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2008年7月31日木曜日

福田首相、内閣改造のニュースについて

 七月の初めの頃に政治評論家の三宅久之氏がテレビタックルにて、
「八月に臨時国会を開くから、七月中には内閣改造をやるだろう」
 と述べていましたが、生憎一日過ぎてしまいましたが案の定、明日福田首相は内閣改造を行うことを発表しました。
 ちょっと話がそれてしまいますが、予想というのは運の要素もあるので当たり外れは実力以外のところで決まってしまうこともあります。しかし先ほどの三宅氏の予想は「八月に臨時国会を開くから」という根拠があり、こういう根拠、理屈のある予想というのは外れたとしてもその後の状況理解などに役に立ちます。いい予想か悪い予想かというのは、なぜその予想が立てられるのかという過程がしっかりしているかにかかっていると思います。ま、臨時国会は九月に開かれることが今じゃ濃厚だけど。

 さてこの内閣改造ですがマスコミの報道を見ていると、「支持率の挽回のため」という言質が多く、どれも就任が予想される閣僚については口を曖昧にしています。スポーツ新聞なんかは今回の改造の目玉となっている町村現官房長官の処遇についてあれこれ書いているのですが、ちょっと全国紙などはこんな状態では情けないところです。

 そこで今回の改造の目玉ですが、別にわざわざ書くまでもないのですが、やはり厚生大臣の桝添要一氏と行革大臣の渡辺喜美氏の行方でしょう。私の評価はどっちもそこそこがんばっているのですが、特に後者の渡辺氏などは降格される可能性が高いように思えます。恐らく空気の読めない福田首相のことですから、自分とそりが合わないという理由だけで降ろしかねません。多分国民も馬鹿じゃないので、この人を降ろしたら支持率は今以上に下がるでしょう。福田政権の閣僚は桝添氏と渡辺氏を除くとどれもキャラが薄いので、この二人がいなくなれば多分不信感の方が大きいのではないかと思います。

 そういった背景もあり、とても「支持率の挽回」など狙える改造ではないと思います。それこそ小泉元首相のようにマスコットの女性を多く起用するとか、前首相の安倍氏などを拉致特命大臣にもってくるなどのサプライズがなければ支持率はさらに下がる可能性の方が高いでしょう。まぁここは安倍氏とは逆に、外交通を自称している加藤紘一か山崎拓を拉致特命大臣にしたらすごく面白いんだけど。いま「がいこう」って打ったら「害交」って出てきたよ。

 最期に一番の禁じ手を書いておきます。元防衛大臣、久間章夫を持ってくることです。この人については日テレなどが沖縄利権の問題をしつこくかぎまわっていますから、いきなりスキャンダルということもある爆弾です。まぁさすがにそこら辺は分かっているでしょうけど。

インフルエンザ増殖細胞の特定についての続報

 まずはこの二つのニュースを見てください。

新型インフルエンザ、ウイルス増殖に必要なたんぱく質、東大チームが特定
インフルエンザウィルス体内増殖の構造解明

 まず出てきた私の感想というのが、「どっち?」というのです。
 以前にこの話題について「インフルエンザ増殖原因を特定」の記事で紹介をしていますが、恐らく時期的にも内容的にも、私が取り挙げたのは前者の東大チームのニュースでしょう。私がソースに使ったのは朝日新聞で、ネットのほうでは毎日新聞のようですが、つい三日前に出たおなじく毎日新聞がソースの後者のネットニュースのほうでは、なにやら横浜市立大学の研究チームが成果を発表しています。

 もしかしたら、複数の大学の共同研究なのかもしれませんが、それにしてもちょっと妙です。東大の方は七月十日付けの科学雑誌「ネイチャー」で成果を発表しているのに対し、横浜市大の方では七月二十七日付けの同じく「ネイチャー」で発表しています。共同研究ならこんな回りくどいことはしないように思えます。
 そんなもんで妙に思い、よくよく原稿を読んでみると、東大の方では「鳥インフルエンザ(H5N1型)、Aソ連型(H1N1型)ウイルス」の増殖を助ける三種類のたんぱく質の特定で、横浜市大の方では三種類のたんぱく質の立体構造を解明したそうです。記者の人も気を利かせて、もうすこし情報をパッケージングして書いてくれれば分かりやすかったのに。それにしても、紛らわしいニュースだ。

