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2016年12月11日日曜日

「BLMAE」のPVについて

 誰かとは言いませんが、引退すると発表したからといって既に撮影済みのCMなどが放映を打ち切られることは普通ないと思うだけに、あの報道は真実だったんだろうなと見ています。



 上記動画は「シドニアの騎士」でブレイクした漫画家の弐瓶勉(にへいつとむ、通称ニビンベン)氏のデビュー作である「BLAME(ブラム)」が来年劇場アニメ化されることが決まり、公開に先立って配信されたプロモーション映像です。このBLAMEという作品は連載当時から私も読んでおり、日本漫画の基準を大きく凌駕した圧倒的なスケールの世界観と桁違いに巨大な構造物、そして全く詳細を明かさないストーリー展開と相まって強い衝撃を覚え、つい先日に愛蔵版全6冊も購入するほどはまっていました。この作品が元で弐瓶氏の後続の作品である「バイオメガ」、「シドニアの騎士」も即購入を決断したほどです。

 そんなBLAMEの映像化ですが、正直言ってこのPVを見る限りだと全く期待できないというかスタッフはBLAMEの世界を全く理解してないのではと思うほど落胆させられました。まずキャッチコピーの「生き延びろ!」ですが、私の感覚だとBLAMEの世界では主人公を始め大半のキャラクターが遺伝子改造、もしくはサイボーグ化されててびっくりするくらい不死身な連中ばかりで、生身の人間に至ってはそれこそゴミ屑のように片っ端からミンチになる以外の運命しかありません。ヒロインのシボというキャラに至っては登場する度に身体が消滅しては別の身体に乗り移り、「内臓のない体は慣れないわね」などと言いつつ見事な七変化かましており、こうした世界観からすると「生き延びろ」というよりは「死んでも蘇る」という方が合っている気がします。

 ヒロインに負けず劣らず主人公の霧亥(キリイ)の不死身っぷりもぶっ飛んでおり、自慢の武器の「重力子放射線射出装置」を撃つたびに片腕がもげますが全く意に介さないし数ページしたらまたくっつくし、溶解した金属にくべられてもほっとけば五体満足で復活するしで、そんなキャラ達を前にして「生き延びろ」なんていわれてもなんだかなぁって感じです。
 またPVの中でその霧亥が「俺は人間だ」というセリフを言っていますが、これにも強い違和感を覚えます。というのもこの主人公、「森田さんは無口」という漫画の主人公と並び全くセリフをしゃべらない極端に無口な主人公で、セリフをしゃべるのも後半に至っては数話につき一回あるかないかで、たまに喋るセリフも「おい」とか、「あれは珪素生物だ」しかなく、作中の全セリフをリストアップしようとしてもあっという間に終わっちゃうくらいの人物です。

 そんな霧亥がわざわざ自分が人間だなんていちいち主張するとは私にはとても思えず、むしろ映像化するならこの無口な個性を極端に生かして一切セリフを言わないでほしいと思うくらいなのになんなんだこのPVはと、あくまで一ファンの立場ではありますが納得いかない点が多々あり、こんな感じで映像化されるくらいならいっそ作ってもらいたくないとすら覚えます。

 なお漫画についてですがこれは文句なしに絶賛できる作品で、敢えてこの漫画に比肩するとしたら大友克洋氏の「AKIRA」くらいではないかとも思います。何故かというと背景に移る構造物が極端に精密且つ巨大であり、「真の主人公は構造物」とすら言われ、極端なセリフの少なさと相まって漫画というよりは画集と呼ぶ声もあり、背景ひとつで漫画作品を成立させた大友氏に通ずるところがあるからです。このBLAMEの背景の特徴ですが、作者の弐瓶氏は元々ゼネコンで現場監督をやっていたという漫画家としては特殊な経歴を持つこともあって、人物と構造物の対比に関しては間違いない当代随一の人物でありその特徴が最大限に生かされているのもこのデビュー作であるBLAMEです。
 そうした背景の美しさ(畏怖さ?)もさることながらSFチックでありながらどこか猛烈なグロテスクさを覚える珪素生物、セーフガードといった敵役の造詣も非常に素晴らしく、特に作品中で屈指の人気を誇る「サナカン」という敵役についてはあれほど冷たい目をした漫画キャラクターを誇張ではなく私は知りません。しかも紙切れをばらまくように片っ端から人間を惨殺していくもんだから、このキャラには恐怖を通り越した何かを感じたと共に、終盤になって再登場した時の立ち位置が後年までも強烈に印象に残っています。

