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2017年7月11日火曜日

冷やし中華はいつ始まったのか

 昨日同僚と一緒に近くのラーメン屋に行ったところ、「冷やし中華、はじめました」という言葉がメニューの上に踊ってたので頼んで食べました。麺を太麺にしたのがやや失敗でしたが一応はおいしかったです。
 その際に同僚と話をしたのですが、一体いつからこの「冷やし中華、はじめました」というキャッチコピーが使われるようになったのかが少し気になったわけです。ちなみに中国で冷やし中華は「冷中華麺」と書きますが、そもそも冷やし中華は日本発祥で中国には存在しなかったのを考えるとこの訳もいろいろ思うところがあります。

 話は戻りますが上記のキャッチコピーは何もこの店に限らず日本全国どこでも使われており、地味に浸透力の高いキャッチコピーの一つとしてみることができます。例えるなら「土用丑の日のウナギ」に匹敵するレベルで、冷やし中華を始めることと本格的な夏シーズンが到来したことを浮かばせるコピーとなっており、誰が言い出したかは知りませんがここまで広まるのだったらついでに自分の名前も平賀源内みたく売り出しておけばよかったのにという気がします。
 このコピーについて同僚とも少し話しましたが、「始まるのはいいんだけど、冷やし中華終わりましたってコピーはねぇよな」などと、始まりがあるものには必ず終わりがあるという自然原則に反しているのが私としては気になります。毎年夏が来るたびに始まってばっかで誰に知られることもなく終わってはまた夏になって始まるという無限のループが、冷やし中華を取り巻いていると思うとなかなかに因果なものを感じます。

 それにしてもやはり食品についてはキャッチコピーが付くと強くなるものだとも覚えます。先ほどのウナギにしろ、季節と絡めればシーズンごとの大幅な出荷が見込めるわけで、そうしたものを促すコピーを作るというのはなかなかに偉大な仕事でしょう。
 なお以前にも少し書きましたが、近年はこうした世間に浸透するようなキャッチコピーが減りつつあるというかほぼ聞きません。昔はゲームソフトなどでいろんな名キャッチコピーが生まれましたが最近だとゲームでもそういうものは聞かれず、一時期は人気職だったキャッチコピーライターも最近は存在しているのかと疑うくらい目にしません。

 なおコピーとは違いますが記者の腕が問われるのは記事文章はもとより見出しのつけ方です。特にネット記事については見出しでアクセス数が決まると言っても過言ではなく、如何に限られた文字数でドキッとしたり目を引くような言葉を盛り込めるかは実力が左右するところです。
 私が書いているJBプレスの記事ではまずは「中国」という単語を入れるようにしていますが、やはり「中国」と書いているだけで間違いなくアクセス数は上がります。その上で比較的刺激的且つ挑発的な言葉を入れるとさらに上がるわけですが、実は最近見出しつけるのが下手になってきてJBプレスの編集部にちょくちょく直してもらってたりします。

 また話が変に戻りますが以前はゲームソフトで名キャッチコピーが良く生まれてました。敢えて自分もこれに乗っかるというか最近非常にはまった「ルフランの地下迷宮と魔女の旅団」にキャッチコピーをつけるとするならば、「魔女と幼女と迷宮と、エロス溢れる人形兵たち」かなぁ。既存のキャッチコピーで一番うまいなと思うのは「サイレン」の「どうあがいても絶望」ですが。

2017年7月9日日曜日

昨日書きそびれた内容

 昨日の記事で小泉進次郎氏を取り上げた際、オチに持ってこようとしていた話を書きそびれていたことに今気が付きました。

 どんなオチを考えていたのかというと、進次郎氏は割とイケメンながらそこそこ年齢も上がってきたこともあって、なんとなくスーツ姿を見ていると「売れずに年齢重ねてしまった芸人」っぽく見える時がたまにあり、演説の際に聴衆を弄る(=客弄り)のも得意なんだからなんかの機会に漫談でもやってくれないかと密かに期待しています。
 漫談の内容は折角議員なのだから身内ネタことやはり政界を茶化す風刺ネタをやってもらいたいところです。それこそ何かにつけて「忖度忖度……」と言い続けて、ツッコミをする際は「違うだろ、このハゲ!」みたいな形で相方を叩いたりしてくれればいうことなしで、真面目に一回でいいからこれ見たら安心して成仏できるような気がします。

