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2019年4月30日火曜日

近況

 各ネタはいくらでもあるのですが平成最後の日ということも合ってあからさまに時期を外すのも何なので近況を書くことにします。

 日本はすでに10連休の真っ只中でしょうがこっちは明日からようやく四連休が始まります。ただ本来のお休みは5/1のメーデーだけで、残り3日の休みは1日は土曜、残り2日は前後の日曜を振替出勤とすることによって無理やり移動させたものであるため、前の日曜と次の日曜日は中国だと出勤日になっています。
 そんな連休前にもかかわらず先週から今週にかけては半端なく忙しい日々で、仕事中にSNSで何気ないメッセージを送ってきた友人に対し「静かにしろ」とだけ返信するくらいしんどかったです。今日ようやくめどが付いて少し楽になりましたが、連休明けも仕事が大量に来そうなので、今のうちにどれだけ休めるかがマジ勝負です。つってもこの四日間でまた中国自動車業界の記事書き上げないといけないんだけど。

 話は変わりますが、実は先週から部屋の浴室天井から水漏れが有り、結構難儀していました。今日になってようやく原因がはっきりしましたが、2階上の部屋につながっている水道管が犯人だったようで、すでに修理も施されました。漏れ出した際に1階上の部屋は調べていたのですがこのときは原因がわからず、昨日再び漏れ出したことをこれまでにも事態を報告していた大家に改めて伝えたところ、今日大家側でまた動いてもらった結果、解決へと至りました。
 恐らく日本国内の家屋で天井から水漏れでも起こったら結構大騒ぎすると思うのですが、中国だと水回りのトラブルは日常茶飯事で、私自身も慣れてしまっていることから全然慌てることなく、「一応大家の資産損失にもつながるから連絡しなきゃな」というくらいで対応していました。実際にトイレとか壊れても全く動じることがなく、どこかから異臭がしても多分3日位続かなければ気にしないでしょう。ここらへんは中国を経験しているか否かで神経の太さが変わってくるところで、日本の友人の住宅トラブル話とか聞いてもなんでその程度でと本気で思ったりします。

 そういう背景からあんまこのトラブルで申告に悩んだりすることはなかったのですが、発生タイミングから体力は取られました。というのも日本旅行から帰ってきた当日、しかも飛行機がディレイして深夜二時に帰宅したら浴室が漏水痕でベッタベタな状態で、それを拭き取ったり大家への報告用写真撮影とかして、翌日八時前にはまた出勤したりで、非常に疲れました。
 先週土曜こそ昼間に四時間くらい死んだように昼寝するなどして体力確保に努めましたが、それでも完全復調には至らず、月曜当たりは視界も悪く作業にも集中できませんでした。おまけにまた上海では雨が多くなってきてダニも出始めるし、漏水より虫のほうが悩まされます。

 とはいえ明日からはまた休日だし、DMMの電子書籍も半額還元セールやってるのでゆっくり過ごそうと思います。

 あ、書き忘れたけど今日スーツのズボンの右内腿外側部分がほつれてた、というより縫製部分が破れてたのに気が付きました。ちょっと前にも同じズボンの右内腿内側部分が同じように縫製部分が破れてたのですが、念の為に書いておくと体重は一切増えておらず、むしろ減少気味です。だけど自転車のせいか太もも部分が明らかにかつてより太くなっており、流行りに乗ってタイトなスーツ買ったもんだから、最近着ていてキツイとはっきり感じるようになりました。
 太もも部分だけでなく上半身もジャケットがきつく、昔安売りされていたゆったり気味のスーツを着るとなんかホッとするようになってきています。なお私がスーツを購入する際は、「ウエストが一番細いやつで(;゚∀゚)=3」と店員に言って、出されたのを試着すれば大体フィットするくらい異常なくらいウエストが細いです。

2019年4月29日月曜日

メーカーはどちら様?