 ただ印象に残った箇所ですが、やはり一番「えっ?」とさせられたのは連載終了後、作者のセルフパロディ作品として公開された「ブラム学園」に尽きます。知ってる人には早いですがめちゃくちゃハードで慈悲のかけらも何もないSF作品なのにこのパロディ作品ではグロテスクな造形そのままで作中キャラクターの歪な学園生活が繰り広げられ、読んだ人間全員が「どうしちゃったの弐瓶先生!?」と、軽く作者の心理状態を心配したことかと思われます。ちなみにこのブラム学園は読み切りで三作品が公開されましたが、三作中で主人公の霧亥が喋るシーンは一つもなく毎回肘鉄とかビーム撃たれて〆られています。

2016年12月9日金曜日

ウェブメディアの炎上騒動について

 昨日の昼食時の議題は、「ベジタリアンは虫食ってもいいのか?」でした。まぁ仮にOKだったとしてもカブトムシなんか食べたくない人のが大半だろうけど。

炎上中のDeNAにサイバーエージェント、その根底に流れるモラル無きDNAとは(ヨッピー)

 DeNAを筆頭とするIT企業のウェブメディアが信用性のない記事を公開しまくって炎上している問題について述べている記事ですが、今まで知りませんでしたがなかなか見識の高い人だと思う記事です。文章もうまいから長くても読んでて全然ストレス感じませんでした。

 さてこの問題についてですが、記事を公開停止している会社は倫理観がないなど盗用や著作権に対する意識が低いなどとあちこちで論じられているので今更私が同じようなこと言ってもつまんないと思います。唯一この方面で言うとしたら、DeNAは社長がでてきてこんにちは、じゃなく今回の騒動について謝罪していましたが、私が見る限り「悪い」と思って謝罪したのではなく「マズイ」と思って謝罪しただけでほとぼりが冷めたらすぐまた似たようなことをすると思います。

 ほかの人と同じこと言ってもつまらないと思うので私の目線でこの問題について敢えて切り込むとすれば、一番気になったのは「ウェブ記事の質」についてで、単刀直入に言うと、Web上ではどれだけ記事の質が良くてもその記事が読まれるとは限らず、むしろ記事の質がどれだけ悪かろうと工夫次第で膨大なアクセスが得られちゃうってことです。それで何が起こるかと言うと、質の悪い記事に質のいい記事が埋もれてしまうことが大いにあると言いたいわけです。

 そもそも今回のDeNAの問題が何故公になったのかと言うと、医療情報という生命と健康にも関わる敏感な分野に手を出したこともさることながら、そうした根拠のない記事がウェブ検索で片っ端から上位に来てたことがきっかけでした。一体何故そうしたカス記事が上位に来たのかというとDeNAの検索対策、やや専門的に言えばSEO対策が非常に充実していたためで、繰り返し言いますが記事内容の質がよかったためではありません。
 ウェブにおいては実質、検索で上位に来るかどうかですべてのアクセスが決まると言っても過言ではありません。なので記事の質が悪くともその方面の対策や技術に長けていればアクセスを稼ぐページは作れてしまい、逆にどれだけ質がよくともその辺の対策が悪ければアクセスはどうやっても伸びないわけです。

 でここだけの話、やはり質の悪い記事の方が量産されることも多くなおかつSEO対策もそこそこ出来てるため、そうしたカス記事によって良記事が埋められてしまうことで、折角存在する良記事が見えなくなってしまうという弊害があります。私自身も調べ物とかしていて検索上位に何の参考にもならずどうでもいいことしか書いてない記事ばかりで辟易していた所、検索下位にこれはと思う記事を見つけ感動したことが何度もあり、何故これほどいい記事が上位に来てもっと読まれないのかと他人事ながら歯がゆい思いをしたことすらあります。

 このブログに関しても、少し強気に出れば同じ内容を論じているほかの記事に比べてもそこそこ面白い切り口で書いている自信がありますが、ホットな話題とかで検索上位に来ることはまずなく、大勢の人間に読まれることなくほかのカス記事に埋もれてしまうことも少なくない気がします。もっともその代わり、定期的に読んでくれている読者の方々は相当の猛者揃いというかコメントとか見ていてもいい読者を得たなと思えるだけに少数精鋭なブログであるという自負もあります。

