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2015年12月6日日曜日

漫画レビュー「ちおちゃんの通学路」

 また漫画に関する記事ですが、一ヶ月くらい前から準備しておきながらこれまでほかの記事を優先するため執筆にこぎつけなかったのがこの作品、「ちおちゃんの通学路」です。
 この漫画を知ったのはたまたまAmazonのページ内に表紙が映っていたのを見たことがきっかけですが、その時表示されていたのは2巻の表紙で、タイトルと共に街角らしき場所で爆発が起こっているのを尻目に不敵な笑みを浮かべる女子高生が描かれており、一見して「なにこれ?」と思って興味を持ちました。調べてみるとまだ三巻までしか発売されていないことから全巻揃えるのは容易だし、試しに一巻だけ買ってみてその内容を見てから続きを買うかどうか検討しようと決断し、結果的にはすぐに三冊全部揃えることとなりました。

 この「ちおちゃんの通学路」がどんな漫画かというと、タイトルの通りにちおちゃんという女子高生が主人公の通学にまつわる話です。最初見た感じ、ドジな女子高生が通学途中に毎回トラブルに巻き込まれて遅刻しそうになる漫画なのかなと思って読み始めましたが、実際には遅刻しそうになるのは第一話だけで、それ以降の話は無駄に運動神経良くて出てくるのは銃とオヤジとゴリラみたいな女性キャラだけな海外ゲームをやりこんでいるコアゲーマーな女子高生が通学途中の行く先々でトラブルを引き起こすという内容でした。自分で書いてて思いますが、改めてみるとやたら濃い設定な気がします。
 具体的にちおちゃんがどういうトラブルを起こすのかいくつかあらすじを抜粋すると、

・スクールカースト上位の同級生に声かけられきょどり、SWATターン決めて逃げようとする
・同級生が男子から告白されるのを友人と共にのぞき見しようとしてばれそうになる
・暴走族に絡まれハッタリかまして切り抜けようとする
・洋ゲー特集雑誌を買おうとして寄ったコンビニでBLゲー雑誌を手に取る
・車からポイ捨てされる煙草をダイビングキャッチして鉄柱に鎖骨を強打する
・回り道して坂道上るよりショートカットになると思って舗装された壁面をよじ登ろうとする

 どの話でも共通するのは主人公のちおちゃんが無駄に行動力が有り余ってて悉く「やらなきゃいいのに」と思うようなことに首突っこんではピンチに陥るという点です。特に一番笑った回の話では橋の上を歩く友人を見かけて、「こういう時、ゲームだったら橋の縁にエルード(ぶら下がり)してにじり寄る」ということを思い付き、それをそのまま実行してしまうというゲーム脳ぶりを見せます。無論、女子高生の腕力なので友人を驚かせる前に途中で力尽き、どうせ川に落ちるくらいなら諸共に落ちようと友人の足を掴んで引きずり込もうとしますが。

 どの話もテンポがよく、なおかつ高いテンションで描かれているのでギャグ漫画としての勢いは十分な作品です。それとともに個人的に注目したのは各キャラの表情の描き分けと、漫画における特殊効果です。前者はギャグ漫画を描く上でギャグセンスと共に重要なものであることは言うまでもありませんが、後者に関しては集中線や遠景、下からのズームなどあらゆる漫画表現が効果的に駆使されており、地味にこの作者は器用な人だと感心させられました。
 またどの話もきちんと通学路上での話に絞っており、よくこれだけ限定された状況下で毎回話を作れるなという点でも感心させられます。ほかにはセリフ回しも案外凝ってて、個人的にツボにはまったのは、「昭和生まれの世代はゆとり教育を受けていないため、新聞の配達が少しでも遅れると理性を失ってしまう(物凄く怒る)」というセリフです。

 以上が私の分析ですが、現在出ているギャグ漫画の中で一番はまっていて文句なしにお勧めできる作品です。ちょっとほめ過ぎなような気もしますが、興味を持たれた方にはぜひ手に取ってもらいたいです。


     

2015年12月5日土曜日

パソコン三社の事業統合報道について

パソコン3社が事業統合 東芝・富士通・VAIO交渉へ (日経新聞、12/4 2:00)
東芝と富士通、パソコン事業で合弁交渉(読売新聞、12/4 3:15)
<東芝>富士通とVAIO パソコン事業統合検討(毎日新聞、12/4 11:20)
東芝、富士通、VAIOの3社がPC事業を統合か--報道に対し3社が否定のコメント(CNET Japan、15:01)

