2009年6月30日火曜日

私の考える政策の優先順位

 前回の記事の「今、国民はどんな政策を求めているのか」の記事では私の目から見た日本国民が求める政策の優先順位を書きましたが、今回はそうした国民のニーズに対して私個人が今政府に求める政策の優先順位案を紹介しようと思います。
 余計な前置きは一切いらないので、早速その順位を示すと以下の様になります。

一位、司法制度改革
二位、農業問題対策
三位、公務員制度改革
四位、税制改革
五位、財政再建


 こうして並び立てると、相変わらず自分は堅い性格をしているのだなと思わせられます。
 まず第一位に司法制度改革を持ってきたのは今だったら私も話しやすいのですが、日本の刑事裁判での有罪率は99.9%と、佐藤優氏に言わせると旧ソ連ですた達成できなかった輝かしい数字を誇るだけあって冤罪率が非常に高い傾向があります。今月に釈放された足利事件の菅家氏に始まり、映画「それでもボクはやっていない」にて取り上げられた痴漢冤罪など、日本は真っ当な一般市民をいとも簡単に犯罪者にしてしまう司法環境にあると言わざるを得ず、特に痴漢事件についてはその場で罰金を払えばそれで済むところを容疑を否認して裁判にすると長い間拘留された挙句に数年の懲役刑が課せられるなど明らかに刑罰のバランスが崩れています。また痴漢に限らず自動車の事故についても、飲酒をした上での危険運転致死傷罪よりもそのまま逃げてしまうひき逃げの方が刑罰が軽い今の状態では、同じ捕まるならひき逃げの方がという逃げ得を食い止めることは出来ません。

 またこれは欧米からの日本の評価としてよく聞く話ですが、日本は以前まで合法とされていた行為が突然予告なしに違法となって取り締まられるため、うかつに法を信用して行動することができないそうです。この例ではホリエモンが捕まったライブドア事件とその後に起きた日興コーディアル証券の事件が顕著で、どちらも同じ子会社との架空取引の計上という容疑でライブドアでは社長以下何人も逮捕されたのに対してライブドアより粉飾額の大きかった日興コーディアル証券では誰も逮捕されなかったという異例の結末を迎えています。

 元々、政治という言葉に使われる「政」という漢字は公正に物事を裁くという意味で、実際に古来では政治とは裁判をすることでした。よくバスケットボールでは「リバウンドを制する者はゲームを制す」といいますが、私は「信賞必罰を制するものは政治を制す」という信条があり、内外にはっきりと基準を示すことが政治において何よりも重要な行為だと考えています。その基準を示す上で最も重要な役どころにある司法が上述の通りに日本はガタガタで、この点をほかの何にも優先して叩き直すことが私は一番重要だと思っています。
 特に無辜の人間を取り締まる冤罪ほど社会の上で残酷な行為はないと私は考えています。

 次に第二位の農業問題ですが、これはタイムリミットが大分限られて来ていることから高い優先順位としました。日本の農業は20年前頃からおじいちゃんとおばあちゃんばかりがやっていると高齢化が懸念されましたが、20年経った今だとそのままおじいちゃんとおばあちゃんがスライドして年を取っただけで若年の農業就労者は一向に増えてきませんでした。
 これが何を表すのかというと、このまま行けばあと十年ほどで現役の農業就労者が一挙にいなくなり、日本の持つ農業技術と農地がそのまま受け継がれないまま自然消滅してしまう可能性があるということです。技術については言うまでも無いですが農地というのは常に手入れを入れなければならず、数年も放ってたりするとまた元の耕地にするまでに莫大な時間と労力がかかります。

 こうした事態を防ぐためにも今のうちに農業継承者を作る必要があり、たとえバラマキと揶揄されてでも私は生活保障などを盛り込んで国家の大事を為す食糧生産を守らねばならないということから、財政再建より高い二番目にこの農業問題を持ってきました。

 三位以下については前の記事でも少し触れているのでちょっと省略します。多分どれも解説を始めたらとんでもなく長くなりそうですし、税制改革についてはまた今度に個人寄付、献金の問題と合わせて書く予定がありますし、基本的にこの三つは同時平行で進めなければならない問題なので一個の問題ととってもよろしいでしょう。

 逆にランク外となった政策について、例えば前回の記事で国民が求めているであろう最たる政策として挙げた「年金問題」をここで私が挙げなかったのは、そもそもの話として私が年金を受け取るつもりがないし友人と同様にもらえないだろうと考えているからです。一応引退世代の何かの助けになればと今も私は年金を払っていますが、自分は元々20歳まで生きられれば御の字だと思っていたので65歳まで生きるなんて今でもとてもじゃないですが考えられません。こうした思想背景の周囲とのズレからランク外となりましたが、私からすると現代の若者が40年くらい先の収入について心配することの方が不思議でしょうがありません。まぁ社会保険庁のサボタージュは問題だとは思いますし、公務員制度の弊害の集大成ともいえるべきところなので改革する価値はあるとは思いますが。

2009年6月29日月曜日

今、国民はどんな政策を求めているのか

 昨日を以って事実上都議選前の解散総選挙は解散から選挙までを挟む日程の都合上なくなり、政治評論家の三宅久之氏に言わせると任期終了まで二ヶ月を切った選挙は任期切れとみなされることを考えると、麻生内閣はかつての三木内閣に続いて史上二度目の任期切れ解散内閣となることが確定しました。この時点においてはもはや首相の解散権は何の意味を持たなくなり、それゆえか自民党内の各議員らも「麻生降し」こと麻生氏の退任を公然と主張するようになってきており、私の目からしても何を以って党内を引き締めるのか手段が浮かばない状態にまで麻生首相は追い込まれています。

 そんな選挙間近のこの時期、週末は各政党の幹部がいろんなテレビに出ては各政策を強く訴えていましたが、そもそもの話で国民は一体どんな政策や課題の対処を求めているのか、そういった議論は残念ながら私には見えてきませんでした。それこそ各政党が主張している政策を片っ端から今挙げていくと、政治と金の問題、社会保障、経済問題、子育て支援などなど、どれもこれも政策ごとにばらばらで一体何を優先して取り組んでくれるのか、最低限なにだけをやってくれるのかがまだ見えてきません。
 あまり他の評論家の人たちはいいませんが、私は政策において「一体何を優先するのか」という優先順位や実行する順番というのが非常に重要だと思っております。

 一例を上げるとこれは民主党の主張ですが、財政再建をするに当たってまず国の無駄遣いを減らさなければならない。しかしその無駄遣いを無くそうにも天下り先を確保しようとする官僚たちは抵抗するので、まず公務員改革をしなければならず、公務員の人事制度などを変えてから財政問題に取り組もう、というような感じです。
 仮にこの順番が逆であると、歳出を減らそうとしても公務員の激しい抵抗にあって全く進まないばかりか政策が骨抜きになる可能性もある、っというかそうだったのがここ五年間の政治です。このように実行する順番をひとたび間違えると全く政治が動かないばかりか逆の結果を生んでしまいかねません。
 また政治の恩恵を受ける国民の側もあれこれ必要な政策をまとめて実行してくれるのなら文句なしですが、そんなのはGHQじゃないと無理なので具体的に何から実行してもらうか潜在的な政策の優先順位があり、政治家としてはその優先順位を機微に読み取ることが求められております。

 そこで今日はややおこがましいものの、私から見て今の日本国民がその実現性はともかくとして一体何から政治家に取り組んでもらいたいのか、私の視点から優先順位を予想してみようと思います。前置きが長いのでもうちゃっちゃと載せてしまいます。

・国民が求める政策の優先順位
一位、年金問題
二位、景気回復
三位、雇用問題
四位、財政再建
五位、汚職の解明


 あくまでこれは私の独断と偏見で持って、日頃のニュースの報道やそれに対する国民の反応を見て作った順位票なので、ゆめゆめ盲信しないようお願いします。
 まず一位はなんといっても年金問題で間違いないでしょう。この問題は老いも若きも揃って将来に対する大きな不安として抱えている問題で、選挙に対する影響も過去の安倍政権時の様子を見ていると圧倒的に高く、また問題が官僚の腐敗やサボタージュが大きく影響しているために深刻さで言っても文句なしにナンバーワンな課題です。

 二位の景気回復は次の三位の雇用問題とも関わってきますが、エコノミックアニマルと呼ばれるだけあって日本人の経済に対する執着心は何気に世界的に見ても異常に高い方でしょう。もっともそれは失職後の社会保障があまりにも不十分……といっては最近問題化しつつある生活給付の不正受給問題があるので、失職後の社会保障が複雑かつ不公平であるために経済問題と雇用に強く目が行くのは自然かもしれません。
 四位の財政再建はこれまで借金が膨らみつつものんきに構えていた日本人も、さすがに国債だけで一千兆円が見えてきた現在に至ってようやく意識が向いてきたような気がします。それこそかつてはタブーであった消費税増税についても私の見る限りかつて程の抵抗感が薄れ、「それが財政再建につながるのであれば」と肯定的な意見も目に見えて増えてきたことから四位にしました。

 最後五位の汚職の解明は本当はランク外でもよかったのですが、敢えて五位に入れました。この問題となると小沢一郎氏の西松事件が代表的ですが、私は割りと日本人はこういう点に対して忘れっぽいところがあると思うので、それこそ党首を代えても小沢の傀儡だとか問題に対して説明がなっていないと当初は言われたものの現在に至っては西松事件の続報を探すだけでも一苦労です。
 なおランク外の政策や課題をいくつか挙げると、外交や安全保障といったものがありますが、やっぱり内向きな正確なだけにあまりこういった分野に日本国民は興味がない気がします。それこそかつてのイラク戦争時であれば話は別ですが、今起きていることといえば北朝鮮問題くらいしかないし。

 今日の自民と民主の党首討論でも主に交わされたのは経済問題に対する言い合いでしたが、私は敢えてこの時期に「年金問題の完全解明」を強く主張した政党が選挙で有利になると思います。政策の中身も具体的かつわかりやすく、年金情報を不正にみたことのある旧社会保険庁職員(半数以上が見ていたそうだけど)は全員解雇するなど、割とねらい目な内容だと思うのですが。

  追記
 この記事を書き終えた後にSophieさんよりご指摘も受けましたが、すっかり少子化対策や教育問題、児童手当てといった子供の問題を入れるのを忘れていました。この問題は景気が悪化してから本格的に火が付いたことを考慮して、順位的には景気回復と雇用問題の間の2.5位くらいが適当だと考えています。

北京留学記~その三、中国の大学

 これからしばらく中国の大学についてあれこれ解説をしていきます。中国留学を考えている方にとっては非常に有益な情報となるので見ていて損はないでしょう。

 まず中国の大学にいえることはとにもかくにも大きいということです。そりゃ国土も人口もすべて日本の十倍以上なんだから当たり前といえば当たり前ですが、それを考慮しても日本の学生から見れば向こうの大学は大きいです。具体的に何が大きいかといえば敷地面積は言わずもがなで学内の施設や寮もたくさんあり、運動場もいっぱしの観戦試合とかも可能な位に大きいです。
 一言で言って中国では大学それ自体がひとつの街であり、学生と教員たちの経済圏として成立しています。居住者である学生や教員は学内の寮に常に千人単位で居住しており、その居住者相手に寮を含めた学内の各施設もそれぞれ独立して運営されています。

 一つ一つ例を挙げていくと日本の大きな大学同様にスーパーもあれば夜遅くまで開いているコンビニ店もあり、レストランも学生食堂のように安くて多く出るところもあれば値段が割高であれどもそこそこのパーティも出来そうなのもあり、韓国料理店やムスリム料理店といったエスニックレストランもありました。もちろん夜中でもやっているバーもあって、私はそこでロシア人にウォッカを飲まされたわけなのですが。
 これらはもちろん私のいた北京語言大学の例なので必ずしもどこも同じだとは言い切れませんが、少なくとも私が北京滞在中に見てきた各大学ではどこも似たようなもので上記のような店はありました。特に中国屈指の名門大学の北京大学に至れば売店はもはやデパートの売り場のようで、文房具からブランド品に至るまでなんでもかんでも揃っていて驚かされました。

 そんなわけなので、特に予定がなかったりすると二、三週間くらいは大学の敷地から一歩も出なくてもそれとなく過ごせてしまうため、春休みのように外が寒かったりするとまるで引きこもりのように寮の中でずっと過ごす時期もありました。もっとも学外からなかなか出ないのはなにも学内ですべて完結できてしまうほかにも、劣悪な北京の交通による影響も少なくありません。北京の交通の悪さについてはいくら北京を愛している中国人でもはっきりと「悪い」というくらいよくなく、ただでさえ人が多すぎるためにバスなり地下鉄なりを利用するとすぐにぎゅうぎゅうになって一回の外出で使うエネルギーは日本の比じゃありませんでした。タクシーを使うのならばそういうこともなくてごくごく楽に移動できるのですがお金もかかるのでそれほど乗り回す気にもなれず、そのため北京を観光し終わった後は無駄に体力を使わないために私はあまり外出する事はありませんでした。

2009年6月28日日曜日

北京留学記~その二、入寮~

 前回の記事では私の留学先の北京語言大学に着いた所まで書きましたが、今日はその後に行った入寮手続きの話を書きます。
 基本的に中国での外国人留学生は大学構内の寮に最初は住む事になります。これは学生の安全を確保すると共に大学側が外国人学生を管理する意味合いも込められていてかつては留学中の住居について選択の余地はなかったようなのですが、最近ではこの点については緩和されているので知人を頼っていきなり学外のアパートメントを借りることもできるようになっています。しかしそれでも大半の学生は最初に寮に住む事になるので、この入寮時に中国風手続きの洗礼も浴びることとなるのです。

 私は当初、留学先の北京語言大学は外国人に対して中国語を教える目的で作られたというだけあって外国人の多い大学だから、中国語ができなくとも英語ぐらいは通じるだろうという甘い期待を持っていたのですが、それは所詮は甘い期待だったと思い知らされたのがこの入寮手続きでした。
 私が入寮予定の寮にようやくたどり着いてみると、ちょうど新入生の入学シーズンともあって寮の受付はえらく込んでいました。前の人の手続きが終わって私の番になるといきなり受付の人に、「自分はこれこれこうで、入寮予定の者ですが」と英語で言ってみたのですがこれが全く通じず、しょうがないので日本で受け取っていた寮の手続き書類を見せるやひったくられるように取られて、その後は勝手に手続きを行ってもらいました。

 そうしてしばらく待っていると受付の人に番号札を渡され、まるで追い立てられるかのように受付から出されました。恐らくその番号の部屋が自分があてがわれた部屋なんだろうと考えてその部屋がある五階まで、エレベーターが無いので重たいスーツケースを抱えながら階段で向かってようやく着いてみると、なんとドアが開かない。この時点でようやく気が付いたのですが、まだ部屋の鍵を受け取っていませんでした。
 盗まれたら事なのでまた重たいスーツケースを抱えて一階へ行き、受付の人に向かって中国語ができないのでまた英語で、「ザ、ドアーワズロックド」と、鍵がロックされているくらいはわかるだろうと言ってみるのですがやはり通じず、たまたま近くにいた日本人留学生の方に私の意を翻訳してもらってようやく部屋のスペアキーを得ることが出来ました。

 元々寮の部屋の鍵は相部屋であっても二人で一つを共用して、最後に外出する一人が受付に渡して管理するというシステムなのですが、この時はたまたま相部屋の相手が当時は一人で部屋を借りていたために、このシステムを守らないで受付に鍵を預けずに外へ出ていたためにこんな妙な事が起きたわけです。スーツケースを抱えて五階まで一往復半もさせられた私からすると、そもそも鍵を一人ずつ持たせずに共用にするのが問題だし、それ以前に外国人留学生専用の寮なんだから簡単な英語くらいは理解してくれよというのが当時の素直な感想でした。

 なおほかの中国留学生の方のブログや掲示板のコメントを見ると大抵が私のように入寮時にいろいろと苦労をしているようで、これまた私と同じように既に留学して半年とか一年経っている人に助けてもらったという書き込みをよく見ます。そういう意味では最初に言ったように、留学生にとってこの入寮手続きが一つの洗礼に当たるのだと私は思うわけです。

私の歯について

 ちょっと古いニュースですが、中国でのニュースでこんなのが以前にありました。

中国、窓の鉄格子を歯で噛み切って侵入してた強盗(エルエル)

 いかにも中国らしいトンデモニュースで素晴らしいのですが、このニュース記事の中で以下の記述に私は注目してしまいました。

「彼は山間部の村で育ち、固いクルミの実を歯で割っている内に現在のように鋭く強靱な歯に育ったと話したそうです。」

 そりゃ鉄格子を歯で噛み切るくらいなんだからクルミくらい平気で当たり前なのでしょうが、実を言うと私もクルミの殻を歯で割ることが出来ます。おなじクルミ系の話題だと今は無き韓国ノムヒョン前大統領が祝賀会かなにかでクルミの殻を歯で割ろうとしてネットニュースで笑われていましたが、見ている私からすると「なにがおかしいの」と当時思ってました。

 これは今絶賛連載中の「中国留学記」でもいずれ書くことになる、私の相部屋相手だったルーマニア人のドゥーフェイがある日クルミを買ってきて私にも分けてくれました。そのドゥーフェイは机の角でクルミを叩き割るところを私はいつもどおりに口の中に入れて歯で噛み割ったら、「おい、歯とか大丈夫なの?」とわざわざ心配して聞いてきました。当の私はというとクルミは歯で割るのが自然だと思っていたので、「何をそんなに驚くの?」というような感じで聞き返しましたが、後でいろいろ聞きまわったらやっぱり私の方が少数派だということがわかりました。
 さすがに鉄格子にまでチャレンジするつもりはありませんが、私の歯は至極丈夫なようです。

ドラゴンクエスト6での不可思議現象

 「ドラゴンクエストシリーズ」といえば日本人なら知らない人はほとんどいないとまで言われるゲームシリーズですが、このシリーズでの「ドラゴンクエスト6」では3にあったダーマ神殿による転職システム、5にあったモンスターを仲間にする二つのシステムが実装されていました。私としては各キャラクターに個性のあった5の方が好きだったのですが6の転職システムによって基本的にどの特技、呪文も一人のキャラクターが覚えることが出来るようになって、そのせいかこの6は私の中ではあまり評価の高くない作品です。

 しかしその一方、誰でもどんな特技と呪文を覚えられるということからこの6ではいろいろと面白い現象を確認することが出来ました。その代表例とも言えるのが、スライムによる特技です。この6が出た当時に小学生であった私たちの間では、人間キャラでも「どくのいき」とか使えるというのはなんだかおかしいよねと言い合っていたのですが、こうして年を取った後になると人間キャラ以上にスライムの特技の方が気になるようになってきました。