 今回、DeNAや便乗したサイバーエージェント、リクルートなどもウェブメディアを閉鎖する動きが広がっていますが、個人的にはこの動きはもっと続き、ウェブ上からカス記事がなるべく少なくなるに越したことはないと思います。それと同時に、本当に価値のある良記事がもっと人目につくようガイドラインとかその方面のまとめ・評論サイトなんかがもっと広がればウェブメディア全体にとっても価値が高まるのではないかという風にも考えており、ただ倫理観の低い連中を叩いているだけではウェブメディア業界全体の底上げにはつながらないということを今回は主張したかったわけです。

 最後にまた自分語りすると、このブログは徹頭徹尾記事の質だけで勝負しています。大勢に読まれることに越したことはありませんがいい書き手もいればいい読者もおり、その逆に悪い書き手もいれば悪い読者もいるだけに、しょうもない読者はむしろ遠ざける様な書き方を敢えてやっている所もあります。自分自身が必ずしもいい書き手であるなどと自惚れてはいませんが、いい読者を囲うということは読者の方々にとっても大きなメリットがあると思うだけにこの方面はかなり意識してやっています。

2016年12月7日水曜日

オバマ大統領の総括

 最近の米国情勢記事はどれもこれもトランプ次期大統領に関する報道ばかりですが、トランプの就任とともに大統領職から降りるオバマ大統領についてそろそろ総括するような記事が欲しいのでもう自分で書きます。

 結論から言えば近年稀に見る傑出したリーダーだったというのが私の評価です。毎日新聞のアホが最近何でもかんでも「トランプ現象」と言ってトランプと結びつけた誤った報道を展開しておりますが、米国の大統領選が始まるずっと前、具体的には二年くらい前から世界各地でリーマンショック以前のグローバル化に逆行するブロック化は勢いを増してきており、北欧やフランスでの移民排斥運動は前から盛んになり始めてて因果関係がまるで逆です。世界がそのようにブロック化へ突き進んでいったのがこの八年ですが、この八年に米国大統領としてほぼ一貫として国際協調路線をオバマ大統領は取り続けていました。

 面倒くさいですが一応その根拠と言うか国際協調路線と言える行動を挙げるとTPP推進、イラクやアフガニスタンからの段階的撤兵、キューバ訪問、冷戦末期以来の核兵器削減などで、細かい点を挙げればもっといくらでも出てくるでしょう。先にも言った通りにこの八年間、世界はほぼ一貫してブロック化の流れを突き進みましたがその中でオバマ大統領は協調路線を崩さず、仮に彼が逆の立場だったら世界のブロック化の程度はもっと激しかっただろうと私は考えます。
 もっともそうした協調路線が外交上で成功したとは必ずしも言い切れないところがあり、一番大きな失敗はイラクからの撤兵を急いだあまりISISをのさばらせたこと、次にシリアでの内戦激化で、ロシアのウクライナ割譲はまぁプーチンが上手だっただけでオバマ大統領のせいとは言い切れないでしょう。

 上記に上げた外交政策の中で唯一私が全く分からないのはシリア内戦への介入です。基本的には国際協調路線を取りわざわざ広島に訪問してくるなど反戦思想も強い人間であるにもかかわらず、シリアのアサド政権に対しては初めから強硬な態度を取り続け、中国やロシアの反対で実現こそしなかったものの国連で多国籍軍を組織してまでも攻撃を仕掛けようとしていました。一体何故オバマ大統領はシリアにだけはこれほど強硬だったのかがその背景が全く分からず、また日系メディアもその辺をきちんと分析したり解説しないので私の手元にすら全く情報がありません。オバマ大統領のそれまでの姿勢を考えると明らかに逸脱した行動であるにもかかわらず、所詮は遠く離れた中東の事情は日本人にとっては関心が薄いのかもしれません。

 外交の話ばかりしてきましたがオバマ大統領個人の資質に関してもやはり傑出していたと私は考えています。特に優れているのは演説で、就任時や最初の大統領選時の「Yes, we can!」を筆頭にどこでもいつでも見事な演説で、プレゼンに対し比較的厳しい見方を持つ米国人ですらオバマ大統領に対しては手放しで誉めるくらいです。先の広島訪問時の演説も自らが起草したそうですが一言一句に至るまで非常に丁寧でしっかりした作りであるだけに、地頭の良さを強く感じさせられます。

