以前に発達障害の大人について記事を書きましたが、これに深く関連してくるのが上のまとめ記事に書かれている境界知能です。境界知能というのは主にIQが健常者(100)と知的障碍者(約70)の間である80前後にある人で、健常者より劣るものの知的障碍者とは認定されないカテゴリです。知的障害とは認められないものの健常者に比べ知能が劣ることから社会での生活で本人が意識しないままトラブルを起こすことがあり、このカテゴリに入る人たちにも支援が必要ではないかと言われています。
そもそも境界知能という言葉が一般にも広がるようになったのはごく最近で、自分の感覚では2018年くらいから段々と広がってきたような気がします。逆を言えばそれまでは「要領の悪い人間」としか見られず、本人らの能力以上に社会が高い要求を行い、どちらも損するような状況にあったと言われています。
そんな境界知能について上の痛いニュースの記事を見たのですが、こうした境界知能の人たちにも知的障碍者向けの教育プログラムや社会のアファーマティブアクションが必要なのではといった内容が議論されています。全体としては否定的な声が多いように見え、現在の知的障碍者のラインのように、どっかで基準を区切らないと話が終わらない、知能の低い人向けに社会が合わせ続けることには限界があるなどという意見が見られ、私自身もこうした意見は否定できない気がします。
ただそれを踏まえた上で言うと、知的障害のラインを少し引き上げるべきなのではないかと思います。具体的には80前後まで引き上げ、支援の対象範囲を広げるべきという考えです。何故こう考えるのかというと、社会がどんどん複雑化しており、かつては適応できた人でも現代では適応できなくなっているのではと思うからです。
例えば就職一つとっても、昭和から平成初期にかけて就職した後に使い方を覚えなければならない危機と言えば、せいぜいコピー機、FAX、出勤カード機くらいだったでしょう。しかし現代ではパソコンや携帯電話をはじめ様々な電子機器の使い方を覚えなければならず、さらにはパソコン内のメールをはじめとするあらゆるソフトウェアの使用に、かつては技能とされたタイピングもマスターしなければなりません。またそれら機器周りのあらゆる情報管理も徹底しなければならないし、社内行為もハラスメントにならないよう気を配る必要があります。
仕事だけでなく生活面でも、インターネットやアプリなどあらゆるツールに対する一定の使い方も把握していなければなりません。また契約も携帯電話をはじめ複雑なものが増えており、クレジットカードなども管理する項目は膨大に膨れ上がってきています。
またこれはギャンブル中毒者に言えることですが、資金調達手段も増加しています。かつては街金の窓口でしか借りられなかったお金が、現在はネットを介してあちこちから借りられるようになり、賭け事にのめりこんだ場合に出来る借金額も増えやすいように思えます。
以上のように、日本を含む世界の世の中は各種サービスや機器の発達によってどんどん複雑化しており、スマホなどによってアフター5以降も無限に働けるというか働かされるようになってきています。単純に言えば世の中が複雑化していて、社会で生きる人々に要求される水準や知識もうなぎ登りというか増大化していて、実際私も世の中の先進サービスに追いついていくのが段々辛いと感じてきました。ゲームだって、最近はネット接続がデフォで毎日ログイン要求されるし……。
こうした状況を考えると、以前のもっと単純な世の中だったら境界知能であることが目立たなかったというか気にされずに生きられたのではと思うようになってきました。以前ならそこまで制度やシステムが複雑でなく、知識のアップデート頻度も少なく済んだだろうし、健常者より知能が劣ったとしても読み書きや計算がある程度できれば、周囲とそれほどトラブルを起こさずに暮らせていた気がします。言い換えるなら、社会が複雑化してきたからこそ境界知能者が目立つようになってしまったのではないかと言いたいわけです。
なんかまとめ方が下手ですが、要するに社会の複雑化に伴い社会が大衆に求めるあらゆる水準が引きあがり、以前は問題なく暮らせていた人たちも知識などで追いつかなくなり、トラブルや問題が増えているのではないかということです。仮にそうだとしたら、社会の要求水準に合わせて従来の知的障碍者のラインを引き上げ、これまで対象外だった人も対象に入れて対策すべきでは二課と思うわけです。そうしたことが社会全体のプラスマイナスで言えばプラスに傾くのではないかと言いたいわけです。
ちなみにこの要求水準の引き上げですが、意識している人はいないでしょうが漫画界でも同じことが起きていると思います。平成初期と比べて新人漫画家の画力は現代の方がはるかに高く、昔の漫画見ると「この絵で連載できたんだなぁ」と思ったりします。その分全体の品質が向上していて競争力も上がっているわけですが、こういった社会の高度化が今後も無限に進むとなると、なんかついていくのがおっくうに感じてきます。
多分こういう感情がレトロゲーにはまる人たちを生んでるんだろうな。
アナログ時代なら、事務手続きが苦手な人でも他人に代行させるという回避策がありました。紙の束を他人に渡して書類作成を代行してもらうのです。ですがデジタル社会だとそうもいきません。書類はPDFの電子データなので気軽に他人には渡せません。仮に電子データを渡す事が出来たとしても、また別の問題が出てきます。ネットによる電子申請のほとんどはその人固有のID(メールアドレスやマイナンバーなど)と連携しています。他人が申請することが出来ません。仮に他人がやろうとしたら、本人の側でつきっきりでスマホやPCの操作をしなければならなくなります。アナログの紙のように他人が別の場所で記入して完成した書類を受け取るとも原則不可能です。 そして電子申請は日常の身近なサービスでも半ば必須となっています。私の居住地のガス会社ですが使用明細は原則ネットで確認することになりました。紙での明細受領も可能ですが毎手数料がかかります。 ネットでの手続きがわからず毎月無駄な手数料を払っている老人がいるだろうなと思っています
返信削除地味二階での処理と比べるとオンラインでのデジタル処理の方が手軽であるものの知的ハードルが高いため、ついていけない人はついていけないし、多少コストをかけてでも介添え者を用意する必要があるでしょうね。またクレジットカードなどによる電子決済もわからない人にはちんぷんかんぷんでしょうし、この辺義務教育段階である程度仕込むべきだとも考えています。
削除学習効果が得られやすい場合もあれば、学習コストを考えると、代替アナログサービスを利用した方が早いケースもあるので、個人的にはアナログの代替手段は残してほしいです。
返信削除今後人口の2.5人に1人は高齢者になっていくことが予想されますので、老人力で(フォースのバランス的に)アナログに押し戻してほしいです。
電子申請の受けつけを開始したけど人口の50%は未申請です、どうしましょう的な世界にはならないのかな(本人が困るだけ、となるとうまくいかないけど)。
60代までは、バリバリのデジタルネイティブだった人が、80代になると使ってきたサービスを中途半端にほったらかしたり、悪用されたりすることもあるので、年齢や障害の有無によってデジタル社会との距離感(最低限何を利用するか、利用せざるを得ないか)をどう保つかも大事だと思いました。
最終的にはまさにその学習効果とコストの比較になってくると思われるのですが、今のところかつてのハンコ必要論を唱えた大臣のように政策決定者が高齢者側なため、コストをかけてでも学習を回避しようと日本はするでしょうね。
削除アナログでいい点もあるのですが日本でも普及してきた電子決済のように、使えると一気に利便性が増すサービスもあるので、この辺の技術の取捨選択がきちんとできる人が政策を決めてほしいです。