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2008年7月14日月曜日

モンスターペアレントはどこから生まれたのか

 どうでもいいですが、中日が5カード連続で負け越したらしいです。12球団で断トツで嫌いな球団だから、ざまぁみなって気分でなんだかうきうきします。
 そんな野球の話はほっといて、今日の本題です。ちょっと今日は手のかかる内容なので、覚悟して今キーボードを叩いています。

 さて、題にもあるモンスターペアレント、去年にできた言葉としては割と定着し、その問題意識の高さとともに非常に流行している言葉です。この言葉の定義する内容はわざわざ語るまでもないのですが、学校やその他の子供の関わる場所において、無理な要求をしては周りに迷惑をかける子供の親のことを指します。この言葉が一挙に広がるきっかけとなったのは、国が発表した小学校の給食費未納額がとてつもない額にまで昇っており、しかもその主たる原因が「払えるのに敢えて払わない」親にあることが伝えられたことからです。当時、このニュースが報道された際には今までの鬱憤がたまっていたのか、各教育関係者がこの問題の根深さをあちこちで話し、また見聞きする視聴者も少なからずこういった存在があることに気がついていた、迷惑を被っていたのか実感を伴って情報を得ていたように思えます。そのため、一気に言葉が定着したのでしょう。もっとも、この言葉が横文字で「モンスターペアレント」と書かれたのは、日本語力の低下とみたのは私くらいでしょう。

 そのモンスターペアレント、今でも問題の実態を報告、解説する新書が続々と出ており、また教育機関も訴訟対策やら窓口対策などを行っているというニュースは見るのですが、ある肝心な議論が抜けているように私は思えます。といっても、私自身この問題についてあれこれ本買って調べているわけじゃないので強くはいえないのですが、少なくとも公の議論の対象になっていない抜けている部分として、なぜモンスターペアレントは生まれたのか、この部分について今日は考えてみようと思います。

 このモンスターペアレント、期間的には大体ここ五年くらいで表面化してきたと言っていいでしょう。つまり、数十年前には少なくともいなかった、もしくは表面化するほど多くはなかったのではありますが、なぜ現在に至って表面化するまでに増加、もしくは発生したのでしょうか。前置き長くてもしょうがないから仮設をいちいち挙げてきます。

  仮説1「日本人全体でマナーが低下したから」
 いきなりなんですが、これはすでに実感としては当たり前です。この前も世界遺産に落書きする人がいましたし、今朝は広島県の宮島の森林にペンキつけて馬鹿がいたので、昔にもこういった人間が全くいなかったとは言いませんが、全体で日本人のマナーのレベルが下がっているのは間違いないでしょう。マナーが下がったから、変な親とかも出てきた、こんなのだったらインド人でも言えます。じゃあ一体何故マナーがさがったのかを議論しないといけないので、次の仮説へ行きましょう。

  仮説2「モンスターペアレントの親がモンスターペアレントだったから」
 俗に言う、蛙の子は蛙というような意見です。よく無茶な要求を突きつけてくる親に限って子供は意地悪く、チクリ魔だという話があり、そこから発展したのがこのような意見です。つまり、駄目な親から駄目な子供が再生産され、それが成長すると次代のモンスターペアレントとなるという話ですが、じゃあ先祖代々その家系はモンスターペアレントだったのかという話につながりますが、この問題はここ数年で表面化してきたことを考えると、さすがに無茶な仮説でしょう。まぁ私も、この仮説を声高に叫びたい気持ちもあるんですけどね。

  仮説3「親が子供に対して過保護になった」
 まぁこれはやや当てはまる意見だと思います。この前四月も各大学の入学式に両親の見学者が押しかけて会場がいっぱいになったニュースもで教育関係者が、大学生にもなった子供をいちいち見に来るなと言ってましたが、その通りだと思います。全体的に、子供のためになること、子供が望むことなら何をやってもいいというような空気がこのような環境を作ったと思います。そういうことで、次の仮説へ。

  仮説4「フェミニズムの台頭」
 これは以前に論文にまとめていながら途中で頓挫した内容ですが、90年代は極端な平等主義がありえないくらいにはびこった時代でありました。私の分析だとそれを後押ししたのはほかでもなくマスコミと文部省(現文部科学省)で、ほかの人間と一点の差別を作ってはならないということが公にも強く叫ばれた時代でありました。
 この時代を過ごして親となった世代が、現在のモンスターペアレントの中核を担っていると私は睨んでいます。先ほどの過保護になったという仮説同様、フェミニズムのためなら何を言っても許される、中国や韓国の「愛国無罪」みたいなノリを私自身、この時代にすごく感じていました。そのために現代でも、実際には私益しか考えていなくとも格好の口実として、「教育は平等なのだから給食費は払わない」とか言ったりしているのではないでしょうか。
 逆に言うと、この問題が表面化してきたということはフェミニズムが後退してきているという証拠でもあります。この件についてはほかにも証拠があり、機会があればまた書きます。最近こればっかだけど。
 
