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2008年10月2日木曜日

文化大革命とは~その十二、浅間山荘と紅衛兵~

 この連載の中の「その六、紅衛兵」の中で、紅衛兵たちが大人やかつての権力者たちに対して、「自分の思想、価値観が間違っていたことをここで認めろ」と、反省大会を繰り返して根拠なき暴力を繰り返していた話を私は紹介しました。見る人が見たら、「だから中国は……」と思うかもしれませんが、ちょうどこの時期、海を隔てた日本でも全く同じような光景が各所で行われていました。その最も代表的な例といえるのが、日本の浅間山荘事件です。

 もう私くらいの年代だとこの事件の詳細について知らない人間も数多くいると思うので、できればウィキペディアのページをみてもらいたいのですが私なりに簡単に説明します。
 この事件は山中にて、左翼過激派に属す若者たちが内ゲバの果てに仲間を集団でリンチして殺害し、その後に浅間山荘に逃げ込んで人質を取って篭城した事件です。この事件が当時に与えた衝撃というのは後者の篭城事件よりも前者の集団リンチの方で、もともとこの左翼過激派は日本を共産主義社会にするために来るべき暴力革命に備えて軍事訓練を行っていました。その訓練過程で、この事件を象徴する言葉となる「総括」が行われたのです。

 この「総括」、内容は文字通りこれまでの自分の人生を総括、反省を行ってこれまでの自分と決別することで革命戦士として自らを完成させることを言い、それを周りの援助を以って行うことを差します。この周りの援助、というか補助ですが、ここまで言ってればわかると思いますが罵倒と暴力です。
 この総括を指揮したのは実質的に森恒夫と永田洋子の二人で、二人はこの事件が起こる以前にあらかじめ自分たちは総括を終えて革命戦士として完成しているために、まだ完成していないものを指導する義務(権利)があるとして、一方的に総括対象者を選んでは私的なリンチを繰り返しました。

 今ウィキペディアで見ると、この総括については「山岳ベース事件」の項目の中で解説されていますが、総括の対象者に選ばれる人間の根拠というのは妬みとか、接吻といった不純な行為、また伝え聞くところでは女性が指輪をしていただけでも覚悟が足りないといって殺されています。

 少し長くなりましたがこの総括の内容が恐らく、共産主義者同士とはいえそれほど交流のなかったはずの中国で紅衛兵が行った行為と不思議なくらいに酷似しております。
 基本的なやり方は逆らえないように批判対象者を集団で囲み、その対象者に対して周りが一方的に批判します。紅衛兵なら「お前の報告書の出し方が毛首席の指導と違う」、総括なら「髪を伸ばして革命戦士としての心構えがない」などなど、何を言っても批判するネタになります。それに対して対象者は否定しようが肯定しようが、基本的に暴行されます。まず、「その通りだ、すまなかった」と言えば「反省が足りない!」と殴られ、「いや、そのつもりはなかった」と言えば、「まだわからないのか」と言われ蹴られます。

 両者に共通するのは、何をどうすれば自己批判、反省が達成されるかという基準がないということです。紅衛兵もなにが最も理想的な毛沢東主義者で、何が毛沢東主義に反しているかは毎回変わり、総括でも既に完成したという森と永田の二人の私的な感情が満たされるかどうかで、言ってしまえば批判対象者が何をどう言っても無駄だったと言うことです。
 暴行を加える側の理論からすると、自分たちは連中に真に反省を促すために愛の鞭を振るっている(恐らく、そういう気は一切なかっただろうが)という理屈を持っており、よくこの手の史料を見ていると「お前のためを思ってやっているんだぞ」という脅し文句が見受けられます。

 紅衛兵も総括も殴打による内臓破裂や失血によって批判対象者は次々と殺されましたが、一体何故交流のなかったこの二つの集団でこれほど酷似した暴行が行われたのか、個人的には興味が尽きません。まぁその答えというのは簡単で、単にこの暴力行為を行った集団が共産主義集団だったことに尽きます。

