2010年10月27日水曜日

今後の上海の予想

 このところブログの更新を休むことが多いですが、実はちょっと前から所用で中国の上海に来ております。あちこち出かけたりするもんだから暇な時もあれば全くブログが書けない日もありですが、今回何が一番辛かったというと日本のプロ野球クライマックスシリーズを全く見ることができなかったことです。

 そうしたことはさておいて久々にやれる現地からの生の中国レポートですが、すでに今年の二月に上海には旅行に来ているものの、今回改めて上海にしばらく滞在していろいろとこの街の行く末について思うところがありました。結論から申せば上海は数年のスパンで言うと今くらいがピークで、あるところまで発展したらちょうど天井に頭をぶつける感じで途端に経済成長が止まるのではないかと感じました。

 一体何故こんな風に思ったのかというと、ふと上海には何があるのかと考えたことがきっかけでした。恐らく大半の日本人の方は中国は首都は北京、経済は上海というように考えるかと思いますがそれに間違いはなく、今現在でも上海は中国で一番の経済都市で多くのオフィスがここに集まっております。
 しかしそれ以外には何があるのかと考えてみると、強いてあげるとしたら中国の都市としては進んだインフラくらいしかないのが現状です。現在の中国は世界の工場といわれるほどに工場での大量生産によって景気を支えていますが、それらの工場は全くないわけじゃないですが上海にはなくむしろ江南の浙江省や北方の河北省の方に集中しているのが現状で、今後も上海郊外にいわゆるものづくりの現場が増えていくとは私はあまり思えません。

 北京は首都であるために今後も国が保護する形で発展を続けていくでしょうが、それに比すると万博が終わった後の上海はどうなるのかというと少し心もとないところがあります。では上海が発展し続けていくためには何が必要なのかというと、私が思うに金融が必要不可欠になってくる気がします。
 現在でこそ上海には上海証券取引所があってここは東証にも劣らない取引量ではありますが、それは経済成長が著しい今だからであって今後もずっと続いていくとは思えません。まして中国国内だけの金融を回すのならともかく、かつてアジアの金融を束ねていた英国領時代の香港のようになるには人民元が国際通貨にならなければなりません。

 ここが今回の話のネックですが、要は人民元が国際的に信用される通貨となれるか否かが今後の上海、ひいては中国全土の発展を大きく占うのではないかというのが私の考えです。かつて日本はプラザ合意でアメリカに無理やり円の自由相場制に移行されたとなっておりますが、確かに当時の日本にとってはダメージではあったかもしれませんがその後なんだかんだ言ってドルとポンド、ユーロと伍すだけの国際通貨となったのも事実です。まぁそのせいで今の円高を引き寄せてんだけど。

 中国政府は今もなおアメリカの嫌がらせに近い人民元の切り上げを突っぱね続けて自由相場制など夢のまた夢のような状況ですが、為替以外にも株式市場に中国は露骨に政府介入することもあり、長期スパンで考えるなら市場に国際的な信用を得るにはまだまだ時間がかかりそうです。そういう目で見たら、皮肉かもしれませんが日銀が為替介入してもどってこともなかった日本の取引市場は胸を張っていいくらいの透明度と言えるかもしれません。

 現在、外国企業の中国現地法人は大体北京か上海にあり、それらのオフィスから中国全土へ営業社員が直接出張に行って商談を行うのが常です。日本みたいに全国各地に営業所がこれから出来るということはインフラの関係上ほぼないとは思いますが、そのうち上海には無理にいなくとも、製造現場に近い浙江省とか河北省に徐々にオフィスが移行していくのではないかというのが私の考えです。
 今回私がこういう風に考えたのは、恐らく日本の大阪を見ているからだと思います。別に大阪を悪く言うつもりはありませんが、経済の中心地というのはオフィスの中心地だけでなくなにか別の裏打ちする要素が必要だと感じているせいかもしれません。

  おまけ
 今回中国に来て困ったのは、恐らくGoogleとの衝突問題のせいでしょうかYoutubeとBroggerが開けないことです。Broggerでやってる本店なんてそのせいで更新できないし。たださすがにこれを切ったらまずいと中国政府も思ったか、同じGoogleでもGmailは今のところ問題なく使えています。

  おまけ2
 上海万博にも行って来ましたが人が多くて並ぶのが嫌ですぐ帰りました。日本館なんて月の石なんか置いてないのに午前中から5時間待ちでしたが、北朝鮮館はガラガラだったので入ってすぐ出て行きました。例の朝鮮労働党のバッジとか売ってて、「Paradise of people」とでっかく壁に書いてましたが、「Hell of people」の間違いじゃないかなと思いながらデジカメで一応写真撮りました。ちなみに別の展示館とかで「撮影禁止」って書いてるのに、中国の人たちは気にせずあちこちでバシバシ撮ってました。

 明日からまたしばらく出かけるので、更新をまた一時休みます。11月の前半には復帰する予定です

2010年10月24日日曜日

文物の暴力描写について

 こういうのもなんですが、暴力描写の多い漫画やゲーム、小説が私は大好きです。最近だと「ブラックラグーン」という漫画を読み始めましたがこれも久々に暴力を前面に出している漫画なので一気にはまり、現在単行本を徐々に買い集めていますが内容といい絵柄といい、これほどの漫画家がどうしてそれまで売れなかったのだろうかなどと思うくらい評価しております。
 暴力描写の多いゲームの場合ですと以前は「バイオハザード」が代表的でしたが最近では箱庭世界の中で何でも出来る「グランドセフトオート」が一番槍玉に挙がってくるでしょう。最後に小説だと、今はすっかり読まなくなりましたが以前はよく菊池秀行氏の小説を読んでました。どうでもいいですが菊池秀行氏原作の漫画、「退魔針」という漫画も連載当時に買って読んでましたが、最近になって絵を描いていた斉藤岬氏の別の漫画をよく買い集めています。斉藤岬氏の漫画とも、ずいぶん長い付き合いになる。

 そんな私の趣味の話はまたぞろ置いといて、今に限らず昔からこういった文物における暴力描写について批判する声は後を立ちません。やれ子供に悪影響が出るとか真似する人が出るとか、それに対して近年は主にインターネット上を中心に逆批判もあり、そんなの根拠のない話だとか都合よく規制をしようとしているなどという声を見ることが出来ます。

 今日ここで私が何を言いたいのかというと、そろそろこういう暴力描写の影響について中身のない議論はやめてお互いにきちんとデータを取ってみたらどうかと思っています。データを取るというのは簡単なことで、暴力描写の影響によって起こるとされる犯罪を実際に犯した人間から聞き取り調査を行い、具体的にそれまでに関わった漫画やゲームを挙げてもらい、そうやって挙げられた対象の文物に何かしら規則性があるのかどうかを調べるだけです。
 恐らくそうやってデータを取れば先ほど挙げた猟奇的といわれる文物を携わった人間の一人や二人は出てくるでしょうが、それがなんらかの規則性があると判別できるには最低でも母数比率からして10%以上、よくて30%以上が必要です。まぁやろうと思えばこういったデータはいくらでも都合よく操作することは可能で、たとえば視聴率の高い「サザエさん」を見たことがあるかといえば九割がたの犯罪者は見たことがあると答えるでしょうし。

 ただ私としては厳密にデータを分析することで何かしらの犯罪の傾向を読むことは出来るように思われ、実際にアメリカではさまざまなデータを比較分析することによって精度の高い報告をしていたりします。特に私がなるほどと思わせられたのは動物虐待を行う人間は後に猟奇事件を行う可能性が高いという報告で、この報告を元に向こうでは動物虐待に対して刑罰をかけるようになり、日本も同じように刑法を作るようになりました。
 この動物の虐待と猟奇事件については私もきちんとデータを見たわけではありませんが実感的にはやはり因果関係があるように思われ、あの神戸の連続児童殺傷事件の犯人も地元の野良猫を事件前によく殺していたらしいですし、それ以外の猟奇事件犯人についても人の飼い犬に石を投げるなどといった行為が見受けられます。逆に私の周りだと動物好きな人は優しい人が多いようにも思え、相手を見る上で動物への接し方を私は重視しています。犬派か猫派かだけでも割と性格分かれるし。

 そういう意味で暴力描写と犯罪がどのような因果関係があるのかをきちんと比較することは無駄ではない気がします。こういった比較研究が全くないわけではないですが先ほどにも言った通りにデータが意図的に操作されている例も少なくなく、まだ真剣に研究されているとは言い難い状況です。ただ一つ言えることとしてはゲームにおける暴力描写はゲーム製作の技術進化に伴い圧倒的に増えていますが、近年の若者による暴力事件の件数はファミコンが発売される以前の70年代より圧倒的に少ないです。まぁ母数となる若者の人数も激減しているので犯罪発生率で見ないといけないんだけど、誰かまとめてないかな。

 あと最後に私自身で言うと、最初にも書いた通りに暴力描写に対して人一倍接している量が多い自信がありますが今の今まで暴力事件で警察のご厄介にはなったことはありません。ただ読み取りが遅いことに頭にきて、PS2を殴り壊したことがあるほど短気なのは認めるけど。

2010年10月23日土曜日

犯罪は何から生まれるのか

 私の専門とする社会学には犯罪社会学という分野もあり(○○社会学と言ったらなんでも社会学になってしまうけど)、私はあまり手をつけませんでしたがなかなか面白いことをやっている分野です。具体的にどんなことを研究するのかというと、「何がその社会で犯罪となるのか」とか「犯罪者はどうして犯罪者になるのか」などと、まるで禅問答のような問いに対して如何に科学的に分析するかを取り扱います。聞くところによると成立した当初、イタリアにて犯罪者には何かしら犯罪者となるべき特徴などはないものかなどと真剣に比較研究が行われたらしく、なんと犯罪者と一般市民の頭蓋骨まで比較し合って特徴を探そうとしたことも合ったそうです。

 それでこの犯罪社会学ですが先にも言った通りに私はあまり手をつけなかったもののひとつ面白いと感じた一説に、「犯罪は何から生まれるのか」というくだりがあります。非常に適当に勉強してたものですから誰だったか名前も忘れましたけど、確かハーバードの研究者で実際にマフィアと交渉し、一時その構成員となって参与観察を行った人が居り、その人が発表した論文にこんな記載があったそうです。

「犯罪とは、自分の欲求を正当に適える手段がない時に行われる逸脱行動である」

 もちろん犯罪社会学には何がその社会で正当な行為か、逸脱行動なのかを議論する分野もありますがそれは今回置いといて、そのアメリカの社会学者は上記のように犯罪が発生する要因をまとめております。

 具体的にどういうことかというと、たとえばある男が高級な腕時計を欲しいと思ったものの購入するお金がなかったとします。多分現代では日本の大多数の人はお金を貯めてからその腕時計を購入するのが正当な手段だと考えると思いますが、その男はお金を貯める間もなく欲しいと思ったとしてほかの人からお金を強奪して買う、もしくは店から直接腕時計を盗んだりするとなると犯罪となります。

 この話で重要なのは、男が犯罪に走る以前に「腕時計が欲しい」と欲求を持ったことです。そもそも男が腕時計を欲しいと思わなければ盗みなどする必要もなく、このように大半の犯罪が生まれる背景には何かしらの欲求、もしくは不満が存在するのです。それは逆に言えば社会全体で構成員の欲求や不満を減らすことが犯罪の抑止効果があるという考え方につながるわけで、過剰に消費意欲を煽ることは犯罪増加に繋がるのではという話になっていくわけです。

 ただもうひとつその社会学者は重要なことを指摘していて欲求を正当な手段で叶えられないからといってすぐに犯罪に走るわけじゃなく、その欲求を叶える脇道的な手段こと犯罪の手法も必要だとしてその犯罪手法を教える犯罪学校の重要性も指摘しております。犯罪学校とは言いますがこれに該当するのは要するにマフィアや暴力団で、一つ例にとるとまだ件数の多いオレオレ詐欺も皮肉なことに警戒するようにと警察やマスコミが手法を公開したことによって続々と模倣犯が生まれていった傾向があり、また日本で発生するようになってからしばらくすると韓国や中国でも同じ手法が使われるようになったとも言われています。

 そういう意味で被害に遭わないよう警告するために犯罪手法を公開するのは諸刃の剣のような効果があり、公開するべきかどうかの判断は難しいといえば難しいでしょう。ただオレオレ詐欺の場合は手段が簡単なためにほっといても広がっていく可能性があり、私は公開し警告を促して正解だったと考えております。

 まとめになりますが犯罪が生まれるには大きく分けて、「正当な手段で欲求をかなえられない人がいる」、「その欲求を脇道から叶える犯罪手法が教えられる」という二つの要素があり、これらが組み合わさった時に犯罪が発生することになります。ただ基本的に世の中でお金が欲しくないと思う人間はいるはずもなく労せずして稼げる手法がわかればみんな手を出すのが当たり前です。そういう意味でそういった犯罪手法を世に出回らせないことが大きな犯罪対策となりうるのでしょうが、こうもネットが発達した時代、爆弾の製法までわかってしまうのでは難しいでしょう。

2010年10月22日金曜日

本当に強い剣客は誰なのか?

