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2017年5月12日金曜日

中国の米国産牛肉開放報道について

米国産牛肉、中国への輸出解禁…貿易赤字縮小へ(読売新聞)

 久々に注目に値するニュースというべきか、上記記事内容のニュースを今日見て興奮しました。内容は見ての通り、中国が現在禁輸を続けている米国産牛肉について、先日の習近平総書記とトランプ大統領の会談で示唆された通りに輸入を解禁する方向で準備することが発表されました。基本、中国は発表前にあらかたの手続きなりを終えていることが多く、政策実現までは桁違いにスピーディに行動をとるため案外年内には輸入が解禁されるかもしれません。

 割とこのブログでもなんでも取り上げていますが、中国は米国や日本産の牛肉輸入を禁止していたため、中国国内だと非常に質の悪い、はっきり言えばまずい牛肉しかこれまで流通していませんでした。どれくらいまずいのかというと、オージービーフが高級牛扱いされて日本とは比べ物にならないくらい高い値段で出されるといえばわかりやすいかもしれませんが、そんなこともあって私も友人らとご飯食べる際はステーキ店があってもまず候補から外します。焼肉程度ならタレでどうにかなるところもあるのでまだ行きますが。

 そのため、以前にJBpressで書いた記事の中でも紹介していますが、中国では食にこだわる民族なだけあって「非常においしいらしいけど」という具合で和牛に対する関心が高く、神戸牛や松阪牛などといった日本の高級和牛を食べることを目的として訪日する人も少なくありません。ただ、中国国内に限って言えばあまり質が良くない上に単価がやや高めである牛肉はそれほど好まれておらず、最近は所得が上がってきていることもあって食べる人も増えてきていますが中国で肉というとやはり豚肉がスタンダードなままです。

 それだけに今回の米国産牛の解禁に伴って起こると予想される変化はなかなか興味深く、個人的にも関心を持っています。まずあまりよろしくない予想を述べると、中国が米国産牛を本格的に買い付け始めたら日本向けの牛肉の単価も引きずられて上昇する可能性が大です。もっとも値段がちょっとくらい引きあがるならまだいいものを、下手すれば人数が桁違いな中国人に悉く食い尽くされることとなって牛肉それ自体がなかなか食べられなくなり、いつしか牛丼が高級料理扱いされる時代が来るかもしれません。

 次に和牛に関してですが、現時点でも輸入が解禁されていないのでそれほど大きな影響はないものの、中国人が牛肉の味に食べなれて来た場合、日本の和牛への関心がより高まる可能性があります。仮にそうなったとしても日本としては中国への輸出は解禁すべきではなく、米国と違って絶対的に供給限界量が高くないこともあるので、今のまま禁輸体制を維持すべきでしょう。
 むしろ訪日観光ともっと組み合わせるべきで、個人的には入国した外国人全員に空港の税関前で和牛一切れを食べさせるくらいの姿勢を見せてもらいたいものです。

 和牛それ自体は上記の通り大きな影響はないものの、牛肉を使用する飲食チェーンの場合は今回の米国産牛の解禁に伴ってビジネスチャンスが広がるかと思います。現時点で吉野家やすき家などは中国各地に進出済みで現地でも大分受け入れられていますが、使用している牛肉は恐らくはまだ米国産ではなく(どこ産なのか地味に気になる)、味の面でもコスト面でも日本よりは不利でしょう。実際に日本の牛丼屋で食べた方が確実にうまいです。
 仮に解禁された場合、これら日系牛丼チェーンでは米国産牛を日本同様に使えるようになるので仕入面で有利になることは確実で、なおかつ中国全土で牛肉料理が広がれば牛丼屋を利用する客や機会も合わせて増加する可能性があると思います。牛丼屋に限らなくても、牛肉を使った鉄板焼きなどの料理をメインとするお店も同様です。

 まだ本決まりではないものの、結構大きなニュースなのでしっかり見守っておいたほうがいいとお勧めするニュースです。特に中国関係者は。

2017年5月11日木曜日

ゼロ金利政策が破綻している理由

 パソコンをマウスコンピューターに取り換えたのですが、移行作業自体はあらかじめ準備していたこともあって割と滞りなく終わったものの、イヤホンジャックが本体左側ではなく右側についているというのが微妙に嫌です。またUSB3.0のポートも右側ではなく左側、それも本体手前側についているのがやや不便ですが、設計上でこっちのほうが何か有利なのかな?

