2014年11月30日日曜日

中国の衝突安全性に対する意識

 昨日の記事で書いたド底辺の中国人労働者が味千ラーメンをおごられたことに気負いがあったのか、「今度は中国ラーメン屋に行かない?」と誘ってきたので、お昼ごろに彼の仕事場近くにあるラーメン屋に行っておごられてきました。そのラーメン屋まで私は自転車に乗っていったのですが、自らの公道最速理論に則って飛ばしてたら(時速40kmは出した)雨上りの路面だっただけに車体やら靴やらがやけに泥だらけになってちょっとしょげたわけです。
 なもんだったから帰りは比較的ゆったりとした速度でもって走ってたのですが、なんか前の方から「ドーン」という音がして、またどっかの馬鹿が昼間っから爆竹鳴らしてるのかとムッとしながら走り続けると、上記の写真のような場面に出くわし、「あっ、交通事故だったんだ」とわかりちょっとうきうきしてしまいました。

 上の写真がまさにこの時の事故直後ともいえる写真で、さすがに当事者であるドライバーには悪いかなと思って伏し目がちに携帯カメラを構えて撮影してきました。あんまり歩行者が多くない道路だったのもあって写真撮ったのも自分だけだったし。
 
 この写真で注目してもらいたいのは二台の事故車の破損具合です。位置から察するに左の車(中国ローカルメーカー車)が右の車(ドイツ車)に後ろから追突したと推察されますが、破損具合は明らかに中国車の方が大きいです。中国車のフロント下部にある外部プラスチックパーツがひしゃげるのはまだ理解できますが鋼鉄製なはずのボンネットが大きく曲がっているのに対し、ドイツ車の方はトランクの蓋がやや曲がるだけにとどまっているのを見るにつけ、「ここまで強度に差があるのか(;゚д゚)ゴクリ…」なんて思ってしまいます。明らかにぶつかった方がぶつけられた方より破損がひどいというのもなぁ。
 
 
 上記リンク先のニュースは先週出たニュースですが、サーチナさんにケンカ売るのもどうかと思うけどあまり見られる記事ではありません。先に言っておくと何故トンチンカンなのか根拠に乏しく、見ようによっては妙な反発をしてるだけにしか見えない記事です。
 この記事では中国の自動車ユーザーは日本車は燃費や構成部品の価格バランスが良く実用的だがそのかわりに強度を犠牲にしているとして、基準に適合する必要最低限度の水準しか強度がないなどと中国メディアが書いていると紹介しています。その為に本社は米国社に対して安全性に劣るとしてこの記事のライターは「的外れな主張」と書いていますが、何故的外れなのかという理由は書かかれておらず、読んだ後にちょっとストレスを感じる文章です。
 
 私の意見を述べると、上記の中国メディアの主張は半分当たりで半分外れといったところで、決して「的外れ」だと言い切る文章ではないと考えています。私も自動車の安全性については素人ですが素人なりに聞きかじった知識で述べると、日本車は何よりも乗車している人間が死なないように、次にぶつかった人間が死なないように安全性を設計するそうです。それはどのような設計かというと、具体的に言えば衝突時にボディ板金が敢えて曲がるようになっており、曲がることによって衝撃をボディ自体が吸収するようになってるそうです。
 たとえば曲げやすい金属と曲げにくい金属の板をそれぞれ叩くと、叩いた手が痛むのは恐らく後者だと思います。これは曲がる金属の方が叩いた際にひしゃげることによって衝撃を吸収するのに対して曲がらないとそのままの衝撃が反対方向、それと手に直接伝わるため衝撃が大きくなるわけです。
 
 こんな具合で日本車には靱性が高く曲がりやすい板金ことハイテン板が多く使われているため、ぶつかった時にドイツ車やアメ車と比べてへこんだりすることが多くともドライバー、ひいては轢いた相手の死傷率というか安全性は高いとされます。実際に米国などで行われる衝突安全性テストでは日本車が高い評価を受けていて、最初のサーチナの記事に関してはこうした理由に触れずやれトンチンカンやらやれ的外れやら書いているのでちょっとどうかなと感じたわけです。
 
 ただこうしたドライバーの安全性を確保するため、先程書いたように日本車はドイツ車やアメ車と比べて少しの衝撃でへこんだり、ひしゃげたりする傾向が高いそうで、そうした姿を見るにつけ中国のカーユーザーからは「日本車は脆い(中国車はもっと脆いけど)」という印象を覚えるようです。これを中国のユーザーが安全性に対する知識がないためと割り切るのは簡単ですが、私からすれば中国ではドライバーみんなが強引な運転をするのが当たり前で軽微な接触や衝突がガチで多いことを考えると、生か死かを分けるような重大な事故は頭から眼中になく、接触程度の事故でどれだけボディがへこまないかを重視するのは決して的外れではない気がします。言ってしまえば、彼らにとって交通事故というのはそういった水準の事故で、大事故が起きたらなんてことはあまり考えてないように見えます。
 
 まとめとしては所によって自動車の安全性に対する意識は確実に変わるということと、日系自動車メーカーは単なる衝突安全性というのではなく「命の安全性」という観点で自社の車を宣伝すべきかと言いたいのと、ドイツ車は中国車に比べてやっぱり硬いんだなということがよくわかったってことです。

2014年11月29日土曜日

ある中国人労働者の記録

 私は現在の勤務地までんの出退勤は中国人従業員の車にいつも上司と共に乗せてもらっているのですが、今月初めのある日、たまたまその従業員が早退きしたので私と上司はバスで帰宅しました。バスの中で日本語でどうでもいいことを話していたら若い中国人の男の子が近づいてきて、「貴方たちは日本人?」と中国語で聞いてきました。そのまま少し話をするとなんでも来年日本に留学するそうで日本人に興味があるというので、念のため私の名刺を渡し、帰宅後に少しメールのやり取りを行いました。折角の機会でもあるし一回くらいは腰据えてあってみようと思い、自分の方から「日本語を教えてほしければ教えるよ」と伝えて夕食に誘いましたが、これにはちょっとした下心がありました。その下心というのも、私の元記者として、というよりかはアングラな社会学士としての嗅覚で、「きっとこいつはド底辺の若年労働者だ。取材相手としてこれ以上ない人物になるだろう」という確信めいた予感です。
 
 某日、私が指定したバス停にやってきた彼を近くのケンタッキーに連れて早速話をしてみました。聞いてみると彼の年齢は22歳で、なんでもYMCAの選考を受けて来年七月からの日本への留学切符を手に入れたそうです。話してみると意外と日本語の単語をたくさん覚えており、また日本語の教科書もそこそこ自習しているようで聞き取りにはまだ難があるものの片言での要求や自己紹介といった会話は日本語でもある程度こなしてきました。
 割と語学の筋が良いと思いつつ学歴を尋ねると、「高校二年」という回答が返ってきました。それ以上は深くは聞かなかったが大学には通っていないことはもちろんのこと、もしかしたらきちんと高校も卒業していないのかもしれません。この時点で大体想像ついていましたが出身地を訪ねると安徽省の農村(地名聞いてもさっぱりわからんかった)で、高校を出てからは都市部に出稼ぎに来て働いているとのことでした。
 
 では現在の仕事は何かと聞いたところフォークリフトの操縦と答え、より詳しく聞いてみたところ鉄スクラップの集積・販売業者みたいなところで働いているようで、「凄く汚れる」などと言いながら油被ったジーンズを見せてきました。その次に勤務日はと聞いたのですが、実はこの日会ったのは土曜日の夕方で、私はてっきり土日は休みだろうと思ってお昼くらいの時間を最初に指定したら「その時間は勤務中でいけない」と返ってきたので夕方になったわけです。なもんだから平日の何曜日が休みなのかを確認したかったのですが、「休みはない。毎日仕事がある」という、ちょっと想定外の回答が来て私も困っちゃいました。ちなみに曜日感覚は全くなく、「今日って土曜日なんだっけ。花園さんは土日が休みなの?」なんても聞いてきました。
 
 念のため書いておくと、彼の様に全日仕事がある中国人労働者は決して多くはないと思いますが存在することは確かに存在しており、ホテルの従業員や不動産屋なんかには多いものの、面と向かって知り合いになった人物では彼が最初だったのでさすがに私も面喰らいました。しかもその仕事、短期の契約制なもんだから今年の12月で雇止めになるらしく、「1月以降はまた新しい仕事探さないと」だなんて言い出し、「花園さんの所で働けない?そこなら日本語も学べて一石二鳥なんだけど」と、中国人らしくストレートな物言いをしてきましたが、「うちの会社儲かってないから無理」とここはやんわりと断りました。
 この時点で私の中にもかなり同情心も芽生えて来たので、「ひとまず毎週一回のペースで会おう。その度に色々教えるよ」と約束しました。無論向こうとしても歓迎する提案だったようですが、多分毎日でも構わないような雰囲気だったもののさすがにそれだと自分がきついと感じたので敢えて触れませんでした。
 
 一通り相手の現況について聞き終えると今度は向こうから、日本の大学について教えてほしいと切り出してきました。なんでも、日本に留学して日本語を学んだらそのまま日本の大学に入りたいとのことで、どの大学がいいかを聞きたかったようです。しかもかなり自分でしらべており、国立は東大京大、私立は早慶上智がトップで、ほかにもMARCHや関関同立なんていう言葉まで知っているなど非常に細かいところまで把握していました。もっとも最初の留学というか日本語学校は福岡県だそうなので九州内で探すか、あとは生活費が比較的安く済むのとアルバイト先も確保しやすいという点で関西の方が良いとは薦めましたが、「東京の大学じゃないと就職きつくない?」なんて言い出してきて、これには私も苦笑しました。
 なお彼との会話はほぼすべて中国語で行いましたが、私からすれば綺麗な中国語の標準語を向こうは話してくれるので非常に聞き取りやすいです。その点を彼に伝えたら、「僕だってこっち(昆山市)の人の言葉は聞いててよくわかんないよ」とホッとさせてくれること言ってきてくれました。あとケンタッキーであれこれ話してたら掃除のおばさんが寄ってきて、「なに?あんたら起業でもすんの?」と話し掛けてきて、「あたしも昔会計士目指して勉強してたんだけどさー」なんて大阪のおばちゃんみたいにいきなり苦労話をしてきました。
 
 こんな具合でほぼ私の予測通りのステイタスを持ったいい取材相手だし、近年の中国の若者はどんな生活をしているのか、何に関心を持っているのか、でもって最底辺に近い労働者はどういう生活水準なのかを知る上でいいパートナーを見つけたと考えています。同時に私の中国語も少なからず上達が見込めるだけに、なるべく彼には自分からもいい刺激を与えようと考えてその後も会い続けています。今週に至っては彼が「味千ラーメン」という中国で一番有名な日系ラーメンチェーンのラーメンを食べたことがないというので、待ち合わせ場所からタクシーに乗って連れて行ってあげましたが、「昆山に来てこんな遠くまで来たの初めてだよ。普段は家と勤務地の往復で休みなんてないし」と話しだし、まぁ引っ張ってきてよかったと思いました。もちろんタクシー代とラーメン代は私の負担。
 
 以上までが観察日記でこっからが私の論評ですが、まず彼のようなタイプの日本人は確実に存在しないでしょう。一週間毎日休みもなく働き詰めにもかかわらず日本への留学を企図し、備えるため勉強し、さらには日本の大学への入学を目指す。一言で言えば非常にやる気があり応援したくなるような人物ですが、ここまでガッツある日本人を捜すとなると割とハードワークな気がします。もちろん彼のような中国人もレアと言えばレアだし、上海人の友人にも話したところそんな人間は周りにはいないし、同じ中国人ながら同情するし応援したいと話していました。
 しかし、一言で言うならやはり中国はまだまだ発展途上国であるということに尽き、親のお金で何不自由なく大学に通う上に車を乗り回す人間もいれば、故郷を離れ毎日働きながら勉強、そして立身出世への意欲を強く燃やす若者も同時に存在する。これこそが中国の縮図であって日本には存在しない世界のように思えます。
 
 私個人としては先ほどにも書いたように取材相手としてほぼ最高の材料であるとともに強い同情心を覚える相手で、また彼のような中国人にこそ日本に来てもらい、学問を修め世に出るべきだと思えるだけに出来る範囲で今後も応援していきたいと考えています。また最近は日中の関係が密になって中国人を取材する本もたくさん出ておりますが、それらの本は主に元から裕福な中国人が主な取材相手であるのに対し、ド底辺な中国人、しかも若者となると実際に取材するのも難しいこともあってそんなには出ていない気がします。そういう意味で彼のエピソードというかライフヒストリーを書くことはブログレベルでも価値あることだと思え、多少なりともライターとして燃え立つ気持ちを覚えます。
 なお、日本でも就職戦線や労働状況に関する話題は基本的に世代間約50%の大卒しか取り上げられず高卒者の話はほとんどなく、中卒者に至っては皆無に近いでしょう。しかしド底辺こそ地に足がついており、本当に目を向けるべき場所というのはここにあると私は常々考えており、彼から聞ける話はそこそこ価値があると思えるのと同時に日本でもこうはならないものかと、ちょっとやるせなさを覚えます。
 
  おまけ
 味千ラーメンを食べた帰り、同じショッピングセンター内にあって前から匂いが気になっていたチーズケーキ屋に寄りました。看板を見てみると「RIKURO」という文字とコック帽のヒゲ親父の絵が書いてあって後で調べてみましたがどうやら大阪にある「りくろーおじさんの店。」のフランチャイズか何かだったようです。
 この店で私はチーズケーキを自分用に買うのと同時に連れてきた彼にも買ってあげようとしたら向こうが遠慮して、「いや、僕はそんなに甘いのが好きじゃないから」と言ったところ、「甘くないっ!( ゚Д゚)」と、すかさず女の子の店員が否定してきたので、それならばと二つ買って一つは彼に持たせました。その次の日に彼から来たメールには、「あの店の女の子かわいかったね。けどケーキはめちゃくちゃ甘かったよ(´・ω・`)ダマサレチッタ」と、書かれてありました。

2014年11月28日金曜日

生贄の牛を羊に取り換えるとな

 これは昔々、中国戦国時代のお話です。戦国時代に現在の山東省は斉という国で、この国は「封神演義」でおなじみの太公望を祖とする国でしたが、内紛によって戦国時代には田氏に乗っ取られ、田一族が王となって治めておりました。この田氏斉の四代目は宣王という人物(紀元前4世紀)なのですがこの宣王がある日、宮殿を歩いているとひどくおびえた牛を従者が引いているのを目撃しました。そこでおもむろに宣王はおもむろに、「この牛をどうするの?」と聞いたところ従者は、「はい、煮込んだ鐘に血を塗る儀式に使うので、これから生贄に殺すところです」と答えました。
 この従者の答えに宣王は、「やめなさい。ひどく怖がっているし何の罪もない牛だ。殺すに忍びない」というので、なら血塗りの儀式は中止ですねと従者が確認すると、「いや、儀式はやる必要がある。そうだ、代わりに羊を使えばいい(・∀・)」と閃いたので、その時の儀式は牛の代わりに羊を殺してつつがなく終えたそうです。
 
 私はこの話を大学三回生の頃の中国語の授業で習ったのですが一読して、「これって、羊とばっちりじゃん(;゚Д゚)エエー」と思うのと同時に、牛がかわいそうだからって羊殺してちゃ意味ないんじゃないかと心の中で突っこみました。恐らく、この記事読んでる人たちもみんな同じような感想だと思いますが、出典によると当時の斉の人間ですら「牛をケチって羊を使った」などと揶揄していたと書かれてあります。
 その出典ですがこれは何かというと実は「孟子」からです。「孟子」の説明は省きますが斉の国を訪れていた孟子に対して宣王が民を安んじて治めるにはどうしたらいいかと説いたところ、孟子は「宣王は過去にこんなことやりましたよね」と自分からこのエピソードを切り出します。確かにそんなことがあったと頷く宣王に孟子は、「それこそ仁です」と言わんばかりに激賞し、世間はアホな王やと言っているがこのような心持ちを持つことこそが大事で、王たる資格がある証拠だとまで言います。
 
 正直に白状するとこのくだりまで読んだところで、「孟子もちょっと持ち上げ過ぎじゃないかな?」、「頭のいい人の考えてることはよくわからない」、「もうちょっと単純に事実を見た方がいいのでは」なんていう感想を当時の私は持ちました。しかし牛や羊の肉を食べる時にふとこのエピソードを思い出すことがあり、しかも年数が経つにつれて段々とあの話は含蓄の深い話なのではなどと何故だか熟考することが増えていきました。
 
梁惠王章句上(孟子を読む)
 
 このエピソードについて上記サイトでは原文と共に詳しい解説が載っております。非常に詳しく載っていて、読んでて自分も見入りました。
 直接上記サイトを読んでもらうのが一番なのですが自分の方からここの解説をかみ砕いて説明すると、孟子はこの時宣王に対して、目の前にある生き物に憐憫の感情を持つことが大事だと言いたかったようです。憐憫の心を持つことは仁の心にまで発展させるためのスタートに当たり、結果的には目の前にいない羊を代わりに殺すことになったものの、目の前にいる怯える牛の命を助けたという情けの精神をきちんと実行した宣王の心根は悪くないと孟子は伝えたと解説されています。
 その上で上記サイトの執筆者は補足として、人間は目の前で起こっていることしか関心がなく、目の前にないものにまでは気が回らないのは自然なことであるとして、下記のような例を持ってきています。
 
- どこかの隣国の独裁政治に始終憤激しているのならば、どうして旧ソ連で同様に独裁体制を取っている諸国に激怒しないのか?
- 自分の子には勉強させて高学歴を与えるのに必死なのに、どうして一般論になると「ゆとりある教育を」などといまだにのたまうのか?
 
