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2008年11月21日金曜日

日本のスポーツ教育といじめ問題についての考察

 またネタにしていろいろな意味で悪いんだけど、今朝の朝日新聞の一面大見出しは「児童生徒の暴力最多」で、文部科学省の発表したデータによると今回の調査で小中高の学校すべてで暴力事件が過去最多となったということを紹介していました。その上で近年はいわゆる「学校裏サイト」によるネットいじめが拡大の一途を辿っており、こちらも大見出しにて「21%増」とでっかく書かれています。
 まぁ言いたいことはよくわかりますし、朝日新聞の記事が決して悪いわけではないのですが、こうしたいじめ問題について警鐘を促す記事を読むたびに私が強く思うのは、一体何故部活内、それもスポーツ系の運動部内のいじめ問題についてはどこも追求や問題視をしないのかということです。

桐生一高生、今度は集団強姦!逮捕直前まで登校!(YAHOOニュース)

 正直、桐生一高の生徒たちには話題に上げて申し訳ないという気持ちがあるのですが、上にリンクを貼ったニュースは高校野球の名門として全国的に名高い桐生一高の生徒、それも軟式野球部の生徒が刑事事件を起こしたというニュースです。この事件の以前には硬式野球部でも同じく刑事事件を起こした生徒がおり、更には同級生をいじめて傷害致死に至らせたとして同級生が三人も逮捕されるという事件も過去にこの学校で起きています。
 詳しく統計などを用意せずに(あるわけないだろうが)言うのもなんですが、私見から言って運動部内のいじめというのは今も全国の学校で激しく行われているように思えて仕方がありません。なにもこの桐生一校に限らずこちらも高校野球の名門で甲子園でも優勝経験のあるPL学園も、数年前に野球部内で暴行行為が行われたとして処分が行われ、やはりこの影響が強かったのかそれ以降は甲子園にめっきり出場しなくなって今じゃ大阪桐蔭にすっかりお株を取られてしまっています。

 もともと、高校野球の甲子園大会というのは青少年の健全な教育を図る一環として組織されたものなのですが、以上に上げた二校のように実際には部活内で同級生同士のいじめから、上級生から下級生への理不尽なしごきなど言語に絶するような行為が行われているという話をよく聞きます。二年前に引退した元日ハムの新庄選手も野球の強豪高に入学したものの、上級生からものすごいいじめに遭って夜中だろうとなんだろうとジュースを買ってこいと言われてはお使いに出されるだけでなく、そのお使いから帰ってきたら来るのが遅いと言われて土下座された挙句に野球のスパイクで目いっぱい手を踏まれたらしく、今でもそのスパイクの傷跡が残っていると以前にテレビ番組内で話していました。

 なにもこうした行為は野球部だけでなく、競馬の騎手として有名な武豊氏の弟の、こちらも有名な騎手の武幸四郎氏がフジテレビのテレビ番組「ジャンクSPORT」内にて、ちょっとはっきり覚えていないのですが騎手の養成学校時代、一年生は食事で食べるパンにバターやジャムをつけてはいけないと上級生に強制され、これがはっきり覚えていないんですが確かピーナッツバターかなんかの調味料しかつける事を許されなかったために毎日それをつけて食べていたらしく、その時の思い出で今でもその調味料を食べることができないそうです。

 はっきり言いますが、こんな行為がスポーツの鍛錬の上で何の意味があるのか理解に苦しみます。第一パンに何をつけるか位で上級生が下級生に対してあれこれ強制するなど以ての外ですし、そしてそんな環境が伝統としていつまでも残っているということ自体が、青少年の教育上に非常に悪いものに思えて仕方ありません。しかし話で聞く限り日本の運動部の大半ではこうした上級生の理不尽な行為が延々と続けられ、そして前述のようにそういったことへの吐け口かのように同級生同士でいじめが行われては退学に追い込まれたりするものが現れたり、過去の事件のように死亡にまで至る事件が起きています。

 断言してもいいですが、現在の日本の部活動は青少年の健全な教育に寄与しているとは言い難く、むしろ逆にいじめの温床となっている例の方が圧倒的に多いです。私自身中学校一年で運動部に入ったらすぐに同級生からいじめを受けたので馬鹿馬鹿しく思ってすぐに部活をやめた経験がありますが、そうしたいじめが実際に起こっているにもかかわらず、上級生が下級生へ理不尽な仕打ちが起きているにもかかわらず私の目からすると教育者、ならびに責任者は「上下関係や大事な礼儀を教える」という言葉の元にそうした行為をわざと正当化して対策を取らないばかりか、むしろ助長させているように思えます。

 よくいじめ問題の原因についてあれこれ議論があり、その対策についてもいろいろと話題には上るのですが、現在に至るまで私はこの運動部内のいじめと上級生から下級生へのしごきが話題が上ったことなどついぞ一回として見たことがありません。何もこれが諸悪の根源だと言うわけじゃないですが、現実に事件化するいじめもあれば外部にて刑事事件を起こす生徒を出したりしているのは事実なので、こうしたスポーツ教育について日本は再考をするのがどう考えても筋じゃないかと思います。

 最後に運動部内でのこうしたいじめやしごきに対して、こうした行為から向上心が生まれて試合にも勝てるようになると言う人もいますが、もしたとえそうだとしても、こうしたことをしていてまともな人間が育つはずなんてないと私は思いますし、そうまでして試合に勝つ価値はどう言い繕ったってないでしょう。そして実際にこういうしごきやいじめが実際に能力の向上に寄与するかといったら、高校生の国際試合とかで日本チームの勝敗を見ていると、こちらもやっぱりないと思います。

