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2017年12月16日土曜日

水木しげるの弟子

 先日、以下の商品を発見して即購入しました。



 この漫画の作者は40年超にも渡り水木しげるの執筆を支えてきた、水木プロのチーフアシスタントである村澤昌夫氏による水木しげるとの回顧録です。表紙を見てもらえばわかる通り、2年前に亡くなられた水木しげるの画風そっくりで、内容も話の展開からあの独特な絵柄に至るまでこんな人がいたのかと驚くくらいにそっくりです。
 この漫画の巻末には作家の京極夏彦氏があとがきを書いているのですが、さすが京極先生というべきか、この村澤氏について非常に簡潔ながら肝要な紹介がなされてあり、その文章を読むだけでもこの村澤氏という存在がいかに大きいかがよくわかってくるほどです。

 あとがきの内容を簡単にまとめると、いわゆる「水木しげるの弟子」としては京極氏や荒俣宏氏をはじめたくさんいるが、これらはどれも「追っかけ弟子」であり水木しげるの思想のファンでしかないが、村澤氏に至っては40年超も水木しげるのそばで寝食し(現在はわからないが昔は住み込みアシスタントとして水木宅に常駐)、またその絵柄から価値観までを最大限に吸収した真の「水木しげるの弟子」であると評しています。
 水木しげるのアシスタントについて京極氏は、「つげ義春氏や池上遼一氏など漫画界の重鎮たる人物も水木しげるのアシスタントを経験したが、つげ氏に至っては元から、池上氏に至っては独り立ちしてからそれぞれ独自の世界を持つようになり、厳密な意味での水木しげるのフォロワーとは言い切れない」とし、それと比べ村澤氏については未だに過去の自分の絵柄と見比べながら、「ここが水木センセイとは違う」と水木しげるの後を追うことについて非常に熱心であるとも書いています。

 この京極氏の批評については私自身も全く同感です。例えば手塚治虫のフォロワーであれば藤子不二雄を始めたくさんいますが、水木しげるのフォロワーとなると実はほとんどいません。そもそも水木しげる自体が変わり者揃いである漫画家の中でも一際特異な人物であったことはもとより、京極氏曰く「漫画家でもあり画家でもあった」とされるように、独自の描き方というか技法を持っていたことから、追随する人間が実はあまり生まれなかったのではないかと私は思います。
 特にそれが顕著なのは「背景」です」。普通の価値観から言えば点と点をつなぐことで線となり、線と線をつなぐことで面となり、面と面をつなぐことで立体となります。しかし水木作品の多くの背景は点描、つまり点々でもって立体的に描かれてあり、この技法により恐ろしく写実的な背景画が描かれています。

 この水木作品の背景について、「中古軽自動車に妖怪百体描けるかな?」を見事実践した「妖怪百鬼夜号計画」のTAC氏もかつて、車体に妖怪をたくさん描きつつもそのどれもが見ていて怖くないことに気が付いたことを書いた上で、「水木作品の妖怪はいかにも普通の日常そうな場面に描かれていたから、おどろおどろしく怖かった」ということに気が付いたと確か書いていました。最初にこのコメントを読んだ際は絵描きの感覚からはそうなんだとしか覚えなかったものの、改めて点描で描かれた水木作品の背景を見るにつれ、それが如何に特別なものであったのかが段々気が付いてきました。

 この点描の背景については村澤氏の漫画でも言及されており、「完成後の出来合いは素晴らしいが、労力が半端じゃない」と書いています。その一方、この漫画の背景も点描で描かれており、特に水木しげるとヨーロッパを旅行した際に回った修道院の中などは、どうやったらこういう風に書けるんだろうと思うくらいに不思議な写実感を感じる背景となっており、水木しげる本人が描いたと言われればそのまま信じてしまうくらいに再現されています。

 このブログでは作品の紹介をするくらいでそれほどプッシュはしないようにはしていますが、この作品については水木しげるが大好きな方は是非とも手に取ることをお勧めします。続きが出るかわからないけど、出たら私は必ず買うでしょう。



