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2014年12月31日水曜日

今年書いた記事について

 年も瀬ですがこっちの本番は旧正月なのでいまいち盛り上がれない状態で今パソコンに向かっています。何気に旅行から帰ってきたばかりのため約二週間分の洗濯物をさっきまとめて洗濯機に放り込んだら途中でエラー出て止まったりと、相変わらずの運の悪さが年末にも来ています。
 さて年末を締めくくる今日のこの記事ですが、差し当たって急いで書く記事もないので一年を振り返る意味合いも兼ねて2014年に自分が書いた記事の中で印象に残ったものをいくつかピックアップして紹介しようと思います。そんなわけで改めて右にある過去記事の履歴ツリーをちらちら見ましたが、我がブログながらその膨大な記事数には一目見てげんなりしました。

 まず今年一番傑作だと自負する記事に関しては全く迷いがなく、「人材派遣企業各社の平均的マージン率」を挙げます。アップ当時から周りに、「この記事は大手新聞の一面を飾っても恥ずかしくない」と豪語し続け、現在においても確実にアクセス数が伸びていることを考慮すると非常に良いテーマに手を付けたなという達成感を覚えます。この記事に関しては近々にも続編を書いてみようと考えており、現在の時点でも非常にワクワクしています。

 次にこのブログに恐らく一番期待されているであろう歴史記事に関して言うと、「二次大戦下のフィンランド前編 後編」の記事が個人的に一番納得する出来でした。アップ直後から複数の読者から、「当時、フィンランドがあんな風になっていたなんて知らなかった」などという言葉と共に賞賛を受け、私自身も大国に挟まれてしまった小国がどのようにして国家の危機を切り抜けたのか、その外交や戦争におけるギリギリの駆け引きを拙い文章ながらこうしてまとめられたのは非常に幸福に感じました。
 同じく歴史記事だと、ちょっと主旨が違いますが「何のために歴史を学ぶのか」が歴史を学ぶ意味についてそこそこいい感じに書けた気がします。案外こういう問いに対する回答案というのが見つからないだけに、未踏のテーマに手を付けたなとも思えます。

 読者からの反響が一番大きかった記事であれば、「やる気のある無能」の記事が自分の想定以上にあちこちからコメントが来ました。友人からは、「あれ見てほんま納得したわ」と言われるし、親父からはこの記事を見せた会社の同僚全員が、「こういう奴っていますよね」と全肯定したなどと、サラリーマンであればあるほど共感が得られた記事だったように思えます。書いた本人としてはほかにもこういうテーマの記事書いてる人はいるだろうと思っててそんな反響ないかなと思ってただけに、想定外の反応に非常に驚きました。

 経済関連の記事だとそれほど多く書いてはいないものの、「中国のビジネスホテル市場2014年版」と「九州丸ごと特区化の提案」がなかなか内容もまとまっていて納得しています。ただ経済系の記事はほかのと比べて反応がやや薄い傾向があるのですが、九州丸ごと特区化の話は多分四年後くらいに同じ内容の話がどこからか出てくるんじゃないかと期待しています。
 このほか単純に読み物として面白い記事だと「不死身の弁護士」が小話として内容もあり、また文章も飛んだり跳ねたりしていてなかなかグッドです。そのまんまどっかの雑誌のコラムにもこれは使えるような。

 最後に、基本毎年大暴れというかおかしな行動を何かしら起こす自分ですが、そんな自分の身の回りで起きた出来事を書いた記事が案外読み返して面白かったです。どれもこれも今年前半に集中していますが、夜中に猫同士のケンカの声で起こされた「深夜の決闘」、買ったポーチが異常に砂利臭くて交換してもらった「PSVitaの付属品に伴う懊悩( 一一)」、そして何よりも雪降る深夜に外で長時間待たされ死ぬ思いした「楽しい楽しい帰宅難民体験(;´Д`)」が今思い起こしても強烈な体験でした。
 それにしてもどれも「普通こんなのってあんの?」と思う妙な体験ばかりで、書いてる本人ながら「お前適当に話作ってね?」と疑いたくなるものばかりです。今年に限るわけじゃないけど、なんかトラブルに巻き込まれやすい体質してるのかもしれません。

2014年12月30日火曜日

中国でのGメール遮断について

Gメール遮断で中国批判 米国務省(産経新聞)

