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2016年7月17日日曜日

トルコテロに関する疑問を覚える報道

 今朝八時から自転車で上海市内をぶらぶら三時間弱走ったところえらい頭痛に襲われました。右半身に血が上手く通っておらず首とか肩が熱を帯びているのもわかったので多分体重が自転車乗る時の姿勢で変にかかって軽い血行障害みたいになったのではないかと推測しています。
 もともと、上半身の左右バランスがあまりよくなく右半身に筋肉も偏っており、同じようなことが以前にも多々ありました。かといってこのバランスを直すとなるとかなり難しく、難とかできないかと思いつつも何もせず今日に至っています。もっとも今日の場合、夕方から急に風が強くなり大気が不安定だということも体調に影響しているのかもしれませんが。
 なお、背中の姿勢に関しては何も問題はないでしょう。恐らく私以上に姿勢がいい人何て周りにおいては誰もいないくらい姿勢がよく、冗談抜きで猫背をすることが出来ないくらいです。

 なんて私のデイリーストーリーは置いといて本題ですが、既に知っての通りに昨日トルコで一部軍隊が反乱を起こすクーデターが起こりました。幸いにも国民、外交、他の軍団から一切支持を得ることなく短時間で鎮圧されましたが、このクーデターを巡る報道でいくつか疑問を覚える報道が見当たりました。

トルコ 背景は「強硬」エルドアン大統領への反発か(毎日新聞)

 内心、また毎日かと自分でやっときながら呆れるのですが、疑問に思った箇所は八段落目の以下の下りです。

「エルドアン氏は首相退任後、14年に大統領に就任。大統領権限の強化を図り、政権初期に比べて、社会のイスラム化を進めているとの指摘もある。エルドアン氏と対立する米在住のイスラム教指導者ギュレン師の影響下にある主要メディアを政府管理下に置くなど言論統制も強めた。

 これをみて、デスクは疑問に感じなかったのでしょうか。

 私は一読して「社会のイスラム化を進めている」と言っておきながら「イスラム教指導者の影響にあるメディアの言論統制を強化した」のではまるで逆で、むしろイスラム教を抑えにかかっている行動のように見えます。
 この記事以外にも昨日黙ってチェックしている最中にも、「今回の反乱はイスラム化を推し進めるエルドアン大統領に対し不満を持つ世俗派が起こしたようだ」という記事が見られ、専門家でないこともあって各省こそなかったものの「事実と異なる誤報だな」と考えて見ていました・

トルコのクーデター失敗 政権が黒幕とみる「ギュレン派」とは?(THE PAGE)

 比較的今回の背景をきちんとまとめているのは上の記事だと思い、この記事に書かれている内容で理解すれば大丈夫だと思います。

 そもそもなんで私が遠いトルコのこれらの報道に疑問を感じたのかというと、実はかなり前からエルドアン大統領については注目してニュースなどを追っていました。でもって不意打ち的に名古屋へ左遷された親父に対し、

・二年前
「親父、トルコのエルドアンしっとるか? ケマルの政教分離主義に反してなんやイスラム色を強めてるらしく今後のトルコの出方はISにもEUにも影響するで。日本ではどう報じてる?」

・一年前
「親父、トルコのエルドアン覚えとるか? 前言うた時はイスラム色強めてる言うたが、同もあれは牽制拡大の手段として利用しただけで、利用するだけ利用して最近ポイしてばいちゃっちゃしとるそうや。中東事情的にトルコの安定上でも、こうした態度の方がええと思うんやが日本ではどう評価しとる?」

 親父の回答はどっちも、「そいつのこと全然しらん」でしたが、国際政治の上では中東と欧州のはざまにあってキーパーソンであるだけにトルコに関してはたまに情報を集めており、上記の会話の様にエルドアン大統領個人についてもちらちらみていました。上で語っているように、エルドアン大統領は当初、イスラム勢力を保護して自分の支持グループに入れ政権を拡大しましたが、大体去年あたりからもはや用済みとばかりに袖にし始め、まぁ強かな政治家だなと私個人で勝手に評価していました。

