした判断材料から、私はまだまだ景気は明るくならないと考えております。先ほど引用した神谷氏が同じ記事にてリーマンショックからもう半年以上経つが、未だに今回の金融危機は全体像が見えず景気の底がわからないと述べていますが、私もこの意見と同じで全く以って現状分析が成り立たない今の段階で景気が落ちることはあっても良くなるとはとても思えません。
 そうはいってもこのところ日本の株価は上がっているじゃないかと言われるかもしれませんが、これは一昨日に友人とも議論しましたが、定額給付金を始めとした中身のない予算が通っただけでこれほどまで株価が上がる要素とは思えず、恐らく投資ファンドや年金機構などが契約の制約上、期末、期首ゆえに無理やり株式や通貨を購入した結果で、いわば偶発的なもので長くは続かないだろうという結論に終わりました。はっきり言いますが先月から今月にかけての株価上昇は異常なまでに不気味で、もし株を持っている人がいるのなら今のうちに売り払うべきだと思います。

 さて、これで明日からでも株価が思いっきり下がってくれれば鼻高々なんだけどなぁ。

2009年4月12日日曜日

09年度補正予算案について

 前々から書こうと思っていたけど、昨日に友人と議論して整理がついた上に今日のサンデープロジェクト内でも取り上げられていたことから材料が揃ったのでまとめようと思います。
 現在政府は経済対策として過去最大規模となる15兆円もの補正予算案を検討し今国会内で通過させることを目標として挙げていますが、結論から言えば私はこの補正予算案は無駄な一石に終わると考えています。

 検討する要点がたくさんあるので一つ一つ説明してきますが、まず一番問題なのは時期です。これは私も思っていたところ今日のサンデープロジェクト内で竹中氏も言っていたので自信を持つようになったのですが、何故この時期に補正予算案を組んだかです。景気が悪くなっているから財政出動が必要というのは理解できるにしろ、今年度の本予算が先月に通ったばかりにも関わらずまたすぐに補正予算を組もうとするのかが問題なのです。
 景気対策としての財政出動は言うなればタイミングが最も肝心で、早ければ早いに越したことはありません。ですが現在の麻生政権は本予算を国会で通した後でこの補正予算案を出してきており、どうして本予算に一緒に組み込んで審議、実行しなかったのかということです。

 もう一度言いますが財政出動は早ければ早いほど、またまとまっていればまとまっているほど効果が見込めます。恐らく今回の補正予算は本予算じゃ足りなさそうというのが本予算の審議中にわかってきて、足りない分を後から上乗せしようとして作ったのだと思います。それを裏付けるかのように麻生首相は記者会見にて何故15兆円もの額になったのかと尋ねられ、必要な分を重ねていったらこの額になっただけだと答えています。

 この発言について竹中氏は今日の番組にて、政府は今の不況を克服するのにどれだけの額、どんな政策が必要なのかという現状分析を行わずにただお金を積めばいいとして補正予算案を作っていると批判していましたが私もこの竹中氏の発言を支持します。これはちょっと思い出せないのですがどこかで見た評論にて、二次対戦中の日本軍も状況分析を怠り、勝利するのにどれだけの兵力や兵器が必要かを考えずに部隊を投入させては戦況を悪化させ、その度に戦力の逐次投入を行った結果勝てる可能性のあった戦闘もみすみす敗北した経験があるが、現在の政府の不況対策も全く同じであるという批判もありました。

 そして補正予算案の中身を見ても、あくまで私は素人ですがその素人目にしてもこれで本当に効果が見込めるかといったら非常に疑問な内容です。まず自動車や家電をエコ替えとばかり燃費効率のいいものに買い換える場合に還付金を出す内容ですが、これでは一時的な消費を生んでも結局その場しのぎにしかならず、言うなれば将来車や家電を買い換える人がその時期を早めるだけに終わってしまいます。
 また少子化対策として3~5歳の子供のいる家庭に3万6千円を配布するという内容も盛り込まれていますが、配布するのは今年度の一回限りということなのでこれでは定額給付金と一緒で本当に何にもなりません。

 そして私がまだ期待していた贈与税の減税も非課税枠を現行の年110万円から用途を住宅購入に限って500万円まで非課税とするとしていますが、何故ここに至って住宅購入に用途を限定するのかが理解できません。恐らく建設業界に泣き疲れたんだと思うけど。

 私としては15兆円もの大金を使うのであれば需要に対して供給が全然足りておらず、また薄給激務で知られる介護事業などの補助金や人材育成に使ったり、不安定な雇用環境の中で生活の安定しない人たちの生活保護や就職援助に使う方がずっと建設的だと思います。一応これらの方面へもこの補正予算案では盛り込まれていますが、エコ替えの分の予算も丸ごとこっちへ持って来るべきでしょう。

 最後にもう一度繰り返しますが、政府はもっと現状分析をしっかりとやった上でどこにどれだけの額の予算をつぎ込むのが最も建設的なのかということをしっかり考えるべきです。昔から日本人が統計に弱いのはわかっちゃいますが。

グローバルルール、ローカルルール

 確かWEBマンガの「ヘタリア」だったと思うけどそこの日本の紹介文で確か、「意外に世間知らずで、他国から見るとびっくりするようなことを平気でやっていたりする」というような内容が書かれていたと思うのですが、この紹介文を見てうまいとこ突いているなぁと私は納得しました。別に日本に限るわけではないでしょうが自国では当たり前でも他国では当たり前じゃないという制度や慣習というのは本人たちにはなかなか気づき辛いもので、国境を陸地で接していない島国の日本ではそういうものが他国よりは多いような気がします。

 そうした例として私が体験したものとしては、まぁ無難な例としては信号に対する意識が出てきます。まず中国では車も歩行者も全く信号を守りません。それこそ隙あらば付け入るとばかりに車も歩行者もこれでもかといわんばかりに飛び出してきますし、それが向こうでは当たり前の世界として広がっています。また中国ほどひどくなくともイギリスでも歩行者はほとんど信号を守らず、左右から車が来ていなければ皆平気でずんずん渡り始めてしまいますので、日本じゃよく大阪の交通マナーが悪いとは言いますが中国やイギリスに比べれば随分とマシなんじゃないかと思ってしまいます。

 この二国以外でもいろいろ人に聞くと、アジア諸国を筆頭として信号を日本人ほど守る国はそれほど多くない気がします。ですが日本人は環境的に自分たちくらい信号を守るのが普通だと思っているのか、仕方が無いとは思いますが他国に行くと「こいつらは信号を全然守らない」として憤懣やるかたなく愚痴を漏らしがちで自分たちの方が少数派であるということをそれほど意識しません。

 もっとも信号ルールくらいの意識の違いは大きな問題ではないでしょうが、これがこと商取引や法律となるとグローバル化の昨今ではいろいろと摩擦を引き起こしてしまいます。特に商取引については日本と中国では根本から意識が違うせいでしょっちゅう問題になりますし、犯罪に対する価値観の違いからも思わぬ事件が起きたりします。
 折角なのでここで書いておきますが、中国では麻薬の所持だけでも死刑が科せられます。というのも南部の麻薬汚染が余りにも大きいがために政府も厳罰を以って望んでおり、そのため最近よくある闇サイトでの仕事斡旋で知らず知らずのうちに麻薬の運搬役となって見つかってしまった場合は本当に言い訳がきかないので、絶対にこういうことに手を出してはなりません。

 ここで話は変わりますが、日本社会ではいろんなところで「マナー」って奴があります。労を労う際に相手が目上の人間であれば「お疲れ様でした」、目下の人間であれば「ご苦労様でした」と同じ意味の言葉でも使い分けねばなりません。このほかにも客先への訪問時にお茶やコーヒーが出されても客先の担当者が口につけるまでこっちは手を出してはならない、ついでに言えば椅子も相手より先に座ってはならない。ほかにも名刺を差し出すときは相手より低い位置から差し出すという、背の高い奴にはどうしろってんだといいたくなるようなものまであります。

 今挙げたルールはほぼ間違いなく日本だけのローカルルールで、私からしたらお互いにこんな細かくくだらない差なんて気にしなければいいじゃないかと思う例です。私なんか後輩から「ご苦労様でした」と言われても別になんとも思わないし、相手がどのように自分を思ってどんな意図を伝えたいのかを考えれば言葉の違いを気にする方のが異常だと思います。

