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2011年10月12日水曜日

アルバイト人口を考える

 なんかこのところ経済関連の記事が多くて自分でも嫌なので、ムキになって無理矢理カテゴリーを「社会」によく変えてます。まぁそもそも、日本にいないのに日本社会を語るというのいろいろとあれですが。

 話は本題に移りますがよく人に話して驚かれる話として、中国には学生アルバイトは基本的に存在しないという話があります。日本、ひいては欧米においては大学生は多かれ少なかれアルバイトを経験するものだという認識、というよりは社会慣習がありますが、これが韓国は知らないけど中国においては事情が異なり、基本的に大学生向けアルバイトは存在しません。一体何故中国の大学生はアルバイトをしないのかというと理由は簡単で、アルバイトをしようにも仕事先がないからです。

 最近は大分事情は変わってきましたが、中国は未だに労働力が豊富な国です。そのため日本でアルバイトが雇われるような3K職場(これももう死語だ)、外食や小売りの現場などにおいても変に大学生のパートタイマーを雇うくらいなら地方からやってきた中学や高校を卒業してきたような子らをフルタイマーとして雇う方が効率がよく、大学生が入り込む余地が全くと言っていいほどありません。
 そのため中国の学生というのは基本的に生活費用は親からの仕送りに頼るほかなく、貧しい家だと大学生活も厳しいものが迫られるという現実があります。私はあまり好きではありませんがコラムなどを書いている石平氏などはこうした中国の大学生と比べ、日本の大学生は確かに勉強はしないかもしれないが社会的経験も豊富で決して劣っていないと主張しており、痛し痒しですがそうかもしれないという認識を持っています。

 と、ここまでの話でもそこそこブログに書く価値はありますがちょっとこのネタを考えていて気になった点として、逆にもし今の日本で大学生みんながアルバイトをしなくなったら、という妙なお題が思いつきました。
 結論から言うとまず間違いなく先ほど挙げた外食、小売り産業は成り立つことが出来ず、廃業するか値上げするかのどっちかが迫られることとなります。パートタイマーの代わりにフルタイマーの従業員を雇うため人件費を増やすという選択もありますが、私の予想だと人件費を上げたとしてもやはり人員が集まらず、サービスを維持することは出来なくなるでしょう。現実に産業が成り立たなくなっている例として農繁期における農業が既にそうで、前にテレビインタビューで見ましたが昔は夏休み中の大学生が来てくれたが最近は募集をかけても誰も応じないため、中国などから募集する外国人研修生に頼らざるを得ないそうです。

 私がここで何を言いたいのかというと、日本社会は意図してかどうかまではわからないものの、大学生をアルバイトで働かせることによって正社員以下の最低賃金を維持し、経済を回し続けてきているということです。これはつまり大学生アルバイトがなくなると経済が回らなくなるということで、「社会も知らない学生がえらそうな口をきくな」と一部の正社員は言うかもしれませんが、その学生なしでやってけない体制を維持しているのは誰なのかということにもなり、「口のきき方に気をつけろ」と学生アルバイトは言い返してもいいかもしれません。
 こうした視点で見てみると、ちょうど少子化傾向が目立ってきた90年代中盤くらいからフリーターという言葉が生まれましたが、もしかしたらこの学生アルバイト層の埋め合わせをするために新たな低賃金層を作る必要があって作られた言葉だったかもしれません。さらに言えば、バブル期によくアメリカさんに日本はダンピングをしていると非難されましたが、ある意味そうだったかもしれません。

 ただこんなことを主張するからと言って、もっと最低賃金を上げろだとかそういうことまでは私は言う気にはなりません。現在の私の給料は昨今の円高のせいもありますが現地物価は低いものの日本円にして約10万円強で、さらに現地中国の同年代の若者はさらに低い給料で働いております。以前も日本から来た人と上海のレストランで食事した際、多分17か18歳くらいの若いウェイターが夜遅く、忙しく動き回っているのを見て色々とショックを受けてましたが、日本以外の国ではこういうのは当たり前です。
 それでも敢えて一言苦言を呈すなら、学生アルバイトに頼るという惰弱な経営体質からは早く脱却した方がいいというのが、今日の私の意見です。