WTO交渉決裂について

 このところ批判ばかりしていたからそろそろ朝日を誉めてあげないとと思っている矢先に、また批判するような記事を出してきました。すでにあちこちでも報道されていますが、昨日のボクシング世界王者選で内藤選手が見事防衛を果たしたところへ、亀田興起がリングに勝手に乱入した件について今朝の朝刊で、

「内藤側も亀田戦に前向きで、挑戦者の選択権も持つ。内藤対亀田が実現する可能性は高い」

 多分、この記述の「内藤側も前向き」というのはなんの裏も取ってないで書いたのでしょう。今日の内藤選手の会見ではジムと相談しなければならないと慎重な姿勢も見せていますし、それより記事全体に亀田家への批判が金平ジム会長のインタビューしかないのもどうかと思います。朝日、空気を読め。

 とまぁこんなのはどうでもいい話で、早速本題のWTO(世界貿易機構)にて関税範囲を決める交渉が諸国の合意が得られず、会議が流れたニュースについて解説します。率直に言って、私は今回合意が得られなくて私は万歳三唱をしました。というのも、交渉が流れたおかげで農産物に対する関税範囲が維持できたからです。

・ジャパンタイムス 「Farmers welcome collpse WTO talks

 今のところ確認ができる中で、このWTOでの交渉決裂についてきちんと背後関係や問題点を解説しているのはこのジャパンタイムスの記事くらいでしょう。さっきに挙げた今朝の朝日新聞社説も、「合意へ、出直しを急げ」と、はっきり言わせてもらうがトンチンカンもいいところな社説を出しています。

 今回、日本にとってこのWTO交渉で主要課題だったのが、高い関税をかけて自国の産業を保護する「セーフガード」の農産物への適用割合を日本側が主張する全農産物の8%と、欧米側が主張する4%の間の綱引きでした。交渉の途中、日本側は日本が競争力を持つ工業製品に対する関税割合を下げる代わりに6%で妥協する姿勢を見せましたが、報道で確認する限り、やはり4%で押し切られそうな状態だったようです。

 この割合が低くなる、つまり農産物への関税が減らされると、以前の記事の「日本の猫の目農政」で書いたように、ただでさえ追い詰められている日本の農家がさらに追い詰められることとなり、日本の農政問題が絶望的なまでに悪化する恐れがありました。英語が読めない人のために解説すると、上に挙げたジャパンタイムスの記事では農業組織の人間たちが今回の会議が流れたことによって、ほっと胸を撫で下ろしたということが書かれています。

 結果的には会議が流れたことによって、関税範囲が現状維持(今も8%なのかな。この辺りは確認してませんけど)されることが決まりました。なおこの記事の後半にはある自動車会社の公式発表も載せられており、結果的に工業製品の関税引き下げが達成されずに残念だと述べていますが、現状で日本の農業は大赤字です。それに対して工業製品輸出は去年にはどこも過去最高利益を更新しています。両者を見比べるなら、私は弱い方につきます。

2008年7月30日水曜日

二変数で見る国家の主義、体制


 今回紹介するこの図はかなり昔……構想的にはもう六年も前に作った図です。まずはその成り立ちから説明します。

 そもそも、右翼と左翼とは一体何を指すのでしょうか。中国では選挙がないという話をすると驚かれるくらいこのところの若者はあまり政治意識が高くないので、きちんと理解していない人も中にはいると思います。しかし、かえって現状では分からないと言う方が正解なのかもしれません。
 というのも、もはや国家の主義や体制を見るときに右翼や左翼といった二項対立では測れなくなっているからです。単純な比較でも、国の資産を国民全員が平等にばら撒くための政策が重んじられたバブル期以前の日本と、勝ち組負け組をはっきり分けるための政策が続いている現在では、もはや同じ体制とは言いがたいものです。しかも日本の場合に面白いのは、ここ十数年でそれだけの変化が起きているのに、政権の担当者は昔も今も同じ自民党、つまり右翼政党で変わりがないという点です。さらに言うと、変わっていく政策の非難者というのが旧来の自民党勢力、現在の国民新党などの勢力です。