 それだけに最初の毎日の記事を読んで、「社会のイスラム化を進めているなんてこれは有り得ない」とすぐ思いました。大統領就任当初は確かに間違いありませんが、近年はむしろ真逆な行動を取っていると聞いているだけに、恐らく古い情報だけで勝手に判断して報じたのではないかと思いました。
 その他の記事も、「イスラム教色を推し進めるエルドアン大統領に対して不満を持つ世俗派が……」なんていう、単純すぎてなおかつ古い対立構図を持ってきて説明するメディアが散見されましたが、前にも書いたように如何にもふわふわした感じで書いており、少なくとも現地駐在の記者はもとより現地紙の報道も翻訳して読んでいないだろうと考えられます。それでありながら報じるのだから、誤報を出す可能性もあるだけに私からすると有り得ない記事を出すものだと疑問に感じました。

 恐らく正解は、最初は贔屓にされたものの最近袖にされているイスラム教「ギュレン派」のグループが今回の反乱を起こした中心ではないかと思います。仮にその通りであればエルドアン大統領の近年の行動とも合致しますし、大衆が支持しなかったというのも理解できるため、未だ不確かな点も多いですが現時点で私はこの説を取ります。

 それにしても、本当は今日は前から取材していた調査記事を出そうと思ってたのに、間位置にが余計な記事出したせいで延期する羽目となりました。余計な仕事増やすなよこのカスどもと、「風の息づかい」を感じられると主張する毎日の記者どもに言いたいです。

2016年7月16日土曜日

日本を破った米海軍三将~ウィリアム・ハルゼー・ジュニア

 この連載もようやく最後の三本目。今日は恐らく日本側で最もよく知られているであろう米海軍提督の「ブル・ハルゼー」ことウィリアム・ハルゼー・ジュニアを紹介します。

ウィリアム・ハルゼー・ジュニア(Wikipedia)

 ハルゼーは海軍士官であった同名の父がいる家庭に生まれ、若い頃からまるでその将来を写し取ったかのように腕白な少年だったそうです。父親と同じく海軍入りを希望した彼はアナポリス(海軍士官学校)に入学しようとしたものの最初は推薦が取れず一旦はヴァージニア大学の医学部に進学しますが、有力者のコネを使ってアナポリスへの切符をつかむと今度は無事に入学できました。在学中の成績はあまりよくなく落第の危機にもあっており、最終的には62人中42番の成績で卒業しました。

 卒業後、幾度かの海上任務を経ている際に東京へ寄港する機会がありこの時開かれたパーティでハルゼーも東郷平八郎と同席しています。ただ同じように東郷を見たニミッツやスプルーアンスの様に尊敬の念を抱くことはなく、「ロシアをだまし討ちしやがってこの野郎!」みたいなことを考えていたそうです。
 その後、一次大戦においては駆逐艦を指揮し、パリ講和会議の際には当時海軍次官で後に大統領となるフランクリン・ルーズベルトの輸送任務に就いています。それ以前にもルーズベルトはハルゼーと一緒に乗艦する機会があり、お互い第一印象から悪くなく信頼を持ちあったそうです。

 一次大戦後、ワシントンとロンドンの海軍軍縮条約によって保有艦数が各国で制限されたことを受けこの時期は世界中どこの海軍でも冷や飯食いとなった時代ですが、この時にハルゼーにとって大きな転機が訪れています。高級士官教育用の海軍大学校に入学した彼は先輩の勧めもあり空母を始めとする航空兵器の教育コースを歩みます。また視力が悪くて本当はテストで落ちてるのですが何らかの不正を使い航空機パイロットの訓練コースも受講し、これが二次大戦における彼の戦闘能力を大きく高めるきっかけとなったのは間違いないでしょう。
 ただ、ここでも在学中の成績はやっぱり悪かったそうです。

 教育訓練を終えた彼はまだ世界でも運用され始めて間もない空母、それも新鋭艦の「エンタープライズ」、「ヨークタウン」を始めとする艦隊の司令官に就任します。
 先にこの辺について説明しておくと、当時の世界の常識では海戦の主役は依然として強大な砲を持つ「戦艦」であると考えられていました。というのも、分厚い装甲で作られた戦艦を破るには強力な砲を持つ戦艦失くして考えられないとされ、「戦艦を倒せるのは戦艦だけ」という認識で各国の海軍の認識は一致していました。これがひっくり返ったのはまさにその後の太平洋戦争で、技術革新によって攻撃力を高めた魚雷があれば駆逐艦でも戦艦を倒せるようになったことと、艦同士ではなく空母に搭載する航空機により攻撃するという戦法の方がずっと有効で戦いやすいとわかり、逆に戦艦は鈍重ででかいため航空機からすればまさに格好の「的」となってしまい、太平洋戦争以降は海戦においては無用の長物、せいぜい言って陸地沿岸にある基地や港を艦砲射撃で攻撃する以外はあまり価値がないとされ現代ではほとんど作られないし運用されなくなりました。そのせいもあって、日本が戦時中に完成させた「大和」、「武蔵」は未だに「史上最大の戦艦」としてあり続けてるわけです。