中国の麺マニアが激推しする日本の即席麺は何か(JBpress)

 今日配信された記事ですが書いたのは先々週。というのも先週は日本に旅行していたため締切的に早めに書く必要があったためですが、仕事が忙しく、神経もやられており、なおかつその一週間前にも記事かきあげてたので、今回の記事を書いている最中はゲロ吐きそうなくらい辛かったです。まぁリサーチ込で脱稿まで半日とめっちゃ短時間で書き上げましたが。

 記事内容について解説すると当初は「中国人の即席麺離れ」と見出しをつけて、中国即席麺市場の動向を中心に据えようとしていたのですが、編集部からはおまけでつけた中国人の日本で食べるべき即席麺リストの方を見出しにもってきたほうがいいとの提案を受け、こっちの見出しになりました。結果から言えばこの試みは大成功だったと思え、アクセスランキングも現在2位に入っています。1位は昨日配信の「「旭日旗を拒否せぬ中国」に韓国メディアが大慌て」という記事で、このネタに叶うはずはないということを踏まえると十分アクセスを稼いでいるのではと思います。

 ただ今回の記事で知りましたが、ヤフコメを見ると「リストがない」、「見出し詐欺だ!」などとコメントを書き残している人間がやたら多いことに驚きました。ちゃんと読めば、っていうか一般常識的にYahoo配信記事上では画像やグラフが全部表示されないということは私の記事読んでもわかるというのに、どうしてわざわざそこまでちゃんと文章を読んでいないことを書き残していくのかがやや不思議です。黙ってりゃいいのにさ。

 ただこれだけ書き残す人が多いということは、私としては一般常識レベルだと思ってはいたものの、世間ではそうではなかったのだということに初めて気が付きました。個人的にはこれは自分にとっては前向きな材料というか、普段からグラフを大量に投入する記事を書いているだけに、Yahooで記事読んでいる人たちはこうしたグラフを一切見ていない、気づいていない可能性が高いという事実は意外と悪いものでは有りまえん。
 私個人の考え方として、経済記事というのは文章自体が蛇足で、知見を得るに足るグラフさえ出せばそれで十分だと考えています。それだけに経済記事のグラフは結構力入れて作っていますが、それが通常読まれていないということを考えると、今後Yahooでは見れないことがより周知されればもっとアクセスを高められる可能性があるとも考えられます。まぁ、そこまでしてアクセス稼ぐ必要はありませんが。

 で、ここで話は変わりますが、今回の記事はリサーチですぐアナリストの分析や動向、データ資料を集められ執筆事態も楽なものでした、一点だけ迷った箇所があります。その箇所というのも最後の日本で食べるべき即席麺リストで、この中にある「黒ごまたくさん担々麺」のメーカー名をどうするかでパソコンとしばらくにらみ合いました。
 というのもこの商品はセブンプレミアムのPB商品で、セブン&アイがメーカーポジションで売り出されている製品だったからです。ただメーカーポジションとはいえ実際にセブン&アイが製造しているわけではなく、生産機能に関してはサンヨー食品が実際に果たしています。

 今回子のリストには商品名とともにメーカー名も一緒に加えて紹介していますが(元のリストにはメーカー名は書かれていなかった)、この黒ごまたくさん担々麺に関してはどっちの会社名をメーカーとして書くべきかで悩んだわけです。最終的にサンヨー食品と書いた判断理由は、「造り手として敬意を払うべきはどちらか?」という自問自答からですが、何ていうかやっぱり紛らわしいからOEMを含めてこの辺のメーカー名の区別は必要なんじゃないかと内心思います。
 法的にはおそらく、この黒ごまたくさん担々麺の製造責任はセブン&アイがメーカーとして負うようになっているでしょうが、仮に何か問題が起きたときに最終的に詰め腹を切らされるのは生産機能を果たすサンヨー食品でしょう。セブン&アイはこの際、通報窓口としての役割を果たすだけで、損失に関してはおそらく最終的には負わないということを考えると、やっぱりメーカーと名乗るのに違和感があります。

 それこそゲーム業界のように、開発会社(メーカー)と販売会社(パブリッシャー)というように、OEMでも分けて呼んだほうがいい気がします。この辺、若干専門も入りますが、ブランド名をつけるだけでも対価を伴う機能を果たすわけですから、それ相応の役割名をつけて、実際に製造業務を担う側とは区別するべきでしょう。