  仮説5「自意識の向上」
 これは今読んでいる新書に書かれている内容なのですが、現代の日本人は過去と比べて、他人の考えより自分の考えの方が正しいと思うようになってきていると書かれていました。これについて、私も非常に思い当たることがあります。これまでは学校の先生なりお医者さんなりの言うことが何でも正しいとされてきたのが、90年代末期の価値観の大混乱期に教師による事件とか医者の不正治療などが大きく取り上げられ、マスコミなどはうかつに連中を信じるな、セカンドオピニオンに行けなどと煽り立ててきました。
 これがどんな結果を生んだかというと、自分の考えていることが正しい、それがさらに援用されて自分のやりたいことを主張してもいいというような空気を生んだのではないでしょうか。いわば、日本人同士で相手を見下し始めたと言えます。そんなこと言ったら、お前が一番見下しているじゃないかと、友人らからは言われそうですが……。
 しかし、素人同士ならまだしも、専門家を真っ向から疑うのはやはり疑問です。確かになんでも鵜呑みにするのはよくないですが、疑いすぎるのも過ぎたるは猶及ばざるが如しです。現に、今の状況がその結果でしょう。あまり他人が言っていない意見ですが、この仮説には結構自信があります。

  仮説6「アメリカの裁判事例の影響」
 これも90年代によく言われていた内容ですが、
「アメリカ人は自分が悪いと思っても、絶対にsorryって言わないんだぜ」
 中学校時代の同級生がよく言ってたな、そいつはやっぱりいやな奴だったけど。
 この言葉の語源は、アメリカは訴訟大国だから自分の弱みを見せたらすぐ突っ込まれて金をむしり取られる。逆に相手に対して無茶な要求でも、理屈が通れば高い賠償金を得られるという、マクドナルド熱々コーヒー裁判の事例を元に当時に流行った話です。ちなみに結論から言うと、これは間違っています。道で肩ぶつかったら普通に「sorry」ってアメリカ人は言ってくれます。うちの親父なんか真に受けて海外では絶対に言うまいとしてたけど。
 これがどんな影響を生んだかというと、損得や道理は別として、主張したもん勝ちというような風説を生んだのではないかと思います。それこそ、明らかに間違った意見としても、教育を受けん権利なのだから給食費はほかの人が払ってても払わなくてもいいというような意見でも、無理が通れば道理は引っ込むかのように言えてしまう世の中になったのではないでしょうか。

 以前にホリエモン騒動が起きた際、よく財界の人間はホリエモンのことを「ルールを平気で無視する」、「アメリカのような価値観を世の中に蔓延させた」といっては非難していましたが、私の見方からすると、ホリエモン出現以前に日本の価値観のベクトルは変わって来ていたように思えます。今日はまた長く書いちゃったなぁ(*^ー゚)b グッジョブ!!

4 件のコメント:

  1.  自意識の向上というのは、よくわかります。自分が正しいのに決まっていると決めつけて話す人が多い気がします。自分が正しいというのはいいけど、自分の意見を相手に強要させようとする輩は、頭が働いていないんだろうなと思います。人それぞれに正しさがあるということもいえるし、それぞれの役職、役割に正しさがあるってことにきづかないと自分の意見の正しさというのも見失ってしまうと僕は思います。

     これからテスト期間に入るのであまりコメントのこせないかもしれないけど、後でちゃんと読ませてもらいますね。

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  2.  こう書いていてなんですが、一番自意識過剰なのは私なんですよね。今の今まで自分より自信過剰な人は見たことないし……だからこういう意見もかけたんだと思うけど。

     テスト期間中でしたか、いやいや無理しないでもいいですよ。サカタさんのコメントのおかげで、ようやく友人らも思い腰を上げてコメントを残してくれるようになって来ました。本当にいつもありがとうございます。

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  3. 自意識過剰というのは他人の意見を無条件に否定することだと思う。その点で、他人の意見に耳を傾けて論理的に自分を見直せているうちは自信を持ってると表現するのが正解だと個人的に考えてる。

    どの仮説もさもありなんな説なのだけれど個人的に「人間が科学の成長についていってない」と思っている。これは中学ぐらいからずっと私の持論だ。
    どういうことかというと、テレビや新聞のおかげで手に入る情報が増えすぎて耳年増になってしまっているということだ。でも身の丈に合わない情報だからどこか空回りしてしまう。
    急な技術の進歩、コンピュータの誕生による情報過多の時代、職種の変化から近所づきあいの変化、寿命の増加etc……
    4半世紀分の目立つ変化だけをあげてもきりがなく、そりゃ子供に引き継ぐ暇もないよねといいたくなる現状だと思う。
    自意識の向上、それもまさにな話だ。それのおかげで女性の社会進出も具現化してきている。大いに結構な話なのだけれど、影に一人でご飯を食べる子供が増えてたりする。それは当然ながら結構な話ではない。

    まとまりそうにないのでここらでやめときます。結局、異常な環境変化によるひずみなのかな、と思う。誰の責任とも言えない。どっかでこのゆがみを吸収する何かがあればいいと思うのだけれど、問題は「立ち止まったら損をする」という風潮によりひずみが亀裂に進化してることかなぁ、と。
    ……ごめん、また話それた気がする。

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  4.  ぱぁむさん、コメントありがとうございます。

     異常な環境の変化がこういった人間を生み出しているという案はなかなか面白いと思います。私も社会がこれだけ便利になった一方、その便利さを享受する為の教育が不徹底であるようにいつも感じています。では変化を停めればいいかとなると、そうでもないわけですしね。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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