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2014年12月8日月曜日

漫画レビュー「富士山さんは思春期」

 さっき一本記事を書き終えたばかりだけどまたもう一本漫画レビュー。これでスランプだなんてどの口が言うと自分でも思います。
 
富士山さんは思春期(Wikipedia)
 
 私がこの漫画を手に取ったというか買って読もうと思ったのは、なんか最近やたらとあちこちのサイトに貼られている広告バナーでこの漫画が猛プッシュされていたからです。そんなわけで前から気にしていたところKindleのサイトでこの漫画の第一巻が99円というセールをやってたので、玉ねぎ1ネット買うより安いななんて思ったことから買って読んでみることにしました。結論から述べると、何故こんな漫画が猛プッシュされるのか激しく理解に苦しみました。
 
 あらすじを簡単に説明すると、中学男子二年生の主人公(160cm)はふとしたきっかけから女子バレー部エースで幼馴染の高身長ヒロイン(181cm)のことが気になりはじめ付き合わないかと交際を申し込んだところあっさりOKをもらい、本人らもなんで付き合っているのか、付き合うというのはどういう事なのかよくわからないまま恋愛をしていくと言ったどーでもいいような内容です。一巻だけしか読んでいないでここまで言うのもなんですがその後の話もどーでもいいことをぐだぐだぐだぐだ延々と続けているだけで、何のストーリー発展もないし読んでて正直苦痛でした。
 括弧書きで書いているようにこの漫画は主人公とヒロインの身長差を一つのテーマとして置いているような気がしますが、少なくとも一巻に納められているエピソードに限っては第一話を除き「ヒロインの方が20cmも背が高い」という設定は存在しなくても話は成立してしまいます。むしろ何故身長差がこれほどある必要があるのかが疑問に思え、絵的に差をつけるという以外の効果はないようにすら思います。
 
 その絵に関しても文句、というか私が感じる最大の問題点なのですが、この漫画の作者のオジロマコト氏の漫画はこれが初めてですが、コマとコマの間の展開が全く読めないほど連続性が感じられません。一つのコマから次のコマへ移ると不自然なくらいに視点や場面が切り替わり、また同じ人物の表情も変な風に切り変わるから感情が読み取れないどころか不自然さを感じずにはいられません。しかもこの漫画、やたらと変な切り方した大コマ(しかもアップ)が頻繁に使われ、先程にも書いたように読んでて単純に読み辛くて仕方ありませんでした。あのコマ割り、本当にどうにかならないのか?
 
 他の人のレビューを見ていると学生時代を思い出すとか甘酸っぱい恋愛模様だとかカルピスは青春の味なんていうようなコメントが並んでいますが、はっきり言って私に言わせるなら「それが何?」ってところです。というのも、そういう甘酸っぱい青春恋愛ものだったら何もこの漫画に限らなくても豊富にあり、先ほどのコマ割りの見辛さを考えるとほかの漫画を手に取った方がよっぽど読みやすくて面白いんじゃないかと思えるからです。更に言えばこれについても既述ですが、結局のところ大半の話が主人公とヒロインの身長差設定がなくても成立してしまうというのはかなり致命的な気がします。一応ところどころヒロインがコンプレックスを感じていたり、主人公と並んで歩いていると周囲に比べられるような描写はありますが、この設定が中心になって回るような話は一巻の中には見られず、厳しいことを言うとコマの連続性がない上に何の個性もない恋愛漫画に成り下がっているのではなんて思えてくるわけです。
 
 毒舌を吐くことには定評のある自分ですがこの記事に関しては割と厳しい言葉で批評しているなという自覚はややあります。ただなんでここまできつく書くのかというとそれは単純にほかの人が同じことを言っていないからで、特にコマ割りの見辛さに関しては明らかに際立っていると感じるほどなのに何故誰も挙げないんだ、だったら俺が挙げようじゃないかなんて妙な使命感持ってしまったのが運の尽きでしょう。まぁこんなクソブログを見に来る人間なんてそうそういないんだし、作者に対して一巻しか読んでいないにもかかわらずここまで批判するのは悪いかなとは思いつつも、自分のスランプ脱出の一手になればと思って何も考えずにだーって書きました。手応えはまぁまぁです。

