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2013年1月31日木曜日

日本で歴史を動かした女性

 このところまた帰宅がほぼ毎日10時過ぎるほど忙しい、というかいろいろ人と会っているだけなのですが、帰ってきてからブログ書くのも一苦労です。そこで今日もささっとかけるネタないかと思案していたところ、仕事中にチラ見していたNHKのヒストリアで豊臣秀吉の妻であるおねが特集されていたので、日本で歴史を動かした女性についてちょこっと書いてみようと思います。

 まず先ほど出てきたおねですが、彼女に関しては間違いなく歴史を動かした女性の一人だと言って問題ないかと思います。というのも豊臣秀吉の覇業の傍で的確なアドバイス、今日やってたヒストリアでは信長への歳暮にほかの武将は現金とか送っていたところ、派手な着物200枚を送るように進言して秀吉の株を大いにあげたと言います。そのほかでも随所に発言した内容が秀吉の行動を決めているとされ、秀吉の死後も大阪城の秀頼を巡って重要な立場にあり、その影響度は淀君とは比べ物にならないでしょう。

 このおね以外で日本の歴史を動かした女性となると、日本最古の女帝こと推古天皇をはじめとした女性天皇などが上がってきますが、影響力一つを取るとしたら私の中では北条政子が第一に上がってきます。北条政子もおね同様に夫である源頼朝を多方面で助けてる、というか頼朝は政子と結婚しなければ北条家の支援を受けれずに平氏に反旗を翻すことすらできなかったことを考えると、実質的に鎌倉幕府設立の最大の立役者といっていいでしょう。また幕府創立期において最大のピンチとなった承久の乱も、吾妻鏡が正当性を誇示するためにわざと大げさに書いている可能性が捨てきれないものの、北条政子の一喝で鎌倉武士団がまとまったのが事実であれば歴史の方向性を決定づけたと言ってもいいほどの影響力です。

 今回紹介したおねと政子ですが、共通点を上げるとしたら二人とも当時としては珍しい恋愛結婚組で、ほぼ駆け落ちの様な事をした上で結婚にこぎつけています。婚姻においてタブーの多かった時代にこれほどの行動力を示せたからこそ歴史の波にとらわれることなく、むしろその波の一つにもなれたのかなとも見ることが出来ます。では現代にこれほどの行動力ある女性はいるかとなったら、男でもいないじゃんとか思ってしまうあたり日本はちょっと人材不足なのかもしれません。

 明日も帰宅はきっと10時過ぎるので先に予告しますが、金曜日から中国国内の旅行に出かけるためしばらく更新を休みます。復帰は日曜日の予定です。

2013年1月29日火曜日

中国のゲーム機事情

中国当局、ゲーム機の禁止政策を見直し=報道(ロイター)

 なんか気になるというかちょっと一家言あるニュースが昨日出てたので、今日は上のリンク先にあるニュースを軸に中国のゲーム機事情について解説します。
 まず上のニュースの内容ですが簡単に言ってしまうと、2000年から禁止してたゲーム専用機の国内流通を解禁するのではないかという内容です。このニュースに対して私が何を言いたいのかというと、「俺の立場は!?」っていう一言です。というのも私は去年の7月にこの「解禁するのでは?」という記事を書いており、多分日本語媒体ではどこよりも早く報じたつもりです。さらに当時気が進まなかったけどなんか会社が情報提供している関係から電通に対しても記事の内容を細かく説明までさせられました。それが今更こう大きく報じられてもなぁって感じです。

 そんな個人的な愚痴は置いといて中国の事情について説明すると、2000年以前は全く規制がなく日本国内同様にどのゲーム機も流通しておりました。私の友人の上海人などは「プレステかサターンのどちらを買おうか悩んだけど、鉄拳があったからプレステにした」と話しており、日本同様に90年代中盤には次世代機競争があったと証言しております。さらにここ最近で一番ビビった事件として、たまたま知り合った20代前半の中国人の女の子が、「魂斗羅?もちろん知ってるよ、上上下下左右左右でしょコナミコマンドは」とまで言ってのけて、意外に日本のゲームが中国にも深く浸透していたのだと思い知らされました。っていうか今の日本の20代の女の子は魂斗羅なんて知らないだろうけど。

 それほどまでに浸透していた日本のゲーム機ですが、2000年に法令で禁止されてからは表だって国内流通することはなくなりました。一体何故中国政府が禁止措置を取ったのかというと表向きは青少年の精神教育に悪影響が及ぼすと言っておりますが、実態としては国内のソフトウェア産業ことゲームメーカーの技術力が非常に弱く、彼らを育成するために外国製ゲーム機をすべて排除したのです。
 ここら辺は電通に対して説明する際にもかなり細かく解説させられたのですが、仮に当時出たばかりのプレイステーション2やXボックスの流通を国内で認めてしまうと、技術力で中国に勝る日米のゲームメーカーが作ったソフトが大量に出回って中国のゲームメーカーは一切育つことなく淘汰されるのではないかと中国当局は懸念したそうです。そこで文字通り締めだすというか、外国のゲームを入ってこないようにしてその間に国内メーカーを保護しようとしたわけです。

 この辺の発想ですが、偏見かもしれませんが非常に理系的な発想だと思えます。最近は文系卒が増えていますが今の中国当局幹部連中はほぼみんな理系出身で、具体的にどうやって技術力を向上させるとか保護できるか、そういった意見が日本の政治家に比べて非常に鋭いことが多く、このゲームの措置一つとってもそれがうかがえます。
 それはともかくとしてそうやって中国はゲーム機の国内流通は禁止したわけですが、中国で製造して第三国へ輸出する分には昔からOKで、聞くところによると任天堂のWiiとかXボックスは台湾のホンハイことフォックスコンがシンセン市でみんな作っているそうです。あと名目上は国内流通を禁止しているものの、並行輸入こと個人業者などが輸入して販売していることに対しては黙認しており、実際に中国でもPS3とか入手しようと思ったら簡単に買えますし、PS3で遊んでいる中国人もたくさんいてこの前なんか「ガンダムエクストリームバーサスでネット対戦しようよ」とか私も誘われました。

 そんな中国がどうしてまたこのタイミングで解禁しようとしているのかですが、私が読んだ現地報道によると中国のゲームメーカーが力をつけてきたからだと分析しておりました。中国のゲームメーカーが作るゲームというのは基本的にパソコン上で遊ぶゲームが主なのですが、10年以上前と比べれば大分技術力を付けてきて今だったら黒船を迎え撃つことも出来るし、むしろPS3やXボックス360が国内で流通することによってゲーム市場が拡大すれば売り上げ増など恩恵が得られる可能性が高いと当局は踏んでるそうです。これはつまり、保護政策によって力をつけてきたので今こそ打って出るべき的な守りから攻めへの発想の転換です。
 こういってはなんですがその見方は正しいと私も思います。実際に中国製ゲームで遊ぶことはありませんがパッケージデザインやゲーム画面などを見ている限りだと日本のゲームにも負けていませんし、国内にいる中国人好みのゲームを作るという点において優位があることを考えると十分に市場が成り立つように思えます。私としてはあと一言言うと、解禁してくれれば日本製ゲームが中国にも流通して相互理解が進むのではとも思え、まぁ固いこと言わないで早く解禁しておくれってところです。

 最後に私が去年の7月に書いた記事執筆時のはみ出し話をすると、上司に指示されたので日本のゲーム大手のソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)と任天堂にこうした報道にどう思うのか電話をかけて尋ねてみました。まずSCEは広東省に法人を再設立させたということを知っていたから具体的にいつ設立してやっぱり解禁を期待しての動きかとアジア部門に電話を掛けたところ、「担当者がいなくてわかりません」と言われ、いやいや自分とこの部署が海外法人設立した日くらいわかるでしょ、調べなおしてまた電話頂戴と言って切ったらしばらくして、「やっぱりわかりません」と言われてなんなんだこの部署はと呆れました。
 次に任天堂。自分も京都で4年間過ごしてるんだからはっきり言って嫌な予感はしてましたが、広報部につないでって言ってつないでもらって中国のこの報道についてどう思うかと単刀直入に聞いたところ、「すいません担当の者がいないのでまたあとで電話をかけ直します」と返してきたので私の電話番号を伝えたところ、未だに返答の電話がありません。まだ待ってるつもりなんだけど任天堂さんはいつ電話くれるのかな、早くしないと自分も会社からいなくなっちゃうってのに。

 今日は別に酒飲んでるわけじゃないのにやけに跳ね飛んだ文章になってます。晩飯後にドーナツを4個を一気に食べたのが良くなかったのかもしれないなぁ( ´ー`)

2013年1月28日月曜日

日系企業の中国拠点リスト販売、始めました

 前々からちょくちょく紹介しておりますが、こちらが予想する以上にアクセス数が伸びてないので、ちょっとこちらのブログでもでっかく宣伝させてもらいます。

中国景気観測局

 多分このブログを始めてから初めてフォントサイズもおっきくしましたが、上記ページは私と友人が新婚夫婦のケーキカットよろしく初の共同作業によって作ったサイトです。一体どんなサイトかというと、中国の経済解説、それも数字データに集中した経済レポートを公開しているサイトです。
 前から見ている人には早いですが、このブログで取り上げる範囲は果てしなく広いです。プライベートでも「花園さんって守備範囲広いっすね」と常々言われてますが、何にでも興味を持つせいか政治から経済、社会ネタ、果てには思想哲学関係など好き勝手な主張をこのブログで展開しています。ただそのせいか、一応大まかなカテゴリーは設けておりますが何か具体的なテーマに絞って記事が読みたい人の需要にはいまいち応えられてないんじゃという風には前からも自覚しておりました。そこで上記の「中国景気観測局」を作ったわけで、ここではブログではないことから図表データも載せやすく、いろいろデータを作っては中国経済に関するレポートを今後も増やしていこうと考えているわけです。

