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2017年12月31日日曜日

2017年の所感

 別に恒例企画というわけではありませんが、年末ということもあるので今年1年をまた項目別に振り替えようと思います。

・一番ハマったゲーム:討鬼伝極
・今年からはまったもの:アイマス

 ゲームに関しては文句なしに「討鬼伝極」が、中古で980円で買った割に長い時間かけて遊びました。今現在「討鬼伝2」をやっていますが、つまらなくはないもののやはり1と比べるとキャラの魅力やストーリーの盛り上がりで物足りなさを感じる上、モンハンなどと同じく「完全版商法」なためゲームに不完全要素が多いにもかかわらず未だ完全版の続編が出ていない点と言い、前作を超えてはいません。
 2番目のアイマスとは、知ってる人には早いですが「IDOLM@STER」です。私はこのゲームというかプロジェクトについて稼働当初の「とかちつくちて」は知ってはいたもののそれ以上深みにはまることなくここまで来ましたが、ある日「F-18ホーネット」をベースにしたカスタム機体「まほーねっと」の機首に「神」と書かれているということを知り、「何それかっこいい!」と思ってその由来とか調べ始めたこときっかけにのめり込みました。軽い所感を述べると、メーカー側とファン側の双方によって育て上げたプロジェクトだと思え、両社から強く愛されているとともにメーカー側のファン対応の高さに感心しました。
 なお日本のダークファンタジー漫画の金字塔たる「ベルセルク」の作者である三浦建太郎氏のウィキペディアの記事内では、「アイマスでは千早推し。休載の際にXbox360ごとゲームを買った」という事実が記載されてます。

・今年のベスト記事:EV時代を前に、中国が世界の「車載電池」工場に

 今年は何度も深刻な体調不良からブログ記事の投稿が滞った一方、コラムを連載しているJBpress内ではありえないくらい取材した記事をそこそこ出せたと思います。中でも上記の車載電池市場について取り扱った内容は後日に日系関係者にも関係しましたが、この記事の後追いをしたことを認めていました。
 非常に重要度の高い市場なら誰も取り扱わなかった内容なだけに我ならいち早く手を付けられたと思うと同時に、この記事の中では日系の電池メーカーがどのような種類のリチウムイオン電池をこさえているかもまとめてあるため、自分でも完成度の高い記事であると感じます。どちらかというとアクセス数より、業界関係者に高く評価してもらえたことの方が感じるところが多いです。

・ブログ内ベスト記事:日本料理の歴史は何百年?

 コメント欄の議論が非常に白熱したとの、割と自分でも面白い問いかけをしたので上の記事が一番気に入っています。「日本料理が世界でブームだ」などと書き立てる記事は非常に多いですが、「日本料理とは何ぞや?」というメタな問いかけは意外と少なく、「醤油の味付けが基本ベース」である一方、それ以外の独特な調理法についていろいろコメントで指摘してもらえたのがうれしかったです。

 これ以外特に書くこととか決めていませんでしたが、来年についてはJBpressで歴史系の記事を意識的に増やしていこうかなと考えています。元々、経済記事が専門かと言ったら果たしてそうなのかというところがあり、むしろ自分の知識と文章力を最大限に活かすのであれば歴史記事なのかもなぁという漠然な考え方からですが、経済記事は中身がよくなればなるにつれてアクセス数が落ちると思う面があり、この点で歴史記事はどうなのかなというのを確かめてみようと思います。
 あと来年度の目標としては、今年は特に決めておらず、去年は思い上がらないことしていましたが、来年はより具体的に「会社を辞めない」かなと今考えています。別に今何か会社ともめてたり不満があるわけじゃないですが、今の今まで2年半以上同じ会社に在籍したことが一度もなく、最長記録をとりあえず更新しようという程度の考えです。っていうか今借りている上海の部屋も来年1年住めば満3年になりますが、会社同様に同じ部屋に2年以上住むということはこの10年近くでほぼなかったため、こちらでも記録更新となるか問われるところでしょう。

 なおこれまで2年以上同じ部屋に住むことがほぼなかったため、引っ越し回数があまりにも多いことから家具とかほとんど購入してきませんでした。今の部屋は割と続くのかなと思い始めた今年下半期から家具を段々増やし、今座っている椅子など買うようになりました。今一番悩んでいるのは上海高島屋で売っている蒔絵箱で、ほしいけど活用方法がうまく見つからず、もうコレクションと割り切って買ってしまおうかとも考え始めています。

2017年12月30日土曜日

アイドル会計論 その一、資産種類

 ある日勤務中、「アイドル育成時のレッスン料などを設備投資や研究開発投資みたく償却できないのかな?」とふと思い、アイドルを資産と見立てた会計論が気になって仕方なくなりました。

 私がここで説明するまでもなく、巷間のアイドルというのは渋谷でスカウトされていきなり世に出てくるというわけではなく、実際の圧倒的大多数はスカウト後、長きにわたり演技やダンスレッスンを受け、一定の養成がなされた後で売り出されます。ある意味これは投資と言ってもよく、売れるかどうかわからない対象であるアイドルの卵に多額の資金を投資して、いざ実際にデビューしてからその投資資金を回収した上でリターンを得るというビジネスモデルです。
 仮に投資対象がアイドルではなく有形/無形資産であれば、そのキャッシュフローが得られるまでの投資段階にかかった費用は減価償却/償却といって、あらかじめ定めた期間内、実質複数年度にわたって少しずつ計上していくことで、税効果といって納税額を減少、調整させることが出来ます。アイドルも特許などの研究開発資産みたくリターンを得るまでに長い年数が必要になるのではないかと思え、それならば償却を認めるような会計処理があってもいいと思ったわけです。

 そもそもまず、償却を行うというのであればまず資産として認定するか否かが重要になってきます。そこで最初に審議する上で、「アイドルは資産なのか?」という疑問が出てくるわけです。
 資産の定義について細かく書くと非常に細かくなりますが、ごく単純にまとめるなら以下の二点に集約されると私は考えます。

・それ自体が価値を持ち、有償で取引される。
・運用、活用されることによって新たな利益(キャッシュフロー)を生む。

 具体的なイメージとしては農業における土地が分かりやすく、売買可能でありながら、土地を使って栽培することによって農作物という商品が作れ、販売することによって利益を生み出せるといった具合です。
 この定義をアイドルに照らすと、まさに資産じゃんと私は言いたくなりました。移籍金が支払われての事務所の移籍なんか当然あるし、また投資、育成することによって無から有を生むかの如く利益を作っていきます。事務所の観点から見て、アイドルは商品というよりは継続して運用されることから資産の方がより適切でしょう。

 以上のような脈絡のない考えに従ってアイドルは資産だとすると、次にもたげてくる疑問としては「有形資産なのか無形資産なのか?」です。地味だけど非常に重要。

 有形資産とは読んで字の如く実体が存在する資産のことで、先ほどの土地や工作機械といった設備、あと不動産などの建物もこれに属します。一方、無形資産は特許や商標など実体がないものの、所有者や許諾者に運用が独占された上で利益を生み出す資産を指しています。
 バーチャルアイドル(最近減ったな)なんかは実体ないんだから無形資産かもしれませんけど、現実に存在するアイドルはみんなの前で歌ったり踊ったりもすれば、プライベートでスキャンダルを起こしたりすることもあるので、普通に考えれば有形資産で間違いなしでしょう。また工作機械といった設備のように、整形や豊胸などの改造手術によって性能や耐用年数をアップグレードすることも実質可能で、こうした諸条件を考えるとやはり有形資産かなと当初は思いました。

 しかしデビュー後の運用を考えたところ、有形資産で行くという考え方にブレーキがかかりました。実際のアイドルの収益獲得方法を考慮すると、コンサートで歌って踊ってチケット代を稼ぐのなんかは確かに工作機械で製品作るかのような運用に近いと思いますが、実際のアイドルの収入はイメージ販売に負うところの方が多いような気がします。
 具体的にはCMなどのイメージキャラクターやグッズの販売です。これらはアイドル本人がその場にいなくてもどんどん売り上げが上がっていくシステムとなっており、またこうした販売はほぼすべて「イメージの使用許諾契約」を経て実行されるため、商流としては特許や商標の権利使用許諾に近い、というか実質同じものです。
 また「アイドル」という言葉自体が「偶像」という言葉からきており、「イメージを売る」という意味が内包されています。会計的、特に償却などを考える場合は収益の獲得プロセスの方が重視される傾向があり、また工作機械と違ってアイドルは稼働時間によって減価償却できるかと言ったらなんかそれも違うように思え、やはり無形資産のように一定の使用期間にわたって定額法とかで徐々に償却していく方が無難な気がしてきます。

 結論を述べると、どっちかと言えばアイドルは無形資産に属すのではないかと思います。一方、その存在の実体性や投資過程、稼働後の追加投資(豊胸、整形)の観点から言えば有形資産に近く、有形資産的要素も含む無形資産というのが私の見解です。
 なおアイドルが事故などで骨折した際の治療費は、工作機械の故障時の修理費みたいに費用として処理するのかななどと考えた際、「完全にアイドルを物扱いしているな」と自ら自分をツッコミました。

2017年12月28日木曜日

あまり報じられないC919の現状

中国でスマホを紛失したら、どれだけ恐ろしい事態になるか(ダイヤモンド)

 いつもは批判しかしないダイヤモンドの記事ですが、上の記事について決して他人ごとではなく身をつままされる話が書かれてあり、久々に興奮しながら読ませてもらいました。なおヤフコメでは「長すぎてだるい」とか書いている人いましたが、私の記事もよくそういうこと書かれますが感覚としては1000文字超えた時点でもうこの手の人は記事が読めなくなるんじゃないかと思うのと、長い記事読めないならいちいちコメントに書いて恥晒さなくてもいいのにとか考えています。

 さて本題ですが、C919と聞いてすぐに何か想像できる人は相当な中国マニアでしょう。

COMAC C919(Wikipedia)

 C919とは中国の国有というか実質国営企業が生産している中型ジェット旅客機です。日本の三菱重工が開発しているMRJと同クラスの中国製旅客機はARJ21なので、C919は競合機種というわけではないものの、割と順調なその開発ぶりにはどうしても目を奪われます。
 確か先週くらいだったと思いますが、このC919の顧客納入期の2機目が引き渡されたかなんかのニュースが出ていました。言うまでもなくこのC919は既に開発が完了しており、量産段階にも入りつつあります。またその市場規模から中国国内だけでもペイできる代物でしたが、米国市場の型式免許もなんか取れるんじゃないかと最近言われつつあり、仮に実現したらかなり大きな商品に化ける可能性があります。

 私は航空機市場はそんな詳しくないですが、それでも今のMRJの現状は憂慮せざるを得ません。ちょうど2年前にもMRJの現状というか先行きを懸念する記事を書いていますが、当時は開発が進んでいると日系メディアは盛んに報じては明るい見通しばかり書き綴っていたものの、現状においては「本当にこれ完成するのか?」という疑問形に近い報道のが多くなっているような気がします。実際、神戸製鋼や三菱マテリアルの不良品出荷問題などで揺らいでいる上、当初の計画がずるずると何度も延期され続けた上、とうとう注文キャンセルも出ているのだからこれで楽観視する方が頭おかしいでしょう。
 おまけに競合機種を持つエンブラエルがボーイングと統合交渉を始めたとのことで、仮に実現したら世界の航空市場に割って入るのは非常に苦しくなるでしょう。っていうか現時点で、MRJが成功する未来が私の中では描けず、三菱重工は客船でも失敗したばかりでこれからどうなるんだろうかとマジで心配になってきます。

 一方で中国の方は、話して細かいスペックとか故障率などは全く把握していませんが、一応こうやって形にして出しているだけでも十分立派だと思います。MRJの競合機種に当たるARJ21もさっき調べてみたら、今年だけで4機の試験機を作って順調に試験飛行を進めているとのことで、多分さは大分開いているんじゃないかと思います。
 MRJを応援するのはそりゃ日本だから当然でしょうが、こうした海外の競合機種に関する報道がやはり日本は少ない気がします。っていうか今書きながら思ったけど、この辺の事情はあまり報じられてないし、データ多くて書きやすそうだから次回のJBpressで使おうかな。

2017年12月27日水曜日

漫画業界のデジタル化

 「エルフェンリート」で知られる漫画家の岡本倫氏が以前に巻末コメントかなんかで書いていた内容ですが、かつては同じ部屋に漫画家とアシスタントが集まってみんなで一緒にカリカリしながら漫画を描いていたが、現在はそれぞれの自宅でパソコンに向かって作業し、原稿データを交換しながら作業を進めるようになったとのことで、制作環境が大きく変わったということを書いていました。
 自分は出版業界関係者でもなければ漫画業界関係者でもないことから実態を見聞きしたわけでないものの、実際に最近の漫画業界におけるデジタル化はこのところ進んでいるようで、もはや作画も紙の上ではなくペンタブ使ってパソコン上で書くことが一般化しつつあるようです。そしてアシスタントの方も、ある程度これらデジタル作業に通じていないと全く仕事にならないそうです。

 以上のような話を聞いてまず思ったこととしては、カメラのデジタル化によって幽霊が心霊写真から淘汰されていったように、漫画業界でもデジタル化進行による淘汰が起こっているのだなということと、一番煽り食らっているのは画材屋かなということでした。

 こうした漫画制作現場のデジタル化とはまたすこし話が違うかもしれませんが、私がデジタル作画というものに初めて触れたというか衝撃を受けたのは、寺沢武一氏の「コブラ」でした。
 現実に寺沢武一氏はコンピューターグラフィックスを漫画に持ち込んだパイオニアで、時代的に非常に早い段階、私が知る限りだと90年代前半にはすでに取り込んで作品を作っていました。当時私はまだちっちゃい子供でしたが、本屋に並んだコブラの表紙はまるでアニメ画像の写真のようで非常に大きな衝撃を受け、中身を読むことこそなかったもののこの作品名は小学生の時点で覚えてしまうほどのインパクトがありました。

 その寺沢氏以降、パソコンが一般家庭に普及するのに伴ってCGを使ったイラストを公開する人もだんだんと増えていきましたが、真の意味での漫画のデジタル作画を実現させた人物ともなれば「GANTZ」の奥裕哉氏を置いてほかにいないでしょう。
 奥氏はデビュー作の「HEN」の時点で大ヒットを飛ばした作家でしたが、その次の作品の「ゼロワン」にてCGを使ったデジタル作画環境を本格的に整えていきます。なんでも奥氏はこの作品を制作するためにコンピューター導入やスタッフ育成に多額の投資を行い、なんとあれだけ大ヒットした「HEN」で稼いだ資産をほぼ全部使い果たしたとのことです。もし奥氏にインタビューする機会が得られるなら、一体何故資産を使い果たしてまでもデジタル作画環境を作ろうとしたのか、その執念について詳しく聞いてみたいものです。

 そうまでして制作に取り組まれた「ゼロワン」ですが、現時点で見てもその技術の高さや画力には圧倒されるレベルの作品だと思えます。作品内容自体が3D格闘ゲームに情熱を注ぐ少年の物語なだけあってそのデジタル作画との相性は抜群で、奥氏の元々の写実的な画風と相まって読んだときには強い感動を覚えたのを今でも覚えています。ただ、制作途中で資金が枯渇したとのことで作品は途中で打ち切りみたいな感じで唐突に終了しており、一個作品として見るならばその完成度は低いと言わざるを得ません。

 そんな「ゼロワン」の次に満を持して登場したのが、奥氏の代表作でもあり現時点でもデジタル作画された漫画としては恐らく最高傑作と言える「GANTZ」でした。こちら連載初期からほぼリアルタイムで私も読み続けてきましたが、唯一無二と言っていいその画風はもとより、衝撃的なまでに激しい暴力描写と異彩放つストーリー内容には非常に興奮して読んでいました。

 なお暴力描写という観点で見たら、現時点でもこの「GANTZ」こそが漫画史上最大レベルではないかと私は思います。というのもデフォル化されたキャラクターが手足切り落とされたり頭吹っ飛ばされたりするのと違い、先ほどにも書いたように奥氏の画風は非常に写実的であり(女性キャラの体格も写実的かと言われたら回答に困りますが)、また技術的に更なる成熟度を増したデジタル作画によって背景などの描写がほぼ現実そのままなレベルにまで高められており、漫画でありながら異常なくらいの現実感を醸しているからです。
 そんな現実感あふれる絵で登場キャラクターが片っ端から老若男女主役脇役問わず手足ねじ切られたり、体のあちこち吹っ飛ばされたりするもんだから、最初読んだときは下手なホラー漫画よりずっと怖く、同時期に出ていた「殺し屋イチ」なんてまだかわいかったなんてリアルに思ってました。なお「GANTZ」の中国語タイトルは「殺戮都市」で、割と内容に合ったネーミングだと思います。

 「GANTZ」はその最終回について賛否両論、どっちかというと否定論の方が大きかったですが、私はああいう最終回もアリだと評価しており、なによりもそのデジタル作画による驚異的な技術力は一漫画作品として見逃すことのできない功績だと見ていることから、2000年以降に完結した漫画作品から最高傑作を挙げるとしたらこの「GANTZ」か、弐瓶勉氏の「シドニアの騎士」のどちらかかだと考えています。
 ただ残念なことに、「GANTZ」の登場以降に奥氏のフォロワーと呼べるような高次元のデジタル作画を手掛ける漫画家は、私が知らないだけかもしれませんが見られないということです。もっとも奥氏のように資産使い果たすくらいの執念がなければあんなのできないでしょうし、実際にデジタル作画環境が整った後も奥氏はヘリコプターをチャーターして空撮したりするなど激しい投資を続けていることから、並の作家では実現できないだけなのかもしれませんが。

 なおフォロワーが出てこないという意味では、私がもう一つの最高傑作と考える「シドニアの騎士」を描いた弐瓶勉氏も、諌山創氏のようにファンだという人はいてもその画風や作品傾向を受け継ぐ作家を見ることはありません。弐瓶氏はまさに奥氏の真逆というか、非現実的と言えるほどに巨大な人工物を描いた背景が最大の特徴で、あの書き込みや構成は真似しようと思う人の方がおかしいレベルですからそれも仕方ないかもしれません。逆に見れば、奥氏も弐瓶氏もフォロワーが出てこないほど唯一無二の特徴を持っていると言えるでしょう。

  おまけ1
 弐瓶氏が招待先のオーストリアのコスプレ会に行ったところ、同行した担当編集はあるコスプレイヤーを見て「すげぇ、ガンツだ!」と言ったそうですが、この時に弐瓶氏は、(ガンツじゃないよ、サナカンだよ)と、自分の作品のキャラのコスプレだとは言えなかったそうです。