漫画レビュー「実は私は」の9巻

 知ってる人間には何人か話していますが実はこのところブログ書くのがスランプで、毎日パソコンに向かう度に「書きたくないなぁ」なんて思いがしていました。昨日の記事も引用元のリンク先アドレスを間違えてアップロードしてしまいましたが、自分の後輩が微信という露骨という言葉じゃ表現しきれないほど堂々とLINEをパクッた中国製アプリで知らせてくれたので事なきを得ました。
 そんなわけで今日はリハビリがてらに自分の書きたいもの(いつも好き勝手書いているが)を好きに書こうと思うので、ちょうど昨日に9巻が発売した「実は私は」という漫画があるのでこれについて書いてくことにします。

 「実は私は」については今年一月にもレビュー記事を書いておりますがあれから連載は続いているものの面白さで言えば全くペースは落ちておらず、むしろ各キャラクターが個性をどんどん発揮していて回を増すごとに面白さを増しております。
 知らない人向けにも簡単にこの漫画のあらすじを説明すると、「実は私は」は少年チャンピオンで連載しているラブコメ漫画で、メインヒロインが吸血鬼とのハーフであることを始めとして女性キャラクターがみんな何かしら秘密を持っているという設定で、高校男子の主人公を中心にドタバタ系のコメディ色が強い漫画です。なおメインヒロインに関しては先ほどにも書いたように吸血鬼とのハーフですが、回を増すごとにこの設定があまり生かされず、むしろアホの子としての性格がどんどん強まってきています。まぁこれはこれでキャラ立っているから全く問題ないけど。

 ただ前回の記事にも書いた通りメインヒロイン以上に結構多いサブヒロインらの方が圧倒的にキャラが濃く、癖の強いキャラが多い割には話が破綻せず、ちゃんと各回でそれぞれの個性を発揮しながらストーリーが進んでいくというのはなかなか見事な手腕だといつも唸らされます。ちなみに各キャラの秘密というか正体を列記すると、

・ヒロインキャラ:実は吸血鬼と人間のハーフ
・委員長キャラ:実は手の平サイズの宇宙人
・幼馴染キャラ:実は疫病神が乗り移ったメガネを持っている
・ヒロインの友達キャラ:実はというかあからさまな露出狂の痴女
・主人公の後輩:実は未来人で主人公の孫
・学校の校長:実は悪魔
・生徒会長キャラ:実は天使
・主人公の担任:元ヤンキー

 何度も書いているようにこの漫画はラブコメであるものの全体的にはドタバタコメディ色が強く、青春的な場面も少なくはないですが一話完結ということもあって読んでて笑えることの方が多いです。特にギャグシーンにおいては主人公の行うツッコミが非常に鋭く、これほど毎回的確な突っこみいれるギャグ漫画の主人公って過去にいたのかなどと思えるくらいキレキレにやっています。なおその主人公がボケに加わる際は先ほど挙げたサブヒロインの痴女がツッコミ役をこなし、ほかの人のレビューでも書かれていますがその特徴からは想像し辛いもののこのキャラがこの漫画の中で一番の常識人なのではないかと私にも思えてきます。

 そんなわけで昨日発売して電子書籍で夜中速攻ダウンロードして読みだした9巻についてですが、ストーリーも大分終盤に来ているのか主人公もヒロインもかなり明確に相手を意識していてそろそろ告白エンドなのかな、アニメ化まで頑張ってもらいたいのになと思いながら読み開きましたが、正直言って今までの単行本の中で一番笑える単行本でした。メインのストーリーは修学旅行なのですが主人公に好意を持つ上記の委員長キャラと幼馴染キャラが互いに相手を妨害しつつしのぎを削る回が多かったのと、自分もイチオシの委員長キャラが勇気を持っていざ主人公への告白へと臨もうとするところで終わっています。

