2012年3月31日土曜日

スターウォーズの関連商品

 過去記事でこのところメール語尾に「フォースと共に」という言葉を付けるのがマイブームとなっていると語りましたが、ちょうど「スターウォーズ エピソード1」の3D版が公開されたこともあって関連する話題がこのところ溢れております。自分が見たニュースだと今回の3D版を2D版の公開当初は幼くて恐らくは見ていない世代に見せたところ反響はよかったという話がありましたが、こうした映画本体に関する話題にとどまらず関連商品も出てきているようで、先日見た中にはこんなニュースがありました。

『スター・ウォーズ』ライトセーバー型の傘が登場! スイッチでシャフトが光る本格仕様!(シネマトゥデイ)

 上記リンク先で紹介しているのはライトセーバー型の傘で、なんでもスイッチを付けるとシャフト部分がライトセーバーのように光るそうです。ちょうど現在私が上海で使っている傘が去年の台風の際に骨の一部が曲がっているので見た時は素直に「欲しい」とか思っちゃったりしたのですが、値段は4980円とのことでやや割高感があります。
 ちなみにスターウォーズはハリウッド映画として初めて関連のおもちゃ商品が出たそうで、確かシリーズを通した売上げはギネスブックとかにも載っていたような気がします。ライトセーバーなんかおもちゃ化しやすい商品なだけに大量にあふれていたでしょうが、それにしたって傘に使おうと考えた人は相当な切れ者でしょう。

 これとは別に昨日、仕事で企業のプレスリリースをチェックしていたら、ちょっと目を引くリリースが出ておりました。

May the Force be with you. - ヨーダがライトセイバーでPCを守るUSBアクセサリ(マイナビニュース)

 こちらはセンチュリーというパソコン向けアクセサリーなどを売っている会社ですが、なんとヨーダのデスクプロテクターを発売したそうです。デスクプロテクターとは知らないうちに勝手にパソコンを触ろうとする人間に対し警告を与える、もとい音を出すだけの防犯用具だそうですが、先ほどの傘といいこんな商品にヨーダを使おうとする人は相当の切れ者かアレな人でしょう。しかも妙に凝っていて、発する音声は下記の六種類にも渡るそうです。

1、In the end cowards are those who follow the Dark Side.
(和訳:臆病者とはダークサイドに堕ちる者達のこと)
2、A disturbance in the Force there is.
(和訳:侵入者そこにあり)
3、Retreat! Cover you, I will!
(和訳:撤退せよ!わしが守る)
4、Still much to learn, you have.
(和訳:まだ学ぶべきことが多くある)
5、So certain of defeat, are you? Hmmm…
(和訳:負けを認めるのか)←防犯用具がこんなこと言っていいのかよ(;゚Д゚)
6、Rush not into fight. Long is the war.Only by surviving it, will you prevail.
(和訳:戦いに急ぐな、戦争とは長期間かかるものだ。生き残ることによってのみ、打ち勝てるのだ)

 「一体こんな商品を出したところで誰が得するんだよ、俺以外に」とかちょっと思ってしまった商品です。

 ちなみにまた豆知識ですが、エピソード5~6では人形を使ってヨーダのシーンが撮影されましたが、エピソード1では人形とCGを混合して撮影され、エピソード2、3に至ってフルCGで撮影されたそうです。これも技術の進化によってなされたものですがヨーダのフルCG化は思わぬところで弊害も生んでおり、なんでもエピソード2の終盤でヨーダと激しい戦闘シーンを展開するドゥークー伯爵役を演じたクリストファー・リーは撮影の際、目には見えず存在しない相手に激しくライトセーバーを振るうアクションを要求され、非常に苦労したそうです。この弊害は次回作のエピソード3にも引き継がれ、ダース・シディアス役を演じたイアン・マクダーミドも同じように、存在しないヨーダに翻弄されるというかなり無茶な演技を実践してます。ちなみにこの二人が各場面を演じた際の年齢はそれぞれ80代、60代にも及んでおり、その苦労は大いにしのばれます。
 劇中でオビワン・ケノービは「最も粘り強いジェダイ」と呼ばれていますが、ヨーダに関しては「最も俳優に苦労を強いたジェダイ」といって間違いないでしょう。

2012年3月29日木曜日

長崎ストーカー殺人事件に対する千葉県警の対応

 今日は色々とニュースがあり、それぞれで簡単にまとめようかと思いましたがやっぱりこっちの話題を取り上げることにします。なお少しだけ書くと、本日に小川法相が死刑執行に踏み切りましたがその際の会見において、「国民の強い支持があった」と発言したと報じられています。もしかしたら一部分だけが切り取られて大きく報じられているだけなのかもしれませんが、細かいようですが少し苦言を言うと、「社会が厳罰化を求める風潮になってきている」というのならまだしも「支持があるから」で死刑を執行するというのはちょっと違うような気がします。死刑執行自体は私はもっともだと思いますが、民意でそうだから執行すべきではなく、やはり政治家としての責任で決断したということを肝に持っておいてもらいたいです。

再調査の点検徹底を=千葉県公安委に異例の要請―国家公安委員会(時事通信)

 話は本題に移りますが、明かな捜査の不手際から殺人事件にまで発展した長崎ストーカー殺人事件ですが、事件の様相はかつての桶川ストーカー殺人事件と同じような姿となってきました。その捜査の怠慢ぶりが指摘されてきた千葉県警ですが、先日も内部調査において被害届受理よりも署員旅行を優先したという事実を隠ぺいしようとしていたことが明らかとなり、なんていうか仮にかばえと言われてもかばいようがないほどの失態ぶりを見せております。被害者遺族も第三者委に調査を依頼するよう求めましたが予想されたように千葉県警はこれを拒否し、最終的には国家公安委員会に再調査の徹底、いうなれば第三者委へ依頼しろという異例の要請を受けるに至っております。本当に救いようのない。

 最近はどうだかわかりませんが、千葉県警は確か昔に懲戒免職者数が全国で最多となったことがあるだけに実は私もあまり信用しておりません。同じ千葉県警の失態だとついこの間にも、県内で十年以上前に起きた殺人事件がDNA技術の発達によって真犯人を見つけることが出来ましたが、千葉県警はこの事件の発生直後はなんの根拠もないにもかかわらず被害者遺族を疑って拘留するという、足利事件同様の冤罪事件を引き起こしています。ちなみに何故その事件で遺族が疑われたのかというと、なんでも被害者の祖母が悲しみのあまりに「私が殺したようなものだ」と後悔の念を口にしたことを殺意認定としたそうです。金田一少年もびっくりな急展開振りとしか言わざるを得ません。

 話は今回の長崎ストーカー殺人事件に戻りますが、そりゃ忙しいだろうってのはわかりますがかつて桶川ストーカー殺人事件を過去に見ているはずなのに、どうしてこうも同じ失敗を繰り返せるのか理解できません。しかもそんなバカをしたのが一部の署員だったらまだ救いようもありますが、今回こうして組織ぐるみで旅行の事実を隠そうとするあたりはやはり組織全体でどこかねじが外れているんじゃないかとも思ってしまいます。このところこういった不祥事の話題は大阪府警が独占していただけに、言い方は悪いですが大阪府警も矛先がずれてほっとしていることでしょう。

 自分は子供の頃はやはり、警官というものは使命感もあってかっこいい職業だと思っていました。しかし年をとったというのが何よりでかいでしょうが、そうした憧憬に似た感情は現在ではほとんど持てずにおり、むしろ震災を含めあちこちで活躍している自衛隊員の方が今では立派な職業のように思えます。はっきり言って今まで信頼に足ると感じる警察官にはお目にかかったことはありませんが、末端の人たちは決してこんなじゃないという幻想をどうにか信じたいものです。

2012年3月28日水曜日

ミサイル発射前の北朝鮮に対する中国の姿勢

 久々に国際政治関係の記事が書きたいので、ホットな話題を書こうと思います。
 現在、迷惑な隣人こと北朝鮮が来月に衛星(ほんとはミサイル)を発射すると言って、世界各国から総スカンくらっております。日本もかつてのテポドン発射とは異なり本土上空を通らないものの、領海内を通ることで破片が落ちてこようものなら破片を迎撃破壊すると防衛大臣が言っておりますが、本音はMDシステムの実験テストをしたいだけなんじゃないかと要らぬ感想を持ってます。まぁ確かに発射時間の予測が出来ないことなどを考えるといい機会なんだけど。

 さてこうした北朝鮮の動きに対して中国の反応ですが、はっきり言ってめちゃくちゃ怒ってます。今回は日本側でもこうした中国のいら立ちがよく報じられておりますが、体制が金正恩に移ってからというものの以前以上に強硬な態度を取るようになっていることから段々と態度を露骨に見せるようになってきております。
 少し話が横道にそれますが、ある意味で今の中国と北朝鮮の間に溝が開くのは自明でもあったと思います。というのも昔に受けた中国政治の授業で講師が言っておりましたが、北朝鮮としては何でも間でお中国の言うことを聞きすぎると生殺与奪件をすべて握られることとなるので、要所要所で逆らって見せようとしているそうで、そのため6ヶ国会議も最終的に流れるとの見通しを当時言っておりました。

 そうした目で見てみると、今の状況はまさに格好の構図です。恐らく予告通りに来月にミサイルを発射するでしょうが、他国はそれを制止するのではなく、発射後にどのような態度を取るかが今考える事だと思います。私自身としては今まで北朝鮮をかばい建てしてきた中国が距離を置き始めてきていることに加え体制も移行したばかりですし、前以上に強硬な態度を取って追い詰めた方がいいかと思います。以前にウィキリークスに暴露されていましたが、中国外交部も金正日の死後は北朝鮮は持たないと言っていたようなので、積極的な支援はないかもしれませんが仮に戦争となっても邪魔立てはしてこないでしょう。さらに言えば、中国と韓国の経済関係は非常に強くなっており、北朝鮮が存在し続ける理由も非常に小さくなってきております。

 念のため付け加えておくと、中国の現地紙でもこの問題は大きく取り上げられており、各国が自制を求めるとともに中国としても憂慮していることが報じられております。なお中国人の北朝鮮に対する印象ですが、はっきりいって関心が無きに等しいです。身近に北朝鮮人がいるわけでもないし、経済的な結びつきもほとんどないことからおかしな隣国程度くらいにしか思っていないと断言できます。逆にどの国が好きかと聞いたら、友人なんかは「パキスタン」って言ってましたけど。
 ちなみに身近な北朝鮮人となるとですが、実は勤務先の近くに北朝鮮レストランってのがあって、これまでにも何度かそこで食事しています。北朝鮮にとっては貴重な外貨獲得手段だと言われていますが、出される料理は普通の韓国料理ですし、料金も極端に高いわけじゃありません。ただ店のチマチョゴリを着たウェイトレスは一説には元喜び組だとも言われており、確かに容姿の整った女性が多いです。けど真冬にコート着てまで店の前で客引きするのは大変だしよした方がいいと思う。

 最後にほんとどうでもいいことですが、以前に金正恩がドラゴンボールに出てくる人造人間19号という悪役にそっくりだということが話題になりましたが、この前にふと、「ドラゴンボールと言えば、新しいオープニング曲が話題になったな」ということを一緒に思い出しました。そのオープニング曲というのは「ドラゴンソウル」という曲なのですが、歌い始めの歌詞が「ドッカン ドッカン ツイてる」というテンポの良さでネット上で様々なパロディが作られたのですが、何故かこの曲が頭の中で北朝鮮の例の行軍シーンやマスゲーム、ミサイル発射シーンと重なって会社で吹き出してしまいました。下のリンク先がその曲ですが、誰か北朝鮮の映像と編集してマッド動画作ってくれないかな。

ドラゴンソウル(Youtube)

2012年3月27日火曜日

孤立死報道について

 このところ孤立死に関する報道が非常に多くなっておりますが、ちょっと気になる点がいくつかあったので自分で調べてみました。一体どういう点が気になったのかというと、報道は異常に多くなっているのは事実だが、果てして本当に孤立死が増えているのかという点です。
 確か調べたのは内閣府のデータだったかと思いますが、結論から言うと確かに孤立死の件数は増えておりました。念のため高齢者人口の増加率などとも比較してみましたがこれを考慮しても有意な数字で伸びており、去年の震災で婚姻件数が増えたというデマとは違い、孤立死が増えているというのは確かな事実なようです。

