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2019年6月11日火曜日

老後は2000万円必要な報告について

 前略、報告書の中身については省略していいたいことを書くと、一体何が今議論になっているのかよくわからない感じです。このほど出た金融庁の報告書によると、今後年金を65歳から毎月21万円もらえる夫婦が95歳まで生きてく上では、年金の他にも2000万円の貯蓄(一ヶ月辺り5万円)が必要だそうです。ただ、そもそもの前提として夫婦で毎月年金を21万円もらえる世帯は実際にはそんな多くないと既に指摘されており、また2000万円の貯蓄も言うは易いが実際貯めるとなると大変で、なかったらどないすんねんという対策については何も書かない放置ぶりで、ある意味すごい報告書です。

 この報告書で疑問な点はいくつかあり、一つは30年期におけるインフレ率などは考慮されているのかということです。まぁ日本はずっとデフレだから気にしなくていいと言われたらそうかもって気になりますが。
 次に、2000万円という数字を出して何がいいたかったのかという点です。国民に2000万円貯蓄して自己防衛しろと促しているのか、ためた貯金に資産運用がつ必要だと言って国債買わせようというのか、政府に2000万円分の老後補填をしろと促しているのか、どれもはっきりしません。

 なお報告内容を事実として受け取って政策に活かすとしたら断然三番目で、2000万円分の老後世帯への収入補填を政府が考えるべきだと思います。何故かと言うとこれをしないとあらゆる面で弊害が出て、一つは誰もが貯蓄に走ってキャッシュ・フローが悪化すること、二つは金の切れ目が命の切れ目とばかりに老後に生活破綻者が続出して社会問題化すること、三つは政府画は老人を切り捨てると受け取られ国民の不信を招くことといったところです。

 しかし仮に補填するとしたら当然原資が必要であり、となると税金を上げるか資産没収をするしかありません。そうなると現役世代の負担は大きくなるわけで、特定世代が赤い彗星みたく人身御供になるしかないでしょう。そういった方針で国が一致団結するのなら私は別にいいと思いますが、そのような覚悟は国民にも政府にもないと思えるだけに、ならなんでこんな報告書出てくるんだって言う話になるわけです。
 手っ取り早い解決方法としては前にも少し話しましたが平均寿命を縮めることで、極端なことを言えば60歳あたりでみんな死ぬようになればあらゆる高齢者問題は解決しますが、もちろんそんなことは現実不可能です。そもそも95歳まで生きる前提で試算されていますが、目下の平均年齢は80歳前後と考えると、実際には平均的に必要な貯蓄額は約半分の1000万円という風になるわけですが、こちらも現実には80歳でピタリと死ぬとは限らないため、予見不能リスクは半端なく高いでしょう。

 そういう意味ではどれだけやはり年金が一番頼りになる制度のはずなのですが、目下の日本の年金ほど頼りないものはなく、更に今回の報告書は年金の信頼性をある意味で根本的に自己否定しているだけに、繰り返していいますが方針が全く見えません。そういう風に考えるだに、今回の報告書は金融庁の自爆テロのようにすら思えます。

2019年6月10日月曜日

引きこもりの息子殺害事件について

 昨日の記事に書き忘れましたがこの前のサイクリング中、前を走る50代、60代の古参メンバーの足の筋肉がめちゃすごいレベルで発達している事に気が付きました。というか数年前と比べて明らかに巡航速度が上がっており、別の古参メンバーとともに、「絶対前より速くなってる」、「知らないうちにメンバーがパワーアップしている」などと、付いていくのが辛くなった気持ちを共有し合いました。
 あとこの日170キロ走ったけど、筋肉痛とか一切ないのに自分でもびっくりでした。

 話は本題に入りますが、やはりネガティブワードは流行が早いなと思うというか「子どもおじさん」という言葉がすごく流行ってきました。またこの言葉の流行に合わせたかのように、川崎での通り魔事件と、元事務次官の息子殺害事件が相次いで発生し、年齢の高い引きこもり対象者への関心が非常に高まってきています。
 上記の二つの事件のうち、川崎の通り魔事件については非常に痛ましい事件であったものの、以前にも同じような通り魔事件が発生していることからそれほど犯人について興味はいだきませんでした。「無敵の人」とか、「一人で死ねとか言うな」などというキーワードが議論となっていましたが、どちらも議論が浅くで終わる上にあまり事件の実態を貫いていないように思え、正直つまらない議論だと感じます。

