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2012年5月29日火曜日

中小企業は本当に人手不足なのか

 5月病のシーズンを跨いだこともあって、このところよく失業問題に関する記事を多く見かけます。またどうでもいいことですが、先日に以前の会社の後輩から「花園さんも5月病に気を付けてください」というメールを受け取りましたが、なんか5月病の意味を勘違いしてるんじゃないかと思わせられる内容でした。第一、自分なんか転職して3社目で今年は2年目なのに……。

 そういうどうでもいい話は置いといて本題に入りますが、ちょっと前に見た若者の失業問題に触れた記事、というよりももしかしたらNHKニュースの報道だったかもしれませんが、ここ数年間も国は若者の失業対策に取り組んでいるが一向に効果が表れない、3年で新卒者の半分が会社を退職する、といった報道がありました。こうした事実を並べ立てた上でその報道では、「依然と若者は大企業志向が強く、人手不足に悩む中小企業とのマッチングを進めていく」と今後の失業対策などを挙げていましたが、はっきり言いますが若者の失業率が高い理由を個人々々の問題だと考えている限りは何一つ改善しないでしょう。社会学士の立場から言わせてもらえば今の若者の失業問題は構造の問題であって、当事者である若者をどう弄り倒したところで何も動かないと言い切ってもいいです。その上でもう一言言わせてもらうと、そもそも中小企業が人手不足で、人員の募集意欲が高いというのは嘘だと思います。今日はなんかやけに強気な発言が目立ちます。

 上記の報道に限らず、最近の若者は大企業ばかり受けるから内定がもらえないだけで、中小企業を探せばいくらでも募集企業はあるという言質をよく見ます。しかし私の見方はこれと真逆で、中小企業はそもそも募集しておらず新卒で入れるのは大企業だけであることから今の若者は大企業ばかり受験するのではと考えています。
 私が何故こう考えるのかというと、最も大きいのは私自身の経験からです。私の経験、といっても私が就職活動をしていたのはもう大分年季を重ねてしまったのでちょっと時間が経っていますが、その時の経験を振り返ると中小企業が人手不足というのは実感としてあるものの、「うちに来てくれるというのなら大歓迎」というのは真っ赤な嘘としか思えず、やや時間が経った現在においてはなおさらその傾向が増している気がします。

 もはや既に自慢と化してきていますが、私自身は学生時代の就職活動で100社以上の企業採用選考に落ちております。受けた会社にはそりゃ大企業ももちろん入っておりますが割合から言えば圧倒的に中小企業が多く、その後に就職した企業も間違いなく中小の分類に含まれる会社でした。当時の就職活動を通して言うことがあるとすれば、やはり大企業はまだこういった採用選考をどうするかということがわかっているものの、中小企業ではやり方すらわかっていない、下手したらいい人材を取ろうとするやる気が全くないところも珍しくありませんでした。いくつか例を挙げると企業説明会で選考過程も何も説明せずに「次は○日に来てください」と言われるから行ったらいきなり面接が始まったり、「じゃあ明日までに電話を掛けるからそれで面接日を打合せよう」と言われて待ってても梨のつぶて、というような例がたくさんあります。凄いところなんか説明会で、「花園君は○○大学から来たんだね」と、何故かほかの選考者もいる中で私だけ出身大学がばらされました。しかも終わり間際に、「それにしても花園君は○○大学なんだね」と時間差を置いて二回も。そんなにうちの大学の宣伝したいなら他所でやってくれって感じでしたが。

 こうした例はあくまで極端な例ですが、ほかの中小企業の面接ではどうも聞いてて、「そんなん聞いてどないするんやろ」と感じる質問が非常に多かったです。さらに言えば人事に求められるTPO(これももう死語か)もいい加減な面接官も多く、その点で大企業は多くの人間捌くだけあってまだ「この面接、変だぞ」と思うようなことは少なかったです。もっともSPIの問題、特に国語はとんちんかんなのが多いですが。

 こうした私の体験以前に、何故若者の失業率が落ちているのかをマクロで考えてみれば中小企業とのマッチングなんてわけのわからない話はまず出てこないでしょう。そもそもなんで若者の失業率が落ちているかというと、少子化で若者人口が減っている以上に求人数が激減しているからです。では何故激減しているのかと言えばいろいろ背景に複雑な構造があるので一言で語れませんが、結論を言えば新たに新人を雇って育てる余裕が企業にないということに尽きます。これは売上げや手持ち資金が減少しているからで、そのため今の企業はどこも即戦力の人材こと経験者しか雇いたがらないという傾向があります。逆を言えば、転職市場は昔と比べれば非常に広がってきている感があります。
 さてここでクエスチョンです。大企業が余裕がなくて採用者数を減らしている中、どうして大企業よりも銀行の与信や資金に余裕のない中小企業が新人を雇おうとする意欲が高いと言えるのでしょうか。現実はそんなわけなく、リーマンショック以降は特に顕著となりましたが大企業以上に中小企業の方が経営はどこも苦しく、新人を採用する力なんてほとんど残されておりません。私自身がこの目で見ておりますが、どの中小企業も絞った採用数をさらに絞り続ける、もしくは募集を初めからしないというのが今の現状です。

 中にはハローワークなどでは募集を続けている企業がたくさんあるのではと言われる方もいるかもしれませんが、私はハローワークの求人というものを非常に怪しんでいます。中にはギャグで書いているとしか思えない求人もあり、なんか求人出すことでお金がもらえるから採用する気ゼロで募集をかけているのではという疑念が強いです。昔見たのなんか23歳以下で司法試験合格者という、今の制度じゃありえない募集がありましたし。

 若者の失業問題の原因は何もこれだけではありませんが、中小企業とのマッチング云々に限っていうのなら上記のようなのが私の意見です。あとこれは蛇足かもしれませんが、就職活動前にやけに他人に厳しい友人が絶賛していた会社があったのでエントリーシートをかなり早い時期に送ったのですが、その会社は私に対して何も返事することなくその年の募集を打ち切りました。回り回って今年、っていうかタイムリーなことに今週の話ですが、いつも通りに仕事していると日系企業の進出リリースが発表されていたので見てみると、まさに私のエントリーシートを無視した会社でした。
 「ここの会社と俺には因縁がある」と言い切り、普段は面倒くさいリリース記事は同僚に回したがるくせにこの時だけは私がふんだくるように奪って直接この会社に電話取材して記事を書きました。なお電話かけた際に、「なんかお宅、最近中国に拠点を増やしているけど、以前は中国語使いに冷たかったのに急にどうしちゃったの?」って真面目に聞いてみたかったです。そこそこ大きい会社なのに、対応悪かったなぁこのメーカー。

 ちなみに中国語使いは今の時代、どこの業界も引手数多と言われますが、上記のように私はHSKという中国語資格試験でかなり上位の点数だったのに何故か就活で苦労しました。友人曰く、「人を見下す態度が見透かされてんだよ」と言われて何も言い返せませんでしたが。あと現在私のいる会社でも中国語使いが不足しており、上海市内に住んでいる方で留学経験、もしくはそれに準じる中国語の技能があって「お仕事したいかも」と考えている人がいたら真面目にメールください。この際、上海以外でも構わないけど。

上海のペット事情

 コメント欄でリクエストを受け付けたので上海のペット事情について簡単に解説します。まず結論から言うと、やっぱり中国人も豊かになってきたのでペットを持つことが今とてもブームです。

 たまに日本のネット上の掲示板を見ると中国人は犬を食べるから中国には野良犬はいないと書く人がいますが、地方ならまだしも都市部においては野良犬を捕まえて食べる人なんてまずいないでしょう。そもそも野良犬自体凄い少ないですし。それどころか最近の中国ではペットを飼うことが一種のステータスとなっているところがあり、「犬を飼えるくらい生活に余裕がある」というような感覚で犬を飼う人が非常に増えています。ただちょっと始末に置けないのは、狂犬病対策として犬を飼う際は当局に届け出が必要なのですがみんなこんなの無視して飼いまくっているという事実です。
 これなんか上海で、それも高級住宅地に生活している人には話が早いですが、一部の住宅地だと早朝に散歩をしようものなら道の上の犬の糞のあまりの多さに辟易しているかと思います。私が住んでいる近くでも休日早朝にはあちこちに転がっており、意識しないと真面目に踏んでしまうくらい多いです。こういった飼い主のマナーの低さははっきりしており、犬が立ちションした後にペットボトルの水をかける香港人とは雲泥の差があります。

 中国人に飼われる犬の種類についてですが、これはもう圧倒的にミニチュアダックスフントを筆頭とした小型犬が圧倒的に大きく、大きな犬を見るとなんか物珍しくて興奮してしまうくらいです。これは日本みたいにリードにつないで外で飼うという習慣がないためで、基本住宅内で飼われていることが原因とみて間違いないでしょう。もっとも中には私の友人みたく、チベット犬のような成長すると馬鹿でかくなる犬を欲しがる妙な上海人もいますが。
 こうしたペットブームを受けて、このところ上海市内にはペット関連のお店も明らかに増えております。私の生活圏内でもペットそのものを売るお店はもとより、毛並みを揃えるお店からペットフード専門店まで全部揃っており、店の前を通るとなかなか繁盛しているような印象を受けます。また去年夏に私もペット関連商品の展示会を見に行きましたが、やはり市場としても大きく、日系企業もいくつか出展しているのを目撃しております。

 では犬以外のペットはどうなのか。まず猫に関しては衛生面は別として、ちょっと小汚い飲食店とかに行くと飼われていることが多いように感じます。自分が通っているあるお店(そこはべつに小汚くない)なんかお昼に行くと、子猫が常に暴れ回っててカウンターで飯を食べているといきなり膝の上に飛び乗ってきます。だから行くんだけど。
 ただ一般世帯の話になると、まだ猫はそれほど人気とは言えません。これ以外の動物となると亀なんかは昔から手がかからないので買う人もおりますが、ハムスターとかはあまり話にも聞いたことありません。ただ先にも書いたとおりに中国人は明らかに生活に余裕を持つ層が増えてきているので、今後もペット関連市場は膨らみ続けると私は予想します。

