2014年6月29日日曜日

ダブルヒロイン考察

 私はまだ見ていないのですが、ディズニー映画の「アナと雪の女王」が大ヒットのロングランを続けているようです。あまりのロングランとなったせいで同時期に公開されたほかの映画が割を食ってどれも興行収入が伸び悩んでいるとも聞区だけにその影響力は絶大で、世界での興行収入も未だ伸び続けているというから驚異的です。
 なお主題歌に関しては多少申し訳ないのですが、このサイトにある替え歌の歌詞がえらく笑えました。
 
 この「アナと雪の女王」ですが、何故これほどまでの大ヒットを記録したのかという分析に、主題歌などと共に「ダブルヒロイン」という要素が受け入れられたからではないかという話を耳にしました。ダブルヒロインとは文字通りそのまま、主役となる女性を二人配置するという手法なのですが、なんでもこの作品では当初はアナ一人にスポットを当てようと考えていたものの、途中で雪の女王ことエルサも主役級に話をからめようって変わり、結果的にはそれが大当たりだったという裏話を聞きました(本当化までは確認してないが)。実際にこれらのワードで検索をかけると、「あなたはアナ派?エルサ派?」とか「アナとエルサのどっちに共感した?」などという言葉がヒットし、作品のファンの間では楽しく議論する一つの題材となっているように見えます。
 
 ところでこのダブルヒロインという手法ですが、改めて考えてみると明確にダブルヒロイン路線と打ち出されていないものの、それに準ずるようなヒット作が多いように思えました。いくつか例を出すと、日本のサブカルチャー市場で恐らく最も早くかつ明確にダブルヒロインが打ち出されたのはアニメの「超時空要塞マクロス」という作品で、この作品だと戦闘機パイロットの主人公は当初、アイドルの女性と恋愛関係であったものの自身の戦闘やヒロインのアイドル生活によって徐々に疎遠となり、逆に戦闘中にあれこれ助言してくれるオペレーターの女性と段々親密になっていって最終的にそっちとくっつく結末なのですが、このアニメの放映中は先ほどの「アナ雪」同様にそれぞれのヒロインで派閥が出来てどちらに優劣があるかという議論が大いに盛り上がったそうです。そうした経緯もあり、このマクロスの続編の俗に言う「マクロスシリーズ」ではダブルヒロインとなる作品が多いです。
 ここまで書いておきながらだけど、私はマクロスはスパロボでしかやったことがなくアニメは「マクロス+」という作品しか見たことないんだけどね。
 
 実際に私が直接触れたことのあるダブルヒロイン作品というと、同じ世代なら共感してくれると思いますがゲームの「ファイナルファンタジー�」です。この作品もヒロインと呼べる女性キャラクターが二人おり、ネタバレしちゃうとそのうち一人はゲーム途中で退場というかお星さまになっちゃうのですが、現代に至るまでどっちが正当なヒロインかで議論が続いています。なお去年に大阪で会った友人とこの話が出た時に自分はティファ派だと言ったら、「やっぱ胸か……」とぼそっと呟かれました。逆にその友人はエアリス派だと言い、二人の間に鋭い空気が一瞬流れました。
 同時期のゲームだとこのFF�のほかに「ドラゴンクエスト�」もダブルヒロインといえ、主人公は途中で二人のヒロインのうちどちらを選ぶかを迫られます。もっともこのゲームだとその後の展開はほとんど一緒だからほかのと比べるとダブルヒロインというにはちょっと物足りない気がしますが。
 
 最後にもう一つ。恐らく誰もこの作品がダブルヒロイン路線であると明確に認識してないまでも作品としてみればダブルヒロインものだと断言できる脅威のヒット作品が存在します。もったいぶらずに言うとそれはアニメの「新世紀エヴァンゲリオン」で、知ってる人には早いですがこの作品では一人の男主人公(シンジ君、香川選手とは関係ない)に対し綾波レイ、惣流アスカの二人の女性ヒロインが同時に存在しており、なおかつこの二人のキャラクターは最初に挙げたマクロス同様に見た目、性格などの点で真逆と言っていい個性を持っています。私もこのエヴァがヒットした90年代中盤にアニメや映画を見ており、周りもそこそこ盛り上がっていたのを肌で感じておりますが、当時もやはりレイ派とアスカ派に分かれてどっちがいいか等という議論はありましたし、またそれぞれを贔屓にする理由というものが明確に分かれておりました。
 
 このダブルヒロインという手法の肝はなんといっても、ファンの間口を二面に渡って広げるという効果に尽きます。どの作品でも二人のヒロインは「控え目VSゴージャス」、「前に引っ張るタイプVS後ろから押してくれるタイプ」などのように真逆の個性を持ち、言ってしまえば片方のヒロインがタイプでなくてももう片方のヒロインはタイプとなりうるため、複数の系統のファンを同時に獲得することが可能となるわけです。いわば銃と剣の二刀流、遠距離でも近距離でも同時に戦えるようなイメージですかね。
 
 総じて言うと、このダブルヒロインという手法はそれほどメジャーな手法と言えないまでもそこそこヒットを促す優秀な要素なのではないかという気がします。エヴァの様に明確に「この作品はダブルヒロイン物です」とはっきり打ち出されていないものの事実上ダブルヒロインになっているヒット作品は多いように思え、逆にダブルヒロインもので大失敗した作品というのはあまり浮かんできません。もっともヒロインが多すぎて失敗した作品なら山の様にあるが。
 逆に「ダブル主人公」の作品はどうかとなると、ヒット作もありますが明らかに失敗している作品も多いように内心思えます。なんで失敗するのかというと簡単な推測ですが、主人公が二人いると肩入れし辛いというか感情移入が出来なくなり、またストーリー展開も一人の主人公を二人のヒロインが取り合うのと比べて二人の主人公が別々の道を歩みがちで分散化してしまう傾向があって盛り上がりをわざわざ落としてしまうためではないかという気がします。パッと挙げられるのだと、「ジョジョの奇妙な冒険」の第七部こと「スティール・ボール・ラン」は二人の主人公が同じレースに勝つという目的で協力し合うという非常に上手いストーリー構成で、この手のダブル主人公ものとしては傑作と言っていいほど面白く、最後の方なんか文字通り神がかった出来だったけど。
 
 以上までがざっと書きたかったことすべてですが、途中で挙げた「新世紀エヴァンゲリオン」は改めてみるとダブルヒロインだと気が付いたのは我ながらなかなか衝撃的でした。同時にこの作品は最近になってまた劇場版が作られて大ヒットするなどそのコンテンツ力を凄まじいの一言に尽き、またあの大ブームの時代に直接触れた人間として何か解説でも書いてこうと思い立ったので次回では久々に平成史の一イベントとしてこの作品を取り上げてみようと思います。

2014年6月26日木曜日

昭和天皇の人となり

 先日に歴史ネタで何かリクエストはと知人に尋ねたら昭和天皇について書いてほしいと返ってきました。昭和天皇についてその歴史的な立ち回りについて書こうとしたら一介じゃとても書き切れないし、またその辺の解説は何も自分じゃなくてもほかの人もやっているので何か自分なりの味付けを加えようと考えたところ、昭和天皇の人物像というか人となりであればまだ書けるのではと思い、今日のこの見出しとなったわけです。
 
 昭和天皇がどういう人物であったかについて、日本人であれば知らない人はまずいないでしょう。平成に時代が切り替わった直後に報道各社で昭和時代を振り返る特集が何度も組まれましたが、それら特集のほとんどに「激動の昭和」という言葉が枕詞の様につき、現在においても「安定の昭和」とか「治世の昭和」なんて言われない辺りこの表現が強勢を保っているように思えます。この激動という言葉の通りに昭和時代に日本は敗戦もすればバブル景気も謳歌しており、文字通り底辺とてっ辺を両方とも体験したという歴史的にもこんな国はこれまで存在したことはそんなにないでしょう。
 そんな昭和時代に最も翻弄された日本人となるとやはり私の中で上がってくるのはこの昭和天皇で、国家元首としての地位に生まれ文字通り神様として崇められましたが太平洋戦争の敗戦によってその地位はなくなり、新たな憲法体制下で「人間宣言」を行った上で象徴天皇制の下で新たな役割を演じることとなります。
 