 一方、元事務次官の息子殺害事件についてはその後のドラクエザオラル騒動が皮肉っぽい結末でちょっと面白いと感じましたが、それ以上に同類と言っていいものか少し悩むものの、私が見て似ていると感じた事件が過去にありました。

浦和・高校教師夫妻による息子刺殺事件(オワリナキアクム)

 四の五の言う前にリンク先を読んでもらうのが一番早いですが、かいつまんで言うと1992年に起きた両親による23歳のフリーターの息子殺害事件です。死人を悪く言うのもなんですが、説明されている事件内容を読む限りだと殺されても仕方のない奴だなと正直思え、司法もそのように判断したか両親に対して執行猶予付き判決を下しています。
 この殺された息子は高校、大学を中退した上、家庭内暴力を繰り返し、母親に「ラーメン作れ!」と命令して一口食べるや「まずい!」と言って丼ごと投げ捨てたり、親の金で遊び回ったりと、もし自分が親であっても殺すだろうとはっきり思えるくらいのクズです。ただ今回の事件と違うのは普段から外出はしており、焼肉店でアルバイトなどはしていたなど、引きこもりであったわけではありません。

 この事件で私がとみに興味を感じるた点は、殺された息子の危機管理意識についてです。引用した記事によると両親がまさに殺害を決意した夜、アルバイト先のマネージャーに対して息子は、「家がまずい。出ないとまずい」と話していたいそうです。にもかかわらず彼は深夜バイト後に帰宅した後は呑気に寝始め、頃合いを見計らっていた両親によって包丁で一突きされています。
 この際、不運というか包丁は心臓を外れた上、刃先が折れてしまいました。母親が代わりの包丁を取ってくる間にこの息子は父親に対し、「許してくれ。俺が悪かった。お願いだから殺さないでくれ」と言ったそうですが、これまで度重なる家庭内暴力に我慢していた父親には通じず、止めを刺されています。

 自分が不思議に思うのは、なんでこのバカ息子は「やばい」と感じていながら家を出るなりといった防衛手段を取らなかったのかということです。危機意識は割と正常に、というか殺される前夜にピタリと的中する発言している辺りは鋭いとすら思うのに、実際の退避アクションを何故取らなかったのか。そんなんじゃ危機管理終了だよといいたくなるようながっかりぶりです。
 また殺される直前の発言からも、自らの愚行が両親を殺害行動に駆り立てたということをほぼ自覚していながら、どうしてそれを改めなかったのかということです。命乞いをしなかったのならまだ理解できるものの、殺されたくないのであれば殺されまいとする態度を取るべきでしょう。しかし「このままじゃやばい」と思っていながらそうした対応すら取らなかったということは、殺されたくはないけど殺害されるリスクを自ら引き上げているような状況を作り出しているように見えます。

 極端な話、破滅願望があって自らの被殺害リスクを自ら引き上げるのなら理解できますが、殺されたくないのに自ら引き上げる、具体的には両親を煽る行為を取るというのは、生存本能的に生物として終わっているように見えてなりません。それだけにこの殺された息子について私は、わがままで両親に対する一連の無作法な行為より、生存本能を無視する行為というべきか、「どうせ何やったって殺されるまではないだろう」という高をくくった態度の方が癇に障ります。人生というのはいいか悪いかではなく生きるか死ぬかだと普段から考えているだけに、この生き死にに対する舐め腐った態度の一点でもっても死ぬべき人間だったろうという点で、この事件は強く印象に残っていました。

 締めに入ると、報道を見る限りだと今回の元事務次官に殺害された息子も家庭内暴力を繰り返していたとされ、1992年の事件の息子と私の中で非常に被ります。どちらも、親に対してどんだけ辛く当たっても殺されることはないだろうという甘えの入った高をくくった態度が見え、案の定というかその甘い想定が崩れたことで逆襲を受け身の破滅を招いています。どちらも生存本能が破綻というかおかしくなっているように見え、たとえ両親の手によるものでなくても、自然界の法則的に処分される結末のほうが自然の原理に則しているように私には思えます。