 共産主義の集団というのは基本的に教条主義で、既に理論は完成されているのだから余計な疑問、異論を持つな、持つ人間がいれば集団の統率が崩れるからそいつは叩き潰せ……という、比喩としては中世のキリスト教組織のような価値観を持っております。そのため組織は疑問を徹底して話し合う民主主義とは真逆の体制となり、異論派は徹底的に叩き潰されていきます。細かくまでは言いませんが、共産主義組織はこのように破綻した構造を持っており、スターリン時代のソ連や北朝鮮の例を持ち出すまでもなく権力の暴走を必然的に招きます。またその暴走は基本的に暴力を伴っており、人権というのは徹底的に無視されることが過去の歴史から言って確実です。

 この際だから徹底的に私から批判させてもらいますが、最近「蟹工船」ブームで共産党の入党者が若者の間で増えていると言いますが、今時の若者は本当に馬鹿揃いだと毎日せせら笑っています。何を期待して入るかまでは知りませんが、恐らく共産党は彼らの考えている組織から最も遠い組織、福祉や人権に対して一切無視する組織であることに間違いありません。今の委員長の志位和夫も、かつての委員長に対して反旗を翻そうとした東大内の下部組織の行動を防いだ事から出世して今の地位についていますし、組織として完璧にいかれています。

 敢えて厳しくも優しい言葉を共産党に変なの期待して入党した方に言うとすれば、この格差社会で大変だということも、誰かに何とかしてもらいたいという気持ちはよくわかります。しかし「誰か」に依存している限り、自分自身でこの社会をどうにかしようと行動しない限り、きっと何も変わらないと思います。共産党に入って世直しをしようと思うくらいなら、自分たちで集団を作ってデモなり意見交換なり行動するほうがずっと変革への近道です。私も三山木会で何かしようと思って、ずっと放っているけど。

犯罪の地域性

 昨日、警察は振り込み詐欺の犯人と思しき男性二名の顔写真を全国に公開しました。その報道によると、振り込め詐欺は一時は停滞したもののこのところ復活しているらしく、なんでも被害額でも過去最高のペースで推移しているそうです。それとこれは別の報道ですが、この振込み詐欺の形態の犯罪がなんでも他のアジア諸国にまで波及しているそうです。韓国や中国でも似たような犯罪が横行し、文字通り犯罪までも日本は輸出してしまい、日本人として恥ずかしい限りです。

 それで顔写真の話ですが、やっぱり以前と比べるとこういう写真公開での捜査の効果というのは薄れているそうです。昔、確か関西でやっている「たかじんのそこまで言って委員会」で言われていた話だったと思いますが、昔の人は毎日銭湯に来ていて、そこにでも顔写真を貼っていたら皆が見て犯人もすぐ捕まったが
、今はそのように一箇所に集まるような施設もないからあまり効果がないのではという話になり、それだったら誰もが見るテレビのニュースの時間枠に、「では、今日の指名手配の時間です」とばかりに放送するべきではないかという意見がありました。まぁ至極その通りですが。

 私なんかが勧めたいのは、ずばりYAHOOなどのポータルサイトのトップページなんか相当効果があると思います。確かに毎回犯人の顔を拝まなければならないというのは気分的にアレですが、それで治安がよくなるというのなら、指名手配になっている人間のうちランダムで毎回一人の顔が映し出されるトップページにするというのは結構いいんじゃないかと思います。

 ここで話は全く変わるのですが、この振込み詐欺は当初、朴訥な人柄で有名な静岡県が最も被害が大きかったそうで、それに対して大阪府はあれこれ相手に対して詳しく聞いたりするので、逆に被害額が最も小さかったらしいです。恐らくこの傾向はまだそれほど変わってはいないと思いますが、昨日うちのおふくろから面白い話を聞きました。その話というのも、大阪は確かに振り込め詐欺の被害は小さいらしいですが、「料金を取りすぎたので20万振り込めば50万返す」などと言っては振り込ませる「還付金詐欺」は逆に被害額が最も大きいらしいです。なんというか、大阪人らしいというか。犯罪にも、地域性ってあるんだなと感じました。

2008年10月1日水曜日

今日の党首討論について

 早くも今日三本目の記事です。我ながらよく書くものだ。

 さすがに疲れてきたのでちゃっちゃと書きますが、本日国会にて麻生首相と小沢民主党党首の党首討論が行われました。NHKのニュースを見ているとあまりうまい突込みがなされていなかったので、一つ私がかわりにやっておこうと思います。

