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2017年5月16日火曜日

怒りのカルピス

 別に隠していたわけではないものの先々週末は日本に一時帰国していました。特に目立ったことはしていなかったもののこのブログの記事はため記事ことあらかじめ書いておいた記事をアップロードするだけで処理するなど、妙な隠蔽工作はしてはいました。
 特に日本滞在中は就活中と思われる学生が男女ともにみんな同じ髪型、同じ格好をして駅を歩いているのが気味悪いなと思ったくらいで取り立てて何かやっていたわけではありませんが、強いてあげれば滞在中はやたらとカルピスをがぶ飲みしていました。

 一体何故カルピスをがぶ飲みしていたのかというと、一言でいえば悔しかったからです。というのも上海市内でもファミリーマートなどコンビニに行けばカルピスが500mlペットボトルで売られているのですが、その値段は大体どこも20元(約300円)と日本での市場単価からすると法外な金額だったりします。
 私自身はそれほどカルピスが好きな飲料というわけではないものの、上記の価格でおいてあるのを見ると、「日本だったら100円くらいで飲めるのに。っていうかただでさえ希釈して飲むものなのに原価率いくらになってんだよ畜生」などと思えてきて、なんか変に悔しくて飲みたくなってくるのが不思議です。実際、同僚などは法外な値段と分かっていながらもコンビニによると20元払ってたまに買ってしまうことがあるそうです。

 しかし私はというと上記の価格設定がどうしても納得できず、スタインベックじゃないですが心に怒りの葡萄を実らせ、というより怒りのカルピスを希釈させつつ、どれだけ飲みたくても我慢してコンビニでは買わないようにしています。ただ回転寿司チェーンの浜寿司ではカルピスをコップ一杯6元(90円)で提供してくれているので、ここへ訪れた際には必ず飲んでいます。上記の同僚と訪れた際には入店一番で注文し、「2杯目も行くか?」と検討したくらいでした(結局飲まなかったけど)。

 そんな過程もあってか、日本滞在中は喉が渇くとやたらとカルピスを買って飲み、水割りやソーダ割りなどいろいろ試しつつ飲んでいました。まぁただのカルピスウォーターとカルピスソーダなだけですが。
 ただこれだけは言いたいこととして、普段それほど興味なく気にもとりとめないものであっても、変に高い値段つけられたりするとかえって飲みたくなります、それもすっごく。商品やサービスもそうでしょうが、「値段の持つ魔力」というのは馬鹿にならないもので、どんなカスみたいな商品でも高い値段が付いたらそれなりに価値があるように思えてくるから人の欲望とは不思議なものです。

 なお日本滞在での心残りも上げると、カップ焼きそばの一平ちゃんを食べ損ねました。食べようとスーパー行ったらそこで売ってなかったし……。

2017年5月14日日曜日

最近の教育関連提言に関する深い疑問

大学の授業料「出世払い」提言へ…教育再生本部(読売新聞)

 一目見て言い出した人の正気を疑ったニュースですが、大学の授業料を将来の「出世払い」としようとする意見がなんか出てきたとのことです。相手するのもばかばかしいので一言で片づけるならば「現行制度の奨学金との違いは何か?」といったところで、さらに付け加えるとしたら金を受け取る大学側の経営は考えているのかといったところです。真面目にこんな馬鹿々々しいを通り越して愚か極まりない意見を述べた人間は直ちに排除すべきではないかと思うくらいの低レベルな意見で、何か変な事態でも起きているのではないかとすら心配したくなります。

 今回の報道に限らず、ここ一年くらいの教育行政に関する発表や提言は疑問を持つものが多いです。その大半が安倍首相が掲げる教育再生に付随して出てくるものですがどれもピントがずれていることを通り越して現状すら全く鑑みられていない意見が多く、また素人が出したというよりかは狂人がのたまった内容ではないかとすら思うものも少なくなく、メディアもハードルは高いとは思いますがこうした訳の分からない意見を主張している輩の実名を調べて出すなどしてその責任なりを追求しなければまずいのではないかと思います。