 このように孤立死が増えているのは事実であることを踏まえた上で言うと、個人的にこの手の報道は非常に虫唾が走るというか気に入りません。こんなことをいちいち報じるくらいならもっと別の方面に人員を使えと言いたいです。この手の報道で何が気に入らないかというと、結局問題の投げっぱなしになることが多いからです。一番代表的なのは小中学校のいじめ問題で、これなんか周期的には大体5年に一回くらいのペースで大きく取り上げられては半年くらいで一旦止み、また次の周期を迎えると大きく取り上げられるといった具合で、騒ぐだけ騒いで全く改善に向かっておりません。さらに言えば、一昨年に流行った死亡届出を出さない年金詐欺の件はどうなったんだと言いたいです。
 多少気が早いようですが今回の孤立死に関する報道もどうも同じようなにおいが感じられ、というよりメディアは大きく騒いでは「もっと周辺地域との交流があれば」とか「民生委員を増やすべきだ」などと意見を上げていますが、なんていうかどれもこれも都合のいい意見ばかりで実現性や実効性という点で見たら胡散臭く感じます。

 確かにメディア側から言えばいくら問題性が高かろうとも、定期的に続報を出し続けことが難しいのはわかります。しかし一旦騒いではすぐ別の話題に切り替えることを延々とやっていると結局その社会問題は継続し続けることになりかねないので、それであれば今みたいにさもショッキングに、ヒステリックに報じるくらいなら、じんわりと淡々と報じ続けることの方がいいような気がします。ショッキングに報じれば確かに強い注目を浴びれるでしょうがその分人の記憶からも忘れ去られやすく、かつて「キレる17歳」と呼ばれた世代が今や「草食世代」とレッテルを張られてるおかしな現実にも気づけません。

 ただこういうことを書きながらも、このところ明確に改善が見られる社会問題もあります。もったいぶらずに言えばそれは児童虐待で、先日も一昨年に大阪で二児を放置死させた母親に懲役30年の実刑が下るなどこの問題に対する社会や司法の目は厳しくなってきており、勝手な予想ですが今後発生件数は徐々に減少していくのではないかという希望を持っております。この児童虐待もかねがね瞬間湯沸かし的な報道が非常に嫌でしたが、こうして虐待死させた親たちの裁判判決がきちんと続報として報じられるようになったのをみるとなんだか安心します。

2012年3月26日月曜日

大学のいい選び方

 最近「パラサイトイヴ2」のやりすぎのせいで寝不足となっているのが原因か、どうもブログに書く記事がなかなか浮かんできません。昨日もそうでしたがパソコンに向かって大体30分くらいは書くネタを考えるのですが、先々週あたりが絶好調だったせいかどうもいいものを思いつくことが出来ません。別に仕事が忙しいわけでもなんでもないのですが、ちょっと気になるのは季節の変わり目ですこしおかしくなっているのか、発作こそないもののなんか自分の体調の調子の上下が激しく、やや不安定な状態が続いていることも影響しているかもしれません。真面目にこっちで倒れたらいろんな意味で一巻の終わりなので、今週末から清明節(中国のお彼岸)の連休に入るので睡眠時間と「パラサイトイヴ2」する時間を増やそうと思います。ゲーム控えればいいだけの話ですが。

 ちょっと長めの前置きを踏まえて本題に移りますが、先日に友人から兄弟の大学進学先について相談を受けました。なんでも英語を大学在学中に鍛えたいとのことなのでともかく英語の強い大学というのがリクエストで、いきなり名前を出すとやはり上智大学を目指すべきではないかと提案を受けました。この友人の提案に対する私の回答ですが、別に上智大学に通ったわけではないもののもっと考えた方がいいと、再考を促すものでした。
 まずこれは上智大学に限らず一般に英語が強い大学に共通する特徴ですが、他の大学に比べて帰国子女の学生数が非常に多いことが挙げられます。ストレートに言わせてもらうと英語に強いという評判はそのような帰国子女の力によるものとしか私には見えず、そうでない学生の英語力がどの程度の物か、また学内の英語教育のカリキュラムがどれほど優れているのか非常に疑わしいです。なので無理してそういう「英語が強い」という評判の学校に通わず、実家から通える範囲の大学に進学して一年くらいどこかに留学した方が本人のためではないかと教えました。

 この英語に限らず、大学選びにおける一般的な評判というものの中には全く当てにならないものも少なくありません。理系なんかはある程度目的とか分野がはっきりしているのできちんと調べればはずれ引くことは少ないでしょうが、文系なんて情報範囲が広すぎるせいかうかつに選ぶと落とし穴にはまることも少なくありません。ただ逆説的なことを言いますが、文系というのは志望分野をあまりに絞りすぎると小っちゃくまとまってしまう傾向もあり、それであれば漠然と「こんな感じの勉強したい」というくらいの気持ちで学部や学科を選んだ方がいいかもしれません。私なんかもやればどの分野の学問も吸収できる自信があったので、とにかく取り扱う範囲が広いだろうと社会学を選んで馬が合いましたし。

 このほか大学を選ぶに当たって私がお奨めしたいのは、文系限定ですがなるべく実社会では勉強できない分野を選ぶ方が後の人生のためにもいいと思います。よく法律の知識とか社会学のわけのわからない統計手法とか覚えても社会では全く使えないから、もっと経済学とか実態的な学問を学んだ方がいいと抜かす嘴の青い高校生とかを見ることありますが、私に言わせればそんなものは社会に出てからでも自然と、もしくは意識すれば簡単に身につけられるもので、大学に行くんだから大学じゃないと勉強できないものをやっとかないと総合的に損すると言いたいです。ちなみに敢えてフェイクで入れましたが、世の中一般で経済学と考えられているもののほとんどは実質的には経営学こと商学で、この点で勘違いしてつまづく人も多いんじゃないかと勝手に思ってます。

 いい機会なのでほかにもまとめると、「国際経済学部」とか「国際交流学部」とかいう国際が付く学部名はほぼ確実に外れと思っていいです。というのも文部科学省が「国際とつければ学部増設を認めてあげるよ」と言ったのでカリキュラムの準備とか無視してあちこちの大学が申請したので、中身がすっからかんなところが多いです。同様に、設立から年数の経っていない大学もカリキュラムが固まっていないところが多く、可能ならば避けた方がいいでしょう。

 以上のような具合で適当なことを書きましたが、大学に行っていい経験をするかどうかを突き詰めていうと結局はその本人のやる気次第です。いい大学にカスが行こうが結局はカスのまま卒業するでしょうし、逆に世間的に評価されていない大学でも本人が頑張って勉強すればいくらでも能力を高めることが出来ると言い切ってもいいです。偉そうなことを言っておりますが私自身はこの比較で言うと明らかにカスの部類に入るほどそれほど勉強時せず、無駄に自転車で琵琶湖一周(しかも山中越えルート)していた口でした。ただ自分は学生時代に周囲の人間には恵まれており、自分の限界値を始めて認識できるなど今にもつながるいい経験は出来たと思っています。はっきり言って進学先は消極的な理由から選ばざるを得ませんでしたが、本当にただ運が良かったのでしょう。

2012年3月25日日曜日

大岡忠光と徳川家重

 何か歴史の話をと考えて既に数日間、思い悩んだ挙句に思い付いたのは、「そうだ、あいつがいたじゃん!」でした。そこで今日はちょっと変わり種というか、大岡忠光を紹介しようかと思います。

大岡忠光(Wikipedia)

 大岡と聞いてまず真っ先に思い浮かばれるのは「大岡裁判」で有名な大岡忠相かと思われますが、今日紹介する大岡忠光はその忠相の遠縁の人物です。遠縁と言っても勤務先は同じく江戸徳川家で旗本の一人なのですが、忠相が徳川吉宗に仕えたのに対し忠光は吉宗の息子、9代将軍の徳川家重に使えていました。
 徳川家重というと有名な吉宗の後ということでともかくするとちょっと目立たない人物ですが、実はこれにはわけがあり、最近になって大分マシにはなりましたが以前は家重が障害者であったとされる説からどうも率先して取り上げられなかったという面がありました。またその障害の程度も取り上げる媒体によっては様々で、もうはっきりと「思考もできないほどの暗君」と書くところもあれば、「言語不明瞭(発音が不良)ではあったが思考はまともだった」とするのもあって程度にばらつきがあります。どうも十年くらい前あたりから段々統一見解が持たれてきたようで、生前に囲碁の解説本などを出していることから言語不明瞭ではあったものの一般的な思考はあったとされる見方が強くなっております。ただ生来からか、それとも言語不明瞭で意思が伝わりにくかったことなどから、癇癪持ちであったのも間違いなさそうです。

 そんな徳川家重に仕えた大岡忠光ですが、何がすごいかというと誰も聞き取れない家重の発音を何故か彼だけが聞き分けられたそうです。しかも用事があって傍についていなかった時も、

「なにかこうこう言ってるような感じなんですけど」
「それは多分、寒いということだから上着を渡してあげなさい」

 と、直接聞いているわけでもないのに的確に翻訳し、しかもその通りだったというのですから末恐ろしい限りです。

 大岡忠光が勤務している間は親戚の忠相がやったような目覚ましい功績はなかったものの、在世中の評判は悪くなかったようです。ただ彼が1760年に死去すると、もしかしたら意思伝達に齟齬が起きるようになったのか徳川家重も将軍職を辞して翌年には早くも死去しています。先程の大岡忠相と徳川吉宗も同年に死んでおり(こっちは吉宗が先)、徳川家の将軍は大岡家の人物と二代にわたって生死を共にするという奇妙な関係が続きました。別にこれだからというわけじゃないけど、徳川さんは大岡さんとは仲良くやった方がいい気がする。

2012年3月24日土曜日

マイナス金利策の導入案

 現在、日本の金融機関に対する金利こと公定歩合は1%を切っており、一般の金融機関の利率はどこも1%以下に設定されております。通常、というか昔の利率は3%くらいあって、ここから引き上げることで貨幣流通量が減るよう誘導して、引き下げることで増えるように誘導してきたのですが、「失われた十年」の間に日銀がゼロ金利政策を実施してからは1%以下が当たり前という状況が続いています。
 言うまでもないことですが金利というのは上下するから影響するのであって、いくら金利がないからと言ってずっとゼロ金利では貨幣流通量は増えるわけでもなく、今も昔も日本は長いデフレが続いております。かといってこれ以上引き下げようにも既に0%でありますし、日銀は現時点で打てる経済対策というのはないと言ってもいいでしょう。

 そんな状況にもかかわらず不況は続いており、一体日銀は何やっているんだということになって現に私もかねてから批判しておりますが、そうした批判の中というか投げやりな意見の中に、「もうこの際だからマイナス金利をやってみろよ」というものが散見されます。マイナス金利というのは言ってしまえば借りれば借りるほどお金が増えるという概念で、例えばマイナス金利1%で100万円を1年返済で借りると、1年後に返す金額は99万円でいいという具合です。こんな夢のような政策、もちろんやっている国なんてほかにはありませが、そもそも論で話すとゼロ金利政策を始めたのは日本が世界で初めてです。

 仮にマイナス金利政策を導入するとそれこそ借りた分だけお金が増えるので、変な話ですが借金してでもお金を借りようとする人が続出するかもしれません。これはもちろん冗談ですが、場合によっては無限に借金額が日本中で増えていく可能性があるために単体でそのまま導入することには私は反対です。ただ現時点で金融政策が行き詰っていることを考慮すると一部の規制を設けて導入を検討してみる価値はあるのではないかと見ており、消費刺激策の一つとしてちょっと真面目に考えています。

 私の考えているマイナス金利の導入先ですが、ローン金利に対してだったらやる価値はあるんじゃないかと見ています。ローン金利はそれこそ車や住宅の購入に際して組まれるもので、たとえば200万円の車を5年ローンで払うなら198万円で済むとか、3000万の住宅を20年ローンなら2900万とかで完済となるような感じで、対象先を絞って導入入れてみたら一定の消費刺激となり、なおかつ貨幣流通量の拡大も期待できるのではないかと思ってます。
 ただ貸せば貸すほどお金が減るなんて商売、多分普通の民間銀行はまずやるわけありません。そのため仮に実施する場合はマイナス金利分の差額、あと民間銀行への手数料分はある程度国が負担する必要があります。そのため自分でもこれではエコポイントなど直接現金渡す制度とあまり変わらないんじゃないかと思うところもあるのですが、ローン金利だった場合は一回の支払額が大きいことと、長期の支払いで負担が増えていくわけではないという心理効果あるという点で先の消費刺激策と違い、多少の支出があっても検討する価値があるのではないかと思います。また個人消費に限らず、企業の固定資産投資でも環境保全につながるものとかだったら導入してみれば促進が期待できるかもしれません。