 まず麻生首相は民主党が訴えている、政権をとった暁に行うといっている育児手当などのばら撒きの
財源はどうするつもりだと聞きましたが、小沢党首はいろんなところから節約すればいいと言い張り、その上で二代も続けて首相が政権を放り投げるなら、野党に政権を渡せと主張しましたが、お前が言うな、と私は思いました。
 というのも、そういう小沢党首だってちょうど一年前の大連立騒動の際に民主党内で了解を得られなくて、
「そもそも民主党には政権を担当する能力がないので、私は党首を降りる」
 って言ってました。野党に政権を渡せったって、あんた自分で民主党にはその能力がないと言ってたし、自分もちゃっかり党首をやるという責任を放り投げてんじゃん、と私は思いました。

 私は小沢氏は地方周りと党内運営が上手なんだから、はっきり言って党首より幹事長のほうがずっと能力に合っている気が前からします。このところニュースの政治解説で、民主党は党への支持率は自民党と変わらないほど高いものの、首相は誰がいいという調査では麻生首相に対して小沢党首は大きく水を空けられているという調査結果が取り挙げられていますが、この結果から民主党は政権をとった場合に小沢党首が首相をやらないといえば、より支持が集まるのではないかと私は思っています。

 自民党には任せられないけど小沢じゃねぇ……という声は何も今に始まったものじゃないし、実際に自民党はよくないが小沢党首が首相をやるくらいなら自民党を応援するという人もたくさんいると思います。なので民主党はここで、政権奪取の暁に小沢党首以外の誰を首相にするかと明言するのが賢い選択だと思います。差し当たって適任なのは真面目なだけが取り得の岡田氏でしょう。鳩山、菅の両氏はなんか軽そうですし。

 話は戻って党首討論ですが、その後の討論で麻生首相は補正予算案とインド洋派遣法案に民主党はどう対応するのかと再三問いましたが、結局小沢氏はこの質問には最後まで答えませんでした。別に麻生首相の肩を持つわけではありませんが、今回の討論では麻生首相の方が誠意ある態度を取ったと思います。

ダイハツ「ストーリア」から思うこと

 唐突ですが、私が一番見ていて好きな車というのはダイハツがかつて出していた「ストーリア」、OEM供給でトヨタからでは「デュエット」という名前で出ていた車です。ダイハツらしくシンプルなデザインのコンパクトカーなのですが、何故この車が好きなのかというと以前私が住んでいた京都の住所の近くにあった町屋に、いつもこのストーリアが止まっていたからです。

 色はエンジ色で、傍目にも町屋の風景とも非常に合っていました。ちょうどよく通る道だったので、文字通り毎日見ているうちにだんだんと好きになったというのが実情です。
 ただ、この車を見ているうちに思ったことがあります。今ではいろんな会社からいろんな車種の車が出ており、その中には人気のあるものもあればデザインの意匠性がよいと言われている車もあり千差万別ですが、結局のところ運動性能とかを度外視するなら、自分や自分が住んでいる地域にあった車を選んで乗るのが最良なのだろうと思うようになりました。そういいつつ、街中で乗るには多分非常に危険なランエボⅩとかも好きなんだけど。

 先ほどのストーリアの場合、色とそのシンプルなデザインが京都という一番景観を選ぶ場所に適合していたと思います。さてこのストーリア、車種としてはコンパクトカーという部類に属しますが、私はこのコンパクトカーこそが最も日本に合った車だと思います。

 というのも、日本というのはもともと狭いところに密集して住んでいたために基本的に道路幅短いです。そんな小さい道路に大きい車ではやはり旋回や隘路を通行するときには不便で、小回りが効いて小柄な車の方が便利であります。
 そういった環境の中から、日本の自動車会社は世界的にも珍しい「軽自動車」という車種を作り、燃費もよいことから現在のような不況下でも割と売れております。また政府もこの軽自動車に対しては税制面で優遇しており、他の車種を買うより保持するのにかかるコストが絶大なほどに安く抑えられていることも人気の要因です。