  おまけ2
 学生時代にガンツについて友人と話していた際に友人が、「っていうかこの作品、主役とか関係なしにガンガン死ぬけどレイカとか死んだらどうなるかな?」というので、「レイカが死ぬなんてありえない、っていうか考えたくない。もしそうなったら読むのやめる!」と当時の私は答えましたが、案の定レイカはその後死にました。しかも二回も。

  おまけ3
 ガンツにおいて主人公に次ぐ最重要キャラクターの西丈一郎について、ある日偶然、意図せず彼のモデルとなった人物の写真を目撃することがあり、そのあまりの容貌の近さに「ひぃっ」と妙な悲鳴を本当に上げました。「HEN」の時点でも同性愛をテーマにするなどタブー知らずな作者ですが、ここまで似せるのかと本気でぞっとしました。

2017年12月26日火曜日

大阪限定の「にんげん」という教材について


 上の画像は先日ネットで見つけたものですが、一目見て「なんじゃこりゃ?」と全くその存在意義というか内容が伺うことが出来ませんでした。それこそ路上で油すましに遭遇したかのような得体の知れなさで、決して話を作っているわけではなく、この表紙を見て最初に想像したのは「妖怪人間ベム」でした。なんていうか、右手の指の形が微妙におかしい点といい……。

にんげん(Wikipedia)

 種明かしをすると、これは大阪府下限定で配布されていた同和教育用の教材だったようで、関東育ちの私が知らないのも無理ではありません。逆に大阪出身者からすれば見慣れたもののようで、「あったねーそんなの!」的な冗談に最近は用いられるそうです。
 すでにこの教材の配布は予算の都合から廃止されていますが、1970年代から大体リーマンショックの頃までずっと大阪府の予算で購入され、小学生から中学生までに配布されていたそうです。中身については解説を見てもないし読んだこともありませんが、あくまでこの表紙画像だけをみて好きなことを言わせると、表紙の内容と同和教育という目的に一致性が見い出せず、中身もそんな感じだったんじゃないのかなと疑っています。

 そもそも「にんげん」というタイトルからして微妙です。上にも書いた通りこの表紙から私はリアルに「妖怪人間ベム」を想像しましたが、いわゆる差別の歴史を学ぶという目的で「にんげん」というタイトルはいくら何でもおおざっぱすぎないかという気がします。それなら「公平」とか「平等」とかの方がまだ私の中でしっくりきます。
 さらに言えば、通常の社会科科目でも同和差別についてはある程度教えることからも、わざわざこんなどっち向いているのかわからないような表紙の教材を用意する必然性も感じません。いくら関西が部落差別が根強い地域だと言っても、なんとなく手段がおかしいのではないかと思えて仕方ありません。それくらい無駄にインパクトの強い表紙だと上の画像は思います。

 なおかつて大学時代の友人は、「農業という生産手段から土地に縛られていた昔と違って今は自由に引っ越すことが出来るのだから、差別されるのが嫌だったら誰も自分を知らない土地に引っ越せばそれでいい。それすらしないで差別を受けていると主張するのはただの甘えだと思う」と言ってましたが、私もこの意見に同感です。民族差別のようにどこ行っても(特定の領土範囲で)差別されたりするのは確かに対策が必要だと思いますが、関東圏なら部落差別はほぼないし、第一関西圏よりも関東圏の方が仕事も多いのだから、普通に考えたらもうこの手の差別はなくなっていてしかるべきだとも私は考えています。
 私に至っては日本を離れて中国で働いていますが、目前の環境が嫌だというのならそれを変える努力をすべきで、それすらしないで不平はおろか妙な要求までするというのは言語同断でしょう。部落出身者でありながら野中広務氏も既存部落団体をよく批判していますが、私自身もああした団体が妙な活動をするから余計に差別が広がるのだと思っています。

2017年12月25日月曜日

日本における偽報道について

 最近、世界でフェイクニュースという単語というか概念が飛び交っていますが、こうやってブログを横書きしながら言うのもなんですが私自身は横文字があまり好きではなく、必要もなく英語をカタカナ読みしたこういう書き方は気に入りません。なのでやや意固地ですが「偽報道」という単語に統一して書き進めますが、割と日本でも笑えなくなったなというのが私の見方です。

 元々こうした偽報道はインターネットからの配信がどちらかというと主であるような気がします。現実に日本でもつい先日、「とある会社でアンケートを取ったところAED装置での治療を受ける場合、胸を触られたり見られたりするので治療後には訴えるという女性が大半だった」という、調査自体そもそも存在しない偽情報をネットで発信したアホがいたそうです。そのアホはこの偽情報と合わせて、「緊急時でも男性は女性にAEDを使うべきではない」というように伝えていたそうで、公共への影響を考えるとどれだけ罪深いことやっているのかと思うとともに、何が楽しくてこういうことするのかが理解できない気持ちで私はいっぱいでした。

 こうしたネット発の偽報道は枚挙に暇がありませんが、そうしたでたらめ情報は何もつい最近になって出始めたわけではなく、ネット黎明期には鮫島事件やプチエンジェル事件など詳細が明らかになっていない(前者に至ってはそもそも存在しない)ことをいいことにあれこれ余計なデマ情報を付け加えてネット上で流布されていました。と言っても、恐らく10人に「鮫島事件知ってる?」と聞いたところで、知ってると答えられる人は多分いないでしょう。何故かというと、ネットという閉じられた狭い空間の中でしか流布されなかったからです。
 このネット黎明期と現在を比べて最も大きく違う点はやはり、SNSの存在に尽きます。かつてであれば掲示板やブログサイトにデマ情報が掲載されてもそこからは二次発信されることはなく、たまたまそのサイトにアクセスした人間しか目撃することはありませんでした(そして黙殺される)。しかし現在は誰かが見た情報、もしくはデマとして流す情報がツイッターやフェイスブック、インスタグラム、LINE、ミクシィ……はもう古くてやってる人はいないけど、こうしたSNSの便利な機能によって人から人へガンガン共有されていき、明らかに怪しい情報であっても多くの人間が共有することで、「みんながそう言っているのだから」的に真実となってしまう傾向があります。はっきりいますが、偽報道の主犯はSNSだと言っても過言じゃないでしょう。
 なお、自分はSNSが昔からあまり好きじゃなく、MIXIもツイッターもフェイスブックも一応手を付けたもののすぐやめました。現在でも唯一使っているのは微信だけです。

 こうしたSNSの共有機能に加えて、もしかしたら日本だけじゃなく米国とかでもそうかもしれませんが、テレビメディアが誤報道、並びに確信犯的な偽報道を流すことも大きいと私は見ています。

 私がかつて子供だった頃は、「テレビで言ってたもん」と言えばそれは最も各自な情報の裏付けとなり、「テレビで言ってたのなら仕方ない」と周りの子供たちもすぐ納得させる説得力がありました。
 しかし現在、世間での偽報道量産においてこと量だけでみればネットが一番多いかもしれませんが、実際に世間に流布される量で見たら地味にテレビメディアの報道が一番大きいのではないかとひそかに見ています。何故かというと以前はどうかとちょっと自信がないのですが、このところ日本の各局ではワイドショーに対してものすごく力を入れており、その中でコメンテーターをはじめ偏った価値観を画面で述べるだけでなく、明らかに誤った情報を何の裏付けなしに平気で報じる機会が非常に多いからです。

 数え上げたら切りがないですが、バレた回数でいえばフジテレビが明らかにトップで、「田中マー君がトランプタワーに住んでる」などと出所も明らかでない情報を平気で報じて謝ったりしましたが、一体何を以ってこの情報が真実だと考えたのかが不思議でなりませんでした。また直近ではTBSがリトアニアをはじめとするバルト三国(中学時代、「バトル三国」と言って盛り上がっていた男子グループがいた)の位置を間違えてクイズに出したことがばれましたが、これなんかも監修どうしてんだと開いた口が塞がりません。
 もちろん以上の間違いについて各局は間違いを認めて番組サイトなどで謝罪していますが、これらについて何が一番肝心なのかというと、「バレたから訂正して謝った」という点で、バレなかったものについては未だ放置して一切の訂正もしていないということでしょう。特に海外報道なんかは突っ込む人も確かめる人もいないのでやりたい放題なところがあります。

中国側に大江戸温泉物語の許可証を出した住所は女子学生寮?

 一番当時の報道を残してくれているので、ちょっと人のブログから引用しますが、昨年末の上海大江戸温泉の騒動の際、TBSが「運営会社の住所は大学の女子寮となっており、事務所らしきものは存在しない」と報じていました。これについては結論から言えば偽報道で、恐らく精度の低い地図アプリを使って表示された場所にしか足を運ばなかったのでしょう。私もいくつかの地図アプリで住所入力したら女子寮が出てきましたが、きちんと住所情報を辿ると全く別の場所が出てきます。でもって、実際に個々の運営会社と取引ある人にも聞きましたが、「確かにわかりづらいところにあるけど、あのTBSの報道は間違いだ」とも確認取れました。
 この点について言うまでもなくTBSは訂正、謝罪していません。先ほどのバルト三国もリトアニア大使館が指摘しなければ同じだったでしょう。このように考えると、日本の偽報道で一番権威があるのはテレビ局で、特にフジテレビとTBSに関しては芳ばしい報道があった場合は自分はまず審議を疑ってみています。

2017年12月23日土曜日

知識の吸収と追求

 学生時代にある友人から、「僕は花園君と違って何か特定の情報を追い求めて自分で調べようという熱意が持てず、素直にこの点では花園君がうらやましい」と言われたことがありました。自己分析について自信を持っている私ですが、この指摘はされるまで意識したことがなかったため意外なものでしたが、改めて思い返すにつれ実に鋭い指摘だったと思います。
 この指摘をした友人は、控えめに言っても知識の吸収については超一流でした。一回伝えたり教えたりした内容は確実に覚え、勉強面でも一を知れば十を知るような勢いで身につけ実際に学術成績は凄まじく高かったです。しかし本人が言う通り、何か周りから強制されたりするなど必要性に追い立てられない分野については自分から率先して知識を吸収しようとすることはなく、それがために世間知らずなところも多く、時によっては妙に失礼なことも平気で口にするところがありました

 この知識を追い求めるという私の特徴ですが、断言すると非常に際立った特徴であり自分の個性を構成する重要な要素の一つでもあります。先ほどの友人と違って私は、事知識の吸収については決して優秀ではなく、むしろ物覚えが悪いと感じるほどのレベルしかなく、勉強面もそんな自慢できるほどではありませんでしたし仕事で必要な知識とかも、「まぁ今何とかなってるし……」等と言い訳しては習得を先送りにしたがる傾向も激しいです。
 その一方、自分が興味を持ったり、何かしらきっかけを得た分野に対する知識の習得意欲ははっきり言って異常者レベルで激しく、このブログでもたまに記事書きますが戦闘機や軍艦といったミリタリーについてはつい2~3年前までは全く興味がなく、F-15とF-16の違いやカナード翼の有用性はおろか、酸素魚雷の恐ろしさについて全く知りませんでしたが、今だったら一定レベルであればこうした分野について語れるようになっています。
 またこうしたふざけた分野でなくても、今JBpressでたまに書く中国の業界関連経済記事も大体2日程度のリサーチでいつも書いていますが、ほぼ何も知識がない状態からあそこまでもっていくのは自分でも結構不思議です。たまにコメントとかで、「非常によく調べている」等とついたりすると、光栄だと感じるとともに「2日のリサーチで本当にいいのだろうか?」などと不安に感じることも正直あります。

 話は最初の友人に戻りますが、既に書いている通り彼は何か必要性に追い立てられない限り、自分で知識を広げようという意欲というか行動を見せることはほとんどありませんでした。その代わり必要性を感じたらすごい勢いで習得し、定期テストも大体そんな具合でテスト前日の一夜漬けでいつもいい成績を取っていました。
 この友人に限らず、知識の吸収で優れている人は全般的に知識の追求についてはあまり熱心でない人間が多いというのが私の実感です。教えたらすぐに身に着けてしまうのですが、教えられたりしない限りは自ら率先して現状あまり関係ない分野に触れようとするような行動をとることはあまりなく、基本「受け」の姿勢を維持します。一言で言えば、関係ない分野については「関係ない」で一気に見切りをつけてしまうような具合です。

 では知識の吸収が悪い人間は反比例的に、知識の追求に熱心となりやすいのか。この問いに対する答えはNOで、あくまで私の実感で言えば知識の吸収が悪い人はむしろ、知識の追及も不熱心であることの方が多く、むしろ吸収のいい人よりも不熱心でしょう。

 そうなると今度は、どんなタイプが知識の習得というか新分野開拓に熱心になりやすいのかという問いが出てきますが、結論をここでいえばこの手のタイプは「突然変異」的にランダムで出てくるのではないかというのが私の見方です。というのも私以外で知識の追求が激しい人間はいるかと言ったら私の周りだと一人の友人くらいしか浮かばず、それ以外だと未知の分野や関わりのない世界についてグイグイ突っ込んで知識を追求する人間はほぼ皆無です。
 なおその友人は、私同様に必要性に追い立てられるわけでもなく無関係の分野であっても知識を広げようとしますが、私と比べると広げようとする傾向がやや異なっており、私が政治やホビーにより傾注しようとするのに対し友人は経済やアカデミックに重心が置かれ、被る分野もありますが不思議な具合に住み分けができています。

 最後に発展応用として書くと、こうした知識の追求に熱心な人間はあまり出身やスペックに関係なく突然出てくるだけに、全体としてやはりレアな存在だと考えます。その上でこの手のタイプが社会で有用かと言えば必ずしもそうではないと自分でも思うものの、その特性に合った特定の部署なり分野に配置すれば思わぬ活躍を見せることもあると思います。野球でいえば「アンダースローのサウスポー」のようなややレアな存在だと割り切り、今使えるかどうかわからないけどとりあえず囲っておくような感じで抑えといて、いろいろ試してみると面白いんじゃないかと自分で思います。

2017年12月20日水曜日

レビューあれこれ

 ここ一週間ほど、毎日30分程度ネットの通信が突然途切れる現象が起きているのですが、中国政府の陰謀だろうか?何でもかんでも悪いことを中国政府のせいにするのもなんですが。

文藝春秋2018年1月号[雑誌] Kindle版(Amazon)

 話は本題に入りますが、上のリンク先は今月号の文芸春秋です。実は昨夜にレビューをしたためて上のページにもしっかり掲載されていますが、はっきり言って今月号はひどすぎると感じました。
 細かくはその書いたレビューを見てもらいたいのですが半端なくつまらない特集に膨大な量のページが割かれてあり、普段よりも独立した記事が少ないにも関わらう70円値上げされており、今までこんな風に文句言ったことはないですがこの内容でこんな値上げに踏み上げるのは理解に苦しむため一気に書きました。真面目に、特集の内容を含めこれで行こうと思った文藝春秋編集部の意図を疑います。

あれから1年、「パクリ疑惑」上海大江戸温泉の今(JBpress)

 続いてこちらは今日配信された自分の記事ですが、例によってヤフコメを見るといくつか意外だなと感じる点がありました。

 一つは「なんでこんな冗長なのに中身がないんだ」というコメントが多かったことです。長いのは文字数指定されているからなだけですし中身については見出しではっきりと「現状」と書いて特にスクープないよと予告しているにもかかわらずどうしてこんなこと書く人多いんだろうとしばらく考えましたが、恐らくですがこの件についてスクープを期待した、ほんとのところの真相を知りたいという気持ちが強かったからこそ物足りなさを感じる人が多かったのではないかと思います。自分への批判は別に気にしないしむしろ最近は人格批判が来ないと物足りないと感じるくらいになっているのですが、改めてこのような考えに至るとこの問題がいかに注目を集めてたかがよくわかります。まぁ生憎、期待にはわざと応えなかったのですが。

 なお「中身がない」という批判ですが、やや皮肉っぽい言い方するとこの手のコメント書いている人は中身があったらあったで記事を読むことが出来ない、内容を理解することが出来なくなるのではないかとも思います。実際、これ以前に書いた化粧品市場と車載電池市場の記事はアクセスというか反応、コメントがやや少なかったのですが、記事内容や質でいえばどちらもかなり優れていると自負するレベルで、現実にその方面の専門家などからは高く評価してもらえました。日経に至っては後追ってきたし。
 しかし内容がしっかり詰まっている分、自分としてはわかりやすく書いているつもりですが、その記事内容の価値に気が付かないし理解できない人は少なくなかったと思います。逆に大江戸温泉は中身が何もない分、記事内容を理解できたからこそああしてコメントを残せるんじゃないかなと思うとともに、中身があってアクセス稼げない記事と、中身がなくてアクセス稼げる記事の塩梅は改めて難しいように思えます。

 二つ目に気になったこととして、中身がないというコメントが多かった一方、意図的にアクセント入れた一節には誰も触れないし気が付いてないんだなとやや呆れました。その個所は上記リンク先2ページ目末尾にある、「また私が得ている情報から判断すれば、今後も同社が何らかの抗議をすることはあり得ないと思われます。」という箇所です。
 自らを指す呼称をわざと通常使う「筆者」ではなく「私」と変えて書いておいたのですが、何故だか誰もこの点について突っ込んできませんでした。ちなみに今日この記事読んだ知人から、「もう三軒目まで計画できてるよ」と通知受けました。

 それにしてもほとんど力を入れずにとりあえず一周年という記念的に書いたこの記事が、JBpressのアクセスランキングで久々に1位を取っているという事実は自分としてもかなり複雑です。先に挙げたかこの二つの記事の方が質としては非常に高いのにあまり読まれていないということ自体残念ですし、これまでも手を抜いた記事の方がアクセスがいい傾向にあり、前述の通り内容と人気を両立させることは難しいです。
 っていうか次の記事を今週末書かなきゃいけないのに何も準備していません。友人からは中国人の副業について書いてほしいと言われ軽くリサーチしましたが、どうも中国人にとって副業に手を出すことは当たり前過ぎて珍しくないのか、あまり現地メディアは取り上げていないしこれといった統計もなく記事化は無理だということに気が付きました。「中国人の働き方」でまとめるなら書けるのでそれで行くか、長城汽車について触れるか、中国人の中二病体質について書くか、上海の歴史について書くか。最後の上海の歴史はその気になればいつでもかけるため保険として残しておきたいのもあるため、多分書かないでしょうが、この記事が掲載されるということは私がネタ探しに苦しんでいると思ってもらっても間違いないでしょう。

2017年12月18日月曜日

中国軍機の対馬海峡通過について

中国軍5機が対馬海峡通過 戦闘機は初めて(産経新聞)