 今回の記事、友人二人と別々にチャットしながら書き上げました。さすがにキーボード叩く回数が多くて疲れました。

2012年3月23日金曜日

中国の偽ワイン

 昨日は出張から帰ってきたのでブログ更新はサボりましたが、じゃあ今日は何を書くのかと考え、最近歴史物を書いてないなと思いつつも実に1時間以上も悩んだ挙句、結局書くネタが浮かびませんでした。なんか歴史的な刺激が足りてないのかも。そんなわけでネタ切れということもあり、個人的にツボにはまった中国のワインの話をします。

 まず中国におけるワイン市場ですが、一時期の日本と同じようにブームに沸いております。恐らくこれは食べ物の洋食化とともに自然と突き進む道なのである意味自然な成り行きと言ってもいいと思うのですが、ただ一つ日本のワインブームと異なっているのは中国故の偽物文化です。
 私はワインというと「ロマネ・コンティ」が一番ブランドが高いと考えていたのですが、ここ中国だと「シャトー・ラフィット」が昔の香港映画に出てきたことから一番人気です。一番人気ゆえに価格も高騰し続けているのですが、このラフィットで何が楽しいかっていうと正規輸入量に対する中国国内の流通量は実に40倍で、圧倒的に偽物の方が多いということです。しかも本物の空き瓶にすら詰め替え用として価値がついていて、確か2万5千円くらいで取引されてるというからどこから突っ込めばいいのやら。

 こんな話を友人にしたところ、「思い当たる節がある」と意味深な返事がされました。その友人曰く、中国国内の営業先によってはワインが出されることもあるのですが、酒に強い友人なのにたまに一口で悪酔いするワインがあるそうです。先程の偽ワインの大半は化学原料を見事に調合されて作られていると奉じられており、「多分、そういうのを飲まされてるんだろうな」と疲れた感じで友人は言っておりました。
 かくいう自分も昨日の出張先で昼間からワインを出されたのですが、乾杯用なので本当にごく一口だったものの、何故か飲み終わった後は急激に体調が悪くなりました。戦国時代じゃないんだから、いちいち毒見なんてしてられないというのに……。

2012年3月21日水曜日

震災のがれき運搬処理について

 場合によっては何人かを敵に回すかもしれませんが、それでも今回取り上げる話題は記事として残しておかねばならないと判断したのでこうして書くことにします。正直言って、まだ迷いがありますが。

「みんなの力で、がれき処理 災害廃棄物の広域処理をすすめよう」のウサンくささ(黙爺日録)

 まず今回の記事を書くきっかけになった、さりげなくチェックしている黙爺日録さんの記事を紹介しておきます。リンク先の記事では日刊ゲンダイの記事が引用されており、昨年起きた東日本大震災によってできた被災地のがれきを他の都道府県に運搬処理することについて疑義を呈しております。この日刊ゲンダイの記事を読む以前から私も漠然と考えていたことですが、このがれきの運搬処理については嘘や誇張とかそういったものではなく、全く理解することが出来ないどころか、この運搬するという行為自体に強い不信感を覚えます。また何故大手メディアはこのがれき運搬について反対しないのか、それどころかむしろ煽ろうとするのか、反対運動はもっと起きていないのか、何がどうなっているのか日本の状況がよくわからないだけにある種の怖さを感じてもいます。

 一体何故私ががれき運搬に反対しているのかというと、いくつか理由があります。まず一番大きな理由として、何故被災地で処理、もしくは集積することが出来ないのかという疑問です。日刊ゲンダイの記事でも書かれておりますが、かつての阪神大震災の際にできた瓦礫は2300万トンに対し、今回の東日本大震災は2000万トンと、岩手・宮城・福島の三県にまたがる被災地としてはその量は驚嘆に多くなく、むしろ少ない方です。またこれらの県には比較的土地が有り余っているところも少なくなくない上、地震によって被害を受けた地域などで区画整理をすることで相当の空白地を作ることも予想され、あくまで素人考えですが被災地内でも十分に対応することは可能ではないかという気がします。
 仮に被災地内で対応できるとしたら、一体何故膨大なコストを支払ってでも他の都道府県に運搬する必要があるのでしょうか。震災当初であればごみ処理場が止まっていたということでまだ理解できますが、さすがに一年を経過した今になって同じ理由を出すには無理があるでしょう。

 そして、これは正直に言いたくはないのですが運搬することによって費用のみならず放射能によって汚染されたがれきが全国にばらまかれることとなり、影響を受ける地域が広がることも考えられます。この可能性については既に震災当初から武田邦彦教授が指摘しており、下手に処理を急ぐくらいなら必要のない限りそのまま放っておき、放射能に汚染された塵が散乱しないように動かすべきじゃないと述べており、私も武田教授の意見が合理的に感じられるだけに支持します。これはもうどうしようもない話としか言いようがなく、さらなる放射能の汚染を防ぐためには可能な限りがれきなどは被災地から動かすべきではないはずだと私は考えます。

 にもかかわらず政府はやたらと、しかも熱烈に被災地のがれきを他の都道府県に運搬しようと旗を振り続けています。どっからどうみても運搬する必要性が感じられないばかりか運搬によって生じるリスクも高いのに、何故政府はがれきを運ぼうとするのか。いくつか理由は考えられますが、まず一つ目は「震災の痛みをみんなで分かち合おう」という、採算を度外視したようなメルヘンな思想じゃないかと思います。要するにがれき処理を被災地だけじゃなく全国でやることで心を一つにということですが、そのために無駄なコストと汚染を広げるリスクを負うとしたら私は絶対的に反対です。
 もう一つ、政府ががれき運搬をやろうとする理由として考えられるのは、本当に言いたくないですが利権じゃないかと思います。運ぶ必要のないものをわざわざ運ぶことで儲かる業者はたくさんおりますし、さらに政府はがれきを受け入れる自治体に対して特別な補助金を出すと発表しましたが、深く勘ぐるとこれは一種のばらまきでは、選挙対策なのではないかという気すらします。

 以上の考えは素人である自分の考えです。ただこのがれき運搬についてはどっからどう見てもこうとしか思えず、決してふざけているわけじゃなくもし合理的な理由があるとすれば誰か教えてほしいですし、むしろあってほしいと願っています。何故あってほしいのかと願うのかというと、あまりにもこのがれき運搬に対する報道が作為的過ぎており、例を挙げるときりがないですが去年の京都の大文字の送り火に使われる松にしろ何にしろ、「被災地の物を受け入れないものはすべて悪だ」とするかのような報道が異常と感じるくらいに一方的だからです。
 このがれき受入れだってそうで、「受け入れようとしない自治体が多く、日本の絆はなくなったのか」という文句をこれまでに何度見た事か。受け入れる、受け入れないの問題じゃなく、動かす必要どころか動かしてはならないものを何故動かせと報じるのか、逆意見が全くないのか、初めからどっかと結託してやっているんじゃないのかお前たちメディアはと真剣に感じるからです。

 先日、私の友人からメールを受け取りましたが、彼は去年の漢字一字は「絆」となったが、本質的には「嘘」だったのではと鋭い一言を書いておりました。また日本の政治家や官僚は本気で日本人を殺すつもりなのではと書いておりましたが、私自身もこの友人の言葉が大げさだとは感じられませんでした。
 もしかしたらただ単に私が心配性なだけでは、勘違いしているだけではとも思うのですが、少なくとも私は現時点で被災地のがれき運搬は危険極まりない行為に思えてならず、合理的な理由の説明がない限りは絶対的に反対だということを言いたく、今回こうして記録にとどめることとしました。

2012年3月20日火曜日

地下鉄サリン事件から17年を経て

 テレビなどで報じられておりますが、17年前の今日、地下鉄サリン事件が起こりました。この事件に対して私は同年代のほかの人間と比べ群を抜いて興味が強く、多少おこがましいですが最終的にこの事件をまとめて総括するのは恐らく自分になるのではないかと思っています。既にこの事件に対しては以前の「陽月秘話」時代からも何度も取り上げていて今更取り立てて新しく書くことはないのですが、改めて喚起したいのはこの事件は過去の事件だといって終わらせるべきではないということです。

 まず一番忘れていけないのは、事件の被害者は今も存在し続けていることです。この事件の死者数は13人ではありますが、死者以外にもこの事件によって大きな障害を負い、今も通常の生活が出来ない人間は数多くおられると聞いております。何もこの事件に限るわけじゃないですが、日本の社会は犯罪によって死亡こそ避けれたものの傷害を受けた人たちに対してあまりにも目が当てられていないような気がしてなりません。
 こうした被害者のほかにも未だに逃亡を続けている犯人もおり、また裁判こそほぼすべて終結したものの果たして刑が本当に執行されるかどうか危ういところもあります。

 災害は忘れた頃にやってくるとは言いますが、この事件も起こった当初はみんな地下鉄に乗る際はハンカチを持つようになったり警戒していたものの、記憶が薄れた今となっては誰もこの時に周知された対策を覚えている人たちはほとんどいないでしょう。もっともそう何度もこんなバイオテロが起こるなんてまっぴらごめんですが、私はやはり、この事件に関しては忘れてはならないし、事件が起きた頃にまだ生まれていなかった世代もどうか事実内容だけは確認してもらいたいという願いがあり、こうして今日取り上げることとしました。

2012年3月19日月曜日

メール語尾のマイブーム

 まず本題と関係ありませんが朝日新聞がまたいい記事を載っけてきたので紹介しておきます。

企業誘致、実らぬ高額補助 10年内の撤退・縮小23件(朝日新聞)

 真面目に朝日新聞はここ数年間で劇的に紙面内容が良くなっている気がします。今大騒ぎとなっている巨人の内部文書流出についてもよくぞ取り上げたと思うのですが、それに対して読売は見ていて呆れるというか、自分らだって普段から似たようなことしてるくせに「勝手に内部情報を明かした」といって警察に泣きつくのを見ていると、お前らもうやめちまえよと言いたくなります。第一、事実を事実と報じて何が悪い。

 話は本題に入りますが、今日もまた帰宅が遅かったのでどうでもいい話題です。知ってる人には早いですが毎日こんな駄々長いブログを書くだけあって普段の私は手紙交換においても相当な筆まめだと自負しております。メールを定期的に交換している相手は限られますが送られてくるとすぐに返信しますし、最近はやりませんが以前はわざわざはがきで出すダイレクトメールにも凝っていた頃もあり、自分の方から交換をとだえさせたことはありません。まぁそのかわり向こうから返事来なくなるのは多いんだけどね。

 そんなメールですが、昔からやたらと語尾に意味の分からない言葉を付けて送ることが多かったです。大学生の頃もその時期ごとにいろいろ変えてくっつけたりしてましたが、中でも印象的だったのはマクドナルドのキャッチコピー、「I'm loving it!」を、内容とは全く関係なしにつけていた頃がありました。ただあまり反応が良くなかったのと、やってるうちになんだか自分でも意味が分からなくなってすぐにやめてしまいましたが……。
 その後、就職してからはあまり語尾につけるのをやめていたのですが、最近になって何故か「フォースと共に」というスターウォーズの言葉を付けるのがマイブームとなってきて、こちらも誰彼構わずつけるどころかスカイプで話し終えた友人に対してすら口頭でこう言って回線を切るようになってます。別にスターウォーズが好きというわけじゃないですが、誰もが知っている言葉で言われた相手はほぼ確実にドキリとするので使い勝手が非常にいいです。

 またこれはメールの語尾につけませんが、ちょっと前に同僚との間で、「あなた疲れているのよモルダー」という、某Xファイルのこちらもまた有名なセリフを言い合うのが流行りました。改めて考えてみるとこういうハリウッドとかアメリカ映画のセリフというのは認知度が高いので、普段何気ないところで使ったりすると意外と受ける確率が高いです。もっとも、SAWという映画の「I wanna play game」というセリフはほぼ確実に誰もわからないし、元ネタ逝っても通用しないことが多かったですが。

2012年3月17日土曜日

二次大戦前後における日ソの外交、および戦略

 先日、「太平洋戦争の前後、ソ連のコミンテルンが日米開戦、日中戦争の長期化を図って陰謀をめぐらしていたのではないか」というテーマについてリクエストを受けたので、当時の日ソの外交と戦略についてまとめようと思います。どうでもいいですが、プロ野球で日本ハム対ソフトバンクの試合だと得点ボードに「日ソ」と縦書きで表示されるので、なんか別の戦いを連想してしまいます。