 本日、各メディアで東芝、富士通、VAIOのパソコンメーカー大手三社が事業統合を検討していることを報じるニュースが飛び出してきました。私が確認する限りだとこのスクープを物にしたのはやはり日経のようで、いろいろ調べた中では最も早くかつ具体的、そして簡潔に報じております。
 この日経の報道を受けてすぐ後追いで記事を出したのは読売で、日経の配信から約1時間後に記事を配信しています。ただ読売の記事では東芝と富士通しか触れておらず三社目のVAIOについては名前すら出てきません。恐らくこれはVAIOに関しては裏付けがきちっと取れなかったため安牌を切るようにほぼ確実そうだと見込めた先の二社に限って報じたのでしょう。そのかわり2014年の日本国内パソコン市場シェアを引用して統合後はNEC、レノボ連合を追い抜くと説明している辺りは好感が持てます。

 読売の報道から大きく時間が経った11時台に報じたのは毎日ですが、ここはスクープに追いつけなかった代わりに後追い取材が丁寧になされており、東芝に対して行った取材(恐らく電話取材)の回答内容を詳細に乗せた上で今後の展望などをしっかり書いてる当たり合格点です。逆にふざけてるというか「てめぇもう記者辞めろ」と言いたくなるのが最後のCNET Japanの記事で、ここは見出しに「報道に対し3社が否定のコメント」と載せていますが、後追い取材を行ってはいるもののそのコメントを見る限りだと否定しているとは言い難いものです。大まかなコメント内容を抜粋すると下記の通りです。

  東芝
「報道は当社が発表したものではないが、事業編成を含め様々な可能性を検討している。まだ合意、決定した事項はない」

  富士通
「報道は当社が発表したものではないが、パソコン事業の分社化は既に決まっており、分社化後の展開に関しては様々な可能性を検討しているがまだ決定した事項はない」

  VAIO
「憶測記事に対してコメントは差し控える。現時点においてVAIOとして交渉を行っている事実はない」

 これらのコメントを見る限り、報道されている通りに事業統合を検討をしていることを暗に認めているとしか思えません。要はまだ完全合意になって決定したわけではないけど、検討している案の中に統合は入っており、でもって完全否定できないほど現実味は持ち合わせているってことでしょう。何をどう読んだらこれで「報道を否定」だなんて言えるのか、この会社はあんま深く知らないけどいい加減で取材力のない記者もいるもんだなと読んでて呆れます。
 ちなみにVAIOにこんな返答された場合私は、

「じゃあ日経の記事は間違った報道だって言うんですか?誤った事実が世の中に伝播することに御社は黙って見過ごすってんですか?VAIOとして交渉を行っていないってのはどういう意味で、役員がスタンドプレーで交渉してるとでもいうのかっ!」

 って、早口&怒鳴りで次の回答を引き出します。
 こうした取材では相手広報への余計な容赦は必要なく、記者は徹底的に攻めなくてはなりません。だからこそ記者って人間性を段々失っていくんですが。

 ちなみに、同じ後追い取材でも実力の差がはっきり出てしまったというか、毎日の方では検討している事実を相手先に認めさせています。以下、その箇所を抜粋しましょう。

「東芝関係者は毎日新聞の取材に対し、統合検討の事実を認めた上で『各社のブランドをどうするかも固まっておらず、いつ合意できるか分からない』と指摘。また、VAIOの関係者は統合に慎重な見方を示しており、東芝・富士通だけの統合になったり、統合自体が白紙になったりする可能性もある。」(上記リンク先の毎日の記事より)

 この毎日の取材内容と比較するにつけ、CNET Japanの記事の書き方は誤報と言ってもいい内容です。普通こういう時は曖昧にして逃げるんだが、よくデスクもこんな見出しでOK出したなぁ。

