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2008年4月9日水曜日

日銀総裁不在について

 今回も、マスコミがどこも突っ込まないので私が一応突っ込んでおきます。

 ようやくまた動き出した日銀総裁人事ですが、前福井総裁が任期切れになる直前に自民党側は、
「日銀総裁が不在となると、世界のトレーダーから日本のマーケットの信用が下がる」
 と言っていましたが、なお不在の現在でも、はっきりと総裁不在による株価等への影響は見られません。肝心要の為替相場も、そのような辺土の原因指摘は全くされてきていません。

 まぁ影響がなかったといえばそれはそれでよかったというべきなのでしょうが、裏を返して言うと、日銀総裁人事はそれほどまでに世界から相手にされていないということになります。それに対して危機感も持たなければ対策も考えず、未だにあれこれ人事でもめているというのも呆れた話です。そしてなにより、この点を追求しないマスコミが一番私を呆れさせます。

2008年4月8日火曜日

ヘキサゴンを見て

 このところよく「クイズヘキサゴンⅡ」という番組を見ています。もっともこの番組は私に限らず番組内容を改編して以降は視聴者が増え、他の放送局もこれに習ってクイズ番組を新たに始めるくらいの人気振りです。
 自分が見ていてこの番組は、構成が非常にうまいように思えます。というのも、クイズ番組ではややもするとクイズに勝ちやすい、ラサール石井のような賢い人間ばかりが目立ちがちなところをチームバトルにすることにより、クイズであまり正解を出さない、いわゆるおバカ組もアピールさせた点は評価されるべきでしょう。まぁ昔から野々村真はいるけど。

 そんなこの番組でちょっと前の放送にて、賢い人とおバカな人が二人一組になり、問題の回答を前後に分けて回答するコーナーがやってました。たとえば問題が「釣りで釣り上げた魚を戻すことは」でしたら答えが「キャッチ」「アンドリリース」というように分けて答えるようなシステムです。
 するとこの回答方法だと普段は珍回答を連発するゲストがびっくりするくらい正解率が高くなりました。その正解率に司会の島田伸介も、「こいつら一応しっとる事はしっとるんや。けど問題と回答が頭の中で結びつかへんねん」と見立てていました。

 この伸介の言葉はなかなか納得させられるものがあります。私自身、よく人に何でも知っているとよく言われますが、その源泉はというと、短いキーワードから適切な言葉を抜き出す技術の差だと常日頃から感じます。たとえば「レモン」という言葉をきくと、多分一般の人は果物を考えると思いますが、自分なんかは梶井基次郎の小説「檸檬」が浮かび、その舞台となった丸善とかをすぐに考え始めます。こんなんだからよく考えが空回りもするんだけど。

2008年4月5日土曜日

野球について

 今まであまりスポーツとしてはやってきてはいませんが、私はそこそこのプロ野球ファンです。なったきっかけは大学時代の友人でえらいヤクルトファンがおり、彼の話を聞く傍でゲームのパワプロをやりはじめたことにより愛好者となりました。

 そんな自分の好きな球団はというとソフトバンクホークスです。理由はバランスのよさと、総合力の高さからで、ホークスの中では和田、川崎選手が好きだと、割と面食いなんだなと自覚させられます。
 しかし全球団で見るなら、阪神の藤川球児選手がダントツで好きです。理由はテレビで初めて彼のストレートを見たとき、一瞬変化球かと見間違えるほどの軌道に一度に魅せられたのがきっかけです。ついでに同じ阪神だと、現在売り出し中の岩田投手も応援しています。

 往年の選手だと、この前もちょこっと書きましたが桑田投手もとても好きです。この前も同じことを書きましたが、本当に去年の今頃は心身ともにえらく落ち込んだ頃で、その中で桑田投手が怪我から復帰し、メジャー昇格を果たしたというニュースに勇気付けられ、毎日大泣きしながらテレビを見ていたほどです。

高校教育での歴史

 以前にニュースになっていましたが、一部の自治体で高校科目の「日本史」を必修化しようという動きが始まったらしいです。最初に結論を言うと、私もこの動きを支持します。

 現在の日本の教育制度では、高校生は社会科でまず「世界史」が必修となっており、確か一年か半年は科目として受けないと卒業資格を得られないはずです。そのため、確か2004年度に各学校で受験科目として必要としない文系の生徒らが受講しておらず、卒業できないということで大騒動になりました。まぁぶっちゃけ、今まで文部科学省も見て見ぬふりを明らかにしていたけど。私の知り合いの公立高校の出身者は文系だけど、やっぱりやっていなかったし。

 この世界史ですが、私自身は私立高校の出身者ですけどちゃんと受講していたのでしたが、その世界史の先生が授業中に、「自国の歴史が必修になっていない国なんて、日本くらいだ」とつぶやいていました。
 私自身は自他共に認める歴史マニアなのでそうではないのですが、確かに中にはいい年した大人なのに、全く日本史がわかっていない人をよく見かけます。また大学生レベルでも、前述の問題の影響なのか、受験時に世界史や地理を選択していた人は驚くくらいに日本史をわかっていません。もちろんその逆に、日本史の選択者は世界史をよく知りませんが。
 一例を挙げると、日本史選択者はイスラム教がよくわからず、シーア派とスンナ派が区別できずにニュースがわからなくなり、世界史選択者は日本文化史の話になると全くわからなくなるので、奈良や京都の偉大さが理解できないというような具合で。