 主義的に見るならば、両者はどちらも右翼です。ですがその掲げる政策は真逆とも言うくらい違っています。ではどんな点が違うのかというのを表したのが上記の図です。この図は縦軸が掲げる経済政策を表し、横軸が権力を構造する政治体制を表しています。
 ひとつひとつ説明していくと、グラフの左下の「階級主義」、「統制経済」の極にいるのが旧ソ連です。その根拠というのも、政治的指導者は共産党が一手に握っており、経済も配給制の元ですべて国家が管理していたためです。その真逆の右上にある、「民主主義」、「自由経済」の極にいるのはアメリカです。アメリカは言うまでもなく選挙は非常にオープンで、なんだかんだいって自由と平等にうるさい国です。そして経済政策も競争の重要性を掲げ、規制なりなんなりのすべての撤廃を掲げています。

 こんな感じでこの図は見ていきます。なんでこの図が必要なのかというと、先にも言ったとおりこれまではこの図でいう左下から右上への直線、右翼か左翼か、資本主義か共産主義かで語られてきましたが、アメリカと北欧諸国の関係のように、同じ民主主義陣営の中でも経済政策に大きな違いを出す国もあれば、かつては共産主義陣営に属していながらも、経済政策はもはや資本主義国同然でグラフの左上に位置する中国のような国も現れてきました。これほど状況が変化していながらも、右翼か左翼かという二項対立で議論するのはもはや不毛です。実際に論壇を見ていても、未だにこの二つの枠に当てはめ意見する討論家がおり、議論を訳の分からないものへと向かわせております。少なくとも、国家体制と経済政策の二変数は議論する上で欠かせないでしょう。

 そしてこの図はなにも国家だけにとどまらず、政治家にも適用できます。先ほど言った自民党内の意見の違いや現在の社民党の位置のあやふやさ、果てには論壇の人間の立ち位置というのにも使えます。たとえば私の好きな佐藤優氏や鈴木宗男氏なんかは右下の「社会民主主義陣営」に属すでしょう。そして小泉純一郎氏や安倍晋三氏、竹中平蔵氏はというと右上の「自由民主主義陣営」に属します。両者の対立点はまさにこの点で、ここ十数年の日本の変化も下から上への変化だ、というのが私の持論です。

 なお、この図は便宜的に私が簡単にまとめたものです。枠の位置と距離は必ずしも程度を表しているわけでもなく、敢えてアメリカと旧ソ連を両極に置いて作っています。
 さらにいうと、実際にはこの二変数でもまだ不足しています。たとえば外交政策が「融和」か「タカ派」かでも変わりますし、国民政策が「多民族主義」、「単一民族主義」でも変わってきます。そういった多変数の分析を行い国家を見ることこそ、国際政治学では非常に重要になってきます。

ウィキペディアで削除された秀逸記事

 このところ誰でも書ける記事ばかり書いてきたので、たまには自分にしか書けない記事でも書こうと思います。

 さて今回のお題のウィキペディアですが、このブログでも何度も引用しており、非常に愛読しているホームページです。このウィキペディアは佐藤優氏などは「情報が断片的で、体系的な知が身につかない」と批判していますが、一回見聞きすれば大抵のものは暗記できる私の能力とは非常に相性がよく、近年の私の知識力の向上に一役買っています。
 しかし残念なことに、このウィキペディアは誰でもどんなページでも編集できてしまうため、中には秀逸だった記事が削除されてしまうことも少なくありません。そこで今日は、削除されてしまって今はもう見ることのできない秀逸な記述を、私が記憶している範囲で紹介します。

1、スバル・インプレッサ
 このインプレッサという車は初期型のGC型なんか、私が最も好きなデザインをしています。現在ではモデルチェンジを繰り返してすでに三代目ですが、初代のGC型はとても格好いいのに、二代目のGD型となるととても同じ車とは思えない、言っちゃ悪いですが非常にダサいデザインへと成り下がりました。実際にプロのレーサーも二代目に変わった際、デザインはもとより走行性能も低下したと酷評していました。

 そこで肝心の削除された記述ですが、この二代目インプレッサの部分でデザインが酷評された経緯を書いた記述が丸々削除されていました。覚えている内容は、

「二代目インプレッサは登場とともに大きく変わったデザインが不評で、「丸目」、「デメキン」、「ボスボロット」などと揶揄された」

 という感じでした。面白い記述だったのに、消したのスバルの人間じゃないかな。


2、2ちゃんねる
 さすがにこれだけ閲覧者の多いサイトの記事ともなると、更新も非常に多いです。多分、私がじっくり腰据えて読んだ時が最も記述が多かった頃だと思う。

 そんなわけで詳しい説明は省いて削除された記述の紹介ですが、まず一番もったいなかったのは「2ちゃんねら~の性質」というような記事です。この記事では2ちゃんねら~の発言や特徴などを紹介しており、自分たちを「ヒッキー」や「ニート」などと呼び合いながら罵り合う自虐的な言動が多いことを指摘したり、「しない偽善よりする偽善」という2ちゃんねる内の言葉を引用するなど、なかなか参考に足る意見が数多かったのですが、今となっては跡形もありません。