 しかし、この軽自動車の税制について異議を呈す者がいます。何を隠そう、世界のトヨタ……と呼ぶのは癪だから、愛知のトヨタです。愛知のトヨタが言うには、燃費面ではコンパクトカーと軽自動車は全く変わらないのだから、軽自動車を環境保全の目的の元に税金を安くするならそれをコンパクトカーにも適用しろっというわけです。結論から言って、私もこのトヨタの意見に賛同します。

 一見すると車重が軽い軽自動車の方が燃費がよさそうに見えますが、軽自動車はエンジンの排気量が660cc以下、馬力にすると大体60馬力以下の車に適用されるのですが、これだとエンジンの力が少なすぎて高速度では必ずしも効率よく走らせることができません。それに対してコンパクトカーは大体1000ccから1500ccの、税区分では普通乗用車に適用される車のことを指しますが、これだとそこそこエンジンの力があるので、中~高速度では軽自動車より効率よく走らせることができます。
 実際に雑誌「ベストカー」の検証実験だと、高速道路を時速80キロで一定時間走った場合の燃費を計算した場合、コンパクトカーの方が軽自動車よりわずかに優れておりました。

 恐らく時速60キロ程度では軽自動車の方がわずかに勝ると思いますが、軽自動車では構造上内装の広さが限られてくるため、載せられる人数や運べる荷物の量などを考えると、コンパクトカーぐらいが一番日本の道路事情に適しているのだと思います。今のコンパクトカーだと、セダンなんかより明らかに内装が広いし。
 それでも、コンパクトカーは税区分では普通乗用車扱いです。これだと軽自動車と比べて払う税金額にものすごい差があります。燃費だけでもコンパクトカーは軽自動車と同等なので、この際税金額を軽自動車と一緒にするほうが全体的な効率にもよいとトヨタ同様私も思います。

 逆に、ワゴンやSUV、ミニバンといった大型車は燃費が悪いだけでなく日本の道路事情に明らかに合っていない車なので、もっと税金を上げてもいいとすら思います。ちなみに、うちの家ではホンダのフィットというコンパクトカーに乗っています。自動車会社でホンダはかなり嫌いな部類なんだけど、私はコンパクトカーに乗るならストーリアか三菱のコルトにしたいものです。

近況

 今日から十月ですが、先月は合計で51本の記事を書いており、八月の53本という記録を再更新するには至りませんでした。
 しかし記事の内容を読み返すと、文化大革命の解説連載から経済関係の時事評論と、非常に長文で中身の濃い記事が目立ちます。先月も竹中平蔵氏の記事や太陽電池の連載をやりましたが、正直言って文化大革命の連載は記事を一本書くたびにものすごい疲労するほど一本あたりの記事が重いです。その分結構いいものを書いている自信もあり、内容的なものを見るならば先月は先々月より書いていると思います。

 さてそれで私の近況、というか今日思ったことなのですが、今日電車に乗っていると内定式帰りらしいスーツをまだ着こなせていない若者が多く見えました。十月一日なので恐らく間違いないでしょうが、私も記事にしたリーマン・ブラザーズ社の日本法人に内定していた学生なんかはどうなったのか個人的に気になります。一応野村證券がアジア部門を買収することを発表していますから、野村證券に就職することになるのでしょうかね。
 ネット上でもあれこれ書かれていましたが、リーマンブラザーズに内定をもらった時点では勝ち組だったのが見事に敗者へと成り下がるという、このあまりのギャップに所詮は他人事なので笑いがこみ上げてきます。

 それに証券会社というのはもともと人を騙して儲ける商売みたいなもので、その上外国法人と来たもんです。私なんて見た目は結構おとなしく見られるそうですが、実際には結構過激な性格をしているので、今でも公然と外国法人の証券会社やキャノンに勤めている人間に対して「売国奴めっ!」と罵ってやみません。真っ当な外国法人(アップルとか)はもちろん除きますよ。
 なので先ほどの内定者たちにも厳しいようですが、自業自得だという気がしてなりません。ゴールドマンサックスとかもこれから景気が悪くなってきますし、あんだけ人殺してきたつけがまわったのだと、そこで働いている日本国籍者ともどもざまぁみろという気がします。

