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2016年5月19日木曜日

北(朝鮮)の国から~丹東旅行記 二日目

 前回に引き続き北朝鮮との国境沿いにある丹東に旅行してきた話を書きます。
 二日目の日曜日は一緒に来た友人と共にあらかじめ申し込んでいた現地旅行会社の半日ツアーに参加しました。なお申し込んでたのは180元のコースでしたが向こうのミスで150元のコースに入れられていたため、見に行く予定だった観光スポット一つを訪れることなくツアーが終わってしまったので友人が文句言ったら二人分の差額60元を返してくれました。

 ツアーはバスで移動するというものでしたが生憎この日は雨で、バスから降りる度に傘指してバスに戻るもんだから湿気ムンムンのツアーでした。しかもかねてから楽しみにしていた「朝鮮戦争記念館」は現在改装中なので中には入れることが出来なかったり、雨で視界が悪いのに丹東が一望できる山の上行って案の定何も見えなかったりと、隣にいた友人はずっとブツブツ文句言ってました。
 ちなみにツアーの参加客はざっと見たところ中高年しかおらず、ほぼすべて華北の人間で北方訛りの強い中国語で会話していました。恐らく華南から来たのは私と友人くらいなものだったのですが、逆を言えば北の人間からすれば丹東はそこそこ観光地としてみられているのかもしれません。

 このツアーバスでの移動中にはガイドが北朝鮮の事情について説明する場面もあり、ガイドによると丹東にはたくさんの北朝鮮人が出稼ぎに来ており、その収入は月収で1000元(約1万8000円)だとのことで実質的にこの地域の最低賃金で働いているそうです。参考までに、上海と深圳ならもう最低賃金は2000元を超えています。
 ただこれで終わらないのがやはり北朝鮮。一人月収1000元で働くのですがこのうち六割に当たる600元は強制的に北朝鮮政府が徴収するとのことで、労働者が受け取れるのはわずか400元だそうです。しかもそのお金の大半は本国の家族らへ送金するとのことで、恐らく中国国内の衣食住は保証されているでしょうが、自分で自由に使うお金はほとんどない模様です。この中国での出稼ぎでは大体3年くらいいるそうなのですが、北朝鮮に戻った後で貯めたお金で何を買うかっていうと一番多いのは自転車とのことで、向こうではまだ自転車が高級品として扱われているということも教えられました。

 ここから私の考察ですが、ざっと見まわしたところこの丹東の街の住民はやけに裕福層に見えました。というのも中国の地方都市にしては日本車やアメ車など比較的いい車が走っており、安い中国国産車がほとんど見られないほどでした。中国の地方都市でなおかつ主要な産業がないにもかかわらず一体何故かと疑問に思ったのですが、考えられる理由としては一つには観光産業がきちんと成り立ってサービス業でやっていけている、もう一つとしては北朝鮮人を安い賃金でこき使えるからではないかと推察しました。途中で土産物屋の親父にも話を聞きましたが韓国人もたくさん敢行に来ているとのことで、実際に街中歩くと韓国人向けと思しきクラブが林立しています。逆に、日本人はほぼ全く来ないと話していて、「お前、小日本なのか」と言われた挙句にせがまれてパスポート見せる羽目になりましたが。


 この前の記事の写真で国境の川幅がどれだけあるかがわかりにくかったので、上野写真を用意しました。大体上の写真位がスタンダードでこれくらいの川幅なら両側にフェンスも設けられていませんが、場所によってはジャンプすればすぐ飛び越えられるくらい狭まっている所もあり、そういうところだと有刺鉄線も張られてたりしました。


 話はツアーに戻りますが昼食に食堂へ連れてこられましたが友人が、「衛生的によくない」と拒否したため、我々だけ持参してきたパンを食べて昼食とした後、さっきの川幅の写真のところからボートに乗り込み北朝鮮側の陸地へ近づいてきました。先程にも書いたようにこの日は大雨でなんとなく気分的には強襲上陸をやるような感じだったのですが、この上の写真がそれらしい雰囲気を出せたと思います。
 真面目な話、かなりスピード出すボートで5元でビニールの合羽買って着込んだけどすごい寒かった。


 これもボートで近づいた北朝鮮側の埠頭ですが、この埠頭は戦前に日本が建てたものらしいです。この写真は一切ズームをしておらず、実際に数メートルの距離まで近づいています。
 このボートでの移動中、北朝鮮の見張りの兵士にもかなり近づきました。さすがに兵士に対しては「カメラを向けるな」という指示があったので写真を撮りませんでしたが、ライフル持っているのもいれば、女兵士が立っていたりする場所もあり友人はやたら興奮していましたが、自分としては北朝鮮人を見たところで何の感動もなくやや冷めた目で見ていました。
 それにしても、なんだか人間サファリパークみたいな感じで一方的に観光の材料とされる北朝鮮側の人たちはどんな気分なんだろ。