 昭和天皇がどんな人物だったか、私個人の印象をここで述べると一言で言えば責任感が恐ろしく強くて周囲に求められる役割を自分なりに必死で果たそうとするタイプ、といったところです。伝えられている歴史だと少年時代から非常に頭が良くて英邁な君主になると期待されていて、父親の大正天皇が病弱だったことから皇太子時代から摂政として政務に与かり大過なく運営していた点を見るとやはり非凡な人物だったと思えます。そして自分が天皇になると、自ら立憲君主制の君主足らんと行動している節があり、侍従などの日記によると議会の混乱に不安を感じつつも直接政治に口出ししてはならないとして超えてはならない一線をしっかり引いた上で自重しています。もっとも、満州事変の際には嘘ばっか報告する陸軍に怒り、当時の田中義一首相を叱って総辞職させてしまったことがあり、昭和天皇本人もトラウマになるほど後年に反省してますが。
 
 話は戻りますが終戦後に象徴天皇制の中で新たな役割が求められる中、昭和天皇は比較的スムーズに適応してそのまま終生天皇としての役割を果たし続けます。私の勝手な推測ですが戦前まで元首としての振る舞いが求められていたのに終戦後は一転して象徴としての存在に切り替えるのはなかなかできるものではないのではなどと思うのですが、この辺で昭和天皇はきちっと切り替え現在にも続く象徴天皇制の中の天皇の役割というものを確立させた気がします。
 なおここで一つのエピソードですが、終戦後に国民を慰めるために昭和天皇は皇后と共に全国各地を行幸してますが、これは宮内庁側からGHQに発案したとされ、恐らく昭和天皇自身も乗り気で実行したのではないかと見られています。その行幸の際、市民から話を聞くと昭和天皇は当初、「あっそう」と度々言い返してたそうなのですが、行幸が何度も行われて行くうちにどうも「あっそう」というのはこれまで意識しなかったものの世間では失礼な言い返し方だということを自覚したようで、途中からは「大変でしたね」などと言葉を変えたと伝えられています。こういうあたりを見るにつけ本当に立ち直り方が早いな。
 
 このように周りから求められている振る舞いや、こうしてもらいたい行動を言わずもがなで察知して着実に実行に移す、昭和天皇はそういう人物だったのではないかと私は思っています。逆を言えば「私」こと自我がほとんどない、というか徹底的に抑え込むストイックな人物だったとも言えます。
 実際にこれは晩年の闘病中のエピソードですが、医者から「お体で痛むところはありますか?」と問われた際に「痛いとはなんだ?」と聞き返したことがあったそうです。この話を昔教えてくれた佐野眞一氏は、恐らく昭和天皇はそれまでの人生で「痛い」と言ったことがなかったのでは、痛いと思ってもそれを絶対に口にすることはなかったのではと話していましたが、この説に私も同感です。自分に対しここまで厳しい人は市井にも少ないというかまずいないだけに、皮肉な言い方になるかもしれませんが立憲君主制下では本当に理想的な人物像だったかもしれません。
 
 このように自分が言いたいこと、やりたいことがあってもそれをしっかり我慢するのが昭和天皇ですが、自我が全くなかったというわけではなく「譲れない一点」というかこだわるようなポイントはもちろんありました。それはどこかというと昭和天皇の専門領域である生物学に関する分野で、戦後に農林省が植林事業を行うに当たって資材になりやすい杉やヒノキをガンガン植えようと提案したら、「針葉樹ばかりでは広葉樹が減り生態系が崩れるのでは」とチクリと釘を刺したそうです。実際にそうなってクマが大量に下りてくるわ、花粉症という風土病が出来上がるわでこの時ばかりは昭和天皇にもうちょっと前に出てもらいたかったものです。
 同じく生物学に関するエピソードだと、これは以前にも紹介しましたが和歌山の奇人こと南方熊楠に戦前、昭和天皇は個人講義を依頼しています。警察官や裁判官に向かって平気でゲロをぶっかける南方熊楠もさすがに昭和天皇の前ではかしこまり講義中は終始緊張しっぱなしだったそうですが、この講義を昭和天皇も非常に気に入ってたようで侍従から予定時間が終わると通知されるや、「続けなさい」といって前代未聞の延長コールを出しています。後年に至っても相当印象に残っていたようで、戦後に昭和天皇が歌った和歌では天皇御製としては非常に珍しく、「熊楠」という個人名を入れた歌を作るほど懐かしがるほどでした。
 
 現代の今上天皇、そして皇太子も決して人格的に問題があるわけでなく、むしろよく頑張られているとは思うものの、これらのエピソードから垣間見える昭和天皇のストイック振りと比べるならさすがに敵うべくもないでしょう。ちょっと大げさな話をすると、仮に将来天皇制が廃止されるとしても昭和天皇の事績とその生き方に関しては歴史に大きく刻まれ続けるのではないかと思います。
 
  余談
 当時の年齢も覚えていないほど幼児だった頃、ある年の冬の情景だけ何故かくっきり覚えています。その冬はぐずついた天気が多かったのですが外に出ても何故か人通りは少なく、ひっそりしていて、自分も外で遊ぶことは控えて友達と一緒に近所のコンビニ(セブンイレブン)で買ったトランプを使って部屋の中で遊ぶ時間がやけに長かった気がします。今思えば、あの冬が大葬の冬だったのかもしれません。

2014年6月25日水曜日

電子書籍価格の戦略なき変動

 いきなり本題に入りますが、このところAmazonで販売される電子書籍の価格が恐ろしいほど激しい変動を繰り返しております。電子書籍といっても私が買ってるのは恥ずかしながら漫画が主なのですが、誇張ではなくここ数ヶ月は毎月と言っていいほど値段が変わっています。
 具体的な金額を挙げると、たとえば「ヤングジャンプ」などといった集英社の青年コミックだと今年三月までは一冊368円だったのが、四月に入ると何故か300円に下がり、そして五月のGW明けにはこれがまた368円に戻ると、六月になったら想定外の500円に値上がりました。この流れを矢印で書くと以下の通りです。
 
 三月 → 四月 → 五月 → 六月 
368円→300円→368円→500円
 
 同様に角川書店の角川コミックスも、五月までは一冊378円だったのが六月に入った現在だと432円に値上がりしています。ちなみに買っているのは「新世紀エヴァンゲリオン 碇シンジ育成計画」という漫画ですが、ちょっと記憶があいまいではっきりしないものの、六月前半には一時500円になってたのを見たような……。もしかして六月中にまた値段下げたのかもしれません。
 
 これら電子書籍の値段の決定権は販売しているAmazonではなく出版社側であるため、この激しい変動振りは出版社の作為によるものと見て間違いないでしょう。ただAmazonに対しても不信感が全くないというわけではなく、というのもこれらの価格改定を事前に全く通知してくれないからです。念のためこの記事を書く前に何度もサイト内を調べましたが価格改定を事前に通知するようなページはついぞ見当たりませんでした。
 読んでてわかるでしょうが、正直に言ってこの一連の値段変更は私にとって不快です。恐らく4月中は販促キャンペーンかなんかで一冊300円にして売り出してたのでしょうが、もしこの価格が四月限定であるとあらかじめ通知されていればこの時期にまとめて買っていただろうし、同様に六月から価格を実に35.9%も引き上げるということがわかっていたら、ひとまず今欲しいものに関してはあらかじめ購入していたでしょう。それ以前というか予告なしに30%超もいきなり値段引き上げるなんて消費者をちょっと軽んじすぎやしないか。
 
 一体何故出版社はこのように値段を、それこそ猫の目のようにころころ変更するのか。結論を言えば特に戦略など持っておらず適当に設定して適当に変えているようにしか見えません。しかしほぼ毎月値段を変更するというのは株や生鮮品でもないというのに如何なもののように思え、またキャンペーンで一時的に値段を下げるという戦術はまだ理解できるものの、それを周知しようとしないというのは一体何のためにキャンペーンをやっているのか中途半端もいい所でしょう。
 私の予想だとそう遠くないうちに出版社はまた値段を変えてくると思います。これで七月に入ってまた変えたら傑作ですが、多分出版社は確固たる販売戦略を持ってないと思えるだけに、また適当な気分で変えてくるのは目に見えています。それだけに大きく値段を引き上げられた状態である今、消費者はどう行動するかというとそれもまた明白。少なくとも私に限ればまた値段を下げるまで買わないの一点に尽きます。
 