 私は別にマナーすべてを否定する気はありません。ですが狭い範囲でしか通用しないルールを構成員に互いに強制し合って互いに縛り合うというのは非常に無駄な作業だと思うし、細かいことを互いにいちいち気にしないで接し合う社会の方が優れている気がします。
 そして一番始末が悪いのは、ローカルルールとグローバルルールが真っ向から食い違っている場合です。日本企業の品質重視主義など優れたルールは逆に世界へ広げていくべきだとは思いますが、前にも一度書いた「犯罪者の家族への社会的制裁」にて触れたように、過剰な集団主義的な価値観を改めて欧米のような個人主義的な価値観も取り入れていくべきだと思います。

 勢いで一気に書いたのでこの記事はあまりまとまりがありませんが、坂本龍馬風に言えば要するに、日本という小さな国の中での違いを気にするよりもっと広い世界に目を向けるべきだぜよ、ってところです。

満州帝国とは~その九、甘粕正彦

 前回に引き続き人物伝です。今日取り上げるのは映画「ラストエンペラー」で坂本龍一が演じたことで有名な、満州の夜の帝王と呼ばれた甘粕正彦です。
 甘粕は大学受験レベルでの日本史でも大きく取り上げられておりこの科目を受験した人ならばまず誰もが知っているであろう人物で、関東大震災の混乱のどさくさに紛れて無政府主義者の大杉栄とその内縁の妻であった伊藤野枝、そしてわずか六歳の大杉の甥をその思想信条が将来政府に仇なすであろうことから甘粕の独断で殺害したという、俗に言う甘粕事件の犯人として紹介されています。

 しかしこの甘粕事件については発生した当時からも甘粕正彦が犯人ということ事実は世間から疑問視されていたようで、この連載に使用した資料は最後にまとめて紹介する予定ですが、この甘粕正彦についての資料である去年に出版された佐野真一氏による「甘粕正彦 乱心の曠野」にはその辺りの詳細が詳しく載せられています。

 まず事件発生当時からあった矛盾点として、事件の発端となった大杉らの拉致と殺害に際して甘粕とともに実行した憲兵らは所属で言えば甘粕の部下に当たらず、いくら関東大震災の戒厳令下とはいえ上意下達が厳守されている憲兵組織の指揮系統上、また甘粕自身がこうした憲兵内の軍規に対して忠実な人間であったことから事件に関わった憲兵らを命令することは不可能と見られていました。
 そしてこの事件の甘粕犯人説を否定する決定的な証拠は、戦後になってから発見された大杉らの死亡鑑定書と甘粕の逮捕後から裁判中の供述の食い違いです。甘粕は逮捕後の供述にて取調べ室内で椅子に座っていた大杉の背後から首を絞め殺害し、その後同じ手段で伊藤も殺害したと供述してますが、両者の死亡鑑定書によると執拗な暴行を加えられた上での絞殺となっており甘粕の供述とは明らかに異なっております。

 こうしたことから裁判中も甘粕の弁護士は、真犯人の罪を被ろうとせず真実に基づいた供述をするよう甘粕本人に対して促す質問を繰り返しています。そうした一連の質問の中で、私が最も心を動かされた質問は以下の質問です。

「甘粕大尉、あなたは上杉謙信の部下として川中島の戦いでも活躍した甘粕近江守の末裔であり、勤務には実直でよく部下を可愛がるなど柔和仁慈の者であるあなたがわずか六歳の少年の殺害という残虐な行為を行うとは考え辛く、さらには天皇の名で裁かれる法廷にてわが国の武士道を汚すような虚偽の証言をするはずがない」

 この質問文はさきほどの「甘粕正彦 乱心の曠野」から引用したものですが、整理がつきやすいようにとそのまま引用せずに結構大胆に脚色しております。ちょっと話が外れますがこの質問に出てくる甘粕近江守というのは、今NHKでやっている「天地人」にてパパイヤ鈴木氏が演じている甘粕景持のことで、この人物が甘粕正彦の祖先に当たります。(申し訳ありません。パパイヤ鈴木氏が演じているのは甘粕景継で、この人は甘粕景持の親戚でした。訂正してお詫びします)
 話は戻り弁護士は甘粕に対し大杉、伊藤はともかくとして罪無き子供まで殺したとは考え辛く、誰か部下の罪を被っているのではないのかと再三問い詰めました。これら一連の質問に対して甘粕は「無意識に子供も殺した」と答え続けるものの弁護士の追及はやまず、一時休憩が挟まれた後に甘粕は最後こう答えています。

「大杉、伊藤の両人を殺したのは考えがあったことからです」

 こう述べた後、甘粕はすすり泣きながら続けました。

「部下の者に罪を負わせるのは忍びませんので、ただいままで偽りを申し立てておりました。実際は私は子供を殺さんのであります。菰包みになったのを見て、はじめてそれを知ったのであります」

 この下りは何度読んでも胸がつかえる思いがします。この甘粕の証言の後、では一体誰が大杉の甥を殺害したのかという質問について甘粕はわからないとの一点張りで、最終的には甘粕と共に逮捕された憲兵が実行したと裁判中に供述しすることでうやむやのうちに結論がつけられています。

 こうした経緯がありながらも裁判は結局甘粕の主犯によるものということ決着し、甘粕へは懲役刑の判決が言い渡されて結審しています。そして甘粕は出所後はまるで人目から遠ざけられるように陸軍よりパリへと留学させられた挙句、周り回って満州の関東軍内で謀略を巡らす機関の責任者にもなり、以前の記事にて紹介したように満州事変時に日本領事館へと爆弾を投げ込んでこれを中国軍によるものとして戦火を拡大させ、事変後の満州政府の設立のためにラストエンペラーの溥儀を迎えるなど歴史の暗部で活躍を見せることとなりました。

 そして満州事変後、甘粕は請われて満映こと満州映画協会の理事長となり、映画の「ラストエンペラー」ではこの時の甘粕が登場しています。もっとも映画ではさも悪人のように描かれていますが実態は少し違っていたようで、会社の金を役員が平気で持ち出していた放漫経営を叩き直しただけでなく、日本人社員と中国人社員で大きな差のあった給料額を平等にするなど格差是正に努めていたそうです。実際にこの時満映に属していた森重久弥氏や山口淑子氏は甘粕について好意的な証言を寄せており、無口で一見恐そうな印象(この時の写真を見ると私からしても恐そうに思える)をしているが周囲に対しては人一倍気を使う人で非常に優しい人物であったと述べています。
 またこの満映時代、甘粕は自身の運命から思うところがあったのか、日本で左翼活動をしていたとして社会から弾き出されていた運動家等を非常に多く満映に招聘しています。

 最終的には終戦と共に甘粕は幼い子供を残して青酸カリを含んでの自殺を遂げていますが、「甘粕正彦 乱心の曠野」の書評にて佐藤優氏は、忠実であるがゆえに歴史に一生を翻弄された官僚だと、多少自分と重ねるような評価をしているのかもしれませんがこの意見に私も同感です。先ほど挙げた矛盾点からわかる通り、専門家らの間で甘粕事件の犯人は甘粕ではないだろうと見られているものの、現在も中高の教科書にて凄惨な事件を起こした冷血な犯人として書かれているというのには不憫に思えます。

2009年4月11日土曜日

ゲームの体験版について

 いろいろ書きたい内容がいっぱいあるのですが昨日に八時間も寝たにもかかわらず今とてつもなく眠いので、今日もちょっと短めの記事にします。明日一気に書かないとなぁ。

 さてゲーム業界は規模的には90年代末期が最も栄えており、以前にも書きましたが当時は中には冗談とも思えるような奇抜なゲームが出るなどいろいろな意味で活力に満ちた時代でした。私はやったことはないのですが「モンスターファーム」というゲームでは通常に市販されている音楽CDからゲームで使用するキャラクターを作るという発想力に満ちたゲームもこの時に出ており、何か新しいジャンルに挑戦するという意味ではこの時期が一番挑戦されていた気がします。

 何故この時代のゲーム業界がそれほどまでに意欲的だったかといえば、プレイステーションやセガサターンといったゲームハードが登場することによってそれまで作りたいと思ってもハードの制約上作れなかった内容がある程度実現しやすくなった上、現在に連なるプレイステーション2の時代のようにゲームの一本当たり開発費が今ほど高騰しておらず、何か新しい分野に挑戦しやすい時代だったからだと思います。