  ボートで北朝鮮側を見て回った後は市内の歴史博物館やらお土産屋やら万里の長城の始点地などを見てホテルへと戻りましたが、ちょうど夕方頃には雨が止んで晴れ渡り、ホテルの部屋から臨んだ北朝鮮の風景も遠くまで見られるようになりました。

上の写真のズームアップ

 同じくズーム。なんか政府系の建物らしいのが見えた。

しつこくズーム。これらすべて同じ場所から撮影してます。

 この後軽く市内を散策して、夕食は四川料理のお店入って海鮮料理を食べてきました。料理はおいしかったものの四川風なだけあって半端なく辛く、貝を三つくらい食べたらもうそれ以上は食べられませんでした。

 翌日、正午の便で上海へと戻りましたが丹東の空港は軍民共用のため、飛行機乗るのを待っている間に練習機とみられる戦闘機の離発着を複数回見る機会がありました。主な旅行内容についてはほぼ書き終えましたが、もう一回おまけとして戦利品を紹介します。

2016年5月17日火曜日

北(朝鮮)の国から~丹東旅行記 一日目


 先週土曜から昨日までの三日間、中国東北部にある遼寧省丹東市へ友人とともに旅行していました。この街は一体どんな街かというと、よく日本のテレビニュースとかで「北朝鮮との国境沿いにある中国の街では今何が起きているのだろう?」というナレーションと共に紹介されるあの街で、鴨緑江を挟んで北朝鮮と国境を接する場所です。なんでこんなとこ来たのかっていうと、上海人の友人が「どうしても行きたい!」と去年くらいからずっとねだってたからで、私の方から行きたくていったわけではありません。興味はあったけど。

 ホテルから望む北朝鮮側の風景

 上記写真のアップ

 上海市から青島を経由して約5時間かけて飛行機で丹東市に降り立ちました。上海からの直行便はなく、また上記の経由便も早朝六時のフライトであったため昼前に丹東に着いたとはいえ眠くてフラフラでしたが、ホテル側の送迎車に載せられてホテルについてチェックインし、最初に取ったのが上の二枚の写真です。
 このブログにアップする写真は基本的に携帯電話のカメラで撮影することが多いものの、今回の旅行では自慢の富士フイルム製デジカメ「F770EXR」を使用しており、コンパクトデジカメでありながら20倍までズームする性能をいかんなく発揮してくれました。真面目な話、100m程度の距離であれば窓の中だってこれ一つで覗けます。

 左側が北朝鮮、右側が中国

 あまりいい対比になっていませんが、中国側には高層ビルがいくつもそびえたつのに対して北朝鮮側にはビルはおろか建物すら見えません。同じ社会主義国家でありながら、指導者ひとつでこの差です。

 観光地でもある鴨緑江にかかる橋の手前

 改めて写真見直してたら左のおばちゃんがめっちゃこっち見てた

 泊まったホテルは「新安東大酒店」というホテルですぐ目の前に中朝国境の鴨緑江という河が流れる場所で、そのまま徒歩で観光客が集まる鴨緑江橋まで行けました。この橋周辺には天気が悪かったにもかかわらずこの日もたくさんの観光客と土産物売りが集まっており、恐らく修学旅行と思われる大連の高校生集団も来ていました。



 手前の橋は観光用の橋で、後ろのは鉄道用の橋です。手前の橋を建てたのは何気に戦前の日本でしたが、朝鮮戦争の折に米軍によって爆撃され(中国側の主張)、今に至っても北朝鮮側の半分が途切れたままとなっています。


 橋を見終わった後、すぐ近くにあった北朝鮮レストランに昼食のため訪れました。上の写真はその昼食の最中に予告なしで行われた店員による余興ですが、ぶっちゃけ上手な歌ではありませんでした。また昔の中国みたいに北朝鮮人店員にはサービス精神が全くなく、店内でずっと大声でしゃべるは、オーダーは取りに来ないわ、そもそもメニューはなく上の写真の後ろにある料理の写真を見て注文するという斬新なシステムで友人とともに呆れてました。
 でもって頼んだ料理も、野菜炒めは全く味がせず、豆腐の鉄板焼きはやばいくらい塩辛く、まるで味付けがなっていないひどい代物だったため結局ほとんど食わずに残して出ていきました。同じ北朝鮮レストランでも、上海のだったらまだ食べられる物を持ってくるというのに。


