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2008年6月28日土曜日

環境問題の流行り廃り

 2004年のことでしたが、その時ドイツで出版されている雑誌の日本語訳を見る機会があり中身を見てみたのですが、その時載せられていた記事と言うのは、「環境意識は何故薄れてしまったのか」という内容でした。
 具体的な内容はというと、1990年代に大きく盛り上がった環境問題だったが、2000年以後の昨今、すっかりそのような問題意識はドイツ人の中で小さくなってしまった……という内容でした。今じゃなんか想像し辛いのですが、日本同様に当時はヨーロッパでも環境意識は大きく低下していたようです。

 日本でも、95年前後は例のダイオキシンがテレビなどで過剰に宣伝され、環境意識が一時的に高まったもののその後は年々小さくなり、ちょうどこの2004年くらいにふとしたことから、「ダイオキシンって何だっけ?」という会話が友人との間にありました。

 それがたった4年後、いまじゃこんなに大きくなっちゃいました。今回のこの環境意識の盛り上がりの端緒となったのは恐らくアル・ゴア氏の「不都合な真実」という映画からですが、それ以上にある背景が存在していると言う指摘もあります。その背景と言うのも、「世界で共通した目標がなければならない」、というような背景です。
 詳しく説明すると、国際社会ではある程度共通の認識、まとまりがないと各国の首脳としては外交がやりづらいようなのです。それこそ利権を保持する言い訳に使うとか、使節の訪問目的など、何かしら土台となるべきお題を常に必要とするのです。これは冷戦期だと資本主義対社会主義で、90年代の前半は前述した環境問題、後半は経済問題といったように推移してきました。そして世界経済が好調になりだした2000年代後半に入ると、さしあたって使いやすそうなこの環境問題が出てきたというわけです。

 なので、私は今回の環境問題熱もそう長く続かないと思ってます。もってせいぜい2010年くらいまでじゃないでしょうか、また世界経済が失速し始めてきたのでそれより早く終わるやも知れません。結局こういうのは、隔年で流行が来るアイドルみたいなものだと思います。

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