2011年10月11日火曜日

香港にある猫カフェ



 先週に着任してこの前の土日は暇してたので、日用品などを購入した後は日がな昼寝をして過ごしましたが、日曜に近くに猫カフェがあるとガイドブック(地○の歩き方)に載っていたので、試しに行ってみることにしました。
 ここだけの話、元々学生時代に長い間喫茶店でバイトしていたのでやけに古びた喫茶店に出入りすることが多いです。中にはレトロすぎて友人が嫌がるのを無理やり引っ張って入ることも少なくないですが、猫カフェなどといった色物系喫茶店には後輩にせがまれてメイド喫茶に一回だけしか言ったことがありませんでした。それにもかかわらず、しかも香港で猫カフェに行こうとしたのはよっぽど暇だったんだと思います。

 そんなわけでやってきた猫カフェですが、まずガイドブックにも書いてありましたが店舗の入っているビルは繁華街にあるもののどう見たって雑居ビル、それもヤクザが出入りするような汚いビルでした。香港自体が土地が狭いのに人がたくさんいるもんだから高層ビルを呆れるくらいに立てて空がリアルに見えない場所ですが、まさかこんな雑居ビルに本当に猫カフェがあるのか少々疑いました。そしたら後ろからやってきたカップルがビルの警備員に、「猫カフェは何階?」って聞いてたので、そのまま自分もついていきました。



 まず店内に入ってみると入り口付近でどかっと座っている猫、上記写真のように寝ている猫がおり、さすがは客商売に慣れているのか見知らぬ人間が来てもおびえたり警戒する素振りは見せませんでした。そのまま客席に着くと周りはやはりというか若い女の子ばかり(やけにメガネをかけているのが多い)で、男一人で来ているのは案の定自分だけでした。
 とはいえ外国なんだしそんなのいちいち気にせずに昼食を兼ねてパスタを注文しながら周りを眺めましたが、店内は喫茶スペースとともにクッキーなどのお菓子教室もあってそこそこ広かったです。店内に徘徊する猫の数は大雑把な感じで8匹くらいで、我が物顔と言ってはなんですが客を気にせずあちこちを動き回っていました。




 個人的に気になった点はどの猫も成猫なのはともかくとして、やけにデカい猫ばかりだったのが何故だか気になりました。もちろんでかい猫はそれはそれでいいんですが、できればもっとちみっちゃい子猫とかも触りたかったのに、「年増ばっかりじゃねぇ」などと親父くさいことを言いながら女の子に混じって写真取ってましたが、店を出てみてその理由がなんとなく察しがつきました。
 これはあくまで私の予想ですが、猫カフェのある同じ階にはペットショップがあり、もしかしたら猫カフェの猫たちはこのペットショップで売れ残った猫たちなんじゃないかという気がします。というのもうちの実家の猫もそうでしたが、ペットショップで売られている猫たちは小っちゃくてかわいい子猫として売り出すためにあまりエサは与えられないそうで、家で飼われ始めるとその反動で異常にエサを食べ同クラスの猫に比べて異常にでかくなることが多々あるそうです。実際にうちの実家の猫がその口で、以前に買っていた猫と比べるとその差は歴然で、私の友人がうちに来ると、「やけにでかいなこの猫……」と妙におののきます。猫の世界も楽じゃないんだなぁとしみじみ感じます。

香港特別行政区の日々



 ここ数日また更新が空きましたが、ただ単にサボっていたわけじゃなく物理的にネットが出来ませんでした。一体どんな環境にいたのかというと友人らへの広報も兼ねてスパッと言いますが、先週から出張の関係で香港に来ています。

 出張と言っても滞在期間は年内と言われており、今年はこのまま香港で年末まで過ごす予定です。何気に香港に来たのは今回が初めてですが、主要言語は広東語のため、中には北京語も使える人がいるもののやはり英語のが通じやすいこともあって会話時に色々混乱することが多いです。と言ってもこういってはなんですが本土と違って人が良くできているというか、細かく言わなくともすぐにこちらの意図を把握して対応してもらえるのですこぶる居心地がいいです。

 また既にいろいろ回っていますが中国本土と違ってネットの規制がないおかげで約一年ぶりにFC2の自分のサイトとか見ましたが、普通にアクセス数がカンストしかかっているほど未だに閲覧者が来ており、そっちに来るくらいならこっちに来いよとむなしい気持ちを覚えました。一日70人とか増加したらどれだけアクセス順位が上がるんだって。

 このほか香港にいて自分が感じたことなどはまた明日以降に書く予定ですが、今ここで声を大にして言いたいのは自由というのは大事だということです。別にどこかの国に対して言ってるわけじゃないですから、念のために。

