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2014年10月12日日曜日

ワードプレスでブログを薦めない理由

 昨日、姉妹サイトの「企業居点」の方で一昨日にこのブログに書いた記事をコラムとしてアップロードしてみたのですが、久々に本気で家の中で怒鳴り続けるほどイライラする作業でした。壁に頭突きしなかっただけまだストレスたまっていないようですが。
 結論から述べると、「企業居点」に使っているワードプレス(Wordpress)というソフトはこういう記事ブログを運営するには最低限の機能すら持っておらず不適格としか言いようのないソフトであることがわかりました。具体的にどういう点が問題なのかというと、改行と行頭スペースに不具合が多発するからです。
 
 改行はHTMLの世界だと大まかに二種類あり、一般的な改行の<br>と段落分けに当たる<p>です。<br>はこのブログの様に一行ずつ開業を行うのですが<p>の方はというと段落分けのため、通常の改行と比べてやや広くスペースが空けられます。マイクロソフトのWord最新版もなんかこういう風に二段階になってたような。
 この改行におけるスペースの差ですが、書く側からすると面倒くさいことこの上ありません。広くスペース空けるのであれば改行を二回打てばいいだけなのにワードプレスは普通にEnterキーを打って改行すると<p>で識別され、ちょこっと開けたいだけなのにドバっと空間が広がります。もっとも直接HTMLテキストを弄って<p>を<br>に変えればこの問題は解消できます。
 
 今回一番問題となったのは二番目の行頭スペースです。この記事でもそうですが日本語は段落を変えた後の次の文章の頭は空白にして、「こっからまた仕切り直しだよ!」ということを表現します。然るにクソ憎たらしいワードプレスは英語の文章スタイルに合わせているのか先頭にスペースがあると自動的に削除する仕組みとなっており、何度あれこれどうやっても行頭のスペースが反映されず、見てみてみすぼらしい文章にしかなり得ませんでした。
 
 一応、<div>のタグをくくることによって行頭に無理矢理スペースを付けることはできますが、そうすると今度は変に改行が進んでしまいまた別な意味で見栄えが悪くなりました。仕方ないので行頭のスペースはあきらめてこんな風にしてアップロードしましたが、恐らく見ている方としては何とも思わないかもしれませんが書いてる方からすると一見して馬鹿みたいな見え方になっているように感じて本気でクソ忌々しいです。よくわからないと感じられるでしょうが、自分はそれなりに日本語の文章の体裁にこだわりがあります。
 
 そういうわけでワードプレスは英語ならいざ知らず日本語でブログ書くには明らかに向いておらず、普通の感覚があるなら使うべきではないでしょう。ブログソフトに限るわけではないですが私はテキストエディタというのは基本、シンプルであればシンプルであるほど優れていると思っており、そうした考えからマイクロソフトのWordも余計な自動編集機能が多いことから昔は毛嫌いして蛇蝎の如く嫌っていました。もっとも今じゃオートコレクトの解除方法や応用法なども身に着けたので前ほどアレルギーは減ってきており、記者時代も社内で唯一私だけがWordで文章を編集する人間でした。
 
 逆に今までのテキストエディタで何が良かったかというと、やっぱりあのビレッジセンターが出してたWZエディタが白眉でした。これの何が良かったかというと縦書きの体裁と表示画面がよく、中学から高校にかけて小説を書く時はすべてこれを使っていました。ただ縦書きがこうじ過ぎて、授業で課題として出された英語の和訳まで縦書きにして提出した際には講師などから「見辛い」と不平を言われてしまいましたが。普通に、「ケリーがその場を立ち去ると、すぐに電話がかかってきました」みたいな和訳文ですら縦書きで書いてたしなぁ。
 
  追伸
 実はこのブログを始める際も縦書きにできないか非常に試行錯誤をして、開始当初は横書きで表示されるこのブログにすごい不満がありました。ただ小説ならともかくこうした日記帳の文章はさすがに縦書きだと読み辛いし見栄えも悪いと感じるので今ではそうしたこだわりもなければ拒否反応もないのですが、どこかのブログのテンプレートに縦書きで表示できるのがあるのを見た時は素直に心が動きました。

2014年10月9日木曜日

創業家列伝~季琦(華住酒店集団)

