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2010年10月27日水曜日

今後の上海の予想

 このところブログの更新を休むことが多いですが、実はちょっと前から所用で中国の上海に来ております。あちこち出かけたりするもんだから暇な時もあれば全くブログが書けない日もありですが、今回何が一番辛かったというと日本のプロ野球クライマックスシリーズを全く見ることができなかったことです。

 そうしたことはさておいて久々にやれる現地からの生の中国レポートですが、すでに今年の二月に上海には旅行に来ているものの、今回改めて上海にしばらく滞在していろいろとこの街の行く末について思うところがありました。結論から申せば上海は数年のスパンで言うと今くらいがピークで、あるところまで発展したらちょうど天井に頭をぶつける感じで途端に経済成長が止まるのではないかと感じました。

 一体何故こんな風に思ったのかというと、ふと上海には何があるのかと考えたことがきっかけでした。恐らく大半の日本人の方は中国は首都は北京、経済は上海というように考えるかと思いますがそれに間違いはなく、今現在でも上海は中国で一番の経済都市で多くのオフィスがここに集まっております。
 しかしそれ以外には何があるのかと考えてみると、強いてあげるとしたら中国の都市としては進んだインフラくらいしかないのが現状です。現在の中国は世界の工場といわれるほどに工場での大量生産によって景気を支えていますが、それらの工場は全くないわけじゃないですが上海にはなくむしろ江南の浙江省や北方の河北省の方に集中しているのが現状で、今後も上海郊外にいわゆるものづくりの現場が増えていくとは私はあまり思えません。

 北京は首都であるために今後も国が保護する形で発展を続けていくでしょうが、それに比すると万博が終わった後の上海はどうなるのかというと少し心もとないところがあります。では上海が発展し続けていくためには何が必要なのかというと、私が思うに金融が必要不可欠になってくる気がします。
 現在でこそ上海には上海証券取引所があってここは東証にも劣らない取引量ではありますが、それは経済成長が著しい今だからであって今後もずっと続いていくとは思えません。まして中国国内だけの金融を回すのならともかく、かつてアジアの金融を束ねていた英国領時代の香港のようになるには人民元が国際通貨にならなければなりません。

 ここが今回の話のネックですが、要は人民元が国際的に信用される通貨となれるか否かが今後の上海、ひいては中国全土の発展を大きく占うのではないかというのが私の考えです。かつて日本はプラザ合意でアメリカに無理やり円の自由相場制に移行されたとなっておりますが、確かに当時の日本にとってはダメージではあったかもしれませんがその後なんだかんだ言ってドルとポンド、ユーロと伍すだけの国際通貨となったのも事実です。まぁそのせいで今の円高を引き寄せてんだけど。

 中国政府は今もなおアメリカの嫌がらせに近い人民元の切り上げを突っぱね続けて自由相場制など夢のまた夢のような状況ですが、為替以外にも株式市場に中国は露骨に政府介入することもあり、長期スパンで考えるなら市場に国際的な信用を得るにはまだまだ時間がかかりそうです。そういう目で見たら、皮肉かもしれませんが日銀が為替介入してもどってこともなかった日本の取引市場は胸を張っていいくらいの透明度と言えるかもしれません。

 現在、外国企業の中国現地法人は大体北京か上海にあり、それらのオフィスから中国全土へ営業社員が直接出張に行って商談を行うのが常です。日本みたいに全国各地に営業所がこれから出来るということはインフラの関係上ほぼないとは思いますが、そのうち上海には無理にいなくとも、製造現場に近い浙江省とか河北省に徐々にオフィスが移行していくのではないかというのが私の考えです。
 今回私がこういう風に考えたのは、恐らく日本の大阪を見ているからだと思います。別に大阪を悪く言うつもりはありませんが、経済の中心地というのはオフィスの中心地だけでなくなにか別の裏打ちする要素が必要だと感じているせいかもしれません。

  おまけ
 今回中国に来て困ったのは、恐らくGoogleとの衝突問題のせいでしょうかYoutubeとBroggerが開けないことです。Broggerでやってる本店なんてそのせいで更新できないし。たださすがにこれを切ったらまずいと中国政府も思ったか、同じGoogleでもGmailは今のところ問題なく使えています。

