文化大革命についての三回目の連載です。そろそろ書いててしんどくなってくるところです。
さて今回は文化大革命が起こる前の、中国が置かれていた状況について解説します。
まず第二次大戦後、現中国を支配している中国共産党と現在台湾を支配している国民党との間で戦闘が始まりました。当初は双方共同で国を治めようという話もあったのですが、もともと戦闘しあっていた者同士で、目下の敵の日本軍がいなくなるやすぐさま内戦を始めました。因みに、その際の戦闘に使われた兵器の大半は日本軍が置いていった兵器だったようです。北京にある軍事博物館によると、中国で初の戦車は日本軍からの分捕り品だったくらいですし。
そうして戦い合う中、恐らく組織戦としては相当早い段階でゲリラ戦を確立した共産党の人民解放軍が徐々に勝利していき、最終的に国民党を台湾へ追い出して1949年に現在の中華人民共和国が成立します。戦争に勝利後、文化大革命の主役である毛沢東は天安門広場にて「中華人民共和国、成立了!」と宣言して、この時を持って正式にこの国は建国されたとされます。
もっとも建国直後に朝鮮戦争が勃発し、当初はソ連一辺倒ではなくアメリカとも交流を続けようと考えていた指導部は悩んだ末に北朝鮮に味方してアメリカと袂を分かつ羽目になるなど、いろいろと困難もありましたが、当初は共産党内部の高い士気とともにそこそこうまくやっていきました。この歯車がおかしくなり始めるのは1950年代の後半からです。
この時期から中国はソ連の「五ヵ年計画」を真似た、あの悪名高き「大躍進政策」を行い始めます。これはその名の通り、数年の期間内に農業や工業の分野で一気に先進国に追いつくという国家政策のことです。ソ連の五ヵ年計画も内実は結構ひどかったらしいですが、一応は工業面で大幅な前進が見られて二次大戦でドイツと戦うだけの土台ができたのに対して、中国のこの大躍進政策は破壊と荒廃しかもたらしませんでした。
ソ連では「コルホーズ」といって、農民を一箇所に集めて強制的に作業をさせる集団農場を作りましたが、それに対して中国では「人民公社」といって、事実上個人の自由を奪う集団体制へと国を整えていきました。
この大躍進政策の中で工業政策では鉄鋼の生産量でイギリスを追い抜くという目標があったのですが、各地域の責任者には目標生産高の達成が義務付けられたため、実際には鉄を作ろうにも鉄鉱石が不足するもんだから、片っ端からまだ使える鉄製の農具などを溶かして粗鋼を作っていき、確かにイギリスの鉄鋼生産量を追い抜いたものの、その作られた鉄のほとんどは役に立たないくず鉄ばかりだったそうです。更に鉄の精製技術も低いものだから延々と土方高炉という、原始的な精製方法でその燃料として木材を燃やし続けたため、今に至る中国の水不足、環境破壊という問題を作る羽目となりました。
農業政策でも、なんと言うか今の北朝鮮のように明らかに農業について知識がないにもかかわらず、素人の浅知恵のような政策が強行されてしまった例があります。最も有名なのは雀の駆除で、雀は稲穂をついばむから害鳥だといって毛沢東の指示の元、中国全土で一大雀駆除キャンペーンがこの時期に行われました。これなんか私も中国の博物館で見たことがあるのですが、雀を驚かしたり追い詰めたりするわけのわからない器具が全国に配られ、結果的に雀の大幅な駆除に成功するのですが、その代わりに雀が食べていた害虫が異常繁殖してしまい、収穫期になるとすべての作物が大不作になるという事態を引き起こしてしまいました。
一説によると、この時の大飢饉で数千万の人間が餓死したと言われています。昔読んだ記事によると、誰だか名前を忘れましたが、確か李鵬だったけな、子供の頃は夢の中で満腹になるまでものを食べては目を覚ますという事がこの時期何度もあったと言ってました。