2012年5月27日日曜日

ゲームレビュー「PSP スターウォーズ バトルフロント」

 このところのフォースの目覚めというべきかスターウォーズ熱が上昇していることから先日、「スターウォーズ バトルフロント」というPSPゲームを仕入れました。このゲームPS2バージョンでは以前に一回友人に遊ばせてもらったことがあり、「なんか前線で前転しながら突撃していった兵士がいるけど、あれ花園君?」とわけのわからない突っ込みをされるほど熱中したゲームで、またやってみたくなったのでPSP版を日本で購入し、親父にこの前持ってきてもらいました。このPSPのバトルフロントですが基本的な中身はPS2版と変わりないものの、日本国内では発売しなかったので米国内で販売されている、英語版を仕入れました。最近のアマゾンはこういうゲームも簡単に買えるからいい。

 このゲームの具体的な中身はジェダイとなって帝国軍をバッタバッタ切り倒すというわけではなく、むしろ帝国なり共和国軍、果てにはバトルドロイドの一人の兵士となって、文字通り戦場の犬のように戦場で走り回るゲームです。それこそブラスターガンを持ってひたすら撃ちまくったり、戦闘機を使って神風アタックを仕掛けたりとかなりやりたい放題が出来ます。武器もいろいろ充実していてブラスターガンのほかにもスナイパーライフルとかショットガンなど自由に選べ、間違ってロケットランチャーを選んだ直後にダースモールが突然現れた際にはなすすべもなく切り倒されたのはいい思い出です。あんな動きの速い奴、どうやってロケットランチャーで狙えっていうんだよ……。
 現在のところ一応のストーリーモードをクリアして、「銀河戦争モード」をちょこちょこしながら遊んでます。スポットタイプなゲームなので短い時間でも遊ぶことが出来、またプレイごとに色々展開があるのでなかなかの良作だと感じています。操作法はアメリカナイズされたものなので最初に慣れるまでは時間が食いますが、一旦慣れてしまえば大雑把なアメリカらしく比較的ラフに動かせます。

 そんなこのゲームですがこれ以上は取り立ててコメントすることがないものの、上にリンクを張ったウィキペディアの記事についてはちょっと言っておきたいことがあります。まず見てもらえばわかりますが、やけに項目の説明が充実していて半ば攻略サイトのような構成になっております。各ステージの攻略法まできちんと開設されているし。その中でも特に気になる部分として帝国軍ダークトルーパーの欄で、

「2人プレイ時専用の技。「マッスルドッキング(Muscle Docking)」ともしばしば言われる。ダークトルーパーやジェットトルーパーの上に人が乗った状態でジェットパックを使用すると、上の人間が普通は行けないような高い場所に上ることができる。」

 一体誰がつけたのかわかりませんが、「マッスルドッキング」なんて言葉もあれば地雷ごと敵を爆破する「自爆テロ」という技の解説まであって、相当面白い内容に仕上がっています。ちなみにこの件を同僚に話したら、「マッスルドッキングなんて書いているあたりで年齢がわかる」と言ってました。

2012年5月25日金曜日

次長課長河本氏の生活保護需給問題について

「恥ずかしい」 母親からは「しっかりしゃべってこい」と言われ…(産経新聞)

 正直、こういうのまでいちいち取り上げるべきなのかちょっと自分でも疑問を感じてしまいますが、まとめて書く話題があるので取り上げることにします。
 既に各所の報道で皆さんも知っておいでかと思われますが、お笑いコンビ次長課長の河本氏が高額所得者であるにもかかわらずその母親が生活保護を受給していた問題で本日に当人が会見を行い、需給の事実を認めた上で謝罪を行いました。結論から述べると要点をうまいことすっ飛ばされた感がある上、厳しい言い方をすると本当に反省しているのか疑問に感じる会見でした。

 まず一番疑問に感じた点として、誰に対して何について謝っているのかが見えない点でした。私の感覚ならば本来であれば生活保護を支給させていた行政に対して謝罪すべきだと思うのですが、「不正受給だとは思っていなかった」、「行政の了解を得ていた」と、むしろ暗に行政側に問題があったかのような発言が繰り返されております。こういっては何ですが、現在の収入状況などをきちんと報告しなかったからこそこういう不備が生まれたのではと考えないのでしょか。
 次の疑問点、というより何で誰も聞かないんだと思うところで、どうして今日の会見までこれほど時間がかかったのかという点について何も言及がありませんでした。今回の不正受給の事実は週間新潮が報じたことからネットを中心に火がつき、自民党の議員らが追求する姿勢を見せるなど徐々に拡大して広まっていきましたが、この間に長い時間があったにもかかわらず河本氏はなんらコメントをすることがありませんでした。きつい言い方をすれば、しらばっくれれればどうとでもなる、ほとぼりが冷めるのを待って受給を続けるつもりだったのではないかと疑わざるを得ません

 そして最大の疑問点、というかこれも何で誰も聞かないのか不思議でしょうがないのですが、河本氏が所属している吉本が当初に発表した内容と事実が異なっているのはどうしてかということもスルーでした。なんていうか危機管理に弱いんだなぁと微笑ましく見えてしまいうのですが、吉本側はこの問題に関して当初、母親が生活保護を受給していたのは河本氏が芸人として売れていなかった一時期だけで問題がないと発表したと報じられていましたが、この報道が出た当日に母親本人のインタビューで、「報道を受け、先月(四月)に受給を停止した」という発言があり、受給を受けていた時期で真っ向から食い違う報道が同時に出ておりました。
 今回の会見によると正しかったのは後者、つまり受給は先月までだったわけですがとなると最初の吉本の発表はなんだったのか、事実を誤認したのか身内を庇い立てるために嘘をついたのかを私としてははっきりさせてもらいたかったです。まぁ口が裂けても後者の理由だったとは吉本も後からは言えないでしょうが、前者だったとしても企業運営をしていくに当たって致命的な対応といわざるを得ず、一部で言われているように「ほかにも似たようなケースがあるのでは」と思ってしまいます。

 あとこれはまだ未確定で実物ソースもまだ確認できていませんが、ネットを経由した情報によると今回のスクープをものにした週間新潮の最新号で、河本氏の周辺で生活保護を受給をしているのは母親だけでなく、近い親類が複数世帯受給していると報じられているそうです。仮にこれが事実だとしたら確信犯的に生活保護を得るための手段を講じていたのではないか、それこそ収入があることを隠蔽して受け取っていたのではないかとこれまた疑わざるを得ません。
 この点に関しては会見でもきちんと聞かれていますが、その回答というのも、

 --母親以外にも受給を受けている親族はいるのか
 渡辺弁護士「大変申し訳ないですが、親族の生活状況はきわめて個人的な話になるので、お答えを控えさせていただきます」

 これまた厳しい言い方をせざるを得ませんが、もし本当に反省しているのであれば、といっても不正受給ではないと言い切っているあたりで反省しているとはとても言い難いですが、現状の事実をすべてありのままに明かすべきだと私は思います。仮に親類が受給していたとはいえ、それが理に適った受給であるのであれば隠し立てせず、堂々と言えばいいだけの話です。逆にこうも隠されると、やっぱり何かあるのではないかと勘繰ってしまいます。

 最後に吉本について前から書こうかと思っていたことですが、どうも島田伸介騒動以降、明らかな迷走というか不安定振りが目立ちます。島田伸介の時といい今回の件といい会見で発言した内容がその前後に報じられた事実と異なる点が非常に多く、ただでさえコンプライアンスが強まっている中で異常とも言える位に危機管理に欠けている所が目立ちます。これならまだ市川海老蔵氏の会見の方がマシでした、比較対象としては如何なものですが。
 さらに吉本に関してはちょっと気になる噂も耳にします。

スクープ公開 この大赤字、ヤバいんとちゃう!?吉本興業「中間決算書」から分かったこと(週刊現代)

 上記リンク際の週刊現代の記事によると、関西芸能界を仕切っていると言ってもいい吉本の中間決算が赤字だったようです。しかも今後の負債返済計画も見通しが明るいと言えず、屋台骨の明石家さんま氏が、「沖縄映画祭、まずまずの失敗やったんやろ」と、どこまで本気かは量りかねますが、言うほど台所事情が厳しくなっているそうです。
 関東と関西でそれなりに暮らした経験がある自分に言わせると、関東のテレビ局というものは放送中に発言してはならないタブーが非常に多いのに対して関西圏では比較的緩く、「たかじんのそこまで言って委員会」を筆頭に見ているこっちが不安になる発言まで平気で飛び出してくるのですが、唯一吉本に対しては「ケチな会社や」と言うことはあっても、黒社会との結びつきなどで表立って批判されることはありません。それだけ関西圏では圧倒的な力を持っているのですが、このところのふらつきといい週刊現代の報道といい、今後どうなるか怪しいところがあります。

 仮に弱り目となったらこれまでブイブイ言わしてきた分、一斉に叩かれる事も有り得るのではと見ており、この手の報道に強い週刊誌メディアの活動に期待します。

2012年5月24日木曜日

元星風の解雇に対する不満

元星風の解雇は「有効」=八百長への関与認定―東京地裁(時事通信)

 非常にショックなニュースなので、孤軍奮闘とばかりに私が取り上げることにします。
 かつて相撲業界を大きく震撼させた野球賭博、ひいては八百長問題は皆さんの記憶にも新しいかと思います。特に後者では人気力士も含めて多くの力士が角界から去りましたが、その中の一人に今回取り上げる星風も含まれておりました。

 この星風が解雇された背景ですが、はっきり言って非常に不可解な経緯を持っております。八百長騒動の際に星風はもちろん行為を否定し、委員会も特に深く追及することなく最初に発表された処分者の中に加えられることがありませんでした。しかし最初に多くの力士を処分した後に突然、記事にも書かれている通りに元千代白鵬と、仲介役だった元幕下恵那司が星風も八百長に関わっていたと証言したことから、突如星風も処分対象者に加えられることとなりました。
 しかも相撲協会の怪しい、というか不可解極まりない点で、八百長を指摘した星風に対して勧告に従って引退すれば退職金は満額出すと提示したのです。もっともこれはほかに引退を勧告した力士も同じではありましたが、星風の場合で何が違ったのかというと、不正は一切行っていないのだから復帰させてほしいとこの退職金の受け取りを拒否した点です。