 なお今回商品リンクを探している最中、上記の商品もついでに発見しました。こんなものまで出ているとはと思うとともに、改めて水木しげるの影響力凄いなと感じました。

2017年12月14日木曜日

気になる二つの裁判結果

 先日、エリカが例えてあげるなら、ランボーにとってのトラウトマン大佐のような元戦友(=元同僚)と3年ぶりに再会した際、「新聞記者時代より今の方が取材して記事書いてんじゃん」と言われました。事実その通りだから困るし、「記者時代にこれだけ取材して書いてたら周りからものすごい評価されたと思うよ」とも言われました。
 それにしてもただでさえ古い言い回しに古典映画の喩えを用いるのは我ながらどうかと思います。そもそも普通に、「ランボーで例えるなら」でもいい気がするし。

藤井美濃加茂市長「悔しい」憤り 混乱避け辞職決断(岐阜新聞)

 話は本題に入りますが、私もこのブログで追ってた美濃加茂市長の裁判で、最高裁も高裁判決を支持して有罪が確定されました。過去の記事でも書いているようにこの裁判については冤罪としか思えない内容で、そもそも高裁審理では一切何も新たな証拠や証言が出ていないにもかかわらず一審の無罪判決が二審では逆転有罪となった時点でおかしかったですが、かえってなにも新証拠が出てこなかっただけに今回の三審についてはやはりという感情が思い立ちました。
 裁判員裁判の開始や足利事件以降はこうした冤罪は減り、あの東電OL殺人事件すらも再審がなされたことから大分マシになったと思ってはいたものの、未だに日本の司法は問題が多いと改めて痛感する出来事と言えそうです。

コーエーに特許侵害で賠償命令 カプコンの訴え一部認め(朝日新聞)
コーエーテクモ、カプコンからの特許権侵害訴訟に一部勝訴―『真・三國無双』シリーズなどに関する訴えが棄却に(インサイド)

 続いて気になったのがこの裁判結果です。敢えて二つの記事のリンクを付けましたが、見出しによってこうも印象変わるんだなと思うとともに、下のインサイドの方ではコーエーテクモをやや応援する側についてように見えますが、私もこの件では同じ見方です。
 この裁判を簡単に説明すると、カプコンが自社ゲームの技術特許をコーエーテクモが無断で使用して侵害していると訴えたものですが、カプコンがパクられたと主張したゲーム(戦国BASARA)はそもそも誰がどう見てもコーエーのゲーム(戦国無双)をパクって作られたものであっただけに、3年前の提訴時には「え、訴えたの逆じゃないの?」と誰もが思った曰くつきの裁判でした。しかもカプコンが権利侵害を主張した技術は、元のゲームに追加要素を加えたアペンドゲームと、アペンド対象となる元のゲームを連動させる技術で、この技術自体はPCゲームを中心にかなり昔から存在しており、またコーエーは90年代からこうしたアペンドゲーム(いわゆる「パワーアップキット」)を出している老舗だっただけに、私自身もカプコンはここまで落ちぶれたかと思う内容でした。

 今回、3年にも渡る裁判がようやく決着がついたのですが、結果的には上記のアペンドゲームに関する特許侵害は一切認められず、コーエーテクモ側の主張が完全に認められました。その一方、自分も知らなかったのですがこれとは別に特許侵害が主張されてた技術があり、その技術についてはカプコン側の主張が一部認められ、特許侵害があるとして請求額4700万円に対し517万円の賠償支払いをコーエーテクモが命じられました。
 なおこの特許侵害が認められた方の技術ですが、何でも敵が近づいたらコントローラーが振動するという技術だそうで、率直に言ってなんだそりゃと呆れました。こうしたコントローラーをゲームの展開に合わせ振動させる演出なんてごく一般的であり、コーエーテクモ以外にも同じような演出のあるゲームなんてごまんとあります(振動ではなく音だけなら「エネミーゼロ」とか)。請求額が大きく削られたとはいえ、この件でコーエーテクモ側に賠償が命じられるのはおかしいと思うとともに、こんなすっとんきょんな主張したカプコンはますます嫌いになりました。