 そういう時代だったゆえか、今思うと当時はいろんなところでいろんなゲームの体験版が溢れていたように思えます。最近ゲーム雑誌を買っていないので今はどんな具合なのかはよくわかっていないのですが、当時はそういったゲーム雑誌についていたり、ゲーム業界のイベントなどでは体験版CDが配られていたり、中には通常販売されているゲームにその会社で製作中のゲームの体験版が付いていたりすることが多かった気がします。
 最後の例の体験版が付属していた例である意味有名なのは「ブレイブフェンサー武蔵伝」というスクウェアのゲームで、このゲームには当時に全盛期を謳歌していたファイナルファンタジー8の体験版が付属されていたため一部のユーザーなどからは「FF8の体験版に武蔵伝が付いている」とまで言われましたし、実際に私の周りでもFF8の体験版目当てでこのゲームの購入を検討していたのが結構いました。

 当時は私は中学生でしたが、あまりお金もないということで友人同士で集まった際にゲームをするときはよくこういった体験版のゲームでも盛り上がって遊んでいました。特に一番盛り上がったのは「エアガイツ」というスクウェアの格闘ゲームの体験版で、製品版に対して体験版では使用キャラが三人に限定されるのですがそんなのお構いなしに延々とその三キャラで対戦を繰り返していました。またこのエアガイツに限らなくとも雑誌の付録ゲームでもそこそこ時間を潰したりして遊んでいましたが、残念ながら私に限って言えばそうした体験版が製品版の購入につながった例は全くといっていいほどありませんでした。
 そんなんだから、こうした体験版って少なくなったのかなぁ。

2009年4月10日金曜日

学部定員数について

 先ほど友人と一緒に夕食をしながら話をしてきたので、今日はちょっとその際に出てきた大学の定員数にについて話をします。

 国立はともかく私立大学では大学学部の定員は自由に決められると私の周りでは信じている方が多いのですが、実際はそうではなくて学部の定員数というのはあらかじめ国によって決められています。特に最近問題になっている医師不足問題の発端となったのは当時の文部省が社会にいる医者の数が多すぎると、実態的には当時でも不足していた上に現在のように高齢化が進んで需要が高まることが予想されていたにもかかわらず、医学部の定員数を増員するどころか政府は逆に毎年徐々に削減していったために、いわば人災的に引き起こされたという面も少なからずあります。

 その一方でこれは私が現役の歯科医の方から直接聞いた話ですが、現在歯科医は逆に社会の中で過剰に有り余っている状況で、歯学部を出た若者がいたとしても既に開かれている医院では新たに人員を雇う余裕がなく、かといって自分で医院を開設しても他にも医院は有り余っているのでとても生活することが出来ず、続々と社会に出る歯学部の卒業生たちはどうしようもない状況に追い込まれているそうです。
 この話をしてくれた歯科医の方は文部科学省の役人たちは需要予測からこうなることがわかっていたはずなのに、歯学部の定員を減らしていかなかったばかりに歯科医ならやっていけると勘違いした若者を路頭に迷わせてしまっていると激しく怒っていましたが、どうもほかからも伝え洩れる話を聞いていると現実にそのような状況が広がっているらしいです。

 このように大学の定員というのは分野ごとに世に送り出す人材数を決めてしまうので、その時代ごとの需要に合わせる形で対応していかなければ後々の社会に対して大きな悪影響を及ぼしてしまう重要な変数なのです。ですがこの定員、実際のところは先ほどの医師の例の様に将来はおろか現実の状況すらもきちんと把握されずに決められているケースが極めて多いといわざるを得ません。
 まずその代表格は理系学生の定員です。現在工業分野といった方面の理系の人材が日本で不足し始めていますが、この問題を解決するためとして理系学部の定員数の増加や文系学生より費用のかかりやすい授業費の補助といった対策は私見ではあまり行われていないように思えます。もっとも理系学生については最近の中高生の理科離れの影響もあって一部の大学では定員割れも起きているそうなので、定員を増やしたからといって人材数が増える可能性は非常に低いと言わざるを得ませんが。

 ちなみに理系学部の増員という話では、2007年に大阪外語大学が大阪大学に統合される際に外語学部の定員が減らされ、その減らされた分だけ理工学部の定員が増員されたという話を聞いたことがあります。これは各大学ごとに定員数を政府が縛っているため、大阪大学が大阪外語大を統合することで外語大の定員数を得たことにより行えた、言うなれば同大学内の定員調整といったところです。大阪外語大出身の私の先生はこの時に滅茶苦茶怒っていたけど。

 このように学部の定員は文科省がいろんな意味で縛っているので、私立であろうとそうおいそれと増やすことが出来ないそうです。基本的に文科省は定員割れを起こしているいわゆるFランク大学の出現を受けてあまり定員の増員は許可しない方針だそうですが、新たに学部を新設する際の定員増員はまだ認めているため、慶応学部がやりだして以降はいろんな大学で新設学部のラッシュが続きました。
 ただこの学部新設ももちろん文科省の許可がいるのでそう簡単にはいかないのですが、実は「国際~」とか「政策」という名前の付く学部は比較的新設の許可がおりやすいと言われています。というのも文科省が、

「国際性豊かな人材が今後のグローバル時代には必要」
「プランを具体化して実行する人材が日本には不足している」

 という掛け声の元で、このような名前の学部新設を許可しまくっているそうです。そのため中には大学運営のためにまず定員増員ありきで、新設する学部でどのような教育を行うかも何も考えずに学部新設の申請作業を始める大学も少なくないそうです。そのため私が大学受験をする際に予備校の講師から国際と名の付く学部には気をつけろと注意を受けましたが、改めてこのような学部の実情を見るにつけて講師の助言は間違っていなかったと確信しています。まぁ私の行った文学部もあまり人のこと言えないんんだけど。

2009年4月9日木曜日

ナポレオンにとっての幸せ

 今日プロ野球チップスを買ってきたらいきなり阪神の金本選手と日ハムの稲葉選手のカード(キラじゃないけど)が出てきてびっくりしました。二人とも昨日の試合で三回もホームランを出しているので、何かとタイムリーなカードの出方でなかなかうれしいものです。
 さて最近は自分でもちょっと固い話ばかり書いていると思うので今日は寓話形式に簡単な記事にしようと、ナポレオンのとあるエピソードを紹介しようと思います。

 ナポレオンとくれば説明もいらないほどの世界史での超有名人物で、何でもある調査によると世界で最も数多くの伝記が書かれてもいる人物だそうです。日本人からするとあまりピンとこないかもしれませんが彼がヨーロッパ、ひいてはアメリカに与えた影響は非常に大きく、現在の人権思想からウィーン条約によって形作られた国家体制など彼がいるかいないかで世界史は全然違ったものになっていたことでしょう。
 そんなナポレオンですが、彼は生粋のフランス人ではなく彼が生まれる前までは独立をしていたコルシカ島の出身で陸軍幼年学校の入学の際にフランス本国へと初めて渡り、当初はフランス語もあまり出来なかったため学校ではフランス人の他の級友らによってよくいじめられていたといいます。

 いじめられたことによるものか元々の性格のものかまではわかりませんが、青春期のナポレオンはあまり同年代の友人らとは深く付き合わず一人で読書するなど自ら周囲と距離を作って生活していたそうです。だからといって大人しい性格だったかといえばそうではなく、教師に対してもあまり従順ではなく反抗的で、何か意見が違えれば誰彼構わずすぐに言い合いを起こしたりと絵に描いた問題児振りを発揮していたそうです。

 そんなある日に学校の授業にて教師が、「どんなことが人間にとって幸福なのか」という問いを発したところナポレオンが真っ先に立ち上がってこう答えたそうです。

「自分の能力を最大限に発揮することこそがその人にとって最大の幸福です」

 当時の彼の状況と後年の有り余るばかりの軍事的な才能と政治上での立ち回りを考えるにつけ、当時からナポレオンは自分自身に対して相当な自負心などがあってこのような発言をしたのだと私は思います。はからずも彼は少年時代に教師から、「君はギリシャ時代に生まれてくればよかったのにね」とまで言われた時代にあって、ただの一軍人から皇帝という地位にまで上り詰めるに至りました。

 以前にもこのブログで私は人間は仕事を為すことを通して初めて自分自身に対してプライドを持つことが出来るのではと主張しましたが、仕事を為すためには能力が必要で、能力を蓄えてもそれを発揮する場所がなければ仕事を為すことはできません。
 そういう意味でこのナポレオンの発言というのは地味に人間の幸福について的を得た発言のように思え、私に欧州史の中でナポレオンを一番好きな偉人とさせている最大の要因になっているわけです。