2019年4月28日日曜日

我が名とその思想

 先週の日本旅行時、大学受験時代に世話になった予備校を訪れたところ、もう何年も立っているにもかかわらず自分のことを覚えていてくれた講師がいました。
 もっともその講師曰く、自分のような生徒は非常に希少で目立つことから忘れようにも忘れられないそうです。私自身もその点は自覚していたというか、その予備校の日本史の授業においては、

講師「〇〇、これは何だ?」
〇〇「わかりません」
講師「なら次☓☓」
☓☓「わかりません」
講師「花園、答えてやれ」
花園「足高の制です」

 などと、毎回こんな感じで授業の進行役になっていました。

 その講師と久々に会った際、自分の近況を少し話した上で現在は花園祐と名乗って文筆活動をしていると伝えました。無論この名前はハンドルネームで本名とは違うのですが、私の本名より確実にこちらの花園祐のほうが通りがいいことを考えると、戸籍名は戸籍名であり、真に本名たるはこっちの花園祐ではないかともはや考えています。
 この花園祐という名前ですが、つづりに関しては「Hanazono Yuu」または「You」の両方で有りだと勝手に定義しています。というのあるガンダムのゲームで「ユウ・カジマ」という戦慄のブルーなパイロットが登場するのですが、彼の「ユウ」という名前は「You=プレイヤー」ということを暗示する名前として設定されたものであり、そうした意味合いからこのキャラは、プレイヤーの没入感を高めるためゲーム中で一言もしゃべらない寡黙な性格にされています。

 どうでもいいですが最近のガンダムのゲームでこのキャラが登場するブルー1号機は「腹パン」が強いということで有名だそうです。実際遊んだことないけどそのゲームは。

 話は戻りますが、実際発音の面で見ても「ユウ」と「ユー(You)」は日本語発音ではほぼ区別されず、同じ発音の仕方で十分に通用します。狙っていたわけではありませんが私のハンドルネームも「祐=ユウ」という同じ発音であり、上記のような背景もあることからたまに敢えて「祐=You=ヨウ」という読み方を自分ですることがあります。
 この「ヨウ」という音ですが、実はこっちの方には非常に強い思い入れがあります。というのも中学生から高校生時代にかけて使ったペンネームの名前部分には「葉」という字を入れており、その字から自分を一文字で表す号として「葉」一文字を当時使っていました。

 この「葉」の字の音はもちろん「ヨウ」なのですが、こうした経緯から割と昔から「ヨウ」という発音が好きで、このブログのタイトルを決める際もまず「ヨウ」という字を入れようと考え、「ヨウ→陽→陰陽思想の平衡思想感的に『陽月(=陰陽)』+『秘話』で『陽月秘話』」と相成りました。
 以上から見て分かる通り、「ヨウ」という発音に絡み旧ペンネーム、現ハンドルネーム、ブログタイトルでそれぞれ「葉」、「祐」、「陽」の三つの文字を使っております。これは何も今思いついたわけというものでなくかねてから意識しており、そうしたことから先程も書いたように「ヨウ」の発音には思い入れが強いわけです。

 ただ今日ふと考えたところ、「陽」の字を使ってはいるものの、もう片方の概念である「陰」を表す字は現在表立って使っていない事に気が付きました。そう考えると今現在の私は「陽」の側で活動していて、まだ「陰」の概念なり活動を掴めていないのか、今後老成していくことで掴めていけるようになるのだろうかと少し考える羽目となりました。
 その上で、もし今後仮に名前や号を変えるとしたら、やはり「陰」にちなむべき字を用いるべきだろうと思います。さしあたって浮かぶのは「祐」ならぬ「夕」で、いつかこっちに名前を変えるかもしれません。思い切って「宵」の字でもいいですが、下の名前は非線対称に限ると思うので、あまりこっちは今現在だと使い勝手よくないと思うので多分ないでしょう。