 この星風の本名ですがボルド・アマラメンデといい、見てわかる通りに日本国籍者ではなくモンゴル人です。相撲協会が彼に提示した退職金額は母国であれば年収の十年分以上に相当する額だったそうですが、それすらもはねつけてまで彼は相撲を取りたいと言ってくれました。またそもそもの八百長に関しても、元々日本人力士が多く関わっていた中で外人力士は言語の問題からあまり加わっておらず、どうしてこの星風だけがこうもしつこく追及されることとなったのかも傍目には怪しく感じます。
 今回、東京地裁の渡辺弘裁判長(竹田光広裁判長代読)は相撲協会の解雇は有効として、星風の処分撤回請求を棄却しました。やや性善説に偏った意見かもしれませんがこれだけ熱意を持って復帰を希望している星風が八百長をしたとは私には思いづらく、また八百長をやっていた当人である恵那司らの証言がどうして丸ごと信用されるのかという疑問が強いだけに、今回のニュースは非常に残念であることと世間ももっともこの問題に注目してほしいと思い、筆を取った次第であります。

2012年5月23日水曜日

上海の地下鉄終電時刻が早いわけ

 上海に来た経験がある人ならわかるでしょうが、こっちの終電時刻は以上に早いです。夜11時台ともなればほぼすべての路線が終電を終えており、一部路線なんかは10時台で閉め切っちゃうところもあるくらいです。別に夜遊びするわけじゃないから私にとってはほぼ影響は皆無ではあるものの、唯一面倒なのは夜の便で上海に到着する時で、なんと空港と直結している路線は10時台で終電を終えてしまい、9時台に到着する便では入管とかで時間食ってほぼ確実に乗ることが出来ません。恐らく、空港路線に関してはタクシー業界に配慮しての時間設定であるとみてはいるのですが。

 こうした地下鉄の時間設定は、確か北京でも一緒だったような気がします。何故かくも中国の地下鉄は終電が早いかなのですが、一つは中国人のライフスタイルが大きく影響しております。基本、中国人は日本人と比べて早寝早起きで、日本では路上に人がそれほどうろついていない自国でも元気に動き回っていたりします。休日なんか日本だと朝8時にはほとんど見ませんが、こっちだと普通に散歩している人とか友達と一緒に歩いている人がいたりします。その一方で夜は比較的早く、もちろん夜中過ぎても都市部ではうろついている人は多いですが、それでも日本と比べると随分と少ない印象を覚えます。

 私も関東の都市部、といっても最寄駅の路線は電車が約十分おきに来るので友人から「田舎だね」と揶揄されるところに住んでおりましたが、日本と比べて随分と終電が早いこっちの地下鉄には当初は辟易してました。それこそこっちで友人と夕食を取ると9時を過ぎたら帰る準備をしなくてはならないし、終電を逃したら安いけどタクシーに乗るしかなくなります。ただこっちのライフスタイルに慣れて後になって考えてみると、そもそも日本人の方が夜の生活が長すぎるのではないかという疑問を覚えるようになりました。
 去年の東日本大震災以降、節電のために都市部では電飾などの照明が切られたと聞きますが、人によっては今までが明るすぎてかえってこっちの方がよるらしくていいという意見を見受けましたし、一時帰国した際にその様を見かけた私も同じような感想を持ちました。踏み込んでいうなら、これまで夜中にもかかわらず散々に照明を飾り立て、健康上によくないことをしていたのではないかという疑念も持ち上がってきました。

 また夜の生活が長くなるということはサービスを享受する側はともかくとしてサービスを提供する側、いくつか挙げるならコンビニなど小売店から居酒屋など飲食店の従業員はそれだけ勤務時間が長くなり、睡眠時間も減るということです。細かい話をすれば健康を崩す人も出てきて医療費も上がるでしょうし、何より過重労働の温床になって全体でも効率が落ちる可能性があります。そもそも何故こういった深夜営業する店が増えていっているのかというと、深夜まで遊べる、つまり電車の終電時刻が長いことも一因と考えることもできます。
 こういう風に考えてみると、かえって中国のように終電時刻を短くした方が全体の社会衛生上で好ましいのではないかと当初とは逆の立場に段々傾いていきました。それこそ小売店や居酒屋の従業員が組合作って深夜労働を制限することが一番望ましいのですが、それが出来ないというのであればクールビズを政府が率先して実現したように、地下鉄の終電時刻を短くしてしまって間接的に制限するのもありかもしれません。

 中国は何でも日本より遅れていると考える日本人は非常に多いですが、こと地下鉄の終電時刻については中国の方が社会的に理に適っていると、私は主張します。そう言いながらも、空港直結路線くらいはもう少し長くしてほしいのですが。

2012年5月22日火曜日

社会学士の話の組み立て方

 人によってはよく、「出身学部による違いなんてない」と言う方も珍しくないかと思いますが、私はこれと立場が違ってやっぱりどの学部を卒業したかで大なり小なりその人のパーソナリティに影響が出ると考えております。もっとも同じ経済学部でも古典派かマルクス経済かのどっちを専攻したかによっても変わってくるので一概にこの学部だからこうという言い方はできませんが、文系においてはある学部だけは話し方に明確な特徴があるような気がします。もったいぶらずにその学部を明かすとそれは法学部で、私の周りだけかもしれませんがこの学部出身者はやはり立証という概念が色濃い学部なだけに、なんかどの人も根拠を順番にかつ細かく説明してから結論を最後に持ってくる人が多いように思えます。

 では私の出身である社会学出身の人間はどんな話し方というか傾向があるのかですが、こちらも結論から述べると、なんかやたら話をひっくり返そうとする人が多い気がします。簡単に例を出すと、道路交通を円滑にするために信号機をどの程度の割合で設置するかと話してたら、そもそも信号機自体が交通円滑化を進めるに当たって邪魔になるのでは、信号単体の効果を検測すべきではと突然言い出すような感じです。自分を含め、同じ出身の友人もなんだかこういう性格の人間が多いような気がしてなりません。
 なんでこんなややこしいというか面倒な話し方をするのが社会学出身に多いか(私の周りで)ですが、考えられる根拠としては社会学自体が因果関係を強く疑う学問だからじゃないかという点が挙がってきます。社会学というのは習っている人には早いですが、自然科学においては当たり前とされる「原因→結果」という因果関係を「原因⇔結果」もしくは「原因→結果→別の原因」というように、物事の因果関係を双方向的に捉えたり、ある事象において一般的に信じられている原因が本当にその原因なのかということをやけに疑う学問です。そのため場合によってはある結果が原因自体を変化させる、一番いい例としてはイソップ童話の「酸っぱいブドウ」で、木の上のブドウを食べたいと思って手を伸ばしたが取ることが出来なかった狐が「きっとあのブドウは酸っぱいに違いない」と自己判断して納得するという話がありますがこの例だと、

  ブドウが欲しい→手が届かない→ブドウはきっと酸っぱいに違いない=原因→結果(原因)→原因(結果)

 という具合に、ブドウが欲しいかどうかという原因が手の届かない結果によって欲しいから欲しくないに変わる過程だと解釈することが出来ます。ほかの自然科学においては原因と結果は基本ワンセット、あるとしても複数の原因が一つの結果を生むと捉えがちですが、社会学では一つの事象で原因と結果が何セットも出来上がることがあります。

 こういう風な七面倒くさい捉え方をするもんで、やっぱり同じ学科出身の人間は卵が先か鶏が先なのかという具合に、物事に対してどっちが原因でどっちが結果なのかをまず考えてから話をする人が確実に多かったし、多分自分もその口なんだと思います。それこそ自殺を例にとるなら、普通の人は不景気だから自殺が増えていると考えるでしょうが、自分なんか自殺が増えているから不景気なイメージが強まっていると本気で信じており、景気が悪いことと自殺が増加することの因果関係を統計でまず確かめてみようと言い出します。まぁこれは過去の統計で言うと、世界的に好景気時も自殺が増えるという結果が出ているのですが。

 以上はあくまで私個人の私感であって統計的に確かめた結果ではありません。ただどの学部を出ても卒業してしまえば一緒というのは違うのではないか、大学の勉強は後半生に何の影響も残さないというわけではない、人格形成において何かしら影響が出るということを言いたく、こんなの書いてみました。

 一昨日までエプソンのネットブックで記事書いておりましたが、やっぱりキーボードはあっちの方が小さい癖に打ちやすいです。今使っているNECのラヴィなんてこの記事だけで何度ミスタイプしていることやら。ほんと、キーボードさえよければラヴィはいいのに。

2012年5月21日月曜日

視聴率ランキングの変動について

 昨日はこのところ取り立ててニュースがないと言っておきながらですが、最近にびっくりしたというか目を見張ったものとして下記のニュースがありました。

テレビ朝日、4月の平均視聴率が初の「月間4冠」(産経新聞)

 別に自分はテレビ業界の人間というわけじゃないですが、あのテレビ朝日が月間とはいえ全部門で視聴率首位となるなんて、これまで夢にも思いませんでした。それだけにこのニュースは、今後テレビ界が大きく変動する前触れのようなものを感じさせられます。

 まず日本テレビ界の年間視聴率順位について軽く説明しますが、90年代から2000年代中盤までは毎年、フジテレビと日テレが首位争いをして、3位はTBS、4位はテレビ朝日、テレビ東京は別枠……という風な不文律がありました。もっとも首位争いについては妙な規則性があり、80年代から93年まではフジテレビが首位でしたが、94年に日テレが首位を奪うや03年までその王座を死守し続けております。それが04年にフジテレビが再び奪回するとまたしてもフジテレビの天下が続くというような具合で、一回逆転されるとしばらく再逆転は叶わないというジンクスがまことしやかに伝えられております。なお昨年の年間視聴率は日テレが「家政婦のミタ」等のヒットによって7年ぶりに1位となったことから、フジテレビは今後しばらく2位に甘んじると予想されてます。

 話はテレビ朝日に戻りますが、確か08年か09年あたりに年間視聴率でTBSを抜き、万年4位の汚名返上に成功してます。ただこの時の順位変動はテレビ朝日が躍進したというより、TBSが落ちぶれた結果だろうと当時の私は分析してます。あくまで私個人の意見ではありますが、当時、といっても現在もそうでしょうがTBSの番組はひどいというよりほかがなく、がんばって面白がって見てみようと本気で努力しましたがどうやっても楽しむことが出来ず、安住紳一郎アナが出ている「ぴったんこカン・カン」以外は全く見ることがありませんでした。逆を言えばこれだけは面白かったんだけど、同じ安住アナが出る「さんまのからくり御殿」なんかは仕込みがひどすぎて途中で失望したなぁ。
 一方、テレビ朝日ですが、田原総一郎氏の出ていた「サンデープロジェクト」を打ち切るなど残念なところも少なくありませんでしたが、今回の月間視聴率四冠の原動力となったドラマ「相棒シリーズ」を始め、地味にコンテンツが充実している気配は感じていました。特に私が感心していたのはニュース番組で、明らかに他の民放と比べて視点が面白く、NHKニュースが始まるまではテレビ朝日を見続けるという習慣がいつの間にかできていました。ただ10年後半からは現在のように上海で生活するようになったので細かいチェックは出来ていませんが、今回こうして四冠を取れたという報道を見る限りではまだ番組の質が上昇傾向にあるのではないかと予想します。