 どちらも自分の胸にグッときました。実際、日本国内で虐待で子供一人が殺されるというニュースを聞くのとアフリカで今日何百人の子供が死んだというニュースでは、感じ方は後者の方が他人事です。同様に、北朝鮮や中国の政治弾圧の方が中東やアフリカの政治弾圧より気になります。上記のサイト執筆者によるとこうした距離感に伴う感じ方の違いは人間にとって当たり前で、誰にでも平等にだなんて言わずにしかるべき距離のしかるべき対象に愛情や憐憫の情を持ち、発展させていくことが大事だと孟子は人生を通して主張しているそうです。
 
 ここからが私の個人的意見になりますが、解釈にもよりますが上記の孟子の考え方はキリスト教の隣人愛とも通じるように思えました。隣人愛の解釈は人によっても変わりますが、私の解釈だとまずは何よりも身近な人を大事にすることに尽きます。身近な人を大事にすることが出来ればもう一つ先の距離の人も大事にすることが出来るようになり、こうして範囲を徐々に拡大していくことによって良好な共同体を作り上げられるというような具合です。
 こうした考え方のほかにもう一つ最近できてきて、たとえばNGOとかNPOみたいに世界中の人々を助けようとして活動する集団が結構ありますが、そうした集団の方々の活動は確かに尊敬できますが果たしてそれで本当に世界はよくなっていくのだろうかという疑問がよくもたげます。単純な話、日本人が地球の反対側のブラジルで活動するにしてもお金も費用も文化的障壁もあります。それであれば日本人は同じ日本にいる困っている日本人を助けることによって、その助けられた日本人が今度はほかの人を助けていくような状態に持っていく方が結果的には効率がいいのでは、しかもこっちの方が外国語能力とか変なバイタリティが無くてもすぐできるのではなどとも思います。
 
 無論、海外に行って救援活動などをされている方は確かに必要とされているし、尊敬もします。しかしみんながみんなそこまで強くはなれないし、それであれば、「貧困の国に井戸を掘るため募金しよう!でもって砒素いっぱいの水飲ませて村の人を病気にしよう」なんて某テレビ番組みたいな主張はほっといて、もっと距離的にも身近な人同士で助け合おうという精神を持つことの方が人間として正しいのではという結論に至りました。マザー・テレサも、「自国の困っている人を無視して他国の人を助けようとするのはちょっと違う」なんて言ってたそうで、この辺は孟子もキリストも一致しているのではなんて思った限りです。
 
  おまけ
 終戦間際の山田風太郎の日記に、「右の頬を叩かれたら左の頬を差し出すのがキリスト、右の頬を叩いたら左の頬も叩いてくるのがキリスト教徒」と書いてあって吹き出しました。あと自分の大学はミッション系だったのに、「キリスト教は虐殺を繰り返して信者を増やしてったような宗教だ」なんて授業中に言い出す講師がいて、フリーダム過ぎるにもほどがあるずこの大学なんて思いました。

2014年11月25日火曜日

どうして成りすましするんですか?

 また我ながら挑発的な見出しですが、案外ほかの人が使ってないのでこんなの浮かぶのってもしかして自分だけってちょっと悦に入っています。この見出しから恐らく連想がつくかと思いますが、NPOをやってるという二十歳の大学生が先日、小学四年生が作ったように見せかけ、「どうして解散するんですか?」と暗に安倍首相を批判するようなサイトを公開していたことがバレ、ネットを中心に批判が起こり炎上しています。しかも安倍首相までフェイスブックで「卑怯な行為だ」として槍玉に挙げたことからさらなる盛り上がりを見せており、逆に攻め過ぎなのではないかという逆批判も起こる等そこそこ議論としてみていて面白い感じになってきました。自分もこの事件では少し気になる点があり、今の所その点を誰も追及してくれていないので議論に参戦する形で、今日はこの事件について言いたいこと書きたいこと書いてきます。
 それにしても非常に驚いたのは、さぁこれから記事を書こうとパソコンに向かった矢先、読者の方からまさにこの事件について意見をとリクエストを受け取ったことです。
 
 結論から書くとこの大学生はしょうもないやっちゃなぁと思うのと同時に、そもそもどうして子供に成りすまそうとしたのかという点が個人的に興味あります。三度の飯より政治論議は好きだけど、やっぱ自分は社会学士だなぁ……。
 
<事件の経緯>
 事の経緯から簡単に追って行きますが、先日の衆議院解散後にどうして解散をするのかと解散理由を問うサイトが公開されました。そのサイトの製作者と名乗る人物は自分が小学四年生で周囲の友人とこのサイトを作った、子供の自分から見ても解散する理由、特に約700億円というやけに具体的な選挙にかかる費用を挙げてこんな無駄遣いをする価値があるのかわからない、自分たちから見てもおかしいなどと、暗にというかあからさまに安倍首相を批判する論調でもって世に訴えるような内容でした。
 しかし公開直後から小学生が作ったというにはやけに凝ったサイトで、年齢を詐称しているのではないのかという疑惑が持たれていました。案の定というか公式ツイッターで、
 
「妖怪ウォッチ真打はもう買いましたか?」
「もちろん買いました」
「まだ発売してないんだなぁ」
 
 というようなやり取りが交わされるなどボロがどんどん出てきて、証拠もほぼほぼ揃って人物の特定も済んだ段階でようやく件の大学生が小学四年生だと詐称した事実を認め謝罪をしました。このサイトについては公開直後から、主に民主党関係者が取り上げては賞賛しており、またサイトを制作した大学生が所属していたNPO団体に民主党関係者の親類が所属しており、マッチポンプだったのでは、民主党は初めからわかっていたのではなどという疑いも出ています。まぁ政治上における疑惑とは事実という言葉と何ら変わりはないのですが。
 
<大学生に対する私の見方>
 余計なことは置いといてこの事件に対する私の意見を述べると、まず名探偵コナンとは逆にサイトを作った大学生の頭が小学四年生以下だということはよくわかりました。どうでもいい冗談やゲームの攻略情報とかならともかく、政治に対する意見というのは主張したが最後、言った本人が責任を持たなくてはなりません。自分はこのブログでもその点を特に注意を払って書いており、具体的には、「誰々さんがこう言ってた」なんて伝聞系で終わらせず、それに対して自分は賛成か反対か立場を必ず明示させるようにしています。
 にもかかわらずこの大学生は、要するに安倍首相の解散の決断が気に食わなかったのでしょうがその不満を自分自身ではなく架空の小学四年生が言ったことにしようとしました。私に言わせるならば自分自身が自身の人格でもって意見を主張できないなど政治議論においては言語道断もいい所で、匿名としての発信ならまだしも子供を装っていう言い方は安倍首相同様に卑怯としか思えず、そんな生半可な覚悟でしか意見を言えないのなら始めから黙ってるか、そもそも発言する資格すらないように感じます。もっともこんな無意味なことしているあたり、政治議論の場はおろか一般社会においてもいなくていい存在に見えますが。
 
 ただここで話題を変えますが、そもそも何故彼は子供に成りすまそうとしたのでしょうか?理由は簡単で、二十歳の大学生が言うよりも小学四年生が言った事にした方が注目されやすいなどメリットが多いからに尽きるでしょう。じゃあなんで子供が言った方が注目されるのか、改めて考えるとここがこの事件の奇妙な所だなと私は思いました。
 
<何故子供の意見は尊重される?>
 最初に言っておくと、こと政治の話題に関して私は小学生及び中学生、高校生の意見は頭から一切耳を貸しません。一応聞くだけ聞いた後にやんわりと指摘をかけ修正を促したりはしますが、やはり子供の時分だと政治を語るにはまだ周辺知識が絶対的に不足していて狭い了見の中で考えるから、「お金がないならお金を刷ればいい」というような意見になりがちです。また子供の場合、特に注意しなければならないのは「誰かに言わせられているのでは」という点で、周囲の影響を受けやすいこともあって無自覚に、無理解に意見を言うことがあるので場合によってはその意見を操る背後を探る姿勢も必要となります。
 ある意味で今回の事件も「誰かに言わせられている」といった類の事件と言え、上記のような注意点もあるため私は子供の政治や社会に対する意見はそもそも聞くに値しない、取り上げるまでもない、むしろ耳を貸すなと考えているのですが、恐らくこんな価値観の持ち主は日本じゃ少数派でしょう。少なくとも今回の事件の張本人である大学生は子供を装った方がメリットがあると考え、また民主党の関係者らも子供ながら大した意見だなどと持ち上げていました。また日頃の報道を見ている限りだと、40歳のおっさんの意見はあまり取り上げられなくても10歳の子供の意見だったら、しかも政治などといった高尚な話題であれば率先して取り上げられる気がします。
 
<仮説一、毛沢東思想>
 どうしてこのように子供の意見だったらみんな注目しがちなのか、この点が私にとっては凄い不思議です。この理由をいくつか考えてみましたがまず民主党関係者については地味に毛沢東思想が影響してるんじゃないかと最初は冗談っぽく、途中からは割と真剣に考え始めました。毛沢東思想には「余計な知識のない無垢な状態の意見こそが最良」みたいな考え方があり、言ってた毛沢東本人ですら本気で信じてたわけじゃないのに元社会党の系譜を受け継ぐ現代の民主党はまだ毛沢東に踊らされ、子供や女性といった社会的弱者(とみなす存在)の意見ほど貴重で価値があると信じているのではないかと思えてきました。ある意味これは逆差別な気もしますが。
 
<仮説二、子供礼賛なマスコミ>
 では民主党以外の日本人ではどうか。私の目から見ても普通の日本人もやっぱりハゲたおっさんの意見よりは子供の意見を大事にするように見えますが、これは毛沢東思想というよりはマスコミの影響のが強いかなと考えています。マスコミ関係者が上記の毛沢東思想の影響を受けたかどうかはこの際置いておきますが、マスコミは確信犯的に子供や女性、障害者などといった社会的弱者の意見に価値があるかのような報道を行い、彼らを利用しております。何故このように断言するのかというと自分も記者時代に少なからず経験があるからで、記事に書きたい主張したい意見を自分の考えとしてではなく、取材対象に敢えて言わせる、もしくは言ってくれる人間に取材することによってメディアは報道しているからです。
 さすがに自分はこういった社会的弱者をダシに使ったインタビュー記事はさすがに書きませんでしたが、自分の言わせたいように言ってくれる存在として子供なんかは本当に使いやすいような気がします。実際に「あるある発掘大辞典」とかではないですが最近の街頭インタビューなどでは劇団員が多く使われており、市井の生の声というよりはシナリオ上のセリフが現在の報道では主要となりつつあり、こうした報道をやりやすくするため日本のマスメディアは子供の意見は大事で価値があるように見せかけていったのでは、なんて思ったりします。
 
 最後に大まとめに意見をまとめると、そもそも論として政治や社会といったやや小難しい領域において子供の意見なんて始めから聞く耳を持つなと言いたいわけです。内容がやけに通っているとしてもそれは悪い大人が言わせている確率が高く、ちゃんと子供に自分の頭で考えるよう指導してあげるのが大人の役割です。その上で、自分で堂々と意見を言えずに子供をダシに使って言うような人間は間違いなくクズで、そうしたクズを如何にこの社会というかマスコミ業界から追い出していくかが今後の日本の課題なのかもしれません。
 
  おまけ
 政治や社会問題に関しては私は子供の意見を始めから聞きませんが、かといって子供の意見全てを無視する気は毛頭ありません。一つ例を出すと、小学生の女の子二人が並み居る大人たちに対し言い放った、「盲導犬は人間を助けてくれるのに、どうして人間は目の見えない犬を助けてあげないの?」という意見には文字通りドキッとさせられ、自分にはこういう意見を言い出す少年の心はまだありやなどと考えさせられました。

2014年11月23日日曜日

論文盗用での早稲田の准教授解任について

 
 なんか話題にする人も少ないので私の方から一言突っこんでおこうと思います。
 上記リンク先のニュースによると、早稲田大学が商学学術院の准教授が過去に論文を盗用していたとして解雇処分を行ったと発表したそうです。記事によると問題の論文は該当の准教授が2001年と2003年に発表した英文論文で、ほかの記事によると他人の未発表論文をベースにしていて八割方同じ記述となっていましたが、元となった論文が今年公表されたことからばれてしまったようです。解雇処分を受けたその純教授は盗用を認めておりますが、読売新聞の記事によると手続きに対して公正ではないとして不服を申し立てたそうです。
 
 この事件になんで私が注目したのかというと、大体察しが付くでしょうが「小保方氏は?」というのが正直な感想です。説明するまでもないでしょうが小保方氏は早稲田大学の理工学部大学院時代に提出した博士論文で英語サイトの記述を一部コピペした論文を提出していたことが今年明るみになりましたが、これに対して早稲田大学の教授会は悪意があって行ったことではなく参考にした記事を誤って載せてしまったとして、修正した論文を提出することを条件に処分は行わないと発表しています。もっとも一部の早稲田大学の教授からはこの問題に対する処分としては適当ではないと声が上がったそうですが。
 