 以上をまとめると、私は自分に関わる物の名前において「ユウ・ヨウ」の発音を贔屓にし、且つ陰陽的なバランスを表す文字をつけたがるというわけです。世間はプラスイメージの「陽」にまつわる名前ばかりつけたがりますが、生あれば死あり、死道を見つめるによって生道はなお輝くというのが私と殺人鬼ジグソウの思想であることから、今後は意識的に「陰」にまつわる名前をつけてこうと思います。

2019年4月27日土曜日

不動産の保証人制度の弊害

 先日、同僚と日本の不動産事情について話をした際にやり玉に上がってきたのが、言わずとしれた保証人制度でした。同僚の家族らはほぼみんな海外に居住しており、勤務する会社がどれだけグローバル大企業であっても日本の不動産会社は保証人としての資格を認めず、日本に残った両親の賃貸住宅契約の際には保証会社と契約するよう求めてくるそうです。
 そもそも賃貸契約で保証人を立てること事態が私にとっては異常としか思えず、私自身もかつて契約した際に、「半年分を前もってまとめて払うからこんな無駄なことやめようよ」と不動産会社に離したところ、「法律でそういうことはできなくなっているんです」と言われ拒否されたが、無論そんな法律などなく、面倒だから嘘ついて拒否しただけだったのでしょう。あのアパマンめ。

 中国の場合、基本は1ヶ月分の敷金を支払った上で翌1ヶ月分、または2ヶ月分の家賃を前払いするというパターンが主です。私は後者で、2ヶ月毎に2ヶ月分の家賃を大家に支払っていますが、これだととりっぱぐれはあるはずもなく、仮に家賃を滞納した場合でも1ヶ月以内に交渉し、退去を迫れば敷金によって大家の権益は保証されます。
 そういう意味で、私がかつて提案したように半年、または1年分を前払いするという方式であれば保証人を立てる必要もなく、翌年のよくわからない更新料を伴う更新時に契約延長の医師を確かめれば損することは理論上起こりえず、無駄な中間業者を太らせることもありません。っていうか考え方次第によっては、家賃を前払いした賃貸人にこそ住宅保証をすべきで、保証金を大家に請求するのが筋ではないかと思います。

 これに限らず、日本の場合はよくわからない、保証にもなっていない保証に金を払うことが多く、リスクと対価が見合っていない取引が多く見られます。
 少し方向が違いますが、先日友人がある会社から取引を持ちかけられたところ個人事業主だと伝えたら、「商社を通すように」と言われ、向こうから持ちかけられてきた取引なのに拒否されたそうです。友人はカネを払うのではなく受け取る方だというのに何をもって商社を噛ませようとするのか私には理解できず、そこそこ大きな企業だったそうですが、ケツの小さい話でしょう。

 不動産に関してはいろいろと最近勉強しているので、また今度詳しくまとめてみようかなとも考えています。

  追伸
 日本旅行して帰宅したら天井から漏水があり、勤務しながらそれに対応していて今週は疲れたのか、昼間横たわったら4時間位死んだように昼寝してました。

2019年4月24日水曜日

隙間なき日本のマンション敷地

 今回日本に滞在していて改めて感じたこととして、マンション、特に築年数が浅い新築のものほど敷き詰めた設計をしているなと強く思いました。具体的にいうと敷地内目いっぱいに立体駐車場を含めた建物を建てており、空余地的な共有空間がほぼまったくないといったマンションです。はっきり言えばあまり住みたくはないと思うようなマンションです。
 空余地がないとどうなるかというと、まず第一に窓から眺めた景観が悪くなります。これは高層階ならまだカバー効くかもしれませんが、近くに同じような余裕のないマンションがあると低層階同様の結果となるでしょう。次に、こっちのほうが影響大きいかもしれませんが日当たりが確実に悪くなり、特に低層階は近くに同じようなマンションあると本当にごく短い時間しか日差しを期待できなくなるでしょう。