 昼食後、再び鴨緑江に戻って河岸から出ているフェリーに乗って北朝鮮国境へと近づきました。鴨緑江は中朝の共同管理河川であるためこの河自体が文字通りの「国境線」なのですが、北朝鮮へと近づくこのフェリーには中国人も大量に乗り込んでみんなしてカメラを構えるなど立派な観光スポットとして機能しているように見受けられました。


 北朝鮮側ではあまり人の姿が見られませんでしたが、ある一角に集中してたむろしていたところを捉えたのがこの写真です。写真だとかなり近づいているように見えますが実際はかなり距離が離れている所をズームを活用し、揺れる船の上で撮影しています。


 北朝鮮側にある観覧車らしき物体。近くにはウォータースライダーらしきものもありましたが、この観覧車は滞在中には回転するところを一度も見ることがありませんでした。

 なおこの鴨緑江は場所にもよりますがそれほど川幅の広い河ではなく、感覚的には関東の利根川に近い印象を覚えます。そのためそれこそ夜などであれば人目を忍んで泳ぎ渡ることもそれほど難しくないように思え、中国側も北朝鮮側も川幅が狭い所でなければ河岸にフェンスすらないので脱北自体は極端に難しくはない気がします。もっとも、亡命するには中国側に渡った後が大変だと聞くので渡るだけではどうにもならないのでしょうが。

 この日はフェリーに乗った後はホテルに戻り、仮眠を取った後でホテル内のレストランで飯食いました。ホテルの詳細についてはまた明日にも詳しく書きますが、ホテル内のテレビでは日本のNHKだけでなく北朝鮮のテレビ番組も視聴することが出来ましたが、見ていてつまらなかったのですぐに切りました。
 ホテル内のレストランでは友人の要望もあり海鮮系のメニューを多めに頼みましたが、昼間の北朝鮮レストランとは違ってこちらの料理はどれもおいしかったです。さすがに海に近いだけあって素材はどれもよく、海鮮料理を食べに来るだけでも観光地としては成立する気がします。

 なお、会計の際に私が中国語を話したらチマ・チョゴリをきた女性店員がやけにびっくりしてました。っていうかこの北朝鮮人店員、全くしゃべろうともせず物凄い無愛想でしたが、多分客としゃべるなと言い含められてたんだと思います。ということで、続きはまた次回に。

2016年5月16日月曜日

立ち向かっていく覚悟

 このところブログ更新が滞っておりましたが理由を明かすと、先週金曜日は夜に飲み会があり、その翌日の土曜から今日の夕方までは友人と一緒にちょっと旅行に行っていました。旅行内容についてはまた明日からゆっくりと紹介してくつもりですが今日は疲れてもいるので適当にかける内容でまとめます。

 さて今年の大河ドラマ「真田丸」はネットでの評判を見る限りだと非常に好評で、ほぼ毎週どの俳優のどういう演技が良かったかなどと話題になっており、もはやタイトルすら思い出せない昨年の大河ドラマは最低視聴率を更新するか否かしか話題にならなかった(後半に至っては話題にも出なかった)ことを考えると近年としては上々の出来なんじゃないかと思います。

 ここで話は主役の真田信繁(幸村)について触れますが、真田家の旗印は「六文銭」といって、当時流通していた貨幣を六つ並べるという意匠です。知ってる人には有名ですがこれは三途の川の渡し賃が「六文」であることに由来しており、渡し賃は準備済みで死ににいくことを恐れないぞという意思表示を込めてこうした旗印となったわけです。なお渡し賃がなかった場合は三途の川のほとりで「脱衣婆」というババアに渡し料金代わりとして身ぐるみ剥がされるとされており、もし自分が臨死体験するならこのババアが本当にいるのかどうかをまず確かめたいと思っております。

 この真田家の旗印、並びに随筆「葉隠」にある「武士道とは死ぬことと見つけたり」という文言といい、実際は別として日本人が理想とする精神形というのは「決死」こと「死ぬことを恐れない」という精神状態だと私は考えています。なもんだから事ある毎に、「死ぬことを恐れたらそこで日本人終了だよ」などと妙なことをリアルでたまに口走ったりもしますが、半分本気であります。
 もちろん決死の覚悟とはいうものの戦時中の特攻作戦などは礼賛するつもりはなくあくまで理想的な精神形として扱っていますが、極端な話をすると実行するしないは別として、こうした感情を持つ日本人は最近いるのかなと少し気になります。というのも私の場合は、「誰かを殺すこととなってでも~をしたい」というような感情を頻繁に覚えるとともに、その際には必ず自分の死もカウントに入れています。