 自分ほど細かく価格をチェックしてなおかつ文句垂れるのは珍しいにしろ、なんだかんだ言いながら消費者はこういう売り手のあいまいな態度をちゃんと見透かして消費行動にきちんと反映させてくると私は思います。なので今後も出版社がころころ値段を変えようものなら虻鉢取らずな結果に陥ると思うだけに、価格を引き上げるにしろ引き下げるしろもうチョイはっきりとした戦略を持てよというのが今日の私の意見です。

2014年6月23日月曜日

自民党都議のセクハラ発言問題について

 久々に政治記事を書きますが、各所で報道されている通りに先日都議会で塩村文夏都議に対して「早く結婚しろ!」などという品のない野次が飛んできた件について、自民党の鈴木章浩が本日、自らが発言主だと明らかにした上で塩村都議に謝罪しました。あんま長く書く記事ではないのでちゃっちゃといいたいことを書きますが、まぁ次の目はないでしょうね。
 
 一応というか渦中の中で自ら名乗り出てきたのは評価してあげたいものの、既にこの問題が取り上げられ始めた時点で発言主は鈴木都議ではないかとネットを中心にささやかれており、今日の発表を見て私も「ああやっぱこの人だったんだ」と思ったほどでした。何を言いたいのかというと今回の発表は刑事用語でいうなら自首ではなく出頭、つまり犯人がわからない状態で自分がやったと名乗り出たというよりはもうバレバレだったから、「そうよ、何を隠そう俺こそが犯人だ」とばかりに開き直って名乗り出たようにしか見えず、実際にあまり反省してるようにはとてもじゃないけど思えません。
 さらに鈴木議員自身が問題発生当初に記者からのインタビューで、「そのような野次は聞こえなかった」などと言った本人でもあるにも関わらず否定しており、自分の発言が問題あったとわかっていた上で隠そうしていたのは明白でしょう。それから名乗り出るまでの時間は数日あったにもかかわらずダンマリ決め込んでたんだから、うやむやにする気は満々でさっきも言ったように隠し通せないから開き直っただけでしょう。
 
 こういってはなんですが、ガンダムで言えばアルベオ・ピピニーデン(わかる人いるかな?)並に情けない奴としか思えません。発言の品のなさもさることながらバレバレの癖にしらばっくれて、事と問題が大きくなってから観念して白状するなど時代劇の小悪党ですらもっと堂々としてる気がします。それだけに、「子供は産めないのか」という野次は言っていないと抗弁してますが、果たして本当にそうなのか私個人としてはまた嘘ついてるのではと強い疑問を感じます。
 この件に限るわけじゃないですが地方議員に白国会議員にしろ、政治的知識や立ち回りの良さ以前に人間としての資質が明らかに終わっている人間がいくらなんでも多すぎます。もっともイタリアにはベルルスコーニという大物もいますが。
 
 本来議員を監視するべきマスコミも国会議員は愚かこういう地方銀になると完全にするーもいい所で、もう少しメディアの監視として地方議員を力入れて取り上げるべきだと前々から思います。そもそも日本で政治家が育たないというのも、こうしたレベルアップの場である地方議会があまりにもレベルが低すぎる点もあると思うんだし。
 なお地方議員出身者として過去にいた大物としては、やっぱ私の中では野中広務氏が挙がってきます。そこまで嫌ってるわけじゃないけど、やっぱ悪人というかダーティな人は長生きするなぁ。

2014年6月22日日曜日

目下に苦痛を強いる日本人、といじめの構造

 昨日にブログを更新しようとしたらいきなり部屋のブレーカーが落ちて停電となり、パソコンを起ち上げることが出来ませんでした。すぐに電気関係の人には来てもらって一部コンセントにつながる配電に問題あるとして、明かりはついたもののパソコン用のコンセントが駄目だったので結局あきらめました。不思議なのは今朝になったら、問題の配電部分にあるブレーカーが元通り起ち上がって普通に使えるって点なんだけど。
 あと金曜日も更新をサボりましたが、これは上海に仕事で行って虹橋駅から鉄道で昆山まで帰ろうと六時に駅についてチケットを取ったら、残っているチケットが9時半のチケットしかなく、帰宅したのが10時半くらいだったためです。にしても上海~昆山間20分強の電車に乗るのに3時間待ちっていうのもなぁ。この間平気で待てる自分も中国時間に慣れたもんだ。
 
 話は本題というか前回記事の続きです。前回記事で私は、日本人は「努力=苦痛」と考えている節があり、苦しい体験を重ねることこそが努力だと考えるあまりにトレーニングなどにおいて効率を無視したやたらめったら苦しいだけの練習メニューや回りくどい煩雑な手続きを選んで採用してしまう傾向があるのではと主張しました。逆に、能力向上において効率的で時間が短縮できるメニューは努力しているどころかサボっているとみなし、むしろ敬遠してしまっているところもあると考えております。
 こうした情景は中学高校の運動部系部活動に多くみられ、また実社会においても上司が部下に対して簡単に解決できる方法を知っておきながら敢えて教えず、回りくどいやり方で仕事を課したりするなどの点でも見られ、さらにはそうした下積みならぬ無駄な努力を大事な経験として尊重しているように私には見えて仕方ありません。こうした行為は何故起こるのか、一人でじっくり考えてみたところ共通するワードというかセリうに「お前のためを思って敢えてやらせているんだ」というセリフが浮かんできました。
 
 このセリフの意味というのも、「効率の悪い、間違っているやり方だとわかってはいるものの、こうした苦労が後に生きるから敢えて課しているんだ」という意味合いで、要するに相手のためを思っての行為だということを何故か毎回主張しています。私自身もこういう不条理な苦労を強いられた経験が何度もあるしそれに対して抗議してきましたが、そうすると決まって「お前のためを思って」という言葉を言い返され、詭弁だろうと内心では思い続けてきました。しかもこういうセリフを言う奴に限って、自分だけ得すればいいと考えている奴が多いし……。
 
 ここで私が何を言いたいのかというと、相手のためになるのであればどんな苦労を強いても構わないという不文律が日本社会に蔓延していると思います。それどころか、「苦労を強いるのは相手のためになる」と言ってもよく、むしろ率先して強いるべきだなんて考える人間もいるような気がします。効率のいい正解の方法が確立されているにもかかわらず敢えて教えず、「自分で正解を導き出す過程が重要だ」等と言って何も指導しないとか、漫画などに出てくる体を壊しかねないトレーニングを詳しく検証せずに部員に課したりなどと、こういう行為が行われる背景には必ずと言っていいほど「お前のため」というセリフです。
 最初考えた時はここら辺までが一つの仮説かなと考えて結論をまとめるつもりだったのですが、ふと思案を巡らしている最中に、突き詰めればこうした「苦労を強いるのは相手のため」という妙な信仰こそが日本人のいじめ行為の根源ではないかと思いつきました。
 
 何故いじめは起こるのか、この問いは長い間議論され続けているものの未だに私は得心する回答どころかまともな仮説すら見たことがありません。そんな自分にとって「相手のためになるのだから何をしてもいい」とする行動原理はいじめをする人間の大きな皇帝材料になっていると思えるだけでなく、彼らのセリフの端々にもそれを感じさせるものがあるような気がします。部活動の上級生から下級生の死後気においても、「こういうしごきがあったから今の俺たちがいる」とか、「苦しいからこそ乗り越える価値がある」などという自己弁護じみた言葉がよく聞こえるようですし、同級生同士のいじめでも「パシリにするのもあいつのため」なんてセリフがなんか聞こえてきそうな気がします。
 しかしいうまでもなくいじめ行為というのは相手の為でもなんでもなくいじめる側にとって都合のいい行為でしかありません。しかし最初に挙げた「苦痛=努力」こと「なんでもいいから苦労することはいいことだ」という概念が妙な肯定材料になって、こうしたいじめが日本に蔓延する要因となっているのではと私は言いたいわけです。その際、相手のためになるかどうかはいじめる側が恣意的に判断できるのですが。
 
 結論を述べると日本人はこういう妙な「苦労することはいいことだ」、「苦労を乗り越えた先に価値を得られる」という信仰を早く捨てるべきでしょう。かなり昔に私は苦労にも二種類あり、必要な苦労と無駄な苦労があると主張しましたが、日本における苦労は大半が無駄な徒労です。逆に必要な苦労ほど注目もされず、また邪道なやり方として批判される傾向があった気がします(一昔前のウェイトトレーニングなど)。こうした信仰は早く捨て、成長にためには「正しい選択こそ重要」という価値観を得ない限り、いじめも案外なくならないんじゃないかと勝手に思っている次第です。
 