 そんな中国景気観測局ですが現時点で何が一番すごいかっていうと、中国に進出している日系企業の電話番号、住所を網羅した拠点データを売っているって点です。載せている企業数(日本での登記ベース)は1417社、中国拠点数は6871拠点と、かなり果てしないデータとなっており、製作に関わった自分が言うのもなんですがいい仕上がりとなっております。価格は税別で1万円となっており、1本売れるごとに自分にも歩合でお小遣いが入ってくるシステムとなっているので、浅ましいことは自覚しておりますが興味のある方は下記連絡先、私宛でもいいので是非連絡ください。また興味のない方でも、周りにいる買ってくれそうな人に紹介していただけたらありがたい限りです。

 それにしても、こうやってネットで情報を売ることが出来るようになったというのは凄い時代だなと思うのと同時に、自分もそういう一人になったのだなとしみじみ感じます。

  中国拠点リストに関する連絡先:neida1919@gmail.com

2013年1月27日日曜日

続、教員の早期退職問題について

 先日書いた「教員の早期退職問題について」の記事で少し気になるコメントがあったので、今日は一つこの問題で追加記事を書くことにします。それにしても前の記事書いた金曜日は酔っぱらった状態で夜遅く家に帰ってきて、なにかちゃっちゃと書けるネタないかなと思って適当に書いた記事だったのにやけにコメント伸びたな。

 話は本題に入りますが、その気になるコメントというのは「教員を含む公務員の退職金は平均で2700万円程度で、今回の給与改定に伴い減少する額は150万円程度で、減少した後も民間と比べて約15%高い」という内容です。このコメントの中で気になったのはそのまんま2700万円という金額なのですが、この金額が民間と比べて15%高いという記述が果たして本当なのかと強く疑いました。なので今日は面倒くさい仕事が片付いた週末ということもありちょこちょこ調べてみましたが、ほかの報道などを見る限りだとどうやらこの数字の根拠となっているのは下記の人事院の調査結果からのようです。

民間の企業年金及び退職金の実態調査の結果並びに当該調査の結果に係る本院の見解について(人事院)

 人事院というのは読んで字の如く公務員の人事や給与を決める機関なのですが、はっきり言って私はここの連中は信用しておらず胡散臭い組織だと考えています。そう考えるきっかけとなったのはまさに今回の給与改定で、民主党政権時に政府が人事院が勧告した数字以上に公務員給与切り下げを断行しようとした際、実際にはそんな条文などないにもかかわらず「人事院の勧告に政府が従わないのは憲法違反だ」と恥ずかしげもなく堂々と言ってのけて、なんなんだこいつらと怒りを通り越して呆れたことがあったからです。この時は最終的に政府が押し切って微減ではあるもの切り下げが断行されたのですが、今回こうしてその議論のベースとなる人事院が調査した民間平均の金額を調べてみたところ強く疑問を感じる金額であり、はっきり言ってしまえば自分たち公務員が多く受け取るために統計を操作しているのではないのかという印象を受けました。

 順を追って説明しますが公務員給与というのは民間企業の平均給与を調査・算定した上でその金額に合わすような制度となっております。ただこれまでも調査対象となる民間企業は上場企業など大企業が多く、いわばてっぺんの上澄み部分だけを取って実際の民間平均以上に高い給与を公務員は受け取っていたという批判がありました。
 今回私がやり玉に挙げている退職金も基本的にこの人事院が自分で調査して決めているのですが、昨年にこいつらが発表した退職金の民間平均額は2547万円で、公務員の2950万円より低いとしてます。そこで歩み寄るために今回引き下げるという話なのですが、そもそも民間平均が2547万円に達するのか、自分の感覚からして正直言って信じられない金額です。

 あくまで私の感覚ですが、周囲から見聞きしている範囲だと大体1000万円前後のような気がします。もっとも私の会社に至っては単位時間当たりで最低賃金をブッチしている上に退職金制度自体ありませんがそれは置いといて(置いときたくないが)、肌感覚から言ってこの数字は実態から乖離し過ぎている気がしてなりません。そこでほかの機関が調査したデータはないのかと調べてみたところ、5年前になりますが東京都産業労働局が同じような調査を実施しておりました。

公務員退職金水準引き下げ案再浮上、民間データの怪しさ
 民間企業の退職金水準2547万7千円、これはどこの企業の平均なのか?
(日本生活設計)

 日本生活設計さんが上記ページで東京都産業労働局と人事院の調査データをきれいに比較しているのですが、東京都産業労働局が出した中小企業が出した退職金額の平均額を抜粋すると以下の通りです。

<大卒者の企業従業員数別平均退職金額>
100人から299人:1401万円
  50人から99人:1117万円
  10人から49人:1265万円

 見てもらえばわかる通りにどれも1000万円強です。従業員数1000人以上の大企業だったらもうちょっと行くでしょうが、日本の従業員数の大半は中小企業に属していると考えると、全体平均では人事院の調査結果のように2000万円を突破することは考え辛いです。また上記の東京都産業労働局のデータは東京都内限定であることを考慮すると、より零細企業の多い地方を含めた全国平均だとさらに下がる可能性が高いです。
 日本生活設計さんもこうしたデータを元に人事院にツッコミ入れておりますが、私個人としても同じテーマの調査で1000万円超も数字が乖離するなんて有り得ないように思えます。となるとどちらかが統計を歪に操作していることとなるわけですが、先ほども言ったように私の肌感覚からすると今の日本の退職金額は1000万円前後で、そうした見方からすると東京都産業労働局の方が信頼性を感じます。

 久々に長々書いてきましたが、結論を言いますと「公務員の退職金額は民間より15%高い」という意見に対して私は「15%どころではなく2倍超なのでは」と言いたいわけです。もちろん、公務員とはいっても教員の退職金額が約2700万円かどうかはわかりませんが、仮に2000万円を超えるというのであれば民間に比べ非常に優遇された金額であると断言できます。
 だからといって退職金額が減額される前に早期退職する教員に対して、前の記事にも書きましたが批判する気は私にはありません。多くもらえるのだったらそっちの方向に動くのが人間の常ですし、それぞれに生活があるのだからとやかく言うべきではない、そして何よりこれは友人の口癖ですが私は他人の生活にそこまで興味がありません。それでも二言だけ申すと、退職される教員の方はこの金額が非常に優遇された金額であることだけは意識してほしいのと、公務員の退職金額はもっと下げた方がいいのではという提言です。民間に合わすというのであれば、現行の2分の1でもいいのではないかと思います。

 最後にこれは前の記事のコメント欄にも書きましたが、この問題で真に批判すべき対象は中途半端な時期に給与改定を行った行政側であるはずだと思うのに、何故だか振り回された当事者である教員へ批判が集中し過ぎているように見えます。何故教員に批判が集中するのか、はっきり言いますがこれはメディアの報道の仕方が原因だと思います。ネットニュースとNHKしか見ていませんがどちらも早期退職する教員がさも無責任な人間のように報じている上、行政への批判がなんかやけに緩い気がします。
 そもそも何故直前ともいえるこの時期に急にこの問題への報道が増えたのか、細かいことですがこれも疑問です。言いたいことを言ってしまうと、何か意図があってどこかがこのニュースを報じるように仕向けたのではと作為的なものがある気がします。具体的にどこがどんな意図で流そうとしたのかまではまだ目測がついていませんが、非常にきな臭いニュースだなとよく感じます。

2013年1月26日土曜日

書評「永遠の0」

永遠の0(Wikipedia)

 以前に知り合いに借りて読んだので(忙しい合間を縫って一週間で)、今日は小説「永遠の0」の書評を書こうかと思います。ちなみにひとつ前の書評は「積み木くずし 最終章」ですが、あれはドラマ放送時にえらくアクセス数を稼いでくれたので、今回も映画が公開される今年12月頃にヒット数を稼いでくれないかと早くも期待感で胸がいっぱいです。

 この作品のあらすじを簡単に書くと、司法試験浪人でうだつの上がらない生活をしていた主人公はある日、ジャーナリストの姉から太平洋戦争中に特攻隊となって60年前に戦死した祖父、宮部久蔵について調査するよう依頼(ほぼ命令)されます。戦友会を通して知り合った祖父の戦友達は一様に、宮部久蔵は坂井三郎を始めとした歴史に残る名パイロットにも劣らない零式艦上戦闘機、通称ゼロ戦の凄腕パイロットだったと証言するも、戦闘では積極的に戦うことはせず「臆病者」と呼ばれるほどに慎重かつ用意周到な性格で、宮部久蔵本人も戦争では絶対に死にたくないという自信の心情を周囲に隠すことはなかったと話します。一体何故死にたくないと広言していたにもかかわらず特攻隊となったのか、当時の戦況と共に主人公たちは20代で散った祖父の短い生涯を追っていくという内容です。

 まず予備知識としてゼロ戦について触れておくと、これは日本軍が太平洋戦争中において幾度かの改良を経ながら一貫して使い続けた戦闘機なのですが、開戦初期は破格の性能であまりにも強かったことから米英軍は、「ゼロ戦と単独で遭遇した場合は直ちに離脱せよ」と、敵前逃亡するよう命令を出すほどでした。どうしてゼロ戦が他国の戦闘機より強かったのかというと非常に単純で、装甲が極端に薄い代わりに航続距離、旋回性能が高いという、防御を捨てて攻撃に特化した機体だったからです。その為にちょっとでも被弾したらすぐに撃墜されるのでパイロットの消耗が激しく、またこうしたゼロ戦の構造を分析した米英軍がゼロ戦が飛行出来ない高々空から急降下して攻撃するという一撃離脱戦法を編み出したことによって、戦争後期になっていくにしたがって徐々に活躍が失われていくこととなりました。

 話は戻って「永遠の0」ですが、表現に関して気になった点を挙げると全編を通して戦友たちの語りが中心となっており、作者は元々放送作家ということからこういうインタビュー形式の文章になったのかなという気がします。一方、ちょっと専門的なことを言わせてもらえば語り以外の叙述ではほとんどが短文で区切られてて複文が少なく、やや表現力が甘いようにも感じるのですが、語りの部分を敢えて際立たせるために確信犯でこういう書き方をしているというのならば逆に大した表現方法だと唸らされます。
 そして肝心の内容に関してですが、太平洋戦争の戦史に詳しくない主人公の視点が常に維持され、読者に対しても順番にかつ丁寧に当時の状況を説明しており物語の運び方は私からも太鼓判を押します。また宮部久蔵の顛末も最後の最後で大どんでん返しが待っており、ラストの方は「おいおいここでこういう展開かよ」と驚かされる結末となっており、一言で言って非常に面白い作品でした。