 まず一番不思議なのは、スライムによる「せいけんづき」です。この「せいけんづき」を使用した際に戦闘画面に出てくるメッセージというのは、

「スライムはこしをふかくおとし、せいけんづきをはなった」

 こんな具合なのですが、見ているこっちからすると「スライムに腰? そもそもどうやって殴るの?(゚Д゚;)」と意識してみると結構頭を抱える内容です。
 やはり一頭身キャラクターゆえか、格闘系の特技をスライムが使うと次々と齟齬が生まれてくるため、このほかにも「まわしげり」や「とびひざげり」など考えれば考えるほど悩んでしまう特技がたくさんありました。また格闘系にかぎらず「いてつくはどう」でも、

「スライムはゆびさきからいてつくはどうをはなった」


 などと、どこに指があるのか体の部位を考えてしまうメッセージが次から次へと生まれていきました。ただこういうのもなんですがいちいち細かく作ってもしょうがないですし、こういうメッセージを敢えて変えずに他のキャラクターと共通のメッセージを出すというのはかえっていいと思います。
 このドラクエ6と同じように共通メッセージゆえにおかしな内容が出てくるほかの例では、こちらも有名なの「信長の野望シリーズ」における親から子への教育メッセージがあります。

 このシリーズでは大名の子供が同じ城などにいる際に起こる親子の指導イベントというものがあり、そのイベントでは講義中にトイレのために席を立った子供に対して、「天下国家のための講義をしている最中に席など立つな、尿など漏らしてしまえ(゚Д゚)!!」と叱るメッセージが出てくるのですが、このシリーズでは定期的に大名の娘が成人してきて、外交道具として使うか、他の武将と同じく戦ったりできる「姫武将」として使うかが選択できます。それで仮に娘を「姫武将」として使っていると、他の息子同様に先ほどの指導イベントが起こるというわけで、

「席など立つな、尿など漏らしてしまえ(゚Д゚)!!」
「えっ……ちょっと女の子には厳し過ぎない(゚Д゚;)?」


 信長の野望をやってる最中に全く意図せず出てきたこのメッセージを見たとき、リアルに顔文字のような顔になりました。

2009年6月27日土曜日

北京留学記~その一、北京到着~

 ついにこいつを出す日が来ました。
 今日から超大型連載として、私の中国留学記をこのブログで連載して行きます。留学記自体は帰国後に既に書いていたのですが内容には自信があるものの、これまであまりおおっぴらに公表したりせず親父と中国語の恩師、そして何故かうちの会社の役員にだけしか見せていませんでした。このブログを始めた当初もメインコンテンツとしてすぐに公表するべきかとも考えたのですが何故だか決心がつかなくこれまでずるずると伸び、最終的に今週に至り踏ん切りがつく形で連載を決めました。
 基本的に文章は出来上がっていて後はブログの文体に合わせてちょちょっと手を加える程度なので恐らくはこれから毎日更新していけると思います。そういうわけで2005年9月から2006年7月までの私の中国留学記、どうぞご覧ください。まず一発目は北京に到着した日の出来事です。


 成田から飛び立ち約三時間、今まで行った事のあるどの国よりもフライト時間の短い移動で2006年8月30日、中国北京にある首都国際空港に私は到着しました。お袋の実家のある鹿児島県まで約二時間ということを考えるとこの短さではほとんど国内を旅行しているような気分でしたが、ところがどっこい行き先は海外でしかも中国。これは後付けですが、今まで行ったことのあるどの国よりも英語が通じない国です。留学するとはいえ私が中国語を習っていたのは大学での週三の授業だけで、果たしてこれで中国現地でやっていけるのかと不安は全く無かったといえば嘘になります。

 そんな不安いっぱいの行きの飛行機の中でたまたま私の隣に座っていたのは二十台ぐらいの中国人男性で、しかも当時の私のホームグラウンドである京都に留学していた方でした。留学するもんだからもちろんその人は日本語がペラペラで、話を聞くとなんでも仕事の通訳で日本に来ていてその帰りだったそうです。私がこれから留学に行くことを伝えるといろいろと話が弾んで空港に着くまで雑談を続けたのですが、彼の話で聞いてて面白かったのは、「中国人と大阪人はよく似ている」といった分析でした。
 というのも騒がしい性格、と書くとあちこちから文句が来そうなので、開放的な性格、標準よりやや大きな声、物事にあれこれ首を突っ込みたがるところなどが大阪人と中国人でそっくりだと言っており、留学を終えた今になってみると私もおもわずうなずいてしまうような鋭い分析です。

 そうこうしている内に飛行機は空港に到着し、正直言って恥ずかしい話なので載っけるべきかどうか少し悩みましたが隠すよりネタにしたほうが絶対いいのでこの際書いてしまいますが、ついて早々いきなり偽タクシーに捕まってしまいました。ほんとに恥ずかしい限りなのですが、タクシーを捜すのが面倒くさくてガイドブックにも注意するようにと書いてあったのに呼び込みタクシーに対し、この際これでもいいかとほいほいと乗り込んでしまいました。
 まぁいざ法外な料金を要求されれば「警察まで」と頼めばなんとかなるだろうと考え、そのまま私の留学先である北京語言大学まで行ってもらったのですが案の定、空港から市内まで相場が百元(1500円)のところを四百元(6000円)を要求されてさすがに殴り合いになるという雰囲気こそなかったのですが、お互いに自分の提示する額を言い合って長々と口喧嘩をしてしまいました。当時は全然中国語ができない状態だったので一方的に英語でこっちは文句を言い、また向こうは向こうでこっちのわからない中国語でまくし立てる始末でした。

 その後30分くらい互いに言い合いを続けて最終的に日中間でも使えるということで持参してきたNOKIAの携帯電話を見せたところ急に相手が大人しくなり、四百元のところを三百元まで要求額を下げてきたところで私も首を頷きました。もっともこの時のの件は非常に反省点の多い失敗で、自分から寄って来る怪しいのを相手にしたことや変に妥協してしまうのは後悔が募るということをまず学びました。
 ちなみにその後留学中に他の外国人学生に話を聞いてみるとほかのみんなも大抵同じような経験をしており、ひどい場合では1000元(15000円)位も取られている留学生までいました。

 そんなこんなでしょっぱなから波乱含みの留学生活でしたが、留学を終えた今だと「まぁたくさんあるうちの一つだよね」と思えてしまいます。もう四年も前の留学体験ですが、書いていてまだ昨日のように思い出せるというのは本当に貴重な体験が出来たからだという気がします。

2009年6月26日金曜日

DAIGO氏と小泉孝太郎氏を比較して

 最近政治家の世襲問題がとみに議論されるようになり、今週の「テレビタックル」でもこれが主題となって議論が交わされました。なおこの時に出てきた岡野工業の社長は見ていて非常に面白かったです。

 この時に議論された世襲というのは言うまでも無く政治家の世襲問題についてで、私や「フランスの日々」のSopiheさんも揃って以前から取り上げていましたが、ふとこのまえに同じ政治家の子弟でありながら似たような経歴を辿りつつスタート時に明確に差を分けた二人の人物がいることに気がつきました。その二人の人物というのも、竹下登元総理の孫でミュージシャンのDAIGO氏と、小泉元首相の息子で俳優の小泉孝太郎氏です。何気にこの二人、同い年です。

 二人とも元総理という超弩級の血筋の良さで現在テレビの露出も多くて芸能人としては成功している部類の人物たちですが、何が決定的に違うのかというと自分が総理の血縁者であることをカミングアウトした時期です。小泉孝太郎氏は芸能界デビューをする際に自ら当時現役であった小泉元首相の息子であることを隠さずにいたことから当初より話題性もあり、デビューするや瞬く間にテレビ出演やコマーシャルの出演が決まったのに対し、DAIGO氏の方はデビュー時は思うところもあって竹下下総理の孫ということを敢えて隠して活動を始めたところやっぱり泣かず飛ばずだったそうで、前にトーク番組にて、

「自分も結構前から活動してるんですけどぉ、おじいちゃん(竹下元総理)の孫だと言い始めた去年から急に売れ始めて、今までの自分の活動ってなんだったんだろうなぁって思うんすよぉ」

 DAIGO氏が自分が総理の血縁者であることを隠していた理由については、やはり祖父の知名度に頼らず自分の実力でのし上がっていきたいという思惑があったそうなのですがやっぱりそうもうまくはいかなかったようです。一方、いきなりデビュー時にカミングアウトした小泉孝太郎氏の方はというと、私の記憶する限りいろいろと賛否両論の意見があったように思います。

 これは当時の北野たけし氏の発言ですが、「実力が無ければ芸能界ではやっていけないのだから、ひとまず活動をして十分に売れ始めてからカミングアウトしても遅くないのに、初めから総理の息子だと言ってデビューするのはどんなもんだ」などという感じで真っ向から批判していました。もっとも北野氏は自分の娘が歌手デビューする際にわざわざプロモーションビデオに出演するほどの熱の入れようでしたが。

 こうした意見が小泉孝太郎氏のデビュー時に出てきたことを考えると、あながちDAIGO氏が隠そうとしたのも無理ないでしょう。ただこの辺の問題についての私の意見はというと、芸能界においては自分の知名度向上につながるのであれば別に隠すことなく、使えるものはどんどんと使っていくべきなんじゃないかと思います。
 そう私が考えるのも、芸能界は実力主義の世界だからです。芸能人は常にテレビや映画などで自らを露出するために実力があるかないか、売れるか売れないかが比較的わかりやすく、また売れる人間の下で実力を問わずに大量の売れない人間がいる状況下で芸能人たちも自分たちを常に必死でアピールしており、一部の女性芸能人に至っては自らスキャンダルを起こすことで露出を増やそうとする人までいる程です。

 実力があっても綾小路きみまろ氏のように長い間売れなかったのを考えると、自分を売り出す一つのきっかけとして総理の血縁者であるとPRするのは決してアンフェアなことだとは思いません。仮にそれで売れるようになったとしても、その後視聴率が取れないなど実力が追いつかなければ自然と淘汰されて消えていってしまうのが芸能界なので、DAIGO氏に対しては「無理しなくてもよかったのに(ノД`)」というのが私の感想です。

 なおこれは逆に言えば実力があるかどうか分からない、分かり辛い業界では話は違うということです。そんな業界はどこかって言えばもうわかっているでしょうけど、政界のことで政治家の世襲です。
 私もまだまだ未熟ですが、私の周囲の人間からするとどの政治家がどんな政策やどんな考え方、果てにはどんな政治的功績があるのか皆目つかないそうです。実際に政治を真剣に勉強している人以外でどの政治家が優秀で立派なのかは判断するのは難しいでしょうし、そんな状況だからこそ世襲が大きく影響する知名度が選挙に与える影響はあまりにも強すぎると言わざるを得ません。
 実力が分かり辛い業界だからこそ余計な要素を排除する。それが私が世襲を批判する一つの理由です。

検察審査会と二階大臣の西松事件について

「日本の検察は捜査権と訴訟件という二つの大きな大権を独占している。少なくとも、捜査権だけでも彼らから取り上げなければいけない」

 上記の発言をしたのは元ライブドアの社長の堀江貴文氏で、彼は自分の体験から日本の検察が恣意的な捜査を行っていることに対して自著にて激しく非難しております。
 現在、日本の刑事裁判は検察による起訴が行わなければ開かれることはありません。これは逆に言えば検察が自分らにとって都合の悪い案件などに対しても自分たちが起訴さえ行わなければ一切裁判を開かせず、被告となる人物にも刑罰を加えさせずにいられるということです。

 改めてこういう風に書くと検察というのはものすごい力を持っている組織だと思えてきます。実際にこれは関東の人にはなじみが薄いのですが、関西では民放などでよく取り上げられている元検察官の三井環氏のケースがあり、彼が検察内部で調査活動費の名目で裏金を作っていることを民放の番組に出演して暴露しようとするや、その収録直前に突然逮捕されて結局告発することが出来ずに終わってしまいました。逮捕容疑も、聞いててなんだかよくわからない内容だし。

 そんな検察に対してこのところ私が一番不満に感じているのは西松建設事件についての対応です。この事件では何の前触れも無く民主党の当時の代表であった小沢一郎氏の秘書が不正な手段による政治献金を受けていたとの事で逮捕されましたが、突っ込みどころを一気に並べ立てると、

・何故献金を受けた小沢氏本人ではなく会計責任者とはいえ秘書を逮捕したのか
・何故逮捕前に事情聴取がなかったのか(この手の事件では前例が無い)
・何故同じ団体から献金を受けていたほかの自民党の議員らについては捜査をしないのか
・何故秘書が容疑を否認しているにもかかわらず、認めたとの情報をNHKにリークしたのか
・何故別団体から同じ迂回献金を受けていた与謝野大臣らの秘書をいきなり逮捕しないのか

 ざっと、こんなもんです。こうして挙げてみると本当にたくさんありますね。
 そんな私にとって憤懣やるかたない検察に対して、これはつい先週に初めて知ったのですが一般市民が検察の訴追について意見を申し立てる機関があったそうなのです。その名も「検察審査会」です。

 この検察審査会というのは、なんかウィキペディアでは「くじで選ばれる」と書いてはありますが具体的な選出方法はわからないのですが、一般市民から選出された委員によって構成され検察が不起訴とした案件に対して不服を申し立てる者が現れた際に、検察が不起訴とした判断が適切であるかどうかを審議して多数決にて出した結論を検察に勧告する機関です。
 この検察審査会が設置された背景には市民と検察の間で訴追に対して大きな溝を作らせないためなのですが、お世辞にもまともに機能しているとは言い難い状況でした。というのもこの審査会が検察の不起訴とした判断を適当だったという結論が出た場合は「不起訴相当」、不適当だった場合には「不起訴不当」、もしくは「起訴相当」という議決を行うのですが、後者二つの不適当という議決が出たにもかかわらずここ数年の実績ではその後に起訴されたのはたったの約二、三割だったそうです。

 これでは何のために審査会があるのかという方々からの指摘を受け、実はつい最近の先月五月二十一日に一部法改正されて「起訴相当」が二回も出た案件に対しては検察の意図に関わらず必ず裁判が開かれるように権限が強められました。この流れを受けてか、検察もこの審査会の議決を重く受け止めるようになったのかと思わせられたのが以下のニュースです。

二階派パーティー券購入問題、西松元社長を起訴(YAHOOニュース)

 これは小沢氏の秘書が逮捕されるきっかけとなった迂回献金を行っていた西松建設の団体が、現二階経済産業担当大臣の政治資金集めのためのパーティー券を購入していた容疑について東京第三検察審査会が「起訴相当」という議決を出したことから、当初起訴が見送られていた西松建設元社長に対して本日検察が起訴を行ったというニュースです。こういうのもなんですが何故検察が不起訴としたのかも全く以って理解し難かっただけに、検察審査会がきちんと機能するのだと驚きとともにちょっと前途に希望を覚えました。
 元々私がこの検察審査会を知るきっかけとなったのは先週にまさにこの東京第三検察審査会が今回の案件について「起訴相当」という議決を出したことを報じたニュースからで、昨日あたりにでも審査会についての解説記事を書こうと思っていたらカルテルの記事を書かなければいけなくなって、今日は書くぞと思っていた矢先に先ほどの起訴のニュースがきて非常にタイミングのいい記事となりました。

 私はやっぱり今の検察の恣意的な捜査方法には疑問を感じることが多いので、今後もこれらの審査会が十分に機能することを陰ながら応援していこうと思います。

2009年6月25日木曜日

課徴金減免制度について

3社に百数十億円の課徴金命令へ 鋼板カルテルで公取委(asahi.com)

 この際無視しようかとも思いましたが、乗りかかった船なのでちゃんと最後までこのニュースを取り上げておくことにします。
 以前にこのブログで「カルテル連続摘発の報道について」という記事を去年の十一月に書いておりますが、上記のリンクに貼ったニュース記事で取り上げられている事件というのがまさに当時に私が取り上げた事件です。

 事件の内容は前の記事でも書いてあるように、JFE鋼板、日鉄住金鋼板、日新製鋼、淀川製鋼所の四社が談合で以って亜鉛めっき鋼板の値上げを揃って実施するカルテル行為を行った容疑がかかり、今回その容疑に疑いがないと判断した公正取引委員会がJFE鋼板を除く三社に制裁として課徴金を課したというのが今回の報道ですが、その課徴金の金額というのが三社合計でなんと百億円を越えるという過去最大の金額となりました。

 それにしても前回の記事を書いた頃の去年後半は本当にこれでもかというくらいに国内外を問わずにカルテルが摘発され、しかもその課徴金や制裁金額はそれこそ前代未聞ともいえる額ばかりでした。どうしてこれほどカルテルがこの時期に集中的に摘発されたのかについては当時の別の記事などでも書いてありますが、不況期で実態経済に与える影響が少ないと判断した各組織が今のうちに膿を取っておこうと一斉に動いたとか、不況になったせいでいろいろとほころびが見えてきたからとか私なりに推理しましたが、近年日本で相次いでいるカルテル摘発については大分理由が見えてきて、その理由というのもカルテルを出し抜けた企業を優遇する、課徴金減免制度にあると思います。

 今回の鋼板カルテル摘発事件では課徴金が課された上記三社以外にもJFE鋼板も加わっていたようなのですが、JFE鋼板は真っ先に公正取引委員会にカルテルを行っていた事実と一緒に加わっていた企業を報告して捜査に協力したということで、なんと他の三社がそれぞれ数十億円もの課徴金を課されているのに対して課徴金の全額免除という優遇を受けております。この課徴金減免制度というのは上記のリンク先にある公正取引委員会のページでも紹介されているように、事件が非常に発覚しづらいカルテル事件に対して捜査に協力的な企業を優遇することで言うなれば出し抜けを誘引させ、捜査や摘発を円滑に行う目的で導入された制度です。

 この制度は比較的新しい制度なのですが欧米では大分前から実施されて実績も上がっていたことから日本でも導入されたのですが、導入当初に私や友人らはなかなかいい制度だしすぐに効果を挙げるのではと思っていましたが、実際に今回の事件ではこの制度が大きく働いて解明につながったのではないかと思います。カルテルというのはそれこそ口約束で実行されてしまえば証拠というものが無く、たとえ一社が摘発されても他の会社が「知らないよ」といってしまえば捜査がそこで止まってしまうこともありえます。
 それに対してこの制度は最初に通報した第一社だけでなく、続いてカルテルを認めた二社、三社も課徴金額を減免し、最終的に最も認めることを渋った企業が一番多くの課徴金を支払うこととなるので一度カルテルが発覚するやそれこそ芋づる式に関係企業が自白していきます。

 今回の事件もこれが如何なく発揮されたようで課徴金の内訳は課された三社それぞれ違っているらしく、きちんと狙い通りに制度が機能したのは日本の制度としてはかなり珍しいでしょう。元々公正取引委員会は公的組織としてはやけに真面目でおふざけがない組織として有名ですし、今後ともこの制度がうまく運用されることを影ながら願っております。
 ついでに書いておくと、シャッターカルテルもそろそろ決着がつくのかな。

2009年6月24日水曜日

与謝野、渡辺議員への迂回献金疑惑について

迂回献金 先物会社が与謝野氏、渡辺喜氏に ダミー通じ(YAHOOニュース)

