2015年2月28日土曜日

千葉のマッドシティ~わらそう(模型店)

 かつてあだ名が「ビンラディン」だった中東系な顔立ちの親父にこの連載どうよと聞いてみたところ、「そんなに松戸が好きだとは知らなかった」とやや返事に困る回答が来ました。好きか嫌いかっつったらそこまで好きではなく、ただそこそこ書ける思い出話が多いというのが本音です。なお一番思い入れがある街はどこかとなると変な話だけどやっぱ田辺かなぁ、わかる人だけわかってください……。
 そういうわけで再び始まるこのマッドシティシリーズ。今日は恐らく私だけでなく、少年時代に松戸近くで住んでいた人なら確実に覚えているであろう一つの模型店を紹介します。その模型店というのも、「わらそう」というお店です。

 わらそうは松戸駅から歩いてすぐ行けるほど近い距離にあった模型屋です。今でも「松戸 わらそう」とネットで検索を多くの人間がその存在を懐かしむページが引っかかるほどですが、実際にその在りし日を見ていた私からしても非常に思い入れがあるお店でした。私自身は松戸市に隣接した自治体で育っておりますが、子供の頃からプラモデルを買いに行くとなると家の近くにある模型店も使う一方、友達と一緒にわざわざ電車を乗り継いだり、自転車漕いだりしてまでもこのわらそうへ訪れていました。

 一体何故それほどまでにこのわらそうは多くの少年(+おっさん)に親しまれたのか。理由はいくつかあるでしょうがその中でも特に大きなものとして私が挙げるとすれば、その広大な店舗面積とそれに付随する圧倒的な品揃えの良さでしょう。わらそうの店舗はちょっとしたファミレスくらいに広くて模型店にありがちな狭い店舗内に模型の箱をぎっしり積み重ねるといったことはせず、整然と商品を並べて通路も大きく取り、この一点だけでも他の模型店とは一線を画しておりました。
 またそれだけ広いこともあって軍艦や自動車といった定番プラモはもちろんのこと、ガンプラからミニ四駆といった子供向け、そして大人向けの鉄道模型まで幅広く、多彩なジャンルの模型を一つのお店で揃えていました。そのため親子連れが来ても子供はミニ四駆、父親は鉄道模型などを互いにじっくり見られるので、実際に私とビンラディンだった親父もよく連れ立って一緒に訪れていました。

 私がこのわらそうで主に購入していたのはご多分に漏れずガンプラがメインでしたが、大体小学校中学年くらいから歴史に興味を持ち始め、その頃辺りからは城郭のプラモに興味を持って実際に買って作ったもので確実に覚えているのは和歌山城、松山城、安土城、姫路城といったところです。なおミニ四駆は一応私の頃も流行りましたがどうにもはまることが出来ず、一台だけ作ってそれこっきりでした。
 そのほかわらそうで購入したもので覚えているのは、名前はさすがに失念しましたが一隻だけタミヤの駆逐艦も小学生時代に作っています。ただ当時はミリタリーにははまっておらず、またその駆逐艦を作るのにも難儀して「その次も」というチャレンジ心も起こらなかったので折角の機会をふいにしてしまいました。もうちょっといろんなのを作って学んでおけばよかったものを。

 その後、私が中学生になるとこのわらそうに行く機会、というより模型を作る機会がすっかりなくなってしまいました。大きな理由はありませんが周りでも作っている人間は減りましたし、自然と離れていったような感じです。その後大学生になって京都行って、長期休みの時に何気なく自転車で走っていたら、「あれ、ないじゃん?」と気が付き、その時になってわらそうが閉店したことを知りました。もしかしたら大学生じゃなく高校生の頃だった可能性もありますが、ちょっと記憶が曖昧です。
 なおビンラディンだった親父に「わらそう潰れたで」と報告したら「ほんまか!?」とえらくびっくりした反応されただけに、親父も相当思い入れがあったんだと思います。

 このわらそうの閉店後、この店が松戸近郊の少年たちの間で絶大な支持を得ていたことに気が付いたのはひょうなことがきっかけでした。私の知恵袋的な友人はこの松戸市の出身で私の家とも近いことからお互いに成人後、なにやら地元トークで盛り上がり、その際にこのわらそうも上がってきました。

花園「わらそうって店、覚えてる?」
友人「覚えてるも何も、俺の兄貴がそこでバイトしてた」

 やはり同郷で同年代ということもあり、この友人もわらそうを何度も利用していたそうで、また上述のように親類がアルバイトしてたとのことでこの店のことを強く覚えていました。今回この記事を書くに当たって何か覚えてることあると聞いたところ、「道路に面したショーウィンドウの中にある等身大ヨーダがやけにリアルできもかった」と返してくれてそれを聞いて私も、「ヨーダとかいたよなぁ。めっさ懐かしいわぁ」とちょっと盛り上がりました。なお、確かそのショーウィンドウの中にはC3-POなどほかのスターウォーズのキャラも等身大で入ってました。

 最後に模型の話をもう少しすると、中学高校大学時代は一切作らなかったくせに何故か社会人になってからまた興味を持ち出して、ランエボを始めとするスポーツカーの製作に一時期はまっていました。やはり改めて模型を作ってみると自動車の構造について理解が深まり、また指先の動きが脳の活動と完全に一致するといえるような、集中力を伴う模型の製作作業は久々にやると非常に新鮮な感覚をもたらしてくれました。いっぱい作る必要はありませんが、たまに作る分にはすごくいい気分転換になるのでまだ少年の心を失っていない男性の方には実はお勧めです。

かつて「わらそう」のあった土地は現在駐車場に

どうでもいいけどこの辺り駐車場が多過ぎ

横にある「カプリチョーザ」は昔も今も現役です

2015年2月24日火曜日

臨死体験で見えるトンネルに対する意見

 昨夜はどうしてもお好み焼きが食べたくなって味千ラーメンに行ってきました。以前に訪れた際に新商品として「麻辣大阪風煎餅」という名前で売り出していたのを知っていたので早速頼んでみたのですが、麻辣と書いてあるだけあって唐辛子の風味というか香りが感じられました。ただ味はそこまで辛くなくそこそこおいしかったので、また今度行ってみたら食べようかなと感じさせる出来でした。
 そういうわけで本題に入りますが、なんかまたスピリチュアルな記事が続きますが先日友人に下記の本をプッシュされました。友人曰く、NHKがこんなオカルトネタを取り扱ったこと自体がなかなか面白いとのことです。


 この本はNHKが特番向けに取材した内容がまとめられ筆者というかプロデューサー曰く、通常の超常現象番組は始めから肯定的であるか、また否定的であるかという立場を鮮明にしていることが多いが自分たちは現代の科学でどこまで超能力を分析できているか、そしてどの点が未だに分析できていないかを明らかにするというアプローチをしていて他の番組とは異なっているとアピールしてます。もっとも、読んだ感じだと必ずしもそういうわけじゃないのでは、ほかの番組でも似たようなアプローチしているのもあるようなという気がややしました。
 先に本の感想を述べると前半は心霊現象を取り扱っていて取材班も実験に参加するなどしてそこそこ面白く感じられましたが、後半の超能力の下りは読んでて研究している科学者の意見をそのまま右から左に書いていることが多く、正直に言って読んでて退屈しました。前半は取材に参加したメンバーの生の意見も数多くあったのに後半はそういうのが全くなく、多分書いてて飽きちゃったんじゃないかな。

 そうした感想はここまでにして今日の本題ですが、この本の中では臨死体験についても触れられています。

臨死体験(Wikipedia)

 上記のウィキペディアのページがやけに充実していてかなりびっくりなのですが、臨死体験と言ってそれが何かわからない人はそんなにいないと思います。よく三途の川が見えたり幽体離脱をしたりなどと様々なバリエーションがあって、体験談などは確かに読んでて楽しいです。なおどうでもいいことですが「三途の川」は英語にすると「Son’s river(子供たちの河)」となるのかな、賽の河原と関係あるのかななどと昔に一瞬だけ考えました。

 この臨死体験でよく出てくるキーワードに、「光のトンネル」というものがあります。さっきのNHKの本にも出てくるのですが、臨死体験者が意識を失った辺りから暗いトンネルを歩いていて、トンネルの出口方向に光が見えるからそっちへ向かって歩いて行ったというところまでは多くの人間で共通しており、出口に出たところで意識が戻った、または三途の川が出てきた、もしくは既に死んだ知人や親類が待っていたという話へ分岐していきます。
 結論から述べるとこの臨死体験で見えるトンネルは幻覚の一種で、脳が見せる生理的な映像に過ぎないと私は考えています。なんでそう言い切るのかというと、ぶっちゃけ私も似たようなのを見ているからです。

 知ってる人には有名ですが私は過去に二回ほど癲癇の発作で気絶したことがあります。初めて気絶するまでは「人間が急に倒れるなんてことが本当にあるのかよ?」と思ってましたが実際に倒れてみて、「ほんまやったんや……」と自分の認識を改めました。なお気絶してから飲み始めた薬の影響からかここ数年は吐き気を催させる癲癇による発作すらなくなっていますが、自分の飲んでいたのは軽症向けの精神安定剤だったため薬局へ買いに行く際はいつも「うつ病か何かですか?」と聞かれてましたが、うつ病に見えるのかな自分の見た目は?

 話しは戻しますが気絶した際の話を書くと、当日は癲癇による発作(当時はまだそれが癲癇だとはわかっていなかった)で強い吐き気を催していて、「気持ち悪いし早退しようかなぁ」とか思っていた所で記憶が途切れています。次に目が覚めたというか意識があったのはストレッチャーで運ばれている最中で、近くにいた人によるとなんか必死に酸素マスクを外そうとしていたそうです。
 この時の感覚はよく覚えており、酸素マスクから供給される空気がとにもかくにも濃い空気に思えて普通の空気を吸いたいと考えて外そうとしていました。ただ視界は全く見えず、というか光が一面に広がっている真っ白な状態で自分の姿はおろか周囲すらも識別できず、かろうじてローラーの回る音、自分が何かに載せられているという触感があったことからストレッチャーで運ばれているということは理解できました。

 この時の視界が肝ですが本当に光一面真っ白で、Zガンダム風に言うならリアルに「光が……広がっていく」と言いたくなる状態です。しかしストレッチャーが建物外に出たところでまた意識が途切れるのですがこの時の視界というのがまさに臨死体験のトンネル同様、視界の周囲から徐々に黒い影が広がっていき白い光が真ん中の方に徐々に収縮されていくような見え方で、当時はそうとは思いませんでしたが見方によればトンネルのようにも見えない気もしません。
 恐らくこの時私に起こっていたのは、上記のウィキペディアのページ内でも解説されている酸素の欠乏か脳への血流異常による視野狭窄現象だったと思います。まぁあのページ内にはストレートに側頭葉癲癇説も書かれてますが。

 少なくとも私の体験した視野狭窄はレンズで光を絞るかのように周辺が真っ黒くなっていき中心に光が収束するようなもので、意識が混濁した状態であればトンネルに見えたり、まさに自分がそのトンネルを歩いているような感覚を覚えるのではないかと思います。なもんだから臨死体験に出てくるトンネルは幻覚の一種で心霊的な要素はあんま持っていないんじゃないかというのが私の持論です。もちろん絶対的にこれが正しいというわけつもりはないですし、もしかしたら本当に青函トンネルとかユーロトンネルが出てくる臨死体験もあるかもしれませんが、トンネルを見たという臨死体験者の大半は実はただの幻覚だったのじゃないかと言いたいわけです。

 もう一つ臨死体験者に起こりうる話で内心眉唾だと考えているものに、臨死体験後の心境の変化です。臨死体験者はその体験後に世界の見方が変わった、以前以上に生きていることを幸福を感じられるようになったと大半の人間が証言していますが、そんなの私に言わせれば危機一髪な目に遭えば誰だってそう思うよという気がします。登山中で死にかけたりとか大怪我を負ったとか、乗る予定だった飛行機や船が事故に遭ったとか、そういう体験をした人も結構似たようなことを話している気がします。
 ただある意味癲癇キャリアだからこそ言える一つの話として、他の人は知らないけど癲癇の発作が収まった直後というのはそれまでのゲロゲロ状態から打って変わって一時的にとんでもなくハイになります。実際に使ったことはもちろんありませんがドラッグを使った状態ってのは案外こういうものなんじゃないかと思うくらいに体が軽くなり、気分も高揚し、心なしか頭の回転や発想も良くなっていた気がして、すっかり癲癇発作がなくなった今でもたまにあの時の感覚をもう一度感じたいと思うくらい気分がよかったです。もちろん発作がないに越したことはありませんが。