 あと個人的に強く感じたとして、この作品の初版は2006年の発行ですが特攻隊の記述に関してまさに2000年代の作品であるというように思えます。というのも特攻隊の隊員たちは志願という形式で募集がされたことにはなっているものの、実態的には軍隊内で強制的に指名されて無理矢理実行されたということは1990年代の時点からも指摘されていたものの、2000年代に入ってからそうした強制があったという当時の証言が多く世に出るようになってきました。また特攻隊にされたパイロットたちもこうした作戦に意味があるのか、自分たちの様な熟練パイロットを捨て石にする作戦は破綻しているという証言も発見されるようになり、決してお国のためになどと狂信的な思想で実行していったわけじゃなく、本人たちも疑問と忌避感を持ちながら実行していたということが明らかとなってきました。

 作品中でもこうした点をよく指摘しており、現在イスラム系テロリストらが実行している自爆テロとは一線を画す行為だったのだと強調されています。私個人の主観ではありますが、1990年代は戦時中の日本の教育や思想が歪んでいて自分の命よりも国のためという奉公意識が強かったから特攻は実行されたのだ、当時の人と現代人とでは思想が全然異なるという意見があったように思えるのですが、実際には現代人と当時の軍人に大きな思想の違いはなく、みんな死にたくないと思いながら死を強制されていたというのが真実のように思え、こうした見方が歴史家の間でも徐々に強まっているように見えます。この作品はその点を重要なテーマとしており、現代の思想も一つの価値観であって絶対的に正しいというものとは言い切れないものの、時代が異なろうとも人はそれほど大きくは異ならないというのを訴えたいのだと思います。

 書評は以上の通りなのですが、私が読んだ文庫版の解説には一昨年に亡くなられた児玉清が寄せており、非常に表現しづらいのですがいろんな思いが頭の中を過ぎました。読んでる人には早いのですが死の直前に文芸春秋に寄せたこの人の寄稿文を読んでただけに、どういう思いで国家を見つめていたのだろうかとしばし考えました。


教員の早期退職問題について

 各報道によると日本全国各地の学校でこのところ、教職員が4月を待たずに早期退職するというケースが頻発している層で。一体何故3学期終了を待たずに早期退職するのかというと、公務員給与体系の改正に伴い4月まで残って退職した場合、現在早期退職する場合と比べて退職金が総額で150万円前後減少するということが原因だそうです。この教職員の早期退職について文科相も発言をしたようですが、私の意見を述べると人生なんて人それぞれなのだし早期退職する人を責めるべきではないと思え、またこの件がニュースになること自体に違和感を覚えます。

 まず150万円という金額ですが、これははっきり言ってでかいです。自分なんか今、年収が為替変動の直撃を受ける立場で去年なんかリアルに150万円切ってたけど、100万円余分に使えるか否かはその後の方針策定に当たって大きく影響します。しかも今回早期退職する教職員はその後は基本的に収入がなくなるわけですし、多くもらえるというのであればそちらを取りたいというのも理解できますし、それが普通だと思えます。
 今回の問題に対する意見ではクラス担任を受け持つ教師も早期退職を行うということからか、卒業を待たずに生徒を放り出して無責任だというような批判もありますが、早期退職する教師一人一人にも人生があるわけですし、結構大きな金額を犠牲にしてまで仕事を奉仕しろというのはちょっと酷なように思えます。それだけに、無責任だと批判する声が多く感じる風潮は私個人としては如何なものかと思うのと同時に、他人の人生にそこまで口出しするべきではないという主張をさせていただきます。

 あともう一点このニュースを見ていて思うのは、教師が大量に早期退職することで引継ぎなどに問題があるなどという意見に対して、何故これが論点になるのかがわかりません。既に実施している自治体もありますが早期退職自体は認めた上で2月、3月の2ヶ月間を臨時採用すれば引継ぎにしろ通常業務にしろ何も問題がないように思え、上記の点と合わせてこの問題がニュースとなるほど大騒ぎする問題なのかに対し疑問を感じます。そもそもの話、いくつか同じような意見も見受けますが現場を無駄に混乱させるような日程で給与改正を実行しようとした行政側を攻めるべきではないのかとも思えます。

 最後に教員の臨時採用について触れたのでこの際書いてしまいますが、真に議論すべきはこの早期退職ではなく臨時採用という一時雇用の身分で採用される教師が増えていることのような気がします。簡単に背景を説明すると今どの自治体も赤字で新規雇用を絞った上で、いつでもクビが切れるように正式採用にはせず臨時採用でしか教員を雇用しないと聞きます。この煽りを受けるのはもちろん若年世代で、昇給も強く望めない中で教育にモチベーションを持てというのも無理な話でしょう。もっとも、雇用の保証に関しては日本全体で強すぎると思うのであまりなくてもいいとは思いますが。
 ただ教育の充実化を図る上で、優秀で多くの仕事をこなす教師にはそれなりの待遇を用意しなければ成り立たないでしょう。更にもう一歩踏み込むと、先日の大阪市立桜宮高校の教師、あと大津のいじめ事件の学校の教師のように問題のある教師が何故その時まで現場に居続けたのか、これも日本社会全体に言えますが「淘汰」というものがあまりにもなさすぎるし、淘汰がないからこそ若い世代が割を食って社会全体でおかしくなっているのではないかと感じる次第です。

2013年1月23日水曜日

続、大阪市立桜宮高校の事件について

 このところ本業が忙しく、ようやく今日ひと段落してまたブログ復帰です。どうでもいいけど先週は知り合いに借りた「永遠の0」を一週間弱で読まないといけなかったのが地味に忙しかった。

 前にも一回さらりと書いたし部外者があまり口出すべき内容ではないと思ってこの件にはもう触れないでおこうと考えていましたが、なんかちょっとメディアの報道でこの点誰か突っ込まないのと思うところが多いので、また桜宮高校について差し出がましいとわかっていながらも意見を書こうかと思います。

 前回記事でも書いたように、といっても前は学校名を敢えて書きませんでしたが、この学校のスポーツ科に通うバスケ部の男子生徒が顧問教師からの体罰を苦に自殺しました。この自殺を巡って体罰と教育について非常に多くの議論が交わされるようになりましたが、私としては体罰云々以前に学校からの聞き取り調査にこの顧問教師が明らかな嘘をついていた一点をとっても教育者としてふさわしくないと主張しました。
 私が見る限り産経新聞だけが唯一言いたいことを言ってくれたのですが、どうしてこの顧問教師自身の謝罪文などが未だに出てこないのが不思議でしょうがありません。また発覚当初ならともかく懲戒免職なり明確な処分もまだ出ておらず、それでいてスポーツ課の入試をどうするとか議論になるのは順番が違うような気がします。重ねて言いますが、この顧問教師は謹慎中だそうですが一日も早く懲戒免職した上で教員免許を剥奪してから今後の検討をするべきです。

 それで入試の件に移りますが、既に奉じられているようにスポーツ科は普通科に統合で結局やるようです。順を追って私の意見を解説すると、まずスポーツ科はやはり廃止にし、このまま潰した方がいい気がします。というのも仮にこのバスケ部だけの問題であればこの顧問教師一人がおかしかったで済みますが、この学校はバスケ部以外にもバレー部の顧問が体罰を行っていたことが発覚しており、しかもその問題で謹慎を受け田にもかかわらずバレー部顧問はまた体罰を行っていたと聞きます。それ以外にも結構怪しい話がちらほら聞こえ、顧問教師個人ではなく学校それ自体の体質にやはり問題があるように感じるからです。
 そして今回この記事を書こうと思ったきっかけにもなった、下記のニュースの件も見逃せません。

尾木ママ怒り心頭「誰がこんなことやらせたの!」 桜宮高生徒が記者会見
「ええ加減にせぇ はしもと、殺すぞ」「部落民がいきんな」 桜宮高校生徒がツイッターで暴言(J-Castニュース)

 上のニュースにある、生徒が入試中止に反対を主張した記者会見は私も見ていて強い違和感を覚えました。仮に生徒全員、または生徒を代表する生徒会長の様な人間が行うならともかく、運動部の主将8人だけというのはこの学校の生徒の総意とはとても思えませんし、また記事にも書かれている通りに誰かの入れ知恵でやらされているのではないかという疑念も覚えます。その上で言えば、人が一人死んでいるにもかかわらず具体的な対策案を出さずまた新たに生徒を募集しようとすることに何とも思わないのか、また同じことが起きた場合にどう責任を取るのかとも聞いてみたいです。
 下のニュースについては細かく語る必要もありませんが、これ以外にも問題と思える発言をする生徒がおり、それこそ試合に勝てば人間性はどうでもいいという、教育の前提がひっくり返る勝利至上主義が学校全体にはびこっているのではとも思わせられます。

 また繰り返しになりますがスポーツ教育というのは運動を通して人間性を育てるのが本意であって、人間性を捨ててまでも運動能力を鍛える形であってはならないのです。大学での運動部であれば年齢もそこそこ上がり本人の責任でもあるので多少は勝利至上主義に走っていいとは思いますが、高校の段階ではやはり人間性に重きを置いた部活動でなくてはなりません。聞けば桜宮高校はスポーツ科があるということで受験生を集めているらしく、より実績を高めて受験生を集めようとする風潮、勝利至上主義があったのではないかとも思えます。
 そういったことを踏まえると、今回のこの事件は一人の顧問教師が引き起こしたのではなく桜宮高校という構造が起こした事件とも思え、さすがに教員全員を交代すべしという橋下市長の主張は極端すぎると思いますが、問題の禍根を立つという意味でスポーツ科は廃止し、今後一切募集するべきではないというのが私の意見です。