 いくつか具体例を挙げると、真っ先に出てくるのは小泉進次郎議員らが提案した「こども保険」で、健康保険、介護保険、年金保険と並ぶ形で原資金を強制的に徴税して基金として運用していくという案のようですが、何故このような案が出されるのかこれも理解に苦しみます。
 問題点を一つずつ上げていくと、まずこのこども保険を運用するにあたっては他の保険同様に資金管理団体を作る必要があり、いわば天下り先団体が新たにできるわけです。次に作られた団体が果たしてきちんと資金を管理できるのか、年金や介護、ついでに郵貯であれほど大きな問題となったことを考えるとリスクが大きく、不安定に管理する団体に資金を預けることは今の時代に必要なのか。この次、奨学金をはじめとした教育支援給付と比べた場合のメリットが見えない。
 でもって最後、基金であることを考慮すると年金同様に負担者(納税者)と受給者双方で人数バランスが崩れた場合は負担額、支給額ともに変動することが考えられ、果たしてそれで「平等な教育」を担保できるのか、というのが私の疑問です。

 これらの行政に関する提言に限らずつい先日も「聖徳太子」の名称を使わず「厩戸王子」に統一させたり、同様に「鎖国」という名称も江戸時代当時は使われていなかったから廃止しようなどという提言が出ていることが報じられていましたが、その後の反論なども張って見送られたものの、なぜこのように的外れな意見がたくさん出てくるのか、教育行政は今どうなっているのか疑問が出て仕方ありません。
 大体「鎖国」に関しては、当時の状況を理解、把握する上で非常に適切な言葉となっており、この言葉を廃止して何のメリットがあるのか理解できません。第一、「当時は使われていなかったから」ということが理由になるのであれば、後醍醐天皇などごく一部を除けば大半の天皇の名称は死後につけられていることから、これらもアウトってことになります。「三国時代」など時代名称も同様で、繰り返しになりますがこうした意見を述べた人らは真面目に帰り道で車か何かに轢かれればいいとすら私は思います。

 正直に述べると、自分は教育行政とかそういうものにはあまり興味はなく、「親がなくとても子は育つ」と言い切って憚らないくらいその人間がまともになるかおかしくなるかは親や周囲ではなく、たとえ幼年であってもその本人の責任であると考えています。とはいえここ最近の教育行政の提言はそんな私ですら疑問に感じるものが多く、そしてその背景には利権に絡んだものがあるのではないかと思えてなりません。
 恐らく、森友問題に関してもそうですが憲法改正論議が進むにつれてこうしたおかしな教育議論が今後も増えていくのではないかと思います。学校の部活動時間や指導員に一定の規制や制限をかけるなどまともだと思えるものも出てはいるものの、やや目を光らせざるを得ない分野になってきたとこの頃私は思います。

2017年5月12日金曜日

中国の米国産牛肉開放報道について

米国産牛肉、中国への輸出解禁…貿易赤字縮小へ(読売新聞)

 久々に注目に値するニュースというべきか、上記記事内容のニュースを今日見て興奮しました。内容は見ての通り、中国が現在禁輸を続けている米国産牛肉について、先日の習近平総書記とトランプ大統領の会談で示唆された通りに輸入を解禁する方向で準備することが発表されました。基本、中国は発表前にあらかたの手続きなりを終えていることが多く、政策実現までは桁違いにスピーディに行動をとるため案外年内には輸入が解禁されるかもしれません。

 割とこのブログでもなんでも取り上げていますが、中国は米国や日本産の牛肉輸入を禁止していたため、中国国内だと非常に質の悪い、はっきり言えばまずい牛肉しかこれまで流通していませんでした。どれくらいまずいのかというと、オージービーフが高級牛扱いされて日本とは比べ物にならないくらい高い値段で出されるといえばわかりやすいかもしれませんが、そんなこともあって私も友人らとご飯食べる際はステーキ店があってもまず候補から外します。焼肉程度ならタレでどうにかなるところもあるのでまだ行きますが。

 そのため、以前にJBpressで書いた記事の中でも紹介していますが、中国では食にこだわる民族なだけあって「非常においしいらしいけど」という具合で和牛に対する関心が高く、神戸牛や松阪牛などといった日本の高級和牛を食べることを目的として訪日する人も少なくありません。ただ、中国国内に限って言えばあまり質が良くない上に単価がやや高めである牛肉はそれほど好まれておらず、最近は所得が上がってきていることもあって食べる人も増えてきていますが中国で肉というとやはり豚肉がスタンダードなままです。