 Yahooニュースにも上記のようなニュースが出ているので知っている方も多いのではないかと思いますが、どうも先週末くらいからGoogle社のフリーメールサービス、Gメールが中国で遮断されたようです。ちょうど自分は先週金曜から家を空けて西安に行ってたのでこれまで気づかず、昨夜自宅に帰ってきてようやく事の事態を知り、実際に自分のアカウントで送受信を試してみたところやっぱりアクセスできず怒りに震えていました。

 先に情報を整理しておくと、今回のような事態に至るまで「予兆」というものは確かにありました。2013年の年初までは全く問題なくアクセス出来たGoogleのアプリストア、Google Playが2014年には全くアクセスが出来なくなり、同時にこれまではほぼ問題なく使えたGoogle検索も極端に速度が遅くなっていました。そして今年10月頃には私もよく遊んでいたアプリゲームの「パズル&ドラゴンズ」もGoogleアカウントによる接続認証が出来なくなったためある日突然遊べなくなり、なんとなく落ち武者のような気分にさせられました。なおこれまでこのゲームに費やしていた時間がこれ以降はほかの余暇に使われるようになり、その影響からか10月以降はこのブログの記事の質が若干良くなっているような気がします。

 話は戻りますがこうした予兆の末についに最後の牙城というか、切ってはならないインフラといってもいいGメールにまで中国政府の魔の手が及ぶこととなりました。元々、中国ではブラウザからGメールにアクセスするには非常に時間がかかっていたのでこれまで私はメールソフトのWindows live mailを使ってGメールを複数アカウントで利用していました。しかし今回の遮断を受けてかこのメールソフトを使ってもアクセスすることが出来ず、これまでGメールを使って行ってきたこのブログへの投稿も一夜でできなくなり、仕方ないのでこういうこともあろうかと用意していたVPNを使って今この瞬間もブログを書いております。朝日新聞よ、これが検閲だ。でもってこれが自由を求める戦いだ。

 こう言ってはなんですが自分はかなりの中国贔屓で日本人皆に嫌われていると思うから日本人を批判することを数多く書いている傍で中国を持ち上げる記事をこれまでに数多く書いております。そんな自分からしても今回の子の暴挙に関しては激しい怒りを覚え、やってることは北朝鮮と一緒だと強く中国を罵りたい思いがします。
 私などはGメールの依存度は少なく、どちらかというとYahooメールをメインで使用している上にVPNを経由すればまだアクセスできるからいいものの、中には一夜にして連絡手段を断たれた外国人もいるのではないかと思います。そういう人たちの中には家族との連絡に使っている人もいたかもしれませんし、またビジネス上で重要な情報のやり取りをしていた人もいるかもしれません。そのような人と人のコミュニケーションを繋げる電子メールはいわばインフラも同然で、有史以来脈々と続けられてきた文書によるつながりを断つなぞ言語道断と言うよりほかなく、人と人のつながりを断つような人間は真に排除されるべき人種でしょう。

 中国外交部の報道官はこのGメールのアクセス障害について原因は不明で担当部署が確認をしているとした上で、中国は海外からのどんな商業活動も妨害はしないと発言しておりますが、この嘘つき八百太郎が、中国政府は嘘しか言えないのかと面と向かって言ってやりたいです。まだパズドラだけを規制するならともかくこのGメールを規制することはどんな理由があれ納得することはできず、ソニーピクチャーズも折角だから北朝鮮に続いて中国を舞台にした映画を作ったらどうかと密かに思います。

 本日ブログ記事二本、あとあちこちに手紙書いてて、書いた文字数は合計5000字強。執筆時間は実質一時間半でした。自分も手ぬるくなったもんだ。

西安の旅行記


 知ってる人には早いですが先週土曜から昨日の月曜までの三日間、友人の上海忍者と共に中国の陝西省西安市に旅行に行ってきました。なんでこの時期にここに来たのかというと、西安に留学中の後輩が来月にも留学を終えて帰っちゃうので、そんならはよ行かんとと思って上海忍者に航空券からホテルの手配まで全部やらせて(結構得意そう)矢も盾もたまらず行ってきました。

