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2018年8月11日土曜日

信長の野望風プロフィール

 昨日の記事について当事者である友人から、「信長の野望は?」と言われたので掲載します。

花園祐(198X~???)
代々メディア業に携わる家に生まれ、長じてメディア業界を目指すも果たせず、各地を転戦する。流れ着いた上海市にて仕官し、日々業務の傍ら社会批評を行った。せんべいを好む。

 知ってる人には早いですが、これは信長の野望というゲームの中にある武将紹介文のパロディです。学生時代にこの手の歴史シミュレーションゲームで友人の名前使った武将作るたびにこういうの作ってて、割と得意です。例えば岐阜県出身のある友人なんか、

???
美濃出身の国人。甲子園の強い県を優遇する差別政策をとり、冷蔵庫が買えなかった。アムロを尊敬している。

 この友人は実際のこの紹介の通り、無駄に優秀で甲子園の都道府県別勝率とかも暗記しており、でもって初対面の相手の出身地の勝率が高ければやたらテンションを挙げ、低ければなんか露骨に冷たい態度取る奴でした。あと学生時代に冷蔵庫を持たず、ガンダムはファーストしか認めない原理主義者です。

 こうした信長の野望風紹介文を書くコツとしては、末尾にワンポイント知識みたいなのを入れるのと、やはり五・七・五調の中膨れ三段で書くのがいいでしょう。地味に日本語の形としては理想的な形なので、文章の練習とかでこうしたパロディやるのはありかもしれません。

 なお最後に私の経歴についてですが、書いてある通りに代々のメディア一家ですが、どっちかっていうと営業畑であり、実際に記事書いたりしたのは突然変異の私だけで、メディアの家系であってもライターの家系ではありません。自分の場合は本当に腕一本でここまでのし上がったところがあり、我ながら幸運に恵まれたという気はします。

2018年8月10日金曜日

おれはももんじゃ

 従来バージョンを切るということからスカイプを新バージョンに更新しましたが、通知音がダサくなったり、UI画面が悪くなったりとファッキンな改悪になりすこぶる不満です。ただ唯一良くなったという点として、その場の状況や近況を書くプロフィールの一言欄が前より編集しやすくなり、その時の気分に応じてこのところ、

どすこい

Wasshoi

マヌーサ

さまようよろい

ももんじゃ

 という風に頻繁に変えています。そしたらこれを見た友人が、

「折角だからJBpressのプロフィール欄も変えたら?(;・∀・)」
「えっ、JBpressのプロフィール欄を『ももんじゃ』に?(;゚Д゚)」

花園祐(JBpress)

 上のリンクが件の私のプロフィール欄ですが、現在の表示はこうなっています。

花園 祐
(はなぞの・ゆう)中国・上海在住のブロガー。かつては通信社の記者。好きな食べ物はせんべい、カレー、サンドイッチ。

 なお当初私が出したテキストは、「上海在住のブロガー。好きな食べ物はせんべい」だけで、「これじゃ短すぎる」と言われたので「カレー、サンドイッチ」を付け足しました。「かつては通信社の記者」は編集の方で追加してくれたテキストです。
 他のコラムニストは立派な経歴とかみんな書いているのに、何故か自分だけ好きな食べ物アピールしかしておらず、自分で言うのもなんですがやばい奴にしか見えないプロフィールです。これを仮に友人のアドバイスに従うとしたら、

花園 祐
(はなぞの・ゆう)ももんじゃ。

 ぶっちゃけ悪くない気がします。
 なお友人曰く、なにもももんじゃに変えろっていうわけじゃなく、このところしょっちゅうスカイプのこの表示欄を弄っているから、変身願望でもあるんじゃないかと思ってテキストを変えてみたらと薦めたそうです。

「つまり、俺はももんじゃに今なりたいと考えているのか……( ゚Д゚)」

 と言ったらそれも違うと否定されましたが、私自身としては内心、そうなのかもしれないと深く納得しています。なれるものなら一回くらいはももんじゃになってみたいです。
 ちなみにそのひとつ前の「さまようよろい」については、自分の人生がリアルにさまようよろいっぽいので、今更改めてなるまでもないかなと思い、ももんじゃほどの変身欲求は感じません。

