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2018年7月22日日曜日

嵐の中で


 上の写真は再来週配信予定の記事のために撮影してきた写真のうち一枚ですが、これを撮影したのは本日です。そして本日、上海は台風が来て大雨でした。なんでこんな日にわざわざ取材に来たのかというと、めっちゃワクワクしたからです。

 今回この場所を撮影したのは昨日記事を執筆している最中にこの橋が、建て直されているとはいえ現在も同じ地名で存在するということを知ったからです。早速近くに住んでいた友人にも確認したところ知ってると返信がありそれなら行くかと決めたところ、「明日は台風来るから来週にしなよ(;´・ω・)」と友人が止めてくれました。
 確かに来週でも間に合わないというわけではなく、なんでわざわざ台風の日に撮影しに行かなきゃならないんだと思って私もやめよと思って布団に入ったのですが、今朝目を覚ましたところ風は強いものの雨は降っておらず、「よし行くか」と考えを改め出発しました。なお家を出て数分後に雨は降りだしてきました。

 行先は割と遠いので最初は地下鉄と思っていたものの、地下鉄駅からやや歩くのと、バスでも1回乗り換えだけで近くへ行けるとわかったので優雅にバスを選びました。バスに乗ってる最中も外は大雨でした。
 バスに揺られて約1時間で目的地に着きましたが、そこからこの橋に来るまで大雨に降られてずぶ濡れになりましたが、何故だか満足感でいっぱいでした。写真を撮り終えたところ先ほどの友人から、「もうすぐ台風上陸だから気を付けなよ(;´・ω・)」という連絡が来たので返信代わりにこの写真を送り付けたところ、「マジで行ったのかよ(; ・`д・´)」という期待通りの返信が返ってきました。

 もし本当に半端ないくらいの大雨と大風だったらさすがにやめてましたが、やはりたまに自分の身をリスクにさらすというのは生きているという実感が凄くもて、端的に言えばめちゃ楽しいです。なおこの後は近くのショッピングモールで寿司喰って、今度は地下鉄乗って帰ってきました。家にこもってゲームと執筆ばかりなので、なんか今はお疲れモードです( ˘ω˘)スヤァ

2018年7月21日土曜日

好転する対日感情

 あまり日本人は気にしてないと思いますが、今中国の対日感情はかつてないくらいに好転しています。歴史的な統計で言えば天安門事件前後が最も対日感情がプラス方面に高く、その後90年代に行われた反日教育によって悪化していき、00年代後半から再び上昇していくような経過をたどっていますが、ある意味で2000年以降としては今が最も対日感情がいい状態ではないかと分析しています。
 一体何故対日感情がよくなっているのかというと理由は大きく分けて二つあります。

 一つ目は、今貿易戦争真っただ中の米国への対抗です。中国としてもこの貿易問題で日本を引き込む価値は高く、というより米国との関係を重視する日本を巻き込むのは物凄い得策で、だからこそ今年に李克強総理を北海道に派遣するなどして関係を重視する姿勢を示しました。日本としては無碍に相手する理由もなく、また米国を怒らせない範囲であれば中国と仲良くする方が米国へのけん制としても価値を持つだけに、割と利害は一致していると私は考えています。

 二つ目は、単純に中国が豊かになってきたからです。米国が嫌われる理由は単純に、米国が最も金持ちだからという意見がありますが、同様に豊かな国というのはただそれだけで豊かでない国から恨まれる運命にあります。中国も反日教育とか歴史問題とか言われていましたが、そうした要素は実際は二割程度で、残り八割くらいが富への嫉妬が反日感情の原動力だったと思います。
 それがここにきて中国が経済成長して大分豊かになり、富裕層に至っては日本以上の生活を満喫した上、市民層でもスマホ決済をはじめ日本よりもサービスの進んだ分野が出るなど、「何でもかんでも日本人に劣ってるわけじゃなくなったよね(´・ω・`)」という具合で、日本へのどろどろした気持ちがなんかさらさらした気持ちに変わってきている気がします。金持ち喧嘩せずって奴です。