 それだけに今回の米国産牛の解禁に伴って起こると予想される変化はなかなか興味深く、個人的にも関心を持っています。まずあまりよろしくない予想を述べると、中国が米国産牛を本格的に買い付け始めたら日本向けの牛肉の単価も引きずられて上昇する可能性が大です。もっとも値段がちょっとくらい引きあがるならまだいいものを、下手すれば人数が桁違いな中国人に悉く食い尽くされることとなって牛肉それ自体がなかなか食べられなくなり、いつしか牛丼が高級料理扱いされる時代が来るかもしれません。

 次に和牛に関してですが、現時点でも輸入が解禁されていないのでそれほど大きな影響はないものの、中国人が牛肉の味に食べなれて来た場合、日本の和牛への関心がより高まる可能性があります。仮にそうなったとしても日本としては中国への輸出は解禁すべきではなく、米国と違って絶対的に供給限界量が高くないこともあるので、今のまま禁輸体制を維持すべきでしょう。
 むしろ訪日観光ともっと組み合わせるべきで、個人的には入国した外国人全員に空港の税関前で和牛一切れを食べさせるくらいの姿勢を見せてもらいたいものです。

 和牛それ自体は上記の通り大きな影響はないものの、牛肉を使用する飲食チェーンの場合は今回の米国産牛の解禁に伴ってビジネスチャンスが広がるかと思います。現時点で吉野家やすき家などは中国各地に進出済みで現地でも大分受け入れられていますが、使用している牛肉は恐らくはまだ米国産ではなく(どこ産なのか地味に気になる)、味の面でもコスト面でも日本よりは不利でしょう。実際に日本の牛丼屋で食べた方が確実にうまいです。
 仮に解禁された場合、これら日系牛丼チェーンでは米国産牛を日本同様に使えるようになるので仕入面で有利になることは確実で、なおかつ中国全土で牛肉料理が広がれば牛丼屋を利用する客や機会も合わせて増加する可能性があると思います。牛丼屋に限らなくても、牛肉を使った鉄板焼きなどの料理をメインとするお店も同様です。

 まだ本決まりではないものの、結構大きなニュースなのでしっかり見守っておいたほうがいいとお勧めするニュースです。特に中国関係者は。

2017年5月11日木曜日

ゼロ金利政策が破綻している理由

 パソコンをマウスコンピューターに取り換えたのですが、移行作業自体はあらかじめ準備していたこともあって割と滞りなく終わったものの、イヤホンジャックが本体左側ではなく右側についているというのが微妙に嫌です。またUSB3.0のポートも右側ではなく左側、それも本体手前側についているのがやや不便ですが、設計上でこっちのほうが何か有利なのかな?

 話は本題に入って久々にマジな話をすると日本は安倍政権の成立以来、日銀は公定歩合を実質ゼロ、現時点においてはマイナス金利にするなどして市場の資金流通量を増やすため様々な政策を実施していますが、円安とともに日経平均株価こそ上昇したものの、目標としていた国内インフレ率の上昇は達成せず、また最終目標である国内景気の上昇も建設業以外では目立って好転したという話は耳にしません。さすがに一年や二年程度で失敗と決めつけるのはひどいとは思いますが、2012年末から政権が継続していることを考えるとすでに丸四年は経過しており、この四年で当初掲げていた目標が達成できてないことはおろか、目標値にまるで近づかない現状についてはもっと議論されるべきかと思います。

 結論から述べると、安倍政権と日銀が実施しているゼロ金利政策には致命的な欠陥が存在しており、それによって破綻して機能を果たせていないと私は考えています。その私が考える欠陥とは以下の通りです。

国内設備投資10.9%増 16年度計画 政投銀調査
企業の海外投資、増勢続く 直接投資150兆円超え 15年末時点(どちらも日経新聞)