2011年10月6日木曜日

仏教だけが何故多神教で生き残ったのか

 よくある宗教議論でキリスト教やイスラム教など、どうして一神教の宗教はこれほどまでに強くなったのかという議論がありますが、こうした議論を見るたびによく、逆にどうして仏教だけが多神教なのに世界三大宗教としてまだ頑張っているのかの方が不思議じゃないかと日頃考えています。

 先に一神教がどうしてこれほど強くなったのかですがこれは実に簡単な議論で、多神教の宗教に比べ政治に食い込もうとする執念が半端じゃないからです。こうした傾向は異教を認めないというような排他的な性格を持つ宗教の特徴として共通しており、日本仏教の中でも例外的に排他性が強い日蓮宗などはどの時代においても政治に参入しようとする動きが強く、現在においても日蓮宗系の創価学会が支持母体の公明党が相当の議席を持つなど、理屈はともかく実証的にははっきり出ています。

 話を本題に戻して多神教ですが、基本的に一神教と比べるとやはり弱いです。これまでにあった多神教を挙げると、ギリシャ神話、ゾロアスター教、古代エジプト神話、アステカ神話などがありますが、一部で進行が残っているもののどれもがかつての隆盛はどこ吹く風かほぼ消滅しております。逆に今でも残っている多神教としては今日の本題の仏教をはじめ、日本神道、ヒンズー教、道教と、見てわかるとおりに東アジアに集中してます。ただ単に西側世界に詳しくないだけかもしれませんが、少なくとも世界ベースで認知されている多神教と言ったら仏教に限定されるでしょう。

 私自身がそれほど宗教学に詳しくないのもあるのでごねごねと書く気はありませんが、仏教がキリスト教、イスラム教といった一神教勢力に駆逐されずに残った理由としては一つは信仰された日本や中国といった国で長期間根付いていたこと、また植民地にならなかったことが大きいでしょう。その上で宗教的な性格も加味するのであれば、これは神道や道教に顕著ですが仏教は他の宗教と融合しやすい性格があり、いい意味でいい加減さが強かったからだと思います。ヒンズー教でもブッダはヴィシュヌ神の化身の一つと言われるそうで、これは多神教全体に共通する特徴かもしれませんが、元来あった宗教と融合して行事などが習慣化することで意識せずとも信仰される宗教となっていくのかもしれません。

 ただ世界的な信仰者割合でいうと目下のところイスラム教のみ増えてて、仏教とキリスト教は減り続けている状況だと言われております。こうした状況について一部では、業界では有名なE・フロムという人の主張した「自由からの逃走」という理論に基づいて、古くからの慣習や生活形態が変化して行動の自由度が広がった分、拘束要素の強いイスラム教が人気なのではという意見がありますが私もなんとなくこうなんじゃないかなという気がします。
 ちなみに仏教は坊さんにならなければ比較的自由ではありますが、坊さんの生活というのは浄土真宗を除けば世間で思われている以上にかなり厳しいとよく聞きます。前に曹洞宗で修行している人に話を聞きましたが、よく静かな環境で瞑想したがって来る人が多いものの、実際にやるのは掃除がほとんどだそうです。しかもその掃除も、「何も考えず、ただ掃除を続けよ」といった具合でやるそうで、想像してたものと違って門を叩いたもののドロップアウトする人が後を絶たないとのことです。

 個人的に私は日本人というのはいい加減さを大事にする民族で、いい加減さを売りにする浄土真宗なんかはある意味で日本民族の文化の結晶のようにも思います。ただこのところやけに親鸞学派を名乗って講座参加を呼び掛ける団体が増えていると聞き、なんか違ってきてるんじゃないかとやや危惧するものを持っております。

2011年10月4日火曜日

家電量販店などのポイントサービスについて

 七月に日本に帰国した際の顛末を書いた記事にて書いていますが、新品のパソコンをオノデンさんで購入した際に海外在住と伝えたところ、「海外にいるのであればポイントが使えないので、ポイントを付けない代わりに今ここで値引きしますね」と対応してもらいました。特別な対応をしてもらったオノデンさんに頭が上がらないのはもちろんのことですが、実は元々私はポイントサービスというのが嫌いで、逆にこうして現金値引きをしてくれる企業をこれまでにも頻繁に利用していました。

ポイントサービス(Wikipedia)