 しかしそうした能力が在任中に生かされたかとなると判断はやや難しく、こと内政に関しては発足当初からの念願であった国民皆保険制度、通称オバマケアの実現は不完全に終わり、トランプ次期大統領も就任後は廃案にすると述べていることから事実上、未達成に終わりました。
 それ以外の面でも米国内の経済についてなりふり構わない金利政策を取り、就任当初はリーマンショックの影響もあったとはいえなかなか好転しない経済に批判も多かったです。もっとも現状において米国経済は比較的安定しているので、政権の経済運営能力は決して低くなかったと私は見ていますが。

 エネルギー政策に関しては専門外のため適当なことしか言えませんが、米国に限らず世界全体でここ数年は主役の変動が激しく、具体的に述べると今年においてシェールガスに関する大きな報道を私は一度も見ませんでした。実際、シェール関連業者の破綻が米国内で相次いでおり、バイオエタノールみたいに一過性の存在で終わってしまうんじゃないかと今考えています。っていうかここでシェールガスを思い出せるだけでも自分はそこそこしっかりしてるなとすら思えてきますが、変動が激しかった分、米国も一貫した政策が取れずどちらかと言えば自国利益よりも対ロシアの嫌がらせに原油価格を動かしてきた、っていうか米露関係で原油価格がずっと動いていたような気もしないでもありません。

 軍事面についても触れるとくと、基本はハト派であったもののビンラディンの暗殺を達成したり、ドローンに代表される無人兵器の活用を広げたりと黒い面も見ようと思えばいっぱい出てきます。後者の無人兵器については映画の「キャプテンアメリカ2 ウィンターソルジャー」でも暗に揶揄されていますが、彼がただのハト派なだけではないということを示す大きな指標と言えるでしょう。

 アジア政策に関しては民主党出身であることから対日関係はブッシュ政権時より冷え込むと当初は予想されたものの、さすがに小泉×ブッシュ時の関係を築くまでには至らなかったとはいえ案外対日政策はそれほど冷遇されてはいなかった気がします。むしろ在任中、中国との通商問題や人権問題が両国間で槍玉に上がることが多く、北朝鮮問題も絡んでオバマ大統領は国内をなだめる火消しに忙しかったような印象を受けます。そう考えると次のトランプ政権では米中関係は恐らくですが今よりずっと先鋭化する可能性が高いように思えてくるわけです。

 以上が私のオバマ大統領評ですが、やはり前任のブッシュ、前々任のクリントンと比べても優秀な大統領だったように思え、黒人初の大統領という点でも十分歴史に残る人間だと思います。ただ個人的に可哀相だったのは同じ時代にロシアのプーチン大統領がおり、ウクライナやシリア問題では完全に相手のペースに乗せられてしまったということで、一矢を報いようという意思は感じたものの、原油価格でのチョーク攻撃は退任が近くなったこともあり先週に終わりを迎えてしまいました。
 逆に考えればオバマが去った後、プーチンが国際政治で更に無双状態になる可能性もあるということです。その辺は次のトランプ政権によりますが、外交力で考えるとオバマ大統領は比較的掲げる旗が国際協調ではっきりしていた分、次の政権はやや厳しくなるのではと個人的に思います。

 今週クソ忙しいからブログ書くのやめようかと思ったけど、政治ネタなだけに何も前準備なしにここまで書いてしまう当たり自分がよくわかりません。

好きなことを仕事にすべき?

 今年の忘年会の場所がカラオケ屋となり歌うたうのは好きだけど下手だから行くのやめようかと思ってたら、そのカラオケ屋には猫がいるとわかり今非常に悩んでいます。なお昔、上海の居酒屋で厨房の奥から猫の鳴き声が聞こえるもんだから店員に、「お宅の猫を見せ給え」という無茶なオーダーをかましたことがあります。店員の返答は、「また次回に」でしたが。

 話は本題に入りますが、私はかなりガチなレベルで歴史科目に強く実際に歴史は好きなのですが、大学受験の際に史学科への進学は一応一か所で受験したもののそれほど希望しておらず、初めから社会学を希望していました。何故かというと歴史は好きだけれどもそれを学問として取り扱うとなると別で、むしろ嫌いになりそうだと思ったからです。