 次に消された記述は、「ホリエモンへの評価」です。ここでは近鉄球団買収に名乗りを上げた頃は彼を賛辞するコメントが2ちゃんねるを席巻したが、彼の著書の中にある「女は金で買える」という言葉が紹介されるや一気に批判するコメントが上回るようになった経緯を紹介し、その後のニッポン放送買収騒動の際には保守的な日本の社会の改革者と評価する一方、ただ騒動を起こしてばかりの目立ちたがり屋という批判がないまぜになり、2ちゃんねる内ではまだ評価が確定していない(2005年頃)、というような見事な分析が……今じゃもうないんだよな。

3、小泉純一郎
 そこまで目くじらを立てるほどではないんですが、なきゃないでこの人の分析がうまくいかないので書いておきます。削除されたのは、確か「強運」という副題の記述でした。ここでは小泉氏が首相在任中に非常に強運であったことを紹介し、イギリスのブレア元首相に「うらやましい」と言わせたことが書かれていました。具体的な強運の事例として、自衛隊派遣を控えてイラクに視察に訪れていた外務省員がテロリストによって射殺された際、イラクは安全という言質が崩れ批判が集まると共に自衛隊派遣も頓挫するかと思われた時、イラクでフセイン元大統領が発見されるや一気に最初の批判が報道されなくなった、という事例が紹介されていました。

 なにもこの例に限らず、小泉氏は在任中はピンチになるやその度に強運によって守られていました。具体的な政策とは関係ないまでも、この記述が何故削除されたのか非常に疑問に思います。ああもったいない。

2008年7月27日日曜日

ライブドア事件の二審判決について

 本当なら判決が出た一昨日に書くべきだったのですが、何故か孫正義氏の記事を書くことを優先してしまいました。決して何の考えもなかったわけでなく、今日になってようやく出たメディアの反応を確かめた上で書こうと思っていたからです。言い訳じゃないよ。

 さてそんなこんだで出てきたメディアの反応です。YAHOOに出ている記事なんかは株価のライブドアショックの問題と掛け合わせたものばかりでしたが、今朝の朝日新聞の社説を要約すると、

「頼みになるのは顧客や従業員、そして社会からの支持だ。事業を通じて社会にどう貢献するか。ここに心を砕く経営者が増えるよう期待したい」

 社説の後半四行を抜き出すと以上の通りです。全体の内容も、判決である実刑を当然であるかのような、ホリエモンに対して批判的な内容です。
 さて残念なことですが、この社説も見当違いとしかいいようのない、非常にふざけた文章であるというのが私の感想です。

 この社説の何が問題なのかというと、朝日新聞がライブドアの失敗を、「顧客、従業員、社会への軽視」と判断した点で、そんなの言ったらほとんどの一流企業も同じことです。そしてなによりも、このライブドア事件の背景について全く踏み込んでいません。
 冷静に考えてみましょう、一体ホリエモンはどんな犯罪を起こして収監されたのでしょうか。多分普通の人に聞いても、思い出す人なんてほとんどいないでしょう。主な容疑となったのは、子会社への架空売り上げを利益に計上し、連結決算では本当は赤字のところを株価への影響を恐れて無理やり黒字化した、言うところの粉飾決算というのが主な容疑です。ちなみに、その際の水増しされた利益の額は53億円です。

 はっきり言いますが、こんなの当時はどこだってやってました。確かにこれまで検察も何度かこの容疑でしょっ引いたことはありましたが、ライブドアのは金額的にもこれほど大きな事件化するほどのものではなく、また判決の実刑二年六ヶ月(執行猶予なし)に相当する犯罪ではありませんでした。
 そしてなにより、この問題を一番おかしくしているのはその後に起きた日興コーディアル証券の事件です。この日興コーディアルの事件では、社員の一人がライブドア事件同様に子会社の売り上げを本体へと付け替えるというライブドア事件にて主容疑とされた全く同じ手口で、金額も約200億円も粉飾決算にて水増ししています。にもかかわらず、こちらの事件では逮捕者や処罰者は一人も出ていません。