 このようにテレビ朝日の躍進に納得感を持つ一方、ちょっと本気で心配しているのはフジテレビです。既に書いた通りに去年に年間視聴率で日テレに逆転されましたが、今年に入ってからは景気の悪い話しか出てきておらず、まずホットなものとしては放送前から脚本の盗作騒動が起こった「家族のうた」が、ゴールデンの時間帯なら普通にやったって取りようがないほどの極端な低視聴率に喘いで打ち切りとなっています。どうせなら変に打ち切らず、このまま過去最低視聴率記録とかに挑戦してほしかったものですが。
 また昨年は韓流ドラマやアイドルを以上に持ち上げ過ぎだという批判がネットを中心に巻き起こり、かなり大規模なデモにまで発展する事態まで引き起こしています。私はあの時のデモは規模こそ非常に大きいしいくらか影響は出るだろうとは見ていたものの、それはあくまで一時的なものにとどまるとみておりましたが、年間視聴率で2位に落ちたりドラマが売れなかったりするのを見ていると地味に長く効いてきてるんじゃないかとこの頃感じつつあります。

 でもってまた趣味のニュース番組についてですが、2010年時点の放送で言えば一番駄目なニュース番組はTBS、次いでフジテレビでした。何が悪いかというと視点がほかのキー局と比べて独特なのはいいとしても、それがどうも見当違いな視点が多いように当時感じました。また月から金の関東での放送は6時20分台から主婦向けのグルメ特集しか放送せず、特集報道も他局に比べて内容が薄ければ本数も少ないように感じてました。ちなみにTBSは時間帯を買えたりして努力はしたものの、定着しきれなかった上にNHKニュースと同じ時間帯でぶつかったのが敗因であって、一応その時の姿勢は買っています。
 ちょっと気の早い予想ですが、下手したら今年のフジテレビは年間視聴率で1位を逆転するどころか3位に転落するかもしれません。それこそ去年みたいにまた韓流贔屓で大きな騒動に発展したら致命傷で、テレビ朝日の躍進を許すことになるんじゃないでしょうか。

2012年5月20日日曜日

政治を測るのに必要なもの

 このところ疲労が抜けないのもあるのか、真面目にブログでかくネタがホントにありません。日本の報道を見ていてもいちいち報道するほどのものかと悩むくらいくだらないものが多い上に、政治環境も解説する価値もないしょうもない話ばかりで困ってます。まぁ一言だけ書くと、最近なんだかが自民党の谷垣総裁と鳩山由紀夫元首相は空気が読めない点で案外似た者同士かもと思う程度です。
 そんななのでちょっとしょうもないことを書きますが、先日に知り合いに簡単に日本政治史を指導しましたが、改めて政治を測るのには何が必要なのかと考えてみました。基本的に必要なものは政治家個人々々に関するデータはもとより、政策や法律に関する知識ですが、それらの中でも一番重要なものを挙げるとすると変遷の歴史こと過程だと思います。

 ひとつ例にとるとメディアが全く騒がずにすんなり決まってしまった郵政の再国有化ですが、そもそも一体何故民営化が進められたのか、そしてなぜ郵政選挙に突入したのかという背景と共に説明する記事はついぞ見ることはありませんでした。しかし何故ここで再国有化が決められたのか、またそれによって生まれるメリットデメリットを見るためにはやはり過去の議論をもう一度見直す以外にほかありません。またちょっとグレードを上げるのであれば、2010年夏に起きたペリカン便とのシステム統合によって起きた混乱も付け加えればそこそこ話としては面白くなってきます。

 これは政治議論に限るわけじゃないですが、やはり最近の報道に欠けているのは前段階の知識や背景の解説のような気がします。スポット的に今起きた事だけをさらりと報道するだけならそれほど難しくはありませんが、なるべく詳細に前後関係をはっきりするような報道がないせいでなんだかニュースが詰まらなくなっている気がします。もっとも、仮に自分がやれと言われたら面倒がってそれほど解説せずに、「わかるやつにはわかるだろう」と言ってさらりとした記事にするでしょうが。

2012年5月19日土曜日

ブランデンブルクの奇跡について

ブランデンブルクの奇跡(Wikipedia)

 意外と知らない人が多そうなので、ドイツ版神風こと「ブランデンブルクの奇跡」について今日は解説します。

 このブランデンブルクの奇跡というのは歴史的故事で、先にも書いた通りに日本の神風同様、国難の状況下で一発逆転の奇跡は起きる材料として長らく信じられてきました。これが一体どんな故事なのかというと、時代は十八世紀の、まだドイツ連邦として統一される前のプロイセン王国所の時代に起きたエピソードが元となっております。
 当時のドイツは日本の戦国時代よろしく、それぞれの地方が独立王国として群雄割拠しておりました。その中でドイツ騎士団が殖民した地に成立したプロイセン王国というのが次第に力を持ってきており、十八世紀にこの地の支配者となったフリードリヒ大王が勢力を拡張したことで、後のドイツ統一の基礎固めが進められることとなります。

 このフリードリヒ大王、人物単体としても非常に面白い人間で、世界史の授業では「啓蒙絶対君主」といって国民の基礎教育レベルの向上に取り組んだ一方で、「よく議論せよ。そして我に従え」という言葉に表されるように、政治活動面では絶対的な独裁者として国を引っ張って引きました。
 彼は即位直後、オーストリア(当時は神聖ローマ帝国)の王位に元婚約者であるマリア・テレジアが即位したことにフランスをはじめとした周辺国が反発したことによって起きたオーストリア継承戦争にすぐさま参戦し、どさくさにまぎれて重要拠点であるシュレジエンの獲得に成功します。しかしシュレジエンを奪い取られたオーストリアの反感は凄まじくフランスとの戦争にひと段落をつけたマリア・テレジアはフランスやロシア、スウェーデンらを外交で引き込み奪回を企図します。これに対してフリードリヒ大王は機先を制する形でザクセン選帝侯領に進軍し、七年戦争の火蓋を切りました。

 緒戦でこそ善戦を続けたもの、墺仏露+スウェーデン相手にプロイセン側は自分自身ただ一人。兵力の差は如何ともしがたく徐々に追い詰められ、クネルスドルフの戦いでは壊滅的な打撃を受け、味方からも逃亡者が相次ぐなど絶体絶命の状況に追い込まれます。もはや総攻撃を受ければ全滅は必死の状況でフリードリヒ大王も死を覚悟して事実上の遺書まで用意しましたが、なんと追い詰められてから数日間、敵軍には何の反応もありませんでした。
 一体何が起きていたのかというと、プロイセン同様に連合軍も大きな損害を出していたことに加え、なんと連合を組んでいるロシア軍とオーストリア軍の間で主に戦後処理をめぐって不協和音が起こり、結局総攻撃が実施されなかったのでした。また連合軍がもたついている間にプロイセン側では逃亡兵も徐々に戻ってきて、見事な立ち直りを見せました。

 さらにプロイセン側にとって幸運だったのは、このクネルスドルフの戦いの数ヵ月後にロシアで女帝エリザヴェータが死去し、かわって王位についたのがフリードリヒ大王を信奉していたピョートル三世だったことです。ピョートル三世は即位するやすぐに戦闘を中止させ、連合軍から抜けてしまいました。
 ここで間髪を逃すようなフリードリヒ大王ではなく、残った敵のオーストリアに総攻撃をかけると一気にシュレジエンはおろかザクセンからも追い出し、この戦争の勝利を決定付けてしまいました。

 この二つの故事をまとめてブランデンブルクの奇跡と呼びますが、どうもドイツでは日本の神風のように、いざとなったらありえない奇跡が起きて逆転できるという思想が、程度は知りませんが一応はあったようです。それが確認できるのは第二次大戦下のドイツで、ヒトラーは大戦末期にアメリカのフランクリン・ルーズヴェルト大統領が死去するやこの故事を引っ張り出し狂喜乱舞したそうですが、現実には戦況はひっくり返らずヒトラーも自殺に追い込まれることとなりました。

 日本の神風についても同じことが言えますが、昔起きた偶然を頼りにするというのは大の大人がやるべきことではありません。歴史の故事は所詮は故事であって、それを現在の状況に無理に当てはめて考えるというのは無理があるでしょう。もっとも、成功体験ではなく失敗体験であれば歴史は繰り返すことも多いのですが。

2012年5月18日金曜日

犠牲なくして幸福を得られるのか

 このブログ中で何度も言っている事ですが、今の時代はかつての90年代とは異なり選択と集中、さらに踏み込んで言うなら淘汰の時代だと私は考えております。かつて経済が拡大していた時代と違って誰もが昇進、昇給したり、自家用車をどこの世帯でも持てるという時代ではなく、振り分けられる資本が限られていることからそれを有効に活用できる人間に投資し、逆に無駄に資本を食いつぶす人間に対しては奪い去る、もしくは排除する必要のある時代だと見ています。
 こうやって冷静に書くとなんだか私が悪い奴みたいに見えてきそうですが、断言しますがこれは何も特別なことではありませんし、むしろ日本以外の国では当たり前、さらに言えば高度経済成長期ではない日本でも当たり前だった概念です。言ってしまえばこれまでの日本が特別だっただけで、これからの日本は昔の当たり前の時代に戻るというわけです。

 具体的に今後どのような事態が起こりうるかですが、まず現実に既に起きているものとして「誰でも大学に」とは行かなくなり、今後はリアルに大学進学率が低下していく可能性が高いと思えます。理由はごく単純に学費負担に耐えられる世帯が減少するためで、すでに一人暮らしする大学生の仕送り額はかつてと比べてかなり減額している上、就職氷河期であることからより専門性の高い専門学校を進学先に選ぶ人も増えていると聞きます。このまま今の状況が続くのであれば、私はそれこそ昭和中期のように兄弟の中で誰か一人を大学に進学させるため、ほかの兄弟が犠牲になる(高卒後にすぐ就職する)というようなストーリーが感動話じゃなくなってくるでしょう。