 要するに「死んでも~したい」という感情を自然に持つわけなのですが、実際に誰かを殺したり自分の死を犠牲にしてでも何かを奪うというようなことは今の所実行してはいませんが、それくらいの覚悟を持って生きている日本人は今どれくらいいるのかと疑問に思うわけです。このような危険思想を持つ私に言わせると、自分の死すら秤にかける覚悟を持つと案外何にでも立ち向かえるというか、腹が座ります。
 これまでの人生で私もそれなりに、恐らく普通の日本人からしたらまず渡るまい危ない橋を敢えて渡ってきた自負がありますが、その際には「失敗したら死ぬか?」という問いを必ず行っていますが、実際には命に係わる決断なんてそうそうあるわけじゃなく、どんな決断であっても最低限「死ぬ」ことはありません。大金を失ったり安定した身分を失ったり人間関係を失ったり修羅道に落ちたりすることはありますが、実際に命を落とす程の決断を迫られることはほとんどありません。いう必要はないでしょうが、命を懸けるくらいの感情を持てば基本何でもできるというわけです。

 恐らく普通の日本人が決断する際は生活を懸けたり、預金を懸けたり、将来を懸けたり、安定を懸けたり、世間体を懸けたりするでしょうが、それらを秤に懸けたところで悩みは尽きるどころかむしろ増えることの方が多いと思います。日常での決断であればそれでもいいと思いますが、リストラされたり、追放されたり、陥れられたり、裏切られたり、追い詰められて選択の余地のない状態であれば上記の存在をベットしてしまうと、リターンが得られる見込みが低いため心理的な負担になりやすく、逆に命をベットしていればどんな逆境であっても大抵は「必ず死ぬ訳じゃない」と開き直れます。実際私も、何も死ぬわけじゃないという言葉を覚悟にして逆境に対し何度か立ち向かっており、周囲から精神的に非常にタフだという評価を得るに至りました。
 生存権を主張するわけじゃないですがもし自分が死ぬような目にあうのであれば、そうそうそんな場面は実際ないですが、ためらいなく他人を殺したって別にいいと私は思っております。逆を言えば、「自分は死ぬかもしれないが他人を殺してはならない」という価値観は無駄に自分を追い詰めかねず、危険なことを言っていることは百も承知ですがそういう概念は持たない方がいいと、少なくとも強くい来るためにはお勧めしません。

 その上で、「自分が死んでもこうしてやりたい」という概念があるとすれば、上記の覚悟を持っているのであればそれは追いかけた方がいいのではとも思います。無論、そんな命を懸けるような概念が見つからないに越したこともないっちゃないですが、いざって時に命を秤に懸ける覚悟というのは持っておくと強いというのが私の持論です。

2016年5月12日木曜日

三菱自動車のルノー・日産連合入りについて

 見出しは普通に「日産傘下に」出もよかったのですが、今回の提携に伴うインパクト説明する上ではやはりルノーの名前は外せないでしょう。

 既に報道も出ている通り、また燃費不正をやらかして私も「来年には経営破綻する」と予言した三菱自動車に対し軽自動車(+ディグニティ)で提携をしていた日産自動車が本日、三菱自動車に出資すると両者揃って発表しました。今回の出資は新株発行方式によって行われ、これにより日産自動車は三菱自動車の発行株式の三割強を握り筆頭株主となるため、事実上、三菱自動車は日産傘下の子会社になります。またそれに伴い、日産の親会社である仏ルノーと合わせるとトヨタやフォルクスワーゲンといった世界大手グループとも販売台数で肩を並べるようになり、「日産が三菱を救済した」というよりは「ルノー・日産連合が世界大手グループに並び立った」という風に見るべきニュースでしょう。

<出資準備はいつから?>
 それにしても気になるのは一体いつからこの出資提携を両社、特に日産が準備していたかという点です。
 カルロス・ゴーンがいくら決断が早いとはいえ一朝一夕で2370億円もの巨額の出資を決められるわけはなく、恐らく三菱の先月20日の記者会見以前、具体的には日産から三菱側へ燃費不正の疑いを持ちかけた今年二月頃から両社で入念に準備していたのではないかと思います。

日産自動車と三菱自動車、戦略的アライアンスを締結 日産、2,370億円で三菱自動車株34%を取得へ(三菱自動車)

