ページ

2019年3月8日金曜日

見えないものを見ようとして

 「何故記者になろうとしたの?」という質問をこれまでに何度も受けてきましたが、私の答えは決まって文章を生業とする職業として適切だったからと濁してきましたが、それは生業上の理由であって、期待のような動機ではありません。ではその動機はなんだったのかというと、死ぬまでに情報の最前線に立って、なるべく真理に近いところで倒れたいというのが齢十五以来一貫していだき続けてきた動機です。
 この心理に近い場所に立つ手段が何故学者ではなかったのかは、そもそも学者という職業自体目指して到達するものとは考えず、実業界において実績と経験を積むことで周囲に求められて果たすもの、自分で望んでなろうとするものではないという風に考えていたことが大きいです。もっともそれ以前に、あの権威じみたアカデミックな空気が初めから嫌いだったことのほうが大きいですが。

 控えめに言っても、霊能力者やUFO愛好家を除けば、他の人が見えないものを見ようとする意欲、知識欲について自分は明らかに高いと自負しています。その視線の矛先は単体というよりかは群体、システム全体の仕組みや動きに対するものが強く、やはり私自身も大きなひとかたまりのまとまりでもって捉えることを得意としています。

 ではそういったものを捉えるのに何が必要か。結論から言えば感覚をとにもかくにも研ぎ澄ませることが一番大事だと思えます。具体的には常に思考を巡らせ、目や耳手を伝わる感覚を解剖して分析し、そうした過程で自分がこれまでに経験していない断片を全神経をもって探すという作業を毎日ずっと繰り返すことに尽きます。また使いすぎて鈍ってきた感覚を取り戻すために、定期的に刺激を与えるというか、日常から離れた体験や芸術的な対象に定期的に触れさせることも重要でしょう。

 こうして研ぎ澄ませていった私の感覚ですが、大体二年くらい前からこれ以上研ぎ澄ませては逆に危険ではないかと思うようになっていきました。というのも相手の声色やちょっとした仕草の変化をすぐ感じ取ったり、社会の気づきづらい変化や本人らが自覚していない癖などを自分でも異常なくらいに自然と見抜くことが多くなり、内心もう十分じゃないかと考え、それ以降はあまり自分の成長を望まなくなりました。

 その甲斐あってか以前と比べると最近は感覚が鈍っているという自覚もあり、以前より目には見えないものに気づくことが減っています。その一方、自己内の分析というか思考回転数は上がり続けているのか、前より何も考えない時間が減ってきている気がします。ほんのちょっとの瞬間ですら次の記事に書くネタやその分析、直近のスケジュールや予測などを考えだし、本読みながらでも別の内容について分析し続けていることすらあります。
 なんとなくインプットが減った分、内部の回転数が逆に上がっているように思え、ちょっとまた感覚を研ぎ澄ませる必要があるのではとまた考え始めています。自分の手垢のついていない知識分野をまたぞろ一気に広げるべきかと悩みどころです。

 そうした経験を踏まえて言うと、見えないものを見ようとすることは恐らく大半の人にとっては苦痛にしかならないと思います。逆に苦痛じゃない人は現時点で既に旺盛に知識をため込んでおり、いまさら言うまでもないでしょう。
 この辺のメカニズムを軽く述べると、普通人間は自分の考え方や知識を固めていこうと考えるはずです。自分の場合は逆で、自分の考えをどう崩し、壊し、再構築していくかばかり考えています。まだこんなもんじゃない、もっと上があるはずだと考え続けています。

2019年3月7日木曜日

中国の今年の景気に関する所感

 ネス湖に現れたUMAはネッシーと呼ばれるのなら、揚子江に現れたらヨッシーと呼ぶのか気になっています。

 さて今年に入ってから日系各紙で「中国の景気減速の影響で」という表現がやたら見られるようになりました。経済成長率の鈍化は何も最近に始まったわけではないのになんで後も急に増えるんだろうかと内心冷ややかに見ています。なお個人的にガチでビビったのは、今もやっている全人代で目標成長率の引き下げが発表されたところ、「中国の経済が縮小されるわけだから~」と書いているヤフコメがあったのですが、どこから突っ込むべきだろうかとしばし悩みました。

 関係ないけど日本で買ってきた無線マウス、長時間触らずにキーボードで叩くとほぼ100%反応しなくなり、電源を入れ直す必要がある欠陥品と判明しました。またマウス買うのか、去年末から既に6個も買ってるのにどれも使えないなんてな……。

