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2009年5月2日土曜日

日本人の宗教観

 よく日本人は外国人に対して自分たちは無宗教だ、宗教的にはやや特別だなどといって相手に「?」、と思わせることが多いと思います。実際に私もイギリスでそのような現場を見たことがあるし、日本国内においても自分は無宗教で特定の宗教に属していないと思っている日本人が大半だと思います。しかし結論から言わせてもらうと私は、九割以上とも言われる日本人が正月の三日間の間に初詣に行くという現象が起こっていることから、十分に宗教意識はあると思うし少なくとも無宗教だとは言わないと思います。

 例えば先ほどの初詣にしろお盆の墓参りについてもほとんどの日本人はそれが宗教的な行動だとは意識して行っていないと思いますが、神社という神様とつながりのある場所へ正月に赴いたり、死後の霊的な存在に対して線香をたくなどして敬意を表す行動を取るなど、私は外国人の目からすれば十分に宗教的な行動に見えると思います。
 では欧米人のキリスト教やイスラム教に対する行動とと日本人の神道や仏教に対する行動がどのように違うかといえば、一言で言えばそれを宗教的なものと強く意識するかしないかだと思います。日本人は初詣やお墓参りについてそれが宗教的な行動だと考えずむしろ民族的な慣習のように考えて行っていると私は考えますが、宗教も慣習が発展した一つの形態だとするならば、さらに先祖崇拝や霊的存在に対する行為だとするのならば立派な宗教的行動だと言えるのではないでしょうか。

 にもかかわらず日本人は何故最初に挙げたように自分たちは無宗教だと考えるのかというと、これまたやや単純過ぎる気もしますが、恐らく欧米人のような姿を想像しては、特定の宗教に属すからにはそれ相応の決まった規則などを履行したり信心などをしっかり持たないといけないと考えているからだと思います。
 この辺について以前に佐藤優氏の「自壊する帝国」の中で、佐藤氏があったロシア人が、

「日本人の神道に対する態度のように、ロシア人にギリシャ正教を国民宗教として持たせたい」

 と言った記述を読み、私の中で合点が行きました。

 そのロシア人は同国内の住人が皆同じロシア人だと共通意識を持つ統合の象徴としてギリシャ正教を国民宗教にしたいと考えたのですが、その言わんとする国民宗教というのはその当該国民の間ではっきりと意識しないまでも当たり前のように持つ共通認識というような意味合いです。つまり日本の神道、ひいては仏教というのは日本人の間で表立って意識しないまでも共通認識となっており、国民として統合させている一つのキーだというのです。言い方を変えれば、当たり前になりすぎていてもはや宗教だとは感じなくなっているとも言えるかもしれません。

 そういった意味で日本人は意識しないまでも、私は神道と仏教の合いの子みたいな宗教に属していると考えています。少なくともどの日本人も、「この世には、神も仏もいねぇっ!」と、常日頃からパンクロックに言っている人は少ないだろうし、また神社やお墓が何者かに破壊された際に、「なんて罰当たりな……」と思わない人も少ないとでしょう。何も欧米人のような信仰の形が決まった宗教の姿というわけではないのですから、意識しないのが自分たちの宗教観だと日本人は考えてもいいと思いますし、また最初に言ったように少なくとも無宗教じゃないというのが今日の私の意見です。

2 件のコメント:

  1.  なるほど。確かに日本独自の文化はいたるところにありますし、習慣にもなってますもんね。しかし、宗教と文化ってごっちゃにしちゃっていいのでしょうか?

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  2.  確かに宗教と文化の関係性については自分でも区別が非常に難しいです。文化の範疇に宗教があるのか、それとも宗教が作るものが文化になるのかと、両者には相互的な作用が強くあります。
     ただ生活習慣で言えば、イスラム教の戒律がムスリムの生活スタイルとなるなど、キリスト教、仏教が冠婚葬祭で強く影響されることを考えれば多少はごっちゃに考えてもいいとは思います。
     なお引用で使っている佐藤優氏によると、意識せずにそれが当たり前だと思うことこそが一種の思想だとかつて述べており、私もそうなのかなと考えたことがありました。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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