 その委員長キャラ(9巻表紙の青い髪の子)ですがプライドが高い上に真面目過ぎてしょっちゅう暴走することが多いキャラで、この巻でもその性格でもってまさに縦横無尽ともいえる活躍を見せており、特に最後に載せられた回では「恋とは戦いだ」という妙な誤解から主人公への告白に臨むに当たって白装束に薙刀持って乗り込もうとしたら「やる気が出過ぎている」と痴女にツッコまれ、それならばと今度は気配を完全になくそうと迷彩服にライフル片手に持って乗り込もうとしたら「かわいげがない」と痴女にツッコまれ、それならばと今度は全身猫の着ぐるみ着て乗り込もうとしたら「夜中にそれじゃ逆に怖すぎる」と痴女にツッコまれ、「もう制服着ていけば無難だよ」と言われて最終的に猫の着ぐるみの上に制服着て部屋を出て行きました。この一連の着替えは2ページごとに切り替わっており、構成の妙というかギャグの何たるかをよくわかっているとここでも唸らされました。

 先日友人ともちょっとこの辺で話をしたのですが、かつてはたくさんあった一話完結のこういうギャグなりラブコメ漫画がこのところのストーリー漫画の氾濫によって減ってきており、そういう意味でも「実は私は」は当初から貴重なタイプの漫画だと考えていました。その期待に違わずよくここまでクオリティを落とさずに続けてきたと思うのと同時に、もうちょい増えないかなぁこの手の漫画などと密かに思う次第です。

   

2014年12月7日日曜日

秀逸な日本経済分析記事

 先日、経済分野における私の知恵袋的な友人が下記の記事を薦めてきました。


 記事内容は長くないの是非読んでもらいたいのですが、現在の日本経済の状況、そして東京五輪に至るまでの未来について簡潔かつ冷静に、それでいて含蓄深く非常によくまとまっています。普段は自分の表現力を自慢する自分ですが、インタビュー物ですがこの記事ほど中身のある内容をこれほどまで簡潔に表現する自信は全くなく、文字通りおみそれする記事です。
 この記事のポイントを敢えて箇条書きにして示すと、以下のような点が挙げられます。

・アベノミクスの成功、失敗それぞれのパターンで予測を書いている
・最重要の政治課題として日中関係を挙げている
・安倍首相の人気を自民総裁二期六年と前提して2018年と予想
・しかし安倍首相の後継者が現在40代の政治家に目下いないのが大きな不安要素と指摘
・今後の日本は良くも悪くもこのまま現状維持。高度経済成長に転じることはないと断言

 この記事を書いたのはアメリカ人の大学教授、ジェラルド・カーティス氏ですが、外国人でありながらこれほどまで見事な分析をやってのけてしまうなんてただただ頭が下がります。その上で、日本国内にどうしてこのような分析が出来る人間がいないのかと思うのと同時に、経済予測ではアベノミクスが成功する、失敗するという2パターン予測をする人間が皆無に近いというのは考えるだに頭が痛くなります。

 話は変わりますが同じく経済ネタで言うと、例のエアバッグ問題で揺れているタカタですが、かつての騒動時のオリンパスなどと比べると見ていて不気味なくらいに株価が落ちていません。原因もまだ判明できていないし、ぶっちゃけこの後立て直し聞かないのではと思うくらいに今回のリコール問題は根深いのにどうして株価がまだそこそこの価格を保っているのか不思議でしょうがないのですが、昨日その友人と話をした際、「恐らくこの後に政治決着することが内々に決まっていて、それをわかっている奴が買い増しているんじゃないか」という結論に至りました。もちろん勝手な予測ですが、通常では説明できない価格変動をしており、疑わない方がおかしいのではないかと密かに思います。

2014年12月6日土曜日

笑うという根源的な感情

 何度もこのブログで書いてきているように私は漫画家の水木しげる氏の大ファンで、リアルに人生の師みたいな具合に崇拝しています。水木氏の作品で何が好きかとなると主題歌だったら「悪魔くん」でたまに一人で、「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム♪」なんて口ずさんだりしていますが、作品単体となるとうちの名古屋に左遷された親父も好みの「猫楠」が割とお気に入りです。この漫画は南方熊楠の伝記に近い漫画ですが、破天荒な性格や行動など水木氏と熊楠には共通する点も多いようにみられることから本人もノリノリで書いているようにみられるし、たまたま熊楠と自分とでも共通する病気を抱えてただけに妙な親近感を覚えています。
 しかし作品という枠を超えるなら、水木氏の自伝とも言うべき「水木しげる伝」という漫画こそが私の中で彼の最高傑作だと思います。境港市での少年時代からラバウルでの戦地生活、「ゲゲゲの女房」にて描かれた戦後の極貧生活からスター漫画家に至る過程などドラマチックそのもので、また作者特有のユーモアのある視点で描かれているため何度読んでも飽き足りません。

