2014年1月30日木曜日

「極黒のブリュンヒルデ」のアニメ化について



 また趣味の話で申し訳ないのですが、私が以前から熱読している「極黒(ごっこく)のブリュンヒルデ」という漫画が四月からアニメ化するそうです。以前にも紹介した「シドニアの騎士」といい、なんか今年の四月は面白そうなアニメが一気に放映されるなぁ。

 ちょうどいい機会なのでこの「極黒のブリュンヒルデ」という漫画、というより作者の岡本倫氏について自分の所感を述べると、漫画家など芸術家には変わり者が多いとよく言われますが、実存する人物に対して非常に失礼極まりないことを言うと、本当の意味で頭がおかしい人っていうのはきっとこの人なんだろうなどと前から思っています。
 岡本氏の代表作となるとデビュー作でもある「エルフェンリート」という漫画で、この漫画はかわいらしい女の子の絵柄が表紙であるため一見すると萌えマンガにしか見えませんが、その内容は下手なスプラッター映画よりも激しい残虐描写に満ち溢れていて、連載中は「萌えマンガの皮を被ったトラウマ本」とまで言われたほどです。そういう特殊な嗜好性が海外だと妙に受けるというかこの漫画は主にアメリカで大ヒットしており、岡本氏も「シドニアの騎士」の弐瓶勉氏同様に日本国内よりも海外の方が評価が高い珍しい漫画家です。

 話は「ブリュンヒルデ」に戻りますが、岡本氏はこの作品の前に「ノノノノ」という今でこそ旬の女子(男装)のスキージャンプ漫画を描いていてこれもまた非常に面白かったのですが敢え無く打ち切りに遭ってしまいました。その際にどうも知り合いに岡本氏は、「お前が求められているのはエルフェンリートの様な漫画だ」と言われたそうで、原点回帰とばかりにこの「ブリュンヒルデ」を書き始めたと述べています。
 原点回帰というだけあって、「萌えマンガの皮を被った究極のスプラッター」は見事なまでに復活しています。冗談抜きでそういう描写が苦手な人にはこの漫画は一切薦められないのですが、具体的にどれくらいスプラッターなのかというと大体単行本一冊当たりにつき上半身と下半身が分断される人間が一人や二人出てきます。冗談かと思われますがこれはマジです。

 ではストーリーはどうかというと、簡単にあらすじを述べると高校男子である主人公のクラスにある日、幼い時に死んだ幼馴染によく似た女の子が転校してくるのですが、その子は自分は魔女であり超常現象じみた能力を用いることが出来ると話して実際にその力を主人公の目の前で見せます。これだけならよくある展開ですがこの辺はさすが岡本氏というべきか、ヒロインら魔女は鎮死剤という薬を一日一回飲まないと全身から血が噴き出しバラバラになって死ぬという、どうしてそう平然と残酷な設定を用いてくるのか理解の範疇を軽く越えてきます。こうした設定に限らなくても以前から岡本氏は普通の人間じゃ有り得ないとしか思えない展開を平然と打ち出してくることが多く、この「ブリュンヒルデ」でも「あれっ?」て思ったら重要そうな登場人物がさくっと死ぬことが多いです。

 この辺が岡本氏が異常だなぁと一番に思う点なのですが、自分がこの人の漫画を読んでいてよく感じるのは残虐描写に対して全く呵責なく描かれているように見えます。言ってしまえば「エルフェンリート」や「ブリュンヒルデ」などよりも残虐な漫画は世の中いくらでもあります。しかしそれらの漫画と岡本氏の漫画で決定的に違うのは、どの漫画も残虐なシーンをなるべく際立たせるように、読者にショックを与えるように何かしら作者の意図が込められて描かれているのに対し、岡本氏は「よくあるシーン」のような具合で1コマにポンとそういうシーンを何気なく投入してきます。言いづらいのですが敢えて表現すると、そういうシーンを載せるのにためらいがないというかなんとも思っていないとしか思えない展開が多く、同様に漫画の中の登場人物に対して生かそうが殺そうがどうでもいいような、まるで感情がなく淡々とストーリーを展開している風によく感じます。もっとも主要キャラは何があっても死なないというところがあるだけまだ人間味が感じられますが……。

 さっきから岡本氏のことを一体なんだと思っているのかと言わんばかりの評論を書いておりますが、これは言い方の問題であって私自身は岡本氏を当代でも稀有な漫画家だと考えており、弐瓶勉氏と並んで最大限に高く評価しております。ただその才能は漫画というよりはストーリー原作者としての方が高く、いくつか原作のみ参加した漫画もありますがそのどれもが「岡本倫節」というような、見ていてゾッとするようなセリフと展開のオンパレードでした。
 なおデビュー作の「エルフェンリート」はストーリーはいいが絵に難があるとよく言われていましたが、現在においてはややキャラクターの描き分けが上手でないものの昔と比べたら劇的に向上しており、運が良ければ「ブリュンヒルデ」は「エルフェンリート」より売れるんじゃないかとみています。本音を言えばその前の「ノノノノ」が売れてアニメ化もしてほしかったのですが。

2014年1月29日水曜日

東京都知事選の得票順位予想

 昨日はまた更新をさぼりましたが、「企業居点」の作業を優先しただけであって書くネタがなかったわけじゃありません。それよりもこのところは書かなきゃならないネタが多すぎて書ききれない状況が続いており、次の土日にでも一気に放出しようかなぁ。つっても、このところ企業居点の作業と日々の勤務で左手を固定した状態で使うことが多すぎるせいか、朝起きるとリアルに左手だけ神経痛を覚えるから無理しない方がいいんだけど。

 話は本題に入りますが、選挙戦が繰り広げられている次回東京都知事選で得票順位の予想が出来たので、余計なことをガタガタ言わず早速主要四候補に対する私の予想順位を披露します。

1位 舛添氏
2位 細川
位 田母神氏
位 宇都宮

 結論から述べると舛添氏が当選すると見てほぼ間違いないでしょう。根拠としては主要候補の中で舛添氏が厚生大臣時代など豊富な施政経験を持つことに加え政策論が無難というかオリンピック対応など過不足なく揃っているからです。逆に言うなら、ほかの候補者は強みという部分以上に弱みというか問題点が多すぎるからです。

 一人一人特徴を述べていくとまず細川氏については応援に小泉氏が就いたことからどうなるものかと少し慎重になりましたが、先週に開かれた記者会見を見て悪い意味でこの人は変わってないことに気が付きホッとしました。前の記事にも述べましたが細川氏は敢えて言うなら劣化ルーピーこと鳩山由紀夫元総理と下位互換バージョンに近く、具体的な手段なく理想論ばかり主張する傾向にあるため幅広い……と言わなくても一定の支持も得られないのではないかと私は見ます。
 仮に鳩山元総理の出現前ならまだしも、一度あれを見ている日本人からすると同じような臭いのする人物にはさすがに警戒が強くなるでしょう。とはいえ知名度は依然と高く、メディアも「舛添VS細川」という筋立てで報じることが多いためなんとなく二位に来ちゃうんじゃないかというのが結論です。

 続いて三位の田母神氏ですが、右派系の団体からの支持が厚いことと理念はともかくとして主張する政策内容は細川氏、宇都宮氏に対してまだ無難であることから三位予想となりました。当初は細川氏を抜いて二位になるかなとも考えたのですが、やはり知名度の差は覆りづらいことと先程にも述べたようにマスコミが対立構造を煽っているので抜けきらないところに落ち着きました。

 最後に宇都宮氏ですが、非常にきわどいことを書くとこの方は年を取ってから変な権力欲に目覚めちゃったのかなと失望する気持ちでいっぱいです。宇都宮氏は宮部みゆき氏の小説「火車」に出てくる多重債権者救済を専門とする弁護士のモデルとなるなど、この方面においては右に出るものがないほど悪戦苦闘してきた人物だと聞いておりました。しかし前回の都知事選にも出馬しておりますが話を聞いていても「この人じゃなければならない」と思わせるような独自性の強い政策案は全くと言っていいほどありません。むしろほかの候補と主張する内容が被っていることが多く、だったら別の人に任せればいいのではという気分にもさせられるくらいです。
 では何故宇都宮氏は都知事になろうと出馬するのか、はっきり言えば彼の権力欲から来る道楽行為にしか私には見えません。権力欲から来る行為を否定するつもりは全く有りませんが、宇都宮市の場合は明らかに晩節を汚すような選挙の仕方で、なおかつ支持層に共産党を囲っているあたり、共産党には失礼だけれども負けること前提でやっているようにも見えます。こういうあたりを有権者はちゃんと見抜くのではないかと思い、主要候補で最低順位になると私も予想したわけです。

 最後に主要候補全体を見て思うことですが、どうして年寄りばかりこう出馬するのかなという風にげんなりさせられます。都知事であれば私としては40代くらいの人がやるのがいい塩梅じゃないかと思うのですが日本だと政治キャリアが積み辛いこともあり、70を越えた爺さんがこうして選挙に出ているのを見るとつくづくもったいない気がしてなりません。
 もっとも維新の会が公募した大阪市内の区長がことごとく問題起こして辞職しているのを見ると、若いからっていいわけでもないなと私ですら感じてきます。まぁこれは年齢以前に維新の会における審査基準に問題があったからかもしれませんが。

2014年1月27日月曜日

八甲田山の悪夢

 このブログを日常的に呼んでいる人なら周知の事実ですが私は極端に寒さに強く、記憶する限り過去四年間で一度もダウンジャケットに袖を通したことがありません。それどころかコートもこの前正装しなきゃいけない時に一回着ましたがそれ以外だとほぼ皆無で、出勤時はパーカー一枚、オフの日はGジャン一枚で元気に走り回ってます。北京でも冗談抜きでGジャン一枚だったし。
 ただそんな自分でも昨日今日の寒さは非常に堪え、直前に気温が上がった反動もあるでしょうが珍しいことに参ってます。個人的な印象ですが寒くなる前に全国各地で雨が降ったことから湿気が増したことから心なしか風が重たく、乾燥している時期に比べて冷たいように思えます。北京なんか空気乾燥しているから気温は氷点下マイナス十度でも日によっては東京より寒くないし。

 このように寒い時期が続くとついつい「寒くてつらいなぁ」などと独り言も出てくるのですがその際に、八甲田山に比べれば」という言葉が同時に浮かんできます。ある程度年齢の高い世代なら何のことか言うまでもないでしょうが私より下の世代は何のことかちんぷんかんぷんでしょうし、今日はひとつ気合入れて日本の冬山遭難史上で最大最悪の事件である八甲田山の雪中行軍遭難事件を紹介しようと思います。

八甲田雪中行軍遭難事件(Wikipedia)

 この事件が起きたのは明治時代、日露戦争を控えた1902年で、結果から話すと遭難した陸軍兵士210人中で生き残って救助されたのはわずか11人(うち6人は救出後すぐ死亡)。生存率はわずか5.2%という凄惨な遭難事件となりました。

 事件の経緯を話すと、当時の日本陸軍内部ではロシアとの戦争が間近であるとの観測から戦場となる寒冷地での訓練の必要性が高まっており、各地で戦術研究を兼ねた訓練が実施されておりました。そうした訓練の一環として、事件の舞台となった八甲田山で冬山での行軍や輸送訓練を計画されたわけです。
 この訓練には青森歩兵第5連隊(210人)と弘前歩兵第31連隊(37人)の二部隊が参加することとなり、このうち遭難することとなったのは青森歩兵第5連隊です。両部隊はそれぞれ別ルートから冬の八甲田山に入って目的とする駐屯地への移動を計画したのですが、映画や小説などと事実は異なり両部隊とも計画や日程の擦り合わせなどは行っておらず、お互いの部隊の存在すら知らなかったそうです。

 話は遭難した青森歩兵第5連隊を中心に進めます。こちらの部隊ではそれ以前からも寒冷地訓練は幾度か行っていたものの本格的な冬山登山の経験はほとんどなく、また以前から訓練を実施してきた指揮官が休養のため離れ、代わりにほとんど経験のなかった神成文吉大尉が訓練中の部隊を率いることとなりました。

 このように訓練前から非常に危なっかしい出だしと言わざるを得なかったのですが、これに拍車をかけたのは天候の急変です。実際の訓練開始前、登山ルートの確認のために数名が登山を行ったのですがこの時の天気は晴天で、特に大きな問題もなく移動を完了したことから部隊間では行軍訓練に対して初めから楽観視されていたと言われます。そうした見方は装備からも見て取れて、大半の兵士は毛糸の外套を着るほかは特別な防寒装備もなく、手袋に関しても軍手程度だったそうです。靴に至っては当時としては珍しいゴム靴などただ一人を除いて持っておらず、革製の軍靴で冬山登山に臨むくらいでした。
 このような無謀と言ってもいい装備で臨んだ訓練当日は猛烈な寒気が周辺地域を多い、地域住民も訓練に臨もうとする部隊に対して決して山に入ってはならないと警告したそうです。それもそのはずというかウィキペディアによるとその日は日本各地で観測史上最低気温を記録するという、歴史上かつてないほど寒い日で、一説によると気温はマイナス20度、吹雪による体感温度はマイナス50度にまで達していたと言われています。このような気候にもかかわらず部隊は当初の計画通りに山へと入り、悪夢のような遭難へと突き進むこととなります。

 遭難一日目。部隊は山に入るや深い雪によってすぐに行軍が困難となり、そりでの移動が難しいと判断したことから食料や燃料といった物資を各兵士がそれぞれ手に持ち移動を始めます。しかし猛吹雪からすぐに前後不覚に陥り、帰路すらままならないことから当日は雪濠こと雪の中に穴を掘って露営することとなりました。
 遭難二日目。部隊の指揮官らはあまりの天候の悪さから訓練を中止してやってきた道を引き返すことを決断したものの、ここが運命の分かれ道となってしまうのですが夜中の二時から行軍を開始してしまいます。何故こんな時間に動き出したのかというと既に凍傷などで動けなくなる兵士が続出しており、急いで山を下り治療を受けさせなければと焦りがあったためだと言われていますが、結果的にまだ日も明けきらぬ暗い時間に動き出したことによって完全に道に迷ってしまい、出口のない遭難へと突き進むこととなってしまったわけです。