 話は本題に入って久々にマジな話をすると日本は安倍政権の成立以来、日銀は公定歩合を実質ゼロ、現時点においてはマイナス金利にするなどして市場の資金流通量を増やすため様々な政策を実施していますが、円安とともに日経平均株価こそ上昇したものの、目標としていた国内インフレ率の上昇は達成せず、また最終目標である国内景気の上昇も建設業以外では目立って好転したという話は耳にしません。さすがに一年や二年程度で失敗と決めつけるのはひどいとは思いますが、2012年末から政権が継続していることを考えるとすでに丸四年は経過しており、この四年で当初掲げていた目標が達成できてないことはおろか、目標値にまるで近づかない現状についてはもっと議論されるべきかと思います。

 結論から述べると、安倍政権と日銀が実施しているゼロ金利政策には致命的な欠陥が存在しており、それによって破綻して機能を果たせていないと私は考えています。その私が考える欠陥とは以下の通りです。

国内設備投資10.9%増 16年度計画 政投銀調査
企業の海外投資、増勢続く 直接投資150兆円超え 15年末時点(どちらも日経新聞)

 この二つの記事を読んで意図が分かった方はもうこの先は読まなくても結構です。逆を言えば、上の記事だけで私の意図が分かったとしたら、多分私同様に海外で働いているとなのではないかと思います。今回の主張は日本国内にいる人にはまずわからない内容ですし。
 もったいぶらずに具体的に解説すると、ゼロ金利政策によって金融機関から民間企業へと貸し出された資金は国内には投資されず、ほぼすべて海外投資に使われているから失敗したのではと私は見ています。

 ゼロ金利政策の狙いはどこにあるのかというと、中学の公民で習う内容と一緒で要するに貸出金利を低く抑えることによって民間企業の金融機関からの借入を促し、設備投資などの投資を行わせ社会全体にマネーがより多く流通させるように仕向けるというところにあります。しかし私が見る限り現在、日系企業は金利の低い日本の銀行から借り入れた資金を日本国内での投資には使わず、ほぼそのまま海外での投資に使用している現状があります。
 自分が何故この現状に気付いたのかというと、単純に日系企業のキャッシュ・フローを眺めていたら大半の大手企業は三大メガバンクの中国支店などを通してリボルビングローンなどを組んでたりしていることを見ていたからです。気が付いたらもうそれまでで、何故日本国内投資ではなく海外投資なのか、その必然たる理由もすぐにわかりました。

 はっきり言えば、日本国内に投資を行う価値はもう全くと言っていいほどないからです。日本はすでに少子高齢化に伴い人口も減少しており、若年層を中心に個人所得も年々減少するなどして国内市場は縮小の一途を辿っています。そのためたとえ日本国内で投資を行い原価を下げたり生産量を増加させたとしても、その投資が実を結んで売上げが増大する可能性はほとんどなく、仮にあったとしてもその実りはほとんど小さく海外投資ほどの価値は普通に考えればまずないでしょう。

 整理して述べるならば、確かにゼロ金利政策によって企業は金融機関から低利でお金を借りやすく投資がしやすい環境になってはいるものの、そもそも市場が縮小している日本国内で投資をする価値はほとんどなく、借り入れた資金はそのまま海外投資に使われてしまっているため、日本国内で資金が回らず景気は良くならない上にインフレも発生していないというのが私の分析です。なお極端な言い方をすれば、借り入れられるそばから海外投資に回されているので、事実上資金の海外流出が続いているともいえるでしょう。