 本日自民党の与謝野馨、渡辺喜美議員に対して上記のリンクに貼ったニュースで報道されているように、政治団体としながらも実態は複数私企業のダミー団体であった「政経政策研究会」より献金を受けていたと、事実上小沢一郎氏が民主党代表を辞任するきっかけとなった迂回献金を受けていたことが明らかになりました。なおかつこの両氏に迂回献金を行っていたのは「オリエント貿易」をはじめとした先物取引をやっている会社とのことで、いかにも迂回献金をやってくれそうな会社だったそうです。
 結論から先に言うと、今回のこの報道を受け私が思ったのは当たり前の事実が明らかになっただけで何を今更、ってところです。

 私は先の西松建設事件の際にもこのブログにて何度もこの様な迂回献金はどこもやっているもので、もし小沢氏をこれで追及しようものなら政治献金自体をすべてなくさなければならなくなると主張していましたが、ようやく今回こうして別のケースが見つかったのでさもありなんと思ったのがさっきの感想につながりました。元々日本は政治家への個人献金が非常に少ない国で、政治家がたくさんお金がかかる政治活動をしようものなら企業からの政治献金に頼らざるを得ない環境にあります。これは逆に言えば有志個人が運営する政治団体が数百万もの献金を毎年行える力はほぼ無いということで、政治家へと献金している政治団体は基本的にはどっかの企業なり何なりの下部組織と見て間違いないということで、つまりは国会議員クラスでは大半の政治家がこうした迂回献金をもらっていて当たり前だということです。
 まぁ共産党はその辺の規定がいろいろ細かいのでもしかしたら本当に一銭たりとも企業献金は受けていないのかもしれませんが、筆坂秀世氏によるとその分政治家、党員揃ってやっぱり貧乏だそうです。

 なので西松建設事件の際に一部の週刊誌が、「それなら議員すべてを検察は逮捕する気なのか」という記事を書いていましたが、言われることその通りでもし小沢氏の秘書をあの程度の証拠と容疑で逮捕するというのなら恐らくほぼすべての議員が国会からいなくなるでしょう。
 今回のこの報道を受けて与謝野氏は正統な手続きを経て行われた献金だから問題ないと発言しましたが、小沢氏とまんま同じ言い訳だったのでいろいろと笑わさせられましたが、選挙前のこの時期に民主党らがどれだけこの問題を追求できるか、検察の恣意的な捜査を国民に認知させらるかが一つの争点でしょう。

 ちなみに私は企業の政治献金は別にあったっていいと思います。もちろんそれが利権や談合に絡むのなら話は別ですが、佐藤優氏が大分前の著書にて彼と共に逮捕された商社社員に逮捕される前にこう話しております。

「自分たち外交官が外国の人間と交渉する時に何が一番武器になるかといったら、それはやっぱり日本の経済力なんです。外国の譲歩を日本が引き出すのは経済援助なり技術提供なりといった日本企業が持っているものがほとんどで、いわば企業によってこの国の外交は作られているといっても過言じゃありません。だからそうして日本に貢献している企業が自分らの思惑に近い政策を持っている議員を応援するのはごく自然なことだと思いますよ」

 確か「国家の罠」の中でこんな内容の言葉があったと思いますが言われてみるとそんな気がして、日本が先進国であるのは私はやっぱり政府の力というより民間企業の努力によるものだと思います。そんな企業が一方的に国に税金を取られるくらいならまだ応援する政治家に、たとえその政治家が世間一般で悪人とされる政治家といえども献金するのをさえぎるべきではないのではないかと、この佐藤氏の言葉で思うようになりました。

 ちょうど西松建設の事件でも先週に動きがあったので、明日その辺りを書こうと思います。ちょっと今週金曜に資格試験があるのでさすがに勉強しなきゃいけないのでまとめてかけませんが、その分土曜から大型連載を今準備しております。その連載は絶対にいい内容になる自信があるので、土曜以降にまた期待してください。

2009年6月23日火曜日

保健室のおじさんは成り立つのか?

保険師(ウィキペディア)

 保健室のおばさんというと、昼ドラでは探偵だったりトレンディドラマではセクシーなお姉さんだったり、果てにはSFものでは魔法使いだったりと実に八面六臂の活躍をしてくれるキャラクターです。この保健室のおばさんの正式名称は上記のリンクに張ってあるように「保険師」といって、小中高校に限らず自治体などの診療所や保健所などでも活躍なされる職業です。

 ただこの「保険師」という職業、元の名称が「保健婦」というだけあって昔から女性に多い職業で、最近では男性でも取れる資格となったようですがそれでも大半が女性で占められております。なんでこの職業に女性が多いのかこの前一人で考えたところ、やっぱり小中高校では女子生徒が多くいて非常にナイーブな年頃ゆえにその健康相談は同じ女性がやった方がいいというのが理由なんじゃないかと勝手に考えました。実際に生理などで体調不良となった女子生徒を男性がカバーするのは大変そうですし、女子生徒の側も抵抗感を覚えることが予想されます。
 そんな風に考えてたら、不意にある発想が閃きました。

「そうだ、ならオカマの保険師だったら問題ないじゃん」

 なんでこんな発想になったのかわかりませんが、きちんと専門知識を持っていればオカマの人なら保険師として女子生徒の対応もやってけて、これまでの「保健室のおばさん」に対して「保健室のおじさん」というキャラが立つんじゃないかと思って早速うちのお袋にも話をしてみたのですが、

「オカマの保険師だと、今度は男子生徒の方が危ないじゃない」

 と言われて、確かにその通りだと納得させられました。
 この過程をこの前友人に話したところ、その友人はおもむろに、「実際保険師はともかく、オカマの介護士はすごい活躍が期待できるんだけどなぁ」と返してきました。その友人が言うにはオカマの方なら男性並の筋力でなおかつ女性の細やかさを持っていることから介護の現場にまさにうってつけなんじゃないかと考えているそうです。
 なんていうか、性のハイブリッドは実現するのか難しい問題です。

東国原知事の出馬要請に対する返答について

衆院選出馬要請に東国原知事「自民総裁にするなら」(YAHOOニュース)

 リンク先のニュースにあるように、本日自民党の古賀議員がお茶の間にも有名な元そのまんま東こと東国原知事へ次期衆院選へ自民党候補として出馬を打診したところ、知事は次期総裁選の候補にしてくれるのであれば出馬すると返事をしました。知事のこの大胆な発言に、今日はたまたま夕方は家にいたので六時からニュースを見ていましたが、全局揃ってこのニュースをトップに持ってきておりました。

 で、この知事の発言に対する全局の報道はというと、私の見た感じ「総理にでもしてくれるのであれば自民党の候補として出てやるよ」と東国原知事が言ったなどとして、一体いつから総理の座を狙うようになったのかなどと知事の野心をあれこれ言うような解説が目立ちましたが、私のこの発言の解釈はというとちょっとこういったものとは違っています。
 では私の解釈はどんなものかというと、自分でもやや好意的過ぎる解釈かもしれないと思いつつも恐らく東国原知事は自民党に対して変革を迫ったのだと思います。自分がただの人気取りのタレント候補ではなく自身が持つ政策や実行力といった政治家としての資質で候補にしろということを言うために、実際に選ばれて総理になるかどうかは別として自民党総裁選の候補をやらせろと言ったのだと思います。なおかつ仮に選挙に出て当選したところで数合わせの議員では意味が無く、自分が持つ政策をきちんと反映、実行する担保としてもこの発言につながったのではないかと見ております。

 逆を言えば、数合わせのタレント候補として出馬させるの願い下げで、なおかつきちんと自分の政策を実行するという確約をしてくれないのであれば出ない、派閥の論理で決まるような現在の状態からそのような政党へと自民党は変わらないともう駄目だよということを言わんがために、東国原知事は無理難題を言うような形を取って出馬要請を断ったのじゃないかというのが、私の解釈です。
 となると気になるのが次の選挙で東国原知事が出馬しなかった場合、どの政党を応援するかです。橋本大阪府知事などは選挙前に支持政党をはっきりと宣言すると言っておりますが、東国原知事もその人気を考えればどの政党からも応援要請がくるでしょう。もっとも今回の騒動を見る限り、大体予想がつきますが。

2009年6月22日月曜日

刑罰の正義

 ちょっと今日は時間がないので簡単な記事にまとめようと思っているのですが、高校時代にクラスで授業の一環としてスピーチを行ったことがあり、その際にある男子生徒が中国で揚げパンに毒を入れて十人以上が死んだ事件の犯人を捕まえてから約二週間で死刑を執行した中国に対して、「なんかいいなぁって思いました」と、数十秒のスピーチがありました。

 私はこのブログで何度も書いているように死刑に対しては一応は廃立派なのですが、この男子生徒の言わんとすることもなんとなくわかる気もします。これなんか以前から問題視されていますが日本の裁判は明らかにその容疑者が犯人だとわかっていながらも、オウム事件の麻原死刑囚のようになかなか刑が執行されないばかりか裁判も遅々として進みません。これでは一体なにが制裁になるのか、こうした裁判に意味があるのかと思うことがあり、それでおきながら足利事件のように冤罪を生んでしまう日本の裁判は江戸時代の大岡裁判にすら劣るのではないかという気がします。

 なお死刑事件における唯一の例外ともいえるのが、大阪府池田小での事件を起こした宅間守の例です。これは本人の希望もあって異例とも言えるスピード執行でしたが、この事件に対して以前に友人と、どんなに厳しい刑罰を以ってしてもこの宅間のように犯人に開き直られたら法というものはとても無力だと、何度も考えさせられた事件でした。

2009年6月21日日曜日

「真相報道 バンキシャ」が何で続くの?

 最近私がとみに不思議に思うこととして、今日もやっていた毎週日曜に放送される日本テレビ系テレビ番組「真相報道バンキシャ」が何故未だに放送されるのかという疑問があります。この番組はこれまでにも何度も、しかも報道番組としては致命的ともいえるような不祥事を引き起こしており、にもかかわらず放送打ち切りにならないのかが不思議でしょうがありません。

 この番組のこれまでに起こした不祥事は先ほどリンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえればざっと一覧できますが、その中でも最も新しくかつ問題性の大きい不祥事として去年の十一月に放送された岐阜県内の裏金疑惑の誤報事件があります。これは岐阜県庁が架空の道路工事を発注して裏金を作っていたという証言を紹介してそのまんま岐阜県を裏金疑惑で告発するような番組内容だったのですが、結論から言うとこの裏金疑惑はすべてがすべて垂れ込んだ人間の報酬目当ての虚言であり、証言者の証言内容や経歴を一切調べないまま放送して岐阜県に対してあらぬ疑いを作ってしまったという不祥事です。
 元々この証言者は過去にも似たようなことを何度もやっており放送前のチェックで如何様にもこの様な事態は避けることが出来たはずなのですが、そのような最低限のチェックすら報道番組でありながらできていなかったようで、問題の重大さから今年三月に謝罪放送を行ったばかりかそのまま日テレの社長が引責辞任をすることとなりました。

 また今回の事件に限らずウィキペディアの中に載っていない過去の不祥事として、男子ゴルフ界の期待の新星の石川遼選手がテレビに出始めた頃、何を思ったかこの番組の取材班はゴルフ大会にて石川選手と同じ組となった選手にマイクをつけさせてもらって石川選手の発言を録音しようとして見つかった事件もありました。この取材では被取材者である石川選手には何の許可も取っておらず言うなれば隠し撮りともいえる問題性の高い不祥事で、司会の福澤朗氏も場合によっては自分が責任を取る(司会を降りる)とまで言ったのですが、私にすればその後も何の反省も見られないほど不祥事が連発されております。

 それで何が一番不思議なのかというと、この番組は先ほどの岐阜県の裏金疑惑誤報事件の際の責任として日テレの社長の首まで飛んでいるのですが、何故だが問題を起こした番組自体は打ち切りになる気配も見せずに未だに放映され続けている点です。普通あれだけの不祥事を起こせば中身はともかく見てくれだけでも番組改変をするようなものなのですがこのバンキシャには一切そういうものがなく、状況的に言うのならこの番組を潰すことよりも日テレの社長の首のが軽かったという様にも見えます。一体この番組のどこにそれだけの力があるのか、それががわからないのです。

 もしかしたら社長の首を切ってまでも維持したいほどの視聴率を取っているからかもしれませんが、かと言ったってそれなら石川選手の事件の際の福澤氏の発言はどうなるのとか思ってしまいますし、いろいろ考えたら切りがなくてバラエティにほとんど出演しなくなった菊川怜がまだ出続けているからそれ関係のコネとか、誰かの肝いりが働いてるのか考えてしまいますが、私としたらこの番組は早くに潰すべきだと思います。でなければまたこういう不祥事を起こす可能性があると思いますし、なにより番組内容自体が前からつまらなかったので出来ればもっと面白い番組をあの時間帯に個人的に入れてもらいたいものです。

2009年6月20日土曜日

琵琶湖自転車一周苦行の旅

「オッス、オラ悟空。いっちょやってみっか!」

 冗談のように聞こえるかもしれませんが、本当にこんなノリで私は琵琶湖一周に挑戦するのを決心しました。
 今から二年前の七月中頃、当時に抱えていた厄介事が一段落してしばらく予定らしい予定も無かったことから、前々からやりたかった関西地域の自転車乗りにとってひときわ大きなステイタスとなっている琵琶湖一周にこの際挑戦してみようと思ったのです。以前に書いた「房総半島自転車一周地獄の旅」の記事が意外に好評で昨日に友人からもこの琵琶湖一周についても書いてみた方がいいと薦められたので、昨日休んだ分を取り返すつもりで今日はこの時の事を書こうと思います。

 さてこの琵琶湖一周ですが、自分で自転車乗りとか言っておきながら実際にはペーペーの素人の私なもんだからこの時の計画もかなりの無茶振りでした。もっともそれまでの一日の総走行距離の最高記録は京都から信楽までの片道30キロ、往復で60キロだったのに対し、この琵琶湖一周は簡単にネットで調べてみると諸説入り乱れながらも約180キロとの事で、これまでにない長距離だったこともあって一応やれる程度の準備は行っていました。

 まず使用自転車ですが、これは当時に京都市内を飛び回るのに使っていたシティサイクルをそのまま使うことにしました。この自転車は価格にして約24,000円でギアも上中下の三段ではっきり言って琵琶湖一周をやろうとするには明らかに貧弱な自転車でしたが、乗りなれていることもあってあまり気にせず決定しました。
 次にルートですが、当時私は京都市内に住んでいたこともあってなによりもまず滋賀県へ行くルートを考えねばなりませんでした。京都から滋賀へは基本的にルートは二つだけしかなく、まずポピュラーなルートとして京都駅から東へ行って山科を越えていくルートと、京都市北区から比叡山を乗り越えていく通称山中越えといいうルートの二つでした。当時私が北区に住んでいたこともあり、また自動車でなら山中越えを何度かしている事もあってほぼ迷わずに後者のルートを選ぶことにしました。

 そして実際の琵琶湖一周ルートですが、これはここで言うのもなんですが一切何も考えずに行きました。というのも琵琶湖に沿って走ればいいだけだし、それでも道がわからなければコンビニで地図を立ち読みすればいいだろうと甘く考え、後の悲劇を生むこととなったのです。

AM 6:00
 起床と共に朝食を取り、早速ナップザックを背中に出発する。この日は平日ではあったが早朝ということもあり人通りも少ない朝もやの京都を前途洋々に走り抜ける。

AM 7:00
 銀閣寺のやや北にある国道30号線ルート、通称山中越えに入る。道こそアスファルトで舗装されていながらも急な勾配に運送屋のトラックがビュンビュン前後を走り抜ける中、ただ一人自転車に乗って踏破を目指す。時間こそかかるものの、これを越えたら後は平野を走り抜けるだけだと言い聞かせて登る。

AM 8:00
 見事山中越えを達成し、大津市に突入する。突入するや近くの小学校に登校する小学生の列と鉢合わせ、狭い歩道だったために自転車にまたがったまま脇に寄って小学生らが横を通り抜けるのを待ったが、不思議なことに多くの小学生が全く避けようともせずに動きを止めている私の自転車向かってまるで体当たりするかのように次々とぶつかってきた。これは私の主観だが、あの時にぶつかってきた小学生が私を見る目は、「なんでよけないの?」というような感じで、もはや私にはよけるスペースが一切残っていないにもかかわらず自分に向かって相手がよけて当たり前かのような視線で、はっきり言って非常に不気味に思った。

AM 8:30
 近くを通ったことで、そのまま大津の三井寺に参拝する。前から行きたかったもののまだ一度も言ったことが無かったので、山中越えも終えて気も緩んでいたからゆっくりと参拝する。後で参拝する時間があったらその分しっかり走っとけばよかったのにと後悔する。

AM 9:30
 琵琶湖沿いの道路へと移動し、順調に走行を続ける。

AM10:30?
 草津市突入。位置的には琵琶湖の南端を通過した所にあるので、対岸に先ほど走ってきた大津市が見えてなかなか気持ちが良かった。

AM11:30
 野洲市突入。そろそろ昼時だがいい感じに走れているのでもう少しおなかすいたら食事しようとそのまま走る。

PM 0:30
 すこし記憶が曖昧だが、確か近江八幡市に入った辺りから何故か琵琶湖沿いだと自転車で走りづらい道になったので少し距離を置いた道路に入ったらやけに何もない道が続きだした。自転車に乗っている人ならわかると思いますが、さっきまで元気だったのに急におなかが減ることがよくあります。まさにこの時がそうで、何もない状況だというのに猛烈におなかがすきだしてやや血走った目で、「飯屋はどこだ」とつげ義春ばりに走行を続ける。

PM 1:30
 ようやく道路沿いの小さな食堂を見つけ、そこで何かの定食を食べる。ただそれでも全然おなかがすいていたので追加でクリームソーダも頼んで一服する。

PM 3:00
 ここまで順調に走ってこれて、確かこの時間位に彦根市に入った気がする。ちょうどこの頃はひこにゃんが大活躍していた頃だったので寄って行ってもよかったが既に何度か来ているので、軽くスルーしようかと思ったら親父からメールが来て、「今、彦根にいる」と返信して再び走行を再開する。

PM 5:00
 順調に走り続けていて確か高月町を走ってた頃だったと思う。突然後ろから「パンッ」という破裂音がし、はっとして自転車を停めて振り向くと案の定後輪がパンクをしていた。情けない話だが本来なら出来て当たり前なのに、自転車のパンク修理をすることが出来ない私はこの時ももちろん修理用具を持ってきていなかった。しかしこの時、普段なら絶望するような状況だったと思うが何故かこの時は腹が座っていて、「やった、今日はついてる」などと思ってしまった。
 というのもパンクをしたのがちょうど市街地を抜けたばかりのところで、何もない道路の真ん中ではなく自転車屋が探しやすい位置にいたということに自らの強運を感じたのが先ほどのセリフに結びついた。そういうわけで急いで自転車を降りて引きながら歩き、途中の交番で自転車屋を教えてもらってまた長々と30分くらい歩いてみつけた自転車屋に入ってそのままパンク修理を依頼した。夕方ということもあって店が閉まってはいないかが心配だったが六時前だったのに開いており、運良くそのまま修理をしてもらって再び走り出した。

