最近になってギリシャ哲学とか見始めましたが、現代にまで通用する原子論を最初に唱えたデモクリトスは、物質を構成する最小単位を原子と考えましたが、なにもマテリアルな存在(日本語が思い浮かばない)に限らず、魂までもそれを構成する原子があると考えていたようです。
彼曰く、魂も他の物質同様、消失した際に構成する原子はなくならず、くっついたり離れたりして、再びまた元の魂になったり、別の物質の構成要素になると考えたようです。自分は何度も書いていますが、肉体と精神の二元論を唱えていますが、この論にはなかなか後ろ髪の引かれる思いがします。
私自身、以前にこれに近いような考えをもった事があります。というのも、地球上に存在する魂、というより霊魂の数には限りがあると考えました。人間、動物、植物など、それぞれに霊魂は宿っているが、それぞれに霊魂の重さというか、個体差はある。しかしながら地球上の総量には変わりがない……といったような。
そうして何がいいたいのかと言うと、要するにこの地球上に人間は増加しているが、その背後にはおびただしい数の生物を絶滅に追いやっている。そうして絶滅させられた魂はどこへ行くかというと、人間になっているのではないか。こんな事を、たしか高校三年生くらいの頃に考えたのかな。何も食物連鎖などで説明するまでもなく、魂の上でも生物体系が壊れているのではと当時に主張しました。ちなみに、私の計算だと牛24頭あたりが人間一人の魂です。
更に言うなれば、最近まやかしものの地球環境保護者が跋扈していますが。単純な話し、人間すべてが絶滅するほど地球にやさしい事はありません。たまにそういう主張をしている人も見かけますが、そういう人間を自分は「ガイア主義者」と読んでいます。ガイアは言うまでもなくギリシャ神話の地母神です。結構勘違いしている人が多いと思うので書いておきますが、ガイアは決して人間の味方ではありません。ギリシャ神話を読めばわかりますが、そういう意味合いをも込めての先ほどの名称です。
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