2009年4月8日水曜日

麻生邸見学ツアー逮捕事件について

 先月から今月にかけての一ヶ月間、自分にしては珍しく大量に本を読んでいました。よく人から、「それだけいろいろ知っているのだからいつもたくさん本を読んでいるのでしょ」などということをよく言われるのですが実際には私は恥ずかしいくらい本をあまり読まない人間で、18歳くらいの頃に知り合った友人らの読書量と比べて自分が全然本を読んでいなかったのを我ながら呆れたくらいです。
 そんな自分が毎月読んでいるのは文芸春秋くらいなのですが、なんか体調が悪かったのも影響してかこの一ヶ月間は自分にしては大量の本をさばけたのでちょっと記録がてらに下記に羅列します。

・「文芸春秋四月号」(文芸春秋社)
・「徹底抗戦」 堀江貴文著(集英社)
・「日本の10大新宗教」 島田裕巳著(幻冬社新書)
・「<満州>の歴史」 小林英夫著(講談社現代新書)
・「未熟者」 藤川球児著(ベースボール・マガジン社新書)
・「関ケ原合戦・あの人の「その後」」 日本博学倶楽部(PHP文庫)
・「日本史ライバルたちの「意外な結末」」 日本博学倶楽部(PHP文庫)
・「ジャーナリズム崩壊」 上杉隆著(ジャーナリズム崩壊)
・「第三次世界大戦 左巻、右巻」 田原総一朗、佐藤優(アスコム)
・「排除の空気に唾を吐け」 雨宮処凛(講談社現代新書)

 四月十日にはまた文芸春秋の五月号が発売されるので、今日の段階で最後の「排除の空気に唾を吐け」を読み終えられたのがよかったです。まぁ量こそ十一冊ありますが、読みやすい新書ばかりなのであんまりたいした事はありませんが。
 さてこの中でどれが一番面白かったといえば個人的には上杉隆氏の「ジャーナリズム崩壊」がそうで、前から興味を持ちながらようやく今回手にとったのですが、記者クラブと日本のジャーナリズムの抱える問題についてこれほどわかりやすい本は今までになく改めて言論について考えさせられるいい刺激になりました。

 なのでこの本について延々と書いてもいいですが、実は今日の本題は上杉氏ではなく最後の本の著者である雨宮処凛氏についてです。私が雨宮氏を知ったのはこれまた今月に読んだ「第三次世界大戦 右巻」の中で、私も尊敬している佐藤優氏が田原総一朗氏との対談にて雨宮氏をべた褒めしているのを見てからでした。別に佐藤氏が批判してばっかであまり他人を誉めない人だとは思っていませんが、この対談本の中で雨宮氏への言及が明らかに他の人とは違って熱があり、そうして誉めているのを見て私も興味を持って上記の本を手にとったのですが、佐藤氏が誉めるだけあって「排除の空気に唾を吐け」にて雨宮氏が取り上げた内容は素晴らしく、是非この本は他の人にも読んでもらいたい本です。

 この本の大まかな内容は、去年末から問題になっている派遣切りに遭った人などといった社会的貧困者たちの生々しい現状です。ここ数年で餓死した人の生活記録や派遣難民の現状、そして私も知らなかったのですが池袋通り魔事件の犯人の経歴など、中には目をそらしたくなるほどの苦しい現実などが描かれており、これまでの貧困に対する自分の価値観も一気に引っくり返されるほどの迫力があります。
 その中でも特筆して面白いのは、作者の雨宮氏も是非しっかり読んでもらいたいと前書きで述べている「イラクで料理人として働いた安田純平さん」の章で、貧困と戦争がどれだけ密接に関係しているのか、今後の戦争がどのような形式になるのであろうかという面について非常に示唆に富んだ内容でした。

 そんな雨宮氏のことを佐藤氏は前述の対談本の中で、これまで統計上の数字でしか貧困を考えてこなかった自分らに対し雨宮氏はその目で見た現実や生の心境を話しているのがほかと違うところだと評していますが、私としても同じような感想を持ちました。その上で佐藤氏は続けて、実はここからが本番なのですが下記にリンクを貼った動画を是非見てください。

10/26 麻生邸宅見学に向かおうとしたら逮捕(youtube)

 この動画は総額62億円もの麻生首相の自宅を一度見に行ってみようと有志らが企画してあらかじめ渋谷署に確認を取った上で見学ツアーを行ったところ、突然路上で主催者ら三人が逮捕されることとなった顛末を収めた動画です。見てもらえばわかりますがそれこそ何の前触れもなく突然、しかも路上にて逮捕されることとなった方らが無理やり組み伏せられており、それこそ何かの映画の撮影かとも見まごうかのような強引な逮捕の仕方です。しかもツアーを行っていた方らは別に街宣車を繰り出しているのでもなければ手に鉄パイプなどといった凶器を持っているわけでもなく、詳しい経緯を説明している「麻生でてこい!!リアリティツアー救援会ブログ」で公開されている渋谷署との違法性の有無を尋ねる動画を見るにつけこれほどの逮捕劇が繰り広げられる理由が浮かびません。

 佐藤氏も何故この事件をマスコミはどこも取り上げないのだと激しく憤っていますが、なんでもこのツアーに関わっていた雨宮氏から佐藤氏へと事件直後に連絡があって、佐藤氏経由で鈴木宗男氏や亀井静香氏らが逮捕者の解放するようにと動き、それらが影響したかはどうかはともかく逮捕者らはその後無起訴で釈放されたそうです。こう書いている自分も今の今までこんなことがあったなんて全く知らず、いつの間にか日本はやりづらい国になったのだといろいろな意味でショックを受けました。

 自分は別に警察や公安が市民の味方だと本気で信じているわけではありませんが、今の今までここまで露骨にやってくるとは思ってもいませんでした。他の方らもいろいろ述べていますが、一体今はどんな時代なのかと考えさせられた事件でした。

2009年4月7日火曜日

満州帝国とは~その八、石原莞爾

 大分ブランクが空いての連載再開です。正直に言って私自身もこの連載に少し飽きてきているところがあり先週に展開したインドの旅行記を優先させたくらいです。もっともこれからは時系列的な話から開放されてトピックスを絞って解説できるので、しばらくしたらまたやる気が出てくると自らに期待はしていますが。
 そういうわけで、今回から紀伝体調に人物を絞って解説を行っていきます。その栄えある第一回目はまさに満州帝国の生みの親こと石原莞爾についてです。

 この石原莞爾については有名人ということもあって、私がここで多くを語らなくとも情報が数多く溢れている人物なの今日はちょっと加工した情報を展開してみようと思うのですが、まず生まれは東北の山形県で小さい頃の家は非常に貧乏だったそうです。しかし石原は幼少時より頭脳は明晰で数えで16歳の頃に東京の陸軍幼年学校に進学をするのですが、なんでも上京して初めて図書館という施設があることを知り、「タダで本が好きなだけ読めるのか」と言って貪る様に読書をしたそうで、向学心は幼少より相当に高かったことが伺えます。

 そうして士官学校を卒業後、連隊に務めながらエリート選抜学校でもある陸大にも入学し、その後回り回って満州にある関東軍参謀として駐在中、あの満州事変を板垣征士郎と企図、実行し、短期間であの広大な満州全土を占領してしまうなど戦果的には大きな功績を残すものの、その後戦線が広がった日中戦争には不拡大の姿勢を見せたことによりかねてから仲の悪かった東条英機によって左遷を受けています。
 この東条との関係ですが、同じ陸軍内に在籍しておきながらそれこそ犬猿の仲と言うほどに悪かったそうで、両者のエピソードから伺える性格もまるで正反対なので無理もないことなのですが、なんでも部隊内の訓練時の際も正反対で、東条は前例に倣って一から十まで順序良く規律正しくなぞるように行進を行うよう指導したのに対して石原は、「いつも通りやれ」という一言で済ませていたそうです。

 また石原、東条の両者の元で部下を経験したことのある士官によると、その士官が陸大を受験しようと勉強し始めると石原はその士官の仕事の負担を途端に増やしたそうです。石原に言わせると幹部になればそれだけの仕事量をこなさねばならなくなるので、仕事量が増えたことで勉強時間が取れなくなって合格できないのであれば始めから受験しない方がいいという考えの元で仕向けたそうですが、これに対して東条の場合は逆に仕事の負担を減らして勉強時間を持たせるばかりかよく自ら相談に乗ってきたそうで、その士官によると人間的な温かみで言えば明らかに東条の方が上だったと述べていますが、こんなところまで正反対なんだから仲がいいわけないでしょうね。

 ここで本筋の満州についての話に戻りますが、石原はいわゆる「世界最終戦争論」という独自の理論こと未来予測を立て、将来に日本と覇権を争い必ず戦うであろうアメリカに対抗するために資源のある満州を今のうちに必ず占領しなければならないという目的の元で満州事変を計画したと言われています。この満州への石原の野心自体はいろんなところでも言われている意見なのですが、そうした一般の満州事変の解説において石原の最終戦争論は全く独自のかつ斬新な構想、といった内容の言葉をよく見受けるのですがこれについては私は疑問視しています。