PM 6:00
 既に日も暮れかかっていたが先ほどのパンクという最大のピンチを乗り越えたせいもあってテンションは下がらなかった。しかし好事魔多しとは言うが、まさにこの時に最大のミスを犯してしまう。
 そのミスというのも、単純にルート間違いであった。滋賀県の地図を見てもらえばわかると思うが高月町は位置的には琵琶湖の北端にある地域であとはここから西へ行って南に向かえば元の大津に着くだろうと思っていたら、何故か途中の道路上の案内板には大津に行くには東へ向かうようにと書かれていた。方角的には明らかに逆方向だがもしかしたら自分の知らないルートがあるのかと思ってその案内にしたがって東へ走るが、明らかにこれまで走ってきた道を戻っているルートにしかなっていなかった。
 心配になってコンビニで地図を見てみるが、やはり逆方向である。ここはどうするべきかと悩んだが、この際また戻った道を戻りなおして案内を無視して自分の信じる方角と道を突き進むことにした。結果的には私の考えるルートが正しかったのだが、案内板が何故逆方向を指示していたかというとその方角には大津にもつながっている高速道路のインターチェンジがあり、いわば自動車向けの案内板だったのだ。はっきり言って非常に紛らわしいので滋賀県にはこういう表示は避けてもらいたい。なおこの時に誤走した距離は10キロ以上はあった。

PM 7:00
 完全に日が暮れるが、まだ距離的には半分しか来ていないことにちょっと焦りだす。しかしその焦りもぶっ飛ぶ位に、眼前の道に途方にくれてしまう。というのも高月町を抜けた先にある西浅井町に入るや、道に勾配、言い換えるなら登りの山道に突然入ったからだった。それほどきつい傾斜ではないもののずっと琵琶湖沿いの平地を走っていけるだろうと高をくくっていたのと、そろそろ疲労が体に回りだした事もあってショックが大きかった。しかも山道に入るので琵琶湖が視界から消えるので、夜道で方角も正しく走っていけるかなどの不安もあったが腹をくくって突き進む。案の定、死にそうな位に疲れた。

PM 8:30
 山道の途中のコンビニでルート確認も込めて休憩する。現在位置と確認して高月町以来不安だったルートが正しかったことが確認できてほっとするも、残りの距離を見比べてため息も出る。それこそ体力十分の状態であれば山道を降りれば後は一気に南へと下っていけそうなのだが、既にひざが痛み出してて最後まで走りきれるか不安があった。あとこの分だと十時前のNHKのスポーツニュースは見られないだろうとそろそろ観念する。

PM9:30
 高島市突入。西浅井町の山道を越えて残りは正真正銘の平地一直線ということもあって希望が出てくるが、既に体の疲労が半端じゃないところまで来ているのと中途半端に外灯が少ないのが不安だったが、不思議と心細さはあまり感じなかった。普段の自分なら結構うたれ弱いところもあってこういうときにへこたれがちだが、この時は自分でも驚く位の精神的なタフさを維持できた。
 もっとも、十五時間以上も自転車で走り続けて真っ暗な道に一人でいればうたれ弱くなくとも大抵の人はへこたれると思うけど。

PM11:00
 ついに大津市に突入する。ちなみにこの時は早く帰りたくてしょうがなかったので夕食はとらず、ちょこちょことコンビニで菓子パンを食べるに留まっていたせいか疲労が文字通りピークに達していた。
 この大津市に着いたところで一つの問題が持ち上がる。その問題というのも、京都への帰りのルートをどうするかということだった。既に何度も書いているようにこの時点で疲労がピークで足はガクガクだし、両手の握力も怪しいところまで来ていたので、行きの時と同じように山中越えを出来るかどうかが不安だった。しかしここで山科ルートを通るにしても一度も通ったことの無い道を通ることになり、なおかつ山中越えと比べて京都市内についてから自宅までの距離が離れることもあって、進むも退くも地獄ならばとばかりに山中越えルートを決心する。それにしても、この時にファミレスかどっかで休憩をとりゃいいのにと思わずにはいられない。

PM12:00
 眼前に広がる急な山道。そう、ここが始まりの地であり終わりの地でもあるんだと、「この先比叡山」という看板の前で一人で思う。
 そんなわけでついにまた山中越えの入り口こと、国道30号線にたどり着いた。この時点で琵琶湖一周は完全に達成されたが何故だかこの時に小学校の校長が言っていた、「遠足は、帰るまでが遠足です」という言葉を思い出しつつ最後の大仕事だと自分に言い聞かせて、既に登り道で自転車のペダルをこぐ力が残っていなかったので自転車を降りて押しながら一歩、また一歩と、足を冗談じゃなく本当に引きずりながら登り始めた。
 なおこの時、夏場と言うこともあって夜とはいえ水分が不足し始め、なんか自動販売機を見つけるごとにスポーツドリンクか水を悉く買ってぐいぐい飲んでいたのだが、そのうちの一つの自販機の前にはヤンキーのカップルが真夜中にもかかわらず座り込んでいたが喉が渇いてしょうがないので買おうと近づくと、「なんだこいつ?」と、わざと私に聞こえるような嫌味を男の方が言ってきた。「てめぇらみたいなチャラチャラした奴らに、俺のこれまでの苦労がわかってたまるか」と心の中で念じつつ、無視して飲み物を買ってまたフラフラとゾンビの如く登頂を続ける。

AM 0:30
 足が本当に限界に来ており、それこそ震えながら前に一歩ずつ外灯など一切無い真っ暗な比叡山への山道を登り続けていました。もうこの時の気分は「母を訪ねて三千里」のマルコで、ここを越えたら母さんならぬ家に帰れるんだと何度も言い聞かせながら登っていたその時でした。突然自分の見上げる視界から地平線のように道路が途切れたのです。ここまで言えばわかると思いますが、このルートの最頂点こと登り道をついに終えたのです。おっかなびっくりその道路の上で自転車に乗ると、「こいつ、動くぞ」とばかりに自転車がひとりでに前に走り出します。そう、下り道に入ったのです。
 もうそっからは非常に爽快でした。外灯が一切無くて真っ暗で幽霊でも出てきそうなのは変わらなかったものの、ペダルをひとこぎもせずにハンドルとブレーキ操作だけで自転車が前へと進んで行き、一挙に京都市内へと入ることができました。そっからはまた平地でしたが勝手知った京都の道ゆえ、気分も上々のまま走り続けてついに夜中の一時過ぎ、下宿へと無事帰還を果たせました。


 とまぁこんな感じで琵琶湖一周を達成したわけです。ここには書いていませんが他にも細かくルートを間違えたところもあって、総走行距離は恐らく200キロは確実に越えています。相変わらず自分の無計画さには呆れるのですがこの時の自分のタフさには本人でありながら驚くものがあり、今までうたれ弱い方だと思っていたのを意外と精神的にはタフな方なんじゃないかと思い直すきっかけになりました。今考えても、あんな夜中の山中越えを敢行するのは尋常ならざる精神力な気がします。
 翌日は疲れは多少あったもののそれほど長引かず、翌々日にはまた元気に動き回っていました。この後に行った今年の一月に敢行した房総半島一周と比べるとやっぱりまだ琵琶湖一周の方が楽だった気がします。まぁ向こうはもっと計画が杜撰だったし自転車も壊しているからなぁ。

2009年6月18日木曜日

猛将列伝~木村昌福~

 前回の猛将列伝のコメントで誉めてもらって調子に乗っているので、またこの関係の記事です。今日は久々に近代の軍人で、通にはよく知られているものの一般にはやや知名度が低そうに見える木村昌福氏を取り上げます。

木村昌福(ウィキペディア)

 あまり歴史に興味がないために私と私の親父、果てには福岡出身の嫁さんがいる親父の従兄弟揃って「これだから九州の女は……」と言われる鹿児島出身のうちのお袋ですが、不思議なことにこの木村昌福氏についてはよく知っていて、どのような人物でどんな業績をあげたのかまでも詳しく知っていました。というのもお袋が子供だった頃にこの木村昌福氏をモデルにした映画が三船敏郎氏主演で公開されており、その影響を受けてかお袋らの世代は彼の業績である、あの伝説のキスカ島撤退作戦を知っている人が多いようです。逆にその世代に対して私くらいの世代だとあまり知らない方も多いと思うので、そこそこいい記事にはなる気がします。

 この木村昌福氏というのは旧日本海軍の軍人で、はっきり言ってしまえばそれほど出世街道を歩んだ人物ではなくどちらかというなら叩き上げの軍人タイプな人物でした。旧日本海軍ではハンモックナンバーこと海軍兵学校や海軍大学校時代での成績がそのまま後年の出世順につながったため、大学校に行くことはおろか兵学校で118人中107位の成績だった木村氏はそもそも大した出世は望める立場ではなかったものの、駆逐艦の艦長として長い間勤務するも水雷の戦闘知識や指揮においては周囲からも一目置かれていたため、最終的には実力で中将という地位にまで昇っております。

 そんな木村氏が一躍戦史に名を轟かしたのは既に述べた、俗に言う「キスカ島撤退作戦」からです。
 1943年、ミッドウェー海戦を経て既に防戦側に立たされていた旧日本海軍はこの年に太平洋上にあるアッツ島を米海軍によって攻め落とされてしまいます。このアッツ島は太平洋の上で日本の支配地域からポンと突き出た位置にある島であったため補給もままならず、米軍の激しい攻撃によって守備隊員2650名は全員が玉砕した上に占領されてしまうという悲劇的な結末に終わってしまいました。
 そこで困ったのがこのアッツ島以上に日本から離れた位置にあったキスカ島です。当初日本海軍は米軍が攻めてくるとしたら先にこっちを落とすだろうと守備隊もアッツ島より多い約6000名を擁していたものの、米軍は日本の裏をかいてキスカ島の先にあるアッツ島を先に落とすことでこの島を孤立無援の状態へと追い込んだのです。

 こんな状況下では反撃など望めるべくも無く、司令部も守備隊の救出を最優先事項として早速救出部隊を編成して第一陣として潜水艦の部隊を送るものの米軍のレーダー網にあっさりと見つかり、何百人かを救出するものの少なくない損害も出してしまいました。そこで第二陣として大人数を輸送できる駆逐艦部隊の派遣を決め、その指揮官として木村昌福氏が選ばれました。
 木村氏はこの地域特有の濃霧に隠れて救出作戦を行おうとじっと天候を眺めてチャンスをうかがい、七月十日に一度出撃するもこの時はキスカ島に近づくにつれて霧が晴れてきたために結局途中で引き返してしまいます。この際には米軍と戦闘したわけでもない上に誰も救出してこなかったことから上層部より激しい非難を受けますが、当の木村氏はあまり気にせずすぐに再出撃するようにとの中央の命令を無視しつつ、平然と現地で釣りをしながら次のチャンスをうかがっていました。

 そして来る七月二十二日、再び濃霧発生の予報を受けたことにより木村氏の艦隊は救出のために基地を出撃します。その濃霧予報は見事に当たり、キスカ島に行く途中に同じ日本の艦隊内で沈没にまで至らなかったものの衝突事故を起こすほどの濃霧だったようで、米軍のレーダーも霧によって誤認を起こし、誰もいない海域に向かって延々と攻撃をかけてしまったほどだったようです。
 しかも奇跡的というべきか、米軍はその後も一向にレーダーがうまく機能せず、先にレーダーで誤認した敵艦隊をすでに全滅させたと勘違いして七月二十八日に一旦補給をするためにキスカ島を包囲していた艦隊を撤退させてしまいます。そのまさに一瞬とも言うべき米軍が包囲を解いた間隙に、木村氏の艦隊は七月二十九日にキスカ島に上陸を果たしたのです。

 もちろん敵軍なんていないものだから一切妨害を受けないばかりか迅速な輸送によって5000名を越える人数をわずか55分で収容し終えて、そのまま米軍に見つかることなく基地への撤退を見事完了しました。当初、この救出作戦は状況の圧倒的不利さから不可能とまで呼ばれたほどの作戦だったのですが、終わってみると被害は全くといっていいほど無く、しかも一切の戦闘を行わずにこれほどの大人数の撤退を成功させた例は世界戦史上でも全くないといっていいでしょう。なお七月二十八日に包囲を解いた米軍は七月三十日に再び包囲を行いますが既にその時の島はもぬけの殻で、わずか一日の差で米軍は日本兵を逃してしまったのです。

 濃霧といい米軍の誤認といい偶然が重なった要素が多いのは事実ではありますが、一回目の出撃で救出が不可能と見るや批判を恐れずに撤退し、二度目の出撃がドンピシャのタイミングだったことを考えるとその後の強運とも言うべき状況を引っ張ってきたのは木村氏の高い決断力によるものとしか言いようがありません。そのため当時の旧日本軍だけでなく戦後は米軍からも木村氏は高く評価されたとのことです。

 その後木村氏は終戦時まで生き残り、戦後は故郷の山口県で元部下らと共に商売をして天寿を全うしたそうです。豪放磊落な人柄で部下からもよく慕われ、その上冷静な決断を上からの命令にものともすることなく忠実に実行する様はまさに軍人の鑑で、何もこのキスカ島のエピソードだけでなく米国の民間輸送船を撃沈させた際も乗組員がしっかり脱出するまで待ってから沈没させたとのことで、軍人としてだけでなく一私人間としても尊敬させられる人物です。特に出撃に至る決断は見事なもので、中途半端な妥協を一切許さなかったこの決断なくしてこの奇跡はありえなかったでしょう。

 ちなみにこの脱出時にはもう一つ小さなエピソードがあり、キスカ島の守備隊が脱出時に悪戯で「ペスト感染患者隔離所」という嘘の看板を島に残して行った為、守備隊のいなくなった後に上陸した米兵はペスト菌に感染するのではないかと大いに慌てたそうです。

2009年6月17日水曜日

公務員の金銭感覚について

 もうあんまり会わなくなってそこそこ時間が経っていますが、以前に俳優を夢見て活動している友人がいました。その友人は物を貸したらなかなか返してくれないルーズな奴でしたが基本はいい奴で、下宿が隣同士ということもあって当時に二人で結構むちゃくちゃなことをやっており、今でも覚えているので片道25キロかけて一緒に自転車で京都市内に突入した挙句、そのまま自転車で市内を一日中観光し回ってまた25キロを走って帰ってきたのはいい思い出です。

 そんな友人ですが父親は県庁で働いているという公務員一家の出身で、私も興味があったこともありいろいろと公務員の仕事ぶりなどを聞いてたりしていたのですが、その際によく友人が言っていたのは、「よく公務員は楽な仕事とか言われてるけどそんなんじゃねぇよ」という言葉でした。
 確かに一部の公務員、私がはっきり知っているのは空港などの入国審査官などは文字通り昼ごはんも食べる暇も無いほど忙しいらしくその働き振りには頭が下がるのですが、友人の父親は県庁なのでどんなものかと敢えて細かいことを聞かずに好きな風に話させ続けさせていると、給与面についてやっぱり民間と比べると公務員は少なくて家計のやりくりは大変だったと洩らすようになりました。

 その友人に言わせると確かに不況期であった当時は周りと比較しても大差は無かったがバブル期の頃は民間との給与の差が大きく大変で、その後も一貫して標準の所得世帯よりは一段低かったなどということなのですが、私はというとその友人の語る内容に対して少し疑問に思うところがありました。というのもその友人が普段話す内容がこう言ってはなんですがどこか浮世離れしているところがありまして、下宿は私と同じで家賃が三万円のアパートでしたが生活ぶりは私からしてやや華美な生活、というより金遣いでした。そこで一つカマをかけようと、何かの拍子にこんなデータを敢えて紹介してみました。

「確か2003年のデータだったと思うが、全所得世帯のうち年収1,000万円を超える世帯は全体の4.9%だ」
「えっ、マジ? 俺、年収1,000万円越えている所って結構あると思ってた」

 そう言って、案の定というか彼の家も年収1,000万円を越えているのを白状しました。

 別にその友人が嫌いでもなんでもないですし最近連絡とってはいないけど今でもいい友人だと私は思っていますが、この友人の例のようにどうも外から見ていると公務員やその一家は自分たちの収入について「少ない方だ」と本気で信じ込んでいる傾向があるのではないかと私は思います。実際には日本の公務員の収入は地方中央のどちらもバブル崩壊以降は民間の給料が一貫して下がっているのに対して逆に上がり続け、現在に至っては民間平均の数割増で当たり前というほどの超高給職となっております。にもかかわらず大阪府や大阪市、それに京都市から果てには今ブログ市長で有名な阿久根市の職員などはテレビカメラの前でも声高に、「自分たちは一生懸命働いているのに何で限界ギリギリの給与をさらに下げようとするのだ」と「それはひょっとしてギャグでやっているのか(゚Д゚;)!?」と思わせるような限界ギリギリの発言を平気でよくやっています。

 何で彼ら公務員たちは自分たちの収入を少ない方だと信じ込むのは、まぁ単純に思い浮かぶ理由としては非常に視野が狭い中で働いているからだと思いますがそれは置いといて、国と地方合わせて借金漬けの日本をどうにかするために私は彼らの給与は民間平均、場合によってはそれより一段低いところまで引き下げてでも支出を減らさねばならないと思います。そうすると優秀な人材が集まらないなどと国家官僚らは以前からよく言っていますが、社会保険庁などの問題を見ているとそんだけ金をつぎ込んでも優秀な人材が集まってきていないのは確かなのでだったら少ない給料で越したことはないでしょうし、むしろ少ない給料でも働こうとやってくる人材の方が私は公務員という職には適している気もします。

 では具体的に公務員の給料を引き下げるにはどうすればいいかですが、それはやはり情報を一般に公開した挙句、一般世帯との比較をはっきりと突きつけてやることに尽きます。現在例の阿久根市長は各部署ごとに人件費の総額を窓口に貼り付けて公開することで引き下げを現在迫っているそうですが、それによると阿久根市職員の給与は阿久根市全体の平均所得よりやはり三、四割ほど高いそうです。
 よく民主党の議員らが公務員の意識改革と強く訴えておりますが、この金銭感覚一つとっても一般人と大きくかけ離れているところが私からしても見受けられるのであながち間違いじゃない気がします。公務員なのだからデータはすべて公開、比較して、存分に有権者の洗礼を受ける時期に来ていると思います。

  追伸
 今日よく引用した阿久根市と言うのは実はうちのお袋の実家で、普通にテレビニュースでこのブログ市長が取り上げられるとお袋の知り合いもよく映ってきます。またこの前訪問した予備校の恩師もここの出身で、その恩師によると以前の阿久根市の市長の退職金は東京都知事よりも高かったそうです。元はといえば、その退職金の返納を巡ってこの竹原信一阿久根市長が暴れだしたんだけど。

