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2016年10月31日月曜日

日本でビジネスバッグを見て

タフなビジネスマンが持つべき3wayビジネスバック(ドラゴンブログ)

 後輩がビジネスバッグに関する記事をこのほどアップしましたが、ちょうどこの件で私も言いたいことがあったので相乗りしようと思います。どうでもいいけどこの前近い年齢同士で、「ラブワゴン」の思い出話したら少し盛り上がりました。私は一人で「デブワゴンの企画もあったらよかったのに」とほざいてましたが。

 先々週末、私は日本に一時帰国して野暮用を済ませていたのですがその際に夜遅くの電車の中で、今まで一切気が付かなかったある事実に気が付きました。その事実というのも日本の会社員が持つビジネスバッグの特徴で、身も蓋もない言い方すればみんなダサいビジネスバッグを使っていると感じました。

 私自身、そんなビジネスバッグにこだわる人間でもなく今使っているのもノンブランド品で一万円もしないような鞄ですが、そんな私の目から見てもその日の夜に満員電車の中で見た会社員らが持つビジネスバッグはどれもダサすぎるように思え、なんでもっといいのを持たないのか素直に疑問を覚えました。見た感じの印象で述べると大半の人が如何にも安そうなビニール製のぺらっぺらのビジネスバッグを使っており、真ん中で折ればきれいに半分に割れちゃいそうで、っていうかビジネスバッグというよりむしろ中古ノートパソコン買った時に無料でついてくるようなバッグしかもっておらず、中には革製の鞄を持っている人もいましたがお世辞にもきちんとした皮でなく合成皮革製で、しかもかなり使い込まれたのかしわくちゃになって色褪せ切った鞄でした。

 まだ入社したての若い子とかリクルーターならそういう安いのを持っているのもまだ理解できますが、そこそこ年齢の行ったような会社員ですらまるで安さを競おうとでもいうかのようなぺらっぺらの鞄をみんなして持ち歩き、ほんと誰一人としてまともそうな鞄を持っていなかったのは個人的になんか衝撃的でした。加えて言えば、中国ではドレスコードにうるさくないのもあって大半の人はリュック背負って通勤していますがそういうのを除くと、上海のビジネス街を出歩く人の鞄と比べても日本人が持ち歩いている鞄は見劣りするレベルです。

 よく入社したばかりの若手に先輩社員が、「時計は人に見られるものだからいい物を買っておけ」などとどこの会社でも先輩風を吹かす人がいるとは思いますが、私としては時計以上に鞄の方が客に見られる機会が多い道具なんだからその理論ならこっちにも金をかけるべきだと思うものの、少なくともパッと見た限りだとこの方面にお金をかけようという日本人は極端に少ないような気がします。何もめちゃくちゃ高い物を買うべきとまでは言いませんが、なんだかんだ言いつつ値段を上げると耐久性がよく長持ちする上、収納性、外観などで2000円程度の物と一線を画すようになるので、個人的には多少お金出してでもいいビジネスバッグを使った方がいいと思え、少なくともパソコンバッグを流用するのだけはやめといたほうがいいでしょう。

 改めて考えてみるといま日本のアパレル業界で勢いあるのは減益したユニクロを尻目に増収増益を重ねているファッションセンターしまむら(福利厚生がかなりいいらしい)でしょうが、ユニクロは置いといて品質やデザインよりも価格の手ごろさを売りにしているしまむらが勢いあるっていうことは、それだけ日本人が着飾るという意識が落ちてきている証拠かもしれません。もちろんしまむらが悪いわけじゃなくここは私も個人的に贔屓にしている会社ですが、日本帰って男性衣料品店を回っているとどこもチェック柄のシャツしか売ってなくて、なんでこんなに日本のファンションの範囲は狭いんだと前から感じていたこともあり、いいものを求めるという意識が明らかに落ちてきているのかもしれません。西武グループもこういったこと最近言わなくなったしなぁ。

 なおビジネスバッグについては偉そうに語る私ですが靴に関しては全くこだわりがありません。っていうか高い革靴ほど歩き辛いように思え、いざ突然ショッカーとか野生の解放軍が襲ってきたりしたら全く対応できないため、革靴の中でも比較的スポーティな走りやすそうな奴を常に選んで買っています。第一、鞄と違って靴は簡単に汚れるんだし汚れてナンボなんだしこんなんにこだわってもしょうがないと割り切っています。
 服に関してはYシャツにはそんなこだわる余地はなく、私服についてはほかの大多数の日本人と被らないようにチェック柄だけは買わないようにしています。