 その「水木しげる伝」の中巻こと戦争編に描かれている話なのですが、戦地で片腕を失いながら無事に復員し、境港に戻った直後の話で非常に印象に残るものがありました。復員後に水木氏が実家で暮らしていた時期、近所に住んでいて水木氏と同じ戦場に息子が派兵されていた母親が水木氏を訪ねてきました。生憎その息子は戦死していたのですがせめてどのような場所で、どのような環境で息子が戦死したのかを知ろうとして水木氏に聞きに来たそうです。
 水木氏はその母親と自分の母親の三人で会い、ラバウルの戦場と息子さんがいたと思われる部隊の最後について話し聞かせたところ、途中で尋ねてきた母親が感極まって泣き出したそうです。泣き出す母親を見た水木氏はどうしたかというと、何故だか「はっはっは」と大笑いし始めたと描いています。

 亡くなった息子を偲んで泣き出す母親を前にして大笑いするなんて普通に考えたら失礼極まりなく、実際に水木氏の母親は息子を咎めたそうですが、それでも水木氏は笑いを止めることが出来なかったそうです。この水木氏の行動について恐らく反感を覚える方もおられるのではないかと思いますが、私は何故だか、きっと自分も同じ立場なら笑い出したのでは、なんて思うのと同時に表現できないような感情が持ち上げてきました。
 一体何故このように思ったのかというと、一つは水木氏も戦死された息子同様に自分の命が明日をも知れぬような戦場を潜り抜けており、決して戦死者を冒涜するような行為はできないと思うからです。それとともに、漫画中にも書いていますがこの時に、「自分が戦場から生還したことを実感してきた」と思ったらしく、これは戦争に実際参加した人間にしか感じ得ない特別な感慨があったのではないかという気がしてなりません。

 また人の死を「笑う」という行為ですが、私は決して特別な感情ではないと思います。たとえば大きな悲しみに遭遇した際、「何故だか笑しか出てこなかった」という表現は過去の文芸作品にも数多く出ています、私も実際に同じような感情を持ったことがあると共に周囲にも、特に人の死に接した人間がまさに同じ感情を持ったという話をよく聞きます。またあまりの怒りに「もはや笑いがこみ上げてくるほどの怒りだ」という表現もあれば、「恐怖のあまりに笑い出す」という言葉も比較的一般的です。

 こうした点を踏まえるにつけ、喜怒哀楽とは言いますが笑いというのは喜びもあれば怒りもあり、悲しみもあり、恐怖にも表れる特別な感情表現、言うなれば根源的な感情名のではないかと思います。漫画「シグルイ」によれば「本来笑いというのは獣が牙を向く行為に端を発し」とやらで威嚇する行為から発展した感情表現という説もありますが、獣を観察していても威嚇する際だったり餌をねだる際、風呂に無理やり入れられる際(主に猫)などによく鳴きます。そうした点を入れても、笑うというのは楽しい時にだけ見られる感情表現と言い切るのは早計ではないかと思えてくるわけです。

 ただそれにしたって上記の水木氏のエピソードは非常に深く考えさせられます。勝手な推察をすると、人の死に対する悲しみ、自分が生きて帰ってきたという喜び、息子を偲ぶ母親への憐憫など、複数の感情が一挙まとめて含まれた笑いだったのではないかと思え、考えるにつけ自分もなんだか悲しいような、どうしようもないような感情が持ち上がってきます。戦争だからこうというわけではなく、悲しい笑いというのも案外世の中には溢れているのかもしれません。