2009年6月16日火曜日

猛将列伝~范雎~

 最近歴史関連の記事が少ないので久々にこの「猛将列伝」系列の記事を書こうと思います。なおグーグルアナリティクスによると、今でも私のブログは検索ワードで「宮崎繁三郎」が二位に就き続けてアクセス数を稼いでおります。件の記事は以前に書いたこの猛将列伝シリーズのこの記事ですが、なんでこんなに検索されるんだろうと書いた本人が一番びっくりしています。

 そういうわけで本題に移りますが、本日紹介するのは中国戦国時代、西暦にすると紀元前三世紀の「范雎」という人物です。この人物が描かれている歴史書は言わずもがなの史記ですが、実は史記に登場する人物の中で私はこの范雎が一番好きな人物でもあり、中二病的なくらいにこの人物と自分を重ね合わせたりすることがよくあります。
 そんな范雎ですが一体どんな人物かというと、一言で言えばその後始皇帝の時代に始めて中国を統一した泰国の宰相です。この范雎が活躍したのは始皇帝が国王として統治する前の昭襄王(始皇帝の曽祖父)の時代で、事実上後の泰の統一を確固たるものにした国王です。

 この范雎は元々は泰の人間ではなくむしろ泰と長らく敵対してきた魏の出身でした。若い頃から弁舌に優れていてそれを評価した魏の大臣の付き人として働いていたのですが、ある日斉の国に使者として派遣された大臣に付いて行ったところ、范雎の優秀さに気がついた斉の大臣が先にコネを作っておこうと范雎個人へ贈り物を送ろうとしたのですが、それを何かしら機密情報を密告した謝礼ではないかと疑った大臣らによって激しい拷問をかけられることとなってしまいました。
 もちろんそんな事実は一切なかったようなのですが、その際の拷問は凄まじいもので散々殴る蹴るなど暴行を加えられた後に文字通り簀巻きにされて便所にまで放り投げられ、各人に小便まで引っ掛けられて嘲け笑われた程でした。

 そんな大ピンチの中、范雎は牢番に死んだことにして助けてくれと頼み、その頼みを受け入れた牢番が大臣に小便で溺れ死んだと偽ったことによって九死に一生を得ました。そうして脱出した范雎は密かに魏を脱出して泰に赴くと、「長禄」という名前に変えて当時外戚によって権力を握られて何もすることの出来なかった昭襄王に近づき、一念発起して外戚を追い出して親政をすべきだと諭して信用を得、范雎の建言を受け入れて親政を始めた昭襄王によって宰相に任命されます。
 宰相に任命されるや范雎は次々と政策を実行していき、その中でも特に際立ったのはいわゆる「遠交近攻」政策でした。これは日本の戦国時代でもよく使われた外交政策ですが簡単に説明すると国境の接していない遠くの国とは誼を結び、自国とその国に挟まれる国境の接する国を両国で攻め込んで打ち倒していくというオセロゲームのような外交戦略のことです。まぁもっとも、間の国が倒れたら今度はその両国が争うことになるんだけど。

 この遠交近攻政策が功を奏し、当時の泰に戦国時代最強とまで言われた猛将白起もいたことで泰は一挙に勢力を拡大し、隣国の韓の領土を分断して弱体化させただけでなく近隣の弱小国も次々と併呑していきました。極めつけがこれまた戦国時代において最大規模の戦争と言われる長平の合戦において、白起の名采配もあり泰に次ぐ最大国であった趙を完膚なきまで叩いて40万もの趙兵を生き埋めにするという大戦果を挙げるに至りました。

 この頃、巨大化する泰に対してその脅威を和らげるために魏から泰へ使者が送られたのですが、皮肉なことにこの時送られた使者というのがかつて范雎を拷問にかけた大臣の一人でした。その大臣が来るとわかるや范雎はわざt汚い身なりをして会いに行き、運良く生き返ったといって再会を喜んだふりをしました。大臣の方も行き違いがあったとはいえ高く評価していた范雎と再会したことを喜び、しかもその范雎が泰の宰相に今仕えていて大臣に早速明日にでも引き合わせてくれると言うもんですから疑いも無く信用してしまいます。
 その大臣は泰の宰相は長禄という人物だと信じていたのですが、既に述べたようにそれは范雎が泰に来てから名乗りだした変名で、次の日に大臣を屋敷へ連れて行って待合室で待たせていざ謁見するや、さっきまで汚い格好をしていた范雎が宰相の席に座っているもんだから大いに腰を抜かしたことでしょう。

 范雎はその大臣が再会時に汚い身なりを哀れんで上等な着物を譲ってくれたことに免じて生かしてやると伝えるものの、魏との同盟は一切認めず、また自分を拷問にかけるのを主導した公子(国王の一族)の首を持ってこない限り真っ先に魏を叩き潰すと伝えて大臣を追い返しました。その後紆余曲折はありましたが、范雎は見事復讐を果たして公子の首を送り届けさせます。

 その後范雎は屋敷にやってきた人物に、もし范雎を買ってくれた後ろ盾の昭襄王が死ねばかつての呉起や商軮のように范雎に恨みを持つ人物らによって殺されるだろうから今のうちに引退したほうがいいと説得され、まだ全然現役にもかかわらず早くに引退します。史記というのは才能があるものの悲劇的な最後を遂げる人物が多い中で、過程は壮絶ではあるものの、唯一といっていいほどこの范雎は在世中に功績を挙げただけでなく無事天寿を全うすることが出来ました。

 私がこの范雎に惹かれるのはそうした苦労をしたものの最後は報われた人物であることと、自分をあらぬ罪で追い落とした人物へ見事復讐を果たした点に尽きます。世の中才能があってもなかなか報われないとはわかっているだけに、見事それを開花して成功した話は相応の美しさがあります。

ウィキペディアのハゲのページについて

 まずは何も考えず、以下のページをご覧ください。

ハゲ(ウィキペディア)

 このページは今日発見したのですが、何があるかってまずいきなりハゲの一例として旧ソ連大統領のゴルバチョフ氏の写真が出てくることです。このゴルバチョフ氏に続いてフルシチョフ氏、そして何故か舛添要一厚生労働大臣の写真が貼り付けられており、終いにはフランシスコ・ザビエルの肖像画までついてきております。

 これらの写真はハゲ方の一例として貼り付けられていますが中身の文章とは何の脈絡もなく、恐らく貼り付けた方が冗談でこれらの写真を選んだのだと思います。それにしたって、もうすこし選びようがあるだろうという気もするのですが……。

2009年6月15日月曜日

厚生労働省職員逮捕について

 西川郵政会社社長の人事を巡って揺れに揺れた一週間が鳩山総務相の更迭によってようやく過ぎたかと思うや、この人事問題の一つの発端となったヤマダ電機による障害者団体割引不正使用問題が昨日になって急展開を見せ、なんと郵政会社に留まらず厚生労働省の次期次官候補の一人として目されていた女性職員が逮捕される事態となりました。
 事件の詳細や女性職員の逮捕容疑については他のニュース報道に譲りますが、いくら素人といっても鳩山元総務相が更迭された直後にこんな急展開を見せられもしたら、何かしら政官財の間の裏があるのではないかと疑ってしまいます。

 当の鳩山元総務相はというと本日のNHKの七時のニュースにて報道されていましたが、前回の「鳩山邦夫総務相更迭について」で私も書いた事実を記者団に対して肯定し、

今年の春に麻生首相から手紙を受け取り、その中に書いてある候補の中から西川社長の次の後任を選ぶようにとの指示を受けた

 とぶちまけ、最後の捨て台詞として「信じた私が馬鹿だった」とまで言ってくれました。この件を夕方にぶら下がり記者に問われた麻生首相は「ノーコメントです」と返答を拒みましたが、これじゃ暗に肯定しているようなもんでしょう。
 さすがに私も今までは慎重を期して敢えて匂わす程度で抑えてきましたが、要するに今回の後任人事問題は鳩山元総務相というより麻生首相の主導で行われてきた可能性が高い、というのが私の最初からの見立てです。鳩山総務相の方はというと恐らく本人も言われるがままではなく自らの考えもあって西川社長を糾弾していたのだと思いますが、ここまで派手に暴れまわったのは麻生氏の直接的か間接的かの指示を受け、もしくは阿吽の呼吸というか麻生首相の意を汲んで行っていたのだと思います。どっちにしろ、それが見事に逆の結果となってしまったのは皮肉ですが。

 私としてはこの関連の記事で何度も言っているように、障害者割引の不正使用問題が起きた際に西川社長ら経営陣が一切事態究明に取り組もうという態度を見せないばかりか、昨日に厚労省の職員が逮捕されるまでほぼこの事件はもう終わりかと思わされる位に事態が動かなかったなことに納得行かず、民営化の推進はともかく西川社長は経営責任を取って辞任すべきだと考えていました。言ってはなんですが恐らくヤマダ電機が摘発されたような行為は恐らくそこだけにとどまらず、もっといろんなところでやっているでしょう。広告代理店も絡んでいるんだし、業界内では割と公然と行われていたと予想できますし、その辺をこの期に洗いざらい摘発されることを願っております。

 なおこれは完全に根拠なしで私の勝手な妄想ですが、今回の厚労省職員の逮捕は足利事件での菅家氏の釈放が無ければ行われなかったのではないかと個人的に思います。今回職員を逮捕したのは東京地検特捜部ですが、検察はあの足利事件によって国民から総スカンを食らったので今回は汚名返上とばかりに幕引きが行われようとしていたこの事件を鳩山元総務相の更迭で注目が集まっている中で仕事してるのを見せ付けるため、急転直下で捜査をまた動かし始めたんじゃないかと疑いすぎかもしれませんが思わずにおれません。一つだけ確かなのは、今回の職員逮捕の背景には問題となった障害者団体の認定を巡りある国会議員の強い要望に職員が応じて団体の認定を行ったことが逮捕容疑となっていて、その国会議員は今日の朝日新聞夕刊によると民主党だと報じられているということです。

2009年6月13日土曜日

鳩山邦夫総務相更迭について

 すでに昨日の段階で報道されておりますが、かねてより西川郵政会社社長の続投に異を唱えていた鳩山邦夫総務相が麻生首相に促される形で辞任しました。名目上は辞任ですが、実際には更迭と見るべきが妥当なので本記事中ではそちらの表現を採用します。
 さてこの鳩山総務相の辞任の影響ですが他のニュースなどでも既に報じられているように、中山文部相、中川財務相に続いてこれが麻生内閣における三人目の閣僚の辞任とあり、しかもことここに至るまでの紆余曲折が長引いたこともあってただでさえ政権基盤の弱かった麻生政権のダメージは少なくなく、自民党内でも解散前の倒閣運動こと麻生降しの噂が早くも飛び交う事態とまで至っております。

 今回のこの総務省の辞任劇について各新聞社も本日社説にてそれぞれ論説を述べていますが、産経新聞は以下のリンク先の記事を早速乗せております。

更迭劇の舞台裏 「けんか両成敗」か「鳩山切り」か 苦悩の末の決断(YAHOOニュース)

 この産経の記事では麻生首相がギリギリまで両者の和解を努力したものの結局は鳩山総務相が折れなかったことと、喧嘩両成敗で両者共に更迭することに自民党内で反対論が強かったことから鳩山氏だけが更迭されるという結果となったと報じていますが、言っちゃ何ですが産経新聞の書いていることは真実ではないと思います。自分でもここまでばっさり切っていいものかなとは思いますが、私の見立てと産経の報道内容にはどうも隔たりがあり、内容的に如何なものかと思う点が少なくありません。
 じゃあそんな自信たっぷりに言う私のこの辞任劇の見立てはどんなものかというと、実は読売新聞の社説内容がまんま私の思い描いたものと一緒なので、まずはこちらのリンク先をご参照ください。

首相、当初は「西川交代」…竹中・小泉コンビが封じ込め(YAHOOニュース)

 こっちの読売新聞の記事では当初麻生首相も鳩山総務相の意向通りに西川社長を更迭して代わりの人物を新社長として立てようとしたものの、小泉元首相と竹中平蔵氏の根回しによる逆襲を受けて新人事案を潰されてしまったという、比べてみると産経新聞の報じた内容との間に違いのある事実を報じております。

 では何故私が読売の記事の方が信憑性があると判断したのかですが、その判断材料は更迭直前の関係者たちによる一連の発言からです。まず前回に書いた記事で私が引用したように、麻生首相自体が数ヶ月前に「私はそもそも郵政民営化に反対であった」という発言をしており、この発言から麻生首相本人がそもそも西川社長に対してそれほど信頼感を持っていなかったのではないかと私は考えました。だからこそこの問題を長々と放置し、言うなれば鳩山総務相の好き放題にさせたのではないかとにらんでいます。

 まぁこの麻生首相の発言からくる私の判断はあくまで推測であってそれほど根拠として強くは無いものなのですが、もう一つの発言こと更迭直前の鳩山総務相の発言は決して見逃すことが出来ません。その発言というのも更迭される前日の6/11(木)の夕方に記者団に対して鳩山氏が語った一言で、

「(麻生)首相はすでに新しい人事候補を揃えている」

 という発言です。
 その日の夕方のニュースでしか私は確認していませんが、恐らく報道された場所もそこだけだったと思います。そんな恐ろしく小さなニュースで見ようによっては鳩山総務相がいつもの出しゃばった発言という風にも受け取ることが出来るのですが、この発言の直後と言うべきかその翌日に更迭が行われたことを考えると、私は最終的に更迭に至ったきっかけはこれではないかとすぐに思いました。
 このニュースを踏まえた上で先ほどの読売の社説です。記事内には「ポスト西川」の候補としてNTTの和田紀夫会長、生田正治元日本郵政公社総裁、西室泰三東京証券取引所会長などの財界人の名前が実名入りで載せられており、先ほどの鳩山総務相の発言が真実味を持ってくるように私は感じました。

 となると今回の更迭劇は読売の言う通りに小泉、竹中ラインによって行われたということになるのですが、私としてはさもありなんといったところです。
 私自身は郵政民営化には賛成ですが昨今の郵政関連における不祥事や、それに対する対応の悪さを鑑みて西川社長にはこの際降りてもらって、新たな社長の下で心機一転を図ってもらいたかったというのが素直な心情だったのですが、こういう後味の悪い結果になってしまっていろんな意味で残念です。

 やっぱりニュースの街頭インタビューを見ると国民の反応もいまいちで、次回の選挙において自民党への逆風にしかならない騒動だったでしょう。仮にこれで麻生首相を引きずりおろして新たな首相でやるにしても、人気のある舛添厚生大臣は参議院議員なので総理に就任することは出来ず、残った一発逆転の人材としては一か八かで小池百合子氏という手はまだ残っていますが前回の総裁選の報復人事からか現在閑職にあり、露出もほとんどなくなっていることから押し出すのにはなかなか苦労がいるでしょう。っていうか、この人なら鳩山邦夫氏以上に選挙直前に民主党へ鞍替えしかねないから逆に恐いな。

 なお次の選挙の一つのキーパーソンとして、現在私は自民党の菅義偉氏に注目しております。この人の経歴は文字通り根っからの叩き上げでそれだけに実力も申し分の無い議員なのですが、次回選挙の公約として議員の世襲禁止を盛り込もうとしたところ自民党内から猛反対を受けてちょっといま孤立気味です。しかし選挙対策などの技術においては自民党随一ということもあり、この人が今後どう動くか、また世襲禁止がまたどのように争点となっていくのかを見る上で見逃せない人物です。

2009年6月12日金曜日

献血について

 以前に友人から、構想中の小説のプロットとしてこんな話を聞かされました。
 なんでもその小説は究極なまでに合理、効率化された未来からやってきた「モルトン・クリードマン」という男が、どれだけそのような未来が素晴らしいかということを主人公に話して聞かせるという内容だそうで、その中のあくまで究極的に合理化された未来での話として、未来での医療現場ではクローンの技術がふんだんに使われており、遺伝子操作によって脳の思考をつかさどる部位をあらかじめ潰した人間のクローンをカテーテルから強制的に栄養を付与して育て続け、そのクローン人間から延々と血液を抜き出すことで輸血用の血液を安定的に確保する、人間を以って人間の血液を精製し続けるという話がありました。しかもそのクローンは血液に留まらず、必要とあれば内蔵も移植用に抜き出されて使われるという話で、恐らく倫理観や道徳を一切無視して合理化をとことんまで追求するとこんなことまで起きかねない、クローン技術がこんな風に使われかねないという皮肉を込めて友人はこの話を盛り込んだのだと思います。

 この話を聞いた私の第一印象はもちろん「気持ち悪い」という印象でしたが、その一方で今の献血体制の危うさも遠からず突いているという気もしました。私は年に複数回は確実に献血に行くヘビードナーですが、どうも関係者に聞くと日本の医療現場では慢性的に血液が不足しているそうです。まず血液はそれほど保存がきかない上に必要な際に一度に大量に使うことが多く、なかなか安定して確保している状態を保てないそうです。さらに日本の場合は売血行為というか輸血者に金銭での謝礼を支払うことを禁じており、その中でどうやって献血に来てもらうかと各団体は報酬に頭を悩ませているそうです。

 特に最近は新型インフルエンザの流行でドナーがなお一層集めづらくなっており、手術などに使う輸血はもちろんのこと、血友病患者のための血小板献血もなかなか集められないそうです。こうした状況を考えると、先ほどのモルトン・クリードマンの未来の話は確かに倫理的に今の私には認めたくない手段ながらも、それで血液を安定的に確保できるのならと全部が全部反対する気にまではなれません。
 しかし現代の献血行為についても今でも反対する団体などが数多くおり、また明治頃までは一般民衆の間でも他人の血を自分に入れるなどという心理的抵抗が強かったとききます。恐らくモルトン・クリードマンでなくとも、今の私が江戸時代の人に現代の献血治療を話せば相当な抵抗感を覚えられるでしょう。

 そういう時の流れを考えると、これから数百年後には同じ事を私が言われているかもしれません。とはいえ現在もクローンについては慎重に議論が続けられておりますが、いくら効率的だからといって全体の倫理感を一挙に飛び越えるような新たな治療法をそうやすやすと導入するべきではないと思います。また今の献血についてはやっぱりまだ助け合いという意識が根底にあるので、反対する団体や個人がいるのはわかりますが、やっぱり無いよりはあった方がいいと思いますし、現代の倫理観からそう大きくは外れていないと思います。そういうわけなので明日は血小板献血に行こうと思うのですが、ちょっと今週からある薬を毎日飲まなきゃいけなくなったので受けられるかどうか微妙です。血の気の多さは折り紙付きなんだけどなぁ。

2009年6月11日木曜日

復讐するのは誰なのか

 今日はちょっと長いものを書く気力が無いので短いので適当に済まそうと思い、このところ堅い話ばかりなのでなんか明るい笑い話でもと思った矢先に暗い内容のが思いついたので、このままその話を書くことにします。

 さて、皆さんは復讐という行為についてどう思いますか。例えば子供の頃にいじめた相手に対して後年、力関係が逆転した大人の状態で復讐を行うことを正当なものと見るか違法なものかと見るか、手段が合法か非合法かを度外視して心情的に復讐という行為を認められるかどうかは個人によって違うと思います。もちろん過去に受けた行為がそれこそ肩がぶつかったとか態度が生意気だった程度という逆恨みのようなもので復讐行為を行うのであれば私としても認めがたいのですが、それこそ陰湿ないじめや将来に渡って苦しみ続けなければならないようなことをされたのであれば、心情的にはしょうがないんじゃないかなぁと思ってしまいます。もちろん、ケースバイケースですが。

 この復讐という行為について、自分がちょっと悩んだ事例としてあるゲームの中の話があります。そのゲームというのはパンドラボックス製作のスーパーファミコンゲームの「学校であった怖い話」の中の話で、隠しシナリオの通称「仮面の女」こと、学園ホラーの不動のエースである花子さんが登場する話です。
 そのシナリオで登場する花子さんというのは、かつてその高校でいじめられたことを苦にして自殺した女子生徒の霊なのですが、自殺から長い年月を経た後、かつて自分をいじめた同級生たちの子供をその学校に呼び寄せて復讐としてみんな殺してしまいます。そうして復讐を達成した後に花子さんは主人公に対し、

「私がひどい人だと思う? でも私が自殺した時に私の両親はとても悲しんだわ。私の両親が受けた苦しみを私を自殺に追い込んだ奴らにも味あわせたかったのよ。あなたもこれだけは覚えておいて、あなたが意図してか意図してないかの行動でも傷つく人がいて、その復讐が必ずしも自分にだけ向かってくるんじゃないんだっていうことを」

 こういう風に言われて、因果応報じゃないですが確かに世の中そういうところもあるなという気が当時小学生の私は思いました。それこそ関ヶ原で敗れた島津、毛利が幕末に徳川家を滅ぼし、日本で評価されなかったエンジニアが海外でその技術を実用化して日本企業を苦しめたりと。
 そしてなにより復讐に駆り立てられるほど苦しい思いをした当人がどのような形で復讐をなすのか、こればっかりは当人でなければ理解のしようがなく、相当な苦しい思いであればその矛先が実際的には関係の無い近親者に向かうこともあるかもしれない気がします。

 とまぁこんなことを友人に話し、君は復讐がその対象者の子供とかにも向かうのはどう思うと聞いたらうまい具合に、

「さぁそればっかりはなってみないとわからないけど、仮にその子供が親と全く似た性格をしていたら、復讐者は憎まずにはいられないんじゃないかな」

 と、きれいにまとめてくれました。

2009年6月10日水曜日

少人数学級にすれば、万事解決するのか?