 それで本題というか結論を言うと、特に具体的な調査データなどなくあくまで私個人の所感として述べると、今年の中国の景気は製造方面はともかくとして消費に関しては非常に好景気になるのではないかという予感が強くします。

 ほんの二分くらい手を離しただけでまたマウスが反応しなくなったし……。

 何故こう感じたのかというと先週末、友人に日本土産を渡すために繁華街で待ち合わせたのですが、その日はいつもながらまたザーザー雨が降っていたにもかかわらず、買い物に来ている人の数が明らかに普段より多かったからです。また買っているものも割と値の張るようなものを買ってる人が多く、飲食店も混んでてなんでこんなに人多いんだろうと不思議に感じるほどでした。
 背景としてはちょうど月初の週末で、給料を受け取ったばかりの人が多かったこともあるでしょうが、なんか去年と比べても消費が活発に動いている印象を覚えました。

 またこの消費に関してもう少し述べると、中国では今年から個人所得税が減税されており、また日本の消費税に当たる増値税も一般商品が17%から16%に引き下げられています。特に2月末給与(1月勤務分)で初めてこの所得税減税が得られた給与が支給されるため、実質的にほぼすべての就労者がそれまでより多い給与額となっているはずで、これで消費が増えないほうがむしろ変でしょう。
 なお増値税に関しては更に引き下げようとする案が今の全人代(中国の国会)で出ており、多分これも通るでしょう。消費者にとってはありがたいけど、税額計算する方にとってはしょっちゅう変えられると溜まったもんじゃないんですが……。

 あとこれは江南地方限定ではありますが、昨年12月から現在まで、誇張ではなく2日連続で晴れとなったことは一度もありません。っていうか太陽がちゃんと見られるくらい晴れた日なんて10日ちょいくらいしかないだろうと思うくらい、今年の冬は極端に天気が悪かったです。
 天気の消費への影響は言うまでもなく非常に強く、仮にこれから春になるに連れて天候が良くなるとしたら、多分それだけでも直近三ヶ月よりも、というよりこの三ヶ月間抑えられていた分だけ消費が増えると思います。他の地域は知りませんが、それくらい今年の上海周辺地域の冬は異常な天候でした。

 以上のような感じ方から、日本の予想とは裏腹に今年の中国の景気は案外かなり良くなるんじゃないという気がしますが、年末にかけては消費が落ち込むだろうと見ています。何故かと言うと、知ってる人には早いですが減税に伴って個人所得税の制度が代わり、所得税の計算方法が月次計算ではなく年間包括計算方式となったからです。
 簡単に説明すると一年間で毎月同じ給与をもらっていても所得税額が毎月変わるようになり、年末に近づくに連れ手取り額が段々少なくなるような仕組みになりました。やっぱこの辺の心理的影響は消費に影響するでしょう。

 最後に、「中国の景気減速で~」という表現には気をつけて見るべきだと断言します。いってしまえばスケープゴート的な理由として使われる可能性が高く、業績悪化する企業についてはもっと別の理由があるかもという視点をもって発表を見るべきでしょう。

2019年3月5日火曜日

「怒ってる人ばっかり」な日本の番組

山里亮太、最近のテレビに物申す「怒ってる人ばっかり出てる」(Smart Flash)

 本当は昨日に書きたかったけど、昨日は仕事の疲れから頭痛を起こして夜九時半にはもう寝ていました。最近こうやって体調悪い日は極端に早く寝るようにしてますが、やはり睡眠量はだいじだとやってて思えてきます。
 なお昨日出した記事は一昨日の夜に暇だったから書いたもので、予約投稿してたものです。

 話は本題ですが上記のリンク先は昨日見た記事で、南海キャンディーズの山ちゃんこと山里氏が昨今の日本のTV番組について述べた内容をまとめたものです。一読して私もまさにその通りだと同感するとともに、意外と鋭い視点を持っている人なのだなと山里氏に対する味方を改めさせられました。
 私自身は中国にいて日本のTV番組は普段殆ど見ないのですが、最近どこのネットニュースも放映されたTV番組のコメンテーターの発言をそのまま文字に起こして報じることが多くてそれをよく見て入るのですが、山里氏の指摘のとおりというか、何か事件が起こるたびに「こういうのは良くない」、「(当事者について)問題がある」といった内容ばかり目にします。昔からそうだったかもしれませんが、なんとなく私の肌感覚で言えば今のほうがなにかに文句をつけるコメンテーターが番組内に前より多い気がします。ハリーは昔からだけど。