  おまけ
 体育会系のしごきに対して猛批判をしている人物の一人に元巨人の桑田氏がおります。実際に桑田氏と同年代のPL高校出身者はみんな口をそろえて、「桑田さんは一切自分たちをいじめなかった」、「しごきとか全くなかった」と話しており、昔からフラットな考え方を持っていた人物だったんだと私も陰ながら評価しております。
 ただちょっと気になる点として、桑田氏と同学年でPL高校野球部に在籍した清原選手に関しては何故か誰も桑田氏みたいな印象を述べる人がおらず、同時期なのに誰も言及しないのが返って怪しいと思ってたりします。まぁ想像はつくけどさ。

2014年6月19日木曜日

「努力=苦痛」と考える日本人

 先月書いた「伝えることに全く努力しない日本人」の記事に潮風大使さんから続編を期待するようなコメントを書いていただきましたが、実は自分としてもこの記事は言いたいことを完全に書き切れておらず、態勢が整い次第にまた続きを書こうと考えていた記事でした。なおここだけの話、そこそこ面白い内容書いたからもうちょっと反応あってもいいかなと思ってましたが、直接コメントくれたのは某上海人だけだったという。
 そんなわけで今日はその続きの記事となるのですが趣旨はちょっと変わります。結論からスパッと述べると、私が見るに日本人は見出しに掲げた通り「努力=苦痛」と考え、言うなれば「努力には苦痛を伴う」を通り越して苦痛を味わうことそれ自体が努力だと本気で信じ込んでいるように見えます。見方はいくつかできますがこの考え方は弊害が多く、突き詰めていくと日本人の最も暗部たる部分の根源につながるのではないかと見ております。
 
 自分が何故このような考えを思いついたのかというと、「伝えることに~」の記事で上司が部下にほとんどまともな指示を与えていないにもかかわらず自体が上手くいかなかったら部下を責めるという構図の例を持ち出した時、「恐らく、こういう時の上司って自分が指示をちゃんと伝えようとしていないことを内心では自覚しているはずだよな」と思ったことからでした。自分の実体験もそうですし他人の体験、そして横から見ていた実例などを鑑みても明らかに不足した指示内容で部下を動かす上司は大抵その後、「お前が今後相手の意を汲んで動けるようになれるため敢えてこういう風にやってるんだ」というような感じで自慢げに言う輩がマジ多かったです。自分に言わせるなら、相手が指示内容を理解しているどうかを読み取れない人間が言うセリフじゃないなという気がしますが。
 
 上記のような構図は上司が敢えて部下に苦痛を与えさせようとしている構造なのではないかと考えた際、そもそも日本では指導者が指導を受ける側に対して効率性を無視し、やたら苦痛を与えようとすることが多いのではないかとふと閃きました。代表例は言うまでもなく中学や高校の運動部系部活で、自分もギリギリ「水は飲むな」と言われてきた世代ですが、これら運動部系部活の練習はどこか体力や技術の向上というより、身も蓋もない言い方をすると如何に部員を苦しませるかに重きが置かれている気がしてなりません。
 確かにスポーツにおいては体力や技術に加えて試合などでは精神力も要求されるため苦しいことを耐え抜く体験も全く無意味ではないと私も思いますが、それを推しても日本の部活動は度が過ぎています。それこそ脱水症状や筋肉疲労など体を壊す恐れのあるほど無茶な練習を休憩抜きで強制することはもとより、うさぎ跳びや片足ケンケンなど体力・技術の向上に全く無意味な徒労ともいえる練習メニューすら課したりします。自分なんか小っちゃい頃から納得しないことには反発が強かったあまり、この練習は無意味で役に立たないと思って中学で最初に入ったバスケ部をすぐに辞めましたけど。
 
 恐らく現代の運動部でも効率の悪い、危険な練習が日々繰り返されていることだと思います。同じ練習時間にやるのであれば効率のいい練習メニューをこなす方が良いに決まっているのに恐らく日本の運動部指導者はそうしたメニューを優先的に選ぶことよりも、怪我させない程度に部員がどれだけ苦しい思いをするかでメニューを選んでいるような気がしないでもありません。そしてその行動原理たるは「流した汗の分だけ強くなれる」という、最初に掲げた「苦しい思いをすることこそが努力」という概念にあるのではないかと考えるわけです。くどいようですが要するに、苦痛に耐えることこそが努力で成長の原動力になるという妙な信仰を日本人は持っているのではと私は言いたいのです。
 
 言ってしまえば、10キロくらい走って汗を流すのと、サウナに入って汗を流すのでは同じ汗を流す行為でも意味合いは全然変わってきます。ですが日本の運動部とかでは本当に流す汗の量を競おうというような練習が見られ、文字通りサウナでもなんでもいいから汗を流す量を増やそうとするかのような練習をやっているように見えます。しかし体力や技術の向上は流した汗の量に必ずしも比例するわけではないのは普通に考えれば当たり前です。体力・技術の向上に多少の汗を流すことは必要でも、苦痛を伴わなければならないとは私には思えませんし、サウナで汗をいくら流したって、それがそのスポーツ能力の向上に直結しないのであれば無駄な汗以外の何物でもありません。
 
 やたら例ばかり出してあまりノリのいい文章とは言えませんが、突き詰めると日本の運動部は体力・技術の向上以上にどれだけの苦痛に耐え抜くか、どれだけ苦痛に耐えたかを目指しているところがあると断言します。そして努力というのは、体力や技術の向上をどれだけ目指すかではなく、どれだけ苦痛に耐えたかという意味合いで考えているというわけです。
 私に言わせればこれは本末転倒以外の何物でもないのですが、こうした考えは運動部に限らず日本社会全体に案外浸透しきっている気がしてなりません。ここまで極端な言い方しなくても「努力というのは苦しい思いをすること」といえば日本人なら誰もが頷くでしょうし、苦しい思いをした人間の方が工夫をして楽に物事を運んだ人間より必ず偉くて強いはずだときっとみんな信じていることでしょう。
 
 下衆な言い方をすればこうした思想はマゾ気質もいい所で、どれだけ汗を流した、血を流した、ゲロ吐いたかで人間の価値が高まるなんてチャンチャラおかしく、こうした苦労自慢をあちこちでやる日本人というのも変な方向に振れたもんだなぁと素直に思います。もっとも、人が嫌がることを率先してやってきた人間に対しては私は価値が高いと認めますが。
 
 という具合でいつにもましてやたら挑発的な文章を綴りましたが最後に言いたいこととして、日本人が自分一人で勝手に苦痛を求めたがるというのは気持ち悪いけどそれ自体は問題ないなと私は考えます。真に問題なのは、仮説ではありますがこうした苦痛を日本人は他人にも求めているのではないかということで、次回では何故日本人はいじめを好むのか、この「努力=苦痛」という信仰と絡めて自説を紹介します。

2014年6月18日水曜日

東京女子医大の事件について

 書きたいネタは溜まっているのですがいまいち気分が乗ってこないから週末に回そうという判断で、このところはさらりとかわせるネタで凌いでおります。気合入った記事は後から見ても出来が良く、閲覧数もコメントもそこそこ伸びはするのですがやっぱり書いている時の負担も大きいわけで、なるべく本調子の時に書きたいのが真情です。今日もそういうわけで東京女子医大の事件についてですが、案外今日の記事は自分にしか書けないんじゃないかな。古い事件を引っ張ってくる辺りで。
 
 
事件の内容はあちこちで報じられていると思うから知っている方もいると思いますけど簡単に説明すると、東京女子医大で今年二月、本来子供への投与が禁じられている鎮静剤「プロポフォール」を投じられた二歳の男児が投与から三日後に死亡し、警察が業務上過失致傷の疑いで捜査を始めたとのことです。この事件で引っかかるのは、投与されたプロポフォールは子供への投与が禁じられているにもかかわらず使われたという点だけでもきな臭いのですが、今回の事件で投与された量は成人に対して使う場合の基準値の約2.7倍という異様な量だったそうです。さらに東京女子医大は過去にも今回の男児以外にも子供に対して投与しており、因果関係はまだはっきりしていないものの一切に投与された子供のうち12人がその後に死亡したことが報告されています。仮にこれらの報道や報告が事実だとすれば、違法な行為によって何人もの子供を死に至らしめたという、近年でも稀なほどの医療過誤事件になるのではないかと密かに見ています。
 