 大分前から、昨今の日本の小中高での学力低下やいじめ問題を解決する大きな手段として少人数制学級への移行があちこちで強く叫ばれています。移行自体は現在少子化ということもありそれほど難しいことではないと思うのですが、今日ふと電車に乗っているとき果たして少人数制にすれば本当になんでも解決するのかなと一つ疑問がもたげたので、今日はその考えを紹介しようと思います。

 まず少人数制にするとどうなるかという賛成派の意見ですが、少人数制であれば教師一人当たりが面倒を見る子供の人数が減り、勉強などでもおちこぼれを出しづらく、またいじめについても何か問題があればすぐに教師も把握できて対応が出来るだろうという意見です。

 こう聞くと確かにもっともらしくて私もその方がよいのではとこの前まで考えていたのですが、この少人数制学級について実施している自治体の報告によると確かに保護者などのアンケートでは好評だという調査結果が出ているのですが、肝心要のテスト成績の比較などといった調査データはまだお目にかかれておりません。せめて少人数学級とそうでない学級で各学年ごとにそれぞれ20サンプルずつ出して比較してもらい、又同じ学級内の成績のばらつき具合などのデータがあれば検証しやすいのですが、なんか思い返してみると本来主張するからにはなくてはならないそれらのデータが見当たらないような気がします。
 それに単純な学力レベルの比較で言えば、今より全然大人数学級であった昭和時代の生徒らの方が高かったと、こちらは過去の国際学力テストのデータ上でもはっきり出ています。このようなデータから私は、学力はカリキュラムによって決まるものであまり教師の質とかクラスの人数は関係ないように思います。

 ではもう一つのいじめ問題についてですが、実はこれは以前から気になっていた意見として北野たけし氏の意見がありました。北野氏が言うには彼が子供だった頃、今より一クラスの人数は全然多かった(五十人程いたそうです)が今のような陰湿ないじめとかは無かったそうです。もちろんこれは北野氏個人の体験かもしれませんが、北野氏以外の方たちもよく昔と今のいじめは違うなど、近年の子供のいじめについては概して経験がないという意見ばかり聞きます。
 昔は一クラスの人数が今より多かったのにそれほどひどいいじめが無かった。では何故現代の日本はいじめが問題化するのか。ひょっとすると、一クラスの人数が前より減ったからいじめが増えたのではないかと、急にこんなこと思いつく当たり自分はひねくれた性格しているという気がします。

 ただこれが全くただの思いつきだと言うつもりはありません。例えばすこし極端な例を出すと、どんな集団でも十人に一人の確率で周りとは一味違う子供が出てくるとします。もしこれで十人一クラスの少人数制学級を作ると、その一味違う子供はそのクラス内で一人だけしかいませんが、これが五十人学級になると確率はそのままでも、50×1/10=5で、一味違う子供は一クラスに五人も出てきます。その五人の子供はタイプ的に希少なタイプだとしても、同じクラスに五人もいれば一つの集団が出来て少なくとも十人一クラスの中で一人で孤独にい続けるよりはずっと安定した生活を送れるのでは、ということです。

 つまりはこんな感じで、人数が多ければ教師の負担は確かに大きいかもしれませんが、生徒にしてみれば気の合う人間と同じクラスで出会う確率は上がるということです。逆に少人数制学級でそれこそ理想的にみんな仲良しになれれば何も言うことありませんが、果たしてそんなうまくいくとなるとはちょっと信じられず、やっぱり一人や二人がはぶられて、しかも少人数制学級だから他に逃げ場がなくなってますます追い詰められた状況になるんじゃないかという気がします。こういう風に考えると、今より人数の多かった昔の方がいじめが少ないというのもまだ理解できます。

 また私は子供の頃は雑多な人間模様の中でいる方が精神的にも成長する要素が多い気がします。少人数制学級では教師の目は行き届くかもしれませんがその一方で辺に純化してしまい、視野や世界がかえって狭くなって純化しきれない人間への反作用が強まり、そうしたところでいじめも出てくる可能性があると思います。本当に我ながらひねくれていると思いますが、今の教育問題をどうにかしようというのなら世論とは逆に、大人数制学級に移行するのもありなんじゃないかと考えたわけです。

郵政社長の人事問題を巡る各人の思惑

 昨日書いた「西川郵政社長の人事問題について」の記事にSophieさんよりコメントがあり、この人事問題は鳩山邦夫総務相が郵政民営化を潰し、かつての郵政利権を復活させようとしているために起こったのだと主張しているブログを紹介されたので、ちょっと書き残したこともあるので補足を行います。

鳩山総務大臣の一連のパフォーマンスの裏の権力闘争の歴史に関してマジレスしてみる
鳩山大臣と原口先生達は不動産ファンドを作ってみるのはどうだろうか?(金融日記)

 紹介されたのは上記のブログですが、このブログ内の主張は私の理解ですと先ほども述べたように、今回の人事問題は旧田中派の末裔の鳩山邦夫総務相(鳩山氏は田中角栄の元秘書)が郵政利権を復活させるため、小泉・竹中路線の改革を中座させるために介入している、と読みました。言われることもよくわかりますし鳩山総務相が旧田中派の末裔というのもわかりますが、鳩山総務相がこの問題にこだわっているのは郵政利権のためだとはちょっと私には思えません。詳しく調べていないのではっきりとはいえませんが、何か彼が票田といった郵政利権と結びついていたという報道は今まで聞いたことが無いですし、そもそもそんなことしなくとも彼の家は金持ちです。まぁ欲望にはキリはありませんが。

 では何故鳩山総務相がこの問題、というより郵政に対してしつこく絡んでくるかですが、それはやっぱり本心から今の郵政に鳩山総務相個人が納得がいっていないのと、報道されている通りに今のうちに目立ってあわよくば将来の総理候補にという下心からだと思います。鳩山総務相の秘書をやっていたジャーナリストの上杉隆氏によると、鳩山総務相は良くも悪くも正直な性格の人らしく、自分が正しいと思ったら周りを気にせずに自説をこれまでにも言い立てたようで、総務省就任後の裁判員制度、草彅氏の逮捕事件などを見ているとまさにそんな気がします。

 そんな鳩山総務相の性格を考えると、今回の問題であれこれ文句を言っているのは、「なんとなくだが納得いかねぇ」とばかりに、あまり利権とか権益とか深い背景や考えなしに言っているようにしか思えません。東京駅前郵政庁舎改築問題時に竹中平蔵氏とサンデープロジェクト内で一対一で討論しているのも私は見ましたが、やっぱりどう見たってあの時に待ったをかけたのは、「あんな歴史的建築物を改築するにはもったいない」というくらいの勢いでやっていたようにしか見えませんでした。

 さて、実は誰かが言うかなぁって思って今まで黙っていた事実がこの問題に一つあります。前みたいにワイドショーとか夕方のニュースを全局調べるという荒業をやらなくなったので、もしかしたらもう誰か言っているかもしれませんが、今回のこの問題には過去のある人のある発言が実は根っこにあるのではないかと私はにらんでいます。その発言というのも、

「私はそもそも、郵政民営化に反対だった」

 この発言は数ヶ月前の麻生総理の発言で、郵政民営化を行った当時に小泉内閣の総務相という責任者である立場であったにも関わらずこんなセリフを今になって言うなんて、さすがに私も予想だにしていませんでした。しかも民営化後の分割案についても国民は理解していなかったのだなどと、まるで有権者を馬鹿にしたような発言に自民党幹部もえらい焦ったでしょうが、そのすぐ後におきた西松建設献金事件で意外とみんな忘れてくれました。

 鳩山総務相は麻生総理の親友であり、また麻生総理もこの人事問題について言及するのを自ら避けているような素振りすらあります。さすがに二人で口裏を合わせてということは無いでしょうが、以心伝心的に共通の理解をもってこの人事問題を大きくしているのではないかと、ちょっと疑り過ぎかもしれませんが考えてしまいます。どちらにしろ郵政民営化に反対だったと今になって言うくらいですから、恐らくこの問題に麻生総理が介入することはまだまだ先だと思います。それにしてもこの人、

麻生首相「世襲頑張れ」と奨励=都議選候補の息子に

 まさかこの時期にこんな発言までするなんて、度胸は買うけどさ。

2009年6月9日火曜日

西川郵政社長の人事問題について

 本題とは関係ありませんが、今日FC2の方の「犯罪者の家族への社会的制裁について」の記事に対し、多分これは携帯からだからブログコメント欄に表示されないと思うのですがある方からお褒めのコメントをいただけました。この記事は友人からのリクエストを受けて私も気合を入れて書いた記事だけに、他の記事より拍手やコメントがついた際の喜びもひとしおなので素直にはしゃぎました。

進退は鳩山総務相の判断=辞任の考えはなし-西川日本郵政社長(YAHOOニュース)

 それでは本題ですが、昨今で一番の政治ニュースはというとこの西川善文郵政社長の総裁人事問題でしょう。西川氏の続投が当然視されていたところに任命権のある鳩山邦夫総務相が、かんぽの宿の売却問題とこのまえ発覚したばかりの障害者割引の不正使用問題の責任を取るべきだと、自民党執行部が止めるのも聞かずに公然と辞任を要求したことで文字通りてんやわんやとなっております。結論から言えば今回のこの件では私は鳩山総務相の肩を持ちます。

 一つ一つ問題を整理していきますが、まず一部の自民党議員が、
「郵政社長の人事は株主による株主総会で決められるもので、総務大臣はそれを追認するだけの任命権を持っているだけで人事権を持っているわけじゃない。なので鳩山総務相が人事に意見を出すこと自体間違っている」
 という意見についてですが、これはこの前の政治番組で突っ込まれていましたが、現在郵政の株は国がすべて保有しており、株主といっても与謝野財務相一人しかいない状態で、与謝野氏も鳩山氏も同じ内閣にいるので「株主総会で決められる」というのは間違いで実際には内閣の総意によって決められるべきということと、郵政を監督する総務省の代表者ということを考慮すれば鳩山氏が意見を出すのは決して筋違いではないと私は考えます。

 次に鳩山氏の言う西川氏の責任についてですが、かんぽの宿の売却問題については西川氏が就任する以前の公社時代の方が問題性は高く、オリックスへの一括売却についてはかんぽの宿が不良債権であることもあり、また従業員の雇用を守るという条件をつけてであれば多少はしょうがないのではないかという気がします。まぁ規制改革委員会にずっと会長が参加していたオリックスへというのは確かにちょっと問題ですが。
 しかし次のベスト電器などが行っていたダイレクトメールの障害者割引制度の悪用については、文句なしに西川氏が責任を追求されて仕方が無いと思います。現在ではこの件の報道は下火になりつつありますが、郵政会社の支店長もこの悪用に関わっていたことも発覚しており、また以前から恒常的に悪用されていたことを考えると私はまだまだこの問題の根は深いような気がします。

 しかるに西川社長がこの問題において公で深く謝罪をしたり、また原因追求に対して積極的であるとは私には感じられません。さっきも言った通りにこの件は現在ではほとんど報道されなくなってきており、なんかこのまま闇に葬られるのではないかと思っていた矢先に鳩山総務相のこの行動ですから、総務相がやめろと言うのなら私も支持するよという具合に肩を持つわけです。

 元々西川氏は、就任以前から過去の経歴(銀行の頭取)や行動などから公的な業務の多い郵政の社長としてはふさわしくないという意見が強かった人物でした。私としてはまずはお手並み拝見で去年一年間を見てきましたが、これと評価する点は無く、また在任中に起きた事件に対しての対応を見ているとやっぱりこの際変えるのもありかという気がします。
 それにしてもこの問題でなにが一番おかしいのかといえば、最高責任者である麻生首相が何も発言をせずに静観を続けていることでしょう。各ニュースのコメンテーターも何度も言っていますが、こういうところでトップダウンで決断をするのが総理にも関わらず、何の姿勢も打ち出さないがために鳩山総務相と西川社長の対立をわざわざ大きくさせております。決断力が無いにしても、ここまでくるともはや何も言えません。

  おまけ
 ヤマダ電機の障害者割引制度の不正使用には報道されている通りにある広告代理店が深く関わっていましたが、ちょっと業界関係者にこの件について聞いてみると、なんでもその会社は非常に官僚的な会社らしく、子会社の役員とか責任者の首を切るとかげの尻尾切りをしてこの問題にケリをつけたそうです。

プライドの売り方、買い方

 昨日の記事で私は、信長は家中に茶道をわざと流行らせることで茶器や茶碗といった茶道用具を信長から下賜されることを名誉に思わせるように家臣に仕向け、そうすることで恩賞に与える土地を節約したのではと解説しました。もっとも、佐久間信盛みたいにあまりにお茶にハマりすぎて逆に信長に追放されたのもいましたけど。

 ここで話を現代に戻しますが、信長の茶道への扱いほどではないにしろ私はこのような報酬のやり方というか、従業員に対して金銭的な報酬の代わりにいわばプライドを売ることで彼らを掌握する経営方法は現代でも応用が利くのではないかと思います。また従業員、というよりある程度生活の安定した現代の日本人の側としても、逆にそうしたプライドという報酬を得るために働いている比重が増えてきているではないかという気もします。
 このような例の代表格は言うまでもなくボランティア活動で、この行為は無報酬での勤労だからこそ従業員(この場合、ボランティア活動者)は納得をして、またそれなりに満足感を得られるのだと思います。仮にそのボランティア活動と同じ仕事をものすごい安い時間給でやらされるかたと比較検証をすると、仕事内容に対しての満足度が段違いに変わってくると思いますし、フェスティンガーの認知的不協和の実験でもそうと取れる結果を出しています。

 単純に言い換えるのなら、別に今に限らず昔も今も人間が働くのは金銭的な報酬のためだけでなく、自らのプライドこと自尊心を得るがために働いていたと思います。前にも一回引用しましたが、イギリスの労働党支持者のある男性がなぜ労働党を応援するのかというと、

「社会主義が間違っているのは間違いないが、人間は労働を通して初めて自尊心を得て人生を充実させることが出来る。労働党はイデオロギーはともかく労働を第一に考えてくれるから俺は投票するのだ」(昔の文芸春秋の塩野七生氏のコラムより)

 といっており、私としてもこの男性の意見に同感で、普段あまりお金を使わない性格というのもありますが自分が働いているのは金銭的なものより働いて世に貢献しているという実感を得たいがためという比重が大きいです。また私に限らず友人らも、給料は多少下がってもいいからもっとやりがいのある仕事をしたい、とほぼ皆で口を揃えて私を含めてぼやいています。
 さらにもう一つ引用を入れとくと、大体失われた十年が終わって就職状況が少しずつ良くなって来た頃に学生らに就職先を選ぶポイントは何かというアンケートをとると、大体ほとんどの調査で「やりがいのある(やりたい)仕事ができること」が上位に来ており、失われた十年期の「企業の安定性」を上回っておりました。今はさすがにどうなっているかはわかりませんが。

 このように、マズローの段階欲求説を引っ張ってくるまでもなく日本人の生活がある程度裕福になっているというのが主要因だとは思いますが、私は現代の日本の若者は金銭的な報酬よりプライド的な報酬を求めている割合が高いのではないかと思います。だとしたら私は日本の企業は現代の若者に対して仕事でやりがいを与える、もしくはそれを認識させることで彼らにそれほど高い給料を与えなくともてなづけられる可能性があるということになりますし、優秀な人材も集められるのではないかと思います。
 無い袖は振れなくて当たり前なのですから、経営者たちもそんな中でどのようにして従業員のやる気を引き出し、またやりがいを実感させるような環境にするかを不況の今だからこそ考えるべきでしょう。

  追伸
 今に始まったわけじゃないですが、最近アニメーターの薄給激務がよく話題になってくるようになってきました。前に読んだ記事によると手塚治虫氏が始めた虫プロの創成期は今以上のものだったらしく、残業も一月で300時間は下らなくて当たり前だったそうです。そんな厳しい世界でありながらまだこの業界が続いているのはやっぱり今日ここで語った、従業員がプライドを感じられる業界だからだと思います。もちろん本人が納得しているのだからアニメーターは今のままの待遇でいいなんて言うつもりはありませんが、せめてこのようなやりがいを他の業界でも感じられるような世の中にしてみたいものです。フリーコストでみんなで明るくなれるんだったらさ。

2009年6月8日月曜日

家臣の恩賞エトセトラ

 戦国時代の大名や豪族を最も悩ませたものは何かといえば、それは間違いなく家臣への恩賞だったと思います。というのも当時は現物経済で実質的な生産手段が土地の耕作しかなく、土地をどれだけもてるかがその一家の隆盛に深く結びついていたからです。そのため武士の成り立ちは基本的にはこの土地管理の保護と追認を仲立ちにして起こり、御恩と奉公というように中学校などで習っているとは思いますがそれだけに当時は土地が大事だったのです。