 決して誇張ではなく、この要素が非常に大きいと思います。何故そう思うのかというと、これと真逆の現象がなんか以前よりもはっきりと色濃く見えるからです。特に今週水曜にもJBpressで記事書きましたが、こいつら本当に中国の製造業の現況について全く見分がないのだなと思うコメントが多くてびっくりしました。嘲るコメントを書いているつもりでしょうが、あまりにも場違いな意見でただただ私としては困惑する内容でした。

 こうした変化について気付いている人間は、多分現状ではほとんどいないのではないかと思います。だからこそこうして書いているわけですが、やっぱこういうのは現場にいる人間が一番強いなと再自覚するとともに、日本で中国の分析書いている人よりはやっぱり自分は有利だと感じます。

2018年7月18日水曜日

庇った人間は庇われる人間に恨まれる?

 昨日の記事で私はいじめられっ子が長じていじめっ子に逆転する現象があることについて私見を交えて紹介しました。そしてその中で仮説として、いじめから庇った人間が何故か庇われた人間に逆にいじめられることもあるのではという説を展開しました。
 いじめドラマの金字塔こと「人間失格」ではまさにこの逆転現象が描かれており、転校したての主人公がいじめられっ子を庇ったところ、なぜかその後元いじめられっ子が主人公をいじめ自殺にまで追い込んでしまいます。これはドラマだけの世界ということも出来ないこともありますが、実際に私もこれに近い光景を見たこともあれば、いじめにまでは発展することこそなかったものの、かつて私もトラブルから庇ってあげた人間から妙な逆恨みを受けたことは何度かあります。

 そうした経験を踏まえて言うと、体感的にこうした逆転現象は実際に、それも結構な頻度であるのではないかと考えています。さらに極端に述べると、さすがに命の危機を救ってもらったとかなら感謝されっぱになるものの、いじめを含む軽・中度のトラブルから庇った場合、庇った人は庇われた相手から感謝されるよりも恨まれるケースの方が多いのではないかとすら内心考えています。
 そもそも一体何故、こういうことが起きるのか。仮説の域を出ませんがいくつか理由を挙げると下記の通りとなります。

1、自らが保護対象になるのがプライド的に許せない
 庇われるという行為は、基本的に強者から弱者への単一方向でしか起こることはありません(FFの「かばう」は除く)。逆を言えば「庇われる」というのは当人からしたら自分が弱者であることを強く認識せざるを得ず、実際にそうした意識へのプライド的反抗から他人に庇われるのを良しとしない人は珍しくもないでしょう。
 そのため過去に庇われた経験のある人間からしたら、かつて庇ってくれた人間に劣等感を感じやすく、乗り越えるというわけじゃないですが逆に支配下に置いてそのプライドを奪還したくなるのではないかと考えています。現実にみた先ほどの逆転現象でもやはりこのような動機で、かつて世話になった相手に対して裏切りとも取れるような反抗を見せる人がおり、それもやらなくてもいいことを敢えて実行して自分が上の立場だということを強調するような行動が多かったです。いじめられっ子がいじめっ子になるというメカニズムも、やはりこうしたプロセスを辿っているのではと推測しています。

 この説はそれほど珍しくもなく、多分私以外の多くの人も提唱しているのではないかと思います。今回記事を書くきっかけとなった本丸はむしろこの次です。

2、自らの不利な立場を強く認識させられるから
 私の持説ですが、人間は苦しい現実ほど目をそむけたくなります。なのでいじめにおいても「からかわれているだけだ」とか、「これはいじめじゃない」と信じ込んで我慢することでよりエスカレートするという例が見受けられます。こうした現実逃避の延長上に当たるのがこの説で、いじめられっ子がいじめられるのを庇う人間が出た時に、いじめられっ子はどう感じるのかと考えた際、「自分がいじめられている現状を強く認識させられるのでは」と私には思えてきました。