  おまけ
 この件を名古屋に左遷された親父に、「ほんとに最近の人は鞄に対するこだわりがないよなぁ」と話したら、「俺も安いのつかっとる」と言われました。もうちょいこだわれやと10分くらい説教しました。

2016年10月30日日曜日

中日新聞の記事捏造事件に対する処分について

 昨日一仕事終えた自分へのご褒美としてきゆづきさとこ氏の「棺担ぎのクロ。~懐中旅話~」の2巻をKindleで購入した所、タブレットPCでうまくダウンロードできないばかりか妙なエラーが出て再ダウンロードすらできなくなり泣きながら布団に入りましたが、ノートPCでダウンロードできないか試したところどうにかうまくダウンロード出来て読むことが出来ました。Amazonのレビュアーの一人が「大人のための絵本」と評していましたがまさにその通りで、読んでて何度も泣きそうになりました(ノД`)
 そんな私の心温まる読書録はさておき、久々に激怒させるニュースを見て血圧上がりました。

<中日新聞社>子どもの貧困関連記事の検証掲載 記者ら処分(毎日新聞)
「新貧乏物語」の削除問題を検証(中日新聞)

 ニュース概要は上のYahooニュース配信の毎日の記事の方が見やすいですが私の方から簡単に説明すると、中日新聞が「新貧乏物語」というタイトルで組んだ特集記事連載の「子供の貧困」をテーマにした複数の記事で貴社が事実内容並びに写真を捏造していたとのことです。この捏造記事は今年五月の紙面に掲載されほぼ掲載直後に捏造が発覚していながら紙面でのお詫び掲載は今月となる十月まで一切なされず、でもって捏造問題(中日自身は「削除問題」と言葉を変えているのがムカつく)の検証記事を今日30日に掲載したわけです。
 細かい内容は上記リンク先の検証記事内容を読んでもらいたいのですが、その捏造内容の幼稚さもさることながら最終的な社内処分の内容は正直目を疑いました。毎日の記事の記述をそのまま引用すると、「同社は、管理・監督責任として臼田信行取締役名古屋本社編集局長を役員報酬減額、寺本政司同本社社会部長と社会部の取材班キャップをけん責、執筆した記者を停職1カ月とする懲戒処分を決めた。いずれも11月1日付。」とあり同じ内容が検証記事にも書かれていますが、これを見て皆さんはどう思うでしょうか?

 私個人、というより元記者としての常識で語れば執筆した記者は問答無用で退職以外の処分は有り得ないと思えるほか、管理責任者であるキャップも更迭か降格に準ずるような処分を受ける以外有り得ないでしょう。こうした記事捏造や誤報については共同通信社が業界で最も厳しいのですが、過去の事件を検索すればわかりますが共同であれば執筆者は即刻クビになり、編集長クラスも直接自分が見たり指導していなくても確実に更迭されます。管理責任者の処分については状況次第で考慮の余地もありますが、これだけの捏造をした記者がクビにならず、わずか一ヶ月の停職で済むなんて自分の常識ではまずもって有り得ません。

 しかもこの中日の捏造記者、取材対象の子供がさも貧乏で苦しく、小学生ながら惨めそうに働くような写真を自作自演して撮影しており、やり方が非常に悪質です。なおこの写真捏造の経緯について検証記事では記者とカメラマンの意思疎通に問題があったなどと書いていますが、この程度の取材でカメラマンなんて使わせてんじゃねぇよと見ていてイライラしました。これくらいは記者本人にカメラ持たせて撮らせれば済むだろうに無駄金使いやがって。
 もう一つの捏造記事に至っては中学生の少女が部活の合宿費一万円が出せなくて寮に宿泊できなかった(実際には支払って宿泊している)と少女本人に取材せずに書いてたそうですが、こうした貧困物の記事というのは非常にセンシティブで記事内容によっては取材対象の子供が学校などでいじめられるきっかけになることもあるだけに、何故こいつらはさらりとこんなこと書いているんだと言葉を失いました。それこそこのケースだと、記事を読んだ周りからすれば少女が嘘ついて貧乏をかこついているようにも見えかねず、非常に危険な記述にしか思えません。