 結論を述べるならばいくら金利を下げて資金を流通させようとしても、日本国内自体に投資価値がなければ資金は流出する一方でほぼ無価値だったというのが私の見方です。ただ為替操作という意味では確かにゼロ金利は効果を出しており、その点については私も評価します。しかし今後も続けようというのならせめて中国のように海外投資額や投資先に制限をかけるか、海外投資については金利を少しいじくるとかしたほうがいいような気がします。
 そのうえで国際競争力の高い産業を、きちんと国内で育成する必要があります。現在のところ私が見る限り観光産業ぐらいしか今後発展の余地がなく、本気で成り上がりたい若者は観光か、飲食か、あとは宗教かなぁ。

2017年5月9日火曜日

インター箱根ンタル

 先日、また同僚と食事中、関西出身者と関東出身者の違いについて話題が及んだ際、「関東の人は『タケモトピアノ』をほとんどの人が知りませんよね」と私が言及したところ、案の定というか周囲の関東出身者らはポカンとした顔を浮かべました。一方、関西出身者は私の言葉を聞くや、「え、東京の人タケモトピアノ知らんの?」と、こっちはこっちで驚いていました。

タケモトピアノ(Wikipedia)

 知らない人にも簡単に説明すると、タケモトピアノとは大阪に本社を置く中古ピアノ販売業者です。関西地域では昔から「ピアノ売ってちょーだい♪」と歌う特徴的なテレビCMを頻繁に流していることから誰もが知っている会社です。もっとも聞くところによると最近は東京周辺でも同じCMを流しているそうですが。

 話は戻りやはり私がにらんだとおりに関西と関東、どっちも私の言葉の内容に驚き、関西出身者に至っては関東出身者らに対し「ほんま知らんの?赤ちゃん泣き止むんやであの曲」 と、ああこの人もナイトスクープ見てたんだなと思わせるセリフも吐いていました。

 話は変わって昨夜、今度は関東育ち関東勤務の人二人と一緒に晩御飯食べていましたがその席で、「自分が関西に行って地味に驚いたのは、関西の人はほとんどが正月に箱根駅伝を見ない」と話したところ、こちらもまた案の定というかその場の二人はけったいに驚いていました。そのまま続けて私はその理由として、「そもそも箱根駅伝はコースから参加大学まで東京周辺でしかなく、関西の大学はどこも出走しておらず全国区のイベントというよりは関東甲信越周辺のイベントでしかない。だからこそ関西人も興味を持たず、正月は吉本ばかり見ている」と説明したところ、「言われてみれば……」とおののいていました。
 この箱根駅伝の話は私も最初に関西行ったときに、全く同じ反応をしていました。 私も箱根駅伝は正月における全国区のビッグイベントで日本中が見ていると思っていたのですが、少なくとも関西地域ではそれほどみられておらず、全国区ではないという事実を関西に行って初めて知りました。また関西人からすれば、箱根駅伝に東京周辺の人たちがそれほどまでに熱狂しているという事実を知らず、「そないけったいなイベントやったの?」と、逆に聞かれたことすらありました。

 上記の二つのエピソードは関西、関東のどちらかにしかいたことがなければまず気づくことのない差異です。ある意味、二つの地域にまたがって長期間居住したことがある私だからこそ気づいて指摘できる差異であって、見出しにも掲げている通りインター箱根ンタルでなければわからない部分でした。
 現在私は日中間の価値観の違いや文化や生活様式の違いなどを記事にして取り上げる機会が増えていますが、やはりこれは日中双方の社会でそこそこ暮らしたことがあるが故の賜物だといえます。 両者の違いを知るには両社にそれぞれ関わらなくてはならず、片方にしか関わっていないニモカカワラズ、「日中間ではこのような違いがある」とか、「中国人はああだこうだ」などと述べたりするのは個人的にはどうかなと思うところがあり、結論をまとめると、ともかく広い世界に出なければわからないことは存在するっていうことです。

2017年5月7日日曜日

「良質な記事」と「稼げる記事」のジレンマ

 別にわざわざ言うまでもないのですが現在私がJBpressで書いているコラムは基本月二回のペースでやっています。ただ、2月から4月は仕事が忙しいので月一本にしてほしいと要求して受諾してもらいましたが、結果的に言うと、何かしら取材するネタがあってこともあってこの間もほぼ月二本ペースで記事を出稿していました。そのかわり、内容は以前にこのブログで書いたものに肉付けしたり、パッとかける経験則や知識に頼ったものばかりで、初期の住宅価格やEV関連のようにしっかり取材したものではありませんでしたが。