  おまけ
 来年PSVitaで「艦隊これくしょん」が移植、発売されると聞いて、現在のブラウザ版は一度も遊んだことがありませんが艦娘こと各キャラクターを調べるのが地味にマイブームになっています。そうやって調べている最中でふと目に入ったものの中に駆逐艦「雪風」が目に入り、二次大戦中の主要な海戦ほぼすべてに参加しておきながらほぼ無傷で戦い抜いて戦後まで生き残り、しかも戦後に中国国民党に引き渡され中国共産党との戦争でも使われたにもかかわらずそこでも戦い抜いたという、文字通り「不沈艦」とも言うべき恐るべき戦歴を知り目を見張りました。
 そしてこの船によって、ラバウルにいた水木氏が本土に復員したという話も今更ながら知り、戦中を有り得ないほどの強運で生き残った船が最後まで生き残った兵士たちを無事に本国へ連れ帰ったのだと思い、変に感極まってこれ書きながらも涙が出てきます(ノД`)

2014年12月4日木曜日

美濃加茂市長の公判について

 私はこのブログで七月に「美濃加茂市長の逮捕・起訴について」という記事を書き、現在汚職の疑いで公判が進められている美濃加茂市の藤井浩人市長事件について取り上げました。この記事を書いた時点でこの事件は非常に冤罪の線が濃厚だと書きましたがその後どうなったのかふと気になって調べてみたところ既に公判が始まっており、ちょっと自分の予想を超えた事態に発展していて笑えるので、一度乗った船だし最後まで取り上げようという妙な責任感から今日も頑張ってこの記事を描こうと思います。


 上記リンク先はそれぞれ10/1~2、11/19に行われた公判を取り上げた記事です。
 この事件の概要を簡単に説明すると、藤井市長が市長に就任する前だった昨年の3~4月に水供給設備会社社長から中学校に取りつける雨水濾過機の件で便宜を図るよう依頼され、二回に分けて現金を約30万円授受したとして、今年6月に藤井市長は警察に逮捕されました。しかもその逮捕期間は一ヶ月以上にもおよび、この間市議会も市長不在とあって混乱し、全国ニュースでも取り上げられるような事件に発展しました。

 私は前回の記事の段階で警察や検察が出して来た供述が非常にあやふやであるばかりか確固とした証拠もなく、さらには現金30万円ぽっちという通常では逮捕されるにまでは発展できない金額レベルの事件で一ヶ月以上の拘留が続くというのは警察(前回記事で「国家の犬」とまで書いたが)と検察に負い目があるためと見え、この事件は冤罪の線が非常に濃いという意見を提示しました。先に結論を書いてしまうと、もうこの事件は冤罪であると断定してもよさそうで、次のステップこと足利事件、障害者郵便割引制度に続く第三の大型でっち上げ事件として捜査するべき頃かなと考えています。

 まず10月の公判についてですが、今回の事件の発端となった藤井市長に現金を渡したと自ら証言した水供給会社「水源」の中林正善社長の過去の経歴が明かされ、その経歴を見るにつけどうしたらこんな人物の証言をまともに受け取れるのかと思うようなひどい経歴でした。それはどんな経歴かというと、以前に事務員として勤めていた病院で長年にわたり横領を働き、使い込んだ額はなんと1億5000万円にも上ったそうです。しかも一回発覚していながらもこりずにまたやって、またばれて、結局返済義務を課された挙句に辞めさせられたそうです。
 病院を辞めた後に現在の水供給会社を作ったそうですが、こっちも経営実態は借金まみれて文字通りの自転車操業でした。にもかかわらず経営が順調であるかのように見せかけて中林社長は金融機関に対して融資詐欺を繰り返し不正に得た金額は資本金5000万円の会社に対して数億円にも上るそうで、藤井市長の弁護団は「中林社長が融資詐欺で立件されている件数は不自然に少ない」と指摘しています。
 このように経歴からして真っ黒な中林社長ですが証言もあやふやそのもので公判の最中も、「藤井市長から金に困っていると聞いた」という発言を弁護団からの指摘を受けて、「実は藤井市長の知人から聞いた」とその場で翻す始末で、見ていてなんですが「何がしたいんだこのおっさん?」という気がしてなりません。

 このような怪しい原告側の証言者が特に真新しい証拠や証言を出さずにこれまでの供述を繰り返したのに対し、藤井市長を弁護する被告側は公判で何をしたのかというと、書いてて笑えますがなんと暴力団員を証言者として出してきました。この暴力団員はたまたま留置所で拘留中だった中林社長と房、というか牢屋が隣同士だったため話し込み、仲良くなっていろいろ話し込むうちにこの藤井市長の事件についても本音とも取れる話を聞いたとして、わざわざ証言しに来てくれたそうです。その暴力団員が中林社長から聞いた話というのも、