 なお三社のパソコン事業統合の可能性について私個人の見方を述べると、十分あり得る話かなというのが正直な感想です。ノートパソコン事業は既に斜陽産業となっており、その機能の大半はスマートフォンに取られたため今後再浮上する可能性はほとんどないでしょう。特に東芝に至っては不正会計をした中にこのパソコン事業も入っていたと見られており、いまいち実態が明らかになりませんが既に赤字事業と成り果てている可能性すら有り得ます。
 となるとまだ息してる間にほかの会社と事業統合するというのは次善の策であり悪くはなく、また三社とも明らかにブランド力が落ちているのでここらが潮時かなというのが寂しさと共に感じます。先程も友人に延々と説明し続けましたが、このところ日系パソコンメーカー各社は値段と性能が釣り合わないというか、レノボやASUSのパソコンと比べても性能は同じなのに値段は高いだけというラインナップが目立ちます。しかもデザインもこう言ってはなんですがどれもダサく、特にかつてはデザインの良さで一世を風靡したVAIOに至っては現在のラインナップを見て、「正気か?」と思うくらいダサいです。表面カバー本体に「VAIO」って書いてあるだけで、ぶっちゃけ「FUJITSU」とか「NEC」、「dynabook」と書き換えたらそれで済みそうなくらいダサいです。

 逆にというか、この統合話に入っていない会社の方こそ注目に値するような気がします。NECに関しては既にレノボと連合組んでいるのでそれほど言及することはありませんが、パナソニックは「レッツノート」のブランドで「頑丈でタフなパソコン」というイメージを幅広いユーザーに認知させており、業界において独自で確固たる地位を築いているのではないかと見ております。実際私の周りのIT関係者もレッツノートを絶賛する人間が多く、将来はわかりませんが今回の話に入っていないだけなかなか有力株なのかもしれません。パナソニックの製品は系列会社にいる友人がアホみたいに働かされている(月間残業時間200時間オーバー、みなし残業で)から買うつもりないけど。

2015年12月4日金曜日

ある警備犬の逝去に触れて

<警備犬>レスター号死ぬ 中越地震で男児突き止め(毎日新聞)

 小さなニュースですがどうしても取り上げたいと感じるニュースなのでこのブログで取り上げることにします。詳細はリンク先の記事に書いておりますが警備犬として災害救助の現場で活躍したレスター号が本日、都内の警察犬訓練所にて老衰で亡くなったそうです。このレスター号ですが2004年の新潟県中越地震時にも出動しており、その際には土中に埋まった車を発見して災害発生から92時間後に2歳児が救出されるという奇跡に導いています。
 少し話が脱線しますがこの時の救出は非常に印象的で私もよく覚えており、その車には母、姉、弟の家族三人が乗っていたのですが母と姉は地震発生直後に即死していたものの、土中に埋まったまま食べ物も何もない中で実に四日以上も2歳児の男の子は一人で生き残り続けました。通常であれば栄養状態の悪化、または不安から発狂するなどといったことも考えられる状況でっただけに、まさしく奇跡のような救出であったと思います。

 話はレスター号に戻りますが、人が他県中越地震後も警備犬として活躍し続け、なんと四川大地震の際にも出動していたそうです。そして2011年に引退した後、救出へとつなげた男の子から手紙をもらったりなどつつがない余生を送っていたと報じられています。
 小さなニュースと言えばそれまでですが、人の命をたくさん救ってくれた犬について触れる人間が多少はいてもいいと思え、このブログにも書き残すこととしました。

2015年12月3日木曜日

水木しげるは反戦だったのか?

 水木しげる氏の逝去を受けて各メディアでこのところ、水木氏の往時の業績や辿った人生についてまとめる記事が数多く出されております。ただこうした記事について一部ネットで、彼の戦争体験を引用しては無理に戦争批判へと繋げようとする報道があり違和感を覚えるといった意見が出ており、かくいう私もその違和感を感じた一人でした。
 有名なので知ってる方も多いでしょうが、水木氏は戦時中に徴兵されて南方の激戦地であるラバウルに派遣されそこでの空爆を受けて左腕を失う大怪我を負いました。この戦争時の体験については自伝漫画にも詳しく記述され当人にとっても激烈な体験であったことは想像に難くなく、また軍隊内では持ち前のマイペースな性格が災いして度々ビンタを喰らってたりなど、当時の上官らに対しては不満があったことを率直に書いております。