 ちなみに政治ネタのコントに関して、最近一部のお笑い芸人がえらく真面目に政治や社会について意見を発信することが増えていますが、個人的に私は非常に不満です。というのも芸人だったら茶化すように風刺し、聴衆に別の観点を見せてなんぼであって、政治や社会について真面目に語るなんて言うのは仕事放棄もいいところではないかと勝手に考えています。如何に真面目な問題について面白いことを言うのが芸人の仕事だというのに、真面目に答えることに違和感ないのかと非常に疑問です。
 そういう意味で昔から政治お笑いコントグループのザ・ニュースペーパーが気に入ってたりします。最近は日本のテレビ見てないから知りませんが、もっと地上波で取り上げられるべき存在なのではないかと思うのですが是如何に。


2017年7月8日土曜日

次の総裁選のキーマン


 市内でシビックType Rを見つけたので撮影。左下に指入ったの撮影当時は気づかなかった。
 微妙にフロントグリルが今度日本で発売するバージョンと異なっていて果たして本物かやや疑念はあるものの、車体やサイズなどは明らかにレースカーです。どちらにしろ、既にこうして中国で納車されているというのがちょっと驚きです。

 話は本題に入りますが、来年行われる自民党総裁選がこれまで通りとはいかない状況になってきました。説明するまでもなく安倍首相への支持率が下がっているだけでなく党内求心力もダダ下がりの状態で、前回は向かうところ敵なしの状態で再選を果たしましたが果たして次回はどうかといえば前回ほど楽にはいかないことは必定です。
 目下のところ総裁選に出馬してきそうな候補としては石破議員と岸田外務大臣で、特に岸田外務大臣は明確安倍首相からも後継候補として目されているものの、安倍首相からの禅譲を待たずに今回打って出るかが注目されています。私個人としては年齢もそこそこだし多少関係を悪くするにしても岸田大臣は一回は出てみた方がいいのではないかと思ってはいますが。

 仮に誰かしら候補が出て投票にもつれ込む場合ですが、その際に地味にキーマンとなるのは私が見る限り小泉進次郎氏です。言うまでもなく彼は党内外を問わず非常に人気があり、特に一般市民からは大人も子供もおねーさんもと言わんばかりに男女問わず幅広い年齢層から指示されていて、仮に彼が特定候補の応援に回るとしたら総得票の2~3割は動くのではないかとすら私は考えています。そしれ彼が応援に回るとした場合、彼が何を要求するのかも重要で、具体的には大臣ポストを狙うのかでしょう。
 そこそこ在任期間もついてきたので私としてはここで進次郎氏が閣僚入りするのもいいと思っています。自民党は恐らく、特に長老連中は彼を次の次の首相にすることを一つの切り札としてみているところがあり、このスケジュールに載せるのであればそろそろ大臣経験を積むべき時期です。速成させるなら官房長官ですが、さすがにこれは任が重いと思うのでその他の大臣で何かやるべきでしょう。

 こうした大臣ポストを総裁選での応援の代わりに要求するか、その逆に候補のどれかがこうしたポストで彼に応援を依頼するか、こう考えると必然的に彼が次の総裁選のキーマンことキングメーカーに近い立場を演じるのではないかと考えるわけです。もっとも、敢えてここで特定候補の応援に回らず中立を保つというのも一つの選択で、この場合ですと大臣ポストがいきなり得られるわけではないものの下手に特定候補につかず政策で選ぶなどという姿勢を示すことで市民からの人気はさらに高まる可能性があるでしょう。まぁこの辺は本人の選択次第なので私がとやかく言うべきものではないのですが。