 たまたまですがさっき見ていたテレビニュースでこのニュースを中国側も報じていました。にしても中国の軍人はいかにも台本めいたセリフを毎回インタビューで話すから発音とか確認しやすい。
 内容については中国側は「日本海の対馬海峡へ遠洋訓練をしに行った」と主張し、いかなる国際法も侵犯しておらず、通常の訓練の一環でこの手の訓練としては過去3年間通して行っていると言ってました。実際、今回は領空侵犯はなかったわけですが、こちらの映像に映っていた戦闘機はSu30だったのかと(複数種類あり、高速爆撃機らしい機体もあった)産経の記事でわかりました。妙に機種部がくびれていたので印象に残りました。

 あともう一つ気になった点として、「東海」ではなくちゃんと「日本海」という呼称を中国は使ってくれてて一安心です。ある意味、領空侵犯よりこういう韓国のわけのわからない名称変更の方が領土保全的には問題だと思います。

元国税庁職員の女優

 今日ふと、テンキーが左側に付いたキーボードってないかなとふと思いました。あるにはある用ですがあまり人気がないため値段が高く、それなら別にUSB接続のテンキー買って、テンキーの付いてない無線キーボードのがありかなと思えてきました。今使っているのはマウスとキーボードセットのロジテック製ですが、今度辺りサプライパーツや見に行こうかな。

 話は本題に入りますが、国税庁職員というと「マルサの女」をイメージする往年の方々も多いでしょうが、マルサこと国税局査察部は国税局の一部署で、全部署がみんなああいう活動しているわけではなく、また査察部ほど予算もないそうです。なんでそんなこと知ってるのかというと先月(2017年12月号)の文藝春秋で、かつて国税庁で働いていて現在は女優をしている山村紅葉氏が証言しているからです。

山村紅葉(Wikipedia)

 山村紅葉氏はミステリー作家の故山村美紗の娘で、母の作品を筆頭にバラエティやテレビドラマなどで現在も活躍を続けている女優です。残念なことに私はあまり出演作を見たことはないのですが、文藝春秋に掲載されたインタビュー記事で大学卒業後から結婚するまで働いていた国税庁での仕事について触れられていました。

 紅葉氏によると、学生時代にふとしたことから毎年の脱税額の規模を見て、妙な正義感というかちゃんと納税されればもっと政府がいろんなことにお金を使えるのにと思ったことから国税庁入りを志望するようになったそうです。ただ先にも書いた通りに入庁した国税庁では予算がふんだんにあるわけではなく、地道な調査によって脱税などを取り締まっていたそうです。
 この取り締まり活動において紅葉氏は、学生時代から演劇をやっていたこともあり潜入捜査で引っ張りだこ(本人談)だったそうです。具体的には何も知らない女子大生とかOLの振りをして内偵先を訪れて下見などを行っていたそうですが、ある日に先輩の男性職員とともに、疑惑のあるパチンコ店へカップルに扮して内偵へ行ったそうです。

 先輩職員からは、「俺が色々見てくるから、お前は適当にパチンコ打ってろ」と指示があり言われた通りにパチンコ打ってたら、偶然にも大当たりしてしまったそうです。しかし紅葉氏はそもそもパチンコを打ったことがなく、次から次へと出てくる球の処理が分からなくて受け箱を差し込むこともできず、終いには溢れ出た球が床にこぼれ出す始末になってしまったそうです。
 その間、彼氏役の先輩職員は何をしていたのかというと、店側にツラが割れるのを恐れてかそのまま現場を去ってしまっていたそうです。この時の気持ちとして紅葉氏は、「彼氏に置いてかれた彼女役を演じる羽目となった」と述べていますが、普通に置いてかれてるので演技じゃないだろもはやそれとツッコミたくなりました。

 その後、紅葉氏は結婚を機に退職後、女優活動を再開して現在に至るようですが、演技の心得があるというのが国税庁での仕事で役に立つとはなかなか興味深く感じます。もちろん演技力があるから紅葉氏は国税庁に入庁できたわけではなく、その他の求められる能力もすべて満たしていたからこその入庁で、あくまで演技力はパチンコ同様にたまたま役に立つ素養だったということでしょう。
 これを採用活動という面で見てみると、現場の仕事で役には立つが採用には役に立たないスキルという風に見えます。実際私も、国税庁の採用において演技力を重視するか否かと言ったらしなくていいと思いますし、する方が間違いだとは思います。しかしそれでも演技力は実際の仕事では役に立つわけですから、仕事で使える能力が採用に直結するわけではないという例でいえば好例な感があります。

 翻って見てみると、かつてパワプロに例えるなら「基本能力は守備力を除きどれも大したことないけど、各状況で発動される特殊能力が非常に豊富」と自ら例えた自分なんかは、採用する側からすれば取るに決め手に欠ける人材に見えたことでしょう。ちなみにどの職場でも入った後で意外に高く評価されるのはExcelの知識と作成力で、文章力に関してはメインスキルとして求められる新聞社では拾い物だったと評価されました。
 最後にその文章力についてですが、もちろん一般企業でこの文章力一点で以って採用を決めるべきではないと私は思いますが、文章力のある人間を一人か二人囲っておくと、報告書をはじめとする通達関連のコミュニケーションはうんと好転するように思います。いろんな会社のプレスリリースとか見るとIT系企業を中心に、「こいつらどれだけ社内コミュニケーションで齟齬起こし合ってるんだろう」と思うような文書を見ることは珍しくなく、書道がうまい人よりも文書書くのがうまい人のがいないよりかはいた方がいい気がします。

2017年12月17日日曜日

マウスコンピューターのノートPCの感想(LB-F551XN-S2-B)

 先日、友人に尋ねられたので、今年購入したマウスコンピューターのノートパソコンの感想について簡単に記しておきます。

LuvBook F シリーズ LB-F551XN-S2 仕様詳細(マウスコンピューター)

 マウスコンピューターについてはいわゆるBTO、直販よりも仕様を個別オーダーする方式での販売を思とするパソコンメーカーでです。私は今年前半までちょうど新聞記者となった2011年に購入したNEC LavieシリーズのノートPCを使っていましたが、既に購入から6年近くが経過していたこともあり将来的なクラッシュ可能性を考慮し、また密かにノートPCハードウェアの購入が好きだという趣味もあって買い替えを決断しました。最も知人からは、「ノートPCで5年も持つの?」と逆に驚かれましたが。

 購入選定に当たってちょっと障害だったのは、それまで使っていたLavieの性能がやや高すぎたことです。ちょうど日本が円高の最中に、オノデンで格安で売られていたものを購入したせいで、2011年製でありながらCPUはCorei5だし、メモリも4GBあり、おまけにブルーレイディスクを搭載していたため、買い替えでこのスペック以下のパソコンは正直購入したくなくてこの条件以上で、尚且つ記憶媒体はHDではなくSSD、さらにメモリも最低8GBは欲しいという要望となりました。
 まとめると以下の通りです。

<要求スペック>
CPU:Corei5かCorei7
メモリ:8GB以上
記憶媒体:SSD限定
ディスプレイ:15.6インチ(DVDとか基本パソコンで見るから)
Office:Powerpointも使えるバージョン込み
デザイン:個性あふれる感
値段:できれば10万円強

 この条件で探したところ、メモリとSSDに関しては割とどこのメーカーでも簡単に条件をクリアしたものの、CPUについてはCeleronシリーズがやけに多く、Coreiシリーズを選ぶとなると途端に値段が跳ね上がる、もしくはそもそもオプションなどのラインナップに入っていないということに気が付きました。昔(90年代)と違ってメモリ量さえ確保されていれば速度的にはそれほど問題ないかなと思いつつも、なんでもって6年前に購入したノートPC以下のCPU載せるねんとか思い納得いかず探し回りましたが、どうしても条件をクリアするマシンが見つからず、後半に至ってはいくらかCPUを妥協することすら検討しました。

 最終的に上記条件を満たした上、プラス9800円でメモリを16GBにアップグレードできることが決め手となり、マウスコンピューターの「LB-F551XN-S2-B」の購入を決めました。オプション込みで購入したスペックと価格は以下の通りです。

<購入スペック>
CPU;Corei5
メモリ:16GB
記憶媒体:SSD240GB
ディスプレイ:フルHD15.6インチ
Office:Powerpointも使えるバージョン込み
デザイン:くっそダサく色も黒色オンリー
価格:約13.6万円(税込み)

 購入の決め手は上記にも書いた通りにメモリのアップグレードが異常に安かったのと、他社で似たスペック(メモリは8GB)で購入しようとしたら18万円くらいかかるというコストパフォーマンスの高さです。
 では実際に使ってみた感じはどうなのか。結論から書けばコストパフォーマンスは非常に高いものの痒い所に手が届いておらず、設計面で意外に稚拙さを感じます

 まず性能面では充実のCPUとメモリの量から全く申し分なく、初SSD搭載機ということもあってかデータの処理速度は驚くほどで、現在に至るまでこの点に関しては一度も不満を感じることはありません。
 一方、周辺機器というかハードウェアではやや細かいと自認するものの、不満を感じる点が多々あります。まず第一にキーボードレイアウトで、現在私は外付けキーボードを使うため影響はないのですが、ノートPC本体についているキーボードは少し使ってみたところ、あまり出来合いが良くない印象を覚えます。具体的には右Shiftキーが異常に小さく、また矢印キーが右Shiftキーとテンキーととの間に空間が設けられておらず、ブラインドタッチ時に区別できずミスタイプすることが多いです。特に右Shiftキーの小ささは異常で、他のキーと二周りくらい小さいためにキーを指で探っていると同じく小さい「_キー」とともにすっと滑ってしまい、ミスタイプが多発します。っていうかこの辺り、句読点のキーとも混同しやすく半端なく打ち間違えやすいです。

 次に、一番自分が不満に感じた点ですが、イヤホンジャックの位置が最悪です。具体的な場所はPC本体右側面の手前部で、ここにイヤホンジャックを挿すとマウスを持つ手と見事にぶつかり、左利きだったら問題ないでしょうが、かなりストレス感じます。またイヤホンの線もこの関係から、特に私のように外付けキーボードを使っていると、ホームラインの位置上、どうしても外付けキーボードの上をイヤホンの線が乗っかることになり、対応するにはイヤホンの線を本体キーボードの上で大きく左側にもっていかなければならず、見栄え的にも配置的にもあまりよくありません。
 これらの問題はイヤホンジャックを左側面に持ってきていればそれで済む話で、一体何故右側面部に持ってきたのかが理解できません。NECのLavieはまさにこの点で左側面部にジャックがあり、不満を感じることは一切ありませんでした。

 同様に、USBポートの位置もちょっと悩む位置です。左右どちらにもありますが(USB3.0は左側のみ)、左右ともに手前側にあり、イヤホンと同じく邪魔な位置にあります。やはり前のLavieが奥側にこれらジャックが付いていたせいもあるでしょうが、非常に位置的に気になる箇所であるとともに、マウスを使う右側にラインのあるUSB周辺機器を付けてしまったらもう絶望的です。現在のところ、無線マウス+キーボードの受信機のみ右側につけているので、大きな問題にはなっていませんが。

 あとこれは確実な不具合として述べますが、イヤホンジャックの端子がちょっとおかしいです。具体的にはイヤホンを付けてもきちんと接続されないことが多々あり、音声が一部入ってこないということが頻繁に起こっています。最初はイヤホンが故障したのかと思って新しいのを購入して何度もつけなおしましたが問題は解消されず、最終的に接続した端子をこねくり回すことで初めてきちんと接続されることに気が付きました。
 恐らくですが内部端子の位置が悪い、もしくは固定がうまくなされていないせいだと思え、つい昨日もイヤホンを付けたところやけに音量が小さいなと思ったら、接続したイヤホン端子をトントンと叩いて解消した有様です。この点に関してはマウスコンピューターのサポートへはっきり伝え、向こう側も無償で点検するのでPC本体を持ってきてほしいと言われましたが、「こっちは中国だ。おいそれと日本に帰れない」と伝え、先ほどの端子位置と合わせて以降の設計の参考にしてほしいとだけ伝えました。

 さらにこれは好みの問題かもしれませんが、スピーカーの位置をどうしてみんな手前に置くのか不思議です。これは前のLavieもそうでしたが、スピーカーが本体手前下部についているせいで、本体手前に物置いたり、本体の置き場所を柔らかいものの上に置いたりすると露骨に音響が変わります。特にこれが深刻なのは本体キーボードを叩く時で、キーボードを叩く腕によって音の音量なり音響なりが変わってくるので一体何故この位置につけ用とするのかが理解できません。
 なら外付けスピーカー付けろよと言われるかもしれませんが、先ほど述べたイヤホンジャックの位置の関係からつける予定はなく、Bluetoothにすりゃいいじゃんかという意見もありますが電池変えたりするのが面倒なのでこれもパスです。個人的には東芝のDynabookシリーズのように、ノートPCのスピーカーはヒンジ部手前、言い換えると本体キーボードの奥につけるのがベストだと思え、イヤホンジャックやUSBポートともども、多少本体の厚みが増してもいいからこういうところに気を使ってほしいと本気で思います。

 以上に挙げている点はスピーカー位置を除き、Lavie時代にはどれも一切気にしたことがなかったポイントでした。それだけLavieが設計面で優れていたと言えばそれまでですが、今回の1件を経て次にノートPCを購入する際は値段や性能以前に、これら周辺機器の配置も気にする必要があることを本気で学びましたし、これから購入される方も以上の点について注意されることをお勧めします。

 上にも書いている通り、パソコンメーカーの方々は安くで販売されることももちろん大事ですが、それ以上にこうした細かい設計面にもうちょっと気を使ってほしいと言いたいです。特に接続端子位置は自分のように狭い机でPC作業をする側からしたら死活問題と言ってよく、ほんのちょっとの気遣いで取り回しが大きく変わって来ます。それだけに多少本体が分厚くなっても、っていうより薄さなんてはっきり言ってクソどうでもいいから、端子類はなるべく奥に、でもってスピーカーはヒンジ部に置くよう努力してほしいです。

 最後にPC選びの個人的こだわりとして、HPのパソコンは私は絶対に買わないようにしています。理由は何故かというとキーボード配置が日本仕様になっていないケースが多いことに加え、タッチパッドのオンオフが以前VIOSでしか切り替えられなかったからです。今はどうだか知りませんが、日本メーカー製のPCなら当たり前にデスクトップ上で切り替えられるのに対し、HPはVIOSでしか切り替えられず、オン状態だとキーボード叩いてるそばからマウスカーソルが動いてミスタイプが多発していました。かといって切っておくと、突然無線マウスが使えなくなった時に齟齬が生じる可能性が高く、不満を通り越して憎悪すら感じたのでそれ以来HPのパソコンは買わないようにしています。
 っていうかやっぱり、端子位置を含め多少値段が上がったとしても店頭で来て見て触って買うのがベターかもしれません。もっとも、このフレーズを作った富士通のPCもテレビCMが見てるだけでイライラするから絶対買わないようにしているけど。

2017年12月16日土曜日

水木しげるの弟子

 先日、以下の商品を発見して即購入しました。



 この漫画の作者は40年超にも渡り水木しげるの執筆を支えてきた、水木プロのチーフアシスタントである村澤昌夫氏による水木しげるとの回顧録です。表紙を見てもらえばわかる通り、2年前に亡くなられた水木しげるの画風そっくりで、内容も話の展開からあの独特な絵柄に至るまでこんな人がいたのかと驚くくらいにそっくりです。
 この漫画の巻末には作家の京極夏彦氏があとがきを書いているのですが、さすが京極先生というべきか、この村澤氏について非常に簡潔ながら肝要な紹介がなされてあり、その文章を読むだけでもこの村澤氏という存在がいかに大きいかがよくわかってくるほどです。

 あとがきの内容を簡単にまとめると、いわゆる「水木しげるの弟子」としては京極氏や荒俣宏氏をはじめたくさんいるが、これらはどれも「追っかけ弟子」であり水木しげるの思想のファンでしかないが、村澤氏に至っては40年超も水木しげるのそばで寝食し(現在はわからないが昔は住み込みアシスタントとして水木宅に常駐)、またその絵柄から価値観までを最大限に吸収した真の「水木しげるの弟子」であると評しています。
 水木しげるのアシスタントについて京極氏は、「つげ義春氏や池上遼一氏など漫画界の重鎮たる人物も水木しげるのアシスタントを経験したが、つげ氏に至っては元から、池上氏に至っては独り立ちしてからそれぞれ独自の世界を持つようになり、厳密な意味での水木しげるのフォロワーとは言い切れない」とし、それと比べ村澤氏については未だに過去の自分の絵柄と見比べながら、「ここが水木センセイとは違う」と水木しげるの後を追うことについて非常に熱心であるとも書いています。

 この京極氏の批評については私自身も全く同感です。例えば手塚治虫のフォロワーであれば藤子不二雄を始めたくさんいますが、水木しげるのフォロワーとなると実はほとんどいません。そもそも水木しげる自体が変わり者揃いである漫画家の中でも一際特異な人物であったことはもとより、京極氏曰く「漫画家でもあり画家でもあった」とされるように、独自の描き方というか技法を持っていたことから、追随する人間が実はあまり生まれなかったのではないかと私は思います。
 特にそれが顕著なのは「背景」です」。普通の価値観から言えば点と点をつなぐことで線となり、線と線をつなぐことで面となり、面と面をつなぐことで立体となります。しかし水木作品の多くの背景は点描、つまり点々でもって立体的に描かれてあり、この技法により恐ろしく写実的な背景画が描かれています。

 この水木作品の背景について、「中古軽自動車に妖怪百体描けるかな?」を見事実践した「妖怪百鬼夜号計画」のTAC氏もかつて、車体に妖怪をたくさん描きつつもそのどれもが見ていて怖くないことに気が付いたことを書いた上で、「水木作品の妖怪はいかにも普通の日常そうな場面に描かれていたから、おどろおどろしく怖かった」ということに気が付いたと確か書いていました。最初にこのコメントを読んだ際は絵描きの感覚からはそうなんだとしか覚えなかったものの、改めて点描で描かれた水木作品の背景を見るにつれ、それが如何に特別なものであったのかが段々気が付いてきました。

 この点描の背景については村澤氏の漫画でも言及されており、「完成後の出来合いは素晴らしいが、労力が半端じゃない」と書いています。その一方、この漫画の背景も点描で描かれており、特に水木しげるとヨーロッパを旅行した際に回った修道院の中などは、どうやったらこういう風に書けるんだろうと思うくらいに不思議な写実感を感じる背景となっており、水木しげる本人が描いたと言われればそのまま信じてしまうくらいに再現されています。