 こうした現況を踏まえた上でこのごろ考えるのは、表題に掲げたように「誰かの犠牲なくして幸福となれるのか」です。繰り返しになりますが、高度経済成長期はほんとに大きなハンデがある状態であれば誰も犠牲になることなく、みんなで幸福になることがある程度可能な時代でありました。ただあの時代は間違いなく特殊、具体的に言えば石油というエネルギー価格が異常に安い時代だからこそできた話であって、今後再現するとなれば夢のような話となってしまいます。
 となれば幸福になろうとするものなれば誰かを踏み台にしなければとなるのですが、これに関しては正当な競争の上でのものであれば特に異議を挟むものでもなく、これまでもよくあることだったのでそれほど悩むようなものは感じませんが、これとは逆ベクトル、誰かを幸福にさせるためには誰が犠牲にならなければならないのかです。

 幸福にさせたい対象というのは人それぞれでしょうが、大抵のケースは自身のその家族となるでしょう。人によっては両親、配偶者、子供となりますが、これまでは自分もそこそこ幸福に暮らしながら子供も大学に生かせてそこそこの道を歩ませることができましたが、今後はそうはなかなか行かないだろうというのが私の予想です。ではそんな時に自分はどんな決断を取るのか、またどのような覚悟を持って望むのか、そうした姿勢がまだ今の日本人には見えない気がします。
 まだるっこしい言い方しないでストレートに言うと、今後誰かの幸福のために自分が犠牲になることを厭わない覚悟が今の日本人に足りないと私は言いたいです。もちろん、本人の努力や方法次第ではみんなでハッピーになれる可能性も全くないわけではありませんが、実現するとなると相応の才能が要求されることとなります。中には今現在、もしくは以前からも子供のために親は犠牲になってきたと言われる人がいるかもしれません。そうした人に言い返すなら、これからの時代はそれ以上の犠牲を払わなければ周囲の人を幸福にすることはできないと伝えたいです。

 我ながら妙なテーマで変な文章を書くなという気もするのですが、実はこのテーマは宗教をやっている人間の間だとごく当たり前のテーマです。それこそ仏教で言えば餓えたトラの親子の前に身を投げ出すブッダ(夢オチで終わるあたりがブッダらしい)とか、キリスト教でも殉教話ならごまんとあります。
 別に私が何か宗教やっているわけではありませんが、やはり進行をもっている人たちと話をしていると、ここら辺の価値観、自己犠牲の精神で一般の日本人と違うなという気がわいてきます。何も宗教を進めるわけでもありませんが、高度経済成長期以前の日本人なら持っていた感覚なので、早くまた元の気持ちに目覚めたほうがいいという感じがしたので書くことにしました。

2012年5月17日木曜日

生活保護ビジネスの実態

 どうでもいいことですが先ほど自分のブログにコメントを書いた際、スパムかどうかの認証をするために打つように指示される番号が「4444」でした。なおこの4という数字ですが、中国や日本では発音が「死」と同じだから忌み嫌われる傾向がありますが、私は真田家の旗印である「六文銭(三途の川の渡賃。死を恐れないという決意表明)」と同じような具合でむしろ率先して使います。っていうか、日本人は死を恐れちゃダメだろ、乃木大将的に。ちょっと強引かなこのネタは……。
 話は本題に入りますが、今日のニュースに思わず目を引いたものがありました。

日本初!!猫がついてくるマンションって!?(宝島)

 猫付き3LDKとでもいうのか、賃貸で部屋を借りたらもれなく猫も替えるというマンションがあるそうです。もちろん飼った猫は引っ越し時に連れて行ってもいいようで、恐らく猫好きには相当たまらないサービスだと思います。思えば2000年頃のテレビの特集ですぐに空き部屋が埋まるマンションの特徴として、「ペットOK」にするという報道がありました。どの大家、オーナーとしてもペットがいると部屋が痛みやすくなること間違いなしですからあまり歓迎されるものではないものの、だからこそペット同伴を認めることで売り上げを増すという話に何故だか当時えらく感心した覚えがあります。

 同じ賃貸関連の話で、感心というか呆れさせられた話もあります。それはどんな話かですが、なんでも大阪には風呂なしトイレなしにもかかわらず一ヶ月の家賃が5万円以上で部屋が埋まるそうです。家賃3万円台でも個人用風呂、トイレ付きはあるというのに(私が学生時代に住んでた部屋はそうだった)、そうした部屋よりもこうした5万円以上する部屋がすぐ埋まるというのはどんなからくりなのか、結論から言うと表題に掲げた生活保護ビジネスに使われているからです。

 生活保護についての説明はもはや不要だと思いますが、東日本大震災以降は受給者数が毎月過去最高を更新するなど、日本にとって非常に大きな問題となっております。仮に怪我や病気などで働けないとか本当にどうしようもない状況の人たちの最低生活保障をするというのならまだしも、現在中国にいるので私は一銭も払っていないものの、日本に住んでるのであれば税金も払おうという気にもなりますが、残念なことにこの生活保護の裏をかいてしこたま儲ける、生活保護ビジネスを展開する不心得者は数多く存在します。
 先ほど挙げた家賃などはまさにこの典型です。一体どういう仕組みなのかというと、生活保護では毎月支給する生活費とは別に家賃代も別枠で支給されます。この支給される家賃代ですが額面は一定額に決まっているわけではなく、各自治体で限度額を設けてあってそれ以下であれば借りている部屋の家賃代分だけ支給される仕組みとなっております。

 勘のいい人ならわかるでしょうが、風呂、トイレなしにもかかわらず月の家賃代が5万円以上するアパートに住む人はみんな生活保護受給者で、家賃代はその地区における生活保護枠内での家賃支給額の限度額ピッタリなのです。手口としてはそのアパートのオーナーなり斡旋業者なりがどこかから人を集めてきて、生活保護の申請手続きを代行したり支援したりする代わりに家賃代を行政から受け取る。そして集められた人は働かずにお金がもらえる生活保護が受給できるようになって、まぁそこそこ納得できるというか幸せになれるという算段です。
 言うまでもなくこれで損をするのは生活保護を支給する行政に加え真面目に税金を払っている納税者、そしてまともに賃貸物件を経営しているオーナーや不動産屋です。仕組みとしては呆れるほどうまいこと作っている気はするのですが、だからと言って他人の財布から自分の財布に札束を移すようなこんな行いは当然規制するべきでしょう。

 こうした実態がはびこっていることに加えこんなニュースも出ていることから、生活保護では現金を支給せずに食品を現物で支給し、住居も共同施設のようなものを使うか行政が指定するべきだという意見が出ていますが、生活保護ビジネスの規制が行われない限りでは私もこれらの案を支持します。こんなこと私が言うまでもないことですが、生活保護に何億つぎ込んだとか、何万人を支給させているかという話ではなく、如何に効率的に社会復帰を助けるかがこの議論に求められているかと思われます。最小の投資で最大のリターンを、なんかこのところの日本にはこうした言葉が足りない気がします。

2012年5月16日水曜日

ヨーロッパにおける失われた十年

オランド新大統領が就任、経済成長重視の立場を強調 仏(CNN)

 先日、フランスで大統領選挙が行われサルコジ氏からオランド氏へ大統領の職の座が移りました。フランス政治、というかヨーロッパ市場に詳しいわけじゃないですが、報道を見ている限りだとオランド新フランス大統領はサルコジ氏と比べて積極財政派だと聞き、これまで債務削減を目指して緊縮財政政策を取ってきたサルコジ氏と、ドイツのメルケル首相をかねがね批判していたと聞きます。そのためフランスは今後、これまでより財政出動を増やして景気刺激策を取ることが予想されるのですが、仮にそうなればかつて日本が経験した「失われた十年」をフランス、ひいてはヨーロッパ全土がまた経験することになるのではないかと私は予想しています。

 ちょうど折も折というか今日のニュースで、ドイツの地方選挙でメルケル首相率いる与党が惨敗したと聞きます。どういう力関係や影響が働いたかはわかりかねますが、傍目に見る限りだとやはり緊縮財政政策にヨーロッパ諸国で不満が高まって異様に見えます。細かい話は抜きにしますが私自身は現在のヨーロッパにおかれた経済環境を考えるにつけて緊縮財政以外は取るべきではないと見ており、逆にここで「景気を刺激して危機奪回だ」とばかりに積極財政を打つことは破滅への道だと考えています。また「ヨーロッパの問題児」ことギリシャがいまだに連立で揉めているばかりか一向に打開策も決められず、スペインやイタリアといった規模の大きな国でも火を噴きつつある現状を見るにつけ、多分このまま90年代の日本と同じ失敗を繰り返すことになる気がしてなりません。

 なお、ここで使っている「ヨーロッパの失われた十年」というのは何も私が言い出した言葉ではなく、中国の経済紙ではこのところ頻繁にこういった見出しが躍っております。前にも一度書きましたが日本企業でヨーロッパとの取引が大きい会社は意外に少ないためにそれほど危機感が持たれていないというのが大きいでしょうが、元々取引額が大きかった中国では意外と影響は深刻で、何気に今日出た上海市の貿易額は輸出、輸入ともに金融危機以降で初めて前年同期比マイナスに転じています。

 最後に誰も言わないので私が言うことにしますが、去年は円高の逆風の中で日系自動車メーカー各社はみんな黒字を達成するという、すごすぎるというかありえない業績を出してきました。ただ一社、マツダだけは赤字となってその理由をいろんな経済紙では、「海外に自動車工場を持っていないため、円高が直撃した」と書いてありましたが、そんなこと言ったら我が愛する三菱自動車や最近評価を高めているスズキも、ないことはないけどそんなに海外工場持ってないんだから似たようなもんじゃないかと思い、なんかこの評論に納得がいきませんでした。
 ではなんで赤字だったのか、言ってしまえばヨーロッパの景気悪化の影響が一番でかいと私は見てます。実はマツダは日系企業の中でもヨーロッパ市場での売上げが意外に大きい稀有な会社で、それだけに日本人の発想というか視野に入っていないところで大打撃を受けたのではないかと考えてます。詳しい財務諸表を見れば確かめられますけど、さすがにそこまでして調べる気はありませんが。