 この前街中を歩いているとふと、日本で個人としての武力で一番強い人間は誰になるのかと気になりました。それこそ時代劇小説ではさまざまな剣客が登場しますが、多かれ少なかれ脚色がされた姿が浸透していて中には実態からかなりかけ離れてしまっている人間も少なくありません。そこで今日は私の独断と偏見と持ちうる知識で、主だった剣客は実際のところどれほど強かったのかを評価しようと思います。

1、宮本武蔵
 はっきり言って私は宮本武蔵は実際のところそれほど強くなく、ただ売込みが上手かった剣客なだけだと評価しております。もともと吉川英治が小説の「宮本武蔵」を書いたのも雑誌での、「武蔵は本当に強かったのか?」という対談がきっかけだったくらいだし。
 いくつかそんな評価理由となるエピソードを紹介するとまず有名な巌流島の佐々木小次郎との決闘ですが、この決闘は武蔵が木刀で小次郎を一回叩くや周囲からわっと武蔵の弟子が出てきて小次郎を一斉に切り倒したと言われており、決闘というよりかは騙まし討ちに近かったそうです。またこれ以外にもある有名な剣客が武蔵に決闘を挑んだものの、武蔵はあいまいに返事して次の日には逃げていなくなったそうで、勝てそうな相手としか戦わなかったそうです。それはそれで相手を見る目はあるんだけど。
 そもそも上記のエピソードらも一体本当なのかどうかも怪しく、まず確実に言えることは武蔵自身が語っているエピソードは事実に基づいていない虚飾が以上に多いことです。いつの時代もうそつきは世にはばかる。

2、上泉信綱
 上泉信綱の詳細についてははっきりしないところが多いものの、彼の弟子があちこちで活躍するのを見る限りだと上泉自身も相当強かったのではないかと思います。弟子の柳生宗厳は徳川家の指南役になったことはもとより、直接教えた足利幕府十三代将軍足利義輝は松永久秀の謀反を受けた際、自ら刀を取って敵兵をばったばったと切り倒したと伝えられています。そうしたことから察するに、この人の強さは本物だと思います。

3、前田慶次、柳生十兵衛
 両者ともに取り上げた本が売れまくったせいで実態からかなりかけ離れた像が一人歩きしていますが、彼らの経歴はあまり明らかになっておらず、強かったかどうかは事実上判別の使用がありません。まぁお話の中くらいは強くあってほしいけど。

4、岡田以蔵
 文句なしにこの人は強かったでしょう。「人斬り以蔵」と呼ばれただけあって関わったとされる暗殺事件は数多く、それ以外にも注目すべきは勝海舟、中浜万次郎の護衛時のエピソードで、どちらも複数人の刺客相手に一歩も引かず、逆に何人かを斬り殺して撃退しています。

5、沖田総司
 私が考える中では、多分この沖田総司が確認できる中では最強じゃないかと考えています。元々沖田が所属していた新撰組自体がかなりの化け物揃いの集団で、局長の近藤勇に至っては池田や事件にて奇襲とはいえ永倉新八とともに十数人を二時間近く相手にしていたとされます。
 そんな猛者揃いの新撰組の中にあって最強は永倉か斉藤一か沖田かとまで言われ、攘夷派からも非常に警戒されていたという書類までも残っています。特に圧巻なのは生前の沖田を目撃したとされる方の証言で、夜に三人の追っ手から追われていた沖田は立ち止まって振り返るやあっという間に三人を斬り殺したとされています。本当かどうか、すこし怪しいけど。
 ただ新撰組が幕末当時において非常に腕の立つ剣客集団だったことは間違いなく、近藤亡き後も各地にて転戦を続けた際も白兵戦では恐ろしいほどの活躍を見せたとされており、その中で最強と評された一言を持っても評価に値するかと思います。

 このほかにも本田忠勝なども挙げるべきかとも考えましたが、この辺になるといくらか怪しくてはっきりしない部分もあるので今回はやめにします。ただ個人の武力は匹夫の勇であって真に世に求められるのは大軍を率いる指揮力だと昔から言われますが、小説とか書く上ではこういう人たちがいないと困るので必ずしもそうではない気がします。

2010年10月21日木曜日

逆境下の日本人

 今日は昨日の記事の続きです。昨日は「自動車の燃費について」というタイトルで純ガソリンエンジンとしてはかつてなら考えられない燃費性能を達成したマツダを取り上げましたが、この記事で私が言いたかった内容は割りと日本人は追い詰められた際に真価を発揮するということで、これが長所でもあり短所でもあるのではと私は考えています。

 追い詰められる、というより無茶な要求にも意外にも応えてしまうという方が適当かもしれません。昨日取り上げたマツダの例ではハイブリッドエンジンの開発が遅れていたことからガソリンエンジンで燃費を追求した結果、ハイブリッドエンジンにも大きく引けをとらない性能のエンジンを作ってしまったことを紹介しました。こういうことは何も日本以外でもあるとは思いますが、日本に限って言えばかつての太平洋戦争初期に無類の強さを発揮して米英軍から「見つかったら逃げろ」と、敵前逃亡しろなどというとんでもない命令を出させたゼロ戦も、

「このくらいの高度と、このくらいの速度が出せる飛行機をこの予算で作って」

 という、軍上層部からのかなり無茶な要求を当時の技術者が本当に実現してしまったがゆえに出来たと言われています。まぁその分、機体装甲が果てしなく薄くなってパイロットの死亡率も非常に高かったそうですが。

 技術に限らなくとも日本人は納期や製造などといった各方面でも割合に上からの要求に応えてしまうところが多いように思えます。私なんか無茶な要求に期待させるようなことを言っちゃ駄目だと考えているもんだから無理だと思ったらすぐに無理ですと言って、「もっと言い方ってものがあるだろ!」と相手によく怒られた経験がありますが、こうした言い分が通るあたり日本人はたとえどんな無茶な要求や要請にも一応は対応し、応えねばならないという考えが強く浸透しております。

 もちろん常識では無茶だと思われるものに取り組んで実現していこうという精神は立派でもあるし非常に大切だと思いますが、その一方で無茶だとわかっていながら引き受け、結果やっぱり駄目だったせいで各方面で足を引っ張ることになるという話も日常茶飯事のように聞きます。特にこういったものでよく聞くのはIT業界での納期や対応で、受注段階で労力やシステム内容から言って明らかに相手の希望に応えられないにもかかわらず安請け合いして、残業に次ぐ残業をしながら納期に間に合わず結局発注元に怒られ、発注元もスケジュールが遅延してあれやこれやと。

 またIT業界に限らず、一部の業界ではかなりきつきつの納期設定を行っていてほんの少し予定がずれただけで全方面に玉突き事故のように出荷に支障が出るということも聞きます。かくいう私も一回そんなのに巻き込まれて、物は届いているので早めに出荷指示を出してくれれば海外への輸出手配を行えたのに何故だかなかなか指示が来ず、やっときたかと思ったら急いで出してくれと……。二時間ごとに荷物が今どこにあるのかと電話鳴らされた際はいろんな意味でいい迷惑でした。

 恐らく普通の社会ならば、こちらの希望通りにそうそう事は運ばないと考えて納期や日程にある程度余裕を持たせることでしょう。ただ日本の場合は案外希望通りに事が運んでしまう、運ぶように相手が努力してくれるがゆえか、何事に関してもタイトに物事を考えてしまうところがある気がします。私もあまり人のことを言えませんが、電車がわずか五分程度遅れただけで激怒する人とか見ているともはや精神病じゃないかとつい思ってしまいます。
 私に限らずこのようなタイト過ぎる日本社会を批判する声はあり、一部の経済学者からは日本全国で納期を一日ずつ余裕を持ち合えばGDPは減るどころか増加するという意見もあり、私もこの意見に賛成です。

 ホッブズの「リヴァイアサン」に書かれた有名な一説に、「万人の万人に対する闘争」というものがあります。この記事の内容だけじゃないですが、このところこの一説がしょっちゅう頭にもたげ、今自分を含めた周囲の人間らは何と戦っているのだという疑問をよく持ちます。ライバル会社以上に同じ会社の人間に憎悪を持つ人とか見てると。

2010年10月19日火曜日

自動車の燃費について

・マツダ、HV並み低燃費ガソリン車を来年発売(産経新聞)

 久々にニュースのリンクから始めましたが、なかなかに驚きのニュースなだけに初見で私もびっくりしました。上記のニュースは自動車会社のマツダがつい最近に出した自動アイドリングストップシステムことアイストップを小型自動車のデミオに搭載し、なんと低燃費が売りのハイブリッド自動車に匹敵するリッター30キロという燃費の車を来年以降に販売するというニュースです。

 私は事故率の低いことで一部有名な鳥取の日本海自動車学校を卒業しておりますが決して人に誉められるほど車の運転はお世辞にも上手くなく、それほど乗る時間も多くないものの車を見るのは好きで、最近はあまり読まなくなったけどたまにベストカーという雑誌も買って読んでます。そんな私の個人的な感想ですが近頃の車はというとやはり家族向けに売り出す車が多くてデザインがどことなく落ち着いており、若者向けのちょっと突っ張った漢字のデザインの車はほとんどない気がします。それに対してバブル期の車は時代が時代なだけにデザインも多彩で、年数も経っていることから中古車価格も低くなっているのでこの際なにか運転の練習を兼ねて三菱の古い車でも買おうかと一時期私も考えたことがありましたが、結果はというと結局買わなかったわけです。

 一体何故買わなかったのかというと、新旧の車で燃費性能にとてつもない差があったからです。十年一日とは言いますが現在新車で並んでいる車と十年前の2000年前後に発売された車では燃費に雲泥の差があり、いくら中古車本体の価格が安くとも燃料代を含むランニングコストを考えると新車買った方が明らかにお得で、いくらデザインが肌に合ってもこれほどの差は埋め切れないとあきらめました。

 自動車の燃費は「20世紀に間に合いました」のキャッチコピーとともに97年に発売された世界初の量産ハイブリッドカーであるトヨタのプリウスが発売されてから開発競争が始まり、2000年代中盤からはどこの自動車会社も主力車をそれまでのワゴン車からコンパクトカーに変えてよりこの方面に注力していきましたが、ホンダがプリウスのデザイン丸パクリのインサイトを出してからはまるで、「ハイブリッドカーにあらずば車にあらず」と言わんばかりに去年、今年はハイブリッドカーが売れてきました。

 それに対して今回ニュースで取り上げたマツダはハイブリッドエンジンの開発がそれまであまりなされていなかったのもあってあくまでも通常のガソリンエンジンでより燃費を高める方向で研究を進めていたようですが、その研究が実って去年アクセラに搭載されたのがアイストップという自動でアイドリングストップを行うシステムで、これにより従来の燃費を大幅に向上することに成功したわけです。
 当初は自動でアイドリングストップすることにちょっと不安感を私も覚えたのですが聞いている限りだと乗っている方には好評で、特にこれが原因での事故も聞かないので大したシステムだと評価しております。

 それが今回待望のデミオに搭載されることでありえない燃費を実現したことになるわけですが、本当に十年前ならガソリン車でこの燃費は考えられなかったことでしょう。特にこのアイストップシステムはハイブリッドエンジンと違ってそれほどコストがかからないらしく、またレアアースもそれほど必要としないので中国対策としても抜群です。

 マツダの関係者のインタビューを見てたりすると、やはりハイブリッドエンジンにどう対抗するかということでいろいろと努力をしてきたという発言がよく見えます。まぁそういいながらも広島の人から話を聞くと不況を言い訳に下請けいじめがこのところ増えているそうですが、なんだかんだで追い込まれると日本人は本当になんでもやってしまうんだなと思わせられる話です。

 本当はそのまま書こうかと思ってましたが長くなったので、「追い込まれた日本人はとんでもない」という話はまた明日書きます。それにしてもほかの自動車会社はいろいろとニュースがあるのに対して、私が贔屓にしている三菱自動車に関してはこのところ何も取り上げられません。わかっちゃいるんだけど、こうもなぁ……。