 このブログでは作品の紹介をするくらいでそれほどプッシュはしないようにはしていますが、この作品については水木しげるが大好きな方は是非とも手に取ることをお勧めします。続きが出るかわからないけど、出たら私は必ず買うでしょう。



 なお今回商品リンクを探している最中、上記の商品もついでに発見しました。こんなものまで出ているとはと思うとともに、改めて水木しげるの影響力凄いなと感じました。

2017年12月14日木曜日

気になる二つの裁判結果

 先日、エリカが例えてあげるなら、ランボーにとってのトラウトマン大佐のような元戦友(=元同僚)と3年ぶりに再会した際、「新聞記者時代より今の方が取材して記事書いてんじゃん」と言われました。事実その通りだから困るし、「記者時代にこれだけ取材して書いてたら周りからものすごい評価されたと思うよ」とも言われました。
 それにしてもただでさえ古い言い回しに古典映画の喩えを用いるのは我ながらどうかと思います。そもそも普通に、「ランボーで例えるなら」でもいい気がするし。

藤井美濃加茂市長「悔しい」憤り 混乱避け辞職決断(岐阜新聞)

 話は本題に入りますが、私もこのブログで追ってた美濃加茂市長の裁判で、最高裁も高裁判決を支持して有罪が確定されました。過去の記事でも書いているようにこの裁判については冤罪としか思えない内容で、そもそも高裁審理では一切何も新たな証拠や証言が出ていないにもかかわらず一審の無罪判決が二審では逆転有罪となった時点でおかしかったですが、かえってなにも新証拠が出てこなかっただけに今回の三審についてはやはりという感情が思い立ちました。
 裁判員裁判の開始や足利事件以降はこうした冤罪は減り、あの東電OL殺人事件すらも再審がなされたことから大分マシになったと思ってはいたものの、未だに日本の司法は問題が多いと改めて痛感する出来事と言えそうです。

コーエーに特許侵害で賠償命令 カプコンの訴え一部認め(朝日新聞)
コーエーテクモ、カプコンからの特許権侵害訴訟に一部勝訴―『真・三國無双』シリーズなどに関する訴えが棄却に(インサイド)

 続いて気になったのがこの裁判結果です。敢えて二つの記事のリンクを付けましたが、見出しによってこうも印象変わるんだなと思うとともに、下のインサイドの方ではコーエーテクモをやや応援する側についてように見えますが、私もこの件では同じ見方です。
 この裁判を簡単に説明すると、カプコンが自社ゲームの技術特許をコーエーテクモが無断で使用して侵害していると訴えたものですが、カプコンがパクられたと主張したゲーム(戦国BASARA)はそもそも誰がどう見てもコーエーのゲーム(戦国無双)をパクって作られたものであっただけに、3年前の提訴時には「え、訴えたの逆じゃないの?」と誰もが思った曰くつきの裁判でした。しかもカプコンが権利侵害を主張した技術は、元のゲームに追加要素を加えたアペンドゲームと、アペンド対象となる元のゲームを連動させる技術で、この技術自体はPCゲームを中心にかなり昔から存在しており、またコーエーは90年代からこうしたアペンドゲーム(いわゆる「パワーアップキット」)を出している老舗だっただけに、私自身もカプコンはここまで落ちぶれたかと思う内容でした。

 今回、3年にも渡る裁判がようやく決着がついたのですが、結果的には上記のアペンドゲームに関する特許侵害は一切認められず、コーエーテクモ側の主張が完全に認められました。その一方、自分も知らなかったのですがこれとは別に特許侵害が主張されてた技術があり、その技術についてはカプコン側の主張が一部認められ、特許侵害があるとして請求額4700万円に対し517万円の賠償支払いをコーエーテクモが命じられました。
 なおこの特許侵害が認められた方の技術ですが、何でも敵が近づいたらコントローラーが振動するという技術だそうで、率直に言ってなんだそりゃと呆れました。こうしたコントローラーをゲームの展開に合わせ振動させる演出なんてごく一般的であり、コーエーテクモ以外にも同じような演出のあるゲームなんてごまんとあります(振動ではなく音だけなら「エネミーゼロ」とか)。請求額が大きく削られたとはいえ、この件でコーエーテクモ側に賠償が命じられるのはおかしいと思うとともに、こんなすっとんきょんな主張したカプコンはますます嫌いになりました。

 全体から見れば確かにコーエーテクモに一部賠償が命じられたものの、インサイドの記事が書くようにどっちかと言えばコーエーテクモ側の勝訴と言っていい判決だと私も思います。しかし上記にも書いている通りにカプコン側の主張は普通に考えていちゃもんとしか思えない内容なだけに、私としてもぜひともコーエーテクモには控訴してもらって、次の裁判で完膚なきまでカプコンを叩いてもらいたいのが本音です。

 なお本題から少しずれるかもしれませんが、コーエーテクモのゲームにはたまに妙なシステムが搭載されていることがあり、いくつか例を挙げると「ニンジャガイデンシリーズ」では、コントローラを上下に振ると画面上の女性キャラの胸が揺れるというシステムがあり、最初これ聞いた時、「考えた奴、頭おかしいんじゃないか?」と本気で狂気を感じました。また格闘ゲームの「デッドオアアライブ」では、戦闘時間が経過すると汗でキャラクターの服が段々透けてくるというシステムがあり、これも発想からしておかしいと思うし、実際に搭載してしまうのはもっとおかしいと感じました。
 詳しく調べていないのでわかりませんが、上記2つのシステムについてコーエーテクモは特許を取ってるのか今やたらと気になります。っていうか、こんな下品なシステムに特許取ろうとすること自体なんかアレな感じしますが、このシステムで特許権侵害の裁判とか起こったら一体どうなるのか、いろいろと想像つきません。

2017年12月12日火曜日

中国の格差の実体~職業間格差

 体調が悪くまた更新が空きました。今後の更新についても未知数です。

 さてここまでしばらく中国の格差についていくつか記事を書いてきましたが、今回が最後ということでやや趣向を変えて職業間格差について触れます。結論から言うと、中国では職業間の給与格差が非常に大きいです。

 日本国内でいえば、証券をはじめとした金融系だとやや給与が高く、外資だとさらにその傾向が強くなるくらいで、ほかの業種に関してははっきり言ってそれほど差があるとは言えず、むしろ会社規模による差しかないでしょう。これが中国だと大きく異なり、その就いている職業によって給与額は大きく変わってきます。
 比較的高収入なのは、日本と同じく金融系のほか、本人に技術があること前提ですがIT系の職業もやや高めです。もっともIT系の場合、いくらか実力あったらすぐ独立しちゃいますが。そのほかだと目立って高いなと感じるのは研究職で、先日にファーウェイが日本国内で大卒初任給月40万円という報酬で研究者を募集したことが話題になりましたが、実力さえ認められればこうした高収入の待遇は中国ではよくあることです。

 逆に低収入な職種や業種と言ったら、細かくは見ていませんが営業系なんかかなり安い気がします。その理由というのも、特段資格が求められるわけでもないし誰でもできるからです。むしろ工場内の技術者なんかは高収入で雇われることが多く、また経理に関しても日本とは違って中国だと一定の資格保有が要求されるので、高収入ってわけではありませんが日本よりはやや保護されてます。

 こうした傾向が特に現れるのは初任給で、全業種でほぼ横並びな日本と違い、たとえ同じ会社であっても職種によって中国では初任給が変わってきます。むしろ中国人からしたら、「なんで仕事の内容違うのに給与同じなの?」って疑問に思われるでしょうし、実際その通りとしか言いようありません。
 この記事で何が言いたいかというと、中国は仕事内容で給与が変わり、きちんと競争原理が働いてて実力が認められたら給与が上がるか、もっと給与のいい別の会社へ移るということです。逆を言えば、こんな当たり前のことが日本では起こっておらず、未だに仕事内容や役職よりも勤続年数で給与が普通に決まってしまっていることに私が疑問を感じてるってことです。

 ちなみに金額で表すと、上海周辺の大卒初任給は大体4000元(6.8万円)ですが、もらう人によってはいきなり1万元(17万円)行く人だっています。その後の昇給幅ももちろん後者の方が高く、30代で月収10万元行く人もいれば大半は1万元にも届きません。

 今回、敢えてこの職業間の賃金の差を「格差」と表現しましたが、この格差を私は批判するつもりはなくむしろあって然るべきものだと考えています。では何故日本にはそれがないのかって話ですが、そもそも日本の経営者にはいい人材を雇おうという意識もなければ、日本社会全体で同一賃金同一労働の概念が極端に薄いことが何よりの原因ではないかと考えています。では何によって賃金額が決まるかっていえばさっきにも書いた通りに勤続年数、それと正規か不正規かによる身分の違いしかなく、特に後者に関してははっきり身分格差と言っても過言じゃないでしょう。
 最初にも書いた通りに中国の格差をやたらと気にする日本人は多いですが、身分格差を実質是認している日本人が気にすることなのかと私には不思議でなりません。身分格差を是認しているからこそ非正規への転落を恐れるのだろうし、また雇用側も一度非正規に落ちた人間の対応は正規だけで歩んできた人と比べ物凄い対応を変えてくるだけに、階層社会にもう入っているのかなとも最近思えます。中国は戸籍をはじめ確かに大きな格差は存在しますが、労働間の格差は競争によって成り立っており、これを不当だという中国人は独占産業を除きまずみません。

2017年12月7日木曜日

中国の格差の実体~都市間

 体力が付きかけているので短くまとめると、あまり言及されないけど結構大きな差になってきているとこのところ思う中国の格差として、都市間格差があります。これはある意味日本にも存在するものですが、中国の場合だとどの省・都市に戸籍を置いているのかがかなり人生にも影響し、日本の比ではありません。

 まず一番大きいのは医療と年金です。全国共通の日本とは違ってどの治療にどれだけ行政の補助が得られるかは中国だと都市によって違い、上海なんかだと無料で手に入る薬が他の都市ではそうもいかないということもざらです。年金も同様で、どの都市の戸籍であるかによって得られる金額が変わってきます。

 このほか細かい差を挙げると切りがないですが、どの都市に戸籍があるのかは高年齢になるにつれ中国では差が出てくるような気がします。住宅についても地元に戸籍があると転売用に2軒目も購入しやすいですし、ローンも組み立てやすいと聞くだけに、不動産価格の上昇が著しい大都市ほどこの恩恵が受けられることとなります。
 この都市間格差については今のところ中国全体で是正しようというような声すらほとんど見ず、存在に気づいてはいるものの誰も手出しできないような状況で、恐らく今後さらにその格差が広がっていくことでしょう。

 以上、力尽きたのでここまで。

2017年12月5日火曜日

中国の格差の実体~都市住民と農民

 数年ぶりかと思うくらいに体調が悪化し、昨日一昨日の丸二日間ずっと布団に寝込んでいました。風邪薬飲んでも効かなかったのに、寝すぎて頭痛くなったから飲んだ頭痛薬飲んだらすぐ治ったのがマジ不思議。

 そんなんでまだ体力ないまま続けると、中国の格差といって一般的にこれが指すものは都市住民と農民の格差でしょう。知ってる人には早いですが、中国の戸籍では出身地や民族を区別するほか、その人が「都市住民」か「農民」かをも定義しています。当然、何方に所属するかでその社会的な地位や役割は異なってくるわけで、農民戸籍の人は都市部に正式に定住することは認められないほか、農業的な義務もいろいろ持たされ、言い方を変えればかなりの面で土地に縛られた人生を要求されることになります。

 言うまでもなく、消費生活においては都市住民の方が有利です。安定した現金収入が得られるほか都市の運営する社会サービスや福祉も享受でき、また大学受験においても地元都市であれば優遇が得られます。一方、農民戸籍であれば以上の優遇はなく、また農作物を生産することから食うには困らないものの現金収入はほとんど得られず、この境遇から抜け出そうと思っても自力で商売を始めることもできず脱出することもなかなか適いません。

 そもそも一体何故中国はこのように都市と農村で戸籍を分けたのかというと、一言で言えば食糧生産量を確保するため、もう一つとしては都市部へ無尽蔵に人口が流入するのを避けるためです。このため、実質移動の自由を国民から奪い、ほぼ身分制のような二大戸籍区分を作ったわけです。
 この農村戸籍からの脱出方法として一番メジャーだったのは、やはり大学進学でした。学業によって大学に合格し、卒業時に都市部にある企業に就職内定を得られればそのまま都市戸籍への変更が行えました。逆に、大学卒業時に就職を果たせないと戸籍は元の農村戸籍のままなので、実家に送り返される羽目となるわけです。

 このように社会上で様々な制限を受ける中国の農民ですが、現実には都市部には農村から来た出稼ぎ農民が大量にいて、彼らの労働力なくしては都市部経済糊塗3K労働は何も回りません。これは一体何故かというと、現状の規定ではあくまで「定住」がダメということで、普通に賃貸借りて現地で働く分には制限がないためです。ただ、制限はないものの保障も支援もないわけで、就学年齢子弟がいても出稼ぎ先の都市部では一切就学支援が受けられないどころか、医療等でも保障はないため、幼い子供を農村に置きながら両親は都市部で出稼ぎをし続けるという光景も中国では決して珍しくはありません。
 先ほどにも書いた通りに農民は食うにはそれほど困らないものの、現実には資本主義な現代中国では現金収入がなければ生きていくには困難であり、また子供の就学などにもお金がいることから出稼ぎを余儀なくされます。

 以上がざっとした中国の農民の現状、と言いたいところですが、近年この状況に大きな変化が起きつつあります。
 あまり日系メディアは報じないものの、農村準民の都市戸籍への変更は以前に比べ大分緩和されました。何故かというと中国政府自身が食糧生産の維持よりも消費増加による市場拡大を図ってきているからです。農村住民と都市住民とでは年間消費額で大きな違いがあることから、農民を都市住民にすることで消費を拡大させようという考えの下でこうした措置が取られています。

 実際、一部地方では農民が希望さえすれば都市戸籍に変更できる上で、都市での一定の住居(詳細は調べていないが)等も提供された上で都市部で生活できるようになっているそうです。ただし、これらはあくまで一部都市での話であり、北京や上海といった大都市では戸籍を取るには依然と厳しい条件が課されています。
 また上記のような手続きを経て都市住民となったものの、定職が見つからず結局また別の大都市に行って出稼ぎを行う元農民というのも少なくないそうです。中国政府は現在も「都市化」をキーワードに都市住民の拡大を図っていますが、現実には様々な困難が起こっています。

 少しここで結論をまとめると、農民と都市住民の間には間違いなく未だに大きな格差があります。ただ、中国政府はこの格差の是正については非常に熱心であり実際に大量の資金を投入して対策を行ってきており、かつてと比べればこの格差は改善しつつあるのが私の見解です。現実に2011年に都市人口が農村人口を初めて逆転して以降、農村人口は減少する一方で都市人口は増加し続けています。
 まぁそしたらそしたで中国の食糧問題が気になるわけですが、そこは機械化に期待しましょう。

 私個人として気に入らないのは、よく日本の報道がかなり古い情報のままアップデートせずにこの都市と農村の格差を語ることが多いことです。現実にはすでに述べている通り確かに格差は未だ大きく開いてはいるものの、その差は確実に是正されつつあり、現実に10年前と今を比べたら驚くべきほどの改善ぶりです。しかし日系メディアはさっき上げた人口比率のデータどころか所得格差のデータ分析すら行わずに「絶望の中国農民」等と書き立てています。
 無論、格差は存在することは間違いないものの、是正されるつある現状、そして是正に努力する今の中国を語らないというのは何なんだという気がしてなりません。「ならば今すぐこの格差を是正してみろ」と某赤い彗星みたいなことを言う人もいるかもしれませんが、一瞬でなくなるものならそれは格差じゃありません。少しずつ埋めていかなければならないほど深刻だからこそ格差であり、それを埋めるための努力をしている人たちを、格差を見て見ぬふりして何も是正に動かない人たちが笑うのが自分には許せなかったから、今ここに自分はいるのだと思います。

2017年12月2日土曜日

漫画レビュー「ゴールデンゴールド」

 先月に日本へ一時帰国してからこの一ヶ月間はずっと体調が悪く、今週に至ってはお尻からラー油が出るわ風邪ひいて鼻かむたびに鼻水に血が混じってるのを見るとマジビビります。そんな具合で体調良くないので好きに書ける漫画レビュー書きます。

 結論から言うと、この「ゴールデンゴールド」という作品については将来確実にアニメ化かドラマ化が実現すると断言できます。底知れないポテンシャルはもとより、ここ先が気になってしょうがない展開ぶりなど数年間で間違いなく最も優れた漫画作品ではないかとすら思えるような面白さです。
 私がこの作品を知ったのはAmazonの売り上げランキングで上位に入っていたことと、その特徴的な表紙から「中身が全く読めない」という印象を覚えたことからでした。てっきり、表紙に出ている女子高生と変な生物がドタバタをやらかすギャグコメディではないかと想像していました。
 では実際はどうか。簡単にあらすじを話すと、以下の通りです。

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 広島県の離島に住む女子中学生の主人公はある日、海辺で小さな仏像のようなものを拾い、なんとなくお堂に入れて拝んだところその仏像は子供くらいの大きさの人形となり、突然動き始めます。しかも知らないうちに主人公の家に上がり込みながら、主人公の祖母をはじめその島の出身者は誰もその異様な姿を見とがめることはせず、特に疑問を持たず同じ屋根の下で暮らし始めます。そしてその人形が来てからというもの、祖母が経営する民宿、雑貨屋は急に繁盛し始め、コンビニにも鞍替えするなど環境が段々と変わっていき、「もしかしてあれはフクノカミなのでは?」と主人公らは考えていくようになります。
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 以上は本当に序盤のみのあらすじなのですが、回を追うごとにフクノカミとはどんな存在なのか、何が目的なのかという疑問がどんどんと膨らみ、その不気味さと相まって先が非常に気になっていきます。また主人公らが生活する離島、と言っても「ドクターコトー」ほどの鄙びた離島ではなくスーパーも高校も島内にある島ですが、その島の日常生活風景が非常に丁寧に書かれており、それだけに日常が段々とおかしくなっていく情景が妙なリアル感を持って描かれています。

 最初一読して感じた印象としては浦沢直樹氏の「20世紀少年」のような印象、日常が段々と非日常へと崩れていくようなイメージを感じました。ただミステリーじみた展開のあちらとは違ってこちらは明らかな超常現象というか見た目からして異様そのものなフクノカミが周りから一切特別視されずまるでそこにいるのが当然のように普段の日常世界が続いていきます。例えて言うなら明らかにおかしいものが画面に映ってるのに、誰も反応しないまま進行が続けられるテレビ番組というような不気味さで、この不気味さこそがこの作品のエッセンスだと思え、徐々にちりばめられるフクノカミに対するヒントなども非常に配置よく紹介されます。