 まぁ小保方氏の論文は今回の事件の様に「八割方」をパクッたというわけではないものの、片っ方は悪意がないとして不問とされたのに対しもう片っ方は盗用を認めたということで懲戒解雇とするのはなんか温度差があるような気がしないでもありません。というよりその前に、どうして早稲田はこんなに盗用問題が頻繁に起こるのか、理工学部だけじゃなかったのかという点も気になります。
 盗用が問題であることは小学生でも十分に理解できるでしょうし妙な弁解の余地など私はないと思います。それゆえ小保方氏への処分は今でも手ぬるいと思いますし、そうした過程を経ているだけに今回の准教授が処分に対して不服を申し立てたというのも行為としてはどうかと思うものの文句の一つも言いたくなる気持ちは理解できなくもありません。
 
 私が言うまでもなく今年は数年に一人でるか出ないかというような世間を騒がせる人物が数多く輩出した異常な一年でありましたが、MVPは誰かというのならば私の中では「号泣議員」かこの小保方氏だと思います。正直言って甲乙つけがたいところがありますがどちらも大きな問題点(政務費の着服と論文盗用)を浮き彫りにして世間に認知を広めたという点では一部の功ありといったところです。

2014年11月22日土曜日

漫画レビュー:惡の華

 このブログ書いてて一番受ける質問ときたら何よりも「どうしてネタが尽きないの?」という質問です。私本人からするとなんでネタが尽きないのかというよりは書きたいと思う内容を思いついてもなかなか全部書き切れないというのが今の状態でして、この数日書いた記事も原案は大体二週間くらい前に思いついた話ばかりです。中には時間が経ち過ぎてネタごと没にすることも多いのですが、今日書く久々の漫画レビューはネタが腐らないということもあって先延ばしにされ続けた上での執筆です。書こうと考えたのは確か9月頃だし。
 
惡の華(Wikipedia)
 
 私がこの漫画を手に取ったのはなんかネットでやたら見るタイトルだったことと、巻数が少ないから漫画喫茶で余った時間を消化するのにちょうどいいからと思ったことからでした。そんな軽い気持ちで手に取ったのですが一読してなかなかに凄い衝撃を受け、過去にこれだけ衝撃を受けた漫画を上げるとしたらパッと思いつく限りですと「エルフェンリート」くらいしか思い浮かびません。
 
 この「惡の華」がどんな漫画なのか簡単にあらすじを書くと、主人公はどこにでもいるような中学生の男子生徒(春日高男)なのですがお年頃もあってか中二病がやや入っており、タイトルにもなっているボードレールの「惡の華」を始めとした海外の文豪の小説を父親に勧められるままに読み耽り、「俺はほかの男子とは違う」などと気弱な性格ながらに考えています。そんな春日君ですがある日、ふとしたきっかけからクラスで密かに憧れていた女子生徒の体操着を盗んでしまうのですが、そこは気弱な春日君のことだからすぐさま後悔し、誰かにばれないうちにどこかへ捨てに行こうとして自転車に乗りながら捨て場所を探している最中、ばったり会ったクラスメートの女子生徒こと仲村佐和に、私見てたんだよ 。春日くんが佐伯さんの体操着盗んだところ」 と、めっちゃいい笑顔で言われてしまいます。
 この仲村佐和こと仲村さんがこの漫画のヒロインに当たるのですが実質こっちが主人公と言ってもよく、「惡の華=仲村さん」みたいな感じで世間にも認知されている気がします。そんな仲村さんですがどんな女の子なのかというと、テストを白紙で出した挙句に教師に咎められると「うっせークソ虫」と吐き捨てるという、非常にエキセントリックな性格しています。ちなみにこのシーンがこの漫画の冒頭です。
 
 話はあらすじに戻りますが、仲村さんは春日君に対して体操服の件を黙っていてあげる代わりに自分の言うことを聞くようにと要求します。さっきも書いたように仲村さんは非常にエキセントリックな性格をしているだけにどんな要求を出すのかというと、一言で言えばドS極まりない要求ばかりで、最初でこそ河原に来いとか面白い話をしろとか大人しいものでしたが、ひょんなことから春日君が盗んだ体操着の持ち主であるクラスのマドンナとデートすることになると、「お前、今着ている服の下に盗んだ体操着着てデートしろ」と命令してきます。しかも何とかばれずにうまいことデート出来ていたら、突然後ろからバケツの水ぶっかけてスケスケにさせてくる始末です。春日君はすぐ逃げ出したので相手にはばれなかったけど。
 
 こんな具合でこの漫画の前半は仲村さんのドSっぷりを楽しむ漫画ですが、中盤からやにわに趣が変わり、徐々に世間体にどうして甘んじなければならないのかというような疑問を投げかけてきます。先程にも書いたように仲村さんは全く周りを気にせず自分の言いたいことを言うしやりたくないことははっきりと拒否しますが、そんな仲村さんがどうして春日君に執着するようになったかというと「もしかしたら自分を理解してくれるのでは」という期待があったからだという風に見えます。作中でも仲村さんは度々、春日君に本心をもっとさらけ出せ、周りのカスどもに同調する必要はないなどということを繰り返し述べ、その上で「春日君は変態の豆野郎だが自分もきっと同じ変態なのだろう」ということを口にします。
 この辺りが自分も凄い共感したのですが、小学生の頃ならまだともかく、中学生くらいから本心ではやりたくなくても周りに合わせて興味がないこともさもあるように話を合わせたり、周りがやってるからという理由で自分も同じ行動を取ったりなどと、本心を押し殺して実体のない空気に身も心を合わせるようになります。それこそ周囲に置いてかれないよう必死になって。
 
 私自身、同じような疑問を中学生頃に持ち始め、周囲と同じ行動を取ることに価値があるのか、それが本当に自分自身の幸福につながるのだろうかと仲村さんほど過激ではないものの疑問を覚えました。その挙句、自分のやりたいこと、なりたいものに対して一直線に進むべきだと思って高校には行かずに小説家目指して修行したい、同時にプロレタリアートみたいに現場で働きながら大検受けて大学行きたいと申し出ましたが、親に拒否されたので親の顔を立てて黙って学校に通い続けました。今現在も中学生の自分が考えた通りに無理して通うほど高校に価値はなかったなと考えてますが、上記の申し出をただの一度しか言ってないにもかかわらず「あの時高校に行きたくないとか抜かしやがって」と、その後ずっと親が自分を責める口実にさせられたことは失敗であったと思うと同時に今でも強い憎悪を覚えます。
 
 話は戻りますが仲村さんはこういった思春期における周囲の同調圧力に対してはっきりとノー、関西弁で言うならええかっこしいと拒否しており、そんな自分を理解してくれるかもしれない存在として春日君に執着したのではないかと自分は解釈しています。もっとも話の途中で仲村さんは春日君はやっぱり普通人間だと述べ一旦は見放しますが、距離を置かれたことで何故仲村さんが自分に執着していたのか気が付いた春日君が逆に歩み寄り、仲村さんを理解するため変態的な行為に手を染めていくことになります。
 以上までが中盤までの内容ですが、後半は中学生から高校生へ年代ジャンプすると共に登場人物が一新して、なんか普通の青春ラブコメのような展開が続きます。作者はこっちの後半こそメインだと考えているようですが他の人のレビュー同様、私も読んでてあまり面白くなかったし印象に残るようなシーンもほとんどありませんでした。唯一、満を持して数年ぶりに春日君と仲村さんが再会するところは読んでてこっちもドキドキしてくるほど面白かったですが。
 
 私の評価としては先ほどにも書いた通り、思春期特有の悩みとともに何故本心を押し殺さなければならないのかという疑問を呈示をする点が良く描けており、一読に値する漫画だと見ております。特に、よくもまぁこれほど暴力的な言葉を次から次へと浮かぶものだと思えるくらいに過激な仲村さんを通してそういったものを描いているので強い印象を残すと共に、思想というのは一種の暴力性を含んでいるのだなと再認識させられました。
 
 しかし漫画としてみる上では見逃せない欠点もあり、レビューを書いているほかの人が誰も指摘していないので今回自分が書こうと思った点なのですが、致命的なまでに主人公の春日君に魅力が感じられません。優柔不断な性格の持ち主として描かれているため情けなく見えることは仕方ないにしても、ほかの人は知りませんが自分はこのキャラに何にも共感できませんでした。優柔不断なキャラでも描き方によってはいくらでも魅力的に描くことはでき、いい例としてはまさに冒頭で挙げた「エルフェンリート」の主人公で、優柔不断であることは共通しながらも中盤で明かされる裏設定によって一気に印象が変わり非常に生き生きとしたキャラクターに化けています。
 作者の押見修造氏に対して苦言を呈すと、私はこれまで押見氏の漫画をほかにも「ぼくは麻里のなか」、「漂流ネットカフェ」の二作を読んでおりますが、「惡の華」を含む三作とも魅力あふれるヒロインにやや優柔不断な男主人公が引っ張り回されるというストーリーで共通しています。しかもどれも男主人公は見ていて全く魅力がなく、ヒロインを引き立てるためとはいえこれだけ傾向が共通するのは後々飽きられるなど致命的になるのではないかと他人事ながら心配しています。まぁ人のやり方にあれこれケチ付けるのはよくはないと思いますが。
 
  おまけ
 「惡の華」の前半部の終わり間際で春日君と仲村さんと体操服盗まれたクラスのマドンナ三人が対峙する場面がありますが、この場面にて仲村さんが言い放った、「春日君はオメーとゴミデートしてたときもカス告白したときも、匂い嗅ぎまくり擦りつけまくりのオメーのクソ体操着体にまとわりつかせてズクンズクンしてたんだよ!」というセリフが個人的に一番お気に入りです。

2014年11月21日金曜日

いかりや長介から志村けんへ最後の手紙、というデマ

 いつも通り本題と関係ありませんが、上記のパワプロの新垣投手の能力値評価はちょっとひどいと思いつつも校としか設定できないというのもちょっと理解できちゃいます。真面目な話、過去最低の能力値なんじゃないかなこれ……。
 
 そういうわけで本題に入りますが最近ネット上で、「いかりや長介さんから志村けんさんへの最後の手紙」という話があることを知りました。これはいわゆるコピペの一つで、ある定型の文章があちこちの記事に引用され回っているのですが該当のテキストをそのまま下記に引用します。(芸名であることを考慮して敬称はこの記事では省略します)
 
*************************
志村へ

この手紙をもって俺のコメディアンとしての最後の仕事とする。
まず、俺がこの世からいなくなるという悲しい事実を笑いへと昇華ために
葬式をコントのネタにするようお願いしたい。
以下に、コントについての愚見を述べる。
コントを考える際、第一選択はあくまで「笑いを取れば勝ち」という考えは今も変わらない。
しかしながら、現実には若手芸人の多くがそうであるように、他人をバカにして笑いを取ったり、
素人にツッコミを入れるだけで内輪受けに走っている事例がしばしば見受けられる。
その場合には、企画段階から綿密な計算と準備が必要となるが、残念ながら未だ満足のいくコントには至っていない。
これからのコントの復活は、綿密な企画立案、それとライブの復活にかかっている。
俺は、志村がその一翼を担える数少ない芸人であると信じている。
能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。
志村にはコントの発展に挑んでもらいたい。
遠くない未来に、素人いじりや他人をこき下ろすコメディがこの世からなくなることを信じている。
ひいては、俺の葬式をコントにした後、計算された笑いの一石として役立てて欲しい。
リーダーは活ける師なり。
なお、最後に、 お笑い芸人でありながら、多数の人を泣かせて旅立ったことを、心より恥じる。
 
いかりや長介
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 この文章ですがさすがに晒しちゃうとかわいそうなのでリンクとか貼ったりしませんが、あちこちのブログやFacebook、果てにはYoutubeに動画まで作られていて結構な数の人間が感動話として取り上げています。しかし私はこの文章を一読してすぐ違和感を覚え、果たして本物だろうかと疑問に感じました。
 
 違和感を覚えた点を挙げていくとまず一つ目は、「他人をバカにして笑いを取ったり、素人にツッコミを入れるだけで内輪受けに走っている事例がしばしば見受けられる」と書かれたテキストで、こうした「弄り芸」が流行った時期といかりや長介が逝去した時期は微妙にずれるのではと感じました。次にいかりや長介は医者から家族には余命が宣告されていたものの本人には知らされていなかったようで、そんな状態で果たしてこのような遺書をきちんと書くことが出来たのか。そして何よりも、逝去した2004年当時にこのような手紙があったなどという報道を私本人が全く記憶していないということです。逝去当時は各メディアがこぞって大きく取り上げており、他のドリフメンバーに対してもたくさん取材がされていたにもかかわらずこの手紙について全く記憶にないというのは私に限っては有り得ないのではと考えました。
 
 そんなわけでこの手紙が本物かどうか確かめようとざらっと調べ、まず最初にどこが初出なのかを探りました。初出を探るに当たっては引用しているブログなりの更新日を追って行くのが一番なのですが、調べていくとどうも2014年の今年に入ってから引用される回数が増えていることがわかり、それ以前となると2012年に引用している記事が一件あった後はほぼ皆無であった中、2004年に掲示板の書き込みらしいものを引用しているサイトが見つかりました。
 この時点でうすうす勘付いてきましたが続けて調べていると、あっさり答えが出ました。
 
 
 結論から言うとこの手紙はダウトことデマで、偽物です。上記リンク先を見れば一目瞭然ですがこの手紙は「白い巨塔」のラストシーンで主人公の財前が同僚に送った手紙文を下地に、さもいかりや長介が志村けんに送ったように改編するという言葉遊びの一種だったようです。しかもこの元となった財前の手紙ですが、このサイトを見るとほかにも多種多様に改編されているようでそこそこ有名なベーステキストの様で、面白がって探してみたらマツダ地獄について書かれたこちらの知恵袋がなかなかツボにはまりました。
 恐らく年代などから察するに、こちらの引用しているサイトに書かれている日付の2004年が初出ではないかと思います。書かれた当時はそれほど脚光を浴びなかったものの10年経った2014年にレトリックであることがわからないまま、というより財前先生の手紙文が忘れ去られたため引用され始めたのが今の実体でしょう。確信犯かどうかまでは詮索しませんが……。
 
 こんなわけで自分の予感が当たって一安心。明日は土曜日だしゆっくり眠れると言いたいわけですがもうちょっとだけオチをつけると、2004年に作られたコピペが10年の年月を経てあちこちに引用されるようになるというのはなかなか稀有なことのように見えます。何故このような稀有な事態が起こったのかと推察するにやはりいかりや長介に対して思い入れを持つ人間が、その死から10年経った現代においても数多くいたからだと思えます。無理矢理いい感じに話をまとめるならば、こうしたデマがそこそこ拡散すること一つとっても彼が偉大なコメディアンだったことが偲ばれます。

2014年11月20日木曜日

九州丸ごと特区化の提案

 またどうでもいい内容をほざきますが、女性の忍者は「くのいち」と呼ばれますがオカマの忍者は「くのいち」と呼んでいいのか今日ずっと悩んでいました。ちなみに忍者ゲームだと「忍道2」が一番好きで、遊んでた頃は食べると爆発する寿司を投げつけては拾い食いする敵忍者を見て大笑いしてました。
 話は本題に入りますが、先日Yahooニュースに載った下記ニュースがちょっと目に留まりました。
 