 というのも佐藤優氏によると、一次大戦後は石原の唱えた最終戦争論のようないわゆるハルマゲドン説のような主張が世界各国で展開されており、石原独自の意見というよりは当時の大恐慌下において流行した思想だったそうです。この佐藤氏の話を私も細かく確認こそしていませんが、ちょっと前になくなったサミュエル・ハンチントン氏が出した「文明の衝突」のように、異なる文明同士が最後に大きく衝突することで後の世界が大きく変わるというような意見はそれこそ神話の時代から現在に至るまでよくあることなので、世界最終戦争論は石原独自の意見というより、石原が持った当時あった意見というのが本当のところなんじゃないかと私は思います。別にアメリカと衝突することを予測したのは当時の日本でも石原に限るわけじゃないんだし。

 ついでにもう少し話を進めると、石原が最終戦争論を持ったのは彼の信仰していた日蓮宗系の国柱会の影響があったとよく言われていますが、戦前の新興宗教の系統で日蓮宗の流れを受けて設立されたものはほぼすべてといっていいほど軍国下の日本政府に対して肯定的な態度を取っています。これなんかまた別の記事に細かく書いても面白いと思うのですが、当の日蓮自体は元寇を予言して日本は敗北すると言いまわったせいで流刑にまであっており、元寇での神風を期待した日本政府に対して日蓮宗系の宗派が協力的だったというのはなかなかに皮肉に思います。

 そんな石原ですが戦時中に東条と反目して左遷を受けたことにより、ある意味日本を最も戦争に引き込んだ最大の張本人であるにもかかわらず、東京裁判では訴追されないばかりか東条らの糾弾を行う立場の証人として出廷しています。この石原の東京裁判における去就については昭和天皇も相当に不快感を覚えていたらしく、「何故石原のような者が証人として(東京裁判に)出廷しているのか」とまで不満を口にしたそうですが、私自身同じ思いがします。

2009年4月6日月曜日

文章表現について

 毎日毎日こんだけだだ長い記事をこのブログで書いていてなんですが、私は文章というのは基本的に短ければ短かいほどいいものだと考えております。
 ちょっと数学、というよりかは算数的にこの意味を説明すると、たとえばある同じ情報を特定の人物に理解させるのに千文字使わなければならない人と百文字だけで説明できてしまう人を比べるのなら、誰が見たって百文字で説明できてしまう人の方が優れていると思うでしょう。実際に少ない文字数でなにかを説明するには多くの文字数を使う説明より要点や順序を筋立てることが要求されるため、文章的なセンスは千文字に比べて要求される度合いが高くなってきます。

 とはいえ、誰にでもわかりやすく説明するのに文字数が大いに越したことはありません。ここら辺が私もこのブログを書いていていろいろとジレンマになるところなのですが、短い方が文章的に優れているのは確かなので短く短くしたいものの、あんまりにも短く端折り過ぎると読者に要求する読解力のハードルも上げることになります。
 大分以前にも書きましたがこのブログは普段新聞やテレビで報道される情報よりややむずかしめの情報を扱うため、なるべくわかりやすく書く努力はしているものの自分でも意図的に読者へのハードルは高めに設定しており、意識レベル的にはちょっと説明がくどすぎやしないかというくらいの感触でいつも記事を書いています。

 しかしそんな風に毎日細かく書くもんだから、書いててやはりジレンマを覚えることがたまにあります。これは私の恩師のK先生の言葉ですが、文章がわかりやすいことに越したことはないもののやはり難しい問題や話題の場合は表現技法的には難しく書かなければその深い内容を表現し切れないものもあり、それらを無理やりわかりやすく書こうものなら結局は浅い範囲でしか内容を伝え切れないとのことで、まさにこのようなジレンマを感じているわけです。
 そうした私の心境を見抜いてか以前に友人から、「君、あのブログの文章は無理して余計に書いているでしょ」とはっきり言われたことがあります。

 それこそもし遠慮無用に自分が読んで理解できる範囲で記事を書いていいというのであれば、恐らくいつもの分量の三分の一くらいで私も記事を書き上げる自信がありますし、正直言ってそのような短い文章の方が記事全体の完成度の点で高いと思います。しかし文芸を追求するのあればともかく、あくまでこのブログは私の意見を世に問う、わかりにくい問題を読者に解説するという目的の元にあるため、そうした文章自体の完成度は捨て置いてわかりやすさと内容を第一に考えながら書いています。それでも友人の中には難しすぎてわからないと言う方も少なからずいるので私の技術もまだまだということなのですが、やっぱり時にはフルパワーで短く完成度の高い文章を書いてみたくなったりもします。

 ここで話は変わりますが、よくどうすればこのブログを毎日更新する位に文章が書けるようになるのか、どうすれば表現技法を高められるのかという質問が来ることがあるのですが、手っ取り早い一つの方法としてはまず自分が考えていることを文章に書き、それが書き終わるやその同じ内容を今度は二分の一の分量で書き、それが終わるとまた二分の一とどんどんと文字数を狭めていくのがいい方法だと思います。こうすることによってその文章の中で何が重要なのか、なにがあまり重要でないのかが峻別されていきますし、また少ない文字数、というよりはこの場合記号数で同じ内容を表現しなければならなくなるので自然と表現の選択も高級なものが求められるのでいい訓練になると思います。

 そういう意味で、現在の大学受験や就職試験などで求められる記述テストというのはかえって日本人の文章力を低下させてしまうものに思えて他なりません。このような試験の問題に「~を100文字以内で説明せよ」という風に書かれていたらまず90文字以上の文字数を埋めねば○をもらうことは出来ず、質問に対する正解の核心部見つけ出した後に言うなれば贅肉のような余計な文章を付け加えるような回答の仕方が大学受験などで定着しているように見えます。
 言ってしまえば質問に対する適切な回答というのは短くて済むのならそれに越したことはなく字数に制限をつけること自体ナンセンスですし、場合によっては短い回答の方がかえって優れていることもあります。そういう風に私は考えていた上に中学校時代に今思えばかなりヘボな文章力だったにもかかわらず、自分の方が文芸は上なんだと妙な意識があってそうした回答をし続けたために毎回の国語のテストは悲惨でした。

 聞くところによると遺伝法則の発見で有名なメンデルは、遺伝法則についての自説の説明をレポート用紙一枚で説明しきってアカデミーに提出したそうです。まぁ当時は評価されなかったけど。
 私にとって一番理想的な文章というのはまさにそういう文章なのですが、また今日も長々書いてしまったと思う辺りその前途はまだまだ遠そうです。

2009年4月5日日曜日

検察報道に対するメディアの違い

 先日友人から読んでみろと勧められたので週刊朝日の4/10号を買って読んでみましたが、友人の言う通りにこの号は面白い内容で私も週刊朝日を一気に見直しました。今までAELAと並んで週刊誌の中でつまらない部類だと思って読んでいましたが意外や意外に目当ての記事意外もいろいろと面白く、表紙は私が今一番贔屓にしている多部未華子氏だし、カラー部ではWBC優勝記念とばかりに参加選手らの甲子園、大学野球時代の写真と現在の姿を比較しながら並べてもいました。それにしても、WBCの野球選手は皆高校生や大学生の頃よりはさすがに大人っぽくなっているのに、田中将大選手だけが高校時代から何も変わってなかったってのはある意味不思議でしたが。

 それはともかく、友人が勧めてきたのは今まで私も散々取り上げてきた小沢一郎民主党代表の秘書逮捕事件についての記事です。ついでなので、これまで書いてきたこの関連の記事をリストアップします。

小沢民主党代表秘書逮捕のニュースについて
西松建設事件について続報
二階俊博議員への捜査の広がりについて
小沢代表の続投について

 今回のこの事件に対して私は同様の疑惑をもたれている自民党の議員らは差し置いて小沢氏の秘書だけを逮捕、捜査したあまりにも不平等で公正さのない検察と、選挙が近いこのタイミングの上に逮捕発覚後に自民党の漆間氏の例の発言が飛び出したことから、小沢一郎という議員を私は個人的に嫌いながらも民主党の代表の座から降りてはならないし裏で誰が糸を引いたのか今後追求していくべきだと過去の記事で主張しました。