 上記のような点だけでも十分注目に値するのですが、私がこの事件で何よりも注目したのはこの事件が東京女子医大で起きたという点です。というのも東京女子医大は過去にも心臓手術で大きな事件を起こし、捏造も図ったという前科があったからです。
 
東京女子医大事件(Wikipedia)
 
 事件内容は上記リンク先に簡単に書かれていますが2001年に東京女子医大で心臓の外科手術が行われた際、人工心肺装置に不具合が起こり、患者であった当時十二歳の女児が手術から二日後に死亡しました。この死亡事故後、東京女子医大では手術のカルテが改竄され、手術当時の状況がぼかされただけでなく手術中に人工心肺装置を操作していた助手がミスをしたことが原因であるという内容にしつらえており、病院側もその改竄されたカルテ通りの発表を行いました。
 その後の裁判での検証によると、人工心肺装置を動かしていた助手の捜査には過失がなく、むしろ不必要に取り付けられたフィルターが閉塞したためという人工心肺装置自体の瑕疵が原因であると結論付けられ、事件後に逮捕されたものの助手には無罪が下り、カルテを改竄をした医師のみが有罪となりました。
 
 事件自体は予見できない事故であったものの、事故後の対応についてこの病院は一体何なんだと真面目に当時覚えました。未だに覚えているくらいだから相当悪い印象だったのでしょうけど、今回の鎮静剤の事件報道を見て「また東京女子医大か」などと思うのと同時に、また何か隠蔽工作をしているのではないかという疑いを率直に持ちました。
 
 先日にも高校のバスの手配を忘れたことを隠蔽するために脅迫状を偽造したJTBの社員が逮捕されましたが、大きな失敗やミスは起きてしまった後にはもう取り返しはつきません。大事なのはその後のカバー対応で、そういう意味で今度の東京女子医大は過去の反省を活かせるか正念場じゃないでしょうか。
 といっても、以前から禁止されている子供への投与を繰り返してたって点で反省がないと証明しているようなもんですが。あと今回の事件とかこの事件を区別する上で、「東京女子医大事件」じゃ見分けつかないなぁ。

2014年6月17日火曜日

「今週の調合」というヤバかった企画

 海外生活を送る上で一番厄介なものは病気で、さらに言えばその病気を誘発させるストレスも当てはまります。そのため海外生活を送楼という人間については可能な限りストレスの原因を断った上で(断ちきれないだろうが)、ストレスを軽減する道具なり食べ物なり娯楽なりを持っていくことが重要となります。そういう言い訳を立てた上で私はソニーのPSVitaを購入して、パズドラと共に日々激しく遊ぶ毎日を贈ったりしてます。
 
 そのPSVitaですが、昔のプレイステーション時代のゲームがダウンロードによって遊べるということもあって渡航前にあらかじめいくつかダウンロードしておきました。そのダウンロードしたゲームの中には「マリーのアトリエ」という、現在も続編が続いているガストという会社の花形ゲーム第一騨も入っており、私自身はこれまでこの「アトリエシリーズ」というゲームはやったことはなかったのですが人気の高い作品でもあるので今回遊んでみることにしました。結果から言えば確かによくできたゲームで、ストレスなくサクサク進む上にやりこもうとすれば奥の深いシステムなだけに完成度の高い作品だと文句なしに太鼓判が推せるゲームで、現在はその二作目の「エリーのアトリエ」を時間を見つけては遊んでおります。
 
 そんな「マリーのアトリエ」ですが、このゲームが出た当時に主役の声優をしていた池澤春菜氏がパーソナリティとなってゲームと連動したような企画を持つ「池澤春菜のみんなで、た〜る 〜ラジオ・マリーのアトリエ〜」というラジオ番組があったそうです。自分もつい最近になって知ったのですがこのラジオ番組はそこそこ評判を得たというか、ある企画が妙なインパクトを以ってネット上で検索するとその企画について言及しているサイトがいくつか見られました。その企画というのも、「今週の調合」という企画です。
 
 「マリーのアトリエ」というのは錬金術師の主人公がいろんなアイテムを調合して作るというコンセプトのゲームなのですが、そのコンセプトを現実に持っていき、いろんな原料をミキサーで混ぜて新たな飲み物を作ろう、というのが「今週の調合」の企画内容だったそうです。この企画の内容はリンクを貼ったウィキペディアの記事中に全部書かれているのですが、第1回こそ「マンゴー+特濃牛乳+ガムシロップ」で「マンゴーミルク」という無難な飲み物が出来ましたが、2回目にはもう「梅昆布茶+アロエドリンク+パイナップルスライス」の組み合わせとなり、先行きの不安さを感じさせる組み合わせとなっております。
 そして第4回。この時の組み合わせは「みかん果汁100%ジュース+トマトジュース+苺の板チョコ+フルーツゼリー」で、出来た飲み物に命名された名前というのも「胃液」で、どうやらかなりまずい飲み物、っていうか板チョコが混ざってる時点で最早飲み物なのかと疑いたくなるになったようです。その後も、
 
第10回・ハイソサイエティ(赤貧):カレーヌードル(粉)+鮭缶+牛乳
第12回・ゲロッパ:おかゆ+あんずゼリー+カラムーチョ
第16回・バイヲハザードをおえっ♥:あずきアイス+ヤクルト+夕張メロンジュース+昆布おにぎり
第20回・ぷるぷるクーヘン:麻婆豆腐+生クリーム+バームクーヘン
 
 などと、名前や組み合わせを見ているだけでも色々と不安になってくる物が次々と出来上がっていき、声優とはいえ一体何故こんな無茶な企画をと思わずにはいられません。特に第25回の「賃上げスペシャル 一気したらあげましょう(うまい棒めんたいこ味+焼きそばパン+おでんの出汁+栄養ドリンク(アミールS))」に対する池澤氏の感想が、「飲んだ後悪寒が来て、すっと何かが抜けた」と書かれてあるのには読んでて吹き出しました。それにしても、誰がこんな企画やろうと考え出したんだろうなぁ。

2014年6月16日月曜日

欧米におけるタトゥーは本当にファッション?

 本題を話す前にちょっとした中国におけるネットテクニックを紹介します。中国では現在、数多くのサイトが検閲対象となって閲覧することが出来ず、その対象にはこのブログのサービス元となっているGoogle社のBlogger、そして日本のFC2、ライブドア、アメブロなど主要なブログサイトが含まれております(何故かgooブログだけは普通に使えるし見れる)。ただブログの文章を見るだけであればFeedspotを始めとしたRSSリーダーソフトに登録すればこれらRSSリーダーを通してみることができるので、定期的に閲覧するブログがある方などにはお勧めです。まぁこれ以外にも裏ワザはありますがそれはまた今度に。
 
 話は本題に入りますがリンクを結んでいる潮風大使さんのブログで、小学生の父兄にタトゥーをしている人が増えてきたということについて書かれた記事が載せられていました。ちなみに潮風大使さんのブログもFC2なのでRSSリーダーを通して読んでます。
 もちろんタトゥーといっても見るからにヤクザな方というわけではないものの、果たしてこういう風潮はどんなものかと潮風大使さんは問題提起をされておられるのですが、その問題提起に対してなるほどと思うと同時になんか日本のタトゥーに対する言い方というか言い訳について以前から奇異なものを感じていました。もったいぶらずに述べると、「日本ではタトゥーに対する偏見は強いが欧米ではごくごく一般的なファッションとして捉えられている」といった主張で、要するに日本人はややタトゥーに対して厳しすぎるという反論です。
 
 私自身は決して欧米事情に詳しい人間ではないため断言することはできないのですが、欧米ではタトゥーが一般的なファッションとして捉えられているというのは果たして本当なのか、強い疑問に感じます。というのも、プロ野球選手など一種の自営業の人たちは確かにタトゥーをしていることが多いですが、社会的に地位の高いとされるホワイトカラーの欧米人でタトゥーをしている人はほとんどというか全く見ないからです。
 その理由について以前、父親が外資系の企業で働いていた友人によると、「欧米では社会的地位の低い人間であればタトゥーだろうとマリファナだろうとやるのは勝手だが、一般的なホワイトカラーの世界ではむしろ日本以上に厳しい風土にあり、どんだけ小さかろうとタトゥーをしていたらまず大企業では働けない」と話していました。
 