 引きこもりであっても、死にたくないと思うのなら死なない、殺されないような態度や手段を取るべきでしょう。無論、そうした努力を取ったとしても世間や庇護者が認める基準に達せず何らかの原因によって死んだり殺されたりすることは十分ありえるしそれも現実だと思いますが、そうした者たちについてはまだ理解できるし、如何なる死に方にも同情が湧きます。しかし、「やれるもんならやってみろ」と言わんばかりに限度の外れた行動や、庇護者への挑発行為を繰り返す者というのは、飛んで火にいる夏の虫というべきか、その時点で生物としては本能的にある意味死んでいる生物だと私には思え、どのような死に方をしたところで全く感情を覚えません。強いて言えば、死体処理がやや面倒だろうなってくらいでしょう。

 何がいいたいのかと言うと、死ぬべき人間がただ死んだだけなので騒ぐことかと言われたらそうではないものの、それなりにニュースになっている辺りは、「そうそう簡単には殺されない」という意識がまだ社会で強いのだろうなというのが私の見方です。

2019年6月9日日曜日

また170キロ

 昨日またサイクリング部の活動があったので、隣の昆山市まで行って、サイクリングして、でもって上海まで帰ってくる往復170キロ耐久レースをやってきました。あとで歩数計見たら1日で47000歩行ってて、実際朝6時に起きてから昼食、休憩するときを除きほぼずっと自転車漕いでました。

 漕いでる最中、大体130キロくらい走っていたところで、「俺の生命保険証書誰に預けてたっけ?」とリアルで死がよぎりました。まぁその後から頭痛とか鳴りやんだのでずっと楽になりましたが。

2019年6月7日金曜日

会社組織にとって有害な人材

やる気のある無能

 上の記事は昔に書いたものですがサラリーマンにこの内容を解説すると毎回受けがいいです。うちの名古屋に左遷された親父も左遷先の名古屋でこの記事を同僚に紹介したそうですが、「こういう奴、いますよね」という意見でみんな一致したそうです。
 この「やる気のある無能」に当てはまる人材も会社組織にとって十分有害ですが、仮に有害さで比較を取るとしたら、もっと有害なタイプの人材がいます。さくっと言ってしまうとそれは「派閥を作る人材」で、時と状況によっては全力で排除すべき人材ではないかと私は考えています。

 派閥を作る人材とはどんな人かというと文字通り、自分を頂点とした取り巻きを率先して作ろうとする人間です。とはいっても、人間は社会的な生物であることから集団が一定数に達した時点で自然と集団内部のサブ集団こと派閥というものが自然と出来上がってきます。問題はその発生要因が、集団内の方針や部署の違いなどであれば弊害がまったくないわけではないもののまだ許容できるものの、派閥主の単純な自らの権益、発言力の拡大のみを目的としてできたものだとやや危険です。

 具体的にこの手の派閥を作る人材がどのように派閥を作るかというと、中には自分より格上の人間との距離を詰めて、その人物を旗頭とすることもありますが、大抵は自分より格下、具体的には後輩に当たる人物を世話するなどして取り込み、舎弟関係を作って派閥を作ります。こうやって舎弟数を増やして一定規模に達すると、ほぼ間違いなくこの手の派閥を作る人材は自らの影響力を社内(組織内)における駆け引きに使い始めます。具体的にはサボタージュや、地位待遇の保障、です。
 実際にこういった例と言えるか微妙ですが、あるプロ野球チームの有名元選手がまさにこのような人間だったらしく、スタメン入りメンバーである舎弟を従えて、自分もスタメンに入れなければ舎弟ともども試合にでないなどボイコットすると監督を脅していたそうです。実際そう見える節があり、堀内氏も苦労してたんだろうなと思えてなりません。