 私はてっきり、これほどまで強引で不平等な捜査が起これば検察への批判が高まるだろうと思っていたのですがさにあらず、世論調査でも小沢氏は代表を辞任すべきだという声が常に多数となり、またほかのあちこちのブログでも取り上げられていますが毎日新聞の「早い話が:小沢一郎のどこが悪い」の社説も、私なんかは毎日にしてはなかなか落ち着いていい点を突いているなと感心しましたし西松建設へ何故ダミー団体を通しての献金を行ったのかを追求すべしという意見に賛成なのですが、ほかのブログなどではどちらかといえばとち狂った意見だと批判されているのばかり見ます。

 そこで今日ここで取り上げる週刊朝日ですが、4/10号にて「検察の劣化、総力特集」と称して今回のこの問題について大量に紙幅を割いて特集しており、ちょうど私の言いたいことなどをすべて書いていてくれて個人的には胸のすく思いのするいい内容の記事でした。
 そうした一連の記事の中で特に私が注目したのは、まさにこういうことなんて週刊誌だからこそ書ける記事なのですが、今回のこの事件における大メディアによる報道姿勢ことあの悪名高き記者クラブ制度について言及されている点です。

 記者クラブ制度についてはまた今度特集を組んで解説してもいいのですが、要するに日本のテレビ、新聞などの大メディアによる談合組織です。基本的にどのメディアにとってもある意味ドル箱な内容である官公庁発表というのはこの記者クラブに加盟していなければ取材することが出来ず、メディアの中で一段格下扱いされている週刊誌は総理や警察の記者会見はおろか、国会内にて国会議員に単独で取材することすらも制限を受けるそうです。
 この記者クラブについては主に週刊文春の文芸春秋社や週刊現代の講談社といった出版社系列の記者らが激しく批判しているのは知っていまし彼らがそうした批判をするのはもっともだとも考えていましたが、意外や意外に新聞メディアの朝日新聞社の傘下にある週間朝日の記者は記者クラブによってはじかれることはないだろうと思っていたところ、今個人的に注目している上杉隆氏によるとどうもそうでもないようで、今回の週刊朝日の記事でも記者クラブによってはじかれていることを示唆しています。

 それでその問題のある記者クラブが今回の小沢氏の事件でどのように関連性があるかですが、基本的に記者クラブに加盟している大メディアの情報源は検察や警察といった官公庁であることが多いために、ひとたび彼らの機嫌を損ねたら途端に情報を分けてもらえなくなるため、彼らを批判する記事を書かないとされています。それがはっきりと表に出たのは数年前に北海道新聞が道警の裏金問題を大々的に報道した際で、あの事件以降道警は北海道新聞を事件情報といった会見から締め出すようになったそうです。
 そうした弱みがあるためにこうした検察や警察の問題は昔から記者クラブに元々加盟していない週刊誌が強いと言われていたのですが、週刊朝日は今回の小沢氏の事件は秘書の逮捕以降、毎日のように「関係者によると~」の切り口で小沢氏にとって不利な情報、しかも明らかに捜査関係者でなければ手に入らないような情報がほとんど裏付けもないにも関わらずまるで真実であるかのように報道され続けたことが問題だと指摘しています。

 言うまでもなく、この場合の「関係者」というのは間違いなく「検察」ととってもよい、というよりそうとしか考えられません。そして検察としてはこの事件をなるべく「作りたい組織」であるため、利害関係からすると情報の裏づけなどといった点で非常に怪しいのですが、週刊朝日に言わせると大メディアはそれこそ「大本営発表」のように言われるままに報道し続けたとして厳しく批判しており、私としても週刊朝日と同じように今回の事件の大メディアの報道姿勢にいぶかしむ点が数多くあります。
 週刊朝日が実際にこの大本営発表の例として挙げた事例として、「逮捕された秘書が西松からの献金だと認識していたと虚偽記載を認める供述をしている」というニュースをNHKが放送したところ、秘書側の弁護人がそのような供述はしていないと反論した事例を挙げています。

 供述をしたとされる秘書はこれまた言うまでもなく当時は拘置所の中で、その秘書と接触がもてるのは彼の弁護人と検察内の捜査関係者だけです。となるとNHKは検察内の捜査関係者から情報を取ったと考えるのが自然ですが、もし弁護人の言う通りにしてもいない供述を捜査関係者によって「した」と言われて報道したというのなら、取材過程などに問題はないのかということになります。
 このように、今回の事件は捜査過程はもとより大メディアの報道姿勢についても異常な点が数多く見受けられます。こうした点に注目し、今後もこの事件を見守っていこうと思います。

北朝鮮のミサイル発射について

 本日午前に北朝鮮が弾道ミサイルを発射(衛星ロケットでないことを先ほどアメリカ政府が発表)しましたが、この事件に対する私の感想はというと、今回は少々日本人は騒ぎすぎだと思います。

 日曜ということもあって夕方からまた久しぶりに各放送局のニュースを細かく見ていましたが、どの局もこのミサイル発射をトップに持ってきて大々的に報道していたのですが、確かに全く危機感を持たずに報道しないというのはそれはそれで問題ではありますが、今日の報道は私が見る限りどちらかといえばミサイル発射の事実を報道するというより、国民に対して必要以上に危機感や恐怖感といったものを煽るような報道ばかりだったように見えました。

 というのも北朝鮮が事前予告していた打ち上げルートに沿ってミサイルが発射される場合、ミサイルは日本の上空を通過するために日本本土へ落ちることはほとんど考えられませんでした。もっともこの事前予告ルートがブラフでいきなり日本の重要施設へミサイルを撃ってくる可能性があったというのであればそりゃ確かに大事ですが、今回のミサイル発射実験はイランなどといった中東諸国に対して北朝鮮がミサイル技術、製品を輸出するに当たりその性能を証明する目的のために実行されたとされ(去年にイランが打ち上げた衛星ロケットは北朝鮮製と言われている)、いきなり日本に向かって撃ってくる可能性は低いと私は考えていました。

 そして仮に飛行中に何らかのトラブルでミサイルが墜落するにしても、確かに気休め程度にしかなりませんが日本側としてはPAC-3を始めとした対策を行っており、後はなるようにしかならなかったのが昨日までの段階でした。そして本日の発射によって、確かに日本全土を射程に入れるミサイルを北朝鮮が改めて保有していることが証明されたという事実は日本として脅威ですが、その発射の事実をことさらに大きく報道して国民の不安を煽るというのはかえって私は北朝鮮の思う壺だと思います。そもそも、日本全土を狙えるミサイルを北朝鮮が保有しているのは最初のテポドン一号の発射でわかっていることだし。

 再度結論を述べさせてもらいますが、今回のミサイル発射は事実は事実として受取り、日本人はことさらに慌てず今後の北朝鮮への外交や国際世論を落ち着いて注視するべきだと思います。危機感を持つに越したことはありませんが度した不安や混乱は北朝鮮を喜ばせるだけなので、報道機関などの過剰な報道に流されないでいることを暗に願っております。

2009年4月4日土曜日

内定制度について

 昨日、ひょんなことから今年四月から入社したばかりの新社会人の方と話をする機会があったので、いきなりこんなことを聞いてみました。

「ぶっちゃけ、自分も内定切りに遭うんじゃないか不安じゃなかった?」
「そりゃ不安でしたよ。恐らく、自分らの世代は皆一様に持ったと思いますよ」

 いきなりこんなことを聞く私も私だが、こうして当事者に改めて聞いてみて今回の問題の根深さを改めて実感できたので、きちんと答えてくれたその新社会人の方には改めてこの場でお礼を言わせてもらいます。
 さてここで私が切り出した内定切りですが、以前にも「内定取消しについて」の記事の中で一度取り上げていますが、その記事を書いた当時の内定者たちが入社する四月にはもう入ったのでもうこのようなニュースは出てこないと思っていたのですが、既にあちこちでニュースになっているのでリンクは貼りませんが、なんとある造船会社では入社式の前日こと三月三十一日になって突然内定者たちに内定取消しを通告したところもあったそうで、まだまだこの問題は尾を引きそうです。

 この造船会社のニュース以外に昨日に見たニュースでは、内定者たちに対して半年間の自宅待機を命じてその間に給料の六割だけを支給するという会社の例が報告されていましたが、私の見る限り恐らくこういった自宅待機の例はまだまだ多くあるのではないかと気にしています。そしてこれはまだ噂になっているだけで実際に発生したという報道はまだ見ていませんが、試用期間である三ヶ月を過ぎる、つまり今年の七月に入るや仕事の内容に能力が満たないなどという理由をつけて無理やり新入社員を辞めさせるなどという恐ろしい噂も耳にします。噂で済めば何も問題はないのですが。