 最後に蛇足ですが、スポーツ科が廃止されることについて桜宮高校の入学を希望していた中学生が不条理だ、ひどいなどと言っているとよく報じられていますが、子供相手にやや大人げない気がするものの、この程度の不条理で音を上げているようであれば先が知れません。それこそ今の時代、就業で言えば内定切りもあればリストラだってありますし、友人の言葉を借りればこの世の中は不条理が蔓延して不条理によって成り立っていると言っても過言ではありません。はっきり「たかだか」この程度の問題でと言わせてもらいますが、まだ受験校を選べるこの時期でこんなことを言っていてはならず、事情が変わったのだからとパッと切り替えて次善の策をすぐに実行しないのはただ弱いだけだと思います。
 やや極端な話に持って行くという気もしますが、一番最初に上げた「永遠の0」という小説は特攻隊の話です。自分が今のモチベーションを持つようになったきっかけはこの特攻隊の手記と大坂の陣に臨む浪人の願掛けからですが、特攻隊の人はある日突然上官によって指名されて、ほかに選択肢のない中で死なざるを得ませんでした。たとえ現在がどれだけ苦しい環境であるとしても、ほかに選択肢があるというだけでも自分は恵まれていると強く感じます。

2013年1月21日月曜日

自らを欺くなる時

 自分でかくのも少し気が引けますが、自分はやや馬鹿正直と言ってもいい性格をしているかと思います。一昨日も利用したラーメン屋で会計を済ませた際に半熟卵のトッピング代(8元=112円)が含まれていなかったので店員に指摘して差額をわざわざ自分から支払いましたが、なんか店員の方が驚いた顔していました。恐らく友人なら向こうの落ち度なのだから気づいたとしても余分に支払う必要はないと言うでしょうが、私自身もそういう行動を取ったとしても何も咎められることはないと考えています。なんかこういう書き方をすると、さもその友人が悪人みたいに見えますが……。

 なんでこんな性格するようになったのかというと、一つの原因は子供の頃に失敗しでかした際に嘘ついてごまかそうとして、余計に事態を悪化させることが多かったことがあります。実際にこれでかなり痛い目に遭っており、「たとえ立場を危うくさせることになっても、ミスった時は正直に言った方が最終的にはお徳だ」といつも肝に銘じています。
 こうした経験のほかもう一つ理由を上げると、やはり嘘をついた時に自分自身に感じるあの違和感がどうにも慣れないというのがあります。これは直接的な嘘というより表面的な嘘を言う際、たとえば本当は好きでもない食べ物を「花園君もあれおいしいと思うでしょ」と言われて周囲に合わせて「うん、まぁね」などと言う時に腹の中で感じる、「本当は違うんだけどなぁ」っていうあの感覚です。更に話を深く落とすとこういう風に違和感を感じられる間ならばまだいいですが、「違和感を感じなくなる」ところまで行きたくないという拒否感をはっきり持っております。

 諺にも「うそから出たまこと」という言葉がありますが、人間というのは基本的にそれほど思考が自立しているわけではなく、周囲や環境、果てには自分が出す言葉にまで影響され思考が変わっていくと聞きます。先程の例ですと元々おいしいと思っていなかった食べ物を周りに合わせておいしいものだと言い続けているうちに、本当にそれをおいしいと感じるようになっていくという具合です。
 仮にこう言った思考の変化が意識的でかつポジティブなものだったらそれほど問題ではないですし、スポーツのメンタルトレーニングなどでは困難な練習を敢えてイージーなものだと自ら思い込むことに負担を下げたりすることもあるそうです。ただこれが無意識的にかつネガティブなものだとしたら、やはりそれは嘘を言う本人にとっていい結果を生むことはないでしょう。また嘘を多用することによって思想が変わるにとどまらず、思想自体なくなるということもあり得るのではないかとも考えています。

 こう考えるのも、やっぱり嘘ついても平気な人に自立した思考が感じられないからです。自分もこれまでに息を吐くかのように嘘をつく人に何度か出くわしたことがありますが、そういう人たちは利己的な判断で嘘をついていると自分自身では考えているのかもしれませんが、その実本当は自分が今一体どんな内容の言葉を発しているのか、真実を言っているのか嘘をついているのかすらも理解できていないのではないかと思う時がありました。言ってしまえば、その場その場で思考が変わるので本音というものが何も存在しないような人間です。

 嘘をつくというのは結局はこうなることだと思います。利己的な判断から適当にごまかす嘘を重ねるうちに最終的には自分自身の本音すら消し去ってしまう、自らをも欺く結果になるのだと思います。もっともこんなこと書いておきながら自分自身も、正直な方ではあるものの一つも嘘をつかない聖人というわけではありません。ただ曲げてはならない点、譲ってはならない点では、それこそリアルファイトに発展しそうな瀬戸際でも絶対に折れることはなく、見方によれば頑固に見えるでしょうが自分自身の価値観はまだほかの人よりは見えやすいと考えている次第です。

2013年1月18日金曜日

今日の中国紙一面

 書かなくてもいいかなと思うけど知り合いに借りた「永遠のゼロ」を今日中に読まないといけないので、短くまとめる感じで書きます。

鳩山由紀夫元首相「日本兵の犯した犯罪行為についておわび申し上げる」(人民日報日本語版)

 説明するのも馬鹿馬鹿しいですが、鳩山元首相がまたイランことしてくれて、中国に来てわけのわからない行動を取っております。リンク先は人民日報の日本語版ですが今日の中国紙の一面はどれも例外なく鳩山元首相の写真で、あまりにも頭に来るから記事は結局読みませんでした。それくらい読めよと自分でも思いますが、同僚が頭痛起こして出社が遅れたのもあるし……。

 長々書くような話題じゃないし言いたいことだけ書くと、今からでも遅くないから検察は無実の村木さんを捕まえるくらいなら早くこいつを脱税容疑で逮捕しろといいたいです。結局あの事件では秘書を含めて誰も逮捕されてませんが、これはいくら脱税しても逮捕はあり得ないと受け取っていいのかといいたくなります。この際、国策捜査でもなんでもいいから、二度とシャバに出すなと本気で言いたいです。
 あと本人には中国なんか行く暇あったら自分の思い付きで散々振り回した沖縄県の普天間と鹿児島県の徳之島に行けよと言いたいです。それにしてもこのニュースのせいで2012年の中国のGDP成長率が7.8%だったのは全然話題になってないな。話題にしているところはところで見当はずれなこと言っているのばっかりだし。

2013年1月17日木曜日

ばらまきの矛先

 本題と関係ありませんが、先週日曜日はNHKが大王イカの映像を世界で初めて公開して大きな話題となったようです。ただ大王イカの裏に隠れて映画「アバター」のロードショーがあったのですが視聴率をすっかり食われて、配給元の20世紀FOXホームエンターテイメントがツイッターで、

「(´-`).。oO(ダイオウイカ・・・絶対許さない」

 などと発信していたのがおもしろかったです。でもってこんなこと言いながら、「(´-`).。oO(ダイオウイカの好物がイカってどうなんだろう・・・」とも言ってたそうですから、結局見てたようです。
 それにしてもこういう余談、発信したいのはやまやまだけどブログ本題とはずれることが多いし、そろそろ別発信も検討しなきゃ。

 それでは真面目な本題に入りますが、自民党に政権交代していこうというものの日本は円安が進んで株価も上がり、その変化の大きさに非常に驚いております。特に円安に関しては日本の貿易額がマイナス成長したり経常収支が赤字になったりしたのも原因でしょうが、安倍首相のインフレ目標2%発言が最も大きいと私も認めます。正直に言ってインフレ目標は確かに一つの手段ではあってもどれだけ効果があるのかと考えておりましたが、短期間とはいえここまで円安に誘導できたのであれば価値ある発言といえるでしょう。自分の見識もまだまだ甘かったようです。
 ただこうした方面は評価できる一方で、過去最大級の補正予算を組んでまた無駄なばらまきをするのではないかと懸念もしております。

現金給付、1万円超検討=消費増税8%時の低所得者対策―自民(時事通信)

 上記の時事のニュースはまだ真偽を取っておりませんが、仮に報道が事実でまた現金給付をしようというのであればちょっと呆れます。小渕、麻生内閣の時にもはっきり言って何の効果もなかったにもかかわらず、一体何故またこのような行為に出るのか理解に苦しむ、というか公明党を引きつなぐ手とはいえいい加減にしろと言いたいです。
 また現金給付だけでなく、どうもこの前のトンネル事故を契機に道路建設にも手を出しそうな雰囲気です。耐震補修が必要な道路の工事はまだ理解できますが今までの自民党のパターンから言うと津軽と函館の間に橋を作ろうとか言い出しかねず、実際に道路以外への公共投資話が一切見えてこないため無駄な箱物投資は確実に増えていくかと思います。安倍首相自身は無駄なばらまきはやらずに精査した上で必要な方面へ投資すると言っていますが、本当に有言実行できるのかは私個人として信じたい一方、やはり疑わしいです。

 念のため、愚痴になりますが自分の周囲の人間相手ならこういうこともいちいち言う必要ないんだけど、ばらまきというか公共投資自体は否定しません。私は財政規律派ではあるもの何もテコ入れなしじゃ今の状況が続くし、無駄な支出を削減してからという意見もありますが必要な投資は果断に実行するべきだと思っております。そう踏まえた上で言うと、道路やダム建設は果たして今必要なのかというと疑問です。ではどこに公共投資すればいいのかですが、恐らく同じ意見を言う人はほかにいないでしょうが、いま日本が何よりも投資すべきなのは送電網だと思います。

 なんでこんなところに着目したのかというと、実は今日、私の住んでいるサービスアパートメントで電力メーターの付け替え工事がありました。別に私が立ち会うわけじゃなく昨日に告知があって今日に完了の連絡が会っただけですが、どうもアナログ式からデジタル式に切り替えられたそうです。実際の性能を見たわけじゃないですが、多分以前より検測コストとか下がってるんじゃないかと思います。
 あまり日本で報じられていませんが、中国ではこのところこのようなスマートメーター、スマートグリッドと呼べるような送電網設備の交換が政府主導で進められています。機器を交換することによって電力消費量をより細かく調べ、効率よく供給できるようになるのですが、中国は去年はそうでもありませんでしたが経済成長が激しいから電力が不足しがちで、この方面にはかなり気を配っております。