 話は戻りますが単純に派閥が出来上がる、それも自分の権益拡大のみを目的とした集団だとすれば組織にとっては非常に不都合なことこの上ありません。またこのような派閥を作る人材は概して権力欲が強く、自らの実力以上にこうした自派閥を背景とした影響力によって権力奪取を図ろうとする傾向があるだけに、やる気のある無能以上に組織にとっては非常に危険な人材だと思えてなりません。
 その一方、こうした派閥を作る人材は後輩を取り込むという目的もありますが、基本的には世話焼きで、下の人間に慕われやすいという特徴を備えていることも多いです。なので一見すると面倒見がよくしっかりした先輩型人材に見えて、上の人間は評価してしまい、そして最後裏切られるという結末も実際あったりします。

 何が難しいかというと、こうした派閥を作る人材と、実際にただ面倒見がいいだけの人材を区別することです。後者は紛れもなく組織にとっては好都合な人材で大事にする価値もあるのですが、前者は一定規模の自派閥を持ったところで反乱を起こす可能性があるだけに、あまりにも地位を引き上げてしまうと後々問題となる危険性があるのですが、両者を見分けられるかとそこら辺の人に聞いてもすぐ回答できる人は多分少ないでしょう。
 私が考える見分け方としては、自派閥ではない人間に対する態度である程度見えてくると思います。やはり派閥を作る人材ほどウチ・ソトの概念が強く、ソトこと他派閥の人間に対しては理由もなく攻撃的な態度を取ることが非常に多いです。一方、権力欲が低く派閥を自ら作らず(派閥に属すことは充分ある)、ただ面倒見のいい人材はというと、ソトの人間に対する当たりがまだ柔らかく、中立的な距離を保つ人が多いと思えます。この当たりの態度の違いで、「面倒見のいい」という特徴を持つ人材の危険性がある程度測れるでしょう。

 最後に、恐らく日系企業は理由もなく嫌って絶対に会社組織に入れまいとするでしょうが、派閥に属さず、誰にも阿らずに距離を保つ独立心の強い人材は、数人程度いると組織は締まると思います。まぁこんな発想は日系企業はしないでしょうが。

2019年6月6日木曜日

カネカの育休嫌がらせ事件について

 最近友人に勧められて「モンキーピーク」という漫画を読んでますが、あらすじを説明すると山登りの得意なお猿さんが、時に団体登山客を驚かしたりしながら六ツ倉連峰の名所と難所を丁寧に紹介してく漫画です。嘘は書いていません。
 それで本題ですがカネカです。さっきも同僚と、「馬鹿だよなあいつら」と言ってましたが、狙ってやってもなかなかできるレベルじゃないくらいに次々と墓穴掘っています。

 事件内容については各所でも報じられている通り、育休を取得した男性社員に対して復帰直後にいきなり転勤を命じて、未就学児や幼児もいることから時期を少し待ってほしいと言ったら拒否し、ならやめるから有給消化させてと言ったら拒否したという典型的なパワハラ事案です。
 この件で何がおかしいかと言ったら、「会社として育児を応援します」と喧伝して国からもその手の認定受けてるのに、真逆の行動をとっているということです。それどころか事件が表沙汰になるやホームページから育休関連制度の紹介ページをいきなり削除して、翌日に突っ込まれると、「サーバーのエラーと、前回更新時に削除すべきだったページが残ってただけ」という見ていて痛々しい言い訳までかましています。

 おまけに今日は弁護士とも確認して違法性はなかったとえらく長々としたリリースを出して来ましたが、有給取得を拒否した件についてはちゃっかり言及せず、自分の都合のいいことだけ書いて、「うちに全く非はなく、育休明け直後に転勤させるのは我が社のポリシー」と開き直ってきました。っていうかただ単に短くさらっとかけばいいのに、長々と書くから余計に突っ込みどころが増えてるあたり笑えます。あとこんなくだらない内容を出す会社も会社ですが、そうするよう指示した弁護士がいるとしたら、そいつもそいつですごいレベルのアホでしょう。