インドから見た日本

 日本人からするとカレーとダルシム(ヨガ)のイメージが強いインドですが、近年にわかに日中関係から日本における存在感が高まっているのではないかと勝手に思っています。一体インドが何故日中関係に影響するのかというと単純に中国とめちゃくちゃインドは仲が悪く、地理の授業でもカシミール地方で中国とインドとの間で領土問題が起こっていると教えられるくらい仲が悪い国だからです。

 そんなインドに対して中国はこの前の尖閣諸島で見せたいつも通りに強引な主張をこのカシミール問題でもやっていることでしょうが、その裏ではしたたかな外交戦術というべきか、「敵の敵は味方だ」と言わんばかりに最近はだいぶマシになったけどこれまたインドと仲の悪いパキスタンとの外交関係を強化しております。
 これはいわば中国伝統の遠交近攻策で、オセロゲームのように敵を自国と味方で囲い込むことで攻めていくやり方なのですが、このオセロの範囲を広げるとちょうどインドと日本の間に中国を当て込むことも可能で、今後中国の領土拡張政策を抑えるためにも中国を囲む周辺国で一致して行動し、そのためにもインドは日本の重要なパートナーになるであろうという意見を主張する人も少なくありません。

 ではそんなインドは日本に対してどんなイメージを持っているかですが、まず前情報として企業進出の話をします。インドに出ている日本企業の中でも代表的なのは自動車、バイクのメーカーであるスズキで、ここは早くからインドに進出して現地での生産、販売を幅広く手掛けてきた甲斐あって現地の人間なら知らないものはまずいないというほどの認知度を獲得しております。ただ進出した際はやっぱり大変だったそうで、日本の「同じ釜の飯を食う」という発想の社員食堂を作ったところ、「下のカーストの連中と一緒には食べれない」という文句が来たりしたそうです。

 スズキ以外の日系企業となると、私自身があまり詳しくはないのもありますがやはり自動車関連のメーカーがいくつか出ているのを除くとまだそれほど多くないような気がします。90年代にIT化を進めようと日本が言い出した際、インド人技術者には率先して就労ビザを出そうといいながらもほとんど出さなかったくらいなので民間交流はそれほど多くないと言えるでしょう。

 では単純にイメージではどうかですが、実は私がインドに旅行中に直接インド人ガイドに尋ねたことがありました。そのガイドは私の質問に対し、

「インド人は日本人に対してそれほど悪い感情を持ってはいませんが、核のことについてとやかく言われたくないと思っています」

 そうだった。インドは核保有国だった。
 このガイドの話を聞いた直後の私の感想はまさにこれでした。インドは隣国パキスタンとの軍拡競争の中で核爆弾の製造と実験を行い、NPTから脱退した上で核保有国となりました。そして世界唯一の被爆国である日本は当時に強くインドとパキスタンを非難しました。

 もっともインドの核実験が行われてもう大分経つので向こうも気にしてないかもしれませんし、これまでも日本はアメリカの核の傘に効果があったないかは別として守られてきたのは事実なのであまり気にせずに中国を封じ込めるために共同歩調を取ることに問題はないかと思います。私としても先日の何も食べずとも行き続けられるおじいちゃんを始めとするビックリ人間が大量にいるインドは子供のころから大好きな国なので、日印で仲良くしてくれたらなぁという勝手な願いがあります。たとえそれが中国との関係を悪化させるとしても。

  おまけ
 今日の中国の報道で、この前日本に来て天皇会見問題に関係した中国の習近平氏が軍事責任者第二位に就任することが発表され、事実上胡錦濤氏の後継となることになりました。私はなんだかんだいって胡錦濤氏は日中関係に努力してくれて、今回の尖閣諸島問題でも何故かテレビでこの問題に言及することがなかったので名残惜しい気持ちがして、次の習近平氏はなんか冷たい感じがするのでまたやりづらくなるような気がします。

2010年10月17日日曜日

横浜ベイスターズ売却に見るテレビ局の経営不振

 先日に大きく取り上げられましたが、プロ野球チームの横浜ベイスターズを保有するテレビ局のTBSが球団売却を現在水面下で進めているようです。プロ野球チームの身売りは何もこれに始まったわけじゃなくつい六年前にも近鉄バッファローズの売却で楽天とライブドアで争奪戦になったことは記憶にも新しいですが、ここ数年チーム成績も非常に悪いベイスターズなだけにこの際、別のオーナーがついたほうが球団にとってもいいんじゃないかと私も考えています。
 ただそうしたベイスターズの売却騒動以前に、こうして球団身売りが現実化してきたTBSの不振ぶりのほうがこのニュースにとっては重要でしょう。

 近年、日本のテレビ局はテレビCMの広告料不振が続いて非常に経営が苦しいとあちこちで言われております。その中でも特にTBSは度々不祥事を起こし、視聴者もそれを感じ取ってか目に見えて視聴率競争でも悪化の一途をたどっております。
 日本のテレビ界では長年、年間平均視聴率では娯楽番組の多いフジテレビが一位の座を長く守り、そのフジテレビの調子が悪いときに巨人戦を中継する日本テレビが時たま一位を奪うという構図が続いていました。それに対してTBSはというと地味に不動の三位の座にあり続けたというのがこれまでだったのですが、去年はどうだったかまでは忘れましたが確か数年前にとうとうその三位の座を万年四位のテレビ朝日に奪い取られ、看板番組もない中で「潰れるとしたらまず真っ先にTBSだろう」と言われていました。

 先にも言ったとおりに近年のテレビ局は広告単価の低下に伴い収益が悪化し、現時点ではどこもテレビの広告収入よりテレビ局が保有するビルのテナント料などといった不動産収入が上回るようになっており、テレビ局というよりは不動産屋のような様態をなしております。不動産収入が広告収入を上回ってるのは新聞社も同じことですが、逆に言えば不動産の保有量が少ないテレビ局ほど苦しいということになり、その条件から言ってもTBSがまた当てはまってしまうわけです。

 はっきり言いますが日本の放映権は完全に独占事業であって行政によって非常に守られた市場であり、それにもかかわらず経営不振になるというのは明らかにテレビ局の経営陣が無能な人間であるが故でしょう。ただ中央局のTBSですらこの有様ですから、地方局はきっとこれ以上にひどい状態であるのは想像に難くありません。

 では仮にTBSが経営破綻をしたらどうなるかですが、私はおそらくフジサンケイグループことフジテレビと合併するのが一番可能性が高いと思います。そもそもこの二社のバックにある新聞社は産経新聞と毎日新聞のいわゆる全国紙負け組の二紙で、新聞社同士でも苦しい間柄ゆえに以前から合併するのではと言われていました。ただこの二紙で決定的に違うのはテレビ局の内実で、フジテレビは現在も視聴率では高い数字を取っているもののTBSは先にも言ったとおりにボロボロで、毎日新聞もTBSからの送金がなければ万年赤字体質なだけに両者で赤字となっては未来も何もあったもんじゃありません。

 両社が合併して経営が改善するかといったらそれもまた微妙ではありますが、割とこの業界は政治勢力の干渉が強い業界なだけに救済というかたちでフジテレビが買収する線が高いのではないかというのが私の見方です。TBSが潰れるとしたら私が個人的に気になることとしてアナウンサーの安住紳一郎氏がどこへ行くかで、逆を言えばこの人がフリーに転進する時期がデッドタイムなんじゃないかと勝手に勘繰ってます。

育つ政治家、育たない政治家

 最近また政治ネタから遠ざかってきているのでちょこっと加工のいる情報を流すことにします。
 民主党政権になって早くも一年が過ぎましたが、前首相の鳩山由紀夫氏があまりにもあれだったのもあって現在の菅首相はまだマシに見えますが、それでも早くも尖閣諸島の対応について批判を受けて支持率の低下を招いております。ただそれでもまだ決定的な菅下ろしにまで発展しないのはなぜかと言うと、菅直人氏以外に首相を張れるようなまともな政治家がほかにいないというのが最大の理由でしょう。

 かつての小泉政権時にある評論家が、小泉元首相は不良債権の処理や郵政民営化など目に見える施策は確かに行ったがその一方で首相として果たさなければならない後進の政治家の育成だけはついぞ行わなかったと評していました。それでも敢えて当時の自民党内に将来首相足りえる人材として候補を挙げると、安倍、福田、谷垣、麻生、竹中といった当時の小泉政権のメンバーをその評論家は挙げていましたが、皮肉というか上記の候補らはその後すぐに議員辞職をした竹中氏を除くとものの見事にみんな自民党総裁になり、現在の谷垣氏を含めていずれも評価の低い、というよりどうしてこんな奴が……と資質を疑うような政治家だったということが露見する事態となりました。
 ちなみに私の評価は、「福田>>安倍>谷垣>麻生」、といったところです。

 それにしても国会議員が何百人もいながら与野党問わず首相を張れそうな人物がこれほどまでに少ないというのは異常事態です。かつての55年体制であれば実力があって期待もされながらも時に恵まれず首相となれなかった渡辺美智雄や金丸信などといった惜しまれる人物がたくさんいたことを考えると、べジータじゃなくとも現代は首相のバーゲンセールもいいところで、待ってりゃそのうちお鉢が回ってきそうな状況ですらあります。

 久々に前置きが長くなりましがたが、どうしてこれほどまで現代は政治家が育たないのかというのが今日のお題です。政治家が育つか以前にまともな人間が選挙を経て政治家になれるかという問題もありますがそれは今回置いといて、一度議員となった人間が議員生活を通して成長するか否かにスポットを当てます。

 この手の話をするとなると避けては通れないのが、55年体制時の自民党の派閥政治です。この派閥時代はどの政治家も何がしかの勢力に加入することでその派閥内で先輩から教育を受けて勉強したと言われますが、派閥がなくなった今とを比べると確かにその教育は存在して効果があったと言わざるを得ません。ではこの時代に戻れとなるとそれはまた別の話で、確かに今の状況よりは派閥時代のほうがマシかもしれませんがいまさら元に戻ろうとしてもまた違った形での派閥政治になってしまう可能性もあり、私はあまり賛成ではありません。
 では自民党ではなく現与党の民主党ではどうか。政権党ではなかったというハンデこそありますがあれだけ政策論議してきてこの結果かよと、やや擁護的な立場をとっている私ですらちょっと思ってしまう状態です。

 逆にこの十年くらいで成長したなと感じさせられる政治家はというと、挙げるとしたら小池百合子氏になってしまうのかな。打たれ強さなら定評があるけど。

2010年10月16日土曜日

日本に武士道は存在するのか

 かねてからいろいろ問題や不備の多い日本の年金行政ですが、今年は死んでいたにもかかわらずその死を隠して年金を不正に受給していたという問題が起こり納税者からは大いに顰蹙を買うこととなりました。この年金の不正受給問題が発覚した際、主に年長者の方々から、「日本にはまだ武士道というものがあるのに、こんな問題が起こるとは……」と、かつての日本人と比べてモラルが低下していることを嘆くようなコメントを多く見かけたのですが、こうした声に対して私の知恵袋でおなじみの「文芸春秋」より面白いコラムが寄せられていました。

 そのコラムを書いたのは歴史学者の氏家幹人氏で、氏家氏によるとなんでも江戸時代に書かれた書物に当時の武士階級においても今回の年金の不正受給と同じように役付きの武士が死んだ際、家族はその死んだ武士を病気だとお上に届けることで死後も一定の期間は俸給を受け続け、お上もお上でこれまで頑張ってきてくれたんだしということでこの不正受給をわかっていながら黙認し、ほぼ習慣化されていたそうです。
 そういう意味では先ほどの「日本には武士道が……」というくだりは案外に伝統的なもので、今回の年金の不正受給も今に始まったことではないと氏家氏はまとめております。

 これは私の恩師の言葉ですが、そもそも日本人は何かと都合良く武士道という言葉を多用するが、元来武士道というものは非常に曖昧な概念であってそれほど重厚な価値観を持つ気高いモラルではないと話していました。私自身も武士道という言葉はなにかこう、今回のように悪い行いを批判する際によく使われるように感じ、実態的には江戸時代を含めて実践された概念や行為というよりは理想とされた概念のような気がします。

 この手の話をするとよく「葉隠」という書物に記された、「武士道とは、死ぬことと見つけたり」という言葉が引用されますが、この言葉自体どこか現実離れしている感が否めず、本当に命懸けるのかよと中学生ではないですが聞きたくなるようなフレーズです。また武士道の基本とされる「御恩と奉公」についても上流武士階級は大した仕事もせずに三日に一日だけ働くことで給料もらえる特権階級であって、主君への忠誠のために動くというより自らの権益を守るために藩のため働いていた節があるのではないかと私は考えています。