2018年8月8日水曜日

自分の理解者

 高校生くらいの頃、流れ星が見えたわけじゃないですが星空に向かって、「理解者が欲しい」とリアルで祈ったことがあります。それくらい当時、自分は自分の理解者を強く求めていました。

 現在振り返ってみても、やはり当時の自分の周りには親兄弟を含め理解者は誰もいないと言ってもいい状態でした。中学、高校時代に私の周りにいた人は私の言動を見て「おかしな奴」というくらいの評価しかせず、実際に後年になって「変な人としか思わなかった。当時からそれだけ勉強していたとは知らなかった」と言われたこともありました。
 親兄弟もほぼそんな状態で、中でも今でも忘れないのが学生時代にうちのおふくろが、「(姉が)早くあんたも公務員目指せばいいのにって言ってたよ」と言ってきたことです。この言葉の背景にはおふくろ自身もそう思っているという意味が込められていますが、このブログを見ていればわかる通り、自分以上に反権力志向を持った人間なんてほぼいないくらいなテロリスト気質な自分に向かって言うセリフではなく、実際に当時から(今でも)公務員のことは「公僕」と呼んでいます。そんな自分に公務員を目指せなんて言うこと自体おかしく、作っているわけではなく、上記のセリフを言われた時は唖然として言葉が出ず、「ああ俺のことを何も理解してくれていないんだな」とはっきり悟りました。

 ただ、大学に入ってからは理解者に恵まれました。具体的には友人たちですが、ある日うそぶいて「世が世なら自分はとっくにどこかの知事をやってるだろう」と言ったら、「急拡大するか破滅するかのどっちかやな」とすぐにツッコミを入れてくれました。
 少し解説をすると、自分はそうでもないと思うのですがどうも周りからはおとなしそうな外見しているようで、親兄弟に限らず「如何にも公務員になりそうな顔やな」とか結構あちこちから言われてました。しかし実際の性格はむしろ真逆で、特にハイリスク・ハイリターンを好む山っ気が強いことが特徴であり、この点がよく真逆に現在進行形で誤解され続けています。上記のセリフを言った友人はまさにこの点を理解してくれていたからこそ「急拡大か破滅か」と評し、また進路についても、「君は絶対に公務員にはなってはならない。雇う側にも、君にとっても不幸な結果にしかならない」とまで言ってきました。

 この友人とはまた別の友人ですが、そちらも私のことをよく理解してくれていました。特に今でも忘れられないのが、「君の言うことや考えは正しいが世間はそれを理解しない。能力は高いのだからほんの少し君が妥協するだけで楽になるのだし、もっと抑えた方がいい」と、念仏の如く一時期言われ続けました。またそのほか、「僕自身は君のことを理解しているつもりだ。僕という理解者がいるだけではまだ満足できないのか?」と、20代後半で突っ張ってた時期にこうやって言葉をかけてくれました。
 正直に言って、この友人らは自分の親兄弟よりも自分のことをよく理解してくれていたと思います。同時に、最初に星空に願った自分の祈りは無事成就したのだと思え、上の友人のセリフを受けてからは、これ以上の理解者を求めるのは確かに贅沢だと思え、誤解する人に無理して理解してもらう必要はないという割り切りを持つに至りました。多分昔のままなら、自分の記事に就くヤフコメに対して一つ一つコメントを返して反論していたでしょう。

 なによりこの二人の友人はともに、「もっと自分の幸せを考えろ」と、自分に対してよく言ってきていました。この辺、当初私自身もピンとこなかったのですが、やはり今この段階で考えてみても自分のホスピタリティは異常者レベルと言っていいほど高く、どこか自分を投げ捨ててまで周囲に捧げようとするところがあります。
 その精神自体は崇高ではあるがやはり危険だと何度も友人から警告を受けながら現在に至っても直っていないのですが、大学在学中というかなり早い段階でこの点に気付いて私に警告してきたという点は最も早期に自分を理解してくれていたという証左でもあると考えています。だったら言われた通りにすりゃいいんですが。