 以上が臨死体験で私が眉唾だと思う症状に対する主な意見ですが、やはり全体を通して大半の臨死体験は脳がみせる幻覚だと思います。そう思う根拠として臨死体験で見られるイメージは文化的な影響が強く、たとえば日本人なんかは「三途の川」を見ることが多いのに対して欧米人はキリストのような光る人間のイメージが多く出てくるそうです。また同じ日本人でも以前は閻魔大王が出てくることもあったそうですが、最近の症例だと閻魔大王はこのところ出演機会が減っているとも聞きます。
 ただ一つだけ私が気になることとして三途の川を見た臨死体験者に聞きたい点があり、三途の川のほとりには「奪衣婆」はいたのかどうかという点です。話しを聞いてる限りだと「なんか知らないババアがいた」と話す人はほぼ皆無に近いのですが、注意してみたら案外いるようにも思えるだけに誰か確かめてくれないかなと密かに期待しています。

2015年2月23日月曜日

千葉のマッドシティ~おかじま電器編

 松戸駅から常磐線で一駅先の北松戸駅、二駅先の馬橋駅の間にある国道6号沿いにはかつて、地元民なら一度は使ったことがあるであろう家電量販店がありました。その名は「おかじま電器」で、途中から「100満ボルト」という名称に変わりました。

100満ボルト|店舗情報

 上記サイト内にある「松戸店」というのがここで話す店舗です。いつ頃に出来たのかはわかりませんが私が物心づいた90年代初頭には既にあり、周囲に同じくらいの規模を持つ家電量販店がそれほど多くなかったために何か購入する際はほぼ確実にここを訪れていました。この店は一階と、半地下一階の二層建てとなっており、一階では主に冷蔵庫やテレビなど大型家電、半地下一階ではパソコンやそのサプライ品などを多く置いてありました。

 なんでこんなどこにでもありそうな家電量販店を取り上げるのかというと、私が小学生だったちょうど20年くらい前、新品のゲームソフトを買うとなるとほぼ確実にここを利用していたという思い出があるからです。実際に買ったソフトで覚えているのだとロックマンの5や6で、うちの姉貴はスーパーファミコンの「かまいたちの夜」を誕生日プレゼントとしてここで買ってました。にしてももうちょっと女の子らしいものを選べよという気もしますが。
 その頃はゲームもよく売れていた時期ということもあって一階の半分くらいのスペースがゲーム売り場に使われており、中古販売もしていて平日はともかく土日ともなれば結構な数の子供や親子連れが訪れていたと記憶しています。今でこそゲームソフトはネットでダウンロード購入も出来ますが、昔はまだ販売店も限られていて中古の安いソフトを捜すとなるといくつもの店舗をはしごして捜さなければならず、そういう意味で「ここなら確実に置いてあるだろう」というこの店舗はなかなかにありがたいお店でした。

 しかし時を経るにつれて近隣の国道沿いには同じような家電量販店がどんどん増えていきました。現時点でもコジマ電機やヤマダ電機が同じ国道沿いに林立して客を奪い合っていますが、それ以上にこの「100満ボルト」にとって大きな存在だったのはわずか数十メートル先に出来た「PC DEPOT」だったと思います。PCデポではもちろんパソコン関連がメインで家電は取り扱っていませんでしたが、チラシなどでは露骨に「100満ボルトさんには負けません」などと書くなど対決姿勢を打ち出され、実際私もパソコン関連となるとPCデポの方に行く機会が多かったです。それでもたまに「100満ボルト」を見ると結構いいパソコンが置いてあって、親父にあげた東芝製ネットブックなどはここで購入しました。

 話は戻りますがそのようにライバル店が増えていったのと、あと折からの家電不況もあって「100満ボルト」を運営するサンキューは2013年9~10月に千葉県内の店舗を一斉に閉店させ、この松戸店もあえなく閉店となりました。ちょうどこのころはまだ日本に帰国中だったのと、松戸の潜伏地へ引っ越す時期と重なったので閉店セールに赴き、シャープ製のピンクの冷蔵庫を最後に購入しました。閉店時は本当に子どもの頃からずっと存在し続けてきた店舗だっただけに一際さびしく、また国道6号沿いを自転車で走る際のあの風景がなくなるということに少なくないショックを受けました。
 その後、店舗跡はしばらく放置されていましたが、私が中国に行ってからなんかテナントが入っていたようですがそれもすぐいなくなり、とうとう建物ごと撤去される運びとなったそうです。その現場を私の友人がわざわざ撮影してきてくれました。



 こうして写真で見ると、本当に何もなくなってしまってという感想が持ち上がってきます。割とこういう店舗の閉店とかには冷淡な態度を取ることが多い私ですが、この旧おかじま電器に関しては子供の頃からの強い思い入れがあっただけについつい思い出に耽ってしまいます。

2015年2月22日日曜日

日本の不動明王信仰について

 中国で最もメジャーな宗教は何かとなると名目上は仏教となりますが、仏教は文化大革命時に寺院が多数壊されたこともあってか日本以上にお坊さんになる人の割合も少なければ庶民の信仰心も薄いのが実態です。一例を出すと現在中国では旧正月の春節であるものの、日本みたいに9割の人間が初詣に行くこともなければ日常でも念仏唱えたり線香を焚く機会も多くありません。
 その一方で宗教というくくりに入れるか議論の余地はまだあるものの、日本での神道に当たるような土着の慣習に近い道教は現在の中国でも強い影響を残しております。ちょっとしたお堂(=廟)などは割とどこ行ってもあるし川沿いには媽祖廟、商売人の家には関帝像がほぼ必ずあり、観光地を歩くとお土産屋には日本での七福神でおなじみな布袋や福禄寿の木造がよくならんであります。それにしても自分もこっち来てから意識するようになりましたが、七福神って元々は道教からだったんですね。

 道教については趣味も兼ねてまた今度ゆっくり解説してもいいのですが、中国で仏教寺院や道教の廟を訪れると上記の七福神のように日本でもみられる仏像や仙人の木造や絵が見られるものの、不動明王の姿だけはどこに行っても見られないことにある日ふと気が付きました。そこから着想を得てちまちまと調べていったところどうもこの不動明王は日本国内限定の神様であることがわかり、その一方で極めて日本らしくないキャラクターであるにもかかわらず深く信仰されていることに違和感を感じたので、今日はちょっと頭使いたいので余計な手加減はなく好きな勝手に書いてくことにします。

不動明王(Wikipedia)

 不動明王とはなにかに関しては上のサイトを見てください。簡単に言うと空海が中国から持ってたのが日本初上陸だったということもあって密教で特に信仰されておりますが、密教に限らずほかの日系仏教宗派でも人気があって木造はもとより絵画などにもよく描かれているポピュラーな神様です。
 この不動明王の姿はどれも筋骨隆々とした姿として描かれ、表情は非常に恐ろしい形相で肩や背中には炎をまとっていることも少なくありません。不動明王がこのような姿で描かれるのは彼が悪鬼や悪霊と対峙する存在であるため、その強い視線で敵対する相手を射抜き、すくませるためだとされています。

 先にも述べた通りに中国では少なくとも「不動明王」と呼ばれる仏教の神は一般には存在せず、仏教の神としては日本で生まれ、発達したかなり珍しい例だと言えます。その起源が何かについてはヒンズー教の三主神の一つである破壊神シヴァではないかという説が主流のようですが、私個人の考えとしてはシヴァは雷神のイメージが強く炎を纏う不動明王とはなんかイメージが異なり、同じヒンズー教の神々に起源を求めるのであればむしろ同じように炎を扱い数々の悪魔と戦うインドラの方が近いのではと素人的に思います。

 起源の話は置いといて本題に入りますが、先にも述べた通りに不動明王は日本オリジナルであるものの日本の神としてはかなり特殊というか日本らしくない特性を持ち強い違和感を感じます。どの点が日本らしくないのかというと「戦闘をメインとする神」、つまり「軍神」や「破壊神」的な性格で、日本は「和を以って貴しとなす」というだけあってあんまりこの手の神様は人気になりません。
 インドなんかはさっきのシヴァを始め好戦的な神様ほど高い人気を持ちますが日本だと軍神で一番人気なのは七福神の一角であると共に四天王の一角でもある「毘沙門天」で、その次に来るものとなるとあとは「摩利支天」くらいしか浮かばず、バリエーションが多くありません。で、実際にはどうか詳しく調査したわけではありませんが、毘沙門天も摩利支天も衣装を見る限りだと中国の要素が強く、日本っぽい要素がほとんど感じられないばかりか日本国内の信仰心もそんなほどではない気がします。

 同じく神道の中でも軍神的な性格を持つ神様はほかの神話や宗教と比べると幾分少ない気がします。神道でこの手の神様として最大級なのはスサノオノミコトで間違いなくこれなんかは申し分ない破壊神ですが、これ以外となると力持ちで有名な建御雷(タケミカヅチ)くらであとはほぼ皆無です。両柱ともにアマテラスや大国主と比べるとそれほど信仰もされておらず、勝手な感想ですが乱暴なキャラクターを持つ神様は日本じゃいまいちメジャーになり切らない風土を感じます。

 このように考えているだけに、どうして不動明王がこれほどまでに日本で人気なのか、また何故日本だけなのか、日本で生まれ育ったのかが非常に気になるわけです。悪魔と戦う神様がほかにいなくて疫病祓い、厄払いのポストにぴったり収まったからとか、そのスマイルなんて一切ゼロなくらい恐ろしい形相が畏怖させる偶像として人気になったからとかいくつか推論は立てられますが、これらだと腹の底にストンと落ちるくらい納得するには不十分です。
 では一体何故なのか。それがわかれば苦労はしませんが、パッと今思いついたのは対峙する相手が不在がちなのが影響したのかなという仮説が出てきました。中国やインドだと仏法を邪魔する悪魔(もしくは竜神など化物)が割と激しく暴れてそれを沈める戦闘神も大活躍するのですが、日本だとこの手に類するのは八岐大蛇くらいで、そもそも戦う相手が少なかったから破壊神が人気でなかったのかもしれません。それに対し不動明王が対峙する相手というのは普通の悪魔ももちろん含まれますが、それ以上に煩悩などといった「修行者の弱い心」がメインであるような気がします。

 よくある不動明王の講話に、悪人からしたら不動明王は恐ろしい神様だが善人には怖い顔をしていても怒っているわけじゃないから安心していい、なんていうのを聞くし、また煩悩など悪い心があるから不動明王が恐ろしく見えるのであってそういう心がなければ恐ろしくはない、なんてのも聞きます。このように不動明王は信仰者の心と対峙するので、ほかの軍神の様に「神様VS悪魔」という構図にならず、日本人の大好きな「自己との対峙」要素を持つもんだから強面の形相ながら高い人気を勝ち取るに至ったのではないかと推理してみます。全部本当に勝手な推論だけど。

 ただ中国やインドになく、ほぼ完全に日本オリジナルの仏教の神といったらこの不動明王が代表格であると私は考えています。それだけにもっとこの不動明王の特性についてあれこれ研究を深めることで日本思想も解きほぐせるのではないかと密かに考えている次第です。

2015年2月21日土曜日

ジャパンディスプレイの新型液晶開発ニュースについて

 以前にも一度言及しておりますがメディアというのは大衆の注目を集めることで成り立つ存在であるため、必然的に他人の関心を引くような報道の仕方を行います。そのため大きなニュースがない時などは小さなニュースを殊更重大であるかのように大きく報道する傾向があり、一例をあげると2011年の2月頃などはYahooの知恵袋を使ったカンニング事件を、果たしてそこまでしつこく食い下がる必要があったのかと思うくらいに執拗な報道がなされました。
 しかし、中には本当に重要なニュースであるにもかかわらずあまり大きく取り扱われないニュースもあります。記者の関心を引かなかったのか、もしくはその重要性が理解されなかったのか理由は様々でしょうが、京大のIPS細胞も発表当初は日系メディアはほぼ無視して海外での報道が高まってからようやく報じる有様でした(STAP細胞は早かったが)。今日ここで紹介するニュースも個人的にもうちょっと大きく報じられてもいいんじゃないのかと思えるニュースです。

ジャパンディスプレイ、消費電力99%減の液晶パネル(日経新聞)

 上記ニュースの概要を簡単に説明すると、液晶パネル大手のジャパンディスプレイは19日、新規開発した液晶パネルの生産工場を建設し、2016年夏にも量産を開始すると発表しました。日本国内での工場建設を含む大型投資案件が近年ほとんどなかった中で、投資額は2000億円強にも上るというこの発表自体が相当な内容ですが真に驚くべきはその新規開発した液晶パネルで、なんと従来の液晶パネルに比べ消費電力は百分の一以下となり、映像を映すバックライトも不要になるそうです。米アップルも次期調達品として視野に入れており投資額の一部を負担する姿勢だとの報道も出ています。

 このニュースを見て最初に思ったのは、「ガセネタでは?」という身も蓋もない疑問でしたが最初に日刊工業新聞が報じたのを皮切りに海外を含む他のメディアも一斉に後追いしており、ジャパンディスプレイ側による発表もあったと出ていることから恐らく事実でしょう。何よりも投資額、そして工場建設地と量産時期がはっきりと出ていることから計画はほぼ出来上がっており、満を持しての発表であると見て間違いありません。
 先ほどにも述べたように投資額もさることながらその新たな液晶性能の凄まじさは文字通り、従来の常識が根本からひっくり返るかのようなインパクトがありました。消費電力が百分の一以下になれば携帯電話の電池持ち時間は飛躍的に向上するし、これまで消費電力がネックで液晶が搭載しきれなかったデバイスも一気に花開く可能性もあります。下手したら太陽電池でも動いたりしないかこれ?

