一般に、頭が良いという評価は、日本では知識をどれだけ多く持っているかで測られることが多いです。それこそ高校までの勉強はどれだけ数学の原理や歴史の人物名、化学式などを暗記するかで測られ、実社会でも商品知識から世の中のことをいろいろ知っているとなにかと重宝がられます。しかしそれらの知識、いわば情報を活用する段階の入出力に関わる能力については議論が少ないように思えるので、今回はこの点について考えてみようと思います。
まず情報の入力ですが、これを左右する能力はほかの何者でもなく単純に理解力です。この理解力の中身はというと、どれだけ短時間に、またはどれほど難しい情報を頭に詰めこめられるかを問う能力です。この点については多分、読んでいる方もなんの疑問も感じないでしょう。肝心なのはこの次の出力です。
というのも、これは私が中学生くらいの頃に考えたことなのですが、たとえばある賢い人は理解力が高くて、一般の人と比べて二倍も知識が豊富だったとします。しかし肝心の出力は悪くて、その賢い人は一般人の四分の一しか知識の活用ができないとすると、結局のところ2×1/4=0.5で、普通の人(1×1=1)の半分しか役に立たないことになります。
ここで言いたいのは、どれだけすばらしい能力を持っていたとしても、それを生かす力がなければ宝の持ち腐れになるということです。こう考えた私は当時からこの出力の訓練に取り掛かりました。具体的に何をやったかというと、今みたいに文章をひたすら書く、つまり表現力を磨いていったのです。実はこの表現力こそが、能力の出力を左右する源泉だと私は考えています。
日本人は最近作文も書かなくなったので、特にこの表現力の低下が激しいような気がします。しかし、頭に詰め込むだけでなくそれを応用的に使う能力、この表現力がなければほとんど知識は意味を成しません。幸いというか、私の場合は訓練の甲斐あってか今では人からよく、「説明の仕方がうまい」とよく誉められます。このブログでも、なるべくたくさんの人、一応は政治や社会問題に関心の強い中から上級者向けに書いてはいますが、できることならあまりそれらの問題に詳しくない初心者に方にも理解できるように努力しています。
私の見方からするとこの表現力はこのところ軽視されがちで、私のように意識的に鍛えようとする人は少なくなっている気がします。私としては理解力同様にこの表現力も重要だと思うので、もっと注目しておくべき存在の能力だと思います。
理解したかどうかを表現化することは、自分がどれくらい理解しているかということを認識できるし、一回頭で整理するので理解が深まるので表現化することは僕も必要だと思います。脳科学者の茂木健一郎氏も暗記するときは、声に出したり字を書いて手を動かしたほうが、脳みそをたくさん使うのでよく覚えられるといっていますし。脳みその使用度をとってみても、理解力を上げるためには言語化したり文章化することは有益だと思います。
返信削除ちなみにここで言うと、私は理解力ならサカタさんのお兄さんの二分の一もありません。しかし頭で思いついた内容を相手に紹介したり、理解させる表現力なら未だ以って自分の以上の人間に会ったことはありません。これは、お兄さんと私の育った環境が大きく影響しており、どちらがどの能力を意識的に訓練してきたかの差だと思います。一番いいのは、両方とも鍛えることなんですが、お互いに極端に育っちゃったからなぁ。
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