 いじめに限らなくても、トラブルから庇ってくれる人間が現れた際に庇われる人間は否応なしに自分がトラブルを抱えていることを認識せざるを得なくなります。
 具体例を出すと、社内での評価が悪く周囲から白い目で見られる社員に対し、奮起を促そうと励ましたり、業務をサポートしたり庇ってくれる同僚が現れたとします。社員としては現実逃避して目をつむっていればそうした周囲の評価は無視できるのに、庇ってくれる同僚が現れてしまうとどうしても自分が「劣っている」、「評価が芳しくない」という現実を否が応でも認識させられてしまいます。そんな社員からしたら庇ってくれる同僚はどんな風に見えるのか、結果から言うと逆恨みするようになったというのが私が実際見たケースです。

 何もいじめられっ子からいじめっ子へのクラスチェンジこと逆転までも起こらなくても、庇った人間が庇われる人間に逆に恨まれるというのはこのような形で往々にあるのではないかと思います。素直に庇ってくれたことに対して恩に感じてくれればいいのですが、私が見たケースでは圧倒的に逆恨みするケースが多く、何故か庇ってくれている人に対して庇われる人が陰口をやたらと口にするのを不思議に思いながら見てきました。
 まぁただ単に変な人間関係の中にいたことが多かっただけかもしれませんが。

 最後に、敢えてこの現象を名付けるのなら「鉄雄シンドローム」を私は推します。「鉄雄」というのは知ってる人には早いですが日本漫画史上に残る傑作「AKIRA」に出てくる準主人公の名前で、当初でこそ気が弱く周りにも弄られるだけのキャラだったもののの、作中で超能力に目覚めて以降は凶暴な性格へと変わり、かつて彼を公私に渡り庇ってきた主人公の金田に対して激しい憎悪を抱くようになります。
 鉄雄と金田の関係をみるならば鉄雄は金田に感謝こそすれども恨む覚えなぞないはずなのに、作品中盤からは金田のバイクを異常に執着したり、全力で襲い掛かったりとこれ以上ないくらいの憎悪を向け、その背景には金田への劣等感があることが作中でもはっきり示唆されています。今回の記事ネタを考えた際に即、「これは『鉄雄シンドローム』だな」と浮かんできました。

 この鉄雄の行動について、多分読者(映画版なら視聴者)はそれほど奇妙に感じなかったのではないかと思います。理由としては前述の通り、こうした光景は往々にしてありうるという前提があるからだと考えます。それだけに、庇うという行為は庇った相手に逆恨みされるという危険性は潜んでいると思え、敢えて言えば、嫌われる覚悟がなければ下手に庇わない方がいいのかもしれません。いじめを見て見ぬふりすることについても、自分が新たないじめのターゲットになるということはもとより、こうした逆恨み要因ももしかしたあるのかもしれません。

  おまけ
鉄雄「金田ぁ~~!」
金田「さんをつけろよデコ助野郎っ!」

 とくれば「AKIRA」に出てくる有名なシーンですが、自分もこのシーンは日本アニメ史上においても屈指の名シーンだと考えています。なお「デコ助野郎」というのはこの漫画のタイトルの由来元となった黒澤明監督の現場で若手を呼ぶ際の呼称だったそうです。

2018年7月17日火曜日

いじめられっ子は何故いじめっ子に変わるのか?

  毎度毎度書いていますが日本はいじめ自殺が起きるたびに「いじめは大変だ、よくない、なくさなきゃ」と言いつつ、いじめそのもののメカニズムや統計についてはあまり言及されずフェードアウトし、しばらくたってまた自殺が起きると話題にするというのを繰り返している現状があります。特に統計に関してはひどいもので、どの都道府県が多いのかとか、男女比、学年、クラス規模、偏差値等、一部は統計が取られているもののテレビやネットでの議論に活用されることはなく、今後もこうした無駄なサイクルが繰り返されると予想します。

 そのいじめのメカニズムですが、地味に無視できないというか検討する価値のある要素として、いじめられていた側がいじめる側に変わるという現象があります。この現象についてネットで検索すると出るわ出るわで、発言小町に至っては、真実かどうかは検証しかねますがかつていじめられっ子だった息子が他の子をいじめるようになりどうすればいいのかと、非常に真剣な相談が書かれてあってなかなか読ませられました。
 現実にというかこの現象、私も実際に何度も目の当たりにしており、また報道によると2015年の川崎市中1男子生徒殺害事件の主犯格だった少年もかつてはいじめられっ子だったものの、長じて自分より年下の子をいじめるようになったと言われています。このほかの未成年による目立った刑事事件でも、「元いじめられっ子」というキーワードをよく見ます。