 またお詫び記事の掲載が遅れた理由として中日新聞は、「写真の問題発覚後から男性記者が精神的に不安定になり、詳しく事実関係を聞くことができない事情もあった。」と言い訳をかましていますが、自分らは病気だろうななんだろうが相手の事情なんて一切気にしないで普段取材しているくせに身内には随分甘いんだななんて、反吐が出るような言い訳に見えます。第一、こんな悪質な捏造をやった記者に同情の余地なんてなく、精神が不安定になろうがおかしくなろうがこういう輩はどうせこの先生きてたって世の中にとって百害あって一利ないんだから自殺にまで追い込んだっていいってのに何をか言わんやです。というより、この記者は十一月一日付で停職一ヶ月都の処分ですが、五月に捏造が発覚してからも記事書いているんじゃないかと思われるのですがその点については何も言及しておらず、そもそもクビ以外有り得ないというのにまだ仕事をさせている時点で組織としての中日新聞の異常性を感じざるを得ません。

 たとえば取材者が嘘をついたためなどの無自覚な誤報であれば処分はともかく再起のチャンスは必要です。しかし意図的に、しかもセンシティブな内容で写真や事実を捏造する行為はジャーナリストの世界ではただの一度たりとも許されず、やったが最後退場してもらう以外有り得ません。何故ならこういうことを一度やった人間は確実に再びやらかすことが目に見えているからです。
 今回の中日新聞の検証記事を読む限りだと再発防止策について何も触れていないことからまるで反省している素振りがなく、最初に捏造が発覚した後もほとんど検証せずに別記事の捏造に気づくまで一ヶ月程度かかっており、自浄作用が全く働いておらずその処分内容の軽さから言っても真摯に反省しているとは私にはとても感じられませんでした。多方面にケンカ売るのも我ながらどうだと思いますが、外部検証委員として参加した木村太郎氏、吉田俊実氏、田中早苗氏、魚住昭氏の四名の方々は本当にこれでいいとでも思っておられるのでしょうか。私だったら「処分が軽すぎ無反省だ」と断じた上で、今後の対策について何も言及していない点などを挙げて余計な火の粉を浴びないように委員を降ります。しゃらくさいのではっきり言うが、この四人はこの件で何を検証をしたというのでしょうか。

 そんなにキャリアあるわけじゃなく偉そうなことを言える立場でありませんが、ジャーナリストの仕事を私は神聖なものと考えています。強引な取材や横柄な態度で周囲の人間を困らせることはいくらでもありますが事実を正しく報じるという姿勢があればこそそうした行為もある程度は許容されるもので、大前提となる真実を捏造するような行為は人殺しよりも許されない行為であるとすら思います。
 自分が記者だった頃にはまさにこういう姿勢を徹底的に叩き込まれ、それこそ仮に捏造でもしようものなら多分ボコボコにぶん殴られて窓から放り投げられただろうと思うくらい厳しく言われました。そうした信念は昨日今日作られるものではなく、今回の処分内容を見る限り中日新聞の今の姿勢は昨日今日作られたものではないんだなと感じました。

  おまけ
 記者時代に記事内容がしょぼかったりして上司に怒られた際によく、「お前のせいでまた血圧上がるだろこの野郎! 俺、病気だから血圧上がったら大変なんだぞ!」と怒鳴られていましたが、記事内容がしょぼいことには反省しつつも、(血圧上がって大変になんだったら毎晩酒飲み歩くなよ……)と、心の中で反論していたのはここだけの内緒です。

2016年10月29日土曜日

敢えて「ずらす」価値

 現在の私の職場では昼休みの時間は明確に定められておらず正午前後にそれぞれが勝手に出て行って昼食を取るようになっています。こうした環境にあることから私は大体11時40分頃に出て行って近くのスーパーで弁当買って食べたりするのですが、12時ちょうどの混雑を嫌うというのもありますが時間をずらせるものはずらした方が価値があるという妙な信念を持ってやっております。

 私がこのように考えるようになったきっかけとして大きいのは学生時代にアルバイトをしていた喫茶店での体験です。やはり週末ともなると12時前後に客が集中して忙しくなり、働きながら内心で「他にも店あるんだから余所行け余所」と愚痴ったりしながら働いていました。逆に時間をずらしてきてくれるお客、具体的には11時頃とか13時頃に来てくれるお客はありがたく、サーブするこっちも妙な感謝の念と共に配膳していました。