 ここで結論を申せば私は武士道というものは偶像化された概念であって実践されてきたわけでなく、今も何かしらモラルの向上などに寄与しているわけではないと考えています。だからといって日本人のモラルは低いというつもりはなく世界的にも非常に高くて誇れるモラルだと思っていますが、そのモラルが出来上がった理由はまだ議論の余地はありますが、物質的に豊かであることと高い教育レベルの賜物ではないかと思います。
 ただ近年はモラルの低下があちこちで叫ばれていますが、物質的な豊かさはさすがにバブル期よりは落ち込んでいるもののそれを補うほどインターネットやサービスといったインフラが向上しているので、私は主原因は教育レベルの低下が怪しいんじゃないかと睨んでます。まぁいい大学出てても嫌な奴はどこにでもいますが、何か社会全体で後ろ指をさす行為が減ってきているような気は確かに私もします。

  おまけ
 モラルについてですが、自分に限ればプライドを強く意識することが自分のモラルの維持に一番貢献しています。このプライドというのは言い方を変えれば他人と自分を区別しようとする考え方で、「ブックオフで立ち読みする奴らと俺は違うんだ!」などと一人ごちては度々まとめ買いに走っています。古本買うより新刊買えよと自分でもたまに突っ込みますが。

2010年10月14日木曜日

アクセス障害のお知らせ

 毎度、陽月秘話をご贔屓いただきありがとうございます。
 突然ですが今回、諸般の理由で私のパソコンからBloggerにアクセスできなくなるという状態に陥りました。幸い出張所を置いてあるFC2ブログにはアクセスができますので、今後しばらくはリンク先にある「陽月秘話 出張所」(http://yougetuhiwa.blog39.fc2.com/)にて記事の更新を確認していただくようお願いします。
 ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いします。

2010年10月13日水曜日

源頼朝の娘、大姫の話

 鎌倉時代はいろんな意味で面白い時代ですが、いまいち人気がないためにそれぞれのエピソードもどうも埋もれがちです。そこで今日は自分が鎌倉時代で特に気に入っているエピソードの、源頼朝の娘、大姫の話を紹介しようと思います。
 頼朝の子供というと二代目将軍の頼家と三代目将軍の実朝は知られていますが、妻の北条正子との間にはそのほかにも子供がおり、中でも長女のこの大姫はその後の歴史を左右しかねない存在だったと私は考えております。

 大姫は1178年に生まれるのですが、わずか六歳にして許婚が出来ます。その許婚の相手というのも源義仲こと木曽義仲の息子、源義高という大姫より六歳年上のこちらもわずか12歳の少年でした。父親を見てもらえばわかる通りにこれは平氏打倒の途上にあった頼朝と義仲の政略結婚で、義高が頼朝の下へ人質として送られる形で決められました。
 ただ政略結婚とはいえこの二人は子供同士ながら仲が良く、将来の関係についてもそれぞれで理解しあっていたそうなのですが、残念なことに頼朝と義仲は平家物語にも書かれてあるように対立し、最終的には源義経によって義仲は討伐されることとなります。

 義仲の討伐後、父親の死をまだ知らない義高を将来の禍根として殺害を企てるのですが、これをひょんなことで聞いてしまった大姫は義高を女房に扮させて逃亡させようと行ったそうです。ただこう書いておきながらですがこの辺の記述は吾妻鏡に書かれている限りで、まだわずか六歳の大姫が義高の逃亡を積極的に支援するとはちょっと考えられず、義高とその取り巻きが逃亡を図ったのは事実かもしれませんが大姫がそれを支援したというのは脚色ではないかと私は考えています。

 話は戻りますがとりあえず逃亡を図ったものの義高は追っ手に捕まり、敢え無く討ち取られることとなりました。吾妻鏡ではこの義高の殺害は子供にはショックが強すぎるということで大姫には内緒にして行方不明だと説明しようとしていたものの、討伐した藤内光澄が帰ってくるなり大声で、「義高、討ち取ったりー!(゚∀゚)」と言っちゃったもんだからすぐにばれてしまい、あまりのショックに大姫は気絶までしたそうです。これに怒ったのが日本史上でも多分一、二を争う烈女の北条正子で、藤内のことをデリカシーのないやつだと再三頼朝に抗議したために藤内は敢え無くさらし首にされたそうです。

 その後大姫は、元からかもしれませんがめっきり体が弱くなり、何かにつけて義高のことを口にし、頼朝が持ってくる縁談に対しても、「だったら身を投げるっ!(# ゚Д゚)」と言っては強く拒否し続けたそうです。しかしそれでも武士の娘の運命からか頼朝は平氏打倒後の朝廷工作の秘策として、この大姫を後の承久の乱で主役となる後鳥羽天皇に輿入れさせようと工作を始めたのです。ただこの工作が実る前に、大姫は20で病からこの世を去ることとなりました。

 過分に話が出来すぎな気もしますが、大姫は不幸といえば不幸な人生だったと思います。ちなみに日本人は何かと「三大○○」と言うものを作るのが好きですが、敢えて「三大不幸姫」を私が作るのであればこの大姫と、戦国時代の武将である最上義光の娘の駒姫、あとちょっと微妙ですけど徳川秀忠の娘の千姫あたりが無難かと考えます。まぁこの中だと、駒姫がダントツで可哀相なんだけど。

2010年10月10日日曜日

「学校であった怖い話」について

 今年の夏に一回だけホラーゲームの特集をしたことがありましたが、あれは本来なら続編を書いてそこで本当に取り上げたかったゲームの詳しい紹介をと考えていたのですが、いかんせん書いた直後に思っていたより企画自体が面白くなくて中断させてしまいました。昨日も更新をサボりましたがちょっと今日も書こうと思う内容が浮かばないので、しょうがないからホラーゲーム単体での記事ということで「学校であった怖い話」についてちょっと書いてみようと思います。

 この「学校であった怖い話」(通称:学怖)はスーパーファミコンとプレイステーションという二つのハードで出されましたが、一般的には私も遊んだスーパーファミコンのバージョンのがポピュラーです。このゲームはチュンソフトが出した「かまいたちの夜」に代表される選択肢を選びながら物語を読むサウンドノベルというジャンルのゲームなのですが、以前にどこかで見た評論にこんなのがありました。

「サウンドノベルは一見簡単に作れそうなジャンルだが実際にはプレイヤーに満足感を引き出させるためには膨大な量の選択肢とテキスト量が要求され、結局スーパーファミコン時代でこの二つの条件に見合う作品はチュンソフト製の「弟切草」と「かまいたちの夜」、そしてパンドラボックスの「学校であった怖い話」、「晦-つきこもり」の四作だけだった」

 私としてもこの評論に同意する部分が多く、「かまいたちの夜」のヒット以降にいくつか他社からもサウンドノベルのゲームがいくつか出たもののそのどれもが分量が少ない上に選択肢の分岐展開も低く、お世辞にも満足できる代物はありませんでした。ちなみに一番頭に来たのはミステリー作家である赤川次郎原作の「魔女達の眠り」で、ゲーム自体はそこまでひどいものではなかったものの光栄が出していた攻略本に、「全EDを見るとおまけシナリオが見られる」と書いてあったものの、実際にはこれが全くのデマであり、うちの姉貴と何で見れないんだろうと子供の時分に深く頭を抱える事になりました。これが私に対する光栄の初めての裏切りでした。

 それはさておき今日の本題の「学校であった怖い話」ですが、これは文句なしに私は名作だと考えています。まず文章量についてですが先発の「かまいたちの夜」をはるかに凌駕する分量で、なおかつ分岐による展開も一体いくつあるんだと呆れるくらいに幅広いものでした。その上でテキストもただ冗長なだけでなくどれも波乱に富んでいる上に登場人物のキャラクター性の高さと相まって技術が光り、このゲームの製作指揮をしたクリエイターはその後、史上最悪のクソゲーと呼ばれる「四八(仮)」を作るまではファンの間で一目置かれていました。

 その上でこの「学校であった怖い話」の特徴を挙げるとすれば、豊富な文章量に加えて実によく出来た恐怖の演出に尽きると思います。ゲームの画質はスーパーファミコンなので今見るとちょっと荒いような印象を受けるかもしれませんが、かえってその荒い画質が恐怖をわきあがらせるにはちょうどよかったところがあります。そんな画質で出てくる登場人物は主に実写の高校生(に扮した人たち)なのですが、学校の怪談でおなじみの花子さんや逆さ女、宇宙人やら変なみの虫お化けなど恐怖系キャラも多岐に渡り、特に花子さんは登場の仕方があまりにもあれなのでリアルにゾクッとしますし今でも思い出すと夜トイレに行くのをためらうほどの印象を残しています。

 現在このゲームはプレイステーション版の「学校であった怖い話S」がPSP、PS3のアーカイブスで600円でダウンロードできるので割りと入手しやすくなっております。私はプレイステーション版はやった事がないのでこの際入手するべきか悩んでいますが、どちらもやった事がなくてサウンドノベルが好きな方であればきっと満足するであろう作品なのでお手にとられることを強く勧めます。
 ちなみにこのゲームの中で私が気に入っているシナリオをいくつか紹介すると、下記の通りになります。

・トイレの花子さん
 学校の怪談における不動のエースなだけあってこのゲームでも特殊なシナリオ扱いとなっております。よく花子さんは小学生の女の子でかかれることが多いですが、高校生ともなるとその恐怖と猟奇性は格段に違うのだなと見せ付けられたシナリオでした。

・人形のいけにえ
 単純に恐怖の度合いで言えばこのシナリオがダントツに怖い話でした。「徐々に追い詰められる→打開できるかも→そうはいくか(゚∀゚)」という恐怖演出の三段活用が実にうまく決まっており、底なしに震えさせられる内容です。ちなみにこのシナリオの話者は私の後輩の話し方によく似ているので友達との間では人気でした。

・美術室の自画像
 よくあるシナリオといえばそれだけなのですが、それだけに単純に怖かった覚えがあります。画像が妙にグロい。

 昔このゲームを友人に貸した所、主人公の名前が「歌 ウタオ」で帰って来ました。何か意図したい物があったのかもしれません。

2010年10月8日金曜日

三国志における各軍師の役割

 現在テレビ東京では「最強武将伝 三国演義」というアニメが毎週日曜日に放映されており、自他共に認める三国志マニアの私としては絶対に外せないと毎週見ています。このアニメを見ていてつくづく感じるのは、キャストを見るとただ単に私が無知なだけかもしれませんがほとんど名前の知らない方が声優をしており、恐らくでしょうが主役の劉備役をやっている船越英一郎氏を初め専業役者の方が声優をしているのかと思います。でもって放映を見ると皆さん実にいい声の演技をしており、最近では専業で声優をやられる方も少なくないのですが、やっぱり餅は餅屋なんだなぁと思ってしまいます。

 そういったことはさておき、三国志では伝説の人物と言ってもいい諸葛亮を始めとした様々な軍師と呼ばれる人物が登場します。軍師とはどんな人たちかといえば主君に対してあれこれ助言する人を誰もが想像するでしょうが、一言で助言をするといってもその助言内容は多岐に渡り個々の軍師たちによって違い、これは意識しないと中々気がつかないのですが三国志における軍師たちはそれぞれ軍師という職の中で役割分担というか適性を持っており、大別すると「参謀型」と「戦略型」の二種類に分かれます。
 「参謀型」というのは文字通りに戦争における戦術の立案や戦闘指揮を行う軍師の事で、「戦略型」は外交や人材登用、国内行政といったその勢力の行動方針や内政を担当する軍師になります。三国志は戦争の物語なので自然と参謀型の軍師の方が目立ってしまいますが、私の視点で三国志に登場する軍師を分別してリストアップすると以下の通りになります。

<参謀型>
龐統
法正
徐庶
賈詡
程昱
荀攸
陸遜
陳宮

<戦略型>
諸葛亮
荀彧
郭嘉
鍾繇
陸遜
魯粛
張昭

 最近こういうリストを書く記事が異常に増えた気がします。
 それはともかくとしてこのリストを見た方は恐らく、「何で諸葛亮が戦略型なんだ」という疑問を持つかと思います。諸葛亮は三国志演義の中では次々と奇抜な作戦を編み出しては敵軍を何度も打ち破っており、確かに赤壁の合戦の前には外交で呉を戦闘に引きずり込むなど戦略型らしい働きをしているけれどもどちらかといえば参謀型なのでは、と思われたのではないでしょうか。