 この二日目の迷走について詳細は省きますが、道がわからない中で真偽の取れない情報が錯綜し、不眠不休で絶食していたことからこの日から凍死する兵士も現れて部隊の統制すらままならない状況となったそうです。結局右に左に無為に動いて体力を消耗しただけで最初の露営地からほとんど移動できず、この日も再び露営することとなります。三日目の朝までに部隊の三分の一に当たる約70人が行方不明、または凍死しており、想像するにつけ恐ろしい状況と言わざるを得ません。

 そうして明けた三日目。この日も天候は回復しなかったものの帰路を探して生き残った兵士らは行軍を開始しましたが、途中で断崖に突き当たったところで指揮官の神成大尉が、「天は我々を見放した」と述べた上で、生き残っている兵士らにここで部隊を解散するので各自で帰路を探しだすようにと伝えるに至ります。この解散命令によってそれまで保っていた兵士たちの緊張感というか意識が切れてしまい、生き残った方の証言によると突然裸になって凍死するものや崖下や川に飛び込むなど発狂する人間が一斉に現れたとのことです。
 このあと部隊は神成大尉、またはゴム靴をたまたま持ってきて履いていた倉石大尉らなど主だった指揮官のグループごとに分かれて帰路を目指したのですが、このうち神成大尉のグループにいた後藤伍長が遭難から五日目、いつまでたっても中継地に現れない部隊を心配して出されていた捜索隊に見つかったことによって遭難していたことがようやくわかります。なお後藤伍長は発見された際、雪の中で直立したまま何事かを一人でしゃべっていたほど意識があいまいだったそうですが、救助の甲斐あってこの遭難における生存者の一人となっております。

 後藤伍長の発見後、正式に救助隊が組まれて生存者の救出へ軍や地域住民は動くわけですが、天候は依然として悪いままで救助隊の中でも凍傷になる人間が後を絶たず二次被害が深刻だったそうです。また息のある生存者を見つけても皮膚すら凍っている有様で、治療のために注射しようとしたら針が折れたとの信じられないような話すらあります。そして山の中に置き去りにされた遺体はほぼ例外なく凍っており、無理にでも雪から引き出そうとしたら関節から文字通りポキリと折れることもあり、慎重に周囲の雪を掘りすすめていかなければならないために作業は難航したそうです。
 またこれは遭難中のエピソードですが、みな意識の限界ともいうべき境地にあってふとしたことをきっかけに発狂することが後を絶たなかったそうです。そのためあるグループでは奇声が挙がったらラッパ係にラッパを吹かせてその音によって意識を保っていたものの、極寒の環境からそのラッパ係の唇がラッパに張り付き、そのままはがれてしまったという話も聞きます。

 どれもこれも人の想像力を超えるほどの状況というべきか、この遭難事件は絶望的な状況というよりほかなく、これより何を以って表現すればいいのかわからないほど恐ろしい事件だったと言わざるを得ません。最終的に救出された生存者は最初に述べた通りに11人で、救出後すぐに亡くなった6人を除くとわずか5人しか八甲田山から生きて出ることが叶いませんでした。部隊を指揮した神成大尉は発見時は息があったものの山の中ですぐに亡くなりますが、もう一人のグループを率いた倉石大尉は崖穴の中に避難しながら移動していたところを遭難九日目に救助され、無事に生還を果たしております。
 なお生存者はみな凍傷によってほぼ全員が四肢のいずれか、または全部を切断することとなるのですが、不思議というか奇妙というか、この倉石大尉のみが五体満足な状態で救助されてその後軍隊に復帰しております。倉石大尉は士官であったことから兵卒に比べて装備が充実していたことと、たまたま私物としてゴム靴を持って履いていたことなどが大きかったとも言われていますが、それ以上にこの人自身の体力が図抜けていたことが大きいのではないかと私は見ております。
 しかし人の運命というものはわからないもので、この倉石大尉はこの遭難から三年後、日露戦争中の戦闘で戦死することとなります。それこそ、天は何故彼を二度も死地へと誘ったのかと、いたためれない気持ちにさせられます。

 この遭難事件は作家の新田次郎によって小説にされ、それが高倉健氏の主演で映画化されたのが「八甲田山」です。この映画は多いに当たったことから当時の世代に幅広く事件が知れ渡ったものの、逆にこの映画を見ていない自分くらいの世代は事件そのものもあまり知らないのではないかと思い、ちょっと書いてみる気になりました。
 最後にちょっとした豆知識ですが、この映画で神成大尉をモデルにしたキャラを演じたのは役者の北大路欣也氏で、先程の「天は我々を見放した」という彼のセリフは当時の流行語となったそうです。そんなエピソードをCMプランナーはしっかり把握していたということか、例のソフトバンクのテレビコマーシャルで北大路氏が声優をしている白い犬のお父さんが何故か冬山に昇る回があり、その時のBGMになんと先程の映画「八甲田山」のBGMが使われたそうです。こんなマニアックなつながりなんて誰もわからんだろうにと思いつつも、きちんと実行してくる辺りは感服させられます。

2014年1月26日日曜日

深夜の決闘

 それは真冬のある夜、っていうか先週金曜の晩に起きた出来事でした。その日の夜、私はいつも通りブログを書き終えると布団に入って就寝へと入りましたが、時間にして恐らく夜中三時くらい、外から漏れ伝わる聞き慣れない音に目を覚ましました。

「アーオン、アーオン」
「ウーワオー」

 一体何なのだこの音はと寝ぼけた状態で神経を集中してみたところ、どうやら家の前で野良猫二匹が互いに威嚇し合っている声だということがわかりました。何でもってこんな夜中にと思いますが元々猫は夜行性なのだし、このくらいの時間にケンカと化するのかと思っていると、

「フギャッ、フギギギル、フォッ!」

 とばかりに、威嚇し合う段階からリアルファイトに発展したのか、互いに争う激しい鳴き声が続いて聞こえてきました。先程家の前と書きましたが私が今借りている部屋は一階にあり、窓をガラガラって開くとすぐに軒先へと出られるのですが、どうやらその軒先でケンカしているようですごくはっきりと鳴き声が聞こえてきました。正直に言って、はっきり目が覚めるくらいの大きな泣き声でした。

 とはいえそんな長々とケンカはしていないだろうと思ってそのまま布団に入ったまままた寝ようとしたのですが、何故か知らないけどやけに長期戦となり、体感時間にして約30分くらい二匹は争い合っていました。無論その間、こっちは全く眠れません。
 終いには「ガツンッ」っていう金属音まで聞こえてきたので、恐らく軒先に置いてある私の洗濯機にどっちかが体当たりをかましてたのだと思います。にしてもあんまり長く続くもんだから、たまたま冷凍庫に入っていたササミの切り身をレンジでチンしていい加減仲裁に行こうかなと思うくらいの長期戦でした。

 結局、普段から平日の睡眠時間は約5時間と極端に短いのですが、この日の晩は4時間弱とまた極端に短く終わって次の日はずっとぼーっとした状態で集中力を切らしながら過ごしました。ただうがった見方をすると、実は家の近くで野良猫が根城にしている元家具屋のビルが十年くらいの放置を経てようやく取り壊し工事が始まってきたこともあり、近隣で新たな縄張り争いが始まっているのかもしれません。こんな寒い真冬に根城を失い領土争いに出ざるを得ない野良猫を思うと猫の一生も大変だとつくづく感じ、人の一生が辛いだのなんだのそういう事は考えるべきじゃないなと最後に思った次第です。

2014年1月24日金曜日

3/16実施のHSK試験受験料割引のご案内

 私も何度か受験したことがある中国語の資格試験、HSK(漢語水平考試)で、受験料の割引を伴う受験者募集の告知依頼を受けたので、この場を使い簡単なご案内をさせていただきます。

 今回この募集を行っているのは日中間で学生交流などを行っている「日中学生会議」という学生団体で、次回3/16に実施されるHSK試験の受験をこの団体を通して1/25の23:59までに申し込むことによって、各級で10%の受験料の割引が受けられます。通常料金での申込期限は2/16までですが、割引が受けられる今回の募集は上記の通り1/25までと日程がタイトなので、迷っておられる方は早めに決断し、腹をくくって受験に臨みましょう。

  ~応募方法~
jcsc33rd@gmail.com題名に「HSK受験」、本文にお名前をご記入の上ご連絡下さい。返信にて詳細と申込フォームをお送り致します。

  ~申込期限~
1/25 23:59まで

  ~各級の受験料と割引額~
(通常申込みでの受験料→割引での受験料)
6級:8500円→7650円
5級:7500円→6750円
4級:6000円→5400円
3級:5000円→4500円
2級:4500円→4050円
1級:3500円→3150円

 最後に業務連絡ですが、明日より関西へ遠征に出かけるのでブログの更新をお休みします。余裕があればなんかの端末使って更新しますが、多分月曜まで更新はないと思いますのでご了解ください。

2014年1月22日水曜日

中国の新聞に載った日本のスポーツ漫画評論

 今日くらいは記事更新をさぼろうかなと思っていましたが、ちょっと紹介したい中国の記事があったので書くことにします。

日本のコミック・スポーツの相関性(人民日報日本語版)

 前は中国語のニュースサイトを見ていたのですがこのところ忙しく(パズドラで)て人民日報の日本語版に頼りっぱなしなのですが、今日出てたこの記事はいろんな意味で笑かされました。書かれている内容は日本のスポーツ漫画についてで、多種多様なジャンルで描かれているだけでなくどれも綿密な取材やプロ選手の観衆を受けていて完成度が高いと指摘し、これらのスポーツ漫画の中には各時代の少年少女に強い影響を与えてそのスポーツジャンルの興隆に一役を買っているなどと随分と持ち上げてくれています。

 書いていることは決して的外れではなくおかしくはないのですが、なんというべきか各スポーツジャンルで代表的な漫画タイトルが数多く載せられており、しかもそのどれもがやや古いというのが気になりました。たとえば引用すると、

『バスケットボールでは、「スラムダンク」のみならず、松田尚正の「HI5!」、藤井五成の「DRAGON JAM」、井上雄彦の「BUZZER BEATER」などが根強いファンに影響を与えた。』

 「スラムダンク」はわかるんだけど、ほかのタイトルはそれほどメジャーだったのかなというとちょっと疑問符つきます。ファンの方には申し訳ないけど「HI5!」と「DARGON JAM」はそもそもタイトルすら知りませんでした。っていうかバスケ漫画だったらこれも古いけど「DEAR BOYS」とか、今だったら「黒子のバスケ」を挙げるべきじゃないかな。
 ほかにもテニス漫画として挙げられているものだと、

『小島一将の「青空スタンバイ」、許斐剛の「テニスの王子様」、高橋陽一が描いた「翔の伝説」などのテニスコミックがつづく。』

 「テニスの王子様」はともかくとして、ほかの二つのタイトルは果たしていかがなものか。特に高橋陽一氏の「翔の伝説」はタイトルだけは知っているけど売れなくて「キャプテン翼」に回帰したっていうのに。
 これら以外にも格闘漫画として「拳児」とか「B・B」が出てきて、一読した私の感想というと、「この記事書いた奴絶対おっさんだろ!」というのが本音です。まぁここだけの話、石渡治氏の「B・B」は私も大好きでこの記事書いたおっさんは私と同じく「10cmの爆弾」を知っているとみて間違いないでしょう。

 なお記事では最後に中国ではこういったスポーツ漫画はほとんど存在しておらず、青少年への教育的意義を考えるとあまりいい状況ではないとして日本のスポーツ漫画、アニメを見習うべきみたいな感じでまとめられています。書いた奴はおっさんに間違いないとコナンばりの推理を披露した後で言うのもなんですが、確かにこういったスポーツ漫画は教育的価値は高く、またスポーツ振興において無視できない影響力があるため「中国にも!」という意見は非常にいい指摘のように思えます。

 記事中でも最初に触れられていますが、仮に「キャプテン翼」がなければ日本サッカーは今より十年くらい遅れていたかもしれません。中田英寿元選手くらいの世代などはまさにこの「キャプテン翼」を読んでサッカーを始めた人が多い世代で、この世代がオリンピックやWカップで活躍したことによってアジア屈指のサッカー国に日本はなれたのではないかとかねてから考えています。

 なんで「翔の伝説」をディスっておきながらこう「キャプテン翼」を持ち上げるのかというと、実は自分も今から約十年前に似たような記事というかコラムを書いているからです。当時の自分は高校生でしたが図書委員であまりにも活動してないからたまには仕事してやるかっていう妙な上から目線で図書館の司書に自ら直訴し、書評コラムを不定期に書いて全校に配布してました。そんなコラムの中に、「たまには教師とケンカしてみよう」などとこれまた妙なノリで確か「漫画は読書かこれ如何に」っていうタイトルで漫画を読むことは読書となるのかどうかというテーマで一本記事書いて、中学・高校(一貫校だった)の生徒全員にプリント一枚分のコラムを流したわけでした。

 そのコラムでは漫画を大量に読んでいる層は案外活字の本も読んでいる人が身の回りに多いと体験談を述べて、何も読まないよりかは漫画でも読んだ方がいいんじゃないかと書いた上で実際の活動につながる例として「キャプテン翼」を持ち出し、当時Wカップがやっていたので日本代表もこれ読んで始めた人が多いって感じでまとめてました。今思うと、こんなくだらないコラム書くくらいなら文化大革命について持論でも展開しとけばよかったかななどという気持ちがあります。

 最後にこうした自分のコラム執筆でしたが、結局一代で終わったというかその後には誰も続きませんでした。一応後継者を育てようと図書委員会内で書きたいと思う奴はいないのかと募った上で、もしやる気がある奴がいれば自分が文章の書き方を指導すると伝えたのですが誰も来ず、いろいろ支援してくれた司書の先生にちょっと申し訳なかった気持ちが今でも残ってます。
 ただ今も変わらず上から目線で述べると、ほかならぬ自分から文章指導をタダで受けられるチャンスがあったのにそれをみすみす見逃すなんて勿体ないことしやがってという風にも考えてます。それこそ原稿用紙100枚くらいを一瞬で書ける人間なんてそんなにいないんだから、もし見つけたら中学・高校生、何だったら大学生くらいならすぐに教えを請いた方が絶対得でしょう。っていうか、そういう存在が自分の中学時代に欲しかった……。