 敢えて進次郎氏が誰かの応援を行うという前提で話を進めると、安倍首相が取り込みに成功した場合は十中八九で三選が決定でしょう。逆に岸田大臣が取り込んだ場合、真面目にどうなるかわからず、総裁選前後のスキャンダル状況によっては一気に安倍政権が終わる可能性もあるのではと思います。まぁ私としてはそこそこ長くやったのだし、制度疲労も起こしていて、なおかつそろそろ次代の政治家を育成する時期であることを勘がるとここで安倍首相は引くべきだと個人的には考えているのですが。

2017年7月6日木曜日

両足のマメと私の歩き方

 先週、既に革靴の底部と上乗部の一部がはがれるくらいに酷使していたので、古い革靴を捨てて新しい革靴を購入しました。なお中国の革靴についてですが友人曰く、「高くても安くても耐久性は同じ」とのことなので、その友人は安いのを買ってはすぐ履き潰しています。
 私もこれに倣ったというか、前回は200元(約3200円)の革靴でしたが今回は100元(約1600円)のを購入して今秋から履いていますが、何もこの革靴に限るわけじゃないものの新品でなじんでないことから今両足に半端ないマメができて歩行が苦しいです。

 私に限らず新しい革靴だと靴擦れなどで同じようにマメとか擦過傷ができる人もいるでしょうが、私の場合は多分人と違うというか何故か前足、それも足指の付け根辺りに大きなマメができます。こうなる理由というのも歩き方がおかしいせいで、具体的に言えばあまり膝を曲げずに腿も上げず、どちらかといえば足首を左右に動かすことですり足のようにして歩くからで、体重をかけた地面との接触面はかかとよりも前足にかかることが多いです。そのせいか靴下も爪先やかかとが破れることはほぼなく、上記の前足部にしか穴は空きません。

 一体何故こんな妙な歩き方しているのかというと、単純に早いからです。中学時代に様々な歩き方を通学路で研究して最終的にこの歩き方へと至り、その甲斐あって日本人相手に歩行で抜かれることはまずなく、っていうか一緒に歩いた人は悉く、「足が痛いんだけど……」と途中で私の速さについてこれずギブアップします。
 また中国人は平均的に日本人よりも歩行速度が高いですが、ここ上海でも後ろから歩いてきた人間に抜かれることはほぼ皆無です。昔は中国人は足が速いなと思いつつよく抜かれてましたが、今や自分の方が早くなってしまいました。

 ただそんな私でも、香港人にはリアルでガンガン抜かれます。真面目に歩行世界最速は香港人だと思え、次元の違う歩き方で異常なスピードを彼らは維持しています。

 もっとも両足にマメのある今の私の状態ではリアルに歩くことすらおぼつかず、今日なんか通勤中に杖が欲しくてたまりませんでした。オフィスで水をコップに入れに行くのすら辛かったし。
 最後に余談ですが、この前何の気なしにスニーカーの靴底を見たら、何故か前足の一点部だけ深く掘りぬかれており、一体どういう歩き方したらこんな靴底できるんだよと自分で呆れました。

2017年7月5日水曜日

今思うと理不尽だった陸上部顧問

 以前にも書きましたがまた今度書いてもいいなと思うネタとして、日本の教育は突き詰めれば子供の自我を徹底的に破壊した上で従順にさせるところに狙いがあるというものがあります。真面目な話、私は大半の日本人には自我なぞなく、その思考から行動まで自分がどうしたいかよりも周りと同じであるように振舞おうとするところがあり、だからこそ戦前もあんなむちゃくちゃな戦争ムードに流されたと考えています。