  おまけ
 友人と共通の後輩の進路についてある日友人と話していたところ、友人がおもむろに、「彼は君に似て、生き方が不器用だからね」と口にしたことがありました。これ聞いた時最初、「こいつ、俺のことそんな風に思ってやがったのか……(゚Д゚;)」と思いましたが、すぐ「けど反論できない」ということに気が付き特に言い返したりしませんでしたが、ちょっとその夜は寂しさを感じました。

2018年8月7日火曜日

セールがやばい(;´・ω・)

 最近、中継ぎだった頃の藤川球児投手みたいに働き過ぎじゃんじゃないかと思います。普通に平日の仕事が忙しく先週はほぼずっと残業して土曜も出勤し、日曜は日曜で一日中グラフを書いて、昨日と今日は帰宅後に黙々と記事書いていました。その甲斐あってさっき出来上がった統計ものの記事は内容的にはかなり恐ろしいものに仕上がっています。

 仕事自体はやりがいもあるしストレスではないのですが、やはりこうやってバリバリ仕事しているとなんだか無性にお金使いたくなってきます。しかもJBpressの仕事は原稿一本ごとに原稿料が得られる(源泉徴収されるが)仕組みなので、記事を一つ書きあげたら「どうせお小遣いはいるんだし……」と思って、無駄にネットでゲームとか電子書籍を大してほしくもないのに買ってしまいます。
 とはいえ、最近はパワプロ2016で何故かオリックスの金子投手とマブダチになる(マイライフモード)など、娯楽がないわけじゃないから無駄遣いせずともと抑止力が働いていたのですが、何故かここにきて、やたらオンラインショップで安売り攻勢がかけられて欲望を刺激されています。

 プレイステーションネットワークでは夏休みということからVita用のゲームでセールが行われている真っ最中です。みると「閃乱カグラ」ってゲームが数百円で買えるので、今まで全く興味なかったけど、声優の原由実氏も出てるしこのままいくと来週あたり買ってそうです。
 またKindleから切り替えたDMMの電子書籍も、今月は半額分のポイントがつく、実質的に半額セールが展開されており、既にこのビッグウェーブに乗っかって「神々の山嶺」の漫画版を一気にそろえてしまいました。谷口ジローの漫画は「坊ちゃんの時代」や「孤独のグルメ」を過去に買っていたものの、こちらの「神々の山嶺」も非常に面白かったです。

 今バーッと見てますけど、前からちょこっと買っていた「へうげもの」を全巻揃えてしまいそうで怖いです。って、今みたら「サタノファニ」の6巻が昨日発売したのでさっそく購入することにします。
 なんかこう言うの書いているとさも上海で遊び歩いているように見えますが、ちゃんと普段は真面目に仕事していますし、こうやってブログもきちんと書いています。というよりも今ふと気が付きましたが、このところ毎日10時間以上はキーボード叩き続けています。前世はキーボードの妖精だったのかもしれません。いやでも昔から10時間以上は常に叩いているか。

2018年8月5日日曜日

統計に関する考え


 今日自宅で仕事(頼まれてもいない自動車統計記事執筆)しながら上のアイドルマスターの「待ち受けプリンス」聞いていたら、テンション上がり過ぎたのか猛烈な頭痛きてダウンしました。なおこの曲聞いて声優の原由実氏(四条貴音役)が好きになりました。

 話は本題に入って統計についてですが、ライターとしてみた場合、私はかなり統計データの処理に長けたライターに入ると思います。自分でも意識的に統計関連記事を書いていますが、やはりこれまでの同僚の中にはデータの収集や編集が苦手なことからあからさまにこうした記事を避ける傾向があり、どちらかと言えば経済記事でもインタビューを重視する記者の方が多かったです。
 私が何故統計に強くなったのかと言えば、一つはExcelの処理に長けていたことからそれほど苦手意識を持たなかったことと、学部生時代にこうした統計処理について専門ソフトを使った講義を受けるなどして訓練(と言っても初歩的)を受けていたからだと考えています。

 なお一部で、「統計学こそ最強の学問」と主張する人がいますが、統計学は手段であって学問としての目的や思想が全くないことからむしろ低い部類だと私は考えています。従って、最強はやはり社会学……とか言いたいですが、内心すげぇなと思うのはやっぱ天文学です。