 また、今回この山里氏の指摘を見て真っ先に思い浮かべた番組があります。それは何かと言うと今流行りの「チコちゃんに叱られる!」で、実は先日日本に帰っている際にうちの親父に何本か録画を見させられていたからです。
 はっきり言えば、流行ってるとは言うけどあまり流行ってほしくない番組だなというのが正直な感想でした。また、流行ることは間違いない、それも特に主婦層に受けるだろうという印象を覚えましたが、番組コンセプト的には私自身は好ましいとは思えず、できることなら早くなくなってほしいとすら思っています。

 なんでこんなに気に入らないのかと言うとまさに上記の通りで、番組の進行が、決して本気ではないにしろやたら怒りまわる内容で、質問に答えられない度に「ふざけんなボケ!」みたいな感じで番組キャラクターに言われるのが個人的には癇に障ります。単純に、何もこうした怒りの感情を出さなくてもいいのではと思えてならず、また番組内の解説も特に知的好奇心を動かされるものはなく、ただ目の前で放映されるだけで正直不快でした。

 この番組に限らずとも、視聴者やニュースの人物に対して怒りをぶつけるような番組が確かに最近多いのではないかと思います。その逆にというか、お笑い番組以外で、性別や年齢層にかかわらず誰もがのんびり見られて楽しめるような、そういう毒のない番組がないようにも思います。
 具体的には「アタック25」みたいなクイズ番組とか、今はなき徳川埋蔵金発掘番組とかああいうので、時間を潰すのに見るのにいい番組がなんか減った気がします。UFO特集ももう見ないし。

 で、最後に言わせてもらうと、やはりテレビに「怒ってる人ばっかり」出るのはやっぱり理由があるからでしょう。明らかに今の日本社会は10年くらい前と比べるとやはりそのへんがギスギスしているのではないかとも思え、そういう意味でもこの指摘はなかなか見事なものだと感じ入ります。

2019年3月4日月曜日

日本土産




 上の画像は誰がどう見ても不動明王ですが、これは先々週の日本滞在中、予め注文して取り寄せていたものです。前にもこのブログで書いていますが、上海高島屋でこれと同じ不動明王像を見つけひと目見て気に入り、黄色とか赤とかある中、戦慄のブルーことこの青色を選んで購入し、上海に持ってきました。
 写真ではわかりませんが購入時、右手の利剣は柄より上の部分は分解されて梱包されてたので、接着剤で上記のようにくっつけました。また背中の炎部分も別パーツで、おそらくははじめから接着されていた痕跡はあったものの、開梱時には外れていたのでこれも接着剤でつけ直しました。
 置いてある場所は他の戦闘機プラモともども冷蔵庫の上で、何故ここにしたのかというと目線の位置にちょうどいいからです。

 さて、実はこの写真には一部奇妙なものが映り込んでいます。搭載しなかったミサイルパーツとかプラモの組立説明書ではなく、お気づきになられるでしょうか?





















 そう、写真左側に映っていたのは信楽焼のたぬきのひょうたんでした。一緒に買ってきたのでセットにしておいていますが、なんかこの組み合わせも気に入っています。なんとなく従者っぽい感じ出てるし。

 さてそんな日本のお土産ですが今回購入した不動明王は確かAmazonで1.2万円くらいでした(たぬきは700円位)。これもそこそこ値段が張っていますが、実はそれ以上に高い買い物となったお土産が今回ありました。もったいぶらずに言うとそれは、同僚から頼まれた化粧品でした。

 今回、中国人の女性同僚に自分の留守中の業務対応などをお願いし、代わりに日本でなにかお土産を買ってくると伝えたところ、化粧品を買ってきてほしいと頼まれました。その同僚からは代金は自分で払うと言われたものの、「いつも頑張ってくれてるし、俺にまかせとけσ(゚∀゚ )オレ」といってしまったのが運の尽きでした……。
 後日、同僚からは買ってきてほしいフェイスクリームの写真が送られてきたので早速渡航前にネットで値段を調べたところ、なんと1万円/個する代物でした。っていうかこんな高いフェイスクリームが存在すること自体びっくりです。