 具体的な統計がない(多分調べようともしてないだろうし)ので発生割合は測りかねますが、必ずしもいじめられた子がいじめっ子に変わるというわけでないものの、少なくともこうした逆転現象が世の中で起きていることはほぼ確実だと私は体感的に考えています。たとえは変ですがマルクス主義者が市場原理主義者に、ビアンカ派がフローラ派に変わってしまうのはそうそうないと思うのに、いじめを軸にしたこの逆転現象は何故かよく起こるのはやはり不思議でしょう。
 っていうか自分で書いててたとえが意味わかんない。

 何故こうした逆転現象が起きるかについてネットで見たあるブログでは、「いじめられていた子はいじめる子に憧れを持つ、いじめる側の立場になることを望むようになる」というような分析をしていました。私は以前にこのブログで、「虐待されていた子は虐待する親を憎みながらも、長じて虐待する親になりやすい」という絶対的な統計結果を紹介した上で、先ほどの分析のように「憎みながらも暴力を行使する親に憧れを持つようになる」という心理傾向があるという研究の話を書きましたが、メカニズムではやはりこれと共通すると思え、先の分析を支持します。
 やはり暴力というのは晒されるのはただただ苦痛なものの、受けた人間からすればその威力もわかるわけで、行使したくなるのかもしれません。もちろんまともな子は自分が受けた苦痛を他人には与えないように心がけるでしょうが、まともじゃない価値観の子だと「自分だって苦しんだんだから他の人間も苦しむべきだ」という方向に考えが行ってしまうのでしょう。

 ある意味でこうしたメカニズムがはっきり出るのは軍隊や部活動のしごきでしょう。「やられたんだからやり返してもいい」を金科玉条に、何故かしごきを行ってきた相手本人ではなく無関係の下級生に暴力を行うという負の連鎖が起きるわけで、やはりこの背景には上級生に対する憧れめいたものが見え隠れします。
 ようやく最近になって時代が私に追いついてきたのか、「ブラック部活動」という言葉とともにこうしたしごきや先輩や顧問からの理不尽な要求を社会が排除するようになってきています。防衛大でもこの前このような報道があっただけに、いい方向に変わっていると私自身は考えています。

 しかしこの、いじめられっ子がいじめっ子に変わるメカニズムについて、やはりもっと深く突っ込んで対策などを議論してほしいのが本音です。昔のドラマの「人間失格」なんかまさにこの逆転現象を描いていて今思うとあの時に議論するべきだったなとも思えてきますが、この現象に対して対策を打つことでそれなりないじめ対策になるのではと密かに思います。

 と、以上を踏まえて敢えて私がこの議論で踏み込むとすると、地味に前から不思議だと思うのがこうした逆転現象で、何故かいじめから庇ってくれた人を元いじめられっ子がいじめるようになるという現象が少なからず起きているという点です。先ほどの「人間失格」で堂本剛氏が演じたキャラの役割がまさにこの庇った側でしたが、ちょっとこの点についてなんとなくそれらしいメカニズムが見えてきたので、次回にて詳しく説明します。

2018年7月15日日曜日

そして誰もいなくなった……

 先日、どうしてもまたやりたくなったので「信長の野望 天翔記」というゲームをネットで購入してこのところ遊んでいました。プレイ大名は北条家で、今まで使ったことなかったけど史実通りに内政に特化した人材が非常に多いなと感じました。

 難易度は中級だったこともありサクサク天下統一できたのですが、当初から北条家と同盟関係にある蘆名家がなかなか同盟を切ってくれず、最終的に他の大名全部皆殺しにしたのに蘆名家だけはそのまま居残ってしまいました。
 このゲーム、こちらから同盟を切ると家臣の忠誠度とか下がってしまうなどデメリットが非常に大きい仕様になっています。もっとも最終盤だから裏切られても痛くもないのですが、同盟を破棄して攻め込むという過程も面倒くさいなと思って、蘆名家の武将を全員暗殺することにしました