 この二つの記事を読んで意図が分かった方はもうこの先は読まなくても結構です。逆を言えば、上の記事だけで私の意図が分かったとしたら、多分私同様に海外で働いているとなのではないかと思います。今回の主張は日本国内にいる人にはまずわからない内容ですし。
 もったいぶらずに具体的に解説すると、ゼロ金利政策によって金融機関から民間企業へと貸し出された資金は国内には投資されず、ほぼすべて海外投資に使われているから失敗したのではと私は見ています。

 ゼロ金利政策の狙いはどこにあるのかというと、中学の公民で習う内容と一緒で要するに貸出金利を低く抑えることによって民間企業の金融機関からの借入を促し、設備投資などの投資を行わせ社会全体にマネーがより多く流通させるように仕向けるというところにあります。しかし私が見る限り現在、日系企業は金利の低い日本の銀行から借り入れた資金を日本国内での投資には使わず、ほぼそのまま海外での投資に使用している現状があります。
 自分が何故この現状に気付いたのかというと、単純に日系企業のキャッシュ・フローを眺めていたら大半の大手企業は三大メガバンクの中国支店などを通してリボルビングローンなどを組んでたりしていることを見ていたからです。気が付いたらもうそれまでで、何故日本国内投資ではなく海外投資なのか、その必然たる理由もすぐにわかりました。

 はっきり言えば、日本国内に投資を行う価値はもう全くと言っていいほどないからです。日本はすでに少子高齢化に伴い人口も減少しており、若年層を中心に個人所得も年々減少するなどして国内市場は縮小の一途を辿っています。そのためたとえ日本国内で投資を行い原価を下げたり生産量を増加させたとしても、その投資が実を結んで売上げが増大する可能性はほとんどなく、仮にあったとしてもその実りはほとんど小さく海外投資ほどの価値は普通に考えればまずないでしょう。

 整理して述べるならば、確かにゼロ金利政策によって企業は金融機関から低利でお金を借りやすく投資がしやすい環境になってはいるものの、そもそも市場が縮小している日本国内で投資をする価値はほとんどなく、借り入れた資金はそのまま海外投資に使われてしまっているため、日本国内で資金が回らず景気は良くならない上にインフレも発生していないというのが私の分析です。なお極端な言い方をすれば、借り入れられるそばから海外投資に回されているので、事実上資金の海外流出が続いているともいえるでしょう。

 結論を述べるならばいくら金利を下げて資金を流通させようとしても、日本国内自体に投資価値がなければ資金は流出する一方でほぼ無価値だったというのが私の見方です。ただ為替操作という意味では確かにゼロ金利は効果を出しており、その点については私も評価します。しかし今後も続けようというのならせめて中国のように海外投資額や投資先に制限をかけるか、海外投資については金利を少しいじくるとかしたほうがいいような気がします。
 そのうえで国際競争力の高い産業を、きちんと国内で育成する必要があります。現在のところ私が見る限り観光産業ぐらいしか今後発展の余地がなく、本気で成り上がりたい若者は観光か、飲食か、あとは宗教かなぁ。

2017年5月9日火曜日

インター箱根ンタル

 先日、また同僚と食事中、関西出身者と関東出身者の違いについて話題が及んだ際、「関東の人は『タケモトピアノ』をほとんどの人が知りませんよね」と私が言及したところ、案の定というか周囲の関東出身者らはポカンとした顔を浮かべました。一方、関西出身者は私の言葉を聞くや、「え、東京の人タケモトピアノ知らんの?」と、こっちはこっちで驚いていました。

タケモトピアノ(Wikipedia)

 知らない人にも簡単に説明すると、タケモトピアノとは大阪に本社を置く中古ピアノ販売業者です。関西地域では昔から「ピアノ売ってちょーだい♪」と歌う特徴的なテレビCMを頻繁に流していることから誰もが知っている会社です。もっとも聞くところによると最近は東京周辺でも同じCMを流しているそうですが。

 話は戻りやはり私がにらんだとおりに関西と関東、どっちも私の言葉の内容に驚き、関西出身者に至っては関東出身者らに対し「ほんま知らんの?赤ちゃん泣き止むんやであの曲」 と、ああこの人もナイトスクープ見てたんだなと思わせるセリフも吐いていました。