 話は戻りますが中国だと統計をベースにした記事が非常に多く出るため、最近世界統計データを得ようとする場合は日本語よりも中国語で検索することが多いです。例えば新エネ車の世界販売台数なんて日本語じゃ全くヒットしませんが、中国語だったらすぐに整理されたデータを手に入れウェヒヒヒできます。これが何を意味するかというと、どうも統計方面の人材や考え方でもこのところ、中国に日本は抜かれつつあるのではないかとまたいつものジャパンバッシングになりそうなのでこの辺でやめておきます。

 ただ経済記事に限れば、先ほどにも述べた理由からか明らかに日系メディアは弱いと思うところがあります。だから私みたいなのが適当な統計出すだけで成立する記事を出せるのでありがたいっちゃありがたいのですが、この辺の教育とか最近はどうなってんのかなと思うところもあります。私に関しては一応統計処理について簡単に大学で学びましたが、その後の実際のExcel処理から分析、収集などはほぼ我流で磨けたものの、きちんとそういうのを教えられる人材が自分意外にいるのかとか気になります。特にメディアの中で。
 先ほどにも書いた通り、どうも日系経済メディアの記者たちは重要人物らへのインタビューを重視するような傾向があり、データ方面への意識が低いです。財務諸表すらきちんと読み取れない人も珍しくなく、メディア講座とかで教育機関がこの辺教えてあげるべきとも考えています。なお財務諸表の読み取りに関しては、自分はライターとしてはトップクラスです。

 もっとも、こう言いながらもこれまた先に述べた通り統計というのは手段であり、その統計からどんな結論や知見を見出せるかが一番重要なので、ただ統計処理ができる、グラフを作れる程度ではなんも意味がなく無価値もいいところです。分析が如何にできるかが重要で、地味に全く意味のないデータを無価値だと見抜く力なんか誰も言いませんが実は最も重要だと思います。真面目にそういう意味ないデータって少なくないし。
 繰り返しますが統計はあくまで手段であり目的でも思想でもありません。使いようによっては大きな武器になるのでできるに越したことはありませんが、「統計こそ最強」みたいに過大に強く見せようとする考えや動きには賛同できず、分をわきまえるべきでしょう。その上でこの統計の活用法なり処理方法、特に一般の方についてはその「読み取り方」についてもっと啓もうしてく必要があるのではというのが私の見方です。

炎天下のワーカー向けボランティア支援


 今日友人と上海市内を歩いていたところ、ショッピングモールなどの入口にコンビニなどでアイスを入れるような箱型の冷蔵庫があちこちに置かれてあるのを見かけました。中にはスポーツドリンクなどの飲料水が入っているのですがなんとこれ、友人によるとこれはボランティア団体が置いたもので、野外で警備、清掃、交通整理などを行う人たち(警官を含む)向けに無料で冷えた飲料水を提供しているとのことでした。

 冷蔵庫内の飲料水は上に挙げたワーカーであれば遠慮することなく無料で持って行けるそうです。また中の飲料水はボランティア団体が入れるほか、一般人も自分が購入したものをワーカーへの差し入れとして入れることが可能らしいです。
 この取り組みについて友人は、「多分、上海以外なら中の飲料水はすぐ持ち逃げされるし、下手すりゃ冷蔵庫ごと盗まれるけど、上海だったらさすがにそういうことは起こらない」と踏まえた上で、変わった取り組みだが世間、特に暑い中で作業する人たち向けの施策としてはいい内容なんじゃないかと話してました。私自身も同感で、ちょいちょい電気代とか気になってしまいますが、実際に炎天下で作業する人への支援としては面白いと思います。