2012年5月12日土曜日

笑顔を見せるようになった中国人

 このところ真面目に帰宅が毎日10時を越してます。おまけにランボー~怒りの休日出勤もなんか週二日のうち一日は当たり前になりつつあり、そのせいか思索に向ける時間が減ってどうもブログ内容に悩む回数が増えてきました。もっとも、毎日帰宅が十時越してるのに毎日更新する方がいろいろと突っ込むところだと思うけど。

 そんなわけで今日は久々に中国ネタとばかりに何か探しましたが手ごろなものがないので、ちょっとこの前感じた一件を紹介しようかと思います。先週、取材先の展示会場に行った際に目的地と離れた場所にいることに気が付いたので近くの警備員に道を聞く機会がありました。その警備員は見るからにごつくて表情も硬かったですが、自分が道を聞くとすぐに的確に教えてくれ、私がお礼を言うとにっこり笑って送り出してくれました。この時の笑顔を見た時に、「中国人も自然に笑うようになったんだな」とか、ちょっと妙な感慨にふけりました。
 私が中国に初めてきたのは留学でやってきた7年前ですが、場所が現在住んでる上海と違って北京ということもあるのですが、真面目に道歩いてて笑顔を見ることはありませんでした。それこそ若い人だったらまだ笑う姿を見ることもありましたが、中年以上となるとなんかみんな苦しそうな顔してて、自分が言えた義理ではありませんがもうちょっと人生楽しんだらと思うくらいに表情が硬かったです。

 それが年数経った現在、自分の中国語が上達してコミュニケーションを取る回数が増えてきていることもあるでしょうが、当時と比べて圧倒的に笑顔を見る回数が増えてきました。また今年の旧正月に日本のお笑い芸人のアンジャッシュのネタが中国の芸人に丸パクリされたという報道が経ちましたが、実際の映像こそ見ていないものの日本のお笑いでやる芸が中国でも演じられ、そこそこ評価を得るようになったという事実の方になんだか驚きました。
 そんなことを同僚に話したところ、同僚はちょうど旧正月に件のネタを見ていたそうで、やはり日本っぽいネタだとは思ったものの単純に面白くて周囲の中国人もよく笑ってたと言ってました。なんていうべきか、笑いのツボというものがある程度日中で共有化されてきたというべきか、何に対して中国人が面白いと思って笑うのかという理解が少しできるようになったことに不思議な感じがします。

 なおこんなことを言っている私ですが、以前の中国人同様に普段の生活で笑顔を見せる回数は極端に少ないです。別に無理して笑うまいとしてるわけじゃありませんが、私は以前からあの愛想笑いってのがあまり好きじゃなく、しょうもないこと言い合うくらいならとっとと結論に持っていこうとするくらいせっかちなところがあるので常に真面目そうな顔してとっつきにくいと言われることが多いです。そんなもんだから就職活動とかもえらい苦労したわけですが、無事に就職した後はここまで頑張ってきたんだし、多少は妥協するかと思って作り笑いを意識して見せるようになりました。そしたら一回、「笑顔がきれいな人ですね」ってどっかで言われてしまい、慣れないこと言われたもんだから何故か言われた本人がむちゃくちゃ焦るという妙な事態に追い込まれたことがあります。
 まぁやろうと思えばなんだってやってのける自信があるし愛嬌とかも卒なくこなせるとは前から考えてましたが、やっぱ人間、慣れないことは急にするもんじゃないと反省した次第でした。

関西電力に対する私の見方

 原発停止に伴い今夏に懸念される電力不足について、関電こと関西電力でいろいろ議論が起こっております。結論から言うと私個人としても関電の言うことは信用できず、より具体的な検証と報道、あと政府による圧迫が必要かと思います。

 まず関電のどんなところが信用できないかですが、これは以前の産経の記事に書かれていましたが去年も散々に電力不足の懸念から消費者に節電を煽っておきながら、蓋を開けてみたらかなり余裕があった上に大きな問題が何も起こりませんでした。にもかかわらず今年においては去年と比べ停止している原発が増えたことから、今度は嘘じゃなく本当に本当で電力が不足する可能性が高いと主張しているものの、その不足数値があまりにもアレというか魂胆見え見えの数値であることに驚きを通り越してあきれました。

大飯再稼動なら8月の電力不足回避…政府試算(読売新聞)

 上記リンク先の読売の記事に書かれていますが、このままいくと今夏の電力は約15%不足すると試算を発表しましたが、この不足数値を発表するとともに、「大飯原発を再稼働させれば、ギリギリ足りる」という、実質的に大飯原発を再稼働させなければ電力を止めると言わんかのような脅しを打ってきました。しかしこれはスズキのスズキ会長もなんか言及したそうですが、足りない足りない地うばかりで具体的にどうやって不足電力分を補うのか、火力発電とか擦りよく発電をどれだけ増やすかといった具体案は非常に乏しく、はっきり言いますが今回の不足分の試算も大飯原発を再稼働させるための方便、つまり大飯原発の発電容量分を不足分に計算するという結論が初めから決まっていたのだと思います。

 こっちは東電の話ですが、自らの不手際で電力不足を招いたにもかかわらず消費者には節電を要求し、その上でお気楽この上なく去年冬には社員にボーナスを支給しておきながら今年になって「電気代を強制的に加算する」と臆面もなく言ってくるあたり、どうも電力会社というものは世間の常識と明らかなずれがある気がしてなりません。極端なこと言うと、よくこういうことしておきながら夜道歩けるなとすら感じます。

<需給検証委>関電に4社融通拡大 5%節電で制限令回避へ(毎日新聞)

 などと考えていたらやっぱり出てきた回避案。上記の毎日新聞の記事によると、余裕のある西日本各社から電力を融通することで不足量は大分圧縮できるようで5%の節電で乗り切られるという試算を需給検証委員会が出してきたそうです。なんで外部からすぐこういうのが出てくるのにデータの揃っている自分の所で関電は試算が出来ないのか、わざとにしたってもう少しうまい言い訳を考えろよと手段の拙さに呆れてきます。
 もっとも政府、というより経産省側も原発を早くに再稼働させたいという異常な意欲を持っていることから首謀者がどっちにあるかは(恐らくは両方の意見の一致による)はっきり言い切れませんが、人をだましたり蹴落とそうっていうのならもっとスマートにやれよと言いたいのが今日の私の意見です。

ソーラーパネルの耐久性に対する疑問

 さっき切れた電球を買いに行ったら、発行色が必要な白色ではなく黄色を買ってきてしまっていました。今週は真面目にいろいろあって帰宅が毎日夜遅かったから、疲れているもかもしれません。ちなみに今週どれくらい忙しかったのかというと、同僚の親類に不幸があったので当日になって展示会取材を代理登板。さらに昨日も本来休日のところを訪問取材に行って結局半日潰しました。今週は先週と違って比較的涼しく、暑がりな自分からすると動きやすくてそれほど疲労感はないのですが、知らないところで注意力が落ちている可能性もあるのでこの後昼寝でもしようかと思います。

 それはさておき本日の話題ですが、先日にうちの親父と話をした際にお題となっているソーラーパネルの耐久性について話題となりました。親父が言うには、「メーカーはメンテナンスなしでいいというが、雹とか降ってきても問題ないのだろうか」ということで、早速親父に代わって自分が調べてみました。結論から言うと、やはり雹が降ると破損して駄目になる可能性があるだけでなく、ウェハーベースのソーラーパネルだと湿気にも弱く、対策がきちんと施されていない場合はこちらも故障する可能性が出てくるようです。もちろん、故障したら使用は不可能で最悪全品交換という羽目になります。

 なにもこの雹の問題に限らずソーラーパネルには「メンテナンスフリーで半永久的に使用できる」という宣伝文句が非常に多いですが、以前にも書いたように現行のソーラーパネルの寿命は理論値で約20年、しかも10年経ったら発電能力は当初の半分に落ちるため、世間で出回っている広告は問題がある気がします。こちらの産総研の調査でも導入から数年後の故障率は3割程度あるとして導入後メンテナンスが重要だと書かれておりますが、消費者からの相談も増えていると聞きますし、もう少しメーカーも周知する必要があるんじゃないでしょうか。

 以上の理由だけじゃありませんが、以前にも書いたように私は原発に代わる国のメガソーラー計画に対して反対の立場を取っております。根拠としては寿命が20年で不安定な発電力では投資に見合わないということと、寿命の尽きたソーラーパネルの廃棄処理について誰も全く言及していないことに強い疑問を感じるからです。むしろソーラーパネルよりもエネルギー変換効率が高い上に日本企業がほぼすべての特許を総なめしているヒートポンプ技術を有効に活用できる、太陽熱温水器の普及を進めた方が良いのではないかと考えています。

 といってもこれらはあくまで素人の考えなので、もし何か異論や意見があればコメント欄に書いていただくと幸いです。特にソーラーパネルの廃棄処理方法について詳しい方がいれば助かります。

2012年5月10日木曜日

プーチンの大統領再任について

 また本当にどうでもいいことですが、現在この記事は日本でこの前かっておやじにもってきてもらったエプソンのネットブック(NA14s)で書いております。サイズは小さいもののキーボードの質感はメインで使っているNECのLavieよりよく、デザインも気に入っているのですが、いかんせんメモリが1Gしかないので動作面ではやや物足りなさというか、「遅っ!」とちょっと感じてしまいます。ただこのパソコンを買って何がよかったのかというと、ちょうど注文してから3日後にエプソンが3千円値下げしたということです。人間、決断時期は大事だ。
 あともう一点気になったところとして、OSが「Windows 7 Starter」だったということです。これはネットブック用の安価なOSなのですが、なんと壁紙をデフォルトから変えられないという、そんなところで差をつけなくともという妙な設定で、最初は現実を受け入れられませんでした。もっとも、「ぬりかべ」というソフトがあればどうとでも対応できてしまうわけですが。

 話は本題に入りますが、ロシアでプーチン大統領がこの前再任されました。何もロシアに限らず今年はアメリカ、中国、フランス、香港で最高権力者の交代、選挙が重なる一年となりますが、ロシアにいたってはこれを変わったといえるかどうかとなると難しいところです。というのもプーチンは2000年から2008年の間に既に大統領を務めており、この四年間はメドベーチェフが大統領ではあったものの実質的な権力者は首相に一旦下がったプーチンだと誰もが見ており、今回の大統領復帰を見る限りその見方で間違いなかったといえるでしょう。