 頼まれた量は計2個で、金額はかける2して2万円です。てっきり自分はせいぜい5千円、いっても1万円くらいだろうと踏んでただけに、この出費は痛くつきました。と言っても今更、「やっぱ後日精算でもいい?(;´Д`)」なんて後から言うのもかっこ悪く、吐いた唾を飲めないため結局自分が負担することにしました。
 手渡し時に同僚からは改めて、「高かったでしょ、私が払います」といってくれましたが、「いいっていいって。でも、本当に高かった゚(ヽ´ω`)」と、思わず本音が出ました。

 なおこの顛末を友人に話したところ、「友蔵のローラースルーゴーゴー状態だな」とうまく例えてくれました。

2019年3月3日日曜日

長篠の戦いに関する考察

 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| (     )  どうしてこうなった・・・
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /
 ___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ )  どうしてこうなった!?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
|    | ( ./     /

 ___ ♪ ∧__,∧.∩
/ || ̄ ̄|| r( ^ω^ )ノ  どうしてこうなった!
|.....||__|| └‐、   レ´`ヽ   どうしてこうなった!
| ̄ ̄\三  / ̄ ̄ ̄/ノ´` ♪
|    | ( ./     /
                   ___
             ♪ ∩/ || ̄ ̄||♪ ∩∧__,∧
               _ ヽ|.....||__|| 7 ヽ( ^ω^ )7 どうしてこうなった!
               /`ヽJ   ,‐┘/`ヽJ   ,‐┘   どうしてこうなった!
| ̄ ̄\三  / ̄ ̄ ̄/  ´`ヽ、_  ノ   ´`ヽ、_  ノ
|    | ( ./     /      `) ) ♪    `) ) ♪

                  ___
               ♪ || ̄ ̄|| ;ヽ∩ ♪
       ∧_∧      r||__||.....| ノ     どうしてこうなっ・・・
       (     )     └‐、    レ´`ヽ
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/      y   __ノ´`     ・・・ってアレ??
|    | ( ./     /       ( ( ̄  ♪

 
 現在、上記AAのような議論が最も交わされている戦国の合戦を挙げるとすれば、それは恐らく長篠の合戦ではないかと見ています。具体的な論点は以下の通りです(カッコ内は私の意見)。

一、織田軍の鉄砲三段撃ちは本当に存在したのか(一部存在したと思う)
二、武田騎馬軍団は存在したのか(部隊レベルで、軍団レベルでは存在しない)
三、何故武田軍は撤退せず野戦に踏み込んだのか(単なる判断ミス)
四、何故武田は主力武将が軒並み戦死したのか(この後すぐ)

 ざっと上記のような論点に絞られますが、このところよく議論に上がるのは四番目です。何故かと言うと、武田軍は宿将を始め多くの武将がこの戦いで戦死しているのに対し、織田軍はほとんど誰も死んでいないほどの完勝を収めています。その一方、兵力の損耗で言えば武田軍が一万以上に対し、織田軍はほとんど戦死しなかったとする説もあれば、数千単位で実は発生していたとして実際には言われるほどの完勝ではなかったとする説もあります。
 実際、織田軍も戦死傷者がそこそこ出ていたと思われる要素はないわけでなく、というのも武田の武将の多くは織田・徳川軍の陣内で討たれており、これは味方を変えると武田軍は相手陣内にまで進軍して戦闘が起こっていたと示唆されます。論点一の鉄砲三段撃ちの疑義もあり、多量の鉄砲を運用したことは事実であっても一方的な掃射戦ではなく、実際には切合いも多かったとする意見も見受けられ、戦争の経過について議論が賑やかです。

 結論から言うと、自分は織田・徳川陣内でも激しい切合いが起こっていたとする説を支持します。何故このように考えるのかというと、陣形図と戦争結果、そして武田軍が取った戦術を考慮するとそれが適当だと思うからです。

 自分が改めてこの長篠の合戦を考えたところ、まず最初に疑問に感じたのは武田軍は何故中央突破しなかったのかという点です。武田軍は長篠城を包囲していたところ、織田・徳川の援軍が近づいてきた事に気が付き、迎撃するか撤退するかを議論して迎撃を選んだことで合戦が発生しました。
 この決断について、島津の退き口じゃないですが何故武田軍は中央突破してそのまま撤退という戦術を取らなかったのだろうかという疑問を持ちました。これなら相手に一発食らわせた上、安全な撤退も確保できるので一石二鳥になるように思え、また実際存在したか怪しいけど騎馬隊があるんだったら中央突破のほうが戦術として実行しやすいように感じたからです。