・藤井社長に贈収賄をしたことにすれば融資詐欺事件の捜査を警察はストップしてくれる
・藤井市長とは二人きりの時に現金を渡したと話したが、警察からその場にはもう一人同席者がいたと言われ怒られた

 などなど警察や検察とさも癒着して藤井市長を敢えて追い落とそうとするような内容を事を話した上で、この証言者に対して中林社長はわざわざ手紙を書いて同じことを伝えていたそうで、この手紙については中林社長も実際に書いた出したことをすでに認めています。この暴力団員の証言者が何故わざわざ弁護側の証言台にたったのかについては、中林社長は出所したら韓国人を相手とする人材派遣業を始めようと考えたそうで、証言者の身内に対して事業に協力するよう勝手に動いてたことに強く不満を感じたためだと本人が説明しています。

 このほかにも内容を追って行ったらまだまだ証言と捜査のボロがどんどん出てきますが、これ以上何を探ろうってんだという気持ちが私にはあります。そもそもこの事件は中林社長の証言以外に事件を立証するものは何もなく、しかも中林社長が自ら現金を渡したと告白したことに端を発します。何故こんな怪しい親父の証言を警察と検察は信じたのか、いやそもそも何故岐阜県警、愛知県警、検察の三者は藤井市長を追い落とそうとしたのか、そろそろこの点について考えるべきポイントに達してきたように思えます。藤井市長は全国最年少で市長に当選しており、こういってはなんですが妬むような人間は確かに多そうで、そうした人間と上記の三者がタッグ組んでチンケな詐欺者の訴追を見逃す代わりに事件をでっちあげた、なんて考えたくなってきます。

 最後に極め付けと言ってはなんですが、11月の公判の最後でこんな間抜けなやり取りがあったそうです。該当箇所を弁護士ドットコムの記事からそのまま引用します。

「最後に郷原弁護士が『今回の尋問のために何度も検事と打ち合わせしたのではないか』と問うと、2人の検事が『異議あり』と声をそろえ、『何度も、ではない』と主張。『では何回か』とあらためて聞かれた中林社長が『6、7回』と答えると、傍聴席から思わず笑いが漏れた。」

  追記
 コメント欄から指摘を受け、アップロード時に「警察」と書いた箇所をほぼ全部「警察と検察」に変え、「岐阜県警」と書いたところを「岐阜県警、愛知県警、検察」と修正しました。この事件、岐阜県の事件なのになぜか最初から愛知県警が捜査に加わっててなんか妙だなと感じたことをすっかり忘れてたよ……。
 あと同じ方からの指摘で末尾の、「傍聴席から思わず笑いが漏れた」というところは実際の現場では大爆笑だったそうです。そりゃまぁ検察との密会した回数を聞かれて、「6、7回」と正直に答えられたら面白いに決まってますし、普通のギャグセンス持ってたら爆笑すること間違いなしでしょう。それにしてもこのおっさん、傍から見ている分には凄い面白いな。

2014年12月2日火曜日

京大の公安トラブル事件について

 ちょっと時間が経っていますが思うところがあるので先月起こった京大での公安トラブル事件について書きます。なおこの事件の名将については「京大ポポロ事件」という呼ばれ方もありますがこの名称だとネーミングセンスが感じられないので私は拒否します。ちなみにこの名称を聞いて真っ先に思い浮かべた言葉は「アバンチポポロ」というイタリアの歌ですが、こんなの想像するのは間違いなく私一人だけでしょう。
 
 話は本題に入りますが事件のあらましを簡単に説明すると、11月2日に行われた中核派のデモで逮捕された学生三人のうちに二人が京大の学生だったことを受けてかその二日後の11月4日、京大に公安の捜査員が潜入捜査をしていたところ学生に身分がばれ、持ち物を奪われた挙句にしばらく学生によって拘束される事態となりました。この事件の評価に関しては各方面からいろいろ声が上がっていますが、中でも捜査官を捕まえた学生側こと全学連はまるで勝利宣言をしているかのように捕まえた事実を大きく持て囃しております。
 