 こうした本人の証言からか、「水木氏は戦争に対して批判的であった」などという風に書くメディアを実際に私も数多く見たのですが、先ほども述べた通りにこうした報道に対して何となく違和感を覚えました。もちろんこれは水木氏の作品や証言をどう読み取るかによるもので絶対的に何が正しいか否かはよほど明確な証言記録が残っていない限り、本人が逝去した今だと確認のしようがないものです。それでも敢えて私の理解を述べるなら、水木氏は「反戦」というよりは「鎮魂」を訴えていたのではないかと思えてなりません。

 まず話の前提として、水木氏はかなりのミリタリーマニアことミリオタであったことはほぼ間違いありません。出征時に乗り込んだ船が日露戦争時にバルチック艦隊を信濃丸だと知って驚いたり、戦後も売れない漫画家時代に知人から融通してもらったプラモで奥さんと一緒に連合艦隊の再現に取り組んだりと、意外と軍事・兵器関連に妙な造詣を見せております。なお水木氏の直弟子にあたる漫画家の池上遼一氏も、最近「ガールズパンツァー」にはまっているとカミングアウトする当たり、師弟揃って意外とミリオタだったようです。

 もちろんミリオタであっても平和主義者はいるでしょうからおかしいってことではないものの、なんとなく水木氏の作品を読んでいると戦争を根本的に否定するような素振りはなく、自身の体験以外だとやはり独特の視点というかやや皮肉っぽく他人事のように戦争を描いているように見えます。少なくとも、殊更悲惨さや空しさを強調しているようには見えませんでした。
 しかしその一方で、「総員玉砕せよ!」に代表されるように自身の体験に根差した戦争作品を大量に書いているのは事実で、それらの作品に対する思い入れは深いと生前に度々話していました。そうした水木氏の作品をみていて私が感じるのは先ほども述べた通り反戦ではなく、むしろ敢え無く散っていった戦友や同胞たちに対する深い鎮魂の意思じゃないかと感じられました。

 水木氏の戦争作品ではどれも指揮官目線ではなく末端の兵士、または前線隊長の目線で語られ、厳しい戦況や無茶な作戦に振り回され散っていく話がフィクション、ノンフィクションの区別なく数多く描かれています。特にほぼ実体験である「総員玉砕せよ!」では死にゆく兵士らに対して強い同情心を覚えさせられるように描かれており、これらの作品を読む限りと私は水木氏はどちらかというとあの戦争で死んでいった兵士らへの鎮魂、そして彼らを知らない日本人にも彼らという存在があったことを知ってほしいという目的で描いていたのではないかと思います。

 確かに言い方を変えればこうした視点も「反戦」と言えるかもしれませんが、本来の意図通りに述べるならば「鎮魂」こそが水木氏の戦争作品のテーマだと思え、反戦という言葉で引用するのは少し方向性が違うのではないかという気がします。
 言うまでもなく水木氏は妖怪漫画の大御所としてこの分野の裾野を広げた漫画家ですが、そんな経歴なだけあって神霊や超常現象に関しては興味や造詣が深く90年代などは世界各地を飛び回っては観察、紹介しおります。それだけあって死語の世界や魂、成仏、怨霊、地縛霊などといった存在や価値観についてもあれこれ思索していることを書き残しており、そんな水木氏だからこそ散っていった何百万ともいう兵士たちへ強い同情心を覚え、彼らの魂を慰め、鎮めたいという気持ちも強かったのではないかと私には思えてなりません。

 あくまで上記の解釈は私個人の解釈によるもので自分の意見が絶対正しいなんていうつもりは全くなく、ただ自分はこう読みとったというものでしかありません。その上で私は、あの戦争あ正しかったのか悪かったのかという肯定か否定の議論以上に、亡くなられた兵士や民間人の方々に対しその存在を知り、哀悼の意を持ち続けることこそが何より大事だと考え続けていこうと思います。

撃墜に対するロシアの反応を見て

プーチン氏がトルコへの追加制裁表明、撃墜事件は「戦争犯罪」(ロイター)

 一言で言って、「よく言うよ……」って思いました。
 自分らは散々ウクライナで好き勝手やらかした挙句、供与した武器でマレーシア航空の旅客機が撃ち落とされているというのに、よくこういうこと言えるなって思うあたりがやっぱロシアです。ほんと油断ならんな。

NATO震撼、トルコが撃墜 なぜロシア機は旧型だったのか(週刊朝日)