 まず単刀直入に先ほどの陰謀論についてですが、実際にどのような工作をしたのかどうかは別として、希望として持っていたという点についてはもうはっきり「YES」と答えていいでしょう。何故コミンテルン、というかソ連が日米開戦と日中戦争の長期化を期待してたのかというというと実に単純で、バルバロッサこと独ソ戦が開戦したからです。
 この後いろいろと時系列に語るので、先に年表を準備しておきます。それにしてもこの年表、そのまま順番入れ替え問題に使ってもいいくらいよくまとまっている気がします。

1939年5月 ノモンハン事件
1939年8月 独ソ不可侵条約締結
1939年9月 ドイツがポーランド侵攻(二次大戦開戦)
1941年4月 日ソ中立条約締結
1941年6月 独ソ戦開戦
1941年9月 ゾルゲ事件で初めての逮捕者が出る
1941年12月 太平洋戦争開戦

 まず見てもらえばわかる通りに、1941年6月にドイツとソ連の間で開戦しましたが、この時のソ連の一番の懸念というのはちょうどドイツと反対側の国境を接する日本の動向でした。というのも仮に日本側が攻撃してくるのであれば東側にも防衛兵力を割かねばならず、逆にその気がないのであれば全兵力をドイツのいる西側に傾けることが出来ます。
 そのためこの時のソ連は、っていっても別にこの時に限らず崩壊するまでいつもそうでしたが、世界各国にスパイを送って日本側がどのような戦略なのかを必死で探っており、その諜報員として活躍したのが上記にある「ゾルゲ事件」の名の元となったリヒャルト・ゾルゲです。このゾルゲはスパイ教本にも引用されるくらいに多大な成果を上げた諜報員で、日本側がソ連と開戦するつもりがないことはおろか独ソ戦の正確な開戦日まで調べ上げて本国に報告しております。ただその報告をスターリンが信じずに対応が後手後手になったというオチが付きましたが。

 このゾルゲ事件で注目すべきは、諜報活動に関わってゾルゲと共に死刑となった尾崎秀実の存在です。彼は近衛文麿のブレーンにも入っており、近衛に助言をすることで政策に大きな影響を与えていたとされているのですが、雑誌に寄稿した論文では日中戦争の拡大方針を唱え、長期化もやむなしという主張を展開していました。
 恐らくこの意図は、日中戦争を長期化させることで日本をソ連に向かわせないようにするのと、さらに言えば日本と国民党を戦わせて中国共産党に再起の機会を与えるという目的からだと思われます。この尾崎はゾルゲと共にコミンテルンの指導で動いており、彼らの行動からコミンテルンが日本をソ連に攻め込ませないように中国やアメリカといった別方面に目を向かわせないよう動いていたといって十分でしょう。

 ここで筆を止めても別に問題はないのですが、敢えてもう一つ問題提起をすると、では一体何故日本はこの時期にソ連に攻め込まなかったのでしょうか。はっきり言って分析すればするほどいろいろ情けなくなるのですが、ちょっとこの辺で持論を展開することとします。
 まず当時の国際状況ですが、私に言わせれば日本がアメリカと戦う方が不自然で、ソ連と戦う方がある意味で自然な姿だったように思えます。確かに当時の日本はアメリカから経済制裁を食らうなどしておりましたが、普通に考えれば戦って負けることははっきりしているし、またよくハル・ノートがアメリカ側の最後通牒で開戦に至ったという解釈が強いですが、私は和訳文面を読む限りだと最後通牒と呼べるのか、また日本側が主張しているように「返還すべき中国領土に満州も含まれていた」という説には疑問があります。はっきり言って、これでアメリカと開戦することを決断したと言われても、「えっ、なんで?」と思ってしまいます。

 逆に、ソ連についてはどうして1941年に日本は攻撃しなかったのか、非常に不自然に感じます。当時の日本とソ連は日ソ中立条約を結んで一応はお互いに攻め込まないという約束をしておりますが、その一方で日独伊三国軍事同盟も結んでおり、事実ヒトラーは対ソ戦を考慮して日本と同盟を結んだようです。
 しかしヒトラーもがっかり100点満点なくらいに日本はソ連に攻め込みませんでした。あまり仮定の話は好きではないのですが、独ソ戦の戦況を見返すにつけてもし日本が日ソ中立条約を破棄してソ連に攻め込んでいれば、また攻め込むと言わずとも攻撃する素振りを見せるだけでもしていれば、最低でもドイツはモスクワは落としていたでしょう。さすがにモスクワが落ちたらアメリカもやばいと思って参戦して最終的には連合国が勝ったでしょうが、二次大戦の終戦時期は確実に伸びただろうと断言できるくらいに日本がソ連に攻め込むかどうかは全戦局を左右するターニングポイントでした。

 どうして日本は後ろが完全がら空きで、また同盟国であるドイツへの支援を放棄してまでソ連に攻め込まなかったのか。最も妥当な理由は当時の日本の戦略は資源獲得を狙って南方に向いていたためでありますが、私が思うにそうした戦略以前にノモンハン事件の惨敗が影響しているのではないかとにらんでいます。
 このノモンハン事件について簡単に説明すると、当時の満州とソ連の間で起きた国境紛争ですが、わずか5ヶ月間で日本側の戦死・戦傷者数が1万6千人を超えるなど実態的には戦争です。近年になってこれまで考えられてきた以上にソ連側の被害も大きかったことがわかりますが、ソ連側が本格的に反撃に出てきた後半戦は完敗と言っていいくらいの大敗北を喫しております。なおこの時に日本側では以前の「陽月秘話」時代に自分も取り上げた宮崎繁三郎が善戦しており、またソ連の指揮官は後の独ソ戦におけるスターリングラード戦で勝利に導いたゲオルギー・ジューコフでした。結果論ですが、ジューコフ相手に勝てるわけないだろという気がします。

 これが日本の対ソ戦略にどう影響したのかですか、はっきり言ってトラウマになったと言っていいくらいにソ連を怖がるようになったように見え、事実ノモンハン事件以降の日本は何が何でもソ連との衝突を避けようとしています。根拠としてはこれ以降、首尾一貫してソ連との戦争を忌避するかのような行動が目立つ上、戦争末期には講和交渉の仲介を依頼するなど、終戦に至るまでもはや盲信と言っていいくらいに「ソ連は攻め込まない」と日本が信じ切っているからです。
 この辺について何度も引用して悪いような気がしますが半藤一利氏は、「最悪だと思えるケース(ソ連が攻め込んでくる)が起こる可能性を頭から否定しようとする、もしくは現実を直視しようとしない」と評してましたが、自分もそうとしか思えません。それくらいソ連を怖がっていたのではないでしょうか。

 さらに言うと、仮にそうだったら日本が日独伊三国軍事同盟を結んだ理由はなんだったのかということにもなります。この同盟はドイツとイタリアの間ならともかく、日本と両国の間では「共同してソ連に攻め込む」からこそ価値がある同盟で、初めからソ連と戦う気がなかったのなら一体なんで結んだのか理解に苦しむどころじゃありません。しかもこの同盟締結を機にアメリカの経済制裁が強まっていますし。
 何度愚痴ったってしょうがないですが、この時期の日本の外交戦略はすべてを裏目に出させるという、芸術的と言っていいくらいの無能ぶりを発揮しております。やろうったってこれだけの失敗は狙ったってできないでしょう。この記事に限らずかねがね私は主張していますが、日本は追い込まれて第二次大戦に参戦したわけではなく、頓珍漢な行動を繰り返した挙句に自ら突入していったというのが真相に思えてなりません。

2012年3月15日木曜日

重慶市トップの更迭について

 今日は帰宅が遅くなるから、家に帰ったらブログを書かずにシャワー浴びて、歌でも歌いながら眠りに落ちようと考えていたのですが、さすがに自分が取り上げないでどうするんだという中国ニュースが今日出たので書かざるを得ません。それにしてもさっき食べたマクドナルドのチキンバーガーはあまりおいしくなかったなぁ。

<中国共産党>重慶市トップの薄熙来氏を解任(毎日新聞)

 上記リンク先の記事にある通り、市単位としては中国で最も人口が多い重慶市のトップである薄熙来(はくきらい)が更迭されました。更迭理由については2月に薄熙来の部下だった王立軍副市長が何故か突然に米領事館に駆け込んで亡命を希望したことが影響しているのではと取り沙汰されていますが、はっきり言って原因はこれ以外考えられません。

 本題の話をする前に一つ昔話しますが、ちょうど一年前の今の会社に入った直後に私は上司から、「重慶の統計には気をつけろ」という注意を受けました。というのも今回槍玉に挙がっている薄熙来は常務委員(共産党最高幹部集団)入りを狙っており、実態以上に重慶市が発展しているように数字を盛っている可能性が高いということからでした。重慶市がこのところ目覚ましい勢いで発展しているのは事実なのですが確かに数字を見ると怪しいところは少なくなく、たとえば去年のGDP成長率は16.4%で都市別では全国で一番高かったのですが、本当にこれだけ成長したのか正直に言って怪しく、また重慶地元紙を中心に政府の成果をやたら強調するような記事も異常なくらい目立ちました。
 ちなみに去年の4月あたりに重慶市がパソコン組み立てメーカーを誘致する記事で、「世界のノートパソコンの半分が重慶製となるだろう」と市の偉い方が言っていたのですが、この内容を私は「~と、途方もない予想をしてみせた」と記事に書いたら上司から、「注意しろとは言ったが、途方もないというのは言い過ぎだ(;゚Д゚)」とされ、「強気の予想を打ち出した」と修正されました(´・ω・`)

 話は本題に戻りますが、こうした経緯があるなど薄熙来は中国国内でも曰くつきの人物であったことは間違いありません。それこそなにか不正を隠しているのではともメディア業界の中では言われていましたし、いくら功績を上げたからと言って常務委員入りは難しいのではと我々は話していました。
 そういう風に言っていた矢先に、先ほど述べた2月の副市長の亡命事件です。この事件は中国国内では「米領事館に駆け込んだ」という事実以外はほとんど報じられず、私の上海人の友人も凄い気になってて、「第二の林彪事件だ」などとも言っておりました。王立軍が何故領事館に駆け込んだのか、巷では重慶市の人事が変わることによっていろいろまず情報を出るのを恐れたとか言われておりますが、少なくとも現段階では何が正しいのか本当の理由を判別する手段はなく、もうしばらく時間が経たないとまずわからないでしょう。

 ただこれほどの重役が亡命を希望したとなると上司はタダではまず済むわけでなく、今回こうして薄熙来は更迭されることとなったのでしょう。一応政府報道では「重慶市書記には再任されない」とされていますが、早くも降格となり、幹部としての地位すら危ういのではないかと噂されております。
 なおこれは今日耳にした話ですがなんでも日本政府関係者は昨日まで、薄熙来は責任を追及されずに常務委員入りし、最低でも副首相になると予想していたそうです。これが事実だとすると日本の情報力は一体どうなるんだと、今日社内でちょっとした議論となりました。

 最後に王立軍の亡命についてですが、友人の言う通りに中国政府重役が亡命を求めるなんて林彪事件以来でしょう。林彪事件の詳細についてはリンク先のウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、現時点ではすでに価値を失っているものの一時期においては確かに中国共産党を揺るがす大事件でありました。
 なので以前に一度、中国版ツイッターこと微簿で怪情報を流してみないかと友人と話し、「林彪、実は生きてた」というストーリーで、「長生きの秘訣は毎朝の体操と話しており……」などとプロットを練ったことがありますが、真面目に国外追放されたらシャレにならないので実行には移しませんでした。なおこの友人は、私が「日本帰りたいなぁ」と話すと、「あそこにいる警官を殴ればすぐ帰れるよ」と教えてくれるいい奴です。

2012年3月14日水曜日

イグノーベル賞について

 本題と全く関係ありませんが、この前Yahooの質問コーナーに載っていた話で爆笑したものがありました。その質問というのは「今までに恥ずかしかったことでどんなことがあるか」だったのですが、この質問に対して寄せられた回答というのも、

「ある日同時に、「学校で着るあの黒い水着ってなんだっけ?」、「文化祭でやる喫茶店の衣装は何にする?」というメールを受信したので、「スクール水着?」と片方に返信したところ、「スクール水着で喫茶店するの!?」というメールが返っててきた」
 回答者は女性だそうです。