 この連載ではこれまで既に逝去済みというか過去の創業家しか取り上げてきませんでしたが、ちょうどニューヨーク証券取引所に上場したアリババとそのCEOのジャック・マーこと馬雲が注目されていることもあるので、今日は現役バリバリで私が面白いと感じている中国の創業家を取り上げようと思います。
 中国に住んでいた、もしくは一定期間滞在したことのある人なら恐らく「如家酒店」、もしくは「漢庭酒店」という名前のビジネスホテルを見た、もしくは聞いたことがあるかと思います。この二つのビジネスホテルは文字通り中国のどこでも、上海みたいな大きな都市に至ってはどの地下鉄駅前にも一軒か二軒は見受けられ、覚えるつもりはなくてもいつの間にか覚えてしまうくらいやたら多く見かけます。まぁそれだけチェーンネットワークが行き届いているということなのですが、この二つのビジネスホテルチェーンの名前は知っていても、二つとも同じ創業家によって設立されたという事実は日本人はおろか中国人の間でもあまり知られていません。その創業家こそ、今日取り上げる季琦という人物です。

季琦(百度百科、中国語)

 季琦氏は1966年の生まれで、江蘇省の南通市如東県の出身です。今だったら南通もそこそこ発展していますが季琦氏が生まれ育った頃はほかの中国の都市と変わらず辺鄙な田舎で、大学進学に合わせて初めて上海にやってきたときについて季琦氏は、「かなりのカルチャーショックを受けた」と述べています。
 季琦氏は進学先の上海交通大学で機械科に入り大学院まで進んで卒業した後に上海市内の国有企業に就職しますがどうもしっくりこなかったようで、二年くらい勤めた後に退職し、貯金したお金を持ってアメリカに半年間ほど(一年って書いてあるサイトもある)旅行に出かけます。どこで読んだか忘れましたがこの記事を書くに当たって中国の後のサイトを調べていたらその時のアメリカ旅行でもカルチャーショックを受けたことが書かれてあり、「上海は凄い進んでいるかと思ったがアメリカの都市はもっと進んでいる」と述べたそうです。まぁそりゃそうだろう。

 アメリカから帰国後の1995年、季琦氏は知人と一緒にシステム開発などを行うIT会社を設立して企業家としての第一歩を踏みます。起ち上げた会社は中国の改革開放政策の追い風を受けてグングンと成長していくのですが、彼の大きな転機となるのはなんといっても1999年の「携程旅行網(シートリップ)」という旅行予約サイトの起ち上げです。
 こちらも中国でそこそこ長く住んだ人間なら言わずもがなですが、日本ではまだちょっと知名度が低いと思うので簡単に説明します。携程旅行網ことシートリップというのは中国で最大手の旅行予約サイトで普通の中国人なら知らないものはいないくらいの高い利用率を誇ります。日本で言えばJTB(私はあんま使わないけど)くらいの影響力を持っており、日本語で表示した上で日本円に換算した料金表示で中国のホテル予約が出来ることから私もこのところよく使っています。ぶっちゃけ、簡体字の方が見やすいけど。

 このように私もべた褒めする位にシートリップはインターネット黎明期ということもあり、先進的なサービス性などで中国の旅行予約市場を一気に握って急成長を遂げ、2003年にはアメリカのナスダック市場への上場も果たします
 このシートリップの成功一つとっても大した経営者だと評価してもいいのですが、面白いことに季琦氏はシートリップとは別業種の会社を2002年にまた起ち上げています。その会社こそ恐らく現在の中国ビジネスホテル市場で最大手に当たる「如家酒店集団」です。この会社はシートリップと首都旅遊集団の合弁によって設立されたのですが、季琦氏は2002年の設立に合わせシートリップ総裁から如家酒店集団のCEOに役職を変えております。当時の中国のビジネスホテル市場を実際に見てたわけでないし詳しく検証もしておりませんが、恐らくこの如家酒店は民間のビジネスホテルチェーンとしては初めて出てきた本格派だったようで、こちらもシートリップ同様に設立から瞬く前に店舗数、業績で急成長を遂げ、なんと設立から4年後の2006年にはこちらもナスダック市場への上場を果たしております。

 二つの会社、それも異なる業種でナスダックへの上場を果たす企業を創ってる時点で明らかに只者ではないのですが、実は如家酒店が上場を果たした時には季琦氏はこの会社から離れていました。離れて何をしてたのかというと、別の新たなビジネスホテルチェーンを設立しており、それが冒頭に掲げた「漢庭酒店」です。なんか書いてる自分もややこしくなってきた。