 今回の再任は中国でも大きく取り扱われており、日本のメディア同様に「現代の皇帝(ツァーリ)」と呼ぶ声もあれば、今日の長官にはでかい熊と一緒に充電期間を経ての再任といいたかったのか乾電池の格好したプーチンが描かれておりました。ロシアの大統領法はいつの間にか、って言うか恐らく今回に前もって合わせて人気が4年から6年に延長されてましたが、仮にプーチンがこのまま2期12年を務めるというのであれは2024年まで務めることになり、最初の大統領就任が2000年だったことを考えると実に24年間も最高権力者の地位に居続けることとなります。
 ただ長いことやってるもんだから、国内で反発する勢力も出てきているようです。今回の選挙でもなんかいろいろと反プーチンデモとか起きたようですが、どこの世界でも誰にでも好かれる権力者なんている分けなく、このデモひとつでプーチンの求心力が落ちているとかいうのは間違いなような気がします。あくまで私の視点ですが、ほかの候補よりも実績と安定性があるということで、やはり過半数以上からは信任されているのではないかと思います。

 しかし私個人の意見を言わせてもらうと、仮に今回の大統領選に出馬せずに引退していたら、ある意味では勝ち逃げができたのだろうにという印象があります。曲がりなりにもソ連崩壊後のロシアの混乱に一定の安定をもたらしたことは事実で、強いリーダシップでBRICsという高成長する新興国の一つに数えさせたのですから、ここで引退してもそう悪くない評価を歴史家に与えられていたでしょう。
 逆を言えば、これからの大統領生活はむしろこれまでの評価を傷つける可能性があるということです。ロシアがどうして経済的に立ち直ったのかといえば一にも二にも2000年代に資源価格が高騰し、ロシア最大の輸出品である天然ガスが高値で売れ続けたからです。しかしそれもリーマンショックをきっかけに大幅に下落するや、途端にロシア国内の景気は悪化しており、天然ガス一つに頼り切った経済体制であることを露呈しております。

 逆に天然ガス以外にロシアが国際競争力のある商品を持っているのかとなると、真っ先に浮かぶのはこの前にメーカーが潰れちゃったけどカラシニコフことAK-47(アサルトライフル)ですが、これ以外だと航空機と軍事技術しか真面目に浮かびません。はっきりいいますがこれだけだと少ないですし、また客を選ぶ商品のため強い経済力を維持するにはやや不安定です。
 資源価格は現在また高騰しておりますが、今の世界状況ですといつまた下落を始めるかわかりません。その下落した時にロシアがどんな対応を取れるのか、またそれまでにどのように備えるかが今後の鍵となりますが、それを覚悟の上で、評価が落ちるかもしれないというリスクを承知して大統領選に立ったというのであればたいしたものだと思います。

2012年5月8日火曜日

KOEIのゲームでやったこと

 最近なんだか暗いことばかり書いているような気がするので、久々にどうでもいい過去の体験談を書こうかと思います。
 さてKOEIのゲームとくれば「信長の野望」とか「三国志」に代表される歴史シュミレーションゲームが多いですが、最近のは非常に細かく作りこまれていてリアル志向なゲームが多いものの、昔のバージョンだとシステムも大雑把でとっつきやすかったり、逆手に取った反則的な技もできたりしました。そこで今日は古き良きKOEIのゲームで私がやらかした、もしくは一般的だったプレイを紹介します。

  1、社会主義政策
 これは「三国志3」のような、シムシティ並みに税率を自由に変えることのできるシリーズで使えた技です。具体的にどんな技かというと、兵糧だったり軍資金が自動的に徴収される月(1月と7月)の直前に税率を100%にするだけです。ちなみに一般的なシリーズだと四公六民こと税率は40%でこれより高いと民心は下がり、低いと民心は上がってきます。なもんだから100%にすると民心は下がるのですが、昔のシリーズは大雑把だから税率100%で徴収するだけ徴収し、施しとして兵糧を配って税率を元の40%に戻した方が、民心も高水準を維持した上に最終的に手元に残る兵糧は多かったりしました。一旦すべて吸い上げて再分配するという過程から、社会主義政策という名前が付いたわけです。

  2、落とし穴の恐怖、決死隊

 同じく「三国志3」ですが、このゲームは戦闘開始の前に守備側が落とし穴を掘ることが出来ました。この落とし穴、そんな地味な罠で一体……とか思えたりするのですが地味に強力で、はまったりすると兵士が五千人くらい一気にふっとんだりします。っていうか、五千人も入る落とし穴ってのも突っ込んだらあれだけど。
 真面目にこのゲームでは落とし穴が戦局を大きく左右するところがあり、兵士数に余裕を持って攻め込んでみたものの落とし穴にやられて撤退となることもあったりします。そこで攻め手の対策として考えられたのは「決死隊」こと、百人程度の小部隊を一隊作り、全部隊の先頭を走らせ落とし穴を未然に発見する、っていうか落ちてもらう役割の部隊を作るという作戦です。なんていうかせせこましい作戦でしたが、落とし穴にはまるくらいならと毎回決死隊を用意していたのはいい思い出です。

  3、裏切りの恐怖
 これは比較的に相手武将を寝返らせやすい「信長の野望 天翔記」でやったことですが、普通に戦うのに飽きて戦争を起こす前に相手方の武将すべてにリクルートをかけてみました。その結果、戦争が始まるや否や大将を除く全武将が味方に寝返って、関ヶ原の石田光成もびっくりなくらいな負かせ方をして見せたことがありました。現実にこんなことあったらいやだろうな。

  4、血に染まる大地
 これは私ではなく友人がやらかしたことですが、「信長の野望」で天下統一直前まで持っていったところ、プレイする大名とその親類を除くすべての部下に対して切腹を申し渡したそうです。天下統一直前だとすると切腹対象となった武将は多分百人以上は確実にいるでしょうがその友人曰く、「切腹をする際のザシュッという音が延々と続いた(けどやめなかった)」とのことです。

  5、裏切るはずだったのに……
 三国志では「埋伏」といって、忠誠心の高い部下をわざと相手方に潜り込ませてスパイ活動をさせたり、戦争時に裏切らせたりすることが出来ます。このコマンドを実行している間はその部下を直接使うことが出来ないというデメリットもありますが、確実に裏切ってくれるので非常に使い勝手のいいコマンドです。
 そんな使い勝手のいいコマンドですが、使用対象となるのは上記の理由から「普段直接使う機会がないほど能力が低い武将」に限られてきます。そのため口減らしとばかりに適当な武将を相手方に潜り込ませたのですが、所詮は能力の低い武将であったために戦争になっても相手方の武将として出してもらえず、戦争に勝利した後にほかの文官っぽい武将共々捕縛しました。捕縛した武将は登用するか解放するか処刑するか選べるのですが、「埋伏させた武将って、処刑できるのかな?」とか思ってその武将に処刑を言い渡してみたところ出来ちゃいました。向こうとしては言われるままに相手方に潜り込んだらそのまま処刑されてしまうという不条理この上ない処置だったでしょうに、今思うと悪いことしたなぁって気になります。

2012年5月7日月曜日

多機能の弊害

 大分昔、具体的には2005年に見た掲示板で「文系と理系の違い」というものがありました。この掲示板ではそのタイトルの通りに文系と理系の違いについてあれこれ特徴を挙げられていたのですが、個人的にツボにはまったのは「文系は理系を、文系に使われていると思っている。一方理系は、文系は金に使われていると思っている」という一節でした。
 そんな掲示板を眺めていた私自身は文系でしたが、そもそもなんでこっちに進んだのかというと元々の適正が文系に向いていたこともありますが予備校の講師から、「管理職には慣れないから理系には進むな」と中学生の頃に言われたことも大きな理由となっております。私自身は今でもそうですが人生お金じゃない、管理職に慣れないからといって理系に行くべきじゃないというのはロマンがないとその講師に当時反論を呈したのですが、「そりゃ確かに技術者は能力的にも社会的にも立派だが、日本はそういう人たちを評価するような仕組みじゃない」と言って退けました。今となってはこの講師の発言は自分を慮ってのものでいろいろ尊敬も覚えているのですが、発言内容についてはその後紆余曲折がありました。

 まず私が大学生だった頃、当時はトヨタをはじめとしたメーカーがある意味最盛期だったこともあって、やはり技術者はその働きや貢献に対して社会の評価が低すぎるのではと感じていました。こうした価値観はその後もしばらく続きましたが、何故かこの頃に至っては真逆の考え方、日本はちょっと技術者を大事にし過ぎたのでは、天狗にさせてしまったのではと考え直すようになってきました。
 このように考えるようになったきっかけは地デジ化に合わせて両親が買った新しいテレビからでした。まず何に驚いたのかというとリモコンのボタンがあまりにも多いという点で、初見では時間指定の録画はおろかチャンネル合わせすらおぼつかない有様でした。もちろんマニュアル読めば対応することはできますが、そもそもこれだけいっぱいボタンを付ける必要はあったのか、さらに録画の方法も複数種類あってここまで必要なのかといろんな疑問が出てきました。そりゃ通の人だったら欲しがるかもしれませんが、自分が少数派である可能性は抜け切れないもののもっとシンプルで誰にでも使えるような、携帯で言えばツーカーみたいな代物をどうしてどこも売ろうとしないのかと考え始めたわけです。

 こうした疑問を持っているとやはり類は友を呼ぶというか、関連した掲示板とか情報が目につくようになってきました。まず海外マーケティングで言うと日本製は無駄に多機能で値段が高いが、サムスンなどはその間隙を突くように機能を必要で求められているものに絞って販売した結果、大きな成功をおさめたという話を冗談抜きで真面目にあちこちで聞くようになりました。また日本国内でもイオンが売り出してヒットした、低速だけど安価のデータ通信カードにしても、速くなくてもいいからネットにつなげられないものかと自分もこういう商品を待望していた時期があっただけにさもありなんとヒットを納得していました。

 また話がまどろっこしくなってしまいましたが何が言いたいのかというと、日本の技術者はほぼ全般にわたってなんでもかんでもつけられる機能を全部くっつけてしまおう、機能が多いことはともかくいいんだとするところがあるように感じます。そりゃ多機能であればいざって時に使えていいのかもしれませんが、実際にはほとんど使わない機能があると邪魔なことこの上ないですし、またそんな余計な機能付けるくらいならもうちょっと値段を安くしたり、わかりやすい設定にしてほしいという思いがあります。
 では何故こんな余計な機能満載の商品が日本メーカーから多数出るようになったのでしょうか。あくまで仮説でしか言えませんが一つの原因はやはり日本国内の技術者の価値観とか伝統からではないかと私は思います。こうした話が議論されている掲示板を見たりすると現場でも一部の技術者が機能を限定しようとしているらしいですがどうも上から「多機能を」という天の声が下りているそうです。また中国に来ているメーカーの話を聞いても、現地のマーケティング調査結果を何度伝えても商品開発に繋がらないので、研究開発拠点ごと中国現地に持って来るべきだという声も耳にしたりします。