 この会話の後に代わりとばかりに私が友人に話したのは、このところ日本で取り上げられる消防車や救急車へのクレームです。知ってる人には早いですが、このところ消防や救急隊員がコンビニなどに立ち寄ったところ、「業務中にサボっている」などと市役所などへクレームをつける輩が実際にいるそうです。
 こうした声に対して消防署などは、炎天下であり尚且つ食事をとる暇もないほど忙しいこともあるので、健康上の必要性からも上記車両で一般店舗に寄ることもあるが大目に見てほしいとわざわざ声明を出すことにもなったのですが、そもそも言いがかりとしか言いようのないクレームが出てくること自体おかしいことこの上ありません。むしろはっきり言えば、何故こんな気違いがえらそうに口聞いて、社会のために奮起している各隊員にケチ付けやがるんだとすら思います。しかもこう言うクレームをつける奴というのは、一人じゃなく全国で複数確認されているというのだから、一体いま日本で何が起きているのかとすら内心思えてもきます。


 上記サイトは友人が昨日教えてくれたサイトですが、なんとなくこういうのいるなぁというか、わざわざ気にしなくてもいいような粗を探して揚げ足をとろうっていう人間がこのところ日本で増えてきていると思います。それは匿名性の強いネットが発達したからだと言い切ることもできますが、なんとなく上記のクレームの件を見ていると、本当に原因はそれだけなのかと少し疑問に思え、言い換えれば、何か日本の社会で今変なことが起きているのではと疑っています。はっきり言えば、淘汰がないのではと見ています。

 もちろん中国にも気違いみたいな連中はいくらでもいますし真面目にこの未開部族どもめと田舎出身と思しき素行の悪い連中見て心の中で悪態つくこともないわけじゃないですが、なんとなく社会の世論や意見などを見ていて、このところの日本でびっくりするような声が耳に入ることが増えています。例の日大関係者やアマチュアボクシング関係者など、何故こうした人間がこれまで淘汰されてこなかったのか、何故変なことを言う人間がもうそんなことをわざわざ口に出そうと思わない蔵過去に痛い目に遭ってないのか、謎は深まるばかりです。

2018年8月1日水曜日

ジョーカー切り

 先日、購読している「かぐや様は告らせたい」という漫画の10巻が発売されてさっそく買って読んだところ、この巻から四条真紀というキャラクターが登場してきました。このキャラはそれまでも、セリフこそないものの背景にいるモブキャラとしてはずっと出てきており、いつか本編にも出てくるだろうと言われていたところ今回満を持して出てきたわけですが、やはり長らく温存されていただけあって非常に面白いキャラでした。このキャラが出てきたのを見て私は、「ああ、この作者はとうとうジョーカー(切り札)を切ったんだな」と思うと同時に、「俺もそろそろ切るか」と考えました。

かつて真夏の上海で日本軍と中国軍が突入した市街戦(JBpress)

 こうして出来上がったのが上の記事です。決して冗談ではなく「かぐや様」読んだから上の記事を出そうと決めました。

 内容はこのブログでも以前に取り上げた、第二次上海事変の解説です。何故この記事が私にとって切り札だったのかというと、

・前にブログで書いたから初めから知識があり、執筆準備が不要
・上海市内にいる日本人だったら確実に興味を持つ内容
・日本国内で取り上げられることが少なく知っている人が少ない

 上記の理由から、いつでも書けてそこそこ内容があるためネタ切れで苦しい時用に取っておきました。どうでもいいですがさっきから文字変換がおかしく、「こうして」と入れたら「孔子て」、「よんだ」といれたら「四だ」とか表示されてマジむかつきます。
 それで今回かぐや様に触発されて出したわけですが、今日のJBpressアクセスランキング上ではあんまり上の方に来ていません。っていうか、今日配信された記事多くね?

 そうした愚痴は置いといてこの記事について少し掘り下げると、そもそも何故この第二次上海事変が日本だとあまり取り上げられないのかという点について、敢えて記事内でははっきりとした言及を避けています。実際にJBpressの鶴岡編集長もこれまで知らなかったと話していたのですが、その返信として私はこう書きました。

「この第二次上海事変に続く南京攻略戦で南京大虐殺が発生しているため、意識的に第二次上海事変も話題に挙がるのを避けようとする傾向が強い」

 あまり取り上げられない理由は間違いなくこれだと私は考えています。そもそもその南京攻略戦ですが、上海防衛のために派遣した軍隊をそのまま大した準備なしに南京へ強行軍で進軍させており、そのため日本軍は食料にすら事欠く有様だったそうです。この辺りの過程を見ても、「命令違反であっても、功績を挙げればお咎めなし」という当時の軍部の気風が見て取れますが、そうした補給の追い付かない状況で兵や士官らが苛立っていたことも大虐殺の要因とする声もあります。
 とはいえ、私の友人のように地元上海人からすれば現地で市街戦を起こされたわけであり、片方の当事者である日本人が認知していないというのは確かに面白くないでしょう。極端な話、沖縄戦について米国人が「何も知らない」と言ってくるような感情じゃないかと思います。