 この温度差は一体なんなのでしょうか。佐藤優氏などはホリエモンとも直接会って話をして、何故彼が逮捕されたのかというのは、格差社会と呼ばれる今の時代で最も目立つ勝ち組だったからと断言しています。最も目立つ存在ゆえに、そんな人間を国が懲らしめれば、格差社会を是正しようとしているように見えるからだという意味ですが、私の意見も同感です。でなければ、これほどのあからさまな不公平は発生しません。単純に言うと、ホリエモンは犯罪を犯したのではなく、捕まえられるために犯罪を新たに作られたというのがこの事件のあらましです。同様に、このはめ込みはこの後に逮捕された村上ファンドの村上氏にも当てはまるでしょう。

 何故同じ犯罪なのに、こうも処罰が異なるのか。当時にも言われましたが、「処罰の違いは国(政治家)への献金の違い」なのでしょうか。どちらにしろ、この粉飾はどこからが犯罪なのか、そういった検証は未だに私は見たことがありません。本来、新聞の社説ともあろうものはこういった点に言及して追及すべきなのですが、全くこういったことに触れられていないばかりか、万人受けするように「顧客を大事にね」でまとめられても非常に困る話です。敢えて私風に言うのならば、

「頼みになるのは政治家や官僚、そして政府からの支持だ。事業を通じて政府にどう貢献するか。ここに心を砕く経営者が増えるよう期待したい」

 というのが、このライブドア事件の教訓です。なんか書いてて、産経新聞みたいな意見になったなぁ。

自分のどこに生きる価値があるのか

 これなんか私の友人は耳にたこができるくらい聞かせている話題なのですが、私は自分自身に、あまり生きる価値はないと思っています。昔から周りに迷惑ばかりかけていて、キリスト教的価値観で考えるとどう転んだって死後は地獄行き決定な人間だと思いますし、中学生くらいの頃から二十歳まで生きられればひとまず御の字かなと思っていました。そのため二十歳を超えた現在では、二十歳を超えた年数分、余分に生きてしまったと常に悔いている毎日です。

 しかし、それでも私はある一点において自分の生きる価値は非常に高いと考えています。その一点というのも、私の能力です。
 前回の記事でも書きましたが、人からよく指摘され、誉められるのは私の膨大な知識量です。事実私自身も自分の持っている知識の量には自信があり、自分という人間が死ぬことは全く惜しくはないのですが、自分が死ぬことでこの知識の山がこの世界からなくなってしまうというのは、どう考えてももったいないと考えてしまいます。同様に知識だけでなく、世の中を見たり、立案を行える思考力にも自信を持っています。

 実は先日、信長の野望をやりながらふと思ったことがありました。こういう私の生きる価値感というのは忍者に似ていないか、何故か他国の武将の暗殺成功時に思いつきました。
 もっともこれは講談の中だけの話でしょうが、司馬遼太郎氏の「梟の城」という作品で書かれている忍者のように、豊臣秀吉を暗殺しようとする忍者が、かつて織田信長によって忍者の里を滅ぼされた恨みとか天下国家のためとかという理由ではなく、自分が磨いてきた忍の技術を証明したいというためだけに警護の厳しい秀吉の暗殺を謀る、というような心理に近い匂いを感じました。。

 この価値観と真逆なのは言うまでもなく、武士の価値観です。よく言われる「葉隠」の一説にある、「武士道とは死ぬことにあり」というのは事実的にも間違いで、私の見る武士の生の価値観とは、すべてお家にあると思います。如何に自分の一族を栄えさせるか伝えるか、そのお家のために自分は歯車となる、というようなのが日本の武士の価値観だと私は考えています。言ってしまえば、あくまで講談の中だけですが忍者というのは自分の技術のために生きる個人主義なのに対し、武士というのは家族主義、ひいては全体主義的な価値観ではないでしょうか。

 どちらも自分個人が生存する価値観というのは希薄です。忍者は、くどいようですが講談の中では仕事を完遂することが主目的で、そのために自分の命を投げ打つ事すらあります。武士もお家のために、捨て身の奉仕を自らに要求します。
 なので、今の私の価値観は忍者に近いような気がします。私も何か大きな仕事を成し遂げられるのなら、自分の命など平気で差し出すつもりです。さすがに自爆テロとかはしませんけどね。