  おまけ2
 上海万博にも行って来ましたが人が多くて並ぶのが嫌ですぐ帰りました。日本館なんて月の石なんか置いてないのに午前中から5時間待ちでしたが、北朝鮮館はガラガラだったので入ってすぐ出て行きました。例の朝鮮労働党のバッジとか売ってて、「Paradise of people」とでっかく壁に書いてましたが、「Hell of people」の間違いじゃないかなと思いながらデジカメで一応写真撮りました。ちなみに別の展示館とかで「撮影禁止」って書いてるのに、中国の人たちは気にせずあちこちでバシバシ撮ってました。

 明日からまたしばらく出かけるので、更新をまた一時休みます。11月の前半には復帰する予定です

2010年10月24日日曜日

文物の暴力描写について

 こういうのもなんですが、暴力描写の多い漫画やゲーム、小説が私は大好きです。最近だと「ブラックラグーン」という漫画を読み始めましたがこれも久々に暴力を前面に出している漫画なので一気にはまり、現在単行本を徐々に買い集めていますが内容といい絵柄といい、これほどの漫画家がどうしてそれまで売れなかったのだろうかなどと思うくらい評価しております。
 暴力描写の多いゲームの場合ですと以前は「バイオハザード」が代表的でしたが最近では箱庭世界の中で何でも出来る「グランドセフトオート」が一番槍玉に挙がってくるでしょう。最後に小説だと、今はすっかり読まなくなりましたが以前はよく菊池秀行氏の小説を読んでました。どうでもいいですが菊池秀行氏原作の漫画、「退魔針」という漫画も連載当時に買って読んでましたが、最近になって絵を描いていた斉藤岬氏の別の漫画をよく買い集めています。斉藤岬氏の漫画とも、ずいぶん長い付き合いになる。

 そんな私の趣味の話はまたぞろ置いといて、今に限らず昔からこういった文物における暴力描写について批判する声は後を立ちません。やれ子供に悪影響が出るとか真似する人が出るとか、それに対して近年は主にインターネット上を中心に逆批判もあり、そんなの根拠のない話だとか都合よく規制をしようとしているなどという声を見ることが出来ます。

 今日ここで私が何を言いたいのかというと、そろそろこういう暴力描写の影響について中身のない議論はやめてお互いにきちんとデータを取ってみたらどうかと思っています。データを取るというのは簡単なことで、暴力描写の影響によって起こるとされる犯罪を実際に犯した人間から聞き取り調査を行い、具体的にそれまでに関わった漫画やゲームを挙げてもらい、そうやって挙げられた対象の文物に何かしら規則性があるのかどうかを調べるだけです。
 恐らくそうやってデータを取れば先ほど挙げた猟奇的といわれる文物を携わった人間の一人や二人は出てくるでしょうが、それがなんらかの規則性があると判別できるには最低でも母数比率からして10%以上、よくて30%以上が必要です。まぁやろうと思えばこういったデータはいくらでも都合よく操作することは可能で、たとえば視聴率の高い「サザエさん」を見たことがあるかといえば九割がたの犯罪者は見たことがあると答えるでしょうし。

 ただ私としては厳密にデータを分析することで何かしらの犯罪の傾向を読むことは出来るように思われ、実際にアメリカではさまざまなデータを比較分析することによって精度の高い報告をしていたりします。特に私がなるほどと思わせられたのは動物虐待を行う人間は後に猟奇事件を行う可能性が高いという報告で、この報告を元に向こうでは動物虐待に対して刑罰をかけるようになり、日本も同じように刑法を作るようになりました。
 この動物の虐待と猟奇事件については私もきちんとデータを見たわけではありませんが実感的にはやはり因果関係があるように思われ、あの神戸の連続児童殺傷事件の犯人も地元の野良猫を事件前によく殺していたらしいですし、それ以外の猟奇事件犯人についても人の飼い犬に石を投げるなどといった行為が見受けられます。逆に私の周りだと動物好きな人は優しい人が多いようにも思え、相手を見る上で動物への接し方を私は重視しています。犬派か猫派かだけでも割と性格分かれるし。