 こうした仮定を持った上で改めて武田の陣形を見ると、実は真逆だったというか武田軍は左右両翼に主力を配置して織田・徳川軍に包囲を仕掛けるような陣形を作っていました。この時点で非常に意外というか素人目的にも戦術としてありえないと感じたのですが、何故そう感じたのかというおと兵力差的におかしいからです。
 かなり意見が分かれていますが、兵力比較だと織田軍が3.8万~7.2万だったのに対し、武田軍は1.5万~2.5万です。ハンニバルのカンネーの戦い見たくうまく包囲隊形に持っていければそりゃしめたものですが、実際には兵力で大きく勝る相手に包囲戦を仕掛けるのは難しく、ましてや山間の川を挟む平地でそんなのやろうったって普通できるとは思いません。それこそ、相手兵力がまだ2.5万~3万くらいならまだ望めるでしょうが、種々の状況から察するに織田・徳川軍は武田軍の倍以上の兵力があったとされ、それほどの兵力差では包囲なんて望めるはずもなく、普通に戦ったって実際に勝てるのはフランスのダブー元帥くらいでしょう(アウエルシュタットの戦いで倍の兵力差がある敵軍とばったり遭遇し、自軍の倍以上の損耗を食らわせて完勝している)。

 ここに至りもう一つの疑問が出てきました。おわかりでしょうが、何故武田軍は包囲攻撃を仕掛けようとしたのかです。ちょっとくらいの兵力差ならともかく、現在類推される実際の兵力差からすれば包囲なんて仕掛けるべくもないほど離れているのにどうしてこうなった♪のか。考えられる理由としては、武田軍が織田・徳川軍の兵力を見誤ったからではないかと自分は思います。
 恐らく、武田軍としては相手は多くても自軍より少し多い、下手すりゃ自軍よりも少ない兵力ではないかと考えたのではないかと思います。実際にそのように判断したと思う節はあり、というのも織田軍は敢えて丘陵地帯に陣取り、野戦築城をした上で、後方の部隊を武田軍の視界に入らないようにしたと記録されています。実際に山間の地形であることを考えれば不可能ではないように思える上、こうした兵力を敢えて過小に偽装する戦術は古来から珍しくもありません。そう考えると、野戦築城も騎馬隊対策の防護柵というよりは、兵力を隠すための仕掛けだった可能性もあります。

 それ以上に、織田軍が敢えてそのように兵力を過少に見せる動機がいくらでもあることも見逃せません。鉄砲の多量配備、野戦築城を始め、明らかに織田軍は救援に来ておきながら武田軍を戦場で迎え撃つ体勢を取っており、如何に武田軍を誘引、というか攻めてこさせるかが肝心であり、そのため兵力を過小に見積もらせる戦術も意識的、というか最重要で実行されたとしても不自然ではありません。
 また過去の三方原の合戦でも、織田家は徳川家に援軍を送っていますが、連合軍の兵力は武田軍に劣っていたこともあって徳川家は大敗しており、そうした過去の成功体験も武田軍に影響したかもしれません。

 以上をまとめると、武田軍の真の敗因は鉄砲三段撃ちでもなく、騎馬隊の不在でもなく、相手兵力の過小見積りに伴い包囲攻撃を選択したという判断ミスではないかと自分は考えます。ある意味で織田軍は伏兵に近い戦術を取り、攻めかけてきた武田軍を自陣に誘い込んで鉄砲運用を含め余りある兵力で袋叩きにした、つまり自陣付近(陣内含む)でボコボコにしたのではないかという推察に自分は至りました。
 なお言うまでもないですが、武田騎馬軍団についてはその存在をかねてから疑問視しているため、騎馬突撃という戦術ははじめから考慮していません。武田軍は普通に部隊を動かして攻めかかってきたという前提で考察しています。

 ポイントを改めて述べると、やはり何故中央突破ではなく包囲攻撃を武田軍は選んだのかという点がキーです。何気に、中央には織田信長も結構前線に近いところに陣取っており、武田軍は位置をつかめなかったかもしれないけど中央突破を仕掛ける理由はあったかもと思ったのに全くそういう素振りが見えないことから、今回の考察に至りました。
 その上で、長篠の戦いにおける織田軍の最大の勝因は何かと言うと、やはり鉄砲というよりは伏勢、兵力の過小偽装による誘引にあると思います。武田軍の武将が数多く戦死したのも、敵陣深くに誘い込まれたと考えれば納得できるし、また通説より織田・徳川軍の損耗も多かったとする説も、伏兵攻撃を仕掛けたと考えれば自然でしょう(それでも完勝といえるくらい一方的だが)。