 それで今度は仕事の話ですが、私は中学生の頃から新聞記者を目指して実際に新聞記者になるためだけに文章技術を高め続けてきました。しかし新卒で就活を行っていた際、果たして新聞社にこのまま入ってもいいものか、特に希望する政治部や社会部に行ったら破綻するのではという妙な警戒感を持っていましたが、結果から言えばこの予感は間違ってなかったと思います。
 結局新卒では新聞社はおろか100社以上からお祈りメールを喰らう羽目となったものの中国でどうにかこうにかだまくらかして経済新聞社の記者になることが出来ましたが、その新聞社が経済紙で本当によかったと当時思いました。何故かと言うと、政治や社会関連の記事を書くとなると必ずしも私の思想信条と会社の思想信条が一致するわけでなく、仕事していて多分苦しい思いするのが目に見えたからです。逆に経済記事だと、それほど思い入れがないから言われた通り書くことに何も抵抗がなく、自分の記者としての才能があるとしたら、この分野に対する適応性が最も高かったことでしょう。

 こっから真の本題に入りますが、よく世の中で「自分が好きなことを仕事にすべきだ」というような言質が出ていますが、これは私に言わせれば絶対的に間違っている言葉のような気がします。漫画家やライター、流しの首切りなどフリーな立場であれば話は別ですが、基本的に現代の世の中では会社組織に属さなければまともな収入や生活が立たず、そうした会社組織の中で「好きなこと」を仕事にしてしまうとその好きなことに多かれ少なかれ制限が加えられ、大抵の場合は歯がゆい思いをせざるを得ないからです。
 たとえば先程の新聞記者の場合だと、本人は自民党支持だとしても社の方針が朝日新聞みたいであれば自分の思っていることと真逆の内容の記事を書き続けなければなりません。またこれ以外にも車が好きだから大手自動車メーカーに入ってしまいますと、基本的に所属するメーカーの車しか購入することが許されなくなり、結果的にいろんなメーカーの車を乗り比べる機会は確実に減ります。この前日本に帰ったトヨタグループの人も、「選択肢がトヨタ一択」と言ってましたし。

 一言でいえば、好きなことを仕事にすると確かにそれに関わる時間は増えるものの、その好きなことに何かしら制限がつくケースが多くなると言いたいわけです。私に言わせれば好きなことこそ本業からは遠ざけ、むしろ副業でやるべきものだと思います。
 実際に私はなんだかんだ言いつつ報道と思想探究が何よりも好きでこうしてほぼ毎日ブログであーだこーだ好き放題に言っていますが、恐らく普通のメディアではこんな情報発信はまず間違いなくやることは無理です。またこれ以外にも姉妹サイトでやっている日系企業の海外拠点データ収集も、ああした作業が好きだからやっているという面もあり、私本人としては敢えて真面目な仕事にしたくはないという思いがあります。

 もちろん好きなことして金稼げたらそりゃ万々歳ですが、世の中そんなにおいしい世の中ならもっとみんなハッピーです。そうは上手くいかないからみんなストレスフルに生きてるわけで、返って好きなこと語を仕事に重ねようとするとそこそこ苦労があるし、また上記のような制限に伴う微妙なずれによってそれまで好きだったことが嫌いにすらなる可能性もあると思います。だからこそ好きなことは誰にも邪魔されないプライベートな所で、副業みたいにしてやるべきだと私は主張したいわけです。

 ちなみに最近の私は、本業は一応世を忍ぶ仮のサラリーマンとして普通に勤務し、プライベートタイムの副業と言うか趣味としてこのブログを展開するほか、海外拠点データの収集管理、JBpressで月二回程度の記事執筆、週末のサイクリングをやりつつゲームもやり込み、友人から最近無理してないかとなんか心配されてきました。実際、ブログやめたら毎週7時間くらい自由に使える時間が増えると考えると結構頑張ってるなと思いますが、書いてて全くストレス感じないので辞める理由は見当たりません。

2016年12月4日日曜日

薩摩示現流の系譜

中国における新会社設立に関するお知らせ(シャープ)

 本題と関係ありませんが上記のシャープが出したプレスリリース中にある「当社の幅広い事業や技術、商品企画力を活かし、オールシャープの総合力を発揮すべく」という文言について友人が、「ワン・オブ・ホンハイの間違いじゃね」と身も蓋もない事言ってました。間違っちゃないしむしろこっちの方が正しいけど、こんなの聞いたらシャープ社員泣いちゃうぞ。

示現流(Wikipedia)