 確かに冷静に考えてみると、先ほどの先生のように自国の歴史も学んでいない大学生が量産されるというのは一体どんなに国なのかと改めて不気味に感じます。そもそもなぜこのようなカリキュラムになったのかというと、建前上はグローバル社会に対応するために世界史が最も必要とされるとのことらしいですが、本当は日本史も必修にしたいのだがそうしたら同じ社会科の地理だけが不公平を食らうから、なんだかわけのわからないうちに世界史だけ必修となったようです。

 私は歴史が好きなことと、とある事情で大学受験時に社会科目が二つ必要だったということから世界史と日本史を両方学んで、それぞれで自分で言うのもなんですが相当な点数を毎回の模試であげていました。その一方で数学などはぼろぼろでしたが両方の歴史を勉強した身の上で言うと、やはり片方同士では非常に中途半端な気がします。理想としては両方を一つの科目にして「歴史」という科目にまとめるべきだと思うのですが、歴史の得意な自分が言っても、苦手な人のことを無視しているようであまり説得力はありませんね。

 妥協点としては両方を一応一通りやる中学生の間に、もう少し範囲を広げてしっかり学ばせるの、もしくは最初に挙げた自治体のように、せめて一年間は必修にして学ばせるというのがよいと思います。
 そしたら地理は? ということになりますが、ちょっと厳しいですが倫理や現代社会と同じ部類に落とすのも仕方ないと思います。だって、やろうと思えば中学時代に詰め込めそうだし……。

2008年4月3日木曜日

邪悪とは

 もし誰かに、何が善で何が悪なのかと聞いても、あまりはっきりとした返事は返ってこないでしょう。それこそ中には、「見方によって変わるのでは」というような意見を言われるかもしれません。
 この「見方によって変わる」ですが、至極その通りだと私も思います。昔に私が書いたエッセイの「善悪二元論」においても、「光があるから影があるように、善の概念なくして悪の概念はない」というように、相対的であるがゆえに逆転もままあるという定義の仕方をしています。

 しかし、あるマンガにおいては言い訳の仕様もない悪の定義がはっきりと示されています。そのマンガというのも、マンガ好きなら何かしら触れた事のあるであろう「ジョジョの奇妙な冒険」です。

 では、何がその「悪」なのでしょうか。それがはっきりと示されたのは第五部にて、組織のボスの命令に従っていたところ、肝心なところで裏切られたキャラクター、ってかブチャラティが、
「吐き気をもよおす『邪悪』とはッ!何も知らぬ無知なる者を利用する事だ!自分の利益だけの為に利用する事だ!父親が何も知らぬ“娘”を!てめーだけの都合でッ!許さねえッ!あんたは今、再びッ!オレの心を裏切ったッ!」
 と、言うシーンです。
 作者の荒木氏も、「悪の定義は人それぞれに違うし状況で変わってくるけど、“他人を踏み台にする人”、これは絶対に、誰が何と言おうと悪だと思う」と言っており、この主張は作品全体を通して貫かれています。
 
 この考え方に私も同意です。他人を自分の利益のために利用する、これだけは何が何でもやってはいけないし、そんな考え方をする人間は絶対に許してはならない。自分は長生きをするつもりはありませんから、せめてそんな邪悪な人間を道連れにして死ねればいいと、常日頃から考えて生きています。

なぜ中国をかばうのか

 何もここで取り上げなくとも、各所でチベットの暴動問題に端を発した五輪開会式ボイコットの議論がかまびすしく行われています。しかしこれらの動きに対して反動ももちろんあり、主に政治家などが中国をかばうような発言をして、それに対してネット上ではあれこれ非難の応酬が続いています。

 さて今日のお題の中国をかばうですが、2ちゃんねる等を見ていると自民党の加藤紘一議員などは「媚中派」等といわれて常に批判されていますが、私は以前に友人から、「なぜ自民党の政治家達はあれほど中国のことを良く言うのかな」という質問をされたことがあります。これに対する回答は実ははっきりしていて、私が見るに中国の文化力にあると思います。

 以前、あるアメリカ在住の中国人が自身のブログにて、「日中戦争は中国共産党も日本軍と同罪だ」という内容の記事を発表したことがありました。この人が言うに、「日本軍は中国で散々虐殺をやってきたが、共産党も戦時中に国民党と内戦したりして同じ中国人を大量に虐殺した。日本は言うまでもなく有罪だが、それならば共産党も同罪だ」という内容で、発表された当初は予想通りに中国国内から激しく批判されました。
 しかしこのブログはその後、「たとえ日本が中国全土を占領したとしても、結局は中国化しただろう」というようにまとめており、かなり重要なポイントをついていました。