 シートリップや如家酒店の経営陣と何かあったのか、会社を離れる理由があったのかまではちょっと調べ切れていませんが、何故か上昇気流に乗っていたこの二社を離れて季琦氏は2005年より、また一から新たなビジネスホテルチェーンを作っていました。この漢庭酒店というビジネスホテルチェーンを運営するのは華住酒店集団という会社ですが、江蘇省の昆山駅前店からスタートしてまたこちらも店舗数を現在に至るまで拡大させ続けており、季琦氏の前のねぐらに当たる如家酒店に次ぐほどの大手にまで成長を遂げています。でもってまたお約束というか2010年にまたもアメリカのナスダック市場に上場を果たしていて、ここまで書いてて「お前、どんだけナスダック好きなんだよっ!!」て言いたくなってきます。

 現在の季琦氏は華住酒店集団のCEOを続けているのですが、いくら中国が破格の経済成長を遂げていた期間とはいえわずか十年ちょいの間に三社の上場企業を創るというのは怪物というよりほかないでしょう。特に面白いのはシートリップという旅行予約事業を営む会社からビジネスホテルチェーンが生まれている点で、同じような会社が中国にはほかにもありますが、どっちかっていうと不動産関連業が中心になって動いている日本とはまた別の流れがあってみていて新鮮に感じます。少ない土地をどうこうというわけじゃなく、だだっ広い中国なだけにネットワークなり通信インフラがこの手の経営では重要なのかもしれません。

 最後にこの季琦氏について少し思い出を語ると、2012年に漢庭酒店がどっか別のビジネスホテルチェーンを買収したのですが、そのニュースを翻訳記事化するに当たってちょこっと主要なビジネスホテルチェーンを調べ、シートリップと如家酒店、漢庭酒店が同じ創業家から生まれているというこの事実に気が付きました。初見で面白いと感じて今度ビジネスホテル業界で特集記事でも書いてみようかと企図したのですが、最終的には上司にも企画せずそのまま自分の中で流してしまっていました。
 何故流してしまったのかというと、一つはその頃にはもうオリックスの金子選手みたいに来シーズンは契約せずにFA宣言する気満々だったということと、仮に提案しても上司はこの企画を通さないだろうと踏んだからです。読み物としてはそこそこ面白いものになるという確信はありましたが、現在中国には高級ホテルならともかく、日本のビジネスホテルチェーンはほとんどというか全く進出しておらず、書いたところでその記事を参考にするような日系企業が中国には存在しないため、記事として成立しないと考えました。

 実際に提案していたらどうだったかはわかりませんが今の現時点を持ってしても無理に記事化するまでもなかったと考えています。ブログには好きなことをかけるし自分が面白いと思ったらすぐに載せられますが、メディアライターとしてはやはりメディアに合わせた記事を書く必要があり、そうした好みで書こうとする記事を選ぶべきではないと考えており、あの時の自分の判断は間違っていなかったと思います。とはいえ、やっぱり面白い内容だしほかの人にも見せたいからブログで書いちゃうのですが。

 なお今回の記事を書くに当たって周りの中国人に対して「季琦って人は知ってる?」と訪ね回りましたが、みんなシートリップや如家酒店、漢庭集団は知っていても季琦氏については不思議なくらいに誰も知っていませんでした。なんでこう知名度がいまいち低いのかやや疑問ですが、少なくとも日本人で今日書いた記事内容を知ってる人間となるとかなり限られてくるんじゃないかと思います。

2014年10月8日水曜日

香港デモ報道に対する不満

 先日この話題で友人からコメントをブログで書くよう求められましたが、正直言ってあまり知識に自信がなかったため一旦見送りました。ただあまりにも今回の香港デモに関する日本の報道が拙いというか肝心な部分を伝えていないように思えるので、拙い知識であることを承知の上ですが黙っていることが出来ないので私なりに今議論されている問題の中身を解説します。
 