 話はハルゼーに戻りますが、日米開戦の火蓋を切った真珠湾攻撃の際はたまたま艦隊を率いて輸送任務に就いていたためハワイを離れており、自慢の空母部隊を損害を逃れました。そして真珠湾攻撃後、実質的な海軍総司令官に就いたニミッツに対してはアナポリスでの後輩にあたるにもかかわらずすぐに打ち解け、作戦会議などでもニミッツの援護、というよりニミッツに反論を言う奴で、「黙ってろこの野郎!」って怒鳴り脅しつけることで協力していきました。
 当時、空母の運用法は世界でもまだ研究途上でありましたが、ハルゼーの場合は自身が航空パイロットとしての訓練も受けていたことなどから比較的長けており、実際戦艦についても、「あんなノロマは邪魔なだけだ!」とも言っていたことから、新しい海戦の「ルール」をよく理解していた模様です。実際、ニミッツの指揮のもとでミッドウェー海戦に至るまでの防戦一方だった戦線をよく支えています。

 そして来るミッドウェー海戦直前、日本軍がミッドウェー島へ大規模攻撃をかけるという無線を傍受して準備を続けていた最中、長い戦場生活もあってハルゼーは一次体調を崩します。そこで自分の後任として空母艦隊を率いたことのないスプルーアンスを推薦してハワイに入院しますが、結果的にこの判断は功を奏し、ハワイの病院内でミッドウェー海戦の勝利の報を耳にします。
 戦場に復帰したハルゼーは主力空母を失ったものの未だ強勢を保っていた日本海軍と向き合い、徐々に相手の主力艦を潰し戦線を有利に運んでいきます。そして事実上、最後の海上決戦となったレイテ沖海戦においても指揮を執ったのですが、この際は日本軍のかなりみえみえな陽動作戦に露骨に引っかかり、基地の守備をそっちのけて日本艦隊を一直線に追跡するというミスを犯してかの有名な「ブルズラン(猪突猛進)」と揶揄されるようになります。
 なおこのレイテ沖海戦は規模で言えば現在までで過去最大の海上決戦であり、この陽動作戦を始めとした駆け引きから「謎の反転」など現在に至るまで様々な議論に尽きない戦いだったりします。私個人としては一番贔屓にしている空母「瑞鶴」が沈んだ海戦という印象が強いですが。

 その後、あまり日本では報じられませんが海上で二度も台風につっつかれ、どちらでもレイテ沖海戦以上に多数の艦船や航空機を失うという「神風」(吹くことは吹いてた)に遭遇して一時は更迭論も出されましたがニミッツの判断というか海軍のプライドのため留任し、日本の降伏も戦場で耳にします。降伏調印式にはニミッツのお声がかかりハルゼーも出席していますが、文書調印の際には日本側代表の重光葵に対して、「早くサインしやがれこの野郎!」と怒鳴っていますが、本人曰く、「本当は日本人全員蹴っ飛ばしてやりたかった」と語っていることから一応は我慢していたそうです。
 終戦後は議会から元帥に任命され、また世間での人気も高かったことからあちこちに引っ張りだこになったり、新聞に自分の自伝を執筆したりとなんか楽しげな余生を過ごしました。これはニミッツやスプルーアンスにも言えますが、陸軍のマッカーサーと比べて海軍の連中はやっぱり政治的野心が薄いように感じられこれは万国共通なのかなとも思います。

 私のハルゼー評を述べると、多分私だけでなく「猛将タイプの提督」、っていうより三国志で言えば張飛みたいに短気で粗野だけど殴り合いが強いイメージで一致するかと思います。実際性格もそのまんまで、同僚からは「冷静でなく艦長はともかく艦隊は任せられない奴だ」とも言われてたし、レイテ沖海戦においては実際そうなりました。ただ末端の兵士からの人気は抜群で、ウィキペディアにも書かれている通り、「あのジジイのためなら俺は死ねるぜ!」という兵士の後ろから突然現れ、「おい若ぇの、俺はまだそんな年じゃねぇぜ」と言って去ってくというツンデレぶりも見せるだけでなく、艦内のアイスクリーム製造機に割り込みしようとした新人士官に対して、「黙って列に並べこの野郎!」と怒鳴りつけたこともあったそうです。多分後者は本人も並んでたからじゃないかという気がしますが。