 上記は三菱自動車のプレスリリースですがその内容を子細に見てみると、今回の出資金額の根拠となる株価について、「株価は、2016年4月21日~2016年5月11日までの期間の出来高加重平均とします。」と書かれてあります。
 先にも書いたように三菱自動車が燃費不正を発表した記者会見は4月20日で、翌21日から昨日までは株価はストップ安を決めるなどほぼ一方的に下がり続けていた時期でした。直近という意味では非合理ではないものの、このタイミングを見る限りだと記者会見以前から日産と三菱の間で出資提携に関する協議があらかじめ進められており、日産の出資額を低く抑えられるようにスケジュールを組んでいたのでは、というのが私の見立てです。仮にそうであれば三菱グループからの了解も最初の記者会見以前の段階で日産は取り付けていたとみるべきでしょう。

 日産側からすればこれによって比較的安価で三菱自動車を傘下に収められ、三菱側からすれば一見すると低い出資額で甘んじるように見えるものの、日産の救済が無ければ業績は低迷したままで株価も下がり経営破綻待ったなしな状況であったのも真実で、特に既存株主の三菱重工や三菱商事からすれば株価を一気に回復させられる手段であるのならばやむを得ないと判断するのも無理な話じゃないと私には思います。
 以上で語った内容は私の推論ですが、仮にこの通りであれば実に周到に準備されたディールであってその手際の良さには皮肉ではなく真面目に大したものだと感嘆させられます。逆を言えば被買収まで散々すったもんだした挙句に債務超過もやってのけたシャープとは、段取りや裏準備の仕方で大きな差があり、さっき友人にも言いましたが大人の会社と子供の会社の違いがはっきり出ています。

 最後に今後気になる点として、どこのグループにも所属していない残った日系三社のホンダ、マツダ、スズキはどうなるのか。スズキは多分デマだと思いますが縁を切ったフォルクスワーゲンの代わりにこの前トヨタと提携話がでていると報じられましたが、マツダもスズキも高い技術力を持ちながら資金と販売力のない会社で、組むとしたら「金はあっても技術のない」ところが一番相性がいいです。そういう意味ではトヨタの軍門に下るというのも非合理じゃありませんがどちらもオーナーシップの強い会社なだけにそうそう簡単には身代渡しはすまいでしょう。
 となるとフォルクスワーゲンはこの前やらかしたし、残ってるのはGMとの浅い提携とかかなとも思いますが、その辺は今後の展開を見ていくしかなく予想といえるレベルでは何も語れないのが本音です。しかし今回の三菱のルノーグループ入りは上記三社にとっては大きな衝撃になると思え、今後業界再編がさらに進むこととなるかもとは言えそうです。

2016年5月11日水曜日

自殺の実況中継

 なんか昨日からやたら飛ばし気味な気がしますが気にせず書き続けると、昨日に私は「DEAD Tube」というエログロ漫画のレビュー記事を書きましたが、この漫画の三巻にて「自殺の実況中継」という話が描かれてあります。この回は自殺する場面を自殺する本人が撮影して後に自動でアップされた動画に視聴者数がどれだけ集まるかを競う、というネタで、正直ほかの回と比べて格段につまらなかったのですが、この回を読んだ人は「漫画の世界だしな」と思う人と、別の感想を持つ人の二種類に大きく分かれると思われます。というのも、実際に自殺の実況中継が本当にあったからです。

ユーストリームで予告繰り返し 24歳男性が自殺実況中継(J-CAST)

 この事件は2010年11月に起きたものですがマスコミも遠慮したのか当時はあまり大きく報じられておらず、恐らく事件自体を知っている人はそんなに多くない気がします。逆を言えばなんで自分は知ってるのか、本人でありながらやたら不思議です。あとどうでもいいけどちょうどこのころに中国渡ってます。

 事件内容をざっと説明すると、新卒で働いていた24歳の独身男性がネットの動画サイトの実況中継機能を使い、これから自殺するということをほのめかした上で本当にそのまま首吊るまでの過程をネットに配信し続け、動画を見ていた人たちから通報を受け出動した警察によってその死が確認されたという事件です。この動画の配信前から自殺した男性は2ちゃんねるなどに自殺するという計画を書き込んでおり、その書き込みを見ていた人たちの一部が当の実況配信も眺めていたそうですが、事件後に実際に見ていたと主張する人が書き込んだ書き込みなどによると、「あれあれって思って見ているうちに本当に自殺してしまって呆然とした」という書き込みを見たことがあります。真偽は計りかねますが。

 一体何故この男性は自らの自殺を実況配信したのか。承認欲求があったからとか何か考えがあったからとかいろいろ理由を問う議論も出ていますが正直なところ私はこの方面には興味が無く、むしろ何をすれば自殺を実況配信するのか、こっちの構造的な議論の方が興味あります。
 邪推な言い方ですが実況配信する自殺方法なんてアノミー(自己本位)型自殺の究極系と言ってもいいような自殺方法で、思考が完全に自分自身に向いてて振り切っているような印象を覚え、どういうタイプ、どういう環境、どういう手段でこういう自殺をして来るのか、分析すべきはこっちの方なのではというのが私の見方です。

