また歴史関係のを書こうと思うので、今日は韓信について解説します。
さて韓信という人物を知っているでしょうか。恐らく一般の方には、「あの背水の陣という言葉を作った人だよ」といえば通りがいいでしょう。この人は前2世紀あたりの人で、中国の漢楚攻防時代の将軍です。
まず率直に言って、あらゆる歴史を私は勉強してきた自負がありますが、この韓信以上に強いと思われる軍人はまだ見たことがありません。それこそあらゆる戦いにおいて窮地らしい窮地に落ちることなく、文字通り一度進軍すると電光石火の如く敵軍をことごとく倒していっています。
この韓信本人も、自分の指揮能力に相当自負があったのか自分の主人である劉邦との宴会中に、
「殿は軍を率いるとしても、せいぜい十万人ぐらいが限界でしょう」
「なら、お前はどれほどまでいける?」
「あればあるほどいけます」
と述べています。
実際に、漢楚の最終決戦である垓下の戦いにおいて、各地域からやってきた軍団をまとめて率いており、それも見事な統率振りだったと記されています。
ただこの韓信について、「背水の陣」という言葉はやや独り歩きしているように思えます。この言葉は韓信が趙を攻めた北伐の最中に、敵軍は自軍より多い数を頼みにして自分から攻めてくる。なおかつ、謀略を謀れる人物がいないという状況を見定めて、陣を敷いたという背景があります。そしていざ実際の戦闘が起こると、その伝えられているように川を背にした韓信の軍隊は必死で防戦し敵の攻撃を持ちこたえていましたが、その間に韓信は別働隊を放っており、すっかりもぬけの殻となっていた敵軍の城を奪い取り、その上で改めて挟み撃ちにし、敵軍を破っております。
一般に、背水の陣というと死中に身を置いて逆転するという意味として捉えられがちですが、実際には必勝の布陣の上での一つの要素にしか過ぎません。ただやたらと危機感を煽ったり逆境にいればいいというわけではなく、きちっとした勝算をもって物事を謀るべきだと私は思います。
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