4 件のコメント:

  1.  中、高と実際に運動部に所属していましたが、僕自身はいじめにあっていないのでよくわかりません。さらに、普通科の弱小高だったせいかまわりにもそういう人がいたとはおもえませんでした。しかし、コーチや監督のせんせいからの体罰はありましたね。こちらは生徒数名が暴行されるのを直接見ています。高校生は確かに論理的思考に弱いところがあるんで(特に運動部)なんで自分が悪いのかわからないこともありますが、たかが試合でミスしたぐらいで殴るのはよくないと思います。殴れば理由がわかるわけでもないですし。

     僕の一個上の先輩で僕からみても、物覚えの悪い人がいたんですが。ある日、すごい罵声が聞こえてきたのでいつもどおり誰か怒られてるのだろうと思っていたのですが、近くに寄ってみたらその人が先生に何度も平手打ちを食らっていました。それがほぼ毎日のように行われているのを知って、よくわからなくなってやめちゃいましたね。一時期指導者の暴行って話題になってたけど今じゃまったく取り上げられないから、年に数回ぐらいで特集とかやらないとだめだなって思います。本当に運動部の考え方?は意味わかんないです。

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  2.  そうだろうなぁ。私は別に身体を動かすことが嫌いじゃないけど、顔と言動がそれらしいからよく文化系に見られることが多いのですが、それ以前に体育会系の価値観や考え方が蛇蠍の如く嫌っているのが影響しているかもしれません。

     別に怒鳴ったり体罰をするなとまでは言うつもりはありませんが、現状ではそれらをやりすぎているところの方が圧倒的に多いでしょうし、そういうことをやったからといって強くなることは決してないでしょう、アメリカのスポーツ選手を見ていると。

     記事中でははっきりと書きませんでしたが、日本のいじめ問題の根本的原因はやっぱりこれと大人の世界を含めた社会的慣習だと思います。顧問の先生がボコボコ人を殴るのを見て子供は真似しますし、まずはそういうところからどうにかしなければいじめ問題は続くでしょう。

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  3. 理不尽な暴力による指導は世間の理不尽に耐えるために行われるものだと私の父は語りました。
    この『相手を想う暴力』とでも言うべき指導は日本赤軍の総括リンチを思わせます。こうした暴力は学校のような閉鎖的な環境で振るわれやすいのかもしれません。
    父の世代までの社会は「理不尽が世の常」を共通認識としていたから指導の下で振るわれる暴力に納得できていたのだと思います。暴力を是認する社会に送り出す生徒たちを暴力に浸すことで社会に適応させていたから、世間からも文句を言われなかった。それが今では、体罰はよくない、暴力はだめだと言われています。日本社会が暴力から遠ざかったのは80年代に学校が生徒の暴力で吹き荒れたのとフェミニズムの台頭が関係したと推測しますが、それでも学校(とりわけ旧習を強く継いだ体育会系の部活)は暴力を生産して生徒を暴力に浸す矯正をやめようとしないので問題になっているのだと思われます。

    未だに起こるスポーツ教育の問題を考えてみると、学校と社会の乖離、学校のセクト化が起きているなと感じます。暴力を是とする社会で生きてきた私の父の価値観はどうにも相容れないもので、私を給食を吐くまで食べさせた教師たちの暴力は、暴力であるとしか思えません。

    もう一つ、暴力には遺伝性があると考えます。暴力が遺伝する条件は、自分が受けた暴力に納得できるか、です。人は自分が受けた暴力を人に返す傾向があるように思えます。というのは、自分が受けた暴力が結果的に自分の役に立ったと考えられるのならば、他人を指導するにあたってはそれが当人にとって一番いいやり方になるからです。私が受けた暴力も「食べ物を我慢して食べた結果偏食や食べ残しをしなくなって食生活が改善した」と好意的な解釈をしようと思えばできることです。そうなれば私も将来、子供を吐かせるまで食べ物を食べさせる大人になるのが自然な成り行きでしょう。私自身、あまりに遅い食事を見かねた小学校の先生の「彼は優雅なランチタイムを楽しんでるからみんな待っててあげてねえ」という一言が未だに忘れられないので吐くまで食べさせられる苦しみを理解しない人に味わってほしいという、暴力の再生産を積極的に行う動機もあります。以上を踏まえて、暴力を受けた人による暴力の再生産の構造をご理解頂けたらと存じます。

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    1.  コメントありがとうございます。
       「暴力の連鎖」ともいうか、どっかの国の本でも「暴力でしつけられた子供は暴力で従わせる方法しか知らなくなる」とある通り、暴力が脈々と遺伝のように続くというのは同感です。
       ちょっと本題からずれるかもしれませんが、ではそうした暴力を軸とした社会規範が何故いけないのかというと、結論から言えば社会として弱くなるからだと思うから私は現在の立場を取っています。スポーツ教育でも暴力が嫌でやめて別のスポーツに移って活躍する選手もいますし、暴力のあるところとないところならないところに才能が集うのは当然です。社会学士という出身から善悪以前に効率というものを考えてしまいがちなのですが、あまり深いところではなく「どっちが強いのか?」という単純な論点でこの問題は片づけた方がいいのかなとよく思います。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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