2014年1月21日火曜日

大河ドラマで見たい悪い奴ら

 年初から放送が始まったNHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」を一応見ていますが、今のところは大きな展開もないためまだ評価はし切れないなとやや我慢するような感じです。それでも前の「八重の桜」よりかは脚本面でまだマシだと思えるので今後も見続けてみます。
 それで今回の主役である官兵衛こと黒田官兵衛ですが、各種の評論で「ややマイナーな人物なので視聴率が不安」等と書かれているのをよく見るのですが、「えっ、黒田官兵衛がマイナーなの!?」とこれら評論を読んで逆に私は驚きました。でも確かに歴史マニアで知らなかったらお話にならない人物ですが一般的にはそれほど知られていないし、今回の放送をきっかけにもっと知名度上がって黒田節とかも流行ればいいなとか内心思っています。

 しかしこういう大河ドラマの人選ですがメジャーどころはもう既に一度や二度は製作されているし、かといってマイナーすぎると返って人気が出なくなる恐れがあります。以前にもこのブログでこういう人物を取り上げてみたらどうだろうかという記事を書いてみましたが、今日ふと仕事中に「むしろ悪い奴らを取り上げてみたら面白くね( ゚∀゚)」なんて思いついたので、大河ドラマにしたら面白そうな悪い連中を今日はいくつか紹介しみます。

1、松永久秀
 知ってる人には説明の必要もないでしょうが、日本史上で悪い奴ナンバーワンと言ったら文句なしにこの松永久秀が確実に候補に挙がってくるでしょう。どんな悪いことをしたのかってそれこそ数えていたらきりがないのですが代表的なのだと東大寺大仏殿を燃やしたり、主家を乗っ取ったり、家中で暗殺しまわったり、農民をいじめたり、信長を裏切ったり(二回も)と、やれるだけのことをやったというよりやるだけやってしまったような悪い奴です
 しかし悪いことをしておきながらも戦争指揮はピカイチだし、当時の茶人としてはほぼ最高級の評価を得ているというのがミスマッチというか彼の不思議な魅力につながっています。しかも最後は茶釜に火薬しこんで自爆するというハリウッド映画さながらの幕切れだし、大河ドラマにしたらすごい面白くなる気がします。社会的影響はこの際無視しないといけないが。

2、宇喜多直家
 上述の松永久秀、斎藤道三と並んで戦国三大梟雄の一人である宇喜多直家ですが、この人に関してはガチで理性を持った精神異常だったんじゃないかと密かに考えています。どういう事をやったのか順を追って説明すると、自分の祖父が同僚である島村盛実に暗殺されたため父とともに放浪後、島村盛実と同じ主君に仕えてその主君にあることないこと吹きこみ島村盛実を謀反の疑いで始末させたことを皮切りに、家中でライバルとなる同僚を片っ端から暗殺してぐんぐん出世していった後に主君を裏切って独立、そして状況が悪くなるや一旦和睦した後でまた裏切るという鬼のような所業をなしています。
 実の弟からも「私の兄はサイコパス」みたいな証言されてますが自分の娘婿とかも出世のためには平気で暗殺しているだけに、弟君も気が気じゃなかったのでしょう。敢えて凝った言い方するとちょっと精神に異常をきたした人が変に才能を持っていると手に負えなくなる好例なので、これで大河ドラマをやったら火曜サスペンスもさながらの急展開の連続になるだろうな。

3、梶原景時
 リンクを貼るためウィキペディアのページを開いたらいきなり『「大悪人」と古くから評せられている』と表示され思わずニヤリ。彼の悪行はほぼすべて「チクリ」に集約されるのですが、このチクリよって謀反の疑いをかけられたのは源義経を筆頭に数知れず、ジャイアンにおけるスネ夫の様な活躍を鎌倉を舞台に実行しています。しかし最後はまたあることないこと吹きこもうとしたら不満を持たれていたみんなに一斉に糾弾され、追いやられて反乱起こして死ぬというまたまたドラマチックというか昼ドラみたいな終わり方です。

4、甘粕正彦
 細かい説明は省きますが、大杉事件に関して甘粕は現代においてほぼ冤罪であったということがほぼ確実視されていますが、満州帝国の闇の帝王だったというのは揺るがない事実です。実際には満州国建国前の方がえげつなく、特務工作員として麻薬ビジネスに関わったり、溥儀を拉致って来たりなどと007の悪役も真っ青なことを現実に実行しています。しかし全体的な人生で見るとまさに国家に翻弄されたともいうべき男で、私自身はその運命の流転ぶりに深く同情する一人です。なかなかドラマチックだし、日本史であまり扱われない満州帝国の建国から崩壊まで扱えるので、ドラマの題材には格好ではないかという気がします。

 以上、ざっと四人ほど悪い奴を挙げてみました。ただ今回の記事を準備するに当たってあれこれ人物候補を考えたのですが、いろいろ悪人を比較するにつけて日本って本当に小悪党しかおらず悪党のスケールが小さいという考えが段々強くなってきました。
 というのもお隣であり自分のホームグラウンドである中国では数十万人単位の虐殺が頻繁に起こったり、国家予算の半分くらいを横領したり、元主君とその一族全員を数百人単位で残虐な処刑方法で殺したりする人間がしょっちゅう出てきて、こう言ってはなんですが日本の悪党と比べると中国はあまりにもスケールが違いすぎます。今日挙げた松永久秀も中国の水準に照らすと「よくいる奴」レベルで、下手したら悪党として数えてもらえない可能性もあります。

 これをただ単に日本のスケールが小さいと見るべきか、中国が修羅の国とみるべきかは深い議論が必要となりそうです。

2014年1月20日月曜日

沖縄・名護市長選の結果と今後の展望

 今日いじめに関するニュースを昼休みに見ていたら、「クラス全員からハブにされてたのかな」という文章が浮かぶやクラスメイト全員から呪詛をかけられハブの姿に変えられる生徒の姿が思い浮かんで噴き出していました。多分働きすぎなんだと思います。

 そんな自分の明日はどっちだ的な話は置いといて本題に入りますが、皆さんも知っての通りでしょうが昨日に沖縄県普天間市にある米軍基地の移設先候補である名護市で市長選挙が実施され、移設反対派である現職の稲嶺氏が新人の末松氏を破り見事再選を果たしました。当選発表後の会見で稲嶺氏は改めて移設反対の意思を表明し、沖縄県や国からの埋め立てなどと言った工事申請を拒否する考えを示しました。

 まずメディア報道に苦言を呈しますが、新聞各社で言えば産経がつまらなそうに報じた一方で朝日や毎日が楽しそうに報じている辺りは予定調和な感じがします。読売は短く、最後に政府高官の話をのっけているからどっちかっていうと産経寄りかな。
 これらの報道でちょっと気になったのは、朝日や毎日系列各社が候補者の得票差が約4000票となったことをやけに強調している点です。「4000票も差がついた」と書くとさも大差であるような印象を覚え、実際にこう報じたところはそのように認識させようとこういう表現を取ってきたのでしょうが、候補者両者の得票数は稲嶺氏が1万9839票、末松氏が1万5684票で、大まかな比率にして20:16=5:4だから決して圧勝ではなかったように私には見えます。当選した稲嶺氏は前回選挙時より得票数は増えたそうですが、私としては末松氏が受かると移設が非常に現実的になる事を考えると割とアウェイだったんじゃないかと見ていて、それにも関わらずこれだけ票を取ってきたのは正直言って想定外でした。

 とはいえ、どれだけの差だろうと受かったのは稲嶺氏です。移設反対派の稲嶺氏が受かったことによって普天間基地移設のスケジュールに影響が出るという点については産経を含めてどのメディアも指摘しており、勢い上げる朝日や毎日は政府は民意をきちんと反映すべきだとしており、移設計画の修正にも踏み切るべきだと言わんばかりの主張が透けて見えます。対する産経は「名護市長選 辺野古移設ひるまず進め」という実に産経らしい見出しで社説を打ってきて、日米同盟への影響を懸念しつつ稲嶺氏に再考を促すという、まぁ産経らしい香ばしい記事を書いてきてます。

 ただ正直な感想を述べると、私の意見も産経に近いのが本音です。仮にまた移設計画を修正するとなると普天間における現在進行の問題は今後も続くわけだし、基地移設に当たって補助金など出すべきものは税金から出してもいいからどうか計画を受け入れてほしいと個人的な意見として述べます。
 もちろん移設される名護市民としては何故自分たちばかりが負担をという不満を感じるのは当然でしょうし名護市に住んでいない自分がえらそうに言うべきではないのかもという気持ちもありますがそれでも書くと、沖縄に米軍基地を置くのは防衛上、地理上からの観点からであって、これを変な感情や意志によって曲げることは藪蛇にしかならないと私は思います。また神奈川県横須賀市みたいに米軍基地があっても米軍と仲良くやっている都市もあるのだし、軍事上、外交上の課題解消を優先してどうか前向きに考えて欲しいという思いがあります。

 こうした個人的な意見を述べた上で今後の展望についてやっと書き始めますが、たとえ稲嶺氏がどれだけ抵抗した所でやはり移設は強行されるのではないかと見ています。大きな理由としては今現在で安倍政権は支持率も高く、また先日も中国がまた国産空母を計4艦建造しているというニュースが出るなど中国脅威論が現実化しており、メディアがどれだけキャンペーンを打っても全国的な反対運動には至らないのではないかと考えているからです。仮に沖縄県知事である仲井眞氏が移設反対であればまだ話は違いますが今の彼は賛成派に回っており、たとえ名護市がどれだけ手続き面で抵抗しても裏道的な法規解釈によって潰されるのがオチじゃないかと思います。そもそも、自分は日本が法治国家とはあまり思っていませんが。

 あとこれは先ほど自分が述べた個人的意見にもつながるのですが、今月24日からまた国会が召集されますが、この問題で野党民主党は与党自民党に対して何も意見を主張できないし、したところで失笑される結果を自ら招くだけでしょう。理由は言うまでもないですが民主党は鳩山政権時に何の代替策もなしに県外移設を掲げた挙句に結局辺野古へと意見を振替してこの問題で大きな混乱を招いており、米国はおろか沖縄県民からも信頼されているとは思えません。となるとこの問題で批判できる勢力っていうのは、共産党はするだろうけどいかんせん勢力が小さすぎるのもありほぼ皆無ってところです。
 稲嶺氏が移設に反対する理由を全く理解できない訳ではありませんが、じゃあどうするのか、普天間はこのままでいいのかという問いがもたげ、それであればと批判を受ける覚悟で私は辺野古移設に賛成の立場を取るわけです。

 もっとも、完全に蛇足でしょうがやはり言わなければならないと思うので主張しますが、そもそも普天間の米軍基地が出来た当初は基地周辺は更地で、後から住民が流入してきたと聞きます。そういった経緯で出来たこの問題に果たしてどれだけ労力を注がねばならないのかと思うと、力技で一気に問題を解決しようとする中国がたまにうらやましく思えます。

2014年1月19日日曜日

電子書籍コミックス、出版各社の戦略

 つい先週までアクセス数トップだった「奈良ドリームランドを偲ぶ」を追い抜き、いつの間にか「足利事件の真犯人について」が二位、「地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡」が一位に繰り上がってきました。二位についてはこの前小学生の女の子が行方不明になって公開捜査された影響が大きいと考えますが、一位の地下鉄サリン事件についてはどうやらまとめサイトでリンクを貼ってもらったことが原因のようです。ただこのところ地下鉄サリン事件に関する掲示板まとめ記事を数多く見て、これも恐らくは平田被告の裁判が始まった影響でしょうが、事件を知らない世代も増えていることからどういう事件だったのか興味を持つ人が増えている気がします。ちなみに自分の記事ですが改めて読んでみるとよくまとまっていて、まぁこれなら人に見せても恥ずかしくはないかなと勝手に考えてます。

 話は本題に、というかちょっと手のかかる内容なだけに休日じゃないと書けないと思って今日まで引き延ばしてきたのですが、このところあまり自慢できないNexus7で電子書籍を買う機会が増えています。と言っても買うのは全部コミックスこと漫画ですが、日本の出版業界事情は世界的にもやや特殊でこれら漫画がメインであることを考えると電子書籍業界の先行きを占う上で重要なカテゴリーであると私は考えます。そんな電子書籍の漫画ですが、冷静に分析してみてみると出版社ごとに性格があるというか戦略が分かれており、今日は各社が今現在でどのように販売しているのか、どんな戦略を持っているのかを私なりにまとめてみようと思います。
 先に今回の分析での前提を説明しておくと、私が電子書籍を購入しているのはAmazonのKindleなので、今回の分析も基本的にKindleでの販売方法というか価格を前提にしております。


1、集英社:発売時期をずらした上での割安な固定価格
 「少年ジャンプ」を擁する漫画界の王者こと集英社ですが、ここが一番特殊というかもっとも際立った販売の仕方をしております。それはどんな売り方なのかというと、集英社は少年漫画、青年漫画の区別なくほぼ全ての漫画で同じ売り方を展開しており、その売り方というのも実体書籍が発売されてから約3か月後に1冊368円で売るという手法です。
 実体書籍と電子書籍の発売時期をずらしているのは印刷会社への気兼ねでしょうが、販売価格をどの本も368円という固定価格にしているのは実に面白い取り組みです。固定価格せいなので割引率は発行媒体によって異なっており、少年ジャンプコミックスの実体書籍が420円に対しヤングジャンプコミックスの実体書籍が540円であることを考えると、青年コミックスの方が割安で購入できる計算となります。

2、秋田書店:同時発売で小幅な割引
 調べたサンプル数が少ないのでもしかしたら本によって違うかもしれませんが、ここはどうやら実体書籍と電子書籍を同日に発売した上で、電子書籍の方はやや値引いて売っているようです。今回調べたのは私も購入した「実は私は」のコミックスですが、実体書籍が440円に対し電子書籍だと400円(または399円)で買うことが出来ます。こうした売り方が出来るのも、後で説明しますが集英社同様に印刷会社にあまり気兼ねする必要のない出版社だからじゃないかと推理しています。

3、講談社:小幅割引はあっても発売日は書籍別にバラバラ
 価格に関してはたとえば実体書籍価格が450円の漫画だと420円と30円引きになっていることが多いです。しかし発売日は書籍ごとに完全にバラバラになっていると言ってもよく、人気作の「進撃の巨人」や「ダイヤのA」は実態書籍と電子書籍が同日に発売している一方、「七つの大罪」という漫画は電子書籍版の発売日が数ヶ月ずらされております。さらには「はじめの一歩」に関してはどうも新しい単行本は電子書籍化すらされていないようです、最初の方はしてるのにね。