 でもってこれに関連して興味深い報道がありました。記事内容はリンク先を見てもらえばいいのですが簡単に述べると、今回トルコ軍に撃墜されたロシア機はSu24という30年以上前に開発された旧型機だったそうです。仮に最新鋭機であれば攻撃から逃れていたとした上で、Su24には内臓のGPS装置がないため恐らく外付けで、そのため位置情報を誤って領空侵犯を侵したのではないかという分析がされており素人的になるほどと思わせられました。どちらにしろ、ロシア機が領空侵犯していたのはほぼ間違いなく、それに対してトルコ軍も警告をした上で撃墜しているのでロシアから非難される筋合いはないでしょう。

2015年12月2日水曜日

私の身近な大阪人

 先ほど友人とスカイプでチャットしている最中、「ハリウッド映画に出てくる黒人はおしゃべりでお調子者が多いが、日本映画となるとこの役には間違いなく大阪人が充てられる」と述べました。この意見に反対する日本人はまぁいないでしょう。
 現代日本において一番キャラが立っている地方人とくれば大阪人がまず挙がってきて、その特徴となると「明るい」、「うるさい」、「ボケる」の三拍子でしょう。かくいう現在の私にも身近に大阪人がいるというか参加しているサイクリング部には大阪出身者が数多くいて、飲み会の最中にはよく大阪の地名を挙げてはあそこはああだったとか、昔はこうやったなどと盛り上がります。

 私自身は関東育ち(マッドシティ近辺)ですが学生時代は京都にいて関西地域に多少は土地勘があるためこういった話にもついて行けるのですが、正直言って話のペースとなると全くついていけません。みんな我先に俺が俺がと話し続けるし、しかも自分と比べてみんな年齢と経験を重ねた大物ばかりでどっちかっていうと聞き役に回ることが多くなります。

 なおここだけの話ですが中国には大阪人がいっぱい来てますし、本人らも東京の連中らと比べたらわしらの方が海外は強いんじゃと言って憚りません。私個人の見方としても関西人の方が海外勤務を精力的にこなせる率が高いように思えるし、何よりも未開の領域へ突っこもうというパワーにおいては関西人は関東人より上な気がします。その一方で、学生時代にいた周りの関西人は海外はおろか大阪からも出たくないという人が多く、どうしてこう外へ向かうという意識で両極端なタイプが混在しているのかまだ答えが出せていません。

 話は戻りますが周囲の大阪人の方々は誰もが長い海外駐在経験を務めており、人のいうことを聞かないことに定評がある私ですら素直に言う事を聞くぐらいためにもなるし、説得力もあります。先日聞いた話でも、「中国人従業員を辞めさせる時は有無を言わさず即切り、その場で家に帰らせろ」というのがあり、なんでも最後に会社を出ていく際に備品を盗んだり壊したりする例が多いからだと実体験込みで教えてもらえました。「あの工具、ほんま高かったのに盗みおって……」と悔しげでしたが。

 そんな身近な大阪人の中でも、ひときわ強烈なのが東大阪出身というコテコテのおじさんです。飲み会ともなるとずっとしゃべるしずっとボケるしで、明らかにほかの大阪の人と一線を画す存在感があります。高校生時代の話となると、「あいつら、ケンカとなるとモノ持ってくるからこっちも武装せなあかんねん」とかきわどい話になれば、ちょっと前の話でも新地のお店でどこそこが昔通ってたとかやたらディープな話も飛んできて、黙って聞いてても本当に面白い人です。
 ただ最近残念というかこれまでツッコミ役だった駐在員がこの前帰国してしまって、それからはツッコミ役がいなくて一人でボケとツッコミもやらなくてはならなくなったためか前よりはややペースが落ちました。それでもしゃべり続けることに変わりはなくこの前も、「うちの従業員も最初入った頃は全く日本語しゃべれへんかったけど今やったらほんましっかり話せて見積りも取ってくるわ」と、話してましたが、

(そりゃあんたの傍にいたら嫌でも日本語覚えるよ)

 と、密かに思ったことはここだけの内緒です。

2015年12月1日火曜日

原節子の逝去と昭和映画界

 二日続けて訃報記事となりますが、一回書こうとして見送ったもののちょっと昨日に気になる記事を見つけたので折角だから書くことにします。

原節子さんの訃報は喪中はがきが“知らせた”?!/芸能ショナイ業務話(サンスポ)