 まず今回の香港のデモが何故起こっているのかというと、突き詰めて言えば香港の行政トップを直接選挙で決めるよう制度改正するべきだと学生が主張したため起こったと言えます。彼ら香港の学生の主張をかいつまんで言うと、現在の選挙制度では香港行政トップこと「行政長官」に誰がなるかは中国本土政府の意向で決まってしまうため民意が反映されず、こうした状況はよくないし民主主義を貫くべきだと主張されています。
 
 では現在の香港における行政長官選挙はどのように行われているのか。ここが日本の報道を見ていて非常に腹立つ点なのですが、どのメディアも学生側の主張とデモの様子だけしか報道せず問題の根幹に当たるこの選挙制度については私が確認する限りだとどこも説明しておらず、恐らく香港事情に詳しい人間でなければ問題の本質がわからないままでしょう。
 はっきり言って香港の行政長官選挙は確かに説明する気が無くなるほど複雑でちょっとわかり辛いのですが、だからと言って逃げ出すわけにもいかないので今回私が解説することにします。なお私はちょうど今の梁振英が当選した行政長官選挙の投票が行われる直前の選挙期間中に香港で記者しており、当時の上司や毎日読んでた新聞からこの選挙制度の大まかな枠組みを学びました。
 
選挙委員会 (香港)(Wikipedia)
 
 香港の行政長官は国会議員の投票によって選出される日本の首相同様、間接選挙によって決まります。ではどんな人間が投票権を持つのかというと、上記リンク先にある「選挙委員会」というメンバーがそれに当たります。この選挙委員会ですが人数は1200人(ウィキペディア中では800人とあるがこれは恐らく間違い)で当たり前ですが香港住民しかなれません。
 では香港住民であれば誰でも立候補してなれるのかというとそうではなく、財界を筆頭とした各産業・社会団体ごとに委員会メンバーの枠があらかじめ決められており、実質的にそれらバックにいる団体の後押しなり推薦が無ければ委員会メンバーになることが出来ません。「遍く産業や組織の代表者らによって広く民意を汲みとる」と言えば聞こえはいいですが、メンバー枠は香港の主力産業である金融・不動産業界からの選出が多く、これらの業界の声が強く反映されるように仕向けられています。
 
 そうした産業・社会団体からの選出メンバーは、ちょっとこの辺の記憶があいまいですが確か選挙を経ずに団体からの推薦で決まったように思います(間違ってたらごめんなさい)。これで8割方のメンバーが決まり、残り2割方(この割合も曖昧)だけが「選挙委員会メンバー選挙」という香港住民による直接投票によって選出され、少ないですが一応選挙によって選ばれるメンバーもおります。
 なお私が香港にいた時はまさにこの選挙委員会メンバーを決める選挙が行われている最中で、香港って狭いからあちこちで訴える候補者を街中で見かけました。
 
 こうした過程を経て選挙委員会メンバーが決まりますが、一体どうして中国本土(=中華人民共和国)の政府の意向が行政長官選挙に強く反映されるのかというと、率直に言って経済的な要因が非常に強いです。というのも産業団体から選出されるメンバーはほぼ全員が香港を本拠に中国本土で事業を展開する企業家によって占められているため、仮に逆らおうものなら本土での事業拡大や継続に当たって中国当局から嫌がらせを受けることは必定で、中国政府の「意中の候補」に投票するよう息がかかっています。
 
 ざっとこんな選挙制度のため香港住民の民意より中国本土の意思が行政長官選挙に働きやすいため、今回学生らは直接選挙を求めてデモ活動を行ったわけです。ただ今回のデモですが最近の香港事情を詳しく調べていないからはっきりとは言えないものの、ここ一番の盛り上がりに欠けたのは、現行政長官の梁振英が致命的な政策失敗をしていないからじゃないかと勝手に見ています。
 確かに彼は就任当初に自宅を違法改築していたことがばれて自宅前を香港メディアによって24時間監視されたりもしましたが、だからと言って致命的なまでに無能な政治家というわけでもなく、何とはなしに穏便に事を運んできているため必ずしも選挙制度を変えなければならないという切迫感が香港住民の間で持たれたのか、私はこの点が疑問です。もっとも、完全に素人目線の勝手な予想ですが。
 
 ただ最初にも書いた通りこうした過程なり制度内容を日本のメディアでちゃんと解説しているところは思いのほか少なくて別な意味で驚きました。大手紙なら一人くらいは香港駐在員はいると思うのに(読売の人とは会ったことある)なんでこうした説明を誰も書かないのか、元職場だったら上司が香港長くて政治マニアだったからちゃんと書いてただろうな。

