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2008年2月2日土曜日

続、佐藤優について

 前回に続いてまた佐藤優氏についてです。前回といっても、前の記事書き終えてからまだ一分も経ってないけど。

 この佐藤優の出自を時系列で追うと、まず沖縄戦を経験した彼の母親と関東にいた彼の父親との間に埼玉県で生まれています。高校は県内の浦和高校で、ここで労農派マルクス主義の思想に惹かれて文芸部の活動と共に、どっかのセクトの地方組織に加入していたようです。
 その後、一年の浪人の後に同志社大学の神学部に入学しています。なお、このときに合格したのは同志社の神学部のほかに、沖縄大学にも合格していたようですが、左派意識の強い大学だと周囲から思われ、こちらの入学には親戚から反対されたらしいです。この頃から反骨精神が強かったのか、「逆にそっちに入ってやろうかとも思った」と本人は述べています。

 なお、この受験時のエピソードでは他にも面白いものもあり、当時の同志社には筆記試験の後に面接があったようですが、その際に受験理由を尋ねられたところ、「無神論を勉強したいからです」と言ったらしい。どこの世界に神を否定する論理の無神論をやりたがっている学生をわざわざ受け入れる神学部があるのやら。本人もこの時は、「しまった」と思ったらしいですが、面接が終わった後に面接官の神学部教授は「ほかに受かってもぜひうちに来てくれ」と言ったらしいです、さすが同志社……。別にこれに限るわけじゃないですが、やっぱあそこはアナ-キーな空気で充満していると思います。

 そこで神学を学ぶ傍ら、当時より語学のセンスが非常に高かったのか数ヶ国語を勉強し、卒業前に最も興味をひかれていたチェコ神学を勉強したいがために、当時は日本からの渡航が難しかったチェコに行くために、外務省にノンキャリア職員として入省したようです。しかし希望はきれいには通らず、ソ連課へと人事で回されて、こうして現在のようにロシア関係の専門家となっていったようです。
 ロシアの駐在時代からその異能ぶりは認められ、ロシアロビー内に深く入り込む人脈を作り上げたほか、一般に言うスパイ活動の諜報活動にも従事し、彼が挙げた最も大きな功績は、ソ連崩壊のきっかけとなったゴルバチョフ政権時に起こったクーデターの際、監禁されて殺されたのではないかと生存の安否が心配されていたゴルバチョフ元大統領の生存情報を、西側の諜報員の中で最も早く掴んだという実績があります。

 その後、日本へ帰国した後もその能力の高さから彼のためだけに作られたと言われる「主任分析官」という役職につき、橋本、小渕、森と、三代の総理大臣に直接会ってレクチャーを行うなど、政権へと深く結びついていきました。その結果、彼の思惑とは遠く離れたところにありながらも政権抗争に巻き込まれ、前回説明したように国策捜査の対象となってしまったようです。

 まだまだ彼について書きたいことはいっぱいあるのですが、それはまた今度にして最後に私自身の彼への評価を書いておきます。
 佐藤優氏は鈴木宗男氏について、「非常に周りに対してこまめに世話を焼く性格で、そしてその能力の高さから本人が知らず知らずのうちに周囲は彼なしでやっていけなくなる。これに一部の人間は嫉妬するのだが、本人はその無欲さから他人の嫉妬に気が付かない」と、評しておりますが、これはそっくりそのまま佐藤優氏に当てはまります。彼自身もこのことに恐らく気がついているでしょうが、やはり能力が周囲を大きく巻き込むほどに高いため、また自分を全く大事にせず、犠牲的な行動ばかり取って周囲から嫉妬や妨害を受けても、身の保全を全く図ろうとしなかったために国策捜査に巻き込まれた感があります。

 実は一部、友人からよく「君は佐藤優に似ている」とよく言われます。これは恐らく先の「犠牲的な行動ばかり取る」という点が共通しているせいだと思っており、同時に「もっと自分を大事にしろ」ともよく言われます。この手のタイプは鈴木宗男氏曰く、「だます側よりだまされる側でいたい」という人間で、ご多分に漏れず私自身はやはりそうです。しかし、憧れの佐藤優氏に似ていると言われるだけでも非常に誇りだとも思っています。

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