 西安市とは昔の名前で言えば長安市で、前漢や唐の時代にはここに首都が置かれた古都です。それだけあって市内各所には押しも押されぬ歴史的観光地が数多くあり、また外国人観光客も多いことから最寄りの咸陽空港には国際線の発着便が充実しているなど、文字通り観光都市というイメージを強く受けました。
 市政府もそうした観光産業を強く打ち出している向きがあり、空港から市内へのリムジンバスも充実していればしないから兵馬俑など周辺の観光地へ向かう公共バスもルート別に数多く用意されており、またその添乗員らも何時にどこそこを出発するかやお得な入場割引などの制度も熟知しており、ことサービス産業に関してはなかなかの気構えを持って臨んでいるように感じられます。


 上の写真は言うまでもなく兵馬俑でこの写真で見ると対比が難しいですが、左右の端にある小っちゃい黒い影が人間であることを意識すると如何に巨大な遺跡であるかが少しはわかるのではないかと思います。実際いってみて自分も圧倒されましたがよくもこんな巨大な遺跡を発掘した(発掘作業は現在も続いている)物だと思うと同時に、重機もない古代にこんな巨大なものを作るなんて、一体中国はどうして昔から労働力というか人口が豊富なんだと思い知らされました。

 なお写真の遺跡は一号坑で、このほかにも二号坑と三号坑があり、この三つの坑全てで阿発掘作業は完了しておらず、私たちの見ている横でも発掘員がなにかしら動いていました。あとこの兵馬俑は1970年代に井戸を掘っていた農民が見つけて届け出たことにより日の目を浴びましたが、この時発見した農民二人はまだ生きており、この兵馬俑に併設されている博物館に行くとたまに入り口前に座ってて彼らの本を買うとその場でサインしてくれます。そんな情報を後輩に聞いてから博物館に行ったらたまたまその発見者が来ており、お昼時だったので椅子に座ってカップラーメンを食べてました。ちなみに本は200元(約4000円)もしたので買いませんでした。

 このほか写真には撮りませんでしたが気に入った観光地としては華清池という温泉のわき出る保養地があり、ここには日本人もやたら好きな楊貴妃がよく来ていたそうです。てっきり露天風呂っぽい跡地が小さく残ってるだけかと思ったら普通に宿泊施設付温泉保養地みたいなでかい観光地で、裸の楊貴妃の卑猥で巨大な像までそびえていました。上海忍者がやたらその像の胸を触れと薦めてきましたが自分は拒否しました。

 なおこの華清池は近年まで普通に保養地として使われており、日中戦争の最中にも蒋介石が訪れています。そしてこの華清池にいたところを張学良、楊虎城がクーデターを起こして蒋介石を捕縛、監禁し、中国共産党との和解を強制する、俗にいう西安事件の舞台にもなっています。
 この事件の痕跡が華清池には生々しく残っており、山を背にした建物の壁には銃撃によって空いた穴が無数に残っており、なかなかに見ごたえのある観光地です。ちなみに西安市内中心部にはこの時に張学良がいたという建物が残っており、「西安事件記念館」として博物館になっています。


 最後のこの写真ですが、これは市内を歩いている最中に友人が見つけた置物のお土産です。
 男三人揃って全員、「何やねんこれ!?(関西弁)」で叫びつつ、自分は買いませんでしたが上海忍者と後輩はちゃんと買っていきました。このお土産を買う際、友人らはこっちの買い物に当たっては一般的な値切り交渉を土産物屋の親父と行いましたがその親父は、「この置物はもうライセンスがなくなってるためめったに手に入らない」などと言っては値下げ要求を跳ね除けようとしたものの、そもそもこんな物騒な構図の置物にライセンスもクソもあるかと言い返して45元(900円)のスタートから25元(500円)まで値下げさせました。

2014年12月25日木曜日

私的今年の十大ニュース

 昨夜はケンタッキーで中国人の友人に日本語を教えておりましたが、先に着いたので食事を終えて待ってたら、まだ私がご飯食べてないと勘違いした友人がファミリーセットを買い込んで持ってきたため、お互い腹一杯になるまで鶏肉をむさぼり食い続けたクリスマスイブの夜。
 話は本題に入りますが、年の暮ということもあるので今年起きた国内のニュースの中で個人的に印象に残ったニューストップテンをまとめておこうかと思います。なんでこんなことやろうって思ったのかっていうと、友人がこの前にビル・ゲイツが今年一番びっくりしたニュースを教えてくれのがきっかけです。そういうわけで早速ニュース十個を選びました。
 