 まぁ日本もこれから調子悪くなる、特に自動車産業なんて目も当てられなくなることが予想されます。というのも日本の自動車会社は日本国内ではどこも赤字で、絶好調だったアメリカの販売でありえないくらいの利益を出していました。特にトヨタなんてそうでしたが、これからアメリカの販売は劇的に低下することが予想され、また中国市場もそろそろ頭を打ち始めるでしょうから、手広く商売したのがかえって足かせになってくると思います。

 その気はなかったのですが、またも経済系な記事と化してしまいました。

2008年9月30日火曜日

文化大革命とは~その十一、現在の中国の評価~

 前回までで文化大革命の通史の解説は終わりです。今回からは文革の影響や周辺事項など抽象的な話を中心にまだしばらくやってこうと思います。まずやるのはほかならぬ当該者である中国の、現在の文革への評価です。

 結論から言って、現中国共産党および中国人はこの文化大革命を明らかな失敗、悲劇の時代だったと認めています。餃子に毒が入っていようが遊園地にドラえもんがいようが決して自分たちが悪いとは言わず、下手したらガチャピンの中に人は絶対入っていないとまで言い出しそうな頭の固い中国共産党にとって、こうはっきりと失敗を認めるというのはとてつもなく異例です。

 前回の記事でも最後の方に書きましたが、毛沢東の死後に華国鋒などはまだ失敗だったと認めようとはしませんでしたが、鄧小平ははっきりとこれを失敗と認めました。これは政治的な駆け引きでもあるのですが、鄧小平としては最低限の市場経済的要素を必ず中国にも導入せねばならないと考えており、そのためには国内、ひいては共産党のこれまでの価値観を変える必要がありました。
 そこで、最も共産党らしく平等主義が謳われた中で行われたこの文化大革命をはっきりと失敗、悪い政治の見本として置く事によって、この文化大革命と真逆の政策である、彼の言によると、「共産主義にも、市場経済があってもいいじゃないか。ないなら我々で新しく社会主義市場経済を作ろうじゃないか」と訴えることによって、自らの正当性を中国全土にアピールしました。

 この鄧小平の目論見は見事に当たり、恐らく文革の混乱に国民が疲れきっていたというのもあるでしょうが、中国全土で鄧小平への支持が集まるようになりました。
 とはいっても、鄧小平個人で見るなら学者たちの見方としてはやはり彼は生粋の共産主義者であったという声が非常に強いです。というのも鄧小平は急激な市場経済への傾倒は中国で大混乱を引き起こし、ひいては国を滅ぼすと考えており、市場経済を完璧に認める「経済特区」を当初は中央から遠く離れた、香港と接するシンセンから行い、あくまで限定的に徐々に徐々に市場経済へと移行してきました。そしてこの際一挙に市場経済の波に乗って政治も民主化すべきだと立ち上がった学生たちに対しては、第二次天安門事件で容赦なく叩き伏せ、鎮圧しています。これもいつか解説しないといけませんが、この事件の際に鄧小平は天安門に戦車を繰り出し、学生たちを情けなく踏み潰しています。これに対して「ワイルドスワン」の作者のユン・チアンは、あの地獄の時代を終わらせてくれた鄧小平がこんな残酷なことをするなんてとても信じられなかったと述べています。

 話は戻りますが中国のように広い国ではスローガンというか大きな政策目標くらいしか全国へ回らないために、こうした言葉が非常に政権維持にとって重要になってきます。第二回でも確か少し触れていますが、鄧小平は日本の小泉元首相のように文革=悪、市場経済=善と二項対立を国民に謳って、彼の政策を推し進めていきました。まぁ結果論から言えば、文革は明らかに悪でそれ以外だったらなんだって善になりそうなんだけどね。
 今の胡錦濤政権も基本的にこの路線を引き継いでおり、「市場主義は守っていくべき。でも共産党が政治を見ることも中国にとって大事」という風にやっています。私が最初に文化大革命を否定することで現在の共産党政権の存在意義が成り立っていると言ったのは、こういうことです。

 ついでに書くと中国研究家の高島俊夫氏などは著書にて、中世に長い間政権を保った明は建国者の朱元璋(農民出身で毛沢東は大好きだった)の後に帝位継承争いが起こり、見事勝利して即位した次の永楽帝は首都を南京から北京に移したり、政策も根本からすべて改めたことを例に取り、現在の中国も毛沢東が国を興して次の鄧小平がすべてひっくり返したから意外と長期政権となるのではと言っていますが、なかなか含蓄のある意見です。