 そういう意味で暴力描写と犯罪がどのような因果関係があるのかをきちんと比較することは無駄ではない気がします。こういった比較研究が全くないわけではないですが先ほどにも言った通りにデータが意図的に操作されている例も少なくなく、まだ真剣に研究されているとは言い難い状況です。ただ一つ言えることとしてはゲームにおける暴力描写はゲーム製作の技術進化に伴い圧倒的に増えていますが、近年の若者による暴力事件の件数はファミコンが発売される以前の70年代より圧倒的に少ないです。まぁ母数となる若者の人数も激減しているので犯罪発生率で見ないといけないんだけど、誰かまとめてないかな。

 あと最後に私自身で言うと、最初にも書いた通りに暴力描写に対して人一倍接している量が多い自信がありますが今の今まで暴力事件で警察のご厄介にはなったことはありません。ただ読み取りが遅いことに頭にきて、PS2を殴り壊したことがあるほど短気なのは認めるけど。

2010年10月23日土曜日

犯罪は何から生まれるのか

 私の専門とする社会学には犯罪社会学という分野もあり(○○社会学と言ったらなんでも社会学になってしまうけど)、私はあまり手をつけませんでしたがなかなか面白いことをやっている分野です。具体的にどんなことを研究するのかというと、「何がその社会で犯罪となるのか」とか「犯罪者はどうして犯罪者になるのか」などと、まるで禅問答のような問いに対して如何に科学的に分析するかを取り扱います。聞くところによると成立した当初、イタリアにて犯罪者には何かしら犯罪者となるべき特徴などはないものかなどと真剣に比較研究が行われたらしく、なんと犯罪者と一般市民の頭蓋骨まで比較し合って特徴を探そうとしたことも合ったそうです。

 それでこの犯罪社会学ですが先にも言った通りに私はあまり手をつけなかったもののひとつ面白いと感じた一説に、「犯罪は何から生まれるのか」というくだりがあります。非常に適当に勉強してたものですから誰だったか名前も忘れましたけど、確かハーバードの研究者で実際にマフィアと交渉し、一時その構成員となって参与観察を行った人が居り、その人が発表した論文にこんな記載があったそうです。

「犯罪とは、自分の欲求を正当に適える手段がない時に行われる逸脱行動である」

 もちろん犯罪社会学には何がその社会で正当な行為か、逸脱行動なのかを議論する分野もありますがそれは今回置いといて、そのアメリカの社会学者は上記のように犯罪が発生する要因をまとめております。

 具体的にどういうことかというと、たとえばある男が高級な腕時計を欲しいと思ったものの購入するお金がなかったとします。多分現代では日本の大多数の人はお金を貯めてからその腕時計を購入するのが正当な手段だと考えると思いますが、その男はお金を貯める間もなく欲しいと思ったとしてほかの人からお金を強奪して買う、もしくは店から直接腕時計を盗んだりするとなると犯罪となります。

 この話で重要なのは、男が犯罪に走る以前に「腕時計が欲しい」と欲求を持ったことです。そもそも男が腕時計を欲しいと思わなければ盗みなどする必要もなく、このように大半の犯罪が生まれる背景には何かしらの欲求、もしくは不満が存在するのです。それは逆に言えば社会全体で構成員の欲求や不満を減らすことが犯罪の抑止効果があるという考え方につながるわけで、過剰に消費意欲を煽ることは犯罪増加に繋がるのではという話になっていくわけです。

 ただもうひとつその社会学者は重要なことを指摘していて欲求を正当な手段で叶えられないからといってすぐに犯罪に走るわけじゃなく、その欲求を叶える脇道的な手段こと犯罪の手法も必要だとしてその犯罪手法を教える犯罪学校の重要性も指摘しております。犯罪学校とは言いますがこれに該当するのは要するにマフィアや暴力団で、一つ例にとるとまだ件数の多いオレオレ詐欺も皮肉なことに警戒するようにと警察やマスコミが手法を公開したことによって続々と模倣犯が生まれていった傾向があり、また日本で発生するようになってからしばらくすると韓国や中国でも同じ手法が使われるようになったとも言われています。

 そういう意味で被害に遭わないよう警告するために犯罪手法を公開するのは諸刃の剣のような効果があり、公開するべきかどうかの判断は難しいといえば難しいでしょう。ただオレオレ詐欺の場合は手段が簡単なためにほっといても広がっていく可能性があり、私は公開し警告を促して正解だったと考えております。