<印象に残ったニューストップテン>
一位 STAP細胞騒動
二位 袴田事件再審決定
三位 朝日新聞の誤報問題
四位 チバットマン
五位 「笑っていいとも!」終了
六位 佐村河内、野々村などお騒がせ人物
七位 高倉健氏の逝去
八位 田中投手のメジャーでの活躍
九位 神戸女児殺害事件
十位 声優のアイコ昏睡強盗事件
 
 ひとつひとつ解説を行っていくと、まず一位については通年に渡って日本国内を騒がせた問題であることからこれ以外ないというくらいの気持ちで一位に置きました。感想についてはちょっと前の記事でもまとめているのでもうこれ以上は敢えて更には語りません。二位の袴田事件再審決定についてはそこそこ冤罪問題を過去に追っていることもあり、まさかこの事件で最新の光が当たるとは思っていなかっただけに強い衝撃を受けたのと、ここ十年くらいの期間で日本の裁判がここまで変わったのかといういい意味での驚きから強く印象に残りました。
 
 三位の朝日新聞の問題については従軍慰安婦問題で誤報を認め謝罪した点以上に、池上彰氏の朝日を批判するコラムを載せなかった問題の方が自分の中では大きく感じました。別に朝日に限ることじゃないけど、彼ら大手マスコミの「自分たちは批判するが、自分たちだけは批判されたくない」とでもいうような妙な倫理観を強く垣間見えたように思え、やはりというか認識の違いを強く感じた事件弟子亜t。これについてはまた今度、別の所との比較でちょっと取り上げるつもりだけど。
 
 五位の「笑っていいとも!」終了は一つの時代の終焉を強く感じさせる出来事と、その後番組の「バイキング」のどうでもよさが相まって見事ランクイン。六位のお騒がせ人物はある意味で一位のSTAP細胞騒動も含まれますが、一人ずつ取り上げてったらこいつらで全部ランキングが埋まる恐れがあったのでひとまとめにしました。
 七位の高倉健氏の逝去は中国でも大きく取り上げられるなど、かつての三船敏郎同様に海外での影響が大きな役者の死だった故にランクインしました。なお逝去直後のネットの声に、「この人の演技は下手だったが」というコメントが結構見られましたが、これには個人的に違和感を覚えました。確かに役者であれば演技が上手いに越したことはなく、その目で見れば高倉氏の役柄はどれも似たような寡黙なキャラで演技達者と言えるかと言ったら微妙な点です。しかし役者にはもう一つ「雰囲気」という要素が要求されるのであり、それこそオーラとも言うべきかただ画面に映っているだけで強い存在感が感じられるような雰囲気を持つ意味では、高倉氏は大した役者だったように思えます。逆を言うなら、現代の俳優はこうした雰囲気を持っている人がほとんどいないということの表れなのですが。
 
 八位の田中投手の活躍については開幕前からある程度予想していたものの、その予想以上の堂々としたピッチングぶりにはさすがマー君と、一体いつまで君付けで呼ばれるのだろうかと思いつつ唸らされました。マウンドでの活躍はもとよりも、試合後のインタビューも「メジャー選手なんて軽いね」なんていうような驕った発言はほとんど見られず、それでいて各試合の調子を自分の目線できちんと伝える姿勢には見ていて惚れ惚れしました。元々、デビュー一年目から受け答えが立派な選手でしたがこのところはますますよくなっているように見えます。
 九位の神戸女児殺害事件は事件の陰惨さもさることながら、遺体発見現場が自宅近くだったにもかかわらず長い時間発見することが出来なかったばかりか、容疑者の自宅に凶器が見つからないと発表してから数日後にすぐ血の跡のある包丁を見つけたと訂正するなど、兵庫県警の対応が見ていて非常に腹立たしかったです。尼崎の事件といい、元から兵庫県警は信用していませんでしたが今度の事件でもその不甲斐なさが発揮され、馬鹿は死ななきゃ治らないというのをきちんと証明してくれたように思えます。
 なお今年起きた陰惨な殺人事件では佐世保の女子高生が同級生を殺害し、バラバラにした事件もありましたが、私個人としてはこれはそんな印象には残りませんでした。というのも、世の中この女子高生みたいな人間の一人や二人くらいはいるよなって思ったからです。
 