 そんなわけで本題に入りますが多少剣道や時代劇にかじった者なら「示現流」という言葉を聞いてすぐピンと来るでしょう。示現流とは薩摩藩だったころの鹿児島で主流となった剣法で、その特徴はとして「初太刀にすべてを懸ける」、というより「二発目なんて甘い事言ってんじゃねぇ、一撃で殺せ!」と言わんばかりに一撃にすべてを懸けるという流派で、それだけに斬撃の威力が凄まじく受け太刀した人間が受け止めた自分の刀ごと切られたり、受けた自分の刀の峰や鍔が頭蓋にめり込んで死んだこともあるという信じ難いエピソードもあります。実際に他流派からも恐れられ、新撰組ですら示現流相手には警戒するよう隊内で訓示を出していたそうです。

 そんな示現流の歴史について軽く説明すると、元々は九州地方で盛んだったタイ捨流から独立して成立し、開祖が薩摩藩の初代藩主島津忠恒の師範役に就いたことから薩摩で正統流派として普及するようになります。当主は代々開祖の東郷重位に端を発する東郷家が継承して藩内に多くの門弟を抱えていましたが、四代目の東郷実満は父親が中風にかかったことによって満足な指導を受けられないまま当主となってしまい、高弟たちからはその実力を軽んじられどんどんと門弟は減り、一時は師範役の人も解かれた上に困窮する羽目にもなりましたが東郷家に忠を尽くす高弟たちの努力もあって再び師範役に返り咲いて東郷家のピンチを乗り切ます。

 しかしこの四代目実満の後を巡り、後継者争いが勃発します。後継者には人格も実力も周囲から高く評価されていた長男の東郷位照(たかてる)が継ぐと見られていましたがこれに対し異母弟の実勝が猛烈に抵抗して家督への執着を見せたことにより、位照を脱藩に追いやった上に遠島への流罪に処されるまで追い込むことに成功します。しかし兄を追いやったものの家督は位照の息子の実昉(さねはる)が継ぐこととなり、若年で未熟な実昉に代わって高弟の薬丸兼慶が師範役となりました。
 面白くないのはもちろん実勝で、彼は甥であり当主の実昉をないがしろにして自らが当主のように振る舞ったことから藩主の怒りを買い、兄と同じく遠島へ流刑されます。時を経て家督を争った位照も実勝も罪を許されて城下に戻ってきますが、何故か実昉は最初は実の父親である位照を受け入れたにもかかわらず叔父で自分をないがしろにした実勝が帰ってくると位照を追放して叔父を受け入れたそうです。なにか弱みでも握られたのか?

 しかし道場内では実力も人格も備えた位照を支持する層が常にいたそうで、また生活に困窮した位照は町人などに剣を教えることで生活していたため、真に実力を求めようとする者は位照の元で学ぼうとしたそうです。
 そんな位照の元で学んだ者の中に先程出てきた薬丸兼慶の孫の薬丸兼富という人物がおり、この兼富の才能を見出した位照は「俺に教えさせろ」とわざわざスカウトした上で弱冠二十歳前後で免許皆伝まで与えてしまいます。これにより、「示現流の本当の奥義を知る位照から伝授されたのは薬丸家だ」という風に見られ、兼富の養子となり跡を継いだ兼武の代になってついに示現流から独立し、薬丸自顕流という分派が成立することとなります。

 ただ薬丸自顕流が独立した際、本流である東郷家の示現流からも弟子が大量に移動するなどして一悶着があり、開祖の薬丸兼武は怒りを買った藩主から遠島に処せられ刑地で没する羽目となっています。しかし時代を経て子の薬丸兼義の代にその実力が藩から認められた薬丸自顕流も剣術師範として認められ、下級武士を中心に大勢が門を叩いたそうです。
 そのため、幕末における主な示現流の使い手は薬丸自顕流を学んでおり、騒動や暗殺が起こる度に名声が高まり薬丸自顕流には弟子がどんどんと集まったそうです。しかし弟子の多くは寺田屋騒動、戊辰戦争、西南戦争で大半が亡くなったとも言われます。

 前回の「首切り浅右衛門」こと山田浅右衛門とその一族と合わせて何故示現流を取り上げたのかと言うと、やはりこういう武術系は血筋だけでは継承はどうにもならない所があると言いたかったからです。事務作業ならともかく武術ともなれば実力がなければお役目を果たすことが出来ず、だからこそ山田家は優秀な弟子を養子に取るという方法で継承しましたが、示現流の東郷家の場合はなまじっか高い実力を持った位照を放逐したがゆえに薬丸自顕流の分派を招いており、継承でトラブルを起こしています。
 現代においてはそんな武術家の継承などはそんな気にするほどでもないですが、何気に「優秀な部外者を養子に取る」というのは最も安定的で効率的な継承方法かもしれません。現代では自動車のスズキが毎回これで継承してきましたが、もっと他の会社でもこういうことあってもいいんじゃないかという気がします。