 何せこっちには暗殺の名手の風魔小太郎をはじめとした面々が揃っており、蘆名家に所属する武将を片っ端から暗殺して減らしていきました。大体15人くらいいたような気がしますが、ただ蘆名家に所属しているという理由だけで続々と暗殺されていく様は悲劇のようにも思いましたが気にせず、最後に残った蘆名家の当主を暗殺してミッションコンプリートしました。その後、誰もいなくなった城に配下を送り込んで、北条家の天下統一が成就しました。

 この最後の暗殺過程は蘆名家からすれば、あの世界的ミステリー傑作作品である「そして誰もいなくなった」の再現VTR撮っているようなものでしょう。でもって北条家からしたら、一兵たりとも兵を失わずに天下統一できたんだし、非常にスマートなやり方だったのかもしれません。
 っていうか天翔記の暗殺は異常に強すぎます。忍者一人いるかいないかでかなり難易度変わるレベルです。

西から昇った……

 昨日かなり無駄なことで時間潰したので今日は有意義に時間を使おうと朝9時からサイクリングに出かけました。コースは割とよく使っている南進ルートで、川にぶつかるまでをめどに走ってみたのですが、普段とは少し違ったコースで南進していると、途中で南へ行く道がなくなり東西のどちらか迫られました。
 スマホの地図で確認したところ東へ行った方が南へ行く道に出やすいことが分かり東へ行き、しばらく走って出くわした十字路を今度は右に曲がりました。ところが行けども行けども川にぶつからず、時間も11時を回っていたので反転して北へと向かい、帰宅することとしました。

 反転して20~30分程度進んだところ、何やら「西渡」と書かれた方向表示が目にはいてきました。「~渡」とは基本的にフェリー乗り場のことで、なんやこっち側にもフェリー乗り場あるのかとか思ってそのまま走り続けたら、川に出くわしました
 なんや道間違えたのかなと思ってスマホの地図を確認したところ、なんかよくわかんないところに自分が立っていて、現在自分が向く方向が南になっていました。一瞬、スマホがバグったのかと疑ってみたものの、慌てて太陽の位置と自分の影を確認したところ、確かに南を向いていました。帰宅しようと北へと向かっていたつもりが、真逆の南に向かって走っていたというわけです。この時、「俺はバカボンかよ……」と、例の歌詞が頭に浮かんでいました。

 なんだろう、一種の神隠しなのかしばらく頭がぐるぐる回りましたが、昼日中で最も暑い時間も迫っており、っていうか体力的にも結構限界を迎えつつあったので、とりあえずスマホに従って再反転して今度こそ北の帰宅ルートへと方向を向けました。動揺しつつ改めて今回の行程を思い返していましたが、恐らくですが最初の東西どちらかの道を迫られた時、自分は東へ向かったつもりだったのが本当は西に向かっていたのではないかと思われます。実際、当初のルートより大分西にずれていたし。
 出発当初でこそ2時間程度軽く流してくるつもりでしたが、この妙なロスによって大幅に時間が食い、最終的に自宅近くの飯屋に着いたのはちょうど午後1時くらいでした。途中2回各5分のコンビニ休憩を除き、ほぼ4時間ずっと走りっぱなしでした。

 水分補給は意識して行ったおかげか走行中は特に激しい頭痛に見舞われることはなかったものの、昼食を終えて2時ごろに帰宅してからやはり頭痛が起こり、そのまま6時半くらいまでずっと寝込んで今に至ります。夕方起きて晩御飯食べに出かけましたが、普段は自転車に乗っていくところを今日はもう自転車乗りたくなかったので歩いていきました。

 最終的に頭痛こそ起こしたものの、走行中は比較的体力的にも安定しており、気温30度強のこの環境で4時間フル走行と考えれば以前と比べて体力は持ち直してきていると思います。つっても、6時くらいまで心臓の鼓動早かったですが(今は落ち着いてます)。
 もっとも方向を間違えた点については、あの時点で熱中症を起こしてて訳が分からなくなってたせいかもしれません。前に健康診断で問診してくれた管理栄養士の方に、「そんな無茶な自転車の乗り方してたら体壊す」と言われましたが、内心、どれだけ自転車で走るかよりもどれだけ自分を追い詰めて壊すかの方に意識が行くところがあり、水分補給の必要性を感じつつも、「ここを我慢して敢えて無補給で走り切ってこそなんぼだろ!」と思って、後で後悔することが多いです。まぁ今日はちゃんと水分取ったけど。