 でもってひとつ予想を書くと、これからこういう形態の自殺が増えていくのではないかという風にも見ています。リンクは貼りませんが2013年にも自殺の実況中継があり、これも影響を考慮してかメディアはそれほど報じていませんが、何故こうした実況中継が起こるのかというと自殺する人間は昔も今もいるという前提で、一番大きい理由としては実況中継出来るツールが整っている事に尽きます。昔と違って個人でも簡単にリアルタイムで動画を配信できる時代となり、敢えてこうしたツールを活用する自殺者が単純に現れるようになったと見るべきだと考えます。
 ただ別に誰がどう自殺しようが私はあまり気にしませんが、こうした実況中継型自殺が増えていくと社会不安は確実に増すと断言できます。有名人が自殺するとそれに影響されてか社会全体で自殺者が増えるということは世界各国で確認されており、これは私も過去に調べたことがありますが練炭自殺も大きく報じられた時期に件数が増える傾向がありました。いちいち説明するまでもないですが、自殺という者は目に入れば入るほど増えてく概念です。

 何が言いたいのかというと、仮にこれから私の予言通りに実況中継型自殺が増えていくとなると社会はどう対応していくべきなのか。ここまで読んでいればわかるでしょうがある程度の情報のシャットアウトが必要で、過去の事例の様に発生したとしてもメディアはそれを敢えて報じるべきではなく、また各動画配信サイトも、アップロードされることは完全には防ぎようがないので、事がわかり次第に関連動画を規約を頼りに可能な限り削除して拡散を防ぐといった対応が必要かと思われます。

 最後にどうでもいい自殺ネタですが、たまに「日本の20代から30代の若者の死亡原因第一位は自殺であり、これは大きな問題である」と書く記事とか広告ありますが、戦争中とか犯罪の多い国を除くと死因一位が自殺じゃない国なんてほぼなく、単純に若いうちは病気しないから死ぬとなると自殺しかないだけです。しかも日本の場合、明らかに他殺だろうと疑われるケースでも警察が捜査サボろうとして自殺として処理することもあると言われており、要するにあんまこの手の統計でれこれ言うのはやめた方がいいってことです。元となるデータに問題あるんだから。

漫画レビュー「DEAD Tube」

 なんかアマゾンで今漫画買うと20%のポイントつくってんで前から少しずつ買い集めていた「ヒナまつり」の買い残していた巻を全部購入した後、やや表紙とあらすじが気になったので「DEAD Tube(デッドチューブ)」という漫画の一巻も購入しました。でもって20%ポイント還元その後も続いてたのでそのまま最新刊の四巻まで買って、今こうしてブログ書くに至っています。
 この漫画がどんな漫画かというと一言でいえば「エログロ」に当たるジャンルなのですが、作品のテーマ性とその背景には現代的な要素をなかなか上手く取り入れているように思え、また前に私も取り上げた「DEATHTOPIA(デストピア)」にとって好対照であるとも感じたため、ちょっと気分転換がてら紹介します。

 デッドチューブの一巻までのあらすじを簡単に書くと、映研部に所属する男子高校生の主人公がある日学校一の美少女とまで言われるヒロインに、「二日間、私のことを撮影し続けて」と頼まれます。依頼を受けた主人公は翌日からそのヒロインの授業中、部活中、帰宅中、デート中、トイレ中、入浴中に至るまで延々とカメラを回し続け、二日目もそのヒロインに言われるがまま、ヒロインがクラスメートを撲殺する一部始終も撮影してしまうこととなります。
 しかし撮影、っていうか殺害を終えた後でヒロインは録画したデータを受け取ると翌日以降も普段通りに学校に通い続け、警察などは殺害犯であるヒロインを逮捕するどころか逆に無関係の人間をクラスメート殺害の犯人として逮捕してしまいます。状況がいまいちつかめない主人公に対してヒロインは、「ゲームに勝ったから問題ない」と言い切り、撮影のお礼として500万円を主人公に渡した後、「また次の撮影よろしくね!」と声をかけるわけであります。

 多少それ以降のネタバレになりますがこのヒロインが語る「ゲーム」というのはタイトルにもなっている「DEAD Tube」のことを指しており、これはみたまんま動画配信サイトの「Youtube」をもじった漫画に出てくる動画配信サイトです。ただYoutubeとは少し異なり、期間ごとにテーマに沿った動画のみがアップロード&配信され、その配信者同士でアップする動画の視聴者数を競うというシステムになっています。そして、アップする動画は視聴者数さえ稼げれば何をしてもよく、犯罪だろうがなんだろうがやりたい放題で、最終的に最も視聴者数が多かった動画配信者には多額の賞金が与えられ、逆に最も少なかった配信者は一連の動画撮影にかかった経費と犯罪に対する責任の一切を負わされる、いわば「All or Nothing」のゼロサムゲームになってるわけです。