 次にこの政府の見方に対し、中国国民は文革をどう見ているのかですが、基本的には政府と同じで悲劇の時代だったと総括しているようです。ただ少し気になる点として、私が以前に知り合った中国人の方が毛沢東についてこんな風に言っていました。

「彼は最後の方は腹心に騙されて変なこと(文化大革命)をしてしまったけど、やっぱり偉大な人物であることに間違いないわ。私の両親も今でも大好きよ」

 もしこれが対話だったら今の会話文のどこに気になる点があるか相手に答えさせて、それで相手の洞察力や知力を測るのですが、まぁここでやってもねぇ。友人からはもうこういう風に相手を値踏みするなと毎回怒られているのですが……。

 それで今の会話ですが、重要な部分というのは「最後の方は腹心に騙されて」のところです。これははっきりと断言はできないのですが、恐らく中国共産党としてはこの文革の責任を毛沢東に負わせずに、彼の周りの腹心、彼の妻である江青を含む「四人組」と呼ばれた人間が彼をそそのかして起こしたのだと国民に教えているのだと思います。つまり毛沢東自身は率先して文革を行わず、毛沢東の威を借りた狐である四人組が起こしたのだとして、毛沢東の権威を現在も保持、利用し続けているのではないかと私は思います。

 実際に地方などでは今でも毛沢東の支持者は非常に多く、彼らを取り込むために毛沢東の権威を守る必要があったのは想像に難くありません。前回でも言ったように鄧小平も「七割が功績、三割が失政」と言って、徹底的に毛沢東を否定することはありませんでした。
 しかし歴史的に見るのなら文化大革命はやはり毛沢東が明確な意図を持って推し進めた混乱で、その責任も毛沢東が最も大きいと私は断言できます。しかし現共産党幹部の苦労も知っているので、彼らがこのような姿勢をとるということにはしょうがないと強く理解できます。

 幸いというか、現在ではかつてほど毛沢東の強い神格化や崇拝の強制は行われなくなり、現代の中国の若者は文化大革命について知らない人間が増える一方、上の世代ほど毛沢東へ強い意識を持たなくなったと言われています。恐らく中国共産党としては、第二次天安門事件同様に早く全部忘れてもらいたいというのが本音だと思います。

早稲田大学のつくば市風車裁判の判決

 多分普通の人は全く気にしていない事件でしょうが、問題が起きた当初から私はこの裁判を一人で延々と続報を追っていました。

つくばの風車損賠訴訟:早大に賠償命令(毎日jp)

 内容はリンクに貼った先のページを見てもらえばわかると思いますが、以前つくば市がクリーンエネルギーの導入の一環として早稲田大学に事業を委託し、三億円をかけて小学校などに風車を設置しました。しかしいざ実際に風車を回してみると電気を発電するどころか全然回らず、早稲田側が主張していた発電量に全然遠く及ばなかったためにつくば市が金を返せと主張して裁判にとなりました。

 結論から言うとこの裁判では早稲田側が敗訴して、二億円を越える賠償金額をつくば市に払うように言い渡されました。この判決に対する私の意見はというと、非常に良い判決だったのではないかと思います。
 というのも、この風車が回らない事態が起こった当初の早稲田の言い分があまりにあれでしたからです。

「試算された発電量は、作られた風車の三倍の大きさのものだ」

 なら言えよ、というのが私の感想です。早稲田側は作られる風車が計画より小さくて発電量が少ないということを市側も知っていたと主張していますが、それだったら何故作っている最中に自分たちで計画を止めなかったのかとか、知っておきながらちゃっかり三億円ももらっているという点がはなはだ疑問です。第一、できた風車だって直径5メートルもある代物なのですから三倍といったら15メートルです。そんなむちゃくちゃでかい風車でそもそも試算するというのはちょっと現実離れし過ぎです。

 恐らく、早稲田としては回らなかったのは本当に予想外の事態だったんでしょう。裁判中に和解を申し出てますし、適当に言い訳するために三倍とかいう数字を出してきたのだと思います。往生際が悪いというかなんというか。