 十位の「声優のアイコ」と名乗っていた容疑者の昏睡強盗事件にかんしては、監視カメラに映っていた控え目に言っても目立つ犯人の容姿、そして犯行の手口の時点でも面白い事件でしたが、それ以上に驚いたのは犯人が性同一障害を抱えており裁判でも自分は男だと主張した点です。自分を男だと認識しておきながら一体何故女の振り(?)して男たらしこみながら昏睡強盗していたのかいまいちよくわからない上、しかも裁判途中で実は妊娠していたという衝撃の事実と相まって何度も驚かされつつ色々気になった事件でした。あとネットの掲示板にあった、「(裁判で)容疑は否認するが、避妊はしなかったんだな」というツッコミが妙に面白く感じました。それと容疑者は今月、お腹の子を無事出産したようです。
 
 最後、敢えて飛ばした四位のチバットマンについてです。内心ではもっと上に上げてもいいかなと思いつつ中途半端な順位にしましたが、個人的に一番お気に入りのニュースは間違いなくこれです。最初に「千葉県内でバットマンのコスプレした人が走っている」というニュース文を読んだ際はまた変な人が出たのかと思いましたが、写真や映像で見てみたら思ってた以上に本格的で、しかもインタビューに答える中の人の声も低く渋いいい声で、「まんまバットマンやんけ」とそのバイクで走る姿には思わず見入ってしまいました。さらにはなんでこんなことをするのかというBBCなどからの問いに対して、「東日本大震災を受けて周囲の人を笑顔にさせたいため」と答え、また過剰な取材を受けることは本意でないとして途中から取材一切をすべて断るなどいろんな点でこんな人もいるのかと驚かされたニュースでした。
 最近取り上げられる回数は少なくなったものの日本に定着しつつあると見られる伊達直人運動と言い、こういうチバットマンのような人が日本にも出てきたということは素直に歓迎すべきことではないかと思います。たかがコスプレされどコスプレ、根底には周囲の人を楽しませようという奉仕心があるのであって、その気持ちを今後の日本社会がきちんと汲み取れるかが一つの試金石です。
 
 明日からまたしばらく家を空けるので更新を休みます。再開は恐らく次の月曜からです。

2014年12月23日火曜日

デフレはトヨタの賜物か

 
 目下の自動車業界のホットな話題となるとまず間違いなくタカタ問題ですが、私が個人的に気になる問題としては上記のようなトヨタの問題についてです。トヨタとくれば日本の稼ぎ頭といって間違いないのですが、その一方で今日の記事の結論でもありますが日本経済の最大の問題点であるデフレの主因ではないのか、そのような不信感を強く抱いています。
 
 トヨタは現在アベノミクスの追い風を受けて今年9月期の中間決算で過去最高益を記録するなど絶好調が続いています。しかし世間の景況感は未だ悪いままで、しかも過去最高益のトヨタの下請けに至っては上記ロイター(ネタ元は帝国データバンク)のニュースによると7割がリーマンショック前の売上げに回復しておらず、残り2割も「横ばい」と答えるなど全く恩恵を受けていない状態にあるようです。
 それもそのはずというかトヨタは下請け企業に対してほぼ毎年、部品製品のコストダウンを要求しており、その要求値下げ率も大体三年くらいのペースで数十パーセントという、言ってはなんですが途方もない数字をさも平気そうに言ってきます。過去最高益を記録した今年もまた同じくらいのコストダウンを要求しているというような情報をちょっと耳にしたのですが、調べてみたら上記リンク先のニュースにも乗ってますがさすがに今年は多少空気を読んだのか一切のコストダウン要求はしないという方針をトヨタは発表しています。もっとも、冷静に考えるとこれもおかしな言い方にしか聞こえてこないのですが。
 
 というのもトヨタはリーマンショック以降の過去数年間、円高による海外市場の苦戦とやらを理由に下請け企業に対して厳しいコストダウンを要求し続けてきました。これを現在の状況に置き換えるなら、大幅な円安に転じたのだから今まで散々安く買い叩いていた部品の値上げを認めるのが筋じゃないのか、こんな風に思え「今年はコストダウンを求めないよ」なんていうのはちょっとふざけた言い方にしか聞こえません。それに多分、コストダウンを求めないのはあくまで今年だけの話であって、来年はまたいつもの如くコストダウンを要求するのが目に見えています。
 