 ただ、結果論から言うときちんと取材した記事より、こうした私の身近な中国ネタの記事の方が明らかにアクセスがいいです。理由ははっきりしており、きちんとデータに基づいた経済取材記事は一般受けしないというかその内容の価値をわかってくれる人がそれほどおらず、逆にそこまで深い内容でない中国ネタの方が大衆受けしてしまうからです。
 この辺、このブログで書いている記事でも同じような傾向があるのですが、執筆している側からすると結構なジレンマがあります。本当に中身があって価値のある「良質な記事」を書くべきなのか、それとも単純に閲覧数を稼ぐために中身の薄い「稼げる記事」を書くべきなのか、どっちに軸足を置くべきかで本気で悩みます。

 はっきりと願望を述べれば、多少投稿ペースが少なくなったとしても私としては良質な記事を書いていきたいです。というのもそうした記事は一般受けしなくても、本当に情報を届けたくなるような良識ある人たちに読んでもらえることが多く、現実にこのブログで知り合った人たちはそうした価値ある記事を評価してくれた人たちばかりでした。
 しかしその一方、やっぱりアクセスを稼ぎたいのも本音です。また理想主義者と言われる一方で変な所で現実主義的な価値観を持つ私なだけに、「評論家に評価されるよりも、一番売れてる物を書いた奴が一番偉いんだ」という梶原一騎みたいな意見も持っており、アクセス稼げないで果たしていい記事なのかという疑問も持ち合わせています。なおさっきのセリフは川端康成に向けて行ったとされる言葉だそうです。

 理想はもちろん、中身もあってアクセスも稼げる記事です。そういう意味では大江戸温泉の取材記事はその両方を成立させたので評価されたのだと思いますが、なかなかああいうおいしいネタはそこらへんに転がっておらず、あんな記事を毎回書くなんてそれこそズルでもしない限り不可能です。となるとやはり、上記の二つのどちらかに軸足を置かないといけないってこととなります。

 ひとまず仕事(最近どっちが本業かわからなくなってきた)の方が落ち着いてきたこともあり5月からはまた月二本ペースに戻すこととなったので、これまでよりかはじっくり取材した記事をもっと増やそうとは思っています。つっても5月も結構予定でいっぱいいっぱいですが。
 先日も仕事の方で連休明けとあって変にハッスルしてしまい、会社にいる間は全く疲れを感じなかったのですが、家帰ったらリアルに左目の視点が全く合わず、ほんとに見えなくなってマジビビりました。っていう今でも時たまグリグリって感じで痛みだしますが、疲れているということがわからなくなるほど怖いものはありません。

2017年5月5日金曜日

漫画レビュー「怨み屋本舗 巣来間風介」

 先日、毎日頑張っている自分へのご褒美(もう死語?)として、「怨み屋本舗 巣来間風介」の全6巻をまとめ買いしました。この漫画自体は既に読んだことがある作品でしたが、手元に取っておいて何度も読みたいと思っていたことから今回の一括購入に至りました。

怨み屋本舗(Wikipedia)

 この漫画はもう十年以上も連載が続いている復讐代行業を描いた「怨み屋本舗」シリーズの第2シーズン的な作品で、シリーズを通して主人公である女性の「怨み屋」ではなく、横浜支店ナンバー2の「巣来間風助」を主人公とした外伝的作品です。怨み屋本舗シリーズ自体は最新作を除いてほぼ全部読んでおり、こちらも十分にお勧めできる作品なのですが、個人的にはこちらの「巣来間風助」の方がまだ短く、また内容も面白いのでこのシリーズの入門としてはこっちの方をより薦めたいところです。