2014年10月7日火曜日

中国のサッカースーパーリーグ観戦

 日曜から今日の昼間まで上海市に滞在し、その間に友人と共に中国のスーパーリーグと呼ばれるサッカーのリーグ戦を見てきました。対戦カードは「上海上港集団VS山東魯能泰山」の組み合わせで、添付の写真は上海上港の応援席です。写真を見てもわかる通りに中国のサッカー応援でも基本は鳴物と旗を振るような形式の様で、ファンの熱狂ぶりなどを見ても日本と全く変わりがないように見えました。
 
 それで肝心の試合についてですが、生憎というか両チームノーゴールのスコアレスドローで個人的にちょっと残念ではあったものの、見ていて気が付いたこととして案外中国のサッカー選手の質は低くはないように見えました。ドリブルやシュートなど個人技においては目を見張る選手も何人か見られ、ややラフなプレイも多いのですがそうした体当たりにもよろめかずにプレイをこなす選手もおり、国際試合では日本や韓国にいつも負けていますが必ずしも弱いとは限らないという印象を覚えます。
 ただチーム全体でみるとレベルが低いとみられる点も多く、特にセットプレイはお世辞にも立派ではなく、両チームともにロングパスを多用した単調な攻めばかり行っており、個人技はともかくとして連係プレーにおいてはちょっと目も当てられません。逆を言えば素材が良い選手は比較的揃っているので、井伊監督が来て組織プレイをしっかり身に着けさせればグッと強くなるのではと感じます。
 
 ここでちょっと中国のサッカー事情について話をしますが、中国にはスーパーリーグと言って日本のJリーグに当たるプロチームによるリーグ戦が毎年行われております。各チームは企業がスポンサーとなって支援しており主な都市を根拠地にして活動しておりますが、その環境に関しては中国人ですら「ひどい」という言葉を使って評価します。
 何がひどいのかというと単純に腐敗行為が多く、裏金をもらっての八百長行為はもとより、監督やコーチが出場選手を恣意的に決めるため、選手たちはどれだけ才能と実力があっても必ずしも試合に出してもらえるわけでなく、監督やコーチに対して試合に出場するための「運動費」の供出を強制されるうことも日常茶飯事です。そのため競技人口は中国らしく半端なく多いのですが、あまりにも問題が多くていい選手が育たないという悪環境にあるというわけです。
 
 逆を言えばこうした腐敗を一掃した上で先進的なサッカーを理解する指導者が中国のチームを見るのであれば、そこそこ個人技を持っている選手もいることですし、今後急激に強くなる可能性もあるのではないかと思います。以前に日本の代表チーム監督を務めた岡田武史氏が浙江省杭州市にあるチームの監督に就任し(2013年11月に退任)、日中双方で話題になりました。中国側としては海外からやってきた岡田氏に期待する声が多く、また監督時代のチームの成長に関しても高い評価を得られましたが、個人的に日本のサッカー指導者にはもっと中国のチームを指導してあげてほしいと思います。日中間のスポーツ交流はもとより中国のチームが強くなることでアジア間での競争が高まり、日本のチームや代表にとってもいい刺激となってさらなる発展が期待できるからです。また中国側としても国内リーグの腐敗撲滅の一環として外国人指導者を求めている空気が感じられ、双方にとっていい効果が得られるかと思えます。
 
  おまけ
 昔中国の新聞を読んでたらハゲ頭のおっさん数人の顔写真が並んで一面に掲載されていて、「かつらメーカーの新手の広告か?」と一瞬疑いました。よくよく記事を読んでみたら八百長に絡んだサッカーチーム関係者の逮捕記事だったのですが、なんでそろいもそろって禿げてたんだろう。

2014年10月5日日曜日

平成史考察~マトリックスオフ(2003年)

