これは私が中国に留学している際の話ですが、日本人の留学仲間と自室で談笑し、その友人が帰った後に相部屋相手のルーマニア人に先ほどの友人は広島出身だよと教えたところ、
「俺たち、彼の放射能が移って病気とかにならないよな?」
と、私に聞いてきました。
このルーマニア人の友人は大学で物理学を専攻しており、ルーマニアにある原子力発電所も学生時代に見学したと言っていました。そんな彼でさえ、広島と長崎は今でも草木も生えない荒涼とした場所で、そこに住んでいる人間は放射能を持っているとと考えていたそうです。ま、後者は冗談で言っていたと思いますけど。
誤解しないように説明しておきますが、恐らく彼がそんな風に両都市を想像したのは、チェルノブイリの例があるからだったと今は思います。実際にチェルノブイリ発電所の周りは今でも廃墟のまま残され、人も誰も住んでいません。この時の事故でルーマニアでも放射能汚染が確認されており、そういった背景から彼は誤解をしていたのだと思います。
実際、世界の人たちはやはり原爆や放射能について誤解している人が多いと思います。このルーマニア人の友人のように広島、長崎は二つともたくさんの人口を抱える大都市であることや、植物も真っ当に育つと言うことを話すと驚かれる外国人はたくさんいます。またアメリカ人については、原爆を落とした張本人でもあることから自国の人間に対して原爆の事実を隠そうとしているような気がします。
というのも、昔にテレビ番組でやっていた内容で、原爆の日にアメリカの中高生が広島に行くという企画があり、「はだしのゲン」の作者である中沢啓治氏から話を聞いたり原爆資料館を訪れると、アメリカ人たちは皆、こんな事実を今まで全く知らなかったと全員が述べ合っていました。さらに同じ番組ではアメリカの原爆に対する報道を取り上げ、戦後に作られた戦争記録映画の原爆投下のシーンの際、B29のパイロットの一人が民間人をたくさん殺すことになるがいいのか、と言うともう一人のパイロットが、
「もう何日も日本語で避難しろと書いたビラを撒いている。それでも残っているやつらが悪い」
と言い返すシーンが盛り込まれていました。もちろん、ビラを撒いた事実なぞありません。
思い起こしてみると、私は高校の修学旅行で長崎を訪れた際、実際に被爆者の方から直接話を聞く機会がありました。しかしもうあと数十年もすると、原爆一世にあたる直接の被爆者は寿命の関係でいなくなるでしょう。その後の時代に原爆の悲惨さと事実を伝えるのは、私たちのような直接話を聞いた事のある世代になると考えています。伝えるのは何も日本の子供たちだけでなく、日本ほど原爆教育を受けない外国人にも伝える必要があると、八月六日の今日に思います。
ビラは巻かれています。それにもちろん対応する行動を当時の日本では誰も取りようがなかったし、このビラの意味を理解していた人間も中枢と原爆開発を行っていた日本の物理学者の人々しかわからなかったと思います。
返信削除http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2004/kikaku/kikaku4/03.html
ですから、米兵の会話は嘘ではありません。
そもそも原爆投下自体が国際法違反であるということになるのは原爆投下以降なので…講和条約の締結が遅れたこと、アメリカ、ソビエトの動きとまったくおかまいなしの戦争の末期(つまり自己満足のための行動しか取れない。)ってことを嘆き反省するべきでしょう。
コメント、ありがとうございます。
返信削除早速紹介いただいたアドレスの長崎新聞の記事を読みましたが、それによると確かにアメリカ軍によって原爆に関するビラを撒いたという事実はあるようですが、これからどこに落とすのかという予定地については書かれておらず、また広島へ原爆が投下されてから撒かれたということ(記事では長崎の投下後であるという結論でもありますが)は記事の内容よりまず確実という点で、私の書いた記事の中の米兵の会話はやはり嘘だと私は思います。
また原爆の投下自体は確かに条約が取り決められておらず国際法違反には当時は当たりませんが、一般市民への攻撃、虐殺は一次大戦後に結ばれた国際条約上で明確な違反行為となります。事実、日本は戦後に行われた極東軍事裁判でこの虐殺の門で有罪を渡された戦犯が数多くおり、この点でアメリカは明らかに矛盾した行為を行っていたと私は考えます。