 話は変わって昨夜、今度は関東育ち関東勤務の人二人と一緒に晩御飯食べていましたがその席で、「自分が関西に行って地味に驚いたのは、関西の人はほとんどが正月に箱根駅伝を見ない」と話したところ、こちらもまた案の定というかその場の二人はけったいに驚いていました。そのまま続けて私はその理由として、「そもそも箱根駅伝はコースから参加大学まで東京周辺でしかなく、関西の大学はどこも出走しておらず全国区のイベントというよりは関東甲信越周辺のイベントでしかない。だからこそ関西人も興味を持たず、正月は吉本ばかり見ている」と説明したところ、「言われてみれば……」とおののいていました。
 この箱根駅伝の話は私も最初に関西行ったときに、全く同じ反応をしていました。 私も箱根駅伝は正月における全国区のビッグイベントで日本中が見ていると思っていたのですが、少なくとも関西地域ではそれほどみられておらず、全国区ではないという事実を関西に行って初めて知りました。また関西人からすれば、箱根駅伝に東京周辺の人たちがそれほどまでに熱狂しているという事実を知らず、「そないけったいなイベントやったの?」と、逆に聞かれたことすらありました。

 上記の二つのエピソードは関西、関東のどちらかにしかいたことがなければまず気づくことのない差異です。ある意味、二つの地域にまたがって長期間居住したことがある私だからこそ気づいて指摘できる差異であって、見出しにも掲げている通りインター箱根ンタルでなければわからない部分でした。
 現在私は日中間の価値観の違いや文化や生活様式の違いなどを記事にして取り上げる機会が増えていますが、やはりこれは日中双方の社会でそこそこ暮らしたことがあるが故の賜物だといえます。 両者の違いを知るには両社にそれぞれ関わらなくてはならず、片方にしか関わっていないニモカカワラズ、「日中間ではこのような違いがある」とか、「中国人はああだこうだ」などと述べたりするのは個人的にはどうかなと思うところがあり、結論をまとめると、ともかく広い世界に出なければわからないことは存在するっていうことです。

2017年5月7日日曜日

「良質な記事」と「稼げる記事」のジレンマ

 別にわざわざ言うまでもないのですが現在私がJBpressで書いているコラムは基本月二回のペースでやっています。ただ、2月から4月は仕事が忙しいので月一本にしてほしいと要求して受諾してもらいましたが、結果的に言うと、何かしら取材するネタがあってこともあってこの間もほぼ月二本ペースで記事を出稿していました。そのかわり、内容は以前にこのブログで書いたものに肉付けしたり、パッとかける経験則や知識に頼ったものばかりで、初期の住宅価格やEV関連のようにしっかり取材したものではありませんでしたが。

 ただ、結果論から言うときちんと取材した記事より、こうした私の身近な中国ネタの記事の方が明らかにアクセスがいいです。理由ははっきりしており、きちんとデータに基づいた経済取材記事は一般受けしないというかその内容の価値をわかってくれる人がそれほどおらず、逆にそこまで深い内容でない中国ネタの方が大衆受けしてしまうからです。
 この辺、このブログで書いている記事でも同じような傾向があるのですが、執筆している側からすると結構なジレンマがあります。本当に中身があって価値のある「良質な記事」を書くべきなのか、それとも単純に閲覧数を稼ぐために中身の薄い「稼げる記事」を書くべきなのか、どっちに軸足を置くべきかで本気で悩みます。

 はっきりと願望を述べれば、多少投稿ペースが少なくなったとしても私としては良質な記事を書いていきたいです。というのもそうした記事は一般受けしなくても、本当に情報を届けたくなるような良識ある人たちに読んでもらえることが多く、現実にこのブログで知り合った人たちはそうした価値ある記事を評価してくれた人たちばかりでした。
 しかしその一方、やっぱりアクセスを稼ぎたいのも本音です。また理想主義者と言われる一方で変な所で現実主義的な価値観を持つ私なだけに、「評論家に評価されるよりも、一番売れてる物を書いた奴が一番偉いんだ」という梶原一騎みたいな意見も持っており、アクセス稼げないで果たしていい記事なのかという疑問も持ち合わせています。なおさっきのセリフは川端康成に向けて行ったとされる言葉だそうです。