 ポイントサービスというのをここで簡単に説明すると、商品を購入した際にその購入金額の一部をポイントとしてメンバーズカードなどに記録し、次回に同じ店で商品を購入した際にその分だけ値引きするというサービスのことです。私の印象としては十年くらい前に大手小売店などがやりだしたのをきっかけにどんどんと導入する店が増え、現在ではTポイントカードを筆頭に複数企業で提携してポイントを共有するサービスが現れるなど未だに広がりを続けています。
 こうしたポイントサービスを使うことによって得られるメリットですが、消費者側からすれば支払った金額に応じて次回買い物時に割引が得られるというお得感、販売者側からすればいくらかの値引きによって消費者を次回の買い物へ呼び込めるといったところで双方にメリットがあるとされますが、必ずしもメリットだけなのかという疑問をかねてから抱いております。

 まず私がこのポイントサービスを何故嫌っているのかですが、単純に自分の次の行動や思考が束縛されるのが嫌で、この点で聞き分けはいいけど私以上に束縛を嫌う友人と意見を共通しています。たとえばプリンタのインクを買う際にどこの店で買うのか決める時、「あっちのお店にはポイントカードがあるからあっちを優先して買おう」と考え、その店までの距離、実際の販売価格、店員の質、地域経済への影響などといった諸々の要素を考えなくなる恐れがあり、その上で何よりも自分の選択が相手の思惑に載せられているような気分がして不快です。またこれ以外にも常に複数枚のポイントカードを保有し、中身のポイントを管理するというのが手間で嫌というのもありますが。

 とはいえ現在社内から「ケチで有名な花園」、「飲み会に誘っても来るのか?」などと言われるだけあって私も価格は気になります。過度な値引きには相手にも悪いと思って自ら遠慮することもありますが、いくらか値引きしてもらえるのならやっぱり心は動きます。そんなわけで最初に書いたように、こういったポイントカード制ではなくその場で値引き、現金還元などしてくれる店を比較的優先して選ぶようにしており、家電量販店ではケーズデンキを贔屓にしており、またイトーヨーカドーもよく現金返還キャンペーンを実施するので非常に愛用しております。
 逆にポイントサービスを大々的にやってて、社員に愛されていない企業堂々第二位のヤマダ電機については不祥事を何度も引き起こしていることもあって徹底的に買い物は避けております。

 と、ここまではあくまで私の個人的な見解ですが、真面目にポイントカードのデメリットについても合わせて書きます。まず一番のデメリットというのは販売者側におけるデメリットで、ポイントを作って次回に値引くということは次回時の販売額がそれだけ減少することで、きちんと経理して入れとくのであればともかくそうでなければ帳簿上には見えない負債というものがポイント分だけ生まれるということになります。これはこの前のエコポイント制度などにも共通していますがポイントサービスは将来分の消費を先取り、今現在の売り上げを増やす一方で将来の売り上げを減らしている面も少なからずあるように思え、経営上、余計なリスクを抱え込むことになりやしないかという気がしてなりません。
 また具体的な内容は珍しく忘れてしまいましたが、ポイントサービスを実施していたある企業が倒産した際にポイントを消化しきっていなかった消費者からクレームが起きたことがありましたが、この事件については消費者に対して自業自得と感じる一方、倒産が噂されることによって駆け込みでポイント消費が相次ぎ、財務状況が急に悪化することも今後起こるのではという風にも覚えました。

 消費者側のデメリットについては既に述べていますが、ポイントを運営する企業が倒産することによってポイントが使えなくなる可能性があるということです。もっともそういうことはなかなかないでしょうし、まさか数百万単位でポイントを抱え込む人もいないでしょうから影響は軽微でしょうが。ただ中には企業でパソコンなどといった業務用OA機器を取りそろえる際に、購買担当者がこうしたポイントのあるお店でまとめて発注して経費を会社側に負担させポイントは自分が着服する例もあると聞くのでひょっとしたらえらいポイントを抱えてるのもいるかもしれませんが。

 自分でもややロートルな印象を覚えますが、どうもこういう電子マネーには慣れず現金にこだわるところがあります。性格が元からせっかちで物事が常に完結した状態でなければイライラするということもありますが、できる限り早くこのポイントサービスの流行が終わってくれないものかとたまに真剣に考えます。