 ここで私が何を言いたいのかというと、順調に増益に次ぐ増益を達成しているにもかかわらず異常ともいえるコストダウンを連年下請けに課しているトヨタは紛れもなく下請け企業の利益を吸い取っており、ひょっとしたらトヨタこそがデフレを加速させている主要な要因じゃないかとこの頃強く思えてきました。またトヨタのコストダウン要求は明らかに業界における強い立場を利用しての行為であって、小売企業に対し消費税還元セールを独禁法で禁止するくらいならトヨタのコストダウンも独禁法でそろそろしょっ引くべきではないでしょうか、本気でデフレ対策をしようというのであれば。
 
 ちょっと気になったので現在の日本国内の自動車販売台数シェアをこのサイトを参考に調べてみましたが、今年1~11月の軽自動車を除く販売台数シェアだとトヨタは45.2%を占めています。これに実質的にトヨタ傘下であるスバルの3.8%を足すと49%に達しており、さらに軽自動車では同じく傘下のダイハツが単体で30.5%を占めており、こう言ってはなんですがもうそろそろ独禁法かけてもいいくらいのシェアじゃないかと思います。
 トヨタが大した企業であることは認めますが、その無茶なコストダウン要求振りは日本国内の経済を歪な形にさせているように見え、何かしらの形で締め付ける必要があるのではと言いたいわけです。本当の意味でアベノミクス(の目指そうとしているもの)を成功に導くためにも、トヨタを叩くことこそが今大事なように思えます。それこそ狙い撃ちにするような形となってでも。
 
 最後にもう一言だけ書いておくと、かつては画期的な経営手法と言われていたトヨタの「カンバン方式」ですが、ここ数年は経済誌などでもすっかり目にすることがなくなりました。そのきっかけは間違いなく東日本大震災によって起こった生産停止で、あれでこの方式はただ単に不測事態の在庫を一切持たないだけのノーガード戦法に過ぎないということが露呈したからでしょう。これに限ることではないけど、日本人は全体として起こってほしくな自体は起らないことを前提に物事を計画するので緊急時となると異常に弱くなりがちで、いい加減、二次大戦の頃の反省を生かせばいいのにとつくづく思います。

2014年12月22日月曜日

STAP騒動の顛末について

 もはや詳細は語るまでもなく論評だけ書くことにしますが、先週理研はSTAP細胞の再現実験が失敗し、研究を打ち切ることを発表しました。この結果自体は初めから見えていたことで特に驚きもなく、小保方氏の処遇についても本人から辞職願があったのでそれを認めたということも予定調和と言える気がします。その上でこの一連の騒動を総括するなら、2014年はアベノミクスよりもイスラム国よりも、小保方晴子氏とSTAP細胞の一年だったと思えるくらいにこの事件はインパクトがあったという気持ちを覚えます。
 
 この事件の何がすごいのかっていうと、ちょうど一年間で栄光から凋落まできれいに完結できている点です。今年一月末に英科学誌ネイチャーでの論文発表によって一躍「リケジョ」の星だなんて持て囃されたかと思えば4月ごろには研究内容を疑問視する声が出ると共に過去の論文盗作疑惑が噴出し小保方氏も会見に出るなど情報が錯綜する中、再現実験はなかなかうまくいかず8月には理研での上司に当たる笹井氏が自殺し、そして今月12月にはやっぱり作れなかったという幕切れとなります。
 ちょうどこの2014年の一年間を通して定期的に物事が動いていったため終盤までニュースとして腐らず飽きられず、その上でたった一年で「ノーベル賞候補」とされた存在が「疑惑の研究者」として研究現場から離れるというハイスピードな展開振りで。佐野眞一氏のような言い方をするならばその流転っぷりは人として何とも言えない魅力があります。それこそ「オボカタ 奴の正体」みたいな連載記事とかもあってもいいかもしれませんし、もしこんな連載あったら自分も毎週読んでみたいです。
 
