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2009年5月6日水曜日

教育における体罰の是非

 ちょっと時間が経ってしまいましたが、先週に小学校で行われた体罰の是非について最高裁にて判決が出て、一審と二審では教師が児童に行った体罰は不適当という判決がひっくり返り、教師の行為は教育的指導の範囲内で何も問題がないという判決が下りました。この判決について私の意見はというと、なんでこんなくだらないことで裁判が起こされたのかというそれ自体の事実に呆れました。

 詳しい事件の内容を解説すると、何でも小学二年生の男子児童が女子児童を蹴っていたそうなのでそれを見かけた男性体育教師が注意したところ、その教師がきびすを返すや男子児童は今度は教師の背中を蹴りつけたそうです。蹴られた男性教師は男子児童の胸倉を掴んで壁に押し当て、もう二度と人を蹴るなと再度注意したというのが顛末だそうですが、胸倉を掴んで壁に押し当てたのが不当な体罰だと児童の親が自治体を相手取って裁判を起こしたものだそうです。

 まずもってこの事件で私が感じたのは、随分と生意気なガキがいるものだということと、こんなことで裁判を起こす親も親だし、更にはこの男性教師の行動を以って問題ある行動と認定して自治体に児童の親へ賠償金の支払いを命じた一審、二審の裁判官の気が知れないということでした。どう贔屓目に見たって問題があるのは児童の方ですし、一度教師が口頭で注意したにもかかわらずいうことを聞かないばかりか即座に教師に向かって蹴りつけるなんて、胸倉を掴むだけでなく右ストレートを食らわしてもよかったんじゃないかと思います。この事件の教師の行動は私から見て理にかなったもので体罰とかそういったものとは明らかに程遠く、教育的指導として逆に適切なものだったように見えます。そういう意味で最高裁の判決は当たり前といえば当たり前の判決なのですが、それだけに一審と二審の判断には首を傾げざるを得ません。

 そこで体罰の是非についてですが、私は一応は教師が体罰を行うことに対しては反対の姿勢を取っています。それだとさっきと言うことが違うじゃないかと言われるかもしれませんが、先ほどの事件での教師の行動は私は体罰の範囲とは言えないものだと考えており、やはり過度な体罰は教育指導の目的から外れた体罰が横行することだけは避けたいという思いから名目上は体罰反対を掲げています。
 ではどの区切りから私が否定する体罰に当たるのかですが、いろいろな人があれこれこの境界線についてあれこれ意見を出しては判定が難しいと言いますが私の場合は単純明快に、「誰がどう見たってやりすぎだろ」と思うような行為が体罰に当たると考えています。

 例えば私の中学校の教師は授業に教科書を忘れた場合に一発軽く拳骨を男女関係なしに与えていましたが、私はこの拳骨に対して不当だと感じませんでしたし、教科書を忘れれば自分以外の皆も受けるので嫌がってはいたものの誰も文句は言っていませんでした。このように体罰が平等に行われているか、また拳骨一発程度と極端に痛みを与える行為でないこと、そして何よりクラスや学年全体で大きく不当だという声が多数派にならないことがその行為が正当かどうかを決めると考えています。逆を言えば、当事者本人はともかく皆が皆であまり不当だと思わない限りはなにも問題ないんじゃないかと思います。

 ここで話は変わりますが、以前に私がロンドンで会った日本人の方の高校時代の話を紹介します。
 その方は中学校でバトミントンに熱中して進学先の高校もスポーツ的環境のよい学校、つまりは体育会系のある高校へと進学しました。その学校は何もバトミントンだけが強いだけでなく、近年も硬式野球部が甲子園に出場するほどのスポーツ校で集まる生徒も勉強は出来なくとも元気だけは十人前という学校だったらしく、教える教師も教師で皆が凄腕ぞろいだったそうです。まず私が一番驚いたのは、

「うちの高校の教師は皆一人一つは武器を持っていた」

 という事実でした。
 先ほど書いたように私の中学校では教科書を忘れた際には拳骨がありましたが、その学校の確か国語教師は武器が竹刀だったらしく、校内にいるときは常に竹刀を持ち歩き、授業に教科書を忘れた生徒が出てくるや教室の前に呼んで壁に手を付かせてから思い切り太ももを竹刀で叩いていたそうです。何故壁に手を付くかですが、太ももをかばおうと手を出して竹刀に当たると指の骨が折れるそうだからです。
 この竹刀の教師に限らずその方の所属していたバトミントン部の顧問は騎乗用の鞭が武器だったそうで、毎回テスト明けに赤点の数だけ部員の太ももを叩いていたそうですが、一度だけ食らったその方が言うには、