 このようにいろんな意味でサプライズを受けると同時にもう一つ思ったこととして、「シャープはこれで終わるかもな……」という一つの予想でした。

 シャープの苦境についてはいちいち説明するまでもありませんが、消息筋によると近年のシャープの液晶事業はトントン、もしくはやや赤字で、他の事業で必死に業績を支えている状態だそうです。しかも今の受注は台湾のホンハイ精密との協業、そしてアップルからのiPhone向け受注があって成り立っているようなもので、上記のジャパンディスプレイの新液晶が流れ始めたら一気に受注がなくなる可能性もあり、まぁ要するに液晶事業は赤字慣れ流しのまま誰にもいらない子扱いになるのではと思えてくるわけです。

 別に隠すことでもないから一気に書いちゃいますけど、実はシャープには仲のいい(と私は思ってるんだけど?)友人が勤務しており、そこそこ内輪の話とかをこれまで聞いてきました。ただ彼の話を聞いてて違和感を感じることも多く、特に彼の主張する根拠のない予想に関しては真正面から何度も否定してきました。
 それはどんな予想かというと確か2012年くらいに聞いた話でしたが、「IGZOは必ず売れる」という話しです。IGZOとはシャープが独自技術だと主張する半導体製造の技術でこれで作った液晶は従来型の物と比べ消費電力が大幅に減少するとシャープは宣伝していました。しかしあちこちの報道を見ているとその消費電力の差はせいぜい数十パーセント程度で利用者も電池の持ちが良いと実感するレベルではないと私は判断し、友人にはその予想は甘い、消費電力が従来型と二倍程度変わらないと消費者が優先的に選ぶことはなく人気にはならないと否定しました。
 しかし友人は私の意見を真っ向から否定し、スマホユーザーの要望で一番大きいのは消費電力だ、IGZOはきっと実感できるレベルだと意見を変えず、液晶事業がこれで一気に持ち直すことはないと言いながらも少なくとも一つの切り札となる技術だと結構頑なに主張し続けました。

 それからもう3年くらい経ちますが少なくとも私の周辺では、「このスマホはIGZOの液晶使っているからこれを選んだんだ」という人は皆無でした。そして、「IGZO携帯」みたいにこの商標がブランド化することはとうとうなかったと考えています。
 別に自分の意見がやっぱり正しかったなんて主張する気はさらさらありませんが、あの時の友人の主張を思い起こすにつけシャープ内部では客観的な視点がもうなくなってしまってたのではとこの頃よく思います。他の面では分別のある友人なんだけど、自社の事では距離を置いた視点が持てなくなってしまってたのかな。

 そのIGZOとは対照的に、今度のジャパンディスプレイの液晶に関しては私からも強く太鼓判を押します。仮に消費電力が百分の一になる代わりに生産コストが他のと比べ高いとしても、これほどの性能差があれば製品メーカーも消費者もこの液晶を使用した製品を優先的に選ぶレベルでしょう。もっともこうした半導体や液晶部品製造はいわゆる設備産業なので、生産コストは導入する設備で決まるので生産コストが従来品と比べ極端に高くなることはまずあり得ませんが。

 それにしてもジャパンディスプレイがまさかここまで凄い会社になるとは発足当初は思いもよりませんでした。ジャパンディスプレイは東芝、日立、ソニーの三社の液晶部門が統合して設立された会社でしたが、発足当初は「液晶の敗者連合」と私も思ってましたし実際にそういう報道もありました。そして私は「0がいくつ集まっても0は0のまま」と周りにも吹聴して、体よく液晶部門を本体から切り離してリストラするためだけに作った会社じゃないか、なんて結構ひどいことも口にしてましたが、そうした私の予想に反して業績はそこそこ上向き、昨年には株式市場にも情報を果たして自分の不見識ぶりを反省していたところでした。
 真面目に話すと、今回の新液晶をきっかけにジャパンディスプレイが中・小型液晶の世界シェアを大きく握ることとなるでしょう。その一方でサムスン、シャープの液晶部門は一撃死に近い打撃を受けかねず、それだけに今回のこのニュースはただ事ではないと思うわけでした。

2015年2月19日木曜日

千葉のマッドシティ~松戸駅前編

 まさかのマッドシティシリーズ化です。松戸市に縁もゆかりもない方々からすれば退屈な記事でしょうが、この狂った街の記憶と記録を存在するうちに残しておきたい気持ちもあるのでどうかご容赦ください。

 さて松戸市で市役所の置かれている市政地は言うまでもなく松戸ですが、その市役所の最寄り駅に当たる松戸駅というのはお世辞にも評価は高くありません。交通の便に関しては常磐線と京成線の乗換駅になっており都内にも30分程度で23区の主要な所まで移動できるので悪くはありませんが、問題なのはその駅前の雑然ぶりで、行ったことのある人なら「ああ、あれね」とすぐに合点がいくかと思います。
 具体的にどのような状態なのかというとまるで整備がなっておらず、小さい店舗や中途半端なビルが乱立している上に線路をまたぐ高架歩道は人でごった返しやすく、一言言えばごちゃごちゃし過ぎているということに尽きます。出口は東口と西口があり、西口はまだ整備が進んできてバスターミナル前が一般乗用車とバスと歩行者がちょっと入り乱れて通行に戸惑う点はあるもののまだまともですが、もう片っ方の東口はちょっと目も当てられない状態で、中途半端にイトーヨーカドーが近くにあるせいもあって買い物客やら通勤客やらで普通に歩いてて鬱陶しくなってきます。

 なお東口近くにあって高架歩道とも接続している良文堂という本屋は品揃えもよく、特に受験参考書が充実していて高校時代はよく利用しました。ただこの店、5階建ててセクションごとに回数が別れているのですが、どの階も店舗が狭くゆっくり本を選ぶのには難があり惜しい所です。最近は自分も伊勢丹内にあるジュンク堂の方が潜伏地から遠いのに通う回数が増えてるしな。

 話は松戸駅前に戻りますが、東口にはまずイトーヨーカドーがあり、そのほかドトールコーヒー、漫画喫茶、居酒屋、パチスロ屋、メガネ屋、ミスタードーナツ、ゲームセンター、などとあらゆる種類の店舗が目白押しで、さりげなく小さい個人商店も軒を連ねています。あと地味に厄介なのが小学生を対象とした予備校も近くにあり、金曜の夜とかになると授業を終えて出てくる小学生が大挙して狭い道路を占領することもあるのでもうちょっと送り迎えにやり方あるのではと思えてくるほどです。
 確かに帰宅がてらに飲食店へ寄ったり、買い物したりには便利なのですが、やはり駅利用客がそこそこ多いにもかかわらず歩道があまり整備されてなく、細い路地が入り組んでて飲食店などはそこへ無理矢理運搬の車を通すので混乱に拍車がかかっている状態です。しかも松戸市役所に行くには東口から通るので、市役所勤務の人間も地味に多くて侮れません。

 一体何故松戸駅前がこのような乱雑ぶりを見せるようになったのかというと実は理由があり、実際に細かく検証したわけではありませんがどうも暴力団が一部の土地を保有しているため区画整理が進まなかったと言われています。この噂は私が幼少期だった頃より聞いていたのすが、近くにある喫茶店の店員と話をしたところどうもこの噂は事実らしく、暴力団のせいで駅前の整備が進まず近隣の自治体と比べ開発が遅れていると嘆いていました。
 もっとも暴力団だけが原因というわけでもなく、松戸は1970年代の高度経済成長期に街づくりが進んだ都市でもあり、その影響からかビルや住宅が後進の都市と比べ数世代古いまま残ってしまっているというのも大きいと私は考えています。要するに、ビルトアンドスクラップでスクラップの方が進まず古い建造物が軒並み残ってしまっているということです。

 ただそんな松戸駅前もこのところはようやくというか再開発がいくらか進んでき始め、特に松戸駅東口からやや北に向かった先では古いビルなどが取り壊され、大型マンションの新規建設や分譲が相次いでいます。この点について私が潜伏時代に通っていたカレー屋の店主に、「暴力団もようやく土地を手放しはじめたのか?」と理由を尋ねたところそうではないと否定され、「直接的な原因は東日本大震災です」という思いがけない答えが返ってきました。
 なんでも2011年の東日本大震災でこの地域にあった古いビルでは倒壊こそなかったものの軒並みひび割れが起こり、そのまま使用することが出来なくなったために取り壊しが進んだとのことです。以前からあった人気飲食店もこれらの影響で店舗を改装、または移転が進み、ここ数年で大分風景は変わったという貴重な情報をもたらしてくれました。

 実際に行ってみればわかりますが線路沿いだとコインパーキングがやけに多く、東口前の雑然ぶりと比べるとやけに視界が広がっています。またこれは東日本大震災の大分前に既に潰れておりましたが、以前は土屋家具というお店があった松戸市役所前にある巨大な店舗兼集合住宅も昨年になってようやく取り壊しが行われました。この取り壊し工事は2013年末辺りから始められましたが完全に取り壊されるまでには半年以上の時間がかかっており、「中国だったらこんなの一週間でたたむってのに日本は仕事が遅いな」などという妙な感想を当時に覚えています。

2015年2月18日水曜日

中国の住宅の特徴


 近くのスーパーで何故か美濃焼の特設販売があったので上の丼碗と小皿を速攻で購入しました。どちらも質感といい絵柄といい気に入っています。中国は明日が旧暦の元旦に当たり、大晦日に当たる今日から長期連休となっておりますが、どこの飲食店も正月休みで閉まっているため最近は上の丼でうどんばっかり食っています。

 さて気になる人がいるのかはまだわかりませんが、上の写真はお世辞にもいい構図ではありません。できれば斜め上から碗の中の絵柄と共に撮影したかったのですが、ちょっと止むに止まれぬ事情があって真上から撮る構図となりました。一体何でこうなったのかというと、室内が異常に暗いせいでありました。
 中国に来て長期滞在した人ならわかると思いますが、中国の住宅は日本の住宅と比べて室内が異常なまでに暗いことが多いです。一体なんで暗いのかっていうと室内面積の広さに対して照明」の数が極端に少なく、またその照明器具も光線量が小さく照らし切れていないことが多いです。具体例を挙げると、小さなベッドルームなどでは電球数本しか設置されていないこともざらです。

 第三国と比べたわけでもないので中国の住宅が異常に暗いのか日本の住宅が異常に明るいのかまではわかりませんが、日中で比べるなら中国は圧倒的に部屋の中が暗いことは確かです。そのため夜に室内を撮影しようものなら暗く写ってしまい、かといってフラッシュ焚くと今度は反射がきつかったりしてこの美濃焼を撮影するのにもひと手間かかっています。最終的に電気スタンドのあるパソコンデスクの上で撮影することでまだ見られる写真に仕上げていますが、そもそもパソコンを使用する際に電気スタンドもセットにならざるを得ない環境というのも考えてみれば変なもんです。そういえば以前上海にいた時も電気スタンドを常備していたなぁ。