 話は本題に移りますが、前から気になっていたものの真剣に調べることがなかったイグノーベル賞について、今日の会社の昼休み中にとうとうウィキペディアの記事を読んでしまいました。なんで今日になって読む気になったかというと、なんか面倒くさい記事を書き終えた後でしばらく次の記事に取り掛かりたくなかったというのが本音です。

イグノーベル賞(Wikipedia)

 このイグノーベル賞はというのは知ってる人には早いですが、名前からしてノーベル賞を茶化すために作られた賞です。主に風変わりな研究とか、誰も着目しなかったけど聞いててすごいと思う発見をした人とかに与えられるもので、選定基準には全般的に皮肉や風刺が強く込められております。
 なおこのイグノーベル賞は毎年10月にハーバード大学で行われる授賞式からして徹底的に風刺が強く、「ノーベル賞では、式の初めにスウェーデン王室に敬意を払うのに対して、イグノーベル賞では、スウェーデン風ミートボールに敬意を払う」、「受賞者の旅費、滞在費は自己負担で、式のスピーチでは聴衆から笑いをとることが要求される」、「制限時間が近づくとぬいぐるみを抱えた少女が受賞者の裾を引っ張り壇上から下ろそうとするが、この少女を買収することによってスピーチを続けることが許される」など、読んでるだけで実に楽しい気分にさせられます。

 それで今回、過去にどんな人がどんな功績で受賞したのかをざらっと眺めたのですが、中にはアンドレ・ガイムというイグノーベル賞を受賞したのちに本物のノーベル賞を受賞した人がいるなど、ある意味評価はしっかりしているという印象を受けます。そんな過去の受賞の中で私がすごい、もしくはツボにはまったものをいくつか挙げると下記の通りとなります。

・1993年 数学賞 ロバート・フェイド
 受賞理由:ミハイル・ゴルバチョフが反キリストである正確な確率(710,609,175,188,282,000分の1)を計算したことから

・1994年 医学賞 患者X、リチャード・C・ダート、リチャード・A・グスタファソン
 受賞理由:猛毒を持つガラガラヘビに噛まれた患者Xが毒を取り除こうと、車のエンジンを3000rpmで5分回転させるパワーを持つ自動車の点火プラグを唇に装着して失敗した事例をダートとグスタファソンが論文で取り上げた。

・2003年 化学賞 廣瀬幸雄(金沢大学)
 授賞理由:兼六園にある日本武尊の銅像にハトが全く近寄らず糞害がなかった原因が、この像が多量のヒ素と鉛を含んで鋳造されたことにあることを突き止め、人間に害の及ばない程度のヒ素を含ませハトを近寄らせないタイルを作ったことから。

・2007年 医学賞 ブライアン・ウィットコーム、ダン・メイヤー
 授賞理由:論文「剣を飲み込む芸とその副作用」に対して贈られた。

・2007年 平和賞 アメリカ空軍ライト研究所
 授賞理由:敵兵が互いに性的魅力を感じて同性愛行為を始めるという催淫性非殺傷兵器、通称「ゲイ・ボム」に対する研究開発(実現は果たせず)。

・2009年 公衆衛生賞 エレナ・N・ボドナー、ラファエル・C・リー、サンドラ・マリヤン
 授賞理由:一対のガスマスクに素早く変形させることのできるブラジャーを発明。

・2011年 平和賞アルテュラス・ズオカス(リトアニア・ビリニュス市長)
 授賞理由:違法駐車している高級車を装甲車で踏みつぶして問題解決できることを示した。(市内で一向に減らない違法駐車に業を煮やした市長はこの年、わざわざ免許を取得し、自ら戦車を操縦して違法駐車している車を踏みつぶしている)

 なお、この賞は日本人も過去16回受賞しており、それぞれの研究成果はこちらのページにて紹介されております。また中国人による研究では、2010年に広東昆虫学研究所の研究員らによって、「フルーツコウモリのフェラチオを科学的に記録した」ことによって生物学賞を受賞しています。やるな、中国め。

 よく日本政府は科学立国だなどと言ってノーベル賞受賞者をどんどん増やそうと音頭を取っておりますが、私は真面目にノーベル賞よりもイグノーベル賞の受賞者を増やすことに努力した方がいいのではないかと思っています。というのもこれからの日本は科学技術は確かに大事ですが、それ以上に発想力というか文化力というものが重要になってくると思っており、こういった方面を伸ばす努力の方が重要度は高いのではないかと考えているわけです。

 ついでに前々から書きたかったものの中々独立して書くことができなかったものとして、以前に村上隆氏が「クールジャパンなんて世界で全然流行っていない」という内容のことを発言して話題となりましたが、私自身も常日頃からこの「クールジャパン」という言葉に酔っているのはほかならぬ日本人自身だと思っていました。これ以前からも日本人は本当に価値があるものを目の前にして、手元にありながら何故だか無視して、「いつかきっとどこかに誰もが認める素晴らしいものがあるんだ」と考え本当にあるのかどうかわからないものを追いかけるような青い鳥症候群が強いと見ており、早くにこれから脱却する必要があると感じております。なもんだからそういった何かわからないものを追いかけるような「クールジャパン」なんてとっととやめて、これからは「シュールジャパン」をキャッチフレーズに日本はやっていこうと、何故か上海で一人で音頭を取っております。

2012年3月13日火曜日

新華社の日本専門ページについて

新華社 日本頻道

 上記リンク先は中国のNHKこと新華社の日本専門ページです。何故だか知らないけど新華社は国・地域としては日本と台湾のみこうした専門ページを用意していて、こっちの日本語のページもありますが、中国語が読めるなら一番上のページの方が見ていて面白いかと思います。何気に、中国語を勉強している人はニュース内容が日本のニュースということでわかりやすいため、上記サイトの記事を読むことが中国語の勉強にとてもいいと思うので真面目にお勧めします。

 それで今日この日本専門ページでどんなことが取り上げられているかですが、やっぱりというか日本が650億元の人民元債を購入したというのが大きく扱われております。解説記事を読む限りだと中国としても大喜びだし、「欧州事情が不安定なことを考えると人民元の価値は安定しており、また米ドル一辺倒からリスク分散をするという戦略では」とHSBCのアナリストが書いています。私としても人民元債を持つことによって、日本に対して極端な貿易政策を取りづらくなるので、金額としても妥当な額であることから今回の購入は双方にとって悪くない話だと考えています。

 これ以外で書かれていることになると、「日本人とラーメン」とか今日はなんかしょうもないのばっかですが、普段はAKBとかコスプレ写真とかって、普段もくだらないものが多いですね。
 ただ今日見ている中でちょっと感心したのは、「中国人が喜ぶ日本のちょっとしたお土産」の中に爪切りが入ってて、恐らくわかる人ならわかるでしょうが凄い納得しました。というのもこっちの爪切りは「馬鹿にしてんじゃねぇぞ(#゚Д゚)ゴルァ!!」と言いたくなるくらい爪切りが小さく、しかも果てしなく切りづらいです。記事中にも「匠の切れ味」と書かれてありますが、どうして同じ爪切りが普及しないのか普段から疑問です。

2012年3月12日月曜日

なんでもかんでもレッテル貼りする人

 最近固い記事ばかり書いてきたのでたまには柔らかいネタを入れようと考えていたのですが、ちょうどよくニュースが入ってきたのでこっちを取り上げます。

読売渡辺会長が橋下市長発言に懸念 「『白紙委任』はヒトラーを想起」(J-CASTニュース)

 内容はリンク先の記事を読んでもらえばわかりますが、要するにまたナベツネがまたわけのわからないことを言って、橋本大阪市長に対してヒトラーのようだと書いたようです。もう購読する予定はないので厳しく批判させてもらいますが、こんなわけのわからんジジイをいつまでもかこってる当たり文芸春秋も落ちたなとつくづく思います。
 まぁこのナベツネの言っている内容については清武元GMの件といい「お前が言うな」という感想でほぼすべて片付くのですが、なんていうかこの「ヒトラー」に例える表現を見るとこの頃うんざりした気持ちにさせられます。というのももうはっきり書いちゃいますが、この「ヒトラーのようだ」という表現は対象がヒトラーと似ているかどうかはほぼ関係なく、政治的に対立する、もしくは嫌っている人間に対して批判する際に使われる常套句と化しているところがあるからです。

 一体何故ヒトラーがこんなにしょっちゅう政治家の比喩に使われるかというと、時代が比較的新しいということと「最悪の政治家」として印象付け、いうなればレッテル貼りしやすいからです。そのためこのたとえを使っている本人は「独裁者という点で共通しているんだ!」と言うかもしれませんが、実態的にはヒトラーにたとえられた中で実際に近かった政治家なんてほぼ皆無に等しいでしょう。小泉元首相も対立している相手からしょっちゅうヒトラーだなどと言われましたが、そういう批判をしていた人たちに対して「お前にヒトラーの何がわかるんだ」と今更ながら突っ込みたいです。
 そういう意味でこの「ヒトラーのようだ」という表現は似てる、似てないは全く関係なく、とりあえず嫌いな政治家を悪く言うための方便でしかありません。あと今回の橋本大阪市長の件について言うと、本来監督するべき市役所の人間を好き放題させていたばかりか、禁止されている選挙応援活動(しかも自分への)までやっていたのを黙認してた平松前市長なんかはどうなの、この表現使わないのとすら思います。

 ついでに書いてしまいますがこの政治家への批判にヒトラーを引っ張り出す人たちについてよく思うこととして、ほかに引き合いに出す悪い政治家はいないのかという風にも前から思ってます。それこそ、「まるでお前は三国志に出てくる十常侍のようだ」とか、「妥協ばかりして状況を悪化させており、ネヴィル・チェンバレンを想起させる」だったり、「強攻策ばかりでお前は足利義教か」など、引き合いに出す政治家なんてほかにもいくらでもいるのに、ヒトラーしか出せない人は語彙や知識が足りないんじゃないかと真面目に思います。っていうか誰か、ポルポトとか毛沢東出す面白い奴はいないかな。

 最後に今回書いてて思ったことですが、「○○さんって、××みたいよねー」という具合に嫌われている、もしくは嫌っているほかの何かに当てはめて悪口言う人間がクラスに一人は確実に存在してた気がします。ナベツネもその中の一人だというのは百も承知ですが、私も昔こういうレッテル貼りする人間に絡まれていたことがあり、顔合わすたびに「お前は○○に似ている、本当に憎たらしい」などと言われていろいろ面倒くさく感じてた時期がありました。周りからも言われてましたし自分自身でもその比較対象にされたものとは似ても似つかないことをよくわかってましたが、改めて考えるとこういうレッテル貼りする人は自分が嫌う人間をみんな同じ対象として当てはめようとする、もしくは同じような人間だと考えるんじゃないかと思います。その上でレッテル貼りすることで、何らかの安心感を得ていたのではとこちらも今更ながら強く感じたわけです。

2012年3月11日日曜日

今、雇用を創出することの重要性

 先週に書いた記事中で「なにかリクエストがあれば書くよー」と書いたものの、見事に何も来ませんでした。返事ないのがショックだったわけじゃないですが、どうもこのところメンタルが弱くなっているのかやけに占いサイトに入り浸って今日の運勢を確かめる日々が続いてます。四柱推命でも3月は低迷と書かれてるし……。
 そんなことはさておき国家的プロパガンダに与したくないので今日が何の日かについては敢えて触れず、最近、というか以前にもそれほどやっていないと思いますが、今日は具体的な政策提言でもしようかと思います。どんな提言かというと単純に、今現在の日本で一体何を優先してやるべきかということです。単刀直入に題名通りの内容を言いますが、私は今一番に日本が取り組むべきなのは雇用の創出、それも若年層への創出が重要じゃないかとかねがね考えております。

 一体何故雇用の創出が重要だと感じるのかですが、仮にこれが達成できた場合に多くの問題を一挙に解決、もしくは前進させることが出来ると踏んでいるからです。まず一つ目は言うまでもなく若年層の生活の安定化で、安定した収入を得ることで余裕を持つことが出来ます。何気にこれ単体で記事を書いてもよかったのですが、ちょうど警察庁が去年の自殺統計を発表して読売が記事にしてますが、若者層こと「学生・生徒」の自殺者が統計開始以来初めて千人を超えたそうです。少子化の最中でこんな記録が生まれるなんて、最近の若者はこのところの私同様にメンタルが弱くなっているか、相当追い込まれているかのどっちかでしょう。なお去年あたりから自殺者の大半は50代以上が依然と占めているものの、徐々に若年層、主に20代の自殺者が増えていると聞いていただけに引用しやすいデータが生まれました。