 現在中国では国慶節という建国記念連休の真っ最中ですが、私としてはひたすら家でゲームばかりやっています。当初はもうちょっと真面目にいろいろまた新たな分野を勉強しようかなとも思ってましたが、先日日本に帰国した際に「ウォーシップガンナー2(PSP版)」という、軍艦を操るシューティングゲームを買ってきて、これがまた非常に面白いもんですっかりはまってしまいました。
 ちょこっとだけ触れるとこのゲームは駆逐艦、巡洋艦、潜水艦、戦艦、空母をそれぞれ自由に設計して好きに使えます。船の名前も自由に決められるので駆逐艦は最近の自衛隊艦船はひらがな名であることから「まろやか」にして、戦艦は近づくと危険そうなイメージを出したかったので「みだら」にして、潜水艦は「さぶ&マリン」というわかる人にはわかる懐かしい名前にしました。
 
 話は本題に入りますが先日、上海のビジネスホテルに泊まった際に何気なくテレビをつけていたら、映画の「マトリックスリローデッド」がたまたま放映されててついつい全部見ちゃいました。マトリックスシリーズは特殊なカメラワークとワイヤーを使ったアクションがウリで、三部作の中ではこのリローデッドが最もアクションシーンが多いだけに自分もこれが好きで、金がない学生時代にも何故か購入した作品でした。
 久々に見てみましたがやはりそのアクションシーンは公開から十年以上経った現代においても全く見劣りせずよくもこんな作品を通ったもんだと改めて感心したわけなのですが、それと同時に、公開当時に「マトリックスオフ」というイベントがあったことを思い出しました。
 
 
 このマトリックスオフの詳細については上記のサイトで非常に詳しくかつ写真付きで紹介されております。具体的にどんなイベントかというと、三作目の「マトリックスリローデッド」の2003年公開に合わせ、マトリックスのコスプレをしてオフ会をしようというイベントでした。
 
 マトリックスというとそのアクションシーンもさることながら多くの登場人物が「サングラス」、「黒ずくめorスーツ」という際立ったファッションも当時話題になり、私なんて一作目が公開されたころなんて黒い上着で友達と合ったらしょっちゅう「マトリックスかよ」と言われたくらいでした。別に影響されたわけじゃないけど当時はなんか黒いシャツとかよく着てたなぁ。
 そんな際立つファッションでエージェントスミスよろしくみんなで集合しようと、2ちゃんねるでの呼びかけを元に開かれたのがこのオフ会です。上記のリンク先では写真も多数載せられていますがそのカオスっぷりは今見ても凄まじく、特に吉野家のカウンターにスーツ、グラサンの人間がずらっと無表情で並んでる写真なんか文字通り抱腹物です。このようにいろいろと思い出に浸れる写真で満載なのですが、ふと最近はこのような2ちゃんねる発の大規模オフ会の話なり噂なりを聞かなくなったような、という考えがもたげました。
 
2ch湘南ゴミ拾いオフ(ニコニコ大百科)
 
 このマトリックスオフと並んで私が覚えているのは2002年にあった上記の湘南ゴミ拾いオフです。こっちの詳細までは説明しませんが私の感覚だとやっぱり2000~2003年くらいはこのような大規模オフ会がよくあっただけじゃなく、2ちゃんねる全体がややアングラな雰囲気を漂わせながらある意味で一番盛り上がっていた頃だったのかもと思えてきました。2004年以降となるとこうしたオフ会自体がほとんどなかったように思え、強いて挙げるなら2011年の「フジテレビ抗議デモ」くらいで、やっぱ往年と比べるといまの2ちゃんねるは異なってきたように感じるわけです。
 
 こうした変化が良い物か悪いものかと考えるのは野暮でそれぞれの時代に合わせて変わってきたんだろうとしか思いませんが、インターネットを仲介にしてみんなで盛り上がる、共通体験にするイベントが仮に減ってきているとしたら、それは2ちゃんねるの変化というよりは社会の変化と見た方が良い気がします。ひとまず2000年代前半はこういう一風変わったイベントがよくあったということを記録しておこうと、今回こうして書き記した次第です。

2014年10月3日金曜日

経済学は現代に価値があるのか?