 照明に関してはこのように日本人の私からするとやや不満の感じるところがありますが、それ以外の面だと意外と中国の住宅の方が勝っている部分も少なくありません。まず第一に言えるのは天井の高さで、こっちへ出稼ぎにやってきた当初は空調の機器が悪くなるなと思ってあまりいい感じがしませんでしたが、慣れてくるとやっぱり部屋が広く感じられ、逆に日本へ帰国した際は天井が低くて狭く感じるとともに圧迫感を覚えました。
 私の目算だと中国の住宅の天井高さは3m程度あり、日本の住宅は2.5m程度ではないかと思います。さっきさくっとググってみましたが日本の住宅はやはり2.4~2.5mが主だそうで、私の見間違いというわけでもないようです。

 天井の高さと並んで中国の住宅で優れていると思うのは壁の厚さです。最近だと日本の住宅はども工費を削り、防音材などを敷き詰めることで壁を薄くしようとあの手この手を講じていますが、そういう先端素材を使う、使わない以上に単純に壁の厚みを厚くする以上に防音性は高める手段はないでしょう。中国の住宅は基本、どこも壁が異常に分厚く、試しにDQ6のハッサンみたいに正拳突きしてみたところ明らかに日本の住宅より分厚い重みというか拳に強い痛みを覚えました。とびひざ蹴りはやめておこう。
 この傾向はこれまで住んだことのあるどの中国の部屋でも共通しており、一種スタンダードになっているのではないかと思えます。壁が分厚いので隣の音はほとんど聞こえず、聞こえるとしてもドア越しに洩れてくる音の方が大きいです。ただ断熱材に関しては恐らくほとんど使ってないものと思われ、冬場においては壁からリアルに冷気を感じるため、この辺は改善点として中国のデベロッパーに考えてもらいたいものです。

 そのほか中国の住宅の特徴を述べると、以前にも書いたように単身用の住宅が少ないということと、トイレの中蓋を締めるネジがほぼ確実に緩んでいることと、北方地域は暖器があることといったところです。
 暖器に関しては後輩も書いていますが、北京を始めとした中国の北方地域の住宅は建物内にスチーム管を張り巡らせて冬季は建物全体を一括して温めています。日本も北の方にはあるかもしれませんがなかなかこれが便利なもので、慣れてくるとこういった暖器のない上海とかの方が北京より寒く感じるようになってきます。

2015年2月16日月曜日

インドでの邦人女性の被害について

日本人女子学生に性的暴行、インド警察が25歳男逮捕 懸賞金かけ追跡(産経新聞)

 リクエストが来たのと、自分もインドに行ったことがあって多少は自分の体験談を話せると思うので、今日はインドでこのところ起こっている邦人女性の被害について少しだけ述べます。

 事件概要については説明するまでもないでしょうが、このところインドで邦人女性が暴行の被害に遭うという事件が頻発しております。もっとも私の印象だと最近になって急激に増えたというよりは報じられる機会が増えただけで、以前からもインドでこのような事件は数多く起こってたのではないかと見ています。インドではそのような女性の暴行事件は何も邦人女性だけでなく同じインド人の女性に対しても非常に多く、インド国内でもようやくと言ってはなんですが社会問題として広がりを見せてき始めた段階にあるようにも思えます。

 知ってる人には有名ですが、私自身も一度インドには旅行に行ったことがあります。現在の日本での潜伏先は「千葉のマッドシティ」こと松戸市でこのところ激ヤバな犯罪都市であるかのようにこの街が語られますが、松戸市なんて実際はそんなに治安が悪いとは思えません。なんでそう言い切るのかというと実は、インドの首都であるニューデリーは本気でヤバい所だと感じた経験があるからです
 私が旅行で回ったインドの都市はニューデリー、アグラ、バラーナシィーの三都市で、三都市それぞれで治安悪そうだなぁと感じましたがこの中でも格段にヤバそうだと感じたのはニューデリーでした。ただ私の場合は日本で予約した旅行会社のインド人ガイドがずっと付き添ってくれたため特に危険に陥ることは一切ありませんでしたが、それでも観光中にちらちらと見る街の風景はこれでもかと犯罪の臭いがプンプンしており、実際同じツアーで来てた女の子二人組がここで非常に怖い体験をしたと話していました。

 その女の子二人組は確か従弟同士で一緒にインドへ旅行に来たのですが、ガイドを同行せず二人でタクシーに乗り買い物に出かけたところタクシー運転手がやけに暗い路地へ連れて行き、「支払う料金を増やさないとここで降ろすぞ」と脅して来たそうです。この時要求された追加料金は法外なものではなかったそうなので素直に従ってきちんと目的の場所に付けたそうですが、さすがにあの時はちょっと怖かったねと列車での移動中に自分と自分に同行した友人に話してくれました。
 なおそんな怖い思いしてまで女の子が買ったサリーはまがい物で、次の日からつけている最中に色落ちし始めていました。

 このようにインドでは想像もつかないようなところから犯罪に巻き込まれやすく、また昼間でも路地裏は映画に出てくるような暗く怖い場所が多く、「ここからいきなり飛び出されてはどうにもならんだろうな」という印象を覚えました。旅行中に被害らしい被害は一切ありませんでしたが、夜は夕食に出かける以外はずっとホテルに入ったままで、昼間ですらあんな怖いのに出歩くなんて考えは思いつきませんでした。

 それとこのところの邦人女性の被害事件についてもう一つ思い出話を書くと、昨年11月に邦人女性が誘拐されたガヤという町ですが、実はここは旅行中に私も訪れています。ガイドブックなどでは「ブッダーガヤー」などと書かれ、ブッダが悟りを開いた場所として日本人向け観光地としてはそこそこ人気がある場所です。
 訪れたのはもちろん昼間ですがどこ行っても人だかりでごみごみしていてうるさいインドの町でこのガヤという町だけは不思議な静けさがあり、明らかに一線を画す聖域のような印象を当時覚えました。それだけにあのガヤでもこんな事件が起こるのかと事件の一報を知った際は軽いショックのような気持ちを感じると共に、やはりどこ行っても油断ならない国なのかという感想を持ちました。

  おまけ
 インドでは上記の通りに夜中は一切出歩くことはありませんでしたが、私が行ったことのある海外の都市で一番安心して夜中歩けたのは意外でしょうが中国の北京です。北京だと人がいきなり飛び出してきそうな隠れる場所が街中に少ないですし、また警察の人数と力がどちらも半端じゃないため治安に関しては非常にいいです。ほかの中国の沿岸部都市も大体似たりよったりで、総じて治安のいい所ばかりです。
 あとマッドシティの松戸駅前では夜になるとちょっと粋がった格好した若者とかおっさんが歩いたりするものの、なんかやたらと周りを気にするかのように目が泳いでたりするので見てるこっちが不安になってきます。

2015年2月15日日曜日

創業家列伝~島津源蔵(島津製作所)

 長らく期間が空いての連載再開です。なんでこんなに期間空けたのかというと昨年末にかけて「企業居点」の編集作業が忙しかったことと、この編集作業を終えた後も先月は派遣マージン率を陰で調べていて下調べのいるこの連載はなるべく後回しへとされてしまっていました。まぁこの連載記事はある意味で、「腐らない記事」のため、ささっと書き溜めておくに越したことはないのですが。
 そういうわけで今日取り上げる人物ですが、精密機械メーカー大手で過去にはノーベル賞受賞者(田中耕一氏)も輩出した島津製作所の創業家、島津源蔵を取り上げます。どうでもいいですが「源蔵」という名前を見ると「SGGK」と呼ばれるあの人物が真っ先に私の中で浮かんできます。

島津源蔵(2代目)(Wikipedia)

 島津製作所の創業者、というよりは立役者の島津源蔵は1869年に京都府木屋町で生まれます。父親も同じ「源蔵」という名前で扱いとしては初代島津源蔵と呼ばれていますが、京都の鍛冶屋で明治8年からは標本を初めとした学校用品の製作を始めて後に法人化し、島津製作所と名乗るようになります。
 なおこの島津という名字についてですが、薩摩藩で有名な島津家に由来すると言われております。ただその由来については諸説あり、手元の「実録創業者列伝」では先祖は黒田家の重臣だったが関ヶ原から敗走してきた島津義弘の九州への引き上げを世話したことから島津姓を賜ったと書かれてありますが、私が以前に聞いた話だと元々は街道沿いの旅籠を経営しており、参勤交代で利用した薩摩藩がそのもてなしぶりを評価して島津姓を許したという逸話でした。このほかにもまだまだあり、あまりにもはっきりしないので内心では薩摩の島津家とは関係ないのではと密かに考えています。

 話は戻りますが島津源蔵(2代目)の幼少期は非常に貧しく、教育熱心なことで有名な京都にいながら小学校には二年間だけ通って退学しています。しかし向学心が高く勉強熱心だったらしく家業を手伝う傍らで独学を続け、19歳の時には京都師範学校に招かれその後5年間教壇に立ち学生を指導しています。1894年に初代島津源蔵が亡くなると会社を引き継ぎ、実質的に現在の島津製作所はこの時にスタートしたと考えてよいでしょう。

 島津製作所のエポックメイキングが起こるのは源蔵が社長を受け継いだ2年後の1896年で、この時に島津製作所はその前年にレントゲンが世界で初めて成功したエックス線による撮影、所謂レントゲン撮影を日本で初めて成功させます。今の様に通信技術が整っていない時代、ましてやまともな研究設備にすら事欠く日本国内の環境で世界最新の技術を再現してみせたというのは私の目から見ても脅威というよりほかなく、また現在にも続く島津製作所の医療検査機器事業はこの時始まったのかと思うとなかなかこみ上げてくるエピソードです。

 この医療機器事業に続き島津製作所が後に主力とする事業はその翌年、1968年にエポックメイキングが起こります。この年、島津製作所は京大から外国製の見本を供与され、蓄電池の製作を依頼されます。見本もあったことからあっという間に依頼に応え製作を行い、それをきっかけに全国からも同じ蓄電池の製作を依頼されるようになったため源蔵は蓄電池生産を本格的に事業化させていきます。
 蓄電池事業は当初でこそ10A時の小さな電池からスタートしましたが研究に研究を重ね、1904年には150A時の据置用蓄電池の開発に成功します。この時開発された電池は軍にも採用され、日露戦争でバルチック艦隊を発見しあの有名な「敵艦見ゆ」の信号を発した信濃丸の通信機に取り付けられていたそうです。

 この日露戦争のエピソードもあって「電池とくれば島津製作所」と呼ばれるまでに評判を上げ、1908年からは電池規格を作り大量生産化に取り掛かります。この時に自社製電池のブランド名として源蔵は自分のイニシャルである「GS(Genzo Shimazu)」という文字を用い、「GS蓄電池」という商標を使い売り出します。
 察しのいい人ならわかるでしょうが、この「GS」という言葉は現代にも受け継がれています。島津製作所は1917年に電池部門を分離独立させ「日本電池」という会社を設立しますが、この日本電池は2004年に同じ電池大手の「ユアサコーポレーション」と合併し、現在の「ジーエス・ユアサコポーレーション」となるわけです。最近保険大手が合併して長ったらしい変な名前になってますが、そういうのと比べるとブランド名を利用したこのGSユアサの命名はなかなか語呂が良くて悪くないと思えます。

 島津製作所の電池事業は後の第一次世界大戦でドイツとの国交断絶に伴いドイツ製の輸入が止まったことでさらに受注を伸ばしていくのですが、この電池の生産には鉛粉こと鉛酸化物が必要でした。島津製作所は電池の生産では日本国内随一となりましたが生産に必要な鉛粉は日本製だと品質が不均一なため、主に高価な海外製を輸入して使用していたそうですが、どうにかして国産化できないと源蔵は考えていようです。
 鉛粉とはその名前の通りに鉛を粉末化すれば出来るので何とか粉末化させようと源蔵は自らあれこれ実験し、回転容器に鉛球を入れグルグル回すと鉛粉が生産できるところまではこぎつけました。だがこうやってできる鉛粉は品質が相も変わらず不均一で使い物にならず、どうしたもんかと解決策に悩んでいたところ鉛投入孔にやけに良質な鉛の塵こと鉛粉が溜まっていることに気が付き、ここから着想を得て送風させながら回転容器を回すことで非常に質のいい鉛粉、亜酸化鉛を高い効率で生産することに成功します。この製法は当時世界初で、電池製造の分野で一気に島津製作所をスターダムに持っていきました。

