まず最初に、私のある体験からお話します。
これは私が小学校一、二年生の頃の話ですが、ある日先生が、「馬鹿を馬鹿といってはいけません」と言い出しました。なんかこう文章にすると一休さんのとんち話のようにも見えますが、当時の私はというとこれを結構真に受けたりし、友達同士で悪口の言い合いになると、
「馬鹿って言う人が馬鹿なんですぅ」
「馬鹿を馬鹿と言っちゃいけないんだぞ」
などとお互いに言い合ったりしてました。
これはちょっと解説をすると、当時に流行った言葉狩りの一端だったと今では思います。
当時、馬鹿という言葉が知能障害者への差別に当たるとして、当時の文部省だかが通達を出したのか、ほぼ全国的にこのようなわけのわからない、まるで言葉遊びのような妙な教育というか言葉狩りが行われていました。なおうちの親父の世代だと、親父が関西地方出身だからかもしれませんが「四つ」というのがタブーワードとして使うなと言われていたそうです。
さてこうした言葉狩りが使われた背景には、この失われた十年におけるフェミニズムの勃興があると私は考えています。ふと気がついてみるとこのフェミニズムという言葉自体、現代ではあまり聞かなくなった(どうも「左翼」という言葉に含められている気がする)のですが、失われた十年にはこのフェミニズムを冠する、掲げる集団が非常に大きな力を持っていました。
このフェミニズムが私の記憶する限り初めて社会に大きな影響を与えた言葉狩り事件というと、「ちび黒サンボ事件」だと思います。この事件は少年サンボが知恵を使ってトラを退治する「ちび黒サンボ」という童話に対しある団体が、「ちび黒」という表現は黒人への侮蔑に当たると批判し、なんとその批判を受けて1988年にはこの本自体が絶版してしまった事件です。
そもそもこの童話はインドの話で、少年サンボをアフリカ系黒人と勘違いしている時点からかなり駄目駄目な問題なのですが、当時はこのように何かの表現が誰かへの侮蔑に当たると言われると複数の団体がものすごい批判が集まり、批判を受ける側としても要求を飲むケースが非常に多く、この「ちび黒サンボ」も「ちび黒さんぽ」という、サンボのかわりにさんぽという犬(しかも色は白)の話に取り替えられ再出版するという、まるでギャグのような結末になってしまいました。どうせなら「ちび黒コマンドサンボ」にすりゃいいのに。
こうした例を筆頭に、この時期に数多くの日本語表現がまるで魔女狩りのように槍玉に挙げられては無理やり変えられていきました。特にこのフェミニズムと言うだけあって、女性が関係する言葉は片っ端から変更が加えられ、代表的なものだと「スチュワーデス」が「キャビンアテンダント」、「看護婦」が「看護士」といったように変更され、その他数多くの言葉も現在までに定着こそしなかったものの、代替語が一時は用意されていきました。
最も、最近だとこういうような「侮蔑に当たる」として表現差し止めを要求する行為が行われればネット上で激しい逆批判が起こり、またメディア側もこの時期みたいにそういった要求を行う団体に肩入れした報道を行わなくなったので、現在だとめっきりこのような事件は目にしなくなりました。
私が記憶する中でも2005年末に、当時人気絶頂だったレイザーラモンHGをもじり、テレビ番組の企画で「黒ひげ、危機一髪」ならぬ「黒ひゲイ、危機一髪」という名前の玩具をおもちゃメーカーが発売したところ、
「同性愛者をナイフで刺して遊ぶ、差別感情を増長させる玩具だ」
として、ある人権団体が抗議したのを最後に確認して以来は全く見なくなりました。それにしても、同性愛者の偏見といったらレイザーラモンHGの存在の方がよっぽど妙な誤解を生むような気がするのですが。
では一体何故このようにフェミニズムが失われた十年に台頭したかですが、これは完全に私の推論ですが、高度経済成長を終えて男女差別論が欧米から輸入されてきたのを受けての現象だったと見ています。そのため必然的にこの言葉狩りは女性論とも密接に結びつき、本流のジェンダー論ともいろいろない交ぜになってわけのわからない事態を生んでしまったのだと思います。
この辺は次回の、フェミニズムについての解説にて詳しく行います。
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