 もちろん冗談ではありますが歴史の教科書に、「2014年:小保方の乱」みたいに書いたっていいくらいこの一連の騒動は日本国中、ひいては関連する研究業界に、内容はどうあれ、過去に例のないくらい大きなインパクトを与えた事件だったと思います。何故それほどのインパクトを残せたのかというと、STAP細胞という存在してたら本当にとんでもない価値を持つ研究であったことは元より、過去から現在に至るまで疑惑に満ちた研究人生を送っていながらあくまで自分はシロだと言い続けた小保方氏のキャラクター性があったがゆえといえるでしょう。
 
 このブログでも何度かこの事件は既に記事化しておりますが、過去の記事ではさすがに人格批判になるかもと思ってはっきりとは書かなかったものの、彼女の言動を見ていると明らかに矛盾した内容を口にした上で問題に核心については曖昧に口を濁すなど確信犯的な態度もみられましたが、その一方で自分の嘘を自分自身で本気で信じ込んでいるような、一番厄介な虚言癖を持ってそうな雰囲気を感じました。近いタイプを挙げると鳩山由紀夫元首相もそうでしたが、小渕優子議員や渡辺善美元議員のように人間は嘘をついているような痛い所を突かれると一瞬、「うっ」というような苦しむような表情や詰まったような返答をするのが自然ですが、小保方氏は会見でそういう面を一切見せることはなく、それでいて核心はきちんとはぐらかしてくる点が良くも悪くも常人とは異なるという印象を覚えました。あの佐村河内ですら会見では苦しそうな表情や強がるような素振りを見せていたというのに。
 
 今後の理研はどうなるのか、小保方氏は今後どうなるのか、芸能界入りか?、などがこの騒動に対する現在の主要な議題でしょうが、私自身は逆にこの議題はあまり興味がなく、むしろ一連の騒動の展開とどれだけ多くの日本人の興味をかっさらってったのかという影響を考え分析する方に興味があります。まぁ事件の影響と言っても大きいのはやっぱりアカデミックに対する影響で、この事件以降は早稲田大学以外でも論文の盗用があちこちで明るみに出るなど、ちゃらんぽらんな論文審査が現場で続いていたということに対し一石を投じたのは間違いありません。なおアカデミックに対しこれほど大きなインパクトを与えた事件となると私の中では2000年の旧石器捏造事件くらいしか浮かばず、十年に一度くらいのペースと言えるくらいの大きな捏造事件だったのではと思います。
 
 もう一つ書きたいことを書くと、冒頭にも書きましたがNHKは「リケジョ」という単語をもう一回使ってはくれないのかなと皮肉っぽく思います。もはやこの言葉は小保方氏の枕詞としてしか機能せず、普通に理系学部に通う女性に対して「リケジョだね」なんて言ったら嫌な顔されること間違いなしでしょう。この「リケジョ」という言葉といい、「鉄子」とか「歴女」、「カープ女子」など、本当に一瞬で終わるような流行り言葉を女性に付ける風潮が実は非常に嫌いです。理由は簡単で、そもそもこれらの言葉が女性に冠せられるほど流行していないのと思うのと同時に、試用期間が一瞬ですぐに廃れるなど言葉として軽すぎる印象があるからです。ですから私としてはSTAP騒動に懲りずマスコミ各社はもっと「リケジョ」という単語を連発しまくって流行らせるよう、普及するよう努力するべきだしそれが彼らの責任だと私は思います。そんな責任被りたくないというのなら無用な言葉を作るなんて馬鹿なことをするべきじゃないと言いたいです。
 それにしても、「リケジョの星」は一瞬で、まっさかさまに流れて消えてったなぁ。
 
  おまけ
 「歴女」という言葉がありますが、今の今まで自分が及第点を出すほど歴史知識をちゃんと持っている女性は私は見たことがありません。何も世界史、日本史両方の基礎知識が出来る水準まで求めるつもりはありませんが、せめてどっちかの現代史位は把握してもらいたいのが本音です。「死のう団事件」とか解説できる女性がいたら一発で惚れるんだけどなぁ。

2014年12月20日土曜日

「司馬史観」の影響と現状

 
 上記のニュースは先月、作家の司馬遼太郎の夫人にあたる福田みどり氏が亡くなったことを報じたニュースです。このニュースを一目見た時にパッと私の頭に思いついたことは、「そういえば『司馬史観』という言葉もすっかり聞かれなくなったな」という思いでした。
 