 中国の状況は日本も同じです。日本も原発を止めて電力供給がシビアになってきており、こういう時期だからこそスマートグリッドの推進し電力メーターなり送電線、変圧器などをより効率の高い機器に交換していくべきです。それこそ交換にかかる費用なんかは全部税額負担でも、長期的に見ればプラスじゃないかと考えています。
 そしてなにより今やらなければいけないのは、東日本大震災時にも問題となった東日本と西日本で異なる周波数の統一です。周波数が一ヶ国で異なるのは先進国でも日本だけですし、東日本大震災直後もこの妙な違いが残っているせいで西日本から東日本へ電力の融通が出来なくなるという、かなり笑えないお粗末な事態を招いております。今後も大地震なり火山噴火なりで一部地域で電力が停止することもあり得るのだし、一刻を争うくらいに急いで統一化を果たすべきです。それこそ繰り返しになりますが、どれだけ税金を使ってでも。

 喉元過ぎれば熱さを忘れるとは言いますが、それにしたってスマートグリッドも日本では死語となっている感があります。重ねて言いますが今日本に必要なのは送電網効率化への投資であって、道路ではありません。そして周波数統一は今このチャンスを逃したら問題を先送りするだけで、ガンダムファンにしかわからないけどアムロ・レイばりに、人は……同じ過ちを繰り返してしまいます。全く。

 最後にスマートグリッドを推進する上で進めたい政策ですが、夜間電力の割引を日本はもっと広くやるべきだと思います。というのも上海では電力消費量が少ない夜10時以降であれば電気料金は昼間の半分になるため、私もこの時間に敢えて洗濯機とか回しています。なかなか面白いことをしているなと親父に紹介したらしたり顔して、「日本でももうやっとるやろ」と言ってましたが、自分が調べてみると日本で夜間電力割引を受けるには電力会社との契約が必要で、しかもその契約、一度結んだら今度は昼間の電気料金が契約前より上がるというわけのわからない仕組みです。
 基本的に電力というのはピークが低ければ低いほどいいので、もっと夜間電力を振興するべきです。電力会社もわけのわからない料金設定なんかせず、どんどん押していけばいいのに全く。あと発送電分離も、自民はなかったことにするんじゃないかと警戒中です。今日は割と筆のノリがいいなぁ( ´ー`)

2013年1月15日火曜日

ジャンプを久々に読んで

 先日知り合いが、正月に日本から持って返ってきたからといってジャンプをくれました。私はジャンプを小学校高学年の頃から大学3回生の頃まで毎週購読していたのですが、北京留学から帰ってきてからは単独の作品をコミックスで読むことはあっても雑誌で読むことはほとんどありませんでした。
 それだけにえらく久しぶりに今回読んでみたのですが、まず真っ先に読もうと思った漫画は松井優征氏による「暗殺教室」でした。この人の以前の漫画の「魔人探偵脳噛ネウロ」を気に入ってて、なんか新連載を始めたということだったので気になっていたのですが、期待に違わず面白い作品だと思いました。ネウロの方もまた読みたいと思っているだけに、機会があったらコミックスを前漢買い集めてみたいと考えております。

 その次に読んだのはこちらは購読していた頃から連載していた「銀魂」です。はっきり言って昔と全く変わらない絵柄と展開でそれなりに楽しめたのですが、この漫画の最大の欠点である「一コマにおける膨大なセリフ量」がやや気になりました。ある意味この漫画の長所でもあるのですが雑誌ならともかくコミックスになると文字が小さくて非常に読みづらくなるきらいがあるにもかかわらず、どうも前よりひどくなっているような印象を受けます。この点を解消できたらもっとよくなると思うのですが。

 そのほかの連載作品はもはや全く知らない作者ばかりだったのですが、唯一面白いと思ったのは「烈!!!伊達先パイ」という漫画です。非常にベタなギャグ漫画ながらキャラクターの表情が豊かでなおかつ一話完結もののショートストーリーなので読みやすかったです。ぜひ応援したいと言いたいところなのですが掲載順が最後の方でネットでも、「打ち切り候補ナンバー1」とまで書かれており、どうも危うい立場のようです。

 あとこれは全体の感想ですが、どうも連載漫画がマガジンの作品っぽい漫画が多いような気がします。マガジンっぽいとは如何にと自分でも問いたくなるのですが、絵柄や構図、ストーリーなどが往年のマガジンを連想させる、具体的には細い線にスクリーントーンを多用しベタが少ない絵の漫画が多いように思え、さっきの「伊達先輩」のように太い線に濃い絵柄のジャンプらしい漫画が減っている気がします。考えてみればもう「ジョジョ」も連載してないんだし。
 逆にというか、今マガジンで一番勢いのある「進撃の巨人」という漫画は系統的には明らかにジャンプ系列に属すんじゃないかと前から考えてます。お互いに前ほど雑誌のカラーにこだわらなくなっているからこんな風になっているのかなというのが、今日の私の意見です。意見も何もという気もするが。

2013年1月13日日曜日

平成史考察~ノストラダムスの予言(1999年)

 昨日もブログ休んでおきながら今日もあまりテンション上がらない、というか午後2~5時の間に昼寝したせいで肩とか痛いので、ささっとかけるノストラダムスを仕上げて今晩またゆっくり寝ようかと思います。それにしても我ながら眠り過ぎ。

 中国では昨年、12/22あたりがマヤの暦が終わるやらなんやらで世界で終末の日になるというデマが流れましたが、この手の話で日本で最も大きかったのは1999年7月に世界が滅亡するというノストラダムスの予言でしょう。もっともこの噂が最も流れたのは日本の高度経済成長期絶頂期の1970年代ごろだと言うので、先ほどのマヤの暦といい終末論というのは景気のいい時代に流れるものなのかもしれません。

 では1999年7月の日本の状況はどうだったのか。はっきり言ってノストラダムスの名前自体もそれ以前と比べてあまり大きく取り扱われることなく、「予言?そんなのあったね」というような雰囲気だったと思います。唯一盛り上がっていたのは伊集院光氏をして「マガジン史上最高のギャグ漫画」と言わしめた、オカルト内容を毎回強引な解釈で「つまり、人類は滅亡する」という結論に持ってきていた「MMR マガジンミステリー調査班」が最後の追い上げというか悪あがきを見せただけでした。今でも覚えているのは当時の朝日新聞に、実際に1999年の7月を目前に控えたけれどもサブカルチャー業界では盛り上がっておらず、ゲームでもドリームキャストで「JULY」というゲームが出ただけだと書かれていました。その「JULY」というゲームはやったことないのですが今回の記事を書くに当たってAmazonのレビューを見てみると、こんなのが書かれてありました。

“「1999年7の月、空から恐怖の大王が降りてくるのじゃ~」というノストラダムスの大予言は今ではすっかり風化してしまいましたが、その予言への恐怖がこんなゲームを生んだのかもしれません。内容は濃いキャラクターが繰り広げるサスペンス・ホラー・アドベンチャー。
 システムに斬新な点は見られないし、選択肢総当り作戦でクリアできるので、結論としてチープなソフトなのですが、個人的に、物語後半に登場するクリーチャーが「こんな姿で生き続けるのには疲れた。もう十分生きたから殺してくれ…」という台詞に、モテない街道まっしぐらの自分自身がオーバーラップして思わず涙してしまいました。
 ドリキャスで何かやり残したゲームはないかと探している濃いキャラクターが平気な御仁は是非。”

 まぁ読んでみて、やってみようとは思えないレビューです。

 話はノストラダムスに戻りますが、先程のマヤの暦の所でも書いたようにこういう噂は景気のいい頃に流れやすい傾向があり、逆を言えば1999年にあまり盛り上がらなかったのは日本の景気が非常に悪く、気分的にも悪かったことが一つの原因ではないかとみています。当時は中高年の早期退職ことリストラという言葉が流行ってうちの親父も会社側の募集に応じようとしてましたし、若年層にとっては就職氷河期の真っただ中で、世の中を明るくさせるようなニュースが確かに少なかった気がします。
 じゃあ今はどうなのかって話ですが、上海で生活しているせいかもしれませんが今の方が1999年よりまだ日本のニュースは明るい気がします。さすがに一昨年の東日本大震災の時は自分も少しブルーを感じましたが、景気が悪いからって気分まで悪くなる必要性は本来ないはずです。お金がなくても気分だけは明るい状態を維持する、そういう姿勢こそが今の日本にとって大事なんじゃないかと思います。それにしても、ノストラダムス関係ないな最後のオチ。

2013年1月11日金曜日

中国地下鉄の恐怖

 昨日は「南方週末」という中国の新聞と現在怒っているその騒動について記事を書きましたが、仕事柄、毎日読む中国語の新聞の数は多いです。今度あたり各新聞のレビューをしてもいいのですが、数ある中で最も評価しているのは「毎日経済新聞」という新聞で、独自取材記事が多いこともさることながら解説がしっかりしているので、同じ話題を取り扱っていてもほかの新聞の記事は読まずにこちらを読むことが多いです。
 ただこの毎日経済新聞は会社が契約している新聞屋では取り扱っていないのでいつもネットで読むのですが、今日サイト上で見たら「荊楚網」というニュースサイトからの転電ではあるものの、えらく目を引き付けられる記事というか写真が載ってました。


 一目見て、「なにこれ怖ぇΣ(゚Д゚;)」と会社で声出しそうになりました。最初は心霊写真か何かかと思ったのですが、その後の解説を見るとどうやら地下鉄壁面に貼られている広告写真がちょうど車両ドアの窓にうまい具合に入り込んだだけの写真だったようで、別角度での写真も貼られておりました。


 右の写真の女性がこの広告のモデルらしく普通の立ち姿ならまだ綺麗な人だと思えるのですが、この地下鉄の広告は明らかに貼り方というか写真の撮り方を間違ってるでしょう。まだ自分はこの広告が貼られている地下鉄に乗り込んだことないですが、駅に停車するたびに一番最初の写真のように覗きこまれたら心臓に悪いです。