 その話にもつながりますが日本では上記の通り自我を取り除くという意識が強いことから、教師の指示には疑うな、ただ従えしかありません。ご多分に漏れず私も子供の頃は「あれ、変だぞ?」と思いながらも渋々従ったことが何度もあるのですが、今思い返すと小学校の頃の陸上部顧問は正常であるかどうか以前に非常にやばい指導してたなと思えてなりません。

 具体的にどんな指導したのかというと、全体練習で何故か片足ケンケンで数十メートル走らせ足りするなど、運動量はともかくとして体のバランスを崩させるような動作を何故か定期練習に組み込んでいました。また当時私は選択種目としてハードルを選んでいましたが、4月生まれとあって人より早く成長痛が来るようになり、ある日あまりの痛みからジャンプすることもままならなくなって顧問に「足が痛いのですが」と伝えたところ、「ハードルやってる人の宿命です」といってそのまま練習を続行させられました。
 今思うと、詳しい痛みの症状も聞かなかったばかりか成長痛起こしている子供にただでさえ足を痛めやすいハードルの練習を続けさせるなど、よくこんな了見で部活の顧問やってたなと甚だ呆れます。ちなみに結構症状ひどかったのでこの時期は病院に通って赤外線治療とか受けていました。

 この私の顧問に限らず、熱中症対策など明らかに把握しておくべき内容を把握していない運動部の顧問は世の中に多いと思います。しかし最近は顧問に対してもいろいろクレーム就くことが増えているは言え基本的に日本の教育は指導者への絶対服従を是とするところがあり、あからさまに間違った、具体的に言えば体を壊すような指導をする人間は本人の自覚もないまま指導を続けてるんだと思います。
 あまり反逆的なことを言うべきではないものの、やはり指導に関しておかしいと感じたらその気持ちは簡単には捨てず、自分の体を守ることを第一に考えて指導者を疑うべきでしょう。どうしてもそのスポーツを続けたければ外部のクラブに入るといった選択肢も入れるべきで、唯々諾々と従うべきではないと主張したいです。

2017年7月3日月曜日

皆殺しの百合子

 昨日の都議会選挙は小池新党こと「都民ファーストの会(トファー)」が案の定大勝するという結果に終わりました。もっとも選挙前にこの結果は十分予想されており、むしろ予想できなければやばいというレベルなくらいに確実な結果だったので何の驚きもなく、勝因敗因分析とかもあらかじめなされているので私の方からは特にこれといって何か言うことはありません。
 強いて言えば、そもそも都議会選挙は公明党を除けばそこまで重要度の高い選挙戦ではないにもかかわらず、自民党が小池潰しのためにやたらと力を入れ過ぎて準国政選挙並みに注目度や重要度を高めてしまい失敗した感があります。やるんだったら「都議会選挙は都議連に一任してます」と言い切って、安倍首相も応援演説とか一切しなければよかったし、いわんや稲田防衛大臣といったところでしょうか。

 そんなわけでこの都議会選挙についてはブログで書くことはないなと内心思っていたのですが、今日ふと観点を変えてみたところとんでもない事実に気が付きました。その事実というのも、小池百合子都知事と対立した政敵はほぼ例外なく返り討ちに遭い、辞任が引退に追い込まれているという事実です。
 百聞は一見に如かずなので、これまで小池都知事が切り伏せて来た面々は以下の通りです。

小林興起(郵政族議員):。2005年郵政選挙で刺客候補としてきた小池氏に敗北し議員落選。
守屋武昌(防衛事務次官):2007年に小池防衛大臣と刺し違え退官。後に収賄罪で逮捕。
石原伸晃(自民都連会長):2016年都知事選敗北の責任を取り都連会長を辞任。
内田茂(都議会のドン):2017年に小池都知事と対立し都議引退。
下村博文(自民):2017年都知事選敗北の責任を取り都連会長を辞任。
松原仁(民進都連会長):2017年都知事選敗北の責任を取り都連会長を辞任。
川井重勇(都議引退):元都議会議長、2017年都知事選で落選。