 一般的に、周囲と歩調を合わせることは効率の向上につながるはずなのですが、それもやや過剰となるとピークの負担を高めることとなり、返って効率を下げる結果につながると断言できます。逆にそのピークを分散させるということは手持無沙汰な時間と忙しすぎる時間を減らし、同じ勤務時間と労働量でありながら勤務者や設備、そして顧客自身にも上記のような飲食店の例だと待ち時間を減らせることとなり見事な一挙三方得ともいうような結果が得られます。

 その上で述べると、日本社会はやはり何でもかんでも歩調を合わせ過ぎです。お昼休みもどの会社も12時から一時間とかにせず業種とかに合わせて13時からとか11時からとかに切り替え、ついでに勤務時間も7~16時とか10~19時とかに、難なら同じ社内の人間同士でも異なる勤務時間で共存してもいいように思えます。なにせその方が効率的なんだし。
 一応フレックスタイム制というのもありますがやはり今の日本の状況を見ているといまいち機能しきれていないのではと思う節があります。また仕事だけに限らず先程の昼食時間とか連休のある期間なども敢えてずらすことこそ今の世の中では価値があるように思え、反骨精神満々な私は常にほかの人間とはずれた行動を取るように心がけています。

 具体的には旅行シーズンでない期間に有給取って旅行行ったり、休日も忙しくないであろう3時とかにスーパー行って買い物したり、果てにはほかの人がやりたがらないであろう仕事を敢えてやろうとしたりなど。日本では最低な人間の代表格ともいうべき特徴として「空気を読まない」というのがありますが、見方によってはそういった空気を読まず、集団と歩調を敢えて合わせないような人材こそ日本社会の発展において必要なのではないかと思う時があります。それが正しいかどうかは置いといてこの記事で言いたいこととしては、逸脱を許さない社会は案外非効率だっていうことです。

2016年10月27日木曜日

ポスト55年体制を彩った二人の壊し屋

 前回の都知事選直前に友人から選挙予測を尋ねられた私は「小池百合子の圧勝」と述べたところ友人は、小池都知事の過去何度も行った転身ぶりを指摘して資質に問題があるのではと懸念をしました。その懸念に対して私は無用な心配だと否定した上で、「現在の女性政治家の中でも間違いなくトップクラスの資質を持っている。なんでこんなことが言えるのかというと、以前に小泉と小沢について述べた論評が非常に的確だったからだ」と説明しました。

 その論評とは文芸春秋2008年1月号に載っている「小沢一郎と小泉純一郎を斬る」という論評です。たまたまですが今月の文芸春秋の巻頭コラムで立花隆氏が、小池都知事の人となりを知ろうと読んだ過去の著作の中で読者にもお勧めできる内容として紹介してたのでびっくりしたのですが、実際に当時この論評を読んだ私もその内容のあまりの的確さに強い印象を覚え、小池氏についてしっかりとした見識を持っている政治家だと評価を改めさせられた論評でした。

 ではこの論評はどういう内容だったのかというと、タイトル見出しの通りに小池氏がかつて仕えたというか小池氏を政界の中で引き上げた二人の人物こと小沢一郎氏と小泉純一郎氏について、傍で見ていた立場から両者を比較した内容です。小池氏のWikipedia記事中にも一部内容が引用されておりますがそこで引用されてある内容よりも私の中で強く印象に残ったのは、「本質的に両者はよく似ている」という指摘でした。

 この指摘は両者のバックグラウンドを知っていればよりインパクトが強くなり、というのも二人とも1942年生まれで、出身大学は共に慶應義塾大学、そして二人とも親が自民党の政治家だったのに学生時代は割と学生運動にのめり込んでいた点まできれいに一致しています。ただ議員になったのは小沢氏が1965年だったのに対し、小泉氏は初めて立候補した際は落選の憂き目を見て、初当選は1972年と小沢氏に対し7年遅れでの政界デビューでした。
 政治家となった後の足跡は対照的で、若くして田中角栄に気に入られた小沢氏は最年少で党幹事長を務めただけでなく自民党を出て新進党を創立した90年代においては日本政治の中心にいたと言っても過言ではありません。一方、小泉氏は当選直後から自民党の票田であった郵政を解体するとのたまうなどして党内での評判はすこぶる悪く、文字通り一匹狼として党内で浮いた存在であり続けました。