 しかし実際の歴史では意外に諸葛亮は地味な役割の方が多いのです。諸葛亮は確かに何度も北伐を行うなど戦争指揮も数多くしておりますが、それ以前の彼は天下三分の計でもって劉備にグランドデザインを作ったり、呉との外交を行ったり、占領後の蜀での行政整理などどちらかというと裏方のような仕事が多く、三国志の著者である陳寿も「内政については文句なしだが、何度も北伐に失敗しなかったのは彼自身の戦争指揮の悪さも原因ではないだろうか」とまとめています。

 この諸葛亮の評価の仕方は実は私オリジナルではなく昔に光栄が出していた「三国志Ⅳ武将ファイル」のコラムが初出で、そのコラムでは裏方の諸葛亮に対して外征で本来参謀となるべき人物は龐統であり、劉備が天下を取るためにはこの車の両輪とも言うべき二人が揃わなければいけなかったと述べています。しかし龐統は蜀の遠征中に若くして亡くなり、唯一この龐統の後任の参謀となり得る人物だった法正も早くに亡くなってしまった為、諸葛亮は自分の本来の戦略役に加えて参謀役もこなさねばならなくなった事が不幸であったとまとめております。
 私もこのコラムを書いた人と同意見で、国力の低い蜀という国で外征と内政の二つを背負わなければならなかった事が諸葛亮の最大の不幸であって限界でもあったと考えています。

 このように参謀型、軍師型に一応はリスト分けこそしていますが上記の諸葛亮のように両方の役割を兼任するということも、先ほどのリストの中だと陸遜と郭嘉がその例かと考えています。
 ちなみに上記リストには敢えて司馬懿、周瑜、呂蒙の三人は加えていないのですが、この三人はゲームとかだと軍師扱いされていますが実際には将軍としての役割(戦争の指揮、実行)が強く、どちらかといえば「参謀も出来る将軍」だったのではないかと私は考えています。

 あと参謀型の軍師についてもう一言加えると、このリストの中で私が最強だと思うのは他でもなく賈詡です。この人は董卓、李傕、張繍、曹操と主君を度々変えていますがどの主君の下でも活躍し、その主君らは賈詡の助言に従えば必ず大勝し従わなければ必ず大敗することになっています。本当に空恐ろしい人物とはこういう人物な気がします。

今の日本に足りない「諦め」

 私は八月に「未来を見る視点距離」という記事を書きましたが、この記事は多分コメントとかもらえるだろうなと勝手に期待してて、コメントが来たらもう少し詳しくこの内容を掘り下げようと考えていました。生憎コメントは何一つ来ず終いで取らぬタヌキの皮算用となってしまったわけですが、改めて読み返すとあまり内容を整理していなかったのが手伝ってかまとまりを欠いているように見えるので、トピックスを日本社会に絞ってもう一回解説しようと思います。

 まずおさらいですが前回の記事で私は人それぞれ未来を見る視点距離があって、一年後や十年後などその視点距離はバラバラであるものの今の時代は変化が激しいのだから物凄く短いスパン、それこそ三ヵ月後まで資格取得の勉強をここまですすめておくなど「今」に集中して生きる方が案外正しいのではないかと訴えたわけです。
 とはいえそれは個人レベルの話であって国家レベルともなるとある程度長期スパンで未来を持ってもらわねばさすがに困る話なのですが、私の見立てだと今の政治家、ひいては大半の日本人は未だに過去のバブル時代を引きずっており、その政策方向や目標を見ているとどうも、「あのバブルの時代をどうやって取り戻すか」に終着するように思え、未来を見るどころかよかった時代の過去に未だにしがみつこうとしているのではないかという気がします。

 ここで断言しますが、私はどれだけ日本一国が努力したとしてもあのバブル時代にはもう戻れないと考えています。これはどういうことかというと、みんな正社員で働けて、所帯持って、ちょっと頑張れば子供を大学に行かせられて、老後は年金で暮らせて、こういう当たり前と考えられていた価値観、世の中はどれだけ頑張ってももう取り戻せないだろうということです。
 一体何故取り戻せないのかというと単純に、日本があの1990年前後みたいに栄える可能性が非常に低いからです。というのも経済学部の学生なら間違いなく知っているはずでしょうがあの時代はまだ冷戦が続いており、他の先進国が軍事費に大幅に予算を割く中で日本だけが経済政策に集中して金をつぎ込むことができました。これだけでも日本は有利な立場であった上、冷戦という世界が閉じられた構造であったために現在のように市場はグローバル化せず競争が激化する事も資本が国境を跨ぐ事も今ほど盛んではありませんでした。ついでに言えば、人材や労働力の国外流出も、工場の海外移転も少なかったです。

 私はあのバブル時代と高度経済成長というのは日本人の努力もあったでしょうが、それ以上に日本が置かれた幸運な状況があったからこそのものだったと考えています。それゆえに状況が一変した現在では仮に日本一国が努力したとして、さすがにまた大きな戦争やら国際情勢が変わるならば話は別ですが、あれほど右肩上がりの好景気はもうどうやったって来ないものだという諦めを持っています。

 そのため、私は当時に当たり前とされた条件のいくつかはもう取り戻せないと割り切ってある程度切り捨てねば日本は発展はおろか生き残る事も出来なくなると考えています。先ほども条件を挙げましたがもう一度ここでリストアップすると、

・全員が正社員
・高い大学進学率
・マイホーム
・高度な医療
・年金

 実際にはもっとあるでしょうけどここまでにしておいて、この中のいくつか、下手すりゃ全部をある程度切り捨てる覚悟というか諦めが今の日本社会に足りないと私は思います。特に誰もが望めば正社員になれるという価値観は現実でもすでに破綻しており、しかも新卒時に正社員になれた人間となれなかった人間でその後の人生に明確な分岐が生じる事は疑いもない事実です。

 敢えてダーティな友人の振りして話をすると、私自身(花園祐)は新卒時に正社員として就職することが出来たのでこの新卒問題について気にしなければ気にする必要のない立場です。私個人で生き残りを考えるのならばこの問題は何も関係がありません。
 ただもし将来の日本という国、日本の子供達のことを考えるのであれば考える必要があるでしょうが、私が今後どちらの立場に立つかは今もって測り難いです。

2010年10月7日木曜日

私が考える稀有な能力、重要な能力

 友人らからもう何年間にも渡り、こんな注意を私は受けています。

「いい加減に、人を常に値踏みしようとするのはよくないよ」

 何年間も言われながらも、ついぞ一度たりともやめることが出来ずにいます。
 人を値踏みするとは文字通り話している相手の力量、癖、能力を分析しようとかぎまわる事なのですが、自分でも意地汚い行為だと分かっていながらもどうしてもやめることが出来ません。

 具体的にどのような方法で値踏みするかというと本当に油断も隙もない話になるのでわざわざやりませんが、一つ今日はそうして培った経験を元に私が個人的に「レアだなぁ」と思う能力をちょっとここで紹介しようかなと思います。最初に断りを入れておきますがここでの話はあくまで私の主観での話しで、客観性もへったくれもないのでその点だけはご承知ください。

1、記憶の並列整理
 多分普通の人にとっては記憶というのは新しいものほどよくはっきりしていて、古いものほど曖昧だと思います。さすがに子供時代と大人時代の記憶を比べあうなら印象の強い子供時代の方がはっきりしている可能性が高いでしょうが、去年と一昨年の記憶を比べあうならまず以って前者の方がはっきりしているでしょう。
 私はこのような一般の記憶構造を表現するのに、「本の積み重ね」という言葉をよく用います。記憶を本にたとえて新しい情報を次から次へと縦に本を重ねて山にしていくように貯めていくのが記憶で、そのため新しい情報こと表面にある記憶は思い出しやすいものの山にうずもれた古い記憶は段々と思い出し辛くなるといった具合に。

 ここで紹介する「記憶の並列整理」というのはちょうど本棚にきれいに本を並べていくように情報を記憶する能力のことです。縦に本を重ねていくのに対して横並びにすることでどの本がどんな内容かを一目で背表紙で判断できるように、失われていない限り古い記憶も新しい記憶も区別なく処理し、思い出せる能力の事を指しております。
 この能力にはもちろん個人差があって完全に記憶を整理しきっている人は私もまだ見ませんが、ごくごく稀に、今までで二人だけしか私も見ていませんが、三年前の何月に何々ついて話した後、二年前の何月に関係する話題を口にしたなどという具合に時系列を無視するようにひょいっと細かな記憶をまるで昨日の記憶のように一瞬で出してくる人間がいます。どうやったらこんな人間できるのか、現在研究中です。

2、マルチ処理
 複雑な話題を議論する際に、どれだけ分かりやすく話をかいつまんでもどうしても複数のトピックを方程式のように同時に考えて話さなければなりません。最近の話題から例を取ると中国漁船衝突事件の場合、

・国内法
・領土問題
・地下資源争奪
・レアアースの輸入、調達
・国内の支持率
・中国に人質に取られたフジタ社員
・アメリカの出方
・中国政界の政治闘争
・国際会議の日程
・過去の対応の仕方
・こちらの対応に対する相手側の予想される反応

 と、ざっと挙げるだけでも菅首相に考えてもらうにはこれだけトピックがありました。恐らく大半の方はこの中から三つか四つを選んでそのトピックの中で意見を決めてたかと思いますが、理想を言うならば考えるべきトピックは多いに越した事はありません。ただ人間は基本的に物事を単純に処理したがるため、ひどい場合には一番重要だと思うトピック一つだけを選んでその中だけで意見を決めてしまうことも少なくありません。

 ここで挙げたマルチ処理とはその名の通りに複数の情報を同時に処理した上、それぞれの情報を重要度ごとに順位付けした上で自らの意見や結論をまとめる能力のことです。言う事は簡単そうに見えても意外と日常でもこれが出来る人間となると少なくて、私が見る限りだと先天的な要素も入っているんじゃないかと思います。私自身、後輩に対してこのマルチ処理を意識的に鍛えられるかどうか試してみましたが、一定の効果は見られたものの初めから出来る人と比べると大きな差がどうしても残ってしまっていました。

 因みに先に挙げた中国漁船衝突事件のトピックの中に敢えて「外国メディアの反応」と「中国の世論」は入れませんでした。これも順位付けの一つですが考えるべきでないトピックを敢えて無視するのも一つの処理だと私は考えており、何故私がこの二者を外したのかが分かる方とはゆっくり話をしてみたいものです。

3、文章力

 これは私が書くべきかどうかわかりませんが、読んで相手に意図を伝えられるだけの文章を書ける人が現在だと極端に少ない気がします。実際私も日常で他人の報告書を読んでたりすると思うことが多々あり、昔の祐筆じゃないですが文章作成の専門スタッフとかいてもいいと思います。
 特にこれを強く言いたいのは文学部の学生で、もっと文章というものに目を向けて世に需要を訴えてもいいと思います。ただそういいながらも、大学で書かされる論文の構成というものが私にはあれほど分かり辛くて書きにくいものはないと考えており、そういった文章の指導がなされている限りは何も望むべくものはないかもしれません。

2010年10月6日水曜日

私が期待するDQキャラのスピンオフ

 私が小学生の頃に大いにはまったゲームの一つに「トルネコの不思議なダンジョン」という物がありました。このゲームは未だにシリーズの続編が出ている「ドラゴンクエストシリーズ」の4に登場するトルネコというキャラクターを主人公にした一種のスピンオフゲームだったのですが、ゲームデザインの秀逸さが受けてこの「不思議なダンジョンシリーズ」も未だに新作が出続けております。

 ドラゴンクエストのキャラクターを下地にしたスピンオフゲームはこのほかにも「いただきストリート」とか「テリーのワンダーランド」などいろいろあるのですが、こういった新たなドラクエスピンオフを見るにつけ私がいつも思うことに、
「一体何故、ハッサンのスピンオフがないんだ!( ゚Д゚)」
 という思いがあります。

 さすがに権利関係にうるさそうな所なので画像を貼ったりしませんが、そのハッサンというのは「ドラゴンクエスト6」に登場する主人公の仲間キャラクターで、「モヒカン」、「マッチョ」、「せいけんづき」などと溢れんばかりの個性を多数持ち合わせた稀有なキャラクターで今現在もネット上の多くの人間に愛されているキャラクターです。
 ちなみにハッサン関係で最近の私が大いにツボにはまったのに、「リメイク版DQ6をハッサンとアモスの二人だけでクリアする」というチャレンジを行った下記サイトがあります。

DS版ドラゴンクエスト6 プレイ雑記 序(SoaR)