 恐らく原作者も意識していると思うのですが、この作品のテーマとしては「視聴者数さえ稼げれば何をしてもいいのか?」にあると思います。これは報道界においては昔からある議論で、目の前で人が殺されようとする場面をカメラに収めるか、それともカメラを捨てて助けに行くべきかというように、報道と倫理というのは時に秤にかける場面というものが出てきます。しかしデッドチューブの世界ではただ視聴者数を稼ぐだけの動画が求められ、そして視聴者数を稼ぐためにはエロとグロがとことん追及され、視聴者数を稼げるのであれば殺人や暴行すら許されます。またエログロが追及された動画ほど視聴者を集められるわけで、求められるからこそ応えるという点についても、求める側の善悪も暗に問うような構成がこの漫画には仕掛けられている気がするわけです。

 自分も何気に驚いたのですが昨年に行われた子供がなりたい職業ランキングの調査で上位に、Youtubeに動画(主に自分が出演する)を投稿して広告料を稼ぐという「ユーチューバ―」という職がランクインしたそうです。自分も子供の頃は注目願望からかテレビに出るという行為に憧れがあったことからそういう系統なのかなと少しは理解できるものの、既存の番組などと言うメディアを使うのではなく自ら番組を作って出演したいという子供がいるという事実には素直に驚かされ、時代が変わったなと思うニュースでしたが、何気にリンク結んでいる潮風大使さんのお子さんもユーチューバ―になりたいと言ってたそうで、あながち無視できない社会変化だと実はちょっと注目してました。

 しかし、曲りなりに編集が入るテレビ番組と違ってユーチューバ―の動画は検閲に引っかかりさえしなければどんな動画だって規制なく上げられてしまいます。実際にツイッターなどでは一時期、注目されたいという欲求からアルバイト先などで馬鹿な行動を取って大きな責任問題に発展する事態が続発しており、その度に「注目を集めれば何をしてもいいのか」という言葉があちこちで聞かれましたが、そうした声をあざ笑うかのように他人の迷惑を省みない行為や、全裸になった写真を公開する人間がその後も出続けました。

 こうした時代背景を逆手に最もタブー視される殺人を映した動画、いわゆるスナッフムービーを率先して撮影しようとするこの「デッドチューブ」のテーマ性はなかなか評価できるというのが一読した私の感想です。無論、そうしたテーマであるためエログロシーンはかなり豊富というかメインなだけに半端なく多く、読む人によって好き嫌いははっきり分かれるでしょう。エロ方面に関しては作画担当は元々エロ漫画家出身と聞くだけにかなり目いっぱいあります。

 ではグロ方面はどうかとなると、まぁたくさん殺されて死体もたくさん出てきますが、私個人の見解を述べるとどうもこの漫画の死体の絵は見てて面白味がないというか。もはやウィークポイントと言っても差し支えない気がします。なんというか背景っぽく見えてしまい、見ていて全然ゾクリともしません。絵がかえって小奇麗だから死体も小奇麗に映っちゃってこうなるのかなといろいろ想像めぐらせていますが、私の好みなだけかもしれませんが死体そのものを見せるよりも道具とかをもっと効果的に見せて読者にイメージを抱かせる方がいいような気がします。
 具体的には小手川ゆあ氏の「アンネ・フリークス」が私の中で一番グロいと思う漫画で、この漫画だとよく死体になる前の人の顔を見せた後でハサミとかペンチと言った道具を次のページで見せたり、「お母さんはここよ」というセリフと共に手提げサイズのゴミ袋を出すなど、この私ですら人に見せるのをためらう作品です。作者の小手川氏はこういう漫画書き続けて何十年っていうベテランなだけあります。

 話はデッドチューブに戻りますが、読んでてそこそこ面白いと思うもののこういうエログロ物は賞味期限が早いのが常で、現在四巻まで出ていますが、今のところはまだ許容できるものの今後も続けていくとなるとかなり厳しいのではと思う節があります。延々とスナッフムービー作るだけの作品になりかねないし。
 原作者もそうした懸念を持っていたかまではわかりませんが、三巻からはちょっと趣向が変わり、無人島で殺人者とサバイバルという展開に入りますが、この決断は連載を続けていく上では英断だったなと思えます。なんか見ていて金田一少年っぽい展開のような気もしますが。