 今回、何故このような考察に至れたのかというと、やっぱり漫画の「ナポレオン-覇道進撃」を読んでるせいだと思います。この漫画だと包囲戦に持ち込むための駆け引きが非常に事細かく書かれており、何故成功したのか、失敗したのかがよく分かるように描かれています。でもって丘陵地帯での伏勢ですが、これが一番効果的に作用したと思えるのがあのワーテルローで、まさに決勝点となった箇所でもあるだけに、織田と武田の布陣図からみてはっとひらめきました。

2019年3月2日土曜日

言語を介さない思考

 「外国語のできないやつは母国語もできていない」というのはゲーテの言葉ですが、これはあながち偏見の入ったセリフではありません。人間、たとえ人生にどんな出来事があったとしても幼児期に最初に習得した言語が思考する際に使われる言語として使われ、生涯それが変わることはないと各実験などからも証明されています。逆を言えば、母国語が充実していなければ思考言語も未熟なままとなり、思考能力もある一定の段階で限界を迎えそれ以上は発達しないというか、ハイレベルでの思考処理を行うことはまず不可能となります。

 もっとも、それはあくまで「言語を介して思考」する場合に限ります。「言語を介さずに思考」する場合はその限りではありません。

 そもそも言語を介する思考とはなにかといいますが、普通に言葉を喋ったり文字に起こしたりせずに黙って頭の中で考える作業がこれに当たります。例えば無言で「今日のご飯は何にしようか」とか、「ヒナまつりの15巻は絵がものすごく荒れてて心配だったが16巻はやや持ち直したものの、かつて程の勢いはもうない」などと、文字スクリプトを起こすような感じで頭の中で考えることがこれです。
 恐らく思考の99%くらいはこうした「言語を介する思考」に当たると思いますが、残り1%の範囲に「言語を介さない思考」が存在すると私は考えています。

 では「言語を介さない思考」とはなにか。そもそも言語にならない思考作業を言ってるんだから表現のしようもありませんが、いくつか実例でいうと、やはりめちゃくちゃ賢い人ほどこうした思考をやってのけていると私は思います。
 これまで私が見てきた中でも何人かいますが、ものすごい早口で喋りながら説明している最中、突然ピタッと言葉が止まるようなタイプがまさにこういった言語を介さない思考をやっている用に見えます。いわゆる、「頭の回転が早すぎて、考える内容に口が追いつかない」ような説明をする人がこれで、こうした人は大概にして、聞いてる側からすれば説明内容が意味不明なのに本人はやたら納得したように説明していて、説明を終えるとドヤ顔かましたりします。

 思うにこうした人達は、思考言語以上に頭の中の情報の連結や分解速度が早く、そのため言葉足らずとなったり、発声が遅れたりするのだと思います。この場合、彼らの頭の中では情報処理は実際に行われているものの、その情報処理において各情報は頭の中で言語化というプロセスを経ておらず、本来なら「カレー+ごはん=カレーライス」となるところを「情報A+情報B=情報Z」という風に処理して、それからしばらくしてから「情報Z=カレーライス」みたいに判別しているのでしょう。
 まぁ中には思考言語能力自体が低くて、こうした情報のラベリングがただ単に拙く、「あれがそれでこうなってな」みたいに元阪神・オリックス監督の岡田氏みたいな話し方になってる人も少なくはないでしょうが。

 と、ここまで説明しておきながらなんですが、上記のように「思考言語能力が追いつかないから言語を介さず思考する」パターン以外にも、言語を介さない思考は存在すると考えています。端的に言えばそれは、ひらめきです。

 自分においては、多分思考言語能力が人よりは高いこともあって、言語を介さず思考する際は圧倒的にこっちのパターンが多いです。ではどういう風に思考処理しているのかというと、はっきり言えば「問題Aに遭遇した→対処法を検索→対処法BとCを発見→BとCを比較→対処法Bを選択して実行」となるべき処理を、「問題Aに遭遇→対処法Bを実行」みたいに、主に「比較」に当たる箇所をすっ飛ばして対処法Bを選んで実行し、その後で、「そういえばCもあったけど比較するに値しないな」と思い起こすというようになります。
 もっともこうした思考処理は「反応」とも取れるので純粋にひらめきと言えるかは微妙です。自分の中で真にひらめきだと思うのは、問題と対応がセットで思い浮かんで、最後に過程が出てくるようなものがそれです。

