基本、自分は反権力志向です。ちっちゃな頃から反抗ばっかして、現在は自分では少し丸くなったと思っていますが、周りからはそうは思われていないらしいです。
そこで今回はいつもマスコミばっかり叩いているから、たまにはアカデミズムを叩こうと思います。実際、腹立つ事多いし。
これは知り合いの先生、確か関東学院でやっていたらしいですが、その先生から聞いた話です。
「やはり日本の学術会では西欧の価値観や概念の方が上だという前提が強く、戦前の時代は西欧で流行り始めた社会主義思想が最先端の学問として、当時の学者は競うように学んだそうです。もちろん凄い人たちも学んで、あらかじめ日本の概念なども全部学ぶという下積みの上でこれが一番いいとして社会主義思想を持つのですから、その後の若い人間と違って立場を改めるという事は絶対にしませんでした」
後半はおまけでつけただけで今回の内容とあまり関係はありません。肝心なのは前半部で、西欧の価値や概念が上っていうことです。考えてみると日本で哲学を教えようとする場合、必ず最初にソクラテスなどのギリシャ哲学から教えられています。それこそ自分らにちかい、というよりも東洋の孔子の儒学思想からやってもいいような気がするのですが、大体がキリスト教を終わった辺りから教えられます。また孔子はまだ教えられるだけいいですが、老子になるとそれこそ名前だけ覚えておけといわれるくらいで、無為自然とかその中身はやりませんし、後年の儒学、朱子学や陽明学なんて多分名前すら普通の高校生は哲学の時間には学ばないでしょう。そのくせ、デカルトとかフロイトはやらされるのに。
なにも私は東洋至上主義ではないのですが、やはり日本のアカデミズムには西上東下の価値観に包まれているような気がします。多分こういったら学者連中から猛反発食らうだろうけど、それでも敢えて言わせてもらうなら、日本の学者どもは西洋の犬でしかない。
何もこういった傾向は哲学上のみならず、経済学にまで深く浸透しています。最近流行りのアメリカの大学のMBAに始まり新自由主義経済学など、明らかに実態からかけ離れた教育が日本の大学経済学部にて行われています。その上で日本の優秀な研究者などはほとんど評価されず、ノーベル賞を取ったという事で、それまで何の賞も受けていなかった田中耕一さんがその後続々と日本で賞されたのも、彼の研究が素晴らしかったのではなく、西欧の研究者に認められたからだと言っても過言じゃないと思います。
話は哲学に戻しますが、自分は東洋思想も決して捨てたものではないと思います。これは日ごろから言っていますが、西洋哲学は基本的に強い二項対立で語られている事が多いと思います。これはキリスト教が善と悪の二つの概念の対立を強く出しているせいだと思いますが、わかりやすい文、すこし物足りなさを感じる内容が多いです。ちょっと詳しく書くと、西欧の時間の概念は左から右へ一直線で、文明は進化しつづける事が前提です。これに対して東洋思想を代表する仏教やヒンドゥー教は時計と同じ円の循環の概念で、しばらくすればまた世界は初めからやり直すみたいに、非常に複雑でわかりにくいですが、その分深いです。
たしか明治の誰かも西欧に行った際、その思想の浅さに呆れて、和魂洋才とばかりに技術は認めても哲学は譲るなと主張していたはずです。西洋の思想でも確かに優れたものも多く、私自身キリスト教に非常に強く影響されていますが、それをもって東洋思想を捨てるのは大間違いです。
また日本国内にも非常に面白い考え方を持った人もいっぱいいました。たとえば江戸時代の山片蟠桃なんかはその著書の「夢の代」にて、歴史は事件が起こるその当時よりも、後年になってから明らかになる事が多いと主張しています。ダイアナさんの事故とか、ライブドア事件もそうなるのかな。
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