 まとめになりますが犯罪が生まれるには大きく分けて、「正当な手段で欲求をかなえられない人がいる」、「その欲求を脇道から叶える犯罪手法が教えられる」という二つの要素があり、これらが組み合わさった時に犯罪が発生することになります。ただ基本的に世の中でお金が欲しくないと思う人間はいるはずもなく労せずして稼げる手法がわかればみんな手を出すのが当たり前です。そういう意味でそういった犯罪手法を世に出回らせないことが大きな犯罪対策となりうるのでしょうが、こうもネットが発達した時代、爆弾の製法までわかってしまうのでは難しいでしょう。

2010年10月22日金曜日

本当に強い剣客は誰なのか?

 この前街中を歩いているとふと、日本で個人としての武力で一番強い人間は誰になるのかと気になりました。それこそ時代劇小説ではさまざまな剣客が登場しますが、多かれ少なかれ脚色がされた姿が浸透していて中には実態からかなりかけ離れてしまっている人間も少なくありません。そこで今日は私の独断と偏見と持ちうる知識で、主だった剣客は実際のところどれほど強かったのかを評価しようと思います。

1、宮本武蔵
 はっきり言って私は宮本武蔵は実際のところそれほど強くなく、ただ売込みが上手かった剣客なだけだと評価しております。もともと吉川英治が小説の「宮本武蔵」を書いたのも雑誌での、「武蔵は本当に強かったのか?」という対談がきっかけだったくらいだし。
 いくつかそんな評価理由となるエピソードを紹介するとまず有名な巌流島の佐々木小次郎との決闘ですが、この決闘は武蔵が木刀で小次郎を一回叩くや周囲からわっと武蔵の弟子が出てきて小次郎を一斉に切り倒したと言われており、決闘というよりかは騙まし討ちに近かったそうです。またこれ以外にもある有名な剣客が武蔵に決闘を挑んだものの、武蔵はあいまいに返事して次の日には逃げていなくなったそうで、勝てそうな相手としか戦わなかったそうです。それはそれで相手を見る目はあるんだけど。
 そもそも上記のエピソードらも一体本当なのかどうかも怪しく、まず確実に言えることは武蔵自身が語っているエピソードは事実に基づいていない虚飾が以上に多いことです。いつの時代もうそつきは世にはばかる。

2、上泉信綱
 上泉信綱の詳細についてははっきりしないところが多いものの、彼の弟子があちこちで活躍するのを見る限りだと上泉自身も相当強かったのではないかと思います。弟子の柳生宗厳は徳川家の指南役になったことはもとより、直接教えた足利幕府十三代将軍足利義輝は松永久秀の謀反を受けた際、自ら刀を取って敵兵をばったばったと切り倒したと伝えられています。そうしたことから察するに、この人の強さは本物だと思います。

3、前田慶次、柳生十兵衛
 両者ともに取り上げた本が売れまくったせいで実態からかなりかけ離れた像が一人歩きしていますが、彼らの経歴はあまり明らかになっておらず、強かったかどうかは事実上判別の使用がありません。まぁお話の中くらいは強くあってほしいけど。

4、岡田以蔵
 文句なしにこの人は強かったでしょう。「人斬り以蔵」と呼ばれただけあって関わったとされる暗殺事件は数多く、それ以外にも注目すべきは勝海舟、中浜万次郎の護衛時のエピソードで、どちらも複数人の刺客相手に一歩も引かず、逆に何人かを斬り殺して撃退しています。

5、沖田総司
 私が考える中では、多分この沖田総司が確認できる中では最強じゃないかと考えています。元々沖田が所属していた新撰組自体がかなりの化け物揃いの集団で、局長の近藤勇に至っては池田や事件にて奇襲とはいえ永倉新八とともに十数人を二時間近く相手にしていたとされます。
 そんな猛者揃いの新撰組の中にあって最強は永倉か斉藤一か沖田かとまで言われ、攘夷派からも非常に警戒されていたという書類までも残っています。特に圧巻なのは生前の沖田を目撃したとされる方の証言で、夜に三人の追っ手から追われていた沖田は立ち止まって振り返るやあっという間に三人を斬り殺したとされています。本当かどうか、すこし怪しいけど。
 ただ新撰組が幕末当時において非常に腕の立つ剣客集団だったことは間違いなく、近藤亡き後も各地にて転戦を続けた際も白兵戦では恐ろしいほどの活躍を見せたとされており、その中で最強と評された一言を持っても評価に値するかと思います。