 私自身の見方もこの友人の意見と同じで、確かに欧米ではタトゥーをしている人が多いですがそれは日本人から見た「一般的」な分類とは異なる人たちで、タトゥーに対する社会の厳しい見方は決して日本が特別なわけではないように思います。一言で言えば、半端もんが刺青なんて彫るなよといったところです。
 
 私自身としてはタトゥーを掘っていようがいまいが賢い人は賢いし小賢しい人は小賢しいと、人間やっぱり中身だと考えるのであんま気にしません。ただ「欧米では誰でもやってるもんだ」と誤っているかもしれない認識を唱えて掘る人は間違いなく後者だと思うので出来ることなら時間の無駄なので関りたくはありません。また何かしら信念(どんな信念だろう?)なりもって彫っている人についても、タトゥーを入れることによって社会的な偏見を浴びることは不可避であるということを覚悟せずに彫るのであれば正直に言って軽蔑します。
 漫画のジョジョっぽいセリフを敢えてここで言いますが、覚悟を持たずに行為を行う人間ほど意地汚いものありません。逆を言えば相応の覚悟と信念があるのであれば法を逸脱することも場合によってはありかと思うあたり、つくづく自分の思想はテロリストっぽいと思う次第です。

2014年6月15日日曜日

創業家列伝~木村安兵衛(木村屋總本店)

 あんパンといったら顔の交換が効くヒーローで有名ですが、現物のあんパンは明治創業の木村屋總本店が世に生み出し、日本人の間で一般的な食品として長く親しまれており、中国のパン屋にも「日式餡面包(日本のあんパン)」というメニュー名と共に置かれていることが多いです。そんなあんパンを生み出した木村屋總本店の創業者は新時代に生きるパン職人かと思いきや、幕末を徳川家の武士として仕えていた旧時代の代表格の様な木村安兵衛という人物で、しかも当時としては人生の終わりが見える52歳という年齢からの創業と、ベンチャースピリッツの甚だしい人物であったりします。

木村安兵衛(Wikpedia)

 木村安兵衛は1817年に現在の茨城県牛久市の、長岡又兵衛という武家の家に次男として生まれます。成人後は近隣の龍ヶ崎市にある木村安衛門の婿養子となりますが、生活苦から親戚を頼って江戸へ上り、紀伊徳川家の江戸お蔵番などを務めていたそうです。しかし1868年の明治維新によって徳川幕府は崩壊し、50歳を過ぎた木村安兵衛は武士としての特権はおろか職業すら失います。
 維新後、安兵衛は明治政府が組織した職業安定所の事務員としての職業を得ますが、そこで長崎のオランダ人宅でコックをしていた梅吉という人物と出会います。梅吉から「パン」という食べ物を教えてもらった安兵衛は思い切って事務員をやめ、明治二年の1869年にパン屋として旗揚げする道を選びました。

 旗揚げした当初の店は「文英堂」という屋号で、現在の新橋付近に店を構えました。従業員は梅吉のほか奥さん子供という見事な家族経営でしたが、肝心のパンははっきり言って全然売れませんでした。しかも開業から九ヶ月目にして店舗が火事に遭って全焼し、心機一転を図って当時はまだまだ一区画に過ぎなかった銀座に引っ越し、そこで初めて「木村屋」という屋号を用います。
 この木村屋へと移る過程で安兵衛は創業メンバーの一人である梅吉を切り、横浜でパン職人として働いていた武藤勝蔵を新たに従業員として雇い入れます。この勝蔵と安兵衛の次男で当時19歳の英三郎は年齢も近く気が合い、この後の木村屋の発展の原動力となったそうです。

 創業当初でこそパンという当時の日本人の舌になじまない食品であったことから苦境が続いた木村屋でしたが、いくつか幸運とも言えるような追い風を受けて業務を拡大していきます。その第一の追い風となったのは海軍で、西洋食を取り入れるという観点からパンがカレーライスと共に軍隊食に採用されます。しかも当時の海軍兵士に多かった脚気の症状にパンと牛乳の組み合わせた対症療法として効くと評判になり、パン食普及のきっかけを掴むことが出来ました。

 しかし好事、魔が潜むというべきか、1872年に木村屋は再び火事に遭い、またも全焼します。なんかこのくだりを見ているとまるで貧乏神でも取り憑いてたんじゃないかと思えてくるくらい不幸ですが、これらの不幸にもめげず安兵衛はまた店を銀座に起ち上げるとともに、「饅頭っぽいパンを作ってみよう!」というノリだったのかまではわかりませんが、日本人の舌に合わせるというコンセプトのもとであんパンの開発を手掛けます。
 このあんパンを最初に目を付けたというか気に入っていたのは、なんと江戸城無血開城にも関わっている元幕臣の山岡鉄舟(身長188cm)でした。なんでもえらい気にいっていたようでほぼ毎日あんパンを食べるあんパン漬けの毎日を送っていたそうなのですが、こんな馬鹿でかい大男(しかも結構イケメン)が毎日あんパン食ってたと思うと何とも言えない気分になります。しかもこの山岡鉄舟、自分が気に入っていたことをいいことに、当時明治天皇の侍従をしていたことから明治天皇の茶菓子として献上するよう取り計らいます。

 この明治天皇への献上の際に木村屋はもうひ工夫をと考え、サクラ付した桜の花びらをへそに埋め込む「桜あんパン」を開発して献上したところ、明治天皇も気に入って今後も定期的に献上するようにと伝えたことからその人気と知名度は一気に全国区となります。こう考えると実質、あんパンのプロデューサーは山岡鉄舟だなぁ。
 それ以降は経営も軌道に乗り、万事オーライな状態となったまま1889年に安兵衛は73歳で往生を遂げます。ただ彼の晩年で不幸だったのは次男の英三郎が1887年に36歳で死去していることで、本人が割と長生きしただけに色々と残念で仕方なかったのではないかと思います。とはいえ木村屋は日本における製パン業のパイオニアとして認知され、現在に至るまで続いていることを考えると大した仕事をこなしてみせたと言えるでしょう。

 私個人の評価を述べると、齢50を超えてなお創業し、また二度の火災に遭っても挫けず製パンを続けたことを考えると生半可な精神の持ち主ではないと強い敬意を覚えます。また西欧のパンという食べ物を日本人向けにアレンジして売り出した点一つとってもなかなか経営センスの優れた物があり、だからこそ現在にも続く企業を生み出せたことでしょう。
 なお木村屋の揮毫はそのプロデューサーたる山岡鉄舟の手によるものだそうです。あとこの山岡鉄舟、山本海苔店と関わって「味付け海苔」の開発のきっかけを与えており、元幕臣の癖にやたら日本の食に多大な影響を与えまくっています。実際に発言とか見ると面白そうな性格の持ち主で、もうちょっと歴史小説とかでも主人公になってもいいし知名度ももっと高くてもいいような気がします。こう思うのも自分だけかな。


  参考文献
「実録創業者列伝」 学習研究社 2004年発行

2014年6月13日金曜日

日中戦争におけるドイツ人参謀

 今日本人が最も親近感を持つ外国とくればほぼ間違いなく台湾でしょうが、仮に欧米に限定するならやっぱりドイツが来るのではないかと密かに思います。ドイツとは二次大戦で同じ枢軸国側として一緒に戦った関係でもありますが、日本人同様に仕事は割ときっちりこなす、真面目に物事に取り組むという性格面でも似たところがあり、少なくとも私の周りでは信頼のおける外国人というように好意的な相手としてみている人間が多いです。そんなドイツに対して日本はこれまでつかず離れずというか親密になることはなくても悪く思い合う時代もなかったと思ってる方が多いように思えますが、ちょっと前に日中戦争について調べていたら、当時のドイツ軍関係者には少なからず日本を敵対視する人間が多かったという記述を見つけたので、ちょっとその辺について解説します。
 
 件の記述は二年前、第二次上海事変について調べている時に見つけました。当時、蒋介石が率いる国民党軍には軍事指導員として多くのドイツ人参謀がおり、彼らは一様に日本に対して強い敵意を持っているというように日本の軍関係者は考えていたとのことです。一体なんでドイツ人に、しかも中国で日本軍は恨まれていたのかというと、端的に言って第一次世界大戦が原因です。
 第一次世界大戦で日本は漁夫の利を得ようと日英同盟にかこつけて参戦し、当時英国の対戦国であったドイツが中国から租借していた中国山東省青島市にいきなり攻め込みました。遥か彼方の本国ですら長い長い証文選をしている最中でとても遠くの青島になんかドイツは援軍を派遣することはできず、ほとんどまともに戦う事すらできずにドイツ駐留軍は日本に降伏せざるを得ませんでした。
 