 話を戻しますが、何も自殺対策のためだけに雇用を創出するわけじゃありません。大分昔に管仲という人が「衣食足りて礼節を知る」と言っていましたが、人間というのは余裕を持って初めて消費を増やします。消費を増やす価値についての説明はこのブログの読者層には必要ないでしょうが、私が狙っているのは消費拡大のみならず結婚増とそれに伴う出産増で、要するに少子化対策にもつながるのではないかと考えてるわけです。
 更に更に付け加えると、出産数を増やすだけでなく若年層が仕事について社会保障への税収を増やすことでこの辺もマシになるのではないかと期待しています。年金についてはどうあがいたところで現行制度じゃ維持できるわけないので、この場合は医療保険のみが該当します。あと変な話になりますが仮にここで雇用を創出しなければまともな職業訓練を受けられない若者は増加の一途をたどり、10年後には社会保障の担い手とは逆の生活保護対象者を増やすことにもなりかねません。

 あとこれもいちいち言う必要あるのかと自分でも悩むのですが、よく「日本は労働力不足だ」、「移民も検討しなければ」などという話を今でもたまに聞こえてきますが、移民議論は大いに必要でありますが議論の前に若者をもっと雇えよなと言いたいです。要するに労働力不足対策の根本的解決にはまでは至らなくとも、改善にはつながるのではと言いたいということです。

 上記のような観点から私は若年層の雇用創出が必要だと感じるわけですが、ならばどうやって創出すればいいのかという疑問を持たれるかと思います。やり方としては政府の公共事業や企業が雇用した場合の給料を肩代わりするなど政府支出も十分検討できますが、過去の実績から私はこの案ではそんなにうまくは運べないかと思います。理由は前にも書いたように、変な仲介業者が邪魔するからです。ならほかにはどんな案があるかですが、前にもちょこっと匂わせましたが高年層の給料を大きく引き下げるか、この際リストラされてもらうかが一番ベターじゃないかと思うわけです。
 この議論で肝心なのは「いくら人件費を払うか」じゃなくて「何人多くの人間を雇うか」なのです。それこそ月給40万円の人間を1人雇うくらいなら月給20万円で2人を雇う方が長い目で見ると価値があると言いたいわけで、なおかつ雇われる人間は若ければ若いほどいいと主張したいのです。これは言ってしまえば5年くらい前に流行ってもう死語となったワークシェアリングと同じ考えで、この思想を実現化していくことで懸案となっている問題が大分改善されるのではないかというのが昔からの私の考え方です。

 ちなみに私がこの手の主張で我ながら容赦ないなと思うのはうちの親父への態度です。この手の議論をするほぼ毎回のように、「親父一人の給料で俺を何人雇えるんだ」と言いますが、親父も親父で「その分仕事しとるわ」と言い返してきます。
 ただ親父の意見も全く分からないわけではなく、自分もあまり人のこと言えた義理じゃないですが年下の人間とか見ていて、「どうすればこんな連中を使えるのだろう……」と不安に駆られるほど不出来な人を見かけることも少なくありません。ただその一方で、どうしてこれほど優秀なのに評価されないのにと思う人もいないわけじゃないので、希望は捨てずに前向きにこの主張を繰り返してこうと思います、ファイトだ自分。

2012年3月10日土曜日

ストーリの良かったRPG

 前回日本に一時帰国した際に自慢のPSP(まだVITAじゃない。)にまたいっぱいゲームをダウンロードしておきました。そんなダウンロードした中には「リンダキューブアゲイン」という古いRPGのゲームも入っており、このゲームはやったことはありませんでしたが「ストーリーというか残虐描写がかなりアレなゲーム」という噂を聞いていたので、前から興味を持っていました。時期にして大体二週間くらい前にクリアしましたが、前評判通りに面白いストーリー内容で遊んでいる間は大いに満足することが出来ました。それにしても、「俺の屍を越えてゆけ」同様に手加減のないシナリオだった……。

 話は変わりますが、今回このゲームをやってみて改めてRPGはストーリー内容が評価を決めるということを強く思い知らされました。「リンダキューブアゲイン」は古いだけあってゲームのビジュアルとかは現代と比べると未発達な点は否めませんでしたが、それでも昨今のRPGと比べるとプレイしている間の楽しさは段違いで、以前に遊んだことのあるゲームであれば思い出補正と考えることもできますが今回はそういうのも一切無しです。
 このところよく日本のRPGゲームは駄目になった、っていうかゲーム産業自体駄目だという話をよく聞きますが、私はこの辺はグラフィックとかそういうものじゃなく、やはりストーリーが悪くなっているのが大きな原因なんじゃないかと思います。それを言ったら不況の原因をみんなが本を読まなくなったせいだという出版業界もそうですが。
 そんな前置きにした上で、今日は今まで私が遊んだゲームの中でストーリーの良かったRPGゲームを紹介しようかと思います。

  <ストーリーの良かったRPG>
ヘラクレスの栄光3
ドラゴンクエスト5
テイルズオブファンタジア
マザー2
真・女神転生2
幻想水滸伝2

  <ストーリーがクソだったRPG>
ファイナルファンタジー8
ブレスオブファイア2
パラサイト・イヴ
ペルソナ2
※上記評価はあくまで私の視点によるものです。

 さりげなくクソだったRPGも入れておきましたが、おおむねこんな感じとなります。なお「クロノ・トリガー」はシステムと相まって日本のRPG史上で最高傑作だと考えているのと、「ライブ・ア・ライブ」は複数シナリオという観点から敢えてはずしてます。

 まず一番最初に「ヘラクレスの栄光3」を持ってきていますが、このゲームは知名度は低いもののプレイし終えた後の圧倒感は半端じゃなく、最近だと携帯ゲームにも移植されているのでやっていない人にはぜひやってもらいたい一品です。あとドラクエシリーズは数多い中で、やはり全体を通して5が一番好きだということからこの選となっています。
 逆にクソだったゲームでFF8については私以外にも同じ感想を持つ人は多分多いでしょうが、「ブレスオブファイア2」に関しては3以降はやったことないけど非常に良いと言われておりますが、この2に関しては降って湧いたかのように突然ラスボスが最後の最後で出てきたり、行方不明の主人公の妹を軽くスルーしたりとダメなシナリオのいい見本なくらいに突っ込みどころが満載です。「パラサイト・イヴ」はゲーム自体は面白いですがもうちょいなんとかならなかったのかと思う内容で、「ペルソナ2」は「噂を操る」ということをシナリオにもシステムにも重大なテーマにしていますが、プレイした感じだと「噂を操らされる」という感覚が強いというか、なんかやらされている感がしてどうにも好きになれませんでした。

 ざっとストーリーが良かったRPGと悪かったRPGを比べてみると、やはり「やっている」と思うのと「やらされている」と思うのとの違いじゃないかと思います。面白かったRPGというのはどれも主人公たちが冒険する、戦う大目的というものが比較的はっきりしており、プレイしている側も目的意識を持って遊ぶことが出来ますが、逆につまらなかった奴はその場その場で次にやることを指示されて、なんていうか「お使いを重ねていたらいつのまにかラスボスと戦うことになった」という、なんか振り回されるだけの感じがしてやっててうんざりしてくるのが多い気がします。

 ちなみに今現在、「リンダキューブアゲイン」と同じくダウンロードしてきた「影牢」というゲームでよく遊んでいます。このゲームは「館にやってくる人間を片っ端から罠にはめて殺す」というダークなシナリオと変わったアクション性が受けてそこそこ評価されているゲームですが、昔に遊んだこともありましたがやはり楽しく、上からタライを落としたり暖炉の中に放り込んだり、電気椅子に無理やり座らせたりしてケラケラ笑いながらやっています。続編の「蒼魔灯」もダウンロードしておりますが、ここだけの話PS2の「影牢2」はシナリオもアクションも非常に不評だったので、罠ゲー三部作の中で唯一遊んでおりません。ただこの前にこの「影牢2」の罠の中に、「ワニがたくさん入っている池の水車に無理やり縛り付ける」というトラップがあると聞いて、なんだか興味が湧いてきました(´∀`*)ウフフ

産経新聞の記者の質について

 元々批判的な内容が多いこのブログですが、あまり他紙を批判するのはやめとこうと思いつつもこのところあまりにも目につくのと、別の観点からもある批評をしようと思っていたので産経新聞について書きます。まず結論から言うと、最近の産経新聞はあまりにも質が低過ぎると言わざるを得ず、人事の人間はすべからく首を挿げ替えるべきだと切に感じます。百聞は一見に如かずなので早速見ていて呆れた記事を紹介しますが、下記のGMが販売しているシボレー・ボルトに関する記事を見た時は本当に目を疑いました。

GMが「ボルト」を5週間生産中止 発火問題も影響(産経新聞)

 この記事のどこが問題なのかというと、シボレー・ボルトのことを「電気自動車(EV)シボレー・ボルト」と表現している点です。確かにGMはこの車をあくまで「電気自動車だ」と現在も主張していますが、どこの世界に内燃機関(エンジン)を搭載した電気自動車があるのか、こんなおかしな発想が通用するのはアメリカ自動車業界ならではのもので生憎というか日本や世界では通用しません。そこら辺を消費者もわかっており、中途半端なエコカーだって見透かされてか気合入れて出したくせに販売が不振で生産中止になったというのが上記ニュースの肝だというのに。
 それで気になったのでほかのメディアはどう報じているのかというと、まず日経は「電気とモーターで走る戦略車シボレー・ボルト」と書いており、うまいこと核心を避けているなぁと匠心を感じさせる表現となっています。ではこのほかではどうか、読売新聞ブルームバーグレスポンスでは揃ってはっきりと、「プラグインハイブリッド車(PHV)シボレー・ボルト」と表現しており、私もこの表現が最も適切だと考えております。

 はっきり言って私は自動車は見るのは好きですが運転は下手だし別にこの方面専門の記者というわけでもありません。そんな私からしてもシボレー・ボルトを電気自動車と書くのは素人以前の問題で、なおかつこの表現で校正を通す編集というのは異常というよりほかないと感じます。車の構造に詳しくないとかそういうレベルじゃなく、また発行から数日経っているのに全く修正しないというのも安西先生じゃないですが、「誰か教えてやる人間はいないのか(;゚Д゚)」と別な意味で驚かされます。

 仮にこの記事一つだけだったらこの記事を書いた記者(ぶっちゃけ署名載ってるけど)だけが問題だと言って済ませられますが、これ以外でもこのところの産経の記事は疑問符が付くものが異常というか桁違いに多いです。特に中国関係の記事は明らかに現況分析が間違っている、偏向的な視点で書かれている記事が多く、ここだけの話ですが官公庁や金融機関関係者などから北京支局にいるという産経の記者に対し実名で、「あいつをどうにかしろ(#゚Д゚)y-~~イライラ」という批判をシャレや冗談抜きで聞くことが段違いに多いです。私自身も、ネット上で履歴の残る記事によくこんな適当なこと書けるなと思うのと同時に、ほかに人材はいないのかとつくづく感じるレベルです。

 更にこれは日本における産経記事についてですが、産経新聞は読者ターゲット層を保守派に絞っているため基本的に自民か民主かと言ったら間違いなく自民寄りに記事を書く傾向がありますが、これが親米保守か反米保守かと迫られると二律背反となって主張が腰砕けになる傾向があります。特に顕著だったのは去年のTPPに関する記事で、賛成か反対かできれいに親米か反米かで別れてしまうためほかのトピックと異なりどっちつかずな主張が明らかに目立ちました。日経なんか財界が主な読者層ということもあって賛成一辺倒でわかりやすかったのですが。

2012年3月9日金曜日

東日本大震災から一年経って思うこと

 明後日が3月11日ということもあって今頃日本のテレビなどでは震災特集がたくさん組まれているかと思います。私は震災後の日本のムードというか空気について以前に「震災後の作ったようなムードについて」という記事で、如何にも作ったようなお仕着せの感じがしてあまりいい気分がしないと批判しましたが、この感覚は現在においても全く変わりありません。はっきり言ってしまえば合意か不合意かまでは特定できませんが、まるで国と主要メディアはタッグを組んでプロパガンダを展開しているようにしか見えず、被災者を悼むことは大事ではありますが必要以上にそのような気持ちを煽ったり、不必要なところで震災をイメージさせるというのは意識操作以外の何物でもないでしょう。しかもそのやり方は稚拙そのもので、やるならもっとうまくやれよと言いたくなるくらいです。