 小池氏が政界入りするきっかけは小沢氏からのスカウトで、政治家となった後も実質的に小沢氏の薫陶を受け続けました。しかしその後、小沢氏と袂を分かった小池氏の知名度を大きく飛躍させたのは「刺客候補第一号」として郵政選挙で小池氏を東京の選挙区へ送り込んだ小泉氏で、郵政選挙以降も他の総理候補にも劣らないほど小泉氏に重用され、JPOP風に言えばその後もなんだかんだを踏み込えて今や堂々たる都知事になったのですから結構波乱万丈な政治人生です。
 話は戻りますが小池氏は上記の論評で小沢氏と小泉氏の二人を本質的にはよく似た者同士だと踏まえた上で、「決定的に異なる点は根明か根暗かの違い」だと指摘し、宴会の席では延々と下ネタしか口にしない小泉氏に対し、あまり宴会を好まず一人でこもっていることが好きな小沢氏を比較してこの点が2008年現在の両者を分けたのではと述べていました。

 両者の傍で見て来ただけあってやはり見どころが違うというか細かい点だけど実に重要な点をついていると思えこの指摘にちょうど8年前の私(当時は日本で髀肉の嘆をかこってた)は大いに唸らされたのですが、改めてこの評価を見るだにやはり小沢氏と小泉氏は似ているというか似過ぎた政治家で、ほんのわずかなベクトルの違いが年月を経て両者を大きく分けた例だったろうと思えてなりません。

 昨日に書いた記事で私は政治家は大別して創造型、破壊型の二種類に分かれると説明し、小沢氏も小泉氏も既存秩序を破壊する破壊型、それもとびっきりの壊し屋であるかのように書きました。戦後の日本政治をこの観点で見ると55年体制はまさに創造の時代でしたがバブル崩壊とともに終焉を迎え、いわゆる「失われた十年」こと1990年代は不良債権を筆頭とした負の遺産の処理に追われる期間となりました。
 この失われた十年において主役であったのは前述の通り小沢氏で、恐らく本人もその気があったと思うのですが「自民党」それ自体を負の遺産と捉えて飛び出し、新党運動を経て自民党を第一党からも引きずり下ろすに至りました。ただ小池氏曰く「党利党略だけの人」と言われただけあって小沢氏は政界内の改革には熱心であっても実社会に対する政策は何も持っておらず、その結果が何もしないまま過ぎ去ったといわれる「失われた十年」を招く一因にもなったと私には思えます。

 その後、自民党に残り「加藤の乱」を鎮圧したことで一気に名を挙げた小泉氏が総理総裁となり、いわゆる小泉時代を迎えます。この小泉時代には郵政や不良債権を始めとにもかくにもいろんな既存秩序が破壊されたのですが、理想を言えばこれらはどれも90年代に行われるべき政策でもありました。無論遅くなったとはいえ、00年代に果たされたことには高い意義があるのですが。
 そして現在ですが、やはり「ポスト小泉時代」というべきであるほど小泉政権の影響がまだ強く残っているように私には考えられます。小泉政権が破壊した後の日本にどんな秩序を打ち立てるのか、これを模索し続けているのがこの10年で現在進行形でまだ続いています。

 現状に対する評価はさておき、少なくとも55年体制崩壊以降の日本政治は先に小沢氏、次いで小泉氏が主役であったと私は考えており、この二人が似た者同士というか生粋の壊し屋同士であったということを考えるだに、あの時代はそれだけ負の遺産が多くそれらを壊す解体家が本当に求められていたのだなとも思えます。しかし壊す対象が政界か、金融界だったのかの違いが、こういう結果になるというのもまた色々と思うところが出てくる結果です。

2016年10月26日水曜日

破壊型、創造型に分かれる政治家のタイプ


 いまいち需要があるのか自分でもよくわからないですがまたどうでもいい近況を書くと、先週末に日本帰った際に立ち寄った松戸(マッドシティ)の伊勢丹で信楽焼のオールドカップを買ってしまいました。値段は3000円でしたが何とも言えない光沢と歪みで、本来は焼酎や日本酒を入れることを意識して作られていると思いますが酒が飲めないため夜な夜なお茶を注いではニヤニヤして飲んでいます。包装箱によると、富田正氏の作品で「黒金彩オールド」という商品名です。
 なおこれを買う際、同時に美濃焼カップ6個セットが3300円くらいで売っていたので、陶器趣味の伝播を図っている上海人の友人へ送ろうとこれも買ってしまいました。箱がでかくて、移動中は色々辛かったけど……。