 上記のリンク先記事は原節子の訃報が報じられたその当日、サンスポ編集部内での取材と記事出稿を巡る内幕が書かれてあるのですが、喪中葉書が親類に届いたことから電話取材をしたところ入院しただけでもうすぐ元気になると回答されたため、第一稿では「原節子、入院」と書いたそうです。しかしその後で共同通信が「逝去」と報じたため慌てて電話取材をし直すと、さっきのは嘘で実は……という話だったそうで、出稿間際で慌てて記事を書きなおしてヒヤリとしたと書かれてあります。
 恐らく遺族の方は悪気はなかったと思いますが、このサンスポのデスクの方には本当に心から同情します。仮に第一稿のまま出していたらほかのメディアが逝去と報じている中で誤った生存を伝えたらシャレにならない大事で、この責任でクビが飛んでもおかしくなかったでしょう。それだけにこの内幕記事は読んでるこっちが冷や汗かきそうで、何はともあれ誤報を出さずに済んで本当によかったですねと言ってあげたいです。

 話はその原節子に戻りますが三年前、最近左遷先の名古屋で引っ越した親父に対して「原節子ってまだ生きてるそうらしいね。親父なんか知ってる?」と振ってみたところ、「そんな馬鹿な、昔の人だからとっくに死んでいるだろう」と否定されました。結果から言えば私の方が正しかったのですが親父がこう思ったのも無理はなく、というのも1963年を最後にかれこれ半世紀も公の場に出て来ずついた呼び名が「幻の名女優」と言われたほどで、同時代の人でも彼女が既に亡くなったものと考えていた人は多かったと思います。

 私が原節子を見たのは小津安二郎監督の「東京物語」という映画で、これは何も私が映画マニアだからというわけでなくたまたま大学の授業で見させられただけでした。ただその映画の中でも存在感は際立っていたというか、当時としては比較的長身な女性であったこともあるでしょうがそれほど映画に見慣れていない私ですら仕草がきれいな人だと印象に残り、それから数年後に今敏監督のアニメ映画「千年女優」で登場する主人公のモデルがこの原節子だと知り、それから興味をもって経歴を少し調べ始めました。

 「千年女優」の主人公もそうですが、原節子は戦中から戦後にかけて第一線で活躍した女優でしたが先ほど述べた通りに1963年を境に女優業を引退し、その後はまるでマスコミを避けるかのように公の場から完全に姿を消しました。このような経緯からよく元アイドルの山口百恵氏と比較されることが多いですが、それにしても半世紀も全く音沙汰なかったにも関わらずその逝去がこれほど大きく報じられるというのは他に例はなく、それだけ多くの人間の記憶に強く刻まれていた証左でもあるでしょう。
 なお一番気になる失踪した理由については、一説では信頼していた小津安二郎監督に殉じたためだと言われています。最後に姿を見せたのも小津安二郎の通夜だったとされ、それ故に当時のマスコミから色々と書かれたそうですが本人もなくなった今となっては、何かしらの資料などない限りはもはや確かめる術はないでしょう。

 最後にこの方の逝去を受けて私の感じたことをありのまま(れりごー)に述べると、最後の昭和映画人がいなくなったのかなと思いました。この場合の昭和映画というのは言うまでもなく戦前から戦後しばらくの間を指し、昭和後期は含まれていません。
 何故こんな区分をするのかというと、この時代はまだテレビが今ほど普及、発達しておらず、庶民が映像を娯楽として楽しむ媒介としては映画が主流だったからです。そのため映画は現代と比べ人々にとっては特別大きな存在で、それを撮影する人、演じる人はまさしく別世界の人間だったのではと思う節があり、その昭和映画を形作っていた象徴的な人物である黒沢明、大島渚、高倉健といった人々に今回の原節子が続き、まさしく最後の大物が亡くなったことによって一つの時代が完全に終わりを遂げたのかなと思えました。

 なお昭和の区分の仕方についてもう少し述べると、昭和を二分するのは言うまでもなく1945年の終戦ですが、仮に三等分するなら終戦に加えて1970年の大阪万博だったんじゃないかと密かに考えております。大阪万博は昭和を中期と後期を分ける分水嶺たる象徴的なイベントで、だからこそ当時を生きた人々にとって強く印象に残り、漫画の「20世紀少年」 でも主要なテーマとして扱われてるんじゃないかというのが私個人的な考えです。