 まず捜査官に対する私の意見を述べると、すべてにおいて稚拙であるような印象を覚えます。元々京大側と公安との間では捜査官が学内に入って捜査を行う場合は公安側が事前に通知するという取り決めがあったようですが今回の事件ではそうした通知がなかったばかりか、あっさりと学生に身分が見破られて捕まるというちょっと見ていてもかっこ悪い結末に陥ってます。学内は治外法権で公安や警察はみだりに入るべきではないという主張をするつもりは全く有りませんが、取り決めがあったにもかかわらずそれを無視して約束破りをするというのは法の番人として如何なものかと思います。まぁぶっちゃけ交通違反などをみていると私も警察は嫌いで、ゲーム中(「逃走ハイウェイ」とか「セインツロウザサード」)なんかはよく、「国家の犬め……」なんて呟きますが。
 
 次に学生側について意見を述べると、まぁ向こうも逃げようとしたんだから捕まえたくなるというのは人情としてわかるししばらく拘束するというのも理解できなくはありませんが、この一件を持ってさも大勝利であるとか国家の介入がどうだこうだと大騒ぎするのは見ていて正直、「ちっちぇなぁ」なんていう感想を思わずにはいません。言ってしまえばウサギ一匹捕まえた程度でこんだけ大喜びする事かと言えばそうでもないし、逆を言えばそうやって大騒ぎせず(=功績を過大に宣伝せず)には組織が保てないのかと疑います。
 またその後の京大学生寮への家宅捜査においても激しく公安を批判してここでも学問の自由やら大学自治がどうこう言ってましたが、少なくとも中核派という過去に大規模なテロ事件を起こした団体の関係者が捕まっているのだから、自治もクソもなくどうして単純な治安活動として受け取れない、やましい腹でもあるのかと勘繰りたくなります。まぁあるんだろうけどさ。
 
 以上が事件に対する主な感想ですが、少し論を発展して関西の学生、特に寮生の妙な思想についてもう少し触れます。まずいきなり断言しますが基本的に関西の学生寮はほぼすべて左寄りで、社会主義勢力の肩を持つ一方で無意味に警察や政府を敵視しています。繰り返しますが彼らの敵視は本当に無意味で理由はなく、特に理論立ったものもなければ特別な怨恨も何もありません。
 何故関西の学生寮にいる学生はそういう思想を持つのか、一つは私が前に書いた「『弾圧』を自己正当化理由にする人々」で書いたように自分たちが大きな勢力(=権力)に弾圧されていると主張することでしか自己正当化できなくなっているのと、やや外界と隔絶されたインナーでカビ生えた妙な文化を育んでいるためではないかと考えています。
 
 何故私が知ったかぶりでこのように語るのかというと、ほんのちょっとですが関西の学生寮と接触を持ったことがあるからです。私は世にも珍しく箱根の関所を越えて関西の大学に進学しましたが、なるべく生活費を抑えたいがために学生寮に入ろうと当初は入寮を希望しました。てっきり私は入寮者は大学事務所での抽選か何かで決まるのかと思ってたら寮生が面接で決めると言うのでただでさえ出費が苦しいというのに入学前に新幹線往復台を払って京都まで面接を受けに行きましたが、面接前に行われた寮の説明を聞いて「何こいつら?」と強い違和感を覚えました。
 どの点に違和感を覚えたのかというと、寮生が語る寮の歴史とやらです。どういう内容かというと、「〇年 大学側との交渉の末、電気代を大学側の負担にさせることに成功した」、「×年 備品代を大学側の負担にさせることに成功した」、「△年 ガス代を……」という具合で、まるでさも自分たちが大学運営側との交渉で実績を残して来たかのように書いてありますが、中身を見る限りだとむしろ大学側に脛をかじるというかたかるというか、不必要なまでに依存していることを自慢げに語ってました。にもかかわらず、「これは学生自治の成果だ!」と主張していて、自治だの自立だの言うのなら電気代くらい自分で負担したらどうかと素直に感じました。同時に、大学側に色々負担させているのだから感謝の気持ちを持つのならともかく、むしろ敵視するかのような発言を繰り返すという点を取っても人情のなさを覚えました。
 