 話は本題に入りますがかなり昔、具体的には12年くらい前に読んだ政治評論記事にて「政治家には大きく分けて二つのタイプ、創造型と破壊型に分かれる」という指摘があり大いに唸らされたことがありました。これはどういう意味かというと文字通りで、新たな制度やグランドデザインを作り出すタイプの政治家が創造型に当たり、逆に古い制度や組織を破壊するタイプの政治家が破壊型に当たります。

 具体例を挙げると破壊型政治家に属し近年の有名どころとなると間違いなく小泉純一郎元首相で、スローガンの「自民党をぶっ壊す」に始まり郵政の民営化や社会保障制度改革などで既存制度や概念を破壊し、そしてハンセン病訴訟問題や不良債権処理といったいわゆる「負の遺産」を一気に処理していたことから破壊型政治家の名に相応しいでしょう。もっとも、「自民党をぶっ壊す」については言葉とは裏腹に自民党を延命させてしまったというのが私の評価です。
 反対に創造型政治家の例としてはやや古いですが竹下登元首相、橋本龍太郎元首相がこのタイプに入ると考えております。竹下元首相は在任当時は大いに叩かれましたが消費税の導入を行い、橋本元首相も行政改革を通して現在の省庁体制を確立し、後の小泉政権における内閣主導の布石を作っています。

 この二つに分かれる政治家のタイプについて元の評論記事では、「概して創造型政治家は嫌われやすく、破壊型政治家は人気が得られやすい」と指摘してあり、その例として上記の通り破壊型は小泉元首相、創造型は竹下元首相を引き合いに出して両者の事業と功績を見比べて、竹下元首相の消費税導入は日本政治史における偉大な一歩だったが嫌われたまま終わってしまったのに対し、小泉元首相は壊すだけ壊してまだ何も残していないと評価していました。言われて私も火今でも非常に納得する意見です。

 ここから私の評論に移りますが、破壊型、創造型のどちらが優れているわけではなく政治においては両方とも必要不可欠であると考えております。時代に合った制度を創造する必要性は言うまでもなく大事で、またその逆に時代に合わなくなった古い制度、現代であれば連帯保証人制度や上記に上げた不良債権などですが、こうした旧弊というか負の遺産を吹き飛ばし新しい制度を設置する余地を生む破壊も時代によっては非常に重要となります。ややくどいですが繰り返して述べると、創造の上に創造するということは実際有り得ないことで、新たな制度や概念を作るためには一度更地に戻すというかスペースを作る行為もまた必要だというのが政治だと私は思います。

 この政治における破壊と創造のサイクルですが、もちろん政治家は両方できるに越したことはないのですが私のこれまでの知見から述べると、やはり各政治家はこの二つのうちどっちかの方向に意識なり能力が傾くため、二項対立的な概念は好きではないもののこと政治家においてはこの二種類のタイプに大別した方が見やすい気がします。
 近年の政治家でタイプを分類すると、まず安倍首相は憲法改正や安保法案の海底にこだわる点を見ると創造型で、麻生財務大臣は悪い方の破壊型、石破議員はやや創造型かと思えます。民主党時代の主要人物となると鳩山、管の両元首相はどちらも完全な破壊型で、言い方悪いですが自己破滅的な破壊型だったなと思え、最後の野田元首相が唯一創造型だったと見ております。

 ここでちょっと破壊と創造に沿って日本政治史を敢えて追うと、日本はいわゆる55年体制の期間中は一貫して創造的な政治が求められ、池田勇人や田中角栄といった創造型の政治家が大いに活躍できた時代でした。しかし55年体制の終末に近づくにつれ明らかに「負の遺産」が溜まっていき、自民党が第一党から落ちて55年体制が終わって以降はバブル崩壊後の日本経済同様、破壊型の政治家が求められていたのでないかと思えます。
 しかし、創造型にも破壊型にも分類できず敢えて言うとしたらやっぱ自己破滅型だった村山元首相以降の橋本、小渕の両首相はどっちも創造型で、時代的な観点から見ればミスキャストな点が大きかったでしょう。そしてその次の森元首相に至っては今のオリンピック委員会を見ていてもわかるようにこの人も自己破滅型でお話にならず、小泉元首相が来てようやく破壊の時代が幕開けしたとも言えるでしょう。