 何気に、去年の3月11日はひとつ前の会社を辞めた日で、偶然重なっただけですが恐らくこの日付は今後一生覚えていくことになるかと思います。私は去年のこの日、正直にひどいことになったと思うと同時に、この震災をきっかけに日本全体で危機感と責任感が芽生えて好転していく一歩になるかもしれないと内心期待しました。然るに現時点の日本を見る限りだと全く逆で、政財界は東電を筆頭に互いに責任を擦り付け合うばかりか、以前にこのブログでも指摘しましたが直接的な因果関係が明らかにないにも限らず、売上げが落ちたり悪いことが起きると全部「震災の影響で……」と主張する輩も増えています。
 そのため反発を買うことを覚悟で主張しますが、私は東日本震災をきっかけに日本は直接的な被害はもとより日本人全体の意識レベルも低落したように思います。物事を良くしようという考えがほとんど感じられないばかりか、悪くなるのが自然でしょうがないという意識が少なからず共有されているような気がします。

 震災の復興対策も、ある程度は予想していましたがここまでひどいものになるとは想像していませんでした。原発事故に伴う除染作業はかつてと同じ、下手すりゃ以前以上に複数の仲介業者が介在(=中抜き)して労働者を募集するありさまで、これが国や東電が直接雇用するのであればどれだけ違ったのかと腹立たしい限りです。さらにこれもようやく一部で報じられるようになりましたが、仙台市の歓楽街は今、工事を受注したゼネコン関係者によって大いに栄えているそうです。
 この状況を政治の責任、ひいては民主党のせいにするのは非常に簡単です。ただ自民党が上記のような状況を是正させようという話は聞ききませんし、抜本的な改革案から修正案を出しているという話も聞きません。さらに言えば、ここら辺は政治というより行政で、官僚の管轄じゃないかと思います。じゃあ何を責めればって話になるでしょうが、それをここで私に言わせるのは野暮でしょう。

 さらに言えば、社会全体で何か物事に対する感覚がおかしくなっているような気もしてなりません。この前もAIJの事件が起きましたが、オリンパスほどの経済事件が海外で起きたなら関係者は10年は刑務所に入ることになるかと思います。一応逮捕はされましたがあれで上場が維持されるなんて、一体何をすれば東証で上場廃止となるのか理解に苦しみます。
 なんか自分でも今日嫌なことでもあったのかと思うくらいに後ろ向きなことばかり書きますが、今のような状況が続くようであればもう日は上らないんじゃないかと思います。ここまで言うのもひとえに日本人全体に危機感が呆れるくらいに不足しているように感じるためで、震災一周年でお悔みムードを作るくらいなら崖っぷちムードをもっと作るべきじゃないかというのが今日の私の意見です。

2012年3月8日木曜日

精神年齢は若返るのか

 先日、友人とこんな会話をしてました。

「ビキニ水着ってあるだろ。あれ、ビキニ環礁が語元らしいぜ」
「マジかよ」

 いい年してこんな中学生みたいなくだらない会話したことはほっといて、以前に私は「寿命の尽きない時代に向けて」という記事で肉体が不老となる時代について簡単な考察を書きました。現時点ではまだ実現こそしていないもののこの辺の技術はかなり発達していて下手すりゃあと百年くらいで実現するかもしれないのですが、この前ふとしたことで「じゃあ精神年齢は若返ることがあるのか」という問いを持ったので今日はちょっとこの辺について解説します。

 まず先ほどのビキニ水着について語った友人に、「仮に不老の肉体が手に入るとしたら受け取るか」と聞いてみたところ、やっぱり「いらない」と返されました。その理由というのも肉体はともかくとして精神を永遠に保たせることがきっとできないと思うからだそうで、よくあるSF小説のように本人が不老不死となっても周りが年老いて死んでいくのに耐えられず、最後は発狂するような悲劇的な結末をこの友人の回答から私は思い浮かべました。
 私自身も基本的に友人と同じ意見で、というかそんなに長く生きたくない、さらにぶっちゃければ20歳を超えてるんだしもう長生きしすぎなんじゃないかとすら思っててそろそろ遺書でも書こうかと思ってるくらいなのですが、話は急に飛びますがじゃあ精神年齢が若返りすることはあるのかという考えがふと頭をもたげました。

 例えば今の私の肉体年齢は二十代後半ですが、精神年齢についてはちょうど二十歳の頃にインドの占い師に、「もう30歳近くに達している」と言われたことがありもしかしたらもう40歳くらいに至っているかもしれないのですが、このように精神年齢とは必ずしも肉体年齢とは必ずしも一致しません。ほかにも同じ中学三年生のクラス内で比較しても、大人びた子もいれば小学生みたいな子もいるなど人によって明確な個人差があるでしょう。
 この精神年齢単体についてもいろいろ突っ込めば肉体年齢と近ければいいのか、それとも高ければ高いほどいいのか、もしくはある基準となる年齢に近いほどいいのかなど、これだけでもそこそこの記事が書けるのですがそれは今回置いといて、繰り返しになりますが一度引き上がった精神年齢を後で引き下げることは可能なのかというのが今日の疑問です。

 明日休みだけど再来週にまた武漢出張を言い渡されたせいか今日の文章の調子はやけに悪いのですが、ここで結論を述べると私は精神年齢を引き下げることはある程度は可能だと考えております。
 こう考える根拠として、ちょっと古いアニメ映画ですが「千年女優」という作品で年老いた主人公が、「好きな人を追いかけている時、私は少女だった頃の自分に戻ることが出来る」というセリフがあります。このセリフはそのまんまな意味で、どれだけ肉体年齢が年老いてても恋焦がれている時は気分的には十代の頃と同じ感情になるということを示しているのですが、別に恋に限らなくとも昔に住んでいた場所とか古い友人と会ったりすると「童心に帰る」というように、それぞれその場所に立ち会った年齢のような感情が惹起することは誰にでもあると思います。

 ただこうした精神年齢の若返りは基本的には一時的な現象にとどまる例が多いとも言えます。先程の例でも古い友人と久しぶりに会って話をしている間は若返っても、家に帰って普段見慣れている家族と話してたらまた一気に老け込んでしまうでしょう。もちろん状況次第、やり方次第では若返った状態を維持することも可能でしょうが、そもそもそこまでして精神年齢を若返らせたいという人はいないと思うのでやる人は少ないでしょう。
 そんなことを言っておきながらですが、今現在の私は三年くらい前の日本で働いていた頃より現時点の方が精神年齢は若い気がします。何故精神年齢が若返ったのかというとひとえに中国で働いているから以外にほかなく、経済も右肩上がりであることから社会の空気が前向きで、かつ街中を歩いている人間の平均年齢が少子高齢化の日本と比べると明らかに低く、以前と比べて自分の思考に攻めの姿勢が強くなってきております。

 最後にこれは蛇足かもしれませんが、もう一つ精神年齢が若返ったと思う要素として今現在の自分は失うものが少ないというのも当てはまるかもしれません。やはり日本にいた頃と比べると現職に対する執着(なんとしてでも残らなければ)というものが全くないですし、何が何でも今の状態を維持しようという意識が希薄となっております。変化を求めるのが若者というのであれば、ある意味これがど真ん中なのかもしれませんが。

2012年3月7日水曜日

プラモデルに見る技術力

 先程、同僚らと夕食をしている最中にふとしたことからプラモデルの話題に及びました。ちなみにこの席は男三人に女一人のテーブルでしたが、一度火が付いたら何とやらで女性をほっぽって男三人であれこれプラモのディテールについてなんかやけに熱く盛り上がってしまいました。なんていうか悪いことをした……。

 このプラモデルですが、私もご多分に漏れず他の一般の男の子同様に子供の頃はガンダムを中心によく作っておりました。一番最初は簡単に作れるSDガンダムで、その後小学校の高学年になると何故だか日本の城のプラモに凝りだし、姫路城を始め大阪城、松山城、安土城とかを確か作ってたかと思います。
 ただこうした趣味は中学生に入ると途端に熱が冷めて作らなくなったのですが、何故か一昨年のちょうど中国に行く直前辺りに車のプラモが急に作りたくなり、アマゾンで頭文字Dの岩瀬恭子乗っている黒いRX-7を購入して作ったのをきっかけに、立て続けにランサーエボリューション5、初期型インプレッサWRX-STIなどを一気に作ってしまいました。次に作るとしたらFTOかコペンだろうな。

 こうしたプラモ製作で何がいいのかというと、作っている最中の脳の思考が完全に指先と一致するのが快感です。これは昔に読んだ論文の引用ですが、人間は普段生活する上で複数の内容を思考しながら行動することが多く、たとえば横断歩道を渡る際は信号を気にしつつ右足から踏み出しなおかつ手荷物があればそちらにも気を配るという、このように同時並行で複数の処理をするのが当たり前です。
 これがプラモ製作、まぁこれに限らず料理とか裁縫とかでもそうですけど、これらの作業は指先の動き=脳の思考というくらいに完全に全神経が集中するため、人によっては凄いリラックスできるようです。さすがに子供の頃はこんなこと考えませんでしたが、成人後にプラモを作っているとなるほどと思うことが多く、なにか一点にだけ集中するのがすごい気持ちがいいです。

 話は変わりますが以前にうちの親父がプラモ製作について、「これが日本の技術力を生んだんや」と言っていました。その心というのも子供の頃からこうした手先のいる作業に慣れ親しむことで、複雑な工程にも対応できる人材が育ち世界に誇る技術力が生まれたというものなのですが、あながち嘘ではないんじゃないかと私も思います。私自身も車のプラモを作っている最中に、「ああシャシーってこういう構造してるんだ」とか、外から見るだけでは絶対に思うことのない感想を持ちますし、指先もやるのとやらないのとでは明らかに反応が変わってきます。ここだけの話、最初のRX-7を作った時とインプを作った時ではシール貼りとか精度が段違いでした。
 そんな陰で日本の技術を支えたプラモ業界ですが、昨今の少子化の影響からかやはり売上げとかが落ちているそうです。プラモ屋自体が減ってきていますし地元の友人とも、

「昔はあそこのプラモ屋によく通ってたんだけどなぁ」
「あそこで俺の兄貴もバイトしてたんだよなぁ」

 とかいう会話に時たまなったりします。
 実際のところ最近でプラモを買おうと思っても専門店はもうほとんどないため、アマゾンで買うかヨドバシカメラなど家電小売店で買うしかありません。日本の技術力向上のためにも、こうした小売店にはぜひ頑張ってもらいたいと思う次第です。

  おまけ
 これは余談ですが、太平洋戦争中に日米はお互い必死で軍艦を作り続けましたが、アメリカは同じ設計の軍艦を規格大量生産の如く何隻も作ったのに対し、日本海軍は何を思ったのか効率性を全く無視して一艦ごとに設計が異なった軍艦を作ってました。普通に、あくまで常識的に考えれば同じ用途に使う船だったら部品の共通化とか生産工程の面で同じ設計の船を作った方がいいとわかるはずなのに、こんな調子だから戦争にも負けたんだと真面目に思います。
 ただこうした日本海軍の無駄な努力は戦後になって実を結んだというべきか、半藤一利氏の対談本で書かれてましたが「結局得をしたのは、何十種類も商品をそろえることが出来たプラモ屋だ」と結ばれてました。

2012年3月5日月曜日

議員歳費削減案について

歳費削減、年間300万円=民主、各党に提案へ(時事通信)

 ついさっき帰ってきたので短くまとめます。野田首相は先ほど、普段からの持論の消費税増税を国民に納得してもらうためとして国会議員の年間歳費を300万円、率にして14%をカットする案を発表したようで、野党とも協議を重ねていきたいという姿勢を示しています。この案に対する私の意見を述べると、心意気は悪くはないのですがやっても仕方ないことをしても……といったところです。

 まず徴税の基本的な価値観として「広く浅く」というものがあります。意味はごくごく簡単で10人から10万円ずつ集めて100万円にするよりも、1万人から100円ずつ集めて100万円にする方が個々人に対する影響も反発も少なくいろいろ都合がいいという内容です。今回の国会議員歳費削減案は先程のたとえば前者に当てはまり、確かに実行することで多分20億円以上のお金が浮くことになるでしょうが国全体から見たらやはり微々たる数字です。
 また国会議員歳費はそのまま国会議員の収入となるわけではなく、実際には半分以上が秘書などの給与に使われると聞きます。もちろん秘書なんて雇わなくていいという言い方もできますが、それだと政治家が育たなくなる可能性もある上、国会議員歳費が減ることによって収入の大半をこれに頼る若手銀はますます活動しづらくなり、鳩山元首相みたいな脱税王のような連中がますます有利になる可能性すらあります。