 上記三社を今回のサンプルに選んで調べましたが、やはり特筆すべきは集英社でしょう。電子書籍版の割引率で言えば群を抜いており、またどの単行本も区別なく同じ売り方で売っているのは確信犯でやっているように思えます。
 この売り方で効果を発揮するのは、連載開始当初は読んでいなかったけど途中から読み始めて最初の方の単行本を買おうとする購買層でしょう。368円であれば古本価格にも十分対抗できる金額であり古本で買うくらいならスマホやタブレットなどで読めるんだしと、私自身がそうですが電子書籍版を買う人が少なくない気がします。こうした売り方が出来るのは先にも述べた通り、集英社は出版する書籍のうち漫画が大半を占め小説など文芸書が少ないことからほかの出版社と比べて意見力の強い印刷会社を気にせず、独自販売がしやすいためではないかと私は考えます。

 同様に秋田書店も印刷会社を気にしなくていいというか、そもそも少年チャンピオンの発行部数がジャンプやマガジンと比べて極端に低いことからも集英社同様に気兼ねすることがないためだと推察されます。秋田書店のコミックスだと実体書籍にこだわりがない場合は電子書籍で購入した方が価格といい携帯性といい有利な点が多く、また先にも述べた通りに少年チャンピオンはお世辞にも売れている漫画雑誌ではないため、人気漫画だけでも単行本をより多く売るためにこういう手法を取っているのではないかと思えます。「バキシリーズ」といい、なんか単独の作品がバカ売れする傾向が多いしなここは。

 最後の講談社ですが、こう言ってはなんですが中途半端な売り方に思えますが、これは印刷会社への気兼ねから実体書籍の売り上げを維持せざるを得ないためにこういうやり方になっているように見えます。ここは超人気作の「進撃の巨人」などはためらいなく電子書籍版を同時発売していますがそれ以外は大した割引もせず、発売日もずらしているので「だったら実体書籍で買った方がいいじゃん」ってな状況を作ってるようです。多分「進撃の巨人」なんかは電子書籍版を同時発売しても実体書籍も確実に売れるからこうできるのでしょうが、ほかの漫画なども同時発売されると印刷会社に文句とか言われる可能性があるため、こうなっているのではないかとこれで今日何度目だと言いたくなるくらいに勝手に推察します。
 あまり出版業界に詳しくはない(新聞業界のが詳しい)のですが、人づてに話を聞いているとどうも印刷会社に出版社は頭が上がらないそうです。なんでそんな印刷会社がえらそうなんだと色々腑に落ちない点も多いのですが、電子書籍が普及すると間違いなく大打撃を喰らうのは出版業界ではなく印刷業界なので、それこそ嫌がらせとかだってしてくるのも理解できなくはありません。

 話を本筋に戻しますが、売上げ的には集英社のやり方が一番うまく、でもって奇策的には秋田書店のやり方もうまいように思えます。秋田書店のやり方についてもう少し深く書くとこの方法なら最悪、漫画雑誌が売れなくて赤字になっても人気作を作ることにさえ成功できればそこそこ稼ぎ出すことも可能になり、かえって発行部数が少ない少年チャンピオンだからやれるやり方なのかもという風に見えます。私個人としては旧作についてはもう少し割り引いてもいいような気がしますが、同時発売に踏み切る出版社が今後増えることによって漫画業界も今後、売り方がいろいろ変わってくるんじゃないかと思う次第です。

 一旦書き終えた後で再び書き加えますが、これら漫画の電子書籍版販売において何を一番念頭に置かなければいけないのかというと、私は古本との競争ではないかと考えています。特に旧作などは価格も安いということでただでさえ古本に購買層が流れやすい現在の状況からすると、電子書籍を多少割り引いてでもこれらの購買層に買ってもらうという風に誘導することで単行本当たりの収益がかなり変わる気がします。このように考えるなら、集英社がやっぱり一番うまいのかな。

  おまけ
4:スクウェア・エニックス:発売日ずらした上で割引なし
 電子書籍版の漫画販売で一番ファッキンな所となるとここですかね。というのも「EIGHTH」って漫画を読み始めてみようかなと思い電子書籍を見てみたのですが、一切の割引なしのフルプライス売ってやがって、これならブックオフで古本を選んだ方がいいやとなって購入に至っていません。ついでに発売日を調べてみたら最新刊の11巻は同時発売ですがそれ以前の巻は電子書籍版がややずらされています。ただでさえ「鋼の錬金術師」が終わってから不安定なのに、こんなんじゃやってけないぞと言いつつ、頼むからもう少し割り引いてくれという希望を書き残して筆をおきます。

   追記(2014年4月15日)
  この記事中で集英社コミックスの電子書籍版の価格は「368円」に統一されていると紹介しましたが、今日たまたま確認してみたら旧作は「300円」に統一されていました。タイミングとしては今年4月の消費税増税のタイミングで価格改定をしたのかもしれませんが、値下げするならもっと早く下げてくれてればよかったのに(´;ω;`)

2014年1月18日土曜日

ソフトよりハードな日本人

 また日本人論かと自分でもなんだかうんざりしてきますが、そろそろ打ち止めになるのでどうかご容赦を。それに今日は自分のネタというより友人のだし。

 ちょうど先週の土曜日、モーニングの誘いを華麗にスルーした友人がディナーにしないと提案してきたので焼肉屋に行きましたが、どうも客が大挙してきていたのか、はたまたバイトの店員が足りていなかったのかリアルに怒号が飛び交う店内を堪能しました。そんな焼肉屋を出た後、「甘いものが食べたい」と女子高生みたいなねだり方する友人と今度はミスタードーナツに男二人で行ってきたのですが、そこで「最近の日本人は語彙力が乏しい。かつては様々なニックネームが横行したが近年はこれというニックネームがない」と私が主張し、かつて書いた「センスのいいニックネーム集~プロ野球選手編」で挙げたニックネームを紹介していったところ友人が、「あのさ、全然話が違うんだけどそのニックネームを聞いていてつくづく思うのは、日本じってんってハード思想なんだなってことなんだけど」とぽつりと言ってきました。

 その友人が反応したニックネームというのは元広島カープ投手である北別府氏の「精密機械」というニックネームなのですが、これ以外のニックネームも合わせてやたら機械や道具といったハードに即した物が多いと友人は考えたそうです。更には日本人が得意とする擬人化も、最近だと「艦これ」などが典型ですがハードをキャラクター化するのに長けているもののソフトウェアを元に取ることが少なく、ソフトよりハードにこだわる日本人の思想がこういうところにも出ていると指摘してくれました。

 ソフトよりハード、と言えば聞こえはいいのですがこれは裏返すとソフトを軽視しがちな日本人の欠点も出ております。私の目から見て日本人は過分にこの傾向があり、たとえば製品の開発においてもまずハードこと製品の物質そのものから構想を高め、ソフトからスタートして開発を進める例は多くないように思えます。対照的にアメリカ人はソフト思想が強く、たとえばアップル社などはそれ以前から存在していた携帯音楽プレイヤーに直接音楽をダウンロード購入するサービスを付加させることでi-Podを作り、また同様にそれ以前にノキアやRIM社が製造・販売していたスマートフォンに対してシンプルさとデザイン性を追求した自社OSを組み込んで売ってきたのが言わずとしれたi-Phoneです。どちらもハードとしての製品は既に他社で発売されていたにもかかわらずソフトウェアを新たに組み込むことで半端ない売上げを実現しており、彼らがソフトを重視するという姿勢がよく出ている好例でしょう。

 日本人のハード思想は何も開発現場だけでなく、先ほど述べたニックネームなど文化的な側面にも出ていますし、消費者の志向にも現れています。たとえば自動車会社のホームページを見てみると日本ではどのメーカー、車種でも亥の一番に燃費のカタログスペックが出てきます。お国柄もありますが中国の自動車サイトではこのように燃費が表示されることはほとんどなく、また燃費に限らなくても日本人は家電製品とかでやたらとカタログスペックを気にするという声も聞きます。その一方で私から見て思うのは、デザイン性に対して日本人は無関心すぎるというかなんか日本の製品を見ていると性能はいいんだけど置いておくにはちょっと考えさせられるデザインが多い気がします。

 では日本人はソフト思想が弱いのかですが、これについては私はそうではないと考えます。たとえば先ほどの擬人化の例だとボーカロイドの「初音ミク」はそのソフトの性能と共に世界中で高く評価されたキャラクターでありますし、単純にソフトウェアサービスでも「LINE」は海外を相手に健闘してくれています。
 にもかかわらず何故ハード思想が日本で幅を利かすのか、これはそのまま幅を利かすというかソフトウェア思想の強い人材が出てき辛い環境にあるのかなという気がします。私が言うまでもなく発想力の高いクリエイティブな人材はかねてより、そして近年はこれまで以上に社会で評価され辛くなっており、実際にはそこそこ価値を生み出せる人材はいるのに周囲から評価されなかったりして世に出て来れないというのが現状で、そうした環境が循環するかのようにハード思想特化の道をひた進んでいるというのが私の考えです。

 最後に今後の世界情勢と掛け合わせて話すと、ハード思想特化への道は不利であるよりほかない気がします。かつての高度経済成長期のように物資の少ない時代であればハード思想は大いに威力を発揮して世界で戦っていく上で有利さを持っておりましたが、現代は物が溢れそれら数多くある競争相手から如何にして目に見える差をつけるかが大きなカギとなっており、その差をつける材料こそサービスやデザイン性だと思えます。ソフト思想に転向しろとまでは言いませんが、日本人の強すぎるハード思想を少し緩めてソフト思想をちょっとでもいいから身に付けた方がいいよというのが今日の私の意見です。

2014年1月16日木曜日

自販機業界の便乗値上げについて(#゚Д゚) プンスコ!

 昨年末に書いた「自動販売機の設置台数規制の提案」の記事の中で私はキリンビバレッジ、もとい自販機業界関連企業を批判しましたが、これ以前からもこの業界には不信感を強く持っておりつい最近でも如何なものかと思う行動をとってきたので、賛同者よこのブログに集まれとばかりに私の思うことを書いていくことにします。

コカ・コーラグループが4月に自販機価格を一部値上げ 消費増税3%分の転嫁を調整(産経新聞)

 上記リンク先の記事は数日前に出されたもので読んでいる方もいるかもしれませんが、読んだ方の中にはいくらかの疑問を感じられたのではないでしょうか。記事の内容は見出し通りで今年4月に消費税を現行の5%から8%に引き上げることによって原価コストが上がるって言うで、コカ・コーラグループが自動販売機での飲料価格を引き上げるという内容です。どれくらい上げるかははっきり書かれていないものの、これ以前の記事などではスタンダードとされている120円から130円に引き上げるのではないかとみられています。

 何が納得いかないかっていうと、なんで3%の増税に対して約8%(120円→130円)くらい値段を引き上げるんだよって点です。そもそも消費税が導入される以前の自販機価格は1本100円で、それが消費税が3%で導入された際に110円となりました。この110円という価格は103円にするくらいならと理解できるのですが、何故か飲料業界は消費税が5%に引き上げられた際は120円(+9%)に一律して引き上げてきました。っていうか、3%から5%へ引き上げられた際は100円→103円→105円>110円なんだからそのまま110円でよかったんじゃないのと日本中の誰もが思ったことでしょう。

 私個人としてはメーカーや小売店は自由に価格を設定するべきだし、デフレの世の中だからこそ各社売れる商品についてはどんどん値上げを実施するべきだという立場を基本にしています。しかしこの自販機業界に関しては消費税増税にかこつけた値上げの仕方があざとく、価格に全く合理性が感じられないことから強い不信感を感じずにはいられません。

 なおかつこの業界で腹立たしいのは、これは先月の話ですが業界各社が揃って公開カルテルと称し、スーパーマーケットなど流通業界に対して消費税増税に伴う価格転嫁分をメーカーに負担させないように申し合わせている点です。確かにこのところの小売店はPBブランドなどいやらしいことしているなと私も思いますし、そうした動きに対して個別ではなく業界全体で抗議して要求をするというのは至極もっともな行動です。しかし片一方でほぼカルテル的に便乗値上げをしておきながら流通業界には価格転嫁を認めないと公開カルテルに出るなんて、自分たちに都合のいい主張ばかり唱えていて見ていて癇に障ります。はっきり言えば馬鹿抜かせアホってとこです。

 そもそも自販機関連では最初にリンクを載せた記事でも書いてあるように、キリンビバレッジ社は自社の社員をゾッとするような勤務体系で働かせて過労自殺に追い込んでおり、数メートル間隔で自販機を設置するもんだからその電気使用量など社会コストも決して低くありません。改めて主張しますがこのような他者を省みない連中は社会から排除されるべきで、それこそ私が前回主張したように自販機の設置台数を制限するなどして規制をかけるべきだと思います。
 基本、飲料なんて原価が本当にたかが知れており、どんだけ電気代払っても自販機を設置すればするほど利益が伸びるような商品です。しかしそうして使用される電気消費のコストは社会全体が一部負担することにもなり、またやたらあちこち自販機が立っていう日本の景観も決して美しくなく、多少の不便を確保しても消費者は自販機を減らすよう努力するべきではないでしょうか。私もこのような考えを実行に移すべく、飲料はなるべくコンビニなど小売店でこのところ買うようにして密かな抵抗を続けるつもりです。

 それにしても、こういう意見を言うのが自分だけっていうのはさびしいなぁ。でもってコンビニで買おうとする自分の行動もまたみみっちぃなぁ。買うのは決まって1.5リットルのコーラで、なんで中国みたいに2.5リットル売ってないんだよと文句ばっか言ってますが。

2014年1月15日水曜日

家族のつながり、遺伝子のつながり

 突然ですが高校時代の友人に「火星人」というあだ名の友人がおりました。名付け親は自分ですがそこそこ定着して普段から「火星人テスト何点だった?」という具合で読んでたので携帯電話のアドレス名もそのまま「火星」と登録しておいたら、大学のサークルの先輩が自分の着信履歴を盗み見て、「なんやお前、火星と交信しとったんか!?」とあらぬ疑いをかけられる羽目となりました。