 しかし、こと戦場においては空母の運用戦術を開戦当初から把握していたことから日本側にとっては手ごわいことこの上ない相手だったと思われます。日本側も空母運用の研究が疎かだったわけでなく名機零戦の性能もあって善戦していますが、指揮官の不足は否めなかったという指摘もあるだけに新規の戦術については育成が本当に肝心なのだなと考えさせられます。

日本を破った米海軍三将~レイモンド・スプルーアンス

レイモンド・スプルーアンス(Wikipedia)

 前回記事に引き続き、二次大戦で米海軍を率いた将軍というか提督として今日はレイモンド・スプルーアンスを紹介します。
 スプルーアンスはメリーランド州の比較的裕福な家庭で生まれますが、彼が青年になる頃には破産し、学費の当てがないことから大学には行かずアナポリス(米海軍士官学校)への進学を決めます。卒業後は若いうちから海上任務に就きますが、一時期は電気技術の研修のためゼネラルエレクトリック(エジソンの会社)にも勤務しています。

 若い頃から優秀と目されたことからスプルーアンスは順調に出世を重ねていきますが、一番の転機となったのは第一次大戦後の艦隊勤務で、後にともに日本海軍と戦うこととなるハルゼーの部下となったことでしょう。就任当初からスプルーアンスとハルゼーは意気投合し、ハルゼーもスプルーアンスの能力と人格を激賞して後の彼の抜擢に繋がります。

 真珠湾攻撃が行われた日米開戦当時、スプルーアンスは太平洋艦隊の一司令官として航空機の輸送任務に就いており、海上でハワイが攻撃されたことを知ります。そして当時太平洋艦隊を束ねていたハルゼーの指揮の元でしばらくは太平洋上で指揮を執り続けましたが、真面目に世界の海戦史上でも屈指の決戦劇となったミッドウェー海戦の直前にハルゼーが急病となり戦場を離れ入院することとなります。この時ハルゼー自身の推薦もあり総司令官のニミッツはスプルーアンスを後任として任命し、世紀の一大決戦において当時の米海軍にとっても虎の子の空母艦隊を率いることとなりました。

 この時スプルーアンスは、ハルゼーからの要求もありましたが自分の親しい幕僚はほとんど連れていかずにハルゼー時代のスタッフをほぼそのまま留任させています。ハルゼーのスタッフたちはスプルーアンスについて航空艦隊の指揮経験のない提督としか知らずその資質について疑問視するような目もあったそうですがスプルーアンスが就任直後に言った、「君たちが優秀な人間たちであることはハルゼーが選んだ時点でわかっている」という言葉を受けて彼を信頼するようになったそうです。もっとも、当のハルゼーがスプルーアンスの就任以前に、「今度来る提督は間違いなく優秀な奴だからてめぇらも黙ってその指示聞きやがれよこの野郎」的なことを言っていたということも見逃せませんが。

 こうしてスタッフの信頼も得たスプルーアンスは来たるミッドウェー海戦において、ニミッツの指示を忠実に守り見事に日本の航空艦隊の撃破に成功し、その勝利の立役者となります。その後一旦ハワイに戻った後で充実した戦力を持つ艦隊の司令官に就任し、太平洋上の各島々の攻略作戦を指揮し、ほぼワンサイドに近いと言われたマリアナ沖海戦でも大勝してのけています。最後の艦隊決戦と言われるレイテ沖海戦には参加しませんでしたが、ここはハルゼーがいろんな意味で大活躍したのである意味いなかった方がよかったかもしれません。

 その後は硫黄島の戦い、沖縄攻略を指揮し、沖縄戦では日本の特攻攻撃に自身もあわやというほど危険な目にあっただけでなく艦隊も大きな損害を受け、ニミッツの判断で沖縄戦の途中で指揮権をハルゼーと交替するとグアム島に戻り、終戦もその地で迎えます。終戦後はしばらく日本での上陸任務に就いた後、ニミッツの後任として太平洋艦隊の総司令官となるもこの職をわずか二ヶ月で降り、海軍大学校の校長を経て現役を引退します。引退後はトルーマンの要請を受けてフィリピン大使にも一時期就任していますがそれほど政治には深くかかわらず、穏やかな引退生活を送った後に天寿を全うしています。