 この作品を友人にも勧めてみたところ、「この作品は本当に凄い!」と今までにないような興奮した返事が返ってきました。ただ友人曰く、「最初の数話だけでは全く分からず、1巻丸ごと通しで読んでみて初めてその魅力に気が付けるような作品だ」そうで、この批評は全く持って私も同感です。チラ見した程度ではいまいちわかりづらいところがありますが、通しで読むことで段々と世界がおかしくなっていく展開が分かってくるだけに、やや敷居が高い作品であるでしょう。

 まどろっこしい語りとなってしまいましたが、余計なことを考えずとりあえず一読されることを強くお勧めできる作品です。私なんか1~3巻を購入するとそのまま三週くらい読み返しましたが、あらゆる意味でこの作品は現在の連載作品の中で別格です。


    

2017年12月1日金曜日

中国の格差の実態~昔と今

 前回記事に引き続きまた中国の格差の話です。

 まず格差と一言で言っても、どの格差を対象にするかで全然話は変わってきます。エリカが例えてあげるなら、ヒルズ族とネットカフェ難民の比較に対し、松戸市民と東大阪市民の比較だとその差の開きには大きな違いがあるでしょう。自分で言っててなんですが、松戸と東大阪の比較って逆にむずそう。
 なので、ちょっと自分の方でも頭の中をまとめたいのもあるだけにいくつかトピックを絞ってこの問題について書いてこうと思います。そこで今回は、多分自分しか書けないであろう中国の格差今昔こと今と昔の格差についてです。

 結論から書くと、自分の想像を超えるレベルで中国はその社会における格差をこの10年で是正したなと思います。私は2005年に留学で初めて中国を訪れましたが、その時の印象を述べるとやや粗野な人間と、人間以下のバーバリアンに分かれているのが中国だと思いました。
 ホワイトカラー的な仕事についている中国人はやや田舎っぽいところが残るものの普通にノートパソコンを使ったり、最新の携帯電話を使いこなすなど文明人らしく振舞っていましたが、そうでない中国人、具体的には出稼ぎできている農民などはそこらじゅうで唾吐いたりたちしょんしたり、すぐ怒鳴ったり平気で赤の他人に寄りかかったりするなどして、元々住んでいる都市住民が彼らを差別するのも無理ないなと思うような人間ばかりでした。

 現在もこういうバーバリアンな中国人がいないわけではないものの、それでも10年前と比べたら本当にレアな存在になり下がりました。また来ている服とかも、路上生活者ですら昔より大分マシになっており、本当に中国は豊かになったなぁと感じさせられます。もちろんこれはあくまで中国の都市の中の風景であって地方行ったらまだまだ話は違うだろうし、奥地の農村に至っては今でも水や電気といった最低限のインフラすらないところも珍しくはないでしょう。それでも、これは別の記事でも書きますが10年前と比べれば農村の生活は大分マシになり、また都市部への移住制限も緩和されたこともあって「どうあがいても這い上がれない」というレベルの格差は確実に減ってきていると断言できます。

 収入に関しても、中国はこの10年間で最低賃金が全国で約4倍くらい上昇しており、この最低賃金引上げは資本家にとってマイナスとなるのに対し底辺労働者は恩恵を蒙る政策なだけに、単純な収入格差はこの事実一つとっても大幅に是正されていると言えるかと思います。一方どっかの国は、GDPが過去最長の成長を見せていると言いながら、最低賃金基準も大卒平均初任給がビタ一文も動いてませんが。

 私個人の印象で述べると、かつての中国は都市に生まれるか、農村に生まれるかでどうしようもないくらいの差が存在しましたが、現在も農村生まれは大きなハンデを抱えるものの、かつてと比べれば脱出の道は数多く作られており、這い上がれないほどの壁の高さではなくなったという気がします。
 一方、高額所得者に関しても、一山当ててあり得ないほど金持ちな資本家は確かに多いものの、かつては成金で鳴らした資本家が事業の傾きによってあっさり破産するといった事例も少なくなく、割と市場の競争原理は働いている気がします。まぁ悪いことしておきながら国の救済受ける企業ももちろんありますが。

 大雑把なレベルで話しているので具体性が欠けますが、私は中国の社会全体で見れば昔よりは今は大分格差が是正されているのではという立場を取ります。かつての格差は人間か、非人間かというレベルでしたが、今の格差は勝者か敗者かというレベルであり、まだ機械というか勝負ができる社会にはなっているのではと思います。
 もっとも内陸の奥地行ったらまた話は違ってくるとは思いますが、少なくとも言えることは、日本以上に中国政府は格差是正について真剣に取り組んでいることは事実です。その差が今後どうなるかが非常に楽しみです。

2017年11月30日木曜日

中国の格差を何故日本人は気にするのか?

 先日コメント欄で中国の格差について質問があったので記事に書こうと思いますが、本題に応える前に私個人の疑問として、どうして日本人は中国の格差をやたら気にするのかということについて思いのままに書かせてもらおうと思います。

 まずこの質問ですが、ぶっちゃけすごくよく聞かれます。初対面の人に自己紹介がてら「中国にいた」というと、「ちなみに、中国の方の格差って……」という具合で高確率で聞かれます。どっちかと言えば「中国の食事ってどうだったんですか?」の方がやや多く、比率的には6:4くらいではあるものの、実質この二つの質問が中国に行ったことのない日本人から聞かれる質問トップ2です。
 中国の食べ物や食事について質問されるのはまだ理解でき、実際私もつい先日に知人には話したラー油事件が起こるなど、食事に関するトラブルは大分減ったものの存在し続け日本人も興味を持つのも自然なことでしょう。しかし格差については正直、一体何故これほど聞かれるのか本気で分からず、2013年に帰国していた折にやたら聞かれ続けてずっと不思議でした。

 前もっていうと、私自身は格差に関心がないわけではなく、むしろこの方面に対しトップクラスに関心が強い人間であると自負しています。エリカが例えてあげると、一般人がトノサマガエルなら、私はウシガエルくらい格差に対して強く関心があり、学生時代からしょっちゅうこの問題追っては仮説を検証し続け、現在もそこそこの知見はあると考えています。あの派遣マージン率調査なぞ最たるもので、断言しますがあの調査は私だからこそできたのであって私以外にはまず誰もできないものだったでしょう。

 そんな私がどうして日本人が中国の格差に関心を持つことに奇異を感じるのかというと、率直に言って自国の格差にはあまり目を向けないでおいてなんで中国の格差が気になるのかというのが分からないからです。恐らく間違いないでしょうが、中国の格差が気になる人は韓国、米国、インド、ネパール、東欧の格差については全く関心はなく、ピンポイントで中国の格差にのみ関心を持っていることでしょう。
 そして日本国内の格差については、多分同様にあまり関心が持たれてないでしょう。自分がやった派遣マージン率の調査でも、やはり反応を見ていると当事者である派遣労働者たちのアクションがあまりなかったし、今となっては派遣格差について議論する人すら消え失せました。

 このような疑問をずっと抱えていたのですが、今回改めてそうして日本人は中国の格差にだけ関心を持つのか考えてみたところ、割とすぐに仮説は浮かんできました。結論をここでいうと、目にする報道や現実にギャップがあって頭の中でいまいち理解できず、実態がどうなのか疑問を覚えているからではないかという気がします。

 この考えのベースとなっているのは、上海を初めて訪れた日本人はほぼ例外なく、「上海がこんなに大都市だとは思わなかった」と述べる感想からです。上海に関する報道は日本でもたくさんあると思うのに、ほぼ一様に上海の街の規模やインフラに嘆息してみせ、一体日本ではどう報じられているのか、恐らく未だに中国はバーバリアンが闊歩する修羅の国のように報じられているんじゃないかと内心で思いました。
 一方、現実では自分も何度も報じている通りにこのところ中国人は日本に大挙してやってきて膨大な買い物をして帰ります。恐らく日本国内にいる人たちからすれば、テレビや新聞では中国は未だ発展途上国で、最低限のインフラにさえ事欠き北京や上海のような大都市ではスラムが大量にできているなどと報じられているのに、日本に来る中国人はこれほどまで馬鹿買いしていくのは何故だろう的になって、中国国内には大量の貧困者がいる中、ごく一部の超裕福な中国人が日本に来ているのではと想像するようになったのかもしれません。またここまで行かずとも、同じ中国の報道でも上海の摩天楼と農村の貧しく差別される人たちが同時に映され、「これは本当に同じ国の話?」という具合で疑問に感じてるのかもしれません。

 まぁ何が原因かとなると、きちんと中国の実態をうまく報じる日系メディアが多くないってことに尽きます。実際ネットの報道見ていても中国に関しては妙なバイアスかかってますし、意図的に格下のように中国を報じてますから、こうなるのも案外不思議でないかもしれません。
 私個人としては先ほどにも書いた通り、所詮は外国の格差であって日本人がどうこう思ったところで何かが変わるわけでもなく、それよりむしろ自国の格差について考えたらどうかと気持ちが強いです。なおこのような価値観から、私は中国の路上生活者にカンパしないようにしています。カンパしたところで根本的解決にはつながらないし、またこれは中国人自身が対処するべき格差だと考えているからです。さすがに、賽銭箱に小銭は入れますが。

2017年11月28日火曜日

幻想に生きる日本人

 先日後輩から、「中国の事情を説明する際、必ず最初に日本を持ち上げること言わないといけないことに気が付きました」と言われました。その際の返答として、「俺の苦労が少しはわかったろう。俺が記事書くときはいっつもそれなんだぞ」と答えました。

 これはどういう意味かというと、全部が全部そうではないものの、既に中国の方が日本を上回っている面が多いということです。大都市部での生活の便利さはもとより、工場生産の技術力、コンプライアンス、麻婆豆腐のうまさなど、数え上げたら割と切りがありません。なおコンプライアンスについて先日、監査法人で働く中国人の知り合いが、

「アメリカの専門家が最近、中国企業より日系企業の方がコンプライアンスが低いと言ってた。その背景というのも、中国企業の場合は国も取引先も企業はコンプライアンスを能動的に守らないと把握して注意しているとともに、法規制も厳しく定められているが、日系企業の場合は国も取引先も企業はきちんと法律守っていると信じ込んで、相互牽制を果たしていないからだ」

 と言っていましたが、これに関しては私も全く同感です。今日も東レの件がばれましたが、日産にしろ神戸製鋼にしろ、真面目にもう中国メーカーを笑う時代ではないでしょう。

 話は最初に戻しますが、こうした日本を既に上回っている中国の面を日本人に紹介する際、それをそのまま言ってしまうとあまり具合がよくありません。率直に言って、そのまま話すと日本人は露骨に不機嫌となり、容易に反発を買うからです。なので後輩は、「日本は長年やってるだけあってこの方面は間違いないけど」などと最初に日本を持ち上げてから、「けど、最近中国も追い上げてきていて」などと、中国を一つ下に落とすような感じで話すようにしているそうです。私もそうです。

 特に私の場合、その後輩から、「花園さん、なんか狙われてるんじゃないですか?」と言われるくらいにJBpressで中国関連記事を書くたびにヤフコメが激しく炎上しますが、仮にありのまま(れりごー)に言いたいことをそのまま書いていたら、今以上に炎上することは間違いないでしょう。上記のように日本人が反発するということを私もわかっているだけに、記事を書く際は露骨に「中国の方が日本より上だ」なんて書くことはせず、所々で日本を持ち上げるような記述を入れてフォローを入れています。
 実際にそれをやった例としては中国のローコストオペレーションを紹介した際の記事で、「品質維持に関しては中国人は苦手で、日本人の方が優れている」と書いた記述です。まぁそれでも反発大きかったけど。

 そもそも一体何故このような反発を日本人はするのか。例えば、この相手が中国人ではなく欧米人だったら反発はまず来ないと思われ、それから察するに犬みたいに中国人を格下だと思い込んでいるからこその反発だと考えられます。何気に、清水潔氏も南京事件の取材で少なからずそのような格下に見る意識が自分にもあったと本の中で書いてあり、相変わらず鋭い人だと感じました。

 以上のような点を踏まえてその夜後輩に、「俺が今JBpressでやっている仕事は、ある意味日本人に現実を教えるような仕事だと考えている。はっきり言って今の日本人は現実を見ず、未だに日本は一等国で中国は格下、中国が日本より優れている点など何一つ存在しないと心の底から信じ切って、幻想の中に生きている」と話しました。これはその場限りのセリフではなく、今現在も揺るがない価値観です。
 その上で、「ある意味、俺は幻想を追わずに現実を見据え、声に出し続けたからこそ日本社会から弾かれたところもあると思う。今の日本では、周りに合わせて幻想を見ないと生きていけないだろう」と述べましたが、いつも細かく突っ込んでくる後輩もこの時は何も言ってきませんでした。

 決して誇張ではなく、今の日本人の大半は幻想の中に生きていると私は思います。そして不都合な真実、中国が日本を多方面で上回ったことやほとんど追いついているという事実には目を背け、欧米に負けることは許されてもアジアの国に負けることは許されないという妙なプライドからどんどんと現実から乖離してきているようにも思います。
 私に言わせれば、負けるのは恥でもなんでもないとは思うものの、少なくとも現実を直視できない人間には未来はないと断言できます。夢を追うのは悪いことではないもの、幻想にすがりつくのは無様以外の何物でもありません。

 何も自分が何もかもをわかっているわけではないし偉そうなことを言える立場でもないことは自覚していますが、そもそもジャーナリストを目指したのも最も真実に近い場所に立っていたいという願望からであっただけに、ただ現実を直視するという点については常に意識していたし、周りよりはずっとそれができていたという風には考えています。そんな私に言わせれば、ここ数年、具体的には東日本大震災以降から日本人はそれ以前にもまして幻想を追い求める傾向が強くなってきている気がします。

 幻想を見ながらそのまま死ぬのも決して悪くはない気がしますが、自分はそれが嫌だったからこうして今中国にいるのでしょう。それでも、やはり現実を見るに越したことはないだろうから、中国事情の紹介記事執筆という仕事を今やっているという自負があります。「不都合な真実」という言葉がある意味ぴったりですが、割と私が好きなジャンルのエログロといい、目をそむけたくなるような対象にこそ真実は宿るというのはあると思います。

2017年11月27日月曜日

日産問題の第三者報告書に対する疑問

<日産>現場を疲弊させた「原価低減推進室」の必達目標(毎日新聞)

 もはや説明するまでもない日産の検査不正について西村あさひ法律事務所が第三者報告書を出していたようですが、率直に言ってもし自分が責任者であればこんな報告書を見た時点で「書き直せ」というか、書いた奴を首にします。というのも、全く問題の核心をついていないどころか体面だけ取り繕った内容に見えるからです。

 具体的にそれはどこかというと上記リンク先記事冒頭に引用されている、検査不正が起こった背景には慢性的な完成検査員不足があると指摘している点です。
 何故ほかのメディアとかもこの点を突かないのか誇張ではなく本気で心配になるほどなのですが、今回の日産の検査不正は20年以上行われ、社内では誰も問題視せずこうしたやり方がもはや当たり前と見ていたことが窺えます。
 毎日のアホは2交代制から3交代制になって生産量が増え、現場が忙しくなり検査員が不足したとも書いていますが、肝心なのはそれ以前からも検査不正が起こっていたということでしょう。また20年間も検査員が不足するほど常に忙しかったのかというとそんなわけないでしょうし、忙しさゆえの不足というのは明らかな見当違いとしか言いようがありません。

 こうした観点から見れば第三者報告書が原因に挙げた検査員不足は私から見て理由になりません。そもそも日産としては検査員が不足しているなんて自覚は一切ないまま、忙しさに関係なく検査不正をやっていたわけです。なのでこの点に注意したところで今後の改善が期待できるわけなく、さすがに完成検査ではすぐには再不正することはないでしょうけど、まだ見つかっていない部分に関しては今後も気にせずやり続けるのではと思えます。

 このように考えると実にこの第三者調査、並びにそれに基づいた日産の改善策が如何に茶番でしかないのがよくわかります。そもそも日系企業並びに日本人は問題発覚時に限らず議論する際に論点の核心については何故かみんなして言及することを避け、表面的な問題とはほとんど関係なくどうでもいい内容、特にすぐに且つわかりやすい対策が打てる箇所を槍玉に挙げ、「この原因に対してこうします」的なクソどうでもいい対策を最後に発表することが多いです。
 一部で情報が錯綜したのか、誤解したのか、意図的に間違えたのかはわかりませんが、今回問題となった完成検査を行う完成検査員資格は国家資格でもなんでもなく、日産の社内資格でありその認定条件は各自動車メーカーによって異なります。日産側はこれまで資格研修中の作業員でも問題がいないと思って作業させていたと言っておりますが、問題がないなら研修のハードルを避け、報道では2ヶ月間の実習研修と筆記テストが必要とのことですが、これを2週間くらいの実習研修に短縮させることが最も効果的且つ実質的な対策じゃないかと思えてなりません。品質維持できるならそれで万事解決なのに。

 なおすでに述べましたが、議論でも日本人は何故か問題の核心を避けるような主張をする傾向があり、議論が進むうちにどんどんと本質とは関係ない議論に発展しがちです。逆を言えば核心に敢えて引っ張るとたじろぐし意見に詰まるので、どうでもいい相手を一蹴する際に私は、「ところで本題は?今自分たちは何について話してるの?」と言って追い込みます。ヒートアップした相手ほど効果的です。

2017年11月26日日曜日

やくざやしき

 とっくに完結した漫画ですが、先月から「そんな未来はウソである」という漫画にはまって何度も読み返しています。作者の桜庭コハル氏については「今日の5の2」、そして連載中の「みなみけ」は読んでいたのですがこの「そんな未来はウソである」については存在すら知らず、改めて読んでみて相変わらずの間の取り方、セリフ回しの妙が光る作者だと感じます。
 なおこの漫画の主人公の一人である佐藤アカネについては尋常でないくらい高い女子力スペックを誇っており、漫画の中とは言えこれだけしっかりした女の子を見るのは久方ぶりでした。

 という具合ではまっているこの漫画ですが、今日たまたま読み返した回が文化祭のシーンで、かわいい絵柄の漫画なだけにかわいい女の子が三角巾被って「うらめしやー」と言うシーンが出てくるのですが、他の登場人物からも「あんまこわくない」と言われてしまいます。これを見て、そもそもお化けの格好してうらめしやーと言っても怖がる人は現代だとそんないないように思え、ならなんだったら怖いのかと考えた際にすぐ閃いたのが「やくざ」でした。