 理想はもちろん、中身もあってアクセスも稼げる記事です。そういう意味では大江戸温泉の取材記事はその両方を成立させたので評価されたのだと思いますが、なかなかああいうおいしいネタはそこらへんに転がっておらず、あんな記事を毎回書くなんてそれこそズルでもしない限り不可能です。となるとやはり、上記の二つのどちらかに軸足を置かないといけないってこととなります。

 ひとまず仕事(最近どっちが本業かわからなくなってきた)の方が落ち着いてきたこともあり5月からはまた月二本ペースに戻すこととなったので、これまでよりかはじっくり取材した記事をもっと増やそうとは思っています。つっても5月も結構予定でいっぱいいっぱいですが。
 先日も仕事の方で連休明けとあって変にハッスルしてしまい、会社にいる間は全く疲れを感じなかったのですが、家帰ったらリアルに左目の視点が全く合わず、ほんとに見えなくなってマジビビりました。っていう今でも時たまグリグリって感じで痛みだしますが、疲れているということがわからなくなるほど怖いものはありません。

2017年5月5日金曜日

漫画レビュー「怨み屋本舗 巣来間風介」

 先日、毎日頑張っている自分へのご褒美(もう死語?)として、「怨み屋本舗 巣来間風介」の全6巻をまとめ買いしました。この漫画自体は既に読んだことがある作品でしたが、手元に取っておいて何度も読みたいと思っていたことから今回の一括購入に至りました。

怨み屋本舗(Wikipedia)

 この漫画はもう十年以上も連載が続いている復讐代行業を描いた「怨み屋本舗」シリーズの第2シーズン的な作品で、シリーズを通して主人公である女性の「怨み屋」ではなく、横浜支店ナンバー2の「巣来間風助」を主人公とした外伝的作品です。怨み屋本舗シリーズ自体は最新作を除いてほぼ全部読んでおり、こちらも十分にお勧めできる作品なのですが、個人的にはこちらの「巣来間風助」の方がまだ短く、また内容も面白いのでこのシリーズの入門としてはこっちの方をより薦めたいところです。

 具体的な内容を簡単に書くと、本編同様に怨みを持つ人間から数百万円で復讐を代行する怨み屋に所属する面々を描いた作品です。復讐には社会的抹殺、実質的抹殺(=殺人)の二つがあり、怨み屋の面々はそれぞれの特技を生かして直接的にではなく間接的にこの二つの復讐を果たしていきます。
 本編の主人公である怨み屋はどちらかといえばビジネスライクな性格をしており、自分たちの事を必要悪だと述べた上で、ただ依頼(=需要)があるから処理を行うとおった態度を取ることが多く、過去に被害を受け怨みを持つ人間たちにも突き放すように全く同情したりすることがありません。それに対し外伝の主人公に当たる巣来間はどちらかと言えば脆い性格をしており、悲惨な目に遭った依頼人に同情しては依頼料を負けたり、話を聞くだけで流すなどこれまでと比べて優しい性格をしたキャラとして描かれています。もっとも復讐対象に対しては全く容赦なく、敢えて苦しむやり方で殺害することにも躊躇しません。

 巣来間風助版の魅力を敢えて挙げるとしたら、やはりその主人公の特徴につきます。上記の通り優しい性格をしているため全編を通して観世懲悪的な始末屋物語が展開されるため見ているこっちとしても社会で正当に処罰されない悪人たちがバッタバッタと打ち倒されるのは溜飲が下がり気持ちいいです。また復讐の手段として巣来間は、元来がマジシャンという職業を生かして様々なマジックを生かして意表を突くようにして相手を追い込み、昼間は公務員という設定もあって非常にニヒルなキャラクターが確立されています。

 惜しむらくはこの外伝以降、本編において巣来間が登場するシーンが非常に少なくなっていくという点です。理由は主人公を食ってしまう魅力を持つこと、あと被ってしまうキャラが本編にいることが原因ではないかと思うのですが、私個人としては定期的に巣来間の外伝をもっと展開してほしいとすら願っています。