 かつて、中国において漢民族を支配した異民族はたくさんいました。それこそモンゴル人や満州人、マイナーどころだと契丹人など。こうした異民族はそれぞれ中国国内に王朝なども作りましたが、結局は滅んで今は中国国内の少数民族としてそれぞれ扱われています。彼らが滅んでしまったのはなぜか、それは中国の文化に次第に染まっていってしまったことにあると指摘されています。
 それこそ「元」を作ったモンゴル人など、当初でこそ中国人お構いなしに彼らが使っていた言語を宮廷で話して独自の文字などを作ったのですが、時間の経過とともにそれらは段々と用いられなくなり、最後にはみんなで中国語と漢字を使うようになっていきました。満州人も同様で、彼らなんて後期には満州語までわからなくなったとまで言われています。

 このように、中国の文化力というのは他の文化を自然消滅させるほどにあくが強いとされています。そのため征服した王朝は知らず知らずのうちに中国人化してしまい、最後には内部崩壊を起こして中国人の基に天下は帰ってくると言われています。
 なぜこれほど強いのかは単純で、中国語と漢字を使う漢民族の人数が果てしなく多いからでしょう。まぁそれ以外にも文化的な色々な要素がたくさんあるでしょうが、私自身、この中国文化の強さを実際に目の当たりにしています。中国に来る日本人留学生は大体三ヶ月もすると、最初は中国のマナーの悪さなどを批判するのですが、最後には歴史のある国だとか、やはりたいした所だなどと、急に褒め始めたりします。

 よく国会議員のぶら下がり新聞記者などは、人間的魅力にあふれる国会議員について回るうちに、いつの間にかその議員を贔屓した目で見るようになり、中立的な記事が書けなくなるようでそのことを「政治家に淫する」というらしいのですが、どうも中国についてもそんな気がします。現自民党の「媚中派」と呼ばれる政治家も、政策やら使節やらで中国と関わっていくうちにそれこそ段々と「淫して」、現在のように異様にかばい立てするようになったのだと考えています。ちなみに、加藤紘一議員は外務省時代はチャイナスクール、つまり中国方面の外交官だったという経歴の持ち主です。

2008年4月2日水曜日

兵隊の一割に関する話

 いきなりですが、2:8の法則を皆さんご存知でしょうか。通称パレートの法則といってあちこちで語られているようですが、どうやらそのほとんどは通説の域を出ない、元の法則から乖離したデマのようです。
 たとえば、働きアリは全体の二割が巣穴の中で働き、残りの八割はほとんど働いていないが、その働いていないアリだけを集めると、またそのうちの二割が今度は働き出すとか。この説を使って、企業組織内でも社員の二割が実際には働いていて、残りは働いていないとか。まぁこう書いていて、うそ臭い話だと思います。

 しかし、この考え方がうまく適合できる例もあります。
 かつてのアメリカの調査によると、太平洋戦争中に実際に銃の引き金を引いたアメリカ兵は全体のほんの一割程度だったようです。それ以外は全くといっていいほど銃を撃たないか、そのまま敵に撃ち殺されるだけだったらしいです。この統計は日本軍でもほぼ同様に起こっており、言ってしまえば兵隊の中の勇ましい一割の兵士同士がドンパチやっていたというのが、過去の戦争の実情だったようです。

 しかしこれではほとんどの兵士がつれてくだけ無駄だ。そういうことでアメリカ軍はこの反省を生かし、心理学的見地による軍隊教育を施し、ベトナム戦争ではこの割合を四割以上にまで引き上げたという話を聞いたことがあります。ちなみに、この軍隊教育というのは単純に映画「フルメタルジャケット」の中で行われているようなもので、要するに自分も他人の命も守るに値しない、殺して奪い取ってもかまわないという概念を無理やり植えつけるというやり方です。

 ここで私が何が言いたいのかというと、それこそ特別な意識や逆境に追い込まれ、普段は全体の一割程度の兵士しか戦わない軍隊が本気になって十割全員で戦った場合はどうなるか。もしそうなった場合、理論上は十倍もの兵力差のある敵軍に対して勝利することもありうるということになります。歴史上に数多くある寡兵にて大軍を破る史実も、それこそ背水の陣ではないですが状況次第ではありうると私は考えています。

 なお、さらにさらに話を深めると、基本的に同種の生物同士はリチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子論」の言うとおりに、種の保存目的の観点から互いに殺しあうと深いストレスを感じるらしいのですが、人間はどうも全体の一割程度、殺人を犯してもそのようなストレスを感じないタイプが生まれてくるらしいのです。そのほとんどは殺人なんて滅多な体験をせずに、己のそのような特性を自覚せずに死んでいくのですが、ひょうなこと、それこそ戦争などを経験することによってその特性を自覚してしまい、そのまま殺し屋とか戦争屋となったり、精神に異常を持つようになるそうです。
 この話も、先ほどの太平洋戦争の一割の話ときれいに一致します。また、そうした特性のない人間に無理やり殺人を冒させる、先ほどのベトナム戦争の例などを行うと、大抵はその後に精神面で問題を起こし、生活が破綻していくようです。

 自分は心理学という学問が大嫌いなのですが、この話は数字的にも他の説と一致することも多く、また説得力の高い精緻な意見なので非常に気にいっている上、含蓄の深い話だとして解説することが多い話です。