 ただこの亜酸化鉛の製法の特許を巡ってはちょっと一悶着があり、英国とフランスではすぐ取れたのに対し何故か本国の日本では、「物理学上の発見であって技術上の発明ではない」として、なかなか特許の認可が得られなかったそうです。日本らしいっちゃ日本らしいけど。
 さらにもう一つエピソードを付け加えると、島津製作所はこの時出来た亜酸化鉛から防錆剤を作りだし、当初は日本電池で売り出してましたが途中でまた分離独立化させ、「鉛粉塗料株式会社」を設立し、この会社はその後他社との合併などを経て現在は大日本塗料株式会社となりました。

 以上が島津源蔵の主な経歴ですが、書いてて感じたこととしては「一体この人、何社の設立に関わってるんだろうか」という底の知れなさです。現代でも認知度の高い大手企業の創業に何らかの形で関わってることが多いし、またどれも自身の発明をとっかかりにしている点で実に恐ろしいまでの才能の持ち主です。経営者のタイプとしては典型的な発明者型ではあるものの、複数の業界大手企業を設立していることからただ技術が高かっただけでなく発明品を事業化させる才能も桁違いに高かったのではと私は評価しています。

 知ってる人には有名ですが京都にある大手企業はどれも知名度、業績はよくても従業員(+取引先)にとってはブラックな会社であることが多いというかほぼ全部そうなのですが、この島津製作所に関しては真面目にそういう悪い噂はほとんど聞かず、私の就活中なんかは「京都企業の良心」などと呼んでいました。実際入社して働いたわけでもないのにこのように言うのもどうかなという気がするし島津のポンプメーカーの人に聞いたら、「実際中はそんなでもないですよ」という証言も得られましたが、先ほど出てきた田中耕一氏の会見を見ている限りだとやはり一線を画す社風だと覚えます。
 というのもノーベル賞受賞の発表があってすぐ社内で開かれた会見で田中氏は、背広ではなく普段通りの作業着で会見に臨んでいました。ただ単に背広を準備する時間がなかったり田中氏の個人的な好みなだけだっただけかもしれませんが、ああした会見にも普段通りの作業着で臨まれるという会社はやっぱり一味違うと思うし、技術というか現場を第一に考える社風なのかなという印象を覚えます。まぁそれ以上に田中氏の人柄が非常に素晴らしかったの一言に尽きますが。

 最後に蛇足ですが、島津製作所製蓄電池が取り付けられ日本海海戦で軍艦三笠に対し重要な通信を送った信濃丸ですが、実はこの船はその後の二次大戦中にも兵員を南方へ運ぶ運搬船に使われ、その時に運ばれた兵員の中にはあの水木しげる氏もおりました。当時としても竣工から30年以上経過しており乗船した水木氏も、「えー、あの信濃丸がまだ動いてんの!?」と驚愕したそうですが、大半の輸送船が途中、米軍の攻撃によって撃破される中で無事に任務を果たし終戦後まで沈没せず生還を果たしました。
 さらに続けると水木氏は終戦後に日本へ復員する際、開戦から終戦に至るまで主要な海戦ほぼすべてに参戦し、他の艦船がほぼ全滅した中で生き残り「不沈艦」とまで号された駆逐艦「雪風」に乗船しております。こうしてみると水木氏は行きも帰りも気違いじみた強運に守られた船に乗っており、彼にはある種、幸運の女神ような何かが始めからついて回っていたのかもしれないとこの記事書きながら思いました。


  参考文献
「実録 創業者列伝」(学習研究社) 2004年発行

2015年2月13日金曜日

中国の空母プラモを見て

 先週末、日本語を教えている中国人労働者を連れて上海に行っていました。なんでこんなことをしたのかというとその中国人労働者が一度も上海に行ったことがないマジモンの田舎者だったので、一つ都会を見せてやる方が良いと思ったからです。
 もっともこの中国人労働者、あらかじめ高速鉄道のチケットを買って駅で待ち合わせだったのに見事に寝坊してきやがって、土曜日は電話口で激しく怒鳴り続けたので非常に疲れました。なんかこう書くと自分が如何にもな性格をしているように見えますが、そいつはその前週に昆山市内の観光地に行く際も寝坊で遅刻しており、またこっちの指示を待たずに長距離バスに乗ったり降りたりを繰り返したりもしたのでかなり全力で怒鳴り続けました。ちなみに私は駅のど真ん中で怒鳴り続けましたが、中国ではよくある風景なのか周りの人は自分に対して全く無関心でした。日本じゃこうもいかんな。

 話は戻りますが日曜日にそいつを連れて市内をぶらぶら歩いていると日本の模型メーカー大手のタミヤの看板を掲げたプラモ屋が見つかり、折角だからと入ってみたらこっちの想像以上の品々を集めていてびっくりしました。一番最初に目に入ったのはミニ四駆で、「ダッシュ!四駆郎」に出てきた「エンペラー」というミニ四駆が置いてあり、そのほか大和とか武蔵といった戦艦はないのになぜか空母の瑞鶴、翔鶴のプラモは置いてあって、瑞鶴は日本の軍艦の中で私が一番好きな船なだけに買って帰るか非常に悩みました。なお中国人労働者は以前に私も作ったことのある「インプレッサWRX STI 99ver」を買って帰りました。

 そのような豊富な品々の中でふと隅っこに目を遣ると、なんかやたらと大きなサイズの箱がありました。見てみると「遼寧」と書かれてあり、知る人ぞ知る2012年に就航した中国初の空母のプラモでした。
 ちゃんと自国の艦船のプラモもあるんだなーという具合で感心するとともに、こんだけ大きなサイズ(箱の横幅が1mくらいあった)のプラモしか置いていないってことはもしかしたら小型サイズで作れないってことではとも思え、またそもそも寸法とかちゃんとあってるのかと本体もプラモもどちらもメイドインチャイナなだけに疑いを覚えてきました。もっともこれは中国の模型メーカーがどうこうというよりも、日本の模型メーカーが異常なまでに精密に作ってしまっていると考えるべきなのかもしれません。

 ここでその日本の模型メーカーについて話が移りますが、王者なのは言うまでもなくミニ四駆も作っているタミヤです。私も自動車プラモをいくつか作りましたがほかの日系メーカーと比べてもここは作りや構造がしっかりしていて、よくもこれだけ精密に金型作れるなと感心させられます。軍艦に関しても旧日本軍は本気でアホだから、アメリカは同じ設計の艦船を次々と量産していったのに対し日本は一艦一艦別々に設計をして無駄に多種多様な艦船を造り、あらゆる方面で効率を悪くさせましたが、そうした土壌の下でタミヤは多数ある艦船を次々と模型化していきました。真面目に誇張ではなく、日系模型メーカーの隆盛の陰には旧日本軍の無駄遣いが背景にある気がします。

 そのタミヤですが、知ってる人には有名ですがその製品の正確さ、精密さについて気違いじみたエピソードが多数あります。開発中の車をチラ見しただけで外観から内部構造まできっかり再現してみせたなんて序の口で、海外自動車メーカーがどうしても内部構造を見せてくれないから推定で作って売り出したところそのメーカーから、「お前ら、技術情報を盗んだな」などと言われ、ほぼ実物そのものに作ってしまっていたことからあらぬ誤解を受けたなんて話も多々あります。

 話しを再び中国の初代空母、遼寧に戻しますが、この艦船は元々旧ソ連で建造が始まったものの予算不足で中断され、その建造途中の船を回り回って中国が購入して空母に仕上げたという経緯があります。実に建造開始から二十年近く経っての就航したという曰くつきなのですが、建造に関わった中国人民解放軍関係者は、建造開始当初の設計図は既に紛失されていたことから設計が近いほかのソ連の艦船を元に見よう見真似で作ったことを明かしています。恐らくそれでもきちんと作れたということを自慢しているのだと思いますがこれを聞いて、「中国人の言う見よう見真似ほど恐ろしいものはない」という言葉を私以外、下手すりゃ中国人ですら頭に思い浮かべるのではないかと思います。
 日本のネット上の掲示板でもこの話題が持ち上がり、中国に軍艦の設計なんて危なっかしい、むしろタミヤの方がまともな設計をするのではなんていう意見があって見ていてなかなか楽しめました。ただ「タミヤの方がまともな設計をする」という意見ですが、これはあながち冗談っぽい意見ではなく、本気でそうなのではないかとちょっと思っています。というのもタミヤは旧日本軍の軍艦はもとより世界各国の戦闘機から戦車、銃火器まで模型化しており、下手な軍事専門家よりこの手の構造に詳しいのではないかと思えるからです。

 さすがに主機などの設備を含めた設計となると話は別ですが、アウトラインだけの設計であればタミヤの設計部なら本気でいいの作ってくれるんじゃないかと思います。折角だから日本政府も今後自衛隊で新しいイージス艦とか掃海艇作るんだったらタミヤに外注した方が安くていいのが出来上がるのではなんていう風にも思え、このところ周りの人間にも話しています。タミヤも自社の設計を元にプラモも作れるんだから一石二鳥じゃないかな。

  おまけ
 中国に出稼ぎに来る前、何故かスポーツカーのプラモにはまって何体か作っていました。けど部屋に一台だけ作って置いておくとなかなか洒落ててインテリア的にグッドでしたが、二体、三体と増えていくにつれてなんかよくなくなるというか、部屋がマニアっぽくなって失敗したと思いました(´・ω・`)ガッカリ…

2015年2月12日木曜日

千葉のマッドシティ~映画館編

 昨日の記事でも触れていますが、私の日本潜伏地ことリアル隠れ家的賃貸住宅(マジ冗談になってなくて笑えない)は千葉県の松戸市にあります。知ってる人には早いですがこの街は最近、「千葉のマッドシティ」と呼ばれており、その理由はアニメ「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」の中でこの松戸市のことを「マッドシティ」と呼んだことがきっかけだったそうです。恐らくこの作品の制作者は「マツドシティ」と「マッドシティ」の音と文字が近いことからこう呼んだのでしょうが、なかなか語呂がいいのと、どうもいくつか全国区で報じられたことのある殺害事件があった街という印象がぴったりはまり、如何にも犯罪都市っぽい雰囲気を持つこの「マッドシティ」というあだ名が定着したのだと思います。
 なおこのマッドシティという言葉ですが、元々はコナミのアクションゲームのタイトルだそうです。それと松戸市の犯罪率ですが、ネット上では冗談めかして若者の9割超が暴走族だとか内戦状態だとかいろいろ書かれてますが、さすがに毎日死人が出るほどはヤバくはないです。過激派みたいな内容を毎日書いてる私が住んでてていうのもなんですが。

 そんな松戸市ですが私自身が住んでいたのは2013~2014年の一年足らずではあるものの、実家が隣の市にあって実は子供の頃から買い物なり遊びなりサイクリングなりでしょっちゅう訪れてて非常に慣れ親しんだ街だったりします。微妙な裏道とかも大体把握しているし、街がどのように変化していったかも持ち前の記憶力で案外覚えてます。
 特に際立って印象に残っている松戸市の変化として、私の中ではかつて存在した二つの映画館が挙がってきます。どちらも松戸駅近くにあった映画館で、一つは松戸輝竜会館、もう一つは松戸サンリオシアターで、どちらも既に閉館しております。

 輝竜会館の方は1959年に建設されてその後幾度か改装をされた映画館でしたがはっきり言って非常に狭く、ガラガラの時ならともかく人気作なら入り口が人でごった返し、正直言って今思い返すとかなり危険なレベルだったのではと思います。しかし東映アニメフェアなど子供の時分に見たい映画は何故か近くの映画館ではこの輝竜会館でしか公開されず、内心行きたくないと思いつつ小学生だった私は友達とこづかいを片手に見に行き、上映終了後にこれでもかというくらいの子供にもみくちゃにされながら脱出していたことをよく覚えてます。パンフレットを買おうものなら争奪戦みたいになってたし。
 なお松戸市出身の友人にこの映画館のことを話すと、「俺はあの輝竜会館って名前を聞いただけで映画を見に行くのをやめてた」と話しており、友人もあの人でごった返す異常な構造を嫌ってたようです。

 対する松戸サンリオシアターは1980年、当初は「松戸サンリオ劇場」という名前でオープン。1993年になってビルが移り「松戸サンリオシアター」と名前を変えたのですが、私が高校生までの間は映画を見に行くとしたらいつも決まってここに見に行っていました。特に小学校低学年の頃はやたらよく映画を見に行っており、うちの姉貴と二人でこづかいもらって見に行き、帰ろうと松戸駅で切符を買ったら姉貴が間違えてJRではなく京成の切符を買ったりして子供心に「頼りにならねぇなぁ」と思ったりしました。
 このサンリオシアターは周辺の店舗との提携活動をよくしていて、たとえば近くの本屋なら映画料金を割り引いたチケットが買え、近くのマクドナルドの二階店舗内にはよく公開中の映画のポスターが貼られていました。貼られていたのだと「ネバーエンディングストーリ―2」のポスターが何故かよく記憶に残ってる、アトレイユ……。