 ではこうしたひらめきパターンの処理はどう行われているのかですが、私なりの仮説を述べるとやっぱり二次方程式のような代数計算パターンが一番適当な気がします。大体、変数が二つか三つくらいあって、それら変数が含まれる代数式が5、6個ある状況、具体例を挙げると日本の賃金問題を考える資料や材料を5、6例暗記、同時想起した段階で代数比較が自動実行され、それら5、6例に共通する変動要因(=変数)が一気に導き出される感じです。
 なので本人としては代数比較を行っている自覚はなく、ぽんと変数X、Y、Zに当てはまる数字が出され、むしろその数字を見てこれらの数字が何に影響を及ぼしているのかという風に帰納的に考えることが多いです。この段階にいたり、初めて先程の5、6例の材料の代数式が認識できているような気がします。

 なんでこんな訳のわからないことを突然書き出したのかというと、突き詰めると推理や推測、分析における思考は代数式のように頭の中で処理されていると日々強く感じるからです。真面目な話、人と議論する際に私は常に代数式のようにして論点を整理し、議論で結論に当たる部分を変数と仮定してその変数を解き明かすようにして話を進めています。で、この代数式ですが実際には計算するよりも、途中でぽんとひらめいた答えを軸というか仮定にして途中式を分解するパターンが多く、総じて帰納的に処理しており、どうしてなぜそれがファンクションするのかという、言語化した論の組み立ては後回しにしていることが多いです。はっきり言ってそんなの、喋りながらゆっくりやればいいだけですし、総じて説明というか理由は後付であるとも考えているからです。

 最後に何が言いたいのかというと、一定の段階、自分の中では変数が二つの二次方程式モデルまでは言語を介した思考でも間に合うものの、変数が三つとなる三次方程式モデル、つまり三つくらいの要素(=論点)を同時並行で分析思考する場合、思考内容をいちいち言語化処理しようと思っても間に合わず、それこそさっきのように「情報A、B、C」のように敢えて言語化しないまま、言語を介さずに思考していかなければ処理が間に合わないと思います。
 なので非常に複雑かつ大量な要因が絡みつく問題を議論、分析する際は、こうした言語を介さない思考がどれだけできるかにある程度かかってくると私は考えます。とはいっても、意識してトレーニングしている人はほぼいないので、主張するだけ無駄ですが。

 さらに言えば変数三つで議論について来れる人間はほとんど限られているので、敢えてこの三次方程式モデルを使うとしたら意図的に論点を三つに増やして、議論相手を大混乱に陥れようとするケースくらいです。これはこれで、非常に物足りなさをこの頃感じるわけですが。

2019年3月1日金曜日

睡眠時間

 やはりちょっと神経がやられておかしくなっているのか、この二日間の睡眠時間がヤバイことになっています。具体的には、一昨日は夜九時、昨日は夜十時に布団に入り、翌日朝七時に起床しています。なお昨日は寝入ったのは夜十時ですが、実際には九時くらいから布団入ってゴロゴロしてました。

 後自分でもちょっと驚いたのが今日の昼。いつも会社で30分位昼休みに仮眠していますが、今日は完全に意識すっ飛ぶくらい寝入ってました。時間にしてほんの十分程度ですが、目が覚めた際に今自分がどこにいるのか、何をしていたのか完全に記憶が飛び、はっと時計と周囲を見て会社にいることを思い出すくらい寝入ってました。今までたくさん昼寝してきましたが、こんなの初めてです。

 やはり体調が悪いことからやる気も起きず、ゲームもこの一週間全く手を付けていません。っていうかやる気起きない。食事も、今時分がお腹空いているのかいないのかがはっきりわからず、とりあえず時間が来たから食べるようなのが続いていて正直面倒くさいとすら覚えます。
 昨日、一昨日に長く寝た甲斐もあって今日はやや元気ですが、明日とか郵便局とかを多分雨の中回らなきゃいけないので今から気が重いです。っていうかさり気なく一昨日、スーツのズボンの内股部分の接合部が破けててショックでした。多分太ももが確実に学生時代よりでかくなっているせいでしょうが。