 全体から見れば確かにコーエーテクモに一部賠償が命じられたものの、インサイドの記事が書くようにどっちかと言えばコーエーテクモ側の勝訴と言っていい判決だと私も思います。しかし上記にも書いている通りにカプコン側の主張は普通に考えていちゃもんとしか思えない内容なだけに、私としてもぜひともコーエーテクモには控訴してもらって、次の裁判で完膚なきまでカプコンを叩いてもらいたいのが本音です。

 なお本題から少しずれるかもしれませんが、コーエーテクモのゲームにはたまに妙なシステムが搭載されていることがあり、いくつか例を挙げると「ニンジャガイデンシリーズ」では、コントローラを上下に振ると画面上の女性キャラの胸が揺れるというシステムがあり、最初これ聞いた時、「考えた奴、頭おかしいんじゃないか?」と本気で狂気を感じました。また格闘ゲームの「デッドオアアライブ」では、戦闘時間が経過すると汗でキャラクターの服が段々透けてくるというシステムがあり、これも発想からしておかしいと思うし、実際に搭載してしまうのはもっとおかしいと感じました。
 詳しく調べていないのでわかりませんが、上記2つのシステムについてコーエーテクモは特許を取ってるのか今やたらと気になります。っていうか、こんな下品なシステムに特許取ろうとすること自体なんかアレな感じしますが、このシステムで特許権侵害の裁判とか起こったら一体どうなるのか、いろいろと想像つきません。

2017年12月12日火曜日

中国の格差の実体~職業間格差

 体調が悪くまた更新が空きました。今後の更新についても未知数です。

 さてここまでしばらく中国の格差についていくつか記事を書いてきましたが、今回が最後ということでやや趣向を変えて職業間格差について触れます。結論から言うと、中国では職業間の給与格差が非常に大きいです。

 日本国内でいえば、証券をはじめとした金融系だとやや給与が高く、外資だとさらにその傾向が強くなるくらいで、ほかの業種に関してははっきり言ってそれほど差があるとは言えず、むしろ会社規模による差しかないでしょう。これが中国だと大きく異なり、その就いている職業によって給与額は大きく変わってきます。
 比較的高収入なのは、日本と同じく金融系のほか、本人に技術があること前提ですがIT系の職業もやや高めです。もっともIT系の場合、いくらか実力あったらすぐ独立しちゃいますが。そのほかだと目立って高いなと感じるのは研究職で、先日にファーウェイが日本国内で大卒初任給月40万円という報酬で研究者を募集したことが話題になりましたが、実力さえ認められればこうした高収入の待遇は中国ではよくあることです。

 逆に低収入な職種や業種と言ったら、細かくは見ていませんが営業系なんかかなり安い気がします。その理由というのも、特段資格が求められるわけでもないし誰でもできるからです。むしろ工場内の技術者なんかは高収入で雇われることが多く、また経理に関しても日本とは違って中国だと一定の資格保有が要求されるので、高収入ってわけではありませんが日本よりはやや保護されてます。

 こうした傾向が特に現れるのは初任給で、全業種でほぼ横並びな日本と違い、たとえ同じ会社であっても職種によって中国では初任給が変わってきます。むしろ中国人からしたら、「なんで仕事の内容違うのに給与同じなの?」って疑問に思われるでしょうし、実際その通りとしか言いようありません。
 この記事で何が言いたいかというと、中国は仕事内容で給与が変わり、きちんと競争原理が働いてて実力が認められたら給与が上がるか、もっと給与のいい別の会社へ移るということです。逆を言えば、こんな当たり前のことが日本では起こっておらず、未だに仕事内容や役職よりも勤続年数で給与が普通に決まってしまっていることに私が疑問を感じてるってことです。