 このほかにも本田忠勝なども挙げるべきかとも考えましたが、この辺になるといくらか怪しくてはっきりしない部分もあるので今回はやめにします。ただ個人の武力は匹夫の勇であって真に世に求められるのは大軍を率いる指揮力だと昔から言われますが、小説とか書く上ではこういう人たちがいないと困るので必ずしもそうではない気がします。

2010年10月21日木曜日

逆境下の日本人

 今日は昨日の記事の続きです。昨日は「自動車の燃費について」というタイトルで純ガソリンエンジンとしてはかつてなら考えられない燃費性能を達成したマツダを取り上げましたが、この記事で私が言いたかった内容は割りと日本人は追い詰められた際に真価を発揮するということで、これが長所でもあり短所でもあるのではと私は考えています。

 追い詰められる、というより無茶な要求にも意外にも応えてしまうという方が適当かもしれません。昨日取り上げたマツダの例ではハイブリッドエンジンの開発が遅れていたことからガソリンエンジンで燃費を追求した結果、ハイブリッドエンジンにも大きく引けをとらない性能のエンジンを作ってしまったことを紹介しました。こういうことは何も日本以外でもあるとは思いますが、日本に限って言えばかつての太平洋戦争初期に無類の強さを発揮して米英軍から「見つかったら逃げろ」と、敵前逃亡しろなどというとんでもない命令を出させたゼロ戦も、

「このくらいの高度と、このくらいの速度が出せる飛行機をこの予算で作って」

 という、軍上層部からのかなり無茶な要求を当時の技術者が本当に実現してしまったがゆえに出来たと言われています。まぁその分、機体装甲が果てしなく薄くなってパイロットの死亡率も非常に高かったそうですが。

 技術に限らなくとも日本人は納期や製造などといった各方面でも割合に上からの要求に応えてしまうところが多いように思えます。私なんか無茶な要求に期待させるようなことを言っちゃ駄目だと考えているもんだから無理だと思ったらすぐに無理ですと言って、「もっと言い方ってものがあるだろ!」と相手によく怒られた経験がありますが、こうした言い分が通るあたり日本人はたとえどんな無茶な要求や要請にも一応は対応し、応えねばならないという考えが強く浸透しております。

 もちろん常識では無茶だと思われるものに取り組んで実現していこうという精神は立派でもあるし非常に大切だと思いますが、その一方で無茶だとわかっていながら引き受け、結果やっぱり駄目だったせいで各方面で足を引っ張ることになるという話も日常茶飯事のように聞きます。特にこういったものでよく聞くのはIT業界での納期や対応で、受注段階で労力やシステム内容から言って明らかに相手の希望に応えられないにもかかわらず安請け合いして、残業に次ぐ残業をしながら納期に間に合わず結局発注元に怒られ、発注元もスケジュールが遅延してあれやこれやと。

 またIT業界に限らず、一部の業界ではかなりきつきつの納期設定を行っていてほんの少し予定がずれただけで全方面に玉突き事故のように出荷に支障が出るということも聞きます。かくいう私も一回そんなのに巻き込まれて、物は届いているので早めに出荷指示を出してくれれば海外への輸出手配を行えたのに何故だかなかなか指示が来ず、やっときたかと思ったら急いで出してくれと……。二時間ごとに荷物が今どこにあるのかと電話鳴らされた際はいろんな意味でいい迷惑でした。

 恐らく普通の社会ならば、こちらの希望通りにそうそう事は運ばないと考えて納期や日程にある程度余裕を持たせることでしょう。ただ日本の場合は案外希望通りに事が運んでしまう、運ぶように相手が努力してくれるがゆえか、何事に関してもタイトに物事を考えてしまうところがある気がします。私もあまり人のことを言えませんが、電車がわずか五分程度遅れただけで激怒する人とか見ているともはや精神病じゃないかとつい思ってしまいます。
 私に限らずこのようなタイト過ぎる日本社会を批判する声はあり、一部の経済学者からは日本全国で納期を一日ずつ余裕を持ち合えばGDPは減るどころか増加するという意見もあり、私もこの意見に賛成です。