 結局面接には落ちて私の新幹線往復代は空費することとなったわけですが、その後の学生生活で何度か寮生と会って話す機会があり、彼らもああいう妙な主張を自分自身で胡散臭いと理解しつつもなんか伝統となっているから受け入れてるみたいなことを話していました。もっとも寮生だった後輩からは、「きっと花園さんなら寮の文化にすぐ溶け込めますよ」なんて言われてちょっと不安に感じましたが。
 
 最後にまとめると、関西の学生寮は決して思想的なバックボーンがあって学生自治だの公安敵視だのをやっているわけでなく、思考を停止した上で妙な伝統だと思いつつも受け入れてやっているのが大半ではないかと私は考えているわけです。その上で述べると、書類選考でやればいいのに無駄に面接をやって金の少ない入寮希望者にムダ金使わせるようなことはとっととやめろと言いたいのと、今回もこういう事件あったのだし、恩を売っても仇で返すような連中も多いのだから大学運営側はこの際寮を廃止した方が良いのではとお勧めしたいです。
 実際、中核派とかは完全に活動の根拠を失っているし、そんなのに惑わされる時点で学生どころか人間にとって必要な最低限の自我がないのではと内心思います。まぁそれを言ったら魂持ってる日本人は自分を含めてどれくらいいるのかだけど。

2014年12月1日月曜日

民主党・枝野幹事長の解散に対する発言

 今日出勤中、「三途の川って英語で言うとSons river?息子の川?今でも脱衣婆が河渡ししてるのかな、それとも時代も変わったし今頃は橋が掛けられたりフェリーが運航されてたりするかも。それどころか青函トンネルみたいに川底をトンネル通ってるかもなぁ。考えてみれば臨死体験者がよくトンネルくぐったとか言ってるけど、それってやっぱり三途の川底トンネルかも……」なんていうことを割と真剣に考えていました。
 なお臨死体験については私は記憶の混濁であるとして少なくとも死後の世界を垣間見たとかそういうのじゃないと考えています。根拠は単純に、三途の川を見るのは日本人だけで、逆に光に包まれるという欧米人がよく見るイメージを非キリスト教国の日本人はみないなど文化的要素があまりにも強すぎるからです。
 
 話は本題に入りますが今回の解散が決まる前の9月に、民主党の枝野幹事長はこんな発言をしていました。
 
 
 このニュースを9月の時点で見た私は何を馬鹿なことを言っているのだと思ってましたが、本当に安倍首相はこの後の臨時国会で解散を決議しちゃって意外に枝野幹事長の予測は侮れない、けど実際に解散されて今頃逆に困ってるのではとも思いました。そしたら解散が確定的となった11月には、
 
 
 案の定というか、急な解散は身勝手だと決断した安倍首相を批判する始末です。ってか私は枝野幹事長は、「我が意を得たり!」なんて言って安倍首相を誉めてあげてもいいんじゃないかと過去の発言から思っていましたがやはりというかいつも通りの変節振りで、何も私だけじゃなくほかの多くの人も同じように「何言ってるんだこいつ」というばかりにこの二つの発言を取り上げています。
 逆を言えば民主党の上層部は解散を要求するだけで何の論点も持っていなかったばかりか候補者も策定できていないような状態で、こうした点を考慮するにつけ私個人としてはやっぱり政権は任せられないなぁというのが本音です。まだ自民の方が大人だ。
 
 もっともこういう民主党関係者の変節は今に始まったことではなく、そもそも論で話すとこういう一般人としてみてもかなり危ない人間が議員としてそこそこキャリアを積めてしまう日本社会の方に問題があるのじゃないかとすら思えてきます。なお選挙予想に関しては大体方向性が見えてきましたが、恐らく自民が圧勝で野党各党はほぼすべて議席を減らし、自民・公明は今以上に議席を大幅に増やすことでしょう。ポイントとしてはさしたる論点がなく投票率が下がって創価学会票が威力を増すことと、アベノミクスに対する評価は決して上場ではないものの民主党の政策よりはマシだと考えている層が多そうに見えることと、維新の会が内部分裂激しく勢いがなくなっているなどという点からの結論です。