 
 この記事を一読して感じたのは変わった信号があるということではなく、神奈川県内に「さがみロボット産業特区」という特区があったのかという驚きでした。そこそこ経済ニュースは人並み以上に呼んではいると自認しておりますがこの特区の存在は今の今まで知らず、なんで知らなかったのだろうと思うと同時にこの特区の広報は何やってるんだと疑問にも思いました。控え目に言ってもこの特区の存在は一般人は地元民でなければまず知らないでしょう、ましてや外国人は確実に知らないと思います。
 特区というのは定義にもよりますが、基本的には国内外を問わず特定業種の企業を集積し、発展を図る地区を指すと思います。中国などはまさにこの特区方式で世界中から投資金を集めることに成功した代表例ですが、そうした中国にある数多くの特区を見ている私からすると同じ日本人にすらほとんど認知されていないこの神奈川県のロボット産業特区は意味があるのか、そもそも進出企業にはどのような恩恵があるのかとか全く分からず、やるんだったらアトムの信号なんてどうでもいいからもうちょっと真面目にやれよと言いたくなります。
 
 このように私がマジになって怒るのも日本国内の各都市は国内企業はおろか外資系企業の誘致に対してあまりにも不熱心だからです。広報戦略はもとよりどのような業種の企業を集めようとするのか、どんな優遇措置を用意するのかすべてにおいて中途半端で、こういってはなんですが中身を伴わずポーズだけとって「はいやりましたよ」と言い逃れしてるようにしか見えません。構想倒れで終わったものの非常に期待していた最低賃金特区は結局流れちゃうし、同じ神奈川県の川崎市に去年出来た医療機器の産業特区の存在なんて普通の人は知らないでしょうし、やるんだったらもっと本気でやってもらいたいものです。
 
 そうした私の不満をつらつら述べた上で敢えてここで提案しますが、現在のこうした日本国内の特区は結局都市単位の狭い範囲でしか行われていません。そのような狭い範囲こそがすべてにおいて中途半端になってしまう要因を生んでいるように思え、やるんだったらもっとでっかく、大規模に、猿でもわかるような単純な構造にして内外に訴えかけるべきであって、それだったらいっそのこと九州地方を丸ごと経済特区にしてしまってはどうかとこの頃友人と話しています。
 
 何故九州地方を丸ごと特区化しようと主張するのかというと大きく分けて三つ理由があります。一つ目は私が記者だった時代、九州地方の数多くの中小企業関係者らが海外進出、海外販路の開拓に向けて非常に熱心な姿勢であったことを見ているからです。やはり距離的な近さもあってか中国や香港、韓国、台湾などといったアジア各国に対する視野は東京の人間より格段に強く、ほとんど人材も資本もないにもかかわらず徒手空拳で挑もうとする姿勢には強く感銘を受けました。何気に長崎県は昔から出島があっただけに現代でもパスポート所持率が全国ナンバーワンな国際的な県民性があり、国際取引を推進する特区としてはうってつけだと考えております。
 知らない人もいると思うので書いておくと、長崎県は自治体自身が独自に動いて上海へ毎日鮮魚を輸送する航路を開拓しています。ほかの九州各県の自治体も、割と自分たちで率先して動いてきます。
 
 二つ目は一つ目の理由にもあげていますがアジア各国との絶対的な距離の近さです。特に中国からだと飛行機での移動時間が短いこともさることながらフェリー便も出ており、商取引などの面で有利な点がいくつもあります。中国に限らなくてもタイやシンガポール、カンボジアなどにも距離的に近い上に、外国人がやけに喜ぶ温泉地も豊富にあることから接待関連でもやりやすい環境にあるのではないかと見ています。
 
 三つ目。これが一番大事なのですが、地元民からしたらそうでもないかもしれませんが私の目から見て九州在住者はまだ「同じ九州人」という共通するアイデンティティを持っているのではないかと感じます。各県によって県民性はもちろんあって考え方にも相違はあるでしょうが、本州とは陸続きでないことに加え文化的な共通性もいくつか見られることから、県の垣根を越えて一地方一丸になってまとまるという方針の下では九州が現状で一番適しているのではないかと思えます。
 こっからがある意味私の真骨頂ですが、私は九州全体で丸ごと経済特区となるついでに、ほかの地方に先駆けて道州制の導入を吸収単独でやってもらいたいという考えを持っております。
 
 道州制の議論はこのところさっぱりで、特に維新の会の橋下市長が大阪都構想を出して以来は明確に後退しつつあります。しかし兵庫県の号泣県議を始めとして日本の地方議会の腐敗は国会の汚職事件など霞んで見えるほど深刻でなおかつ議員になる連中も文字通りカス揃いです。
 こうした現状を打破するにはどうすればいいか。各地方の議会の現況をマスコミが徹底的に報じたとしても有権者がそれに反応できるかと言ったらはっきり言って無理です。ならとばかりに私は一気に粉砕した上で新しいものを作ろうと考えがちなのですが、この際県議会とかは全部廃止した上で、九州議会のように道州制の導入によって範囲の大きい自治体を新設した上で政治浄化を図る方が手っ取り早いと言いたいわけです。仮に九州単独でも道州制を導入できればより大きな予算枠で政策が決められる上、必要な人材も集めやすい上に海外への広報も福岡県などが単独でやるより「九州」という大きな地方名で宣伝した方が進めやすいでしょう。
 
 先程にも言った通りに道州制の議論は現在凍結に近い状態です。しかし私としては導入するに価値ある政策案だと考えているのですが、この道州制がいまいち盛り上がらない理由として大きいのは区割りをどうするかでいっつも揉めてしまい、具体的には中部地方をどこからどこまでを東海、北陸に分けるのか、長野県はどっちなのか、三重県は近畿なのか東海なのかという点で暗礁に乗り上げてしまうからです。
 それに対して九州は本州と陸続きでないこともあって道州制の区割りでは何の問題点もなく、恐らく争おうという人間もいないでしょう。それであればこの際、ほかの地方は置いといて九州だけ先に道州制を導入し、この政策のメリットやデメリット、改善点を測る上での試金石になってもらった方が九州にとってもほかの地方にとってもいいような気がします。こういってはなんだけど、九州の人の方が危機感強いからこうした案に対しても肯定的になって割と賛成してくれるような。
 
 なお仮に九州だけ単独で道州制を導入するとしても、沖縄県は九州には入れず別枠に置いた方が良いと個人的に思います。理由は二つあり、一つは距離的にも文化的にも九州と沖縄では離れており同じ枠内で動いてもあまりメリットが見えないということ。二つ目はさすがにこのブログ上では書けないような内容のため、興味のある方は個人的に私にメール送ってくれれば答えます。
 今日調子悪いからあまりいい文章になりませんでしたね。内容もやや描き辛い内容ですが、かといって短くまとめたらしょうもない完成度になっちゃうしなぁ。

2014年11月18日火曜日

トヨタの燃料電池車とそれに関わる雑多な報道

 今日はラーメン屋で晩飯食べてましたが、店内で猫が座ってたので手招きしたらすぐやってきて、撫でてたらすぐ膝の上に載ってきて、結局ラーメン食べ終わるまでずっと膝の上で寝てました。えらく人懐っこい猫だったなぁ。
 話は本題に入りますが、本日トヨタが新開発した燃料電池車「MIRAI」を正式発表しました。この件について先日、友人に簡単な講義を行ったのと今日出た報道を見ていて物足りなさを覚えるので、素人ながら生意気にも報道関係者にちょこっと苦言を呈そうかと思います。
 
 
 まず燃料電池車とはそもそも何なのかというと、何らかの化学反応を起こすことによって電気を発生させ稼働する充電する電池を搭載し、その電力で走る車を指します。名称を英語にすると「Fuel Cell Vehicle」となり、頭文字を取って「FCV」と表記することがマスコミの間でもう出来上がっており、友人にはこの略称と由来を確実に覚えるようにと伝えています。
 今回トヨタが出したミライは水素を外部燃料としていて空気中の酸素と化学反応を起こすことによって電力を発生させる仕組みで、この過程で二酸化炭素(CO2)は生まれず後に残るのは酸素と水素が結合してできる水だけです。
 なお先に注意しておくと、水素を燃料とする車としては過去にマツダがRX-8をベースに「水素自動車」というものを出しておりますが、これはミライとは異なり水素をそのまま燃やして走るという全く異なる車で、技術的にもエコ的にも何も残らない車だったらしく完全に消え去っています。間違って同系列で語ると恥ずかしいので注意しましょう。
 
 話は戻りますがトヨタのミライは走行中、排出するのは理論上は水だけです。その水から再び水素を取り出せれば完璧なエコ循環が出来て素晴らしい車だ、なんて書く記者もいますが、そんなうまい話有るわけねぇだろと突っこむ記者は私が見る限り少ないようです。
 まず現時点で言えることとしては、燃料電池車のコストは非常に高いです。原因は燃料電池を作るのにレアメタルが結構いるためで、今回トヨタが出すミライの車両価格は税込で約720万円、購入に際して国から200万円の補助金が出ますがそれでも500万円以上で、これだけあればプリウスは二台買えます。コストが高いのは販売価格だけではなく、環境負荷も決して低くありません。
 
 私が今日いくつかの記事を見ていて非常に気になった点として、どこも燃料となる水素の生産方法を熟知していない点があります。水素というのは空気にも含まれているためメジャーな作り方としては空気を極低温にまで下げる過程で蒸留するというやり方なのですが、これだと温度を下げる過程で電力をバンバン使うため、最終的なCO2排出量で見たらFCVは間違いなく電気自動車はおろかハイブリッド自動車にすら劣ると見られています。一応、水素を作るにはほかにもやり方があって重油などといった化石燃料の精製過程に発生する水素を集めるというやり方だとコストも比較的抑えられますが、これだと実質化石燃料の量によって取れる量が決まるため、完全循環型とは言い切れないのかあまりトヨタも紹介してません。
 
 あと肝心なこととして、事故った時はどうなるのかという不安が私の中にはあります。水素というのは言うまでもなく簡単に爆発するアセチレンに次ぐくらい危険な気体でもしも車体に搭載する容器から洩れたりしたらどうなるのか、そういった事故対策についての言及が今日までの発表に少ないのは残念です。
 それとともに、今回ミライに搭載される水素貯蔵容器には700気圧分の水素を入れられるのですが、参考までに日本で使われる一般的なガスボンベの貯蔵容量を述べると、こちらは大体500気圧です。500気圧のガスボンベでもほんの少し穴が空いたら百キロくらいあるボンベは内部気体の噴出で確実に吹っ飛び、数十メートル先にまで飛ぶことがあります。もし走行中にミライの貯蔵容器に穴でも開いたら、確実に車両ごと宙に舞うでしょう。もっとも、ミライの貯蔵容器はマグネシウム合金使ってるかと思ったらFRPなので穴空くことは確かに少なく丈夫ってことは間違いありません。
 
 以上まではミライの悪口ばかり書いてきましたがフォローポイントを書くと、航続距離などの面においては先行の電気自動車を確実に凌駕する性能を持っております。以下に簡単にまとめたのでご覧ください。
 
  車種/航続距離/充電(充填)時間
トヨタ・ミライ/650km/約3分
日産・リーフ/228km/約8時間(200Vで)
三菱・i-MIEV/120~180km/4.5~7時間(200Vで)
 
 この表をどっかのメディアは作ってくるかなと思ったらどこも作ってないので自分でまとめました。これで見ると新型エネルギー車の中でミライは利便性が頭一段抜けていることがわかります。もっとも電気自動車も急速充電器使えば数十分程度で満タンにできますが、そういう設備が街中では少ないことに加え、ユーザーのレビューを見ていると航続距離は上記のカタログスペックの約半分くらいが実情だというのであまりフォローになりません。
 
 今後の展望として述べると、恐らくFCVは流行らないと思います。トヨタも国に要請されて一応やってるような態度に見えますし、環境負荷や生産コストと見比べると現行のエコカーに対して不利な点が多すぎる気がします。何気に新型デミオが燃費でアクアに肉薄する上、燃料が軽油だから距離当たりの燃料費ではアクアを上回るという事実をもっとメディアは取り上げるべきだと思います。
 
 
 最後に気になった記事として、上記のニュースがいろいろとツッコみたくなります。今日日の内容から言ってトヨタの話かと思ったらホンダのFCVの取組についてまとめた記事で、
 
「『ホンダはFCVのリーディングカンパニー。水素社会の一翼を担う技術開発にチャレンジし続ける』。伊東孝紳社長は15年度発売予定のコンセプトカーを前に力強く語った。」
 
 というホンダの発言に対して、トヨタが今日から販売を開始するというのに何を以って「FCVのリーディングカンパニー」などとほざくと、どうして記者はツッコミを入れないのか不思議に感じます。更におかしな点を突くと、
 
「FCV普及のハードルは価格だ。高価なプラチナを使う燃料電池の製造にコストがかかり、販売価格は700万円程度。政府は約200万円の補助金を出す方針だが、それでも消費者には手が届きにくい。」
 
 この引用に出ている700万円という販売価格についてなのですが、ホンダは現時点で来年発売するとしている(どうせ延期するだろう)FCVの予定価格を一切明らかにしていません。にもかかわらずどうして700万円という具体的な数字を出せるのか、ってかこれトヨタの販売価格だよねと言いたくなりますがこの記事ではトヨタの名前は一切出てきません。折角FCVの特集なのにホンダより先行しているトヨタの現況について何故触れないのか、触れないくせに参考価格だけは黙って引っ張ってくるのはどういう心境なのかと問い詰めたくなります。
 仮に自分が前の会社でこんな記事書いて出してしまったら、確実に上司から「この数字の根拠はどこだ、てめぇぶっ殺すぞ!」と怒鳴られていたと思いますし、怒鳴られても仕方ない記事だと私には思えます。第一、ホンダはこういう提灯記事を書かせる暇あったらリコール減らせという気になります。ハイブリッド技術でもプリウスが出る直前まで、「うちがリーディングカンパニー」とか抜かしてたけど。

高倉健に対する中国の反応

 今日は安倍首相の解散宣言といい介助犬はフォークで刺されたのではなく皮膚病だったのではなどとビッグニュースが目白押しな日ですが、何よりも国民にとって大きな衝撃と共に受け止められたのは俳優の高倉健氏の逝去報道で省。すでに各所で報じられているのでニュースリンクは貼りませんが、昼ごろには中国でも大きく報じられて友人なんかは真っ先にメールを送ってきたくらいでした。
 
 中国に高倉氏の人気と知名度については過去にも記事にしておりますが、さすがに若い世代くらいになると知らない人が増えているものの一定の年齢以上の層には未だに圧倒的な認知度を誇ります。高倉氏が主演した映画は改革開放政策に移った中国で初めて公開された海外映画で(確か「幸せの黄色いハンカチ」)、当時の中国の状況を考えると農村部にいた人間からすれば生まれて初めて見る動く映像に映った主演男優が彼だったようで、その影響もあってか私もこれまで中国人が「男の中の男」と呼ぶ人間として高倉健氏の名前が挙げられるのを何度も聞いています。
 ちなみにもうひとり「男の中の男」として挙げられた人物には何故か「聖闘士星矢」の「フェニックス一輝」がいます。基本的に男臭いのが中国人の好みっぽい。
 
 そんな高倉氏の逝去報道は日本の報道開始とほぼ同時に中国でも流れ、今日帰りに立ち寄ったラーメン屋のテレビで見た夕方のニュースでも過去の出演映画の映像と共に長い時間、かなり大きな扱いでもって報じられていました。ではネットではどうかと見てみたところ、ちょっと自分でも驚くくらい大きく取り扱うメディアが多いです。
 たとえばこちらのサイトは東方網というサイトの一ページですが、なんと高倉氏の死去に合わせてわざわざ特集ページを独自に組んでおり、これまでの経歴や主要な出演作品、国内外の評価などについて細かくまとめられており、アクセス数も相当高いようで関連する記事複数本がランキング上位に入ってます。
 