「ワイルドスワン」の作者によると、当時の人間でもこの大飢饉が天災によるものではなく、明らかに人災によるものだとわかっていたそうです。それでも共産党政権の転覆、そこまでいかなくとも民衆の反乱が起こらなかったのは先ほどの作者によると、この飢饉の時期には共産党員も一般民衆同様に飢えていたからだと分析しています。
なんでも、国民党がブイブイ言わせていた時代は飢饉だろうと何だろうと、国民党の人間は毎日大量のご馳走を食べて贅沢な暮らしをしていたそうです。それに対してこの時期の共産党は先ほども言ったとおりに士気は高かったらしく、横領や独占が非常に少なかったそうです。もしかしたらそんなことをするほどの食料すらなかったのかもしれませんが、今の共産党からするととても信じられない話ですがそうらしいです。
このようにシャレにならないほどの政策の大失敗を犯してしまい、さすがの毛沢東もしょげていたそうです。自身の食事にも国民が飢えているのだからといって豚肉の量を減らしたそうですが、これは確かアメリカの記者の評論ですが、国民が飢える中で毛沢東は個人的なダイエットをしていたと、何の問題の解決になっていないことを指摘されていました。
そして共産党の幹部も、この惨状に対して毛沢東を追及するに至りました。これは先ほどウィキペディアを見ていて私も始めて知ったのですが、後に実権派として名を馳せる劉少奇が、この時に毛沢東に対して、
「地方では人肉を食べて飢えをしのぐ者まで現れたことを記録に残せ」と詰め寄ったらしいです。
こうして毛沢東は実権を追われることになり、その代わりに経済政策などに実績のある劉少奇と鄧小平が政権の中枢に立つことになりました。彼ら二人のコンビの活躍もあり、大飢饉の後は穏やかではありますが、比較的政治的にも社会的に安定した時期が過ぎていったのですが、それを毛沢東が快く思うわけありません。
これは陳凱歌やその他大勢の人間が評していますが、毛沢東というのは生まれながらの反逆児で、常に何かに抵抗しなければ気がすまない性格だったそうです。歴史的に見ても、最初は両親、次に初期共産党内のリーダー、そして日本、国民党と抵抗相手を変えていき、最後には自らが関わった共産党を抵抗相手に選んだと見るべきでしょう。
この時期、毛沢東は政界を引退して中国の南方で優雅な年金生活のようなものを表面上は送っていました。しかしその間、未だ中央に残る腹心を使って徐々に、それも目立たずに工作を続けていました。続きはまた次回に。
追記
本文中で「雀」と書いてある箇所をアップロード時は「燕」と間違えて書いてしまっており、コメントでの指摘を受けて修正してあります。なんで間違っちゃったんだろう……。
今月初めからこのブログを見させていただいています。3年間、中国語を習っていたこともあり、中国の歴史には興味を持っています。この一連のエントリは本当に興味深いです。
返信削除最近、日米中三国史―技術と政治経済の55年史という本を読んだのですが、これにも中国の政策の失敗のことが触れられていましたよ。
Madeleine Sophieさん、コメントありがとうございます。
返信削除中国語を勉強されたいた方に見てもらえただけでなく、なんと私と同じくblogerユーザーからコメントがもらえて、非常に感激しております。ってか、初めて自分以外で使ってる人を見つけましたよ。
コメントにある新書は早速明日にでも手に入れて読んで見ることにします。Madeleineさんのブログの紹介記事も読ませてもらい、非常に興味を持ちました。ご紹介いただき、ありがとうございます。
狩ったのは燕じゃなくて雀です。
返信削除第一、燕は穀物を食べません。
ご指摘、大変ありがとうございます。おっしゃる通りに燕ではなく正しくは雀でした。
削除記事本文は既に修正した上でご指摘があったことについても追記欄で記載しました。大事な個所なのに大間違いをやらかし、大変申し訳なく思います。またこうしてご指摘いただけることで修正にこぎつけ、大変感謝いたします。今後も何か記事本文にあるミスを発見いたしましたら(いっぱいあるのだろうけど……)、引き続きご指摘いただけたら幸いです。