 話は本題に入りますが今一番ヒートアップしている芸能界の話題ときたらAKB48の大島氏のいきなり卒業宣言よりも、元・光GENJIの大沢樹生氏の長男の血統を巡る騒動でしょう。詳細については説明するまでもないでしょうが、前妻との間の長男のDNAを鑑定した所親子関係がないという結果が出て、まぁその後はごたごたというか未だに何が本当なのかよくわからない状況が続いています。私個人の印象としては会見に出た大沢氏の嗚咽ぶりを見ると嘘をついているようには見えず、またスクープは大沢氏自らが公表した物ではなく週刊女性の報道に端を発する騒動であることを考えると嘘をつく必要もないんだしななどと考えています。

 先日に私は日本人の家族関係は非常に希薄だなどという記事を執筆しましたが、今回の大沢氏の騒動などのように仮に血を分けたと思っていた家族が実は違ったなどと言うのはやはり計り知れないショックを受ける出来事のように思えます。昨年にも生まれた直後に取り違えられて別々の家庭で育っていたという事件がありましたが、ショッキングとしか言いようがなくそれこそ本人でなければ分からない苦悩があったのではないかと推察します。
 そもそも論で話すと、リチャード・ドーキンス先生が言っているように人間を含む生物の本能は自己の遺伝子を最大限増殖することにあり、血を分けた肉親や子供を大事に思うのは普通の感情です。逆を言えばそういう対象である子供を虐待するのは種として終わってるということですがそれは置いといて、肉親だと思っていた存在が実はそうでなかったというのは種として非常に大きなストレスを覚える要因においてほかなりません。それだけに上記の二事件の関係者の方々にはココアらから深く同情の念を覚えます。

 ただこの二事件とも誕生から相当程度の時間をおいて発覚したという点で共通しますが、これはこれで辛いものの誕生した瞬間にわかるというのも結構心が痛むような気がします。ネタにして悪いような気もするので実名をぼかしますが過去にあるスポーツ選手が奥さんの出産に立ち会ったところ、生まれてきた子供の肌が黒かったというお話のような事件があったそうです。もちろんその選手はその後、その奥さんとは離婚したそうですが。

 遺伝子がなんでもかんでも家族を規定するわけでなく、三国志における義兄弟みたいに魂のつながりによって出来る家族も存在しますが、このところは遺伝子の解析が進んできたことによってやはり遺伝子の一致性が絶対という風潮が前より強くなっている気がします。ここで少し話を変えますが私はこうした遺伝子絶対論ともいうべき風潮に対して文学部出身の人文主義者らしく「納得できないヽ(`Д´#)ノ 」などと言っては反論を展開してました。その一方で自分の記憶力と集中力は先天的なものがあると主張しているのですが……。
 しかし単に感情論だけで主張していたわけでなく、たとえばヒトとチンパンジーの遺伝子はなんと98%以上も同じだというのにどうして骨格や見かけ、果てには行動や思考力が異なるのか、遺伝子が絶対だというのなら絶対値で2ポイント弱の差がここまで分けるのかという疑問もちゃんと持っていました。そんな風に考えてネットを駆け巡っていたところ、どうもこのところ新説が出ているというか遺伝子だけがその生物のありようを決めるわけじゃないという意見が出ているそうです。では何がそのありようを決めるのかというと、細胞に含まれるウイルスが与える影響が大きいのではないかと出ているようです。

 ウイルスの定義は非常に難しく、問題のない言い方をするとタンパク質の一種としか言いようがありません。その原理や成り立ちなどもまだ研究が進んでいないのですが、一般的にはインフルエンザなどの病気の元のように悪い存在だと考えられがちですが、そうした人間に悪影響を与えるものもあれば普段は無害で細胞にずっとくっついているウイルスもたくさんあると聞きます。これらウイルスはその働きなどもまだよくわかっていませんが、これらの組成によって生物は種を跨いでいたり同じ人間という種においても個体差を分ける要因になっているのでは、というのが私が聞いた仮説です。
 私にとっては夢があるというか面白い話で、遺伝子だけが人間を規定しないという説に魅力を感じます。それと同時にタンパク質が与える影響と聞いて真っ先に狂牛病が浮かび、将来この方面の研究の需要が高まってくるのかなと思う次第です。

2014年1月14日火曜日

東京都知事選に対する予想(ー_ー)!!

 年末年始にテレビ付けている際にいくつかお笑い番組を見ましたが一時期のお笑いブームの頃と比べてどれも面白く感じられませんでした。その中で唯一面白かったのが、名前は知りませんが有るコンビがやっていたネタで、

「お会計は5000万円になります」
「猪瀬じゃねぇんだから払えねぇよ!」

 っていうネタがツボにはまりました。本来ジョークというのは政治を風刺するところから生まれたのだし、もっとこういうネタが世の中はやってもいい気がします。そんな猪瀬前都知事の後継を争う次回都知事選ですが、ようやく役者が出揃ったこともあるのでそろそろ私の予想と見方を書こうかと思います。

 まず現在までに出ている著名な候補者を挙げると、元厚生大臣の舛添要一氏、元航空自衛隊幕僚長の田母神俊雄氏、元日弁連会長の宇都宮健児氏の三人に加え、本日になり細川護煕元首相も立候補を表明しました。結論から述べると現時点では舛添氏がリードしているように見え、対抗馬が細川氏、残りの二氏とドクター中松氏は順位予想の賭けの対象にしかならないでしょう。

 当初、というか先週時点で私は次の選挙では舛添氏がほぼ確実と見て、誰が当選するかよりも1~4位までの順位を競馬の連勝枠みたいに予想する選挙だと見ていたのですが、今日になって細川氏が立候補してきたことを受けやや見え辛くなりました。仮に細川氏一人が出てくるというのなら名前は失念しましたがある自民党議員が行ったように「殿、ご乱心」で終わったことでしょうが、同じ脱原発を掲げている小泉元首相がセコンドについたこともあり、何かの拍子にひっくり返されるかもという懸念を覚えざるを得ません。

 それでも現状においてはまだ、舛添氏の方が情勢的に有利ではないかと私は見ています。その根拠としては厚生大臣時代の施政経験と与党自民党との太いパイプ、圧倒的な知名度を持っていることに加え、細川氏が脱原発を掲げて都知事選に出ることに違和感を覚える有権者が多いのではないかと考えているからです。仮に国政選挙であれば脱原発はテーマとして通用するものの、都知事になって原発問題にタッチするかと言ったらやや疑問です。
 その上で個人的な意見を述べると、実現性を無視したむちゃくちゃな理想論ばかり掲げて引っ掻き回すだけ引っ掻き回した鳩山由紀夫元首相となんとなく姿がダブります。また自分と同じ20代ならまだしも40代以降の世代であれば突然政権を投げ出したことを忘れていないでしょうし、こういう変節振りは未だ修正利いているとはとても思えません。

 ここまで読んでもらえればわかると思いますが、私個人としては次の都知事選では舛添氏を推します。理由は単純に無難であることとで、年齢がやや高いのが気になるので仮に40代くらいの若くてビジョンのある方が立候補するならそっちを推しますが、現状では舛添氏がやはり一番な気がします。
 私が次の都知事に期待することとしては第一に2020年の東京五輪を見据えた再開発、都市設計で、具体的には自動販売機設置台数の規制や汚い広告を広告主ごと闇に葬り去る景観規制などで、このほかとしては複雑すぎる東京都の地下鉄再編計画、ブラック企業の見せしめを兼ねた残虐な排除などもやってくれたら文句ないです。そういう意味で、脱原発というのはやっぱ二の次なんですよね。

 しかし相手はあの小泉元首相。セコンド役とは言えやる気は満々のようですし、既に一部で予想する意見が出ていますが、先程の五輪対策など数多くある論点をすべて無視して「原発にイエスかノーか」と言って、原発問題だけを争点にしようと動いてくると思います。もちろん私も原発については廃止論者でありますが、そういう事は国政選挙でやってくれというのが本音です。
 しかし仮に、都知事になってこれが出来るというのなら自分の意見は変わります。それはどんなことかというと東電の徹底的な締め付けです。

 東京都は東電の大株主であり意見なども一応行使できる立場にあります。このストックパワーを用いて大々的なリストラに加え原発作業員の直接雇用などを都知事として確実に踏み切るというのであれば、もしくはそういうビジョンを見せるというのであれば、まだ行っていることにも信憑性というものが湧いてくるでしょう。
 それにしてもこれだけやる気あるならと、小泉元首相が自分で出馬していたら確実に圧勝していたことでしょう。何故小泉元首相は立候補せず細川元首相を推薦したのか、最大の理由は元首相が表舞台に出るべきでないという自身の矜持と、並外れた政局の読みでしょうかね。危ない橋は他人に渡らせとけってとこですか。

2014年1月13日月曜日

家族関係が異常に希薄な日本民族

 このところ日本人論ばかり書いていていい加減食あたり気味ですが、何故か知らないけどこのところこういうネタばかり思い浮かぶので片っ端から書いていきます。これらの日本人論は基本的に日本人を持ち上げる物ではなくむしろ批判的な内容に染まっていますが昨日に友人から、「好きと嫌いは背中合わせだよ」というようなことを言われ、こういう内容でも参考にしてくれればという思いがもしかしたら自分にあるのかもしれません。
 なお私はプロフィールで専門は国際政治と社会学と書きましたが、大学在学中に在籍した学部は社会学で、その中でも人類学のゼミを受講していました。そういう意味ではこれら日本人論は秦に自分の専門にマッチした内容であるのかもしれません。

 それではそろそろ本題に入りますが最終的な結論から述べると、あくまで私個人の実感ではありますが誇張ではなく、私は日本人ほど家族を大事にしない民族を知りません。もちろん戦争中や宗教上の戒律などがある場合は別ですが、一般的な先進国における家族の中隊を見比べるにつけて日本人が最も家族をないがしろにしているように見えます。

 私が比較対象として考えているのは米国と中国ですが、米国に至っては児童虐待事件なども少なくないものの、普通の家庭では子供が成人した後もハグし合ったりしたり、お互いの誕生パーティを派手に開いたりしていて全く屈託がありません。そして中国に至っては儒教的概念からか明らかに一族意識が強く、旧正月には一族で集まったり、記念日などに親へ贈り物を送ったりする習慣がありその中退は非常に強いです。なお以前に日本で夫婦別姓が議論された際にある議員が、夫婦別姓にしたら日本の家族における紐帯が切れるなどと言って反対しましたが、中国は夫婦別姓にもかかわらず家族仲が日本よりよさそうに見えるのは私くらいなものなのでしょうかね。

 話は戻しますがこうした他国に比べ、残念ながらというべきか日本の家族関係はそれほど濃いようには見えません。子供が幼児であればまだアットホームな光景が浮かびやすいですが、一度成人にもなろうものなら非常に関係が希薄になり、私の周囲でもそれほど顔を合わせたくないという人が少なくありません。
 また仕事との関係でもこうした傾向は顕著で、日本では未だに仕事のために家族を犠牲にすることが美徳というか推奨されます。たとえば野球などでは米国から来た外国人選手が家族が病気などになるとシーズン中でも帰国しますがこれなんか批判の的になるし、このほか家族を優先して残業せずに帰ろうとしたら「やる気あるのか?」とすごまれる職場なんて星の数ほどあるでしょう。多分というか中国人なら家族を優先して仕事をさぼる、もとい頼んだって残業をしないほど自分の気持ちに素直に従うと思います。

 もちろん個別の家庭によってこうした家族意識は千差万別でしょうが、社会全体でみるなら家族という単位が日本では非常に弱く、それが組織への概念意識の低さにもつながっているように見えます。蛇足かもしれませんがやっぱり普段ユースを見ていて、児童虐待を行った親に対する報道というか社会の批判が緩すぎる気がします。今日日一人の殺人でも死刑が判決されるのだし、自分の血を分け、さらには何も抵抗できない子供を殺害する人間に対しては例外なく死刑でもいいと思うし、殺害まで行かずとも暴行を行う親に対してももっと社会が厳しい目を持ってヒートアップした報道がされてもいいような気がします。なんていうか、今の状況は淡白すぎるというか。

 また話は戻しますが、じゃあなんで日本人はこんなに家族意識が低いのか、「団塊が悪い」と団塊の世代のせいにしたら楽っちゃ楽ですしあながち間違っていない気もしますがもう少し考察すると、歴史的には日露戦争が一つの区切りだったかなぁという風に考えてます。
 日露戦争ときたら与謝野晶子で、出征する彼女の弟を心配する短歌が新聞に載ったら与謝野晶子が市民から批判されたという事件がありました。何が言いたいのかというと国家意識を高める教育をしていくうちに外見だけ「お国のために」なんて言っていたらいつの間にか本音と建前が入れ替わってしまい家族意識が微塵もなくなった、というには自分で書いておきながらですがやや強引ですね。

 まぁこの際原因は何だったかは置いといて今後日本人はもっと家族関係を濃くするべきなのか、このままを維持するべきなのかを少し考えます。私自身リアルに親戚と絶縁に踏み切るほど家族関係が希薄な人間の一人ですがそれでも敢えて述べると、本気で少子化対策を進める気があるというのであれば「家族を大事にするべきだ」というような標語を国家レベルで普及させるべきでしょう。
 昨日の記事にも続きますが突き詰めると日本の少子化は家族関係の希薄さが大きな原因のように思え、家族というものを大事にする日本人が増えることによってこの方面の問題が少し改善するような気がしないでありません。なのでそれこそさっきみたいに家族を優先したいのに残業を強制する様な企業に対して目立つところを二、三社くらい業務停止させ、大々的に発表しさえすればみんな一斉に黙るんだし、こういうところに着眼点を置いて政策立てたらどうかなって思います。

 最後に面倒な説法は嫌いな人は読まないことをお勧めしますが、自分の思想の原点は良くも悪くもキリスト教の概念が非常に強いです。そのキリスト教における重要な協議の一つに「隣人愛」という概念があり、これはどの人間に対しても隣人の様に愛せよという説明がよくなされていますがそれ以外の解釈として、ただ隣人を何よりも愛せよという説明のされ方もあります。これはどういう事かというと私の解釈で言えば、距離が近い身内の人間を大事にできない人間がどうして多くの人を大事にできるのか、身近な人から大切に思うことが博愛の精神につながるという風に見ております。

2014年1月12日日曜日

中国の報道から見る日本の課題

高齢化が進行する日本 専門家「中国も警戒すべき」(人民日報日本語版)