 
 またこちらの記事では高倉氏の結婚と離婚、そして離婚後に再婚をしなかったという経歴についていい具合で記事にまとめています。またマニアックな内容と思いつつもこれに対する閲覧者のコメントも、「再婚しなかったなんてなんて清廉な人だったんだ」とか、「どうか安らかにお眠りください」などと、読んでるこちらも感情を感じるような内容が数多く並んでいます。
 
 かつて三船敏郎が逝去した際、日本国内以上に欧米メディアが大きく取り上げ一部のテレビニュースに至ってはトップニュースで報じられたと聞いております。さすがに高倉氏の場合は日本国内の圧倒的な人気から海外報道が勝ることはないと思いますが、それでもこうして中国メディアが大きく報じる点を見るにつけその影響力の大きさを改めて覚えます。それと同時に、本当に偉大な人が亡くなってしまったのだという強い喪失感も覚えます。果たして今後、彼のような俳優が日本に現れるのか、そもそも映画の中とは言え彼のような日本人が出てくるのか、考えは尽きません。
 
 最後に、先ほど「映画の中とは言え」という表現を用いましたが、映画の外ことプライベートでも高倉氏は非常に生真面目で誰からも親しまれる人物だったと聞いております。かなり昔に坂東英二氏がテレビ番組で語っておりましたが、男やもめの高倉氏に坂東氏が冗談で、「何だったらうちの娘でももらってくれませんか」と言ったら後日、非常に丁寧な言葉でもって坂東氏の申し出をお断りするという直筆の手紙が送られてきてびっくりしたそうです。また同じ番組で、ある晩に突然高倉氏が坂東氏の自宅に一人で現れ、映画か何かで共演した記念として腕時計のプレゼントを持ってきたそうです(高倉氏は度々共演者にこうしたプレゼントをしていた)。
 坂東氏からしたら高倉氏ほどの大物がこうも真剣に接してくれることにひたすら恐縮だったようで、「心臓に悪いのでどうかやめてください。お心遣い、本当に感謝していますから」とテレビを通して伝えていましたが、本当に映画の中の様に生真面目だったという人柄うかがえるエピソードです。

2014年11月17日月曜日

シベリア出兵とイワノフカ事件

 前回記事に続いてシベリア出兵中のある事件を取り上げますが、その前にロシアの村で起こったある出来事を紹介します。その年、日本の代表団がシベリア抑留者の慰霊碑を建立しようとその村へ訪れたのですが、その村の住人らはやってきた日本人代表団らに対して、「昔、日本人がこの村で行ったことを知らないのですか」と尋ねたそうです。その村こそが今日の見出しに掲げたイワノフカ村です。
 
イワノフカ事件(Wikipedia)
 
 シベリア出兵の概要については前回記事に書いた通りで、日本は明確な領土的野心の下に他の参加国が繰り出した数倍の兵力をシベリア地域に送りこの地で傀儡政権の樹立などを企てたものの、結果としては何も得ることがなく列強各国にその野心を疑われたことと兵力の損失だけを生みました。このシベリア出兵中に日本はモスクワを占領したレーニン率いるボリシェビキ政権(社会主義政権)と対立していた白軍を支援しておりましたが、シベリア出兵中における最大の敵は赤軍本軍ではなくパルチザンでした。
 
 一体どうして社会主義というか左巻きの人は同じ意味で一般的にも認知されている語があるのにわざと小難しい単語に置き換えようとするのか気がしれませんが、この「パルチザン」というのは言うなればゲリラです。政権が直接命令、指示する軍隊ではなく一般市民(多くは農民)が自発的に赤軍に協力したり、武器を取って敵軍と戦う兵士、集団、軍隊を指すのですが、日本にとってシベリア出兵はこのゲリラ(もうパルチザンなんて言葉は使わないぞ)との戦いだったと言っても間違いないでしょう。
 社会主義革命戦争中のロシアでは都市部はともかく農村部ではボリシェビキへの支持がきわめて高く、白軍が占領したとしてもすぐにゲリラが活動を行って妨害するので占領地を放棄することも頻繁にありました。また一般市民との区別も難しいことから、簡単な例えを用いるならベトナム戦争下の米軍などの様にいつどこで襲われるのか、現地の兵士たちにとっては非常にナーバスにさせられる存在だったのだと思います。
 
 そうした「見えない敵」であるゲリラに対し白軍や日本軍は神経を尖らし、ゲリラを匿った、協力したとみた村落を頻繁に襲撃し焼き尽くしていたそうです。これは当時の軍内部の報告書にもしっかり記されている事実で、件のイワノフカ村の事件も海外の調査隊が生存者の証言をまとめていることから否定はできないでしょう。言ってしまうなら、ベトナムで米軍や韓国軍がやったことを日本軍はシベリアでやっていたというわけです。
 
 話はイワノフカ事件に焦点を絞ります。このイワノフカ村もボリシェビキの影響力が強かったことから日本軍は村民から武器の押収やゲリラと見られる人物の処刑を行っていたところ、思わぬゲリラの反撃を受けて一個大隊が全滅するという被害を受けました。このゲリラに対する攻撃の報復として日本軍は村を包囲した上で、集中砲火を浴びせた上に家々をもやし、老若男女の区別なく殺害したわけです。殺害者数は約300人と見られていますが、この村が現代にまで存続していることを考えると皆殺しまでには行かなかったようです。
 その後日本軍はこの虐殺の事実を隠すどころか宣伝にも使っていたようで、「抵抗すればイワノフカ村の二の舞になるぞ」という脅しをほかの村にもかけていったそうです。
 
 こうした行為はイワノフカ村に限らずほかの多くの村落においても程度の差こそあれ行われていたとみられます。というのも当時の日本軍内の報告書には著しい軍記の乱れが内外から日本の司令部に報告されており、指揮官幹部らは安全なウラジオストックで砲塔を繰り返しているのに対し現場では何の攻略目的や作戦計画のないまま零下何十度という厳しい環境下に放り込まれ、略奪や強姦、虐殺が日常的に行われているなどと生々しい証言が残っています。
 また私個人にとってちょっと面白いと感じる報告として、当時出兵していた部隊では「歩兵隊式」という、末端の兵士による士官へのリンチが頻繁に起こっていたそうです。士官が少しでも横柄な態度や妙な要求でもしようものなら兵士同士が結託し、前線であることをこれ幸いにとばかりに暴行して服従させていたというもので、中には、「殴られるくらいはまだいい。戦場だったらどこから弾が飛んでくるのかもわからんのだし」という証言を残した帰還兵までもいたそうです。こうした状態であったことから前線の指揮官は略奪や暴行する兵士を止められなかったばかりか、彼らに気兼ねして期限を取るといった行動も見られたことが報告されています。
 
 このような事態を招いた理由はいくらでも挙げられるし中には戦場では仕方のないことだという人もいますが、私としてはやはり無計画な派兵こそが最大要因だと見ます。前回記事でも述べたように日本は明らかに下心を持ってシベリア出兵を行っており、しかも出兵の大義名分であるチェコ軍団が無事に帰還しても、白軍が完全に粉砕されても、明確な攻略目標などないまま長期間大兵力を派兵し続けました。戦うべき理由もなければ目的もなく極寒の地に派遣され続ければそりゃ現場もおかしくなるのは当たり前で、何故ほかの国と同時期にすぐ撤兵しなかったのか強く理解に苦しみます。
 
 その上で今回のイワノフカ村事件について述べると、恐らく私と同世代であればこの事件を知らない人間の比率はフォーナイン(=99.99%)を確実に超えるでしょう。一方で、前回記事で紹介した「尼港事件」は認知度はこちらも確実に低いでしょうが一応高校レベルの日本史の教科書には確実に載っています。何が言いたいのかって、殺られた事実だけ教えて殺った事実には触れないってのはアンフェアじゃないか、この一点に尽きます。
 別に朝日新聞みたいに「日本人はもっと他国に謝罪し、反省すべきなのかもしれない(いつも末尾は推量系)」なんていうつもりは全くないしことさら大きく取り上げようというつもりは全く有りませんが、同じ「朝日」繋がりで言うと歴史というのはスーパードライなくらいに感情を全く持たず、淡々と事実のみを直視する視点こそが大事だと私は思います。私なりのこうした視点で述べると、片一方側の事実は取り上げておきながら同じ傾向を持つ事実は無視するなんて以ての外だし、そもそもこのシベリア出兵自体を日本の教育界はあまり教えたがらないなと内心思います。
 
 私自身、大学受験時にシベリア出兵という単語と概要は覚えましたが、そもそもチェコ軍団って何、現地でどんな活動したのといったことは全く以ってちんぷんかんぷんでした。日本史科目に関しては今も昔も並外れた成績だったことを考えると、私以外の人間に至っては全く理解せず「シベリア出兵→米騒動」という脊椎反射的なワード繋がりを覚えられれば御の字だったでしょう。
 しかし成人になってから改めて一次大戦を勉強し直したついでに勉強し直すと、やってることはまるきり米軍のベトナム戦争と変わりがないように思えてきました。ベトナム戦争についてはその悲惨さを学校では学びましたが、もっと身近な日本がやった例については細かく教えずにスルーするってのはちょっともったいないと思うついでに何らかの意図があるのではないかと勘繰りたくなります。中には規模が同たらこ歌らという人もいるかもしれませんが、人が何人死のうが自分は全く興味がありません。やったかやらないか、何やったか、これだけが重要です。
 
 繰り返して述べると、シベリア出兵と関連して尼港事件だけ取り上げてこっちのイワノフカ事件を始めとする現場の乱れをスルーするというのは、あれこれ理由を述べるまでもなく私個人として気に入らないというか癪に障ります。朝日新聞みたいに、ってか従軍慰安婦や南京大虐殺は取り上げるがこっちをスルーする朝日をちょっとどうかとも思うけど、参考書位には一言書いた方が良いのではというのが私からの提言です。
 あと最後に蛇足ですが、明確な目的がないまま戦争に兵を派遣して無駄に浪費するという構図、なんかどっかの国で見たようなとデジャビュを覚えます。思えばこの時から日本の軍隊はいかれてたのかもしれません。

2014年11月16日日曜日

シベリア出兵と尼港事件

 尼港(にこう)事件と聞いて何のことかすぐに言えるような人は私と同じで恐らくどこか頭のおかしい人でしょう。私自身ですら復習しなければすぐに記憶から飛ぶような事件だし、一応大学受験の参考書にはちょこっとだけ書かれているけど実際の入試に出題された例は見受けません。
 
尼港事件(どちらもWikipediaより)
 
 尼港事件とは、第一次大戦期に日本が行ったシベリア出兵中に起きた虐殺事件のことを指します。この事件について解説する前にまず、シベリア出兵について話をしましょう。シベリア出兵とは何か端的に述べるなら、一次大戦の末期に社会主義革命が起きたロシア(ソ連)に対する列強による干渉戦争、いわば社会主義革命を潰すために行われた侵略と言ってもいいでしょう。
 
<ロシア国内の革命戦争>
 一次大戦末期の1917年、ロシアでは十月革命が起こりレーニン率いるボリシェビキこと共産主義勢力が政権を握りました。こうした動きを懸念したのはほかでもなくイギリス、フランスをはじめとした列強各国というか連合国側で、彼らは対戦中のドイツとボリシェビキ政権が単独講和して東部戦線が解消されたことと、社会主義革命が他国に広がるのを恐れ、まだロシア領内でボリシェビキと主導権争いを続けていた勢力こと白軍を支援しようと企図しました。
 ここでまた二度説明ですがレーニン率いるボリシェビキ勢力は「赤軍」と呼ばれ、これに対しボリシェビキに抵抗していたロシア国内の勢力をまとめて「白軍」と呼んでました。何故この白軍は「まとめて」というのかですが、実態としては「反ボリシェビキ」を掲げていた勢力を一括してこう呼んでいたため実体としては同床異夢な民主党のような存在だったらしく、共和制主義者、王政復古主義者、反レーニンな社会主義者などごった煮な状態で、説明するまでもなくまとまった行動が取れず歴史では結局赤軍に敗北することとなります。もっとも、勢いに乗じた赤軍が何故かフィンランドに攻め込んできたのですが、それに対して祖国防衛のために動いたフィンランド軍も白軍に数えられ、この中には二次大戦で活躍するマンネルハイムも指揮官として参加しており、一時は首都ヘルシンキを奪われたものの最終的には見事赤軍の撃退に成功しています。
 
<チェコ軍団>
 話は本題に入りますが、このシベリア出兵が行われた理由は一に連合国による対戦国ドイツへの牽制、二にロシアの社会主義革命の粉砕でしたが、さすがにこんな理由を正直に出しては大義名分が立ちません。そこで取られたのが、ロシア領内で孤立していた「チェコ軍団」の保護、救出でした。
 当時のチェコ(スロバキアを含む)はオーストリアによって統治されていて独立を果たせていませんでした。そこに目をつけたロシアは国内にチェコ独立を目指す義勇兵組織を起ち上げ、主に戦時中にオーストリアとの戦闘で捕まえたチェコ人、スロバキア人の捕虜を組み入れ、オーストリア軍との戦闘に出兵させていました。しかし十月革命の後、このチェコ軍団は所属先はおろか行先も決まらず、そもそも祖国もまだなかったことから行き場に困りシベリア地方で孤立することとなりました。
 
 モスクワのボリシェビキ政権はこのチェコ軍団の取り扱いについて当初、武装解除の上でウラジオストクからアメリカへ移動することを認めますが、チェコ軍団の兵士が移動の過程でハンガリー兵と乱闘事件を起こしたことによりボリシェビキ政権は態度を硬化させチェコ軍団の移動を一時中止させます。これに対してチェコ軍団も現地に指揮官、最高責任者がが存在していなかったこともあって苛立ち、ボリシェビキ政権に対して蜂起し、再武装を始め、結果的に赤軍との戦闘を始めることとなりました。
 このようにシベリア地方で孤立しながら赤軍と戦うチェコ軍団を英仏は「連合国の一員」であり救助の対象でもあるとし、ボリシェビキ政権へ干渉戦争を起こすいい口実になるとして兵士の派遣を決断します。しかしチェコ軍団のいるシベリアは欧州からみれば地球の反対側にあり、なおかつドイツとの戦争もまだ続いていたことから、地理的にシベリアに派兵しやすい位置にある日本と米国に対して出兵を要請します。
 
<日本の出兵と狙い>
 日本は英仏からの要請に対して当初、「アメリカが出兵するのであれば兵を派遣する」と、アメリカの顔を立てる形で答え、その後アメリカが派兵を決定すると約束通り、1918年に出兵を内外に発表します。しかし遠慮がちな態度と裏腹に日本側は当初からやる気は満々だったと言われ、狙いとしては満州、シベリア地域で新たな領土を獲得するとともに現地に傀儡政権を立てて日本本土の防衛、領土拡張を最初から狙っていました。
 事実、英仏の派兵規模が1000人前後、日本に次いで規模の大きかったアメリカが約8000人だったのに対し、日本は最終的に約7万3000人という異常な量の兵員を派遣しております。またその行動もエキセントリックというよりほかなく、当初はウラジオストックより先には進軍しないという規約があったにもかかわらず平気で破り、北樺太や満州地域はおろか、バイカル湖周辺にまで占領地域を拡大します。
 