 日本人は高度経済成長期に、ラジオとカセットプレイヤーを一体化したラジカセなど複数の機能を組み合わせた製品を作ることで成功を収めてきました。これは何度もこのブログ内で言及していますが、成功体験というのは人を容易に誤らせるもので、早めに忘れるに越したことはないでしょう。

2012年5月6日日曜日

チャーチルの時代、ナポレオンの時代

 ちょっと間が空いての執筆再開です。それにしても上海の昼間はこのところ暑くて生きてて辛いです。

 日本だとあまり伝記の類を見ることがありませんが、二次大戦中のイギリス首相として活躍したチャーチルの人生は少なくとも私にとって非常に面白いものです。それこそ二十世紀の人物に限ればマハトマ・ガンディーや水木しげる氏ばりに波乱と名言に満ちた人生で、まだあまり知らない人は今からでも遅くないから上記リンク先のウィキペディアの記事を読むことを強くお勧めします。

 そんな私のお気に入りのチャーチルですが、どうもこの人は英雄譚とか歴史が子供の頃から非常に好きだった関係もあって要所要所でそれらしい、っていうか本人も後世に残す気満々のセリフを自分に酔いながら言っています。もっともそれらのセリフをただのおっさんの独り言で済まさずにきちんと名言として残しているのはさすがというよりほかないのですが、あまりにもそういった名言が多すぎるために中には事実無根のセリフまでチャーチルが言ったことになっているのも少なくありません。
 そのような言ってもない名言の代表例として、「ダービー馬のオーナーになることは、一国の宰相になるより難しい」という競馬狂ならみんな知っててもおかしくないセリフがありますが、確かにイギリス人は競馬が大好きですがこれは今に至るまで出典が明らかになっておらず、最近の報道だとJRAの職員が創作したという証言も出ています。

 そんな作り話は一旦置いといて、実際にチャーチルが発言したとされる名言の中で私の一番のお気に入りは第一次大戦後に述べた下記のセリフです。

「戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。アレキサンダーや、シーザーや、ナポレオンが兵士達と共に危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもう、なくなった。これからの英雄は、安全で静かで、物憂い事務室にいて、書記官達に取り囲まれて座る。一方何千という兵士達が、電話一本で機械の力によって殺され、息の根を止められる。これから先に起こる戦争は、女性や、子供や、一般市民全体を殺すことになるだろう。やがてそれぞれの国には、大規模で、限界のない、一度発動されたら制御不可能となるような破壊のためのシステムを生み出すことになる」

 これほど後の戦争のシステムを言い当てた名言はほかにないと私は考えております。チャーチルの予言通り、二次大戦は戦地の指揮官ではなく安全な本国で全体を指揮する戦争となり、最終的にはミサイルや核爆弾の投下を指示するだけの人間が勝者と扱われるようになりました。一部のSF小説などではこうした戦争のシステムがさらに発展し、ロボットが片方の国を襲って自動的に人間を殺していくという、文字通り人の血も涙もない戦争になるという未来の描き方をしていますが、第一次世界大戦直後にこのような事態を予感していたというのはさすがというよりほかありません。

 と、こうやって散々にチャーチルを誉めておきながらですが、このセリフに感心しつつも現代はナポレオンの時代に回帰しているのではないかという感想をこのところ持っております。もちろん戦争についてはこの前のイラク戦争同様に奥の院で指揮取るのが当たり前で変わりありませんが、少なくとも企業活動の場では総大将の役割が徐々に変わってきているように感じます。
 具体的にどう変わってきているかというと、単純に矢面に立って社員を引っ張り、会社の象徴として動くという役割が重たくなってきているところです。これの悪い例で言えば東電をはじめとしたやらかした企業のトップたちで、失敗に対する責任と謝罪の姿勢を内外に見せなくては昔みたいになぁなぁでごまかすことが出来なくなりました。逆のいい例で言うと自動車メーカーが顕著で、トヨタの豊田章男社長なんか就任早々にアメリカ議会に叩かれまくったこともあって妙にかばってあげたくなるような親近感を覚えますし、実際にトヨタ社内も必死で担ごうという意識が高まっていると聞きます。またスズキの鈴木修会長も、内心、まだ生きてるのかよと思うくらいのしぶとさですが、ランエボが世界最速と疑わないカー雑誌の「ベストカー」が選ぶ経営者ランキングでも堂々のトップである上に、記者会見に自らよく出て記者相手に二の句を継げさせない言い回しをするなど最近評価を高めています。つってもゴルフ場にクジャク放つのはどうかと思うけど。

 トップがこうして前面に出てこざるを得なくなっているのは言うまでもなくIT化によるものです。最近なんかはツイッターでの発言が株価に影響を与えかねないところまで来ていますし、以前は業界関係者だけが耳にする言葉もパッと一般消費者まで伝わってきます。こんな時代ゆえに、現代のナポレオンは政治家を含めていつ現れるのかと思う次第です。

2012年5月1日火曜日

英仏百年戦争まとめ 後編

 昨日の記事に続き、英仏百年戦争をさらりと解説します。詳細にやってたらいつ終わるともしれないし。

 昨日は一時は優勢だったイギリス軍が逆襲を食らってフランスから追い出され、一旦は休戦となったところまで解説しました。ただ休戦とはなったもののフランス本国では貴族たちが互いの勢力争いに明け暮れ、ブルゴーニュ派とアルマニャック派(=オルレアン派)の二大勢力が対立するようになります。こうしたフランス側の混乱を見逃さなかったのは当時のイギリス国王、ヘンリー5世で、適当な名目を立ててフランスに上陸すると主流派になりつつあったアルマニャック派を撃破し、フランス領土の侵略を開始します。
 このヘンリー5世の侵略にさすがのフランス側もあせり、ブルゴーニュ派の首魁であるジャン1世と、アルマニャック派からは当時は王太子であった後のシャルル7世が連合を模索して会見を取り持ったのですが、何故かここでジャン1世がアルマニャック派に暗殺されて余計に仲が悪くなるという無残な結果となりました。

 いきなり父親を殺されたジャン1世の息子のフィリップ3世はそのままブルゴーニュ派の代表となり、当然と言えば当然ですがイギリス側と手を組みます。ちょっと説明が遅れましたが当時のイギリスとフランスはお互いに国という概念を持っておらず、当時の貴族たちからすれば自己の保身を鑑みて強い方につけばいいという感覚しかなかったと思います。イメージ的には日本の戦国時代における領主たちみたいなもんでしょうね。

 話は戻りますが、ブルゴーニュ派と連携したイギリス軍はこれでフランスは取ったも同然な状態だったのですが、なんとここに至ってまたヘンリー5世が急死してしまいます。なんかこの百年戦争を通して休止する人間がやたら多いのが気になりますが、彼の急死によってイギリス王の地位はわずか生後9カ月のヘンリー6世が継ぐこととなり、アルマニャック派というかシャルル7世に逆転のチャンスを与えることとなってしまいます。
 ただヘンリー6世が即位した当時に、シャルル7世の父親であるシャルル6世も逝去していますが、フランス領土をほとんど取られていたシャルル7世は即位式を上げられず田舎の大将よろしく中途半端な地位で宙ぶらりんしてました。しかも母親であるイザボー・ド・バヴィエールが、「シャルル7世は実は不倫相手との子供だ」と言い出して、身内からも正当性が疑われる始末でした。ほんとのところはどうだか知らないけど。

 こんな具合でかなり絶体絶命の状態だったシャルル7世の前に突然現れたのが、何を隠そうジャンヌ・ダルクです。通説によると、「あんたが王様になんないと駄目なのよ。あたしがランスに連れてってあげる(#゚Д゚)ドルァ!!」っていうノリで軍隊率いると、包囲されて陥落寸前だったオルレアンをあっさり解放した上に、敵軍のど真ん中を突っ切るような進軍ルートでランスまでたどり着いてしまいます。
 無事にランスに着いたシャルル7世は念願の戴冠式を行ってフランス国王として正式に即位しますが、この後ジャンヌや後に元帥として活躍するリッシュモンらタカ派勢力とは距離を置き始めます。

 ジャンヌのその後については語るまでもないですが、敗戦した際にブルゴーニュ派に捕えられ、イギリス軍に引き渡され火刑となります。この間にシャルル7世は身代金を出さずしてジャンヌを見殺しにしてますが、一応はブルゴーニュ派に、「ひどいことをしたら捕虜に同じ処置を科す」と脅してはおります。このジャンヌ見殺しの経緯から講談ではシャルル7世はほぼ100%暗愚な人物として描かれますが、実際の彼は一旦は遠ざけたリッシュモンを再び登用し、ブルゴーニュ派との和睦も成功させ、フランス領土内からイギリス軍を駆逐することに成功します。さらに戦争で荒廃した国内の復興事業を広げるなど、事績で見れば間違いなく名君と言っていい人物です。
 最終的に百年戦争は、ジャンヌの火刑から23年後の1453年のフランス軍によるボルドー攻略成功によって終結します。この結果、イギリスはカレーを除き大陸の領土をすべて失い、戦争開始前の領土線に近い形で終わります。

 この百年戦争全体を通して言えることですが、まず第一に英仏両国ともに一貫した外交政策や対応が取れなかったことが長期化の原因でしょう。もっとも当時は絶対王政が確立されていないばかりか貴族の力も比較的強く、国王の死によって政策方針がひっくり変わることもあながち自然なところがあります。
 あとジャンヌ・ダルクについていえば、変な話ですが仮に火刑に遭わなければ今ほど有名にはなっていなかったでしょう。これはイエスの磔にも言えることですが、悲劇的な末路がかえって伝説せしめたところがあり、普通に戦争中に敗死していれば「こんな人もいたよ」で済まされていたかもしれません。更に付け加えると、彼女が有名になったのはナポレオンがプロパガンダとしてフランスの救世主だと大きく取り扱ったことが発端とされています。なかなかアイデアマンな処置ですが、なんていうかこの二人は馬が合うような、自分からして同じにおいを感じる人物たちです。