 そしてポスト小泉時代こと現代について言えば、小泉政権で破壊しつくされた後ということもあって新たな制度や概念が明らかに求められており、この記事を書いている現時点においても創造型の政治家の方が破壊型に比べ有利な時代であると思われます。ただ安倍首相は創造型政治家であるもののグランドデザインとか国家体制といった範囲の広い分野は明らかに苦手で、創造できる範囲が憲法や安保だけに絞られており経済に至っては完全な範囲外であるのが自分やや物足りないと思う点なのかもしれません。
 とはいえ民主党政権時代の破壊型、というより自己破滅型の政治家に比べればそこはやはり創造型であるというだけ分があり、現在においては安倍首相以外に総理の適任者はほかにいないというのは間違いないでしょう。なおこれは私見ですが、安倍首相への支持率を最も支えているのは安倍首相の政策や施政とか自民党の組織活動ではなく、あまりにもだらしない野党の存在に間違いないとも思っています。

 少し話が二転三転しましたが、破壊型と創造型の二タイプに分けることで政治に対する視野が大きく広がるので、この見方なり概念は個人的にお勧めです。ちなみに「自己破滅型」という言葉はこの記事書きながら作った概念ですが、案外言い得て妙だな思え、破壊型、創造型に続く第三のタイプとして売り出してみるのも面白いかもしれません。

  おまけ
 途中で書きそびれたので最後に付け加えますが、小池百合子都知事は間違いなく破壊型の政治家で、そういう意味で今の東京都には求められていた人材であったと見ています。その小池都知事が何故破壊型だと断言するのかというと、彼女の師匠筋というか引っ張り上げた二人の人物が揃って破壊型で非常によく似てそっくりな政治家同士だからです。

2016年10月24日月曜日

派遣雇用の三年ルールの現状

 先週末はたった三日間だけ日本に帰国していましたがこの間に私が取った行動を軽くリストアップすると以下の通りです。

・散髪
・時計の修理
・書籍購入
・タブレットPCのアップデート
・ゲームのダウンロード購入(ZERO ESCAPEなど)
・伊勢丹で焼物購入
・漫画喫茶で5時間連続耐久読書
・会社社長と7時間半連続耐久トーク

 宿泊先はまた慣れ親しんだマッドシティこと松戸でしたが、床屋のおばちゃんが私のこと覚えててくれてちょいちょいうれしかったな。

 さて話は本題に入りますが上記に上げたリストに加えもう一つ、前回のマージン率調査で協力いただいた派遣労働者の方とも会ってきました。前々からメールで連絡を取っており同年代ということもあって東京に行くことがあればお会いしようと思っていた所、快く快諾いただけて、たまたま近くにいた冷凍たこ焼き好きの友人も、「どうせ興味あるでしょ」といって呼びつけて一緒に会ってきました。

 合流して田端駅前にあるガストへなだれ込むとまずは調査に協力いただいたお礼を言い、その後しばらく雑談をした後で、「前から気になってたんだけど、例の三年ルールは今現場ではどうなっているの?」と私の方から切り出してみました。

厚生労働省説明資料

 派遣の三年ルールとは簡単に説明すると、派遣社員は同じ派遣先では最長三年しか働くことが出来ないという制限です。もし同一職種で三年以降も雇い続けたい場合、派遣先の会社は当該の派遣社員を正社員に切り替えなければならず、派遣社員の正社員採用を促す目的で設けられました。
 このルールが設けられたのは民主党政権時代ですがその時は通訳や開発などといった専門26業務についてはこの期間制限はつけられず無期限に雇用できたものの、去年の改正派遣法によって専門26業務に対しても三年ルールが適用されると共に、制度開始からちょうど三年くらいになりそうだということで派遣業界ではちょっとした話題にはなっていました。

 正直言って業界内では派遣会社、派遣社員、派遣受入先の三者が揃って総スカンしたくらい歓迎されておらず、三者ともなるべく長く同じ派遣先で働きたい、働かせたいと考えているのにこのルールのせいで三方全損みたいになると批判めいた主張も数多く見られました。また派遣から正社員への転身を図りたいとする派遣労働者の層もそれほど歓迎するような声は聞かれず、私の印象論で述べるとこんなルールがあろうがなかろうが派遣の正社員採用が進むとは思えないと感じる様な空気が漂っていました。