 先日後輩が電話にて、「どうもブログが身バレしてしまったようです」と話してきてちょっと笑えました。なお私は今の今まで「もしかして花園さん?」っていう具合に身バレ(=ブログなどのハンドルネームでの身分が現実でばれる)したことは今まで一度もありません。まぁ自分でこのブログ書いてて思うけど、一体どんな奴が書いているのかいまいち正体が掴み辛い気がする。一番わかりやすいのは、「日本人は相手が抵抗できないとわかるや途端に狂暴になる」と主張するのは例外なく私だけなので、これを言ってる人がいたら恐らく私です。
 なおその後輩ですが一緒に上海のホテルに泊まった際、何気なく映していたNHKの動物番組のナレーションで、「(クジラが)びっくりして潮吹いちゃった」という音声が流れるや、「なんかエロい響きですね」と言って来たのですが、その時はパズドラもしていてあんま反応しなかったけどなんか後からじわじわと来ました。
 話は本題に入りますがその後輩に昨日のチャットで少し解説して、ブログに後で書くと言っておきながらほっぽって置くと忘れそうなので今日に書くことにします。その内容とは、経済学は現代の世の中において果てして本当に価値があるかどうかです。
 
 まず最初に多くの方にケンカを売ると、現代日本における経済学部の学生ひいてはその卒業者の八割方はカス同然です。恐らく彼らは経済学と商学の違いも理解していなければ、経済学で基礎となる思考法のベース、言うなれば「貨幣の流通を中心において社会や世の中を考える」という思考法すら身に着けていないように見えます。さらにリーマンショック以降はめっきり宣伝文句が見えなくなりましたが、一時期はMBAを経済学の学位だと勘違いしているような記事が散見されましたがMBAの日本語は「経営学修士」であって分類としては経済学ではなく商学に属する学位です。ひどいのになると経学が経学に分類されると勘違いして知った風な口をきく人もいます。
 なお商学の目的というか定義は何になるかついでに書くと、私個人の解釈としては「如何に単一組織(≒企業)の資本を拡大するか」という方法を探るのと、「如何にして正確に単一組織の財務状態(=会計)を分析、予想するか」の二つにあると私は考えています。これに対して経済学は通貨や為替、資源を含めた市場全体での資本価値を捉えます、一国・地域かグローバルかと範囲には差がありますが。
 
 話は戻りますが先日別の友人とも同じようなテーマで話しており、かつて存在したマルクス経済学、古典派経済学はもとより、1990年代後半より日本で勢力を持った新古典派経済学を含め、どの経済学派の考え方で以っても現代の市場は全く読めないし、理解する上で全く参考にならないという結論で一致しました。友人が挙げた一例などはまさにホットなもので、先日米国の証券取引所で史上最高額での上場をジャック・マー率いる中国最大のオンラインショッピングサイトを運営するアリババで、この一社を取ってみても従来の経済学では考えられない急激な成長と事業拡大を実現しており、もはや想定されていない世界に入ってきていると言えます。
 
 先に申しておくと経済学が現代において全く無価値というわけではなく、たとえばカビが生えているマルクス経済学も二次大戦以後の20世紀の世界、特に東側を読み解く上では非常に有益なツールとなります。しかし今後、未来がどうなっていくかを予想することはおろか現代の一国・地域、または世界市場を読み解く上ではあまり役に立たず(現代に至る過程を学んでそこから展開するならまだ価値がある)、同様に一時期隆盛を誇った新古典派経済学もリーマンショックによって完膚なきまでその理論の大半が正しくなかった事が証明され、このところは元気がない上に提言すらまともに聞かなくなってきました。
 今日はやたら脇道に脱線することが多いですが、新古典派の破綻した箇所というのは「可能な限り規制を取っ払った市場開放」と「グローバルな金融」、「グローバル企業のさらなる巨大化による世界市場化」を成長の柱としていた点ですが、この三つによって世界金融市場が野放図(のほうず)になって巨大な債権が生まれたことから、現代ではやっぱりある程度規制が必要、という価値観が強まっているように感じます。
 
 経済学の主目的は何かと問われるならば、市場から今後の世界の行く末を分析、予測することにあると私は思います。しかし現代の経済学は未来はおろか現状把握をする上でも何の役にも立たず、それどころかこのところ学校から離れているのでただ単に私が知らないだけかもしれませんが、積極的に未来を予想しようとする動きすら見えません。厳しく批判をすれば、一部では経済学と名乗りながらやってることは実質商学に成り下がっているところもあるように見え、ちょっと内向き過ぎると思えるしこのまま何もしなければその学問的価値は落ちるところまで落ち込むことでしょう。
 