 司馬遼太郎について説明する必要はないでしょうが昭和を代表する人気歴史作家で、河合継之助など彼が小説に書いた影響で一躍人気となった歴史上の人物が数多くいるなど現代においても計り知れない影響を与えた人物です。先に白状すると私は彼の小説だと「太閤記」しか読んでおらず、中学生時代に名古屋に左遷されたうちの親父からこれ読めあれ読めと勧められつつもなんかはまることが出来ず現在においてもほとんど全く手に取っておりません。もっともよく人に驚かれるくらいに普段から本を読まない性質であるのですが……。
 
 そんな大作家、司馬遼太郎の影響力を示す言葉として上記の「司馬史観」という言葉があります。この言葉は司馬遼太郎の小説で語られる歴史の見方でもって各歴史的事件や人物を評価しよう、分析しようとするような見方で、どちらかと言えば影響を受けた読者たちが持った歴史観として使われます。この言葉自体はさすがに昭和期を一桁しか生きていないためどのように発生したのかライブで見ていないためわかりかねますが、少なくとも私が子供だった頃は社会に定着して、この司馬史観に則って実際の歴史を評価しようという動きは確かにあったように思われます。
 具体的に述べると一番大きく取り上げられていたのは日露戦争以前と以後の日本に対する評価で、「坂の上の雲」で日本は日露戦争まではまだまともだったがそれ以降は列強になったという驕りを持ってしまいその後の二次大戦に至るまでの暴走を始めたという考え方を描いた、とするのが司馬史観を代表する歴史観だとして、90年代末期なんかは戦前の日本の行動を肯定的に見る右翼などから批判されていたのを一緒になって批判していた右系少年だった自分が見ています。まぁ今となったら「日比谷焼打ち事件」が確かにターニングポイントだったと思えてきたが。
 
 ただこうした司馬史観は司馬遼太郎本人を置き去りにして広まっていったというのが本当の所のようで、ウィキペディアの記述を信用するなら本人は特に明確な思想でもって小説を書いて行ったわけでもないそうです。また自分の記憶する限りだと本人がこの司馬史観について言及したり歴史観をインタビューで披露するようなことはそんな多くなかったことから独り歩きすることにあまりいい気はしてなかったんじゃないかなと勝手に考えています。まぁ思想というのは一人歩きするから思想と呼べるのですが。
 
 あと司馬史観からちょっと意味が離れるもしれませんが、彼が小説で面白くするために書いたフィクション部分がその影響度の高さからさも歴史事実のように世間で受け止められてしまうということも非常に多かったです。一例をあげると「国盗り物語」で、現代においては一介の油売りから美濃を乗っ取った斎藤道三とされる人物は実は一人ではなく、実際には親子二代の乗っ取り劇だったということがほぼ確実視されていますが、当時の研究のせいもあるでしょうがこれを小説では一代記にして書かかれたために現代においても斎藤道三は一人と見ている人が多数であると思えます。
 ある意味で人気作家であったために起こった弊害と言えますが、彼の小説は歴史事実に対して基本的には即しておりフィクションとノンフィクションがわかり辛いことは確かです。また今のようにインターネットがなく最新の史料研究を知る術がないことを考えると、「司馬遼太郎の小説に書かれているから事実だ」とかんがえるような、一つの司馬史観が流行るのも無理ない気がします。
 
 そろそろ話を戻しますが、現代において司馬史観がどうだこうだという論争はおろか、彼の小説に書かれていたから実際の歴史はこうだ、なんていう主張はここ数年全く見ることはありませんでした。それどころか彼の小説タイトルが話題に挙がることもほとんどなく、逝去からそこそこの時間が経っているとはいえ90年代の頃にあった隆盛ぶりと比較すると隔世の感があります。それこそ90年代ならば、「司馬遼太郎を読まずして歴史ファンとは言えない」というような風潮も感じられ、周囲から何度も薦められていただけにちょっと変わり過ぎではとまで思えてきます。
 
 その上で現代について述べると出版不況を象徴するかのようですが、世の中を動かすくらいの大ヒットする誰もが読むような歴史小説はとんとなくなりました。強いて挙げれば塩野七生氏の「ローマ人の物語」とかくらいで、歴史小説自体がやっぱいろいろ厳しい時代になってきているのかもしれないとともに、ある意味そういうのに盛り上がれる時代だったのかなと振り返りながら思います。