 とはいえ、消費税増税に対する国民の反発を和らげるためにはやはりやらざるを得ないのかもしれません。ただこういう削ったところで限りがあるものを削るくらいなら先ほどの例えの後者こと、公務員給与をもっと一律に引き下げた方がいいのではないかと思います。さらに言うと、国会議員より高いとされて数もやたら多い地方議員の給与も、こっちは国家財政とは別ですが個人的に削る余地は限りなく広いし価値がある気がします。

2012年3月3日土曜日

完璧を求め過ぎるが故の弊害

 去年に香港に出張する直前、よく通っていた自宅近くの日本食屋が閉店しました。移り変わりの激しい上海ならではなのですが、週に一度、そこの定食を食べるのが楽しみだっただけに出張が終わった後の休日はなんだか物足りなさを感じておりました。そこで先週からまた別の日本食屋を見つけ、毎週金曜にそこで昼食を取るのが習慣となってきているのですが、昨日に訪れた際に唐揚げ定食を頼んだところ、ご飯が盛られた茶碗が少し欠けているのを見つけました。

 欠けていると言っても本当にごく一部分で、食べるに当たっては全く問題のない程度です。この欠けた茶碗を見て私は、「欠けたからと言ってすぐに捨てたりせず、物を大事に使うお店なのだな」と感心したのですが、こう思うと同時にほかの日本人が見たらどう思うのかがやや気になりました。
 恐らく日本人みんながそうだとは信じたくはないですが、一部の日本人は間違いなく、「欠けた茶碗を客に出すなんて、なんて失礼な店なんだ」と憤慨した気持ちを持つかと思います。何をどう思おうがそれこそ人の勝手ですが、こうした価値観が社会全体で持たれるというのは私にとってはあまり好ましくありません。言うなれば完璧であること、欠損のないことが当たり前だと信じられる社会は面倒だということで、今日はその辺について少し批評を書きます。

 まず大前提として、あくまで私の目からですが日本人というのはやはり完璧主義がほかの国より強いという印象を受けます。製品の品質はどれも画一的に高い上、少しでも欠点があろうものなら改善していこうという意識が自然と持たれているように見えます。このような「ものつくり」に対する完璧主義は美徳この上ないのですが、これが社会意識、というか人間自体にまで適用されるというのは面倒この上ありません。
 一気に核心を突いた内容を書くと、今の日本の雇用は障害や病気を持った人間はおろか、「出来て当たり前」という慣習に対応できない人間に対してあまりにも冷たすぎる気がします。具体例を挙げると「深夜まで残業が出来ない」、「仕事より家庭優先」、「業務外の会社行事に顔を出さない」ような人たちは採用面接であまりいい目で見られないでしょう。またそれこそ慢性病を持ってて数ヶ月に一回程度の診察が必要だと言ったら、たとえその人がどれだけ優秀であろうともこの時点で不採用とする企業もあるかもしれません。

 さっきの欠けた茶碗についても同様です。道具としての機能に問題がないとしてもほんの一点がほかの完成品と異なるがゆえ、それ全部を廃棄してしまうのは無駄なことこの上ありません。さらに言えばサービスの質だって、どうでもいいようなミスを完璧じゃないからと言って激しく憤慨するなど以ての外でしょう。
 以上のように完璧を自己に求めるのならともかく、外に求め過ぎなところが日本人にはあるかと思います。無論、こうして外に対しても強く求め続けてきたことで高い品質と信頼を培ってきたとも言えますが、その一方で大きな弊害も生んでしまい、現時点では意外と弊害の方が大きくなっているのではないかとこの頃感じます。

 ただこう感じる一方、改善されつつあるのではないかと思う節があります。一つはアルコールに対する社会認識で以前であればそれこそ飲めない社会人は人じゃないという認識が強かったようですが今はそれほどでもなく、またB反市などのように「使う分に問題がないのなら安いものでいい」と買い求める人も増えております。
 しかしハンデを持つ人間の就労についてはまだ議論する、対応する余地がかなり広いかと思います。言ってしまえば健康で一通り何でもできる人間だけの職場にハンデを持つ人間を入れようものなら、普通の人を雇うのと比べて高いコストを支払うこととなります。しかしる一点を以ってハンデを持つ人間を雇用しなければ、その人ひとり分の労働力を丸々捨てるようなもので、これが社会全体でやってるとすれば無駄遣いこの上ないのではないのかと、食後に出されたまずいコーヒーを飲みながら考えていたわけです。

2012年3月2日金曜日

上越新幹線「とき325号」脱線事故を振り返る

 金土休みなので今日は朝はゆっくり眠ろうと思ったら、なんかやけに早く目が覚めて9時から始動してました。ちなみにこのところ毎週どちらかの休みに取材が入っていたので、明日からまた上海で日本系物産展が開かれるという情報がありましたが敢えて黙殺し、取材拒否しました。先週も同じの、というより日中国交正常化40周年記念の物産展に出て行ったし、内容被るのもあれなんで。
 ちなみにその40周年記念の物産展ですが、やっぱり南京市で開く予定だった催しは例の河村市長の発言が原因で中止になったようです。ちょこっとだけ書くと、仮に日本側が何らかのアクションを足らずに正常通りに開催していたら南京市政府が地元住民にシャレ抜きで襲われてしまうので私は中止も仕方ないと思います。まぁこれも煽る材料になるのでしょうが。

上越新幹線脱線事故(Wikipedia)

 話は今日の本題に移りますが、思うところがあるので2004年に起きた上越新幹線脱線事故を取り上げます。この事故は営業中の新幹線としては初の脱線事故となり、ウィキペディアの記事中にも書かれていますが「安全神話崩壊」、「地震に新幹線は弱い」などと当時のメディアには散々に騒がれましたが、私はこの事故はアポロ13に次ぐ程の偉大なる事故だと考えております。

 まず事故当時の状況について簡単に説明しますが、「とき325号」が上越新幹線の浦佐駅~長岡駅間を走行中だった最中に最大深度7の新潟県中越地震が襲い、6・7号車を除き計8両が脱線しました。ただ脱線した車両は軌道を大きく外れず、また街頭路線がカーブのない直線で対向車もすぐに運転を停止したことから衝突は起こらず、奇跡的にも死傷者は一人も出ることはありませんでした。
 さらっと事故状況について書いてみましたが、改めて読み直すと実に凄まじい快挙としか言いようがありません。というのも155人の乗客を乗せた列車が時速200キロで走行中に最大震度7の地震を直撃しておきながら、車両が大破しなかったことはおろかけが人を一人も出さないなんて、SF小説でもこんな大げさな内容を書いてもいいのかと思うくらいです。さらに言えば軌道を支える高架橋もこの地震で崩壊しなかったというのも見逃せない事実です。

 実はこの事故について、失敗学の権威である畑村洋太郎氏の寄稿文を事故後に発行された雑誌で読んだことがあります。これも読んだのは8年前のことか、よく覚えてるな……。
 畑村氏もこの脱線事故について「まさに安全工学の勝利」としか言いようのない快挙だと褒め称えており、早期地震検知警報システム「ユレダス」によって非常ブレーキがすぐ作動したことや、脱線を防ぐレール構造、ほかの車両がすぐに運行を止めたシステムなど快挙の要因を素人の自分にもわかるほど丁寧に説明しておりました。ただその一方で、「単純に運が良かった点も見逃せない」として、事故車両の特徴について指摘がありました。畑村氏によると事故の起きた車両はやや古い車両で、最新の新幹線車両と比べて重心が低い構造だったらしいです。仮に車重が少ない最新型の車両であればこうもうまくいったかとなると議論の余地があるとして、今後はこの点にも注意して車両設計などを進める必要があると、勝って兜の緒を締めるようなすごくかっこいいセリフと共に文をまとめておりました。

 私が今回何故この事故を取り上げようかと思ったのかですが、自宅で暇な時間にネットサーフィンしている最中にこの事故に関連する記事を読んだとの共に、普段からの安全対応においてJRと東電に大きな乖離を感じたからです。JRは地震に対してこれほどまでに対策を備えてバッチリな対応をしたのに対し、東電は確実に予想された津波に対して、下手すればまだはっきりしていないものの地震を受けた時点で駄目になっていた可能性すらあります。
 あとこれは人づてに聞いた話ですがベント解放の一件についても、管元首相と東電の実態について明確な認識の違いがあったと聞きます。ベント解放は放射能を十分に含んだ蒸気を開放する最後の手段であるため他のパイプとは独立したパイプで用意した上、作業員が被爆しないように遠隔操作で出来るようになっているのが世界の原発の標準だそうです。東工大出身の管元首相はそういう認識でベント解放を指示したそうですが、福島原発のベント用パイプは独立しておらず、かつ手動で開放しなければならない代物でそれで東電が躊躇したのではという話を聞きました。仮に事実であればこの一件でも、如何に東電の事故対応が甘かったのかと思い知らされます。

 またさらに言うと、これは今回記事を書くに当たって調べ直している最中に感じたことですが、仮に東日本大震災時の首相が小泉元首相だったらどうだったのか、少し気になりました。というのも新潟県中越地震の際は確かに規模は東日本大震災ほど大きくなかったものの、私の記憶では目立った混乱はなく政府の対応なども極端に的外れなものはありませんでした。私が東日本大震災の政治対応で何より許せなかったのは自民もそろって不信任下決議をしたり、民主党内で内紛をやったりとあんな時期に権力争いをしてたことで、なんていうか8年前と比較してがくっと元気なくなります。

2012年3月1日木曜日

マスコミ業界人の態度について

 かなり以前に官邸記者会見での質問を巡って、「記者の態度が横柄過ぎる」という議論がありました。この態度というのは質問する際の態度を指してて、いくら報道を追及するためとはいえ回答者に対して「何で答えないんですか」などと脅迫するような言い口がやり玉に挙がったものです。この議論が起きている最中に今回書く内容を書いても良かったのですが、ちょっと思うところがあるというか敢えて先延ばしにして、書くネタに困った今日に書くこととなったわけです。

 話をする前に自分の話をしますが、私は経歴としてはかなり変わった過程を経て現在マスコミ業界に身を置いております。別に隠す必要もないので自ら明かしますが、最初は日本で商社に入って、次に中国でメーカー、そして現在の経済紙記者となったわけですが、取材先とかで他のメディアの人たちと世間話する際に自己紹介すると、決まって私の経歴には驚かれます。まぁ向こうとしたらなんで中国語を使う専門的なメディアに未経験者が……ってな感じに見えるのでしょうが。
 そういうこともあるので日々働いている中でたまに、ある種の間隔のズレというものを感じます。もう結論から言ってしまえば、やはりマスコミ業界の人たちには横柄な輩が多いと私は感じます。一例を挙げると、ある式典で運営側がカメラ撮影の制限について説明したところ、まだその人が話をしている最中だというのにある日系国営メディアのカメラマンは、「それでどうやって撮影しろってんだよ!」と、かなりドスの利いた文句を聞こえよがしに言い始めました。それこそもし自分が運営側だったら、「だったらお帰りいただいて結構です」と言いたくなるくらい嫌味な言い方でした。なおその撮影制限は私の目からすると大したものではなく、この際はキヤノンのカメラでしっかり主賓らの撮影に私は成功しております。

 この例に限らず何かと相手を脅かすような言い方で質問したりとか、こっちは取材して取り上げてやるんだからと明らかな上から目線で迫るような人も多いです。記者魂とか記者根性とかいくらでもきれいな言い方をすることが出来ますが、イギリスのことわざの「いい弁護士は悪い隣人」のように、あまりそばにいてもらいたくないような人も少なくないです。
 私の場合は媒体が媒体であることと、年齢がまだ低いこともあるのでどちらかというと下手に出て同情を引くように話を引き出すことが多いです。ちなみにここだけの話、相手が話す内容を既に知っているかのような素振りをするとその先の話を聞き出しやすいです。

 書こうと思えばかける内容はまだとってありますが、このところ友人らが忙しいのかコメントを書いてくれないのでちょっとニーズが汲み取りづらい状況が続いています。何かこのテーマで書いてほしいものがあれば、どなたでも構わないのでコメント欄に書いていただくと幸いです。