 ちなみに金額で表すと、上海周辺の大卒初任給は大体4000元(6.8万円)ですが、もらう人によってはいきなり1万元(17万円)行く人だっています。その後の昇給幅ももちろん後者の方が高く、30代で月収10万元行く人もいれば大半は1万元にも届きません。

 今回、敢えてこの職業間の賃金の差を「格差」と表現しましたが、この格差を私は批判するつもりはなくむしろあって然るべきものだと考えています。では何故日本にはそれがないのかって話ですが、そもそも日本の経営者にはいい人材を雇おうという意識もなければ、日本社会全体で同一賃金同一労働の概念が極端に薄いことが何よりの原因ではないかと考えています。では何によって賃金額が決まるかっていえばさっきにも書いた通りに勤続年数、それと正規か不正規かによる身分の違いしかなく、特に後者に関してははっきり身分格差と言っても過言じゃないでしょう。
 最初にも書いた通りに中国の格差をやたらと気にする日本人は多いですが、身分格差を実質是認している日本人が気にすることなのかと私には不思議でなりません。身分格差を是認しているからこそ非正規への転落を恐れるのだろうし、また雇用側も一度非正規に落ちた人間の対応は正規だけで歩んできた人と比べ物凄い対応を変えてくるだけに、階層社会にもう入っているのかなとも最近思えます。中国は戸籍をはじめ確かに大きな格差は存在しますが、労働間の格差は競争によって成り立っており、これを不当だという中国人は独占産業を除きまずみません。

2017年12月7日木曜日

中国の格差の実体~都市間

 体力が付きかけているので短くまとめると、あまり言及されないけど結構大きな差になってきているとこのところ思う中国の格差として、都市間格差があります。これはある意味日本にも存在するものですが、中国の場合だとどの省・都市に戸籍を置いているのかがかなり人生にも影響し、日本の比ではありません。

 まず一番大きいのは医療と年金です。全国共通の日本とは違ってどの治療にどれだけ行政の補助が得られるかは中国だと都市によって違い、上海なんかだと無料で手に入る薬が他の都市ではそうもいかないということもざらです。年金も同様で、どの都市の戸籍であるかによって得られる金額が変わってきます。

 このほか細かい差を挙げると切りがないですが、どの都市に戸籍があるのかは高年齢になるにつれ中国では差が出てくるような気がします。住宅についても地元に戸籍があると転売用に2軒目も購入しやすいですし、ローンも組み立てやすいと聞くだけに、不動産価格の上昇が著しい大都市ほどこの恩恵が受けられることとなります。
 この都市間格差については今のところ中国全体で是正しようというような声すらほとんど見ず、存在に気づいてはいるものの誰も手出しできないような状況で、恐らく今後さらにその格差が広がっていくことでしょう。

 以上、力尽きたのでここまで。

2017年12月5日火曜日

中国の格差の実体~都市住民と農民

 数年ぶりかと思うくらいに体調が悪化し、昨日一昨日の丸二日間ずっと布団に寝込んでいました。風邪薬飲んでも効かなかったのに、寝すぎて頭痛くなったから飲んだ頭痛薬飲んだらすぐ治ったのがマジ不思議。

 そんなんでまだ体力ないまま続けると、中国の格差といって一般的にこれが指すものは都市住民と農民の格差でしょう。知ってる人には早いですが、中国の戸籍では出身地や民族を区別するほか、その人が「都市住民」か「農民」かをも定義しています。当然、何方に所属するかでその社会的な地位や役割は異なってくるわけで、農民戸籍の人は都市部に正式に定住することは認められないほか、農業的な義務もいろいろ持たされ、言い方を変えればかなりの面で土地に縛られた人生を要求されることになります。

 言うまでもなく、消費生活においては都市住民の方が有利です。安定した現金収入が得られるほか都市の運営する社会サービスや福祉も享受でき、また大学受験においても地元都市であれば優遇が得られます。一方、農民戸籍であれば以上の優遇はなく、また農作物を生産することから食うには困らないものの現金収入はほとんど得られず、この境遇から抜け出そうと思っても自力で商売を始めることもできず脱出することもなかなか適いません。