 なんとはなくですが、やはりデベロッパー側も余裕がないからこういうマンションをバンバン建てているのかなと推測しています。敷地目いっぱいに建物を置くことで1戸当たり部屋面積、戸数は稼げるというメリットはありますが、住心地という点では確実に低下するでしょう。ましてや、こういったマンションが最近バンバン立っていることから、どこもかしこも空余地のないマンションばかりが立ち並ぶ都市風景が広がりつつ有り、都市全体でみてもそれが見えづらく、あまり住んでて楽しくない世界が広がる気がします。この辺は中国とか香港いて普段から強く感じていますが。

 不思議なのは日本全体で人口が減っているにもかかわらず、こういった余裕のない設計をしたマンションが増えていることです。もう少しくらい満足度を高めるような設計をしてもいいのではと思うのですが、敷地を目一杯使うために建物の向きが道路などに合わせられず変に斜め向いたものとか見ると、時代に逆行しているような感じもします。
 やはり空余地があるかないかでは住環境は全然変わる上、街中でも敷き詰められた建物が並んでいるといくらか圧迫感を覚えます。

 すこし論点が変わりますが、近年はいわゆるタワマンことタワーマンションの売れ行きが伸びていますが、この背景としては相続税対策もあります。タワマン高層階は価格が下落しにくいことから、死ぬ間際の資産家が購入して、持ち家登録することで通常より割安な相続税で近親者に相続することができます。
 このためタワマンの活発な売れ行きは相続税対策という一面も持っているのですが、こうした事由、実際にはほとんど住まずに財テクとして用いられることが多いということも敷き詰められた設計での高層マンション続出に拍車をかけているのではとうがっています。

 なお上記のタワマン相続ですが、実行できるのは高所得の資産家に限られて且つそのメリットも非常に大きいことから高所得者優遇との見方もあり、規制すべきではないかという意見も聞かれます。私としては相続税に関してはどうでもいいですが、これほど敷き詰めた設計の高層マンションが増え続けると都市全体の住心地を低下させる恐れが高いと思うだけに、規制されるならされたほうがいいのではと考えています。

2019年4月23日火曜日

セブンイレブン

 昨日までまた日本に一時滞在していましたが、同僚の中国人に頼まれたお土産を予め友人にネットで買わせておいて、落ち合った際に私が代金を支払って品物を受け取る際、「おい、札束そんなバラっとテーブルに広げるな。運び屋にしか見えない」と友人に言われました。もっとも、もはや純然たる運び屋なのですが。

 話は本題ですが今回の滞在でももはや定宿となっているルートインに泊まったのですが、チェックインを済ませて鍵を受け取った際になにか違和感を覚えました。一体なんだろうと思ってもその場ではわからず、しばらく外を歩いていた際にハッと気が付きました。その後、ホテルに戻ったあとでフロントに、

「あのさ、この部屋番号はやっぱ、裏で『セブンイレブン』とか呼んでたりするの?」

 と、部屋番号711と書かれた鍵を見せながら尋ねましたが、「いや、そんなの初耳です」と笑いながら否定してくれました。
 何となく自分の中では、「セブンイレブンに1名様ご案内!」とか、「あいつ、何も知らずに鍵を受け取りやがった。セブンイレブンだとも知らずに……」などと言い合っているのを想像していましたが、他のホテルとかどうなんだろうか気になってます。

2019年4月20日土曜日

自我を削ぎ落とす教育

 先日知人と話をした際、日本の教育について話題が及びました。知人からは日本の、特に学校現場の教育は従順な子供を作ることが強調されているような気がすると、中国での学校と比較して述べたのですがそれに対し私は、「従順な子供を作るのは目的であってそれは正しいと思いますが、では手段は何だと思いますか?」と尋ねました。一思案したあとすぐ降参した知人への答え合わせとして私は、見出しに掲げた「自我を削ぎ落とす教育手法こそがその手段で、日本の教育の根源的な哲学は個々にあると思います」と話しました。