 なお豆知識ですが、ドイツが青島を中国から租借して現地でビールを作り始めたことから今日の「青島ビール」が出来上がっただけでなく、街中も西欧風の建築物が今も残っております。
 
 話は戻りますが、青島にいたドイツ軍関係者からするとこの日本の行動に怒るのも無理もなく、そうした個人的感情から日本と戦う国民党に肩入れする参謀も出てきたそうです。また日本軍の関係者も、国民党との和睦に動こうとしつつも、日本軍はたやすく敗れるなどとドイツ人参謀がたきつけるためにうまくいかないとか、むしろこの日中戦争自体がドイツ人の陰謀だなどという士官もいたそうです。
 
 こうした陰謀論の検証までやるつもりはありませんが、第二次上海事変の頃はまだ日独伊三国軍事同盟も結ばれておらず、また一次大戦の経緯を考えると中国軍をたきつけるドイツ人がいても不自然ではないななどと私は思います。日本人からすれば一次大戦は一方的な勝ち戦でドイツ人から恨まれるきっかけになるとはなかなか私案が行きませんが、勝者は気にしなくても敗者は気にするということもあり、何が言いたいかというと決して日本とドイツはずっと比較的仲が良かったというわけではなかったということです。

2014年6月12日木曜日

海外居留民保護に対する低い意識

 どうでもいいことですが先日、自転車を手放し運転しながら「凄いオーガニックだ!」と叫ぶ夢を見ました。恐らくやたら「オーガニック」という単語が連発される「ブレンパワード」というアニメのレビューをその前に見てしまったからだと思いますが、今まで見た中でも上位三位に入るくらいカオスな夢でした。一位はやっぱり前にも書いたが、サザエさんのEDテーマがTMレボリューションの「バーニンクリスマス」になった夢でしょう。
 
 話は本題に入りますが、後は公明党がどう妥協するところまで来ている安部政権の集団的自衛権の議論について私はこれまで何一つこのブログで触れてきませんでした。何故取り上げなかったのかというとこの議論は既にあらかたの問題点は議論され尽くしており、後はその内容を基に実際にやるかやらないかを判断する段階にもうきていると考えていたからです。事実、野党の質問などは過去にも同じような内容が質問され、与党も既に回答してきたものが多く、文字通り茶番だなと思ってくだらない議論に与したくないと思って無視してきました。
 
 そんな風に言っておきながらですが、この議論の中の安倍首相の答弁で気になるというか癇に障る発言が一つありました。その発言というのはニュースでも大きく取り上げられたので覚えている方もいるかもしれませんが、安倍首相が集団的自衛権の容認が何故必要なのかという説明にて語った以下のような発言です。
 
「海外から脱出した日本人を米国の艦船が運搬している最中、第三国から攻撃を受けても日本(の自衛隊)は米国の艦船を支援、救出することが出来ない」
 
 この発言を聞いて最初に私が思ったことは、「これは集団的自衛権以前の問題ではないか?」でした。野党側も同じように思ったのか、このようなケースであれば集団的自衛権(=同盟国を守るために交戦する権利)以前に現行でも認められている自衛権(=自国を守るために交戦する権利)の範囲内で、何も集団的自衛権が無くても自国民を守るため米国の艦船を支援することは何も問題ないのではと反論してましたが、私もまさにその通りだと思います。なおその野党議員は名前は失念してしまいましたがこの発言について、「総理は集団的自衛権が必要であるという根拠にこだわるあまりやや外れた内容を口にする」と述べてましたが、なかなかうまいこと言うもんです。
 
 私の意見は先の野党議員同様、集団的自衛権が認められなくても上記のようなケースは何も問題なく、普通に自衛隊が交戦しても全く問題ないケースだと考えます。ただこの発言に私が執着するのは安倍首相が興奮のあまりに妙なことを口走ったというより、そもそも政府は日本人海外居留民の保護などまるで考えておらず、上記のようなケースであっても全く守るつもりがないからああいうことを口にしたんじゃないかという不信感を覚えるからです。というのも日本はこれ以前からも一貫して海外に在住する日本人の保護に無関心というか怠慢なままで、だからああいう「守って当然」ともいえるケースも特別なケースの様に扱えるんだという気がしてなりません。
 
 実際に過去の例で述べると、北朝鮮の日本人拉致事件も非常に強い疑惑がもたれていながら長期間放置しておりましたし、イラン・イラク戦争の際も外務省はイランにいた日本人のため帰国便を手配することなく余計なことをして脱出を遅らせ、最終的にトルコが自国民より日本人のために優先して脱出便を用意してくれるまで無策もいい所でした。更に古いネタを穿り返すと、二次大戦の最中に軍部は日本人は全員死んででも米国に交戦しろと主張し、実際に沖縄戦では本来引き離すべき民間人を簡単に戦火に巻き込み、また満州では開拓民を置き去りにして軍人が真っ先に逃げ出しています。他にも細かいのを上げていくと戦後に行われた南米移民とかも国家的詐欺もいい所です。
 
 総じて日本政府は、日本国民を守ろうという意識が歴史的に薄いです。まぁロシアや中国と比べたらマシかもしんないけど……。ただ私としては、少なくとも民主主義国家である以上は国民の保護こそが政府の最大の役割であり、国民よりも天皇や領土、場合によっては米軍を優先して守ろうという姿勢は決してよくなく、下手すれば破綻を招く一因にもなりかねないように思えます。
 私はこれまで安倍首相に対してそれほど嫌悪感を持ったことはありませんでしたが、あの時の発言を見る限りだとこの人は国民の保護など度外視しているなという姿勢が透けて見えたので、やや極端な気もしないでもありませんが一気に嫌いになりました。
 
 最後に一つだけ書くと、私自身が今海外在住の身でありますが、日本国内にいる人はあまり海外在住者の保護について考えてくれないように思えず、ひどい場合は自己責任だと言う人も少なくないでしょう。さすがにイラクでの人質事件に関しては私も自己責任論の主張者でありましたが、海外に在住することで必死で日本に外貨をもたらす人間もいるのだから、もうちょっと応援してくれたらななんて思わなくもありません。

2014年6月11日水曜日

不振鳴り止まずして

 中国に来たらテレビとかも見ないし時間がゆっくりできるだろうと考えておりましたが、今のところは真逆で非常に苛立たしい時間を送ることのほうが増えております。一番の問題というのもネットの問題で、結論から述べると、おそらくどこかからか私のIDとPASSが流出したようで、同じ組み合わせを使っていたところから一斉に不正ログインの連絡がきました。

 最初に来たのはGoogleからで、不正ログインの可能性の高いアクセスがあったためブロックしたとの報告とともに、アクセスを仕掛けてきたIPアドレスと時間帯を丁寧にも送ってきました。その情報は下記の通りです。

2014年5月29日 18時05分21秒 UTC
IP アドレス:
60.71.104.188(softbank060071104188.bbtec.net)
場所: 日本, 東京都新宿区

 この時間帯には既に私は中国に渡っているため私自身がアクセスしたということはありえず、Googleが睨んだ通りに不正アクセスとみて間違いないでしょう。その後、楽天、ニコニコ動画、Yahoo、東京三菱UFJ銀行、Skypeなどからも不正アクセスの連絡が来て、それぞれで対策のためパスワードを変更しなくてはならなくなりました。このパスワード変更で何が苦しいかっていま中国にいるということで、中国政府の検閲のせいでGoogleのアカウントに直接アクセスできないという点です。最終的には色々裏ワザ使ってパスワード変更こそ達成したものの物凄い時間と労力が割かれ、このタイミングで不正アクセスしてきた上記IPアドレスの人間には もし会うことがあったら必ず生かしては置かないと心に決めています。
 で、その犯人ですが、IPアドレスの情報からするとソフトバンクBBのアドレスであるため、直接ソフトバンクBBに調査して捜査して捕まえて殺せと伝えましたが、不正ログインを行ったという直接的なログがないとさすがに対応できないと言われ、仕方ないのでGoogleにもしログがあるなら提出してくれないかと頼みましたが、対応を断られました。