 そもそも一体何故中国はこのように都市と農村で戸籍を分けたのかというと、一言で言えば食糧生産量を確保するため、もう一つとしては都市部へ無尽蔵に人口が流入するのを避けるためです。このため、実質移動の自由を国民から奪い、ほぼ身分制のような二大戸籍区分を作ったわけです。
 この農村戸籍からの脱出方法として一番メジャーだったのは、やはり大学進学でした。学業によって大学に合格し、卒業時に都市部にある企業に就職内定を得られればそのまま都市戸籍への変更が行えました。逆に、大学卒業時に就職を果たせないと戸籍は元の農村戸籍のままなので、実家に送り返される羽目となるわけです。

 このように社会上で様々な制限を受ける中国の農民ですが、現実には都市部には農村から来た出稼ぎ農民が大量にいて、彼らの労働力なくしては都市部経済糊塗3K労働は何も回りません。これは一体何故かというと、現状の規定ではあくまで「定住」がダメということで、普通に賃貸借りて現地で働く分には制限がないためです。ただ、制限はないものの保障も支援もないわけで、就学年齢子弟がいても出稼ぎ先の都市部では一切就学支援が受けられないどころか、医療等でも保障はないため、幼い子供を農村に置きながら両親は都市部で出稼ぎをし続けるという光景も中国では決して珍しくはありません。
 先ほどにも書いた通りに農民は食うにはそれほど困らないものの、現実には資本主義な現代中国では現金収入がなければ生きていくには困難であり、また子供の就学などにもお金がいることから出稼ぎを余儀なくされます。

 以上がざっとした中国の農民の現状、と言いたいところですが、近年この状況に大きな変化が起きつつあります。
 あまり日系メディアは報じないものの、農村準民の都市戸籍への変更は以前に比べ大分緩和されました。何故かというと中国政府自身が食糧生産の維持よりも消費増加による市場拡大を図ってきているからです。農村住民と都市住民とでは年間消費額で大きな違いがあることから、農民を都市住民にすることで消費を拡大させようという考えの下でこうした措置が取られています。

 実際、一部地方では農民が希望さえすれば都市戸籍に変更できる上で、都市での一定の住居(詳細は調べていないが)等も提供された上で都市部で生活できるようになっているそうです。ただし、これらはあくまで一部都市での話であり、北京や上海といった大都市では戸籍を取るには依然と厳しい条件が課されています。
 また上記のような手続きを経て都市住民となったものの、定職が見つからず結局また別の大都市に行って出稼ぎを行う元農民というのも少なくないそうです。中国政府は現在も「都市化」をキーワードに都市住民の拡大を図っていますが、現実には様々な困難が起こっています。

 少しここで結論をまとめると、農民と都市住民の間には間違いなく未だに大きな格差があります。ただ、中国政府はこの格差の是正については非常に熱心であり実際に大量の資金を投入して対策を行ってきており、かつてと比べればこの格差は改善しつつあるのが私の見解です。現実に2011年に都市人口が農村人口を初めて逆転して以降、農村人口は減少する一方で都市人口は増加し続けています。
 まぁそしたらそしたで中国の食糧問題が気になるわけですが、そこは機械化に期待しましょう。

 私個人として気に入らないのは、よく日本の報道がかなり古い情報のままアップデートせずにこの都市と農村の格差を語ることが多いことです。現実にはすでに述べている通り確かに格差は未だ大きく開いてはいるものの、その差は確実に是正されつつあり、現実に10年前と今を比べたら驚くべきほどの改善ぶりです。しかし日系メディアはさっき上げた人口比率のデータどころか所得格差のデータ分析すら行わずに「絶望の中国農民」等と書き立てています。
 無論、格差は存在することは間違いないものの、是正されるつある現状、そして是正に努力する今の中国を語らないというのは何なんだという気がしてなりません。「ならば今すぐこの格差を是正してみろ」と某赤い彗星みたいなことを言う人もいるかもしれませんが、一瞬でなくなるものならそれは格差じゃありません。少しずつ埋めていかなければならないほど深刻だからこそ格差であり、それを埋めるための努力をしている人たちを、格差を見て見ぬふりして何も是正に動かない人たちが笑うのが自分には許せなかったから、今ここに自分はいるのだと思います。