 自我を削ぎ落とすとはどういうことかというと、端的に言えば個性を認めずむしろ排除する、個人的欲求を認めず集団に従うことが最上であると教える、周囲の人間と同じ価値観を持つと信じ込ませるなどなどです。この中でも一番理解されやすいと思うのは、「集団に従うのがベスト」という点だと思え、日本の学校だと小中校のどこでも集団に溶け込むことこそが最大の美徳であることが強調されているのは事実以外の何物でもないでしょう。
 逆を言えば集団に溶け込めない、いじめによって排除されたり、身体的・出身的特徴で差別されたりすると途端に学校には居場所がなくなるわけで、真面目に全人格を否定されかねないような事態すら招きます。何故こうなるのかと言うと、私自身はやはり集団の価値観が強すぎることと、集団への服従強制が異常過ぎることが大きな要因ではないかと考えています。

 もちろん人間が社会で生活していくためには集団性を持たなければならず、集団生活やその価値観を教える必要性までは否定しません。ただ日本の場合は、それでもやはり集団の価値観が強すぎるきらいがあるように思え、ちょっとこの方面の教育ではやりすぎと思えるところがあります。

 次に個性を奪うという点ですが、一番わかり易いのは制服と丸刈りでしょう。髪型とかに関して私は本人の自由だと思うので気にしませんが、一定の髪型を校則で強制したり、部活動などで丸刈りに統一するといった行為は、強制する側がどのような意図で行っているとしても確実に個性というか自我が薄れ、他の同一集団内のメンバーとの差異が減少します。制服も同様ですが、自我を削るには何が一番いいかと言うと、周囲の他の人との区別をなるべくできない環境に置くことが手っ取り早い方法であり、そういう意味ではこういった行為は実に理に適っています。
 なお中国の学校では制服はあまり見られません。

 この他にも、英語の授業とかで実際には正しい発音してるのに、他の未熟な生徒の発音と異なっていれば笑われたりする(教師も黙認)のは、ある意味日本の教育の賜物かもしれません。私自身はあまり気にせずに発音してよく授業中に笑われていましたが、あの時教室にいた誰よりも今英語が上手であるという自身はあります。

 他にも細かい点をあげたらキリがないですが、私から見て日本の教育は生徒の自我を削ぎ落とすことに全力を注いでいるように見えてなりません。「個性を伸ばす教育」などという標語をたまに謳いますが、これは真に受けたが最後、空気が読めないやつだと思われ確実に教師にマークされますし、現実に日本人で個性に溢れた人材が生まれるのは稀な方でしょう。少なくとも自分より個性が強い人はあまり見ないし。
 他の国とかでも多かれ少なかれこういった自我を削ぎ落とすプロセスはあるでしょうが、それにしても日本のやり方はやや強すぎるように思え、なおかつ私が子供だった頃よりも今のほうが更に程度が増しているのではと思う節があります。具体的に言えば、生徒だけでなく教師も学校内で更に個性を削がれているような。

 その上で言えば、やはり世界で戦っていく上では一定度の個性こと自我が必要不可欠です。周囲にいる誰もが敵となる状況下で自分を保ち闘い続けるためには、周りが否定する言葉を浴びせたとしても自ら信じ続けるような頑固さが時には求められます。全く周りを省みないのはもちろん問題ですが、周りしか見ていない人間なぞ最初から役には立ちません。
 そういう意味で、今日本の教育下では突然変異的な無駄に自我が強い人間か、自我を保ちつつそれを表に出さずうまくまわりとに合わせる振りができる人間しか、使い物になる人材が生まれてこないのではとまで考えています。自分の場合は圧倒的に前者ですが、言い訳をすると少年期はやはり今考えても圧倒的に理解者がおらず、そのため自分の方針が正しいということを認めさせるためにやや躍起になっていましたが、一人くらいちゃんとした理解者がいれば牙を隠すこともできた気がします。

 自我を育てる教育、なんていうと一歩間違えるとテロリストを生む可能性があるだけに、私個人としては自我を潰さない教育あたりが標語としては有りなんじゃないかと思います。少なくとも、名前と成績以外で他者との違いを認識把握できない人間は作るべきではないというのが人文主義ゆえの立場です。