 企業人事に詳しい友人は早速カネカの広報関連責任者を調べてきて、「彼らの人事異動情報が出るのはいつかな」とまで言い出してきました。ちなみに彼こそがモンキーピーク勧めてきた友人です、どうでもいいけど。
 友人から二人いる責任者の名前を早速見せてもらいましたが、どちらも名字に「石」という名前がついてて、友人と二人で「ツインストーン」とか「ツイストコンビ」といって笑ってました。まぁこれまで多くの企業広報相手に取材してきた私の立場から言わせてもらえれば、広報担当者としては紛れもなく無能でこの仕事には向いていないと断言できます。

 その逆というか、広報の凄まじさを最近感じたのはパナソニックです。やはりブレがないと言うか、一度決めたらガチッとその方針に向かって突き進み、日本のマスコミを黙らせたのは見ているこっちが唸らされます。実際私もかつて取材しましたが、ネガティブな情報を出す時と、出さない時の見極めが抜群にうまい会社だったと記憶しています。

2019年6月4日火曜日

中国のシャワー事情

 先日、シャワーヘッドの柄の部分が割れ、水を出すたびにノズルだけでなく柄の部分からも水が吹き出すようになったので、新しいシャワーヘッドを購入することにしました。ニトリで買ってきたのはサンエイのシャワーヘッドで、塩素除去フィルターがついているものではないものの、水圧が増して節水になると書かれたや120元(約2000円)もする代物を買ってきました。
 2000円なんて高くないじゃんとか思うでしょうが、中国製のシャワーヘッドなら40元(約640円)くらいなので、相対的に私の中では超高級シャワーヘッドです。

 さてそんな買ってきたシャワーヘッドですが、外観は白色の柔らかそうなプラスチックで、一般的なシャワーヘッドと比べると小さく華奢な印象でしたが、説明の通り水を出したら明らかに水圧が良くなり、更に付属の水圧マシマシノズルに交換したらもっとパワーアップしてきました。
 しかも水圧が強くなって遠くに飛ぶのに、体に当たる感触としては前より柔らかく感じる様になりました。一体どういう原理かはよくわからないけど、やっぱ高いものなだけあってしっかりしたシャワーヘッドだと感じ入り、このところシャワー浴びるのがマジで楽しみになっています。

 なお中国の一般住宅ではシャワー室しかなく浴槽はありません。日本人向け高級住宅とかなら話は別ですが、私は中国生活が長いのと、日本にいた頃から水代がもったいないので普段からシャワーしか浴びてなかったので、あまり不都合を感じることはありません。それだけに今回のシャワーヘッド交換は大きい(;゚∀゚)=3ムッハー

 さて今回シャワーの水圧が改善されたことに喜んでいるわけですが、もともと自分の部屋のシャワー水圧が弱かったということが感動を大きくさせています。温度の調節も割といい加減で、夏場はどんだけ設定温度下げてもやばいくらい熱いのに、冬場はどんだけ上げてもぬるいお湯しか出てこなかったりします。
 ただ、私なんかはまだマシな方で、他の中国の住宅のシャワーとなるともっとひどいという話をよく聞きます。具体的にはやはり水圧で、本当に全然水が出てこないという話もよく聞きます。しかもでかい高級マンションでも頻発しているようで、家にかけるお金が大きくても、シャワーに関しては無駄に平等なのが中国クオリティです。

 ただ流石にずっとそんな状態だと困るわけで、知人などに聞くとシャワーの水圧を上げるためにわざわざ自宅に追加の真空ポンプを増設する対策がよく取られているようです。取り付けたポンプで自宅シャワーに流れ込む水圧を高めるという手段なのですが、こうした手段ははじめは効いても、しばらく経ったらまた水圧が弱くなるということもあるそうです。何故かと言うと、他の部屋もポンプを取り付けるからです。
 理屈はこうです。要するに、ポンプを付けた部屋のシャワー水圧は強くなるものの、その代償として他の部屋、具体的には同じ列の上下階層の部屋のシャワー水圧はポンプを付けた部屋に圧力を取られて、水圧が弱くなるのです。流石にこれでは困ると感じた人からポンプを付けるため、同じマンション内でまさに水圧の奪い合いともいうべきポンプ増設合戦が始まり、最終的にはポンプ増設の恩恵が誰も得られなくなるそうです。