 このような内定切りの問題についてこのところ私が報道機関や政治家に対して深く疑問に思うのは、何故どこも対策というものを打ち出さないのかという点です。前回の記事でも触れていますが、今回のこの内定切りの諸悪の原因は実際に入社する約一年近く前に就職を約束し合うという内定制度にあると考えています。今年はどうなるかわかりませんが十年位前から去年までは紳士協定なぞどこ吹く風か、四月には内定を出す会社が続出したために大学生の側も早い人などは三回生の秋頃から説明会などに参加するなどの就職活動を行っていました。

 こうした早すぎる就職や人材斡旋活動は双方にとって無駄な負担しか生まず、少なくともそれ以前には慣行だった「四回生の十月以降から」という風に戻すべきだと前回の記事で私は主張しましたが、こうして四月を過ぎてもこのような例がまだまだ報告されているのを見ると、そもそもの内定制度自体を廃止するべきではないかとも考えてしまいます。内定切りに遭った学生が可哀相と同情することだけならいくらでもできますが、もっとこうした具体的な対策についても今後議論が広まることを切に願っています。

2009年4月2日木曜日

生前贈与税率の減税について

贈与税減税実施で大筋一致=追加税制改正へ-自民税調(YAHOOニュース)

 あまり報道されておらずちょっと解説のいる話題だと思うので、今日は上記のリンクに貼った、現在自民党が検討している生前贈与に対する減税案について解説します。

 まずこの生前贈与という奴ですが、これはそのまんま、主に親が子へ生存中に財産を贈与する行為を指します。この時の贈与額がそれこそ100円や200円ならまだしも、現行では年間110万円を越える額を贈与した場合に日本では税金がかけられて一部が国に持ってかれてしまうのですが、現在自民党が議論しているのは昨今の不況への景気対策にこの生前贈与に掛ける税率を下げようというものです。

 というのも日本は不況不況と言いつつも個人資産は金融資産で1483兆円、土地などの資産で3402兆円、住宅などの資産で952兆円、合計なんと5837兆円もあるそうですが、そのうち金融資産だけを世代別に見ると六十代以上の層が867兆円と、実に全体の六割近くを保有しております。
 この点について私の友人は、よくおっさん連中が我々若者が車を買わなくなったりデートをしなくなるなど、以前と比べてお金を使わなくなったのがさも不況の原因だと若者を犯人扱いしているが、上の世代が大半の資産を使わずに貯めていて若者にまでお金を流さないのが真の不況の原因だと、常々ヒートアップして文句を述べていますが、上記の実態を見れば私もまさにその通りとしか言いようがありません。
 ただ私の方から上の世代にもフォローを入れておくと、日本は今も曖昧糢糊なままの年金制度に不安定な社会保障制度ゆえ、老後に備えてまとまったお金を貯めておきたいというのも理解できなくはありません。

 こうした状況に対し、この不況への対策の切り札として掲げられたのが今回の生前贈与の減税案です。私がこの減税案を初めて知ったのは、文芸春秋四月号にて小泉元首相の元秘書である飯島勲氏がこの減税案を紹介している記事を読んだことからで、今日のこの記事も上記の資産額などその記事を参考にしながら書いております。
 飯島氏が挙げているモデルケースでは、Aさんが自分の子供に対して1500万円の証券資産を譲渡する場合、現行税率は50%なので750万円も国に持ってかれて子供にはもう半分の750万円しか譲られません。しかしもしAさんが死亡したことによってその資産が子供に引き継がれる場合、こちらは税率が15%の相続税が適用されるため国に持ってかれるのは225万円で、子供には残りの1275万円引き継がれます。


 Aさんが1500万円の証券を子供に譲渡する場合、
生前:税率50% 税金750万円 譲渡額750万円
死後:税率15% 税金225万円 譲渡額1225万円



 図示するとこんな具合になるので、現行の制度だとそりゃ生前に大金を渡す親はいなくなるでしょう。
 飯島氏の案は、この生前贈与時に掛ける税率を10%までこの際引き下げてしまおうという案です。確かに10%まで下げると長いスパンで見れば国の税収は減ってしまいますが、まさに今税収が必要な不況真っ只中の今年や来年といった短期においては増収が見込まれ、また消費意欲の強い若者に資産を大量に貯蓄している世代からお金が流れるため、個人消費の上昇も期待できると主張しています。

 結論を言えば、私もこの政策案を強く支持します。たとえば不動産の価格が下がっている今この時に、貯蓄をたくさん持っている親がぽんとお金を出すことで一気に自分名義で持ち家を買ってしまおうと動く若い夫婦がいてもおかしくありませんし、ある年齢層に固まっている資産が若年層に流れることで生活支援にも資金の流動化にも大きくつながることが期待できます。
 自民党が現在考えているのはやはり住宅購入時の資金譲渡時の税率を減税する案のようですが、それだけでも十分に効果があるし、また何より政策が非常にわかりやすく一般にも浸透しやすいので、やれるものなら明日からでもやってもいい案だと思います。

 ただ少し残念なのは、本来こうした景気対策というのはニュースそれ自体が何かしら希望を持たせることで市場などへ安心感を植え付ける面も少なくないのですが、今回のこの案は私が見ているところまだあまり浸透していないように思えます。そうしたわけで解説も兼ねて紹介しましたが、もっとこうした面の広報というものを日本政府は考えるべきでしょう。

2009年4月1日水曜日

このところの株価上昇について

 ここ一、二週間で日本の株価は急激に回復して現在も八千円台を推移していますが、結論から言うと私は日本はまだ不況の底を脱しているとは思えず、むしろこれだけ株価が上がる今の状態に対して不安感を覚えています。

 このところこうした株価予想をしておらず久々なのですが、何故このところ日経平均株価が上がっているかといえば私は一番の原因は円安だと思います。というのもこのところの株価上昇の裏で一時は90円を切った対ドル円価が三月に入って急激に上昇し、今日には98円台にまで回復しております。元々輸出依存型の経済の日本では円価が低ければ低いほどいいということもあり、為替変動が与える経済への影響は元から強かったとはいえこのところの株価全体の動きはまさに円価に沿って動いているように思えます。

 ただ私はこの前国会で本年度の予算案が通過したとはいえ、その中身といい現在審議中の政府の対策といい、何一つ現状に対して有効だと思えるような政策(生前贈与の減税は悪くはないと思うが)が見えてこず、正直言って現時点で株価が上がるというのはなにかおかしいように思っていました。そうした疑問から追っていったら先ほどに述べたように為替の動きに連動していると思ったわけなのですが、これは逆を言えば今後またドルの価値が急激に低下すれば大幅に株価が下がる恐れが強いという予想につながってきています。

 ここで話を外に向けますが、海外の経済状況で特筆すべきは中国です。北京五輪が終わってリーマンショックとのダブルパンチで一気にバブルが弾けるかと思ったら意外や意外にまだ踏ん張って成長を維持し、二桁成長は止まって去年は6%成長に止まるようですが、マイナス成長にまで陥った日本と比べるとまだたいしたものです。ただこの中国が逆に日本にとって良くも悪くもネックで、昨日のNHKのクローズアップ現代でも特集されていたように建設機械などの受注は未だに中国からは多くて日本としても助けられているのですが、もし中国がなにかの拍子に手持ちの外貨ことドルを市場に売り始めたら、一気にドル価値が下がってまた円高を起こし、そのまんま中国に引導を渡されかねないというのが今の日本の状況だと私は考えています。

 そういうわけで、かなり飛ばして書いていますがこのところの株価上昇は決して日本の対策や対応がうまくいったものではなくどちらかといえば偶発的な上昇で、またしばらくしたら大幅に下がる恐れがあるのではないかというのが私の意見です。いくら安くなっているとはいえ、株をこの期に一気に買い増そうというのならもう少し待つべきではないかと思います。

インド旅行記 その四

 また今日もインドの旅行中の話です。さて前回に引き続きベナレス滞在中の話ですが、三日目のその日に私たちは前二日間にも使ったタクシーの運転手の兄ちゃんに朝早くにホテル前まで来てもらい、朝焼けのガンジス川を見に行きました。まだ日も明けきらぬうちにガンジス川の近くについた私たちはリクシャーを置いてガンジス川を浮かべる船に乗って朝焼けを待ちましたが、余計な言葉を飾らずに言って、ガンジスの朝焼けは本当にきれいでした。一緒にいた二人組みの女の子のうちの一人は周りに乗せられるままガンジス川に肩まで沐浴しましたが、私は服とかが濡れるのが嫌だったのもあり顔を洗っただけに止めました。