 すでにドラゴンクエスト6からは先のテリーというキャラクターがスピンオフしてゲームが作られていますが、私はテリーなんていう役にも立たないルイーダの酒場要員などではなくどうしてハッサンを使わなかったのか未だに強い疑問を持っています。第一、ハッサンほど強い個性を持ったキャラクターであればスピンオフなんていくらでも可能で、ざっとタイトルを思い浮かべるだけでも、

・ハッサンのイカしたダンジョン
・ハッサンのミステリーワールド
・ホーンテッドハッサン
・ハッサンブートキャンプ
・ロマンシングハッサン
・ハッサン・ザ・バトルマスター

 などなど、ハッサン一人でどれだけ夢が広がるんだと言いたくなるくらいの空想ぶりです。

 私は京都に一時在住していたものの関東育ちのため、味覚は比較的濃い味を好みます。それが関係しているかどうかまでは分かりませんがこうしたゲームや漫画においても濃いキャラクターを好む傾向があり、それがこのハッサン贔屓につながっていると自覚してます。

 ちなみにドラクエ6では途中でお城相手に戦う場面があるのですが、私の使用するハッサンは城に向かって「せいけんづき」や「がんせきなげ」を容赦なくかましてくれて、その光景を想像したらなんか笑えました。

2010年10月5日火曜日

小沢氏の強制起訴と検察について

 すでに昨日にニュースが流れて今日もあちこちでてんやわんやに報道されているのでもう知らない方はいないでしょうが、民主党の小沢氏に対する検察審査会の審議において二度連続して「起訴相当」の議決が下りた事から小沢氏の政治資金問題について強制的に起訴が行われる事となりました。
 仮に通常時であれば私もこのニュースは今日なんかじゃなく昨日の時点で取り上げていたでしょうが、なんとなく私の中でこのニュースは盛り上がらなかったために強行しておざなり程度に記事を書くこととなりました。一体何故私の中でこのニュースに対する興味が薄いのかというと、今の検察に小沢氏の捜査や裁判をきちんと行えるのかという不信感が強いからです。

 現在、日本の検察は野球賭博で大いに揺れた二ヶ月前の相撲界同様に大いにその信頼や立場が揺らいでいます。その原因は言うまでもなく前田恒彦容疑者による村木厚子氏の裁判における証拠改ざん問題で、目下の所当時の上司二人である佐賀元明容疑者(大阪地検特捜部前副部長)と大坪弘道容疑者(同前特捜部長)は否認しているようですが、いつもなら検察絡みの大メディアの情報は検察からのリークなので鵜呑みにしないよう注意するのですが今回の場合は敢えて鵜呑みにして分析している限りですと、恐らく両者共に前田容疑者の故意による証拠改ざんを知りながら敢えて隠蔽したのは間違いないと見ており、この事件は大阪地検特捜部という組織ぐるみの犯罪だったと考えています。

 私が何故このように判断するのかというと、前田容疑者が証拠を改ざんしたものの改ざん前のFDの記録が公判資料として裁判所に提出されていたことを知って慌てて同僚に改ざんを打ち明け、改ざん行為をその後に逮捕された二人の検事にも報告しているからです。普通の常識、というより捜査に携わる人間であればなおさらですが、改ざんという明確な犯罪行為を行っているのであればすぐさまその事実を公表しなければならないところをこの両者は「過失だと思ったので公表しなかった」と証言しています。
 仮に過失だったとしても事実と異なる記録証拠がそこに存在するにもかかわらずそれを公表しないというのは大馬鹿以外の何者でもなく、また前田容疑者が本当に過失で行ってしまったのかを何故その際にきちんと捜査しなかったのかという疑問も強く残ります。

 そして何より、すでに現時点で当時の状況について明確な証言を行う証言者が現れているからです。その証言者というのは週刊誌などの報道によると前田容疑者の同僚であった四人、もしくは二人の現職検事の方らで、前田容疑者から改ざんを打ち上げられるやすぐさま佐賀容疑者に掛け合って公表し、謝罪し、村木氏の無実を発表するべきだと涙ながらに訴えたそうです。しかし佐賀容疑者はその検事らの声を無視して改ざんを公表しなかったそうで、この検事らの話したとされる報道内容は見事に前田容疑者の供述と状況が一致します。
 この二点をとって私はその後に逮捕された二人の検事もこの改ざんという恐ろしい犯罪に関わっていたと断言してもいいです。

 こんな具合で未だに大揺れの検察界ですが、まだ数人の検事の方がすぐに改ざんを公表すべきだと行動していたのは救いだったとは思いますが、私は真面目にこの事件にケリをつけるのなら、組織ぐるみの犯罪であることを考慮するとこの際大阪地検特捜部は組織ごと廃止せざるを得ないと思います。東京地検特捜部も全く問題がないとは言えませんが、今の大阪特捜部が何を言った所で私は信用できません。

 そんな検察不信の中で今回小沢氏に強制起訴が行われる運びとなりましたが、果たして検察はきちんと捜査してまともな裁判を行えるのかやっぱり疑問に感じてます。そもそもこれまでの小沢氏への捜査も異例尽くしで、どうして秘書三人が逮捕されているにもかかわらず監督責任のある小沢氏本人についてはなかなか捜査が行われなかったのか、またそうやって捕まった秘書らと小沢氏の証言も呆れたものばかりで、「秘書が四億円の現金を小沢氏の了解を得ずに自宅金庫から持って行った」など、人を馬鹿にするのも大概にしろと言いたくなるような証言まで飛び出す始末です。

 私の友人も言っていましたが、今回の前田容疑者の逮捕で一番徳をしたのは小沢氏だと私も思います。仮に小沢氏が検察の捜査に問題があると言ったら現時点で私もその通りだと言うより他なく、かといって小沢氏の資金問題、特に政党助成金流用疑惑については黒以外のなにものでもなくてこんなの放っといていいのかよとも思います。

 それで今後の展望ですが、一応起訴はするだけして裁判はぐだぐだで進むんじゃないかと私は思います。もし小沢氏が前回の民主党代表選に勝っていたならともかく現在なら無役ですし、起訴されて有罪だろうが無罪だろうが政治的には何も影響がないですし、このまま小沢氏が政界引退するならもうほっといてもいいんじゃないかとすら私も思えてきました。本当はいけないんだろうけど。

Canonの電子辞書について

 今日時間があったのでキャノンのサービスセンターに行ってきました。訪問した目的は五年前に留学直前に購入して以降愛用していた私の中国語対応の電子辞書(型式:wordtank V70)が液晶の表示部が悪くなり、これの修理できないものかと思ってのことでした。具体的にどのような症状だったかというと、それまでは電源入れればすぐ表示されていたのが、恐らく液晶と本体を繋ぐ接続部のケーブルが断線しかかって、液晶の傾き方によっては映ったり映らなかったりという具合に悪くなってました。

 なもんだからケーブルさえ取り替えればすぐ直せるんじゃないかと思って行ったのですが、すでに購入から五年、しかも留学中はほぼ毎日開けては閉じてを繰り返していたので壊れるのも無理なく、もし修理できなかったり修理費用がそこそこかかるのであればこの際ついでに電気屋によって新しいのを選んで買ってしまおうかなとも考えてました。

 サービスセンターに着いて早速職員に電子辞書を見せたところ、案の定私が考えていたように接続部のケーブルに問題があると診断を受けたものの、完全密閉型の機種のため分解して修理は行えないとのことでした。ただ修理のかわりに費用を払うことで同型機の交換をやっているとあらかじめネットで調べており、職員の方も交換を行うか確認をしてきたので一体どの機種と交換なのと聞いた所、てっきり私は同じ商品と交換かと考えていたら現行の後期モデルとの交換と聞いてちょっと驚きました。
 早速その交換できる機種(型式:wordtank V823)を持ってきてもらったところ、V70と比べてやや大型化して重量も増しているものの機能的にも問題はなくデザインもまた私好みのシンプルなもので、もともと新しい電子辞書を買うことも辞さないつもりだったので即決で交換を求め、170,10円(税込み)を支払って交換してもらいました。

 ここで書いときますが、英語ならともかく中国語を学んだり使用する場合に電子辞書は大きな存在です。英語はスペルで単語を調べられますが中国語の場合は漢字から調べなければならず、画数や部首からいちいち調べていると結構な時間が取られます。
 ところが最近の電子辞書だと初めからNintendo DSみたいにタッチペンがついていて、直接画面に文字を書くことで発音や意味の分からない単語をすぐに検索できます。中国語をこれから学ぼうと考えている方は多少値段は張りますが、余裕があるなら私は最初に電子辞書を買っておいて損はないと思います。

 ちなみに今回Canonに電子辞書を交換してもらった後、その足でヨドバシカメラによって行って同じ電子辞書の値段を調べた所、25,000円でした。結構手ごろな価格で最新機種と交換してもらったのでCanonには今回感謝もひとしおで、いつも悪口ばかり(会長絡みで)書いてるので今日ばかりはすこし申し訳なく思いました。

 ちなみに留学中にCanonの社員の方と会う機会があって彼に私の電子辞書を見せたところ、「その電子辞書は恐らく、Canon本体の子会社の子会社のそのまた子会社あたりが作っている代物だろう」と言われました。企業のグループ化はCanonに限った事ではありませんが前回の電子辞書は使い勝手もよくいい品物だったと思うので、この話を聞いた時になんとなく残念に感じた事を今でも覚えています。

ランプの魔人の有名人当てクイズ


ランプの魔人があなたの心を見通します

 今更ながら、上記のサイトにこのところはまっています。差異と内容を簡単に説明すると有名人(漫画やアニメのキャラクターを含む)を頭に浮かべてランプの魔人の質問に答えていると、最終的には見事にその有名人を言い当てるというような内容です。
 このサイト自体を知ったのは数ヶ月前だったのですが最近になってちょっと思うところあってまたやり始めてみたところ大いにハマり、まさか知る人ぞ知る「serial experiments lain」というアニメの主人公、岩倉玲音を言い当てられた時は見事にドキッとしました。次いでに書いておく、この「serial experiments lain」が今じゃ売れっ子イラストレーターの安倍吉俊氏の出世作です。

 ただこの魔人の質問ですが、人物の特定がほぼなされている後半に入ってくるとまんまやないけと言いたくなるような質問が増えてきます。そんなこれまで私が思わず突っ込みたくなった質問は以下の通りです。

「(その人は)ジオン・ダイクンの息子?」(シャア・アズナブル)
「(その人は)唇が分厚い?」(井上和香)

 特に二番目の質問の次にはまたもしつこく「下唇が分厚い?」とまで聞いてきました。グラドルで唇が厚いと来たら択一じゃないか。

2010年10月4日月曜日

若者の保守化傾向について

 本店の方でリクエストをもらったので、前から自分もネタを集めていたので今日はこのテーマで解説を行います。

「日本女性は家庭に喜び」=中山政務官の発言に批判(時事通信)
なぜ、20代高学歴女子は「専業主婦」狙いなのか(プレジデント)

 上記二つのサイトはリクエストを頂いた方から紹介されたのですが、最初の中山政務官の発言は今日も一部ニュースにて取り上げられ他の政治家からもやや不用意な発言ではないのかなどというコメントが相次ぎました。確かに不用意っちゃ不用意だろうけど。
 二番目のプレジメントの記事は中山政務官の発言に準じているというか、最近の傾向として日本の若者、特に女性の間では専業主婦を望む人間が増えているなど保守化の傾向があるという記事です。

 まずこの二つのサイトを見比べて私が注目したのは、プレジメントの記事を書いた記者のプロフィールでした。執筆記者は白川桃子氏で私はこの方の記事をこれまで見たことはなかったのですが、プロフィール欄にある「山田昌弘中央大学教授とともに」という記述を見てああなるほどという気がしました。というのも、この日本人女性の専業主婦志向を始めとした若者の保守化傾向を最初に言い出したのは他でもなくこの山田昌弘氏だからです。

 何気に山田昌弘氏の名前は昨日にアップした「私の信頼度リスト(評論家編)」にて<半信半疑>の欄に入っています。この人の略歴を簡単に話すと、「パラサイトシングル」や「婚活」といったそこそこ長く使われる言葉を最初に提唱した人で、世の中一般に知られている社会学者の中でも有名な方です。山田氏の調査手法については一部で批判などもありますが私としては調査がどうであれ社会分析や予測がきちんとその後に当たっていれば問題ないと考えており、「パラサイトシングル」については見事にその後のフリーター、ニート問題を先読みしたと高く評価しております。