 私は高校生になった頃からあんま映画見なくなってここに通うこともほとんどなくなってしまったのですが、2006年にはスクリーン数を拡大して「松戸シネマサンシャイン」と再び名前を変えていたようですが、他の全国の映画館同様に客足が伸び悩んだことと、周辺の他の街でもシネマコンプレックスが出来ていったことなどからか羽振りが悪かったようで、2013年1月末にはここも閉館してしまいました。
 多分、私が最後にこの映画館で見たのは2003年の「ロードオブザリング 王の帰還」で、友人と二人で見に行ったのを覚えています。なお「ロードオブザリング 旅の仲間」もこの映画館で見ており、その時は家族と見に行っています。私が2013年に日本へ帰国し、たまたまこの映画館跡の前を通った際に初めて閉館したという事実を知りましたが、子供時代から自分の中の風景に存在していた映画館だっただけに軽いショックを当時受けました。

 ちなみに「松戸シネマサンシャイン」の閉館に伴い、松戸市には現在もなお映画館が一つもない状態が続いています。これだけの人口規模を持ちながら映画館が一つもないというのは全国的にも珍しいのではないかと思いますが、この辺りの人からすると小さい映画館に行くくらいなら都内や幕張に出て行くのであろうと思え、今のところあまり需要がないような気がします。とはいえいくらなんでも寂しくはないかという気がするので、どっかが新しい映画館を松戸市内に作ってくれることを陰ながら期待しております。

 それにしても見出しをそのまま「千葉のマッドシティ~」としちゃったけど、こういった松戸の思い出話をシリーズ化する気か?映画館同様需要があるのかどうかも分からんし、自分で書いておきながらなんかよくわからない状態です。

2015年2月11日水曜日

時計を置きまくる友人

 何度かこのブログで書いていますが私が現在日本で隠れ家に使っている部屋は「千葉のマッドシティ」こと松戸市にあります。隠れ家といいましたがこれは決して誇張な表現ではなく、松戸駅に歩いて10分程度で行ける便のいい場所にありますが行き方を知らないとまず見つからないような変な場所にあり、多分住所とか渡してもGPSとか使わない限りは普通はたどり着けないだろうと言えるようなところにあります。

 現在の私は中国滞在中ということもありこの部屋にいることはほぼないのですが、日本にもある程度私物を置いておきたいのと、ちょうど部屋を借りたがっていた友人がいたので私が中国に行くのと入れ替わりにその友人が住んで現在使用しています。私物の管理はおろか郵便物、電気代諸々の諸費を友人が払ってくれるので私としても大助かりなのですが、去年の9月に一時帰国した際にちょっと驚く光景が広がっていました。
 単刀直入に述べると、部屋中いたるところにこれでもかというくらい無数のアナログ時計が置いてありました。なお私が部屋を出て行く際にはデジタルの置時計が一つだけしかありませんでした。

 実際にどれくらいの時計があるか正確には数えてませんが、友人曰く部屋の中にいてどの方向を向いても時間がわかるような配置にしてあるということで、感覚的には居間内の八方向すべてに何かしらの時計が置いてあり、台所にも複数、そして何故か風呂の中にもハンガーの針金使って無理矢理吊るす形で配置されていました。

 一体なんでこんな時計置くのかついさっき聞いてみたところ、なんでも友人の実家では当たり前の光景だったそうで、風呂の中で読書したりするので長湯となるため時間を把握するのに風呂内に置くのも特別不思議に感じてないそうです。
 また時計の種類も基本はアナログで、正確に何分何秒かを知ることよりも一目で大まかな時間がわかる方が大事とのことで、割とデジタル時計を使う傾向のある自分と対照的な答えをしてきました。

 しかし友人の言うことの中でもどの方向を向いても時計が視界が入るようにするというのはまだ理解でき、先日にふとこの時の友人の話を思い出し、私も文具屋で小さいアナログの置時計を買ってパソコンの隣に置くようにしてみました。パソコンの画面内にも時計表示がもちろんありますがやっぱり置いてみると違うもので、作業中に今何時なのかパッと見る際はついついアナログの方を向いてしまいます。
 それと私のパソコンは設定変えればそれまでですが、現在のところ日本標準時に設定していて中国の時間とは一時間の時差があります。なんでこんな風にしているのかというと作業中とかに日本は今何時当たりなのかと意識させるためなのですが、ぶっちゃけそうした意識よりも現在こっちで何時かを把握する面倒さの方が大きい気がします。

 なお私と友人の二人で以前にインテリア関連に詳しい方と話をする機会がありましたが、その時の会話をきっかけに私もインテリアというか室内の空間をどのようにみせるのか、家具などの配置をどうするのかということに興味を持つようになり、先日にこのブログでも紹介した革椅子の購入など以前に比べこだわりを持つようになってきました。この友人のやたら時計を置く、それもアナログでというスタンスも一つのセンスで、そう考えると部屋には何かしらのコンセプトというかこだわりがあった方が面白いのかなと思えてきます。

2015年2月10日火曜日

シチズンの広州工場閉鎖について

 経済記者でもないんだしニュース自体は取り上げなくてもいいんですが、このニュースの扱いについてちょっと思うところがあるので執筆します。

シチズン系の中国工場が閉鎖 突然の通知、従業員ら抗議(朝日新聞)
西铁城在中国销售边缘化或成公司清算主因(中国広播網、中国語)

 多分このブログを訪れる人も上記のニュースは知らなかった方が多いのではないかと思います。ニュース概要を簡単に説明すると、日本の腕時計メーカー大手、シチズンの子会社、西鉄城精密(広州)有限公司(広東省広州市)は先週の2月5日午後、全従業員に対して突然、翌6日付で解雇するとの通知を出しました。もちろんこの通知は従業員らにとって寝耳に水でしたが、工場はその日の就業を終えると翌日には既に閉鎖され、事の説明を求める従業員らが入り口前に集まるなど大きな騒ぎとなりました。
 シチズン側は今回の突然の解雇、閉鎖について会社自体の清算に伴うもので、従業員らに対しては契約終了(=解雇)に同意すれば一ヶ月分の給与に当たる補償金に加え勤務年数に応じた一時金を支払う方針であると発表しています。こうした通知に対して従業員の中にはやむなく同意する方も出ているようですが、大半の方は事前通知もない度の過ぎた解雇行為であるとしてシチズンと地元当局などに抗議を続けているとの報道も出ています。

 論点を整理すると、今回シチズンはこの子会社の従業員に対して文字通り、「明日から来なくていいよ」と突然発表したということです。この事前通告なしの解雇が問題であるか否かですが、結論から言うとクロで、明らかに法律に違反した行為と言わざるを得ません。中国の労働法では会社が従業員に対して解雇を行う場合、最低でも一ヶ月前には通知しなくてはならないと明記されています。しかも不渡りを出しての突発的な倒産でもなく自主的な清算であればなおさらでしょう。
 もっともシチズン側がこうした強引な手段を取った気持ちも、経営社側からの視点であれば理解できなくもありません。しかし理解できるのは「こうしたいと思う気持ち」だけであって実際にやるとなると話は別で、ストレートに言えばひどいことをやる会社だと私も思います。

 特に中国は2月18日から旧正月(春節)の長期休暇に入り、故郷へ里帰りするためにもただでさえお金が入用なこの時期に解雇を迫るというのは、こう言ってはなんですが確信犯でしょう。また長期間勤務していた人からすればいきなり定職を失うようなもので、ろくな再就職支援も受けられないまま放りだされるなんて家族持ちの方々には心の底から同情心を覚えます。

 なお引用した中国語の記事には業界関係者のコメントとして、シチズンは確かに世界七大腕時計ブランドに入っているが近年は他の日系ブランド共にフェードアウトしつつあり、中国市場でもスイス製やドイツ製の腕時計の方へ人気が高まってきていると述べ、経営環境が悪くなっているというような見方を示しています。

 以上が事件の事実解説ですがこの件についてもう少し触れると、こう言ってはなんですがやや日系メディアの取り扱いは小さすぎやしないかという気がします。私自身も友人から昨日に教えてもらってこの事件を知りましたが、日系メディアで大きく取り扱っている所は、見落としているだけかもしれませんが今の所見当たりません。
 仮にこのような行為を、それこそシチズンほどの規模を持つ会社が実行したら少なくとも三日くらいは大きくニュースに取り上げられ、企業の倫理観を問う記事も出てくるでしょう。しかし中国の工場だったら、中国人を解雇するのであればそこまでしないのか……となっていいものでしょうか。そりゃ外国の工場なのだから国内より注目が小さくなるのは仕方ないとしても、それを考慮に入れてもこの件の日本の報道はやや小さすぎる気がしてなりません。

 最後にシチズンについて個人的な思い出を述べると、今をさかのぼること約3年前、香港でこのシチズンの時計を巡り多大な苦労をかけさせられました。

シチズンの呪い

 詳細は上記の記事を是非読んでもらいたいのですが、結局この時にしていたシチズンの時計は日本に送り修理しました。修理から戻ってきた後はしばらくつけていましたが自分の中の愛着はとうに薄れており、また別の理由でこの時計が憎くてたまらなくなったため、「ファッキンシチズン!」と吐き捨てて実家で投げ捨ててしまいました。
 そんなこんだで今はイトーヨーカドーで買った1000円の女性ものっぽい腕時計をしています。この時計1000円やったと周囲に話すと、「中国でもそんなに安くで腕時計買えないって」と反応されてしまいます。

2015年2月9日月曜日

鎌倉仏教が成立した背景


 上記の画像はまたネットで拾ってきたものですが、鎌倉時代に新たに成立した六宗派の仏教、いわゆる鎌倉仏教の特徴と関連性が非常にわかりやすく図示されており、初め見た際には「こんなものあったのか」と思わず唸りました。真面目な話、これ中学や高校での歴史の教科書や資料集に載せた方が良いんじゃないかと本気で思います。なお一番ツボだったのは時宗です。
 さてこの鎌倉仏教ですが、現代で最大勢力を誇るのは浄土真宗ですが他の五宗派も現代において一勢力を張るだけの勢力はしっかり保っており、これは逆に考えるならば現代にも続くくらいスタンダードとなる宗派がすべてこの鎌倉時代に成立したということになります。何故成立したのがすべて鎌倉時代なのか、これは一つのキーワードになるように思え今日はその辺について自分なりの意見をスパッと書くことにします。

 結論からとっとと書くと鎌倉仏教が成立した当時、日本人にとってまさに世界観が一変する出来事があったためではないかと思います。その出来事というのも天皇制の立ち位置の変化こと、1221年の承久の乱で、この事件による思想、社会的価値観の大きな変化が新仏教の成立に寄与したと素人ながら考えています。

 承久の乱については説明するまでもないでしょうが、天皇家の権威と権力の回復を図った後鳥羽上皇らの一派が鎌倉幕府と対立したところ鎌倉幕府側が圧勝し、それによってそれ以前はやや拮抗していた両者の関係が幕府側が皇位継承権に干渉できるようになるなど優位に立つようになった事件です。承久の乱については以前にも一度取り上げていますが、日本というのは良くも悪くも天皇を中心とした国家で、その天皇制の立ち位置が大きく変化するということは文字通り国体が変わると言ってもいいほどのインパクトを持ち、それだけにこの事件も日本史上でも稀に見るくらいの大事件であったと考えてもいいくらいです。それこそ承久の乱以外で天皇制の立ち位置が明確に変わった例を挙げるとすれば明治維新と二次大戦の敗戦しか例はなく、いわば承久の乱は日本史上の事件としてはトップスリーに入るくらいのインパクトを持っていると私は考えています。

 ちょっと脱線しますが、トップスリーというには承久の乱はほかの二つと比べて現代日本ではやや取り扱いが小さいようにも感じます。恐らくそれは戦前の皇国史観が影響していて、天皇家側が敗戦したという事実にあまり触れたくなかったのではないかと推測しています。ただ事件のインパクトを考えると明らかに扱いが小さすぎて評価を誤る恐れがあり、もうちょっと大きく取り扱うべきではないかと日頃から私は主張しています。