2017年12月2日土曜日

漫画レビュー「ゴールデンゴールド」

 先月に日本へ一時帰国してからこの一ヶ月間はずっと体調が悪く、今週に至ってはお尻からラー油が出るわ風邪ひいて鼻かむたびに鼻水に血が混じってるのを見るとマジビビります。そんな具合で体調良くないので好きに書ける漫画レビュー書きます。

 結論から言うと、この「ゴールデンゴールド」という作品については将来確実にアニメ化かドラマ化が実現すると断言できます。底知れないポテンシャルはもとより、ここ先が気になってしょうがない展開ぶりなど数年間で間違いなく最も優れた漫画作品ではないかとすら思えるような面白さです。
 私がこの作品を知ったのはAmazonの売り上げランキングで上位に入っていたことと、その特徴的な表紙から「中身が全く読めない」という印象を覚えたことからでした。てっきり、表紙に出ている女子高生と変な生物がドタバタをやらかすギャグコメディではないかと想像していました。
 では実際はどうか。簡単にあらすじを話すと、以下の通りです。

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 広島県の離島に住む女子中学生の主人公はある日、海辺で小さな仏像のようなものを拾い、なんとなくお堂に入れて拝んだところその仏像は子供くらいの大きさの人形となり、突然動き始めます。しかも知らないうちに主人公の家に上がり込みながら、主人公の祖母をはじめその島の出身者は誰もその異様な姿を見とがめることはせず、特に疑問を持たず同じ屋根の下で暮らし始めます。そしてその人形が来てからというもの、祖母が経営する民宿、雑貨屋は急に繁盛し始め、コンビニにも鞍替えするなど環境が段々と変わっていき、「もしかしてあれはフクノカミなのでは?」と主人公らは考えていくようになります。
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 以上は本当に序盤のみのあらすじなのですが、回を追うごとにフクノカミとはどんな存在なのか、何が目的なのかという疑問がどんどんと膨らみ、その不気味さと相まって先が非常に気になっていきます。また主人公らが生活する離島、と言っても「ドクターコトー」ほどの鄙びた離島ではなくスーパーも高校も島内にある島ですが、その島の日常生活風景が非常に丁寧に書かれており、それだけに日常が段々とおかしくなっていく情景が妙なリアル感を持って描かれています。

 最初一読して感じた印象としては浦沢直樹氏の「20世紀少年」のような印象、日常が段々と非日常へと崩れていくようなイメージを感じました。ただミステリーじみた展開のあちらとは違ってこちらは明らかな超常現象というか見た目からして異様そのものなフクノカミが周りから一切特別視されずまるでそこにいるのが当然のように普段の日常世界が続いていきます。例えて言うなら明らかにおかしいものが画面に映ってるのに、誰も反応しないまま進行が続けられるテレビ番組というような不気味さで、この不気味さこそがこの作品のエッセンスだと思え、徐々にちりばめられるフクノカミに対するヒントなども非常に配置よく紹介されます。

 この作品を友人にも勧めてみたところ、「この作品は本当に凄い!」と今までにないような興奮した返事が返ってきました。ただ友人曰く、「最初の数話だけでは全く分からず、1巻丸ごと通しで読んでみて初めてその魅力に気が付けるような作品だ」そうで、この批評は全く持って私も同感です。チラ見した程度ではいまいちわかりづらいところがありますが、通しで読むことで段々と世界がおかしくなっていく展開が分かってくるだけに、やや敷居が高い作品であるでしょう。

 まどろっこしい語りとなってしまいましたが、余計なことを考えずとりあえず一読されることを強くお勧めできる作品です。私なんか1~3巻を購入するとそのまま三週くらい読み返しましたが、あらゆる意味でこの作品は現在の連載作品の中で別格です。