 ホッブズの「リヴァイアサン」に書かれた有名な一説に、「万人の万人に対する闘争」というものがあります。この記事の内容だけじゃないですが、このところこの一説がしょっちゅう頭にもたげ、今自分を含めた周囲の人間らは何と戦っているのだという疑問をよく持ちます。ライバル会社以上に同じ会社の人間に憎悪を持つ人とか見てると。

2010年10月19日火曜日

自動車の燃費について

・マツダ、HV並み低燃費ガソリン車を来年発売(産経新聞)

 久々にニュースのリンクから始めましたが、なかなかに驚きのニュースなだけに初見で私もびっくりしました。上記のニュースは自動車会社のマツダがつい最近に出した自動アイドリングストップシステムことアイストップを小型自動車のデミオに搭載し、なんと低燃費が売りのハイブリッド自動車に匹敵するリッター30キロという燃費の車を来年以降に販売するというニュースです。

 私は事故率の低いことで一部有名な鳥取の日本海自動車学校を卒業しておりますが決して人に誉められるほど車の運転はお世辞にも上手くなく、それほど乗る時間も多くないものの車を見るのは好きで、最近はあまり読まなくなったけどたまにベストカーという雑誌も買って読んでます。そんな私の個人的な感想ですが近頃の車はというとやはり家族向けに売り出す車が多くてデザインがどことなく落ち着いており、若者向けのちょっと突っ張った漢字のデザインの車はほとんどない気がします。それに対してバブル期の車は時代が時代なだけにデザインも多彩で、年数も経っていることから中古車価格も低くなっているのでこの際なにか運転の練習を兼ねて三菱の古い車でも買おうかと一時期私も考えたことがありましたが、結果はというと結局買わなかったわけです。

 一体何故買わなかったのかというと、新旧の車で燃費性能にとてつもない差があったからです。十年一日とは言いますが現在新車で並んでいる車と十年前の2000年前後に発売された車では燃費に雲泥の差があり、いくら中古車本体の価格が安くとも燃料代を含むランニングコストを考えると新車買った方が明らかにお得で、いくらデザインが肌に合ってもこれほどの差は埋め切れないとあきらめました。

 自動車の燃費は「20世紀に間に合いました」のキャッチコピーとともに97年に発売された世界初の量産ハイブリッドカーであるトヨタのプリウスが発売されてから開発競争が始まり、2000年代中盤からはどこの自動車会社も主力車をそれまでのワゴン車からコンパクトカーに変えてよりこの方面に注力していきましたが、ホンダがプリウスのデザイン丸パクリのインサイトを出してからはまるで、「ハイブリッドカーにあらずば車にあらず」と言わんばかりに去年、今年はハイブリッドカーが売れてきました。

 それに対して今回ニュースで取り上げたマツダはハイブリッドエンジンの開発がそれまであまりなされていなかったのもあってあくまでも通常のガソリンエンジンでより燃費を高める方向で研究を進めていたようですが、その研究が実って去年アクセラに搭載されたのがアイストップという自動でアイドリングストップを行うシステムで、これにより従来の燃費を大幅に向上することに成功したわけです。
 当初は自動でアイドリングストップすることにちょっと不安感を私も覚えたのですが聞いている限りだと乗っている方には好評で、特にこれが原因での事故も聞かないので大したシステムだと評価しております。

 それが今回待望のデミオに搭載されることでありえない燃費を実現したことになるわけですが、本当に十年前ならガソリン車でこの燃費は考えられなかったことでしょう。特にこのアイストップシステムはハイブリッドエンジンと違ってそれほどコストがかからないらしく、またレアアースもそれほど必要としないので中国対策としても抜群です。

 マツダの関係者のインタビューを見てたりすると、やはりハイブリッドエンジンにどう対抗するかということでいろいろと努力をしてきたという発言がよく見えます。まぁそういいながらも広島の人から話を聞くと不況を言い訳に下請けいじめがこのところ増えているそうですが、なんだかんだで追い込まれると日本人は本当になんでもやってしまうんだなと思わせられる話です。