 遅くまで友人と話をしていたことから今日も執筆する時間少ないので以前に撮りためていた記事を今日は紹介します上記のリンク先は人民日報日本語版に掲載されていたものですが、日本の少子高齢化の現状を紹介しつつ、中国でも今後直面することが予想される少子高齢化に対してどのような対策が必要なのか専門に尋ねたインタビュー記事です。

 内容としては中国で今後求められる対策に重きを置かれていますが、日本の現状について過去何年にも関わらす少子化対策が実施されているにもかかわらず効果が出ていないどころか、減少傾向に拍車がかかっていると耳に痛いことを書いてくれています。あとこの記事で地味に初めて知ったのですが、「また、日本人の離婚率は2013年に34%にも達した。3組が結婚すれば、1組が離婚する計算だ。」も書かれてあり、そりゃ子供も減る、もとい独身者も多いわけだよと納得しました。ちなみに近々詳しく書く予定ですが、私は日本人ほど家族関係が希薄な民族は知りません。

 話は戻しますが耳にの痛いこと一杯書かれている一方、外国からの支店だけあって冷静に日本の現状が書かれている気がします。あとこの記事中で果たして日本の少子化対策がどれほどの効果を上げているのかという質問も挙げられていますが、それについてはもし対策が何も成されていなかったらもっと減少していたかもしれないと優しくフォローしてくれています。しかしこの問題について私はやはりもっと日本人は真剣に考えるべきで、たとえばゆとり教育などでもほとんど期待した効果が出ていなかったにもかかわらず導入に関係した責任者は誰も処罰されていません。

 同様にこの少子化対策においても、少なくとも目に見える効果が出ていないにもかかわらず予算だけは毎年山ほど使われ、わけのわからないポスター代とかに消えていることを考えると果たして今何が求められているのか、何が不必要なのがもっと真剣に議論すべきでしょう。その上で、これまで何も効果を挙げられなかった責任者に対しては相応の処分を取り二度と政策や立案に関われなくするべきです。

 なおたまに中国崩壊論の根拠として一人っ子政策から来る人口比の歪みが社会を崩壊させるなどと述べ、上海市の60歳以上人口の比率が四分の一まで来ていると主張するお馬鹿さんがいますが、日本は65歳以上で四分の一まで来ています。しかもさっきの中国の数字は中国で最も高齢化が激しい上海という一地域に限定されている一方、さっきの日本の高齢化率は全国での統計で、今後団塊の世代が65歳以上に入って来ることを考えるとここからさらに急激に数字が跳ね上がってくる計算となるわけです。よく上海時代に同僚と、日本終わってるなぁ等と話したもんです。

  おまけ
 先ほどの上海の高齢化率の数字ですが、介護市場関連の記事ではよく引用していました。その際に日本のデータとの比較をしてしまうと、「なんだ、中国の高齢化はまだまだ進んでいないじゃないか」ってことになっちゃうので、編集部内で絶対に出さないという方針で一致しました。実際に自分は一回計算したけど、日本は二年前の時点で60歳以上の人口比が30%まで行ってたような。

2014年1月10日金曜日

漫画レビュー「実は私は」

 火曜日に突然上海から友人が電話をかけてきたので受け取ったのですが、「バイオハザード4が2本もうちの中に転がっているんだけど(;Д;)」といきなり言ってきました。
 種明かしをすると、先月に日本にやってきた際に面白いPS2のゲームソフトはないかと尋ねるので「バイオ4がお勧めだよ」と自分が勧めたので友人は買って帰ったのですが、この前部屋を掃除していたら全く同じソフトが家の中に既に存在していたとのことです。友人によるとそのソフトは友達から受け取ったものですっかりその存在を忘れていたために必要もないのに2本目のバイオ4を買ってしまったとのことです。まぁその友人にバイオ4を譲ったのは私なんですけどね、すっかり忘れとったわ自分も。

 話は本題に入りますが、久々に自分の中でスマッシュヒットというか面白いと思えるマンガを読み始めたので紹介しようと思います。そのタイトルというのも見出しに掲げた、現在少年チャンピオンで連載している「実は私は」です。

実は私は(Wikipedia)

 この漫画のあらすじを簡単に書くと、主人公は思っていることや考えていることがすぐに顔に出るほど嘘が苦手な男子高校生なのですが、ふとしたことをきっかけに片思いの相手である同級生の女子生徒が実は吸血鬼だったことを知り、この事実がばれれば退学となる女子生徒を慮って周囲にばれないように協力しつつト様々なラブルに巻き込まれるというよくある学園ラブコメです。そんなよくあるラブコメの何が面白いんだって自分で書いてて思いますが、特筆すべき点は掲載誌がチャンピオンなだけに登場するキャラクターがどれも濃いというか、個性が強くてキャラが非常によく立っている点だと私は思います。

 私がこの漫画に興味を持ったのは「実は私は」という変わったタイトルと、単行本1巻の表紙絵がちょっととらえどころがないというかどういう漫画なのかわからなかったことがきっかけです。なもんで早速レビューを探してみると、「ヒロインの口が極端にでかい漫画」と書かれあり、なんやそれと逆に興味を募らせていったことから先日に電子書籍で購入するに至りました。読んでみてやっぱりヒロインの口がでかいと思ったが、こんな形容されるヒロインって今までいたのかな。

 仮にヒロインが実は吸血鬼ってだけの漫画だったらこれまでにいくらでもあったでしょうが、この漫画はヒロインに限らず、っていうかほぼ主人公以外が「実は……」って感じで何かしら秘密なりを持っているキャラクターで占められてます。代表的なのはサブヒロインの委員長で、多分この漫画で一番人気あるキャラクターだと思いますが、思ってることが顔に出やすい主人公に対して告白される前に振るというお決まりな役割で第一話に登場したかと思えばその後、なんとその正体は手の平サイズの宇宙人で普段は本体と全く同じ外見の外部ユニット(アンドロイド)に乗って行動していたということがわかります。委員長らしく真面目な性格であるもののすぐに冷静さを失うという性格も見ていて飽きません。
 このほか後からやってきた狼男が月(写真でも可)を見ると普通の人間に戻るかと思いきや痴女に変わるとか、学校の校長先生が悪魔だったりとかで、むしろメインヒロインが吸血鬼なだけでキャラ薄くないかと思えるくらい濃い面々が次々と登場します。

 こんな具合で面白いから一気に現在まで発売されている4巻までまとめ買いしちゃったわけなのですが、連載開始当初はともかくとして2巻以降からは絵の質も安定しており、どこに出しても恥ずかしくない漫画に仕上がっていると思えます。あとこれは私の主観ですが、ストーリー展開もテンポがいいことはもとより、コマ割り、特殊効果、背景、人物の表情など漫画に必要な要素が実に過不足なく整っており、作者の増田英二氏はある長所が極端に高くない一方で短所がほとんど見当たらない漫画家の様に見えます。長所が極端に高くないとは言いましたが人物の描き分けとあとキャラクタの表情に関しては一般的な水準を確実に超えており、それらが内容にマッチしているから自分は面白いと感じるのでしょう。

 あとこっからまた持論ですが、普通ラブコメと言ったらその人気を左右するのはヒロインを始めとする女性キャラクターをいかにきれいにかわいく描けるかに尽きると言われます。ただ私は以前から「それは違うんじゃないか」と考えており、むしろ主人公の男性キャラクターの人物像がラブコメで最も重要な要素だと考えてなりません。
 一例を出すとこれはゲーム(ギャルゲー)ですが昔セガが出してた「サクラ大戦シリーズ」では当時全盛期(今はもう……)だった藤島康介氏がデザインした女性キャラクターが人気の要因となった一方で、主人公の男性キャラクター(大神一郎)が真面目で決断力があり、それでいて公平な性格で優しい人物像であったことから女性を中心に高い人気を得たと言われます。実際に私も1と2はプレイしましたが、男の自分から見ても応援したくなるような主人公で、ゲーム中はほぼハーレム状態であるにもかかわらずどこからも悪く言われることがない稀有なキャラクターでした。

 この「実は私は」に出てくるヒロインらは決してかわいくないデザインというわけじゃありませんが、勢いのある萌えマンガと比べるならやや古いデザインで、極端に優れている程ではありません。その一方で各キャラは個性というかキャラ付けが際立っている上、男性である主人公はやや気弱でキャラが薄いですがメインヒロインに対しては一途な感情を持ち続けている上に基本的にやさしく、読んでて好感が持てる人物像になっています。こういう要素が上手く絡まっているというかキャラクターをしっかり使いこなしているのは見事というしかなく、ちょっと気が早い気もしますが多分アニメ化まで行くんじゃないかと現時点ですら思えるマンガです。
 なおネタバレになるので断片的に言いますが、現在最新刊の第4巻で先ほど言った宇宙人な委員長がタイトルの言葉である「実は私は」を冒頭にして始める独白シーンは読んでて何度も見返すほど感情移入できるシーンに仕上がっており、チャンピオンも「イカ娘」の作者をはじめ、たまに面白い作家拾ってくるなと感心させられます。


2014年1月9日木曜日

アンパンマンマーチを改めて聴く

 あんまよくないことだとは重々承知ですが、かなり昔に下記のYoutubeの動画ことゲームの「ゼルダの伝説」に使われるBGMをオーケストラ演奏した動画にいたく感動して今でも定期的によく聞いております。


 この曲自体はゲームのプレイ中に何度も聞いたことがあるにもかかわらず、改めて高質な楽器と演奏家によって演奏されるとこうも感動が違うのかと音楽の偉大さを改めて感じ入った動画です。私自身は昔からそれほど音楽に素養がなくリアルに5段階評価でいつも「2」だったくらいですが、こういうオーケストラチックな音楽ではほかにも「天地創造」というゲームのサウンドトラックを持っててこのゲームに使われているそれっぽいBGMを何度もかけて聞いており、もしかしたらそういう嗜好があったのかもしれません。
 それで一昨日にふと、我ながら突然すぎるけどさっきのゼルダの曲みたいにありふれた音楽だけどオーケストラっぽくしたら聞き応えがありそうな局はないのかと歩いている最中に考えだし、いくつか案があった中で最初にネットで検索を書けたワードというのが「アンパンマンマーチ オーケストラ」でした。

 なんでアンパンマンマーチが出てきたのか、っていうかなんで突然オーケストラっぽい曲を求めた時点で意味不明ですが、恐らく原作者のやなせたかし氏が昨年に往生されたことが頭に引っかかっていたためではないかと思います。それと共に自分は社会記事も書けばブログ記事も書き、一時期はむしろ小説のがメインだったくらいの活字狂ですが、そもそもの物書きスタートは作詞家になりたいと思ってゲームのBGMに歌詞をつけ始めたことがきっかけでした。自分の本領は長い文章で発揮されるため歌詞という短いワードにいろんな意味をこめてリズムを作るというのは向いていなかったのですぐやめましたが、自分にないものを持っている人は素直に尊敬できるというか、やはり立派な作詞家や俳人には頭が下がります。

 そうしたことを踏まえた上で改めてアンパンマンマーチの歌詞を思い返すと、何故この歌を自分は子供の頃に歌っていたのに大人になって歌わなくなったのだろうかと思うくらいに精緻でありつつ実に情熱の詰まった歌詞のように感じます。これはほかのブログで色んな方々が書いておりますが、やっぱりこの歌は大人になってから歌詞を読むと全然違った意味が見えてくるように見え、それでいて槍で刺しぬかれるかのような強い衝動を胸に覚えてきます。
 具体的にどの箇所が胸を打つのか、私個人としてはJASRACを恐れずに該当箇所を引用すると、

なにが君のしあわせ
なにをしてよろこぶ
わからないままおわる
そんなのは いやだ

忘れないで夢を
こぼさないで涙
から君はとぶんだ
どこまでも

 この部分が私としてはダイレクトに響くというか、失った感情を取り戻すかのような感覚すら得ます。それこそさっきのゼルダの伝説のように、ちょっと音程をクラシック風に変えさせてもらって50人くらいの大合唱にして聞いたら涙が止まらないんじゃないかと思うくらいです。誰かやってくんないかなぁ。

 折角の機会なのでこのまま書き続けますが、私が子供だった頃にアンパンマンマーチの歌詞が話題になると、「愛と勇気だけが友達さ」という部分を揚げ足とって、「アンパンマンって愛と勇気しか友達いないんだぜ」なんて小4くらいの頃によく言ってた気がします。
 しかしこの部分には深い意味があるとされ、というのもアンパンマンマーチの歌詞というのはやなせたかし氏の弟に捧げられた歌だったそうです。その弟は、特攻隊の一員として戦死された方だそうです。

 愛と勇気だけと書かれたのは、飛び立つ際に本当にそれしか抱えられなかったから、友人や家族などを伴わず本当に自分自身で孤独に飛び立たなければいけない中で奮い立たせるものがこれしかなかったからだなどという解釈がなされています。それと同時に、アンパンマンはバイキンマンなどと戦う際に誰かを頼ることは許されず、誰も戦友と呼べるものがいない中で自分一人が犠牲になって戦い続ける孤高を示したものだという解釈もあります。

 前者については私から何も書くことはありません。後者についてはもう少し書くと、ヒーローというのはやはり孤高であるからこそヒーローだという気がします。戦友というものがいれば確かに頼もしいけれど、それは戦友を戦いに巻き込むことにもなり、それであれば敢えて自分一人で戦い続けるという姿勢こそがヒーロー像であると私は考えます。アメコミなどはこうした傾向が強く、バットマンもスパイダーマンも社会のはみ出し者として描かれており、バットマンにおいてはサイドキック(=相棒)と呼ばれるロビンなどのキャラクターも出てきますが、大抵悪役に殺されたりするので「争いに巻き込む」という悲劇を演出しているような気がします。自分もこういうのに影響されているのか知らないけど、やたら一人で孤独に突っ張ることが多いです。ただ単に友達が少ないだけですが……。

 最後の最後にどうでもいいことを書くと、もうこの際だからアンパンマンマーチを日本の国歌にしてもいいんじゃないかとすら思うようになってきました。英語にすると「The March Of Anpanman」でそれなりにかっこよく見えるし、東京五輪の国歌斉唱でこの曲をみんなで歌えば韓国や中国の連中だってもう靖国なんてどうでもいいと思い始めるんじゃないかな。
 でも真面目な話、婉曲の聞いたわけのわからない歌詞なんかよりずっと、単純でありながら強い意志のこもった歌詞の方が胸に響くね。