    

2017年12月1日金曜日

中国の格差の実態~昔と今

 前回記事に引き続きまた中国の格差の話です。

 まず格差と一言で言っても、どの格差を対象にするかで全然話は変わってきます。エリカが例えてあげるなら、ヒルズ族とネットカフェ難民の比較に対し、松戸市民と東大阪市民の比較だとその差の開きには大きな違いがあるでしょう。自分で言っててなんですが、松戸と東大阪の比較って逆にむずそう。
 なので、ちょっと自分の方でも頭の中をまとめたいのもあるだけにいくつかトピックを絞ってこの問題について書いてこうと思います。そこで今回は、多分自分しか書けないであろう中国の格差今昔こと今と昔の格差についてです。

 結論から書くと、自分の想像を超えるレベルで中国はその社会における格差をこの10年で是正したなと思います。私は2005年に留学で初めて中国を訪れましたが、その時の印象を述べるとやや粗野な人間と、人間以下のバーバリアンに分かれているのが中国だと思いました。
 ホワイトカラー的な仕事についている中国人はやや田舎っぽいところが残るものの普通にノートパソコンを使ったり、最新の携帯電話を使いこなすなど文明人らしく振舞っていましたが、そうでない中国人、具体的には出稼ぎできている農民などはそこらじゅうで唾吐いたりたちしょんしたり、すぐ怒鳴ったり平気で赤の他人に寄りかかったりするなどして、元々住んでいる都市住民が彼らを差別するのも無理ないなと思うような人間ばかりでした。

 現在もこういうバーバリアンな中国人がいないわけではないものの、それでも10年前と比べたら本当にレアな存在になり下がりました。また来ている服とかも、路上生活者ですら昔より大分マシになっており、本当に中国は豊かになったなぁと感じさせられます。もちろんこれはあくまで中国の都市の中の風景であって地方行ったらまだまだ話は違うだろうし、奥地の農村に至っては今でも水や電気といった最低限のインフラすらないところも珍しくはないでしょう。それでも、これは別の記事でも書きますが10年前と比べれば農村の生活は大分マシになり、また都市部への移住制限も緩和されたこともあって「どうあがいても這い上がれない」というレベルの格差は確実に減ってきていると断言できます。

 収入に関しても、中国はこの10年間で最低賃金が全国で約4倍くらい上昇しており、この最低賃金引上げは資本家にとってマイナスとなるのに対し底辺労働者は恩恵を蒙る政策なだけに、単純な収入格差はこの事実一つとっても大幅に是正されていると言えるかと思います。一方どっかの国は、GDPが過去最長の成長を見せていると言いながら、最低賃金基準も大卒平均初任給がビタ一文も動いてませんが。

 私個人の印象で述べると、かつての中国は都市に生まれるか、農村に生まれるかでどうしようもないくらいの差が存在しましたが、現在も農村生まれは大きなハンデを抱えるものの、かつてと比べれば脱出の道は数多く作られており、這い上がれないほどの壁の高さではなくなったという気がします。
 一方、高額所得者に関しても、一山当ててあり得ないほど金持ちな資本家は確かに多いものの、かつては成金で鳴らした資本家が事業の傾きによってあっさり破産するといった事例も少なくなく、割と市場の競争原理は働いている気がします。まぁ悪いことしておきながら国の救済受ける企業ももちろんありますが。

 大雑把なレベルで話しているので具体性が欠けますが、私は中国の社会全体で見れば昔よりは今は大分格差が是正されているのではという立場を取ります。かつての格差は人間か、非人間かというレベルでしたが、今の格差は勝者か敗者かというレベルであり、まだ機械というか勝負ができる社会にはなっているのではと思います。
 もっとも内陸の奥地行ったらまた話は違ってくるとは思いますが、少なくとも言えることは、日本以上に中国政府は格差是正について真剣に取り組んでいることは事実です。その差が今後どうなるかが非常に楽しみです。