 具体的な内容を簡単に書くと、本編同様に怨みを持つ人間から数百万円で復讐を代行する怨み屋に所属する面々を描いた作品です。復讐には社会的抹殺、実質的抹殺(=殺人)の二つがあり、怨み屋の面々はそれぞれの特技を生かして直接的にではなく間接的にこの二つの復讐を果たしていきます。
 本編の主人公である怨み屋はどちらかといえばビジネスライクな性格をしており、自分たちの事を必要悪だと述べた上で、ただ依頼(=需要)があるから処理を行うとおった態度を取ることが多く、過去に被害を受け怨みを持つ人間たちにも突き放すように全く同情したりすることがありません。それに対し外伝の主人公に当たる巣来間はどちらかと言えば脆い性格をしており、悲惨な目に遭った依頼人に同情しては依頼料を負けたり、話を聞くだけで流すなどこれまでと比べて優しい性格をしたキャラとして描かれています。もっとも復讐対象に対しては全く容赦なく、敢えて苦しむやり方で殺害することにも躊躇しません。

 巣来間風助版の魅力を敢えて挙げるとしたら、やはりその主人公の特徴につきます。上記の通り優しい性格をしているため全編を通して観世懲悪的な始末屋物語が展開されるため見ているこっちとしても社会で正当に処罰されない悪人たちがバッタバッタと打ち倒されるのは溜飲が下がり気持ちいいです。また復讐の手段として巣来間は、元来がマジシャンという職業を生かして様々なマジックを生かして意表を突くようにして相手を追い込み、昼間は公務員という設定もあって非常にニヒルなキャラクターが確立されています。

 惜しむらくはこの外伝以降、本編において巣来間が登場するシーンが非常に少なくなっていくという点です。理由は主人公を食ってしまう魅力を持つこと、あと被ってしまうキャラが本編にいることが原因ではないかと思うのですが、私個人としては定期的に巣来間の外伝をもっと展開してほしいとすら願っています。


    
    

2017年5月4日木曜日

日本料理の歴史は何百年?

 先日、仕事帰りの地下鉄に乗っていた所、社内のモニターに醤油の歴史を特集する番組が放映されており、それほど長い時間ではありませんでしたが見入っていました。というのも、実家が野田に近く、キッコーマンの工場も身近にあって休日には工場見学するほど割と醤油には入れ込むバックグラウンドが自分にはあったからです。
 音声もなく短い時間とあってそれほど詳しく見てはいなかったものの、醤油発達の歴史では日本の製法改良なども取り上げられ、その中では件のキッコーマン(中国名:亀甲萬)の名前も登場するなど、あんま詳しく中国の醤油の歴史は知りませんが相応に日本の醤油の影響を受けているようです。

 この番組を見た翌日、また同じように地下鉄に乗りながら内容を思い返しているとまたふと突然に、「醤油の歴史を考えると、日本料理の歴史の長さはどのくらいなのか?」というまた妙な疑問がもたげてきました。一体何故こんなことを思ったのかというと、私個人の意見として日本料理は8割方成立しなくなるほど必須と言える調味料で、「醤油がない=日本料理も存在しない」との判断から、「醤油の成立=日本料理の成立」と言えるのではないかと思ったからです。

 早速資料なしで自分の頭の中だけで考え始め、まず醤油なしで成立する日本料理としては何があるかと考えたところ、パッと浮かんだのは天ぷらでした。後から調べたところ、天ぷらは安土桃山時代に西洋の文化が伝わったことにより生まれたとのことで、大雑把に16世紀頃に成立したと予想されています。これ以外の日本料理となれば餅系、あとは精進料理などで、後者に関しては余りメジャーではないものの日本全国で仏教が盛んとなった鎌倉時代以降は成立していたのではと思われ、ある意味最も長い歴史を持つ日本料理とも言えるかもしれません。

 ではこのほかの代表的な日本料理はとなると、寿司、刺身、そば、すき焼き、カレーとなれば、カレーは別格として他のはやはり醤油なしでは語れません。また味噌を使わない場合は煮物料理にも欠かせず、この辺りから醤油の重要性が高まってきます。
 調べたところ味噌はそこそこ歴史が長く、室町時代には一般にも普及して各地で頻繁に作られていた模様です。その味噌の副産物として醤油も徐々に作られ始め、江戸初期でこそ関西周辺でしか消費されなかったものの、江戸中期には野田などで大量生産が始まり、江戸や大坂などの大都市では比較的一般的に消費されたとのことです。