 写真ネタということでついでに、中国のオンラインショッピングサイト最大手のアリババグループを率いる馬雲(ジャック・マー)についても前から言いたかったことを書きます。この人は元英語教師という異色の経歴ながら成長著しい中国IT業界の中でも大御所的な人物で、日本で言えばソフトバンクの孫正義に当たるほどの大物です。そんな大物に対して一体何が言いたいのかというと、「この人、顔のパーツが真ん中に寄り過ぎじゃね?( ゚Д゚)」という素朴な疑問です。検証のため、正面向いた写真も貼っときます。


 明らかに寄ってるとしか言いようがありません。見方によっては宇宙人っぽくも見える。
 そのためほかの人は誰ひとり言ってませんが私だけ、「中国版顔面センター」、「中国の前田敦子」などと呼んでおり社内の業務時間中も、「顔面センターがまたなにか発表したようですよ」などとニュースが出る度に呼んでますがあまり浸透しておりません(´・ω・`)ガッカリ…

2013年1月10日木曜日

南方週末の騒動について

 期待されていると思うので、この件でも記事を一本投下しておきます。
 日本でも報じられていると思いますが、広州市に本社のある「南方週末」という新聞がどうも民主化への改革を進めるべきだという意見を新年号の社説に載せようとしたところ、例のごとく当局からストップがかかり、記事が差し替えられたそうです。この当局の行動に対して南方週末側は検閲の事実を公表した上で、検閲を行った担当者は辞任するよう公に発表するという手段に出てきました。

 この南方週末ですが、実は自分も読んでいる新聞の一つで、ほかにはない記事が多く正直に言ってそれなりにおもしろい中身をしてます。広州市に拠点がある有名な新聞としてはほかにも「南方都市報」というのもありますが、この新聞も以前に中央政府を暗に批判する記事、というか写真を乗っけたことがあるのですが、南方、具体的には広東省当たりの中国人は距離感もあって中央政府(北京)に対する反発心が強いと聞きます。それだけに今回の問題で南方週末が一歩も引かない姿勢を見て、さもありなんとか見ています。

 この問題では北京の「新京報」というこちらもまた私がひいきにしている新聞でも事態鎮圧のために当局が用意した社説掲載を巡って社長が退任したとか報じられていますが、少なくとも私が見る限りではここ中国内ではおおっぴらに報じられてません。当たり前といえば当たり前ですが、この中国語の記事に書かれているように社説掲載を巡って問題が起きているということは報じられてます。
 今回の事件を見るにつけ思うのは、中国が自由な報道を許さないというのは昔からのことで特段驚くほどのことではないのですが、それにしてもここまで検閲し切れなくなってきたのかと、こうやって情報がいくらか漏れているという事実を少し感慨深く思います。このようになったのは何をおいてもインターネットの普及に尽き、今後も中国でネット社会は発達していくことを考えれば検閲の範囲にも限界というものが出てくるようになるでしょう。

 なお報道の自由についてですが、私は完全な自由化は中国ではやるべきではないと思います。私の周りにこういう人が多いせいかもしれませんが中国はやはり日本と比べても圧倒的に人口が多い国で、なおかつこういってはなんですが教養のない人も少なくありません。そのため簡単にデマが拡散される可能性もあり、今ほどの当局の締め付けは正直言って私もうっとうしく感じますが、報道の自由化は徐々に進めていくべきだと思います。
 最後にこの報道の自由、それも日本についていえば、記者クラブに入っている日本のメディアがこれを主張するのはおこがましい以外の何物でもありません。

2013年1月9日水曜日

大阪市高校の体罰事件について

高2自殺、主将就任以降に体罰集中か…母に話す(読売新聞)

 最近こういう時事社会ものを取り扱っていかなかったので、少し興味があるとの言いたいことがあるので取り上げることにします。日本でも散々報道されていると思うので事件の説明は省きますが、ネットニュースを見ている限りですと体罰を行った教師に対して真面目な先生だとして擁護する声も出ているようです。人にはいろんな見方があるのでそうした擁護をする人も別に何かが悪いというつもりは毛頭ありませんが、私個人の考え方としては結果責任であり、やはりこの教師は問題のある人物のように思えます。

 この事件の論点はいくつかありますが、まず体罰を認めるべきかどうかという議論にはあまり与したくありません。というのもこの手の議論は高校体験によって印象が大きく変わることが多く、私などは教科書忘れたら「すいません」と自ら頭を差し出してひっぱたかれる程度の体験しかありませんが、運動部の強い学校に行った知り合いなどは、「赤点取ったテストの数だけ騎乗用鞭で叩かれた」と言ってて、そもそもなんで教師が騎乗用鞭を持っているのかというところから突っ込みたくなるような学校もあるそうです。もっともその知り合い自身は、通っている生徒はみんな体育会系で変に口頭で長々説教されるくらいなら叩かれた方がマシだとみんな思ってたと証言しており、また同じ学校でも運動の苦手な生徒に関しては別メニューのお仕置き(一定時間正座)が用意されていたというので、体罰をどの程度許容するかは人それぞれ、学校それぞれだと思います。あくまで常識の範囲内にとどめるのであればですが。

 以上のような言い方からしたら今回体罰を行った教師は問題ないのでは、という意見を言うように見えるかもしれませんが、先ほど書いたようにこの事件は体罰を認めるか認めないかの議論じゃないと思います。あくまで報道ベースで真実かどうかはわかりかねますが、生徒が自殺した直後にこの教師にこれまでに体罰を本当に行ったかどうか学校が尋ねたところ、「一度や二度は」と答えていたそうです。実態的には同じバスケ部のアンケートでたくさんの生徒が体罰を受けた、もしくは目撃したと言っていることから、その回数は決して「一度や二度」にとどまらないでしょう。何故回数を過少に申告したのか、私の想像ですがやはりこの教師自体も体罰が問題ある行為だということを自認していたのではないでyそうか。指導のためにどうしても必要と言い切るのであればまだしも、自殺を引き起こした後でそんなにしょっちゅうしてなかった振りするような人間が何を指導するのかという気分です。

 昔にも一回記事にしていますが、基本的に私は体育会系のノリが嫌いです。選手殴って強くなることはまずないでしょうし、妙な上下関係とか尋常じゃないトレーニング量とか、果たしてそれで本当に強い選手が生まれるのか、むしろ才能の芽をつぶしているんじゃないのかという疑問を以前から持っています。更にいえば、大学の運動部なら話は変わってきますが高校の部活はあくまでも教育の延長で、試合に勝つことではなくスポーツを通して立派な人格を育て上げることにあるはずです。その点を今の世の中、といっても昔からですが、どっか置いてきたことが今のギスギスした日本社会を作ってるんじゃないかなぁとかたまに思います。

2013年1月7日月曜日

みぞれ交じりの雨の寒い日

 上海は本日、みぞれ交じりの雨が降って非常に寒かったです。これまでにも何度か雪も降りましたが、変に湿気が高い分、体感的には今冬で一番寒かったです。私の感覚ではありますが、日本の東京あたりの天気は上海の天気がちょうど二日くらい遅れてやってくるので、恐らく明後日の東京はシャレにならないくらいに冷え込むのではないかと思います。

 ちなみに知っている人には有名ですが、私は冬になっても一切コートを着ることがありません。極端に寒さに強い体をしていて、さすがに何度か雪の日には着たことがありますが日本にいた頃の出勤時は常にスーツだけしか着なかったために、職場の同僚からはよく不思議がられてました。しかもそのスーツも春用で、冬用は未だに一着も持っておりません。
 現在は仕事の関係上、割と自由な服装が許されているので上半身はYシャツ、パーカー、Gジャンで通っております。何故最後にGジャンが来るのかはよくわかりませんが。あとダウンジャケットに関しては子供の頃はよく着てましたが20歳過ぎてからは決して冗談ではなく一度も着ていないような。友人からは見ているだけで寒いからもう少し厚着してくれとは言われるのですが。

 最後にホント全然関係ないですが、ネタにして悪いと思うもののこのYahoo知恵袋の質問がえらくツボにはまってしまいました。内容は結婚を考えている相手がいるが、その人は卒業から数年経つのに未だに奨学金をほとんど返済しておらず、なおかつ結婚後は専業主婦を希望していてどうもその奨学金の返済を肩代わりされそう。金銭感覚が違ってうまくいけるかどうかという至極真面目なものなのですが、自分の金銭感覚の説明として、「私は大学卒業後から現在の会社にずっと勤めており、年収は500万円ほどで1人暮らしの生活水準を気に入っていて、数百円程度の貯金もできています。」と、書いていたのが目に止まっちゃいました。
 さすがに「数百円→数百万円」の間違いでしょうが、もったいぶった言い方しながら全然貯金できてないじゃんと思わず突っ込んでしまいたくなるほど致命的な誤字といわざるを得ません。こんだけ誤字脱字の多いブログを運営していながら言うのもなんですが。

2013年1月6日日曜日

二世タレントについて

 先日に日本のテレビ番組でダウンタウンの浜田氏が長男と共にラジオに出演したそうです。なんか浜田氏の奥さんの方がブログで「決して親の七光りで出演できたわけじゃありませんから」といっていたそうですが、そんな風に考えてるならわざわざ口にしなくてもいいような。
 今回の浜田氏親子に限らず、芸能界では親も芸能人という二世タレントは昔から多くおります。この二世タレントについて一部ではさっきのように七光りだと揶揄する声もありますが、私個人としては芸能界であれば親が有名人であると名乗ってもいいと思いますし、全く問題ないと思います。というのも芸能界は政界と違ってやはり実力主義が徹底されている世界で、どれだけ親の影響力を持っていても数字が取れない芸能人であれば自然に淘汰されるだけです。確かに親の影響力があれば縁もゆかりもない人と比べてデビューこそ華々しく飾れますが、実力が足りなければ一年もしないうちに画面から消えていくでしょう。