2011年10月3日月曜日

資格乱発の現状について

 以前に友人から、通関士の資格を持っていると話を聞き、それならばインコタームズなど貿易事務についてわかるのと聞いたらその友人は素直に、「わからない」と答えました。恐らくこういったことは何もこの友人に限らず、資格を持ってこそすれども実際に業務に携わってない人間に共通することだと私は考えています。
 ご多分に漏れず私もその一人で、貿易に関しては「貿易実務検定C級」というかなりどうでもいい自己満足な資格を持っていてこれについてはクーリエ手配など一通りの業務を行う自信があるものの、同じく取得している「高圧ガス販売責任者一種」という資格についてははっきり言って全然活用できる自信がありません。黒いボンベには酸素、緑のボンベには二酸化炭素が入っていることくらいはわかりますが、そもそも瓶転がし自体をやったことがほとんどないし……。

 こうした現状を思うにつけ、そもそも資格というものは何のために存在するのか疑問に感じます。確かに高圧ガスなどといった危険物を取り扱う上では最低限の知識が必要でおいそれと誰にでも取り扱わせるべきではなく、ある程度の試験によって知識確認の必要性は感じるものの、結局は実務をやってるかやってないかの方が判断基準としてはずっと大きい気がします。また近年は資格乱発とも言っていい状況で、ちょっと今日はこの辺について一言書いておこうかと思います。

 そもそも何故一般業務における資格というものが存在するかですが、理由は大きく二つあって一つは業務遂行者の知識や技術を一定水準保障、確認するためで、もう一つは業務遂行者の職業を保護するためです。ある業務を行う上で資格が必要と義務付けることによって無資格者を締め出すことができ、有資格者の仕事口を保護できます。こう書くと聞こえは悪いですがたとえば市場が非常に狭い業界や仕事の場合ですと従事者の人数をコントロールしなければ全滅することとなってしまうので、それであれば成績順に仕事を確保するという考え方は個人的にありだと思います。ちなみに明治時代には社会上、必要性が高いものの採算がなかなか取れないもんだからジャーナリストの仕事を資格制にしようとする動きがあったそうですが、なんか凄い真面目に大きな勘違いしているようにしか思えない案です。

 今回ここで槍玉にあげたいのは最初の方の、知識や技術に関する理由です。確かに自動車や医師免許など、人の命や公益に大きく関わるものの場合は知識や技術が足りないものを振り落すという過程が必ず必要ですが、それ以外の大半の業務については八割方はいらないのでは、資格とせずとも届け出制にするだけでも事が足りるのではと私は考えています。先ほども言いましたが実際に各仕事を行えるかどうかは実務経験、言うなれば先輩の指導などを受けて関わったことがあるかどうかが重要で、テストを受けたかどうかではありません。
 そうはいっても高圧ガス関係の資格の中には毒ガスの取り扱い免許などもあって事はそう簡単じゃないということは重々承知ですが、こうして敢えて批判する形をとっているのは、資格制にすることで誰が一番得をするのかというとほかならぬ、資格試験を管理、運営する連中だからです。あまり表には出てきませんがこうした団体には独立行政法人など官僚の天下り団体が多く、しかも一つの試験で受験料、試験対策講座費、教材費、資格登録費などと多方面にわたって受験者から料金を徴収し、どう見たって必要以上に儲けているんじゃないかという気がしてなりません。払う方も払う方で、大抵会社が費用出してくれるのでためらいなく払うし。

 こうした不当な儲け方、言い方を強くすれば不必要なまでに資格取得熱を煽って利益誘導をしている団体例としては2009年に一挙に問題が発覚した漢検協会をよく代表例として使っていますが、実態的には漢検だけでなくもっとたくさんの団体で試験に関わる徴収料金を本来の目的用途の試験運営以外に現在も流用していると思います。さらにうがった見方をすれば、2000年代前半の就職氷河期時代に盛んに「資格があると就職に有利」と言われてきましたが、この背景にはマスコミへの資金の流れがあったのではと今思います。
 繰り返しになりますが資格があろうとなかろうと、仕事に必要な知識が必ずしも伴われているというわけじゃありません。下手に中間業者をのさばらせるくらいなら、いくつかの資格は届け出制にしてこの際つぶした方が世の中も回しやすいのではないかというのが今日の意見です。

2011年10月2日日曜日

内需拡大によるメリット、デメリット

 昨年に日本を追い抜いて中国のGDPが世界二位になった際、「これほどまでの経済大国となったからには、中国はこれまでのように大量生産による輸出中心の経済モデルでは経済を維持できなくなる」などといった評論をする経済家がたくさんいましたが、どうしてそうなるのかきちんと説明していた人は皆無と言っていいいくらいにいなかったので、当たり前と言ってしまえば当たり前の話ですが今日はどうしてそうなるのかを簡単に解説します。