 こうした日本の行動に派遣国はほぼすべて懸念を示します。というのも派遣をしたその年の1918年11月に連合国と戦っていたドイツで革命が起こり一次大戦が終結し、背後(東部戦線)からドイツを牽制するという目的が無意味と化していたからです。しかもチェコスロバキアもこの際に独立を果たし、英米仏はしばらくは駐留を続けてましたがチェコ軍団もロシア領内から出た1920年にはみんな撤兵したのに対し、日本は上記のような目的もあって1922年まで一人で延々と残り続けました。
 しかも日本国内ではシベリア出兵を機に需要が高まると見られた米が商人によって買占めが行われ、それ以前から高騰していた米価がさらなら高騰を見せたことによって「米騒動」が起こります。結局、日本軍はシベリア地域で動き回りましたが領土を獲得する大義も得られなければ傀儡政権の樹立も果たせず、兵員や物資の損害を生むだけ生んで何も得ることなく撤退することとなります。
 
<尼港事件>
 上記が高校で教えられる範囲のシベリア出兵の中身、と言ってもこんなに詳しくやる教師はいないでしょうが、大体が米騒動とセットで教えられます。米騒動のほかにもう一つしべリサ出兵と共に一緒に関連付けられるキーワードとしてもう一つの本題であるこの「尼港事件」があるのですが、この事件はシベリア出兵中の1920年にアムール川河口の港湾都市、ニコラエフスクで赤軍パルチザンによって起こされた虐殺事件を指します。
 
 非常にきわどい内容なので簡潔に説明することに努めますが、当時ニコラエフスクには多数の日本人居留民とユダヤ人、白ロシア人が住んでおり、ボリシェビキ政権に抵抗する白軍の部隊とシベリア出兵によって派遣された日本軍守備隊も合わせて駐屯しておりました。当時漁業事業を営む日系企業がこの町に進出しており日本人居留民(約700人)も数多く居住していたことから、日本の領事館も設置されていました。
 この街にロシア人を中心として中国系、朝鮮系を内包した赤軍パルチザン部隊約4000人が白軍を追って1920年1月に進撃してきたのですが、日本軍守備隊(約300人)は日本人居留民保護を目的に駐屯していたものの白軍司令官とともに赤軍と交渉に当たり、居留民の安全、白軍関係者に対する不当な処罰をしないこと、一定期間の移動の自由を条件にニコラエフスクを赤軍パルチザンに明け渡しました。なお開城時に白軍の最高指揮官三名が自決していますが彼らについてこの事件をまとめた記者、グートマンは「彼らは、仲間の将校や、ニコラエフスクの市民より幸福であった」と書き残しています。
 
 こうしてニコラエフスクに赤軍パルチザンが入城しますが、残っている証言によると彼らは当初の約束を守らず市民への略奪や暴行、白軍兵士への迫害や投獄、殺害を繰り返したため日本守備隊と対立を深めます。そうした最中、パルチザンの司令官は日本軍に対して武器弾薬の引き渡し(武装解除)を要求し、事態悪化を恐れた日本守備隊は引き渡す前にパルチザンに対して決起を行ったものの兵力の差は埋められず敗北し、全滅します。
 日本軍の決起後にパルチザンは日本軍に協力したとして日本領事館を攻撃しただけでなく日本人居留民を一方的に殺害し、その後事態を知った日本軍がニコラエフスクへの派兵準備を始めると日本軍の報復を恐れたのか、証拠隠滅と日本軍への進軍妨害を兼ねて今度は日本人だけでなく、中国系を除いたロシア人やユダヤ人などあらゆる街の人間の殺害を始め、被虐殺者数は街の全人口の半分に当たる6000人以上に上ったと言われています。なおこの時にパルチザン内部でも虐殺を批判する幹部がいたものの、ほかの居留民殺害に紛れて一緒に殺されたようです。
 
 この事態に日本軍は救援隊を派遣しますが、アムール河の解氷を待って到着した頃にはパルチザンは逃げ出しており、既にニコラエフスクは焦土と化していました。またソ連側でもこの時のパルチザンを監督していたハバロフスク革命員会が事態を知り、パルチザン兵士への聞き取りを行っています。唯一溜飲が下がることとしては、ハバロフスクの革命員会はパルチザン兵士と接触した上で指令をだし、虐殺時のパルチザン指揮官であるトリャピーツィン以下幹部全員を捕縛した上で処刑している点でしょう。この時の容疑は「同士、同胞に対する虐殺」だったそうです。
 
 
 以上がシベリア出兵と尼港事件に関する顛末ですが、この事件は当時の日本国内においても衝撃と共に受け止められ、時の原敬政権が部隊を派遣しながらみすみす居留民を見殺しにしたと強く批判されています。また日本側はこの事件の報復としてその後しばらく北樺太を占領し続ける行動に出ています。
 という具合でいつものようにロシアは恐ろしあという結論で片づけたいところなのですが、そうは言いきれない点がこのシベリア出兵にはまだ隠されています。この記事だけでも非常にしんどかったですが、続きはまた次回にて頑張って書きます。我ながら、歴史学者でも文化部記者でもないのによくやるよ。

2014年11月13日木曜日

解散・総選挙予測の報道について

 また本題と関係ないところから始めますが、8月に書いた「大津の欠陥マンション訴訟について」という記事がこのところ私のブログで最もアクセス数が多くなっております。というのも何度かワイドショーに取り上げられていたようでちょうどその放送日と重なるようにグンとアクセスが跳ね上がっているのですが、あまりにもアクセス稼ぐもんだからなんかいたたまれない気分になり、この訴訟の当事者である住宅販売会社の大覚さんに、「こういう記事書いてアクセス稼がせてもらっています。ありがとう、でもって拙い文章でごめんね(^_^;)」っていうメールを送ったらすぐ、「応援ありがとうございます。アップ直後から見ています(*^^)」という返事をもら、「え、見られてたの(;゜Д゜)」という具合で急に焦りを覚えました。なんかますます申し訳ないので、この記事読んでる人はこういう訴訟が起きてると言って大覚さんのサイトを他の人も紹介してあげてください。
 
 話は本題に入りますが、皆さんも知っての通りだと思いますが年内にも安倍首相は議会を解散し、総選挙を実施するのではないかとの報道が出ております。この報道を最初に目にした時は人気を二年も残しておいて、なおかつ現在与党自民党は議会で多数の議席を保有しているのだから打って出るわけないだろうと思って信じませんでしたが(確か初報は毎日新聞だったような)、その後も複数のメディアに跨って続報がどんどんと出ており、特に地方の選挙区が急に候補者選びなどで慌ただしくなったというのはどうやら事実そうであることから決して根拠のない報道ではなかったようです。実際に安倍首相が決断するかしないかはまだわかりませんが、少なくとも解散を執行部が検討しているというのは間違いない事実でしょう。
 なおこの解散予測報道についていくつかのメディアは予測が正しい根拠や解散に打って出る理由をいろいろ挙げており、中には飯島勲内閣官房参与がそれとなく匂わしていると書いたメディアもありましたが、私個人は飯島氏の資質といい人格といいあまり信用していないのでこれは全く参考になりませんでした。ただもしこの噂が間違っているなら、今のところ最も高く評価している菅官房長官が何かしらコメントするよなと思うと真実味があるように感じます。
 
 では一体何故このタイミングで安倍政権は解散に打って出るのか。理由はいくつか取り沙汰されていますが消費税の再増税が最大の理由であることに間違いないでしょう。当初は来年10月にも消費税を10%まで引き上げる予定でしたが足元の景気は念願の円安を達成しておきながらも改善する目途が立っておらず、株価は上昇し続けているものの実体経済や個人消費は苦しい状態が続いております。この時期にさらなる引き上げを行えば止めの一撃になりかねないと批判する声も多く、少なくとも引き上げ時期の延期くらいはやらないとまずいのではないかと与党内からも声が上がっていると聞きます。中国にいながら我ながらよく言うよ。
 
 私としては海外の投資家は既に消費税の再増税に伴うインフレを見越して金融取引を行っており、ここでスケジュールを弄れば投資家から失望を買うだけでなく解消しつつあるデフレに逆行しかねないとして延期はすべきでないという立場を取っております。しかし実体経済が芳しくない、当初の想定以上に悪くなりつつあることは理解しており、何故そうなっているのかという理由については消費税の引き上げ以上に政府が何の成長戦略も描けていない、いわば安倍政権の不手際にあると考えております。とはいえ足元の状況が悪いことは事実で、来年十月に再引き上げをしたらググッと景気が悪化するという予測に関してはさもありなんでしょう。
 
 与党としてもこの辺の事情が分かっているだろうし、どうせ再増税で印象悪くなった後で選挙やるくらいならこの際先手に出ようと考えたのかもしれません。もしくは選挙前に引き上げ時期の延期を公約に掲げ、民意を盾にして各方面の了解を得ようという作戦かもしれません。確かにこういう理屈であれば野党は何の準備もしてないので奇襲となってそこそこ議席も確保できるんだし、年内に総選挙をやる価値はあるでしょう。
 
 私の意見としてはやるならやるで構わないしこのやり方が卑怯だとも何とも思いませんが、小渕前大臣を始めとして無能な政治家はこの際切った方が良いよと老婆心的に思います。むしろ次の選挙で小渕前大臣を公認しないと言ったら安倍政権の支持も上がるんじゃないかな。
 野党に関して述べるとまぁ見事なくらいに今ぐちゃぐちゃな状態で、維新の会も軋轢を増している最中ですから今選挙やったらとんでもない結果になるのが目に見えています。民主党なんか下手したら分裂するんじゃないかな、これを機に。

2014年11月12日水曜日

日中で異なる老人のライン

 たまに上司と一緒にバスに乗って自宅近くまで帰ってくるのですが、今年御年59歳の上司と一緒にバスに乗るとほぼ確実に座席にいる誰かが上司に席を譲り、その度に上司も、「俺ってもうそんな年なのかなぁ」と言ってきます。ってか今日言ってきました。こっちにイタコとのある人ならわかるでしょうが中国ではバスや地下鉄で老人や妊婦に対して日本なんかとは段違いなくらいにみんな率先して席を譲る傾向があり、自分も知らぬ顔して席座っていること出来ないから必要とあれば席を譲っております。
 
 こうした席を譲る文化に関しては程度の差はあれ日中で共通していて中国の方がやや強いと言えるのですが、果たして上司は日本で電車に乗ってて席を譲られるのかなと今日ふと疑問に思いました。うちの上司は年こそそこそこいってますが足腰はしっかりしてるし中国来て激痩せしたことから持病の腰痛もなくなり、今のところは日々のストレスからか酒量が増えていることを除けば見るからに健康体です。しかし中国だと周囲から明らかに「席を譲られるべき老人」と見られるのに対し、日本人らしくないけど一応日本人である私の目からすると、「席を譲るとかえって気にするくらいの年齢じゃないのかな」と、もし電車の中でカチあっても席を譲るべきかややためらうべき外見をしています。
 
 何が言いたいのか端的に言うと、老人と認識するラインが日中で明らかに異なっていると言いたいわけです。日本は統計ごまかすために65歳以上を高齢者としていますがほかの国は普通60歳以上です。無論これは法律上の定義であって社会上の観念ではございませんが、社会上の観念でも日本人は相手を社会的弱者である老人と見るラインが中国よりは高くなっている気がします。
 確か三年前くらいのサラリーマン川柳で、定年後に故郷に戻って地元の青年会入ったら60歳なのに若手(最年少)と扱われることを謳う川柳が入ってましたが、これが端的日本人の見方を表しているでしょう。私個人の見方で言っても60歳前後であればまだまだ現役と見られる年齢で、70歳を越えた当たりからもうそろそろ老人、80歳を越えたら本人が同言おうと老人として扱われる気がします。
 
 では中国ではどんなもんか。私の観点で言えば55歳を越えた当たりが老人として区分されるラインだと思います。根拠としては日々の実感と、企業で社長職を努める人間が中国だと40代がメインで50歳を越えると引退とか考える年齢だからです。今の日本では40代の社長であれば若手経営者と呼ばれ、50代の社長でも少なく60歳を越えた人が経営者として一番多い層ではないかと思います。この点一つとっても日本が中国と比べて老人ばかりってのがなんとなく見えてくるのではないでしょうか。
 言うまでもないことですが日本は65歳以上が既に人口の四分の一を越えてて、世界基準の60歳以上だと三分の一くらいいっていた気がします。それくらい老人が多いのだから60歳くらいでへこたれてちゃ社会が成り立たないってのはまだ理解できるものの、日中間の経営者の平均年齢の差はあながち環視できない事態だと私は考えてます。上記の例は社長だけですが責任を持つ管理職の人間も同じくらい平均年齢に差があると思えるし、まぁあとは言わずもがなかな。
 
 かつては人生50年と織田信長は言ってましたが定年が60歳となり今度70歳まで引き上げようかと言われる時代にこういうことを議論するのも野暮な気がしますが、単純に若い人間が多い中国はそれだけで自分からしたら羨ましく見えます。もっともこの点に一番着目しているのはうちの上司とたまたま同い年したうちの親父で、中国に来るたびに街中を若者が多く歩いているという事実を取り上げ嘆息してます。年寄りの視点もたまには聞く価値があるもんだ。
 
  おまけ
 かなり昔にテレビで見ましたが、どっかの町工場で凄い技術を持っていることから定年を過ぎても働き続けているおじいさんがいて、番組が放送された時点で90歳を越えていながら毎日定時出勤してました。しかもその人の息子も60歳を越えており、父よりも先に息子が定年退職するというわけわからない状態になってて、日本は老人を働かせ過ぎではとなんか見ていて妙な気分にさせられました。

2014年11月10日月曜日

日本人で過剰礼賛するテレビ番組

 昨日何故かこのブログの最新コメントを表示するフィード欄がおかしくなったので、HTMLを再度組み直し(自動で組んでくれるサイト経由だが)ました。組み直すついでとして新たに誰がそのコメントを書いたのかAutor欄を表示するようにしましたが、なかなか気に入っています。
 
 そんなわけで本題ですが、先日友人からこのところ日本で放映されるテレビ番組でやたら「凄い日本人」みたいな特集が増えていると切り出してきました。なんかまたえらそうな書き方になってしまいますが、この友人が思ったことと同じことを私は去年の時点で感じていました。その時も記事に書こうかと思ったものの、今現在(昔から?)の私は日本、並びに日本人に対して並々ならぬ不信感を抱いているため、やや極端に受け取りすぎているのではないかと懸念したため記事化は見送りました。しかし今回話をした友人だけでなく、ネット上でもこうした日本や日本人を過剰に礼賛する番組が多くてうんざりするといった声も散見するようになってきており、一般的な感覚になっているのかと思えてきたので強行して書くことにしました。
 
 まず結論から述べると、簡単に視聴率が取れるからこうした過剰礼賛する特集が増えているのでしょう。ただ友人が話したことですが、従軍慰安婦問題の様に自虐史観から一気に逆ベクトルに振れ過ぎではないかという意見はもっともであり、なおかつ私が見たことのあるこの手の番組は明らかにバランスが偏っていると感じるものが多く、やはりおかしいのではないかという声を上げるべきな気がします。
 具体的にどの点でバランスが偏っているのかというとこれは単純明快で、わざわざ「日本人」としてPRする必要のない人まで「凄い日本人」みたいに取り上げていることが多い点です。確かにこれらの番組で取り上げられる人たちは個人としてみたら立派な特技や知識、実績を持っているのですが、だったら「凄い人」と言えばいいだけなのに何故か「世界に誇れる日本人」みたいな形で番組では紹介されることが多く、その人個人を持ち上げるというよりは日本全体を持ち上げるかのような論調がはっきり言って気に食わないです。恐らく私以外に不満を感じている他の人もこの点について違和感を覚えているんじゃないかという気がします。
 