2016年12月2日金曜日

江戸幕府の死刑執行人一族

 これから書く記事はほかの人もたくさん書いているので正直私が書くべきなのか非常に悩みましたが、悩むくらいなら書いた方がいいという結論と、この次に各記事と合わせれば独自性が出せるからありかと割り切り書くことにしました。独自性これ大事。

山田浅右衛門(Wikipedia)

 フランスの死刑執行にはギロチンが使われ、その執行に当たってはサンソン家という一族が代々になっていました。もっとも有名なのはルイ16世を処刑した四代目のシャルル=アンリ・サンソンという人物で、彼に対してパリの人々は畏怖を込めてムッシュ・ド・パリと呼んでいたとされます。
 一方、日本の江戸時代においても代々死刑を執行する執行人の一族がおり、それが上記リンク先の山田浅右衛門と呼ばれる一族です。

 山田家は元々は刀剣の鑑定を兼ねた試し切りを専門に行う一族でした。当時の試し切りは木や動物ではなく人を直接斬って鑑定することに価値があると見られ、試し切りの対象には斬った所で差しさわりのない罪人が使われるようになり、転じて山田家は死刑執行の業務を担当するようになります。
 ただ死刑を執行しておきながらですが山田家は幕府の直参、直接雇用される立場ではなく身分上は浪人のままでした。何故こうだったかについては諸説あり、死刑執行人を直接抱えることが幕府に忌避されたというのが一番有力な説ですが、現代で言えば死刑執行の度に呼ばれるフリーの首切り請負人と言ったところで、なんでもフリーつければいいもんじゃないと書いてて思います。

 山田浅右衛門が歴史の舞台に登場するのは八代将軍徳川吉宗の代で、それまで試し切り、死刑執行を担当していた鵜飼十郎右衛門(この人は幕臣)という人物が逝去した後、試し切りの技術を後世に伝えたいと申し出た鵜飼の弟子が山田浅右衛門でした。吉宗は山田の実力を認めたことからその後、山田家が試し切り、死刑執行を専門的に担当するようになり、当主の山田浅右衛門が執行できない際はその弟子が代わりに行うというスタイルが確立されることとなります。
 山田家は浪人の家とはいえ生活は武家の中でも非常に裕福であったとされ、その理由としては幕府お抱えの試し切り鑑定家であったため他の大名家からも試し切り、並びに刀剣の鑑定依頼が殺到したことと、死刑を執行した罪人の遺体から肝臓などを持って帰り、漢方の材料として売却して得る収入が大きかったためとされます。この辺はフランスのサンソン家が医師も兼ねていたというところと共通しています。

 死刑の執行は山田家が任されていましたが山田家では代々、後継者は当主の子ではなく弟子の中から選ばれていました。やはり当時としても死刑執行人という職への風当たりは強かったらしくどの当主も子供へと継がせることに抵抗を示し、弟子の中から優秀な者を後継者に選ぶというパターンが多かったそうです。
 こうした継承の唯一の例外となるのは幕末期、あの吉田松陰や橋本佐内を処刑した七代目山田浅右衛門吉利で、彼だけは自分の長男である吉豊を後継者に指名しています。しかし世の中面白いもんだと言うべきか、真に首切りの才能を持っていたのはこの長男ではなく三男の吉亮だったとされ、八代目当主である兄に代わって明治の時代にあってもバスバスと首を切っていったことからこの三男の吉亮を「九代目」もしくは「閏八代」と呼ぶ声も多いです。そして長男の方は1882年に逝去した一方、件の三男は首切りによる処刑が廃止されてから1911年まで存命して山田家についての証言も残していることから歴代の中でも彼がとりわけ重要な人物であると見て十分でしょう。

 彼ら山田浅右衛門一族、ひいてはサンソン家の話から得られる教訓としては、いつどの場所であっても死刑執行人は世間から忌避される存在であったということでしょう。だからこそ一程度の収入や身分が保証された一族が一身に担う必要があり、その死刑に対する技術も脈々と受け継がれていったと考えられます。
 現在の日本では絞首刑が行われていますが、件数もそれほど多くないんだし、誰もやりたくないかもしれませんが何だったら専門に刑の執行を行う一族が現代にあってもいいような気もします。ただ死刑執行に限らずとも一族が代々と同じ仕事を受け継ぐということが現代においてはどの分野でも薄れており、そうした所が家族意識にも影響を与えているのでしょう。