2014年1月8日水曜日

最近書いた記事について

 正月に色んな人と会ったりスカイプで会話したりしましたが、その際にこのところの記事の感想などをよく訪ねていました。自画自賛となりますが先月こと2013年12月からやけに記事の質が上がっており、誤字脱字が多いのはいつも通りですが書きたてるテーマがそんじょそこらじゃお目に書かれないテーマが多いだけに自信を持ってお見せできる記事になっていると胸張っています。

 具体的な記事タイトルを挙げると、「『予定通り』にアイデンティティを持つ日本人」が去年一年間では最高傑作であったのではないかと思います。着想自体は他人からの引用ですがそれを具体例など共に解説し、人生のライフコースを定めた年齢通りに歩むことでしか幸福感を得辛いという日本人の特性を指摘したのはいい反応をしたと思います。やはりいい記事には人が集まるというか、どうもツイッターか何かで紹介してもらってこの記事を出した後しばらくはアクセス数がやけによかったです。

 同じく日本人論、というかこのところ日本人を批判したり貶す内容ばかり書いてて、「あなた疲れているのよモルダー」と言われそうな状態ですが、つい先日書いた「監視し合う民族」の記事もほかの記事と比べてややアクセス数がいいです。この記事は自分自身が一から着想して形にしている内容なだけに自分も気に入っているとともに、ある種自分の中で自分が日本人らしく振る舞う必要はないと決別するような意思表示をこめているので将来忘れられない記事になる気がします。
 なおこの記事について友人にコメントを求めたところ、自分の記事全体に言えることとして小泉元首相のような雰囲気を感じると言われました。その心はと説いたところ、「敢えて敵を作って自分の立場を明確にするような感じ」だと言われ、よく自分の記事読んでくれているなぁとしみじみ覚えます。なおその同じ友人によると、その前の「阿修羅像祀ってみた」の記事については、「あのノリとテンションはよくわからなかった……」と至極真っ当なコメントくれました。内心、自分でもよくわかりません。

 あと名古屋に左遷されて「最近年取ったせいか怒りっぽくなってんねん」と言っているうちの親父からは、「スマイルサーバーに対する不満と不信」の記事が八つ当たり的な内容を書き殴っているだけで、公平性に欠けててよくないとお叱りを受けました。自分としてはあくまで一ユーザーの立場としてスマイルサーバーの感想を述べたのだし、こういうのを見てレンタルサーバー会社を選ぶ人もいるんだからアリかなと思ってましたが、確かに八つ当たりと言えば八つ当たりなのでちょっとだけ反省することにしました。ちなみにある友人はこの記事の冒頭文にある、「私とNTT西日本が運営するレンタルサーバーサービス、スマイルサーバーとの心温まるふれあいについて」という一文が印象に残っていたようでわざわざ向こうから口に出してきました。
 それとこの記事の副次的効果ですが、なんどもスマイルサーバーと書いてたことが影響したのかこのところバナー広告にスマイルサーバーの広告がよく出てきます。まぁ「スマイルサーバー」で検索かけると私の書いた記事がかなり上位に表示されるので、ちょっとは貢献したかなっていう自負があります。どっちの貢献だっていうのは聞かないで。

 このほか話題に上がる記事としては、やっぱりというか「北京で受けたインスピレーション」が好評です。この記事は短い内容ですがこれこそ普通の日本人からはまず出てこない話題ばかりで、自分と友人が感じた内容をそのまま書いたのが功を奏したのか面白く仕立てられたかなとは思います。

 最後、これは最近というにはやや古い記事ですが、「奈良ドリームランドを偲ぶ」の記事がやけにコンスタントにアクセス数を稼いでいます。右下にある人気投稿記事順位でもこのところずっとトップを維持してますが、そんな気合入れて書いたわけでもないのになんでって自分でも驚く成績です。ふと奈良ドリームランドを思い出しては検索する人が世の中に多いからこそこれほどアクセスを稼いでいると推測してますが、それだけに記事中にも書いていますが特定の世代の関西人にとってはほんとに忘れられない思い出の場所だったんだろうなと偲ばれます。

 今この記事を書いている最中にパッと閃きましたが、もしかしたら奈良市に住んでて奈良を心の底から愛していてボランティアで観光案内までしている親父の従弟も、このドリームランドの記事を自分が書いていると知らずに読んでたりしたら……という考えがよぎりました。この親戚には自分も公私ともにお世話になっていますが、リアルにあれほど奈良を愛している人は見たことがありません。なもんだから昔テレビドラマで「鹿男あをによし」という奈良県民のための番組がやっている時はやけに盛り上がり、「この前一緒に行った居酒屋がドラマにでとったやろ!」などと、男子中学生っぽい会話を交わしたのはいい思い出です。

2014年1月6日月曜日

毛沢東の中国のGDPに対する貢献度

 真冬にもかかわらずGジャン一枚で貫き通す人間ときたら私とスギちゃん位なもの、といってもスギちゃんみたいに素肌の上ではなく私はちゃんと厚手のシャツの上にGジャンですが、そんな自分でも昨日今日の寒さは身に応えて今日も夕方から頭痛が響き、ぶっちゃけ持病とセットで気絶しそうです。でもブログは書くんだ(゚∀゚)アヒャ
 なので簡単に書けるネタとして今日は、毛沢東と中国のGDPについてちょっと書きます。

 結論から書くと、毛沢東が現代の中国に与えている観光収入は一体どれほどのものなのか非常に気になります。この前も北京に行ってきましたが相も変わらずに街中にはたくさんの毛沢東グッズ、具体的には毛沢東の肖像画が書かれた絵皿やバッグ、時計、人形などなどで、マフィアなど闇社会の経済を研究する学者はよくいますが、毛沢東による中国の観光収入を研究している学者がいるのであれば是非詳しく教えてもらいたいものです。
 なお今回の旅行中に一番気になったのは天安門前にでっかく掲げられていてニュース映像にもよく映るあの肖像画だったのですが、一緒にいる友人に対して、「そろそろあの肖像画も3Dで表示できるようにしないと中国は遅れてしまうぞ」などと、寒かったからなのかわけのわからないコメントをしてました。まぁやれるもんだったらぜひやってみてほしいのが本音で、闇夜に3D映像で浮かび上がる毛沢東を想像するだけで体が震えてきます。ただ単にいま寒いだけだけど。

 ただそれだけ死後も中国の観光産業に貢献し続ける毛沢東ですが、以前にも書いたことがあると思いますが一つ気になることとしてこれら毛沢東の商標権ことコピーライトは誰が持っているのかが未だにわかりません。もしかしたら中国共産党が持っていてあのお土産一つ一つからお金を取っているのかもしれませんが、あの中国のことだからみんな勝手に作っていてはっきりとした商標権は誰も持っていない気がします。
 だとすれば折角だし、敢えて日本人なり日本企業が「毛沢東」ないし「毛主席」で商標権を取ってみたらどうなるのか。恐らくですがこういう事したら中国政府並びに中国人はマジギレする一方、焦って自分たちも商標権を得ようと似たような言葉で商標権の登録に走るんじゃないかと思います。まぁ実際には受け付けてくれないだろうけど。

 それにしても日本にはこれほどたくさんグッズが作られる首脳は今だ出ておらず、そういう意味では中国がうらやましいです。日本で作るとしたら自分だったら伊藤博文だけど、商業的には早稲田卒が買ってくれそうだから大隈重信のがいいかもしれません。

2014年1月5日日曜日

監視し合う民族

 昨日の記事で年末の北京旅行で気づいた点というかインスピレーションを個別に紹介していきましたが、最後の最後に気付いた大きなトピックについて今日は紹介しようと思います。先に書いておくと恐らくここで書く内容は書かなければ書かずに置いた方がよく、書くことによって少なからぬ人間を敵に回してしまう内容です。

 その事実に気が付いたのは、日本に到着して自宅に帰る途中の電車の中でした。帰路が同行した友人と同じ方向なので電車でも隣り合って座り、話しをしながら乗っていたのですが、途中の駅で特急待ちとなったことからそこで停車する時間がありました。その停車中、自分の携帯電話が鳴ったので着信元を見ると上海にいる中国人の友人からだったので、電車も停車しているのだしまぁいいかとばかりに電話を取って、「喂,你好啊!」って具合で景気よく中国語を口にしました。
 その瞬間、それほど多くはいませんでしたが車内にいる乗客の目が一斉に自分へと向けられました。こういう体験は何もこれが初めてでなく、これまでにも中国語を電車で移動中に使うと日本語にない発音の珍しさからなのか、乗客が一斉にこっちを見つめてくることを何度も経験しています。なので今回も「よくあること」で片づけられたのかもしれませんが、この直前にあった出来事とリンクして咄嗟にある仮説が思い浮かんだのです。

 私が中国からの電話を受け取る直前、具体的には特急待ちで電車が駅に停車をした際、一旦車内のドアを閉めて空調の電源が落とされたのですが、空調の電源が落とされた瞬間は一時的にそれまであった空調特有の騒音がなくなり会話をする自分たちの声が急にクリアに聞こえるようになりました。ただクリアになったとは言ってもそれは本当にごく一瞬で、そのすぐ後には「シーン」という擬音が似合うほどの静寂が車内を包みます。何故かというと、それまで会話をしていた乗客が一斉に会話をやめたからです。
 日本人である皆さんならこのような体験を一度や二度、ひょっとすれば何度も経験してはいないでしょうか。室内にいる人間全員がそれまで会話をし続けていたのに、突然騒音がなくなったりBGMが中断されたり、誰かが部屋に入ってきたりすると一斉に黙ったり、声を小さくしたりなどと。もしくは、誰かが近づいて来たりしただけでも会話を中断してしまうこともあるのでは。

 まどろっこしい言い方はこれまでにして私が導き出した仮説を述べると、日本人というのは無意識に周囲の会話を盗み聞きしようとする一方、自分の会話を盗み聞きされないように気を配っているように見えます。嫌らしい言い方をすると、常に相互監視し合っているのが日本人社会だと言いたいわけです。誇張ではなく日本人は周囲で会話があると無意識にその内容を把握しようとするし、周囲に人がいれば自分たちの会話を聞かれていないかどうかを意識するところがあります。

 私がこのように考える根拠はいくつかあり、一つ目は上記の私の中国語の発音に対して乗客全員が反応を見せたこと、二つ目は私自身も電車に一人で乗っていたりすると知らず知らずのうちに周囲の会話に聞き耳を立てていること、三つ目は中国人は全く他人の会話に興味を持たないことからです。
 ちょっと長くなりますが三つ目について自分の体験を話すと、中国人は電車で移動中、本当にやかましいくらいの大声で常にみんな話をし合っています。なもんだから私が日本人の友人と一緒に電車に乗りながら日本語で会話していると中国人のおばさんが、「ねぇねぇこの駅に行くのはどう乗り換えたらいいの?」って中国語で尋ねてくることがありました。なんでよりによって日本人の自分に聞いてくるんだよと思いつつ中国語で路線の説明をしましたがどうもなかなか通じず、終いには我々を見かねた別の中国人のおばさんが、「この子たちは日本人よ。私が教えてあげるからあなたたちは無理しなくていいわ」と助け舟に入ってきてくれました。電車を出た後には一緒にいた友人に、「俺ら結構大声で日本語話してたんだけど、あのおばさんは全く聞いてなかったようだ」と言い合いました。

 この自分の例に限らず中国人は全く以って他人の話を聞かず(やや仕事でも)、かつ自分の会話が他人に聞かれることについて全く恐れを抱いていません。それに対して日本人は自分の会話を聞かれることに強い恐れを抱くし、盗み聞きした会話をよく話のネタに使います。先程やってみましたがGoogleで「電車 会話」と検索するとまさに盗み聞きした内容が書かれたサイトが出るわ出るわで、こんなの見ている電車の中で会話すること自体がタブーなのではないかとすら思えてきます。
 ただ同じ日本人でもこの傾向には地域差があり、関東よりは関西の方が聞き耳を立てないというか中国的な印象を覚えます。とはいえ関西人が全く聞き耳を立てないかというとそれはなく、というのも非常に嫌らしいことですが私はこの日本人の盗み聞きしようとする傾向に気付いてはいなかったものの、自分の会話の内容に何かしらの反応を示すことは知っていてそれを逆手に取ってしょっちゅう実験をしていたからです。

 その実験をしていたのは関西で過ごした学生時代ですが、友人と一緒に電車に乗るとやおら日本の統計データ、具体的には日本人の平均年収や自殺率、国債残高や首相支持率などといった数字をやや大きな声で口にして、それに対して周囲の乗客がどんな顔をするのかじーっと観察してました。日本人の世代別平均年収を話すと若い女の子は大抵意外そうな顔します。
 そんな私の本当に厭味ったらしい学生だった過去は置いといて話を戻しますが、まぁこれだけグダグダ説明しなくても同じ日本人なら最初の方の説明ですぐに理解してるんじゃないかと思います。何せ普段からやっていることなんだし。

 では何故日本人はそのように盗み聞きしようとして、またそれに対して盗み聞きされないように気を配るのか、これは結論から述べると単純に教育が悪いせいだと思います。ここ数日、この仮説に気が付いてから街中を歩く時や電車に乗っている最中はずっと観察してましたが、やはり小学生くらいの子供だとこの傾向が全く当てはまらないことに気が付きました。日本人の大人は電車が駅に到着して騒音が減ると露骨に会話の音量が小さくなったり下手すれば中断したりしますが、小学生はそんなのなんのそのとばかりにそれまで通りの音量でしゃべり続けています。また大人がみせる盗み聞きされているのではないかとばかりに周囲に向ける警戒感らしきものも全く見せず、まぁ無邪気に話し続けます。
 ターニングポイントとなる年齢層はやっぱりというか中学生くらいで、この層あたりから気にせず話し続けるのと周囲を気にするようなのに分かれてきます。友人にこの仮説を説明した所、やはり思春期に当たる世代で色々と気にし始めることが影響しているのと、日本人の場合その思春期特有の感覚が成人になっても変に続いているのではないかという面白いコメントが得られました。

 今回、ここで書いた内容はあくまで仮説であり実態としてはもしかしたら間違っているかもしれません。しかしそれを推しても自分としてはそこそこ自信のある仮説であり、日本人の民族性において意外な盲点によく気が付いたという自負があります。もっともこれまでなんで気が付かなかったのか、自分もやはり日本人の一人だったのかという妙な敗北感も覚えますが。