 実際にそばは江戸時代から、年がら年中ではないものの庶民のファーストフードとして成立しており、めんつゆに醤油が使われることを考慮したらこの時代には醤油が一般的に使われていたと考えて間違いないでしょう。
 このように考えると、現在代表的とされる日本料理の多くはやはり江戸時代を通して成立していったと言えるのかもしれません。寿司などもやはり江戸時代からだそうですし、醤油があって初めて成立するものは江戸時代の普及と相まって出来ていったのでしょう。となると日本料理の歴史は江戸中期くらいと考えて、大体約三百年くらいというのが私の計算です。

 もっとも江戸時代にすべての日本料理が出そろったというわけではなく、牛や豚を食べるようになった明治期にも上記のすき焼きのほか海軍食から発展したカレーや肉じゃがなどが生まれ、昭和期には中国から伝わったラーメンが独自発達を遂げるなどしており、ひとくくりに三百年というべきではないのでしょうが。

 なお「日本料理」というカテゴリーではなく、「和菓子」というカテゴリーで考えれば、恐らく日本料理より歴史は長くなると思います。和菓子は京都を中心に非常に長い間に独自の発達を遂げ、甘味料は当初は砂糖が高価だったため主にでんぷんが使われていましたが、室町時代にはそこそこ現代にも並ぶような代物が作られていたのではないかと思う節があります。
 ちなみにガチな話、京都の和菓子組合に加入するための最低条件は「創業百年以上」で、百年程度では「まだ新参やね」と平気で言われます。ほかの地域は知りませんが、京都の場合はどれだけ歴史が長いかがものすっごいステイタスに化けます。

2017年5月2日火曜日

鯖デ―ナイトフィーバー

 中国は昨日はメーデー(労働節)のためお休みで、土日を加えると三連休でしたが先週も仕事が忙しかったというか神経ガリガリ削られてたのでほぼずっと寝ていました。微妙に気温も高く、自転車こいでどっか行こうっていう気にもならなかったし。
 そしたら日曜になぜか魚を食いたくなり、近くのスーパーで鯖買ってきて家で焼いて食べたりしました。ただその際、包装に使われていたパックを何の気なしに洗うこともせず、そのままゴミ箱に放り投げていたのがそもそも始まりでした。

 翌日、つまり昨日月曜日、その四日くらい前から右側顎関節部が痛かったので何かしらの菌に感染しているとは自覚していましたが、案の定というかこの日になって発熱を催してきました。それでも午前中、またなんか急に火がついて日系企業の海外拠点データ集めに数時間没頭し、一旦昼に外出てカレーチャーハン+エビフライを食べて帰ってきた辺りになると熱でふらふらし始め、ちょっとまずいと思って床に入ることにしました。
 ベッドに寝っころがって呼吸を止めて数秒、何か臭うっていうか魚臭い。現在私が住んでいる部屋は京都の住宅の様に長細い構造をしており、入り口部に厨房があって、その次に食卓部屋、でもってベッドルームと細長く続くのですがその分風通しはよく、厨房のゴミ箱に入れた鯖の包装パックの臭いももれなくベッドルームにまで侵入してきていました。

 直ちにごみを捨てればそれまででしたがこちとら熱であまり動きたくないし早く寝たかったので我慢していましたが、寝ている最中ずっと「魚臭い」と思い続け、既に記憶が飛んでて曖昧ですがなんか鯖関連の夢も見ていた気がします。夕方に起きてようやくゴミを捨てて臭いも遮断できましたが、しばらくは鯖食べるのはよそうと思います。

  おまけ
 さっき自宅に帰った際、部屋の大家のおばちゃんも玄関前にいたので、このまでパソコン用デスクを買っていらなくなったそれまで使っていた机をいるかと聞いたら速攻でいるというのでそのままあげました。本当に中国はリサイクル精神にあふれた国だという気がしてなりません。