 話は変わって毎度おなじみのヤフコメについてですが、内容が内容だけに予想していた通りあれこれ反発して私の人格批判も毎度ながらガンガンやられています。とはいえあまり胸に来るようなのは少なく、もっと面白いこと言ってほしいなと思う感情のが強いのですが、そうした記事内容への批判として、「中国軍」なのか「国民党軍」なのか、この表記について言及するコメントが多く来ています。
 実際に記事内には「中国軍」と「国民党軍」という二つの言葉が使われているのですが、これを見て、意図的か、意図的でないかをまず疑ったのかどうか、ここがポイントでしょう。無論言うまでもなく、これは意図的な記述で、次に何故この二つの言葉を混在させたのかという理由まで推察していたらパーフェクトだったでしょう。

 日本と戦った軍隊をどう呼ぶか、これを書くとき実はすごい悩みました。主に戦ったのは蒋介石率いる国民党の軍ですが、国民党の軍がすべて蒋介石傘下となるかとなると微妙で、また国民党以外の部隊も参加している可能性も高く、実際にドイツ軍関係者も蒋介石側についています。
 また歴史に詳しい人間ならともかく、そうでない読者からすると「国民党軍」が何を指すのかわからない恐れがあり、下手すれば中国の軍隊ですらないと考える可能性も懸念しました。そこで敢えて「国民党軍」という言葉を先に一回見せた上で、「中国軍」というレンジが広く連想しやすい言葉を使うことにしました。

 中には「この時代に中国は存在しない」等という輩もいましたが、既に蒋介石の北伐が済んでいたのと、そもそも「中華民国」自体はこれ以前に成立していたのと、国民党は孫文らの系譜を確実に引いていること、あと蒋介石ら国民党がこの前後の段階で中国の国権を代表して欧米各国と交渉しており、その後も中国を代表して日本軍と戦ったことを踏まえると、「中国軍」という表記も可能だろうという風に判断しました。
 またそうした時代背景以上に、現在の中国政府がこの第二次上海事変について「中国対日本の戦争の一つ」とはっきり捉えており、「国民党と日本の私闘」とみなしていない点も考慮しました。中国側はこの第二次上海事変を国と国との戦争と捉え、また日本側も当時において中国との戦争という風にはっきり認識しており、それが「中華民国」なのか「中華人民共和国」だろうがどちらも同じ「中国」、そして「China」と表記できることをもってしても、大きく事実関係から外れることはないという風に考え、敢えて二つの軍隊名を混在させたわけです。ここまで踏まえた上で自分を批判したのかどうか、要はそこだなと見ています。

 それと最初の話に戻りますが、やはりヤフコメを見ていると第二次上海事変の「前」に言及する人間が多く、やれ「通州事件について何故触れない」とかいう人がやたら多いですが、「後」に言及する人はやっぱりほとんどいません。理由は最初に述べた通りで、南京大虐殺の話に絡んでくるからでしょう。
 ただやっぱり目の肥えた読者もおり、やはりこの第二次上海事変で「終わりの見えない泥沼に入り込んだのは日本の失敗だった」という内容を述べる人が見受けられます。私自身も同感で、泥沼化の大きな一歩がこの第二次上海事変だと考えており、もしここで踏みとどまっていれば無用な戦争に巻き込まれずに済んだという見方をしているだけに、同じ意見が見られてほっとしました。

 このほか親類がまさにこの時の上海に従軍していたというコメントもあって、こうしたコメントが見られただけでもこの記事は出した甲斐があったでしょう。とはいえやはり近代戦争物を書くと感情論の言い合いが始まるのはあまり喜ばしくなく、この辺を今後どう封殺するか、何かいい手を考える必要もあるかもしれません。