 話は戻ってその山田氏がその著書「なぜ若者は保守化するのか」で最近になって提唱し始めた若者の保守化についてですが、結論から言えば私も現実はそのようになっていると考えています。それは女性の未婚化、専業主婦志望の高まりといった現象に限らず、各種調査で現れている男性の職業観の変化などでも明確に窺えます。

 ここで先に保守化という言葉の意味を明確にしておくと、これは政治思想の「保守」とは全く関係なくただ単純に、「物事があれこれ変化するよりも今のまま、もしくは以前のままである方がいい」という価値観です。日本でこの保守という言葉が使われる場合は大体は昭和後期に一般的とされたモデルこと「終身雇用」、「専業主婦」、「年功序列」といった概念が適用される事が多いです。

 それで若者の保守化傾向ですが、いちいち細かくサイトの引用までは行いませんがリクルートなど人材系企業の調査によると近年の新卒就職者はそれ以前に比べて就職した企業で定年まで一生を終えたいと回答する率が増えており、また出世や昇進などといったものに興味を示さなくなっているようです。

 その上で私が個人的にショックを受けたのは産業能率大学により行われた「新入社員のグローバル意識調査」の結果で、今年行われたこの第四回の調査によるとなんと49%の新入社員が「海外では働きたくない」と答えており、参考までに2007年に行われた第三回の調査と見比べてみると当時は36.2%と、有意に海外勤務忌避傾向が高まっております。私としては会社から給料もらって海外で働ければ語学や経験上有意義ですし、その上で語学学校の金も会社からせしめればしめたものだと思ってしまうのですが、どうもこういう考え方をするのは少数派になりつつあるそうです。

 一体何故このように若者に保守化の傾向が現れてきたのか、私が考える理由としては第一に不況による影響が大きいと思います。具体的にどういうことかというと、好景気であれば就職や転職など人生に変化を起こす事で収入を上げ、生活水準も高める事が出来ますが、不況真っ只中の現在であれば今の生活水準を維持するだけでも大変です。
 私はこういうときによく、「今日より明日はもっといい日であるように」ではなく「今日も昨日と同じでいられますように」と表現しますが、まさに時代は後者で攻めよりも守りを重視して社会的変動の少ない保守的な性格を帯びるようになったのではないかと思います。山田昌弘氏の雑誌に寄稿している記事を読む限りだと、大体これと似たような考え方じゃないかな。

 こうした不況による影響もさることながら私が二番目に睨んでいる保守化した理由としては、本来新奇のものを好む若者自体が変化に対応する事に疲れを感じているのではないかと考えています。
 基本的にどの社会でも新しいメディアや技術が現れると偏見や既存知識が少ない若者ほど飛びつく傾向があり、日本においても90年代にインターネットや携帯電話が登場した際は高校生や大学生が真っ先に飛びついて行きました。

 しかし最近の日本では、私が強く注目したのは先日発売されたi-padやスマートフォンなどの発売でしたが、どうもここ最近は新しいメディアやツールが出ても真っ先に飛びつくのは若者というより30歳前後の大人たちのが多かったような気がします。人口比や値段の問題といえばそれまでですが、どうも高校生から大学生くらいの若者が何かに飛びつくというのがこのところ想像がし辛くなっている気がします。
 またそうやって飛びついているように見える30歳前後の大人たちもこれまでのブーム現象と比べるとやっぱり人数は少ないように思え、そもそもブーム自体がこのところ減っているような気までしてきます。

 一体これはどうしてなのかとあくまで私の主観で語らせてもらうと、近年はあまりにも技術革新などが激しすぎるために変化に追いつくだけでも一苦労です。自分なんかは比較的早くにブラインドタッチに慣れたのでインターネットやブログに対応するのはそれほど苦ではありませんでしたが、音楽機器についてはMDプレーヤー以降はMP3プレーヤーに移行することが出来なかったり、スマートフォンなんてiモードすら使いこなしてないのにこんなのもう結構ヾ(゚д゚;)とリアルに考えてます。
 要約すると、あまりにも社会や機器の進化や変化が激し過ぎて若者は追いつくどころか懐古的に勝手知ったものに固執するようになってきているんじゃないかということです。レトロゲームブームもこの延長だったのかな。

 あと補足としてたまに「若者が保守化してきたのは日本の保守的な教育の影響だ」という人もいますが、私はこの線はないと思います。その理由として以前はもっと女性の社会進出などに否定的な教育がなされていたのに、近年になってこの保守化傾向が強く見られてきたからです。

 最後にこの保守化についてちょこっと思うこととして、保守化する若者をいいとか悪いとか言うよりも、保守化している中で保守化しない若者を今後どう扱うかが非常に重要になるかと思います。ちょっと意味深ですけど。

2010年10月3日日曜日

週刊現代と週刊新潮の相撲関係の報道について

 信頼度リストに週刊現代と週刊新潮のことを書いたばかりなので、せっかくだからこの二誌の相撲報道を見ていて感じた事をちょっと紹介します。

 ここ数年、相撲界はまさに波乱というほどの不祥事の連続でした。それ以前にも不祥事は全くなかったわけじゃありませんがそれらの大体は今日断髪式を行った朝青龍関連のもので、これに限って言えば朝青龍個人の問題であって相撲界として考えればそれほど大きな不祥事にはなりませんでした。
 そんな相撲界が全体で大きく揺れる事となった最初の不祥事は時津風部屋で起きた力士暴行死事件で、この事件を機に旧態依然とした相撲界へ厳しい目が注がれる事となったのですが、この事件を逸早く報道したのはほかでもなく週刊現代でした。

 当初暴行されて殺された力士は病院での検死後にけいこ中の事故で死んだと愛知県警犬山署は発表したのですが、この検死結果を不審に思った力士の両親の依頼により新潟大学医学部で再検死を行った所、暴行死の疑いが強いと初めて伝えられたそうです。
 この事件は私自身が注目していたのもあって大まかに時系列も覚えていますが、当初力士の死亡が報じられた際はその遺体の凄惨さからなにかしらの暴行が疑われたものの、当初の事故死という発表からは大きな進展がありませんでした。

 自体が急展開したのは事件から約二ヶ月後、恐らくこの間に愛知県警などで詳しい鑑定が進められていたのでしょうが週刊現代が暴行の疑いを大々的に報じたのをきっかけに場相撲協会への批判が集まり、最終的には暴行を指示したとされる元親方の逮捕にまで事件は発展することとなりました。

 当時に私は週刊誌をいろいろと読み比べていたのですが週刊現代はそれまで毎号に載せていた女性のヌード写真を廃止し、誌面を作り変えるなどして傍目にもいい改革を続けていました。そこへきてこの力士暴行死事件のスクープで、こりゃ週刊現代は大したものだと目を見張ったのを覚えています。
 しかしこれで週刊現代は調子に乗ってしまったというべきでしょうか、続けて報じられた大相撲八百長疑惑は、私も見ていてちょっと呆れました。

 週刊現代による大相撲八百長疑惑の報道は実際には暴行死事件の報道より以前ですが、相撲協会から刑事告訴されたのが後だったので、私の記憶としては暴行死事件以降にこの問題が各方面で取り上げられるようになった気がします。
 それでこの報道の中身はというと朝青龍が対戦力士に金を渡して負けるように仕向けていたという内容なのですが、はっきり言ってこれはないと私は思いました。そう思う理由としては朝青龍の現役時代の取組は他の力士と比べて圧倒的に立合いが早く、どう見たって手を抜いているように見えない、というより「そこまでしなくとも(;´Д`)」と思うくらいの激しい立合いが多かったからです。相手力士も同様で、確かに朝青龍には負けますが八百長とはとても思えないほどの激しい取組がいくつもありました。

 更に言うと当時には、「朝青龍を疑う前にこいつを疑えよ( ゚Д゚)」と思う大関力士が何人か存在していました。その大関力士は大関の癖にしょっちゅう負け越したり怪我で休んだりを繰り返す割に、大関陥落のかかる角番の場所では何故か判で押したかのようにいつも8勝7敗で場所を終えていました。
 現在も活躍されている琴欧州は大関昇進後、事あるごとに評論家から優勝争いに絡むほど勝ち星を伸ばせないことに苦言を呈されていましたが、それでも場所によっては二桁勝利の実績をきちんと残していました。ですがその私が疑ってやまないある大関力士は、直近の数年間で一度も二桁勝利に達していないにもかかわらず誰からも苦言を呈されず、この点について週間現代の八百長報道は全くノータッチだったので多分この報道は偽だろうと判断しました。

 ちょっと話が横にそれましたが、この大相撲八百長疑惑の後に今度は力士の大麻吸引事件が起き、この事件で相撲協会から解雇された若ノ鵬が週刊現代にて、「八百長を強要された」という証言をしたと一時報じられたものの、後になって若ノ鵬は「証言をすれば相撲界に戻れると騙されてやってしまった」とこの証言を撤回し、ますますこの週刊現代の報道が疑わしく思えるようになりました。ちなみに若ノ鵬の証言撤回後、週間現代は「支離滅裂で、事実とは考えられない」と、お前は何を言っているんだと言いたくなるような訳の分からないコメントをしています。

 そんなわけで一時高めた週刊現代への私の評価はまた下がることとなったわけですが、その一方でまた別の相撲報道を機に評価を高めたのは週刊新潮でした。
 週刊新潮が報じたのは今も残火がくすぶっている相撲界の野球賭博の問題でした。最初の報道はこの問題で解雇されることとなる琴光喜が野球賭博の勝ち金を巡って恐喝を受けているという報道からでしたが、この報道をきっかけに芋づる式に親方を含めた力士らの野球賭博、並びに暴力団との関係が報じられることとなり相撲界はそれまでのどの不祥事よりも苦境に、また厳しい対応に追い込まれることとなりました。

 言ってはなんですが、この相撲界の人間らが野球賭博をやっていたと言うのは相撲関係を取材するジャーナリスト達にとっては皆知っていて当たり前だったと思います。普通に報道でも支度部屋などで賭け花札に興じる力士の写真が出てましたし、相撲部屋に出入りしていれば野球賭博の事実などすぐ分かったことでしょう。
 週刊新潮は琴光喜の恐喝事件があったからこそある意味タブーに近かったこの野球賭博を報じたのであって、肝心なのはどうして他の報道機関がそれまで野球賭博について誰も報じなかったということです。報じるまでもないほど報道関係者にとっても一般化していたといえばそれまでですが、私はあれだけ相撲界の不祥事報道に取り組んでいた週刊現代が野球賭博だけは報じなかったことを考えると、なんとなく週間現代は馬鹿やったなぁという気がします。

 とはいえ私は週刊新潮については以前の赤報隊事件の犯人でっち上げ報道があったことから現時点でも全く信用しておりません。当時この記事を載せた編集長は更迭されたそうですが、犯人だと偽の自白をした方はその後自殺した遺体で見つかっています。人間一人自殺に追いやってどれだけ稼いだのか、是非とも更迭された元編集長に聞いてみたいものです。

  補足
 時津風部屋の力士暴行死事件についての補足ですが、この事件で見逃してならないのは当初の愛知県犬山署の発表です。すでに書いたように犬山署は当初運ばれた病院医師の鑑定を受けて事故死と発表しましたが殺された力士の遺体は親族が目を覆うほど凄惨な姿をしていたらしく、それにもかかわらず事件性を当初疑わなかった愛知県警の検死というか捜査の仕方には不審さを感じずにはいられません。
 なんか調べてみると愛知県警絡みでは事件性が疑われるにもかかわらず自殺として遺体が処理されるケースが多いと言われているようで、昨今海堂尊氏が取り上げている「死因不明社会問題」と合わせて考えると問題の深刻さが窺えます。

 あと蛇足ですが別に愛知県に恨みを持っているわけじゃないけど前から思っていることとして、どうして愛知県は通り魔事件が多いのかがすごい気になります。愛知県に恨みは持ってないけど、愛知県のある大きな会社に大しては激しい逆恨みはしているけど。

私の信頼度リスト(評論家編)

 昨日に引き続き私の信頼度リストです。今回はちょっと気合入れて最近特に増えている各方面の評論家のリストです。くれぐれも申しておきますが、この信頼度リストというのはあくまで現時点での私の見方であって決して客観性に基づいて作成されているわけじゃありません。そういうことで早速行って見ましょう。

<信頼している>
田原総一郎(政治評論家)
屋山太郎(政治評論家)
赤坂太郎(政治評論家)
荻原博子(経済評論家)
浜矩子(経済評論家)
内橋克人(経済評論家)
武田邦彦(環境問題評論家)
富坂聰(中国評論家)
宮崎正弘(中国評論家)
与田剛(野球評論家)
池上彰(全方面評論家)
宮崎哲弥(全方面評論家)
内田樹(社会評論家)
半藤一利(歴史評論家)
保坂正康(歴史評論家)