 ソフトバンクBBにしろGoogleにしろこの対応は私としては残念ではあるものの、犯罪の証拠を求めるのは当然であるし、いちいち細かいログを抽出して提出するのも大変だろうしと考えると内心ではしょうがないと思います。ただ逆を言えば、こういう不正ログ インをおおっぴらにしてもなんも捜査が行われなければ処罰もない(仮に大企業への不正アクセスなら話は違うだろうが)と考えると、被害者はやられても泣き寝入りするしかないのが現代事情ということになります。面倒ではあるものの、こういうことをやらかす人間を虱つぶすみたいに一人一人目立つ形で殺してかないとキリないんじゃないかなと個人的に思います。実際に殺害まで行かないにしろ、初犯でも数年の懲役など厳罰化していってくれないものかな。IT企業同士で情報を共有するとかしてさ。

 なお、私のPCはスキャンをかけたところウイルスの類は一切発見されませんでした。怪しいサイトを踏んだ時にクッキーの情報が盗まれた可能性も否定できませんが、どちらかというとどっかパ スワードを登録していたサイトが流出したのではないかと、あくまで勘ですが私は考えております。というのも、どれも不正ログインの跡がありながら、ブロックされたこともありますが直接的な実害はなく、自分一人を狙ったというよりはまとめて得た情報を確かめているような、そんな素振りが見られるからです。内心、真っ先に思い出したのはmixiの件ですが、mixi自体を私はやってないしな。

 こうした不正アクセスへの対応もさることながら、新しいネット環境もすこぶる苛立たせる仕様が非常に多いです。Yahooメールを使っている方ならみんなわかるでしょうが、なんかバージョンを近日中に切り替えるということでこれまで使われてきた「正式版」から「ベータ版」に私も移行し ましたが、こういってはなんですが不満しかありません。元々、このベータ版はデータ量が重いことからネット通信速度の遅い中国だと閲覧が非常に苦しくなるので避けてきましたが、移行するというのだから腹くくって切り替えたところ、案の定重い上にバグの発生も非常に多いです。さっきもメール一覧に切り替えようとしたら全く切り替えようとしないため腹立ちまぎれに外付けキーボード叩いたらヒンジが折れて余計に腹が立ちました。まぁこのキーボードに関してはこれまでも叩きながらなかなかヒンジ折れなかった分だけ大した品物だが。
 このYahooメールに限らず、日本の一部サイトは通信速度が極端に低い海外での閲覧、使用を全く考えてない向きが見られます。特に企業サイトについてい えば余計なFLASHを入れているためにトップページが中国からだとなかなか開けない所も多く、もっとこういう点について考えてもらいたいとこの頃よく思います。

 そして最後が中国のやはり遅い通信速度です。遅い通信速度は何も今に限ったわけじゃありませんが、今回自分が使用している部屋はホテルの一室であるため、モデムとかの設置がどうも指定されているため、通信速度自体は契約した内容通りではあるものの、中国の検閲を避けるVPNが設置できない上、ノートPCから直接WIFI電波を飛ばすソフトウェアもなんだか不安定になってちょくちょく電波が切れます。このノートPCからWIFIを飛ばすソフトで私は最初に「Connectify」というメジャーなソフトを選びましたが、どうも 中国の回線とは肌が合わないようで電波が飛ばせず、しょうがないので友人が使用していると言った「Virtual router」というソフトに切り替えたところ何とか成功して、再びこちらで「パズドラ」を遊べるようになりました。といっても、本当にちょくちょく切れるは認証が出来なかったりでイライラする。

 それにしても悪いことは重なるというか、本当にイライラする毎日です。ちょうど中国が天安門事件のあった6月4日前後でネットの規制や検閲が厳しくなっている時期と重なったために余計な苦労もしょいこむこととなり、精神的にかなり負担をかける羽目となりました。この辺は海外で暮らしたことのある人間にしかわからないかもしれませんが、割とストレスとい うのはデータのように積み重なってくもので、負担を受けた分だけ許容しなくてはならなくなります。ちょうど引越しやら手続きやら仕事の準備やらで苦しい時期に余計なことしやがってと心から思うのと同時に、将来金に困らなくなったらこういう悪い輩を片っ端から始末する仕事人になりたいなと思った次第です。

2014年6月8日日曜日

ブログ再開、とこれまでの一週間

 やっとこさネットもつながったのでこのブログも再開です。相変わらず中国からだとBloggerのサイトにアクセスできないため、メールを利用しての投稿となります。

 まず中国に赴任してからのこれまでの一週間ですが、到着一日目は普通に上司の家に泊まり、二日目から中国人のローカルスタッフと共に部屋探しに入りました。探して二軒目ですぐOK出して決めたのですが、なんでこんなに早く決断したのかというと中国だと物事を進めようったってなかなか進まないことが多く、ベストを求めていたらきりきり舞いをすることになるため最低ラインを突破した時点ですぐに決断するが吉だと私自身が考えているからです。
 で、案の定というか、連休を挟んだ次の営業日になってみ ると大家が、「会社相手では契約しない」と、既に予約金も払っていたのにいきなり言い出して、結局その部屋の契約は流れました。内心、こういうトラブルはよくあることと思いつつも不動産屋に対して「時間の無駄だった!」などと文句言って、手付け金を返してもらい次の不動産屋へと向かいました。

 ここでちょっと中国の住宅事情について触れますが、家族用の住宅はたくさんある一方で独身の単身者用マンション物件というのは非常に少ない傾向があり、今回の部屋探しでもこの点で苦労しました。逆に日本は今、単身者用の物件のが多いような気がするだけに人口構成の差がそのまま出ているのかもしれません。

 話は戻って自分の部屋探し。二軒目の不動産屋に紹介されたのは、近隣にあ るホテルの一室ことオーナーズマンションでした。上海でもこういう形態の部屋に住んでて、水回りなどいざって時の対応がホテルフロントに頼めるということと、中国での賃貸にしてはまだ部屋がきれいだったので一軒目にて即決。家賃は月額2000元(約3万3000円)で、上海時代の3300元に比べると昆山市は安いなあなんて思っちゃいます。明けて翌日には正式に契約を交わしてすぐそのまま住み始めました。この辺りのスピード感は中国らしい。

 部屋が決まったことからようやく通信会社行ってネットの契約準備も始めたのですが、携帯電話とセットの契約で安くなると言うので中国移動で手続きを進めていたら、契約後になって「そちらの住所はネット接続サービス対象外です」と言わ れまたふりだし。結局中国電信という通信会社言って普通にまた契約して、昨日土曜日に工事に来るよう指定したのですが、その場で一年間のネット使用料を払わなくてはならず、手持ちの現金をリアルに使い果たして財布の中が一時20元(330円)しかなくなる事態に陥りました。
 それでもVISAカードでキャッシングすればいいとATMに行ったら何故か反応せず、前もホテルでの支払いに使用しようとしたら受け憑かなかったことがあったため、もしかしたら口座の設定で制限かかっているのかもしれません。さすがに20元じゃ明日生きてくのもつらいので上司から金借りて(1500元)生活しましたが、ようやく今日になって持っていた日本円を兌換したので、明日には上司にお金を返せそう です。

 なおその上司ですが、自分がこっちに赴任して三日目くらいに私の目の前で電動バイクに轢かれました。もっとも、轢かれたというよりは低速で後ろからぶつけられたというのが真実で怪我もなく軽症に済みましたが、私が本社へのメールでこの事実を冗談めかして隠れて報告したら、上司に対して日本から「お前、バイクに轢かれたんだって!?」という電話が次々かかってきてなんか笑えました。

 ネットにつながったのは昨日で本当は昨日にもブログをまた再開しようかと考えていましたが、ネット関連でいろいろ弄っているうちに時間が無くなって結局かけずじまいでした。具体的にどういうことしてたのかというと、手持ちのタブレットPCにWIFI飛ばせるように「Virt ual Router」というソフトをノートPCに入れたり(成功)、日本のサイトが見られるようにVPNの導入試験をやったり(こっちは失敗)などです。あとまだ詳細は明かせませんが、ネット関連でちょっと面白い事態に巻き込まれており、うまくいけば面白い顛末記事が書けるかもしれません。まだ結末が見えませんが。

 久々のブログ執筆ということでなんか調子が狂うというか、やや面倒くさい思いがします。それだけ以前は習慣化されていたのかと我ながら呆れると共に、一週間のブランク明けは意外とつらいもんだという気がします。明日はまたなんか、書きたいことでも書こうっと。