 まず現在の中国がどうしてこれほどまでに経済力を成長させることができたのかですが、その原動力となったのは保有する世界最大の人口とその人口に裏打ちされた豊富で安価な労働力です。言うまでもなく労働力が安ければ同じ材料で同じ製品を作ったとしても値段が安くても利益が出るので、繊維商品を筆頭とした軽工業品は中国国内はもとより、「メイドインチャイナ」が世界で当たり前になるくらいに他国にもバンバン輸出されていきました。そのためこれまでを含め現在の中国経済は、輸出販売をメインとすることで成り立っております。

 今現在の日本では輸出が多いということはとにかくいいことだというような言われ方をしておりますが、確かに輸出量が多いということは一面ではいいものの、必ずしもいいことづくめではないと私は考えております。具体的な例が卑近で助かるのですが、一国の経済消費における輸出割合が高いということは、自国の都合と関係なしに他国の都合で突然大きな影響を受けやすくなるというデメリットが存在します。具体例を挙げるとまさに今起きているリーマンショック以降の不況で、それまで好調に売れていた商品が他国で急に売れなくなると輸出産業にかかわる業種では売上が突然に減少します。また不況に限らずとも相手国との関係悪化に伴いセーフガードなどといった貿易対抗策や輸出規制が敷かれても同様で、毎月1000万円あった売り上げが突然に10万円に減少することだってありうるわけです。無論こうなったら従業員も雇い続けることが出来なくなり、下手すりゃ一発で廃業です。

 またこれ以外にも、輸出依存の経済体制にありがちなのは貧富の拡大です。これも単純な話で輸出産業にかかわる業種では自国の経済(=値段)に関係なく価格を決定することができるため、国内向け産業の人たちと比べて大金が得やすいです。現実に今の中国では昼食や散髪が100~200円で済む一方、大型トラックや建設機械は海外に数百万円で輸出されております。
 無論このような状態を維持し続けながら経済成長を保つということは理論上は可能ですが、行き着く先は言い方が悪いですが韓国社会のようなものだと私は考えています。韓国は輸出産業を極大化させることで経済を維持していますが、その弊害というかサムスンやヒュンダイといった財閥企業に属していなければまともに生活できないほど一般庶民の所得は低く、貧富の差は日本とは比べ物になりません。おまけに今現在起こっているようにウォン高になるだけでそれらの財閥企業も途端に経営が苦しくなることもあり、底堅い経済とは言い切れません。

 ではこうした輸出依存のデメリットに対しどのような対策が必要なのかですが、一つはよく言われるように内需を拡大させることです。内需はあくまで国内のみの消費ですので不況時にも国家である程度コントロールすることができます。日本の場合はコントロールするために借金に借金を重ねた挙句が今の状況ですので、一概にとは言えませんが。
 ただ内需を高めるために何が必要かというと、なによりもまず一般庶民の所得の向上です。それまで毎月10万円もらってた人が20万円に上がればそれだけ使えるお金が増えて内需は増えるわけですが、こうなると何が起こるかというと労働力コストが上昇し、これまでのように輸出で大儲けすることが出来なくなるどころか大量生産、輸出モデルが崩れることになります。見方によっては貧富の差が縮まるとも言えますが。

 話は戻って今の中国経済ですが、順番的には以下のような形で内需拡大策を現在取っております。

・安価な労働力を武器に輸出産業を中心として経済成長達成
  ↓↓↓
・経済成長こと達成したものの、貧富の差が拡大し不満が増加
  ↓↓↓
・不満解消のために全体の所得を底上げする必要がある
  ↓↓↓
・所得が底上げされると、これまでのように安価な労働力だけじゃやってけなくなる
  ↓↓↓
・減少するであろう輸出消費の埋め合わせとして、内需を拡大させる必要がある


 もちろんこれだけが理由じゃなく世界経済がリーマンショック以後に不況となったのもあって内需化拡大にかじを切ったのもあるのでしょうけど、「中国がこれまでのようにはいかない」という理由というのはざっとこんなもんだと私は考えています。
 現実に先週、私も会社で記事を書きましたが、労働コストの上昇などによってこれまで軽工業品の輸出産業中心地であった浙江省温州市で、今年に入ってから経営者の夜逃げが相次いでます。経営者が夜逃げした企業の業種を見てみると、ライター、メガネ、靴といったメーカーで、これは日本も歩んだ道ですがもうこれらの大量生産は中国でもやっていくことはできないでしょう。