 本気で来場者を怖がらせるなら、というコンセプトでやくざを考えると、やはり名称としては「やくざやしき」が一番適切でしょう。で、中身はどうするのかってなるとまずは入場とともに「殺すぞこらっ!」という罵声を浴びせ、物陰から怖い顔のおっさんが「夜道には気を付けろよ」と言い、後ろからは銃声、前からは小指(らしきもの)がポンポンと飛んできて、たまに後ろからドス持った若いのが追いかけてきたり、突然ライトアップでリンチされた後のおっさんが出てきて、途中のルート選択が蟹漁船かタコ部屋に分かれているようなものを想像しました。なんかそこそこ怖い気がします。

2017年11月24日金曜日

義和団事件における「北京の55日」

北京の55日(Wikipedia)

 「北京の55日」という単語はあるハリウッド映画のタイトルですが、歴史的な名称でいえば「義和団の乱」における北京籠城戦のことを指します。事件としてみるならばこの「北京の55日」という言葉が一番相応しいと思え、敢えて今回この記事の見出しに据えました。

義和団の乱(Wikipedia)

 順を追って説明してくと義和団の乱とは1900年、日清戦争の5年後、日露戦争の4年前に北京周辺で起こった外国人排斥暴動と、それに乗じて宣戦布告によって行った清政府が、日本を含む8ヶ国連合軍との間で戦った紛争を指します。義和団とはこの紛争の原因となった半宗教、半拳法団体のことで、列強各国が中国各地を植民地にして我が物顔に振舞っているのを不満に感じた民衆らが結成した団体で、主にキリスト教徒(中国人信者を含む)に対し殺害を含む排斥を行っていました。

 この義和団は割と自然発生的に生まれた団体、というより実態としてはギャングに近いのですが、この義和団に対して西太后を頂点とする清政府は鎮圧を行うどころか、自分らも列強にいいようにされていた不満もあってか、露骨な支持をしたことで義和団は余計に拡大することとなりました。そして1900年の6月に入ると義和団は首都北京にも入ってきて外国人らの殺害をし始めるようになり、これをみて西太后は突然、列強各国へ「宣戦布告」を行うに至りました。
 もっとも、宣戦布告と言ったって清側もなんにも戦争準備はしてはおらず、また当時の列強に勝つ算段も立てていませんでした。ただでさえ軍事力に差がある相手に宣戦布告、それこそ今の北朝鮮が米国に突然宣戦布告するようなもんで、清政府の宣戦を受けた列強8ヶ国はすぐに連合軍を組んで中国へと進軍し、ほぼ抵抗らしい抵抗にもならず連戦連勝で2ヶ月後の8月には北京をあっさり落とし、中国を敗戦にせしめます。なおこの時に北京の名庭園とされた頤和園が破壊されたそうです。

 大まかな歴史事実だけ見ると明らかに身の程をわきまえず、民衆暴動に乗っかる形で列強と開戦した中国がボコボコにやられて、水ら余計に植民地化を進めてしまった事件なのですが、細かく見ていくとドラマがあり、それが「北京の55日」、つまり開戦直後に北京にいた各外国公使館員らとその家族が開放に至るまでの約2ヶ月間籠城していたという情景が存在したわけです。

 上述の通りに中国は突然、明らかに非合理的な判断から列強に対して宣戦布告を行ったのですが、この突然の行動を受けて一番困ったのは、当時北京にいた外国公使館員らでした。なにせ突然敵軍に囲まれるような状況となったわけで、これを受け各国公使館に駐在していた武官、兵隊らは急ぎ終結し、対応に追われることとなりました。
 協議の結果、各公使館らは北京市内で防御線を作り、救援が来るまで籠城を行うことを決めます。この連合国籠城軍の司令官にはイギリス人武官が選ばれましたが、実質的な実戦総指揮官だったのは日本の駐在武官であった柴五郎でした。

 当時籠城したのは北京市内にいた外国公司関係者約900人と、義和団に追われてきた中国人キリスト教徒約3000人で、戦闘が行える公使館付き護衛兵、義勇兵はわずか約500人だけだったそうです。ただ清の正規軍らも外国公使らを殺害すると後々大問題になると考え包囲こそしたものの積極的には攻撃せず、実際に抗戦し合ったのは主に義和団兵らだけでした。
 柴は英語、中国語、フランス語など語学に長けていたことから各部隊の意思疎通を仲介し、また現地にいた民間人からも協力を得ることで、連合軍らの北京入城によって解放されるまでの約2ヶ月間の包囲戦を見事に守り抜きました。この柴と日本兵の活躍は事件後、各国代表らからも大きな称賛を受け、特にイギリスからはビクトリア女王からも勲章を得たほか、この時知遇を得たイギリス外交官との交流が後の日英同盟の礎になったと評価する声もあります。

 今月の文芸春秋で「義和団事件で連合軍を率いた柴五郎」という記述があるのを見て今回私も初めて彼のことを知りましたが、柴の軍歴以上に義和団事件においてでこんな籠城戦があったのかという事実の方に驚きました。同時に、当時解放することもしなかった清政府はつくづく危機対応の悪い連中だったんだなと思えてなりません。

 この義和団事件後、柴は日露戦争にも従軍し、会津出身者という来歴が祟ったのか一時は閑職に回されたりしたものの、最終的には陸軍大将にまで上り詰めています。ただ個人的に彼が不幸だったと思うのは非常に長生きしてしまい、85歳の折に1945年の終戦を迎えてしまっています。当時とっくに軍を退役していた柴は終戦直後に自殺を図り未遂に終わったものの、結局はその時の傷がもとで同年末に亡くなっています。
 柴は生後すぐに故郷の会津藩が戊辰戦争で敗北したことで、数人の兄を除き両親を含め家族はほぼ全員亡くなるという不幸に遭っています。そうした生い立ち、北京の55日での奮戦、そして退役後の自決を見ていると、人の生き死にの不思議さというか皮肉さについて考えさせられる人物だというのが私の偽らざる感想です。

  おまけ
 映画「北京の55日」では柴の役を伊丹十三が演じていたそうです。

2017年11月23日木曜日

中国の自動車メーカーが見えない理由

 今日、約1年ぶりに上海大江戸温泉に行ってきましたがその際に乗っていた自転車のペダルがやけに軽いように感じ、ギアがおかしいのかと思うくらいに普通に乗っていていつの間にか重たいギアにまでシフトアップしていることが多くありました。その反動からか、今めっちゃ腰から下がやけに重くてしんどいです。

 さて話は本題ですがコメント欄で、「中国の自動車メーカーは何故なかなか世界レベルのメジャー企業にならないのか」という質問を受けました。この質問に対する回答は観点をどこに置くかで変わってきますが、敢えて一番わかりやすい回答でいうならば「見えないから」というのが最も適当であると考えます。
 なお関係ありませんが今普通に「うみねこのなく頃に」のBGM聞きながら書いており、上の段落書きながら作中に出てくる「愛がなければ見えない」というセリフが思い浮かびました。まぁあの作品、トリックに関してはでたらめもいいところって気がしますが。

 本題に戻します。何故「見えないから」が中国の自動車メーカーが世界メジャーとならない理由になるのかというと、私個人の観点でいえば、日本人には中国の世界メーカがどのように世界進出しているのかが全く見えないし、わからないし、報じられないからそう思うのではという風に考えています。
 以前たまたま知りましたが一応日本にも中国、それも外資との提携のない民族系メーカーの輸入代理店とかあるそうですが、日本の街中で中国メーカー車を見ることなんてまずあり得ないでしょうし、実際にどんな車種があるのかなんて、「HAVAL」なんて言っても反応できる日本人なんていないでしょう。

 では日本で販売されない、走っていないから中国メーカー車は価値がないのか、評価されていないのか?これに関しては議論の余地がまだありますが、そもそもの前提として日本は世界的にも異常なレベルに国産車種の比率が多く外国車の少ない市場であります。イタリア車なんてほぼ見かけないし、ドイツ車もベンツやBMWといった高級車は人気がある者のVW系車種ともなると少ないし、アメ車に至ってはフォードが完全撤退するくらい売れません。
 このように日本国内だと、市場に外国車が極端に少ないため、自動車の世界市場における力関係がやや見えづらい環境にあります。ただこの点を考慮したとしても、中国の民族系自動車メーカーのブランド価値は世界で高く認知されているかと言ったら、現状はまだまだでしょう。

 つまり、ブランド価値が低いから中国の民族系自動車メーカーはまだまだ、かと判断できるのか。この点について私は疑問視しており、少なくとも日本人が思ってるよりかは民族系自動車メーカーは世界市場でのその存在感は小さくない気がします。こう思う理由としては、中国車は日本や米国といった先進国市場ではなく、発展途上国市場を中心に攻めているからです。

 中国車の最大のメリットは技術でもデザインでもブランドでもなく、言うまでもなくコストこと値段の安さです。いわゆる安かろう悪かろう的なこのコストメリットは先進国ほど通じづらく、逆にともかく走ればそれでいいと思われるアフリカや南米などの発展途上国では威力を発揮し、中国の各メーカーもそれが分かっているから海外進出に当たってはこうした国々を攻めています。そのためブランド力は育ちはしませんが、世界における存在感は確実かつ年々と高まっているのではと私は見ています。
 実際、街中で走っている中国車を見ていても、かつてはいかにも貧相なデザインだったのが最近は欧米系メーカーにも劣らないくらいに洗練されてきて、実際に運転して性能を見てみたわけではないものの、技術力などの点では確実に向上していると感じます。しかし、発展途上国市場に進出している事実や、こうしたデザインの洗練具合について日系メディアはまず報じることなく、むしろ最近は全く見なくなってきた日本車のデザインをパクった車探しに躍起になってます。こんな状態では、中国メーカーがどのように躍進しているかなんて判断はできないでしょう。

 自分もこの点を最近憂慮して、割と楽にまとめられそうなので中国の民族系自動車メーカーを紹介する記事でも書いてみようかなと考えてもいますが、とにもかくにも日系メーカーは彼らを軽視し過ぎです。ブランド力は確かにまだまだ低いものの、実力に関しては確実にその差を詰められており、特にEVへの転換に関しては日系よりも進んでいることから今後どうなってくるかはわかりません。
 内容をまとめると、ブランド力がないため世界的メジャー企業はまだ生まれてはいないものの、中国自動車メーカーの世界市場における存在感は確実に増してきているというのが私の見解です。

 敢えて、中国メーカーがブランドを持てるようになるにはどうすればいいかを考えるならば、やはりF1かWRCに参加するのが一番手っ取り早い気がします。っていうかさっきWRCの参加チームを確認しましたが、トヨタ、フォード、ヒュンダイ、シトロエンのたった4チームしか参加してないようです。三菱、スバルはもとよりランチアの名前すらないWRCに価値があるのか、改めて考えてみるとすごい疑問です。なおゲームのグランツーリスモではWRCの雪原ステージをGDB初期型で走るのが得意だし一番好きでした。

2017年11月21日火曜日

賃上げ企業の減税案について


 ドミネーター売ってた。もし手にすることがあれば、教育現場にいる人とかの犯罪係数測りたい。

 話は本題ですが、日本の報道で企業が内部留保溜めてばっかで全然賃上げに回らないから、賃上げを実行した企業には法人税で優遇、つまり減税を行うという案を政府が検討しているそうです。結論から言えば方向性としては間違ってはいないと思うものの、化けの皮剥がれるけどいいのって感じです。

 大半の日系企業、特に大手メーカーほどこの傾向が激しいですが、業績が向上している企業は一体どうやって業績を上げているのかというと、単純に人件費を以前より圧縮しているだけというケースが非常に多いです。純利益は増加しているものの売上げは減少しているという企業がまさにこの典型で、こういった減収増益企業は基本的にはビジネスモデルに大きな問題を抱えている企業とみてほぼ間違いないでしょう。
 未だに日産について「カルロス・ゴーンは人を切って業績回復しているように見せかけているだけだ」とむやみやたらな批判して、産経に至ってはゴーンのいる前から行われてきた検査不正についても「ゴーンのせいだ」と主張するというアホ、っていうか神経疑う記事を書いていますが、現実には日産は売上げなども増加していてこの批判は当たらず、逆に他の日系企業でいわゆる「ゴーン流」とされる、正社員を非正規社員に切り替えたり、賃金カットなど人件費を抑えて増益と主張している会社が多いです。

 そのため仮に企業の内部留保を取り崩すために賃金上昇を促して、それを実際に実行した場合は、恐らく少なくない会社で減収増益から減収減益へと切り替わり、上場企業なんかだと化けの皮が剥がれるかのように企業経営に疑惑の目が向けられることになるのではという気がします。もちろん経営者たちもそれが分かっていると思うので、わざわざ実行するような馬鹿なのはそんないないでしょう。

 ただ、最初にも書いた通りにこの政策の方向性は間違ってはいないと思います。そもそも企業の国内売上げ(中国にいながら「国内」というのもなんだが)が伸びないのは労働者の賃金がこの20年であり得ないくらい目減りしているからで、企業の国内売上げを高めていくためには先にまず賃金を上昇させる必要があるでしょう。なもんだからどうせやるなら問答無用で内部留保を取り上げるような強い政策を打ち出した方がよく、投資家の側としても配当に回す圧力と捉えられれば株価の更なる向上も見込めていいのではと思えます。
 まぁ、どうせやるならいちいち議論せずさっさとやれって感じですが。実行するにしても、現時点で既に五年は遅いというのが私の見方です。

  おまけ
 昔、日産の香港法人に電話かけて中国事業戦略について聞いたところ、「うちのゴーンも言ってたように……」と言われ、なんか犬みたいな呼び方すんなと強く印象に残ってます。

2017年11月20日月曜日

久住昌之氏の上海ライブ


 深刻な体力不足のため記事書くのが大分遅れましたが、先々週末に上海で催された漫画&ドラマ「孤独のグルメ」の原作者である久住昌之氏が率いる「スクリーントーンズ」のライブに行ってきました。


 久住氏については原作者というよりドラマのエンディングに出てくる「ビール飲むおっさん」の方が通りがいいかもしれません。上の写真はライブ冒頭で流されたドラマでおなじみのシーンですが、実質このドラマは主役は二人いると言っても過言ではないでしょう。

 今回行ってきたライブについて説明すると、夏頃に友人の上海人が「久住ちゃん来るから一緒に見に行こうよ!」と誘ってきたことから参加したものでした。友人とその嫁は元々ドラマも気に入っていたことからものすごい乗り気で、自分の分のチケット予約もお願いしていたのですが、当日会場に来てチケット購入番号を見ると2~4番と早く、値段が一回り高いVIPチケット購入者のほぼ次くらいに会場へ入れました。
 会場にはライブハウスが開いた間もなくはそうでもなかったものの、開演時間前にもなるとどんどん人が入ってきて実質満杯状態でした。我々は購入番号が早かった上に早めに会場入りしたことでほぼ最前列に近い位置に立てましたが、少しでも遅れていたらこんな写真は撮れなかったでしょう。そういう意味では友人夫婦には感謝です(チケット代をあらかじめ送金しておいたのに、当日また要求されましたが)。

上海市内で撮影されたロケ番組

 表向きは音楽ライブではありますがやってきた客としてはやはり「孤独のグルメの人」を見に来たわけで、そうした期待に応えるかのように開演序盤は久住氏と通訳の対談が行われ、また今回の上海来訪に合わせ街中で食べ歩きした姿を撮影した映像が流されました。
 その映像の中では臭豆腐と蛇の唐揚げをどちらも「おいしい」と言いながら食べてましたが、臭豆腐には豆板醤をごってりつけて食べており、見ている観客も「えぇっ」って声上げてました。
 なお対談の中で、「(ドラマの)1シーズンで大体50~60曲作る」と話していました。

演奏中も常に笑みを絶やさない 

 大体開演30分後くらいから他のバンドメンバーとともに演奏が始まりましたが、何気に音楽ライブに私が参加するのはこれが初めてです。当時、めちゃくちゃ体力を消耗していたこともあって2時間立ちっぱなしは非常にしんどかったですが、演奏していた彼らは1時間半くらいフルに動き回ってることを考えると頭が上がりません。

ウクレレに持ち替え 

 会場は圧倒的大多数が中国人で、自分を含めごく一部に日本人が混ざっていた感じでした。中には日本語を唱える中国人客もいましたが、それだけ「孤独のグルメ」がこちらでも受けているということでしょう。

ビール乾杯で締め(観客はビール無し)

 この日は昼と夜にそれぞれライブが催され、自分と友人夫婦は昼の部参加でした。夜の部も大盛況だったらしいですがライブ冒頭時に久住氏も、「中国だから人集まるのか心配ではあったものの、こんなに集まるとはいい意味で予想外だった」と言っており、これは私も同感でした。
 なお帰り道、友人の嫁が日中合作の「陰陽師」というスマホゲームにはまっていることを聞き、「日本は昔から陰陽師が式神使って戦わせる文化があったから、ポケモンが生まれたんだよ」と昔友人が言ってたことを教えたらものすごい感心されました。っていうか冷静に考えてみると、日本人は昔から自分の手を汚さずに手下を戦わせるんだなと思うとなんか変な気持ちになりました。

2017年11月17日金曜日

今後、コンビニ業界の変動はありうるか?