「あれは馬も走るよ」

 だそうで、相当痛かったそうです。にもかかわらずその方の友人で赤点を五つも出した人がいて、当然五回も叩かれるのですがあまりにも痛いもんだから一回、二回、三回、と太ももの裏を叩かれる度に前に跳ねて位置が動くもんだから四回目からその顧問はバトミントンで言うバックハンドで今度は太ももの表を叩いたそうで、さすがバトミントンを教えてるだけあると部員皆で感心したそうです。

 私から見たらこれらの教師の行為はさすがにやりすぎなんじゃないかなぁと思ったりもするのですが、当の本人たちはこれくらいでなければ自分たちも言うことを聞かないだろうし、元から体力が余っているというのもあって誰も不当だと文句を言わなかったそうです。また体育会系の生徒ではなくあまり運動をしない勉強型の生徒に対しては教師らもこうした体罰は行わず、代わりに授業時間中ずっと椅子の上で正座(これもきついだろうが)させることで代替とし、それに対して他の生徒も「あいつだからしょうがないな」と、不平等だとは思わなかったそうです。

 なお先ほどの竹刀の教師ですが、なんでも修学旅行中にも竹刀を持って来ていたそうなのですが、ある生徒が逆切れを起こして教師から竹刀を奪い取るやその場でへし折って、「だからなんなんだよ」とすごんだそうです。さすがに竹刀を折られた日はその教師は元気がなかったそうなのですが、まだ修学旅行中の次の日には早くも別の竹刀を持っており、スペアがあったんだと生徒全員で驚いたそうです。
 ちなみにその修学旅行は九州への旅行だったそうですが、移動手段は関東からバスと、体力自慢のその方にとってもハードな旅行だったそうです。

4 件のコメント:

  1.  体罰はいけないといわれていますが、体罰による教育方式があるのも事実ですからね。体罰によって体に教え込み、より強い記憶として植えつけるもできるので欠点ばかりではないと思います。

     問題にするべきなのは体罰そのものよりも、人格なんだと思います。無差別テロのごとく体罰を行う先生もいるので、そういった先生の人格に問題があるのだと思います。また、体罰を振るわなければいけない愚かな生徒にも問題はあります。

     個人的な意見としては、体罰は最後の手段として行使するべきだと思います。誰も好き好んで殴られたいとは思いませんし、殴る側も感情に駆られているという点では、教育者としてほめられることではないのですし。もう他にどうしようもないと感じたときだけ、殴るという行為を行使するべきなのではないかと考えます。

     それから学校によって体罰の規制がゆるかったりするみたいですが、教育方法のひとつとして体罰をとる方法もあるというということを認識していれば、理解できないものではないと考えます。体罰を行ってもよいが、その場合は周りの先生や生徒、親御さんによる事情聴取を行い事実関係をしっかり把握するというシステムをとることが必要なんだと思います。

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  2.  最後の段落で周囲と事実関係をしっかり把握すると書いていますが、最近だと変な親が多いのでちょっとこじれたりするんじゃないかなぁと思いました。

     私はこの辺は下手なことをいいっこなしで、具体的にどんな行為をしているのかを常に明るみに出しておくに尽きると思います。そうすることで変な教師がいたら糾弾できるし、変な親が騒いでも周囲の目がそれを阻むことが出来ると考えているからですが、何よりも「あの先生は怒らせると恐い」と生徒たちに思わせることが一番の狙いです。

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  3. 体育会系企業で働くものとしては、そのようなマッチョイズム的教育が日本経済を支えていると思います。それと同時に私のような文化系男子は生きずらいのです。

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  4.  私もその辺を強く主張したいんだけど、「明るくてスポーツ好きでお酒も大好き」以外の人間はどこで生きりゃいいんだと、日本って案外生存範囲が狭い国だと思うんですよね。気は弱いけどのんびりした人間ですら生き辛いというのなんか間違っている気がします。
     Rockmanさんも大変かもしれませんが、負けずに頑張ってください。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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