 それと冒頭に前にレビューで酷評した「デストピア」を引用していますが、展開が全く以って遅く話がちんたらとして一向に進まなかったデストピアと違い、デッドチューブの展開はかなりハイスピードです。なんせ一巻だけでヒロインがクラスメートを撲殺した後、主人公の身の回りの映研部員が次々と殺害され、身の危険を感じた主人公が今度はヒロインをバッドで撲殺するというノンストップな展開ぶりです。先程にも書いたようにエログロ作品は賞味期限が短いだけに、こうした展開の早さは理に適っている気がします。

 最後にもう一つ、二巻から主人公のクラスに担任教師として赴任する「別木エリ」という新キャラが出てきますが作中で「ハーフっぽい顔立ち」と言われる、というかどっからどう見ても「ベッ〇ー」にしか見えず、見ていてオイオイこれ本人に許可取ったのかよとかなんか心配にさせられました。ちなみにその回の話が描かれたのは去年なので騒動前ではありますが、なんていうかいろいろとタイミングのいいキャラを出してきたなと妙なもやもやを抱えさせられます。

 にしても、俺って本当にエログロ好きだな……。


<2017年9月24日追記>
 上記レビューは4巻まで発売されていた時点で書いたものです。
 残念ながらこの漫画はそれ以降、どんどんと話の価値が落ちていき、7巻に至っては妙なバトル物へと路線を変えてしまって当初の良さが今は全く感じられず、正直に言えばお勧めできる作品ではなくなりました。私ももう読むのをやめていて、ちょっと前に8巻が発売されたようですが買うのはやめておこうと思います。

2016年5月9日月曜日

日露首脳会談と今後の北方領土交渉について

 報道されてはいますが果たして世間でどれだけ注目されているのかちょっと計りかねるこの前の日露首脳会談についてですが、個人的には今後も含めロシア外交を注目しています。というのも今回の会談に先立ちクレムリン(グレムリンじゃないよ)ことロシア政府は日本側に対し、「北方領土について交渉する余地がある」と発表していたからです。

 従来、ロシア政府は日本との領土問題は存在せず北方領土はロシアが合法的に支配する領土であるという姿勢を取り日本政府の返還要求に対して聞く耳すら全く持たなかったのですが、何故今頃になって急に交渉に応じる態度を取ってきたのか。このロシアが姿勢を転換した背景は実に簡単で、米国による経済制裁とそれに合わせた原油引き下げによる嫌がらせが結構応えており、日本側との交渉によって米国によるロシア包囲網の連携を崩す、なおかつ日本との経済協力を狙っているとみてほぼ間違いないでしょう。

 無論、ロシア側の狙いは経済的打開であって日本との領土交渉は本気ではなく、上記の北方領土交渉も口先だけで返還する気はさらさらないというのが実態でしょう。しかし口先だけとはいえ領土問題における強硬な立場を崩してきたということはそれだけ困っているということも事実で、打開策のなかった日本側にとっては大きな前進と言えるしチャンスでもあることは間違いありません。このチャンスを生かすためにも、日本側は北方領土についてどういう立場で臨むのかを今一度考えておく必要があると思います。

 大きな論点としてはやはり、北方領土の四島一括返還を求めるのか、それとも二島で妥協するのかという点でしょう。二島をまず返してもらい、その後で段階的に残りの二島を返還してもらう「二島先行論」というのもありますが、現実ではもはや四島か二島か、もしくは何も返ってこないかの三択に絞られているような気がします。恐らく二島返還で行くのであればロシア側も妥協する余地はあるように見えるのですが、もし可能であればもう一つ、北方領土四島すべての非軍事化をロシア側に飲ませたいところです。
 北方領土は太平洋に面していることから核ミサイル搭載原子力潜水艦も停泊していると言われ、日本側にとって脅威と言えば脅威ですがそれ以上に米国側の方が鬱陶しく思っているように見えます。仮に米国が経済制裁をしている中でロシアとの交渉で妥協すれば米国としてはいい気持ちしないでしょうが、二島+非軍事化を飲ませられれば米国への面目もやや立ち、なおかつ日本にとっても国防面でプラスの影響を受けられるのでは……などと素人ながら思います。

 ロシアとしては非軍事化は絶対に受け入れないでしょうが、そこは被爆国として「核抜き」を徹底的に追求し、核兵器など一部軍事力の削減にまで持って来れたら御の字だと思います。たとえ四島すべてが返ってこないとしても。あくまでこれは私個人の意見ですが、国民全体としてもロシアとの北方領土交渉でどのような方向が望ましいのか、ある程度案なり覚悟なりをそろそろ決めておいた方がいい時期だと思います。