<半信半疑>
上杉隆(政治評論家)
三宅久之(政治評論家)
佐藤優(政治評論家)
堺屋太一(経済評論家)
榊原英資(経済評論家)
竹中平蔵(経済評論家)
デーモン小暮(相撲評論家)
山田昌弘(社会評論家)
立花隆(全方面評論家)

<信頼していない>
宮台真司(社会評論家)
福田和也(社会評論家?)
田母神俊雄(軍事評論家)
浜村弘一(ゲーム評論家)
植草一秀(経済評論家)
勝間和代(経済評論家)
森永卓郎(経済評論家)
張本勲(野球評論家)
石平(中国評論家)

 疑り深い性格の自分なのに、意外に信頼している評論家が多かったのがびっくりです。
 さすがに前回みたいに一人一人細かい理由を説明しませんが、コメント欄に「この人がなんで?」と寄せてくれれば書いていくつもりです。

 ちなみに自分もこのブログを見てくれればわかる通りに情報を扱う幅が比較的広く、友人らから何か事が起こるたびにコメントを求められることが多かったのでこうしてブログで回答するようになりましたが、私が理想とする評論家は幅の広さで言えば宮崎哲也氏、専門の中国関係では富坂聰です。逆にこうはなりたくないと思うし最低だと考えている評論家は宮台真司です。

2010年10月2日土曜日

私の信頼度リスト(メディア編)

 友人には一ヶ月くらい前にこんなのブログでやってみたいと行っておきながら、今日ここで書くまでにえらく時間がかかりました。

 近年の日本の大きな特徴となると、かつてあった権威がどの分野においても失墜して信頼という物が各所で大きく揺らいでいる事もその一つとして挙げられるかと思います。私自身周囲の人間から不祥事発覚のニュースが報じられるたびに一体何を信頼すればいいのかという言葉を嘆息と共によく聞くことがあり、評価の基準を持つことが出来ず何を信じればいいのかと実際に相談を受けた事もありました。

 私に言わせてもらうと何を信じるか、相手の意見が正しいかどうかは自分で判断すべきで何か一つに自分の判断を丸ごと預けようというのはちょっと甘いのではという気もしないでもないのですが、誰もかもが一つ一つのニュースや商品の性能などに精通しているわけでもなく、なにか信頼できる情報発信元をあらかじめ決めておきたいと思うのは自然な感情なのかもしれません。

 そこで一つ今回やってみようと思ったのは、私自身が一つの指標となって各分野において信頼するものをそれぞれ、「信頼している」、「半信半疑」、「信頼していない」の三つにおおまかに分けてリストアップしてみようと考えてみました。
 あらかじめ申しておきますがここで紹介する信頼度リストはあくまで私がどの程度その対象を信頼しているかであって、必ずしも客観性に基づいたリストではなく、たとえ私のリストの中で信頼度が高かったとしても実際にその対象が信頼に基づく行動を行っているか、性能を有しているかどうかは保証しかねます。

 それにもかかわらず何故ここでこうしてリストアップしようとするのかというと、こうして皆で意見を言い合って議論を高める事がそれぞれの中で信頼度の指標を作る一助になるからではないかと考えたからです。
 そういうわけで一発目は、恐らく信頼という意味では一番肝心なメディアに対するリストです。百聞は一見に如かずというのでさっそくご覧下さい。

<信頼している>
NHK(テレビ局)
MBS(テレビ局)
文芸春秋(雑誌)
朝日新聞(新聞)

<半信半疑>
テレビ朝日(テレビ局)
テレビ東京(テレビ局)
読売新聞(新聞)
日経新聞(新聞)
週刊文春(週刊誌)

<信頼していない>
TBS(テレビ局)
毎日新聞(新聞)
産経新聞(新聞)
週刊現代(週刊誌)
週刊新潮(週刊誌)
バンキシャ(テレビ番組)

<論外>
アサヒ芸能(週刊誌)

<別格>
東スポ(新聞)

 一つ一つ詳しく説明すると、まず信頼しているリストに挙げた中でもNHKを私は特に強く信用しています。ここも過去に何度か不祥事を起こしていますがそれを補って余りある報道力に、ニュース番組でも民放と比べて余計でくだらない情報を流さない姿勢は高く評価しています。同じくテレビ局では関西放送局のMBSこと毎日放送もそのスクープを取り上げる取材力は群を抜いていることから高く評価しております。京都、大坂、神戸市役所の不祥事を全部暴いたのはほかならぬこの毎日放送だったし。
 次に雑誌メディアからは文芸春秋が入っていますが、分厚いだけあってなかなか硬派な情報が多く、なおかつ遠距離を見渡す上で重宝しております。ライバルの中央公論についてはただ単に私が購読していないだけなので信頼度は未定なだけです。
 最後の朝日新聞については「なにをっ(# ゚Д゚) ムッ!」と思われる方もいるかもしれませんが、今回の大阪地検特捜部検事の証拠偽装のスクープなどなんだかんだ言って世の中を動かす報道をよくしており、日々のニュースも最低限きちんと取り上げているので私は新聞メディアの中では朝日を評価しています。社説がくだらないのは仕方ないので、この点については見てみぬ振りしてますが。

 次の半信半疑のリストに挙げたリストについてですが、テレビ朝日については報道ステーションは嫌いだけど朝のニュースが好きなので入れて、その次のテレビ東京は同じくリストに入っている日経新聞同様、予算が少ないので事後報道が多くなりそれゆえに変な誤報が少ないということを評価しての事です。
 なお日経新聞は日本経済紙トップの意地から経済面のスクープには走りとも言われかねない報道が多かれ少なかれあり、それゆえに「日経は経済面以外がいい」と言われております。私自身もそう感じており、テレビ東京でよくやっている企業家の特集番組もええかっこしく映しており、意地の張ってない政治や文化面では逆にニュートラルに報道しているので半信半疑としております。
 読売新聞については対して特に何か強い報道姿勢を持っていないことからで、週刊文春については週刊誌の中ではまだマシと思うから入れました。実際は文春はほとんど信用してないけど。

 最後の信頼していないリストについては、TBS、毎日新聞についてはその不祥事の多さと頓珍漢な意見の連発から真っ先に入れました。次の産経新聞については政治に対する報道姿勢が異様に自民党支持に偏っており、ちょっと呆れるような意見も平気で載せてくる事から信頼していません。産経は日々のニュース報道も書き方下手だし。
 週刊現代は折角相撲界の大麻問題をスクープしたかと思ったら次に報道した八百長問題はどうも誤報の線が強まってきており、週刊新潮については以前の赤報隊事件犯人のでっち上げ記事から評価を落としました。こういうことばっかりやっているから、所詮は週刊誌と呼ばれというのに。
 最後のバンキシャについては敢えて日テレと書かずに番組名にしました。ここも異常な量の不祥事を起こしており、私はこの番組が存続しているという事実それだけで日テレに対して強い疑いを持ちます。

 あとおまけとして<別格>と<論外>を設けていますが、論外に入れたアサヒ芸能は直接手に取ることはないのですが電車の中の中吊り広告を見ると的外れもいいようなふざけた見出ししか書いておらず、以前にネットの掲示板でアサヒ芸能を情報ソースとしてスレ立てしてる人を見ましたがその際は本気で神経を疑いました。あとなんでこのアサヒ芸能はいつも暴力団内部の人事移動について詳しく取り上げるのかもよくわかりません。そういう広報誌なのだろうか?

 別格の東スポについてはちょっと理由があり、ここも「日付と天気予報以外は全部ウソ」とまで言われるほどとんでもない記事(UFOが電線に止まって盗電していた等)をよく載せてますが、この東スポのいいところはウソと分かる記事ははっきりウソだと分かる点で、娯楽として読む分には非常に出来のいい新聞だと評価しているからです。
 ちなみに東スポは変なところで硬派というか、以前に聞いた話だと昭和天皇の崩御の際にも一面の見出しは「ブッチャー、流血」だったそうです。すごい新聞だ。

2010年10月1日金曜日

特攻作戦の価値は

 特攻作戦というと二次大戦時に旧日本軍が行った作戦として日本人なら誰でも知っているかと思いますが、二次大戦時であればその決死性と共に特殊さが際立っていたものの現代ではイスラム過激派などの自爆テロが横行し、以前よりはこういった面の特殊性は薄れているかもしれません。
 そうした特殊性は置いておいて、この特攻作戦の価値や意義については未だに議論が強くなされております。戦後から60年以上経ったことでようやく感情的な議論は少なくなってきておりますが、それでも一部の前大戦賛美者からは日本の優れた精神性から生まれた作戦であったなどと反吐が出るような意見が出てくる事もあります。

 結論から言えば、私は特攻作戦は人間性と効率性を無視しただけの意味のない自己破滅的作戦であったと考えております。

 特攻が作戦としての戦術的価値がなかったことについては現在でも一般的な意見になりつつありますがこれについては調べれば調べるほど呆れた事実が出てきて、まず数百キロの爆弾を機体に括りつけて敵艦隊に対して胴体突撃を敢行すること自体が無茶もいい加減にしろというような内容です。これなんか私の後輩が昔に言っていましたが、二次大戦当時に日本は他国と比べて「弾幕」という無数の銃弾で壁を作る事によって攻防一体となす概念が薄かったといわれ、事実当時の日本陸軍参謀の堀栄三がパイロットらの意見を聞いた上で実際の戦闘を視察した際、上層部よりの敵艦に接近した上で攻撃せよという命令が現場ではほぼ実行不可能な意見であるものだと断じた上で報告しております。

 そんな銃弾の雨の中をただでさえ重たい爆弾を持って突っ込むなんて冗談もいいところなのですが、そんな無茶な作戦に対してただでさえ戦争後半に少なくなっていた訓練されたパイロットの命を消費するという発想自体も非常に馬鹿げております。
 通説、というより一部の礼賛者の意見では特攻作戦はすべて志願者によって行われたと言われておりますが、文芸春秋10月号の記事によると特攻隊の生き残り、または特攻隊員を指名した下士官らの意見を聞くと、実際の現場では志願を強制されたというのが実態だったようです。また私個人の意見としても、今も残る特攻隊員の遺書を見るととても自発的に特攻隊員が集められたとはとても思えません。

 その上で自分がこの作戦に腹立たしさを感じる点として、この作戦を指導した軍上層部自体がそもそもこの作戦に戦術的価値を見出していなかったという点です。はっきり言いますが、太平洋戦争は日本がサイパンをアメリカに奪取された時点でほぼ勝敗は決していました。ドイツもドイツで国土が蹂躙されるまで最後まで降伏しませんでしたが、賢明な指導者であれば、開戦はともかくサイパン陥落の時点で日本が降伏すべきだという事を十分に理解できたはずです。

 そんな劣勢下の中、特攻作戦は終戦の最後の最後の日まで実行されました。聞くところによると玉音放送のあった8/15に降伏宣言を知らずに出撃した特攻隊は、目標の沖縄上空に現れるや米軍基地へは突入せず次々と岩礁地帯へ突っ込んだそうです。好意的解釈を行うならば、上空から見下ろした米軍の様子を見た特攻隊員らは日本の降伏を察知し、自分達の攻撃が後に影響を及ぼさないように自決したとされています。

 さらにこの特攻作戦は終盤ともなると、通常戦闘使用機だけでなく性能の劣る訓練用機でも行われるようになります。ただでさえ正規機より突入が難しいと言われていながら訓練機も作戦に導入されたのは、一説では米軍の本土上陸時に特攻作戦がどれほど有効であるかを試すためだけであったとも言われています。

 これは太平洋戦争全般、特に沖縄戦において言えることですが、本来国民の生命や財産を守るべき軍隊が国民の生命や財産をないがしろにしてでも軍という組織を守ろうとしたのがあの戦争だったと私は考えています。因みに天皇制についてはポツダム宣言受諾を巡って争点となったと言われておりますが、私が見ている限りだとどうもそれはうそ臭い気がします。陸軍の過激派などはもし昭和天皇が降伏を受け入れようとする素振りを見せようならば強制的に退位させ、別の皇族を天皇を立てればいいと主張していたグループもありました。

 そういった意味ではこの特攻作戦も、国家が国民の命を弄んだ愚行以外の何者でもないと思います。なお今回ちょっと調べなおしていて意外だったのは、通説では特攻の生みの親とされている大西瀧治郎海軍中将は実際には特攻作戦を起案していないという意見が現代では強まっていたという事です。まだはっきりしないのでこの点については今後の研究を期待します。