 自分が知る限り上記の面々は皆すべて小池都知事と明確に対立し、その結果として役員辞任や議員落選、果てには引退まで追い込まれています。もしかしたらほかにもまだまだいるかもしれませんが、総理総裁や党首の地位ならまだしも都知事クラスでこれほどまで多くの政敵と渡り合い、なおかつすべて斬り伏せてきたいう戦績はどう考えても異常です。
 そもそも小池都知事が全国的に脚光を浴びたのは2005年の郵政選挙で落下傘候補、いわゆる刺客候補として立てられた時からで、そう考えると彼女はこの時から「政界の殺し屋」としてのキャラを確立させていたのかもしれません。なお今回の記事見出しを考えた時は「皆殺しの百合子」のほかに、「殺し屋百合子」「スナイパー・リリー」などの言葉も浮かんでどれにするか少し悩みました。

 個人的に小池都知事の上記抹殺リストの中でとりわけ印象深いのは守屋事務次官との対立です。この時に小池都知事は防衛大臣をしていてその大臣職を辞職する代わりに無理矢理と言っていいくらい強引に守屋事務次官を辞めさせたことから当初は「強引な手法」、「自分勝手」、「ケンカしすぎ」などと批判されていましたが、退官直後に山田洋行事件で守屋元次官が逮捕されるや早めに対処しようとした小池氏の判断、並びに自腹を切る行動は評価され、私としても胆力のある人だと感心させられました。
 なおこの山田洋行事件について平沢勝栄議員が、「この事件で一番わからないのは、(守屋元次官が)嫁と一緒に接待ゴルフに行っていたことだ。ストレス解消どころかストレス溜めるだけだってのに……」と言っていたのが印象深いです。

 私見ですが、小池都知事は政治家としての地力やメディア対応力などそこそこ見られる能力を持っているとは思うものの、一番恐ろしいのは強運とはまた少し異なる、一旦波に乗ったらもう手が付けられなくなるくらいの実力を発揮する点だと思います。野球に例えればヤンキースの田中のマー君みたいなもので、普段もそこそこ実力があるものの、エンジンがかかりだすやもうどうやっても止められないような突破力こそがこの人の最大の武器でしょう。
 そう考えると、前回の都知事選でわざわざ推薦を求めてきたにもかかわらず無碍に扱い敵にしてしまった自民党都連、並びに自民本部はつくづく馬鹿な判断をしたものです。都連が推薦をどうしてもしないとしても本部だけでもパイプ作っておけば全然状況は違ったというのに。

 それにしても小池都知事は残りの政治家人生であと何人を政界から葬るのか、最低でも二桁は乗っけてほしいなと密かに期待しています。

2017年7月2日日曜日

第二次長州征伐の取り扱いについて

 今日まで「ラーメン大好き小泉さん」の1巻が10円というセールがされていたのでマルクス主義的に(=意味なく、空虚な)購入しました。同じ作者の鳴見なる氏による「渡くんの××が崩壊寸前」は以前にも読んでいましたが、この作者は表情の描き分けが別格と言っていいほど優れており、実質的に表情の描き分けが最重要なグルメ漫画とはやっぱ相性がいいなと感じました。なお「渡くん~」については巻末の予告が毎回詐欺もいいくらいに一致せず、話づくりに関しては下手だと評価してます。
 さてさて梅雨の期間一ヶ月を経て久々に自転車で1時間走行したら脱水症状で死にかけ昨日はブログ更新できなかったのですがそれは置いといて、ちょっと真面目な歴史解説をしようとネタを探った結果で思い当たったのが第二次長州征伐でした。

長州征討(Wikipedia)