 スプルーアンスについて私の評価を述べると一言でいえば「地味」な感じする人なのですが、自分の考える一番恐ろしい相手ってのはまさにこういう「地味に優秀な人」だったりします。何故かというと地味な人は視界に入らず自然とその警戒も怠りがちとなり、突然表舞台に出て来られると対策が取れずにあれってな感じでやられてしまうこともあり、密かに「地味」というのは一種の強みでもあると考えています。
 実際、彼について知っている現代日本人はほとんどいないでしょうが、ミッドウェー海戦、ひいてはその後の太平洋上の戦いで米海軍を指揮し日本を打ち破る立役者の一人であったりします。ハルゼーみたいに無駄に目立っている提督もいますがこういう隠し玉的な人材も持っていた辺りが米海軍の優れていたところだと思えるわけです。

2016年7月15日金曜日

中国首相の容貌の変化

<首相会談>安倍氏「法の支配」、中国は不快感…仲裁裁判決(毎日新聞)

 軍事物の連載途中ですがちょっと触れておきたいので記事を書きます。
 上のリンク先の記事はこのほど会談を行った安倍首相と中国の李克強首相が握手している2ショット写真が載せられているのですが、この写真を一目見て強い違和感を覚えました。具体的に言うと李克強首相を見て、「あれ、こんな顔だったけ?」と、なんか自分の知っている姿と少し離れているように見えたからです。

 最近あまり中国の記事とかチェックしておらず久しぶりに顔を見たからだけかもしれませんが、なんとなく頬がこけ、目元も重たそうでやつれているように見えました。この前亡くなった鳩山邦夫の影響もあるかもしれませんが、噂で習近平総書記とはかなりうまくいっていないとも聞くだけに、健康面とかで大丈夫なのかなと他国の政治家ながらなんか少し心配になってきます。
 前任の温家宝氏と比べても、李克強首相はいまいちリーダーシップが発揮できていないし、中国での人気や評価もそれほど高くはないというのは間違いない事実です。特に最近は中国の景気が依然と比べて振るわないことから風当たりも強く、次の党大会で更迭されることはないだろうけどそれはそれで針のむしろみたいで大変だろうなっていう風には思えます。

シャープ、「7000人リストラ」でも危ない。経営再建できない深刻な問題とは?(ハーバー・ビジネス・オンライン)

 取り上げるつもりはなかったけどついでなので取り上げますが、このリンク先の記事の四段落目に以下のような記述があります。

「しかし、先月22日になって鴻池の副社長が『7000人削減の可能性』を改めて認めた。」

 シャープの人事を握っているのは鴻池(運輸)だったのかとわざとびっくりすべきところですが、「鴻海(ホンハイ)」と書こうとした際に文字変換で「こうのいけ」って最初入力しててそのままになってしまったのでしょう。何が恐ろしいかってこの記事、昨日配信されているのに未だに修正入っていないって点です。楽な仕事で楽しそうだなぁ。
 ちなみにネットニュースではこの「ハーバー・ビジネス・オンライン」を初め、「ビジネスジャーナル」、「プレジデント」、「JB PRESS」の記事は配信元の名前を見た時点でほぼ読まないし内容も信じません。っていうか、こいつらが流すニュースの中から真実である記事を捜す方が難しい気がする。

2016年7月13日水曜日

日本を破った米海軍三将~チェスター・ニミッツ

 二次大戦史において日本陸軍、海軍の将軍らはそれぞれ数多く紹介、分析されており、ちょっとしたまとめ本でも買ってくればある程度の有名どころはすぐに調べられます。然るに、その日本軍と戦い打ち破った米軍側の将軍についてはあまり取り上げられることが少ないのではないかと大体今年二月辺りにふと思いつきました。
 彼を知り……ではないですが、日本を破った米軍側の将軍はどういう人物でどんな戦略だったかを知るということはあの戦いでどうすべきだったのか、どんな判断が正しく、間違っていたかを考察する上で非常に重要であるように思えたため、とりあえず私の方で解説できる範囲としてしばらく二次大戦時の米海軍将軍をを取り上げます。一発目の今日は、事実上の海軍総司令官として指揮したチェスター・ニミッツです。

チェスター・ニミッツ(Wikipedia)