 本当はそのまま書こうかと思ってましたが長くなったので、「追い込まれた日本人はとんでもない」という話はまた明日書きます。それにしてもほかの自動車会社はいろいろとニュースがあるのに対して、私が贔屓にしている三菱自動車に関してはこのところ何も取り上げられません。わかっちゃいるんだけど、こうもなぁ……。

インドから見た日本

 日本人からするとカレーとダルシム(ヨガ)のイメージが強いインドですが、近年にわかに日中関係から日本における存在感が高まっているのではないかと勝手に思っています。一体インドが何故日中関係に影響するのかというと単純に中国とめちゃくちゃインドは仲が悪く、地理の授業でもカシミール地方で中国とインドとの間で領土問題が起こっていると教えられるくらい仲が悪い国だからです。

 そんなインドに対して中国はこの前の尖閣諸島で見せたいつも通りに強引な主張をこのカシミール問題でもやっていることでしょうが、その裏ではしたたかな外交戦術というべきか、「敵の敵は味方だ」と言わんばかりに最近はだいぶマシになったけどこれまたインドと仲の悪いパキスタンとの外交関係を強化しております。
 これはいわば中国伝統の遠交近攻策で、オセロゲームのように敵を自国と味方で囲い込むことで攻めていくやり方なのですが、このオセロの範囲を広げるとちょうどインドと日本の間に中国を当て込むことも可能で、今後中国の領土拡張政策を抑えるためにも中国を囲む周辺国で一致して行動し、そのためにもインドは日本の重要なパートナーになるであろうという意見を主張する人も少なくありません。

 ではそんなインドは日本に対してどんなイメージを持っているかですが、まず前情報として企業進出の話をします。インドに出ている日本企業の中でも代表的なのは自動車、バイクのメーカーであるスズキで、ここは早くからインドに進出して現地での生産、販売を幅広く手掛けてきた甲斐あって現地の人間なら知らないものはまずいないというほどの認知度を獲得しております。ただ進出した際はやっぱり大変だったそうで、日本の「同じ釜の飯を食う」という発想の社員食堂を作ったところ、「下のカーストの連中と一緒には食べれない」という文句が来たりしたそうです。

 スズキ以外の日系企業となると、私自身があまり詳しくはないのもありますがやはり自動車関連のメーカーがいくつか出ているのを除くとまだそれほど多くないような気がします。90年代にIT化を進めようと日本が言い出した際、インド人技術者には率先して就労ビザを出そうといいながらもほとんど出さなかったくらいなので民間交流はそれほど多くないと言えるでしょう。

 では単純にイメージではどうかですが、実は私がインドに旅行中に直接インド人ガイドに尋ねたことがありました。そのガイドは私の質問に対し、

「インド人は日本人に対してそれほど悪い感情を持ってはいませんが、核のことについてとやかく言われたくないと思っています」

 そうだった。インドは核保有国だった。
 このガイドの話を聞いた直後の私の感想はまさにこれでした。インドは隣国パキスタンとの軍拡競争の中で核爆弾の製造と実験を行い、NPTから脱退した上で核保有国となりました。そして世界唯一の被爆国である日本は当時に強くインドとパキスタンを非難しました。

 もっともインドの核実験が行われてもう大分経つので向こうも気にしてないかもしれませんし、これまでも日本はアメリカの核の傘に効果があったないかは別として守られてきたのは事実なのであまり気にせずに中国を封じ込めるために共同歩調を取ることに問題はないかと思います。私としても先日の何も食べずとも行き続けられるおじいちゃんを始めとするビックリ人間が大量にいるインドは子供のころから大好きな国なので、日印で仲良くしてくれたらなぁという勝手な願いがあります。たとえそれが中国との関係を悪化させるとしても。

  おまけ
 今日の中国の報道で、この前日本に来て天皇会見問題に関係した中国の習近平氏が軍事責任者第二位に就任することが発表され、事実上胡錦濤氏の後継となることになりました。私はなんだかんだいって胡錦濤氏は日中関係に努力してくれて、今回の尖閣諸島問題でも何故かテレビでこの問題に言及することがなかったので名残惜しい気持ちがして、次の習近平氏はなんか冷たい感じがするのでまたやりづらくなるような気がします。