 長州征伐というのは幕末に禁門の変を起こした長州藩に対し、幕府が朝廷の命を受ける形で諸藩に動員号令をかけて行った征伐です。もしかしたら小さいものとかでほかにも存在するかもしれませんが、私が知る限り幕府がこの時動員をかけて兵を起こしたのは1637年の島原の乱以来で、実に200年ぶりとなる戦争行動であったと考えられます。
 歴史の授業でもきちんと解説されているので知っている方も多いでしょうが長州征伐には二回実施されており、一回目となる1864年の第一次長州征伐においては諸藩の兵が動員されて実際に長州藩の目の前まで進軍したものの、禁門の変の活躍から最高軍事指揮権を委ねられた参謀の西郷隆盛自身が長州藩の実力を惜しみ、斡旋活動を行ったことによって実際の開戦前に藩主の毛利敬親が謝罪、並びに三家老の斬首をすることによって攻撃は取りやめになりました。

 今回この記事で取り上げたいのは1866年の第二次長州征伐です。一度は謝罪したものの依然と幕府の要求に応じない長州藩を叩くため二度目の動員がかけられたのですが、この時既に薩長同盟が成立していたことから薩摩藩箱の動員に拒否したばかりか、外国との取引を禁じられていた長州藩へ密かに名義を貸して大量の武器を購入させるなど暗に支援する有様でした。
 開戦前に話し合いで決着した第一次とは異なり、こちらの第二次では実際に火蓋が切られ、中国、北九州地方で諸藩連合と長州藩が激突しましたが、兵力で圧倒的に劣る長州藩が各戦場で悉く勝利し、また一向に勝機が見えない状況で14代将軍徳川家茂が逝去したこともあり、幕府軍はこれを口実に撤退したことで長州藩の圧勝に終わります。

 以上が主な歴史的事実ですが、私がこの第二次長州征伐についてこのところ思うこととしてはやはり歴史上での扱いが小さすぎやしないか。戊辰戦争は鳥羽・伏見の戦いから始まったということになっているが、明治維新にかけての革命戦争はこの第二次長州征伐からと始まったと考えるべきではないかと思うわけです。
 確かに朝廷の勅許を得てからの討幕戦争という意味では鳥羽・伏見の戦いからですが、徳川幕府VS長州(+薩摩)という構図は既にこの第二次長州征伐の時点でできており、なおかつそれまで日本を支配してきた徳川幕府が圧倒的兵力差で攻め込んだにもかかわらず惨敗するという結果はインパクトがあり、恐らく当時の人々の間でも「幕府の力はここまで衰えたのか……」とはっきり認識するに至った大事件であったように思われます。
 敢えて例えるなら、現代の米国軍がアーカンソー州軍に撃退されるような事態だったと言えるでしょう。何故ここでアーカンソー州がでてくるのかは私にもわかりません。

 このように考えると、一連の討幕戦争はこの第二次長州征伐から始まったと考える方が筋であるように思われ、同時にその歴史的意義も、騎兵隊という農民中心の部隊が武士の部隊相手に勝って見せたという事実も相まって、その重要度は今の日本史における扱いでは小さすぎやしないかと言いたいわけです。

 なおこれは私の勝手な推察ですが、恐らく薩摩藩もこの第二次長州征伐を見てそれまでの公武合体から本気での討幕に意識を変えたのではないかと思います。薩摩藩はこの長州征伐において陰で長州を支援するものの傍観者の立場で、恐らくはある程度戦況が込み入ったところで再び和解斡旋に動いてその発言力や地位を高めようとしていたのではと考えられますが、思ってた以上に幕府が惨敗し、もうこれなら長州と組んで幕府に取って代わろうと、ここで考えたのではないかという気がしてなりません。仮にそうだとすると、薩摩藩は非常に強かな外交戦略を作り実行していたということになります。

 まとめますと、鳥羽・伏見から始まる戊辰戦争はその時系列的な意義から考えると第二次長州征伐からカウントすべきではないかというのが私の意見です。もっともそうなると年号がずれるため「戊辰戦争」とは言えなくなってしまうのですが、討幕戦争、明治維新の始まりという意味ではやはりここがスタートであるべきではないでしょう。