 ただまじめな話、スポーツというのは基本的にマゾヒズムと密接な関係があり、如何に自分を苦しめるかという意識要素は非常に大きいのは事実だと思います。現に登山愛好家の心理はほぼ自殺志願者と変わらないともいわれており、こうした意識のないスポーツというのはむしろそっちの方がおかしいと私は考えています。まぁ無駄に体壊す必要はないですが。

2018年7月14日土曜日

不緊密な避難警報の発令と情報分析

 今日の出来事のせいで時間の感覚がおかしくずっとイライラしっぱなしなので本日二本目。っていうか疲労感じないのに目が見えなくなっているのが怖い。原因は「信長の野望 天翔記」のやりすぎってことは確実ですが。

 このほど西日本で発生した豪雨による被害については既に各所で報じられており、亡くなられた方を含め被災者の方々については痛ましい限りで、私も陰ながら幸福を祈っています。上海市も先週は雨が続き時間帯によってはゲリラ豪雨となるなど終始不安定な天気が続いていましたが、日本ほどまとまった雨ではなかったことから洪水などは発生していませんでした。
 今回の日本の豪雨について中国メディアも取り上げているのですが、その中で一つ気になる報道がありました。内容は日本の識者のインタビュー記事なのですが、大まかな内容は以下の通りです。

「気象災害の情報収集、分析を行っているのは東京の気象庁なのに対し、日本の各地域の警報発令は自治体が行うため、情報の流れや対応実施の点で統一がなされていない点に問題がある」

 ウラを取っているわけではないものの、今回の災害の報道を見ていてなんとなく書かれている通りなのではと思う節がいくつかありました。具体的には気象庁が異常な降雨量の予測を出していながら実際に自治体が警報を出すまでタイムラグがあったり、堤防が決壊してから警報が出たりなどといった報道なのですが、言われてみると東京の気象庁はともかく、各自治体は何をもって警報発令の判断基準としているのか、自前で天候予測や分析を行っているのかの点で疑問を覚えました。

 先に書いておくと私は今回の災害で警報発令が遅れた自治体を責める気は毛頭ありません。というのも実際に警報をどの段階で出すのかという判断は非常に難しい上、激しい豪雨の中で堤防をずっと見張るというのもマンパワー的にも安全的にも難しく、そうした状況を考えると、警報や対応の遅れは非難されても仕方はないと思うものの、私個人としては一概に責め切れない面もあるのではないかと考えています。
 ならどうすれば今後は改善できるかという話になるのですが、その点でさっきのコメントが引っかかりました。こうした気象災害について、各自治体がどれだけ災害情報の収集や分析が行えるのか、行うマンパワーがあるのか。現実には気象予報士を各自治体が隅から隅まで抱えているとは思えず、またいたとしても使っているかどうかも微妙ですが、それならば東京の気象庁の分析情報をどのように各自治体と共有するかということを考える必要があるのではないかと思います。

 もっともそれ以上に手早い対策としては、気象災害の警報発令権を自治体だけでなくこの際気象庁に持たせるというのもありじゃないかと思います。豪雨や大雪など激しい気象災害が予想される場合は自治体を飛び越して、気象庁自らが各地方へ警報を発令し、自治体自体も警報発令権限を持つものの、気象庁が先に警報を発令したその周知徹底に努めるというような、こうした体制なら機敏な対応もできるのではないかと勝手に考えています。
 実際にはすでにそうした権限とか情報伝達ができているのかもしれませんが、警報をどう運用するのかについてやはりもっとこういう議論や報道が欲しいところです。中国メディアの報道は日系メディアの引用かもしれませんが、なら何故自分の目に入らなかったのか、やはり議論が盛り上がっていないせいだと思え、そうしたことも考え蛇足と思いつつこのブログでも取り上げました。