 そういう風に思う一つのケースとして、小泉孝太郎氏が私の中で真っ先に上がってきます。小泉孝太郎氏の父親は名字からもわかる通りに元首相の小泉純一郎氏で、デビュー時からその事実を公表しており在任中でもあったことから大きな話題となりました。あくまで私の印象ですが、父親が現役首相である事実を公表していた小泉孝太郎氏に対して周囲からは批判する声が多かったように覚えます。私が覚えているのだと北野武氏も批判した一人で、売れた後で実は父親が総理だと言えばいいのにまだ売れるかどうかわからないデビュー段階で明かすのはおかしいと言っていました。もっとも、そういう北野氏も娘の北野井子氏が歌手デビューした際には自らプロモーションビデオに出演、監修するなど力が入っており、基本的にこの人は好きですがこの一点に関しては言ってることとやってることが違うよねと前から思ってます。

 話は小泉孝太郎氏に戻りますが、確かにデビュー時は首相の息子という話題性が独り歩きしていた雰囲気はありましたが、テレビで見る限りだと非常にさわやかそうな外見な上に穏やかな性格していて、デビューこそ父親の影響力を借りたけどきっとこの人は芸能界でやっていけるなと当時に感じました。そんな予想が当たったというべきか、小泉孝太郎氏はその後も着実にキャリアを重ねて既に父親の純一郎氏が政界から引退しているにもかかわらずコンスタントにテレビドラマなどに出演を重ねております。なんかさっき調べてみたら、今日からやってる「八重の桜」にも徳川慶喜役でキャスティングされているし。

 またもう一人、こちらも元首相の血縁者であるDAIGO氏に関しても常々同じようなことを思います。DAIGO氏は小泉孝太郎氏とは違って歌手デビューした際に自分が竹下登の孫だということをひた隠しにしていたそうですが、その期間、確か10年くらい全く日の目を浴びなかったそうです。年齢も二十代後半にさしかかった頃、本人曰く「このままだとさすがにまずい」と思うようになってカミングアウトをするに至ったそうですが、多分「踊るさんま御殿」からだと思いますがこの番組の出演を契機に急に売れ出すようになって、本人も後年に同じ「踊るさんま御殿」に出演した際、「カミングアウトするまでのあの長い期間はなんだったんだろう」とやや複雑な心境を語っておりました。

 仮にDAIGO氏が竹下登の孫でしかなかったら現在に至るまでテレビ番組のレギュラー出演をし続けることは叶わなかったでしょう。以前に読んだあるコラムでは、DAIGO氏がテレビ出演時に話す若者言葉は取りようにとっては相手に対してかなり失礼な言い方であるが彼が言うと全く悪意があるように聞こえず、彼自身の穏やかな性格はもとより育ちの良さがこれを可能にしていると批評しておりましたが、非常に的確な分析だと思います。先の小泉孝太郎氏にも重なりますが、DAIGO氏に関してはこうした育ちの良さから来る雰囲気が視聴者に求められているのだと思うし、だからこそ芸能界で今も活躍し続けられるのだと思います。それだけに初めから無理せずカミングアウトしとけばよかったのにとも思うのですが。

 逆に実力がない故に明らかに淘汰されていると思うのは、名指しして悪いとは思いますが明石家さんま氏と大竹しのぶ氏の娘のIMALU氏です。両親が大物ということもあってデビュー時は大きな話題になっていろんな番組にゲスト出演しましたが、その後は徐々に低迷し、現在に至っては母親の大竹しのぶ氏関連の番組にしか出ておらず明らかに親の影響力だけで命脈保っているような状態です。私も日本にいた頃に何度か出演した番組を見ましたが、声が小さい上にトークの内容も面白くなく、同じ二世タレントでも関根麻理氏とは雲泥の差だなと感じました。父親の明石家さんま氏は娘の芸能活動をあまり快く思っていないとかねがね言っておりますが、その眼はやはり正しかったと思います。

  おまけ
 今日取り上げたDAIGO氏は実は密かに尊敬している人の一人です。なお彼の姉の影木栄貴氏も現役の漫画家ということで有名人ではありますが、以前に彼女の自叙伝的な漫画を読むことがありました。その漫画によるとこの家は三兄弟で影木栄貴氏が一番上で、DAIGO氏は三人目、真ん中に一般人の弟がいるそうです。影木栄貴氏は真ん中の弟とは子供の頃にしょっちゅうケンカするなど関わりはあったものの、DAIGO氏とは7つ違いと年も離れていたことから子供の頃はあまり接触がなかったそうです。また上二人がしょっちゅうケンカする姿を遠くで眺めていたことから、DAIGO氏は今のような穏やかな性格になったのだろうと姉の目線で書かれてありました。
 ただそんなDAIGO氏と一対一で子供の頃に接触したエピソードも一つ載せられており、なんでもゲームのドラクエでDAIGO氏がうっかり影木栄貴氏のデータを消してしまったことがあったらしく、影木栄貴氏がその件で問い詰めるとDAIGO氏は知らないふりをしようとして、「余計に腹が立った」と書いておりました。政治家の家でも案外、同じような問題で兄弟げんかが起こるのだと思わせられたエピソードです。

2013年1月4日金曜日

松岡洋右について

 たまには歴史の話でもと思って何か人物を取り上げようとしばらく考え、当初は甲斐宗雲でもやろうかと思いましたが最後に考え直して題にも掲げた松岡洋右を取り上げることにしました。結論から言うと私はこの人が大嫌いで、後述する議論において私が片方の立場を取る主要な原因となっている人物です。

松岡洋右(Wikipedia)

 日本史をやったことのある人間ならまず知っているでしょうが、この人は戦前に活躍した外交官で近衛内閣では外務大臣にも就任しております。この人がやった、というかやらかしたことは以下の通りです。

・国際連盟の脱退
・日ソ中立条約の締結
・日独伊三国軍事同盟の締結
・日米交渉の失敗

 このうち最初の「国際連盟の脱退」は当時の外務省の方針であったために松岡に責任があるわけではないですが、後ろ三つに関しては本人が強力に推し進めていただけでなく、それ以前からも独断で物事を決める人間であっただけに間違いなく彼の責任のなせる業と言い切れます。これら松岡の決断がその後どのように日本を追い込んで行ったのかそれこそ何万字もかけてでもじっくり紹介してやりたいところですが、その前に彼の構想とやらを簡単に紹介します。
 まず松岡の来歴を簡単に説明しますが、彼は若い時期にアメリカに留学して優秀な成績で帰国し、外務省に入省しています。ただ外務省は41歳の頃にに辞めて、その後は伝手のあった満州鉄道に入社して後に首相となる岸信介、日産(というかむしろ日立)創業者の鮎川義介と並んで「満州の三スケ」と呼ばれるほどの実力者となりました。そのまま満州に引きこもっててシベリアにでも連れていかれればよかったものを途中で政治家に転身し、元外交官という立場から外交にあれこれ口出しする議員となりました。

 その後紆余曲折あって一旦議員を辞めて満鉄総裁職を経た後、近衛文麿に請われて外務大臣に就任します。外務大臣に就任するや幹部官僚のクビを一斉に切って独裁大勢を確立するのですが、その後に彼が構想していた四国同盟の結成へと動き出します。この四国同盟というのは日本、ドイツ、イタリアのいわゆるアクシズ三カ国にソ連を加えたもので、この構想の背景には当時も世界最強国であったアメリカ、そしてイギリスに対抗するという狙いがあったのだと思います。先に書いてしまいますが、留学中に嫌な目にでもあったのかどうも松岡の思想や行動というものは「アメリカ憎し」というか反米を基軸にして動いているように思え、それがためにしなくてもいい余計なことをことごとくやってのけてくれたのだと私は考えています。

 話は戻って外務大臣に就任した松岡はまずドイツに向かい、ヒトラーに会います。ドイツに行く前まではあまりドイツにいい感情を持っていなかったようですが、反米以外にバックボーンを持っていないので歓迎されるやコロッと考え方を変え、四国同盟の手始めとばかりに日独伊三国軍事同盟を結びます。
 この交渉の前後で松岡はどうも、ドイツとソ連がお互いの利益が一致したためあくまで一時的として結んだ仮初めの独ソ不可侵条約を、ドイツとソ連は相思相愛の関係だと本気で信じていたようです。そのため実際には既にドイツがソ連との開戦を計画していたにもかかわらず三国軍事同盟を結ぶことによってソ連を味方に引き込めると誤解し、交渉中にソ連との同盟締結の価値をドイツ側にも強く主張していたようです。

 それに対してドイツ側は暗に開戦する可能性があることを示唆して日本はソ連とは同盟を結ばず、ソ連を背後から牽制してくれるようにと注意していたのですが松岡はそのシグナルを全く受け取れず、三国軍事同盟締結後に直接モスクワへ行ってスターリンと交渉し、ドイツの好意を無碍にするかのように日ソ中立条約を結んで帰ってきます。スターリンとしてはこれによって後顧の憂いなくドイツと戦えるので狂喜乱舞し、松岡の帰国時に異例ともいえる見送りを敢行しているくらいです。
 ウィキペディアの記事ではこの時松岡は首相の座を狙っていたと書かれていますが、功を焦っているようにも見えるので非常に頷ける話です。もっとも日ソ中立条約が結ばれた直後に独ソ戦が開戦して面目丸つぶれとなり、時の平沼内閣も「欧州事情は複雑怪奇」という言葉を残して引きずられるように総辞職しています。ただ当時の世界情勢から言って、少なくとも外交の世界では独ソ開戦は確実視されていたようにも思え、ドイツとソ連は仲がいいままだと誤解した松岡、ひいては日本の外務省はいくらなんでもひどすぎると言わざるを得ません。松岡に至っては日ソ中立条約締結前に、チャーチルから独ソ開戦は近いとはっきりとした忠告を受けておりその手紙まで残ってますし。それにしてもイギリス人は抜け目ない。