 話は戻りますが、事件当時に当たる鎌倉時代初期は武士の地位が確実に向上しつつも日本の統治主は天皇家でまだ変わりないというのが常識だったと思います。それがこの事件によって一気にひっくり返るというか天皇家の上に幕府が明確に立ち、また土地の支配に関しても公家より武士が勝るようになったことは本気で世界そのものが変わるくらいのインパクトだったのではないかとも思えます。勝手な推測が続きますがそれは一種の社会的不安を起こしたでしょうし、また権威の崩壊というかそれ以前まで尊敬を集めていた組織や人物が一気に軽蔑されるようになるなど、ヨーロッパのルネサンスのような大きな思想の変化があったのではないかという気がします。

 そのような世界観の中で求められたのはやはり新しい価値観であったように思え、そうした背景もあって鎌倉仏教は当時の新興宗教として設立に至っていったのではないかというのが私の意見です。最近この言い回しが多くて自分でも嫌な気もしますが、逆を言えばこうした社会不安がなければ鎌倉仏教は成立していなかったのではとも言いたいわけです。

 最後におまけというか自分の実体験を話すと、この六宗派の中で明確に帰依している人物と会ったことがあるのは曹洞宗の人です。その人は自分の大学の先輩にあたる人物で、なんでも在学中に出家して一旦は大学を退学したもののもう一度学問に目覚めて復学し、自分と同じ講義を受けていたことから知り合いました。
 やっぱりユニークな人で話してて面白かったのですが、ある日に曹洞宗なら座禅の時間が長いのかと聞いてみたところ、こんな答えが返ってきました。

「いや、ほかの寺は違うかもしれないがうちは座禅というよりもとにもかくにも掃除に力をかける。もう何も考えず永遠に掃除をしてろっていう具合に。なもんだから静かな所で瞑想に耽りたいと思ってうちに来る人なんかは違和感を感じることが多いよ」

 こういう話はなかなか外では聞こえないだけに、聞いた当時は非常になるほどと思って感心しました。やっぱり仏教解説本を読むよりも、実際に修行している人の話を聞く方がずっと早そうです。

2015年2月7日土曜日

山本議員のISIL非難決議棄権について

山本太郎氏のテロ非難決議棄権 民主・榛葉氏「決議の意味、分かっているのか?」 連携見直しも…(産経新聞)

 詳しい説明は無用でしょうが、本日参議院で行われたISILのテロ行為を非難する決議の採択の際、山本太郎議員が投票を棄権する行動を取りました。この山本議員の行動に対して私の感想を述べると、どうあっても理解できない上に望ましいとは思えない行動で、なんでこんな人が議員やっているんだろうという強い不信感を覚えました。

 山本議員がどういう思惑で棄権したのかまではわかりませんが、私の勝手な推量で話させてもらうとこの決議が政府の主導で進められたからだという理由でしかないのではないかと思います。山本議員は反原発を掲げて政界へ進出しましたが、当初でこそ具体的な政策案も出さなかったもののまだ原発反対という基本的な政治姿勢を持っているように見えてました。ただ年を経るにつれて次第に原発問題以外の面でも様々に意見するようになり、政治家なのだからそれ自体は問題ではないものの、発信する意見はどれも時の政府の方針に反対するというものしかなく、国家や政治ををどう持っていきたいのかというイメージは全く見えないままただ逆らうことにだけに意義を持って活動してるように私の目には見えました。

 今回の棄権も、個人的な推測ですがどうせ政府が定義した内容だからとか、他者の存在を否定するためだけの内容だからとかそういう考えからやっただけで、ISILがどんな組織であるのかなんていうのは度外視しているのではないかと思います。それこそ、ISIL自体が自分たちの価値観以外を全く認めない組織であることなんて度外視で。

 私はこのブログでISILを初めて取り上げた際、日本は国家としてこの組織に対しどのような姿勢を持つのかしっかり考えるべきではないかと言うようなことを書いたと思います。これははっきりとは書きませんでしたが、ISILを潰そうとする米国を初めとした国家連合を政府として本腰入れ、資金援助なり後方支援なりで応援するべきか否かを考えなければならないし示さなければならないと暗に述べていました。私の意見は言うまでもなく実際に自衛隊を派遣するかどうかは別問題として置き、やれるのであれば全力でもってISILを潰すよう日本は支援なりで動くべきだと当時考え、現時点でもそのように考えています。

 一体何故そのように考えるのか。色々記事を読んでいると識者などはISILは国家システムを否定する存在だから危険などというようなことを書いていますが私の意見は少し違い、単純に彼らの暴力性や破壊行動に対し歯止めをかけるべきであることと、現代の倫理的価値観を守るため彼らの存在は許されないと考えたからです。
 その上で仮に日本がISIL潰しのために動いたら日本でテロを起こされたり、日本人が捕縛されたり殺害されたりするリスクが生まれると考えられますが、私は今のISILの行動を見ている限りだと支援をしようがしまいが何らかの形で危害を加えてくると踏んでいました。なんでかっていうと彼らは他者に対して服従するか破壊するかの二択しか選択肢を持っていないように見えるからです。

 どう解釈されるかは任せますが、今回の日本人人質事件でもって私の考えは大筋で正しかったと証明できたのではないかと思います。仮に日本が人道支援も含めて中東事情に関わらないようにしても、今回の様に日本人が人質になることもあれば日本のどっかでテロ事件が起こる可能性はなくならないと思います。それこそ、「日本人はアメリカ産牛肉を牛丼にして食べている」とか、「日本はイスラム教の教えに染まっていない」なんてふざけた攻撃理由を挙げられて。

 私にしては丁寧な言葉で書き綴っていますがちょっとだけ本音を出すと、何したって突っかかってくるんだったら二度と立ち上がれないよう確実に仕留める以外にリスクをなくす方法なんてありません。折角米国とかが潰そうと動いているのだし日本は直接手を下さずに済むのなら、資金を回したり後方支援するなどして彼らが一刻も早く潰れてしまうよう動くべきなのが今求められている外交じゃないかと思いますし、これを対岸の火事と思っててはいけない気がします。自衛隊を派遣せずに済むのならそれに越したことはありません。

 ここで話を戻しますが、このように考えるにつけ今回の山本議員の行動は一有権者としては不愉快極まりありません。恐らくこの一件は海外にも報じられ、「日本はISILに対して一枚岩ではない」なんて報じられ方もするかもしれません。この非難決議はただ決議するだけで意味がないという方もいますが、国内以上に国外へメッセージを発信するという意味ではやらないよりやった方が価値があるし、今後何かしらの行動を日本が取っていくというのであれば必要な決議だと思います。
 それだけに山本議員は、重ねて言いますがどうでもいい理由で今回の行動を取ったというのであれば正直議員を辞めてもらいたいのが本音です。そもそも何故彼のような人間が議員になるのか、小沢が当選することといい日本の民主主義にはまだまだ課題が多いように感じたのが今日一日です。

2015年2月6日金曜日

自分の食べ物の好み

 特にこのブログでは書きませんでしたがスパイアクションゲームとして名高い「メタルギアソリッドシリーズ」の3のPSVita版をを昨年日本に帰国した際に購入し、昨年のうちにクリアしていました。メタルギアソリッドシリーズは何本も作品が出ていますがその中でもこの3が最高傑作とも呼ばれているだけに自分も楽しめ、そのゲーム性からストーリーまで文句なしに人に薦められる出来でした。
 このゲームをやったことのある人なら話が早いのですがこの作品のテーマはサバイバルにあり、戦場で蛇やカエル、蝙蝠、果てにはツチノコまで捕まえて時に捕食し時に敵兵へ投げるなどして遊べますが、食べる際に主人公であるスネークは様々な反応を見せ、「まっずぅ……」と言うこともあれば「もっと食わせろ!」、「最高だぁ!」などと大塚明夫氏の渋い声で見事な演技ぶりを見せてくれます。

 そんなこのゲームの後半には主人公に加えヒロインを同行して戦う場面が入ります。ヒロインも主人公同様に食べ物を食べないと体力が落ちていくので蛇とかカエルを食わせるのですが、この時にヒロインがみせる反応は主人公と同様というべきか、色っぽい声で「もっと食べさせてぇ」などと言うなど様々な反応を見せます。ただ食べ物の好みは主人公と同じで、主人公が絶賛した物には同じく絶賛し、嫌う食べ物は嫌う反応を見せます。
 そんな反応を見ていてふと思ったのは、「食べ物の好みは案外、根源的な人間の相性にも影響するんじゃないか?」という点です。よく夫婦喧嘩の元になるのは食べ物の好みの違いだと聞くし、逆に好みが一致した相手とは意外と関係が続くということも耳にします。実際このゲームの主人公とヒロインはその後のストーリーだと一旦離れ合うものの後に盟友となり、最終的にヒロインは主人公のデザイナードベビーの代理母となります。

 では男女関係なく自分と相性を図る上で自分と同じ食べ物の好みを持つ相手を捜したらどうなるのか。これはまだ実証していませんが、少なくとも自分がやたら食べるカレーが嫌いな奴とは仲良くなれそうもないと思えるだけにやっぱり食べ物の好みは相性に影響するのでは、なんて思います。
 そういうわけでこの場で私の食べ物の好みについて書いていくと、まず食べられない食べ物に関してはほぼなく、出されたら一般的な範囲内で何でも食えます。辛い料理に関してもさすがに四川料理のきついのとかは無理ですが、標準的な中華料理の辛さであれば一般的な中国人同等に口にすることができ、酸味が効いたものとかでも対応できる自信があります。

 ただ苦手と言うか率先して食べないものはあり、ズバリ言うと牡蠣に代表される貝類です。貝類は食べててあまりおいしいとは思えないし身も少ないので、出されても一口しか端をつけずその後は放置することが多いです。食べられないわけではないのですが、他に食うものがあればそっちの方を優先してしまいます。
 シーフード系で言えばほかにもウニやいくらも全く手をつけません。これも食えないわけじゃないですが値段の割に身が少なく、なんか食べてて損した気になるのでパック寿司のネタに入っていれば大抵欲しがるほかの人にあげてしまいます。なお寿司ネタで言えばイカが一番好きで、開口一番にイカを5皿頼んで周りにドン引きされたこともありました。

 反対に好きな食べ物となると、既に挙げているカレーとサンドイッチが代表格です。カレーに関しては三日連続、場合によっては一週間連続でも飽きない自信があり、自分でもしょっちゅう作ればインド料理屋などにしょっちゅう通ったり、カレー専門の小さなレストランの親父とは顔見知りになるくらいに通いました。
 サンドイッチに関してはそれほど特別な感情はないものの、具材を変えれば味はいくらでも変わるので対外的に「好きな食べ物は?」と聞かれた際にこれを挙げると便利だからという理由でいつもあげています。ただこう言いながらも実生活で食べることは多く、前の会社では昼食に食べるものと言ったらコンビニで売ってるカレーかサンドイッチの二択で、周囲からもっと他のを食べたらと言われましたがコストパフォーマンス的にこれがいいと言って譲りませんでした。

 このカレーとサンドイッチが好きな食べ物の代表格であることは間違いないものの、この二つの陰に隠れて真に一番好きなのは厚焼き煎餅です。以前香港に滞在していた時に尋ねてきた友人にわざわざ買って持ってこさせたことがありましたが、久々の再会ということもあって友人とあれこれ話をしながら平気で袋を開け、そのままバリバリと食べ続けながら話し続け、結局中に入っていた八枚くらいの煎餅を友人には一枚もくれてやらずにそのまま全部平らげたこともありました。自分でもよくわかりませんが厚焼き煎餅が目の前にあると一心不乱に食べ続ける癖があり、その甲斐あってか歯もやたら丈夫に育ちました。胡桃の殻だって噛んで割るし。
 何が言いたいのかっていうと、多分自分と同じ食べ物の好みの人間はきっと少ないだろうなってことです。食べ物の味よりも栄養価で選んじゃう癖もあるしなぁ。

  おまけ
 最初に取り上げた「メタルギアソリッド3」ですが、やや難しいゲームであるものの上にも書いてある通りに文句なしで人に薦められるゲームです。声優陣もほかにかわりがいないと思えるくらいに各キャラクターとマッチしていることもさることながら、ストーリーもエンディングのラストシーンは秀逸の一言に尽きます。
 なおそのエンディングでヒロインが事件の真相を涙声の独白形式で語るシーンがあるのですが、このセリフは実際に声優が泣きながら収録したという噂があります。真偽はどうかわかりませんが、実際にそのシーンは自分も涙流しながら聞いてました(ノД`)