 ニミッツはドイツ系アメリカ人としてテキサス州で生まれます。当初は陸軍士官学校への入学を希望していたものの、当時の米国の士官学校は議員などの推薦がなければ入学できず、頼った伝手の下院議員がウエストポイント(陸軍士官学校)への推薦枠を使い切っていたため、代わりに余っていたアナポリス(海軍士官学校)へ推薦してもらい、海軍士官としての第一歩を歩みます。
 下級士官の頃は謹厳実直な性格で真面目に勤務をこなしていたようで、一次大戦の勃発もあって比較的早い昇進を遂げながら「海軍の休息」と呼ばれた一次大戦以後の戦間期を挟み、1941年の真珠湾攻撃を迎えます。

 真珠湾攻撃時、ニミッツは名うての潜水艦艦長として日本側にも知られていましたが、早くからその指導力と見識を買っていたルーズベルト大統領によって太平洋艦隊司令長官に就任するよう求められます。当時、彼よりも年齢の高い将軍もいたことから当初は難色を示すものの最終的にはこれを承諾し、事実上の太平洋戦争における米海軍総指揮官として日本と向き合うこととなります。
 司令官に就任したニミッツはまず最初に真珠湾攻撃について、「誰にも防ぎようのなかった事態だった」として一切の処分を行わないと訓令し、周囲を固める幕僚も前任者のメンバーをほぼそのまま受け継ぎました。この処置によって曲者揃いの提督たちの心を一気に掴み(どうでもいいが英語でも「ハートキャッチ」っていうのかな?)、その後も一貫して彼らの信頼を一身に受けながら統率のとれた艦隊指揮を続けていきます。

 個々の海戦についてはあまり詳しくありませんがニミッツが実際に行った決断で最も戦果が高かったものとくれば、日米の好守が完全に逆転したミッドウェー海戦において他ならないでしょう。このミッドウェー海戦前、米海軍内では日本軍がミッドウェー島の占領を図ってくるか、ハワイを再攻撃してくるかで二つに割れていたそうです。かつてに日露戦争でもバルチック艦隊の回航ルートがどちらになるかを見定めることが大きな勝敗要因になりましたが、この時の米軍も同じような感じだったのではないかと思います。

 ニミッツはこの際、日本軍はミッドウェー島を通ると判断して島内の防衛設備拡充に努める一方、作戦目標を島の防衛ではなく攻めてきた日本軍、特に空母艦船の撃破一本に絞り、島内の部隊に対しては、「あなた方がどんな目にあっても海軍は助けない」と非常な通知を行っております。また的空母撃滅という目標を必達するため、可能な限りの戦力をこの海戦につぎ込んでおり、修理に三ヶ月かかると見積もられた空母「ヨークタウン」も、「これならいける」と言ってわずか三日の修理を経て出撃させており、文字通り日本との決戦に臨んできました。

 結果は説明するまでもなく、日本側は多数の艦船を失いこれ以降の戦闘の主導権は完全に米軍へ握られることとなりました。しかしこのミッドウェー海戦単体で取るならば実は米軍艦船の損害の方が大きかったというのは、戦史マニアであれば誰もが知っている事実です。
 それでも何故日本の敗北とされるのか。理由はいくつかあり、日本はこの戦闘で主力空母の「赤城」、「加賀」等を失い、それに伴い大戦初期を支えた多くの熟練パイロットも失いました。米軍側はほぼ一ヶ月に一隻のペースで新造空母を建艦出来ましたが日本側はそれだけの工業力を持っておらず、事実上、一隻失ったらもう取り返しがつかないという台所事情でありました。ましてや「赤城」、「加賀」級の空母はその後作られることはなく、将棋で言えば飛車角を一気にとられたと言っても過言ではないでしょう。

 さらに踏み込んで何故日本はこのミッドウェー海戦で負けたのかというと、その原因として挙げられる有力な説としては作戦目標が米艦隊の撃破なのか、ミッドウェー島の占領だったのかどちらかはっきりしなかったためとされており、私もこの説を支持します。本当に笑っちゃいたいくらいなのですが戦闘が始まってもどっちを優先するか一切指示がなく、そのため現場の指揮官たちは米艦隊を迎撃しつつミッドウェー島にも攻撃をかけなければと動き、結局虻蜂取らずみたいになってぼろぼろにやられるわけとなりました。この点、初めから一貫して「主力空母撃破」を掲げた米軍とは対照的でしょう。

 こうしてミッドウェー海戦を制し主導権を握ったニミッツはその後も着実に戦果を上げていき、日本のポツダム宣言受諾後の9月2日に行われた戦艦「ミズーリ」での降伏文書調印式にも臨みました。終戦後は海軍作戦部長の地位に就いた後で引退し、マッカーサーと違ってそれほど国民的人気がなく地味だったことから特に政治とは関わることなく天寿を全うして亡くなっています。