 松岡の酷いところは明らかに時勢が読めてない点だけでなく、外交の基本姿勢を反米以外に持っていないという点も挙げられます。ソ連との同盟が散々必要だと言いながら独ソ戦が開戦されるや、日ソ中立条約を破棄してソ連に攻め込めと言い出したそうです。この時点で精神病院にでも放り込んでおけばよかったものを、外遊中に外務省が中心となって割と穏便に進めていた日米交渉にも途中から条件面でおかしいとか言って口出ししてややこしい事態に発展させております。これには昭和天皇、ひいては近衛文麿も怒ったようで、現在のように閣僚の交代が認められていない旧憲法下で異例とも言っていい、松岡を外務省から外すためだけに総辞職してすぐに組閣という方法を実践しております。

 こうして野に下った松岡ですが、米国との戦争は避けなければならないと主張し続け、日米開戦時には天皇に申し訳ないと言いながら号泣したと言われております。ただ彼のこれまでの行動を見る限りだとどう見ても反米しか思想がないように思え、私は彼の対米戦回避主張というのは一種のパフォーマンスに過ぎないのではないかと疑っております。実際に開戦直後に徳富蘇峰に送った手紙では、真珠湾の戦果に興奮したと書かれていたそうですし。最終的には終戦まで生き残ってA級戦犯に指名されましたが、公判中に罹患していた結核が悪化して病死しています。

 ざっと来歴をまとめましたが結果論ではあるものの重要な場面でことごとく誤った判断をかましており、決して誇張ではなくこの人一人がいなければ日本はもっとマシな結果になっていたのではないかとすら思え、亡国の臣と呼ぶにふさわしい人物だと心から思えます。同じ亡国の臣でも東条英機と比べて活動期間が長く、また外交という役職からその影響度も半端なく上でしょう。
 その上で言わせてもらいたいのですが、何故こんな男が靖国神社に合祀されたのか、当時の政策決定者は明らかに間違った判断をしたと言わざるを得ません。起こす必要のなかった戦争に巻き込んだ外交官、個人的感情から兵隊を無駄死にさせた指揮官、こんな人間たちが死ねといわれた当事者である兵隊と一緒に祀られるということに一種の不気味さを感じます。

 靖国神社側はA級戦犯の分祀は出来ないと言っています。あまり知識はなく間違ってるかもしれませんが仏教には魂抜きといって、宿った魂を別の位牌とかに移す行為はOKだと聞きます。元々靖国は神社でもなかったのだし、この際だからA級戦犯以外の兵隊の魂を魂抜きして、仏教施設で供養した方がいいじゃないかと、松岡洋右の件を考えるにつけ本気で思います。

 軽い歴史物を書くつもりだったのに、三千文字オーバーの長文になってしまったなぁ(;´Д`)

2013年1月3日木曜日

日系ブランドの驕り

 見る人によっては不快感を覚えるかもしれませんが、何人かの友人に話したところ比較的反応が良く、また愚者も百に一つはいいことを言うと言うので思い切って書くことにします。もっとも、そもそも周囲の意見を気にする自分ではありませんが。

 私はこれまで上海、香港に赴任しておりますが、どちらでもシーズンである10~12月の間はしょっちゅう国際展示会に行かされては出展している日系企業相手に取材活動を行ってきました。行った展示会の業種は自動車や電機はもちろんのこと繊維や食品などかなり幅広い分野に渡るのですが、どの展示会に行っても何を強みに海外市場で売り出すのかという質問するとほぼ必ず、「日本製ならではの高品質性……」という言葉が返ってきます。そのためこの手の展示会の取材記事の見出しは「高品質性をアピール」としか書けず何度も続くもんだからいろいろと突き上げを食らう羽目となっております。
 そういった個人事情は置いといて、敢えてここで疑問を提言するなら「高品質性以外になにか強みはないのか」ということを強く言いたいです。それこそ価格と性能のコストパフォーマンスに優れているとか、デザイン性の面で他国の企業を上回っているとか、他のメーカーにはない独自機能があるとか、マーケティングで競争力があるとか挙げられる項目であればいくらでもあるのに、日系企業関係者は誰一人としてこのようなことを口にしません。皆一様に性能や品質は高いが価格も高くてなかなか買い手と交渉で折り合わないと言うのですが、厳しい言葉を投げかけるのであれば高品質性で競争力があるのであれば買い手はつくのでは、何も強みがないことを「日本製ならではの高品質」と言いつくろっているだけなのでは。さらに言えば、そもそも本当にその商品は他国製と比べて品質面で勝っているのかとすら思え、「日本製」という過去に作られたブランドイメージにしがみついているだけではというように感じる時が何度かありました。

 話は飛びますが、私がこのように考えるようになったきっかけというのはちょっと意外な所というか、北京で去年末に行われたキヤノンの納会みたいなところの話からでした。私はこの話を人伝に話を聞いたのですが、なんでもキヤノンは去年に中国で起きた反日デモを引き合いに出して、「キヤノンはこれからは無国籍ブランドにならなければならない」と重役か何かが言ったそうです。
 無国籍ブランドというのは、敢えて言うならマクドナルドやマイクロソフトのように、その企業の商品なりサービスを受ける際にいちいち「アメリカの会社」というイメージを抱かない、世界中どこにあっても自然で意識することがないと思えるブランドを指すようです。キヤノンとしては日本に籍を置く企業ではあるものの「日系企業のキヤノン」ではなく「キヤノンはキヤノン」というように国籍ではなく企業単体で成立するブランドイメージを今後作る必要があると言ったそうです。

 話すことはいちいちもっともだし、キヤノンが言うのなら説得力があると私も感じます。というのも反日デモ以降、日系メーカーの商品は自動車や家電を中心に中国で大きく売上げが落ちましたが、キヤノンとニコンのデジカメだけはそれ以前と全く変わらずに売れ続けたそうです。その理由は単純で、高性能なデジカメを選ぶとなるとこの二社以外に選択肢がないというものからでした。ちょっとさっきから持ち上げ過ぎな気もするので一つ突っ込んでおくと、どちらも過去、かなり問題な規模で偽装請負をやっていた会社ではありますが。光学機器メーカー同士で性格似てるのかな。
 何が言いたいのかというと、やはり性能や品質が本当に優れているのなら消費者は多少値段が高くても、尖閣諸島の問題で腹立ってもその商品を選ぶのだと思います。逆に性能面で劣っていないにしろ、他のメーカー製とほぼ競合しているのであれば何かの「きっかけ」によって売り上げが大きく落ち込むこともあるのでしょう。

 具体的な業種について話していくと、自動車に関してはトヨタのハイブリッドエンジン、日産のルノーとの提携による国際販売体制などを中心に日系メーカーには確かに他国のメーカーにはない大きな強みがあると思います。ただ残念なことに中国ではこれらの強みがあまり効果を発揮しない(そもそもトヨタ自体が中国でのハイブリッド車販売に乗り気じゃなさそう)場所であり、また暴徒によって車が破壊される映像がテレビで大きく流されたことで去年の一件では大きく販売が落ち込むことになりました。
 ただ家電に関しては文句なしに、もはや大きな競争力はないと思います。確かにまだ性能や品質面で日系家電メーカーは海外メーカーを上回っているのかもしれませんが、たとえば中国メーカーと比べた場合、この品質面での差はこの十年で確実にかつ大きく埋まってきております。ではその埋まった品質面での差の代わりに何か新しい強みを身に着けたかというのであればさに非ず、発表とか見ているとやっぱり「高品質性をアピール」としか言ってないように見えます。

 結局のところ、「高品質な日本製品」というブランドイメージに日系メーカーは依存し過ぎなのではないかと思います。昔は確かにそうだったかもしれませんが、少なくとも現代においてはそれだけではもう商品が売れる時代ではないでしょう。それこそキヤノンの言う通りに、「日本製」ということを隠しても消費者はその商品を選ぶか否か、そんな商品を作れるのか作れないのかではないでしょうか。はっきり言って、今の日本企業は日系ブランドであることに明らかな驕りがあるように見えるだけに、使えるものは何でも使うべきではあるものの、真に競争力を養うためにはもうそうしたことは口にしない方がいいのかもしれません。
 どこぞの誰かともわからない会社だがいい商品を作る、ここの商品しか希望に合わない。ブランドに頼らずそんな商品を作ろうとする気概、さらに言えば消費者に求められていない高品質性以外の強みを追及する姿勢こそが今必要なのだと思う次第であります。

2013年1月1日火曜日

ベアテ・シロタ氏の死去について

 本題とは関係ありませんが、中国では昨年末の12月22日がマヤの予言での終末の日だから世界は滅亡すると軽い騒ぎになりました。結局何も起こらないというノストラダムス以来のオチでしたが、こっちで出ているLCCのエアアジアの公告に、「終末の日の後だからこそ旅行はなお楽しい!」っていうキャッチコピーが書かれてあって、中国にもいいコピーライターがいるもんだと感心させられました。

ベアテ・シロタ・ゴードンさん死去=日本国憲法起草に従事(時事通信)

 今日はごつい記事でも書こうと考えてましたが、ちょっとまた頭痛がするのと、個人的に印象的なニュースが出てきたのでこっちを取り上げます。上記リンク先に書かれている通り、日本国憲法の起草に関わったベアテ・シロタ氏が12月31日に亡くなっていたそうです。ベアテ・シロタ氏、というよりその父親のレオ・シロタ氏については以前にも記事を書いておりますが、新憲法起草を通して日本の戦後史に非常に強い影響を与えた人物と言っても過言ではなく、このニュースを見て一つの歴史が終わったと強く感じました。
 彼女の死が直接何か、新しいことにつながるというわけではないのですが、歴史というのは他の物事と同じように基本的に始まりがあれば終わりがあります。何か一つの事件が始まれば、その直接の影響を及ぼす期間なり時期というものには終わりがあります。それこそ民族や国家も例にもれず、繁栄を誇ったローマ帝国ですら滅び、今あるアメリカや日本という国家もいつの日か終わりを迎えるという方が自然です。

 ちょっと自分でもわけのわからないことのたまっている気がしますが、終わりを連想させるような一つの区切りとなる事件があるからこそ歴史というものは認識しやすくなる気がします。今回のこのニュースもそういうものを連想させるものとして、一応記念に書き残そうと思った次第です。