 では経済学は今後どうあるべきか。やはりその本来の主眼に立ち返って徒手空拳でもいいから現在を分析し、未来を予想することに注力すべきで、言ってしまえば正しかろうと正しくなかろうと新たな流派が作られる必要があると思います。先日追悼記事を書いた故宇沢弘文教授は再生可能なエコな経済を目指しており確かにこれは第三、いや第四の道ではあったものの、私個人としてはやはり理想に走り過ぎていてもっと実現性のある、現実感のある思想が必要だと感じます。
 じゃあ私はどんなのが今いいのかと考えているのかですが、故岡本太郎じゃないですが、創造というのは破壊の後に生まれるというのが実は考えの根っこにあり、これから創造していく未来を考える前にまず現代の矛盾なり混沌なりといった腐食した部分を根こそぎ破壊することが先決ではないかと考えています。どう作っていくかではなくどう破壊するか、これが重要であり、破壊を経ずに創造しようだなんて順序が逆じゃないかと思うわけです。
 突き詰めて何が言いたいのかというと、「堕ちるとこまでまずは堕ちよう、話しはそれからだ」というのが偽らざる私の真情で、どう立て直すかよりもどう効率よく破壊するかについて経済学は今後考えるべきではないでしょうか。
 
 改めて思うことですが、やっぱり自分の思想や考え方は明らかに危険極まりないと我ながら感じます。ただ言い訳をすると、将来1万人を死なせるくらいなら今100人をすぐ殺すべきだと、たとえ自分がその100人の中に入っているとしても絶対的に支持します。

2014年10月2日木曜日

任天堂とユリ・ゲラー、そしてユンゲラー

 自分はアップル製品とはとんと縁がない(マジで一度も買ったことがない)のですが、先日発売されたアイフォン6がポケットに入れていると折れ曲がるという報道もあれば、実際の耐久試験ではむしろ他のスマホに比して頑丈だとの報道も出ています。そしたらなぜかスプーン曲げで一世を風靡したユリ・ゲラーもこの話題に参入して、世界中にいるアイフォンユーザーの思念が曲げているという超理論を言い出したというのが上記のニュースです。

 まぁ話しのネタとしてそこそこ面白いのですがちょうど先月にもユリ・ゲラーの話を友人にしたこともあるので、今日はちょっと小話がてらその逸話を紹介します。その逸話というのも任天堂との裁判についてです。
 このところ凋落著しい任天堂ですがソフトウェアの競争力は現状でもやはり高く、特にポケモンシリーズはスタートから実に十年くらい経過しているにもかかわらず関連商品や続編が飛ぶように売れるなど未だ高い人気を保っております。そのポケモンですが私は初代の「ポケットモンスター 赤」だけをやったことがあるのですが、この初代版から「ユンゲラー」というポケモンが出ており以降の続編にも登場しています。

 このポケモンはどんなポケモンかというと、カテゴリーでは「ちょうのうりょくポケモン」に分類され、右手には何故かスプーンらしき物体を握ってて、一部ソフトには「スプーンまげ」というわざまで入っています。ってか、名前からして明らかにユリ・ゲラーをモチーフにしていることがバレバレなのですが、なんとアメリカでユリ・ゲラー本人から勝手に肖像権を使われたとして本当に訴えられたことがあります。
 ユリ・ゲラー曰く、「勝手に自分のキャラクターが使われた」として訴えたのですが、こういってはなんですが、「うん、まぁそうだろうね」としか言いようのないキャラクターです。なもんだから裁判がどのように進展するのかと思っていたら、なんと任天堂は下記のようなとんでもない反論を主張してきました。その反論というのも、

「このユンゲラーは超能力を使うポケモンです。もし貴方のキャラクターが使われたと主張するのであれば、この場で超能力を使ってスプーンを曲げてみてください

 実際にこのような反論をしたのかは自分が確認する限り伝聞しかなくやや本当かどうかはっきりしませんが、仮に本当にこう主張したというのなら任天堂法務部は評判通り非常に優秀であると共に、なんてひどいことを言う奴らなんだと思わざるを得ません。ちょっとユリ・ゲラーに対していじめすぎだろ。

 ただユリ・ゲラーが訴えた裁判自体は本当にあったことは間違いなく、判決は「ポケモンは日本で開発、販売されているソフトであるため連邦法の適用を受けない」という内容となり任天堂が勝訴したそうです。このエピソードから言えることとしては、任天堂に対しては下手に訴訟を起こさない方が無難そうだというオチです、ちゃんちゃん。