 大分体調戻ってきてもう大丈夫かなと思ってたら、昨夜また虫に夜中刺されて寝不足となり、週末を前にしてまたものすごく気だるく吐き気がする状態となっています。そもそも先々週の日本帰国で負ったダメージがひどすぎたのが未だ後を引いており、なんでずっと疲れているって言ってるそばからあちこち連れまわされたのか今思い出しても腹立ってきます。
 昨夜もこの件で、後輩を相手にもつ鍋喰いながらずっと愚痴ってました。話しながら自分でも頭の回転鈍いなとは感じており、それがやっぱ今日来たなと思えます。っていうかブログ書きたくねぇ。

ファミマ社長「コンビニは間違いなく飽和状態」(日経BP)

 話は本題に入りますが、結論から言うともしかしたらコンビニ業界で順位の入れ替えが起こるのでは、具体的にはユニー・ファミマートHDが絶対王者のセブンイレブンにそのうち逆転するのではないかとこのところ思えてきました。

 私がファミマに興味を持ったきっかけは以前の「恐れ入ったファミマの応答」という記事でも取り上げた、取材でのファミマ広報の対応からでした。基本的に私は広報担当社員の実力は会社全体の実力に比例するとみており、広報が優秀な会社は基本的に優れ、逆であればやはり逆である(電通のように)という具合で評価しているのですが、この時の取材で対応してもらったファミマ広報の方は非常に話しやすく、応答も慎重でありながら正確で、はっきりとただ者ではないと感じるほどの実力者でありました。
 また広報社員の実力もさることながら、この時取材した職場受け取り制度について一社員のボトムアップ意見を社長が見て採用を決めたという話を聞き、口先では末端の意見に耳を傾けると言いながら基本無視する会社(三菱自動車)しかいない世の中、きちんと取り上げる会社、もとい社長がいるのかと驚きを覚えるとともに興味を持ちました。

 そこへ出てきたのが一番上のリンク先にある、現社長の沢田貴司氏のインタビューです。このインタビュー記事によるとどうも社長自らコンビニの現場に一スタッフとして出て、明らかに無駄だと思うから客年齢層を確認するボタンを廃止することを決めたそうです。また24時間営業についても、「果たして利益につながっているのか疑問」とのことで、今後の検証にもよりますが利益が変わらないのであればコスト削減につながるとして店舗ごとに廃止を検討すると述べています。
 単純に社長自らが率先して労働現場体験に出ることもさることながら、話を聞いている限りだと随分と開けた考えを持っている人だという印象を覚えます。経歴も伊藤忠⇒ユニクロ⇒ファミマと変わった来歴で、ユニクロでは会長の柳井氏から社長就任を打診されながらも断っていたとのことで、一言で言えば非常に面白そうな人だと思います。

 最初の職場受け取りでもそうですが実際に有益だと思う意見には末端からでも救い上げる点といい、きちんと有言実行を果たしている上に主張も合理的であることからこの人の下でファミマは今後成長していくのではないかと、今漠然と感じています。それと同時に、コンビニ業界は今後激変する要素は他にもあり、業界首位のセブンイレブンについては一つの大きなマイナス要因が昨年に起こっています。
 察しのいい人なら言わなくてもわかるでしょうが、そのマイナス要因とはこれまでセブンを引っ張ってきた、もとい日本のコンビニ業界を作り上げ主導してきた鈴木敏文氏が2016年に経営から引いたという事実です。なお他では誰も言っていませんが、「コーヒー戦争」、「ドーナツ戦争」を引き起こしたと言われていることから私は陰で鈴木氏のことを「戦争屋」、「コンビニ武器商人」とか呼んでました。

 鈴木氏が抜けたからってあんな大きな会社がすぐ落ちるものかと思いつつも、鈴木氏レベルの人間ともなるとよもやありうるのではないかというのが正直な私の見方です。それほどまでに鈴木氏の流通における改革や経営の辣腕ぶりは凄まじく、日本のコンビニ産業が実質世界のコンビニ市場ルールを決めるという立場に至ったのも鈴木氏がいたからこそだったでしょう。それほどまでの人物が去ったことでセブンイレブンがこれまでのようにやっていけるかと言えば、そうはいかないのではという感覚の方が強いです。
 そこへ来てファミマの沢田社長の登場で、これまでのようにセブンイレブンの絶対的王者の地位も安泰なのかと聞かれてすぐそのまま首肯することは私にはできませんし、特に労働力不足の問題の面から言って「24時間営業は死守する」と言っているセブンと比べると心情的にはファミマを応援したい気持ちの方が強いです。他の人がどう思うかはさておき、意外とこの差は今後でかくなっていくのではと思え、今後コンビニ業界がどう変動していくのかが個人的には非常に楽しみです。

2017年11月15日水曜日

塩見孝也の逝去報道に対する不満

元赤軍派議長塩見さん死去=よど号ハイジャックで服役(時事通信)

 前略、上記ニュースを見て職場でありながら今日ずっとイライラしていました。理由は何故かというと、今回死んだ塩見孝也に対して「~さん」づけしているのが気に入らなかったからで、「さんをつけてんじゃねぇよこのデコ助野郎!」などと某健康優良不良少年のような気持ちになりました。

 知ってる人には早いですがこの塩見孝也は山岳ベース事件、あさま山荘事件を引き起こした連合赤軍の源流となった赤軍派を立ち上げた張本人です。もっとも上記の二つの事件については「自分は関係ない」と主張しており、この主張自体については私も彼の預かり知らぬところで起きたものだと考えて関係ないとみています。
 ただそれ以前にこの人、内ゲバでわざわざ関西から関東くんだりまで来て何人もの敵対組織の活動家襲撃を主導、実行しており、ぶっちゃけこの人のせいで死んだ人間は一人や二人どころではないでしょう。私に言わせればよど号事件なんて計画しただけで未遂に終わっており、この人の罪業を考える上ではどうでもいい些末な話な気がします。

 極めつけに私がこの人の一番嫌っている点は、60歳を超えるまで生活費はすべて支援者のカンパで暮らしており、60歳超えてから初めて駐車場管理の仕事をやって、真っ当な労働の対価もこの時初めて得たことです(しかもそのことを「初めて労働を知る」的にブログに書くし)。ほとんどまともに労働せず社会に対し一切貢献しないでおきながら「労働者のために革命を起こさねば……」などとほざき、何人もの殺人に関わってきたというのが私の塩見孝也評です。

 現実に彼は逮捕、懲役を受けた紛れもない前科者です。その上で思想犯と呼ぶにはあまりにも稚拙で行動が伴っておらず、しゃらくさい表現せずにはっきり言えばクズそのものだと私は考えています。そんな塩見孝也をいくらくたばったからといって「さん」づけはありえないと思え、前科者という点を見逃すとしても実質公人的な立場であることから呼び捨てで十分でしょう。リンク先記事を書いた事実の記者は一体なんなんだ、極左活動でもやってたのかと言いたくなるほど見るだに腹が立ちます。
 もっとも、恐らく私の年代でこの塩見孝也にこれだけ反応するというか、彼の来歴について始めから一定の知識を持っている人間はまず他にはいると思えず、同年代に生まれていたら本当に自分はどうなってたんだろうなとこの記事読み返していてつくづく不安になってきます。体育会系のノリには激しく嫌悪するから、意外とあっさり活動から抜けてるかもしれませんが。

2017年11月14日火曜日

日馬富士の暴行事件について

 ようやくブログ書けるくらいに気力と体力が回復したので今日からブログ再開です。にしても日本滞在中は本気でこっちを殺しにかかってきていると思うスケジュールだった。

 さてあまり負担にならないように時事ネタですが、大相撲の横綱日馬富士がやらかしたそうです。十月に貴ノ岩をビール瓶で殴打していたそうで、怪我の具合から判断するに一度ではなく複数回殴打しているようで、休場にまで持ち込むというか頭蓋骨骨折にまで至っています。現時点で判断するのは早計かもしれませんが、内容が内容なだけにこのまま引退が勧告されることとなると思います。昔から贔屓にしていた力士なだけに残念ですが、「金星マシーン」とまで言われているだけに潮時でしょう。

 このほか気になる点を挙げると、この事件を黙っていたのは誰なのか。日馬富士と貴ノ岩が恐らくは事件をうやむやにするため黙っていたことは間違いないですが、果たして相撲協会はいつ知ったのか。仮に事件発生当初からわかっていながら今日メディアに報じられるまで黙っていたとしたら呆れる限りなのですが、貴ノ岩が部屋の親方である貴乃花に、あれだけの怪我であることから詳細を黙っているとはやや思えず、もちろん確証こそないものの相撲協会ももしかしたら知っていたのではないかと私は見ています。この辺はおいおい、今後の報道で分かってくることでしょう。

 あともう一つ気になったこととしては、ビール瓶で殴ったことからどうも傷害罪として立件されそうだと報じられていますが、芸能界だったら和田アキ子氏が出川哲郎氏とか相手にビール瓶でしょっちゅう殴ってそうなイメージはあるけどこれは刑事事件なのかなと気になりました。少なくとも和田氏はかつて出川氏を真冬に全裸でベランダに放置したことがあり、この件について番組内で弁護士ははっきりと「殺人未遂」であると評しており、余罪を挙げたらきりがないのではと思います。
 まぁ彼ら芸能人の場合、死ななければある程度は許されるしネタ的なところもあるので、本気で刑事だ民事だどうだというつもりはさらさらありませんが。

2017年11月8日水曜日

「忖度」という中国語

 また内緒で昨日まで日本に一時帰国していましたが、正直散々な滞在でした。短い日程ながら企業関係者を含め多くの人間と会っては移動してを繰り返し、移動距離やスケジュールの過密ぶりはもとより普通に漫画喫茶で寝泊まりするなど体力消耗が著しく激しい日程でした。
 こうした元の計画日程自体は企図時点である程度想定していたため、タイトではあったもののこれだけだったら特に問題はなかったと思います。問題となったのは周りの人間が過密スケジュールの網の目を縫うかのようにこちらが預かり知らぬ予定を勝手に突っ込んできたり、当初私が計画していたスケジュールを変更、先送りしてきたことです。

 非常に過密なスケジュールであったことから自身の休養や、想定外の事態への対応のため敢えてフリーな予備日程をいくつか設けていましたが、こうした予備日程を狙うかのように山登り(ロープウェーだが)や図書館巡りなど興味がなく、体力や神経を無駄に削る予定を隙間なく次々と入れられ、また予備日程のなるべく早い時期に行おうとしていた手続きなどは次々と後回しにされていきました。周囲の人間も悪気はなく自分をもてなそうというつもりでやっていることはわかっているから自分も嫌な顔せず(一回だけはした)に応じていましたが、予定が先送りされてどんどん後ろにたまっていく中、最終日の予備日程まで予告なしに悉く潰され(嫌な顔はこの時一瞬だけした)、相手の顔を立てるため一応我慢して笑顔で付き合いましたが頭の中ではこの時、帰国準備に使える時間を必死で計算していました。
 結果、荷造りから帰国途出発までわずか20分しか持てず、また疲労困憊な上にストレスフルな状態で頭もおかしくなってるから何かしら洩れがあるだろうと想定していた通りに忘れ物があり、またどう考えても必要でない荷物を半ば無理やり持たされたため当初購入を予定していたお土産も買えなくなりました。

 先にも書いた通りに周囲は悪気はないと思ってずっと我慢していましたが帰国途中、すでに荷物パンパンなのに最後の最後で思い付きで持たされたとしか思えないパスコの菓子パン2本に対して、これさえなければ荷物が軽減され別のお土産も買えたと思うだに憎悪が集中し、電車や飛行機の中で「クソっ、菓子パン、クソっ」と、ストレスで右目が半分くらい見えなくなっている状態でずっと呟き続けていました。最終的には上海の自宅に着くや、あまりにもその存在自体が憎らしいことから鞄から菓子パン2本を引っ張り出すと袋入りのまま全力で壁に向かって投げ叩きつけ、そのままごみ箱に捨てました。壁に叩きつけた際はパーンと高い音が鳴りましたが、自分が食べ物に対しこれほどまで粗末に取り扱ったのは初めてかもしれません。

 こんな具合で未だに呼吸すらだるく判断力もほぼない状態(四則計算もなんか怪しい)に追い込まれるほど憎々しい滞在でしたが、2年ぶりに会ってきた友人とは楽しい時間を過ごせたとともに、非常に面白いお土産をいただけました。

お中元ギフト「忖度まんじゅう」のご案内(ヘソプロダクション)
『忖度まんじゅう』まさかの関西土産に。「世の中のニーズを忖度しました」(ハフィントンポスト)

 その友人がくれたお土産というのも上記の「忖度まんじゅう」で、「花園さんにはこれしかないと思って持ってきました」と自分の趣味をしっかり押さえて持ってきてくれました。自分もこのまんじゅうは面白いと思い、ぜひ他の人の反応を見てみたいと思って今日会社に持って行って配りましたが案の定好評で、日本語のわかる中国人スタッフすら、「これ持ってきたの花園さん?」と聞いてきました。

 そこでふと今年の流行語間違いなしのこの「忖度」という言葉は中国語にもあるのかなと思って今日調べてみました。結論から言うとありました。

 中国語で「忖度(cǔn duó)」の意味は日本語と同じく、「人の意思や判断を推し量る」という意味や、単純に「(長さや重さを)推し量る」という意味もあり、現代語ではなく古語となっています。出典の中には三国志の曹操の言葉もあり引用すると、

《诗·小雅·巧言》:“他人有心,予忖度之。”
三国 魏 曹操 《让县自明本志令》:“或者人见孤彊盛,又性不信天命之事,恐私心相评,言有不逊之志,妄相忖度,每用耿耿。”
《资治通鉴·汉献帝建安二十四年》:“忖度操意,豫作答教十馀条。”
郭沫若 《虎符》第二幕:“我转来的意思, 侯生 先生,你怕多少可以忖度吧?”
(「忖度_百度百科」より引用)

 中国の古典なのでいまいち意味が取れませんが三番目は恐らく、「資治通鑑(歴史書)・漢の献帝時代の建安24年:(曹)操の意を忖度し、十余条の答えを事前に作った」と訳せ、恐らく三国志に出てくる楊修のエピソードのことを書いていると思われます。

 忖度という言葉が日本で流行していることについては中国でも報じられており、日本新華僑報という新聞にも、「もし日本語に接していなければ、この『忖度』という中国の古語を知ることはなかったろう」というコラムが掲載されてて読んでてなんか笑えました。
 この新聞コラムに限らず、中国人の個人ブログなどでもモリカケ問題と絡めて忖度という言葉を紹介する記事が見かけられます。そうしたコラムでは忖度について「空気を読む」日本人ならではのという風に「忖度=空気を読む」という具合で紹介されていますが、大きな間違いではないものの、厳密には分けた方がいいかなという気が私にはします。

 「空気を読む」という行為も相手の意思や判断を推量してそれに敢えて合わせるという意味になりますが、空気を読む場合はどちらかと言えば「多人数の集団の意思」が合わせる対象な気がします。一方、忖度というのは基本一対一で、「たった一人の特定個人の意思」が合わせる対象であると私には思え、敢えて言うなら「空気を読む」をより限定した用法である気がします。でもって日常ではしょっちゅうこうした事態が起こるのに適切な言葉がないというところ、この「忖度」が彗星の如く登場したことから日本人としては痒い所に手が届く言葉で、「よくぞ来てくれた」的に一気に普及したと考えるわけです。
 このように考えると初めてこの言葉を公(?)で使った森友学園の土地買収に絡む官僚は、日本の国語発展において偉大な一歩を刻んだと改めて思います。よく官僚の答弁や報告書、通達に使われる独特な言い回しのことを「霞ヶ関文学」と言いますが、あながち捨てたものでもないでしょう、

加藤製作所に対する私怨

加藤製作所、北朝鮮ミサイル施設のクレーンは同社製の可能性 「法令遵守している」(ロイター)

 上のリンク先の記事を見て、「まぁあそこならなぁ」と今日思いました。実はこの記事の主役である建機大手の加藤製作所には以前少し絡みがあり、自分的にはかなり失礼な対応されたと思ってて自分の中の嫌いな企業トップテンには必ず入ります。なお1位は中日新聞、2位は電通。

 自分が加藤製作所にされた失礼な対応とは、完全無視です。前の会社で中国に派遣される前、中国にも工場があるということから元々取引のあった加藤製作所の日本にある事務所を訪問し、担当者に中国工場の担当者を紹介してくれとお願いしました。その担当者は以前中国工場にいたこともあり快く承諾し、名刺も交換したのですが、いざ実際に自分が中国へ派遣されて担当者の連絡先を教えてくれるようメールで連絡したところ、完全に無視してきやがりました

 自分も頭にきたもんだから計5回くらいメール送りましたが悉く無視し、独自に中国工場にもあたりましたがなんとなく接触事態を避けるような対応され、こっちも相手したくなくなって目の前通っても挨拶すらしなくなりました。なんでこんな態度を向こうが取ってきたのかは理由があり、私が以前在籍した会社はメーカーで、ここで作っていた部品を加藤製作所は実際毎日使っていたのですが、中国工場では商社経由で部品購入しており、その商社との関係があったことから自分のいた会社から直接購入するという選択肢を避ける、もとい接触すら避けていたようです。
 だったらそうだと言えばこっちもそこまでしつこく食い下がらないっていうのに、約束したことすら守らずに連絡を完全に無視するなんて陰湿な会社だなと心底思いました。こんな陰湿な会社なんだから北朝鮮にクレーン売ってても私からすれば別段驚きはありません。

 なお建機系では、以前コマツに取材で問い合わせた際はまるで脅迫するような対応され、ここも印象が悪いです。逆なのは住友重機械工業で、オフィス移転の真っ最中で忙しかったであろうにもかかわらず熱心にこちらの取材に対応してもらったことがあり、少なくとも自分が接触した限りではいい会社でもあり恩を強く感じます。

2017年11月6日月曜日

文字数別、記事を書く秘訣

 コメント欄で少し質問を受けたのでまた文章の書き方、もとい記事文章の書き方を文字数別で簡単に紹介します。

 以前書いた「わかりやすい記事を書くコツ」の中で私は、記事を書くポイントは究極的には表現とか文字数のバランスとかではなく、話題をどのような順番で書いていくかという構成によって左右されると説明しました。これは私個人の意見というよりかは絶対的な真実であると考えており、きれいな文章を書く上では何よりも重視し、且つ指導すべきポイントだと考えています。
 なお外部に出す文章などにおいて私はこの構成を非常に重視して、実際に記事を書く前にどのような順番で話題を並べ、段落分けをどうするかをじっくり考え(主に通勤途中)ていますが、このブログの記事に関しては大まかな内容なりテーマを決めた後は割と思いつくまま、どちらかというとライブ感が出るようにして書いています。

 話は戻りますがではどのような文章構成だといい文章、もといわかりやすい記事に仕上がるのか。いくつか王道パターンはあるものの「これしかない!」的な一つの究極形はないので各自が創意工夫してよいと私は考えていますが、記事文章において私が頻繁に使用している構成は大きく二つあり、文字数によってどちらを使うかを決めています。

<少ない文字数の記事に使う構成>
 こちらの構成は私だけでなくマスコミ志望者向けハウツー本でもよく取り上げられており、新聞社の新人記者研修でも多分同じ内容が解説されていると思います。少ない文字数、具体的には500字前後の小記事から1000字前後の中記事で私は使っていますが、それ以上の文字数で使っても問題ない構成です。