 しかし戦国時代になると、主君たる大名や豪族に従う家臣らはただ単に自分らの所領の安堵してもらうだけではもはや従わなくなってきました。彼らの目的は戦争の際に功績を立てることで新たな所領を恩賞としてもらうことが主眼になり、その目的が達成されないのであれば実際によくあった様に主君を裏切ることも数多くありました。しかし大名たちからすると、功績を挙げる傍から家臣に新たに土地の支配権を認めていくとどんどんと自分の取り分が減って行きます。家臣にあげる量以上に他国から土地を切り取れればまだマシですが、それでもあげていく事で家臣としてもどんどんと力を蓄え、ほっとくと主君以上の実力を持つことすらあります。

 主君にとってベストなのは言うまでもなく土地を出来るだけ家臣にあげずに彼らを手なずける事ですが、そんな世の中なんでもかんでも甘くなくケチな大名には誰もついてきません。とはいえ、そういった現物経済のあの時代でこの二律背反とも取れる恩賞問題で面白い試みをした大名も幾人かいました。
 まず一人目は越後の龍こと上杉謙信で、彼の代に上杉家は「血染めの感謝状」こと、上杉家当主の血判が押された感謝状を功績のあった家臣に発行しております。上杉家はこれ以外にも他家との信用を守ることを第一に軍事行動を行っていたのもあり、ライバルの武田家に比べれば裏切り者を出すことは少なかったように思えます。

 この上杉謙信に対しもう一人目の織田信長は更にトリッキーな手段を考案しており、家中に茶道を流行させることでこの恩賞での支配地の流出を最小限に食い止めています。一体どういう意味かというと、信長は京都に上洛するとすぐに千利休などの茶人を保護し、自ら率先して茶道を行うようになって行きました。そうすると彼の家臣らもならって茶道を行うようになり、言ってしまえば茶道に対して特別な意識を持っていきました。そうなると信長にしてはしめたもので、自分が使っていた茶碗や茶器など、他には保護した茶人から無理やりふんだくった道具などを家臣にあげる事で彼らの功績に報いることになり、家臣としても茶道をやっている手前そういったものをありがたいと思って受け取ってしまいます。

 恐らく打算的な信長の性格を考えると、彼はこうした目的の元に茶道を保護したのだと私は思います。とはいえこの方法は言い換えるならプライドを家臣に売るというようなやり方で、コスト的には非常に優秀な掌握術だったように思えます。
 このプライドを売るという言葉、最近ちょっと注目しているので次回はこれが現代にどう作用するのかを解説します。

2009年6月7日日曜日

日本の司法制度の問題点

 以前によく友人と言い合っていたセリフで、こんなのがありました。

「よく日本って、小中学生向けの教科書に三権分立とか書けるよな」

 この言葉が意味するのは、日本の三権こと立法、行政、司法が名目上は独立し合っているといっておきながらも、実際にはほぼ一体の権力と言ってもいい状態にあるからです。

 今日もテレビ番組のサンデープロジェクトでは足利事件の無実の罪で収監されていた菅家氏が出演していましたが、何でも菅家氏は刑務所にいるときもこの番組を見ていたそうです。というのも菅家氏のDNA再鑑定を巡って彼の弁護士が奔走している際、いち早くこの番組が菅家氏の事件を取り上げていてその際の放送がきっかけとなって世論が盛り上がった事が再鑑定に繋がったとして、弁護士もよくぞ取り上げてくれた田原氏らに今日はお礼を述べていました。
 それにしても今回の冤罪事件、菅家氏の釈放日には私の友人も激怒していてこれでもかといわんばかりに私へメールを送って来たのですが、サンデープロジェクトの出演者らも菅家氏を誤認逮捕した警察にDNA鑑定のイロハもわかっていなかった裁判官を激しく糾弾し、まだ他の番組では私は確認していないのですが菅家氏の再鑑定を阻んだ裁判官名を実名を挙げて紹介する辺りはさすがはサンデープロジェクトと思わせられました。

 その番組内でも色々取り上げられていたのですが、今後菅家氏への補償は金銭的な面はもちろんのこと、今回のような冤罪を防ぐにはどうすればよいかというところに議論が向かいました。私自身日本の司法制度は問題があると以前から感じており、ひょっとすれば年金を含めた社会保障などよりもこちらの司法制度改革の方が今の日本において喫緊の課題なのではないかと以前から考えており、このブログを始めた際もそういった司法改革の問題を以下の記事にて取り上げております。

裁判の可視化について
刑事裁判について

 私が日本の司法制度に疑問を持つようになったきっかけは、ちょっと変かも知れませんが自衛隊の存否を巡る裁判の結論を聞いてからです。いつのものかまではわかりませんが、自衛隊が憲法の陸海空の軍隊保持を認めないという記述に違反するかしないかの裁判において、「それは行政の判断する内容だから、知らないよ」というような結論で結審したのを中学生くらいの頃に見て、司法権というのは行政や立法を監視する立場なのに行政だから知らないよで済まされるのかと、自衛隊は災害救助のために日本にとって絶対に必要だと考えつつも裁判所の妙な態度に激しく疑問に感じました。

 そしてその後も鈴木宗男氏に絡む事件で捕まった佐藤優氏の裁判を知り、映画「それでもボクはやっていない」などに代表される痴漢冤罪事件の深刻さを知るにつけ、日本の裁判と言うのは何のためにあるのか、司法権はちゃんと機能しているのかとますます疑問に思うようになりました。
 手っ取り早く結論を言うと日本の司法権は実態上、行政権とほぼ一体と考えてもおかしくなく、いわば行政の敵を潰すための追認機関と言われても仕方ないと私は考えております。まず最高裁の裁判官の任命権が内閣にあり、この前新しく裁判長に就任した人は裁判員制度の導入に熱心だったことから一足飛びに就任しています。

 そして検察についても基本的には警察の挙げてきた犯人を疑うことなく訴追するだけで、これはホリエモンの意見ですが彼らは訴追権だけでなく捜査権も持っていることから、やりようによっては自分たちだけでいくらでも国民を犯罪者に仕立てて刑務所に送ることだって出来ます。こうして見るのであれば司法の中では、山口県光市の殺人事件の弁護士みたいに変なのもいますが、まだ弁護士はそういった塊の中からは独立している方でしょう。
 何が問題なのかといえばやっぱり検察、裁判官、そして警察組織がほぼ一体として存在していることだと私は思います。この組織構造をどうにかしない限り、まだまだこういう冤罪事件や国策捜査は生まれてくるでしょう。このような悲劇を繰り返さないためにも、何よりも優先して司法改革を政権のみならず、国民全体で行っていく必要があると思います。

 最後にもう一つこの足利事件に対して私が言いたいことは、まだあまりマスコミも関連した報道をしてないのですが今回の足利事件にて冤罪を引き起こす端緒を作った栃木県警はその後の1999年、あの悪名高き栃木リンチ殺人事件で杜撰な対応を見せ、被害者を救える可能性が当初あったにもかかわらずむざむざ犯人による殺害を誘引までしております。しかもそのような失態を見せた警察官の処分も甘く、足利事件と合わせて考えるとこの栃木県警という組織自体に何かしら大きな欠陥があるのではないかと思えてなりません。こうした点も今後、厳しく追及されていくのを心から願います。

罪悪感をどう利用すればいいのか

 先月に「罪悪感とは 前編後編」の記事を公開しましたが、この記事の中では罪悪感とは何か、先天的なのか後天的なのかというメタな議論で終わってしまい、本当に私が書きたかった内容はすっかり書き忘れてしまっていました。書き終わった後でそのことに気がつき猛省したわけですが、一番肝心な内容なだけに今日はここでその話を紹介しようと思います。

 まず前回の前後編の記事において私は罪悪感は先天的か後天的かという議論を行いました。それはさておきこの罪悪感ですが、冷静に考えてみると日常における人間の行動に最も強い影響を与えている要素の一つなのではないのかというのが私がまず着目したきっかけでした。
 例えば前回の記事でも書いているように、人間がその所属する社会内で犯罪とされる行為や望ましくないとされる行為を何故行わないのかといえば、一つは犯罪行為の実行後に待ち受けている周囲からの制裁への恐怖と、もう一つは「なんか悪いことをやっちゃいけないような……」というような罪悪感を抱いてしまうような感情がそうした行為を踏みとどまらせているのだと思います。

 こうしたことをちょっと専門的な言葉で言えば、人間の行動を制御する要素として罪悪感はその比重が非常に大きいのではないかと考えるわけです。
 単純に話をまとめると、まず人間は本能に基づいた欲求から摂食なり運動なりといった行動を行おうと思い立ちます。しかし何でもかんでも本能の赴くままに行動していれば集団生活など出来るわけがなく、ある程度は周囲と協調して身を引くような行動を取らないと人間どこでもやってけません。では何を以って個人はやっていい行動とやってはいけない行動を分けるのかといえば、一言で言えば理性によるブレーキが分けていると言っていいでしょう。

 ではその理性のブレーキの正体は何者かとくればそれはいくつもの要素があり、強そうな相手にケンカを売らないというような本能的な恐怖感や、周囲に恩を売って後で返してもらうという打算であったりいくつもありますが、その中で特に大きいと私と友人が考えたのが、一つは成長と共に獲得していく自尊心ことプライドと、ここで出している罪悪感です。
 ちょっと皆さんに日常生活を想像してもらいたいのですが、お墓の前のお供え物を食べなかったり、賽銭箱の中身を泥棒しなかったり、人の家の壁に落書きをしなかったりと、別に誰か見ているわけでもないのにこういった行動を何故起こさないのかと考えれば、多分まともな人なら「そんなことしたら誰かが迷惑するかもしれない」とか「悪いことをやっても後で後悔するだろう」といった理由からだと思います。私はこういった考えも罪悪感の一種、もしくは延長系で、人間集団をまとめるために強く意識こそしていないながらも大きな働きをしている共通認識だと思うわけです。

 ではここで私がその上に何を言いたいのかというと、より社会を安定させていいものにするために、この罪悪感をもっと有効に活用する方法はないのだろうかということです。言うなれば罪悪感は人間の行動を制御する要素なのだから、それをいい方向、社会上望ましくない行為を等しく社会の構成員にさせない方向にもっと働かせられないかと思い立ったわけです。
 この罪悪感による人間の行動制御がどの点で優れているかといえば、それはコストフリーだということに尽きます。例えば法律などの刑罰による制御であれば警察などといった刑罰の実行者や監視者を用意する必要があります。しかし罪悪感は個人の中で起こって個人で完結するので、先ほどの例のように誰も見ていないところでも働いてくれます。しかもわざわざ成文法にする必要もなく、状況において調節も聞きやすく、広く浅い制御においてはこれ以上ないツールです。

 実際にこの罪悪感が社会内で有効に働いた例を紹介すると、これは昔ネットの掲示板で見た話ですが、なんでも大した怪我にはならなかったものの自動車に接触事故を起こされて逃げられた方が、その事故現場に毎日花を自分で置いていたら接触事故の犯人が罪悪感に悩まされてわざわざ自首してきたそうです。
 またこれは最近全国の自治体に広がっている方法なのですが、道路の真ん中でよく弁当箱などがポイ捨てされる現場に鳥居に似せた小さな組木を置いてみると、みんななんだかよくないと思うのか驚くほどにポイ捨てが減ってゴミ回収費用の削減に役立っているようです。

 上記二つの例は望ましくないとされる行為の行為者の罪悪感に働きかけて自首、ポイ捨ての禁止という行動を見事に誘導させた例です。このように使い方によっては罪悪感(とされるような感情)というのは少ないコストで大きな成果を挙げる可能性があり、また教育においても罪悪感を強く認識させることでいじめや非行、果てには犯罪といった行為への予防策となりうるのではと、先月辺りに電車に乗っているときにぱっと思いつきました。
 心理学でこの罪悪感がどのように扱われているのかはわかりませんが、先ほどの鳥居に似せた組木の利用法などいろいろと応用できる範囲はあるのではないかと思うので、もっと罪悪感に着目して社会の中で細かい仕掛けを作っていくのもありなんじゃないかというのが、私がこの一連の記事で言いたかったことです。

2009年6月6日土曜日

日英の政治学用語の違い

 久々に政治解説です。細かい内容ですが、最近あまりやっていないのでちょっと取り上げようと思います。

 さて最近、バラエティや討論番組にて民主党の国会議員が登場する際に、「ネクスト○○大臣の、××氏です」といった紹介のされ方が増えてきていると思います。一体これはなんなのかというと、いわば民主党内での各政策の担当責任者であるということを意味しており、民主党のサイトではこのネクスト大臣の名簿が一覧にされているので早速リンクをつけておきます。

■鳩山『次の内閣』閣僚名簿(民主党web-site)

 この制度が日本の民主党にいつ頃から出来たのかはわかりませんが恐らく、というよりは間違いなく英国の「影の内閣」制度をもじったものでしょう。その英国の「影の内閣」こと「Shadow cabinet」ですが、これは先ほども言った通りに野党内の各政策担当者、責任者を公にすることで、政策論議や党内意思決定を明確にするという制度です。

 国会議員といっても、防衛から外交、経済、労働などすべての政策をカバーする人間はほぼ皆無といっていいほどおりません。どの議員も何かしら自分の専門とする分野を持ち、その分野の国会内の委員会に参加することで議論や意思決定を行って行きます。
 与党においては基本的にそれら各分野の責任者こと担当者は内閣内の国務大臣で、彼らが党内でも最高責任者となります。それに対して野党はというと、英国などではかなり以前から与党の国務大臣に対応する形で野党内にも似たように各分野の責任者を定め、与党側の担当者に対して自党の担当者である「影の大臣」を質問などに立たせて議論を行わせたり、党内での意見の集約などを行わせてきました。

 この制度があるとどのように有効であるかですが、まずは国民に対して与党の提案する政策に対して対案を見せやすくなり、また人材を含めて広く対比しやすくすることが出来ます。その上、仮に選挙前であれば、

「もし我々が与党になった暁には、この分野の大臣にはわが党のこの議員を大臣にします」

 という、予告先発ならぬ予告大臣を見せることとなり、有権者に政権を担わせるかどうかの判断材料を提供することになります。

 まぁこういう制度なので、政治を注視する私の側からも誰がどの分野に強いのか、どういった意見が野党内で強いのかがわかりやすくなるのでありがたいことこの上ない制度なのですが、注目すべきなのは日本の民主党が使っている「ネクスト内閣」というこの名称です。

 本家英国では先ほども書いたとおりに「Shadow cabinet」で、直訳するのなら「影の内閣」です。「ネクスト内閣」では日本語も混ざってますがこちらも直訳すると「次の内閣」で、ちょっと意味が違っています。何故このように名称を敢えて本家と変えたのかですが、私の予想では恐らく日本語で「影の内閣」と呼ぶと意味的には「黒衣の宰相」こと、「政権を裏で操る者」という意味を連想しやすいからだと思います。実際に小泉元首相の元秘書の飯島勲氏がかつて、確かライス国務長官(当時)に冗談で、

「I am a shadow cabinet.」

 と言ったことがあったと記憶していますが、この時の意味合いはあくまで冗談でしょうが、「政策を決めているのは実は私ですよ」というような意味合いで言ったのだと思います。
 こうしたイメージ的なものから、やや苦しいながらも「ネクスト内閣」という名称にしたのでしょうが、まだこの野党内擬似内閣制度が定着していないのを考えるとこういう風にするのも仕方がないと思います。しいて言えば、日本語を英語を混ぜるくらいなら初めから「次の内閣」という風のがいい気がしますが。

私が文章を書くようになったきっかけ

 ちょっと思うところがあったので先月5月は一体どれくらいこのブログの記事を書いたのかと改めて計測してみると、大まかな計算で文字数にして約52,000字、400字詰め原稿用紙に換算すると約130枚分書いていました。このところ投稿のペースがやや減少気味ですが、それでもこの数字ですのでほぼ毎月100枚は書いていると見て間違いないでしょう。
 実は今日は暇も手伝って大学受験時にお世話になった地元の予備校を尋ねたのですが、うれしいことにそこの予備校の恩師らは自分を覚えていてくれており、しばし雑談に花を咲かせてまいりました。その際に英語を教わった恩師から、こんなことを聞かれました。

「ところで、君はまだ文章は書いているのか?」

 この恩師には高校時代に私が書き溜めていた文章を何度かお見せしたことがあり、そうしたことをまだ覚えていてくれていたようです。ひとまずこのブログのことを教えておきましたが、この記事も見ていてくれてるのかな。

 今ちらっと言いましたが、高校時代の段階ですでに私は相当量の文章を当時から書いていました。当時は小説が主で今みたいに評論を書くことはまだ少なかったのですが、それでも執筆量で言えば多分今より多かったと思います。調子のよかった頃は毎日二時間は何かしら書いており、一つの作品で原稿量が100枚を越えるのもザラでした。
 では一体いつ、何をきっかけにしてこんだけダダ長いブログを書くほどまでに私が文章を書くようになったかですが、結論を一気に述べてしまうと最初は小説家を夢見たことがきっかけでした。

 今はどうだか知りませんが、私が中学生の頃は「スレイヤーズ」などの青少年向けのファンタジー小説が大流行だった頃で、一つ私もそういった作品を書いてみたいと思ったことがきっかけで小説を書くようになりました。しかし今から思うと当時の文章力はお世辞にも立派なものではなく、よくあんな内容で新人賞に投稿をしてたなと自分で呆れるほどの腕前でしたが、若いせいか勢いだけは立派なもので汚い文字(当時は手書き)でくだらない内容の割には恐ろしい量を毎日書いており、出来上がる傍から学校の友人らに無理やり読ませては感想を聞きだしておりました。
 その後も、飽きっぽい性格のクセに高校生になっても文章を書くことだけは何故か続け、高校一年の間はまだ小説を続けていたのですが二年生に入る頃にはなんだか自分は小説よりも評論とかエッセイのが向いているのに気がつき、それ以降は短い文字数ながらも内容にこだわったものを書くようになって行きました。

 そして大学時代ですが、不思議なことに何故かこの時はほとんど文章らしい文章を書くことがありませんでした。唯一まとまったものとして形に残したのは中国での留学体験記(確か原稿用紙200枚程度)くらいで、あとはほぼ友人のレポートの代筆とかに無駄に力を発揮した程度です。ちなみに卒業論文の半分までも代筆した友人までもおります。
 何故比較的時間に余裕のある大学時代に文章を書かなかったのかですが、それは自分自身、当時は自分の考えや体験を披露するよりも中身をしっかりと磨く必要があると自覚していたからだと思います。大学に入って優秀な友人らと出会ったことで自分の読書量とか知識量が如何に少ないかを思い知り、「こりゃまだ出力する段階じゃない、もっと入力に集中しなければ」と考え、徹底的にではありませんでしたが文章を書くことを自分に対して制限していました。