 率直に言って、このように盗み聞きをしようとするような、まるで密告社会であるかのようなこの特性を持つ自分を含めた日本人というのは非常に気味悪く感じます。また古来よりこのように相互監視し合うかのような陰湿な民族が栄えたという試しは聞いたことはなく、むしろ衰退していくというのが自然の流れの様にも思います。メディアも去年は個人情報保護法案関連で日本が監視社会になるだのなんだの散々に煽りましたが、同じ日本人同士で日常茶飯事みたくしていることを今更何言ってるんだよという気がしてなりません。

 冒頭から非常に挑発的な文章を綴っておりますが、自分は日本人がこのような行為をそうそう簡単にやめるとは思えず、この記事で改善を促すなぞ以ての外でしょう。ならなんで記事にしたのかというと、このブログの読者であればこうした日本人の傾向を意識することでいい意味で見えてくるものがあるだろうと確信していることが大きいですがそれ以上に、書かなくてもいいことを書くと「俺はお前たちとは違う」ということを鮮明に宣言したいというのが本音かもしれません。

2014年1月3日金曜日

北京で受けたインスピレーション

 既にブログで写真もアップしてますが、昨年末に北京へ友人と旅行に行ってきました。この時一緒に来た友人は自分の同世代の友人の中でも十指に入るくらい頭が回る勘のいい友人なだけに、旅行中は様々なポイントを指摘してくれて数多くのインスピレーションを受けたので今日はそれらを順番に紹介していきます。ただ十指とはいっても、そもそも私の友人は十人もいるのかどうかちょっと微妙ですが。

1、真冬の北京の味千ラーメンはうまい
 味千ラーメンというのは中国滞在者なら知らない人はいない、日系で最も向こうで人気なラーメンチェーンです。友人がこの店には是非とも行ってみたいと言っていたことから一日目の夕方に訪れたのですが、上海で何度も味千ラーメンを食べている私ですらスープをずっとすするほどこの時食べた味はおいしかったです。恐らく真冬の北京を、具体的には日壇公園の近くを長い時間うろうろして体が冷えた後に食べたからおいしかったのだと思いますが、友人も大絶賛で二人してべた褒めしながら麺をすすってました。

2、アイスクリーム屋に行列をつくる中国人
 この時訪れた味千ラーメンの店舗はショッピングセンター内にあったのですが、同じ階は他にも飲食店が並んでいる階でした。なので麺つゆすすりながら周りを見てみるとなにやら行列が出来ている店があり、どんな店かと見てみるとなんとアイスクリーム屋でした。なんで真冬にアイスクリーム屋が繁盛するんだよなどと思いつつもあれだけ並んでいると自分もなんか食べたくなるなと見ていたら友人が、「おい見てみろよ、中国人が行列作ってるじゃねぇか」と言って、自分も初めてその事実に気が付きました。
 そう、肝心なのは真冬にアイスクリーム屋が繁盛していることじゃなく、並ばずに割り込んでばっかだった中国人がきちんと行列を作って並んでいることです。言われて自分も目を疑ったのですが私が留学していた七年前なら行列なんてまず有り得ない光景だったのに、時が経った現在に至って中国人というか北京人もちゃんと並べるようになってます。
 この傾向は何もそのアイスクリーム屋に限らず地下鉄の乗車口でもきちんとドアの左右に並んで待っており、以前はドアが開くや降りる人と乗る人が毎回のようにラグビーの試合みたく激しくぶつかり合っていたものの、こちらも現在ではちゃんと降りる人が全員降りてから乗る人が整然と乗るようになってました。わずか七年でこれほどまでにマナーは改善するのかと驚くのと同時に、貼り紙をあちこちに貼ってマナーを守るよう喚起していたこともちゃんと効果があったのかという事をしみじみ感じます。っていうか中国人もやればできるじゃん。

3、中吊り広告のない車両
 これも友人が指摘してくれたのですが、中国の地下鉄車両には基本的に中吊り広告はありません。中吊り広告と来ると日本では週刊誌の見出しがいっつも踊っててなんとなく見ちゃうあれですが、改めて中吊り広告のない中国の車両を見ると同じ車両の奥の方まで見ることが出来ます。
 その友人曰く、中吊り広告がないと空間が広く感じるとのことで、確かに言われてみると日本の車両はなんとなく圧迫感というか中国の車両に比べて狭く感じる気がします。それに中吊り広告の週刊誌の見出しは下品なものも少なくなく、むしろない方が精神衛生上いいのではなどと言うことをお互い話しました。
 また電車内に限らずとも、中国は都市部にいて圧迫感を感じることがほとんどありません。建物のサイズが何でも日本の数倍くらい大きいということが第一ですが、日本の都市部と比べて統一感がなく見ていて不快に感じる広告が少ないこともあるでしょう。はっきり言えば日本の都市設計は酷いなんてもんじゃなく、各担当者はシムシティでしっかり勉強し直せと言いたいです。

4、流れるモニター広告
 市内での移動中に地下鉄に乗っていてふと窓の外を見てみるとトンネル線路の壁にモニターが横一線に設置されてて、まるでパラパラ漫画を見るかの様に列車に乗りながら広告が見られる路線区間がありました。私はそれほど感動しなかったのですが友人はこれにいたく感動して、単純に視覚的に面白いだけでなく広告の幅が広がる、中国は進んでいるなどとべた褒めでした。
 そんな友人に対して付け加えるように私も説明したのですが、中国の地下鉄車両には基本的に、ドアの横に一台はテレビモニターが設置されています。そのモニターは主に新華社のニュース番組を流しつつ広告も流すのですが、日本ではこのようなモニターは都心の一部車両にしかなく、また流す映像も中国のものよりお粗末な感じがします。こと電車での広告に関しては中国の方が日本の先を行っている、私にはこう思うし友人もきっとそう思っていることでしょう。

5、ゆっくりと流れる時間
 北京の留学体験記にも確か書いていたと思いますが、不思議なことに中国にいると日本にいるときに比べて時間がゆっくりと流れるような感覚があります。それは今回の短期滞在でも同じで、日本だと大分時間が立ったからもうそろそろお昼かなと思っていたらまだ午前十時だったり、晩飯食べて風呂も入ったしそろそろ寝る時間(午後十一時過ぎ位)かと思ったらまだ午後八時半だったり、こういう事が本当に数多くありました。
 この感覚は中国にどっぷりつかっている私だけでなく友人も一緒だったようで、二人してこっちは時間が本当にゆっくりだなどと何度も話し、じゃあなんで日本はあんなに時間が足りず、いつもめまぐるしいんだという原因について議論しました。結論としては日本は周囲に対して常に神経を貼っているというか気を配る必要があるのと、テレビ、ネット共に膨大な情報が常に流れているからそういった情報の処理に脳の大部分が使われるからじゃないかということに落ち着きました。
 ちなみに旅行三日目は万里の長城の疲労が祟ったのでホテル内の部屋で長い時間を過ごしましたが、その際にNHKワールドプレミアムで「あまちゃん」のダイジェスト版が流れてて、「能年もいいけど橋本愛のがかわいいよね」なんていいながら見てましたが、この時ばかりは時間が早く流れた感覚がありました。耳にする言語が日本語、中国語ってのも影響あるんだろうね。

 以上が今回の旅行で主に感じた点ですが、帰路における最後の最後でとんでもない事実というか傾向について気が付いたことがあります。なかなか大きなネタなので、こちらは次回に独立して解説することとします。

2014年1月1日水曜日

阿修羅像祀ってみた

 かねてからこのブログでは買ったものを写真に撮って公開する際、親父と親父の従弟のいい年こいたおっさん二人がガシャポンで獲得した阿修羅像を大きさを比べる材料として一緒に写真に撮っています。一昨年の「中国製タブレットPC購入」の記事で詳しく紹介していますが、この阿修羅像は未だに手元に置いているのですが、何を思ったのかいつも窓際に置いています。
 私が今住んでいるのはアパートの1階で、しかも道路側に一番近い部屋です。このアパートでよくわからないのは道路に面した窓が曇りガラスとなっていないため、カーテンを開けていると部屋の中がまる見えとなってしまい、しかもその道路側の窓は部屋の壁から突き出ており、突き出た部分にはカーテンがかけられない構造となっています。

 仕方ないので突き出た部分の外側というか壁沿いにいつもカーテンをかけているのですが、突き出た部分が棚みたいになっているので、何も置かないのもあれだと思って何故か、「阿修羅像を置こう」ってことになり、私の家の前を通る人は洩れなく阿修羅像が見えるような配慮をしています。そんな配慮、誰もいらないだろうが。

 そんなみんなの崇望集める阿修羅像ですが、なんか今日は元旦だし儀式めいたことをしてみたいなぁと考えていたところ、アロマかと思って間違って100円ショップで買ってしまった普通のキャンドルがあることに気が付き、せっかくだからこのキャンドルと阿修羅像を組み合わせてみようと思い立ちました。恐らく普通の人なら思い立つだけでしょうが、実行力に関しては定評のある自分なだけに即実行しちゃいました


 これがその写真です。「その」って言うのもなんかおかしい気がしますが。
 手前の下部分に窓の桟があると思いますが、この構図はばっちり道路からも見ることが出来ます



 フラッシュをたいたバージョンです。右のキャンドルの炎が小さいのが残念。後ろに見えるカーテンを開くと自分のプライベートが見たい放題です。



 斜めの構図からのショット。なんでこんなことを真冬に路上で、しかも風呂入った後にパジャマ姿でやっているんだろうという疑問が頭をよぎります。相変わらず右の炎が小さい。



 ちょっと時間をおいてから、室内の電気をつけた状態で再撮影。光が露光しているのは間に窓ガラスを挟んでいるからです。右のキャンドルもこの時点はこうこうと光ってた。

 なんでこんなことをしようと思って本気で実行してしまったのか我ながら理解に苦しみますが、こうした自分の信仰心を汲んでかなりハードだった去年よりはいい一年にしてくれたらいいなとか思います。
 あとこの記事書いている最中に家の前で「すげぇ」って子供の声がしましたが、これ見て言ってくれたのかな?好評なら定期的にやってみようかなという気もしますが、こんだけ阿修羅像に対して信仰する元キリシタンも珍しいでしょう。

正月とグランツーリスモ6と自転車

 このブログの早期からの読者なら恐らく覚えているのではないかと思いますが、五年前の2009年の正月に私はなぜか自転車での房総半島一周を企図していろいろと痛い目に遭いました。詳細は「房総半島自転車一周地獄の旅」の中で書いていますがこの体験のせいか、正月を迎える度によくもまぁあんなアホなことをしたもんだとよく思い出します。ちなみにある友人はこのブログで一番おもしろい記事がこのネタだったとよく言ってくれます。

 話は現在に戻しますが私はここ数年中国で生活していたこともあり、日本で正月を過ごすのは実に2010年以来となります。向こうで生活していて日本の生活を懐かしむことなんてほぼ皆無でしたが、この正月のシーズンだけは向こうで日本のサイト見ていていっつもさびしい思いをしていたので何が何でも今年は日本で年越そうと思っていました。この辺は海外駐在者じゃないとわからない感覚じゃないかな。

 そのように待望していた今日の元旦ですが、特にやることもなく朝起きてからは普通にゲームしてちょっとぼんやりしてました。一人暮らしなせいでおせち料理や飾りつけを準備する気も起きず、昨夜も夜中まで年末に買っておいた「グランツーリスモ6」で遊んでたくらいで、ちょっともったいない過ごし方しているなぁ等と感じてました。
 ちなみにこの「グランツーリスモ6」とはPS3のレースゲームですが、日本では希少な親子二代揃っての三菱党である私はこのゲームでも三菱自動車の車ばかり動かしてます。ただ今回のこの6に登場する三菱の車種だと「FTO」と「GTO」がグレードや年代別に細かく分かれて登録されてますが、こんだけこの二車種を数多く登場させるくらいならハッチバックの「ミラージュ」とか「八代目ギャランVR4」を出してくれよと贅沢な文句が出てきます。まぁ三菱の車の中でもFTOが一番好きだから別にいいんですが。
 もう少しこの話を続けると、ランエボの中では「ランサーエボリューションⅧ MR」が一番好きです。他のメーカーについても触れると、スズキの車で「スイフトスポーツ」が入っている一方で市販されている「SX4」が入っていない(WRCに出した特別車は出てくる)のは残念でした。スズキの中ではあれが一番好きなのに。

 話を今日やったことに戻しますが、午前中はゲームしながらボーっとしてたので午後は外出しようと思い、先ほど話した房総半島一周の悪夢を思い出し、「今回は距離を控えて白井まで行ってみよう」という結論に至りました。
 隠すことないので明かすと現在は千葉県松戸市のやけに横揺れの激しいアパートに住んでます。で以って今回目標の白石は同じ千葉県内で、昔予備校講師が「毎年あそこではセミが集団自殺する」と語るほど自然にあふれた場所だと聞いてたので、今まで行ったことないし自転車で行ってみようと思い立ったわけです。

 京成線の白井駅まで私の家から直線距離で約5キロ、往復で約10キロの距離です。軽く地図で見て行ってみましたが、京成線の沿線というか千葉県内は都市部以外だと入り組んでいることが多く、行くまでに結構道に迷ってかなり遠回りした挙句に到着しました。しかも千葉県内は沿岸部を除いて丘(形状からしてその多くが古墳)が多く、自転車での移動だと昇って下りての繰り返しになるため、正直な感想としては走っててスゴイつまらなかったです。途中の鎌ヶ谷大仏の近くでは狭い道に車が渋滞して先進めなかったし。
 京都とかだと道も走りやすいし風景もいいからそういうことないけど、千葉県というか関東は自転車で走ってても面白味が少ないです。まだスピードの出せる河原沿いならともかく都市部や都市間に至ってはイライラが増すだけであんまこういうところ走るのはもうやめようかなと思います。

 自転車で走ってたのは午後一時前から三時までの二時間ですが、ずっと走ってて疲れたので家に戻った後は漫画喫茶行って真冬にもかかわらず清涼飲料をがぶ飲みして、友人おすすめの「電波の城」と「自殺島」という漫画を読んでました。でもって家に帰った後、何をトチ狂ったのか妙な行為をおっぱじめるわけです。