 ここでちょっとガンジス川沿いの光景について説明しておくと、ガンジス川の川端には約16世紀ごろ、日本風に言うならインドの大名たちがたてたガートと呼ばれる古い建物がたくさん並んでいます。というのも当時よりベナレスはガンジス川の最大の沐浴地として見られており、大名たちはいつでも長く滞在できるようにこうした建物を次々と建築して現在に残っているわけです。現在それらのガートは大名たちから政府が没収したことで一般にも開放され、昔のように一室でホテルをやっているものもいればレストランをやっている方などもたくさんいます。なお現地で私はインド旅行を決意させた「うめぼしの謎」にもでてくる「BABAレストラン」を発見しています。結構有名なところでしたが、なんというかあの場所であの名前だと関西人にとっては……。

 そうしてガンジス川での朝焼けを拝んだ後、それらガートの間の路地からリクシャーを置いたところまで戻る路上で蛇使いによるスネークショーが行われていました。それこそゲリラライブのようなものでいろんな人が集まっているのを見て、私と一緒にいた人たちは自分たちも見に行こうとその輪に加わっていったのですが実はこの時私はあまり見たくはありませんでした。そんな私の気持ちはよそにみんなで最後までそのスネークショーを見てそれぞれ適当に小銭を置いていったのですが、私はその時たまたま小銭を持っていなかったのでそのまま立ち去ろうとしたら蛇使いの人に肩をつかまれて、恐らく「何でお前はタダ見で帰るんだよ!」とでも言われたのだと思います。
 恐らくこういう風になるだろうなという気がしてたのであまりショーを見たくなかったのですが、こうなってしまうともうしょうがないので仕方なく、確か100ルピーを結局置いていったのですが、私がお札を置くなり破格の額ゆえか、さっきはケンカ腰に私の肩をつかんだ蛇使いの人が今度は逆に私を抱きしめて深く感謝してくれました。ホリエモンじゃないけど、お金で買える心もあるんだなぁと実感した瞬間でした。

 その後、その日の夕方に次の目的地のアグラに向かう列車に乗るまで時間が余っているのでどうしたものかと相談していたら、また例のリクシャーの兄ちゃんがいろいろ連れてってやるよと言って、まず彼の通っている大学へと連れて行かれました。今の今まで私たちも知らなかったのですが、その兄ちゃんは見かけによらず大学生でこうしてリクシャーでお金を稼ぎながら学校に通っていたそうです。そうして彼の大学を見た後、今度は彼の自宅へと連れて行ってもらえました。彼の自宅では彼の家族、それこそたくさん下に兄弟らがいて、一人の弟などは生来の病気なのか下半身が動かない男の子でした。自分でもこの辺が非常に貴重な体験が出来たと思っていますが、こうした苦しい生活をしながらも立派に働いて家族を養っているインド人らに対して深い尊敬の念を覚えました。

 彼の自宅を出てガイドらと合流するためにホテルへと戻る途中、その兄ちゃん市場に寄って、「列車の中で食べろよ」と、ぶどうなどの果物を私たちに自分のお金で買ってきてくれました。恐らく前日の我々の報酬に対してもらいすぎたと思っていたのかもしれませんが、結局私たちはその日も別れ際に彼へ多めの報酬を渡しました。

 そうして夕方にホテルに戻ってガイドらと合流し、早めの夕食をとった後でまた私たちは長距離列車に乗り込み、そのまままた車中泊をして次の日の早朝にアグラに到着しました。このアグラには何があるかといったら言わずもがなの白亜の宮殿ことタージマハールで、我々も真っ先にそこへ揃って出かけました。
 ちょこっと解説するとこのタージマハールは当時のインド皇帝が溺愛していた王妃の死に際して作ったお墓で、転じて日本におけるインドカレー店の名前によく使われるほどのインドを代表する観光地となったわけです。

 インドを代表するだけあって、タージマハールは非常に大きな建物でした。ここに限るわけじゃないですがインドでは寺院や観光地は土足では上がれず裸足で入場しなければいけないのですが、あまりに広いもんだからここで足の裏が痛くなったのを覚えています。そうしてアグラ観光をして、その後の記憶は少し曖昧ですが次の日にはまたデリーへ戻る列車に乗り、帰国する日を迎えました。
 帰国するための飛行機は夜発の便なので、昼過ぎにデリーに戻った私とK君(女の子二人組とはここで分かれた)はガイドのスレーシュさんとともに、デリーでまだ行きそびれていた観光地スポットこと、ガンディー廟へと訪れ、私も尊敬するマハトマ・ガンディーへ祈りをささげた後、空港へと戻って帰路についたわけです。

 ただこの帰路にいろいろあって、一番最初の記事にて友人のK君が飛行機の上降による気圧の変動で歯の痛みを訴えたことを書きましたが、帰りの便でも飛び立つ前にえらくブルってたもののK君自ら持参してきた正露丸を歯に詰めていたのが功を奏して特に帰りでは歯については何も問題が起こらず本人もホッとしていました。

 しかしこれで終わらないのがハプニング続きの私の旅行と言うべきか、日本へと向かっている最中に機内食が配られた時にそれは起こりました。乗っている航空会社がエア・インディアなので配られるのはもちろんカレーなのですが、食べる前に「なんか違うな」とは違和感を感じつつもあまり気にせず食べたのが運の尽きで、食べて30分もすると猛烈な腹痛が巻き起こりました。急いでトイレに行って少し流しても全然痛みは引かず、気休めにもう一回トイレに行こうと廊下を見てみるとそこにはもう長蛇の列が出来ていてとても行けそうにありませんでした。横のK君はどんなものかと見てみるとやっぱり同じようにお腹を壊していて、しかも自分も辛かったけど向こうはもっと辛そうだったので、「頑張って」と声を掛けるとまた「頑張れへん」とマジな顔で言い返されてしまいました。今更ですけど、この時のって間違いなく集団食中毒だったんだろうなぁ。エア・インディアではよくあることらしいけど。

 そのように飛行機が関空に着くまで文字通りサバイバルだったのですが、なんとか無事に関空に日本時間の6時くらいに到着して我々もホッとしたのもつかの間、
「すいません、麻薬探査犬が反応をしているので、荷物を改めさせてもらってもよろしいでしょうか?」
 と、荷物受取のところで今度は空港職員の方に声まで掛けられてしまいました。

 もちろん自分たちには何もやましい事などなかったので快く応じましたが、普通に荷物の中には洗濯せずにいる下着などがぎっしり入っているビニール袋もあり、そんな汚いのを手袋をつけてはいるもののいちいち改める職員の方にかえって申し訳なく思うほどでした。なおこの時に職員の方と雑談をしたのですが、やはりインドだといろいろあるということで通常より検査が厳しくなるとのことで、我々にもあまり気にしないでいいと言っておりました。結局私たちの荷物からは何も見つからなかったのですが、麻薬探査犬が何故我々に反応したのかというと、どこか麻薬が使われている施設などに入り、衣服や荷物にその臭いがついて麻薬探査犬が反応したのではないかと職員の方は説明し、そのまま無事開放となりました。最後の最後までオチがついた旅でした。

 ただこの時の空港での荷物改めですが、職員の方との雑談の最中にこんな会話をしたのを何故か印象的に覚えています。

職員「よくアジア地域に海外旅行など行かれるのですか?」
花園「アジアはそれほど行ってないのですが、こんど中国に長く行く予定です」
職員「えっ、それはなんでですか?」
花園「半年後から、中国に一年間留学することになっているんです」
職員「そりゃあいいじゃないですか。是非行ってしっかり勉強してくるべきですよ」

 今思うと、空港の職員の方だったからこそ中国留学についてこんな風に言ってくれたのではないかと思います。そしてその後現実に、私は中国に一年間行って来たわけですが。

 こんなこともあってインド旅行は私にとって非常に面白い旅行でした。ただこんな風に思うのも、向こうでなんの犯罪にも巻き込まれなかったからだと思います。やはりインドは詐欺や強盗といった犯罪リスクが高い国だといわれており、中には二度と行きたくないと思うようになる方も少なくないそうです。自分に限っては悪い思いは何もなく、むしろいい人たちに出会えたので機会があればもう一度行ってみたいと思う国ですが。

 ただ関空からの帰り、インドでは暑かったもんだから半そでのままで三月の京都に戻る際は周りからじろじろ見られたのは微妙に苦痛でした。それ以上に苦痛だったのはあの時の機内食が後引き、しばらく外出する際は常にトイレの位置を確認しながらという生活に追いやられたことです。そんなこんながあっても、私、インドが大好きです。