 諸々の資料を見る限りだとニミッツは本当に真面目で実直な人物であり、組織の統率においては右に出るものがないほどチームをまとめ上げられる人物だったそうです。実際、この後で紹介するつもりのハルゼーもニミッツに対しては深く信頼し、その指示や意向に口を挟まずに従っています。
 そんなニミッツですがこちらもまた今度紹介するつもりのスプルーアンスともども若手士官時代、日露戦争直後に練習艦で日本を訪れ東郷平八郎と会う機会があり、彼について深い尊敬の念を覚えたと手記に残しております。そして戦後、日露戦争の旗艦であった戦艦「三笠」が好き勝手に部品取られた挙句にダンスホールとして使われていることを知り、「もっと大事に保存すべきだ。俺も金を出す!」とわざわざ言い出し、これを受け日本国内でも三笠の保存運動が高まり現在の様に横須賀市で記念館的に保存されるきっかけとなりました。

 こういってはなんですが、真に武人らしい武人だというのが私のニミッツ評です。

2016年7月11日月曜日

2016年参院選について

 前略、昨日行われた参議院選の投票結果は自民党の圧勝となり、安倍政権としては念願となる公明党を含めた与党三分の二議席も獲得する結果となりました。正直この選挙については解説しなくてもいいかなという気もするのですが念のため一応の見解をまとめると、民進党を始めとした野党は初めから負けに行くつもりで選挙に臨んだようにしか見えない選挙でした。

 伝え聞くところだと野党側は安倍首相が議論に応じないなどと批判していたそうですが、そもそもアベノミクスは失敗したと言っておきながら何がどう失敗したのか、どこが欠陥なのか、じゃあどうすればいいのかなどについて一切語らずにおいて議論に応じないとよく批判できるなと見ていて呆れました。結果的には自民党が圧勝したことによって今日の株価が大きく寝あがったことを鑑みるに、アベノミクスは確かに成功していないかもしれませんが市場は野党が勝利するよりは安倍政権に期待していたということは間違いないようです。
 また憲法改正論議も一向に深まりませんでしたが、これに関しては野党の側に問題があると断言できます。野党が「憲法を改正して戦争をするつもりだ」と主張するのに対して安倍首相は、「憲法九条は改正しない」と返事してるのに何故かまた、「憲法を改正して戦争をするつもりだ」と、同じことしか言わず全く会話というか議論が成立しないままで、普通誰がどう見たってどっちがやばいかはわかるでしょう。本来なら、「憲法のどこをどう変えてどういう方向に持って行く?」と聞き返さないといけないのですが、それすらもできないで政治家になれるという事実の方が私にとってはびっくりです。

 先ほどにも述べた通り今回の選挙は与党が勝ったというよりは野党が自ら死ににいった選挙であるようにしか見えず、比喩を用いると選挙なだけに「バンザイ突撃」をやりにいったようにしか見えませんでした。ただこのバンザイ突撃をやった中にもしたたかな人間もいたようで、具体的に名を挙げるとそれは共産党で、「このまま突っこんでもみんな死ぬだけだ。ここはひとつ、一塊になって突破を図ろう!」と言わんばかりに野党みんなで選挙調整を行った結果、往時までとはいかないまでも改選前と比べ議席数を大きく伸ばす結果を得たようです。
 なんとなくですが、「みんなで突撃しよう」と言っておきながら後ろに下がり、ほかの野党を盾代わりにしてうまいこと突破してのけたようにも見えてしまうのは共産党だからでしょうか。しかも選挙戦中に例の「自衛隊は人を殺す予算」発言も飛び出て、これも戦場風に言えば、「おれたちはここだ―!」って敵にわざわざ自分の位置を知らせる様な利敵行為にしかみえず、全体的にわざと民進党を潰すためにこいつら動いてるんじゃね、もしかしてコミンテルンの指示などと想像していました。

 ともあれ今回の選挙は結果が見えた選挙だったこともありそもそも一喜一憂するのようなものでもないでしょう。社民党はもうすでに崩壊状態でしたが今回で止めを刺され、民進党も今後は年月とともに縮小を続ける一方になると予想します。一方で勝者の自民党の中ではこれから内部での路線対立が高まると見られ、憲法改正論議においても公明党との譲歩交渉が活発化していくのではないかと思えます。
 総じて言えば今後の政界は野党対与党ではなく与党内部の政争が中心になるという見解で、さしずめ次回の東京都知事選はその口火を切るものにとして親安倍VS反安倍という構造になるかもしれません。まぁでもこの際だから、石原伸晃氏は無能もいい所だしこれを機に立ち直れないくらい叩いて放り出すのもいいんじゃないかという気もしますが。あれだけ決断力ない癖に先走ろうとする人も珍しい……と言いたいけど、森元首相もいたこと考えるそうでもないか。