2015年2月3日火曜日

よくわかってない江戸時代の庶民の生活

 一昨日、日本語を教えている中国人労働者が誘ってきたので昆山市内にある周荘という観光地に行ってきました。そこで中国人労働者が焼き焼売を買って自分にも勧めてくれたので食べようとしたところ落っことしてしまいましたが、何のためらいもなく拾い上げて口の中に放り込もうとしました。「汚いからよせ!」と中国人労働者は止めてきましたが、「日本には3秒ルールというものがあるんだ。よく見ておけ!」と言って結局食べましたが、その晩にちょっとお腹が痛くなるに至り、「いい年こいて何やってんだよ俺……」とさすがに後悔しました。盛ってるようにも見えますが、実話です。
 話は本題に入りますが派遣マージン率の記事を終えてやや燃え尽き気味ということもあり、リハビリがてら歴史記事を書きます。

 私が小学校の中学年から高学年の頃、江戸時代の庶民の生活について学校で習うことがありました。その中でも特に強烈と言うか当時にして、「なんでやねん」と思ったことで、「『切捨御免』という制度によって武士は庶民を斬り殺しても処罰されなかった」という説明がありました。
 大名行列を横切ったとか高位の武士に対する露骨な嫌がらせとかしてれば無礼討ちとして確かに放免されましたが、何の理由もなく庶民を斬り殺した場合はその武士もほぼ間違いなく処刑されていただろうと現代では考えられています。しかし私が子供だった頃は、ただ単に私が無知だったせいかもしれませんが、まだこの「切捨御免」という制度が変な風に曲解され、江戸時代は武士が威張りに威張って好き放題していた時代だったという風に認識されていたのではと思います。さすがに歴史学者でないので実際に考証することはできませんが、武士が自由に庶民を殺していいのなら何故「辻切り」という言葉があるのかという疑問が出てくるため、現代の解釈の方が正しいように思えます。

 上記の例は極端なものですが、これに限らず案外江戸時代の庶民の生活がどんなものだったというのかは意外とわかっていません。もう一つ代表的な例を出すと「慶安の御触書」に対する後世の解釈で、詳しくはリンク先のウィキペディアのページを見てもらいたいのですがこの文書では農民はお茶・酒は飲むな、米も祭日を除いて食うな、煙草も吸うななどと農民の生活について事細かに指示してあり、ほんのつい最近までこの文書は江戸時代の幕法、つまり全国で使われた法律だと思われ農民は苛め抜かれていたという証拠として使われてきました。しかし近年の研究によるとこれは甲府の一部地域で配布された、どっちかっていうと農民生活のスローガン的な文書だったようで、実際にはほとんど出回っていなかった上に当時の農民も素直にこの文書の指示に従っていたわけなかったようです。普通に考えて、お茶もお酒も飲まずに農業なんてやってられっかよと禁酒法時代のアメリカを見るにつけ思います。

 このようにほんの200~300年前の生活すら現代では案外理解されておらず、どちらかと言うとプロパガンダに使われるような形で変な誤解が広まっていることも少なくありません。武士と違って作法や礼節、日記など残っている文書資料が少ないこともあってか、それほどまでに庶民の生活というのはわかっていない部分が広かったりします。
 もっともそのような暗黒大陸的な庶民生活も近年は研究が進んでおり、たとえば私が直接大学で授業を受けた講義では、離島における寺子屋の進学率から識字率を導きだし、当時の日本は約4割、男子に限ると8割くらいは寺子屋で読み書きを習って識字できたという研究結果を聞きましたが、意外に感じると共に、逆に当時は多くの人が文字を読み書きできなかったという根拠も確かにないなという具合で納得しました。

 あとこれは以前に雑誌で読んだ記事ですが、江戸時代というととかく女性の地位が低かった時代に思われがちですが、武家の女性はともかく庶民は必ずしもそうではなかったとする研究も出ています。その研究によると、当時の男女の結婚の際は仲人が両者が保有する財産をしっかりと記録を取り、もし離婚となった場合にはその記録に基づき妻の財産を夫が必ず返却しなければならないという習慣があったそうです。
 またその離婚を行う決定権は江戸時代は男性側にしかなく、DVなどでどうしても離婚したい女性はそこに行けば無条件で保護される「駈込寺」に行くしかなかったかのように時代劇などで描かれていますが、場所や地位によっては必ずしもそうではなく、女性の側から夫に三下り半を突き付ける例もあったそうです。中には逆に妻からのDVから逃げ出し、「頼むから妻と離婚させてくれ」とお寺に駆け込んだ夫がいたという話も伝わっており、案外こっちの方が現実味があるというか人として自然な姿なんじゃないかなと妙な真実味を覚えます。私なんかむしろ、明治から終戦までの日本人の方がそれ以前、以後と比べて日本人として特別だったのではと考えていますし。

 まとめとしましては武家や公家といった社会的に高い地位の人間の生活はそこそこ研究されているものの、地べたの庶民の生活はそれほど研究史料も多くないこともあって案外わからないことが多いということです。なおこれは江戸時代以前となるとよりわからなくなっており、鎌倉時代や室町時代の農民や町人の生活となると、せいぜい1日2食か3食か程度しかわかってないんじゃないかと思います。
 なおこうした庶民の生活を知る上で最大の手掛かりとなるのは、恐らくは外国人による見聞録でしょう。外国人というのはいい意味でその土地の習慣になじんでいないため、れりごーなままの情景を日記などに書き記してくれることが多いです。室町後期であればキリスト教宣教師が代表格ですが、戦後に上野に来て日本人の生活を分析した英国人社会学者であるロナルド・ドーア氏の論文は私も読みましたが、「ああ、こういうところは当たり前すぎて俺たちにはわからないかもな」と感じるくらい示唆に富んだ内容でした。

  おまけ
 ちょっと検索かけたら、ロナルド・ドーア氏が昨年11月にまた本を出していたようです。噂には聞いてはいたが、本当にタフで元気な人だなぁこの人。

2015年2月2日月曜日

秋葉原通り魔事件に関するムカつく毎日記者の記事

 書くことと言ったら昨日中国人労働者と周庄という観光地に行って三つ足の蛙の置物を買ったくらいしかないので、ちょうど本日当事者の死刑が確定したのもあるので、先日書こうと思って一旦は放置した毎日新聞記者が秋葉原通り魔事件について書いた記事に文句書こうと思います。ここまでストレートに嫌悪感出すのも自分にしては珍しいな。

7人が死亡した無差別殺傷事件 「秋葉原事件」とは何だったのか(THE PAGE)

 2008年に起きた秋葉原通り魔事件の詳細については省きますが、この事件について取材したという毎日新聞記者の伊藤直孝氏がTHE PAGEでこの事件について寄稿したものが上記記事です。なんでこの記事をいちいち取り上げるのかと言うと、上にも書いている通りに一見して非常強い不信感と腹立ちを覚えたからです。どの点が不満だったのかと言うと、このライターがどうしても犯人は社会に不満があったため事件を起こしたという風に話を完結させたいようにして書かれてあり、客観性がまるで見えないからです。
 まず最初にカチンときた点を引用すると、

「進学校の青森高に進んだが、母親への反発から四年制大学に進まず、短大を経て宮城、埼玉、青森と非正規雇用を転々とした。事件前年の07年には静岡県の自動車工場で派遣社員として働き始めた。
 08年5月末、加藤被告は上司から派遣契約期間を6月末で終了すると伝えられ、6月5日には職場で作業着が見つからず怒りをぶちまけ帰宅。職を失った。不安定な若者が行き場のない怒りをぶつけたように見えた事件に、ネットでは共感の声があふれた。」

 この箇所を見てピンと来る人なんてまずいないでしょうが、犯人は確かに派遣社員でいた期間が長かったですが事件の一年前には正社員としての就職を果たしていたというのにそうした事実については一切触れず、常に非正規雇用と言う不安定な立場でストレスをためていたような書き方が成されているように私には見えます。この正社員でいた、そしてそれすらも自己都合で退職したという事実は犯人の動機を考える上でもなくてはならない要素だと思えるのに、それすらをスルーするというのは私には理解できません。
 続いて気になった箇所はこちらです。

「加藤被告は、現実では決して孤独ではなかった。中学時代は2人の女子生徒と交際。青森の幼なじみとは一斉メールで連絡を取り続け、静岡では同僚と居酒屋に行き、秋葉原で遊んだ。『リア充』な生活の一方で、掲示板にのめり込んでいく心情は理解しがたい。」

 こっちはまだピンとくる人も多いのではないかと思いますが、「リア充」という言葉の意味をどこかはき違えていないかと言う気がします。でもってそんな充実している生活している人間が掲示板にのめり込むはずがないと言いますが、それこそそんなの人それぞれじゃないかと思え勝手にだkれ家が判断することじゃない気がします。
 そして最後の結論部に至っては、

「秋葉原事件は、孤独を恐れる弱い若者が、並外れた行動力を発揮してしまったゆえに起きた、極めて不幸な事件だった。」

 と断定してくれています。友人も少なく、中国で毎日ネットでブログ書いたり派遣企業調べてる私はどうだってんだと文句の一つくらい言ってもいい気がしますし、行動力も自分は並外れている自身があるけどこういう事件起こせってのか。

 要旨をまとめますが、この記事は全体を通して「犯人はネットにしか居場所のない孤独な人間で、不安定な雇用形態といったストレスと相まって事件を起こした」というこじつけを徹頭徹尾押し付けるかのような印象を覚えました。しかし私は、以前に書いた記事でも書きましたが犯人も手記でこのような理由を否定しており、ただ単にネット掲示板で成りすましを受けて腹立ちまぎれに起こした事件以上でも以下でもない気がします。

 こう考えるのもこの犯人の格別に際立った特徴で、自分が感じたストレスをそのストレスの発信源たる本人には必ず向けないという大きな特徴を犯人は持っているようにみえます。辞めた会社でも人間関係に不満があると言いながらその問題の人物との関係を改善するためには何ら行動は起こさず、「抗議」と称して無断欠勤するなどして自然退職するパターンが主で、また過去に一度自殺を試みた際は、トラックで壁なり路肩なりにツッコんで自分に迷惑をかけた人間を公開させてやるん度というメールを知り合いに出しています。私に言わせるならムカつく人間の所に直接トラックで突っこめばいいってのに、犯人は絶対にそういうことをしません。
 秋葉原の事件もそうで、逮捕後に話した供述では大きな事件を起こすことで成りすましをした人物にとんでもないことをしたと思い知らせてやろうと起こしたと話しており、彼のこれまでの行動、「当事者には直接攻撃せず、関係ない所で一人勝手に大騒ぎして相手を困らせてやろうとする」という指針とピタリと一致するので、特に疑問は感じません。何故彼がこんな行動指針を持つに至ったのかについても大体想像はつきますが、自分はそこまで残酷な人間ではないのでその仮説は敢えて書かずにおきます。

 話しは毎日のライターに戻りますが、はっきり言って彼は事件をちゃんと取材したのかとても疑問に感じます。分析に何の着眼もないどころか最初の引用文中にある、「08年5月末、加藤被告は上司から派遣契約期間を6月末で終了すると伝えられ、6月5日には職場で作業着が見つからず怒りをぶちまけ帰宅。職を失った。」という記述に関しても、私の記憶が確かならその職場では一旦は派遣社員に対して契約を6月末で打ち切ると通告したものの、その後延長することになったと犯人を含む従業員は再度通告されており、そうした事実を書かずに都合のいい部分だけ切り取るのは如何なものかと感じます。それこそ、まるで派遣契約の打ち切りがきっかけになったような書き方に使うなんて。

 最後にこの犯人の経歴が明らかになって事件直後はネットを中心に不安定な雇用に喘ぐ若者から共感の声が上がったと書いていますが、私はそんなことはなかったと思います。確かに一人や二人は変な奴が賞賛してましたがそれはあくまで例外というような変な人間で、むしろマスコミの方が犯人を「不安定な雇用に喘ぎ、社会に復讐しようとした抵抗者」に仕立て上げようと遠回しに賞賛していたような印象を覚えました。この毎日の記者の様に。

 以上が私の言いたいことすべてですが、所詮は毎日というか、風の息遣いを感じられると妄想するだけのレベルだなと思います。犯人の動機について私の仮説の方が絶対正しいなんて言うつもりはありませんが、少なくとも事実を都合のいいように切り貼りしているこの記者よりはまだ物事を客観的に見ているよと言うだけの自信が自分にはあります。