 具体的にはどんな構成かというと、大事な内容や報道したい主題を第一文に持ってくるという構成です。例えば業績発表に関する経済記事なら「○○社は昨年、××%の増益だった」というように、極端に言えば第一文さえ読めば記事全体が分かるくらいの主題(主に数字)を頭に持っていきます。
 続いて二文目にはその補足で、具体的に何が増益(もしくは減益)の要因になったかという理由を書き、第一文の内容を補足します。そして第三文にはその他関係する事項を好きに書く、例えばさっきの例だと同業他社の業績や、何期連続の黒字だとか、今後の業績予想とかです。
 この構成は一段落、二段落、三段落という構成にしても通用する形です。この場合だと第一段落に主題を詰め込むという形となり、以降の段落では重要度の高さに従って主題を補足する内容を一つずつ付け加えていきます。基本的には経済記事に限らず、新聞記事の構成はすべてこうなっていると言っても過言ではなく、お手元の記事を見て構成を考えてみれば実感が得られると思います。

<多い文字数の記事に使う構成>
 先ほどの構成は基本的に文字数に関係なく使える形ではありますが、大体2000字を超えるようなやや長い記事を書く場合ですと私は別の構成にして記事を書きます。主題を頭に持っていく点は同じではあるものの、核心に迫る内容を敢えて書かずにしておいて一体何故そうなるのかという理由については匂わせる程度で切ります

 一体どうしてこんな書き方をするのかというと、記事を最後まで読者に読ませるためです。長い記事だと序盤だけ読んで読み捨てる人が多いこともさることながら、最初の構成のように重要な内容を頭から順々に書いていくと後半に至るにつれて書く内容の濃さや重要性が薄れていき、単純に読んでてつまらなくなっていきます。そうなると、読者としては読後感が非常に悪くなるわけです。
 こうした事態を避けるために、最初の第一段落では記事全体で主張したい内容と結論だけを簡潔に示し、「その結論に至る理由や背景とは?」という風な切り口にして、意図的に読者が続きを気になるような書き方にすることが多いです。
 こうして一旦リード文(第一段落)から本文(第二段落)以降にまで誘導させると、第二段落に入ってからは背景事項の説明に入り、何故この話題が気になるのか、現状はどうなっているのかなどと周辺事項から徐々に焦点を絞り、終盤に入るあたりでようやく詳しい説明や理由を書いていきます。でもって最終段落では補足的な、私個人の意見や見解、別の視点など、必ずしも読まなくてもいい軽い内容を簡単に示して、読後感を軽くするようなことをよく書きます。

 こちらの構成は最初の構成とは逆に近い形で、第一段落で内容全体のルートマップを示しながら肝心なところは敢えて教えないという形になります。何故そうするのかというと、繰り返しになりますがやや長い記事を最後まできちんと読ませるためです。その上で本文に入ってからは周辺事項から徐々に核心へと近づけていく形を取っており、こうする方が最後まで記事を読んでもらいやすいし、読者の側も話題が後へ行くほど内容が濃くなっていくので読みやすいのではないかと考えています。まぁもっとも、必ずしもこの形にこだわる必要もなければ、私自身も状況や内容にあ和得て変化をつけてはいるのですが。

2017年11月4日土曜日

中国に対する日本人の見方の変化

 先日、というか昨日JBpressの編集長と会って話してきましたが、その中の会話でお互い意識して取り上げ合ったのが「中国に対する日本人の見方は、どうも潮目に入っていないか?」というものでした。これはどういう意味かというと、前補と中国人に対する日本人のアレルギーが薄まってきていないかということです。

 中国人に対する日本人のアレルギーとは言ってそのまんまですが、中国に関するあらゆるものを否定する感情です。具体的には「シャープに中国人(実際は台湾人)経営者が来たからもうシャープの製品は買わない」とか、「これだから中国人は」、「中国人にこんなもの作れるはずがない」などと批判するもので、私の中国紹介記事も知ってる人には早いですが大体どの記事もヤフコメでは私への人格批判も含めて激しく罵られます。

 しかし、ここ最近の記事ついては以前ほど、実感としては去年年末の上海大江戸温泉の記事が一番激しかったかもと思いますが、このところ私が書く記事に関してはやたらむやみな批判は減っており、むしろ私の紹介する中国事情を見て素直に、「中国も侮れない」と認めるような声が見られるようになってきました。もっとも、私の場合は批判されるのに慣れているのでむしろ記事内容誉められると逆に不安に感じたりするのですが。

 こうした読者反応の変化については編集長も感じているとのことで、どうも今年に入ってから反応が変わり始めたように思っていたとのことです。私自身も感じていただけに同じことを考えていた人がいたのかと思うとともに、どうも日本の中国に対する見方が現実に近づいてきているように感じます。
 以前と中国に対してはあらゆるものついて批判的に見る日本人は多いですが、一方で私が報じるような中国の現状、特に日本を上回る領域が存在する現実を認める人もだんだんと増えてきているように思います。これ自体は私個人としては歓迎したいところですが、仮に私がそれこそ、「中国に学べ!」という見出しで記事を書いたとしたら、恐らくこれまでにないくらいの反発が来るだろうと断言します。そうしたことを考慮すると、未だに幻想にしがみついて現実を見ることができない日本人は多いだろうと私は認識しています。

 もちろん私はあらゆる点で日本が中国に劣っているとまでは思いません。しかしことビジネス面においては、日本が中国に学ぶべき点が現在多く出ているのではと考えています。自分の記事でもそうした点についてはっきりとは言わず、暗喩させる形で伝えようとはしているものの、それでも読者の反発を恐れて「中国人に学べ!」とは書けないのが正直なところです。
 話は最初に戻りますが、日本の中国に対する見方は変化しつつあるとはいうものの、今後どこまで現実に近づくかはまだ未知数です。もしかしたら私の視点の方が誤っている可能性もあるものの、自分としては現在の流れがもっと続いてもらいたいというのが今日の意見です。

2017年11月1日水曜日

オウムのカルマの概念についての手がかり

 オウム事件について現在いろいろ調べていますが、近年になって自分の中で注目が高まっているのは、事件前後に信者らがやたら「カルマ」という言葉を繰り返している点です。カルマは日本語だとよく「業」とか「原罪」と訳されますが、いうなれば負の意識や概念、もしくは経歴といったところでしょう。

 信者らの証言では「自分の身に着いたカルマを払うためには」などという言葉ともに、修行に打ち込む理由をカルマを取り除くためと説明していることが多いです。またサリン散布実行犯の広瀬健一がサリンを撒いた直後に自分にもサリン中毒の症状が出た際、「自分のカルマだ」と思い、サリンを撒くという行為自体の報いを受けたと思ったと話しています。

 このカルマの概念について、以前はあまり気にしなかったのですがある物語を読むことでオウム信者らの概念ってこういうものだったのかと妙に納得するようになりました。その物語というのも、しべっと仏教の聖人の一人であるミラレパの物語です。

ミラレパ(Wikipedia)

 ミラレパについてざっくり述べると、自らの家族に対し冷たい仕打ちを行った叔父と叔母への復讐として黒魔術を用いて村を壊滅へと追い込んだ後、その行為の代償として背負ったカルマを払うために別の聖人(マルパ)への帰依を求め、マルパから課せられた様々な試練を乗り越えることでついにカルマを払い、その後も修行を続けてチベット仏教の中でもトップクラスの聖人に列せられるようになった人物です。
 ちなみに修行中に草しか食べなかったので途中から体の色が緑色になったとのことですが、これを聞いて私はデスラー総統とピッコロさんが頭に浮かびました。

 このミラレパの話を聞いてオウムと同じだと感じた点は、その師であるマルパとのやり取りです。マルパはミラレパを一目見て自分の後継者となる人物で全力で教え、導く相手だと直感しながら、当初は冷淡な態度を取ります。具体的には、ミラレパ一人に石を積んで塔を作るようにと指示しておきながら途中で、「塔を作る場所を間違えたからまた一からこっちに作れ」などと、何度も理不尽な仕打ちを与えます。こうした仕打ちは周囲からも同情を買うほど厳しいものでありながらミラレパは愚鈍なまでにその指示に従い続けました。
 最終的にマルパはミラレパに対し、これまでの冷たい仕打ちはミラレパの過去のカルマを払うための苦行であり、この試練を乗り越えたミラレパにはもうカルマは払われていると明かした上で、君こそ自分の後継者であるとして改めて弟子に迎え入れて熱心且つ丁寧に指導を行うようになるわけです。

 チベット仏教全体が果たしてそうなのかまではわかりませんが、少なくともオウム真理教についてはこのミラレパのストーリー構造が信者間で強く共有されていたと思う節があります。具体的にはグル、尊師こと麻原彰晃の命令は絶対で、一見理不尽とも思える厳しい仕打ちはカルマを払うための苦行だと受け取られ、犯罪であることを認識しつつも実行に移されるという過程はこのストーリーに乗っ取っていたのではないかと思います。
 また複数の信者は麻原彰晃のことをソウルマスターであると思って自分が救われるにはこの人にすがるしかないと考えていたなどと語っており、やや言いにくいのですが、自分一人では悟りを開くことはできず精神的上位者の助けなり指導が絶対必要という観念が、ほかの宗教と比べて強いような印象を覚えました。これも、先ほどのカルマを背負ったミラレパのストーリー構造に乗っかるような気がします。信者らが使う用語も、なんとなくこれらとつながるように思えますし。

 非常に単純な構図で書くと、

解脱したい(=悟り開く)→カルマが邪魔→自分一人じゃ払えない→既に悟りを開いている指導者の教えが絶対必要→尊師の言うことは絶対

 という思考構造だったのかなと、林郁夫に関する本読みながら改めて再考していました。

2017年10月31日火曜日

平成史考察~自殺サイト殺人事件(2005年)

部屋から異臭、荷物運ぶ姿=「まさかこんな」住民ら絶句―アパート遺体(時事通信)

 やや不謹慎ではありますが、久々にまた香ばしい事件が起きたなという感想を持ちました。それにしても最近の神奈川県は障碍者施設襲撃事件といい、大量殺人事件がやたら起きているような気もします。
 この事件の詳細については今後操作や報道が進むにつれて明らかとなっていくでしょうが、現状ではまだ不確実な面も多いだけに余計な言及は避けようと思います。ただ現在までに報じられている、自殺志願者をネット経由で誘い出したとされる供述をみて、私の中で真っ先に思い浮かんだのは下記の事件でした。

自殺サイト殺人事件(Wikipedia)

 事件発覚当時、その内容からかあまり大きく報じられてなかったような気もするので(筆者はこの時期北京に留学中)、事件内容を覚えていない人の方が多いのではないかと思う事件です。内容をごく簡単にまとめると、自殺志願者が集うサイトで当時流行っていた集団自殺を持ち掛け、一緒に自殺するためにやってきた女性、男子中学生、男子大学生を悉く拷問の末に殺害していたという事件です。
 犯人の男には拷問癖、というよりは窒息して苦しむ姿に興奮するという性癖があり、誘い出された被害者らは三人とも何度も窒息によって気絶されては無理やり起こされ、再び窒息させられるという行為を繰り返された挙句殺害されており、その過程は写真や動画で撮影されていたそうです。

 今回、というより内心では以前からこのブログでも取り上げたいと考えていた事件ですが、何故取り上げたかったのかというといろんな意味で考察の余地が含まれた殺人事件であると思えたからです。ポイントは大きく二つあり、一つは自殺サイトを手段として経由していること、もう一つは窒息マニア且つ白のスクールソックスマニアという特殊な性癖を持つ犯人であることからです。

 前者については筆者も学生時代に何故かレポート調査対象としてやけに調べたことがあり、2004年にワンボックスカー&練炭を使った集団自殺が発生してから増えた自殺サイトが、自殺ではなく他殺に用いられたという事実が興味を引きました。意外というよりかは起こるべくして起こったなと思ったのが正直な感想であるとともに、殺人と自殺幇助の線引きについて考えさせられるとともにもちろんこの件は殺人であるが)、今後もこうした殺人への応用が続くのかなと一人でいろいろ考えていました。

 そして後者についてですが、前述の通りにこの事件の犯人には他人が窒息して苦しむ姿に興奮するという異常性癖があり、尚且つ白のスクールソックスに対しても異常に関心を持ち、被害者は拷問の過程で白のスクールソックスを無理やり履かされていただけでなく、この事件以前にも犯人は白のスクールソックスを履いた友人の首を絞めるなどして何度も逮捕されています。
 これらの犯人の特徴を以って単純に異常者と割り切るのは簡単ですし実際にその通りな異常者なのですが、個人的に私が興味を持ったのは、犯人自身がこの性癖の異常性について自覚しており、尚且つそれでも欲望に抗えなかったという点です。

 この点については裁判中に犯人自身が、その問題性を自覚して何度か自殺を試みたものの未遂に終わり、その後欲望を満たすために犯行に及んだと語っています。またどうしてこのような異常性癖を持つに至ったのかという過程についても比較的詳細に語られ、ほぼ確実とみられる因果関係も明らかとなっており(幼少時の父親の折檻と、中学生時代の教育実習生)、あくまで供述に頼るのみではあるものの話として聞いてて筋が通るというのが、他の異常殺人と比べても一線を画しています。
 様々な供述から犯人自身は自分の所業について一定の罪悪感を感じているように思われ、現実に事件発覚のきっかけとなった女性に対する殺人以外の二件の殺人については疑われていない段階で犯人自ら自白しており、裁判でも減刑にはつながらないまでも自白が認定されています。しかし公判中も拘置所内で暴行事件を起こすなど際立った暴力性はとどまらず、また自らこの性癖は矯正不可能で復帰の見込みはないことを認め、有言実行とばかりに一審での死刑判決に対して弁護団が行った控訴手続きを自ら取り下げ、一刻も早い死刑執行を望んでいることを示していました(2009年に死刑執行済み)。

 繰り返しになりますが、私はこの事件の犯人について自らの異常性を認識し、問題性を自覚しながら幾度となく犯行を繰り返した点が興味深いと思え、異常犯罪における犯人としては非常にレアな存在だったと見ています。その上で不謹慎な言い方ですが、最終的な死刑執行はやむを得ないにしろ、もう少し生かしておいた上で犯罪研究の貴重なサンプルとして研究する価値もあったのではないかと内心では考えています。
 現在までの供述によると、今回の座間市の犯人も8月末から何人も殺害してクーラーボックスに保存しておくなどなかなかの異常性を見せています。そしてそんな異常者でありながらあっさりと犯行を認めたということからも、価値の高そうなサンプルだと早くも期待しています。

 最後に一応言っておきますが、不謹慎であることは認めつつも研究価値については将来の犯罪研究のためということが第一です。こうした研究から犯罪に走りそうな候補を早めに検出し、また矯正の可能性や手段を探るkとは社会的にも価値があるからこそこういうことを言うのであって、決して野次馬根性で面白がっているわけではありません。
 だからこそ同じ自殺サイト、というよりネットを経由したこの自殺サイト殺人事件と、共通点とかどうなのかなという意味で敢えてこうして記事にしてみました。まぁ現時点で言えることとしては、自殺するなら変に誰かと一緒にやろうとすると一方的に殺される可能性があるから、なるべく一人で頑張ってした方がいいってことくらいですが。

2017年10月29日日曜日

スバルの検査不正ニュースの衝撃(テンプラ)

 前回に引き続き、スバルの検査不正ニュースについてスバルとは全く関係ないところの話をします。それにしても前回はこの見出しで、朝日新聞記者の自動車に対する無知ぶりを批判するという恐ろしい記事だったなぁ。
 結論から言えば、この事件について全く論点の違う意見をいう人が多くみられます。でもってその論点の異なった意見は異なっているだけに間違っているように私には思えます。

スバルも発覚!! 「無資格者検査問題」の3つの要所(ベストカー)

 事件の要点についてはベストカーがよくまとめてくれているので上のリンク先を見てください。簡単に言えば日産とスバルで完成検査員資格を持たない人間が法定の完成検査を行っていたことがばれたことで大きな問題となっているわけですが、この事件についてネット上で反応を見ていると、

「これまでも同じような検査体制で大きな問題は起こっていないじゃないか」
「検査自体はきちんと行われているのだから安全上は問題ない」
↓↓↓
「だからこの問題はそもそも大騒ぎする問題なのか?日産もスバルもいい迷惑だろう」

 的な意見がいくつか見られました。論法としては、「安全上は問題ないのだから別にいいじゃん」という感じです。
 しかし私の見方は違っており、検査自体がしっかり行われているとか、安全上問題がないかではなく、規定を破っても問題ないとする社内風土にこそ欠陥があるとみています。

 言うまでもなくこの完成検査は国の法規定で定められており、実際に日産とスバル以外の他のメーカー(実際怪しいけど)ではきちんと規定に沿って実施されています。しかしこの二社では法規定手順を守らず、またコンプライアンス上問題がないかという確認すらも怠っていたということになる上、日産に至っては問題発覚後も気にせずに無資格者の検査が続行されていたということからも、「法は法だけど面倒なら破ってもしょうがない」という認識が少なくない人間、それこそ工場単位で持たれていたと言っても過言ではないでしょう。

 ヒヤリハットの法則ではありませんが、綻びというのはほんの些細な点から大きく広がっていきます。実際、内部統制上の不正事例でも、最初はちょっとしたミスや誤解を犯していながら特に問題とならなかったことからどんどんと大規模化して大きな不正案件となることも少なくありません。検査手続きにおいても同様で、「見逃しても事故が起きないから」という態度が後でどんな問題に発展するのか、そうした抜ける意識を根絶するためにも規定に対しては絶対的に従う必要があると私には思えます。

 逆の例と言っては何ですが、昨年に三菱自動車で発覚した燃費不正事件の際にスズキも法規定に沿った検査方法を実施していなかったことが分かりましたが、この件ではスズキは法規定よりもずっと厳しい燃費検査を行っており、法規定の検査方法に合わせたところ前より表示燃費が向上するという恐ろしい結果を叩き出しました。この場合も確かに法令違反っちゃ違反ですが、スズキは法令以上の厳しい検査に自ら臨んでおり、なおかつ国の燃費検査の方が明らかに欠陥や無駄な手間の多いやり方で、スズキの件もあってか検査方法を国も今変えようとしていることから私はこの件でスズキを批判するつもりは全くありません。っていうか凄いぞスズキ!

 しかし今回の日産とスバルの件は、安全上問題がないにしろ、明らかに「法令なんて知るか!」と言わんばかりの対応なだけに、もっと批判されてしかるべきだと思います。さらに言えば、法定検査ですらこんな態度であることからこの二社の他の検査も案外どんなものかと、それこそ社内風土的に少し疑っています。
 個人的に非常に不思議なのは、完成検査員はメーカー内部での認定資格で、祖に認定基準もメーカーごとによって異なるとのことですが、人手が足りないならばなぜ認定基準の方を変えなかったのかが理解できません。日産に至っては無資格者が有資格者の印鑑を勝手に押印して検査書を出していた事例もあったそうですが、印鑑管理の点でもこの会社は内部統制に問題が多そうです。