 ではこのルールは果たして実際に運用されているのか。ストレートに聞いてみたところその派遣労働者の方は、「少なくとも自分の周りでは適用される例を見たこともないし全く聞かない」と教えてくれました。そしてこの回答は、私としてもある程度予想していた通りでした。
 何故適用されていないと考えていたのかというと理由は複数あり、まずは上記の通り派遣に係る三者が揃って望まない制度であること、二つ目として派遣業界はマージン率の公開といい遵法意識が極端に薄いこと、三つ目として実際に適用された例というのがネットで情報を集めている限りだとほぼ全く見られなかったためです。

 一応、去年の派遣法改正前後では、「君、来月以降は受け入れられなくなるから」なんていうセリフとともに「混乱する派遣の現場」みたいな見出しで記事が出ていましたが、内心この手の記事はエア記事だったんじゃないかなとすら思っています。恐らくは実際に三年ルールが適用されてしまった人もある程度はいたかと思いますが、三年以上を経過していた圧倒的多数の適用対象者はこの三年ルールを無視し、なし崩し的にそのまま働き続けているのではという気がします。だって、「三年ルール適用された日本死ね」みたいな言動が全くと言っていいほど聞こえないし見えないからです。

 とはいえあくまでこっちは派遣問題ではもうかなりの専門家だけど部外者の身であるためこれまで発言は控えてきましたが、今回こうして派遣労働者の方から直接話を聞いて疑念が確信へと切り替わったのでこうして記事に仕立てました。またその派遣労働者の方によると、ある派遣大手では「無期限派遣雇用」というオプション形態を用意しているらしく、正面切って堂々とこの三年ルールを無視しているという情報もいただけました。一応、除外規定として「60歳以上の派遣労働者」に対しては確かに三年ルールは適用されませんが、罰則もないだけにここまで思い切って無視してしまうあたりはさすがは派遣業界といったところでしょう。

 この三年ルールについて、自分としてはどうせ守る人も会社もいないんだし三方揃ってデメリットしかない制度にしか思えないためとっとと撤廃した方が早いと考えています。こんな制度があった所で正社員化が進むとはとても思えませんし、また派遣のメリットという奴も台無しになる可能性があります。
 それよりも直接的に派遣労働者を救済するべく、個人的には交通費の派遣先負担を義務づける制度などが今必要なのではないかと思います。あまり知られていませんが派遣労働者は勤務先への交通費は自己負担であり、これがかなり可処分所得を落とす原因にもなっていると思うだけにこうした点から地位改善の取り組んでもらいたいものです。

 なお現地採用の私も交通費は自己負担ですが、上海市内だと地下鉄は一回3~4元(約45~60円)なので痛くもかゆくもありません。逆にこっちに慣れてしまうと日本の交通費が高くてしょうがないように思え、交通機関が頑張って経営しているのはわかるけれどもう少しやすぅならんかと思うばかりです。

重なる不運

 この週末はまた日本に密入国して今日になってまた上海に戻りましたが、なんか今日はやたらと不運が重なりました。

 空港で飛行機の搭乗を待つ中、吉野家で牛丼(並)を食べようと注文したところ「15番」の番号札が渡されて待っていたところ、「16番でお待ちの牛丼並の方ー」と店員が呼び出し、16番の方がそのまま牛丼を持って行ってしまいました。なんとなく腑に落ちないで待っていたら厨房から、「あ、15番も牛丼並だった」という声が漏れ聞こえ、しばらく待ってたら「ナンバーフィフティーン」って何故か英語で呼ばれて、その店員は私には日本語では話しませんでした。「飛ばしよったなお前」って嫌味の一つでも言ってやればよかった。

 その後、飛行機に搭乗しましたが飛び立ってしばらくすると機内食が順番に配られ始めたのですが、最後尾の席に座っていた自分の手前でワゴンを運んでいたアテンダントが、「あ、切れた」といい、私と隣の人を置いてきぼりにワゴンをそのまま引っ張って行ってしまいました。それから大分時間が経ってから別のアテンダントが機内食のトレーを持ってきてくれましたが、他の人にはトレーと一緒に飲み物もくれるのに何故か私と隣の人には飲み物は持ってきてくれませんでした。
 いやね、言えば持ってきてくれたでしょうが、なんとなく眠かったし文句も言いたくなかったのでそのまま黙って食べてしまいました。でもってさらに飛行機降りて家帰ってきたらスーツケースのチャックを止める留金の部分のパーツがぶっ壊れてて、恐らく降ろされた時にブン投げられたかなんかで壊れたのかと思いますが、悪いことはやっぱり重なるものです。