2016年7月10日日曜日

「嫌なら見るな」を否定しないフジテレビ

  今日は上海に台風が来て天気大荒れとかいう予報出てたのに現時点では雨粒一つ落ちず、曇ってはいるものの降ったりやんだりが続いていた昨日よりもいい具合です。既に台風も熱帯低気圧に様変わり(クラスチェンジ)しており、折角ワクワクしながら、大雨の中自宅でゲームしながら過ごそうとしてましたがどうもそれは叶いようもありません。まぁ、台風の進路予測は山脈が連なる日本と比べて中国だと難しいのは理解できるので、予報が外れたとしても予報士の方に同情はしますが。
 話は本題に入りますが、先月の株主総会ラッシュの時期にフジテレビの株主総会があってその内容についてニュースが出ておりました。

フジテレビ「視聴率低迷」に株主の不満が炸裂(東洋経済)

 この記事の中で私が注目した一文として、以下の内容がありました。

「ちなみに、(出席者から出された批判にある)『嫌なら見るな』とされる方針に関して、稲木甲二取締役は『フジテレビからそのように打ち出したことは一度もない』と明確に否定している。」

 このフジテレビ側の回答を見て、広報の弱い会社だなという印象を覚えました。まぁここに限らず、公告企業を含むマスコミ企業でありながら広報が弱い会社って意外と多いですが。

 この「嫌なら見るな」という発言は元々、フジテレビへの批判デモが起きた際にお笑い芸人の岡村隆史氏がラジオ番組の中で述べた発言であるため、フジテレビ側が言うようにこれは確かにフジテレビ側が発信した言葉や方針ではありません。しかし発言の発端がフジテレビ批判でもにあったこと、そして発言主がほかならぬフジテレビの看板番組「めちゃいけ」のメイン出演者である岡村氏であることを考慮すると、岡村氏がフジテレビを擁護する意図で発言したと受け取られるのも自然でしょうしフジテレビが言ったようにみられるのも仕方ない気がします。逆に、そう思わないのならメディアとして致命的な欠陥を抱えているとしか言いようがないですが。

 私が何を言いたいのかというと、そもそもの発言から何年も経過しながらも指摘され続けている点一つとっても、「嫌なら見るな」とフジテレビが発信したと受け取られている現実は確実にそこにあるというのは事実です。そしてこれは企業の広報戦略上、放送局としての立場の上から言っても小さくない経営リスクで、このイメージ排除に向けて何の対策も採っていないというのであれば経営者として失格でしょうし、コンサルティング会社からすれば火の付け所でしょう。
 いちいち説明するのも馬鹿らしいですが、「あのテレビ局は『嫌なら見るな』と言っていたぞ」と思われてプラスになることなんて何もなくむしろマイナスにしかなりません。だからこそこのマイナスイメージを取り除くためには広報上で全力を尽くす必要があるのですが、生憎フジテレビは上記の発言を見る限りだとなにもそういった対策を取らず放置しているようにしか見えません。

 では具体的にどういった対策が必要なのかですが、「視聴者あってなんぼのもの」と発信し続けることはもとより、即効で最も具体的な手段としては発言主の岡村氏を切ることが何よりも一番でしょう。何もこれは私が非常なことを言っているつもりはなく、現に生活保護芸人の過去の例から言っても大きくイメージを損なう人物は身から出たサビで切られて当然です。
 折も折で「めちゃいけ」も視聴率がずっと不調だと聞くし、抜本的にイメージを改善する上では最良の一手ではないかと思えてなりません。しかし今のフジテレビ社長は「めちゃいけ」スタッフだったというだけに自身のプライドから切れないということも考えられ、そうであったとすればそれはそれで経営者失格でしょう。

  おまけ
>コンサルティング会社からすれば火の付け所でしょう。
 上記記述については最近、コンサルティング会社ってどんな仕事かと聞かれて私は、「火のない所に火をつけて、消火してやるから金払えって要求するのが主な仕事」と説明しましたが、上手いこと的を得ているなと自画自賛しています。コンサル会社に属したこともないのによく言うなぁ自分も。