 なもんだから在学中にブログが一般化してブームになりだした頃も、本音では自分でもやってみたいと思いつつも我慢し、卒業を控えた頃に至ってもうこの時期ならいいだろうと、2008年の12月にようやくこのブログを立ち上げる事となりました。ここまで言えばわかると思いますが、別に隠していたわけではないのですが現在の私は会社員で、基本的にこのブログは仕事が終わって帰宅した後に毎日書いております。一番不思議なのは会社に入ってからの方が更新数といい文字数といい、恐ろしい勢いで増えていったということです。ああやっぱり自分は文章が好きなんだなぁと、つくづくこのブログを読み返すたびに思います。

2009年6月5日金曜日

天安門事件について

 私が北京に留学中、クラスメートのアメリカ人がある日こんなことを聞いてきました。
「今日は何の日か、知っているか?」
「もちろん。天安門事件の日だ」
「(*^ー゚)bニヤリ」
 さすが人権にはうるさいアメリカだけあると、この時に強く感じました。


 一日ずれてしまいましたが、フランスの日々のSophieさんも記事を書いておられるので自分も天安門事件について書いておこうと思います。
 まず基本的な知識として、日本人にとって天安門事件とくれば89年のものしかありませんが、現地中国においては天安門事件という名称は二つの事件を指しており、日本人が連想する89年の事件のほかにも76年に起きた事件もこの名前で呼ばれています。何で同じ名前なのかといったらそれはやはり現中華人民共和国の国家的象徴地である天安門で起きたことと、二つの事件とも周恩来、胡耀邦という政治の実権者の死がきっかけに起きたことが共通しているからだと私は思います。

 それで今日話題にするのはもちろん89年の天安門事件の方です。この事件についての詳細はウィキペディアなどの他の記事に任せますが、私が日本に来た中国人留学生に直接聞いたところによると、やっぱり中国国内にいる間はこんな事件が起きていたなんて全然知っていなかったようです。
 その留学生の言によると、中国国内でこの事件は当初民主化を叫んでいた学生が次第に暴徒化し、半ばクーデターのような行動を計画、実行したために軍隊が無理やり鎮圧せざるを得なかったと聞いていたようです。そのため日本に来てからこの事件の詳細を知った際は、これほどまで伝え聞いていた事実と違っていたとはと素直に驚いたとも言っていました。

 もっとも、一部の日本人中国研究家の中にはこの時の中国共産党の決断をやむを得なかったものだと肯定的に評価する人も少なくありません。何故この時の共産党を評価するのかというと、もしこの時に学生側に下手な妥協をして一挙に民主化の路線をとっていればかつての旧ソ連よろしく中国という巨大な国家が分裂し、再起不能といってもいいくらいの事態に陥っていたと予想されるからです。
 案外日本にずっと住んでいると、代表を国民一人一票の選挙によって選ぶ民主主義こそ完璧な政治、社会制度だと一見思いがちですが、その首魁とも言うべきアメリカ人ですらこの制度には欠陥が多がまだマシな制度だから使っているということをよく自覚しています。具体的にどんな欠陥があるのかというと、民主主義というのは基本的には誰もが好きな意見を自由に主張できることを前提にしているので、勢力が似通っていて明らかに意見が大きく異なっている集団が同じ社会にいると猛烈な対立を招いてしまう所があります。

 かつての旧ソ連を例に取ると、その崩壊末期にゴルバチョフ氏が一気に民主化路線をとったことから、それまでソ連という枠内で多数派であるロシア人に主導権を握られていた衛星国家らが急激に自己主張を行うようになり、バルト三国を皮切りに次々と独立していって最終的には連邦が崩壊しました。
 意外と気づきづらいのですが、民主主義というのは土台となる共通認識を持った多数派が存在していなければ成り立ちづらく、その多数派が少数派に無理やり自己の流儀を押し付ける構図なしには存在し得ないところがあります。アメリカにおけるネイティブアメリカンとか、日本における沖縄人などいったところでしょうか。

 これが中国の場合だと、あの国は同じ漢民族でも華南と華北で全然文化が異なり、少数民族まで考慮すると何をどうやってまとめればいいのかと頭を抱えてしまいます。中には開き直って、中国は今の状態から四つに分裂するぐらいが国家的に運営しやすいサイズだと言う人もいますが、あれだけの人口と国土があるからこそ今の中国が保てていることを考えると、そうもうまくいくかなと私は疑問視しています。

 こういった背景から、あの時に武力鎮圧したことが今の中国の成功に繋がった、少なくとも最悪の失敗を避けることはできたと考えるチャイナウォッチャーも少なくなく、私も彼らの意見が全くわからないわけではありません。とはいえ、あの事件がきっかけで中国のエリート層は国内の改革や出世をあきらめ海外に亡命する者が続出し、亡命とまで行かずとも国内の研究機関を離れたものも少なくありません。そういったことを考えると武力鎮圧以外にもっと方法はなかったのか、なんとかならなかったのかと思わずにはいられません。
 もっとも、大きな政治の前に個人というのは非常に小さな存在です。そんな都合よく何でも物事が運べるかと、私の考えがおめでたいと言われるとしても今の私には反論することが出来ません。


  おまけ
 私が一時期に中国語を教わっていたある恩師はちょうどこの天安門事件の際に北京に留学しており、当時の北京は戒厳令が敷かれていて迂闊に外出することが出来なかったので、
「じゃあ旅行に行こうか」
 と、日本人の留学仲間らと共に北京を出て中国国内を旅行しまわっていたそうです。そうしていたら軍隊による武力鎮圧が起き、旅先で現地の中国人に「なんか北京で大変なことが起きたらしいよ」と言われて、慌てて恩師の居た日本の大学へと連絡をしたそうです。すると日本では恩師らと連絡が取れなくなっていたためにてんやわんやだったらしく、「○○大学の学生三人、北京にて行方不明」とまで地元の新聞に書かれていたほどで、電話口でこっぴどく起こられた挙句に、
「とりあえず、金がある限り旅を続けろ。今の北京は危険だ」
 という指示を受け、旅行をしばらく続けたそうです。結果論からですが、非常に的確な指示だったと私は思います。

2009年6月4日木曜日

足利事件、菅家受刑者釈放について

足利事件:菅家受刑者釈放へ「無罪可能性高い」東京高検(毎日jp)

 本日、1990年に起きた幼女殺害事件、通称足利事件の犯人とされて無期懲役刑を言い渡されていた菅家受刑者が、逮捕の決め手となったDNA鑑定の結果が近年の技術で再鑑定された結果覆り、冤罪である可能性が高いと認められたことによって釈放を認められました。

 この足利事件については私も四月に「死刑制度について」で簡単に言及していますが、まさかこれほどまで早く菅家氏の釈放が認められるとは思っていませんでした。とはいえ犯人のものとされる体液のDNAと菅家氏のDNAが異なっていたという鑑定結果が複数の鑑定人よりでているので、菅家氏がこの事件の犯人ではないことはもはや明白といっても過言ではなく、無事釈放された事実はひとまず歓迎したいと思います。

 しかし冤罪に巻き込まれた菅家氏は逮捕から実に約十七年という長い期間を獄中につなぎ置かれ、いくら釈放されたとしても警察、検察、裁判所が奪った彼のこの時間はもう戻ってきません。先ほど会見の模様を私もニュースで見ましたが、自分などでは到底理解することも出来ないほどの無念を抱えていたと思うたびに胸がきつくつかえました。菅家氏は会見で警察や検察、裁判官を許すことが出来ないと述べていましたが、彼の受けてきた苦しみを考えるとそれも無理もないことだと思います。

 ではその菅家氏を無実の罪で苦しめた連中はどうかといえば、先ほどの報道ステーションでのインタビューによると、

「当時としては最高の技術であるDNAの鑑定が出た(一致した)のだから、ベストの判断だった」

 と述べていましたが、これについては私からはっきりと詭弁だと言わせてもらいます。

 実は以前にこの足利事件の発生当時の詳しい状況を調べたことがありましたが、やはり当時からも捜査手法に問題がある、冤罪なのではという声が少なからずあったそうです。そうした菅家氏が犯人だとする捜査結果の代表的な疑問として、ちょっと今細かい確認はとっていないのですが、なんでも菅家氏が犯人だと判決されたこの足利事件以外にも、発生当時の現場周辺で幼児の殺人事件がほかに複数あったそうです。
 そんな背景もあり、足利事件で菅家氏が容疑者で捕まったもんだから他の事件も関与しているだろうと世間も思ったそうですし捜査関係者もにらんで捜査をしていたらしいのですが、ある日突然他の事件については捜査が打ち切られ、足利事件だけが菅家氏が犯人だと立件されたそうです。

 何故手口も似ていて同一の犯人が疑われる他の事件が無視され足利事件だけが立件されたか、それはやはり他の事件も菅家氏が犯人だとするといろいろと矛盾が起きてくることが見えてきたからに尽きます。このほか犯行経路を警察犬に探索させたら想定していたのと全然逆方向に行ったり、証拠も状況も滅茶苦茶だったりと、どうしてこんなずさんな内容で今まで冤罪だと気がつかなかったのかと思わざるを得ない事件でした。

 私は子供の頃、警察はみんな市民の味方だと思っていました。もちろん大半の警察官は未だそうであると信じたいのですが、昨今の痴漢冤罪事件や西松建設事件を見るにつけ、彼らの目線が国民からいつの間にか国家という実体のない大きなものへと移り変わっているのではないかと感じてしまいます。シーマ・ガラハウじゃないけど、「お前はどっちの味方だ!?」と声を大にして警察や検察、果てには裁判官に問うてみたいです。

2009年6月3日水曜日

オウム真理教は何故、過激化したのか

 このブログでも既に何度か取り上げていますが、またオウム真理教の事件についてです。
 以前にも一度、「広瀬健一氏の手紙について」の記事の中でこのオウム事件を取り上げたことがありますが、既にあの事件から十年以上経っているとはいえ、私は今だからこそ再検証するべき課題がこの事件にはまだたくさん残されていると思います。特に私がもっと真剣に検証しなおすべき必要のあると信じてやまないと考える、何故エリートたちはオウム真理教にのめりこんだのかという点について今日は愚説ながら私見を述べようと思います。

 まずこの前の記事でも取り上げた広瀬氏ですが、彼は学生時代には将来を嘱望されるほどの優秀な学生で、恩師にそのまま学会に残っていれば偉大な研究を世に残したとまで言われたほどの秀才でした。なにもこの広瀬氏に限らず、オウム真理教には世の中からすれば相当なエリートに当たる人材が数多く集まっており、オウム事件が取り沙汰された頃には何故彼らのような賢い人間たちほどオウムというカルトにハマってしまったのかという検証が毎日取り沙汰されていました。
 しかし結論から言わせてもらうと、当時は結局ワイドショー的な議論を脱することはなく、この問いについて私が納得するような答えを得ることは出来ませんでした。その頃私はまだ小学生でしたが、自分が大きくなったあとにこんな風な変な宗教に引っかかったりはしないものかなどといらぬ心配をしてましたが、こういう事件を二度と引き起こさないため、ある程度事実に整理がついた今だからこそ検証をする必要があるのではないかと、オウムに集まったエリートたちに関する海外の宗教論文を読んだ三、四年前から常々一人で悩んでいました。

 そんな中、自分にとってそんな問いへの大きなヒントになる本を見つけました。その本というのも前にも一回取り上げたことがあるかもしれない、島田裕巳氏の「平成宗教20年史」です。
 本の内容を説明する前にまず作者である島田氏の経歴について説明しますが、島田氏は第一線の宗教学者として活躍されていたのですが、松本サリン事件が起きるより以前から自身の研究の一貫としてオウム真理教内部の修行やセミナーに参与観察をしていたことから、地下鉄サリン事件以降のオウムバッシングの際に「オウムの擁護者」などと根も葉もないレッテルをつけられて一時学会を追放された事がある学者です。現在は学会に復帰していくつか著作も出しているのですが、この本と並んで「日本の10大宗教」は取って入りやすい内容で私からもお勧めの本です。

 さてそんな必ずしも自分と無関係でない島田氏がオウム事件に対してどのような見解を持っているかですが、特筆すべき意見としてオウム真理教をバブル期以前と以後に分けている点です。これはオウム真理教に限らず昭和に躍進した創価学会や統一教会にも一致する特徴なのですが、これら新宗教はバブル崩壊以前までは信者数が一貫して増加をし続けたものの、バブル崩壊以後はどこも新規入信者数に一定の歯止めがかかり、伸び悩みの傾向を見せているのです。
 唯一といっていいほどの例外は真如苑ですが、オウム真理教もバブル崩壊までは信者数が右肩上がりに増えており、その頃の教団は後にあれほどの凶悪犯罪を起こす気配はあまり持っていなかったそうです。

 一概にこれがすべての原因だとは言い切れないとしつつも島田氏は、オウムが凶悪化した原因の一つとしてバブル崩壊によってこれまでの規定路線による信者の拡大が思うように図れなくなったのも遠因しているのではないかと主張しています。もちろん、バブル崩壊によって前みたいに無尽蔵にお布施を集められなくなったのも原因として挙げていますが。
 では何故バブル崩壊後、オウム真理教のみならず他の宗教でも同じように信者数の増加に歯止めがかかったのかですが、島田氏の意見を私の解釈で説明すると、

「いつの時代も世の中の動きについて来れない人間はおり、特にバブル期のように享楽的に消費生活を送ることが自明視された時代に反発を覚える人間は少なくなく、そんな人間に対してカルトとされる宗教はお金は邪なものだから捨てなさいといって彼らのお金をお布施として巻き上げるが、お金だけが価値じゃない世界を変わりに彼らに与えることで信者を獲得していた」

 といったところでしょうか。
 つまりバブルや高度経済成長の波に乗ることが出来なかった層をカルトは取り込んでいたのですが、肝心のバブル自体がなくなったことでそういった世の流れにあぶれる層自体がいなくなり、新規入信者が先細っていったという解釈です。案外、こんな感じじゃないかと私も思います。

 このようにバブル崩壊という環境の激変が組織内部が先鋭化していったのがオウムの暴走の原因となったという説ですが、私はそれ以上に、バブル期の世の中について来れない人間がオウムに行き着いたという話の方が印象に残りました。
 もし仮にバブル期でも、あまり消費欲もなく静かに暮らして生きたい人間たちも悠然と構えて暮らしていける世の中だったら、オウム内部であれだけの兵器を作ったエリートは集まらなかったのではないかと思わずにはいられません。私は社会の安定のために何が一番大切かといったら、多様な存在を同一社会において認められる多様性と慣用性をまず挙げるようにしております。

 言ってしまえばオウムに集まったエリートたちはそうした社会の慣用性が低かったためにオウムに走ったのではないか、そう最近になって思うようになりました。これはカルトに限らずテロリストの話にもつながっていきますが、知らず知らずのうちに社会の中で囲い込みをすることが潜在的な危険を増やすとされ、こうした事態を防ぐために常日頃から社会の慣用性を強く持つよう構成員は自覚するべきというのが私の持論です。少なくとも、飲み会に出るか出ないかというくらいで付合いが悪い、悪くないといった評価をするのを日本人は止めるべきなんじゃないかと、酒が飲めない自分が代表して言っておきます。

2009年6月2日火曜日

加速する経済世界

 ここ二、三年の間のうちの親父の口癖に、こんなものがあります。
「昔は一つのビジネスモデルが三十年続いた。今は三年持てばいいほうだ」
 親父の言う通りボーっと消費者で居続けるとあまり気がつきませんが、この十数年間の経済変動は19世紀における百年間の変動よりも大きいのではないかと思うほどに変動が激しいと言われています。

 一例を上げると、今から十年前にあって今の日本にはほぼ全くといっていいほどになくなってしまったものとしてPHSがあります。
 大体95年くらいから携帯電話の電池技術が進んで個人用の電話を持つ日本人が増えていったのですが、その携帯電話市場は今の世代の中高生には信じられないかもしれませんが、同じ携帯電話でも現存の携帯電話よりPHSという電波などの仕様が異なっていた電話機の方がシェアが強く、また携帯電話会社でも当初はJ-PHONEといって、現ソフトバンクモバイルの前身となった会社が一番シェアを持っていました。

 このPHSは電波が弱いものの携帯電話より通話料や基本料金が割安ということで当初早く普及して行ったのですが、2000年に入る頃には携帯電話の通話料もどんどん安くなっていき、同じ値段なら機能も充実していることから徐々に乗り換えられていってしまった電話です。年代にして大体私より二学年くらい上の世代はまだこれを使ったことがありますが、私らの年代だとマセたクラスメートくらいしか使っていませんでした。逆に二学年下になるともはや見たこともないというほどで、実に短い間だけだったのだと今更ながら思います。

 そうしてPHSを携帯電話市場から追い出した現存の携帯電話も、当初はJ-PHONEが一番強かったのに97年頃にNTTドコモが「ⅰモード」を作り出すや一変し、一挙にシェアを奪い取られてしまいました。かと思った2000年初頭にauが洗練されたデザインと「着うた」を引っさげるやぐっと躍進したものの、今では「着うた」はどこの携帯電話会社でも標準装備となり、ドコモとソフトバンクがシェアを増やしてauだけが一人負けの様相を見せています。

 ここ十数年で一番めまぐるしい変動があったのはこの携帯電話市場ですが、ほかのいろんな日本の市場でもこれと似たようなめまぐるしく市場変動が起きています。それこそかつて勝者だった企業がそのすぐ後には敗者になっていることも最近では珍しくなく、うちの親父の言っている事もあながち間違ってはいないでしょう。
 では何故それほどまで経済世界の変動が激しいのか、その原因は言ってしまえば技術革新、サービス革命の速度が上がっているということに尽きるでしょう。

 それこそ昔であれば地元に店を開いて落ち着けばそこで十年以上は安定して営業できたものが、今では毎年何かしらのてこ入れやら店舗拡大を図らなければすぐに潰れてしまう、というような具合です。しかも現状の具合の悪いところは、潰れないためにてこ入れをしたからって必ずそれが効果を出すとは限らず、下手をしたら命取りにもなってしまうことです。
 これは逆を言えば、新規参入側はⅰ-podのように一気に大もうけできる可能性が広がったと見ることもできます。ですがあまりにも早すぎる変動では技術的、経済的には良くとも、その社会に住む人間にとってはかえって住みづらくはないんじゃないか、と言うのがこのところの私のマイブームです。

 確かに既得権益層がいつまでも何もせずに生活できるような世界は問題外ですが、人生死ぬまで努力し続けなければならない世の中もどんなものかということで、親父の言を借りるなら一つのビジネスが三年も持たない世の中というのは息苦しい気がします。
 じゃあ具体的にどうすればいいのかですが、私の案は一つは過剰なグローバル化にやや制限をかけて過剰な国際競争にブレーキをかけることだと思います。何も共産主義ほど徹底するのには反対ですが、人間の競争を野放しにするのはそれはそれで危険なことではないかと思い始めてきました。