 あらかじめ申しておくと、立派な功績や特殊な生い立ちを持っている人たちを取り上げるという番組は私は嫌いではありません。しかし近年のこの手の番組はなんか中途半端な人間が出てくることも少なくなく、始めから知名度も高い人もいたりするのでだったらもっと市井に埋もれた人を発掘してきたらどうかなんていう風にも感じます。やや古いですが、NHKの「プロジェクトX」という番組では取り上げるのは基本的に大企業でしたが、その企業の中にいる末端の人間の葛藤を数多く描いてきたから世間にも評価されたように思えます。無駄に「凄い日本」みたいないやらしいアピールもなかったし。
 
 ここでひとつ疑問点を上げますが、なら何故民放どもはやたらに日本アピールを急に行うようになったのでしょうか。この答えの一つは既に述べているようにそれで視聴率が得られるからだと見られ、それは言うなれば私の様に違和感を覚える人間もいる一方で嬉々としてみる人間も一定数存在する、というよりは増えているということでしょう。自分の国が嫌いであるよりは好きな人間が多い方が良いというのはそりゃそうですが、このところの日本は明らかに産業レベルで他の国に追いつかれ始めているにもかかわらず、「日本は技術じゃ負けていない、売り方が悪いだけだ」という苦しい言い訳を展開するなど、実力差をわきまえずに他国を見下す風潮がやや出てきているように見えるためあながち笑っては聞いていられません。自動車に関しても、中国メーカーや韓国メーカーには負けていないとみんな言いますがドイツなど欧州メーカーと比較する話をする人間はほとんど見られず、この手の情報は「ベストカー」という雑誌に頼りきりです。
 ってかなんでカー雑誌に佐藤優氏はまたインテリジェンス講座という連載持ってるんだろうか。インテリジェンスとかあまりにも関係ねぇ……。
 
 自分は従軍慰安婦問題華やかなりし2000年前後の頃は日本を持ち上げようとする意見に対して何も違和感を感じませんでしたが、現状のこの手の番組が氾濫する状況においては「偏狭なナショナリズム」をやや感じます。だからと言って日本はもっと自己批判すべきだとまで言うつもりはありませんが(産業界には言いたい)、凄い個人を取り上げるに当たって無駄に日本人だと強調するのはやめるべきだと思います。個人は個人であって日本人という集合体の一部ではありません。まぁ自分はそっからはじかれた口なので言ってて説得力ありませんが。

2014年11月9日日曜日

何よりも重みのある現場の声

 先日に友人が、「この記事どう?」って下記リンク先の記事について私に意見を求めてきました。
 
 
 リンク先の記事では上海市のはずれにある、西洋風の建築物が密集したところがゴーストタウンになっている状態を紹介し、中国の不動産バブルとも言う現象が見られるがその一方で市民のニーズにあった店舗や物件はそこそこ人気もあれば繁盛しており、ニーズさえ間違えなければまだまだ盛り上がれるという内容が書かれてあります。
 そんなこの記事を読んで私が友人に最初に言った一言は、「この中で紹介されている西洋風の建築物が集まったゴーストタウンだが、俺はここに四年前に足を踏み入れてるよ」というものでした。というのも私は2010年に友人と一緒にこのゴーストタウンへ行ったことがあり、そこでは当時からも人や店舗は一切入っていないながらも風景はいいことから今と同じように結婚式の写真撮影などが行われてて、ぶっちゃけ四年前と何にも変わってないねとこの記事読んで思いました。その上で四年前の時点で存在していた、つまり建築自体はそれより前の不動産物件を取り上げて「不動産バブルの崩壊が懸念される上海の現状はこうだ」と言われても、一年や二年前にできた物件ならまだしもいくら何でも無理があるんじゃないかと思ったわけです。第一、ニーズが合えば売れるなんて言うのは当たり前以外の何でもなくわざわざ記事にする必要もなければ、じゃあ今の上海でどんなニーズがあるのかそこまで具体的に書かないと前の職場だったら書いた人間は怒鳴られてたと思います。マジで。
 
 と、厳しめの批評を書きましたが、この記事を書いた人を私はこれまで知らなかったのですがどうやら金融系の小説を書いている作家の方で中国に常住しているわけではないようです。恐らくこの記事も上海を短期で訪れてその感想として書いた記事だと思われ、そういう立場であればこの記事で書かれているような意見を持たれるのも不思議じゃありません。ただ以前から上海をよく訪れたり常住している人間からしていると恐らく私みたいに「だから何?」っていう感想しか出てこず、無理して書くくらいならこういう現場にいる人間の話をあらかじめ一回くらい聞いておいてみるのも悪くはなかったのではと思います。
 私が上記のような意見を言えるのもそこそこの期間を上海で過ごしておりなおかつ写真に写るゴーストタウンの現場を知っていたことに尽きます。私のような不動産、金融の素人ですら現場を知っていれば上記のような意見を言えるのですがこれはほかの分野にも同じであって、どれだけ鋭い洞察力や深い知見を持っている人間であっても、現場の事情に関しては現場にいる人間には絶対敵わないだろうと私は考えています。
 
 一気に話が転回しますが上記のような価値観を持つに至った一つのきっかけとして、大学時代に取っていたロシア語の講師(女性)の話があります。その講師は旧ソ連時代に留学もしたことある人だったのですが1991年にゴルバチョフ大統領が腹心に監禁されるクーデター(ソ連八月クーデター)が起きた際、バイトで出入りしてていた大手新聞社に言われて手当たり次第にモスクワにいる知り合いに電話をかけて現場の状況を伝えていたそうです。その電話をかける合間にふとその講師は周りの新聞社社員に対し、「あのー、この事件って多分三日くらいで終わると思いますよ」と伝えたところ、「そんなわけないだろ、何を言ってるんだこの小娘は?」というような呆れて侮るような顔をされたと話していました。しかし実際、リアルに三日でこのクーデターは終わりました。
 この時のことについてその講師は、「電話でモスクワにいる人に話を聞いている感じだと誰も緊迫感を持っておらず、普段通りでなんか怒ってるねみたいな感じだったから」と話していました。一見すると超大国の大統領が突然監禁されて連絡が取れない事態なのだから大事の様に思えますが、モスクワにいる人間、そしてモスクワにいた人間の肌間隔の方が事態の展望予想について正しかったわけです。
 
 このように、変に国際事情に詳しくなくても現場を知っている人間の方が情勢予測の点では案外正しい目を持っていることが多いように思えます。私も前職で一時期香港に渡りましたが、やっぱり現地で経済記事を書くというのはどれだけ産業に関する知識を持っていようが、どれだけ文章を上手く書く技術を持っていようが、記事を書く現場にどれだけ長く滞在して現地事情を理解しているかがモノを言います。この点は日本の大手メディアに対して特に強く言いたいことなのですが、最近はどこも地方支局を減らして大事件が起こるたびに東京から記者を応援に派遣して取材することが多いものの、こういうやり方では取材がどうしても薄くなりがちで長期的な視点だとやはりマイナスだと思います。
 
 ここでまた話が一回転しますが、よく経済紙などで現場の声は大事だという言葉が出てきますが、これについては私も同感です。しかし心の狭い日本人がボトムアップの声を掬い取れるかと言ったら私は甚だ疑問で、先程のロシア語の講師の話に限らず知識はないけど現場にいた人間の声をきちんと汲み取るという例は日本だと少ない気がします。
 もっともこれは自分に対しても言え、よく偉そうに知った振りしてあれこれいろんな分野において批評をしていますがその現場にいる人間から見たら見当違いなことを言っているのかもしれないという懸念は常に持っております。その上で大事にしていることとして、現場にいる人間が自分の意見に同意すれば自信を持って書き、逆に違うと言われたらなるべく現場の生の声をそのまま文字に起こした上で自分の意見を書くようにしております。
 
 最後にもう一度日本のメディア記者に向かって言いますが、自分が何でも知っている、理解できるなんて勘違いも甚だしいです。取材の基本は現場の声をきちんと汲み取り読者にわかりやすく伝えることにつき、変に自分の視点を他人の言葉の様にして入れるなんて間違い以外の何物でもないでしょう。
 
  おまけ
 昔にも書いていると思いますが、この記事に出てくるロシア語講師の授業である日学生が、「せんせー、昨日徹夜でカラオケ行ったから喉痛い。のど飴持ってない?」と言ったら、「あんた大阪のおばちゃんがみんな飴ちゃん持ってるとでも思ってんの?まぁ持ってるんだけど」といってすかさずのど飴出したのを見て、「大阪のおばちゃんってすげぇな(;゜Д゜)」って思いました。

2014年11月8日土曜日

松坂豚肉の謎

 来月から近くでやっている日本人同士のサイクリング同好会に入ることとなったので、今日雨の中にもかかわらずロードバイクを一台買ってきました。自分の住んでる昆山市は台湾系の企業が数多く進出していることから今や世界一の自転車用フレームメーカーである「GIANT」製品の販売店が多く、さらいに日本の変速機・ブレーキメーカーであるシマノも工場あることから、真面目に自転車屋が多いです。
 上記のロードバイクは本体が3000元くらいで、ライトなどのパーツをつけて合計3400元くらいで買ってきました。ロードバイクとしては安価な製品ですが、中国だからすぐ壊れる可能性があるのと、私自身あんま最高速度とかラップタイムにこだわらず自分がどれだけ長く乗り続けるかを大事にするのでこれにしました。こだわる気になったらその時に高いの買えばいいんだし。
 ただこの自転車の価格、二年前の1元=12円の頃だったら日本円で36000円くらいなのに、1元=17円の未だと51000円という計算になるので財布と心が痛い。
 
 話は本題というかまたどうでもいい身近なネタですが、私の家の近くに小さい台湾料理屋があります。ここには台湾料理の名物といっていい「魯肉飯」という肉そぼろごはんが6元(約102円)で食えるのでよく通っているのですが、テーブルに写真付きで貼って紹介されている「味噌松坂肉(20元=340円)」という料理が前から非常に気になっていました。紹介文を見ると豚肉料理のようですが、なんで松坂と付くのか、ってか何故豚肉に……などと疑問符をずっと抱えていたので、今日思い切って頼んで食べてみました。
 
 出てきた料理は味噌と一緒に焼いた豚肉が小ぶりに切られた物で、食べてみるとあっさりした味で確かにおいしかったです。私が料理を食べていると店の親父(何気に韓国人だった)から声をかけてきて、なんでこんな名前なのと聞いたら、「日本で松坂牛って高級牛肉あるじゃん。それにあやかってつけた」とあっさり認めました。まぁ豚肉だし、松坂産ってことをPRもせず細々としているし、単純に松坂牛へのリスペクトでつけられているんだから私個人としてはいいのかなと思いますが、なんかほかのお店にもたまに「松坂豚肉」って商品が置いてあることがあって、その妙な伝播力に驚かされます。こういういい加減さは中国見習いたい。

2014年11月6日木曜日

勉強漬けな中国の中高生

 九月に日本に帰国した際にふと気が付いたのですが、駅のコンコース内で一番大手を振って歩いているのは女子高生な気がします。これは女子高生が生意気だからとかそういう意味ではなく、一般成人、特に男性が暗い色の服着てうつむきながら歩いていることが日本では多いため、相対的にかつ人生でハッピーなお年頃であることから横に広がって歩いてても全く気にしないような素振りになるのではと見ています。宮台真司は正直言って大嫌いですが彼が着目した日本の女子高生文化は真冬でも短いスカートをはくなど一種独特で、日本の風俗史としてみるなら研究対象として価値ある存在ではないかとこの頃よく思います。まあ自分はやらんけどね。
 話は本筋に戻しますが、どうして日本では女子高生が大手を振って歩いていると気が付いたのかですが、それはやはり中国での生活体験があるからに尽きます。そもそものファーストステップが、「日本は中高生がいっぱい歩いているなぁ」という印象で、何故そう思うのかというと中国では誇張ではなく中高生が休日でもそんなに街中を歩いていないからで、なんで出歩かないのかというとリアルに勉強漬けとなっているからです。
 
 先に申しておくと中国では一人っ子政策が継続(一部都市では既に緩和)されてはいるものの子供の数は人口比で言っても日本よりは確実に多いですし、結婚した世帯の出産意欲も非常に高いです。実際に街中を歩くと小学校低学年くらいの子供が本気で拳骨加えてやりたいくらいにきゃーきゃー騒いでて(日本の子供の比ではない)、日本と比べると社会の平均年齢は本当に若いと常々感じます。
 しかし大体小学校高学年から高校生くらいの年代の子となると不気味なくらいに街中で見かけません。地方の中学校を出てすぐ都市部に出稼ぎにきたであろう訛りの汚い中国語を話す15~18歳くらいの子であればレストランとか行けばいくらでも見かけますが、その都市で生まれ育ってきたような中高生となると平日はおろか休日でもあまり見かけないし、日本の女子高生みたいに「マジウケルー」みたいな声も耳にしません。前々からこの疑問は持っていていくつか知り合いの中国人などにも話を聞いたりしてきた結果、現代の中国の中高生は朝から晩まで休日も含めてずっと勉強漬け、もしくは習い事をやっているため街中にそんなに繰り出してこないのだろうという結論に私は至りました。
 
 知ってる人には早いですが数年前の国際学力テストで全世界でトップを取ったのは上海市の子供でした。中国は国単位ではこの学力テストに参加せず一部都市だけが参加したのですが、上海を含む主要都市の子供であれば確実にトップ句クラスの順位を取ってもおかしくないほど近年の中国の子供は勉強漬けとなっています。何故勉強漬けになっているのかというといくつか理由はあり、一つは生活が豊かになって子供の教育に親がお金をかけられるようになったことと、もう一つは現代中国は日本、下手したら韓国以上に学歴社会化が進んでおりいい大学を出ないとまともな職業に就けられなくなっているためです。
 中国は日本と比べれば明らかに景気はいいですが、それでも1人当たり可処分所得で言えばまだまだ低いです。また仕事による賃金の差が非常に大きく、底辺の仕事はきついわりに給与はほとんどないのに対して大手企業、特に外資系であれば日本の会社員よりもいい給与も得られる可能性もあり、いい大学でないとまともな生活が出来ないという圧迫感は日本と比べて遥かに高いです。
 
 そうした事情を知っている親からすれば子供にはまともな大学に受かってほしいと思うのは当たり前で、自然と教育熱は高まります。ただその教育熱は尋常じゃないレベルで、私の周りで見聞きするレベルでも小学校入学前に英語塾に入るのは当たり前で、小学校側も入学前にアルファベットの読み書きができるようにしておくことを親に要求してきます。そして中学校になると学校教師は正規の授業とは別に放課後などに費用を払った生徒にのみ補講授業を行うため、肝心なことは正規の授業で教えずに補講で稼ぐ教師も少なくないそうです。
 万事が万事こんなレベルで、親の側も子供に勉強を教えるために必死で勉強して仕事が終わった夜に一緒に問題集を解くのも当たり前です。むしろ学校側が親に宿題の採点、並びに翌日の授業の予習を求めてくるのでそのプレッシャーは半端じゃありません。
 
 こういう具合でなおかつ中国の中学、高校には日本のような部活動もないため、休日でも中高生は自宅で勉強し続けるという有様だそうです。例の上海忍者にこの辺の話を聞いてみると、彼が子供だった頃はまだ日本の中高生同様にプレステで遊んだりバスケットしてたりしてたそうで、「今の子供は勉強ばっかで本当にかわいそうだ」と述べながら時代の変化を指摘しています。なお彼は「鉄拳」か「バーチャファイター」かで悩み、「鉄拳」があるからサターンではなくプレステを親に買ってもらったそうです。
 
 以上のような理由から中国では中高生、というよりは十代の少年少女が街中にあまりいないという妙な状態になっていると私は推測しています。正直に言って私の目から見ても中国の中高生は勉強漬けで不憫に感じると共に、最近では日本同様にいい大学でても就職戦線が激しくてまともな仕事に就けない若者が中国でも増えているので、変な形で社会問題にならなければと懸念しています。現実に中高生の自殺が中国では増えており、メディアなどでも勉強ばかりで倫理観の指導が疎かになっているのではないかとよく取り上げられています。それと同時に、こんだけ教育に熱が入っているのだから国際学力テストでトップ取るのもさもありなんってところです。
 
 最後にどうでもいい話ですが、先日帰宅途中に中学生らしき女の子が道路の上で自転車を止めてなんかくるくるペダルを回している所に出くわしました。一見して自転車のチェーンが外れて走らなくなったのだろうとわかり自分から声をかけて外れたチェーンをつなぎ直してやったところ、お礼を言いながらその自転車に乗って去っていきましたが、この記事で述べているように街中で中学生を見ることなんてほとんどなく、また会話することも全くないので妙にレアな体験だなと心に残ると共に、チェーンが外れていたその自転車は前輪三段、後輪七段の計二十一段変速の自転車であったため、「え?なに?中国の女子中学生ってこんないい自転車乗ってんの?」と思いつつ家路へとつきました。

2014年11月5日水曜日

新小岩駅で人身事故が何故多いのか?