 っていうかそもそも、最初にポンプを付けた奴のせいで水圧が弱くなっているのでは、と思う節があります。まぁ最初の段階で水圧の設計をきちんと高めに設定して施工しておけば、何も問題はないのでしょうが。

2019年6月1日土曜日

老人ホームの預り金制度について

老人ホーム孤独死、安否確認怠る 91歳、元気で自立(共同通信)

 死ぬほど忙しくて更新が空きましたが、やたら短期間に死にまくる老人ホームが最近やけに話題となっていますが、個人的にはこっちのほうがピンときたら110番な感じがするので少し触れます。

 ニュース内容についてはリンク先を見ての通り、老人ホームに入居していながら死亡していたことに気づかれず放置され、いわゆる孤独死状態となっていたとのことです。別の報道によると家族からは調子が悪そうだからこまめに見ておいてほしいと連絡されていたとのことですが、老人ホーム側はこの要求を完全無視し、死後10日以上も気づかなかったということで、言うまでもなく明らかに老人ホーム側に過失があるでしょう。
 ただ、上記の事件内容以上に私が驚いたのは、この老人ホームの預り金の金額です。その額なんと2000万円だったとのことで、ネットでも書かれていましたが、これだけの金額を積んでおきながら寂しい最後とならざるを得なかったのかと、逆の意味で世の中お金じゃないというような嘆息めいたコメントが見られました。私個人としても同感で、金額が多かろうともこの業界ではサービスの質は一切担保されないのだなという気がします。

 それでこの老人ホームの預り金ですが、なにげに私も理不尽な扱いを目の当たりにしたことがあります。それは私の祖母の例なのですが、老人ホームへ入居する際に300万円の預り金を取られたのですが、この預り金は一定期間(確か3年)過ぎた場合、退去したとしても返還されないという制度になっていました。無論、その期間を過ぎても入居者は入居を続けられるのですが、端的に言って、自発的に退去するよう嫌がらせを受けました。
 具体的には入居期間が指定期間を過ぎたあと、ほんの些細なことでホーム側によって祖母が何度も病院へ送られるようになりました。あくまで祖母の状態を見て判断したとホーム側は主張しますが、祖母を診察した医師からしてもはっきり異常だと言われた上、「あのホームの基準では……」などと漏らしていました。

 しかも病院へ送ったあとホーム側は祖母の引き取りを一切行わず、家族に引き取りに来るよう毎回要求してきました。そのため老人ホームから遠隔地にいたうちの名古屋に左遷された親父が、具体的地名を上げると兵庫県まで毎回行く羽目になり、当時私も何度かそれに同行していました。
 あまりにもこういった事が多いので親父も老人ホーム側に、病院へ連れて行く前にかならず連絡を入れ状態を確かめさせるようにと伝えたのですが、老人ホーム側は親父の申し出を完全に無視し、その後も勝手に祖母を病院へ何度も搬送し続けました。こうした行為はまさに上記の預り金返金期間を過ぎた直後から始まり、今後も続く可能性が高かったことから、最終的には祖母を別の老人ホームに転院させる羽目となりました。

 私営の老人ホームが全部が全部こういうではないと思うし思いたくもありませんが、中にはこういう老人ホームも少なからず存在すると考えられます。そういう意味で少なくとも預り金については、「一定期間を過ぎたら問題なく退去したとしても返金しない」という条件があるところは注意すべきでしょう。まず間違いなく、返金可能期間を過ぎたあとは私の祖母がされたような嫌がらせを受けると断言できます。

 その上で少し話はずれますが、やはり今の日本においてはもっと本格的に安楽死の可能性について議論すべきでしょう。昨年に西部邁もかねてから主張していたように自死を選びましたが、高齢者のクオリティ・オブ・ライフを考えた場合、必ずしも長寿でいることが幸福であるかというと、医療の発達した現代においては限らなくなってきているように見えます。無論、強制はあってはなりませんが、安楽死を選択でき、それをいくつかの過程で検証した上で認める制度こそ今日本において非常に求められている気がしてなりません。