 なお私の家系は曽祖父の代から何気に代々メディア企業に勤める一族ですが、メディアの中で記事を書く仕事についたのは私一人です。そんなもんだから親父の従弟からは、「君はうちの一族で唯一と言える直系の男子だから、爺さんもおった新聞社に記者として勤めてほしかった」と言われたことがありましたが、多分あの新聞社は思想信条的に私とは相容れないため難しいとやんわり断りました。

2016年12月1日木曜日

日本の霊能者


 なんか歴史ネタ書いてないのですぐかけるオカルトを混ぜた話として、日本における著名な霊能力者を頭に浮かぶ傍から書いてこうと思います。
 まず全体的な傾向として日本の霊能者は仏教関連に集中しており、著名な宗派の改組は多かれ少なかれ神秘体験じみた話を持っています。中でも日本屈指というか山岳信仰の開祖である役小角、陰陽道でお馴染みの安倍清明と並んで三大霊能力者に数えられている空海に至っては中国へ渡航するや真言宗の一番偉い人から、「お前を待っていた」と、真言宗の経典から秘儀まで全部伝授されました。この一件によって真言宗の本流は中国から日本に移ったわけですがこれ以外にも空海は敵対する宗派の人間と呪い合戦を繰り広げ、なかなか決着つかないから敢えて自分が死んだという噂を流して相手の気が緩んだスキに呪い殺して「してやったり」と言ってのけたという、宗教者としてそれでいいのかと思うエピソードまであります。

 同じく仏教者で私が思い当たる人物としては鎌倉時代に華厳宗を盛り立てた明恵という人がおり、この人は潔癖な人で自分が欲望に負けやすいなどと打ちひしがれて決意の証に片耳を切ってしまうという熱情家でした。空海みたいにぶっ飛んだエピソードこそないものの、「入り口の水がめの中に虫が落ちたから救ってあげなさい」と弟子に行かせたら本当に虫が入ってたとか、自分の死期を正確に予想して当てて見せたというエピソードがあります。
 同じく鎌倉時代で言えば日蓮を外すわけにはいかず、この人は行動も発言も過激ですが「国家に大難がやってきて法華経を大事にしない幕府は滅ぶ」という予言は残念ながら外してしまいました。そのかわり国政批判の門で斬首されかけたさいには辺り一円に雷が鳴り響いて刑を執行することが出来ずやむなく遠島に刑を変えられたという話はあり、多分探せばこの人はまだまだ出てくるでしょう。

 仏教者以外で霊能者を挙げるとすれば戦国時代の果心居士が有名ですが自分はあまり好きじゃないし実在を疑うので省略します。それ以降の時代、江戸時代だと私の印象では女性に多く、大体が巫術系というか神様や霊を宿してイタコみたいに口寄せするという話が増えてきますが、大体こういう話に出てくる女性霊能力者は早死にすることが多く、大正時代に有名になった御船千鶴子を代表にみんな夭折しています。

 西洋における霊能力者だとよく空中浮遊する話が伝わりますが、近現代はともかく近代以前の日本だとあんまりそういう系統の話は聞きません。私が思うに日本で空中浮遊するのは霊能力者ではなく忍者であるためそういった方面の能力開発を霊能力者はやってこなかったのだと思います。まぁ忍者が空飛ぶ能力開発してたか私も知りませんが。
 逆に日本だとやはり呪殺とか千里眼系が多く、遠隔地にある出来事や人物を見たり知ったりするような話が霊能力者のエピソードに多いです。一方で物理的に何かを曲げたり発火させたりするような話はほとんどなく、やっぱりこちらも忍者の領域でしょう。

 結論として何が言いたいのかと言うと、西洋における霊能力者は日本の霊能力者とはやや異なっているというか、むしろ忍者の概念に近いのではと言いたいわけです。西洋では曲げたり燃やしたり空飛ぶ力を神霊力と称しますが日本の場合は忍術というか修行の成果であって霊的な能力は一切皆無であり、神霊に頼るのはむしろ邪道で西洋の霊能力者はまだまだ修行が足りないのでしょう。
 最後にどうでもいいことですが、奈良県の柳生の里近くに忍術学院というのがあり、ホームページは更新されていませんが前に近く言ったら看板があって近所の人曰く結構本格的だとのことで、なんか親父が親父の従弟と共にやってみようかと真剣に検討してました。