 関東在住の方なら知ってる方もいるかもしれませんが、総武線の新小岩駅は知る人ぞ知る人身事故の名所です。ここで人身事故が多いということを私は中学生くらいの頃から噂で聞いており、ただ当時はここよりも同じ総武線で隣駅である錦糸町駅の方が多いという風にも聞いておりましたが、隣接する駅で人身事故が多いということはなんとなく曰くがあるような気がします。
 直近の人身事故については下記リンク先の記事にまとめられています。サイゾーの記事だから胡散臭いけど。
 
 
 新小岩駅で人身事故が多いということが認知され始めたのはちょっと調べた限りですとどうも2011年ごろからで、なんでもこの年の7月に成田エクスプレスに飛び込んだ女性が吹っ飛ばされ、キヨスク近くにいたほかの人に衝突して重軽傷者を数名出すという大惨事になったニュースが取り上げられ、そのすぐ後にも人身事故がまた起こって定着してしまったのではという見方が出ています。またこの事件の時に出てくる成田エクスプレス自体が人身事故が多い要因で、ホームが湾曲していて飛び込みやすい上に特急で新小岩駅を通過する列車であることから自殺志願者から使いやすく考えられているのではなんていう意見も出ていて、この理由は確かに私もありうるかなと思えます。
 
 なお私が中学生だった頃に聞いた噂だと新小岩駅のホームの配色なり外観がどうもネガティブな要素を持っていて、心理的に自殺を誘導するような効果があるから多いのだという分析を聞きました。ただそれがどんな色でどんな外観なのか具体的な話はなく、また配色であればほかの類似例もあると思えるのにそういうのは全く聞かないので私はこの理由は有り得ないと考えています。そもそも外観と言ってしまえば、新小岩駅周辺は東京都内でも有数のラブホテル街でラブホテルばっかしか見当たらないんだけどなぁ。
 真面目に分析をするとやはり飛び込みやすい上に特急成田エクスプレスの通過駅ということと、日頃から乗降客数が多く何らかの形でこの駅の存在を知っている人が多いことなどが大きいように思えます。不真面目に分析すると、甲子園にだっているんだし何らかの魔物なり妖怪が潜んでいて自殺志願者を引き寄せたり、ホーム下から河童みたいに足引っ張って落としてるのではないかと思います。
 
 前者はともかく後者は私が水木しげるフリークであるがゆえの意見ですが、変に都市伝説みたいな形で伝播するくらいなら「新小岩駅には魔物が潜んでいる」などとふざけた理由で大きく喧伝した方が良いのではないかと密かに考えています。何故かというと大きく喧伝することで普通の乗客の間でも認知が広がり周囲への注意が増しますし、「あそこで死ぬと来世は成田エクスプレスしか乗れなくなるらしいぜ」なんて変なペナルティ的な話も混ぜれば心なしか自殺志願者も敬遠するのではないかと勝手に期待します。それにしても、我ながらよくわからないペナルティだ。
 そもそも妖怪というのは原理がよくわからない現象や危険地帯に対して人々に注意を喚起するために数多く使われていました。前述の河童も川の近くに行くと足を取られてみずに引き込まれると子供に伝え、みだらにじゃなくてみだりに川の傍に近づかせないようにする説得に用いられていて、そういう視点で見るとこういう新小岩駅みたいな所でこそ妖怪の存在が必要なのではないかという気がします。甲子園の魔物に関しては注意のしようがないけど。
 
 最後にどうでもいい話としてこのところ会う人によく、「河童は絶滅が危惧されているから保護が必要では」なんて話を聞かせます。河童の潜む場所と言えば川ですが、それ以外にもかつて存在した「ぼっとん便所」にも潜むと言われていました。私が子供だった頃より前はぼっとん便所では河童が潜んでいて油断すると尻子玉が抜かれるなんて言われてましたが、現代ではぼっとん便所は田舎はともかく都市部ではほとんど見られず、有るとしたら簡易トイレくらいでしかないでしょう。
 これは言うなれば河童の生息地が減少して脅かされていると言っても同然で、絶滅させないためにも一定数のぼっとん便所を政府は確保するべきじゃないかなんて普段通りに真面目な顔して主張してます。なお私はそんなに河童が好きじゃなく、どっちかっていうと「油すまし」の方がビジュアル的に好きです。

2014年11月4日火曜日

ポストリーマンショックの世界

 
 ほんとどうでもいいですが上記リンク先のニュース見出しを見た際に何故か、「瓶とちくわで殴った!?」と見間違えました。でもって中身を見てみると、「ほかに逮捕されたのは、同じ会社に勤務する25歳から25歳の3容疑者」と書いてあって、25歳以外の何物でもないじゃんと心の中でツッコみました。ってか、記者も編集も妙な表現だと思わないのか?
 
 話は本題に入りますが自分が学生だった頃は竹中平蔵大臣(当時)の政策が是か非か、盛り上がる新古典派に対してマルクス経済を見直すべきだなどという経済学の議論がそこそこ盛り上がりましたが、あまり勉強していないのでただ単に知らないだけかもしれませんが、近年はこういう世界を大きく俯瞰するような経済議論がやや物足りないように思います。なもんだから一人で練り上げるしかなく、今日は20分程度考えて自分なりに分析した現代世界の見方こと、ポストリーマンショックというような見方を勝手に書いて行こうと思います。
 
 2008年に起こったリーマンショックは文字通りそれ以前の世界を大きく一変し、特に欧米を中心に大規模な金融危機が襲ったことからそれ以前とそれ以後を分断する大きなターニングポイントになったと事件と言えるでしょう。ちなみにこの一つ前を上げるとしたらやっぱり2001年の9.11かな。
 このリーマンショックによって世界中で経済活動が停滞して日本でも失業率の上昇や税収、給与の現象が起こりましたが、歴史的に語ればこのリーマンショックの余波からいち早く抜け出したのはほかでもない中国で、確か50兆円だったかあんまはっきり覚えてないけど、途方もない額の政府投資を行うことによって自国のみならず世界の経済を引っ張り、別の見方もあるでしょうがリーマンショックからの立ち直りという面で大きな役割を演じたと私は見ています。仮にこの時の中国の躍進というか投資が無ければ世界はどうなっていたか、20世紀の大恐慌ほどではなかったでしょうがその影響が下手したら未だに続いていたかもしれません。
 
 ただそのリーマンショックから既に四年が経過しており、「リーマンショック後の世界」というにはもはやその直接的な影響は残っているようには思えず、敢えて言うなら「ポストリーマンショック」という、リーマンショックからひとまず立ち直った状態が現代世界ではないかと思います。となるとリーマンショックが終わったのはいつなのかですが、これは国によって多少異なり中国に関して言うと完全なV字回復を遂げた2010年、経済が割と絶好調な米国は2012年くらいなんて思えてきますが、一つの区切りとしてはリーマンショックを起因として起こった欧州の金融問題が先送りによってひとまず沈静化した去年こと2013年が終了年としてみています。なお日本はリーマンショック以上に2011年の3.11の方がダメージが大きく未だに引き摺ってる気がします。
 
 ではそのポストリーマンショックの世界とはどんな世界なのか。始まったばっかなのでまだ何とも言えないところがありますが、いくつか要素を箇条書きで挙げると以下のような変化の兆しがあるように見えます。
 
・中国が「世界の工場」から「世界の市場」に
・東南アジアを中心とした新興国市場における日本ブランドの失墜
・欧州の未だくすぶる不安定な金融爆弾
・米露間の軍事的緊張の高まり
・地域、民族による独立・分離意識の拡大
・イスラム過激派の世界的拡張・分散化
 
 いくつか説明のいるのだけ追記すると、二番目の新興国市場における日本ブランドの失墜は意識的に見ていないと案外気づいてない人が多いと思います。たとえば中国一つとってもソニー、パナソニックといった家電ブランドはおろか自動車のブランド価値も急減しており、伝え聞く話ではシンガポールやインドネシアといったほかの国々でも同じような経過を辿っていると聞きます。なんでこうなったのかいろいろ理由は考えられますがここではひとまずその議論を省きます。
 我ながらいい着眼点をしていると思うのは下から二番目の独立・分離意識の拡大で、一例をあげるとこの前投票があったスコットランドといい、軍事的な影響も大きいですがクリミア地域のロシア帰属など実際に国境線が変わる例も出てきています。以前から取り沙汰されているスペインのカタルーニャ地方もスコットランドの余波を受けて独立を意識する層が増えていると聞き、かつては妄想での話でしかなかった沖縄独立論も公に主張する人まで出てきて、こういうのって世界的な動きなのかなと密かに見ています。最後のイスラム過激派にも通じる気がするし。
 
 ここだけの話、私はリーマンショック後は世界的に保護主義が高まるのではないかなと思っていましたが現実はそうならず、TPPを含むFTAなど部分的に目指そうとする動きはあったものの各国の利害意識が鋭く対立して案外今まで通りに回ってきています。その一方で妙なところがグローバル化したというか、この前も日系のハーネスメーカーたちがしょっ引かれたように国境を越えた企業同士の国際カルテルが明らかに増えており、攻殻機動隊の世界みたいに企業の方が国家を部分的に超越している面も見えます。
 おかしな話をしますが、異常のような世界が広がりつつあるため個人としての価値を求め、イスラム国が拡大しているのではなんて思う時があります。日本人はそんなに個人というものを意識しないですが、埋没していく懸念に対して強大な権力に反抗するというのは、それ自体が過激派組織に取り込まれることでありながら非常に「魅力的な餌」であるように思います。そうした懸念に対してどうするべきか、話しを発展させすぎかもしれませんが日本も外交を真剣に考え、イスラム国に対する姿勢をもっと示した方が良いのではというのが密かな意見です。

2014年11月3日月曜日

中国のリッチなホテル内装

 昨日まで上海に来たうちの親父の相手をしていたのでブログ更新をまた休んでました。ちなみに土曜の晩には香港料理の店に連れて行きましたが、出された料理の中でうちの親父が一番気に入ってたのは何故かロシア料理の「ボルシチ」でした。「うちのおかんがこういうのよく作っとったねん」といいながら8割方一人で全部飲んじゃうし(ーー )
 
 話は本題に入りますが、上記の写真は土曜に親父が予約してたので一緒に泊まった上海にあるオークラホテルこと「上海花園飯店」の一室です。なお最初に指定された部屋はダブルベッドが一つだけだったのですぐフロントに文句言って「デラックスツイン」とホテル側が称するこの部屋に案内されましたが、ベッドは普通にシングルでした。
 そうした文句はさておき、このホテル内装を見て感じ方は人それぞれでしょうが恐らく大抵の人は、「オークラなだけあって悪くないじゃん」と思ってくれるのではないでしょうか。実際に一晩泊まった私の感想としても悪い印象ではないのですが、ここ上海に限っていうならせいぜい並の程度というくらいところで、取り立てて特別豪華だとは思いません。なんでこんな言い方するのかというと、ほかのホテルを含めて上海にあるホテルはどこも非常にリッチな内装をしていることが多いためです。
 
 以前にも中国のビジネスホテル市場で記事を書いておりますが、中国、特に上海においてはヒルトンやシャングリラ、ホリデイインといった外資系大手ホテルチェーンが数多く進出しており、その競争振りも半端なく激しいレベルにあります。現実にいくつかのホテルチェーンで競争に耐え切れず撤退するところも出てきているくらいで、それくらいガチの競争が繰り広げられているだけあって物価の差もありますが日本人からすれば驚くくらい安い値段で五つ星のホテルにも泊まることが出来ます。上海旅行で何が一番華かと問われるなら、私ならやっぱり手ごろな価格で泊まれる豪華なホテル施設を上げることにします。
 
 では上海のホテルはどんな点がリッチなのかですが、サービスに関しては日本と極端な差はないものの中国の中では図抜けて高いです。この前西安から来た私の後輩などはホテルのボーイに荷物を預けた際、「凄いですよ花園さん。さっきあのボーイ、僕に対して笑顔を見せながら荷物を受け取りました。西安だったら必ず舌打ちされるのに……」と感動した(実話)程のレベルです。
 
 こうした中国としてはマシなレベルのサービスはもとより、見出しに掲げた内装の良さには目を見張ります。以前に私が別の上海市内のホテルに泊まった際に妙な居心地の良さを感じたので家具などの内装に詳しい知人というか読者に尋ねたところ、「中国のホテルの方が日本よりも内装はいいよ」という回答を受けました。その知人によると、中国人は日本人と比べて家具の質、とりわけ色彩の組み合わせに特段を気を使っており、またタイルなどといった建築材でも日本は機能性を優先してビニールなど化学素材を優先するのに対し、中国は機能性を無視してでも大理石などといった天然素材を選ぶ傾向があるそうです。実際に言われてみてから見回してみると、中国は駅構内を始めやたらと大理石を多用していて日本のようなビニールのタイルがあんま見られないことに気が付き、知人の言う通りに中国人の方が内装のセンスは上かもと私も思えてきたわけです。
 
 一体何故中国のホテルの方が内装がいいのか、この答えは私の考えだと民族性にあると思います。近年の日本は車において燃費を絶対重要視するなど機能性を何よりも優先する傾向があります。それに対して中国は機能性を度外視、ってか不良品が出ても出してもあんま気にしない性格もありますが、こと外観というかデザインに関しては強いこだわりを持ちます。車においても燃費や馬力は一切無視してどれだけでかくて派手で目立つ色か(+価格)を大事にしており、そう考えると内装に機能性の高い化学素材ではなく天然素材にこだわるというのと一致する気がします。
 
 やや本筋から外れましたが中国のホテルはクラスに比べて明らかに手ごろな値段に加えて、日本のホテルとはいい意味で一線を画した内装となっていることが多く、中国旅行に来られる際は意識的に良いホテルを選ぶことをお勧めします。もっともビジネスホテルに関しては日本とそんな大差なくふとんも心もちしっとりした肌触りのため、私の感覚で言えば一泊300元(約5100円)が一つのボーダーとなっているように思えるのでこれより上の価格のホテルがお勧めです。ちなみにビジネスホテルは200~250元くらいかな。